7月24日投開票の参院選挙が48.8%という低投票率に終わった理由について次のような見方がある。それは、日本の有権者の間で、支持政党を持たない「無党派層」の広がりが、今や政治そのものに関心がない「無関心層」の広がりに移行しているという見方である。確かに、東京ビッグサイトに8月9日からの4日間で73万人も集めた「コミックマーケット」に集まる若者たちの大群衆を見ていると、その「無関心層」の広がりを感じて、この人たちの投票率はどのくらいだったのかと余計な心配をしてしまう。
政治への無関心の原因を作って来たのが、旧民主党の失政による政治離れと、その後の安倍政権による「1強多弱」の政治状況だという(8/2記者の目、毎日)。1強の安倍が質問にもまともに答えず、余裕を失って野党を口汚く攻撃するばかりの不毛な政治では、有権者もうんざりするしかない。その一方で、こうした無関心層や無党派層の関心を少しはかき立てたと思われるのが、結成3ヶ月で228万票(うち山本太郎は99万票)を得て、2人の議員(障がい者の木村英子、舩後靖彦)を誕生させた、山本太郎の「れいわ新撰組」だった。参院選挙で投票した無党派層の40%が「れいわ」に投票したという。
それでも228万票は全有権者の2%に過ぎず、「れいわ新撰組」は、まだ山本の個人商店にすぎないという冷めた見方もある(政治学者:菅原琢)が、一方で、その政治主張、政治姿勢、候補者の顔ぶれなどは、しがらみばかりで閉塞した今の政治に風穴を開けるものとして期待する人も多い。2%の得票で政党要件を満たした「れいわ」は、選挙後には様々なメディアで取り上げられているが、それらの記事、熱気のうちに行われた「山本太郎の街頭記者会見」(8/1、新宿)、そして候補者の一人だった女装の東大教授、安富歩(あゆむ)の書いたもの(*末尾)などを手がかりに、政治家・山本太郎の意味するところを探ってみたい。
◆弱者に寄り添う政治姿勢、障がい者は安心社会のセンサー
山本は選挙中、「中卒、高卒、非正規、無職、障がい、難病を抱える人々でも、将来に不安を抱えることなく暮らせる社会を作る」と、これまで分断され、政治から遠ざけられて来た社会的弱者の側に立つことを鮮明にした。特に、今回比例上位で当選した2人の障がい者議員については、「障がい者を国会に送って何が出来るのか」などと言う意見に対し、山本は「(国会をバリアフリー化するなど)彼らは既に仕事をしているではないですか」と反論。同じ「れいわ」から立候補した安富歩は、このバリアフリー化の意味についてこう言う(*1)。
障がい者が安心して暮らせる社会を作ることは、健常者が安心して暮らせる社会を作ることでもあると安富は言う。障がい者は、特に健常者でも弱い立場の高齢者や子供が安心して暮らせるために、どこに危険が潜んでいるかを知らせて、改良する(フィードバックする)ための、「社会にとってのセンサー」の役割を果たしてくれると言う。同時に、それは弱者を排除しない寛容な(包摂的)社会を作ることにも通じる。社会的弱者を切り捨てない、むしろ底上げを図っていくとする山本の宣言は、生産性や効率を優先する政治、或いは貧困は自己責任だとする現体制への宣戦布告である。
◆国内消費を活性化させる「消費税廃止」の問題提起
山本の政治的主張の一つが「消費税廃止」である。山本によれば、この20年以上国民がデフレで悩んできたのは消費税で国民の財布が小さくなったからだ。それをやめれば内需が拡大して景気は良くなり、税収も増えるという。消費税導入後の日本は、その言い訳のように高額所得者の税率を下げ、法人税を下げてきた。経済の主役を優遇して、彼らが使う金のおこぼれが社会全体を潤すという「トリクルダウン」の考えだった。しかし、企業は余剰金を内部に積み上げるだけで使わず、富裕層はますます金持ちになるばかりで、本来の消費の主役である国民中間層の財布はやせ細ってきた。これを元に戻すと言うのである。
実は、消費税廃止は様々なエコノミストが唱えていることでもある。たとえば中前忠は、グローバリゼーションが反動期に入ったこれからの経済は、輸出に頼るよりは(地産地消的な)国内消費をより活発にするしかない。そのためにこそ、消費税を廃止すべきだとする(「家計ファーストの経済学」)。中前も山本も、消費税導入前の累進課税、法人税に戻せば、消費税をゼロにしても十分やっていけると言う。確かに、誰にも一律でかかる消費税は、富裕層に軽く、貧困層には重い税金だ。これをもとに戻せば社会の貧困層は潤い、消費はより活発になるというのも肯ける。
◆山本は「現代貨幣理論(MMT)」論者なのか?
一方で、山本の立場は「緊縮財政反対」でもある。奨学金をチャラに、デフレ給付金を配る、最低賃金1500円を政府が面倒見る、公務員を増やす、といった政策(チラシから)は、要するに国家が面倒見る部分を増やす「大きな国」を目指すことである。この主張の背後に見え隠れするのが、今話題の経済学「現代貨幣理論(MMT)」。完全雇用が達成されるまで、或いはインフレ率が2%になるまでは、緊縮財政をとる必要はない。この位の財政赤字は心配する必要はないという説である。MMT理論は、現代経済学の主流からは異端視されている。
YouTube上には、MMT論者(ステファニー・ケルトン)と三橋貴明の対談や、三橋と山本太郎の対談などもあるが、(経済に素人の)私などはいくら聞いても分からない。一方では、このMMT理論以外にも、日本の財政赤字は全く心配する必要はないとする高橋洋一などもいる(「日本復活へのシナリオ」)。安富は、現代の経済学理論そのものが破綻しているともいう(*3)。このように、経済・財政理論そのものが混乱している現在、消費税の廃止まではいいとして、山本には、その他の「大きな政府」論は、代わりの財源や、MMT説の是非を慎重に検証してからにしてほしいというのが、私の意見である。
◆しがらみを断ち切る無縁者の集まり
自らを「永田町のはぐれ者」という山本は、常に今の時代の「生きづらさ」に触れ、「誰でも生きていける世の中を作ろう」と呼びかける。言い換えれば、がんじがらめの閉塞社会を打ち破ろうということであり、安富によれば(*2)、その賛同者たちは腐れ縁に囚われない「無縁者」の集まりである。同時に、それぞれが(障がい、LGBTなどの)様々な問題を抱える「当事者」でもある。しがらみを断ち切った「無縁者」でかつ「当事者」が、政治に風穴を開けて行く。山本が人々の支持を集めているのは、その風穴から空気が吹き込んでおり、息ができるようになったからだ、と安富(写真)は言う。
政治学者の水島治郎は、「れいわ」の主張は、欧米で広がる左派ポピュリズムの日本版と言うが、本来の意味でのポピュリズムは既存の政治が置き去りにしている人々の意向を汲む政治だとする。そして、障がい者議員を国会に送ってたちまちのうちに国会を包摂的な空間に変えた政治手法を見て、山本を政治の新しい作り手(イノベーター)と見る(「山本太郎という現象」朝日8/2)。山本が政治家に転身したきっかけは、福島原発事故だった。当然にそれは、戦争や原発事故のような失敗を犯しても反省せず、フィードバック(改良)がかからない、安倍たちがひた走る「富国強兵路線」に対する異議申し立てになる。
◆閉塞した永田町に風穴を開けられるか
山本の直感に待つまでもなく、今の政治は本当に無反省にしがらみに囚われて暴走し、やがて爆発ようとしている。それへの危機感は、安富の本などにも詳しいところだ(*1)。山本は、次の衆院選挙では100人の候補者を立てて、今の政権を「仕留めに行く」というが、分断され政治から遠ざけられて来た国民多数、政治の無関心層の支持を集めて、閉塞した永田町に風穴を開けることが出来るだろうか。山本は、当面の目標を消費税5%において野党の賛同を得たいとしているが、次の衆院選挙に向けて野党共闘はうまく行くだろうか。期待しながら見守っていきたい。
*1)「幻影からの脱出」、*2「内側から見た“れいわ新撰組”」、*3)「生きるための経済学」
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