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長期独裁政権の誕生と日本 15.1.9

 民主党の代表選挙が1月7日公示、18日投開票の予定で進んでいる。新代表が決まっても、一強多弱という政治状況が変わるわけではなく、むしろ(後述するように)かつてない政治力学の中で1月26日から通常国会(会期6月26日まで)が始まる。この150日間には、4月の統一地方選挙、集団的自衛権を踏まえた日米防衛協力の指針(日米ガイドライン)の策定、そして集団的自衛権の関連法案の一括審議などの重要テーマが並んでいる。さらに原発再稼働や医療制度改革、残業代ゼロなど、国民生活に直結する政策も目白押しだ。
 こうした大事な時期を迎えて、日本の政治はどこへ向かうのか。安倍自民党はどう出るのか、野党は機能するのか。これらを占う意味で2回にわたって衆院選挙後の政治状況をスケッチして見たい。もとより政治は素人だし、取材が出来るわけでもないので、ネットを含めて情報をかき集めて独断と偏見で書くしかないのだが、それにしても最近は「痒い所に手が届く」ような政治情報がないのが気になる。一頃にはあった政治家の肉声が聞こえてくるような“インサイドストーリー”がめっきり減ってしまった。

◆安倍の権勢にすり寄るマスメディア
 それもそのはずで、今や「安倍独裁とも言える政治状況」にメディアが取り込まれつつあるからだ。ネット情報によると、衆院選挙の2日後の12月16日には、西新橋の高級寿司店の個室で安倍首相“招待”による報道各社幹部とのオフレコの会食があったという。出席したのは、時事通信の田崎史郎解説委員(*)、朝日新聞の曽我豪編集委員、毎日新聞の山田孝男特別編集委員、読売新聞の小田尚論説主幹、日本経済新聞の石川一郎常務、NHKの島田敏男解説委員、日本テレビの粕谷賢之解説委員長などである。*「原発・時流という安全神話

 こうした幹部記者だけでなく、安倍と何度も会食したりゴルフをしたりしている経営トップの面々には、読売新聞の渡邉恒雄会長、産経新聞の清原武彦会長、熊坂隆光社長、日経新聞・喜多恒雄社長、毎日新聞の朝比奈豊社長、共同通信の石川聡社長(当時)、福山正喜社長、時事通信の西沢豊社長、フジテレビの日枝久会長、日本テレビの大久保好男社長、テレビ朝日の早河洋会長、吉田慎一社長、そして朝日新聞の木村伊量社長(当時)などがいる。
 参議院議員の山本太郎は12月24日に提出した質問書で「報道関係者らとの会食は実に四十回以上にも及び、歴代首相の中でも突出した頻度である」と書いた。メディアの側には、安倍の“招待”を断れば消費税の軽減税率適用などで目をつけられるという警戒が働いているのかもしれないが、権力の監視を本命とするメディアとして情けない事態である。幹部がこうも権力と近い状況では、仮に現場記者が安倍の実像に迫る事実を聞き込んでもインサイドストーリーは書きにくい。ここへ来て、政治ニュースが政府広報的になって一段とつまらなくなって来た理由の一つなのだろうが、これが独裁的とも言える強大な力を持つ今の安倍政権とメディアの力関係だとも言える。

◆長期政権を視野に入れた安倍独裁政権の誕生
 選挙後の安倍政権の力を見る意味で、ここで衆院選挙のおさらいをしておく。(選挙後の変動は別として)与党の自民党が291(2減)、公明が35(4増)。野党のうち、民主党は73(11増)、維新41(1減)、共産21(13増)。代わりに次世代、生活は大きく数を減らし、社民と同じ(2)になり、政党としては殆ど消えかかった。全定数に占める自公の割合は68%で公示前と殆ど変らない。これでは何のための選挙だったか、有権者にとって迷惑な話だが、安倍にとっては大きな意義があった。
 というのも、この選挙の最大の狙いは安倍の権力基盤を盤石にするためだったからだ。解散前には相次ぐ閣僚のスキャンダルもあって、増税を画策する財務省からの圧力や、それと一緒になった政敵たちから「次を睨んだ」安倍批判が上がり始めていた。例えば、「(解散の)大義が示されないと、とんでもないしっぺ返しを受ける」(野田毅・自民党税調会長、写真)という当然の意見や、「(増税を)先送りしただけでは国民は納得しない」(古賀誠・岸田派名誉会長)などの意見である。それは先の内閣改造の不満や嫉妬も絡んだ暗闘だった。

 しかし、私利的な解散で投票率も戦後最低の「熱狂なき圧勝」などと言われながらも、結果はこうした声を圧殺するのに充分だったと言える。4年の政権延長を手にして、先送りを批判した町村を派閥会長からひきはがし、自分と近い細田博之(写真)を当てて事実上の安倍派にするなど、安倍は攻撃的な采配を振るい始めている。さらに新人も勧誘し、今や安倍が属する自民党タカ派の清和政策研究会は衆参92人(衆院は他派閥の2倍)で他の派閥を圧倒している。現職首相が最大派閥を手中に収めることは、前例のないことだそうで、安倍は少なくとも自民党内では誰も刃向えない独裁的存在になりつつある。
 こうした権力の集中を背景に、安倍はかつてない長期政権を視野に入れ始めた。最近では安倍周辺から総裁任期を3期9年まで延長すべきだと言う意見まで出始めている。そうすると安倍は2021年の夏まで首相をやることになり、戦後最長の首相になる。これを戦後の日本が経験したことのない「異次元の政権」という向きもあるが、周辺をタカ派で占める独裁的首相の長期政権下で、日本はどういう方向に進んで行くのだろうか。

◆長期独裁政権の功罪
 ところでこの長期政権だが、海外に目を転じれば首長に権力が集中し、かつ法によって一定期間の任期が約束されている国は結構ある。日本の隣国で言えば、ロシアのプーチン大統領は第1次の8年に加えて、現在は6年任期の2年目で2018年までは約束されている。仮にもう1期、再任されれば2024年までとなり、通算20年も大統領をやることになる。中国の習近平国家主席の任期は2013年からの2期10年まで。韓国の朴大統領は、2013年から5年間。ちなみに、オバマ大統領は2期8年(2017年まで)、ドイツのメルケル首相は、すでに2005年から10年も首相を務めている。

 こういう国際環境からすると、海外の首長とじっくり渡り合い、人間関係を作る上で長期政権が必ずしも悪いわけではない。むしろ1年交代を続けて来た日本の方が異常とも言える。しかし一方で、長期政権はプーチン大統領や習近平国家主席のように国内メディアを弾圧して独裁的になったり、オバマ大統領や朴大統領のように途中で能力に疑問符がついたりするリスクも高い。あるいは、(政財官の取り巻きを含めて)「権力(長期政権)は必ず腐敗する」ような場面も当然出てくる。
 そうなると、長期政権は民主国家日本の骨格まで歪めて、国民を不幸に落とし込むことになる。安倍政権はこの先、こうした長期政権のリスクを避けることができるだろうか。極めて復古的な国家観や価値観を持つ安倍の取り巻きたちの言動を見ていると、重大な危惧を抱かざるを得ないのだが、それをチェックする野党やメディアが現状のようでは心もとない。その意味で、次回は野党の機能を高める上で欠かせない「安倍政治との対抗軸」について考えたいが、その前に、懸念される安倍政治のリスクを上げておく。

◆起きて欲しくないアベノリスク
@ 「経済政策の失敗。偏在する富と格差拡大、財政破綻から来る社会不安」
A 「隣国との緊張を基にした軍事力増強、戦争リスクの増大」
B 「歴史認識の修正によるナショナリズムの台頭、国粋主義的な社会風潮」
C 「原発再稼働によるエネルギー政策の混迷。原発事故のリスク」
D 「体制翼賛的な政党政治。野党と国会の機能不全の危機」
E 「メディアへの介入と抑圧。ジャーナリズムの機能不全」
F 「憲法改正。戦後レジームからの脱却と戦後平和主義の否定」

 もちろん、こうしたリスクがすべて現実になるとは限らないが、歴史はそういう現実があったことを教えてもいる。1月26日からの通常国会(150日間)は安倍長期政権による政治の方向性がより具体的に見えて来る重要な国会になる。今年は、戦後70年を迎える日本の転換点。その意味で、特に野党第一党の民主党は、こうしたリスクに警鐘を鳴らすだけでなく、対抗軸となり得る「新時代の政治理念」を構築する必要がある。そのことについては、次回に書きたい。

存在の奇跡に感謝しながら 2015.1.1
 明けましておめでとうございます。
 2015年の新年に当たって、日頃とは少し違って時間軸の長いテーマを書こうと思う。今年は日本の敗戦から70年を迎えるが、私は敗戦の2ヶ月と20日程前の1945年5月に生まれた。敗色濃厚なこの時期、両親がどのような心境で私の誕生を迎えたのか、これまで聞きそびれて来た。しかし、あの先の見えない時代に田舎に疎開してまで、私を生む選択をしてくれたのは、考えようによっては充分奇跡的なことだったと思う。こうした自分を、最近科学的に分かって来た宇宙誕生以来の「ビッグヒストリー」に照らしてみると、その存在がさらに奇跡的に思えて来る。

◆宇宙誕生以来の「ビッグヒストリー」
 137億年前、針の先よりも小さな点からビッグバンにより始まった宇宙は、その38万年後には、単純に水素とヘリウムの雲のような状態だった。宇宙は本来、秩序あるモノは崩れて、卵という個体からスクランブルエッグを作るように無秩序で無構造なものに向かう傾向があり、人間のような高度に複雑な個体を作るようには出来ていない。それがその後の長い時間軸の間に恒星を生み、惑星を生み、惑星の上で生命を発生させ、進化によって高等生物までになって行くには、何段階もの敷居(閾値)をまたぐ奇跡が必要だった。
 40億年ほど前に、地球の深海で奇跡的に生命につながる化学反応が起きて以来、DNAという遺伝情報を運ぶ装置の発明によって、地球生命体は進化の手段を獲得しながら地球全体にその多様性と生息域を広げて来た。今の私につながる遺伝子が、その頃どのような生命体を形成していたかは分からないが、それ以来一度も途切れることなく、気の遠くなるような時間をつないで来たわけである。それは、地球全体が氷で覆われる「全球凍結」氷河期(7億年前)や、6500万年前に恐竜を絶滅させた巨大隕石の衝突さえも乗り越えて続いて来た。(*デビッド・クリスチャン

 そして20万年前、現生人類(ホモサピエンス)が誕生してからも、私の祖先は5万年前にアフリカを出て全地球に広がるまで、様々な気候変動に苦しみながらも、農業を発明して飢えをしのいできた。そして、日本という土地で縄文を生き延び、戦国時代の戦乱を乗り越え、先の戦争を越えて遺伝子をつないで来た。これは、これまで地球上に出現した生命体の99.9%が既に絶滅したことを考えれば、人類を含む今の地球生物全体に共通する奇跡である。
 最近の科学は、宇宙の始まりから私たちの現在までを結びつける、こうした壮大な進化の物語「ビッグヒストリー」を明らかにして来た。奇跡が成立するためには、何段階もの「敷居」を乗り超える必要があったこと、同時に、奇跡的に乗り越えたものだからこそ脆い存在であるということも分かって来た。いま地球上に存在する人類が、そうした長い時間軸を持った奇跡の産物であることを考えれば、人類は(それが分かって来た21世紀に相応しい)新しい価値観を持つべきではないか。そのことが、ここへ来てより鮮明に意識されるようになって来たわけである。

◆「ビッグヒストリー」を踏まえた新たな価値観を
 「ビッグヒストリー」の長い時間軸に照らせば、日本人も含めて今の人類は極めて短い時間軸の中で生きている。明日の経済成長がどうなるか、株価や為替の動きはどうか、中国や韓国に負けないためにどうするか、などなど。さらに海外ではウクライナを巡るロシアとUEの対立、米中の世界覇権を巡るしのぎ合い、テロを仕掛けるイスラム過激派などなど。それは先が見えない中で、やみくもに目の前の優位を求めようとする「過度の経済的欲望」や「過度の宗教・イデオロギー」、「過度の国家主義」から出ていると言っても過言ではない。
 自分たちは他者より上位にありたいとか、自分だけが力を持って繁栄したいという欲望。こうした目の前の欲望に基づく価値観が、国家や民族を引きずり回し、世界を不安定の方向に導く。その価値観を全否定するつもりはないが、一方で深刻な副作用を考えれば、「ビッグヒストリー」の中で命をつないで来た人類という奇跡を、より確実に持続していくための“長期的な視点”も忘れてはいけないと思う。それが、21世の新しい価値観の摸索につながっていく。

 私たちの子孫が、あと100年、200年先も豊かで平和な暮らしを持続させて行くためには何が必要か。それは当然のことながら、人類の過度の欲望を抑える方向で考えられなければならない。一つには「脱成長」。破壊的とも言える消費文明を手にしてしまった現代人としては、浪費型文化の下での成長から、持続可能性へ転換を図ることが必須であり、私たちの物の見方・考え方を、経済成長優先の思想から解放する必要がある。さらに、もう一つのキーワードは「共生」。国家間や民族間の殺し合いを避けるためには、過度の国家主義や民族主義、偏狭な宗教・イデオロギーを乗り越えなければならない。
 そのためにはまず、国家と個人の関係を見直す必要がある。国家の目的やイデオロギーのために個人が存在すると考えれば、それは全体主義につながってしまうからだ。それを戦前のドイツや日本はいやというほど経験してきた。国家も民主主義も個人に仕えるためにあるということ。それをはっきりさせた上で、個人が(固有の文化を大事にしつつ)世界の人々と共生していくことである。(*「パラダイムシフト」を終えて、毎日12/24。前欧州委員長ホセ・マヌエル・バローゾ、朝日12/23)

◆見えて来た方向性とメディアの役割
 資源浪費型社会から持続可能な社会へ。そのために日本は、10万年の未来にまで大きなツケを残す原子力エネルギーを放棄して、再生可能エネルギーの技術大国を目指す。また、物質的豊かさを超える豊かさ、例えばセーフティーネットが充実した社会や、豊かな自然を大事にして持続可能な循環型社会を追求する。さらに、偏狭で排他的、攻撃的なナショナリズムを極力押さえて、国際協調路線で平和を構築していくことである。
 それは、単に理想を掲げれば出来ると言うものではない。EUを作った時のように国際間の複雑で緻密な交渉と膨大な約束事の上に成り立つものだと思う。しかし同時に、それは強固な意志がなければ作れない。ともかくも、この地球上に出現した奇跡を意識して新たな価値観を創造しない限り、今のままの人類に未来はない。地球温暖化も含めて、それは、多くの識者の共通した見方になって来た。

 さて新しい価値観の模索において、私たちはどうすればいいのだろう。「ビッグヒストリー」を唱える歴史学者のデビッド・クリスチャンは、人間は言語の発明によって「集団的学習」の手段を手にしたことが、その後の人類の発展に寄与したとしている。しかし同時に、これを十分使いこなすことができるかとも言っている。その意味で教育もさることながら、これからメディアの力がますます重要になって来るわけである。
 国家権力が「経済大国と言う欲望の迷路」に入りつつある時、また、隣国との緊張を高めながら国粋的、軍国主義的になって行く時、メディアは国家権力をチェックできるか。また、メディアは新たな価値観を生み出すための国民的議論をリードできるか。その点、このところのメディアは権力からの様々な締め付けにさらされているのが心配ではあるが、メディアも「ビッグヒストリー」の奇跡の果てに生まれた「集団的学習」の機能の一つであるからには、この奇蹟が持続するための知恵を国民とともに模索していく責任がある。その機能を応援したいと思う。

◆孫たちの世代にも豊かな社会が持続するために
 私事で恐縮だが、今年4月には孫がまた一人増える。生まれて来る孫が、これから80年、90年と平穏で豊かな生活を送れるかどうか。今の日本は、膨大な財政赤字、少子高齢化と人口減、原発事故と放射能のツケ、隣国との緊張などなど、大いなる難問に直面しているが、私たちは今ある奇跡に感謝しながら、先人が築いた社会的共通資本をより豊かにして次世代に残せるよう真剣に努力して行くべきだと思う。
原発・“時流”という安全神話 14.12.25

 12月22日、たまたま午後の「情報ライブ ミヤネ屋」(日テレ)と言う番組を見ていたら、安倍内閣の原発政策の話題が出ていた。その中でコメンテーターの政治評論家(田崎史郎、時事通信)が来年は、原発再稼働ラッシュになる。川内原発に続いて、若狭の関西電力原発、九州の玄海原発と次々と再稼働する」と、まるで当然のように解説していた。宮根が「現地の同意を取りつけるという作業も残っていますが」と引きとって、その話題は終了。今や、原発再稼働はメディアの中でも既成事実のように語られ始めている。
 その背景には、強大な力を持つ現体制(安倍政権)がはっきりと原発推進に踏み出した“時流”というものがあるのだろう。彼らは、「新たな規制基準に合格すれば、滅多に事故は起こらない」、「万一起こったとしても、対策は出来ているから大丈夫だ」と言った、新たな「安全神話(思考停止)」を広めている。“時流”に乗る人々が作り出す、こうした「安全神話」が如何に現実と違っているか――それを真摯に見続けて来た番組がある。これまでも(敬意を持って)取りあげて来たNスペ「メルトダウン」シリーズである。

◆Nスペ「メルトダウンFile5 知られざる大量放出」
 今回(21/21放送)はその5回目、福島第一原発事故で放出された大量の放射能の謎に迫った「知られざる大量放出」だった。1号機から3号機までがメルトダウンした3月11日から15日までに、放出された放射能は全体の25%に過ぎなかった。残りの75%はその後の2週間にわたって放出されたものだが、その原因は実は意外なところにあったというのが番組の主要部分である。それは、主に次の3点になる。

@ 消防車による注水が燃料棒の損傷を促進
 電源が停止して水が循環しないと、炉内の水が蒸発して水位が低下していく。そうすると、燃料棒が熱で溶けてメルトダウンし放射能が飛び出して来る。3号機では、それを防ぐために現場の判断で急きょ消防車を使った注水を始めた。しかし、注入された毎時30トンの大部分は複雑な経路の配管から漏れ出し、炉心にはわずかな量(毎時1トン)しか届いていなかった。しかも今回の分析で、そうしたわずかな水量は却って燃料棒の破損を促進することも分かったのである。そうした予想外のことが起きていることを知らずに消防車を動かし続けたことが、長期にわたる放射能漏れにつながった。

A ベント用配管の欠陥によって放射性ヨウ素が大量に放出
 3月15日の夜、3号機の炉内圧力が異常に高まって来たために、現場は圧力を下げるための5回目のベント(内部の空気を外に逃す)を行った。しかし、この時に大量の放射性ヨウ素が環境中に漏れ出した。その原因が思わぬところにあったという発見である。原因は、ベント用配管の一部(30メートル)が地下にあったこと。そこに水が溜まり、5回目のベントの時に配管の内側に吸着されていた放射性ヨウ素を一気に洗い出して放出したのである。この時の放射能は放出全体の10%に上る大量のものであり、これが現在の帰宅困難地域の発生に直接結び付いているという。

B 使用済み燃料プールへの放水を優先して電源復旧が遅れた
 1号機から3号機までのメルトダウンと同時に心配されたのが、4号機の使用済み燃料プールにあった大量の燃料体である。これを冷やしている水がなくなったら、これらもやがて熱で溶けだし、大量の放射能を出し続ける可能性がある。1号機から3号機の電源復旧が先か、プールの水を補給する方が先か。現場は、電源復旧を優先させたいと考えたが、結局、指揮命令系統が「政府・東電事故対策統合本部」に移った時点で、プールへの放水が優先され、電源復旧は後回しになった。
 結果的には4号機には水が保たれており、この優先順位の取り違えが電源復旧を遅らせ、長期の放射能漏れにつながった。プールへの注水を優先した背景には、アメリカ側からの強い示唆があったというが、これが裏目に出たわけである。しかし、4号機の水面の観測が充分でなかったことから言えば、難しい判断だっただろう。過酷事故の時は、判断材料が限られたまま次々と対応を迫られるが、それが結果的に重大なミスにつながることが多いという例である。

◆机上の設計に過ぎない過酷事故対策
 今回分かった地下にあるベント配管の欠陥以外にも、Nスペ「メルトダウン」はこれまで、高温高圧時の水位計の欠陥、ベント関係設備の欠陥、主蒸気逃し弁の欠陥、非常用冷却装置の欠陥など、様々な構造的欠陥が過酷事故と大量の放射能漏れにつながったことを指摘して来た。これらの大部分は他の原子炉にも共通したものであり、しかも新たな規制基準でも改善されていない。あるいは、福島事故後に新たな過酷事故対策として他の原発でも採用されている消防車による注水も、水は本当に炉心に届くのかといった検証がされているわけではない

 複雑で巨大なシステムである原発では、実際に核燃料が溶けだすと言った過酷事故の状況を人為的に作りだすことは危険すぎる。従って、過酷事故時に、様々な安全対策が有効かどうかを前もって実験することは極めて困難なのである。しかも、過酷事故の時は、巨大な熱量を持った核燃料が一気に暴れ出す。その時には、想定外の事象が次々と秒単位で起こる。これを人間の力で抑え込むのは、奇跡でも起きない限り難しい――これが、福島の教訓。前もって考えられていた安全対策で充分かどうかは、常に疑問なのである。つまり、「新たな規制基準を満たしたから、滅多に事故は起きない」、「万一起こったとしても、対策は出来ているから再稼働しても大丈夫だ」というのは、現時点においても、全くの安全神話(思考停止)に過ぎない。番組は、抑制的に「原発に100%の安全はない」と言っているが、私の意見からすると「原発は未完の技術であり、危険な欠陥商品だ」ということになる。

◆再び、メルトダウンを起こさないために
 最近読んだ本に、覆面の現役キャリア官僚(作家名、若杉冽)が書いた「東京ブラックアウト」という小説がある。巨額な金が動く「電力モンスター・システム」に群がる原子力ムラとその周辺の人間たちが、原発再稼働に向けて暗躍する様子を描いている。電力業界が関係者に甘い汁を提供する一方で、原発政策を担う官僚機構も地元政界も必死に反対派を抑え込み、辛口のメディアに圧力を加えると言った作戦を展開する。それは殆どが「事実」に違いない。そこにあるのは目の前の経済的利益であり、官僚たちの我が身の出世である。
 日本の原発政策を推進している「電力モンスター・システム」の中では、原発の安全問題などを持ち出すのは、「“時流”が見えない連中」なのである。小説「東京ブラックアウト」では、再稼働が始まった“新崎県”の原発が、テロによって再び大きなメルトダウンを起こし、関東一帯が居住不能になり、日本は北と西に分断されてしまう。その後の展開は、若干荒唐無稽の感じもするが、それでも(福島原発事故との時と同様に)誰も責任を取らないのが象徴的だ。

 福島原発事故のような重大事故の解明は、本来は(国会事故調が求めるように)国が徹底的、継続的に調査を行い、すべてを世界に公表すべきなのだが、日本ではそれも開店休業状態だ。原発再稼働に向かう、こうした“時流”が勢いを増す中、Nスペ「メルトダウン」は孤軍奮闘的に事故の現実と向き合いながら、事実を積み重ねて、新たな「安全神話(思考停止)」の危うさに警鐘を鳴らして来た。何度も書いて来たように、東日本大震災の後の日本は巨大地震と大噴火が連鎖する「地下大乱の時代」に入っている。日本はテロだけでなく、原発に予想外の事象が起こる確率が世界で一番高い国と言っていい。
 その意味で(Nスペ「廃炉への道」も大事だが)、「メルトダウン」シリーズは、日本はもちろん世界にとっても、原発安全に直結する貴重な財産になって行く筈だ。番組の中でも言っていたように、事故の解明はまだまだ入り口に過ぎない。是非、これからも続けて行って欲しいと思う。 

一億総玉砕と日本殲滅作戦 14.12.17

 12月14日の衆院選挙があっけなく終わった。戦後最低の投票率で自民党の「熱狂なき圧勝」などとも言われているが、この選挙がどのような社会的意味を持っているのか。投票しなかった国民が何を考えているのか。背景に何か新しい「社会的うねり」が隠されているのか。これらについても、様々な分析が行われつつあるが、それはもう少し時間がたたないと分からないだろう。後で振り返って「あの時が転換点だった」と気づくようなものなのかもしれない。それはこれからじっくりと検証するとして、今回は直近の話から離れて70年前のことを書いて見たい。「私たち日本人はどのような民族なのか」を考えさせる点で、案外今に通じるかもしれないと思っている。

◆仮に8月15日の終戦が延びたら
 69年前(1945年)の夏に向けて、日本は戦争の最終局面を迎えつつあった。6月には、沖縄が陥落。7月26日には、陥落したドイツ・ベルリン郊外のポツダムに集合した米国、英国、ソ連の3カ国の首脳が「全日本軍の無条件降伏」を求めた「ポツダム宣言」を発する。これに対して、日本政府(鈴木貫太郎首相)は黙殺を決め込み、これまで同様の戦争完遂を発表した。枢軸国として一人残った日本は、あくまで戦うことを宣言したわけである。
 それからの20日間、天皇の「聖断」によって日本が無条件降伏を受け入れた経緯については、「日本のいちばん長い日」(半藤一利)に詳しい。この間、8月6日の広島への原爆投下、9日のソ連参戦、同日の長崎への原爆投下があり、降伏受け入れを巡って、軍部(陸軍)の反対があり、最終的には8月14日から15日未明にかけての陸軍のクーデター計画、天皇の詔勅録音盤を奪う動きなどがあった。それは、実に際どい終戦だった。

 仮に陸軍の反乱計画が一時的にでも成功し、天皇が長野県松代町(現、長野市)に作られていた地下大本営に拉致されて徹底抗戦を唱える軍部が実権を握った時には、日本はどうなっていたか。アメリカは日本をどうするつもりだったのか。当事者の日本軍は何を考えていたのか。国民は、こうした動きを知っていたのか。どう思っていたのか。最近になって、こうしたことを教えてくれる3冊の本をようやく読み終えた。
 一冊は、1995年にトーマス・アレンとノーマン・ポーマーという2人の作家によって書かれた「日本殲滅〜日本本土侵攻作戦の全貌〜」。膨大な資料に当たって、当時のアメリカがどのように日本を降伏に追い込むか、日本本土への上陸作戦、日本軍殲滅への道筋を追ったノンフィクションである。一方、アメリカの「日本殲滅作戦」を、日本側から検証したのが「本土決戦幻想〜オリンピック作戦編」と「本土決戦幻想〜コロネット作戦編」(保坂正康)の2冊である。

◆恐怖の「日本殲滅(ダウンフォール)作戦」
 連合国側は6月にドイツが降伏した後も、日本は戦い続けると見ていた。その現実を直視し、さらに沖縄での米軍の予想外の損失も踏まえて、アメリカ軍は日本本土侵攻後も16ヶ月にわたって戦いを続け、最終的な戦争の終結を1946年11月と見た大規模な作戦を練っていた。それは、徹底的な「日本殲滅(ダウンフォール)作戦」だった。
 ダウンフォール作戦は2段階に分かれている。最初は、1945年11月1日の南九州上陸作戦(これをオリンピック作戦という)。宮崎や薩摩半島から侵攻して九州の南半分を占領、そこを基地化して首都圏爆撃を強化する。さらに、翌1946年3月1日を期して千葉県の九十九里浜と相模湾の両方から上陸作戦を敢行(これコロネット作戦と言う)。両軍が首都東京を挟撃する形で関東を占領するというものである。しかも、その事前攻撃はまさに恐怖の作戦だった。

 関東平野への上陸作戦には海兵隊だけで57万5千人を投入。事前に180日にわたる艦砲射撃と空爆で上陸地点の日本軍を徹底して叩き、関東平野には農作物が出来ないように枯れ葉剤を撒く。東京上空は、連日1000機の爆撃機が32万トンの爆弾を落とす。それだけで東京は灰燼に帰しているのに、さらに米軍は自軍兵士の損害を少なくするために毒ガスや、広島、長崎後に作られた原爆も使う予定だった。アメリカのプルトニウム型原爆の生産能力は12月までに、一月に7発になると見込まれていた。オリンピック作戦やコロネット作戦実施時には、さらに9発の原爆を投下する計画にもなっていた。アメリカ軍上陸までに日本は破壊しつくされ、犠牲者の数は膨大なものになっていたはずである。

◆日本軍部の恥ずべき狂気と異常心理
 この「日本殲滅作戦」は、8月15日の無条件降伏の受け入れによって実際には行われなかった。それだけに、これまでは敗戦時の天皇の決断や一部軍部の反乱については知っていても、歴史の教育でもあまり教えられることもなかったように思う。ただ、半藤一利の「日本のいちばん長い日」や「聖断〜昭和天皇と鈴木貫太郎〜」等を読むと、日本は当時44歳の天皇の決断によって奇蹟的に救われたのであり、まかり間違えば大半の日本人は軍部の狂気に付き合わされて、破滅の道を歩んでいたかもしれないことが胸に迫って来る。

 アメリカ軍の物量作戦と機動力に対して、当時の日本軍は何を考えていたのか。保坂正康の「本土決戦幻想」2冊を読むと、口では「皇土死守」、「聖戦完遂」、「一億総玉砕」、「一億総特攻」などと言いながら、彼らが米軍に対してどんなイメージも持っていなかったことが哀しいほどに分かる。その端的な考えが「竹やり300万本論」である。九十九里浜の至る所に穴を掘り、戦車が上陸してきたら竹の先に爆弾をつけた兵士が飛び込む。あるいは刀、槍、ナタ、出刃包丁等を使って刺し違える。それを国民にも強要する。要するに、物量作戦対体当たり攻撃でしかなく、まさに原始的な闘いだった。
 当時関東にいた1200万人をどこに移すかも全く考えておらず、ただ国民も喜んで皇土死守の犠牲になるだろうと、軍人的精神論を押しつけるだけだった。さらに、陸軍が最後まで降伏に反対した理由が「国体護持」(天皇制を守る)である。そこには、天皇のために戦って来たという陸軍の面子を守る狭い了見しかなく、「国民の生命と財産を守る」ための軍隊と言う考えは微塵もなかった(保坂)。天皇は、そのことをよく理解していた。

 後にA級戦犯となった東条英機は「戦争は負けたと思った時が負けだ。決して負けたと思うな」と言い、神風特攻隊を創設した大西滝次郎(軍令部長)は、「国民の4分の1が特攻作戦で死に、血染めになったこの国の様子を見てアメリカはもうやめようと言いだすだろう。その時が講和の時だ」と言った。まさに異常心理としか言いようがなく、日々膨大な数の国民を死なせながら、なおこうした狂信的な考えが陸軍の主流を占めていたのである。
 それは昭和に入って軍部独裁を勝ち取って大陸を侵略し、ファシズムの道を歩んで来た日本の当然の帰結だったかもしれない。しかし、アメリカの「日本殲滅作戦」の実体も知らず、一億総玉砕を唱えて何千万と言う国民を死なせたら、日本人は歴史に残る恥さらしになっていただろう。先の戦争で死んだ国民は310万人、うち陸軍兵士は165万人だが、その死者の6割から7割は、軍中枢の無能から来る餓死だった。しかも、こうした日本軍によって殺されたアジア人は2000万人に上る。あの戦争は今の政治家がどう言おうと、「日本民族最大の愚行」なのである。

◆日本人の奥底に潜む狂気と無力
 それにしても、国民の命を紙クズほどにしか考えない権力者の異常心理は何故生まれたのか。終戦間際に、連日の空襲で大損害が出ているにも拘らず、「損害軽微」を伝える大本営に対して、作家の大佛(おさなぎ)次郎は日記に「その時、国民はつながれた羊の如く、おとなしくじっとしている」と書いた。権力者は勝手な論理のために平気で国民を犠牲にすること、そして、国民の方もそれを大人しく受け入れてしまう一面があることを、70年前の教訓として、私たちは強く自覚しておく必要があると思う。

リスクを取るか、回避するか 14.12.6

 2日の衆院選挙の公示から、14日の投票を目指して選挙戦が始まった。最近(12/4)の各紙予想では、自民党は安倍の狙い通り(あるいはそれを越えて)公示前から20議席も増やして、参院で否決されても衆院で再可決できる特別多数(2/3、317)を窺う勢いだと言う。安倍は再び、一強多弱の状況の中で、思い通りの政治が出来る4年間を手にする可能性が高い。それはそれで国民の選択だから文句を言うつもりはないが、ここではっきりさせておきたいのは、私たちは今度の選挙で、どのようなリスクを選択しようとしているのか、ということである。(危険を承知で)敢えてリスクテークするのか、あるいはリスクを回避するのか。問われているのは、その選択ではないか。

◆延命解散の狙いと高支持率の不可解
 それにしても、予算編成作業がたけなわの今、700億円の税金を使って何故解散なのか。始めは消費税増税先送りの是非を問う、と言っていた安倍総理だが、(どの野党も増税を言わないので)選挙の争点をアベノミクスの継続に絞って選挙戦を戦う戦略に切り替えた。この夏ごろから解散を狙っていたという様々な動きを総合すると、見えて来るのはあくまでも長期政権を狙う安倍の強引とも言える政治手法である。
 アベノミクスの誤算、内閣改造で噴き出した一連の不祥事、この先の集団的自衛権の法制化や原発再稼働など。こうしたマイナス要因が支持率低下につながる前に“勝負”に打って出る。放っておくとあと2年の任期を、この際、多少議員を減らしても後4年に伸ばそうと言う計算である。野党の準備不足も計算に入れ、また、一票の格差問題で違憲判決が出ないように期間を置かずにやってしまう。これはどう言おうと、安倍自身の延命のための選挙であり、4年間のフリーハンドを得るための策略に他ならない。

 従って、そこには政界の中での駆け引きと政権の延命策しか頭になく、国民生活のことも、使われる税金のことも、年末の政治停滞のことも視野に入っていない。さすがに国民もこの解散については疑問で、評価すると答えたのは22%、60%近くが評価していない。にもかかわらず、今も安倍政権が高い支持率(40%〜45%)を得ているのはどうしてなのか。
 その支持者たちは、敢えてそうしたリスクを取らなければ、(中国や韓国に文句を言われない)「強い日本」は取り戻せないと考えているのだろうか。あるいは、そうしたリスクをあまり吟味することなく、漠然と(あの民主党の体たらくに比べれば)安倍の方が上手くやってくれるのではないかと考えているのだろうか。選挙対策用に打ち出された地方創生や円安手当てなどの「にわか政策」も効いているのかもしれない。

◆アベノミクスのリスク
 しかし、どういう選択をするにせよ、私はこの際、様々な金融商品を買う場合と同じで、選ぶ前に安倍政策が内包するリスクについて、出来るだけ把握しておいたほうがいいように思う。そのリスク(これを「アベノリスク」という向きもある)には主に、@経済政策の失敗、Aきな臭い安全保障政策、B原発再稼働といったものがあるが、このうち、A、Bについては、これまでも様々に書いて来た。最大の争点となっている@についても、すでに充分書いて来た感もあるが、(最近の勉強会で先輩から学んだことも含めて)今一度、確認しておきたい。

@ アベノミクスで実体経済は良くならない
 まず、すでに270兆円に膨らんだ異次元の量的緩和や、10兆円の財政出動にも拘らず、一向に経済成長は上向かない。政権は4月の消費税増税(8%)の影響だと強調するが、既に実質GDPの成長率は去年(2013年)の1〜3月期をピークに下がり続けて来た。その下降線は、増税前の駆け込み需要で一時的に隠れたが、その後はまた下がり続け7〜9月期はマイナス7.1%となって政権に衝撃を与えた。その最大の要因は実質賃金の減少による個人消費の落ち込みで、今や景気は後退期に入っている。
 結局、仮に4月の8%増税がなくても成長率は下がり続けていたわけで、これは、前にも書いたが(*)、成長の芽がない時にいくら量的緩和を行っても実体経済の回復には結びつかないということである。量的緩和に頼るアベノミクスの手法そのものが今の経済にとって誤りである上に、バブル崩壊や国債の下落などの弊害をもたらす。仮に(これも難しいと言われるが)デフレが脱却できても実体経済が良くならないのであれば、国民に生活苦を強いる“悪いインフレ”でしかない。(*「安倍政治の見せかけと実体(3)」)

A アベノミクスの失敗を隠す株高の幻想
 一方、安倍は盛んに株高の効果を主張する。株価が好調だと何となく日本経済も好調のような錯覚に陥るが、株高は殆どアベノミクスとは関係ない。現在の株高は、実体経済とは離れた動きであり、日本の量的緩和によるカネ余りや年金積立資金の投入を当てにした外国資金の流入によるものである。売買量の60%を占めている海外投資家が(日本のGDPの伸び悩みや財政悪化などで)日本経済に見切りをつければ、あっという間にバブルははじけてしまう。
 確かに日本でも一部の金融機関や大企業、個人投資家、それに安倍が引き合いに出す「年金積立資金」も当面の株高の恩恵を受けてはいる。しかし、日本で株に投資されている資金は、日本の家計資本のわずか6%に過ぎないし、株をやっている人は人口の12%だ。安倍政権は、(実体経済が良くならないのに)あの手この手で株高を維持し、効果を吹聴することによって本筋であるアベノミクスの失敗から目をそらそうとしている。

B 富裕層から貧困層へのトリクルダウンは起こらない
 また安倍は、円安で業績好調な一部の輸出型大企業や株高の恩恵を受けている金融機関などを取りあげて、その恩恵はやがて庶民にも行き渡って来る。それには時間がかかるので、もう少し待って欲しいと言う。しかし、実質GDPが膨らまない低成長の中では、この富裕層からのしたたり(トリクルダウン)は起こらない。大企業にもたらされた富は、非正規労働者などの中間層以下の犠牲によって生み出されたものであり、また、株高などの恩恵に預かっている一部富裕層の富はさらなる投機に向かうだけである。膨らまないパイの中で富は下から上に流れ、格差はますます拡大する。これは、すでに定説になっていると言っていい(スティグリッツ「世界の99%を貧困にする経済」)。

◆安倍の政治手法と言うリスク
 さらに本質的なリスクをもう一つ上げておきたい。それは安倍政権の極めて特異な政治手法にある。自分たちの価値観を通すのに民主的手続きを軽視する。強行採決を連発して、強引に数で押し切る。また、今回の解散劇に見るように、自己目的のためには平気で憲政の常道に反するような奇策に走る。集団的自衛権の法制化の議論も原発再稼働も、来年4月の地方選挙に不利と見るや先延ばしする。丁寧に議論したり説明したりしないのは、国民や野党を見下しているからだろう。
 何より、(大胆と言えば聞こえはいいが)政治が拙速で乱暴なことである。歴代の内閣が否定して来た閣議決定による集団的自衛権、日本が未経験の異次元の金融緩和、アメリカの基準から見ても歯止めが不十分な特定秘密保護法。これだけのことを充分な議論もせずに、一気に進めて来た。代わりに、「国民の命と暮らしを守る」、「アベノミクスの恩恵を地方にも」、「日本の原発は世界一安全」などと、実体から離れたキャッチフレーズやスローガンを持ち出して国民をごまかそうとする。一方で、本質を報道しようとするメディアに対しても、執拗にチェックし圧力を加える。

 アベノリスクは、経済政策のような目の前のリスクだけでなく、(戦争や原発事故のように)安倍が降りた後の未来の日本を見舞うリスクも含む。安倍政治が、自分たちの政策の「リスク開示」に極めて不誠実である以上、私たちは少なくともこうした(将来、起こり得るかもしれない)リスクを出来るだけ知っておくべきではないか。その上で、(危険を承知で)敢えてリスクを取るのか、リスクを未然に回避するのか。これが今回の選挙で問われていることだと思う。

いま、地方議会で何が? 14.11.28

 埼玉県越谷市に移住して30年あまりになる。この間、住民税は納めているものの市が何をやってくれているのか、市議会ではどんなことを決めているのか、どう決めているのか、あるいは何が問題になっているのか、全く興味を持たずに来た。そんなことを知らなくても市民生活には何の問題もなかった。それが、ひょんなことから越谷市の超党派の市会議員と市民が運営している「政経セミナー」と言う会に顔を出すようになった。定年になって少しは地元の人たちと交流しなければという気持ちも背景にあったのだと思う。
 地方議会と言えば、最近では東京都議会議員の「セクハラ・ヤジ」問題、兵庫県議会の元議員が政務活動費の釈明記者会見で号泣した事件、さらには公職選挙法違反で定員20人のうち15人も逮捕者を出して機能停止状態の青森県平川市議会などなど、様々な不祥事が頻発して存在意義が問われている事態にまでなっている。そんな地方議会の一例として、わが越谷市議会では、今どんなことが議論されているのか、どんな課題や問題があるのか、まだ短期間の観察に過ぎないが、最近になって知ったことを書いておきたい。

◆超党派で「統一ローカルマニフェスト」を作る
 越谷市は人口が33万人。人口の規模で言えば、秋田市や那覇市、東京の新宿区などと同規模になる。来年4月には八王子市などとともに、より権限が移譲される「中核市」になる予定だ。予算規模は一般会計(862億)と特別会計、病院事業会計を合わせた全会計の総額が1618億円(平成26年度)。市会議員の定数は32人。
 このうち、「政経セミナー」に参加している市議は、自民党、民主党、保守新政の会などの現職5人で、会派は様々だが、基本的に市議会を時代に適応した新しいものに変えて行こうということで一致している。「政経セミナー」では、2011年の統一選挙の時に「統一ローカルマニフェスト」を作成、以後、議会改革や市政改革に取り組んで来た。それを見ると、市政への市民参加をめざす「新しいしくみ」、税金の使い方に市民の声を反映させる「新しい公共」、成長戦略から成熟戦略への「新しい豊かさ」といった項目と具体的取り組みが並んでいる。

 駅で市議たちがちらしを配っていたのに出会って、私が参加するようになったのは、今年の3月から。1、2ヶ月に一度の会合に参加しながら、市庁舎の建て替え問題、高齢者をどうサポートするか、公共施設の老朽化にどう備えるか、統一ローカルマニフェストの検証などについて勉強したり議論したりして来た。毎回、若い人たちや私のような定年後の人たち50人程度が参加して、市役所幹部や専門家の話を聞いたあと、グループに分かれて討論する。時には、終わった後にメンバーで一杯やったりする。回を重ねるうちに、越谷市もご多分にもれず高齢化や借金と言った様々な課題を抱えていること、また市議会も旧態依然の体質から新たな脱皮を迫られていることなどが徐々に分かって来た。

◆改革に対する一定の評価と市議会の困った実態
 7月の会合では、この3年間のマニフェストの検証が行われた。“新しいしくみ”では「市議会だより」で議題の賛否が公開されるようになったけれど議論の経緯は非公開なこと、本会議のライブ中継は出来ているが、他の会議(常任委員会、予算・決算委員会など)は否決されたことなど、達成度はBあるいはCランク。“新しい公共”では、地区住民が地区予算を自ら決められる交付金制度の導入に関してBランク、しかし事業仕分けを行って予算の優先順位を明確にすることについてはCランク。
 また、“新しい豊かさ”では、私立病院の財政健全化や農産物のブランド化などについてBあるいはAランク、といった結果だった。市民と議員が共同で取り組むこの越谷「政経セミナー」は、今年11月、第9回マニフェスト大賞の実行委員会から優秀賞(議会の部)を受賞し、一定の評価は受けている。しかし、いろいろ聞いていると、わが越谷市議会も一方で、開かれた議会や市政への市民参加を阻む、かなり深刻な内情を抱えているらしい。

 例えば、市議会のライブ中継については、既に全会派が賛成の意向を示しているにも拘わらず、何だかんだと言って先延ばしをされている。これも、市民に議論の過程を知られたくない一部議員が先導して拒否しているらしい。問題は、市議会が2、3のボスに牛耳られていることで、役職をちらつかせては自分の思うような結論を下しているという。委員会での発言も高圧的で乱暴だから、そうした様子を市民に知られたくないのだろう。
 遅れている象徴とも言うべきものが、正副議長のたらい回し。本来4年任期だが、1年ごとに「一身上の都合」で交代するのが慣例になっている。正副議長選挙の際の公約も公開されず、ボスの采配による会派同士のもたれ合いのようになっているらしい。議長と言えば議会改革を率先して行うべき立場のはずだ。(まあ、どこの地方議会も似たような状況なのかもしれないが)それがこうでは、とても「開かれた議会」など実現出来ない。

◆ネットから見えて来る地方自治の姿
 こうした情報に接するうちに気になって、ネットを駆使して、越谷市議会に関する情報を色々集めてみた。件(くだん)のボス的市議についても色々調べてみた。今後のこともあるので詳しいことは書けないが、本業を持った保守系議員である。市の条例を見れば、議員報酬は越谷市の場合は月額51万5千円。これが議長になると58万8千円になる(これもたらい回しの一因か)。データによれば、全国の市会議員の報酬は月額40万円から77万円だから、越谷市は中くらいと言ったところである。
 市議会の会派は現在7つに分かれている。近年これも、いろいろ離合集散を繰り返しているらしく、地元新聞(東埼玉新聞)には、「議会としての発信や議員の発信も限られており、マスコミの取材・報道がほとんどない状況では、密室化を深め市民からますます遊離してしまうだろう」などと書かれている。このような中では、超党派の「政経セミナー」もまだまだ少数派。頑張ってはいるが、時代に相応しい市議会を実現していくために乗り越えるべき壁は高い。

 この先の越谷市も例にもれず、少子高齢化の波を受けて、税収減や公共施設の老朽化、人口減少による施設の統合問題などに直面する。借金を抱えた厳しい財政事情の中で、市民間の様々な利害が衝突する。国と同じく地方自治体も、いわば時代の転換点に直面しようとしているわけである。そこでは、従来のような無関心と「お任せ自治」では乗り切れなくなってくるわけで、それこそ若い世代も含めた、新しい知恵の結集と合意形成のあり方が必要になって来る。そのための「開かれた議会」と「市民参加」なのである。今、全国的に地方議員選挙の投票率は年々下がっているというが、市民の無関心の中で“住民不在の密室政治”が続いているとすれば、大いに反省しなければならない。(写真は越谷市民会館)

◆新しい「ローカルマニフェスト」を作る
 現在、「政経セミナー」は来年4月の統一地方選挙に向けて新規の「ローカルマニフェスト」を作ろうと議論している。私は“新しいしくみ”部会に入って議論しているが、最近の分科会では、@開かれた議会への取り組み、A市民参加への取り組み、B次世代にむけた政策への提言と取組みとして、議会・委員会のライブ中継の実施や正副議長選挙の公開、市民発信型ホームページの開設、常設型住民投票制度への移行、議員定数削減などが、検討課題に上っている。
 こうした議論の中で地方自治体には、地方議会運営の基本原則を定めた議会基本条例や、自治体運営の基本原則を定めた自治基本条例があるということについても初めて知った。また、住民投票に常設型と非常設型があることも。地方自治は民主主義の学校」などとも言われるが、参加して見るといろいろと知らないことが多いのに驚く。これまでの事を考えれば性急になることは全くないけれど、それなりの参加の仕方と関心は持って行きたいと考えている。

■“縮む日本”の現実を直視せよ 14.11.20
 福井県遠敷(おにゅう)郡名田庄村は若狭湾に面する小浜市から川に沿って車で山あいを15キロほど入ったところにあって、今は平成の大合併で原発のある大飯町に組み入れられている。京都のすぐ裏側にあり、村の中心部からさらに山奥に点在する小さな集落には、その昔京都から伝わったと思われる興味深い民俗的風習や信仰、言い伝えが豊かに残っていた。昭和49年の冬だったと思うが、当時NHKの福井局にいた私は名田庄村の集落再編成で集落を離れて村の中心部に移り住む家族を取材した。

◆過疎化という時代の趨勢
 そこはアユのおいしいところでもあったので、私たちはテーマを温めては、よくアユの解禁日(6月以降)に合わせて取材に出かけた。谷あいに一軒だけ残る家では、一人の老婆が京都から落ち延びて来たある親王の墓を守り続けるためだけに暮らしていた。夏の宵に行う“虫追いの行事”は田んぼに柱を立てて松明(たいまつ)を点けるのだが、それも律儀に一人で続けていた。村の幾つもの谷筋には小さな集落が点在し、そこにも岩や祠(ほこら)があって信仰の対象になっていた。時を超えたその風景は社会に出て間もない私の想像をいたく刺激し、土俗信仰の言い伝えを集めた番組を作ったりもした。

 集落再編成とは、過疎化の進展によって谷あいに点在するそうした小さな集落の暮らしが成り立たなくなると言うので、村の中心部にまとまって移住させる事業だった。40年前のその頃は、日本の農業従事者の割合はまだ20%近くあったが、それでも高度経済成長期に入って急速に数を減らしていた。それとともに起きたのが、いわゆる過疎問題である。地方から若者がどんどん都市部に出て行き、農業後継者がいなくなる。
 過疎化の波に洗われた集落では櫛の歯が抜けるように人影が消え、やがて廃村、廃屋に変わる。集落再編成事業は、そうした過疎化の波を村の中心部で食い止めようとしたものである。その一方で、山奥の集落に続いて来た祭りや風習、土地の信仰などが消えて行った。雪がちらつく冬、私は先祖代々住み慣れた家を捨てて村の中心部に引っ越す家族の思いを取材した。それは個人の力を超えた“時代の趨勢”というものを肌で感じた経験だった。

◆地方消滅の危機と地方創生
 そして40年後の今、時代の趨勢はさらに大きな変化を見せようとしている。農業従事者の割合は5%を切り、その60%近くが65歳以上の高齢者である。加えて、少子化によって日本の人口が年々減って行く「人口減少時代」に突入した。そして、当時の過疎化とは比べ物にならない巨大な過疎化の波が山間部の集落はもちろん、市町村までも押し流そうとしている。今年5月、「日本創生会議」(増田寛也座長)の人口減少問題検討分科会は2040年に全国市区町村の約半分(896)が「消滅可能性都市」になるという近未来予測を発表して衝撃を与えた。
 「消滅可能性都市」とは、2040年にかけて20歳から39歳(9割の子供がこの年齢層から生まれる)の若年女性人口が5割以下に減少する市区町村のこと。このうち6割近い523市区町村は人口が1万人未満となり、消滅の可能性がさらに高いとした。このままの人口減少が続くと多くの自治体が維持できなくなるというわけである。この予測を突きつけられて、全国の地方自治体は色めき立ち、安倍首相の唱える「地方創生」に力を入れるようにと要望を重ねている。

 しかし、19日に法案が通った「まち・ひと・しごと創生法案」などを見ても、具体的なことは何も書かれていないに等しい。最近、「日本創生会議」の増田寛也氏の講演(10/21「人が消える地方危機」)も聞いたが、この急激な人口減少を食い止め事は並大抵なことではなく、「地方創生」をも成長戦略に結びつけて考える今の安倍政権ではとても無理だという感想をもった。中央集権的な官僚機構もいじれず、大胆な「身を切る改革」も出来ない。ここぞとばかり(電柱の地中化予算まで入れようとする)自民党の選挙対策用バラマキでは、とてもこの現実は乗り切れないだろう。
 そもそも、人口が維持される合計特殊出生率(*)は2.1とされるが、今の日本はこれが1.41(2012年)でしかない。これを様々な支援策で1.8にあげ、その後さらに2.1に上げないと2050年に日本の人口は1億人を切ってどんどん減って行く。下手をすれば8千万人台にもなる。しかもその時、65歳以上の高齢化率は40%と高い。この“縮む日本”の趨勢を食い止めるためには、国家のしくみを変えるような大胆な「国家の改造」が必要になる。*一人の女性が一生のうちで産む子供の平均人数

 例えば、生活の不安定な非正規雇用を減らす。「女性の活用」などと言わずに、女性の育児環境を抜本的に改善する。首都機能を地方に分散させるとともに、仕事と人口を地方に移して東京一極集中を変える。あるいは道州制を導入する。地方自治体を再編成してコンパクトシティに人を移住させる、などである。しかし、こうした大胆な国家改造は安倍がこだわる市場重視の成長戦略路線とは相いれないものである上に、どう考えても(しがらみに縛られている)今の日本の政治家には無理だろう。結局、ピント外れの予算のバラマキによって、財政赤字を拡大するのが関の山ではないか。

◆2050年の現実(国家イメージ)を直視せよ
 では、どうすればいいのか。私は乱暴なようだが、出来もしない、あるいは効果のない対策に拘るより、今はまず、かなりの確度でやって来る「2050年の現実(国家イメージ)」を幻想を持たずに直視することから、様々な政策を発想し直すべきではないかと思う。つまり、現実をいったん覚悟して、その上でマイナスの衝撃を出来るだけ小さくする「ダメージコントロール」に力を注ぐ事だと思う。では、その「2050年の現実」とはどのようなものなのか。
 人口は3000万人以上減の9000万人台、40%が65歳以上で、若者1.3人(現在は2.8人)で一人の高齢者を支えることになる。また、この高齢化の進行を考えると、(一人あたりの豊かさが減るわけではないにしても)日本全体のGDPは、一人当たりの生産量をよほど上げない限り
35年間に30%以上減ることになる。その時、GDPの規模は中国には大きく離されてドイツやフランス、イギリスよりも小さくなるかもしれない。そして、国内では、山村や農村から人影が消え、多くの人々が(コンパクトシティなどの)サービス形態を大きく変えた新しい単位の市区町村に移住せざるを得なくなる。

 これは40年前の過疎化とは比べ物にならない大変化であり、社会のあらゆるところが変化の波を受ける。生活の面では、社会的に弱い高齢者や地方の人々が大きな変化を強いられるだろう。経済もさることながら、文化的にも様々な消失が起きて来るだろう。注意しないと(今度はもっと大規模に)地方に豊かに残って来た神社仏閣や伝統行事などの日本の文化が消えて行く。
 この確度の高い日本の近未来を直視すれば、何かと世界一を連呼して軍事的にも経済的にも「世界の強国」を目指そうとする、今の安倍政権の方向が如何にピントのずれたものか、見えて来るのではないか。いくら、上を目指して背伸びしようとしても足元が崩れて行く中では無理なこと。しまいには信長のように高転びに転んで日本全体が怪我をする結果になる。

◆身の丈に合った政策でソフトランディングを目指す
 大事なのは、過去の成功体験を夢見て、無理筋の経済成長を追い求めるのではなく、社会の中間層の創意工夫に寄り添いながら、一人当たりの生産量を上げる道を探ることでではないか。人口減少という問題は短期間に起こる変化としては、かつてない大変化かもしれない。しかし、日本人の創意工夫と適応能力の高さを考えれば、方向性さえ間違えなければ何とかなるはずだと思う。
 近未来の現実を直視して身の丈に合った、地に足の着いた豊かさを模索することなら、今話題の「里山資本主義」(藻谷浩介)等を読めば、ヒントは幾つもある。あるいは、観光産業も含めて地方にも沢山ある世界に通用するジャパンブランドを磨くこともある。今、地方で芽生えている創意工夫の地域産業を大事にしながら、世界で稼ぐ大企業も中小企業もともに栄えて行く道を探ることだと思う。変な大国意識を捨て、現実を見据えた身の丈に合った政策で丁寧にソフトランディングの道を探っていく。そこに案外幸せな日本の未来が待っているかもしれないと思う。
安倍政治の見せかけと実体(3) 14.11.12

 10月31日、日銀が追加の量的緩和に踏み切った。これまで市中に出回る現金と銀行の日銀への預金を合わせた金額(マネタリーベース)を、年間60兆から70兆増やすとしてきたが、さらに80兆円まで増やすという。すでに2年で日本のマネタリーベースは、138兆円(12年末)→200兆円(13年末)→270兆円(14年末、見込み)と急増している。これを15年末の目標値で355兆円にまで引き上げるという。
 しかし、銀行が使える資金がこんなにも増えているのに、増えているのは銀行が日銀に預けている預金ばかりで、市中に貸し出される金の増加はわずか数%にとどまっている。日本企業の体力が落ちている中では、企業の設備投資が低調で、いくら量的緩和をしても実体経済には回らない。危ういマネーゲームくらいにしか、金の使い道がないのが実情なのだ。それなのに何故また追加緩和なのか、日銀は「期待値」を上げるなどと言っているが、良く分からない。

 以前にも書いたように(*)、アベノミクスの目論みは、量的緩和→円安(株高)→輸出による企業業績アップ→賃金上昇→購買意欲アップ→デフレ脱却(2%程度のインフレ、物価アップ)、というものだった。しかし、円安でも輸出は伸びず、却って急な円安で原材料が値上がりし、採算が取れずに円安倒産が急増している。アベノミクスが裏目に出ているわけだが、日銀の黒田総裁は「デフレを脱却するために、出来ることは何でもやる」と、さらなる緩和に踏み切った。
 これは、物価を2%上げるとことにこだわって途中のサイクルを無視した強引な政策で、(アメリカのヘッジファンドからは)自滅覚悟の特攻隊的な「バンザイノミクス」などとも言われている。日銀の決定も5対4の僅差だったが、素人の私にも本末転倒のようにも見えるし、焦りから来る悪あがきのようにも思える。この“博打のような政策”で日本経済は一体どうなるのだろうか。庶民の暮らしはどうなるのだろうか。(*「アベノミクス・バブルの結末」)

◆世界の投機マネーを相手に博打をする
 一方で、安倍政権は株価を上げるための露骨な政策も進めている。日銀は株価指数に連動する上場投資信託(ETF)の買い入れ額を3兆円にまで増やし、国は年金積立資金管理運用法人(GPIF)の株式投資額を今後10兆円以上増やす。これは国も日銀も株価を支えるというサインであり、この“官製相場”の動きに目をつけた内外の投資家たちによって、株が2日で1200円も値上がりした。安倍は株高の効果を強調するが、こんな投機的な政策をやっていてバブルがはじけたらどうするのだろうか。

 諸説あって正確な所は分からないが、今の世界では、実体経済(GDP)とは無縁の巨額な投機マネーが、投機の潮目を探して目まぐるしく動いている。一説には、株と債券だけで世界のGDPのおよそ2倍の投機マネーが動く。このほかに、デリバティブ(金融派生商品)残高で言うとおよそ10倍。そして通貨取引の世界ではGDPの15倍もの巨額なマネーが動いている。世界の投機マネー
 その巨額な投機マネーが、世界の株や為替、国債、重油や金や食糧などの相場を乱高下させるわけで、何かやりそうだという思惑で買うファンドもあれば、潮目が変わったと一気に売り浴びせて株や国債の暴落で儲けようとするファンドもある。その巨額な資金量と複雑な判断を考えれば、株も為替もとても一国の思惑(金融政策)でコントロールできるはずがない。そうした投機的思惑の世界に一国の経済政策の軸足を置いて大丈夫なのか。

◆アベノミクスの実体。その失敗は貧困層を直撃する
 そもそもアベノミクスの量的緩和は無意味だと言う説もある。不況時には、銀行に幾らカネが余っていても使い道がない。肝心の企業がリスクを考えて投資を控えるからである。これは、有名な「紐(ひも)のたとえ」と言われるもので、緊縮政策を行うときには、紐を引っ張るように(インフレ抑制などの)効果があるが、反対に金融緩和をしようと幾ら紐を押しても、たるむだけで効果はないということである(「貨幣・銀行政策における非対称性」)。この状況下で、異次元の量的緩和などと言っている日銀は、「戯画(マンガ)以外のなにものでもない」などと言われている(伊東光晴「アベノミクス批判」)。

 こうした指摘が正しいかどうか、素人の私には分からない。しかし、仮にアベノミクスの金融政策が裏目に出た時のダメージは大きい。すでに多くの所で書かれているように、日銀が増え続ける国の借金を国債と言う形で肩代わりする構図が露わになり、日本の国家財政に対する不信感が高まる。すると国債が暴落して金利が上昇、予算が組めずに財政破綻の危機が一気に高まる。世界のハゲタカ・ファンドがそのチャンスを虎視眈々と狙っている。
 まあ、ここまで破局的な事態にはならなくとも、イギリスのようにインフレ目標が達成されたのに、一向に景気が良くならないということはあり得る。そうすると、金融緩和をいつまで続けるのか、判断がますます難しくなる。いわゆる「出口戦略」の難しさだ。問題は、ずるずると量的緩和を続ける「その先」に何が待っているのか、それが社会にどういう化学反応を生むのかである。

 今の日本では、既に2043万人(全労働者の38%)が非正規労働者であり、そのうち年収200万円以下の人が1090万人(全給与所得者の24%)もいる。所得の不平等を示す数値に「ジニ係数」があるが、日本は派遣労働が増えた小泉改革以降、この値がじわじわと増え続けており、OECD先進国中4番目に高く、2011年には0.55になった(1が上限。厚労省調べ)。これは「慢性的暴動が起こりやすいレベル」と言われ、日本が危険水域に入っていることを示す。こういう下地がある時に、アベノミクスが破たんしたらどうなるか。
 その破綻(円の暴落によるハイパー・インフレなど)は、社会的弱者や国民の大多数を占める貧困層を直撃する。その結果心配されるのは、社会の荒廃とナショナリズムの拡大であり、外部に敵を求める戦争の危険である。同様なことは戦前のドイツでもあった。制御不能なインフレが国民の不満を高め、それがナチを生み、ヒトラーを登場させるきっかけとなった。その結果が第二次世界大戦である。ここへ来てにわかにナショナリズムの高まりが感じられる今の日本に、その可能性が全くないと言えるだろうか。

◆大国を治むるは小鮮(小魚)を烹(煮)るが如くす
 ここまで、こうなって欲しくないという思いで書いて来た。時々コラムを読んでくれている娘からはかねがね、「懸念材料ばかりでなく、どうすればいいかも書いて」と言われるが、そのためにもアベノミクスの幻影に惑わされずに、それが破綻した時のリスクについてもしっかり見ておく必要があると思っているわけである。私は、何はともあれ子や孫の時代に戦争するようなことにだけはなって欲しくはないと考えている。それが今の私のせめてもの願いである。
 そういう意味で、経済にも素人の私が言えるのは、「安倍政権には博打のような乱暴な政策ではなく、もっと丁寧に政治をやって欲しい」ということである。それでなくとも、今の日本は「膨大な財政赤字」、「少子高齢化による急速な人口減」、「巨大地震と原発事故」、「歴史認識を巡る隣国との緊張」、「格差の拡大」といった深刻な課題を抱えている。この状況の中で、安倍のように一か八かの乱暴な政策をやって失敗すれば、取り返しがつかない結果を生む。

 この深刻な課題を抱えながら、如何に平穏無事の社会を続けて行けるか。政治は、その負の芽を一つ一つ丁寧に取り除きながら、この平和で平穏な日本を守り続けて欲しい。中国の老子に「大国を治むるは小鮮(小魚)を烹(煮)るが如くす」という言葉があるが、(負けが込んだ賭け事のように)やたら奇をてらった政策を振りかざして乱暴にかき回せば、中の小魚は煮くずれてしまう。これが今の政治に必要な“要てい”ではないだろうか。

安倍政治の見せかけと実体(2) 14.10.31

 安倍政権による特定秘密保護法や集団的自衛権の強硬策が、中央はともかく地方では評判が悪い。例えば、特定秘密保護法の場合は去年12月に成立後、195の県議会や市町村議会が廃止や慎重な運用を求める意見書を国会に提出(うち130議会は廃止・撤廃)している(毎日10/15)。今年7月に閣議決定された集団的自衛権についても同様だ。特に集団的自衛権については(地方だけではなく)女性全体から反発が強いという世論調査もある。

◆地方と女性を取り込む巧妙な作戦
 こうした状況のもと、滋賀県知事選(7/13)では自公推薦の候補者が破れる事態になった。このままでは来年4月の統一地方選挙が危ういと、安倍政権は地方と女性を取り込む作戦に出た。いろいろ名目は並べているが、実体的にはこれが「地方創生」と「女性が輝く社会」の本質である。「地方創生」については、「ローカルアベノミクス」という新しい呼称を考え出し、「アベノミクスの果実を地方にも届ける」と宣伝し始めている。10月15日にはその司令塔として安倍首相を本部長とする「まち・ひと・しごと創生本部」も発足させた。

 「女性が輝く社会」、「ローカルアベノミクス」、そして「まち・ひと・しごと創生本部」。アベノミクスの成長戦略に結びつけて次々と「しゃれた名前の政策」を打ち出し、あたかもアベノミクスが成功していて、やがて国民全体にその利益が行きわたるかのような錯覚を植え付ける。こうした安倍政権の極めて巧妙な広報戦略は、「ここまで徹底的にやる政権は、過去の日本にはない」「国家の暴走」古賀茂明)と言われるくらいだ。
 メディアはさっぱり伝えてくれないが、おそらく、その背後には切れ者の菅を中心に首相補佐官たちがいて、大手広告代理店なども参加しているのだろう。巨額の機密費も動いているに違いない。しかし、政策の実体はと言うと派手な政策を次々と打ち上げるのは、指導力と実行力を印象付け、政権への支持を保つため。政策はあくまで政権維持のための道具、という姿勢です(豊永郁子早稲田大教授、10/8毎日オピニオン)などと見抜かれている。問題は、こうした選挙対策用の「人気取り政策」の裏で今、何が進行しているかということである。

◆成長戦略という新規政策と官僚の権限拡大
 例えば、地方再生、人口減対策、女性参画などの名目が入り乱れる「地方創生」に関しては、担当の石破(地方創生担当相)と有村(女性活躍相)との役割分担もはっきりしない段階で、霞が関の官僚たちが好機到来とばかりに張り切っている。8月の概算要求では、「地方創生」を含む特別枠に5つの省庁(国土交通、厚生労働など)から3.8兆円の予算要求が積み上がった。石破は「縦割りを断固排して、バラマキはやらない」と言うが、結局のところ「地方創生」の実体は、予算のバラマキと中央官庁の権限拡大になっていくだろう。
 石破は、地方からの提案を重視すると言うが、予算を付けるのは中央省庁だ。官庁の意向に沿ったものにしかカネは付かないし、付いたら付いたでひも付き予算で、新たな財源を握る霞が関の権限強化となる。次々と目新しい政策が登場するたびに、新規予算枠に官僚たちが飛びつき、権限を拡大する。しかも、その成長戦略というのが机上のプランで、地方はもちろん日本の近未来の構造変化(人口変化)にも見合っていない。

 最近も日本の人口減少による消滅可能性都市、東京一極集中の問題を提起した「日本創生会議」座長の増田博也氏の講演を聞いたが、(詳しくは改めて書くとして)その変化はとても経済政策の枠組みなどには入らないほど急激で深刻なものだった。これに対処するには、成長戦略などに捉われない抜本的な対策が必要。それを、安倍政権は「ローカルアベノミクス」などという軽いキャッチコピーで取り組もうとしている。これでは、投下される巨額の税金は結局、実質的な効果をもたらさない死に金になり、深刻な副作用を生むだけになるだろう。

◆政財官のトライアングルによる支持基盤の再編
 例えば、2012年にアベノミクスの「第二の矢」として行われた「機動的な財政出動」は、「国土強靭化」や「消費増税対策」を名目として10兆円に達した。その結果、日本中の建設業がバブルに沸いたが、結果は極端な資材の高騰、人手不足を生み、多くの工事予定が(予算に見合わず落札者がいない)入札不調続きになっている。そのあおりは学校の耐震化などの公共施設だけでなく、製造業にも及んでいて、設備投資をしようにも割高で諦めざるを得ない。建設バブルが、民間の経済活動まで阻害する要因になっている。
 予算の大盤振る舞いは、もちろん国の財政悪化を進行させる。消費税増税によって国の財政規律を高めるという目的とは裏腹に、次々と打ち出される成長戦略によって財布のひもが緩み、予算規模は拡大、財政赤字が膨らむ。おまけに消費税増税によって景気が冷え込み、さらに景気対策が必要になる。こうした深刻な副作用にも拘わらず、安倍政権が「人気取り政策」に走るのは、(霞が関に甘い汁を吸わせてまでも)まずは政権維持が最優先になっているからだ。

 安倍政権の成長戦略は「規制改革」(第三の矢)という名目で、農協や医療関連、それに民間企業にも及んでいる。しかし、「ドリルで固い岩盤規制に穴を開ける」と言っていた農協(全中)解体などは、抵抗に会って腰砕けになった。ただし、これも「政策のアメとムチ」と捉えれば分かりやすい。規制改革をやるぞと業界を脅せば、改革が出来なくても政権の力は誇示できる。農協(全中)の場合は、これだけ解体するぞと脅しておけば、たとえ改革が後退してもTPPの時などの(反対を抑え込む)取引材料に使えるはずだ。
 経済界の場合はアメである。経済界の喜びそうな「労働者派遣法の改正」や「残業代ゼロ政策」、「配偶者控除の廃止」、そして「原発再稼働」と「法人税の減税」などである。こうした経済界の意を汲む一連の政策が、経団連(榊原会長)による「政治献金の呼び掛け再開」に結びついたのだろう。このように安倍政権がアメとムチの効果を冷徹に読んでいるのには、驚くばかりだ。

◆目指すは長期政権。成長戦略に名を借りた人気取り政策のツケ
 そういうわけで、今、安倍政権がやっていることは成長戦略に名を借りた、支持基盤の再構築(再編)なのである。その結果、政府に近い企業が幅を利かせ、官僚が権限を拡大していく。つまり、政財官のトライアングル(政権と経済界と霞が関の結びつき)が、これまで以上に強くなり、政権はその利権構造の上に乗りながら長期政権を目指す。
 それは結果的に、政治家の人気取り政策、それにつけ入る官僚の権限拡大主義、政権に取り入る政治銘柄などと結びついて、必然的にかつての自民党のようなバラマキ体質の再現になって行く。さらに、グローバル化した企業が要求する市場原理主義的な政策を取り入れて行けば、日本社会もアメリカのような一握りの富裕層と大多数の貧困層とに、より一層厳しく分かれて行くだろう。

 「異次元の金融緩和」、「国土強靭化」、「女性が輝く社会」、「地方創生(ローカルアベノミクス)」、そして「まち・ひと・しごと創生本部」。安倍政権が次々打ち出す「アベノミクスの第一、第二、第三の矢」は、その派手なブチ上げにも拘らず一向に経済成長につながらない。それは、どうやら既に過去のものとなった「経済成長の幻影」に惑わされた誤った政策だからと言う意見が最近は強くなっている。
 アベノミクスは、実体経済の強化につながらず、却って経済バブルの崩壊、国家財政の破綻、貧富の格差拡大をもたらす可能性が高い。なりふり構わずに長期政権を目指して走る安倍政権の「人気取り政策」は、将来の日本社会に何を引き起こすのか、そして、その社会変化が安倍の「国家主義的政策」と結びついた時にどういう化学変化を起こすのか。これについては次回に見て行きたい。

安倍政治の見せかけと実体(1) 14.10.23

 10月20日、安倍首相が「女性の活躍」を目玉政策としてアピールするために登用した5人の女性閣僚のうち、小渕優子経産相と松島みどり法務相の2人が自身の不祥事から相次いで辞任した。「女性の活躍」は例によって安倍周辺がアベノミクスに結びつけ、話題作りの人気取り政策として取りあげたものだが、それが裏目に出た格好だ。しかしこの事案もその実体を仔細に見ると、かなり根が深い問題だということに気付く。
 そもそもアベノミクスから始まった政策は、見せかけと実体の落差が大きいのが特徴だ。国土強靭化、女性が輝く社会、地方創生、働き方の改革など、派手なキャッチフレーズ(触れこみ)とともに打ち出されて来たが、国民の方も、一向に景気回復が実感できないこともあって、最近ではそれらに疑いの目を向け始めている。“成長戦略”と言う耳触りのいいキャッチフレーズの裏側で何が進行しているのか。これから数回にわたって、安倍政治の見せかけと実体の落差ついて見て行きたい。 

◆「女性の活躍」の内実
 まず、女性閣僚の登用についてである。断わっておくが私は女性の活躍については大賛成。しかし、それを言うなら安倍政権は民間企業の役員登用を30%に増やすなどと言う前に、櫂より始めよで「国会議員の30%以上を女性にする」位の大胆な政策を打ち出すべきだと思う。事実、20年前の内戦で多数の虐殺を経験したアフリカのルワンダは、憲法で女性議員が30%を超えるようにした結果、今では女性議員の数は過半数を超え、その力もあって国内の和解にこぎつけ平和を維持している。問題は、安倍の「女性の活躍」が見せかけだけで内実が極めて胡散臭いことである。

 小渕優子(40歳)は将来の女性首相候補などと持ち上げられ、安倍の「女性の活躍」の目玉として登用された。安倍としては、原発再稼働の看板娘として利用する思惑もあったに違いないが、その能力については疑問だった。例えば、原発再稼働について答弁する際にも、官僚の作文をなぞるばかりで全く肉声が感じられない。(自分で検証もしないで)「今は老朽化した火力をフル稼働している状態で不安だ」などと官僚の言い回しを平気で使いながら、一日も早く再稼働したいと言わんばかりだった。
 福島原発事故の反省もなければ、原子力政策の担当者としての責任の重さも伝えられない。経産省の官僚たちも、使い勝手のいい優等生のお嬢さんが来たと内心ほくそ笑んでいたと思うが、そうは行かなかった。清新なイメージとは裏腹に、神輿に乗る方も担ぐ方も政治とカネについては、ぐずぐずの古い体質でやりたい放題。自分も含めて奇怪なカネ(税金)の使い方を次々と指摘されている。人気先行の哀しさで、政治家としての未熟さを露呈した形だが、疑念噴出の今、議員失格ということにもあり得るだろう。

 一方の松島みどり(58歳)も、就任直後から舞い上がって勝負色の赤いストールを巻いて登院したり、官僚を叱りつけたりと何かと物議を醸して来た。東大出であることを鼻にかけ、自信過剰で答弁も官僚が作ったペーパーに頼らずに自己流でやろうとするから、「何を言い出すかわからない。いずれは舌禍でしくじる」というのが永田町でのもっぱらの観測だったという(ネット)。挙句の果てに、就任後もうちわを配って足をすくわれた。男女に限らず成熟した政治家が少なくなったという例証のような出来事ではあるが、どうしてこういう人間を任用したのか、安倍の任命責任は重い。

◆ウルトラ右派の女性閣僚たち
 根が深いと言えば、問題はむしろ残りの3人の方かもしれない。ご存知のように高市早苗(総務相、53歳)、山谷えり子(国家公安委員長ほか、64歳)、有村治子(「女性の活躍」担当大臣など、44歳)の3人は揃って、超党派の「日本会議国会議員懇談会」(289名)のメンバー。「日本会議」は、憲法改正、太平洋戦争の意義の肯定と中国侵略の否定、東京裁判の否定、靖国参拝推進、皇室とともにある政治、などを掲げる日本最大の右派組織で、安倍首相とも政治信条が近い。
 3人は10月18日に秋季例大祭が行われている靖国神社を参拝した。供え物「真榊(まさかき)」奉納で済ませた安倍の代理のようなものだが、彼女らの言動は、立場上あからさまに政治信条を吐露出来ない安倍に代わって、安倍たち国粋保守の内実を示す格好の見本になっている。その高市は満州事変、日中戦争について「自衛のための戦争だった」「セキュリティーの戦争だった」などと侵略性を否定。原発事故に関しても「事故で死者が出ている状況ではない」として再稼働に賛成している。

 高市はまた、日本のネオナチ団体代表と国旗の前で記念写真を撮っていたというので、外国メディアから批判されている。この団体の主張はネットで見られるが、殆ど狂気に近い。高市は「知らなかった」というが、そういう狂信的な連中に接近される事の方が問題だろう。ドイツなら即刻議員辞職の不祥事だというが、真実はどうなのだろうか。
 同時に、私などメディアに身を置いた者の感覚からすると、安倍が彼女をNHKや民放の監督官庁である総務大臣にしたこともかなり厭らしい。これでは、幾らNHK経営委員の百田尚樹が亡くなった土井たか子を「売国奴」呼ばわりしても、首にするような力学は働かない。安倍はこうした高市の政治信条を熟知した上で任命したわけで、安倍政権の「メディア締め付け」はより一層厳しいものになるに違いない(「メディアの冬の時代に」)。

◆山谷えり子とヘイトスピーチの在特会
 国家公安委員長のほか、拉致問題担当、海洋政策・領土問題担当、国土強靭化担当の大臣に任命された山谷も同様だ。山谷は、在日韓国人に対する脅迫的暴言(ヘイトスピーチ)で問題になっている「在特会」の関西の幹部3人と一緒に撮った写真が暴露された。彼女も「知らなかった」と言い逃れたが、彼らとは「夜明けのコーヒー」を飲みあう親密な関係だったことが指摘されている(週刊文春9/25号)。
 9月25日、山谷は外国特派員協会での会見で、この在特会との関係について集中的に質問され、週刊誌の指摘は正しくないなどと主張したが、こういうことを疑われる人物で国家公安委員長が務まるのかと厳しく追及されている。ヘイトスピーチについては、国連の人権委員会でも日本政府に法規制を求めており、外国特派員が山谷を追及するのは当然のことなのだが、何故か日本のマスメディアはこれまで殆ど音無しの構えである。

 残る有村治子も同様のウルトラ右派である。天皇中心の「日本の国柄」を歴史教育に反映させるように主張したり、在日中国人の監督が靖国を描いたドキュメンタリーに政治介入したりしている。もちろん安倍は、こうした背景も知った上で彼女たちを任命したはずであり、その実体は「女性の活躍」などという明るいキャッチフレーズとはおよそ離れたどす黒いものである。

◆見せかけとは違う実体の先に
 今回は、成長戦略の一つである「女性の活躍」の目玉として任命された女性閣僚の実体について書いただけで終わってしまったが、同様に、地方創生や国土強靭化、働き方の改革なども、その触れこみとは別の実体を生み出しつつある。それは、新たな利権をもとにした安倍支持基盤の再構築であり、政財官の結束の強化であり、そこから透けて見える「長期政権への狙い」である。アベノミクスの名のもとに次々と繰り出される政策の裏で今何が起きているのか。そして安倍政権は、その長期政権戦略の先に何をしようとしているのか。さらに安倍政治の実体を見て行きたい。