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その先輩と出会ったのは40年前、私が科学ドキュメンタリー番組「クローズアップ」のデスクの時だった。Nさんは当時、その番組のナレーションを担当するアナウンサーだった。私は時にはディレクターと一緒に徹夜して編集に立ち会い、Nさんのナレーション入れにも立ち会った。毎週、音声スタジオ前の廊下のソファーに座ってNさんとディレクターと3人でナレーションの手直しを行う。当時のドキュメンタリーのナレーションと言えば、いわゆる「語り」だったが、私たちはNさんの提案もあって、これを全く新しいものに変えたのだった。
それは、テレビの前の視聴者に語りける調子のナレーションだった。ディレクターが書いたコメントをNさんが自分の言葉に直して行く。それは、硬い内容の科学番組を親しみのある身近なものに変えて行った。そのようにして、Nさんと濃い付き合いが始まった。2人は、番組プロデューサーのSさんを交えた飲み仲間になり、Sさんが若くして亡くなった後も、S家の人々との長く続いた集まりのメンバーとして持続した(「しみじみとした会食」)。そして25年前、同じ東武線沿線の科学番組仲間のH君を入れた3人を中心にした温泉巡りが始まった。
◆温泉巡りと「ふるさと村」構想
去 年、私が作った「できごと年表」を見ると、その温泉巡りはやがて4人になり、時に5人にもなったが、宝川温泉(奈良俣ダム)を皮切りに、高野山(湯の峰温泉)、四万温泉、伊香保温泉、川治温泉、鬼怒川温泉、栃木の柏倉温泉、八丁の湯温泉から裏日光、別所温泉、寄居温泉(長瀞)、十津川温泉~伊勢神宮、奥多摩(御嶽)、湯河原温泉、日光元湯温泉、箱根温泉、塩原温泉、西伊豆温泉などなど、2020年のコロナ騒ぎまで続いた。多くは、温泉だけでなく、近辺の寺社巡りも行い、私とNさんは時に寺の本堂に上がらせて貰い、般若心経を唱えたりした。
もちろん、温泉巡りだけでなく私は沿線の居酒屋で、朗読教室をはじめとする、Nさんの定年後の様々な構想を肴に良く酒を飲んだ(「北千住の居酒屋で話したこと」)。何しろNさんは多彩な人で、朗読はもちろん、文章書き、クラシック、彫刻や工作、デジタル技術、そしてジョギングと多方面に趣味を持っていた。その中で私も随分とお付き合いしたNさんの構想がある。それは、茨城県の片田舎(常陸大宮市伊勢畑)の大農家を拠点に、「ふるさと村」を作る構想だった。ちょうど、2011年の大震災の直前からこの村に通い始め、ともに楽しんだ。
◆手作りの「ふるさと村」での楽しみ
地元の大農家のHさんの敷地には、Nさん専用のドームハウスがあり、私もそこに寝泊まりしながら、地元の川魚やHさん手料理の自然食を味わい、田舎暮らしの濃い人間関係の話などを聞いた。やがて、かつて蚕を飼っていた大きな納屋を改造して集会場にし、地元の人たちと様々なイベントを行うようにもなった。その「ふるさと村」でNさんが特に力を入れたのが、ツリーハウス作り。栗の大木の上に広さ8畳ほどの床と2畳のハウスを作って、そこでのんびりと田舎の風景を楽しむ。設計図から材木集め、釘打ちと殆どNさんが取り仕切った。
ツリーハウスが完成した日、Nさんは神主の恰好をして祝詞をあげてお祓いをし、「二畳城」と名付けて、厳かに完成式を執り行った。そこに私とNさんは7年ほども通っただろうか。ドームハウスに泊まりながら、地元の人たちと酒を酌み交わし、翌朝には自然豊かな朝もやの中を、2人でいろいろ話しながらウォーキングした。いい時間だった。2013年の12月には、密閉空間のドームハウスで移動式の囲炉裏を持ち込んで飲んでいるうちに、一酸化炭素中毒で一緒に死にかけたこともある。それは本当に紙一重だった(「死にかけた日の物語①」、「同②」)。
◆認知症が進んだNさん
その後、Nさんは認知症が少しずつ進み始めた。農家通いもやめて温泉仲間の4人で、都内で会食するだけになり、それも温泉仲間のSアナウンサーがタクシーでNさんを送り迎えしてくれた。コロナが始まってからも何度かそうした会食を持ったが、Nさんは言葉少なにニコニコしていた。しかし、それも叶わなくなり、携帯で話をするだけになった。Nさんは「本棚の本の背表紙を眺めていると、何だかとっても平穏な気持ちになるよ」と言っていたが、やがて携帯も通じなくなって、時折、奥さんに連絡してNさんの状況を聞くだけになってしまった。
体は人一倍丈夫だったNさんは、日課の散歩に出ても自宅に帰れないことが多くなった。その度に、近所に住む息子さんとお嬢さんが手分けして探す状態になった。靴にGPS機能をつけておいて、その情報をもとに居場所を特定しながら探したと言う。そして今年になってNさんは腸から大出血。緊急入院した先で誤嚥性肺炎を起こし、意識がなくなって点滴だけの状況になってしまった。どうなったかと心配していたが、先月26日に亡くなったという知らせを奥さんから受けた。家族中心のお葬式には、温泉仲間の私とH君の2人だけが参加した。
◆4人の温泉仲間は2だけに
実は、認知症が進んだNさんを送り迎えしくれたSさんは、去年の10月に急に帰らぬ人となっていたのである。コロナの間に腎臓を悪くし、ここ数年は自宅で人工透析をしながら、H君、Sさん、私の3人でリモートでの雑談会を定期的にやっていたが、身体が弱っていたのだろう。ある日、突然心不全で亡くなったという。そんなことで、かつての温泉仲間の4人は、H君と私の2人になってしまった。Nさんのお葬式では、久し ぶりに奥さんやお子さんたちと話が出来た。息子さんが、Nさんが残したツリーハウスの詳細な製作日誌2冊を見せてくれた。
それは、いかにもNさんらしい綿密さで、各種設計図、途中経過の写真、水平の取り方など様々な工法を記録したノートで、いまさらながらNさんの才能と徹底ぶりに舌を巻いた。亡くなった日には、家族全員、お孫さんにまで見送られて穏やかに逝ったという。生前のNさんは、常に快活でアイデアが豊富。彼の周りには多彩な人が集まった。お顔を拝見し、お骨を拾い、ご家族と一緒に食事をして思い出を確かめ合った後、私はH君の車で自宅まで送ってもらった。
◆残された時間を噛みしめながら
去年亡くなったSアナウンサー、そしてNさん。最近は、同年配の人の訃報が相次ぐようになった。この年齢になると、「明日何が起きてもおかしくない」状況になる。終末が、否応なく目の前に迫って来る。それでも、自分の「できごと年表」を眺めていると、定年後の15年、20年を見ても、今からは考えられないような多様な「できごと」の充実ぶりで、その点では、家族、友人、そしてどこかで見守ってくれている存在に感謝しかない。2013年に死にかけたこともあったが、それを免れたのは、見えない力としか思えない。
もう少しの残された時間をじっくり、ゆっくり噛みしめて生きて行こう。仲間の訃報に接し、ともに過ごした楽しかった時間にしみじみ感謝しながら、そう思う。
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