クリント・イーストウッド監督の映画「父親たちの星条旗」を見た。太平洋戦争の激戦地、硫黄島での戦いをアメリカ側のエピソードで描いた映画。ジェームズ・ブラッドリーが書いた同名のノンフィクションを映画化したものである。
シナリオはさすがイーストウッド監督、良く出来ている。戦争の映像も凄い。
多大な犠牲者を出した後にアメリカ軍が硫黄島のすり鉢山頂上に星条旗を立てたのは2度あった。最初に立てた時の写真はなく、後に新聞にも載ったり、記念碑の群像にもなった有名な写真は旗をもっと大きなものに取り替えるために立て直した「2度目のもの」だった。
その2度目の写真に写った兵士たちも実は最初に頂上を征服した兵士たちと違って、その後たまたまその場にいた兵士たちだった。しかし、2度目の写真に写った3人の兵士はすぐに帰国させられ硫黄島征服の英雄として戦費調達のための様々なイベントに駆り出されることになる。
3人を英雄に祭り上げて底をつきかけた戦費調達にやっきになる政治家たち、英雄の役割を演じることに抵抗を感じる3人と対照的なアメリカ国民の熱狂ぶり、彼らが英雄としてもてはやされている間にも硫黄島の過酷な戦いで死んでいく海兵隊たち、最初に旗を掲げた後に島で戦死した遺族たちの冷たい目。その合間に「地獄の中の地獄」と言われた戦争の経過映像が挿入されていく。
この映画で監督が描きたかったのは、戦争に利用された3人の心の屈折と戦争による心の傷だろうと思う。それは、上の図式のような対立的要素が効果的にぶつかり合うことによって最終的に戦争の空しさを伝えている。
良くできた映画だと思う。しかし、一方で練りに練ったシナリオの落とし穴も感じさせる。
アカデミー賞を取った「ミリオンダラー・ベイビー」(イーストウッド監督)も、最初これでもかと言うくらい老コーチが女ボクサーを拒否したりする。後半の彼女の挑戦を盛り上げるための演出だと思う。
まあ、それはともかく私は人生の現実も戦争の現実もそのような絵に描いたような図式に当てはまらないところにあるのだともう。
硫黄島では前回書いたように2万129名の日本兵と6821名のアメリカ兵が戦死した。映画が描いたのはその戦争で生き残ったたった3人のアメリカ兵の物語である。その陰には2万7千人の一つ一つ違った人生があった。
「散るぞ悲しき」を読むと、日本兵の中には15,6歳の少年兵も沢山いた。夕方島での訓練を終えた彼らは「夕空晴れて秋風吹き」と歌いながら隊列を組んで帰った。「ああ わが父母いかにおわす」と続く、この女々しいと受け取られかねない「故郷の空」の歌を上官たちもとがめることなく聞き入っていたと言う。
戦争の過酷さは戦いで死んだ膨大な人々、一人一人に特別なものである。私はこの映画の良さを否定するつもりはないが、一つの図式の背後にはそれにも当てはまらない、もっと過酷で悲惨な現実が山のようにあるということもまた忘れてならないと思う。
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