日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

ビジョンも哲学もない政治 22.12.7

 次々と辞任した岸田政権の閣僚たちを見ていると、これが今のエリート政治家の実態なのかと、怒りよりむしろ驚きと虚しさが先に立つ。山際大志朗(東大大学院)、葉梨康弘(東大)、寺田稔(東大・ハーバード大学院)がそれぞれの学歴らしいが、常人では理解できない嘘とごまかし、記憶違い、人を小馬鹿にした開き直りで自ら墓穴を掘って退陣に追い込まれている。警察官僚あがりの葉梨(茨城3区:写真)などは、茨城の県警本部長を訪ねたときも、応接テーブルに足を乗せてふんぞり返っていたというから、よほど思いあがっていたのだろう。

 彼らの答弁や釈明を聞いていると、自分が話していることが屁理屈で、聞く人間にどのように響いているのかなど、全く理解できていないことがよくわかる。人間としては、むしろ(悩んでいる人には悪いが)発達障害に近いのではないかとさえ思える。これでよく庶民・大衆の代弁者として政治家をやってこられたと思うが、彼らにとって庶民・大衆は票を入れてくれればいいだけの存在で、眼中には権力者や政財官の利害関係者しか入っていないのだろう。庶民感覚を理解する「下情に通じる」は政治家の大事な資質なのだが、もう死語になってしまったのか。

◆党内の御用聞きのような政治
 岸田が後任に任命した閣僚たちも後藤茂之経済再生担当相(東大・米ブラウン大大学院)、齋藤健法相(東大・ハーバード大大学院)、松本剛明総務相(東大)という面々で、こんなエリート好みに岸田の性格が出ているのかどうか。こうしたエリートコースを歩んできた、苦労知らずの人間はよほど謙虚に自分を律しないと、ただただ権力志向だけが強い、嫌味な「下情に暗い」政治家に成り下がる。一方、二世議員で岸田派を受け継ぎ、安倍内閣で外相や政調会長などの要職を経て、2度目の挑戦で首相になった岸田はどうなのか。今の首相に庶民は見えているのだろうか

 岸田は何をやりたくて首相になったのか。どういう政治哲学を持った政治家なのか。それが一向見えないうちに、安倍国葬から始まって、旧統一教会問題、内閣改造と不祥事閣僚の任免など、打つ手がことごとく裏目に出て内閣支持率は下がる一方。最近の岸田は、そうした状況に焦って党の要人と会食を繰り返し、御用聞きのような政治に陥っている。その主なものを上げると、財政規律など忘れたかのような補正予算の大盤振る舞い、「原発の最大限活用」という突然の政策転換、どこにそんな金があるのかと言う防衛予算の大幅増である。

 これらは、いずれも国の根幹に関わる重要テーマで、これまでも様々な議論を呼んで来た問題だ。にもかかわらず、一部の利害関係者の要望や型どおりの審議会の答申を受け入れる形であっさりと方針を転換した。大幅な補正予算は、来年の地方選挙を心配する自民党幹部の声に押されたものだし、原発は党内推進派と原子力ムラの声に応えるもの、防衛費増は米国と国防族議員の声を受けたものである。幾ら党内基盤が弱いとは言え、これまでの議論の経緯を踏まえて自ら熟慮・検討した形跡が見えない。「聞く力」などと言って、何の抵抗もなく有力議員の声を受け入れる、岸田の拘りのなさに危うさを感じざるを得ない。

◆脱炭素へのロードマップのない中での原発回帰
 廃炉が決まった原発の建て替えや運転期間の延長などの政策転換は、三菱重工などが目指す「革新軽水炉」を切り札にしているが、幾ら福島以後の安全対策を組み込むと言っても、従来の大型炉の復活路線であり、一基の建設費が5千億から1兆円もかかるシロモノだ。今やコスト面でも再生可能エネルギーに負けている原発に、なぜ巨額の開発費、税金を投入するのか。地震国日本で、使用済み燃料の行き場もなく、再処理も難しい八方塞りのお荷物(原発)に岸田がすり寄るのは、政財界(原子力ムラ)の支持をつなぎ留めたいからだろう。

 岸田は、脱炭素やエネルギー危機を原発推進の口実にするが、原発特有の硬直化した送配電システムにおいても、巨額投資においても、原発が自然エネルギー普及の壁になっていることは、もはや常識である。火力発電に拘る日本は、地球温暖化防止のCOP27(エジプト)で、3年連続で不名誉な「化石賞」をもらうなど、殆ど存在感を示せなかった。2050年までに脱炭素を実現する道筋(ロードマップ)も曖昧で、自然エネルギーへの本気度が見えない日本である。その状況でなぜ原発回帰なのか、本心はどこにあるのか、国民にきちんと説明すべきではないか。

◆岸田が主導する防衛計画の大転換
 さらには、ここへ来て5年間に43兆円と、過去5年間の1.57倍に増額を決めた防衛費である。岸田はこれを今後5年でさらに年間11兆円へと増やし、NATO並みにGDPの2%を目指せと指示している。ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル、中国の覇権主義を踏まえた増額だが、この40年以上GDPの1%程度に抑えてきた日本の防衛費の量的・質的な大転換である。きっかけは、5月にバイデン大統領が来日した時に、岸田の方から「日本の防衛力を抜本的に強化し、その裏付けとなる防衛費の相当な増額を確保する」と表明したことにある。

 それ以来、自民党の国防族議員や防衛省の声が大きくなり、岸田がこれに応えた形である(財務省案は30兆円)。これは最初から「規模ありき」だったとの批判もあるが、岸田が主導する防衛政策の転換は主に2つの問題がある。一つは、年内にも策定する安保関連3文書に含まれる「反撃能力(敵基地攻撃能力)」とも関連して、射程1600キロのトマホークミサイルを500発買う計画とか、搭載するイージス艦(2隻で5千億円)を持つなどが取りざたされているが、反撃能力は日本の国是である専守防衛を逸脱しないのか。さらには43兆円の財源をどうするのかの問題だが、岸田はこれらの具体的内容を全く説明しないで額だけ決めた。

◆御用聞きのような借金の大盤振る舞い
 「反撃能力(敵基地攻撃能力)」と専守防衛の関係については、別途回を改めて書かなければならないが、平和憲法を軸とする日本の防衛のあり方を岸田はどう考えているのか。彼は日本が戦場になる”戦争のリアリティー”をどう考えているのか。前のめりになって、アメリカや国防族議員の声を聞く姿だけが見えて、本来はハト派である宏池会出身の岸田の本心が見えないのが不可解である。もう一つは43兆円の財源の問題。増税(所得税、法人税、富裕層への課税強化など)や軍事国債などが云々されているが、自民党からは早速増税反対の声が上がっている。 

 これは、国債派の萩生田政調会長(安倍派)らが言っていることで、増税したら来年4月の統一地方選が戦えないなどという安倍派らしい声である(*)。もともと国債をどんどん発行してアベノミクスを進めてきた彼らは、国の借金が増えることを何とも思っていない。財政規律などは、財務省のたわ言と思っている。それが如実に表れたのが、先日の29兆円の補正予算でもある。これも荻生田らが一晩で4兆円も積み増した結果だが、8割は国債(借金)である。*)結局政府は、選挙後の増税で行くことを決めた。

 そもそも補正予算は予算編成後に発生した緊急事態に対処するものだが、これが疑問符だらけ。官庁のオフィス改造とか、ジビエの飲食店を増やすとか、この際に便乗するものが目立つという。さらには、50もの基金を作って予算を配るなどの大盤振る舞いである。それにゴーサインを出した岸田は、政権維持のためには何でも聞く御用聞きのような政治家になってしまったのか。

◆ビジョンも政治哲学も見えない
 国の借金はこのまま行くと、2040年には、今の2倍以上の2700兆円にも膨らんでしまうという予測(大和総研)もあるが、こうした未来世代にツケを回す財政を、岸田はどうするつもりなのか。「聞く力」だけで、そこに日本をどうするというビジョンも政治哲学も見えないのが何とも心許ない。エリート政治家の道を歩んできた岸田も、権力者の意向を読み、流れに逆らわずにやって来たのかもしれないが、それが習性になってしまっては首相は務まらない。構造的な変革が避けられない今は、流れに逆らってでも突破するビジョンと哲学が必要になるはずだ。岸田にそれがないとすれば、早くに退陣してもらうしかない(後に誰がいるかも心配だが)。

国家ビジョンと民主主義 22.11.18

 イギリスの元首相ウィンストン・チャーチル(1874〜1965)はかつて、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外のすべての政治体制を除けばだが」と言ったが、これは逆説的に「民主主義はこれまで試みられてきた民主主義以外の政治に比べれば最良の政治形態だ」と民主主義を肯定する一方で、政治家にとって民主主義は、時間と忍耐を要する面倒な政治形態だと嘆いた言葉でもあるだろう。確かに面倒でも、民主主義がなければイエスマンで固めた独裁者の暴走や権力の腐敗を監視、是正する機能は期待できない。

 しかし、その民主主義が政治の場で何より大事な政治的価値として扱われているかと言えば、この現代に至ってもその地位は大きく揺らいでいる。2021年のデータ(*)では、世界199の国と地域のうち、意味のある選挙を実施している民主主義国家は90か国だが、選挙があっても独裁的国家、あるいは選挙もしない独裁国家は109か国。この非民主主義的国家には中国もロシアも入っているが、今や世界人口の71%が非民主主義国に住んでいる状況であり、この傾向はむしろ進んでいる。今、世界の中で民主主義の位置づけはどうなっているのだろうか。*英オックスフォード大統計

◆民主主義VS「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」
 8日に行われたアメリカ中間選挙では、バイデン大統領とトランプ元大統領の戦いの様相を呈したが、バイデンはトランプを意識して「これは民主主義を守る戦いだ」と言って上院では僅かに共和党を制した。それだけトランプはアメリカの民主主義を根底から揺るがしてきたと言える。大統領時代に行った、膨大な嘘の発信、メディアへの攻撃と脅し、選挙の正当性への異議、政権に身内を登用する公私混同、司法への攻撃や裁判官(判事)登用への介入、政敵への犯罪者呼ばわり、支持者の暴力の黙認ないし賞賛などである(「何が民主主義を殺すのか」)。

 民主党の勝利は民主主義への危機感と同時に、共和党の人工中絶禁止への若者層の反発が大きかった結果とも言うが、一方で、15日に「再度、大統領選挙に出る」と宣言したトランプには、今も熱狂的な岩盤支持層がいる。その支持者を惹きつけているのは、トランプが掲げる「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」(MAGA)である。この日の立候補宣言でも、トランプは「アメリカを再び偉大で輝かしい国にする」と演説した。これは彼の「アメリカファースト」にもつながるスローガンだが、バイデン側からは聞こえて来ない「国家の夢、国家ビジョン」でもある。

◆バイデン政権の「民主主義VS専制主義」
 方や「民主主義を守れ」と訴える民主党。方や「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」と訴える共和党。アメリカ国内はこの二つの主張の間で真っ二つに分断されている。もちろん、世界の多くの国々で民主主義の価値観が揺らいでいる時に、バイデン大統領が民主主義の価値観を守れと訴えるのは、ある意味当然とは思うが、この「民主主義の価値観」の訴えと、「国家の夢、国家ビジョン」の訴えは、どこかですれ違っているようにも思える。何がどうすれ違っているのか。それを考えるために、覇権をめぐって争っているアメリカと中国の場合を見てみる。

 これまでバイデン政権は、中国やロシアを念頭に「民主主義対専制主義」という価値観の違いを掲げ、NATOや東アジアの民主主義国家(日本、オーストラリア、インド)を束ねてロシアに対抗し、中国を封じ込めようとして来た。しかし、今回のG20の期間中、14日にインドネシアのバリ島で行われた米中首脳会談で中国の習近平はこれに反発。「米国には米国式の民主主義があり、中国には中国式の民主主義がある。自国を民主主義国家、他国を権威主義国家と定義すること自体が非民主主義的だ」と反論したという。相当、カチンと来ているらしい。

◆中国の「国家の夢、国家ビジョン」
 香港の民主派や新彊ウイグル族への弾圧などを見れば、中国が民主主義国家とはとても思えないが、「中国には中国式の民主主義がある」とは、どういうことか。思うに、中国は党員9千万人の中国共産党の一党独裁国家で、これを維持することが至上命題であり、全人代や共産党大会など、その枠内での様々な政治的仕組みが「中国式の民主主義」と言いたいのだろう。しかし、これは限られた仕組みで14億国民全体のものでなく、西欧式の民主主義とも違う。国民全体を考えた場合、彼らが重視するのは、そうした民主主義的価値観よりも「国家の夢」の方になる。

 習近平の中国はかねてから、2049年の建国百年に向けて「中華民族の偉大な復興」を国民の夢として掲げてきた。清朝末期のアヘン戦争などで欧米の列強や日本に浸食された国富を回復し、大国を復活する夢である。そのために、格差を是正して国民の富を底上げする「共同富裕」や世界の製造強国を目指す「中国式現代化」を目標にしてきた。これは、明治初期の日本の「富国強兵」や「文明開化」などと同じ類の「国家の夢、国家ビジョン」だが、今の中国はそうした「国家の夢、国家ビジョン」を民主主義の価値観より上位に置いていると言える。

◆民主主義は必要条件だが、十分条件ではない
 こうして見ると、トランプの「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」も、中国と同じ類の「国家の夢」には違いなく、選挙結果は、その夢のためには民主主義的価値観に縛られないと考えるトランプ支持層が多いということを示している。逆に民主主義的価値観を訴えるバイデンには「国家の夢」が欠けていて、国民を政治に惹きつける何かが足りない。つまり、政治を健全に機能させるための民主主義は必要条件ではあるが、十分条件ではないということ。国民を政治に惹きつけ、有効に機能させるためには魅力的な「国家の夢、国家ビジョン」も欲しいことになる。

 そこで「国家の夢、国家ビジョン」が大事になるのだが、この点、プーチンの「大ロシアの復活」や習近平の「中華民族の偉大な復興」に匹敵するものが、民主的国家には少ないのは何故なのだろうか。彼ら権力の集中を目指す強権的国家は、国民を束ねるために「国家の夢」(スローガン)を掲げるが、それは愛国心を掻き立て、民族の誇りをくすぐるもので、往々にして排他的になったり、攻撃対象を仕立てたりする。かつてのヒトラーや軍国日本、現代のプーチンや習近平、トランプの場合も根幹には(全部ではないが)似たような要素が含まれている。

◆民主主義を土台にした魅力的な国家ビジョンを
 それに対して、民主主義的価値観を大事にする民主国家が「国家の夢、国家ビジョン」を作るとすれば、どういうものになるのだろうか。高度成長期の日本では「所得倍増計画」(池田勇人)、「日本列島改造」(田中角栄)、「田園都市構想」(大平正芳)などの国家ビジョンが提示されたが、国の勢いがなくなった近年は、夢のある「国家ビジョン」が一向に見られない。安倍の「戦後レジームからの脱却」、岸田の「デジタル田園都市構想」なども曖昧で、国民を政治に近づけたとは言えない。民主主義を土台にしながら、魅力的な国家ビジョンは出来ないものか。

 具体的な文言は別途模索したいが、ここではそれが備えるべき条件の幾つかを上げることにしたい。一つは、この国の持続可能性である。祖先から受け継いだ豊かな社会的共通資本をより豊かにして次世代に引き継ぐこと。「失われた30年」の日本の現実を直視し、日本が抱える膨大な財政赤字を立て直し、少子化、超高齢化をソフトランディングさせていく。そのための教育国家、文化国家の再構築である。もう一つは、世界の中の日本の視点である。それは、日本を自然エネルギー大国にする夢であり、脱炭素技術で世界に貢献していく。さらには、世界平和構築への貢献である。

 イアン・ブレマーの「危機の地政学」によれば、これからの世界は大国同士の価値観の衝突、地球温暖化、パンデミック、破壊的な技術という破滅的な危機に直面する。その危機をバネに、国際協調の道を探ろうというのが本書の趣旨だが、平和の構築のためには、価値観の違いを乗り越えて、日本がそこでしっかりと役目を果たしていくということも、国家ビジョンに書き込まれなければならない。