日々のコラム    <コラム一覧>                                       

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

■政治家の耐えられない軽さ 05.10.19

 郵政民営化に反対した自民党議員が選挙後の採決で、一人を除いて全員が賛成に回り、その時の理由が「民意に答えが出たから」というので、「彼らに投票した有権者の民意は無視するのか」と批判されている。「民意」をめぐる論争だ。
 もっともな意見だと思うが、私はその前にもっと素朴な疑問があってこれを書きたい。別に水に落ちた犬を叩くようなことをするつもりはないが、「民意」が方便として使われ、大事なことが見逃されているような気がするからだ。

◆そもそもなぜ郵政民営化に反対したのか
 素朴な疑問と言うのは、「そもそも彼らはなぜ郵政民営化に反対したのか」ということである。私は、今になってもその答えが明確にならないのに苛立ちを覚えるのである。
  まず、民営化法が本当に悪法だというならば、選挙前も後も考えは変わらないはずである。むしろ将来に禍根を残さないためにその欠点を追及し、歴史の判断を仰ぐことこそ政治家の責任ではないか。 しかし、彼らがあっさり兜を脱いでしまったおかげで、国民は本当の所を知る機会を失ってしまった。彼らは自ら言論を封殺してしまった。
 法律の欠陥点を明確に主張した上で、しかし、議員を続けさせてもらうために苦渋の決断をした、というならまだ分かるが、都合よく「民意」などを持ち出して折角の機会を放棄したのでは、「信念は変わりません」などと言っても通る話ではない。

  一方、民営化法に問題はないのに、彼らが国民の利益より特定団体(特定郵便局関係)の利益を重視した、あるいは小泉がにくいとか、彼らの親分と小泉との権力闘争に加担するために反対したということもありうる(小泉はそう考えているらしいが)。 彼らが変節した今となっては、彼らは自分たちの利害のために法案に反対したのだと、勘ぐりたくもなる。本当にそうなのだろうか。
 それならそれで彼らは政治家としての不明、見通しの甘さの報いを受けるだけで、同情の余地はない。この場合、彼らが「民意」を持ち出したのは、悪事が見つかったときの照れ隠しのようなものだろうが、政治家の信念を言うなら「民意」などを持ち出す前にこういう勘ぐりにきちんと答えるべきだろう。

 今、「民意」云々の是非が論じられているが、それ以前に、マスコミは以上のようなことを明確にして追求しないと問題の所在は分からない。「民意」云々で見逃しているようでは、最近の政治家の「異様な軽さ」も見えてこないと思う。 彼らは国民の負託の重さをどう考えて政治家になったのか、何のために政治家になったのか、その原点が問われているのである。

◆何のために政治家になるのか
 一方、今回大量に出現した「小泉チルドレン」と呼ばれる新人議員たちについてもちょっと言いたい。(女性議員も含めて)彼らは、それぞれの分野で存在感のあった人たちらしいが、これまでの言動を見ていると、皆舞い上がっていて何のために政治家になったのかと、首を傾げたくなる。
  彼らの頭には今、自分が権力に一歩近づいた、注目の階段を上ったという自己満足(達成感)しかないように見える。しかし、国民は彼らの人生のキャリアアップのために選んだのでもないし、彼らに権力の蜜の味を味わせるために選んだのでもない。

  (今の状況を見ているとかなり難しそうだが)彼らには政治家がタレント並みにどんどん軽くなる今の風潮に染まる前に、早く頭を冷やしてもらいたい。そして、自分を選んでくれた国民、国家のために何をするのか、「政治家の志」を磨いていってもらいたい。そうでなくともいずれ、政治家には「国民に対する重い責任と、歴史の法廷にさらされるような決断」に迫られる時がやって来るに違いないからだ。

◆逆境を将来に生かせるか
 今回郵政民営化に反対して苦汁をなめた政治家がこれからどうなるのか。田中秀征氏はテレビ番組で、今回反対を最後まで貫いた政治家は将来、必ずそれが肥やしになって生きてくる、と言っていた。そうかもしれない。

 しかし私は、今回賛成に回った政治家にもこの苦境を生かすチャンスは残されていると思いたい。ただそのためには、自分がなぜ郵政民営化に反対し、その後賛成に回ったか、自分の政治家としての信念とは何だったのか、重い問いかけを自分に課すことが必要だと思う。また、有権者にそれを奇麗事でなく赤裸々に説明することも必要だ。
 国民は見ているのだから、(厳しいようだが)その問いをあいまいにしたまま、嵐の通り過ぎるのを待っていても政治家として大成はしないだろう。
 
 社会の上澄みだけをすくって生きてきたようなつるつるした自称エリートや、銀のスプーンをくわえて生まれてきたような世襲の政治家ばかりでは、政治に大衆の血を通わせることは出来ない。国民は政治家が失敗を真摯に受け止めることよって逆境から這い上がり、味のある政治家として成長するところも見たいのだ。

9.11選挙 国民が選んだ4年間 05.9.24

 自民党が大勝した9.11選挙。 テレビや新聞は連日、圧勝した小泉首相、当選した女性新人議員たち、新しい民主党党首など「政治の様変わり」を伝えるのに忙しい。
 それを眺めながら、さて日本の政治はこの先どうなっていくのだろうと、考えた。 政治が苦手の私だが、今回のような思わぬ「事態」が発生したときには、何とか自分なりの考えをまとめてみたくなるらしい。

◆予想を超えた「事態」をどう見るか
 「事態」とは、絶対安定多数を占めた巨大(水ぶくれと言う人もいる)自民党の政治が、今後よほどの事がない限り4年間続くと言うことである。
 それは小選挙区比例代表並立制という経験の浅い実験によって生み出された、国民の予想を超えた事態であり、一種の社会的衝撃と言ってもいい。(何となく実験室からフランケンシュタイン博士の想像を超えて生まれてしまった怪物のように言っているが、事の展開しだいではそうかもしれない)

 今後4年間、この「事態」がどういう道筋をたどるのか、正確なところは誰も分からない。しかし、幾つかのケースを前もって考えておくことは(当たり外れは別として)、心の準備に役立つに違いない。
 そこで一つ、杞憂に終わるかもしれないが、案外あるかもしれない「最悪に近いケース」(最悪はもっといろいろあるだろう)について書いてみたい。

◆4年間の閉塞状況の予感
 来年9月までの任期中、小泉は経済構造改革の懸案を順次進めていくと言っている。しかし、小泉は内政、外交の懸案が行き詰って破れかぶれで郵政を争点に持ってきた、という指摘もあるくらいだから、郵政が片付いた後の小泉首相は案外燃え尽きてしまうかもしれない。国の財政再建という待ったなしの懸案にどれだけ実効ある改革が期待できるかどうか。
(私が会ったある口の悪い官僚は選挙翌日の油気の抜けた小泉の顔を見て「あれはいっちゃった、という顔だよ。もう一回はできないだろう」と言っていた) 
  官僚たちは今、首をすくめてじっと小泉の任期切れを待っているに違いない。

  問題は小泉以後の3年間だと思う。
  私の懸念の一つは、これから4年間、自民党の絶対安定多数という無風状態(2年後に参院選挙があるが大勢に影響はなく、次の首相が衆院解散に打って出るケースも考えにくい。)が続くと、自民党の利権体質が再び強まってしまうのではないか、ということである。

 政治に大きなチェックが入らず、議員のシャッフルが起こらなければ政治が停滞し、自民党はかつて長期政権にあぐらをかいていた頃のように利権集団(族議員)の集合体に戻ってしまわないだろうか。
  利権体質は何も自民党に特有のものではなく、政治の業のようなものなのだと思う。一定期間権力の中にいると、どうしてもそういう利権関係が形成されてしまう。無風の4年間はそれを警戒するのに十分な時間だと思う。

◆4年後の選択に向けて
  そうなるとどうなるか。政治が特定団体や経済界の方ばかりを見るようになり、国民に痛みを強いるような政策が打ち出されても、それに反対する国民の声が政治に届きにくくなる。今回折角高まった、国民の政治への関心がしぼんでしまって、国民と政治の距離が再び大きくなってしまう。
 自民党(あるいは政治の)元の木阿弥説である。

  仮に政治が元の木阿弥になったとすれば、その利権政治を断ち切るのに最も効果的なことは、言うまでもなく政権交代である。
  そのとき重要なのは、一方の民主党が政権交代の可能なしっかりした政党に変身しているかどうか、また、「2大政党の色分け」(国家ビジョンや政策の違い)が国民から見て分かりやすくなっているかどうか、だ。

 「色分け(違い)の分かりやすい」しっかりした2大政党が常に存在することは、別に自民党が国民の期待に背いた場合にだけ必要なのではなく、国民がいつでも権力の替え札を手にしていく上で重要になる。
 4年後に向けて国民の方からも声を上げながら、安心して選択できる2大政党を育てていくことは、大事な課題になるだろうと思う。

 近々、「国民に分かりやすい2大政党の色分け」についても考えてみたい。  

■9.11選挙 @君はコイズミを知っているか 05.9.5

 今回の選挙ほど頭を悩ます選挙はない。今はコイズミ劇場の演出がうまく行って小泉自民党が過半数を確保する勢いだが、どうもしっくりこない。無党派の私としては郵政改革には賛成だが、郵政一本やりで国民にイエスかノーを迫る今回のような総選挙のあり方にどこか疑問を感じているからだろう。
 異例づくめの今回の選挙が日本の憲政史上、重要な意味を持つ選挙になると見る人は多い。ならば私も今回の投票について、少しは納得できるように市民の立場から2つのことを書いてみたい。

◆君はコイズミを知っているか?
 マスコミはコイズミ的なるものを、主に旧来の政治手法の破壊者として様々に取り上げてはいる。しかし、小泉を取るか否か二者択一を迫られている割には、私たちは小泉政治の本質、あるいは小泉自身の本質について正確に見極めていないのではないか、というのが第一に言いたいことである。
 
 思い込んだら曲げないという強固な信念(かと言ってその信念は、これまでの度々の骨抜きに対する巧妙な妥協に見るように、政局をリードする手段として都合よく使われているふしもある)、問題を単純化して敵を仕立て見せ場にする才能、切った張ったの政局をゲームとして戦ってしまう感覚(これを非情と彼は言う)、ほとんど失言しないワンフレーズの巧みさ。
  いわゆる劇場型社会におけるカリスマ性、大衆の面前で訴求力の強い演技が本能的に出来る。かつては田中真紀子の得意技だったけれど、その彼女でさえも彼の敵ではない。

  しかし、田中真紀子もそうだがこの手の攻撃型演技派は驚くほど本質がつかめない。彼は政治家として何者なのか、郵政以外に何を目指しているのか。我々国民は4年も彼に付き合っているのに、「変人」、「小泉サプライズ」などという言葉によって、それ以上の思考を停止してきたのではないか。
 従来の政治家は属する政策集団(派閥)の思想傾向、支援団体や人脈、生い立ちのエピソードなどによって、その政治信条や人柄が分かりやすかった。政治家も自身についてよくしゃべった。しかし、一匹狼できた彼は今度の選挙と同じで、一つのことを言い続けることによってその本質を隠してきたのではないかとさえ思える。

 古い自民党をぶっ壊す改革派と自認しているが、一皮向けば自民党内での権力闘争では旧橋本派、亀井派への容赦ない攻撃(具体的には道路や郵政などの族議員の利権を壊す)、旧郵政省への怨念と財務省への肩入れ、米ブッシュ政権重視とアジア外交の軽視、靖国参拝に見る偏狭な国家意識などを指摘することもできる。
 見方によっては、選挙で勝利し、より強力になった彼の存在にある種の危惧の念を抱く向きもあるだろう。

◆郵政以後の小泉自民党はどこに向うのか
 選挙後、自民党は小泉が仕掛けたコイズミ的なものによって、良くも悪くも日本の地方性に根ざした政党から全く別なものに変わっていくだろうと思う。
 それはどんな変化なのか。「自民党をぶっ壊す」と言って彼が仕掛けたのは、いわゆる(郵政)族議員の切り捨てと今回ぞろぞろ出てきた「コイズミ・チルドレン」の登用である。
 それにしてもあのうさん臭い、権力志向の強そうなじゃじゃ馬たちは、その存在だけで旧来の自民党をよく言えば政策集団に、悪く言えば大衆の痛みが分からない理に走った集団に変えていくに違いない。ブッシュ政権をネオコンと呼ぶように新しい小泉自民党を何と呼ぶべきか、まだ的確に言えないのが悔しいが。

  選挙で過半数(場合によっては単独過半数)を取った後、この小泉自民党は郵政の次に何をしていくのだろうか。マニフェストでは郵政以外にあれこれ、お義理に書いてはあるが、あんなものは作文以外の何ものでもないだろう。野党の指摘するように増税か憲法改正か。アジア外交はどうするのか。  

 これだけ分からないことが多い中で、国民は間もなく郵政改革の踏み絵を踏まされようとしている。「官から民へ」の郵政改革に反対は出来ないが、国民は同時に、強力になった小泉自民党がこの先何をやっていくのか、一抹の不安も感じているのではないか。
 というわけで、2回目は選択に当たっての考え方について模索してみたい。  

■9.11選挙 A政権選択は政策の総合評価で 05.9.6

 今回の総選挙は、2大政党になってから2回目の選挙だと言う。残念ながら今回は小泉が仕掛けた目くらまし戦術で冷静な政策評価が出来る状況ではない。しかし、2大政党時代に突入した以上、日本も早く政策中心の選挙のあり方を見つけていくべきではないか、というのが今回言いたいことである。
 今回は、内容が硬くなりそうでちょっと不本意なのだが、私としてはその必要性を痛感しているので何とか頑張って、選挙における政策評価システムの新しい試みについて、出来るだけ簡明に書いてみたい。

◆政権選択のための総合評価方式とは
 まず、選挙に先立ち国民の側から「選挙で争点にすべき日本の政治課題」をリストアップする。これは別に政治的な立場によって左右されるものではないから、参加するのは市民団体、シンクタンク、大学などどこでもいい。場合によってはマスコミによる国民アンケートで決めてもいいかもしれない。
 この項の最後にその政治課題の例(*)をあげておく。

 次に政党はこれらの項目についての政策の具体案をマニフェストとして発表する。国民にとってこのマニフェストが重要な判断材料になる。(今回も各政党のマニフェストが公表されたのは一歩前進だと思うが、上のような手順を踏んでいないために、総合評価に耐える内容にはなっていないのが残念である。)

 国民は各自の優先順位に沿って各評価項目にウェイトをつけ、マニフェストと照らし合わせながら点数化し、合計点で各党を比較する(これが総合評価となる)。その計算式は中学生でも分かるような簡単なものだ。
 投票に際しては、これらの項目以外にも政党の実行力や実績などを考慮に入れる人もいるだろうが、総合評価の生かし方は経験を積めばだんだん成熟していくに違いない。

◆より安心な政府を選ぶために
 実はこの評価方式は、企業などが高性能で複雑なモノ(システムなど)を競争入札で調達する際に採用している方式を応用したものである。単に価格だけではなく調達する側(この場合は国民)が必要と思う性能を多面的に評価し、できるだけ信頼性の高いもの(この場合は政党)を選ぶのに適している。
 私はこの評価システムに呼称をつけて(例えば「政策の総合評価方式」など)、社会教育も含めて早期に導入し定着を図ることを提案したい。

 「政策の総合評価方式」にはどんな利点があるのか。まず評価が複眼的になり、より危険の少ない安心できる政府を各人が納得して選ぶことができるようになる。今のように郵政だけの二者択一の選択ではなく、他の重要政策にも国民の目が行き届き、たがをはめることが出来るからだ。
 またこれが社会の常識になれば、国民と政党との契約内容もより明確になるし、政党の方も約束した政策を重視するように変わってくるだろう。
 こうした総合評価方式は、冷静な判断が追いやられがちな劇場型政治の現代にこそ必要なものだと思う。

◆マスコミの選挙報道にはがっかり
 さて、こうした点から言うと、今回のマスコミの選挙報道はなんともいただけない。夜11時台の、普段は見識を売り物にしている大物キャスターには特に失望した。「刺客」だ「注目選挙区」だと、小泉流の戦術に振り回されて、興味本位の底の浅い報道を視聴者の関心がすでに離れている時になっても続けていた。

  総選挙はある意味、今後3,4年の日本の運命をゆだねるものである。今回のように目の前の熱気に引きずられてマスコミ全部が同じ方向に走り出したら、対外政策に国民感情が高まった時などどういう報道をするのか。
 連日の「刺客」たちを追いかける大騒ぎの中で、一つくらい冷静に多面的な政策評価の必要性を呼びかけるマスコミがあって欲しかった。(これまで書いてきたのも、一つにははこれを言いたかったからです)


*「選挙で争点にすべき日本の政治課題」の例
@財政再建のために必要な国の構造改革
  公務員の減員と人件費の縮小、地方への行財政移管、郵政を含む官から民への移管、官僚天下り先の特殊法人の廃止、談合体質の公共事業の見直しなど
A国民的課題への重点的取り組み
 憲法改正問題、財政再建のための増税問題、年金改革、少子化対策、子育て教育支援、治安対策、大震災への減災対策、若い世代の就業対策、テロ等の危機管理など
B国際関係、外交的課題への取り組み
 対米問題(イラク派兵問題、牛肉輸入問題ほか)、中国、韓国関係(靖国問題)、北朝鮮関係(核と拉致問題)、国連改革(常任理事国)など
C経済活性化のための経済政策
 この項は専門家に任せたい