7月14、15日のたった2日間だけ行われた集団的自衛権の国会審議。海外での武力行使によって自衛隊員(国民)に犠牲が出る可能性について、野党が最高位責任者としての自覚について質問したが、首相はまともに答えない。「(戦死者を出すかどうかの判断については)滅多にそういう判断はしないし、そうしなくてもいい状況作っていくことに、外交的に全力を尽くしていく」など、相変わらず(訳の分からない)本心からも、実体からもかけ離れた空虚な言葉を並べただけだった。
首相はかつて、集団的自衛権が必要な理由として「軍事同盟は血の同盟だ。アメリカの若者は血を流す。しかし、日本の自衛隊は血を流すことがない」(2004年)と述べているが、「日米同盟を血の同盟にする」などと言ったら露骨すぎるので、その本心を出来るだけ隠そうとしているに過ぎない。しかし、その本心を反映した“解釈”は隠しようもなく、公明党の意見を入れて作ったという「武力行使の新3要件」も安倍にとっては何ら歯止めにならないことが見えて来た。そのキーワードが「死活的に重要」という言葉である。
◆「死活的に重要」で、歯止めにならない3要件
7月13日に放送されたNスペ「集団的自衛権 行使容認は何をもたらすのか」によれば、武力行使の新3要件の重要部分「(我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し)、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」の後半は、公明党の北川副代表(写真)が自民党側に容認の条件として持ちかけた文言だった。これを読むと、一見余程のことがない限り武力行使は行わないように見える。
しかし、国会審議の中で安倍はペルシャ湾のホルムズ海峡での機雷除去にこだわった。この海上交通路が封鎖されれば、国民生活に「死活的に影響が出る」と言い、3要件を満たすとしたのである。同時に、日米関係が揺らぐことについても「死活的に重要」として武力行使のケースになり得ると答えた。
「死活的」とは、文字通り「生きるか死ぬか」ということだから、確かに言葉上は要件に入る。しかし、これらのケースが、直接的に国民生存の権利を根底から覆す明白な危険なのかどうか。安倍らの一直線な“風が吹けばおけ屋が儲かる”式の解釈は、(戦争を忌避する国民感情とは反対に)武力行使に相当入れ込んでいるように思える。
同様に、他の様々な事象に対しても政府が「死活的に重要」と判断すれば、海外での武力行使は可能になる。これでは「歯止めは何もかかっていない。無制限に武力を使えることが浮き彫りになった」(柳沢協二・元内閣官房副長官補)と言われても仕方がない。公明党が、きちんと歯止めをかけたと胸を張る3要件も、(安倍たちにとっては)実質的に何の歯止めにもなっていないことが露わになりつつある。
◆日本近隣での戦争に巻き込まれるリスク
結局、アメリカが海外で戦う時に、その戦争に付き合うように求められれば、日本は参加せざるを得なくなる。要求を断ることは日米関係を毀損することになり、それは日本にとって「死活的に重要な事態」だからだ。それが、(国際的に言えば)集団的自衛権というものの本来の意味であり、安倍たちが構想する「日米同盟を血の同盟にする」ということの内実である。先日のNスペが紹介したドイツの場合も、そのような集団的自衛権によってアメリカが始めたアフガン紛争に参加して55人の犠牲者を出した。そうした内実は同時に、日本にとって戦争を放棄した憲法9条の空文化を意味する。
Nスペはドイツが集団的自衛権を決断する時には議論に4年の時間をかけたと紹介すると同時に、さらに重要な情報も伝えていた。それは「ドイツは近隣諸国との良好な関係を築いた後に、集団的自衛権の採択を決断した」と、ドイツ元高官が述べたくだりである。これは過去の歴史の反省もあるだろうが、一方で言外に、ドイツは(自国が戦場になり得る)ヨーロッパの近隣で戦うことはなく、仮に戦うにしても地球の遠隔地になる、ということを示唆している。そこが日本とはまるで違っている。
日本は反対に、日本の近隣諸国の国際情勢の変化、つまり中国などの脅威への抑止力として、集団的自衛権の必要性を説いて来た。その近隣諸国と今の日本は緊張関係にあり、とても良好な関係とは言えない。そこがドイツと決定的に違う。そのことは同時に、日本の場合、集団的自衛権によって重大な戦争に巻き込まれるリスクは、むしろ日本の近隣において高いことを意味する。安倍がホルムズ海峡などといっているのは、煙幕なのではないかと勘繰りたくなるくらいだ。
◆近隣諸国と対立したままではかえって危険
例えば、仮に今緊張が高まっている南シナ海で中国と周辺国が衝突し、アメリカが何らかの行動を起こして中国と小競り合いになった時、日本はどうするのか。あるいは、(1995年の時の第三次台湾海峡危機ように)仮に中国と台湾の間で緊張が高まり、アメリカ軍が出動した時はどうするか。アメリカが攻撃を受ければ、日本は日米同盟の維持や南シナ海の航路確保を「死活的に重要」として武力行使に出る可能性は高い。
それが、要件の3項目目にある「必要最小限度」にとどまる保証はどこにもない。仮に日中の武力衝突を口実に中国が尖閣にまで戦闘行為を広げたらどうなるか。首相は「むしろ集団的自衛権の存在が抑止力になる」と言うが、日本近海での集団的自衛権の行使は、日本国内にまで戦禍を広げる恐れがある。国会は、ホルムズの機雷除去ばかりでなく、あらゆる角度から「日本近海での武力行使のハードルを下げるリスク」を論じるべきだと思う。
◆中国脅威論とどう向き合うか
今の日本には「中国脅威論」が蔓延している。それには、もちろん中国の覇権主義的行動にも責任があるが、安倍政権はそれをより強調しながら、着々と武力行使の仕組みを整えてきた。それが抑止力につながるという考えだが、平和を追求し、戦争を避けることを最大課題にする限り、中国との関係改善を最優先で模索しなければならないはずだ。「近隣諸国と対立したままで、いくら平和を叫んでも、それは空念仏だ」(野中広務氏)なのである。
安倍は「対話のドアはいつでも開かれている」と言うが、中国からは「口先だけだ」などと言われている。その点では、中国と対話を続けているアメリカの方を見習うべきで、幾ら嫌な相手でも対話を続けて、いざと言うときに衝突を回避するルール作りだけでも急ぐべきではないか。その意味でも、歴史認識の違いや国粋的価値観に捉われずに、中長期的な中国の実像をリアルに見極めることが重要になる。そこで次回は、この厄介な中国脅威論とどう向き合うべきかを考えてみたい。
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