「メディアの風」開局宣言 〜棒ほど願って針ほど叶う〜
・最近の事件や災害を見ていると、この先どうなるのだろうと不安になることがあまりに多いと
思いませんか?
・日本人と日本の社会は、どこかで壊れ始めているのでしょうか?
・何かあると一斉に一つの方向に走り出す最近のマスコミは、少しおかしいと思いませんか?
・情報が洪水のように溢れているのに、本当に届く言葉、力のある言葉が消えてしまっていると
思いませんか?
・このホームページは、今の日本で市民が心豊かにより良く生きようとするときに、
また、皆が幸福に生きられるようなより良い社会を願うときに、
当然考えなければならない様々なテーマについて、一市民の立場から考え、一市民の立場から
発信するものです。
・アクセスした市民が、共感したり、勇気を得たり、共に考える糸口を見つけたりするような場を
提供できればこんな嬉しいことはありません 。
・また、欲張った言い方でしょうが、もしこの社会をより良いものにしようと思うときに、
このホームページで発見された言葉が、人々の価値観の共有や社会を変える力にほんのわずかでも
役に立てば最高です。
・プロフィールにも書きましたが、私は人生の半分以上をメディアの世界に身をおきました。
そんなメディア人間の端くれとしては、既存のマスメディアに感じて来た「疑問やどかしさ」を
意識しつつ、インターネットを核とした新しいメディアの可能性を仲間とともに探ってみたい
気もしています。
・まずは、シンプルな形式で立ち上げ、スキルの習熟とともに魅力的な体裁に整えていきます。
少し長い目で見てください。
以上、「棒ほど願って針ほど叶う」ホームページ開局宣言 (’05.5.還暦を迎えて)
<独り言>
以上は、ちょっと肩に力が入った開局宣言だが、ここでもう少し自分の心に分け入って
確かめておきたい気もする。
・ 自分のようなリタイアした平凡な一市民が、このようなホームページ(HP)を立ち上げて
(社会的に)どんな意味があるのだろう?
・ このHPで、自分は結局のところ何を目指しているのだろう?
もう3年くらい前から、小さくても自分で好きなように発信できる手段があったらなあとしきりに
思うようになった。理由はいくつかある。
一つには、長年、テレビの現場にいて、ある種の無力感を感じるようになったことが大きいと
思う。
テレビ屋は普段は熱くなって仕事をしている。熱くならないとやっていられない仕事でもある。
しかし、少し冷めてみると、マスメディアを取り巻く状況が激変していることに愕然とした。
今のテレビ制作現場に課せられる視聴率絶対主義、ちょっとしたミスや踏み込んだ内容に対する
(メディア同士が増幅する)社会的バッシングの不毛さ、テレビの質など誰も期待していない、
制作者が気の毒になるような番組の氾濫、そしてテレビメディアそのものの地盤沈下などなど。
テレビは今、新しい時代に適合したメディアへ変革を迫られているのに、その道筋を探しあぐね
て漂流しているように私には見える。
(詳しくは「メディア時評」の中で書いていきたい)
二つ目は、自分が定年になって何か一つ、退屈しないで続けられるものを、それも出来れば
小さくとも社会とつながっているものを見つけたかったというのがある。(多分これが今個人で
HPを開いている大多数の人の思いかもしれない)
HPを開くに先立ち、あれこれ考えてみた。今の日本で一市民としての自分が時代と向き合い、
死ぬまでそこそこ納得して生きていくには、どんなことを考えていく必要があるのだろう。
そうしてぎりぎり絞り込んだのがトップページの5つの柱になった。趣味の部分などはちょっと
わきにおいて、これが今の私の知的関心領域のすべてといえる。
この5つのテーマを考えていくことは、自分の世界観を常に点検、整理していく作業にもなる
のではないか。
浅学の私には荷が重いテーマもある。しかし、他人の頭に頼らず、すべて一市民の自分を鏡に
しながら、一市民の我が身に照らして考えてみたい。その内容を素直に、肩肘張らずに発信して
いこうと思う。また、そうでなければ、マスメディアと違ったものにはならないだろう。
だが一方で、このHPが社会の中で果たして意味をもてるのか、と考えるとちょっと躊躇して
しまう。世に膨大なHPがあって、内容が知的に高度なものも沢山あり素直に感心させられる。
正直言って社会的意味など無いかもしれない。
しかし、そこがHPの気楽なところ、ともかく
答えが出るまで、しばらくやってみよう(と、自分を励ましている)。
私としては、これからアクセスしてくれる人々との会話を続けながら(スキル向上と共に、
双方向機能も順次取り入れたい)、(あるいは機が熟したら仲間の支援も得て)、独りよがりに
なったり、(ある程度の自己満足は許してもらうとしても)自己満足だけに陥らないように
心していきたい。
すなわち、難しく言えば、「一市民として私的であることが同時に社会的普遍性をもつ条件」を
模索しながら発信していこうと思う。
「開局宣言その2」(6月)
*具体的に始まれば、考えはまた変わると思います。多分、この「宣言」はこれから先も
そのつど、書き足していくことになると思います。
平均余命から言えば、まだ少々時間はあると思うので、のんびり気楽にいきたいと思います。