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  今週の鑑賞。定年後の身辺雑記(2012年5月27日〜6月7日 カナダ取材旅行記 番組企画編)


島を食べ歩いた日々Hエピローグ 13.12.10
 ホテルの部屋に戻った私は、眠りにつく前にこのツアーを振り返ってみた。若い頃なら勢いに任せてあまり気にも留めなかったかもしれない。しかし、この歳になってから(普段はどこかにしまっておいたような)繊細な感覚を使って過ごした日々は、短い期間だったが、ある種の感慨を私の心に残していた。毎日、PEIのおいしい食事を食べ歩いただけではない、何か深いもの。それが何だったのか。頭に浮かんだのは以下の2つのことである。

◆島には別な時間が流れている
 一つは、旅の間に感じた自由でゆったりした時間の感覚を、暫くは忘れずにいたい、という素直な気持ちだった。どこまでも広がる牧草地やジャガイモ畑が続く丘陵地帯。風になびく草花。広い空とゆっくり流れて行く雲。入り江の向こうに落ちる夕日。山小屋の上空に広がる満天の星々。そうした環境の中で人々の暮らしがゆったりと営まれている。
 少し心を込めてそれらを眺めていると、心がどこかに持って行かれそうなほどの、うきうきとした解放感が沸いて来る。それは心に呼び覚まされる非日常の感覚なのだろう。旅に出るそもそもが、そういう感覚をもたらすのかもしれないが、一方でそれは都会の慌しい時間の流れから隔絶した島特有の感じかもしれない。「この島には別な時間が流れている」。そんな感じがした。

 もちろん今の私はリタイアした身であり、日本で慌ただしい時間を過ごしているわけでもない。しかし、定年で仕事から解放され何も繋ぎとめるものがなくなった年齢だからこそ、世情のせわしない雰囲気にかき乱されることもある。帰国して大分経ったが、「この島には別な時間が流れている」という感じ、言い換えれば、「今、目の前にある時間とは別のゆったりした時間が、この地球のどこかで流れている」という感覚は、その時味わった開放感とともに、やはり時々は思い出したい気がする。

◆肩書も何もない、裸のおじさんが
 もう一つはもう少し複雑である。何度も書いて来たように、今回はたまたま選んだツアーで、私よりずっと年下の女性たち4人と行動を共にすることになった。男性は私一人、しかも英語力の哀しさで女性同士の会話は全く分からない。その状況の中で互いに気づまりを感じないで、(できれば楽しく)毎日テーブルを囲むには、どうしたらいいのか。これは結構難問だった。
 私は、この少人数の中で違和感を持たれずに、優しい関係が作れるように、そして出来れば心が通じ合うようにと、手ごたえを確かめながら徐々に心を通わせていった。それは自分にしてはかなり繊細な感覚を要する作業だった。書いて見たいのは、この体験が自分にもたらした“発見”である。それは、個人的な事柄であると同時に、案外、普遍的なことかもしれないとも思っている。

 ツアーの中の私は、経歴も肩書もない裸の存在だった。私のように、既に社会的に何者でもなくなった定年後の身でも、日本でなら経歴などを話せば私がどのような人間か多少は分かってもらえるだろう。しかし、案内役のイザベルは送った資料で私の経歴を知っていたかもしれないが、他の女性たちにとっては、ただのメディア関係のおじさんに過ぎない。私の方も拙い英語でそんな無意味なことを説明する気は起きなかった。
 代わりに私がやったことと言えば、ヒトとヒトが警戒心を解き、近づいて行く際に必要な、実にプリミティブなことだった。まず、朝会ったときは、出来るだけ元気に「Good morning!How are you ?」と挨拶し、目と目があった時には、その都度ニッコリする。また書いて来たように、車の乗り降りや、テーブル上での食器のやりとりなどで、できるだけの気遣いをしながら、「Thank you.」と「You are welcome」を積み重ねていく。それは互いの優しさや思いやりの確認作業ともいえる。

◆距離が縮まっていく手ごたえ確かめつつ
 さらには、何が好きなのか、美しいものを見たときにどう感じるのか、どんなワインが好きなのか、それを億劫がらずに意思表示することである。しかも、嫌いなものというより、多くは美しいものや、おいしいものに対する気持ちの表現だったように思う。それを伝えることによって、自分という人間が(“顔なし”でなく)どういう感性を持っているのか、どういう趣向を持った人間なのか、だんだんと輪郭が見えて来るように
 このことは、何も私に限ったことではない。同行の彼女たちもまた、それを率直に表現していた。感激屋のマリエレンなどは車で移動中に、しょっちゅう「Beautiful!」と言っては車を止めてもらって島の風景をカメラに収めていたし、イザベルも美しい虹と灯台の写真を私に見せてくれた。それが私の心に彼女たちの輪郭を作っていった。そうした美しいもの、素晴らしいものへの感覚を交換することによって、互いの距離が少しずつ縮まって行ったように思う。

 さらに、例えば案内人のイザベルへ積極的に謝意を伝えることもした。ディナーの席で杯を上げながら、「I'm happy to come here.」と言う。あるいは、彼女の夫に「彼女は、本当によく働くね」と感心したりする。そうした手探りの中で、互いに好意と敬意の気持ちが共有できて来ると、相手から冗談さえも飛び出すようになる。こちらも身振りや表情でそれに応えることが出来るようになる。言葉はつたなくとも、恥ずかしがらずに自分の気持ちを表すことによって、私たちはやがて楽しくも優しい関係を作りだすことが出来た。
 考えてみれば、これはすべて彼女たちのオープン・マインドな優しさに助けられた結果だとは思う。しかし一方通行ではなく、私も素直に心を開いて、コミュニケーションに努めた結果でもあったと思う。そして、あの晩の“発見”と言えば、68歳の自分から肩書きも経歴も表現力さえも引き算した「素のままの自分」が単なる無ではなく、そうした関係を作り得る人間として確かに存在しているという発見だった。そのことに対する密かな手ごたえは、だんだんと心も老いて行くに違いない自分にとって、多少の財産になるだろうか。
 
◆エピローグのエピローグ
 その翌朝、ホテルで朝食をとっているとマリエレンがやって来た。彼女がイングランドに向かう日の朝である。彼女はインドを専門とする旅行ライターで、年に3回ほどインドに滞在する。一回の滞在はひと月ほどだが、彼女は食物よりもむしろ文化に興味を持っているという。私たちは一緒に朝食をとりながら、インドや日本の宗教の話をし、私は月に一回、お寺で座禅を組んでいるというようなことも話した。
 話の中で私が、「PEIには別な時間が流れている」と感じた話をすると、彼女は早速、スマホから「日本から来た友人がPEIには別な時間が流れている、と言っている」とツイート。そして、私の目を見て「今度、東京に行ったら連絡する」と言い、「イザベルはTatsuoと別れる時に泣きそうになっていたわよ」と、こっちがびっくりするようなことを言った。イザベルはツアーの企画者として、はるばる日本から来た私が楽しんでいるかどうか、よほど気になっていたのだろう。私はおかしくなると同時に、このツアーが彼女たちにとっても案外印象深いものだったのかもしれないと思った。たとえそれが、一時の美しい思い出に終わったとしても。(おわり)
島を食べ歩いた日々G最後の晩餐 13.11.27
 島を食べ歩いた日々も「最後の晩餐」の時を迎えた。夕方、私たち一行の車は島の西に広がる森の中を、道路端に書かれた番地を確かめながら走っていた。レストランを探しているはずなのだが、林と森が続くばかりでとてもそんな雰囲気には見えない。午前中に集めたマッシュルームやブラックベリーを使った料理だと言うが、今晩はどんな夕食になるのだろうか。日程表には僅かに「地元シェフとの夕食。集めた食材の料理法を学びながら」とだけ書いてある。
 道路からさらに細い道を入って行き、着いた所は意外な場所だった。森に囲まれた小さな山小屋である。2人の青年が迎えて、中に入る前に簡単な説明をしてくれる。もともとロッジだったのを買い取り、アットホームな食事を供するレストランに改造したのだそうだ。玄関前の小さな階段を上って中に入ると、レストランと言うより普通の家の居間のようだ。ソファーと小さなテーブルが幾つか置かれていて、私たちは好きな場所を選んで腰を下ろした。

◆Last Night! アットホームな夕食
 くつろいでいると、まず大きなビンのコップに入ったジンライムが出て来た。中には香り付けのローズマリー、細く切ったキュウリ、レモンなどが入っていて普通の店で飲むジンライムより野趣に富んでいる。ミッシェルが「Last Night!  Last Night!」(今日が最後の晩よ)と呼びかけ、「日本語で乾杯は何ていうの?」と聞くので答えると、皆が「Kanpai!」と杯を上げた。
 3種類のチーズも出て来て、そのきりりとした酒と一緒に味わっているうちに、満ち足りた気持ちがこみ上げて来た。若い女性ジャーナリストたちに混じって英語の不自由な男性一人。最初はどうなる事かと思ったが、
彼女たちの優しさに助けられながら何とか溶け込んでいる。彼女たちからは、この老人はどんな風に見られているのだろうと思うこともあったが、もうそういうことも気に留めなくなった。

 調理場は居間の片隅にある小さな台所だ。オーナー兼シェフの太った青年が、そこで料理する。最初に出て来たのは、ロブスターに地元の野菜とベーコン、ブルーチーズを練り込んだアボカドなどを合わせた料理。飲みたいと思っていた赤ワインも白ワインも出て来て、私は思わず拍手をする。「Tatsuoはどちらのワインが好き?」とジョアンナが聞くので「この赤(チェルニノというらしい)も好きだけど、最初は白から」と言って、ロブスターにとりかかった。

 小屋の外には夕闇が迫って来た。写真を撮ろうと外に出ると、もう一人の青年がバーベキューコンロで、たっぷりとスパイスを振りかけた大きな肉の塊を焼いている。次はこれがメインに出て来るのだろう。「こんなに大きな肉を焼いていたよ」と皆に報告しながらソファーに戻った。
 やがて、焼き上がった大きなステーキの塊が運びこまれた。これを台所で切り分けてくれる。マリエレンが「Tatsuoのは少しにしてね」とシェフに言ってくれている。新鮮な野菜とともに、午前中に採集したマッシュルームも添えられ、私には二切れの肉がピカピカのフライパンに盛り付けられて出て来た。それは私にとって実に適切な量だった。私は赤ワインに切り替えてこれを味わうことにした。


◆遠く離れた島での不思議な交流
 部屋の中にはトイレがなく、30メートルほど離れたもう一つの山小屋の綺麗なトイレを使うようになっている。そこから帰って来たミッシェルが「星がとても綺麗」というので、私も出てみると山小屋の上空には満天の星。空一面に砂粒を撒き散らしたような星々が瞬いている。遠く離れたカナダのプリンス・エドワード島で見上げる天の川。素晴らしい食事が続く山小屋の灯りも何か現実離れしていて、私はしばしそこに佇んでいた。
 部屋に帰ると、女性陣が盛んにおしゃべりしている。相変わらず殆ど分からないのだが、不思議にこの頃になると、どんな話をしているのか多少は推測できるようになってきた。どうも結婚生活における男女の力関係の話らしい。イザベルがキューバ人の夫について、「ダイアンはそれがないから楽なのよ」などとのろけている(らしい)。私は、ただニコニコしながらそれを聞いている。

 大分ワインも進んだ頃、マリエレンが「Tatsuo、日本へのお土産は何にするの?」と聞いて来た。皆が一斉にこちらに注目する。何と答えるか迷ったが、「今日の午後、市内を散歩していて小さな店を見つけてね」と、ペンダントを4つ買った話をした。「一つは妻、一つは娘。そして後の二つは義理の娘たちに」と言って、それは店の女主人がネットで勉強しながら粘土で作ったものだと説明する。「そんなに高いものではないけど、とても綺麗だったので」。
 ペンダントと聞いて、女性陣は興味しんしん。「それはどこの店?」、「じゃあお孫さんもいるの?」などとジョアンナが聞いて来る。孫は4人いると言って、息子の仕事(一人は車のエンジニア、一人はデザイナー)の話をすると、「So  smart!」などと言ってくれる。私と言う人間もだんだん輪郭を持って来たらしい。私は、イザベルに考えている番組企画について話した。彼女は「PEIは日本人観光客が多いから、絶対役立つと思うわ」と太鼓判を押してくれた。

◆全員で記念撮影
 最後に、今日摘んだブラックベリーの実の上にアイスクリームを乗せたデザートが、これも小さなフライパンに入って出て来た。甘さ控えめのおいしいデザートだった。帰る段になって「皆で記念写真を撮っていいかな」と聞くと、全員が撮ろう撮ろうということになった。イザベルが私のカメラを操作してたちまちタイマーをセットしてくれる。「Tatsuoは真ん中に来て」とミッシェル。左からジョアンナ、マリエレン、私、ミッシェル、イザベル(後ろの青年はシェフたち)。一回で完璧な集合写真が撮れた。
 夜9時半、私たちは青年たちに別れを告げ山小屋を後にした。車までの夜道も満天の星。歩きながらマリエレンが「まるで魔法のような夕食だったわ」とつぶやいた。本当に、旅の最後に相応しい素晴らしい夕食だった。普通のレストランでは味わえない、家庭的で親密な夕食。体を寄せ合って撮った集合写真が、その証のようなものだった。一行が車に乗り込むとイザベルが「さあ、もう一つ冒険が残っている」と言ってハンドルを握った。

◆ホテルのロビーでの別れ
 走ること1時間半、私たちは無事ホテルに到着した。ホテルのロビーでイザベルに礼を言いながら、それぞれ別れのあいさつをする。明日、ミッシェルはオンタリオへ、ジョアンナはバンクーバーへ帰り、マリエレンは次の仕事でイングランドに向かう。私はもう一日PEIに滞在して、明後日の早朝日本へ立つ。
 皆が部屋に引き揚げて行くと、イザベルが「明日、どこか行きたい所はある?」と聞くので「何も考えていない。ホテルでゆっくりするよ」と答える。連日大変だったイザベルを早く解放してあげなければ。イザベルは「何かあったらいつでも飛んで来るから」と言って電話番号を書いたメモを渡してくれた。「いろいろありがとう。感謝しています」と言うと、「私の方も」とイザベルが答え、「来年こそ仕事で日本に行きたい」と言う。「東京へ来たら連絡して」と私は答え、私たちはちょっと見合ったあと、普通の外人同士のように抱き合って別れた。

 ホテルの部屋に引きあげた私は、今回のツアーをつらつらと振り返ってみた。すると、それがこの歳の自分にとってとても得難い深い体験だったような気がして来た。PEIという食材の豊かな島で、思う存分おいしいものを食べ続けたと言うだけではない。それが何だったのか、次回の「エピローグ」に書いてこの連載を終わりにしたい。(つづく)
島を食べ歩いた日々F島で食材を探す 13.11.16
 島を食べ歩くツアーも今日で4日目。日程表を見ると、午前中は「自然の中で食材を探して歩く」とある。そこで、少しは腹ごしらえをしておこうと、ホテルのレストランで初めて朝食を取った。昨晩食べ過ぎたきらいはあるが、胃は何とかもっている。午前9時半、いつものメンバーとともにイザベルの運転する車に乗り込んだ。
 しばらく走ったところで、イザベルが車を止めると一人の青年が乗りこんで来た。「食材を探して歩く」というのは、英語でforageというのだそうだが、彼がそのforagerなのだろうか。穏やかで物静かな感じの青年である。やがて、車は小さな沼のそばの駐車場に着いた。向こうには林や森が連なっている。女性ジャーナリストとイザベルと私の5人は、彼について林の中に入って行った。

◆島で唯一の食材収穫人(forager)
 林のところどころに日のあたる場所がある、そこで青年が最初に採取したのは、腰ぐらいの高さの木に沢山ついている青黒い実のブラックベリーだ。それがそこら中で見つかる。摘んだ実をボックスに入れながら、こちらに差し出すので口に入れてみると、これが甘酸っぱくておいしい。林の中を歩いて数時間もすると、島のレストランに卸せるほどの量が収穫できるという。
 森に入ると、地面に黄色のキノコがたくさん生えている。これも食べられるキノコだそうで、マッシュルームの仲間だそうだ。どれが収穫に適した状態なのか、青年が手にとって丁寧に説明してくれる。キノコを縦に割いて見ると、時期を過ぎたものは、見えるか見えない位の小さな虫がついている。それをちゃんと見分けなければならない。

 森を出たところに芝生の運動場があった。市民が自由に遊べる広場で、サッカーなどにも使われているという。そんな芝生にも白いキノコがたくさん生えている。これは、ホワイトマッシュルーム。幾らでも生えて来るので、市民も自由に取りに来る。そこでも、適したものを見分ける方法を説明してくれる。
 イザベルに聞くと、青年の名を私のノートに書いてくれた。Sylvain Cormier彼は島でただ一人のforager(自然の食材を探して歩く人)なのだそうだ。今年までは漁師を兼ねていたが、島のレストランが増え、自然食材の需要も増えたので、来年からは専業になると決めたらしい。それだけ、島のどこに何があるのかを知り尽くし、食材の質を見極める知識も深くなったに違いない。彼は漁師とは思えないほどの繊細な指先で、柔らかいマッシュルームを確かめながら収穫して行く。

 しばらく歩いて島の入り江に出た。砂浜を歩くうち、Sylvainが今度は変わった食材を集め始めた。波打ち際に映えている細い草のようなもので、「シー・アスパラガス」という海藻。これは、サラダやピクルス、スープなどにするとおいしいそうだ。ちょっとかじってみると、まさに潮の味がする。波打ち際からはハマグリをとってきた(それは、海に投げ返したが)。
 1時間半ほど歩いただけだったが、収穫したブラックベリーの実、マッシュルームの量は結構な量になった。なるほど、これで生計が成り立つのだったらforagerと言うのも(美しい自然と対話できる)素敵な仕事かも知れない。何しろ「赤毛のアン」の作家、モンゴメリーが「世界で一番美しい島」と太鼓判を押す位なのだから。私の頭の中で番組企画の構想がさらに膨らんで来た。

◆シャーロットタウンの街を散歩してペンダントを買う
 収穫した食材をジョアンナが車に運ぶ。今晩はそれを食材にした夕食になるのだそうだ。さて、どんな素晴らしい「最後の晩餐」が待っているのか。私は、今日の昼食は控えめにするぞと心に決めた。その誓いを守って、昼食を簡単に済ませた後、私は一人シャーロットタウンの街をぶらつくことにした。
 ホテルから港まで歩いて埠頭の岸壁に腰かけ、のんびりと巨大な客船が出港するのを見物する。埠頭では人々が三々五々散歩しながら、客船が出て行くのを見送っている。午後の日差しがまぶしい位だ。腹に響くような大きな汽笛が鳴った。人々が手を振り、小さく見える乗客たちも手を振っている。船の出港を見送るのは、何となく旅情を誘うものである。あの船はこれからカリブ海あたりをクルージングするのだろうか。

 その後、街の中の土産物屋を物色して歩いた。路地を入った所に、小さな店を見つけて入ると、そこは女性オーナーが作ったものばかりを並べた店。彼女の手製の作品を見て歩くうちに、すごく綺麗なペンダントを見つけた。まるで七宝焼きのように美しい。値段を見るとそれほど高いものではない。女主人に聞くと、粘土で作ったものだそうで、手に取ってみると意外なほどに軽い。しかし、その色使いと形が気に入って、それを妻や娘たちのために4個買うことにした。
 私が、こうした作品作りをどこで勉強したのかと聞くと、「すべてインターネットで勉強したのよ」と言う。そして、包んでくれる前に「何が売れたのか記録しておきたいので」と言って、スマホでそのペンダントを写真に撮った。私は期せずして、そのペンダントの話を素晴らしい夕食の時に、同行の女性ジャーナリストたちに披露することになった。(つづく)
島を食べ歩いた日々E再びの試練 13.11.4
 草上の昼食を楽しんだ後、私たちは15時過ぎに一旦ホテルに戻った。夜の食の祭典(アップルリシャス〜リンゴ祭り)まで2時間余り、私は昼食の消化が少しでも進むようにと、ホテル周辺を散歩したり体操したりして過ごした。17時30分、イザベルが夫のダイアンとともに迎えにきた。見るとロビーにティムの姿がない。彼は急きょ仕事が入ってトロントに帰り、チケットが余ったので代わりにダイアンが来たらしい。お陰で私はまたツアー同行者の中で唯一の男性になった。

 イザベルの夫ダイアンはハンサムなキューバ人で結婚3年目。現在はPEIで料理人になるべく修行中だそうだ。イザベルが夫を紹介しながら、「彼も始めは、英語が出来なかったのよ」と私にいう。ツアーの前日に彼女に会って「私は英語が苦手なので」と言った時に、イザベルが「大丈夫よ」と言った意味が少し分かった気がした。「イザベルは良く働くね」と私は夫の前で彼女を褒めた。
 6人が車に乗り込む。イザベル夫妻は前、太ったジョアンナとミッシェルの2人が中間座席、私はマリエレンと最後部座席に座る。この2日ほど、ジョアンナが座席を前に倒してくれ、私が最後部に乗り込む。次に私がジョアンナのためにその座席を後ろから起こしてあげる。それを繰り返して、小さな「Thank you」をやり取りするうちに、何となく気持ちが通じて来たように感じる。

 車は夕焼けを追いかけるようにして西に向かって走る。夕焼け空を映して島の湖や入り江が神秘的に光っている。夕方7時、一行は大きなリンゴ農園に到着した。リンゴ林の一角に広い草地があってそこに巨大テントが張られている。なるほど、「アップルリシャス」の舞台に相応しい所だ。しかし、1時間半も走ったのに、(夕食をキャンセルしたティムが羨ましくなる位に)空腹感は一向に感じない。やはり、昼食にカキ料理を挟んだパンを2個も食べたのが効いているのだろう。食の祭典を前にして、またもや不安が頭をよぎった。

◆Applelicious、リンゴのフェスティバル
 「アップルリシャス=Applelicious」とは、アップルとデリシャスをくっつけた造語らしい。リンゴから作った様々なリンゴ酒(アップル・サイダー)とともに、フルコースを楽しむ食の祭典だ。私たちは、地元の家族と一緒に大きな丸テーブルを囲んだ。初日のフェスティバル同様、ステージ上に司会者がいてジョークを飛ばしながら賑やかに祭典が進む。会場がその度にどっと沸くが、相変わらず私にはそれが少しも分からない。
 配られたリンゴ酒を飲んで見たが、これがアップルジュースのように甘い。ビール程度の強さだというが、ちょっとこれはなあ、と言う感じ。「どう?」とイザベルが聞くので、正直に「甘過ぎて」と言うと、「Strongbowという種類があるから試してみたら」と勧める。なるほどドライで甘くない。しかし、炭酸が入っているリンゴ酒はそれだけでお腹が膨れる感じがして、あまり飲む気にならなかった。やがて料理が次々と出て来た。

◆アップルパイの実演とメインのポークステーキ
 メニューを見ると、確かに2種類のデザートまで入れて5つのフルコースだ。最初はジャガイモのクレープに入ったスモークサーモン。リンゴを混ぜたクリームがかかっている。次に色々な野菜の上に乗った、具沢山の蟹肉のかたまり(ケーキと書いてある)。用心して、少しずつ残しながら食べる。おいしいので、ここまでは何とか胃に収めることが出来た。
 会場のステージでは、カナダの有名な男女の料理人がアップルパイの作り方を実演し始めた。生地を作って、その上にクリームと刻んだリンゴを混ぜて乗せて行く。それをオーブンで焼き、できたアップルパイを切り分けて会場に配る仕掛けである。実演の間にも司会者が盛んに茶々を入れ、料理人の方もそれにジョークで切り返す。会場に楽しげな雰囲気が満ちて来た。

 司会者が「今日は色んなところからお客が集まっていますよ」と言って、カナダ各地の地名を上げると、そのたびに会場では多くの手が上がる。トロントやケベックはもちろん、西海岸のバンクーバーなどからも来ている。さらに、アメリカ、イギリス、ドイツなど。「日本は?」というので、私が大きく手を振ると、会場から拍手が上がった。やがてワインもやって来てだんだん私も楽しくなって来た。
 そうこうするうちに、今日のメイン料理が出て来た。それを見て唖然。ベーコンとカキの料理の上に巨大なポークステーキが乗っている。直径10センチ、厚さ3センチはあるだろうか。ポークの中央部には、玉ねぎやリンゴ、ポテトなどを混ぜた詰め物が入っている。私は添え物の野菜(これは新鮮で旨かった)とポークの詰め物を少し食べるだけで諦め、肉のほとんどを残さざるを得なかった。隣のミッシェルは果敢にその肉に挑戦しているけれど。

◆何とか試練を乗り切る
 お腹がはちきれそうになった私は、初日のようにテントの外に出て少し歩くことにした。リンゴの木々の上に月が輝いている。空気がひんやりして肌寒い位だ。「この夕食会は何時に終わるのだろうか。この先まだ、デザートが2つも出て来ると言うし。これも試練だなあ」。ここはホテルから車で1時間半も離れているので、初日のようにうまく抜け出すことは出来ないだろう。最後までいるしかないのか。
 テーブルに戻って見ると、ステージ横のテーブルの上に丸いアップルパイが沢山並んでいる。こんがりといい色に焼き上がっている。そこへ、チョコレート色のデザートが出て来た。メニューを見るとショウガパンケーキ(Ginger bread Cake)と書いてある。煮リンゴやクリームが添えられていて、おいしいので半分食べた。ミッシェルはというと、これも平らげている。「よく食べるねぇ」という顔をすると、親指を立ててにこりとした。

 やがて、料理人がアップルパイを切り分け始めた。それを次々にテーブルに運んで来る。もうお腹に入らない、どうしようかと思っていると、テーブルの向こうでスレンダーなマリエレンが「No ,Thank you.」と言っているではないか。しめしめと思って、私もウェイターに「No ,Thank you.」というと、隣のミッシェルが何と言うことを!という顔をして「カナダのアップルパイは特別で、おいしいのよ」と盛んに勧める。
 しかし、私は「もう満腹でどうにもならない」と言って、「No ,Thank you.」を押しとおした。後で、そんなに有名ならちょっとかじっておけば良かったと思ったが。。。夜の10時になる頃、イザベルがやって来て「この辺で引きあげましょう」と言ってくれた。やれやれ、今回の試練も何とか乗り切ることができた、と私は胸をなでおろした。

◆だんだん気心が知れて来た
 リンゴ農園からホテルへの帰り道。冷房が入った車の中で寒気を覚えた私は、用心のためにバックの中からセーターを取り出して膝にかけた。隣のマリエレンが「寒いの?」と聞く。「少し」と私が言うと、彼女は運転するイザベルに「Tatsuoが寒いと言っているので、冷房を切ってくれる?」と言ってくれた。イザベルが冷房を切る。私はうっかり言い忘れそうになっていた「Thank you」を小声でマリエレンに言う。「You are welcome」と彼女が答える。心が少し暖かくなって、このやり取りが大事なんだなあ、と私は妙に納得した。
 ホテルに着いたのは午後11時過ぎだった。おやすみの前に皆がイザベルに礼を言っている。私は夫のダイアンをつかまえて「料理の勉強をしているのだってね」と言う。相変わらず「頑張って」という英語が見つからないので、「いいね」と言って握手を交わした。明日は9時半にホテル発。PEIの野生の食材を集めるユニークなツアーが待っている。それと、最後で最高のディナーが。。(つづく)
島を食べ歩いた日々D草上の昼食 13.10.26
 前日の素晴らしい夕食で胃に負担をかけたので、次の日も朝食を抜いた。今日の午前中は、(一昨日、天候の都合で延期した)カキの養殖場を見学することになっている。9時、ホテルのロビーで待っているとイザベルがやって来た。皆が集まるまで少し時間があったので、「PEIの観光局は今回の会議やツアーの準備で大変だったんじゃない?」と聞いてみた。イザベルは「このところ、帰宅が午前2時とか3時というのが続いたのよ」という。しかも、彼女は会議が終わった後もツアーの案内で朝早くから夜遅くまで私たちに付き合ってくれている。私は「良く働くね」と感心し、ついで「ありがとう」と付け加えた。

 全員揃ったところで、私はまた当然のように車の最後部に乗りこむ。続いて雑誌編集者のティム、それに女性ジャーナリストの3人。イザベルのやりくりのお陰で、今日は朝から快晴だ。向かうのは世界的に有名な島東部のカキ養殖場、コルビル・ベイである。プリンス・エドワード島(PEI)には、沢山の入江があり、海水がきれいなので各所で盛んにカキ養殖が行われている。そこで獲れるカキはアメリカ東海岸のレストランでも人気なのだそうだ。
 養殖場に向かう車の中でティムが話しかけて来た。「日本に一週間ほど滞在した時に、ASAとかAKAとか言う所に泊まったけど、とてもいいところだった。近くに東京ドームがあった」と言うので、「浅草?赤坂?」と聞くが「浅草は行ったけれどそことは違う。もっと長い名前。○○HASHIとか言ったなあ」などと言う。どこなのだろう。

◆ボートの上で生ガキを食べる
 1時間ほども走っただろうか、私たちは湾奥にあるカキ養殖業者の事務所に到着した。そこで一通りの説明を受けた後、他からやって来た見学者たちと一緒にはしけのような平べったいボートに立ったまま乗り込み、沖に向かった。スピードが上がると9月の風が涼しい位に感じる。入り江なので波は全くない。やがて、ボートが浅瀬に止まった。海中に細い杭が沢山並んでいる。漁師が船から降りると水深は膝ほどしかない。その海中からかごに一杯入ったカキをボートの上に引き上げてくれた。
 ボートの上で漁師がそのカキを剥いて見学者たちに配る。一瞬、このままで大丈夫かと思ったが、配る漁師も平気だし、他の人たちも平気。思い切って身をすすると、潮の香りがぱっと口中に広がる。小粒だったけれど、その新鮮さだけで十分だった。海の香りが詰まったPEIのカキは冷蔵しておくと一年中食べられるそうだ。

 ボートから降りる時、さっきティムの言っていた場所がやっとピンときた。前を歩くティムをつかまえ、「それって浅草橋(ASAKUSABASHI)じゃないの」と言うと、ティムは「そう!そう!思い出した。いいところだったなあ」と懐かしむ。なるほど、浅草橋なら東京ドームも一本線だし、浅草も近くて下町情緒を味わえる。
 「日本はとてもきれいな街だね。駅のエスカレーターの手すりを磨いている人がいた。トロントじゃ考えられない」とティムは言う。2人同士の会話だと身ぶりも交えて何とかなる。そんなやり取りをしながら、岸で待っていたイザベルと合流して、私たちは次の予定(昼食)に向かった。相変わらず、一行の後について歩くだけで、私には次がどんな昼食になるのかさっぱり分からない。

◆草上の昼食会
 着いた所はジャガイモの大農場だった。巨大なトラクターが何台も並んでいて、見渡す限りのジャガイモ畑が広がっている。芝生の上にテーブルがあった。林がいい具合に木陰を作っている。テーブルの上を見ると、大きなボールに入った生ガキ、ホットドッグのようにカキ料理を挟んだパン、ポテトチップ、飲み物のビンなどが並んでいる。周囲を囲むように腰を下ろすための干し草が並べられていて、好きなように立ったり座ったりしながら、野外で素朴な料理を味わうという趣向である。
 朝食を抜いて空腹だった私は、早速パンを一つ頬張った。カキ料理がパンとうまく合っている。食べ終わったところでちょっと悩んだが、これ一つではいかにも足りないと思い、もう一個に手を出した。後で考えればそれが不覚だったのかもしれない。満足していると、大きなビンに入ったチャウダー(具沢山のスープ)を一人ずつ手渡された。これもおいしい。結局全部食べて、なおかつ煮豆にカキのバターを乗せたデザートまで平らげることになった。もうどうにでもなれである。

 やがて、料理をしていた青年たちがギター片手に歌を歌い出した。普段からこのようにして観光客などをもてなしているようだ。私は農場のオーナー夫妻をつかまえて幾つか質問した。「私たちは一代で農場を大きくして、今では20人の従業員がいるよ」、「ジャガイモはPEIの特産だけど、どんなふうに作っているか見て貰いたくてね。それでこの野外昼食会をやっているのさ」。
 「それは大事なことですね」と私は言った。歌っている青年を見ながら、マリエレンが「これがカナダ流よ(This is Canadian)。英語とフランス語の両方で歌っている」と教えてくれる。木漏れ日の中の「草上の昼食」。ちょっと離れたところから見ると、この音楽つきの野外昼食会はまるで映画のワンシーンのように見える。私の頭の中に、何となくPEIを舞台にしたテレビ番組の企画が浮かんできた。

 そこへイザベルがやって来て「Tatsuo、Oyster Boatは気に入った?」と聞く。「Oyster Boat?」。状況が状況なので、私は一瞬、先ほど食べたパンのことかと思った。ホットドック状のパンにカキの身が並んで乗っているのを地元でそう呼んでいるのかと。だが、良く聞くとそれは言葉の通り、あのカキ養殖で乗ったボートのことだった。岸に残った彼女が気になって様子を尋ねたのだった。
 私は「とても楽しかったよ」と答えながら、慣れない英語に緊張している自分に腹の中で苦笑した。同時に、あのチャウダーを食べるのなら、2個目のパンは止めておけば良かったのに、という後悔の念が起きて来た。この満腹状態で、今夜のディナーはどういうことになるのだろうか。車の中で、日程表を取り出してみると、今晩の夕食はまたフェスティバルらしい。そこには、5コースの食事が出ると書いてあった。(つづく)
島を食べ歩いた日々C素晴らしい夕食 13.10.17
 食のツアー2日目。朝食を抜いたお陰で胃は落ち着いており、午前中は日本から持参した文庫本を読んだり、近所を散歩したりしてゆっくりと過ごした。曇り空だが雨は降っていない。午後1時、約束の時間にホテルのロビーに顔を出すと、今日はもう一人男性が増えていた。トロントの雑誌編集者のティムである。
 一行はまず、昼食を取るために近所のレストランへ。テーブルに座ってメニューを眺めていると、「Tatsuoは何を飲むの?ビール?」とイザベルが聞く。昨日のランチで「地ビールがうまい」と言ったことを覚えてくれていたらしい。私はビールでお腹が膨れるのを警戒して、「ワインにする」といってウェイターが言う中から軽口の「ピノ・ノワール」を選んだ。ランチは、“今日のスープ”に、スモークサーモンのサンドイッチ。サーモンの方は平らげたが、パンは半分ほど残した。それでも、スープと一緒だと、結構お腹が膨らむ。

◆ささやかな交流を重ねながら
 午後は、島特産のニンニクを独自の方法で黒ニンニクに加工している農家を訪ねた。朴訥そうな老人から開発の苦労話を聞く。独力でここまでこぎつけるには随分と苦労もあったらしい。ちょっと味見させて貰ったが、柔らかく臭みがない。一通り説明を聞くと、一行は事務所を出て行った。最後になった私は、その老人に「頑張ってください」と言おうとしたが、うまい言葉が見つからず、「Thank you.」と言って固い握手をした。がっしりした手だった。 
 それを見ていたマリエレンが私を呼びとめ、「Tatsuo、私と彼との写真を撮ってくれない?」と言う。ツーショット写真を撮ってあげたあと、表に出た私はさっさと車の最後部座席に乗り込んだ。巨漢のミッシェルとジョアンナが後部座席に座るのに一苦労しているのを見ていたからだ。遠慮する彼女たちに「大丈夫。大丈夫」と手を振る。こうしたささやかな交流を重ねながら、ツアーは進んで行った。

 ささやかな交流と言えば、こういうこともあった。ニンニク農場の前に、私たちは地元PEIやカナダのアーティストが作った工芸品を売る店に立ち寄った。中に入ると、島の風景を描いた様々な絵画や版画、それにお土産品が並んでいる。女性陣はスカーフなどを選んでいる。私が絵画のコーナーで、海辺に貝殻が転がっているリトグラフが気に入って眺めていると、イザベルがやって来て「この絵の色が好き」と言って一枚の版画を取りあげた。「うん、PEIらしい美しい色だね。僕はこの貝殻の絵も好きだ」などと、話す。
 すると、イザベルがスマホを取り出し「これいいでしょ」と言って、彼女が最近撮った写真を見せてくれた。夕景の中にPEI独特の美しい灯台(写真は私の)があり、その灯台の上に大きな虹がかかっている。半円の虹の中心に白い灯台がある。奇跡的としか言いようのない美しい写真だった。私は「Beautiful! Wonderful!」と知っている限りの単語を並べ、「これを引きのばしてPEIのシンボル・ポスターにするべきだよ」と言った。イザベルは「綺麗な夕日を撮ろうと思って、ひょいと後ろを振り返ったら、この虹がかかっていたのよ」と得意そうだった。

◆素晴らしい夕食
 イザベルの運転で島内をあちこち見て歩いた私たちは、午後6時過ぎに牧草地に囲まれた白い建物に到着した。看板には「Annie's Table CULINARY STUDIO」とある。このしゃれた建物は、荒れ果て見捨てられていた村の教会を改造した料理教室を兼ねたレストランだと言う。ここで、私たちは特産のムール貝やロブスターの料理法を体験しながら夕食をとることになっている。 
 中に入ると、確かにここが教会だったことが分かる。祭壇だった所が広い調理場になっていて、料理教室の生徒たちが中に入れるようになっている。説教台があったその2階部分には、くつろげるようソファーが置いてある。女主人が昔の教会の写真を見せてくれた。60年ほど前に建てられた教会だと言うが、中は荒れ果てていた。彼女が買い取って改装し、去年6月にオープン。いまでは、20ほどの様々な料理教室を開いている。レストランの中央にある大きくて重厚なテーブルは教会に使われていた廃材(ドア?)を利用したものだ。

  私たちは、さっそくワインを片手に調理場に入って用意されたカキ料理を味わう。「どうぞ」とシェフが勧めるので、女性陣に「レディー・ファーストで」というと、若い彼女たちは「年上から」などと返して来る。ついで、シェフが生ガキの剥き方を教えてくれる。布巾で固定しながらこじ開け、貝柱を切る。それにレモンやアレンジしたソースをかけて食べる。PEIは入江ごとにカキの味が違うと言うが、新鮮でおいしかった。
 次は、ムール貝の料理法を体験。直径50センチ位の寸胴の大きな容器に玉ねぎやスパイス、香草を入れて炒める。そこに大量のムール貝を放り込む。ジョアンナが代表してかき混ぜる。やがて、近所の漁師の娘さんが生きたロブスターを沢山抱えて来た。これも大きな容器に入れて茹でる。私たちは、茹であがったロブスターを解体し、身を取り出す方法を教わった。1匹ずつ持って、器具で“ツボ”を開くとハサミからも脚からもするりと綺麗に身が出て来る。細い脚からも尾ひれからも、余すところなく。各自が取り出したロブスターの身をシェフが整えて、メインディッシュとして出してくれた。

◆「ここへ来て幸せです」
 香ばしく味付けされたムール貝、それにロブスター。ロブスターには地元でとれた野菜とポテトサラダがついている。私とティム、それにイザベル、マリエレン、ジョアンナ、ミッシェルの6人はワインで乾杯した。まだ薄明るい窓の外には、牧草地がどこまでも広がっている。もと教会の高い天井と広い空間を、私たち6人だけが占領している贅沢な時間。うまいワインとともに新鮮な人参をかじり、ロブスターを食べているうちに、私はだんだん幸せな気分になって来た。
 ロブスターが最後の一切れになった時、一瞬「この先デザートがあるからなあ」と思ったが、これを残すのは考えられないと最後の一切れも口に入れた。やがてデザートのケーキが出て来た。私が写真を撮ろうとすると、イザベルが「反対側から撮ったほうがいいわよ」と教えてくれる。見ると、ベリーのソースが綺麗にかかっている。「甘過ぎなくておいしいね」と私。夜の帳(とばり)が下りて、時代を超えたようなゆったりした時間が流れていた。

 その時ふいに、「I'm happy to come here.」という言葉が頭に浮かんだ。死ぬかと思った昨晩の試練に比べて今日の夕食はなんて素晴らしいのだろう。私はワインをイザベルに掲げながら、その正直な気持ちを言葉にして伝えた。正しく伝わったかどうかは分からない。それでもイザベルは「旅の終わりに言うような言葉ね」と、嬉しそうな顔つきだった。今回のツアーの企画者としては、参加者に喜んで貰うのは素敵なことに違いない。まだツアーは残っている。これ以上に素晴らしい夕食を経験した最後の晩まで、山あり谷ありの出来事が待っていた。(つづく)
島を食べ歩いた日々B死ぬかと思った 13.10.10
 3時過ぎに昼食を終えた私たちは一旦ホテルに戻った。一休みして午後6時からPEIの世界的な食のイベント、International Shellfish Festival に参加することになっている。これは資料によると、ロブスターから蟹からカキからムール貝までPEIのおいしい海の幸を食べ尽くす食の一大イベントだという。9月12日から4夜連続の祭典で、客席の予約は何か月前に売り切れ、今日がその初日である。しかし、ホテルを出発する時間になって私はどこか緊張していた。何しろあの昼食からまだ3時間しか経っていない。満腹感さえ残っているのに、これから食の祭典に出かけてどうなるのだろうか。

◆年に一度の食の祭典が始まった
 着いて見ると、海岸に近い広い公園に巨大な白いテントが張られていて、中ではまさにお祭りが始まろうとしていた。並べられた幾つもの丸テーブルに300人程の客がぎっしり座り、ステージ向かって歓声を上げている。司会者が会場を盛り上げ、歌と演奏も始まった。私たち一行は2手に分かれて地元の人たちとともに空いたテーブルに着席した。
 相変わらず、ステージ上で繰り広げられているスピーチもジョークもさっぱり分からない。ただテーブルの客たちに合わせて拍手をしているだけ。そのうち、各テーブルから一人ずつ集められ、会場の一角で何やら講習が始まったと思ったら、アイスペールに入ったウォッカを持ち帰り、そこにトマトジュース、スパイスを入れて大量のブラッディ・メアリーが出来あがった。各テーブルで「乾杯、乾杯」の声が上がり、会場が一層盛り上がってきた。

 同時に、黒い制服を着たウェイトレスたちが、料理を持って一斉に現れた。300人の客たちに料理を配って歩く。最初はロブスター料理の上に錨をかたどったクッキーが乗ったもの。ワインも出て来た。このテーブルにも男性は私一人。女性たちがにぎやかにおしゃべりしているが、もちろん分からない。何しろ、今日初めて顔を合わせた人たちである。私は、例によって黙々と目の前の料理を食べ、余り酔わない程度にブラッディ・メアリーを飲み、ワインに移った。これが結構いける。もちろんロブスターもおいしい。
 話せない代わりに、気配りはする。カクテルを手渡す、テーブル上のワインやコップを取ってあげる、バターのない人に配るなどなど。そのたびに「Thank you.」、「You are welcome.」のやり取りがある。そうこうするうちに隣のマリエレンが話しかけて来た。「私は1995年に一年間、東京に住んだことがあるが、日本はとってもいいところだった。住んだ所は西麻布。京都にも行ったが、So beautiful! 日本が大好き。また行きたい」という。演奏と拍手の喧噪の中なので、顔を寄せ合っての会話になるが、それも長くは続かない。また黙々と料理に向かう。

◆胃袋が悲鳴を上げ始める
 ステージ上では、生ガキをこじ開ける速さを競う競技が始まった。1分間に何個むけるか。カナダ各地から10人程の腕自慢が集まって、会場から登壇した客にむいた生ガキを次々と食べさせる。優勝者がトロフィーを与えられて拍手がわいたところで、次の料理が運ばれて来た。今度は、蟹の足とカニ肉のパテ、それにステーキも付いている。すでにパンなども食べていた私の胃袋が警戒警報を発し始めた。これを平らげたらとんでもないことになるぞ。
 私は、隣のマリエレンに3本あった足を2本引き受けてもらった。ステーキはほんの一口だけ。残った料理を前にして、私は若干途方に暮れていた。この先もカキやムール貝の料理などがどんどん来るだろう。最後にはデザートの大きなケーキが来るに違いない。それらから、自分の胃をどう守るべきか。全く手をつけないまま、下げて貰うのか。私は、気分転換と腹ごなしのために、テントの外に出ることにした。

 夜半には雨になると聞いていたが、テントの外には星空があった。雲も流れている。テントの中は賑やかだが、ここは格段に静かだ。私は、この満腹感が少しは収まらないかと、暗い空き地の端から端までゆっくりと何度も往復した。ようやく少し落ち着いたところで、テーブルに戻ると料理は下げられていた。料理も食べられず、会話にも参加できず。再び無言の行を続けながら、「これはちょっとした試練だなあ」という思いが頭に浮かんだ。その時、目を引いたのは黒い制服姿のウェイトレスたちだった。
 銀のプレートに幾つもの料理を乗せ、それを手で支えながら、テーブルの客たちに配る。みんな顔を上げ、背筋をぴんと伸ばして、いかにもきびきびと歩く。すれ違う時に互いに笑みを交わすだけで、一人一人が颯爽としている。私が見とれていると「あの人たちは、市内のレストランから選り抜かれたプロなのよ」と左隣の見知らぬ女性が言う。地元の人らしい。私は、彼女たちのいかにも職業に誇りを感じているらしい動作を観察しながら一人ワインを傾けた。

◆天の助けか
 すでにテーブルについてから3時間が経過したが、このイベントは4時間位続くらしい。なおも料理は続く気配だが、これ以上、料理に手を出したら本当に胃袋が破裂する。最後のコーヒー位は飲んでもいいが、もうその余裕もない位にパンパンだ。私が再び外の空気を吸ってこようかと思ったその時、案内役のイザベルが私たちのテーブルにやって来て「イベントはまだ続くけれど、ホテルに帰りたい人がいたら乗せて行きます」と言う。私はもちろん手を上げた。
 ホテルにつくと、イザベルが「明日午前中に予定していた船に乗ってのカキ漁は、天候が悪いので、あさってに回します。明日は午後1時にホテルを出発しますので、ゆっくり休んで下さい」と言う。まさに天の助け。私は、胃薬を2錠飲んで寝ることにした。

 こうして、死ぬかと思ったInternational Shellfish Festivalは何とか切り抜けることが出来た。たたし、PEIの名誉のために言っておけば、お腹をすかして、そして気心の知れた仲間と行けば、こんな楽しいイベントは滅多にないだろう。年に一度のPEIらしい、とてもユニークな祭典に違いない。しかし現実に戻れば、食のツアーはまだ始まったばかり。私は翌日のホテルの朝食を抜いて昼食とディナーに備えることにした。しかし、苦あれば楽あり。次の日のディナーは、様々な意味で素晴らしいものだったのである。(つづく)
島を食べ歩いた日々Aのどかな昼食? 13.10.4
 案内役のイザベルが作った日程表を見ると、午前中に2つの醸造所を巡ることになっている。2台のワンボックスカーに分乗した一行8人は、まず島の北東部にあるウォッカの醸造所へ。ウォッカと言えばアルコール度数の高い強い酒だが、ここは、島の特産でもあるジャガイモからウォッカを作っているカナダで唯一の醸造所なのだそうだ。真っ青に塗られた建物が芝生の緑と青空に美しく映えている。中に入ると「こんにちは」と日本語で挨拶されてびっくりした。日本人観光客も来るらしい。
 私たちは早速、目の前で40度のウォッカにトマトジュースとスパイスをいれた、おなじみのカクテル、ブラッディ・メアリーを作ってもらった。このコップ酒をちびりちびりとやりながら、小さな工場の中で醸造工程の説明を受ける。ここはブルーベリーからも酒を作っているという。しかし、その詳細は残念ながら私には分からない。説明の英語さえ半分も分からないのだ。女性ジャーナリストたちは、盛んに写真を取ったり、質問をしたり、メモを取ったりしている。私は朝からあまり酔っぱらわないように注意しながら、彼女たちの後をついて歩いた。

 午前中に、もう一か所の醸造所を回った。かつてPEIの島民は様々な香りを持つ島の植物に砂糖や糖蜜を加えて、独特の密造酒を作って飲んでいたらしい。ここはただ一か所、現在もその伝統の製法を守りながら合法的に作っているところ。「Strait Lightning」と名付けられたその酒は飲めば稲妻に直撃さるようなアルコール度数75%の強い酒。他にもウィスキーやジン、ラムなども作っている。ここでもいろいろ製法の説明を受けたが、その詳細は省く(*)。
*詳しく知りたい方は、HP<http://www.straitshine.com/home.asp>があるので、そちらを。

◆のどかな風景の中での昼食
 12時半、お腹が少しすいてきたところで一行は村の中のレストランに入った。地面からちょっと階段を上った店の周りにはベランダがあって、そこにもテーブルが並んでいる。私たちは店の中のテーブルを囲んだ。私が選んだのは、シーフードチャウダとチキンのサンドイッチ、それに、この際だからと地元のビールを。女性陣もいろいろ好きなものをオーダーしている。
 この“A Field Trip for Foodies”に参加した女性たちは、インドやイギリスなどから来たジャーナリストもいるが、私と一緒になったのはカナダ国内からの雑誌編集者や記者だった。(この連載の最後に、一緒に並んで撮影した写真を乗せる予定だが)マリエレンは、ちょっと女優のメリル・ストリープに似たトロントのライターで、後に聞いたところによると彼女のブログには1万人のフォロワーがいると言う。ミッシェルはオンタリオから、ジョアンナはバンクーバーから。こちらの2人はカナダの女性によく見られるたっぷりした体型で、ともに雑誌の編集者&記者。ツアーの間、仲良く果敢に食べていた。

 彼女たちの会話が全く分からない中で、私は一人ビールを飲みながら、頼んだ料理が出て来る前のサラダ料理(パンつき)をつついて食べていた。時々、案内役のイザベルが「どうお?」と聞いて来るので、「おいしい」と答える。「今私は、英語のヒアリングの勉強をしているよ。でも、皆さんの言っていることの3分の1も分からない」などと、片言で言っているうちに、頼んだシーフードチャウダとサンドイッチが出て来た。ところが、それまで結構口に入れていたので、そのボリュームを見て最初から諦めた。
 シーフードチャウダ(これが、いろいろ海のものが入っていておいしかった!)は食べたが、サンドイッチは半分だけにして残すことにした。しかし、食のツアーで最初から残していいのかなと、イザベルに「お腹が一杯で」というと、彼女は店の人を呼んで「これを箱に入れて。家の犬が食べるかもしれないから」。私は「サンキュー」と言って、なおも続く女性陣の賑やかな会話をよそに、店に来ている客の様子をそれとなく観察した。

◆昼食はゆったりと過ごしたが
 それほど大きくない店のテーブルに何組かの客がいる。近所の常連らしい老夫婦が2組で、楽しそうに語らいながら食事をしている。そこに、もう一組の老夫婦がやって来て「やあやあ」と挨拶して加わる。時々テーブルの上のコップを倒して大騒ぎししたりしながら、賑やかに会話を楽しんでいる。もう一方の隅のテーブルにも老夫婦が。こちらはダウン症の息子を連れて来ていたが、一緒にメニューを見ながらゆっくりと料理を決めている。
 窓の外を眺めると、海に近い村の明るい風景が広がっていてベランダの席にもカップルがいる。おいしい地ビールのせいかもしれないが、店の客たちの様子を眺めているだけで何となくゆったりした気分になってきた。日本を立つ直前の東京オリンピック招致の興奮も原発事故の汚染水問題もここまでは追ってこない。平和でゆったりした時間が流れ、人々の穏やかな表情から島の豊かな暮らしぶりが伝わって来る。こうして若い女性ジャーナリストたちとの最初の食事時間が過ぎて行った。こんな感じならまあいいか。ニコニコしながら、黙々と料理を楽しむ。この先の食事タイムもこんな風に過ごすことにしよう――直後にそれが甘い考えだと思い知らされたのだが、その時はそう思っていた。(つづく)
島を食べ歩いた日々@プロローグ 13.9.29
 カナダの東海岸、セントローレンス湾に浮かぶプリンス・エドワード島(PEI)は日本で言えば愛媛県位の大きさ。ルーシー・モンゴメリーのあの「赤毛のアン」の小説の舞台になった島である。小説の中で作家は、アンにPEIを「世界で一番美しい島」と言わせているが、なだらかな牧草地やジャガイモ畑が広がり、数多くの入江には特産のカキやムール貝、そしておいしいロブスターで生計を立てる集落が点在する。空はあくまで広く、大地には色とりどりの草花が咲いている。
 このPEIには小説そのままの「アンの家」(実際はモンゴメリーのいとこの家)が残っていて、多くの日本人が訪れる。来年のNHKの朝の連続テレビ小説「花子とアン」は、「赤毛のアン」を日本に始めて紹介した女性翻訳家、村岡花子の生涯をドラマにするらしいから、PEIにあこがれる女性ファンはさらに増えるだろう。実は、私は5年前の2008年、「赤毛のアン」出版100年を機に、仕事の関係で訪れたことがある。その時の印象は今も鮮やかに心に残っている。

 そのPEIで今年9月、カナダ観光局主催の「GoMedia」という会議が開かれた。これは毎年カナダ各都市の持ち回りで開かれていて、世界のメディア関係者がカナダ各地の観光担当者と面談しながら、取りあげる題材のヒントを得るというもの。今年はカナダ国内外から全部で120人のジャーナリストが、そのうち日本からは私を含めてテレビ番組のプロデューサーやディレクター9人が参加した。
 この「GoMedia」の行き届いた点は、会議の前後に5日間ほどのカナダ各地のツアーがついていること。参加者は希望のツアーを選んでカナダをより深く知ることが出来る。今年、私は余り移動が少なくて済むようにとPEIの島内のツアーをお願いした。と言っても、後で日本の担当の方に聞くと「第一希望が一杯だったので別のツアーに申し込んでおきましたから」ということだった。実は、そのツアーが私にとっては滅多にない不思議な体験をもたらすことになったのである。

◆先が思いやられる
 ツアーのタイトルは“A Field Trip for Foodies―Traveling PEI Tip-to-tip”。島の突端から突端まで旅をしながら、おいしいものを食べ歩くというものだった。日程表を見ると毎日、午前中は島の産物を見学し、その後の昼と夜は特別の食事会となっている。気楽で楽しそうなツアーではあるが、出発前に私が密かに心配したのは、胃の方である。何しろカナダの食事の量は半端でない。私の胃は昼夜の食事会に耐えられるだろうか。
 さて、いよいよ会議が終わった翌日の9月12日午前8時。集合時間にホテルのロビーに行って見て、私は内心ぎょっとした。日本人は私だけ、しかも私を除いて7人全員が私よりも2回りも3回りも若い女性たちだったのである。この8人が2班に分けられ、PEI観光局の担当者2人にそれぞれ案内されて島内を巡ることになったのだが、彼女たちの会話を聞いて、再び大変なことになったと思った。

 何しろ、彼女たちが話している早口の英語が全く理解できないのだ。案内役のイザベルには、前日に会って「私は英語が下手だから」と挨拶しておいたのだが、そんな言い訳はお構いなしで、ことはどんどん進んで行く。私は諦めて成り行きに任せることにした。「Tatsuoは、助手席に座ったら。景色が良く見えるわよ」とイザベルに促されて、彼女が運転する6人乗りのワンボックスカーに乗り込んだ。
 天気は晴れ。時折、まぶしい位の日差しがフロントガラスから差し込んで来る。車内では女性陣の楽しげな会話が続いているが、私には全く分からない。単語の一つでも分からないかと耳を澄ますが、一つ二つ分かったところでどうなるものでもない。無言の行を続けるしかない。このツアーは予定では後5日も続くことになっているのだが、さてどうなることやら。女性たちの賑やかな会話をよそに私は、ちょっと憂鬱な気分だった。

 と言うわけで、これからこの珍妙な旅の一部始終を書いて行こうと思うのだが、特に事実関係を並べるつもりはない。何しろ英語力が英語力だから、それは無理。むしろ、私の心に映った旅の心象風景を書いて行きたいと思っている。このツアーでは、「これは人生の試練の一つかもしれないなあ」と思った時もあったが、やがて至福の食事を彼女たちとともにする状況にもなった。結果的に、実に様々な時間を体験することになった。言葉が充分通じないだけに、そこには却って繊細な時間と空間があったように思う。
 「心が通い合う」と言う言葉があるが、ヒトとヒトは、どのようにしてそれが出来るようになるのか。私にとっては、(大袈裟に言えば)そんなことにまで気付かせてくれた不思議な体験だった。ともあれ、この歳になってから経験した得難い時間について、できるだけ自分の気持ちに忠実に、旅の一部始終を書いて見たいと思う。(つづく)
カナダ取材ブログからDクジラに魅せられた人々 13.2.16
 (カナダ関連の番組企画。今回は、今年6月頃から取材の適期に入るカナダ東海岸のホエール・ウォッチングについてです。)
 バンクーバーからトロント経由でケベック・シティに入った私たちは、翌朝、観光局が用意したバスでホエール・ウォッチングの拠点の村、タドサック(Tadaussac)に向かいました。セントローレンス川に沿って北東に進むその道は、およそ3億5千年前に地球に衝突した巨大隕石が形成した(直径55キロの)クレーターの中を通って行きます。シャルルボア地方と呼ばれるなだらかな丘陵地帯で、秋には美しい紅葉が見ものです。

 氷河が作った深い入り江(サグネ・フィヨルド)をフェリーで渡ると、そこが目的地のタドサック。私たちは早速、クジラの研究所の「海洋哺乳類観察センター(CIMM)」を訪問しました。ここは28年前から、目の前のセントローレンス川(この辺りは海のように広い)に毎年やって来る様々な種類のクジラの生態研究、個体識別などを行ってきました。

 クジラの研究者のミッシェルさんに聞くと、セントローレンス川にやって来るクジラは13種類。シロイルカ(体長5m)、ミンククジラ(10m)、ザトウクジラ(15m)、ナガスクジラ(20m)などから、時には最大のシロナガスクジラ(30m)までやってきます。ミンククジラは殆ど毎年、同じクジラがやって来るので一頭ずつ個体識別されており、その行動範囲の地図なども作られているそうです。
 
 タドサックには、こうしたクジラを見ようと毎年多くの観光客がやって来るので、800人の人口が夏には2万人にもなるといいます。観察センターでクジラの話を聞いた後、私たちは(映画「ホテル・ニューハンプシャー」の撮影舞台にもなった)可愛いらしくも美しい
「ホテル・タドサック」にチェックイン。夕食時にパークス・カナダ(カナダの国立公園を管理する政府機関)でクジラの研究をしているヴァレリーさんに、ホエール・ウォッチングの魅力について話を聞きました。

 大学で生物学を学んだ彼女は、難関を突破して現在の仕事につき、夏の間はクジラの観察、冬の間は教育用資料の作成などで過ごします。クジラの仲間同士が群れているのを見るのは、とても印象的なのだそうです。翌日のホエール・ウォッチングが楽しみになってきました。

 翌日は、午前9時半からホエール・ウォッチングに出かけました。上から下まで完全装備の防水コートを着込んで、海岸の桟橋から20人乗りのゴムボートに乗り込みます。沖合に出てエンジンをとめてクジラを探します。そしてクジラが見つかると全速力で近づきます。しかし、あいにくこの日は波が少し高くて、ゴムボートがスピードを上げると、ザブンザブンと容赦なく波しぶきがかかります

 その日のクジラは近づいて良く見ようとすると、あっという間に水中に姿を消してしまいます。そうすると、また5分程待たなければなりません。そのクジラは今度は思わぬ方向に姿を現します。また全速力で近づく。これを繰り返しているうちにボートの最後尾に座っていた私は、全身びしょ濡れになってしまいました。
 クジラに恵まれれば、かなり近づいてゆっくりと観察できるそうですが、この日はこの繰り返し。3時間後にはホテルに戻って暖かいシャワーを浴びて服を着替えました。この時期(6月)、水は冷たくないので苦にはなりませんが、正直もう少し近づいてゆっくりクジラを眺めたかった。。。(写真はカナダ観光局から


 さて、番組企画的に私が惹かれたのは「クジラに魅せられた人々」です。世界各地からクジラを見ようとやって来る人々はもちろんですが、何より地元でクジラを研究観察している、ミッシェルさんやヴァレリーさんが魅力的。本当にクジラが好きなのだということが話していて伝わってきます。それに、いかにもクジラが大好きという表情が素敵です。精神的でピュアな感じがクジラの研究者にぴったりの感じです。
 ホエール・ウォッチングの拠点の美しい村、タドサックでクジラ研究一筋に生きる彼と彼女の日常を追うことで、彼らが何故クジラを愛するのか、クジラ研究の魅力とは何か、その秘密を解き明かすような番組が出来るかもしれません。
カナダ取材ブログから @2020年、“Greenest City”をめざすバンクーバー 12.10.18
 今年5月末から6月にかけて12日間ほどカナダ各地を取材しました。日本、韓国、ドイツのジャーナリスト5人での旅。自然の豊かさ、風景の雄大さ、カナダの人々の優しさ、それとカナダが観光にかける意気込み、などなどを感じた楽しい旅でした。この旅の目的の一つは、メディアの目から見て番組のヒントになるようなテーマを探すこと。幸い私なりに、これはと思うヒントを幾つも見つけた気がします。ということで、これから何回かに分けて旅の楽しさと、(参考になるかどうか分かりませんが)番組のヒントについてお届けしたいと思います。(*)このブログはカナダ観光局のHPに載せているものですが、こちらにも残すことにしたものです。

 5月29日と30日、カナダ、ユーコン準州の準州都ホワイトホースでカナダ各地からの観光担当者とミーティングを終えた翌日、私たちは西海岸のバンクーバー市からツアーを始めました。市内の海岸に面したキッツラーノで昼食した後、しばし海岸を散歩。砂浜には流木がベンチ代りに整然と並べられ、また市内の海辺にはすべて防波堤を兼ねたseawallと呼ばれる遊歩道が整備されています。
 家族連れでウォーキングしたり、サイクリングをしたり、市民が思い思いにさわやかな海辺の空気を楽しんでいます。その光景を見ながら、ホワイトホースのミーティングでバンクーバー市の観光担当者から聞いた話を思い出しました。2020年、市は世界一グリーンな街(Greenest City)を目指すというのです。

 市内を走る道路に自転車レーンを設けて、可能な限り自転車移動を奨励する。さらに市内乗り入れの自動車を減らすために公共交通機関を充実する。市内を走るタクシーをすべてハイブリッド化する。
 2010年の冬のオリンピックで使われた選手村の建物も終わった後は市民のための住宅に利用される予定で作られましたが、これも屋根に芝生を植えたり、雨水を循環させて使うなど環境に優しいもの。また、市内のホテルもごみゼロを目指していると言います。そういう意味で、バンクーバー市には、カナダの先進的な環境政策のメニュー全部が揃っているようにも思います。

 カナダは、国を挙げて地球環境に優しい持続可能な社会を作ることに取り組んでいます。例えば、カナダ最大の都市トロントなども二酸化炭素の削減では世界の都市中最も実績を上げている都市のひとつ。二酸化炭素削減のためのトロント大気基金を設けてビルの省エネにも取り組んでいます。また、目の前のオンタリオ湖の湖水を市内に循環させて気温を下げるなどのユニークな取り組みもしています。

 そう言う中で、いち早く世界一環境に優しい都市作りを宣言したバンクーバー市の心意気は素晴らしい。聞くと意気込む市長と州知事との間では、必ずしも足並みが揃っているわけではないようですが、それも含めて、ユニークな環境政策を大胆に取り入れているバンクーバー市は、カナダの環境政策の先進的モデル都市として取材候補地の一つではありますね。
カナダ取材ブログから A最新の土木技術を駆使して観光の目玉を作る 12.10.18

 バンクーバーの海辺でシーフードの昼食を取った後、私たちは、2010年の冬のオリンピックでメイン会場になったリゾート地、ウィスラー村に向かうことにしました。その途中、市内から車で40分のところにある観光名所、キャピラーノ渓谷に寄りました。ここは深い峡谷と谷川、針葉樹の大木など、バンクーバー市の豊かな自然が実感出来るところですが、加えて「観光の目玉」作りに大変熱心な観光地でもあります。
 以前のブログ「カナダ西海岸。温帯雨林で“森の人”になる」にも書きましたが、まず、長さ137mの吊り橋がスリル満点。橋は谷底の川から70mも上にあります。また、地上30メートル、全長200メートル、森の木々の間をつないで作られたウッドデッキ(「ツリートップ・アドベンチャー」)もあります。これはまるで空中回廊のよう。
 
 そして、さらに。今回は、去年出来たばかりの恐怖の新アドベンチャー、
「クリフウォーク(Clifwalk)」を体験しました。半円形のブリッジを断崖に張り出すように吊り下げた、何ともユニークな観光の目玉です。半円形の橋を吊り下げているのは、岸壁に打ち込んだたった一か所の杭。そこから何本ものワイヤーを出して橋を吊っています。聞くと橋に乗れる人数の制限はないということなので、余程頑丈に杭を打ち込んでいるのでしょう。
 この強度を可能にしている秘密は何なのでしょう。それにしても最近の土木技術はすごいですね。半円形の板張りの歩道は幅50センチほど、谷底からの高さは90メートルほどもあるそうです。手すりにつかまって、そろそろと空中を歩きながら、下を覗くと眼下に木々が茂っていて、そのはるか下に川が流れています。このClifwalkは、いまや大人気の観光の目玉になっているそうです。

 土木技術と言えば、2009年に完成したウィスラー村の観光の目玉、ピーク・トゥー・ピーク・ゴンドラ(Peak 2 Peak Gondora)もすごいです。ともに2千メートル以上の山であるウィスラー山とブラッコム山の2つの山をつないで、長さ4.4キロ(支柱のないところは3キロで世界最長)のロープウェーを作ってしまいました。まず別のロープウェーでウィスラー山に登り、そこからPeak 2 Peak Gondoraに乗り換えます。私たちが登った日は、直前まで強風でストップしていたのが再開されたところ。
 乗り込んだ巨大なゴンドラが風に揺れるのはちょっと怖い感じもしましたが、滅多に味わえないスリルを体験しました。ロープは一番高いところで谷底から436メートルものところを走っていて、これも世界最高。太くて重い頑丈なロープを山から山へ、谷を越えて渡すのはどうしたのか。また、それをピンと張って両端の基礎に結びつける。そのロープに何台ものゴンドラを走らせて行く。これは想像を越える難しさです。最新の土木技術を駆使したに違いないとは思いますが、実は、このPeak 2 Peak Gondoraの建設の過程をディスカバリー・チャンネルが記録したそうです。

 世界有数のリゾート地であるウィスラー村の観光政策については、また回を改めてお伝えしようと思いますが、何はともあれ、最新の土木技術を駆使して世界最高の観光の目玉を作ってしまう。キャピラーノ渓谷のClifwalkとウィスラー村のPeak 2 Peak Gondora。その2つに共通する、ユニークで貪欲な観光政策、その企画から設計、建設、完成までの過程の面白さ、高度な土木技術の数々、資金調達等の情報は、日本の視聴者にも興味深いテーマではないでしょうか。

カナダ取材ブログから Bウィスラーで聞いた2つの話(観光戦略とヘリスキー) 12.10.19
バンクーバーから北へ車でおよそ2時間、ウィスラーに到着した私たちは、北米随一と言われるリゾート地の中を散策しました。周辺の広大なスキー場やトレッキングの山々に比べれば、街の中は比較的狭くどこへでも歩いて行ける距離にあります。石畳の通路の両側にあるホテルやレストラン、ショッピングの建物はすべて落ち着いた「アース色」
 「アース色」とは、言ってみれば土色系統というのでしょうか、黄色がかったものから緑がかった色、レンガ色まで一口に「アース色」と言っても様々ですが、その落ち着いた渋い色合いが街全体を周りの山々や緑の中にしっくりと溶け込ませている感じがします。一つ一つの建物は高級感にあふれているのに統一感がある。しゃれていますよね。

 ウィスラーは、1960年代後半に冬のオリンピックの誘致を目指して開発されたところですが、念願かなって2010年にバンクーバーオリンピックのメイン会場になりました。その時使われたオリンピック施設については、終わった後も有効利用する「レガシープロジェクト」という考えを説明されたことがありますが、今度行ってみると確かにそうでした。
 テレビに何度も登場した表彰式会場は、今は芝生の野外コンサート会場に生まれ変わり、冬は氷を張ってスケートリンクになるそうです。また、大滑降のスロープは夏の間にも使えるマウンテンバイクの施設として改装され人々が楽しんでいました。

 さて、その夜はウィスラーの高級レストラン「araxi」でディナー。そこで、地元でツアー会社「JAPANADA」を経営している柳沢純さんと隣の席になってウィスラーのユニークな観光政策や、初めて聞く「ヘリスキー」についていろいろ興味深い話を聞くことが出来ました。柳沢さん自身はプロのスキーガイド。長野県でスキーパトロールをして腕を磨き、アメリカに渡ってからは北米47か所すべてのスキーリゾート地をまわり、一番良かったウィスラーに落ち着いたそうです。以下は食事の間に彼に聞いた話です。

 このウィスラーは1975年にいち早くリゾート法を制定し、観光のためのユニークな街づくりに取り組んで来ました。建物の色もそうですが、観光地としての統一感を出すために窓の形、玄関の取り付け方にも厳しい決まりがあり、違反すると罰金を払って改修させられます。
 オーナーはバラバラだけど観光戦略は街全体で一致協力して、例えば5-6月、10-11月などのオフシーズンには街の環境局が提案してすべてのホテルを半額にする、レストランも値下げするといった方針を打ち出すそうです。行政と観光業者の一致協力した観光戦略が効を奏して年間通じて観光客を呼び寄せる。こうしたユニークな観光戦略の数々を学ぶために、日本からも視察団が勉強に来るそうです。でも、本当に生かされているかどうか、というのが柳沢さんの感想でした。テレビ番組のテーマになりそうですね。

 もう一つ興味深かったのは、耳慣れない「ヘリスキー」の話題です。ヘリコプターでしか行けない大雪原にヘリで降りたち、まだ誰もシュプールをつけていない雪山から心行くまで滑降するという贅沢なスキーです。ヘリスキー・ガイドの柳沢さんたちが本拠地にいているのは、BC州の最北部、アラスカとの国境近くのスキーナ山群(ラストフロンティア)。ここには広さにして9000平方kmと、東京都の約4倍に相当する大雪原があります。

 300キロ離れたロッジから毎日にここにヘリで降り、何度もトライします。一回の滑降が標高差500メートルから1500メートル。雪原と言っても、山あり樹木ありの山スキーですが、一度滑降するとヘリでまた違うところに連れて行って貰う。これを一日10回から20回、1週間続けるそうです。世界中からスキーの好きなお金持ちがやって来るそうですが、彼の話ではその金持ちぶりが愉快でした。
 ところで、今年の4月には、先日、80歳でエベレスト登頂に挑戦を発表した三浦雄一郎さん一行が来て、ヘリスキーを楽しんで行ったそうです。夕食の間に伺った話ですが、詳しくは以下のHPをご覧になると、素晴らしい写真とともに「ヘリスキー」の醍醐味が紹介されています。一度テレビで見たいですね。(写真は以下のHPから)
<http://www.japanada.com/winteropt/special/heliski_lfh.html>
カナダ取材ブログからCまだ見ぬサンシャイン・コーストとBC州の海の自然 12.11.23

 ウィスラーで世界最長のピーク・トゥー・ピーク・ゴンドラを体験した私たちは、その午後は水上飛行機でバンクーバーの湾に面したホテルのすぐ近くまで飛ぶ予定でしたが、その日はあいにくの強風。そこで風光明媚な入江沿いを車でバンクーバーへもどりました。このバンクーバー市と対岸のバンクーバー島の間に北西に広がるジョージア海峡には沢山の島が点在し、ブリティッシュ・コロンビア(BC)州の中でも海の自然の豊富な場所です
 ウィスラーで会ったスキーガイドの柳沢純さんによると、夏、このあたりの海岸をお米だけ持ってカヤックで移動する旅は最高だそうです。ウニでも貝類でも取り放題。シーフードをおかずに一週間でも気ままな旅が出来ます。それに、このあたりは4月から10月にかけてはホエールウォッチングも可能。今回の旅行で私たちは東海岸で鯨を見に行きましたが、西海岸の豊かな自然の中でのウォッチングもいいですね。

 それともう一つ、BC州の海岸の自然について私の心をとらえている「まだ見ぬ場所」があります。それがサンシャイン・コースト。バンクーバーからは陸続きながら入り組んだ海岸線のため、フェリーで行くしかないところで、40分程の距離にあります。去年のGomediaの会議で現地ツーリズムのアンドレアに聞いた話ですが、海岸に面している彼女の家からは毎日、「うっとりするような夕日」(それを彼女はアイフォンの写真で見せてくれました。左の写真は別)が見られるそうです。この風光明媚な自然環境に誘われて絵画や焼き物など様々なジャンルのアーティストやってきていて、中には日本人の女性画家も住みついているそうです。

 それと、対岸のバンクーバー島の西海岸にあるトフィーノ。ここは、冬の間(11月から3月)に見られる嵐の風景が見もの。強風が吹き付け、どこまでも続く美しい砂浜の海岸に巨大な波が次々に押し寄せます。海岸を風に吹き飛ばされそうになって散歩してもよし、海に面したホテルからワインを傾けながら眺めるもよし。その嵐の光景を眺めることを「storm watching」といいます。言い得て妙ですね。トフィーノの海岸はサーフィンのメッカでもあるそうですが、こうしたところの情報については、ネット(*)でみるとイメージがつかめると思います。

 さて、私が考えるのはTV番組企画。こうしたカナダ西海岸をベースにどのような番組が可能でしょうか。例えば、日本では感じられないようなゆったりのんびりした気分で、その多彩で豊かな海の自然を味わい、現地のアーティストたちと交流しながら芸術的なインスピレーションを感じてもらう。そして、西海岸の自然の呼吸を様々に表現してもらう。
 また、この西海岸あたりはカナダの先住民族ハイダ族の定着地でもありました。そういう自然とともに生きる先駆者たちとの交流も考えられます。カナダで最も有名な日系の生物学者で科学番組キャスターでもある、デイビッド・スズキ氏。その娘さんの環境学者のセヴァン・カリス・スズキ氏はハイダ族の青年と結婚しているそうですので、カナダの自然環境について理解を深めることも出来ますね。
 そんな旅に付きあって頂く旅人(多分、芸術家やナチュラリストでしょうか)に誰が相応しいのかが課題ですが、カナダ西海岸の海の自然が発信する大自然の声に耳を傾ける紀行番組を見てみたいです。
*)サンシャイン・コーストはhttp://www.createconnectdiscover.com/
  ストーム・ウォッチングはhttp://tofino.travel.bc.ca/features/storm-watching/

 なお、蛇足ながらもう一つ付け加えると、BC州の西海岸のPrincess Royal Islandには、地球上でも珍しい「謎の白クマ」がいます。ホッキョクグマとは別種でむしろブラックベアに近い体型を持つクマで、1万年前の氷河期の生き残りではないかと言われています。僅かな生息数のクマで、これを専門に追跡撮影している撮影チームもいます。西海岸の入り組んだ風景の中には、自然の声が満ちあふれている感じです。
 (その白クマの写真 http://ngm.nationalgeographic.com/2011/08/kermode-bear/nicklen-photography)