イギリスの元首相ウィンストン・チャーチル(1874〜1965)はかつて、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外のすべての政治体制を除けばだが」と言ったが、これは逆説的に「民主主義はこれまで試みられてきた民主主義以外の政治に比べれば最良の政治形態だ」と民主主義を肯定する一方で、政治家にとって民主主義は、時間と忍耐を要する面倒な政治形態だと嘆いた言葉でもあるだろう。確かに面倒でも、民主主義がなければイエスマンで固めた独裁者の暴走や権力の腐敗を監視、是正する機能は期待できない。
しかし、その民主主義が政治の場で何より大事な政治的価値として扱われているかと言えば、この現代に至ってもその地位は大きく揺らいでいる。2021年のデータ(*)では、世界199の国と地域のうち、意味のある選挙を実施している民主主義国家は90か国だが、選挙があっても独裁的国家、あるいは選挙もしない独裁国家は109か国。この非民主主義的国家には中国もロシアも入っているが、今や世界人口の71%が非民主主義国に住んでいる状況であり、この傾向はむしろ進んでいる。今、世界の中で民主主義の位置づけはどうなっているのだろうか。*英オックスフォード大統計
◆民主主義VS「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」
8日に行われたアメリカ中間選挙では、バイデン大統領とトランプ元大統領の戦いの様相を呈したが、バイデンはトランプを意識して「これは民主主義を守る戦いだ」と言って上院では僅かに共和党を制した。それだけトランプはアメリカの民主主義を根底から揺るがしてきたと言える。大統領時代に行った、膨大な嘘の発信、メディアへの攻撃と脅し、選挙の正当性への異議、政権に身内を登用する公私混同、司法への攻撃や裁判官(判事)登用への介入、政敵への犯罪者呼ばわり、支持者の暴力の黙認ないし賞賛などである(「何が民主主義を殺すのか」)。
民主党の勝利は民主主義への危機感と同時に、共和党の人工中絶禁止への若者層の反発が大きかった結果とも言うが、一方で、15日に「再度、大統領選挙に出る」と宣言したトランプには、今も熱狂的な岩盤支持層がいる。その支持者を惹きつけているのは、トランプが掲げる「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」(MAGA)である。この日の立候補宣言でも、トランプは「アメリカを再び偉大で輝かしい国にする」と演説した。これは彼の「アメリカファースト」にもつながるスローガンだが、バイデン側からは聞こえて来ない「国家の夢、国家ビジョン」でもある。
◆バイデン政権の「民主主義VS専制主義」
方や「民主主義を守れ」と訴える民主党。方や「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」と訴える共和党。アメリカ国内はこの二つの主張の間で真っ二つに分断されている。もちろん、世界の多くの国々で民主主義の価値観が揺らいでいる時に、バイデン大統領が民主主義の価値観を守れと訴えるのは、ある意味当然とは思うが、この「民主主義の価値観」の訴えと、「国家の夢、国家ビジョン」の訴えは、どこかですれ違っているようにも思える。何がどうすれ違っているのか。それを考えるために、覇権をめぐって争っているアメリカと中国の場合を見てみる。
これまでバイデン政権は、中国やロシアを念頭に「民主主義対専制主義」という価値観の違いを掲げ、NATOや東アジアの民主主義国家(日本、オーストラリア、インド)を束ねてロシアに対抗し、中国を封じ込めようとして来た。しかし、今回のG20の期間中、14日にインドネシアのバリ島で行われた米中首脳会談で中国の習近平はこれに反発。「米国には米国式の民主主義があり、中国には中国式の民主主義がある。自国を民主主義国家、他国を権威主義国家と定義すること自体が非民主主義的だ」と反論したという。相当、カチンと来ているらしい。
◆中国の「国家の夢、国家ビジョン」
香港の民主派や新彊ウイグル族への弾圧などを見れば、中国が民主主義国家とはとても思えないが、「中国には中国式の民主主義がある」とは、どういうことか。思うに、中国は党員9千万人の中国共産党の一党独裁国家で、これを維持することが至上命題であり、全人代や共産党大会など、その枠内での様々な政治的仕組みが「中国式の民主主義」と言いたいのだろう。しかし、これは限られた仕組みで14億国民全体のものでなく、西欧式の民主主義とも違う。国民全体を考えた場合、彼らが重視するのは、そうした民主主義的価値観よりも「国家の夢」の方になる。
習近平の中国はかねてから、2049年の建国百年に向けて「中華民族の偉大な復興」を国民の夢として掲げてきた。清朝末期のアヘン戦争などで欧米の列強や日本に浸食された国富を回復し、大国を復活する夢である。そのために、格差を是正して国民の富を底上げする「共同富裕」や世界の製造強国を目指す「中国式現代化」を目標にしてきた。これは、明治初期の日本の「富国強兵」や「文明開化」などと同じ類の「国家の夢、国家ビジョン」だが、今の中国はそうした「国家の夢、国家ビジョン」を民主主義の価値観より上位に置いていると言える。
◆民主主義は必要条件だが、十分条件ではない
こうして見ると、トランプの「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」も、中国と同じ類の「国家の夢」には違いなく、選挙結果は、その夢のためには民主主義的価値観に縛られないと考えるトランプ支持層が多いということを示している。逆に民主主義的価値観を訴えるバイデンには「国家の夢」が欠けていて、国民を政治に惹きつける何かが足りない。つまり、政治を健全に機能させるための民主主義は必要条件ではあるが、十分条件ではないということ。国民を政治に惹きつけ、有効に機能させるためには魅力的な「国家の夢、国家ビジョン」も欲しいことになる。
そこで「国家の夢、国家ビジョン」が大事になるのだが、この点、プーチンの「大ロシアの復活」や習近平の「中華民族の偉大な復興」に匹敵するものが、民主的国家には少ないのは何故なのだろうか。彼ら権力の集中を目指す強権的国家は、国民を束ねるために「国家の夢」(スローガン)を掲げるが、それは愛国心を掻き立て、民族の誇りをくすぐるもので、往々にして排他的になったり、攻撃対象を仕立てたりする。かつてのヒトラーや軍国日本、現代のプーチンや習近平、トランプの場合も根幹には(全部ではないが)似たような要素が含まれている。
◆民主主義を土台にした魅力的な国家ビジョンを
それに対して、民主主義的価値観を大事にする民主国家が「国家の夢、国家ビジョン」を作るとすれば、どういうものになるのだろうか。高度成長期の日本では「所得倍増計画」(池田勇人)、「日本列島改造」(田中角栄)、「田園都市構想」(大平正芳)などの国家ビジョンが提示されたが、国の勢いがなくなった近年は、夢のある「国家ビジョン」が一向に見られない。安倍の「戦後レジームからの脱却」、岸田の「デジタル田園都市構想」なども曖昧で、国民を政治に近づけたとは言えない。民主主義を土台にしながら、魅力的な国家ビジョンは出来ないものか。
具体的な文言は別途模索したいが、ここではそれが備えるべき条件の幾つかを上げることにしたい。一つは、この国の持続可能性である。祖先から受け継いだ豊かな社会的共通資本をより豊かにして次世代に引き継ぐこと。「失われた30年」の日本の現実を直視し、日本が抱える膨大な財政赤字を立て直し、少子化、超高齢化をソフトランディングさせていく。そのための教育国家、文化国家の再構築である。もう一つは、世界の中の日本の視点である。それは、日本を自然エネルギー大国にする夢であり、脱炭素技術で世界に貢献していく。さらには、世界平和構築への貢献である。
イアン・ブレマーの「危機の地政学」によれば、これからの世界は大国同士の価値観の衝突、地球温暖化、パンデミック、破壊的な技術という破滅的な危機に直面する。その危機をバネに、国際協調の道を探ろうというのが本書の趣旨だが、平和の構築のためには、価値観の違いを乗り越えて、日本がそこでしっかりと役目を果たしていくということも、国家ビジョンに書き込まれなければならない。
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