No.7 教えの本質D
<教えの原点に戻って>
ここまで書いた内容は、分かりやすい言葉にこだわったぶん、あるいは、こんな風に
理解したいという私の願望も手伝って、消化不良や間違いがあるかもしれない。
不遜ながら、仏教教義の様々な歴史的展開を、お釈迦様の教えとして「えいやっ」と
一つにまとめてしまったようなところもある。
仏教の歴史的展開についていうと、お釈迦様誕生(紀元前5世紀)の前から、特に
自我と宇宙の関係について考えたインド哲学の流れがある。
また、仏教誕生以後にも様々な流れがあった。
人間釈尊の教えをベースにした原始仏教、さらにアジア南方に展開した(小乗)仏教、
それに対抗する形で釈迦没後7,8世紀をへて登場した大乗仏教(そこで仏教はまた劇的
な展開を見せる)、さらにその後インドで発祥した宇宙の中心に大日如来をおいた
密教、また釈迦以来の瞑想の流れを重視した言葉によらない「禅」、などなど。
仏教は日本に入ってくる前に、まずアジアで壮麗かつ多様な展開を遂げた。こうした
変遷の一つ一つに、幾多の開拓者たちの血のにじむような宗教体験と人間ドラマが
あったのだろうなと思う。
日本ではどうか。仏教が本格的に移入された聖徳太子時代以後、奈良、平安時代にか
けて仏教は日本古来の神道と習合しつつ、国家鎮護の宗教としてその地位を築いた。
この間、歴史上有名な僧たちが大陸から様々な仏教を伝えたのはご存知のとおり。
その後、平安末期から鎌倉、室町の戦乱時代、日本の仏教に続々と革新者が現れる。
庶民の切なる願望に答えるために、浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗など、極めて
日本的な民衆仏教が数多く誕生した。
江戸時代の仏教は幕府の定めた檀家制度にあぐらをかいて葬式仏教になり、衆生済度
という本来の姿から遠くなってしまったらしい。
その反動からか、明治に入って廃仏毀釈に会い苦しんだが、徐々に息を吹き返して
今日に至っている。
さらに、近代に入ってから法華経を教義とする幾つかの新興宗教が生まれ、日本政治
の陰の政治勢力にもなっている。
仏教誕生以来2500年、気の遠くなるような時間の流れの中で、今仏教は多くの宗派に
分かれ、それぞれが精緻な教義を持っている。それはそれで探求していくと、仏教に
かけた偉大な僧たちの熱い思いも伝わるし、日本の文化や歴史の勉強にもなる。
しかし何しろ奥が深いので、私などはその入り口でうろうろしているばかりだ。
(私がこのところ読ませて頂いた関係書を読書コーナーに載せます。)
さてしかし、煩悩の徒としては、ここでもいろいろ迷ってしまう。
同じ仏教でも宗派によって唱える念仏や題目、お経本、戒律、儀式、修行方法なども
様々だし、中には他の宗派の教えを否定している場合もあるから。
お釈迦様は、涅槃に入るとき「お釈迦様が亡くなられた後、私たちはどのようにして
いけばいいか」と尋ねた弟子たちに「何も心配することはない。私の亡き後は、ただ
私の教えた真理(法)を灯明として、そして自分自身を灯明として修行をしていき
なさい」と言われたという(法灯明、自灯明)。
まあ、今の私としては、お釈迦様が唱えた、煩悩解脱と衆生済度に向うための道筋
(覚りへの道)を頼みとしながら、しばらくあれこれ考えずに勉強して行きたいと
思う。
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