日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

非戦の誓いを新たにする夏 17.8.16

 米朝の脅し合いがエスカレートして、今年の夏は異様な雰囲気になっている。北朝鮮がICBMを開発してアメリカを脅したのに対し、トランプ大統領は「これ以上、米国に対する威嚇行為を行わないことが、北朝鮮にとって最善策だ。(さもないと、北朝鮮は)世界が見たことがない炎と怒りを受けることになる」と、まるで金正恩のような口ぶりで応じる。これに対し、北朝鮮は「日本の島根、広島、高知の上空を通過してグアム島周辺に4発のミサイルを発射することを慎重に検討している」と発表。昼のワイドショーも連日この飛行経路を示して、日本の防衛体制をあれこれ論じている。

◆政治家は戦争のリアリティーを持っているか
 小野寺防衛相がこの状況に関し、北のミサイル基地を攻撃する「敵基地攻撃能力」の検討(後で首相が否定)に触れると、北朝鮮はすかさず「日本の反動勢力は、軽薄でいたずらな行為をすると、核兵器による無慈悲な一撃で、日本列島が太平洋に沈没するかもしれないことをはっきりと理解するべきだ」などと応じて来る。安倍首相は「日本国民の生命と財産を守るために最善を尽くす」と決まり文句を繰り返すが、日本の首脳陣は(核)戦争に対する真のリアリティーをどれだけ持っているのだろうか。

 自民党は「北朝鮮核実験・ミサイル問題対策本部」の役員会(7/19)を開いたが、二階幹事長が会見で「地方に大きな防空壕を作ることが出来るか検討すべき」と言って、「日本の国会議員の危機管理能力は最低レベルだ」(橋下)と呆れられている。政府の方も、ミサイル通過に関して防空警報(Jアラート)のテストをすると言っているが、それが発せられたとしてどこに逃げるのか。その一方で、ミサイル一発が命中しただけで日本の半分が住めなくなる“裸の核・原発”を日本海側に集中させ、運転を続けている。民間の「核シェルター」も売れ出していると言うが、どこか非現実な感じ。日本全体が戦争のリアリティーを失っていると言わざるを得ない。

 アメリカと一体になって北を押さえ込む単一路線を走り、アメリカ軍が攻撃された場合の「集団的自衛権」の行使(小野寺防衛相)まで先走って云々している日本。きな臭さが立ちこめる今年の夏だが、一方で8月は日本が2回にわたる核爆弾を受け、敗戦を迎えた月でもある。戦争の記憶を新たにする行事が催され、戦争の記憶を掘り起こす優れた番組(特にNスペ)が目白押しになる月でもある。北朝鮮問題は別途書くとして、今回は敗戦後、年々薄れつつある戦争の記憶、そして、私たちが忘れてはならない「非戦の誓い」について書いておきたい。

◆世代を繰り返すごとに、たちまち薄れゆく戦争の記憶
 敗戦の3ヶ月前に生まれた私は戦争を知らない。ただし、以前のコラムでも書いてきたように実際の戦争を知らないまでも、その悲惨さや戦争に至る道筋については、様々な機会に学んできた。疎開で苦労した母の話や、外地から命からがら引き上げた叔父たちの話。あるいは、あの膨大な「レイテ戦記」や「硫黄島」などの戦記もの、米内光政、山本五十六、井上成美、今村均、重光葵などの軍人、政治家たちの伝記、「太平洋戦争」、「平和の失速」、「参謀」、「昭和史」、「日本殲滅」、「聖断」といった歴史もの。そして戦争を描いた数々の番組や映画から、戦争の悲惨を頭に焼き付けてきた。

 原爆による無惨な死、空襲での大量焼死。あるいは外地での日本軍の残虐行為、絶望的な戦闘や餓死。満蒙開拓団の悲劇、シベリア抑留での悲惨、日米の圧倒的な差の中での沖縄戦(最近の映画「ハクソー・リッジ」も)。そして日本を戦争に導いた軍部や政治家の無責任体制。戦争の本当の悲惨さや恐ろしさは体験していないにしても、様々な伝達手段を通して戦争というものを学んできた。それが、私たち敗戦間際に生まれた者たちの感覚である。そして、戦争を体験した人々の「戦争だけはしてはいけない」という、「非戦の誓い」をごく素直に実感として受け入れてきた。

 しかし、今や実際に戦争を見聞きした人々は人口の1割にも満たなくなった。世代が交代する中で、「日本はどこと戦ったのか」、「終戦記念日はいつ?」と言うような若者も多くなった。私の場合も義務教育の中で戦争の実態について教えられた記憶は殆どなく、多くは仕事上の必要や個人の関心にかられて学んだものである。社会の中堅クラス(40代、50代)にも、特別な関心を持たない限り、戦争のリアリティーは伝わっていないだろう。絶え間なく伝えない限り、世代(30年)を繰り返すごとに、民族の記憶はあっという間に薄れてしまう。それが現実である。

◆薄れゆく記憶の中で、健闘するNスペ
 そんな中でテレビ界は、毎年夏になると戦争に関する数多くの番組を放送してきた。特に、NHKスペシャルは良くここまでと感心するような資料を発掘して、戦争の実態を示してくれる貴重な存在になっている。政治報道では、通り一遍の当たり障りのない内容しか出さない最近のNHKだが、こと番組では俄然力を発揮する。以下は、今年目に留まったNスペ。いずれも(今のような右がかった状況で良く頑張った)頭が下がる力作である。

「本土空襲全記録」(8月12日)
 太平洋戦争中に行われた無差別の大空襲。戦闘機に取り付けられた「ガンカメラ」の映像や、B29の爆撃の映像など膨大な資料(国立公文書館)を発掘して、大空襲の全貌に迫ったドキュメントだった。戦争に参加したアメリカ兵、空襲に遭った日本国民の声を交えながら、全体像を可視化し、50万人に近い犠牲者を出した空襲の背景や経緯にも迫った。番組では触れなかったが、8月15日に戦争終結がならなかった場合、アメリカにはなお9発の原爆を日本に落とす計画があったことを知る人は、案外少ないのではないか(「一億総玉砕と日本殲滅作戦」)。

「731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験」(8月13日)
 これは、森村誠一の「悪魔の飽食」や、TBSの「魔の731部隊」(故吉永春子制作)以来、日本軍の恥部に触れる大変にナーバスなテーマである。それをソ連に抑留された軍関係者がハバロフスク裁判で証言した肉声を入手して、今年NHKが放送。丹念な資料収集と動かぬ証拠の肉声で、医学者と軍部が結託した人体実験のおぞましい実態を明るみに出した。今の軍民共用研究(デュアルユース)にもつながる実態と、戦後、口を拭って栄達した医学者たちの非道を告発。力作だった。

「戦慄の記録 インパール」(8月15日)
 これも、悪名高き司令官、牟田口蓮也の無謀かつ無能な作戦のもと、3万人の犠牲と4万人の負傷者を出したインパール作戦の全貌に迫った番組だった。初めて取材が可能になった「白骨街道」の傷跡をたどりながら、悲劇の全貌に迫った。それにしても、雨と泥濘の中で戦った日本兵の悲劇に比べて、それを指揮した中枢の何と無責任なことか。奇跡的に助かった元兵士は皆96歳とか97歳。彼らの人生最後の証言から、悲惨な戦争の現実が胸に迫る。

◆改めて「非戦の誓い」を
 日本を取り巻く状況がきな臭さを増す今、これらの番組を見ながら思うのは2つ。一つは戦争を知らない今の政治家たち、特に安全保障に責任を持つ政治家たちは、戦前の日本がどんな経緯をたどって破滅に突入したのか、道を誤ったときの悲惨な現実をどれだけリアルに知っているのだろうか、ということである。
 もう一つは、戦争を記憶して行こうという国家の意志が薄弱で、多くの場合、個人の関心と努力に任されている日本において、戦争の記憶を若い世代に伝えて行くには、どうしたらいいのかということである。戦争を美化したり、排外的な言説が幅を効かせたりする昨今こそ、日本は民族の原点である「非戦の誓い」を根底に据えた、たゆまぬ努力が必要なのだと改めて思う。

極右体質隠しの二重構造内閣 17.8.7

 8月3日に安倍再々改造内閣が発足した。安倍としては、何もなければ極右的イデオロギーを共有するお友達内閣を心地よく続けたかったのだろうが、それがこのところの支持率急落で破綻したために、自分とは思想信条的に距離のある「うるさ型」も含めて、オール自民党的な陣容を組まざるを得なかった。発足に当たっての記者会見で、安倍は冒頭、モリ・カケ問題、自衛隊の日報隠しの3点セットを上げながら、「改めて深く反省し、国民の皆様におわび申し上げたいと思います」と8秒間、神妙に頭を下げたが、本当に態度で示せるのか、どこまで本心なのかは分からない。

 その“二重構造内閣”の性格については後述するとして、今回はこれまでのお友達内閣のイメージを払拭するために、初入閣組を少しに抑えて、かなり思い切って実力主義の人選をしたわけだが、それもこれも来年9月の総裁選挙で3選を果たすという強い意欲の現れだった。来年までの1年1ヶ月、閣外であれこれ動き出しそうな実力派を閣内に取り込み、課題を与える。それがうまくいけば安倍内閣の評価アップにつながるし、うまくいかなければその人物の評価が下がる。後継者としての力を削ぐことも出来る。閣内に取り込むことには、そういう思惑も絡んでいる。

 もう一つはよく言われることだが、安倍を始めとして高村副総裁、菅官房長官、麻生財務相、二階幹事長らの政権中枢が留任したことである。このうち、二階を除く3人は安倍と政治信条を共にする同志であり、その意味で第三次安倍内閣の中核が、極右的体質を持ち続けていることに変わりはない。口では、「政権発足時の原点に返る、謙虚に丁寧に国民の付託に応える、最優先すべきは経済の再生、改憲はスケジュールありきではない」とひたすら低姿勢だが、これは目くらまし。安保法、共謀罪など一連の国家主義的法案を強行採決して来た体質がそう簡単に変わる筈がない。

◆稲田という極右政治家の勘違い
 安倍政権中枢に共通の(極右的)体質の例は、稲田前防衛大臣に見ることが出来る。彼女は7月28日、自衛隊の日報隠し問題や都議選応援での不祥事などで、改造を待たずに辞任に追い込まれた。その日の深夜に北朝鮮からミサイルが発射された日である。その騒ぎも収まらない3日後、彼女は(防衛省を離れる)大げさな「離任式」を行って顰蹙を買った。そこで「皆さんは私の誇りです」などと演説したが、自身の反省は一切なし。彼女には何があろうと、自分の失敗を認めないという幼稚な「自己愛」があるに違いない。安倍はこういう稲田を仲間として庇い続けた。

 「サンデーモーニング」の岸井成格(解説)によると、稲田の元には「よく国益を守ってくれた」という右派からの激励が届いているのだそうだ。日報を隠し通して、駆けつけ警護という安保法制の新しい任務を行っている自衛隊を(引き上げさせることなく)現地にとどめたという見方なのだそうだ。そう聞くと、満面の笑みを浮かべて花束を貰った彼女の「異常な勘違い」も見えてくる。稲田が国会で追求されたあと、彼女に駆け寄って手を握り、ファイトのポーズを示して励ます女性議員をカメラが捉えていたが、そうした勘違い政治家(多くは安倍チルドレン)が今の自民党にはびこっている。

 彼らにとっては、極右的イデオロギーに忠実かどうかだけが判断基準であり、民主主義的な手続きや国民に対する説明責任などは視野に入らない。何を聞かれても「私にはそういう“認識”はなかったと言うことでございます」などと、能面のように繰り返す稲田の政治信条は、国民感覚から離れた宗教(もともとは生長の家)に近い。上から目線で戦後民主主義の価値観を見下す稲田のような勘違い政治家に「国民主権とは何か」を思い知らせるには、「落選運動」の対象者にでもして選挙で落とすしかないのだろうか。今回の騒動で地元(福井一区)も「恥ずかしい」と言っているようなので、福井県民の民度に期待したい。

◆極右体質隠しの二重構造
 稲田のような極右体質は、彼女を重用してきた安倍中枢にも共通する。支持率50数パーセントを維持していた最近までは、首相自ら国会で相手をやじり、自民党の高支持率を上げて野党質問者を愚弄し、「モリ・カケ」問題でも印象操作だとか、怪文書だとか、全く問題ない、などと相手を馬鹿にした答弁を続けて来た。その傲慢さが今回の支持率急落につながった。仲間うちにだけに通じる価値観でイデオロギー的政治に邁進する、別の意見には価値観が違うなどとして全く耳を貸さない。そうした首相自身の狭量な極右的体質が「人柄が信用できない」という声になって国民に嫌われたのである。

 そこで今回の改造では、(誰が知恵を付けたのか分からないが)意識的にこうした性格を隠すことに腐心した印象がある。安倍のお友達やイエスマンたちを退場させ、考え方で距離のある政治家(河野外相)や、総裁選への対抗馬と目される政治家(野田総務省)なども取り込み、「お友達内閣」などと言われたイメージを払拭した。その他に、林文科相、小野寺防衛相、茂木経済再生相、斉藤農水相などの実力派を入れて「結果で勝負する仕事師内閣」などと命名したが、これを私なりにざっくり言えば、極右的な官邸中枢と中道保守的な実力派閣僚との「二重構造内閣」と言うことになる。

◆安倍に代わり得る人材が見えて、波乱含みの二重構構造
 安倍グループは、今回の内閣改造でイメージチェンジを図って支持率を上げ、何としても来年の総裁選で3選を果たす意気込みだが、この二重構造内閣改造は、幾つかの点でかなり波乱含みになるかも知れない。一つは、実力派閣僚の登用によって、安倍一強が“張り子の虎”に変わったことが明らかになったことである。これまでの自民党は、安倍一強のもとで(批判的な意見を言えば)人事で報復されるというので、自由にものが言えない雰囲気があった。しかし、閣僚に登用された実力派の面々が自分の意見を言い始めれば、安倍一強の権威は崩れ始める。

 同時に、能力的には安倍などより高い実力派が存在感を発揮し始めると、自民党にも安倍に代わる人材はいるというメッセージになり、相対的に安倍の存在感が低下する。前のめりの改憲にブレーキをかける中道保守の閣僚が、それぞれに発言し始めれば、政権中枢の極右勢力の存在感は相対的に低下する。この二重構造の間の力学がどう変化していくか。こちらとしては、今回の改造を契機に極右勢力の力が減退して欲しいが、少なくとも今回の内閣改造は、安倍に代わり得る人材が自民党にもこれだけいるということを、国民に示した点で意味があったと思う。

◆より陰湿になって改憲をねらう極右勢力
 ただし、安心は出来ない。安倍たち極右勢力にとって今回の改造は、悲願の改憲を行うために「経済優先」を掲げた発足当初の戦術に一時的に戻ったに過ぎないわけで、再び支持率が上がってくれば、その性格を露わにしてくるだろう。「一歩後退二歩前進」である。一方の中道保守的な顔を隠れ蓑にして、中核は極右的な陰謀をめぐらせていく。メディアへの露出やメディア幹部への締め付け、利益誘導や経済優先への看板の掛け替えなどで支持率を上げる一方で、小池新党など他党への働きかけを強め、より陰湿に改憲勢力の拡大へと動き始めるだろう。

 その策の一つが早い段階(10月?)での衆院解散だという。小池新党や民進党の準備が出来ないうちに衆院を解散して、そこで何とか改憲勢力で2/3を占める。それが出来れば、来年11月に任期満了で予定される衆院選挙はなくなり、9月に予定される総裁3選へのハードルはぐっと下がる。早期に解散して勝てば、またお友達内閣に戻ることも可能だ。官邸の知恵者たちは、そんな戦術、あんな戦術を考えながら支持率回復のための人気取り政策に邁進するのではないだろうか。前にも書いたが、こうした改憲一点張りの政治がいかに不毛で、国政を停滞させるか。彼らは分かっているのだろうか。

受け皿なき政治漂流の行方 17.7.27

 疑いを否定するなら、もっと単純明快でなければならない筈だ。しかし、加計学園問題や自衛隊の日報問題を審議した衆参の閉会中審査(24日、25日)でも、安倍たちはメモなどの状況とかけ離れた虚構、「記憶にない」に頼る言い逃れに終始した。政治家や官僚たちは虚構に虚構を重ねるうちに事実を見失い、自分たちでも何が何だか分からなくなっているのではないか。国民の方も、彼らの手の込んだ論理構築と不自然さについて行けずに、何だか醜悪な茶番劇を見せられているような気になってくる。これでは彼らが意図した幕引きと、支持率回復は無理だろう。

 内閣支持率の下落傾向も止まらない。7月14日の時事通信調査では29.9%だったのが、ANNで29.2%(17日)、毎日で26%(23日)と続いて、いよいよ(危険水域と言われる)20%台が定着しそうな勢いだ。首相は公明党の山口代表と会談し、「来月早々(3日)に内閣改造を行って人心一新を図りたい」と言ったが、それは政権浮揚につながらないというのが大方の予想だ。この状態が続けば、安倍政権はこれまでの強引な政権運営の根拠にしてきた「高支持率というカード」を失って漂流していくことになる。この先、安倍政権はどこに流れて行くのだろうか。

◆来年9月の自民党総裁選までに何が起こるか
 私は単なる素人のウォッチャーに過ぎないので、予測めいたことを書くのは避けたいが、今回は自分なりに情報を整理する土俵(期限)を設けて考えてみたい。それは、安倍が3選を目論む来年9月の自民党総裁選までの1年と1ヶ月だ。それまでは、突発的な解散がない限り、大きな政治的イベントはない。ただし、来年11月には衆院選挙があるので、9月の総裁選では当然、2ヶ月後に迫る選挙に安倍で勝てるかが問題になる。そうなると、かなりの確率で3選の目はなくなり、安倍は退陣に追い込まれるだろう。問題は、それまでの1年と1ヶ月の間、支持率低迷の政権には何が起きるかである。

臨時国会に改憲案を提案できるか
 大きな政治的イベントがないと言っても、この間には安倍政権の命運を左右する政治日程が幾つかある。例えば、首相が公言している秋の臨時国会の招集である。これは、自民党がとりまとめる改憲案を提案するための国会だ。前回書いたように安倍には改憲にしがみついて政局を乗り切るしか選択肢はないのだが、この国会がどうなるか。安倍は憲法改正本部の陣容を変えて強行突破を図ろうとしているが、今のような情勢で本当に改憲案を提出できるのか。出来なければ、政権は「死に体」になる。それが秋頃にも分かってくる。

ボディーブローが続く中で何が起きるか
 臨時国会はまた、開いたら開いたで両刃の刃になりかねない。「モリ・カケ問題」が再燃し、新閣僚の失言やスキャンダルで国会が紛糾することも大いにあり得る。また、(急がなくてもいい66%と)改憲に反対する声が多い中で、これまでのように強引に進めれば、さらに支持率は下がっていく。そんな中で10月には愛媛と青森での衆院補欠選挙がある。結果次第では、政権はさらに主導力を失い、自民党内で安倍に対立する動きが強まっていく。権力者のにらみが効かなくなったら、政治家や官僚はすぐにうごめきだし、離反するのも早い。

◆安倍に代わる自民党内の受け皿が見えない
 では、来年の総裁選を待たずに「死に体」になった場合に、安倍が第1次内閣の時のように政権を投げ出すことはあるのか。またその時に政権の「受け皿」になるのは誰なのか。これを予測するのは大変に難しい。一つには、自民党内の動きである。現在の党内勢力図から言えば圧倒的に安倍一強(細田派、96人)であり、しかも、安倍派には安倍に代わる者はない。従って、安倍に健康問題が再発するか、政権が代わるには他の派閥同士が大同団結する以外にない。その動きがこれからどう展開するのか、それが読めない。

 石破や岸田(外相)などの名前も挙がるが、石破派(19人)は党内での人気がなく、支持者も少ない。岸田派(46人)も、最近所帯を大きくした麻生派(60人)との連携や合体(「大宏池会」構想)がなければ難しい。その麻生も、内心では安倍の次を狙っているというからややこしい。これは三すくみか四すくみ状態で、彼らをうまく分断してコントロールするのが安倍グループの戦術だった。しかし、これでは政治は停滞するばかりで国民にとっての不幸。この状況を打開するには、手を上げる政治家が誰でも、安倍とは違う政策や政治手法を掲げて立ち、安倍一強の呪縛から自民党を解放できるかどうかにかかっている。

◆野党ととして「倒幕」か、安倍の補完か。小池新党の行方
 それが無理なら、自民党内だけの図式で考えていてはダメということになる。ということで、今もてはやされているのは、受け皿としての小池新党である。「都民ファーストの会」から国政政党のへの展開はあるのか。仮に解散総選挙がある来年11月までには結成するとして、誰を代表や幹部に持って来るのか、と言ったところで噂が飛び交っている。この点、細川護煕元首相が毎日で言っていたことが面白かった(特集ワイド7/12)。彼は各地の首長を努める旧日本新党の同志を集めれば、野党として立てる、と言う。
 そして、野党として立つために「原発ゼロ」、「安倍改憲反対」を打ち出し、安倍との違いを示すために「戦後の価値観、戦後憲法による平和で自由な社会を守る保守中道」路線を期待する。そして、今バタバタしている民進党とも(逃げ出す議員を吸収するのではなく)、党として連携すれば「倒幕」が出来るのではないか、と言う。しかし、細川と親しい小池は容易に腹の内を明かさないのだそうだ。

 小池は元々安倍と親しい改憲派(日本会議メンバー)に属するし、彼女の公設秘書を長年勤めて、今回「都民ファーストの会」代表になった野田数(かずさ、43歳)は、「国民主権という傲慢な思想を直ちに放棄し、大日本帝国憲法に戻るべき」等というゴリゴリの右翼だ。彼女自身は「スライス(右)でもフック(左)でもなく真ん中を」などと言っているが、自民党と連携し改憲勢力の補完にでもなるようだと、最悪だ。ただし、この小池新党が民進党と連携して政権の受け皿になるときには、安倍が退陣していることにもなるわけで、この小池新党からは目が離せない。

◆民進党は「馬糞の川流れ」になるのか
 一方の野党第一党の民進党である。ご存じのように都議選大敗の総括も出来ぬまま、こちらも漂流している。このまま行けば、小池新党にすり寄って脱藩する議員が続出し、かつて金丸信が表現した「馬糞の川流れ」状態になる。原因は幾つかあるが、第一には蓮舫という代表が政治家として魅力がないことである。顔として選んだのだろうが、代表の器でないことは多くの国民が感じているところではないか。本人にその自覚がないことがまた不幸に映る。

 それに、去年「民進党へのラブレター@、A」で政策を提言したが、この一年もまた地道な政策議論をしてこなかったツケを抱え込んでいる。まあ、このまま低迷と離散が続くだろうが、細川が言うように、腹の据わった政治家だけの集団になって、(脱原発に反対の)連合などとも縁を切り、「原発ゼロ、立憲平和、分断から共生の経済」などの対立軸をしっかりと打ち立て、小池新党など野党との連携を探るべきである。そのための1年1ヶ月でもあるのだから。(アップから数時間後に蓮舫代表が辞意を表明した。民進党はこの際、ピンチをチャンスに変えて欲しい)

劣化と停滞を招いた改憲政治 17.7.17

 7月2日の都議選で自民党が惨敗した余波は、静まりそうにない。様々な分析・解説がメディアに溢れていて、これ以上付け加えることもないように思うが、それらの解説は極めて多岐にわたっているのも事実。時事通信の最新調査で30%を切った安倍内閣の支持率は、さらに低落していくのか。安倍の改憲は目論見通り運ぶのか。この先、安倍が立ち往生して政権を投げ出すことはあるのか。あるとすれば、どんな場合なのか。安倍退陣の受け皿はあるのか。自民党内での対抗勢力はどう動くのか。野党はどうなのか、政党再編はあるのか。様々な推測が飛び交い、政局はまさにカオス状態に突入した感じがする。

 しかし、日本はこうした状態にいつまでうつつを抜かしていられるのだろうか。2012年12月の発足以来、安倍政権は「戦後レジームからの脱却」と称し、「強い国を取り戻す」という国家主義的イデオロギーによる政治で国論を分断してきた。国家安全保障会議(日本版NSC)の設置(2013年)、特定秘密保護法(2013年)、集団的自衛権を可能にした安保法制(2015年)、共謀罪(2017年)。そして次の目標の改憲である。これら一連の取り組みは、言ってみれば安倍ら超保守の国家観へのこだわり(敢えて言えば美学)であり、日本が直面する具体的政治課題(後述)とは別のものだ。

 にもかかわらず、この4年半、国民は安倍のイデオロギー的政治に付き合わされ、多大なエネルギーを費やさせられて来た。本当に取り組むべき課題が先送りにされ、ますます露骨になってきたのは、(野党の意見に全く耳を貸さない)安倍一強状態にあぐらをかいた強引な政権運営と利権がらみの腐敗である。この4年半がもたらした政治の分断と劣化、そして取り返しのつかない停滞に、国民は倦み疲れている。これでは、支持率が急落するのも当然。安倍政治の問題点が、いよいよはっきりしてきた今、この支持率低下を食い止めことは難しいだろうが、それでもなお、安倍は改憲にしがみついて延命を図ろうとしている。

◆改憲にしがみついて延命を図る
 都議選惨敗後の記者会見で、安倍は「深く反省する」と言いながら、改憲については日程通りに進めるとし、自民党の改正案を秋の臨時国会に提出すべく事務方を急がせている。何はともあれ、改憲を進めることで党内の求心力を回復したいという狙いだが、もちろんこれには、政局の潮目の変化をにらんだ様々な異論が出ている。しかし、安倍としては改憲の旗印を下ろすわけに行かない事情がある。安倍が首相に返り咲いたのも、改憲をめざす自民党右派や極右勢力の意向を受けたからであり、これまで安倍はその応援団に忠実に立ち回ってきた。その安倍が改憲の旗印を下ろしたら、首相である意味を失うわけである。

 改憲は自民党の党是でもあり、これを掲げているうちは表だった反対が出にくいという読みもある。あくまでも改憲にこだわりながら異論を押さえ込み、絶対多数の党内を抑えて行けば、(低支持率でも)政局を乗り切れるという読みもあるだろう。さらに言えば、安倍にはもう一つ、改憲を持ち出すことで、再び国論を二分する政局に仕立て上げ、今問題の「モリ・カケ」不祥事から国民の目をそらす狙いもあるに違いない。つまり改憲にこだわるしか、今の安倍に選択肢はないわけで、選挙大敗の夜、フランス料理屋で幹部と申し合わせたのも、そういうことではないかと思う。

 しかし、それで突破できるほど今の情勢は甘くない。一口に改憲と言っても改憲の内容、日程で反対を唱えることは出来る。党内からは「9条2項はいじらないという安倍の案は自民党案とは違う」(石破)とか、「あらかじめ期限を切って議論するのは得策ではない」(船田)と言った批判が出始めた。与党、公明党はもっとあからさまに「改憲は今の政権の課題ではない」(山口代表)とクギを刺す。安倍がしがみつく改憲も、既に「伝家の宝刀」ではなくなりつつあるが、焦る安倍と極右応援団が次に何をやってくるにしても、それもまた、政治の不毛と停滞をもたらすことになる。

◆マクロンの政策立案能力、先送りされる日本の課題
 先日、フランスの新大統領マクロンの掲げる政策についての勉強会があった。それによれば、39歳のマクロンは大統領になる前から、膨大な政策を研究し大統領への準備を積み重ねてきたようだ。彼が昨年発表した著作「Revolution」では、16章、70項目にわたる政策が上げられているが、脱原発、再生可能エネルギーへの転換、環境政策としての農業改革、労働者の新産業への移行を促す改革、財政収支赤字をGDPの3%に抑える政策、金融の中心をパリに移行させる法制改革などなど、「ポピュリズムに陥らずに既存政党を否定し、EUとの枠組みを発展させ、自国経済の革新を模索する」という。

 マクロン大統領は、早速これらの政策を短期、中長期に整理しながら「2040年までに原発17基を廃止する、ガソリン、ディーゼル車を全廃する」とか、「労働改革」を打ち上げているが、こうしたことを聞きながら、果たして今の日本の政治家にこれだけの政策立案能力、そして実行力はあるのだろうか、と暗澹たる気持ちになった。GDPの240%に上る膨大な借金を抱える日本では、その借金を減らす目途(プライマリーバランス)も遠のく一方だし、最悪の事故を経験してもなお原発依存の政策を変えない。再生可能エネルギーにも国の熱意は感じられない。

 アベノミクスの経済政策に至っては、出口戦略が心配される中、未だに市中にカネを溢れさせる「リフレ派(黒田日銀)」に丸投げ状態を続けている。「3本の矢」に始まって、「骨太の改革」、「地方創生」、「女性活躍」、「一億総活躍」、「人づくり革命」、そして「働き方改革」などなど、次々と新しい看板を作って話題づくりはしてきたが、どれもこれも中途半端だ。安倍に対抗する石破からは「大河ドラマではないので1年ごとに出し物が変わるのはあまり良いことだとは思わない」などと皮肉られている。

 大事な政治課題の一つである日本の急激な超高齢化と人口減少についても、手が打てていない。非正規労働者が40%まで増え、若い世代の将来の安定が見えない状態が進んでいるからだ。また、科学技術立国といいながら研究費は年々減らされ、世界での大学の地位も低下する一方だ(東大で34位)。一方で、安倍政権下では防衛と名がつけばいろんなことが通る世の中になりつつある。防衛費で研究者を募る「デュアルユース」は急増しており、ゆがんだ研究のありかたも問題になっている。来たるべき巨大地震への備えも貧弱だ。海外援助や防衛費を増やし、オリンピックで巨額のカネを使いながら、何かチグハグ。マクロンならこれをどう言うだろうか。

◆そろそろ安倍政治の総括
 経済は、それで高い支持率をキープして改憲をめざす安倍政治の“手段”だったが、この4年半、そのイデオロギー的な国家主義的政策にエネルギーを費やしたツケは、やがて国民に回ってくる。安全保障政策を軽視するわけにはいかないが、日本は多少とも余裕がある今こそ、21世紀の世界を見据えた新たな国家戦略、エネルギー政策や産業の構造転換、人口減少へのダメージコントロール、そして地球温暖化対策や核兵器の禁止に向けて自己変革を果たして行くべきだと思う。そのチャンスも能力もありながら、それが出来なかった4年半の安倍政治の総括を、もうそろそろ始めてもいい頃かも知れない。

 ただしそうは言っても、これから来年9月の自民党総裁選までは大きな政治的節目がなく、その中ではまだ何があるか分からない。安倍政権が立ち往生し、政権を投げ出すようなケースはあり得るのか。その時の政権の受け皿はどうなるのか。内閣改造の行方と自民党内の動きはどうなるか、民進党など野党は生き残れるのか、小池新党はどうか。支持率急落後の政治状況について情報を整理する第2弾については、次回以降に回したい。

AI・人間が創る新たな神 17.7.3

 7月2日は、大きな話題が2つあった。一つは、何と言っても都議選で驕れる自民党が歴史的惨敗を喫した日であり、もう一つは、将棋の藤井聡太四段の連勝記録が29でストップした日である。自民大敗の影響については、これから様々なメディアで分析が行われると思うのでしばらく措くとして、今回は藤井四段も1年前から研究相手にして研鑽を積んできたAI・人工知能の方を取り上げたい。今やそれは、将棋に限らず様々な分野に導入され始めているが、果たして人類はAIと共存できるのか、である。

◆人間が理解出来ない高みに達した人工知能
 AIについては、これまでもコラム「人工知能の衝撃と人類の未来」(16.3.22)などで書いてきた。コンピュータ内に人間の脳神経系を模したニューラルネットワークを組み上げ、それにディープラーニング(機械学習)という計算方法(アルゴリズム)を導入すると、人間に一々教えて貰わなくても、自分でより有効な法則を見つけ出して独自に進化する。コンピュータなので昼夜を問わない、疲れ知らずの学習は、人間の予想を遙かに超えるスピードで進化する。その能力が最も発揮される将棋や囲碁、オセロゲームなどの分野では、既に人間はAIの敵ではなくなっている。

 例えば、この5月に世界最強の中国人囲碁棋士に完勝(3連勝)した囲碁の人工知能「アルファ碁」は、(去年の時点で)既存の10万の棋譜を覚えた上で自己対戦を3000万回も繰り返して進化した。「アルファ碁」は既に人間がとうてい及ばない高みに達しており、これを開発したディープマインド社(英、グーグル傘下)は人間との対戦から引退させると発表。今後は、さらに広い目的のための人工知能に進化させて、「病気の治療方法の発見や、消費エネルギーの劇的削減、革新的な新素材の開発など、世の中に存在する複雑な問題を解決するためのお手伝い」(同社)ができるようになればと考えているという。

 一方、先日のNHKスペ「人工知能 天使か悪魔か」(6/25)が紹介したのは、将棋界の最高峰の一人、佐藤天彦名人と日本生まれの人工知能「PONANZA」の対戦だった。結果は「PONANZA」の完勝。将棋より選択肢が桁違いに多い囲碁で人間を寄せ付けない人工知能が、将棋で名人を破るのは当然と言えるが、そのあまりの進化の早さに、人間界はまだその衝撃を十分受け止められていないようにも見える。後で将棋のプロが棋譜を研究しても、なぜそういう手を考えつくのか、理解出来ないという「ブラックボックス化」も指摘されており、人工知能の登場はプロ棋士たちにも様々な波紋を広げている。

◆完全解を持つ神のような存在
 前人未踏の対プロ29連勝を達成して話題を呼んだ藤井四段も、1年前から将棋ソフト(人工知能)の手を研究して、これまでの定石にはなかったような斬新な手を指すようになって、一段と強くなったという。人工知能には、最善手を求める目的はあるにしても、そこに特別な発想や感覚があるとも思えないが、藤井四段はその研究過程で「新しい感覚、発想をつかんだ」と不思議な感想を述べている。それは、どこか将棋の神様と向き合っているような感覚なのかも知れない。

 藤井四段が29連勝を成し遂げた日のニュース番組では、将棋ソフトとの「一致率」を両者の形勢判断に使っていた。勝った藤井四段はこの一致率が相手より高く、それをもとにした優劣の時間経過もグラフで一目瞭然に見て取れる。この日の番組ゲストは、自身も将棋初段の木村草太(憲法学者、首都大学教授)だったが、「藤井四段に負けた相手は悔しかったでしょうね」と振られて、「そうではなくて、今は対戦相手をどうこう思うより、完全解に近づけなかった自分を反省する時代になっている」と言っていた。(どのような局面においても)人工知能が既に、完全解の保持者として扱われているのが、印象的だった。 

◆人間の欲望の拡張、機能拡張としてのAI
 AIはゲームの世界だけでなく、今や株取引や、雇用者の選別、タクシー事業の効率化、病気の診断など、社会の様々な分野に使われ始めているが、それはまだほんの入り口に過ぎない。AIに社会的課題の解決策を提案させる研究も進んでいる(Nスペ)。人工知能が知らない間に社会の隅々に入っていき、その利用が本格的、日常的になった時に、世界はどう変わるのか。コンピュータの処理能力が今より遙かに進む将来、AIは手塚治虫の「火の鳥 未来編」に出てくる「ハレルヤ」のように、人間が常にお伺いを立てる神のような存在になっていくのだろうか。私たちは、人工知能というものをどう捉えたらいいのか。

 一つは人工知能をこれまで人類が手にしてきた望遠鏡や、自動車、航空機、ナビやパソコンなどと同様の“道具”の延長と見る見方があるだろう。それは便利さや快楽、効率性を求めて拡大する欲望を満たすための人間機能の拡張、あるいは人間が手に入れた道具である。そう考えれば、人間はその道具を使いこなせるか、あるいはその道具に使われてしまうのか。また、その道具を手にしたことで人間は幸福になれるのか、といった問題がつきまとう。核兵器や人工知能を備えた無人攻撃機の例を持ち出すまでもなく、これは人間の欲望を抑えると同じくらいの難問である。

◆一部に独占される脅威、支配される可能性
 もう一つの問題は、この道具が一部の人間に占有される問題である。AIのディープラーニングは、ある課題を与えられて学習しながら進化するため、課題によっては、それを持たない相手にとって深刻な脅威となり得る。軍事的に相手より優位に立つことを目的に人工知能を開発することも、あるいは、経済活動における優位を形成するために開発することも、ある国にとっては抗しがたい魅力になる。それが一部の国や人間に独占された場合に、人類はまた「格差と分断」という新たな難問を抱え込むことになる。

 複雑な要因を全て読み込んで最適な政策を見つけ出すという、人間の知能では手に余る、環境問題や国際平和などの人類共通の課題。その課題解決のための人工知能なら歓迎だが、AIが一部の人々、一部の国に独占されて影響力を行使するのは人類にとって不幸でしかない。人類の歴史を見ても、これは確率の高い懸念である。また場合によっては、人間が開発したAIによって人間が支配される可能性も考えておかなければならない。ブラックボックス化した人工知能が神のようになっていき、人間がそれに依存し支配される可能性である。AIと共存する人類の未来には、様々な難問が待ち構えている。 

◆AIと人間の融合。人間が人間でなくなる日
 さらにもう一つ、「特異点(シンギュラリティー)」の提唱者、レイ・カーツワイルは、やがて人間とAIは融合していくとみている。特異点とは、様々な科学技術が相乗効果で、ほぼ垂直に進化をしていく時だが、限りなく小さく、限りなく早くなったコンピュータ素子を人間の脳に組み込むこむことによって、新たな知性が誕生し、文明を担う時代がやって来ると予想する。その特異点は案外近く、今世紀半ばにもやって来るという。既に、半導体素子を脳神経につなぐ研究も始まっているが、こうなると、それは人間なのかという疑問まで起きてくる。

 まだ入り口に差し掛かったばかりの人工知能の研究と応用だが、それは人類にとって、これまでの単なる道具とは違って、自ら神の領域にまで進化する道具であり、その未来への衝撃は計り知れない。人工知能は人類の未来にどのような影響を与えるのか。人類はこの人工知能とどう付き合って行くべきなのか。今のところ、その衝撃の大きさが予測不能なだけに、私たちは安閑としているが、ただ便利とか効率的とかいうことだけでなく、それこそ「あらゆる想像力」を持ってその影響を、節目節目で注目していく必要があるだろう。

菅を追い詰めた女性記者 17.6.21

 森友学園、加計学園に関する安倍自身のスキャンダル、そして共謀罪の強行突破などを受けた内閣支持率調査で、安倍政権は軒並み10%近い大幅下落を記録した。不支持率が支持率を超え、支持率が4割を切る調査もでている。当然と言えば当然だが、官邸は大慌てで安倍の記者会見を設定して「反省と低姿勢」をアピール。しかし、自身のスキャンダルや共謀罪の曖昧さに関しては、これから先も説明責任を果たして行くつもりはないのだから、そんな付け焼き刃的なポーズで切り抜けられるような問題でないことは、大方の国民に見抜かれている。

 官邸の一縷(る)の望みは、国会が閉じて反撃の策謀をめぐらす時間的余裕が出来たこと。まずは例によってメディアのトップに圧力をかけ、やり込められた特定の番組、特定の記者をじわじわと締め上げる。さらに内部告発に走った文科省を粛正して、官僚にそのツケの大きさを思い知らせる。これから猛烈な巻き返しが始まるだろうが、それで支持率が回復するかどうかは未知数だ。いったん潮目が変わった政局を取り戻すのは容易でなく、しかも反撃の司令塔である菅官房長官がすでに“手負いの獅子”状態になっているからだ。鉄壁と言われた菅に何が起きたのか、そのきっかけについて書いてみたい。

◆菅という政治家。その鉄壁の守り
 ご存じのように、安倍政権で危機管理の司令塔役を果たしてきたのは、菅官房長官だ。2012年9月、安倍を口説いて総裁選挙に出馬させた菅は、安倍政権の生みの親を自認している。このキーマンの菅がいなかったら、いくら安倍一強政権と言っても、こんなに長続きはしなかっただろう。このことは、他の軽くて失言ばかりしている安倍の取り巻きたちを見れば容易に想像できる。菅は人事で官僚を押さえ込み、閣僚の不祥事には冷徹に手を打ち、一日2回の記者会見も余計なことは一切言わずにそつなくこなしてきた。

 菅とはどういう政治家なのか。ひと頃そのあまりの鉄壁さに関心を持ち、彼のHPのプロフィールを熟読してみた。集団就職で上京した苦労人で義理人情に厚く、選挙に強い(当選7回)。但し、都知事になった小池のように、一度関係が悪くなった相手は絶対許さない怖さも併せ持つ。気に障る質問を受けても表情を変えずに時に笑顔さえ浮かべて応答するが、目は少しも笑っていない。しかし、そんな「鉄壁ガースー」(ネット上でのあだ名)も、今回ばかりはボロボロになっている。新聞では“菅話法”の実体や欠陥(後述)まで分析され、化けの皮が剥がされつつある。

◆秀逸だった記者の追求
 その鉄壁の守りが崩れたきっかけの一つが、6月8日の午前と午後の2回、行われた記者会見だった。この日は加計学園の認可について「官邸の最高レベルが言っている」とメモした文科省の文書について、計34回も質問があったという。その様子を伝える映像は、今もネット上で見られるが、私はやりとりの主要部分を同じ日の「報道ステーション」で見た。そして、冒頭からの菅と女性記者(東京新聞の望月衣塑子)とのやりとりに引き込まれた。

 望月記者は、文科省の複数の現役官僚が命がけで内部告発していることを指摘しながら、文書の公開や第三者による再調査を菅に迫る。これに対し、菅は「様々な指摘を踏まえて文科省で検討した結果、出所や入手経路が明らかにされない文書については、その存否や内容確認の調査を行う必要がないと判断した」と書かれたメモを繰り返し読み上げるばかりで、質問にまともに答えず、再調査を拒否。これに望月記者が、手を変え品を変えて食い下がる。「同趣旨の質問はやめて頂きたい」という係官の声にも、「きちんとした回答を頂いていないから繰り返し聞いています」と動じない。見上げた記者魂だった。

◆たっぷり伝えた「報道ステーション」。伝えないNHK
 この記者会見の様子を、私はその日の「報道ステーション」で見た。その日、「同じニュースばかりだから」と渋るカミさんに、私は「NHKのニュースでは、世の中で何が起きているか分からない」と言ってチャンネルを合わせた。番組は、冒頭からたっぷりとこの記者会見の様子をやり、引き続き、説明が二転三転している共謀罪のポイントを過去の答弁と比べる形で伝えた。
 この日のNHK「ニュースウォッチ9」では、(もちろん編集方針の違いもあるのだろうが)この記者会見は一切なく、共謀罪も通り一遍の内容。2つを見比べて、(こと政治報道に関しては)「NHKのニュースでは分からない」という悪い冗談が本当であることを2人で実感することになった。その一方で、この日の「報道ステーション」は相当な衝撃を政権に与える内容だとも感じた。

 後ほど知った情報では、この会見直後、菅は総理官邸に飛び込み首相らを交えて対応を協議したという。多分、「このままでは持たない」と言ったのだろう。翌日に発表された結論は、文科省による“追加調査”だった。それも首相が「速やかに徹底した調査を指示した」という茶番。この記者会見で、望月記者は一人で23回も質問したが、官邸記者クラブの慣習を知らない社会部記者だから出来たとも言われている。彼女の恐れを知らない追求によって、再調査の徹底拒否という方針が覆った瞬間だった。

◆「鉄壁ガースー」が決壊した
 こうした一連の動きは、今や「鉄壁ガースー」の豪腕が(一部)崩壊したことを物語る。毎日は、「そのような指摘は当たらない」、「全く問題ない」と突っぱねる「菅話法」を特集(6/15)。その特徴は、「コミュニケーションの遮断」だという(映画監督、想田和弘)。一応は指摘を受ける形を取りながらも、全否定。まともにコミュニケーションする気がないことを示している。上から目線の否定を連発し、事前に決めた意味不明の官僚的答弁を恥ずかしげもなく繰り返す。安倍一強のもと、豪腕で築き上げて来たメディアと官僚の支配体制。それを過信した「菅話法」の化けの皮が剥がれ出している。

 「鉄壁ガースー」が崩壊した、もう一つの原因はやはり、今回の案件(森友、加計学園問題)があまりに筋が悪かったからだろう。今回ばかりは、安倍と取り巻きたちが引き起こした不祥事に、心の中で「やってられない」という怒りが渦巻いていたに違いない。それでつい感情的になり、強引に反撃に出て墓穴を掘った。文科省から出た文書について「出所のはっきりしない怪文書」と決めつけ、さらには、前川前事務次官の証言には、感情を露わにしてすぐウソと分かる稚拙な個人攻撃(月刊文春7月号の前川手記によって暴露されている)まで行って余裕のなさを露呈した。こうした構図が望月記者とのやりとりで、よりはっきりした。

◆メディアが覚悟を固めるとき
 しかし一方で、文書の追加調査は巧妙に仕組まれたアリバイ作りでもあった。ご存じのように、それは加計学園問題をひとまず先送りして、「共謀罪」を参院の本会議で強行採決する状況作りに利用された。だが、参院法務委員会での議論を中間報告という形ですっ飛ばすという禁じ手についても、また姑息でいい加減な追加調査についても、国民は支持率急落という答えで反発した。残念ながら国会は開いていないが、これで菅の鉄壁神話が崩れ、安倍一強にあぐらをかいた国会軽視のデタラメさにも少しはNOが突きつけられたわけである。

 冒頭に書いたように、安倍政権はこれから必死に巻き返しを図るだろう。警察官僚を使った望月記者の身元調査の指示や、文科省の告発者の調査など、執拗で陰湿な嫌がらせも始まるだろう。メディアへの締め付けも厳しくなる。しかし、今や政局の潮目は少しずつ変わりつつある。その一つのきっかけを作ったのが、あの望月記者の執拗な質問であり、メディアが本来の機能を働かせる時の一つの可能性を彼女は示した。他のメディアもまた、国民の側に立って権力の腐敗を監視し、国民の知る権利に応えて行くという覚悟を、今一度固める時だと思う。

安倍政権・虚妄の極右主義 17.6.12
 6月6日、安倍内閣は、学校法人「加計学園」の獣医学部新設計画をめぐり、内閣府の担当者が文部科学省に「官邸の最高レベルが言っている」などと発言した事実について、「確認できない」と“閣議決定”した。「あったものをなかったとは言えない」という前事務次官の証言だけでなく、現役の職員までも存在を認めている文書を、官邸は懲りもせずに「確認できない、確認するつもりもない」と言い張り続けて来た。「森友学園問題」に続いて、より大きな「加計学園問題」でも、不可解な答弁を連発して黒を白と強弁する。もうかれこれ5ヶ月になるが、この政権からは既に“異臭(腐臭)”が立ち始めている。

 結論ありきの不作為、意味不明の繰り返し、文書の意図的廃棄、傲慢な怪文書扱い、御用メディアを使った卑劣な個人攻撃、論点のすり替え、開き直りと恫喝。国民を置き去りにして行われている、こうした永田町での全やりとりを、どこかの行政学者が系統的に整理し、詳細に分析してくれないかと思う。そこから導き出される今の安倍政権の異常さは、彼らが明らかに何か得体の知れないものに変質したことを示している筈だ。アメリカのトランプと同じで、毎日見続けさせられると鈍感になってしまうが、そんな異臭を放ちながら、彼らは一体どこに向かおうとしているのか。

◆現代に於いて「極右主義」とは何か
 その中核が明らかに極右で構成される安倍内閣、官邸、そしてその思想的母体や支持層は、どういう価値観で動いているのか。本来の保守からも大きくそれた極右政治の本質とは何なのか。極右とは、いわゆる極端な国家主義、国粋主義、民族主義、排外主義、歴史修正主義などを包括する呼称だが、それらは多くの場合、戦前の大日本帝国の性格を表すものである。それを仮に「極右主義」と名付けて、敗戦から戦後民主主義の歴史の中で考えた場合、それはどのような特徴や性格を持っているのだろうか。 
 
 こうした疑問は、4年半前に発足した安倍第二次政権を見続ける中で、否応なく膨らんで来たものである。国家安全保障会議(日本版NSC)の設置(2013年)⇒特定秘密保護法(2013年)⇒防衛産業を育てる防衛装備移転三原則(2014年)⇒集団的自衛権の法制化(平和安全法制、2015年)⇒共謀罪(2017年)、さらには年内にも自民原案が出される憲法改定へ。安倍政権は、内閣が幾つあっても足りないと言われるほどの問題の多い法案を、国際情勢の変化や安全保障を口実に、強行採決を繰り返しながら押し通してきた。

 これほどまでに彼らを突き動かしているのは何なのか。菅官房長官は、「(法案成立の時にいろいろ言われたが)2年経って何も変わらないではないか」などと、とぼけたことを言っているが、一連の法案はボディーブローのように、日本の「国のかたち」を変えていくだろう。既に、国会に出す資料は黒塗りになり、人事を握られた官僚は政府のロボットのようになっている。極右政治が大手を振って支配し始めた現状を見るにつけ、その正体を突き止めたい気持ちに駆られるのは(政治に素人の)私だけではない筈だ。今回はその手始めに、そうした「極右主義」の特徴を3つほどに絞って書いて見たい。

◆戦後民主主義の現実から遊離した“虚妄”
 一つは、安倍が言うところの「戦後レジームからの脱却」である。もちろん、それによって彼らが主張するのは、国際的に日本の戦争犯罪を裁いた「東京裁判」の否定、あるいはGHQに押しつけられた日本国憲法の否定などである。しかし、脱却した後に何を目指すのかは、イマイチ明確でない。「美しい瑞穂の国」(安倍)などと言われてもピンとこない。むしろ、「日本会議の研究」等を読むと、彼らの心情の奥にあるのは、教育勅語の肯定や明治憲法の復活に見られるような、「天皇を中心とした神の国」や「強い国家」への憧れといったものではないかと思う。

 しかし、「極右主義」が心情的な拠り所とする戦前の天皇制は、歴史的に見れば、明治憲法制定の時(1890年)に、伊藤博文が苦肉の策として導入したものだ。西欧の近代憲法のベースにあったキリスト教のような、国家の基軸となる宗教がない日本で、それに代わるものとして「万世一系の天皇」を取り入れたことに始まる(「日本の近代化とは何であったか」)。その上で、人為的にその神格化を図り(教育勅語はその一つ)、さらに山縣有朋などによって国家統治や戦争への動員のために極端に神格化していったものである。 

 従って、それは敗戦までのたかだか50年にも満たない人工物(虚構)なのである。天皇の神格化は、江戸時代の国学や尊皇思想の影響もあったろうが、それ以前の天皇家の歴史とは異質のものだった。その虚構を都合良く利用して、破滅的な戦争に突入した軍国主義への反省にたって、戦後の日本は、むしろ天皇古来のあり方に近い「象徴天皇制」に戻ったわけである。その虚構性を突き詰めずに、「天皇を中心とした神の国」を再び目指そうとするのは、それこそ戦後民主主義の現実から遊離した“虚妄”と言うべきだろう。

◆左翼に対する警戒心から、戦後民主主義まで否定する
 それでも、彼らが「戦後レジームからの脱却」にこだわるもう一つの理由は、極右主義が戦前から一貫して抱いてきた社会主義や共産主義に対する警戒心や恐怖なのではないかと思う。社会主義や共産主義は、神格天皇制(国体)を認めないからだ。そう考えれば、安倍政権が(戦前の)治安維持法につながると指摘される「共謀罪」に、これほどまでにこだわる理由が分からないでもない。最近、あの金田法相は治安維持法を肯定する発言までしている(6/2)。日本の極右主義は、もう長らくこうした社会主義・共産主義への警戒心と恐怖にとらわれ続けて来たと言える。

 しかし、今や日本の国内でかつての社会主義や共産主義の革命が起こる確率はゼロだろう。隣の中国が共産主義国と言っても、一頃のような「革命の輸出」などは消え失せているし、北朝鮮はそれとは無縁のカルト国家だ。その意味で、日本に於いては社会主義や共産主義の革命は既に虚妄だが、極右主義が抱いているそれらへの警戒や反発もまた、虚妄になっている。にもかかわらず、その虚妄から抜けきれずに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と、戦後の民主主義的制度やリベラルな考え方にまで、反感と反発を引きずっているのが、日本の極右主義の第二の特徴だと思う。

◆極右主義が排外主義に行き着く危うさ
 極右主義が警戒する考え方は、思想信条の自由や個人の尊厳、女性天皇制、夫婦別姓や性的マイノリティーの権利など、様々なテーマに及ぶ。そうした自由でリベラルな層(場合によっては本来の保守層)までが、彼らからすれば左翼的に見えてしまうのだろう。しかも、自分たちが目指す理念が明確でない(虚妄である)ために、反発は多分に感情的・排他的なものにならざるを得ない。そこに、始めから考えの違う人々を排除し、会話を拒否する独断と傲慢の政治が生まれる。今の安倍政権やその(若者世代も含めた)支持者たちが陥る「排他的な落とし穴」だ。これが第三の特徴である。

 その「排他的な性向」は、しばしば国内だけではなく外国(特に中国と韓国)にも向かう。「戦後レジームからの脱却」を唱える人々は、「あの戦争において、日本はアメリカには負けたが、アジア(中国や朝鮮)には負けたのではない」と考える。「アジアに対しては(終戦と言い替えて)敗戦の現実を否認し(従って、素直に謝れない)、自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な臣従を続ける」(白井聡「永続敗戦論」)というわけだ。極右主義の人たちが相変わらず嫌韓、嫌中国に凝り固まっているのは、そういうことである。

 国家としての自尊心が大事というのは分かるが、世界に誇れる日本(文化)の素晴らしさは他に沢山ある筈だ。(今の若い安倍支持層も含めて極右主義が陥りやすい)虚妄の排外主義は、常に相手の余計な反撃を呼び込む危うさも併せ持つ。排外主義はポピュリズムの別名でもあり、それを煽る政治勢力(極右)と深く結びついている。こうした極右主義の危うさについて、『「大日本帝国の虚妄」に賭けるよりも、「戦後民主主義の実在」に立脚する方を選びたい』とは、社会学者、小熊英二のコメント(朝日、論壇時評5/25)だが、私も同感だ。
安倍改憲案の危険な仕掛け 17.5.28

 5月3日、安倍“自民党総裁”は、自主憲法制定を目指す「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の大会に向けてビデオメッセージを送った。この会は、安倍の思想的母体の右翼団体「日本会議」が改憲のために作った組織である。その中で、安倍は東京五輪の2020年を目指して改憲・施行することを提唱した。
 その内容は、「自衛隊が違憲かも知れない、などの議論が生まれる余地をなくすために」、憲法の「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」ということ、および高等教育の無償化だった。特に、自衛隊の明記に限定した改憲案は、(国防軍の創設をうたった)従来の自民党案からは唐突な転換であり、各方面に様々な波紋を呼び起こしている。

 しかし、これをきっかけに安倍は一気に自衛隊明記の改憲論議を進めようと動きだし、自民党は早くも年内にも草案をとりまとめるという動きになっている。改憲勢力が2/3を占める現状では、原案の国会提出(衆院100人、参院50人の賛同)⇒憲法審査会(衆・参それぞれで過半数の賛成)⇒憲法改正発議(衆・参のそれぞれ2/3以上の賛成で可決)⇒国民投票という手順も現実味を帯びている。新聞解説では、2020年施行に向けて、最短で来年1月に発議、12月の衆院選挙と同時に国民投票という日程まで取り沙汰されている。

 安倍はこうした“改憲政局”を意図的に作り出して、来年の自民党総裁選挙や国政選挙を乗り切ろうとしている。しかし一方で、「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という提案は、一見穏当で国民にも受け入れやすいように見えるが、良く吟味すれば驚くべき危険な仕掛けが幾つも隠されていることが分かる。今回は、その油断ならない仕掛けを整理して書いてみたい。 

◆「くせ球」で、野党分断と改憲の政局化を狙う
 まずはご存じのように、安倍改憲案が政党対策に基づいた巧妙な戦術になっていることである。憲法本文をいじらずに必要な項目だけを付け加える、「加憲」の体裁を取ることによって、加憲が持論の公明を抱き込み、さらに教育の無償化を主張している「日本維新の会」を取り込む。そして、改憲論者がいる民進党を揺さぶって党内論議を無力化し、加えて民進党と共産党などとの野党共闘にくさびを打ち込む。この巧妙な「くせ球」を投げ込むことで、安保法制の時のような護憲派の共同戦線を作らせないという作戦だ。

 これは、新聞などで既におなじみの解説だが、加えてもう一つ。こうした「くせ球」で国会や国論を紛糾させながら、その他の案件(自身の不祥事や閣僚の不祥事)から長期にわたって国民の目をそらさせて行く作戦でもある。これを一部のメディアは「改憲の政局化」と呼ぶ。くせ球による野党分断と改憲の政局化。平和憲法(9条)の本質論は大いに議論していいと思うが、本来、熟議によって国家百年の大計をめざす憲法審議の場にくせ球を投げ込み、国政を手玉に取るような策を弄するのが、安倍の安倍たる所以であり、一強政権の奢りとも言える。

◆9条1、2項に手を付けずに、その実質的な空文化(否定)を狙う
 第2の仕掛けは、その案文の企みにある。ご存じのように、戦争の放棄をうたった9条の2項は、「陸海空その他の戦力を保持せず、国の交戦権も認めない」というもの。この憲法下で自衛隊については、従来「わが国を防衛するための必要最小限度の実力組織」という“解釈”でやって来た。それを明記するというだけなら、今さら必要がないわけだが、狙いはもっと別なところにあるらしい。いま囁かれている案は、「前条の規定にかかわらず、自衛隊を設置する」や「前条の規定は、自衛隊の設置を妨げない」などというものだそうだ。

 しかし、「規定にもかかわらず」とか、「妨げない」というのは、一見、2項を尊重するかのように見えて、実際はその縛りを解き、前項の否定(空文化)につながって行く。しかも、敢えて自衛隊の存在を明記するとなると、どうしてもその役割まで規定しなければならなくなる。そこで安倍改憲案が狙っているのは、自衛力に安保法制の「集団的自衛権」を明白に含めることであり、その適用を可能にする“実力として自衛隊”を明記することである。(現状でも違憲とする学者が大半を占める)安保法制については、実際にこれを運用して犠牲者が出れば、当然、違憲訴訟が引き起こされることになる。安倍の自衛隊明記案はこれを未然に防いでおこうという、本末転倒の狙いが込められているに違いない。

 あるいは、さらに役割を広げて「国際法に基づく自衛のための実力」と明記する案もある。こうなると自衛隊も普通の軍隊と何ら変わらなくなり、戦争は常に「自衛のために」引き起こされてきた歴史を見れば分かるとおり、これは海外での武力展開を可能すると同時に、長年、日本の平和主義を担保してきた「平和憲法」の否定にもつながっていく。つまり、安倍改憲案が狙っているのは平和憲法にとらわれない「戦争が出来る普通の国」をつくるという、右傾化路線に沿ったものと言うことも分かってくる。

◆ “戦略的加憲”と名付けた2段構えの仕掛け
 3つめの仕掛け。実は、9条2項の空文化を狙う安倍改憲案は、安倍のオリジナルではなく、のブレーンであり、思想的盟友ともいうべき人物が提案したものである。その人物とは、「“日本会議の研究”を読む」(2016.6.25)でも詳しく取り上げたが、右翼団体「日本会議」の常任理事であり、「日本政策研究センター」代表でもある伊藤哲夫。彼の論文では、「自衛隊を明記した第3項を加えて2項を空文化させるべき」(機関誌去年11月号)と明言し、それを「戦略的加憲」と名付けている。思想的盟友の安倍もそれ(2項の空文化)を狙っているに違いない。 

 伊藤の「戦略的加憲」論によれば、(不本意ながら)まずは加憲で「普通の国家」を目指した後に、いつの日か「真の日本」を目指す、とする二段構えになる。そうした思いは、5月3日の安倍のビデオメッセージで、はしなくも現れている。その中では、自衛隊の明記や高等教育の無償化を上げた後、「(改憲については)これらの議論の他にも、この国の未来を見据えて議論していく課題は多々あるでしょう」などと述べている。自衛隊の明記は「真の日本」をめざす、いわばお試し改憲であり、本丸攻略のための最初の仕掛けなのである。

◆「国のかたち」を壊す極右政権にだまされないために
 安倍たちが目指している「真の日本」とは何なのか。以前のコラムでも書いたように、それは、天皇を元首とする戦前の国柄の復活である。神である天皇を中心として国威を四方に示す戦前の日本こそ理想の国柄であり、明治憲法(大日本帝国憲法)の精神を復活させると同時に、思想信条の自由や個人の権利、平和主義などに基づく戦後民主主義を否定する。それが、(安倍の取り巻きたちが信奉する)生長の家の教祖、谷口雅春の教えたところでもある。
 
 しかし、敗戦後も「本当の“神洲日本国”は敗れたのではない」などと主張した谷口のように、そこに未曾有の悲劇をもたらした戦争に対する反省は見られない。極右勢力で占められる現在の自民党政権の本質は、こうした思想的支持母体の理念を見ると次第に明らかになってくる。口では平和主義を唱え、個人の自由を尊重すると言いながら、真意は、戦争の反省によって築き上げてきた戦後の平和国家としての「国のかたち」を否定し、変えることにある。それが彼らの目指すところ。その右傾化志向は、安倍一強状態になってますます露骨になってきている。

 改憲に向けて、いよいよ右翼的性格を露わにし始めた安倍政権だが、今回の改憲案に仕掛けられた企みが露わになれば、多くの国民はそう簡単に「自衛隊の明記」にだまされないのではないかとも思う。しかし、心配は今のような状況では果たして国民は、その企みの全貌を知らされるかどうかだ。権力の腐敗も改憲も。この先、野党もメディアも、その両面で力を試されることになるだろう。

安倍官邸、内閣支持率の正体 17.5.18

 テレビ制作関係者の間には、(「色白は七難隠す」をもじって)「視聴率は七難隠す」という言い方がある。取材が甘く、内容に難があっても視聴率さえ良ければディレクターもプロデューサーも表だった批判は受けないで済む。視聴率が命の民放などは、番組の質は二の次で、数字さえ良ければプロデューサーは廊下の真ん中を肩で風を切って歩ける。これはテレビの劣化を示す言い方でもあるが、似たようなことが政治の世界でも起きている。

 閣僚の失言や不祥事が相次いで、大臣や政務次官の首がコロコロすげ替わる事態が起きても、或いは首相や夫人の大スキャンダルが吹き出しても、内閣支持率さえ高ければ開き直れる。「支持率は七難隠す」である。一頃の安倍政権は支持率がちょっとでも落ちてくると大慌てだったが、最近は支持率が高止まりの状況に、(以下に書くように)やりたい放題になっている。政治の劣化が支持率低下に結びつかない(乖離している)この現象は、最近の安倍政権に顕著な傾向だが、なぜこうしたことが可能なのだろうか。官邸に何が起きているのだろうか。

◆最近の高支持率と安倍の開き直り
 4月12日、民進党の柚木道義衆院議員が森友学園事件に関し、NHKの世論調査から、「これまでの説明に納得できないが78%、安倍昭恵などを証人喚問に呼ぶべきが42%」という数字を引用しながら証人喚問を迫った質問に対し、安倍は「同じ調査で内閣支持率は53%ある、自民党の支持率、あるいは民進党の支持率はご承知の通りだ」と民進党を揶揄しつつ質問を無視した。こうした国会答弁は、まさに内閣支持率の高さにあぐらをかいた傲慢さである。

 また、5月3日に憲法改正推進派の会合にビデオで「2020年に新しい憲法を施行したい」と述べた事に対し、国会で発言の真意を質問された安倍は、「自民党総裁としての考え方は、読売新聞に相当詳しく書いてあるから、是非熟読して欲しい」などと答弁を拒否。これは国会軽視という以上に、主権者である国民を愚弄した驚くべき発言だが、安倍は批判にもどこ吹く風である。自民党総裁の発言と言いながら、読売には「首相インタビュー」と大見出しになっており、首相の権限を越えて、こうした「改憲のくせ球」を与野党に投げ込む強引さも、高支持率のなせる技なのだろう。

 さらに、政権運営の強引さが目立つのは、最近の閣議決定の乱発である。閣議決定とは、全閣僚の合意が必要な内閣の最高意志決定の手続き。これでやっていることと言えば、「安倍昭恵は私人である」、「森友学園への国有地払い下げで政治家からの不当な働きかけはなかった」、「教育勅語の教材使用は否定しない」、あるいは共謀罪の答弁に安倍が用いた「そもそも」という言葉について「基本的にと言う意味もある」など。閣議決定が安倍の尻ぬぐいに安易に使われているさまは、安倍一強の力の誇示としか思えない。

◆安倍政権の高支持率の源泉
 批判への開き直り、野党に対する揶揄、問題のすり替え、脅威の誇張、閣僚の暴言、政権運営の強引さ。これらを許している一つが、高止まりの内閣支持率というわけだが、その源泉はどこにあるのだろうか。もちろん野党がふがいないのが最大の要因だが、これも含めて私が見るところを以下に整理してみる。

アベノミクスの看板を塗り変えながら、経済の安倍をアピール
 もう、かなりメッキが剥がれてしまったが、最初のうちはこれを表看板にして支持率を稼いできた。金余り現象を作って、株価を支えるのにあらゆる手を使い、それが色あせてくると、地方創生、一億総活躍、女性活躍、働き方改革などと次々に看板を塗り替え、相変わらず「経済の安倍」で支持率を引きつける。
A隣国の脅威をテコに、防衛と外交で強い安倍をアピール
 中国の海洋進出や、北朝鮮の核とミサイル。これらは、ある意味、国内問題から外に関心を向けさせる働きもしている。同時に、こうした国際的緊張に立ち向かう外交をアピールし、敢えて脅威を強調しながら強い首相の姿を国民の前に演出する。(ロシアのプーチンなども同じだが)これが支持率に結びつくという計算だ。
B問題から目をそらせる多彩な陽動作戦
 共謀罪の審議中に改憲論議をぶつけて関心をそらす。また、閣僚の失言や不祥事が発生するとすかさず処理して、他に関心が移るように動く。例えば、今村復興相が辞任するとすかさず、東北の被災地を訪問してメディアに取材させる。あるいは森友学園問題の最中に昭恵も参加して首相主催の「桜を見る会」を開いて1万6千人を招待して話題作りをする。徹底した危機管理と、広告会社や親しいメディアを使った周到な広報戦略で問題から国民の目をそらせる。そのための話題作りにも随分とカネを使っているという。
C分断策で野党の頼りなさを印象づける
 安倍官邸は様々な手を使って野党分断を図っている。改憲については(別途きちんと書くつもりだが)、憲法9条の1、2項をいじらずに自衛隊の明記だけを追加する案を呼びかける。党内をまとめきれない民進党の内部事情を睨んだ“くせ球”を投げて揺さぶる。それで野党の頼りなさを国民に印象づける作戦だ

◆何のための高支持率維持か。安倍官邸の権力の正体
 こうした一連の政策によって支持率をキープし、可能な限り批判をかわすべく危機管理を行っているのが首相官邸の「チーム安倍」と呼ばれる面々『安倍官邸「権力」の正体』(大下英治)は、毎日の読書欄で「政権支持率維持システムを知る」と紹介された本だが、これによれば、彼らは安倍に絶対的忠誠を尽くす「政権維持マシーン」とも言うべき存在だ。菅義偉(官房長官)、荻生田光一(官房副長官)、杉田和博(同)、今井尚哉(首相秘書官)、世耕弘成(経済産業省、前官房副長官)、加藤勝信(一億総活躍担当相、前内閣人事局長)などで、彼らが政権中枢を動かしている。

 この本は、基本的に安倍を礼賛するヨイショ本だが、彼らの多くは、短命に終わった安倍一次内閣のメンバーであり、その時の強烈な後悔の念を踏まえて、チーム一丸となって安倍を支えるべく日夜努力している。それは、滅私奉公と言ってもいいような忠勤ぶりだが、著者の大下によれば、安倍には彼らを「この人のためならば」と奮い立たせる「人望」があるのだという。とても理解不能だが、その一念で彼らは、強権的な人事で官僚を思いのままに支配し、あらゆる手立てを駆使して、危機の芽を摘み取り、安倍の長期政権のためのイメージ作りに邁進してきた。

 但し、そうまでして安倍を支える彼らの究極のねらいが何かと言えば、彼らの多くが改憲を目指す右翼の「日本会議」メンバーであることで分かるように、改憲なのである。その悲願達成のためにこそ、安倍をもり立てて支持率をキープし、改憲案を国民投票にまで持って行こうとしている。しかし、劣化が目立つ閣僚たちに比べて、官邸チームは鉄壁なのだが、盤石に見える安倍政権も、今や幾ら彼らが優秀でも乗り切れるかどうか分からない、難問や不祥事が続いている。テレビの視聴率と同じく、政治の内実と支持率の乖離も目立ってきている。受け皿がないのが問題だが、安倍一強ゆえの腐敗と弊害も進んでいるので、崩れだしたら案外早いかもしれない。

◆改憲のために置き去りにされている日本の課題
 さて、こうした状況の中で何より問題は、特定秘密保護法から安保法制、共謀罪、そして改憲へと強引に国家主義的性格を強める安倍政権によって、足元の、一刻の猶予も許されない「日本の課題」が置き去りにされていることである。少子高齢化、人口減少による自治体消滅、膨大な財政赤字、地震災害対策、温暖化対策やエネルギー政策の転換などなど。日本を変えて未来を切り開く可能性のあるテーマがどんどん先送りになっている。安倍政権が置き去りにしているこれらの問題こそ、次世代への責任として、野党が腰を据えて検討し、国民に提言して行くべきではないか。そこに野党浮上のチャンスもあるのだと思う。政権批判も大事だが、一方で、取り組むべき課題を見失わないことである。

怪物・北朝鮮と日本の立場 17.5.7

 前回、北朝鮮問題を取り上げながら、その核心について少し触れてみた。しかし、当事国同士が手探り状態で(売り言葉に買い言葉の)応酬をエスカレートさせ、互いに先の見えないチキンレースを続けている東アジア情勢に関しては、そのあまりの急展開に、当事国も、それを伝えるメディアも、あるいは、戦争に巻き込まれかねない国民の方も、まだ十分状況を把握できていないのではないかと思う。事態が流動的な中でコラムを書くのは気が引けるが、とりあえず「状況のおさらい」をしながら、この問題のポイントを探ってみたい。

◆北の戦力。怪物に急成長した北朝鮮
 最初に北朝鮮の実力をおさえておきたい。北朝鮮が、オバマ大統領時代の「戦略的忍耐」政策の間に、核兵器をため込み、また運搬手段である中長距離のミサイルを進化させてきたのは、残念ながら事実である。核弾頭の数で言えば、諸説あるが現状で20発程度、2020年までには最多で100発の核弾頭を持つという予測もある(米ジョンズ・ホプキンス大の米韓研究所)。また、最大射程1300キロのノドンから最大4000キロのムスダンまで、各種の弾道ミサイルを1000発も持ち、それぞれ日本や韓国、グアム島に向けている。
 また、発射地点を特定しにくい潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)も実験済みで、アメリカ本土にまで届く大陸間弾道弾(ICBM、射程1万キロ以上)の開発も軍事パレードに姿を見せているように時間の問題と言われる。

 貧しい国民への圧政を敷く一方で、核とミサイルの開発に集中する北朝鮮。その戦略は幾つかの明確な理由から導き出されたものだった。第一には、対アメリカ防衛。(冷戦時代の思考から抜けきれないのだろうが)社会主義国を解放しようとするアメリカから自分たちを守るための「核こそが自国を守る生命線」と言う認識である。第二には、金日成から続く金王朝を国民の抵抗から守るため。軍事強国を目指すことによって国民の熱狂をかき立てて独裁を維持し、抵抗を封じ込める。
 さらに第三には、厄介なことに彼らはいつの日か、北主導による朝鮮民族の統一国家を目指しているから。そのための核とミサイルなのである。非現実的な野望ではあるが、核とミサイルに特化した戦略は貧しい国家にとって、経済的には現実的だったと言える。「誰がモンスターを育てたのか」という責任論(*)もあるが、世界(特に米中)が油断しているこの10年程の間に、北朝鮮はあっという間に国際社会が手を焼く怪物に成長してしまった

◆アメリカの虎の尾を踏んだ北朝鮮
 しかし、その北朝鮮の戦略も、(身の程をわきまえずに)さらに核とミサイルを高度化しようとした時に、狂いが生じたと言っていい。単にアメリカに対する防衛のためだけなら、戦術的にはアメリカの同盟国の韓国や日本を射程に入れて人質にしているだけで良かったのに、彼らは、本気でアメリカに対抗しようとした。アメリカ本土にまで届くICBMを持とうと考え、アメリカの虎の尾を踏んでしまった。そのくらい、金正恩体制は自分たちを客観視出来なくなっているのだろう。そして折しも「アメリカ第一主義」を掲げる予測不能のトランプの登場である。これが、今回の緊張劇の始まりとなったわけである。 

 その北朝鮮に対し、アメリカは今、あらゆる手段を使って圧力をかけようとしており、その中には(前回も書いたが)先制攻撃ではなく、敵の暴発を誘う挑発戦略まで含まれているに違いない。北朝鮮の暴発は、それはそれで多大な被害を周辺国にもたらすわけだから、アメリカはその可能性をちらつかせながら、中国に制裁強化の圧力を加えている。そして、その最も効果的な手段は、北朝鮮が国内需要の90%を中国に頼っている石油を絞ることにある。

◆中国からの石油を止める効果。北朝鮮の命綱を握る
 それがどのくらい効果的なのか。勉強会の先生である赤木昭夫さんの計算によると、北朝鮮が中国から輸入する石油は推定年間50万トン。陸軍兵員60万人の戦車と車両から1日1万トンは必要で、これから計算すると、(戦時になれば)わずか50日で年間輸入量を消費してしまう計算になる。この石油は、中国丹東市からパイプラインで北朝鮮の新義州の製油所に送られているので、簡単に止められる。それだけで、北朝鮮の生命線を握ることが出来る。既に、こうした気配を反映したのか、平壌市内のガソリンスタンドは一部が閉鎖され、価格も1.7倍に値上がりしているという。

 問題は、中国が北朝鮮制裁の唯一の切り札とも言える、この「伝家の宝刀」をいつ抜くのか、本当に抜けるのか、ということ。北朝鮮が新たな核実験やミサイル実験をやったら本当に石油を止めるのか。アメリカは、「中国がやらなければ単独解決も辞さず」と脅したり、貿易問題であれこれ取引(ディール)したりしながら強力に迫っており、中国も今回ばかりは真剣に検討しているらしい。一方の北朝鮮は中国の石油制裁に猛反発し、早くも中国と北朝鮮の非難合戦が始まっている。ただし、この先の展開は不透明で、アメリカがさらに軍事的挑発を続けるのか、その先がどうなるのかは、関係国さえもよく分からない。

◆冷静に事を運ぶには「妥協線の確定」が必要
 アメリカは、「まだ事態は全体の20%から25%が動いたに過ぎない」などと言うが、アメリカがどのような出口(落とし所)を思い描いているのか、今ひとつはっきりしない。日本も含めて、米中韓、ロシアなど、関係国の思惑も複雑に絡み合っている。いずれにしても、こちらからの戦争に踏み切れない以上、思ったより持久戦になりそうで、その中で北の暴発を抑え、ぎりぎりの段階で妥協点を探って行くには、どこかで冷静な判断が必要になってくる。
 その妥協点の一例としては、@現在の政治体制(金王朝)については、その存続を認めるというもの。日本人にとっては拉致問題もあり、また残虐な独裁体制を認めるのは心情的に抵抗があるが、これは北朝鮮国民の選択にゆだねざるを得ない。A核とミサイルの開発と配備を放棄する、B軍の規模を(例えば5万人以下に)制限する、C期限を切ってこれらを認めさせる、などという考え方がある。

 これは、北朝鮮にとって全面降伏に近い極めて難しい選択であり、そこに落ち着くまでは、なお(存続の瀬戸際に追い込むような)ギリギリの圧力(その一つが石油禁輸)が必要だろうし暴発の危険も伴うだろう。アメリカのティラーソン国務長官は、すでに@の体制保証については、北朝鮮に向けてアナウンスしているが、戦争の危機を避けるためには、いずれこうした「妥協線の確定」が必要になってくるはずだ。

◆調整役としての日本の役割。平和的解決を根底に据えるべき
 また、その「妥協線の確定」に向けてこそ、日本の役割がある筈だ。ロシアのプーチンを説得し、中国、韓国と良好な関係を維持し、ある場合にはアメリカをなだめながら、戦争を避けつつ落としどころを関係国で探っていく。問題は、この難しい調整役に日本は貢献できるかだが、その点、今の安倍政権は心配だ。「圧力、圧力」と凝り固まってアメリカと軍事的に一体になって危機を煽り、北から「第一に被害を受けるのは日本だ」などと脅されている。それは日本にとって得策ではない筈だ。実質的な圧力をかけるのは、アメリカや中国であって、日本はむしろその背後に回って外交で力を発揮すべき場合ではないか。

 一方で気がかりなのは、安倍政権がどこかで北朝鮮問題を国内問題にリンクさせている気配があることだ。北朝鮮問題の危機を煽ることで高い支持率を維持し、去年成立した安保法制の実質化を図るお試し実験を試み、憲法改定への雰囲気を作り、さらには自らの危機である「森友学園」から目をそらさせようとする。
 軍事的圧力に前のめりの安倍政権は、関係国の中から北朝鮮も含めた対話(六ヶ国協議)が提案されても、「まだその時期ではない」などと真っ先に否定する。安倍政権は、軍事的解決を夢想しているかも知れないが、それは何度も言うように多大な損害を引き起こすのだから、ここでは時間がかかっても(もちろん圧力を伴った妥協のない)「平和的解決」を根底に据えて日本は取り組むべきである。

*)それは世界が中東のテロやイラン問題に手を焼いている隙に、大方の予測を超えて急成長したと言っていい。さらに言えば、アメリカと北朝鮮の間で中国が曖昧な態度をとってきたことも大きい。つい最近まで、北朝鮮の核実験に対して厳しい制裁を要求する(特に日米韓の)国際社会に対して、中国は常に慎重だった。中国にとって同じ社会主義国の北朝鮮は西側に対する緩衝地帯であり、それが厳しい制裁によって体制が崩壊し、アメリカ寄りに変わることを警戒しているからだ、とも言われた。北朝鮮は、中国の存在を高めるための都合のいいカードでもあり、北朝鮮はそうした政治力学の隙間を巧みに利用して来たとも言える。