今年6月29日に、自らを「イスラム国(Islamic State)」と称したイスラム過激武装集団については、遠い問題のように考えていた。しかし、8月19日にアメリカ人ジャーナリストを斬首した衝撃的な映像が世界を駆け巡って以来、その残虐な過激派集団については、否応なく関心を引きつけられて来た。ネットにアップされている胸が悪くなるような画像の数々を見るにつけ、人間の無明(迷妄)の深さにつくづく考え込まざるを得ない。
詳しくは書けないが、まるで人を殺すのを楽しむかのように捕虜の首を切り落とし、曝し首にして並べる。しかも、そうした残忍で過激な原理主義が世界の若者を引きつけ、数万に及ぶ兵力のうち海外からの義勇兵は6千人を超えると言う。彼らは、死ぬことを全く恐れない。そんな中、「人を殺してみたい」、「フィクションに身を投じてみたい」と言ってシリアに渡航する日本人(北大生ほか)まで現れた。世界は果たして、この“癌(がん)”組織のように増殖を続ける「イスラム国」を抑え込めるか。日本にとっても、他人事ではない問題である。
◆文明世界を否定する癌組織
北大生(26歳)のシリア渡航を支援しようとした、イスラム学者の中田考(元同志社大学教授、54歳)は、イスラム国にはイスラム国なりの論理と正義があると擁護し、学生にイスラム過激派と日本のかけ橋になって欲しいと言うが(*)、欧米はこうした動きを最も警戒している。欧米を敵視するイスラム国で戦闘員としての経験を積んだ若者が、自国に戻って国内でテロ事件を起こすことである。ドイツでは既に400人が出国し、うち100人が国内に戻っている。(*インタビューおよびサイト)
確かに、現代社会は様々な矛盾と腐敗を抱え込んでいて、そこに住む若者たちにとって希望のない(自殺したくなるような)世界に見えるかもしれない。しかし、そうかといってイスラム急進主義の増殖を許すなら、世界は一気に中世のような暗黒時代に連れ戻されることになるだろう。
国民国家と国境を否定し、厳格な教義を押し付け、女性を虐げ、異教徒に残忍な刑罰を科す。民主主義と人道主義を無視するその性格は、現代(西欧)文明に対する挑戦であり拒否である。イスラム国は現在、シリアとイラクにまたがる各都市を線で結ぶように広がっており、その支配領域の合計面積は、イギリスより広くなっている。これがさらに拡大してイラクとシリアの大部分を支配すれば、世界は悪夢のような状況になるだろう。残酷で狂信的なイスラム国の情報に接すると、イスラム国は国際社会に取りついた異物であり、“癌”組織のようなものではないかと思えてくる。
◆複雑な情勢。癌治療にも似た壊滅策の成否は?
何しろ、イスラム国は奪った油田の石油販売や、文化財の盗掘販売、人質の身代金などで潤沢な資金を得ている。その資金力を生かして、かつてのフセイン政権の残党や世界の若者を続々と戦闘員として呼び込む。ネット(SNS)を使った宣伝、テロの呼び掛けも巧みである。これは、たとえてみれば周囲の栄養分をどんどん吸収して増殖を続ける癌組織。9月に始まった空爆は、その癌組織に対する“放射線治療”のようなものだろう。
しかし、イスラム国は、カリフ制(イスラムの最高権威者)を看板にした強力な回復力を持っているので、空爆だけで根絶することは難しいと見られている。また、癌治療には放射線で患部を叩いて小さくし、それから“外科的手術”で除去する場合がある。これが地上軍の派遣に当たるわけだが、今回、アメリカはこの地上戦をためらっている。一旦、始めたらイラク戦争のように出口の見えない泥沼に陥る可能性があるからだ。
一方、周辺の血管を塞いで栄養分を断ち、“兵糧攻め”によって癌細胞を死滅させる方法(血管塞栓術)もある。9月24日に国連安保理が決議した、各国による(テロ目的の出国者の処罰、資金面を断つなどの)イスラム国包囲網は、これに当たるだろう。要は、こうした包囲網を国際社会が一致して取れるかどうかなのだが、ご存知のように中東情勢は複雑怪奇。ちょっと読み誤ると、アメリカが反アサド勢力に与えた武器が同じ反アサド勢力のイスラム国に渡ったりする。
シリアの中は、アメリカが潰そうとしているアサド政権とアメリカが支援する反体制派に分かれるが、その反体制派もイスラム国に対しては、近いものから反対のものまで様々だ。隣のイラクでは、現在のシーア派政権が弱体化していて、スンニ派のイスラム国に対処できていない。しかも、イラク国民は2対1の割合でシーア派とスンニ派に分かれている。そして、シーア派の大国イランがじっと成り行きを見ている。
◆何がイスラム国を生んだのか
触手のように広がった支配地域の形状と、こうした複雑な情勢では、イスラム国という癌組織に対しての放射線療法も、外科的手術も、兵糧攻めも、なかなか決め手となりにくい。そこで当然のことながら、なぜ若者が過激派に走るのか。その土壌となっているそれぞれの国内問題に取り組み、「テロリストを生まない社会」を築く努力が必要だとする論調も登場する。(朝日社説10/6)。
これは、さしずめ体全体の免疫力を高めて癌細胞の増殖を抑える“免疫療法”にあたる。医学的には実証されていないが、根強い人気を持つ考え方だ。しかし、なぜ北大生のような若者が過激派に走るのか、その原因を突きとめて不満を解消してやるのは、言うは易くだがなかなかに難しい。格差の少ない、若者も生きやすい社会を作るのは(正論ではあるが)、より広い観点から取り組むべきでそう単純なことではない。
それより、ここで「何がイスラム国を生んだのか」、先進国自身の問題として、その原因を明確にしておいた方が、今後の教訓になるのではないか。それは、2003年のブッシュ大統領の誤った選択がきっかけだった。国連安保理の決議を経ないまま、大量破壊兵器(核と化学兵器)の存在と9.11を起こした国際テロ組織とのつながりを理由に、戦争を開始。それまで反米的、かつ独裁的ではあったが、比較的安定して国民を統治していたフセイン政権を倒した。
しかし、結果的に大量破壊兵器と過激派とのつながりは虚構に過ぎず、戦争は10年以上に及ぶイラクの大混乱をもたらしただけだった。さらに、アラブの春の民衆の蜂起に際して、独裁的なアサド政権(*)が化学兵器を使ったという理由で、反政府勢力に肩入れ。イスラム国は、その混乱と権力の空白に乗じて勢力を伸ばして来たわけである。*ロシアは親アサド
◆戦争を始める論理「予防戦争」の結末
超大国アメリカは圧倒的な武力を背景に、世界の警察として、民主主義の伝道者として性急な武力行使に踏み切り、その結果に苦悩している。9.11の同時多発テロの後、アメリカは「先制攻撃ドクトリン」を発表した(2002年)。その中で、ブッシュ大統領は差し迫った危険に対する「先制攻撃」を拡大解釈して、何ヶ月、あるいは何年も先に実現しそうな脅威に対する「予防戦争」までをもアメリカの採るべき戦争に含めた。
その結果がイラク戦争だったわけだが、何ヶ月、あるいは何年も先に実現しそうな脅威に対する「予防戦争」が正しいかどうかを判断するのは、至難の業である。ある人は、ペリクレス(ギリシャの賢人)やソロモン(古代イスラエルの賢者)を合わせたような英知が必要だともいう。未来から歴史を評価するような「神の目」が必要であり、これは殆ど人知を超えている。(「アメリカの終わり」フランシス・フクヤマ)
歴史に「もし」はないが、ではあの時、戦争をしなければ中東はどうなっていたのか。相変わらず、フセインはアメリカにとっての厄介者だったろうが、イラク国民の生活も安定していたはずである。この10年の中東の大混乱がなければ、イスラム国もなかった。そのイスラム国は、今やアメリカの究極の敵だという見方さえあるが、これらの経緯は、積極的平和主義を掲げてアメリカと軍事的共同歩調をとろうとしている日本にとっても重い教訓だと思う。
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