日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

長期一強支配の弊害を問う 19.7.11

新聞などの情勢分析を見ると、7月21日投開票の参院選挙の大勢はすでに決した感があって、(温度差はあるが)改憲容認の自民、公明、維新を合わせると改憲ラインの3分の2の88議席を超える勢いだそうだ。野党が仕掛けた年金2000万円問題や消費税増税凍結も空回りで、改憲を議論するのかしないのかという安倍の仕掛けの前に勢いを失いつつある。メディアも改憲派がどうかという関心ばかりを取り上げて、他の争点隠しに一役買っている。しかし、国民がどのような選択をするにせよ、私たちが選ぶ政治がこの先どこに向かうのかは、(その怖さも含めて)しっかり見ておかなければならない。

 何故なら、今回の選挙は政治の劣化と腐敗が一段と進むのか、少しは歯止めがかかるのかの分岐点になると思われるからだ。一強状態が長引くにつれ、安倍政権はたがが外れたようにやりたい放題になって来ている。まさに「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」(英国の歴史家ジョン・アクトン)を地で行く感じ。様々な不祥事が起きるたびに、呆れたり憤ったりして来た国民も、アメリカのトランプと同じでいつの間に慣れてしまい、気がつけばとんでもないことになっている。野党はこの長期政権の弊害を取り上げ、国民に訴えることができるのか。選挙を機に、安倍政治の劣化と腐敗をまとめてみたい。 

◆安倍内閣の闇を想像させる映画
 安倍政治の腐敗ぶりを思い起こさせる今話題の映画がある。以前に「菅を追い詰めた女性記者」(17.6.21)でも取り上げた東京新聞の女性記者、望月衣塑子の著書「新聞記者」を原案にした同名の映画で、「サスペンスエンターテイメント」として大変良く出来ている。監督(藤井道人)が優秀なのだろう。シナリオもカメラワークも編集も日本映画にしては珍しく的確で、楽しめる作品に仕上がっていた。この映画は大学設置を巡って政権に忠誠を誓わされる官僚たちの葛藤や、政府にたてつく人物をスキャンダルで追い落とす内閣調査室など、今の危うい政治状況もうまく取り込んでいる。

 首相のお友達が経営する(疑惑の)医学系大学の特区認可を巡って利権や謀略が渦巻く話だが、自ずと加計学園を香川県特区で復活させるのに暗躍した官邸官僚の面々や、それを批判して出会い系バーに出入りしていたことをマスコミに流された前川喜平・元文科省事務次官を思い起こさせる。さらには、女性に睡眠薬を飲ませてレイプした(首相とお友達の)政治記者が逮捕直前に上層部の意向で逃れる話も出てくる。いずれも記憶に新しい安倍政権の闇の部分である。

◆権力にすり寄る官僚で固めた官邸支配
 映画はともかく、実際に首相夫人案件や首相案件として特別に認可優遇された森友・加計学園問題では官邸官僚が暗躍し、権力に怯える官僚たちの忖度が横行した。文書の書き換え問題では「あることをないこと」にさせられた現場官僚が自殺にまで追い込まれている。これらの事案も結局、うやむやに終わろうとしているが、それを可能にしたのは安倍政権がこの6年半の間に作り上げた強固な官僚支配にある。その力の中心は、政治主導の強化をめざして2014年から始まった「内閣人事局」であり、これを使って中央省庁の部長級以上680人の人事権を官邸が握り、意のままに官僚を支配するようになったからである。

 菅官房長官が、異論を差し挟む幹部たちを左遷させたり、政権にすり寄る官僚を昇進させたりして睨みを効かせる一方で、(前川元事務次官:写真の場合のように)内閣情報室が政権にたてつく人々の個人情報にまで監視の目を光らせ、いざという時に闇の力を発揮する。また、官邸と内閣府には首相を補佐する大勢の官僚が集められ、権力をかさに着て様々な案件を首相の都合のいいように処理し、行政をねじ曲げている(官邸権力を問う、毎日7/8)。これが長期にわたる“安定政権”の姿とすれば、そこから腐臭が立ち上ってくるのも当然というものだ。

◆議論を封じて国会を空洞化
 そうした権力集中の“安定政権”が必然的にもたらしたのは、かつてない国会の空洞化である。面倒な質問にはまともに答えない。はぐらかしと論理のすり替えが首相の性癖となった。安保法や共謀罪など国の将来に関わる重要法案はもちろん、働き方改革、カジノ実施法、移民受け入れなど問題の根が深い法案も、およそ議論が深まらないまま強行採決に持ち込み、「国民に考える情報や時間を与えない」(自民ベテラン議員)。あるいは、森友・加計学園問題、自衛隊の日報書き換え、毎月勤労統計のミス、年金2000万円問題など不都合な案件の議論から出来るだけ逃げようとする。

 驚くべきことに、今年1月28日に始まった通常国会150日の間、政府は4月以降全く審議に応じず、117日間も予算委員会を開かなかった。今国会が始まる前、与野党国会対策委員長は「国権の最高機関として議論を尽くし、行政監視機能を果たす」という合意を取り交わしたが、政府はこれを平気で無視し逃げまくった。不祥事だけでなく、政府にはアメリカからの高額武器の購入問題、対韓国外交、北朝鮮問題、北方領土問題などで説明すべき案件が沢山あった筈だが、議論を封じ込んだ。このかつてない国会の無力化と空洞化こそ、長期政権の弊害がもたらした姿である。

◆政敵への露骨な攻撃と「支持者ファースト」の分断政治
 議論にまともに答えない一方で、首相は野党攻撃には余念がない。自分を棚に上げて、「(改憲の)議論にまともに答えない野党」などと批判し、返す刀で7年前の民主党時代を「悪夢」と言って嘲笑する。稲田朋美、森雅子など安倍のお気に入りの女性議員たちも、その先兵となって野党を口汚くののしるようになった。参院本会議での首相問責決議で、三原じゅん子も「野党の皆さん、恥を知りなさい」などと叫ぶ下品さ。安倍もその取り巻きも一強状態に酔って、かつての政治家の美質であった寛容さや謙虚さ、相手への敬意をすっかり見失っている。

 「民主主義は異質なものを認めなくなったら壊れていき、国家のバイタリティーもなくなる」(大島衆院議長)というまっとうな意見もあるが、今の安倍政権は異質なものを排除し、国民を支持層と批判層とに分断しようとしている。政権維持を最優先して、改憲や韓国嫌いの主張など国家主義的な支持層が喜びそうな政策をアピールするが、それは幅広い国民政党を目指すというより、分断をあおる「支持者ファーストの政治」と言うべきものだ。今度の韓国への輸出規制もそうした選挙目当ての臭いが強く、安倍は選挙に勝つためには何でもありの、まるでトランプのような政治家になりつつある。

◆このまま続くくのか、歯止めはかかるのか
 安倍政権は、内閣広報室に若手官僚や民間からの出向者を集めて、(税金で)SNSを使って政権のイメージアップにも力を入れている。安倍への支持率が高い若者層を取り込む作戦だが、その周辺には映画「新聞記者」に出てきたように、(外部の勢力を動員して)ネットを使って内部告発者や批判者を様々なフェイクニュースで攻撃するダークな部分も含まれているのではないか(映画では、その役割を内閣情報室が担っていた)。それと同時に、政権はテレビ、新聞など既存のメディアに対しても、敵味方の分断支配を進めてきた。

 この6年半、政権寄りのメディアには頻繁に露出しながら、政権に批判的なニュースキャスターやニュース番組に対しては露骨に介入してきた。そのせいでNHKを始めとして各局のニュース報道番組は一変した感がある。以上、一強支配を長期に続けてきた安倍政権による政治の劣化と腐敗を列挙して来たが、冒頭に書いたように、今回の参院選挙は、この状況をずるずる続けるのか、あるいは少しでも歯止めをかけられるのかを問う選挙でもある。日本の政治はその分岐点にある。その意味で野党には、個々の政策よりも「長期一強支配の弊害」をこそ国民に問いかけてもらいたいのだが。

年金、2千万円問題の裏側 19.6.23

 国会も土壇場になって、平均的な65歳と60歳の夫婦がこれから30年、公的年金だけで生活した場合2000万円が不足するという、金融庁の報告書の扱いを巡って国民の不信が高まっている。最初は、「今のうちから(財産形成を)考えておかないといけない」と報告書の意義を述べていた麻生財務相だったが、「2000万円などはとても無理だ。100年安心と言っていたのに何だ!」という国民の(誤解も含めた)反発を受けると、一転して「政府の方針と違うので」と報告書の受け取りを拒否。政府も閣議で報告書そのものをなかったものと決め、議論を封じる作戦に出た。

 閣議決定を盾に、「報告書を前提にしたお尋ねについてお答えすることは差し控えたい」などという、国民を馬鹿にした姑息な態度が不信を招き、最近の世論調査(FNN)では、麻生の受け取り拒否を不適とした回答は72.4%、年金制度に不信感が増したという回答は51%に上っている。支持率でも安倍内閣(3.4%減)、自民党(5.1%減)、参院での自民投票先(8.5%減)と、軒並み数字を落としている。いくら平均的なデータに過ぎないと言い張っても、現実は現実である。何が政府の方針と違うのか丁寧に説明すればいいものを、選挙に影響するからと不都合な現実を隠す、その政治姿勢に国民は怒っている。

◆30年間の不足2000万円の根拠
 一体、2000万円赤字問題の裏側には何があるのか。そもそも年金問題は複雑で、(私もその一人だが)正確に答えられない人の方が多いのではないか。そこで何が問題なのか、今回の報道を契機に少し調べてみた。日本の公的年金は国民年金(国民全体)と厚生年金(サラリーマンの年金)の二本立てになっているが、特徴的なのは「仕送り方式」と言って現役世代から徴収する保険料を今の高齢者の年金に当てる仕組みである。現役世代は今の高齢者を支える代わりに、将来の現役世代から年金を“仕送りして貰う”という順送りの制度になっている。 

 受け取る額は幾らかというと、国民年金はほぼ一律(平均月額5.5万円)だが、厚生年金はそれぞれの現役時代の給与によって変わってくる。大体、「現役時代の40年間に払った保険料と、老後の20年間に受け取る額がほぼ同じ」というから、その人が毎年納めている平均的な保険料の2倍が受取額になる。保険料は給与のおよそ2割だから、年金の方は平均月給の4割くらいと考えればいい。以上2つの公的年金を合わせると月額平均で21万円になり、今の高齢者(2人世帯)の平均支出26万円と比べると毎月5万円不足する。これが30年で計2000万円になるので、投資で資産形成に励めというのが金融庁の報告書だった。

◆平均では見えない年金格差、貯蓄額の格差
 しかし、一口に月額21万円と言っても年金受給者全体の平均値だから、21万円より多い人もいれば、「えっ、そんなに貰う人もいるのか!」と思う人もいる筈だ。現役時代の平均給料が月額20万円なら厚生年金は4割の月額8万円だし、月額40万円の人は倍の16万円になる。しかし、年収200万円未満の非正規社員が1600万人もいる現状からすれば、多くの人は将来の受取額が月額7万に満たず、国民年金と合わせても夫婦で20万円に届かない。これが一人暮らしとなると、月額13万円にしかならない。数から言えば多くは平均以下で、21万円以上は全体でも少数派になる筈だ。

 加えて、今の日本ではサラリーマン経験のない自営業など国民年金しか受け取れない人々がかなりの数(正確なところが分からないが、およそ1500万人)に上る。この人たちは、月額平均5.5万円(夫婦で11万)の年金になる。これでは一月の赤字が到底5万円では納まらない。しかも、ある保険会社(PGF)が今年60歳になる男女2000人を調査した結果、貯蓄額(配偶者がいる場合は2人分)の平均は約3000万円だが、その内訳を見ると、老後の生活が比較的安心な貯蓄額5000万円以上の割合は全体の15%しかいない一方で、100万円未満の割合が25%、1000万円未満も54%に上る。2000万円以下になると全体の67%になる。

 年金が少なく、30年の赤字が2000万円を遙かに超えそうな人々が多い現実。加えて貯蓄額の平均値を引き上げる少数の富裕層がいる一方で、国民の半数以上が2000万円など遠い夢という現実がある。こうした格差があるにもかかわらず、いきなり上から目線で「2000万円の赤字だから財形を」と言われても、国民の多くは「馬鹿にするな」ということになる。しかも、政府は2004年に改定された年金制度をもとに支給額の見直しを続けて来て、安倍首相も「年金(制度)は100年安心」などと宣伝してきた。ここに、年金制度への誤解も相まって国民の不信感が一気に高まったわけである。

◆誤解を振りまいた政府の「年金は100年安心」 
 政府が「100年安心」と謳った年金制度改革とはどんなものだったのか。それは一言で言えば、少子高齢化が進む中で仕送りする側の現役世代の負担がどんどん増えてしまうのに歯止めを掛け、制度を維持するためのものだ。そこでは高齢者の受け取る年金を、将来にわたって現役世代の給与の50%(現在は約60%)は補償しようと限度を設けた。加えて、状況の変化(現役世代の減少や平均余命の伸びなど)に応じて支給額を見直す(マクロ経済スライド)とした。これによって制度の維持そのものは可能として「100年安心」と言ったのだろうが、多くの人は100年安心して年金に頼れると受け取ったわけである。

 「100年安心」と言えば、「年金生活が安心」と受け取るのが普通だが、政治は敢えてその美しい誤解をふりまいて来たとも言える。本来は、年金は老後生活の柱ではあるが、全てをまかなえるわけではないときちんと伝えるべきだった。しかも、その額は状況に応じて徐々に減っていく。今回はたまたま「2000万円足りない」という、金融庁の報告書があったお陰で多くの人がぬるま湯的なイメージの中にいたことに気づいたわけだが、それも考えてみると、多くの国民にとって現実は、報告書などより遙かに厳しいことに気づくのである。

◆厳しい現実に蓋をして、幻影に浸る政治家と官僚
 野党の方もその誤解(建て前)をもとに盛んに政府を責め立てるが、攻め方のピントがずれていて、選挙目当ての印象がぬぐえない。問題は、国民の半数以上が十分な貯蓄もなく年金だけでは暮らせない現実に直面していることである。しかも、これから貯蓄を促されても老後などを考える余裕のない非正規雇用者の割合は、歯止めなく増加している。現在、非正規雇用者は全体の38%にまで増え、その74%は年収200万円以下で暮らしている。こうした人々に老後が心配だから、今から投資して2000万円を貯めろと呼びかける非現実性に、役所も政治も気づいていない。

 今、かつかつに生活している多くの人々が高齢になった時に、日本社会はどうなるのか。年金制度は生き残ったとしても生活破綻する高齢者が大量に出現することになる。しかも、その現実はすぐ近くまで迫っている。これをどうするのか、どういう対策を立てるのか。年金問題の核心は格差問題にあるのに、金融庁の報告書は年金政策と称して、平均以上の人々に目をつけ投資を勧める脳天気さだ。これは相当意図的なもので、審議会のメンバーを見ると、そこには金融証券会社や投資コンサルタントのメンバーが名を連ねていることから分かるように、隠れているのは「国民の間に眠っている資金を市場に回す」という思惑である。

 この低成長時代に、個人のお金をリスクのある投資に引きずり込むことの胡散臭さもさることながら、こういうメンバーには、上に書いたような厳しい現実に直面する多数派の人々の苦悩は、全く頭に浮かばなかったのだろう。年金問題に疎かった私だが、こうして「年金生活2000万円赤字問題」の裏側を覗いてみると、政治家も官僚も(そして国民の多くも)目の前の現実から目をそらし、かつての豊かさの幻影に浸っている索漠とした風景が広がっていること気づく。

果てしなき軍拡競争の誘惑 19.6.11

 衆参同日選挙に持ち込むかどうかで浮き足立っている国会だが、取りあえず通常国会の期限はあと僅か。6月26日に迫っている。1月28日から150日間、この国会で何が議論されたのかは、もう殆ど記憶にないくらいスカスカの国会だった。毎月勤労統計の偽装などもいつの間にかうやむやになり、続いて議員の様々な失言、暴言、スキャンダルが話題になる中で、いつの間にか101兆4564億円という過去最大規模の2019年度予算が国会を通過し、同時に、これも5年連続で増加中の防衛費5兆2574億円(過去最大)も通過した。

◆過去最大の国家予算と防衛費。実質的な審議は行われたのか
 今年の予算が閣議決定された直後の去年12月の新聞社説は、初めて100兆円の大台を超えた国家予算について「不安が募る過去最大」、「借金漬けでも野放図とは」、「財務相バラマキのむ」などと批判していた。また、これに伴う国債残高(国の借金)が897兆円に達することに対しても、「借金漬け財政常態化」、「財政再建論議 首相は逃げ続けるのか」と書き、借金が将来世代への重荷になるとして、これを「財政的幼児虐待」(米国の経済学者)と紹介するコラムもあった。

 5兆2574億円に膨らんだ防衛費とその根拠になった防衛計画(大綱)については、「米兵器購入の重いツケ」、「専守防衛逸脱に懸念」、「軍事への傾斜、一線越えた」などという見だしが踊っていたが、国会で十分議論されたのだろうか。ネットで政府の予算案を見ても天文学的な数字ともっともらしい説明が並んでいるばかりで、一般人にはさっぱりだ。しかし、国民の代表機関の国会でも十分な議論がないなら、膨大な赤字を抱える国の将来はどうなるのか。今回は特に、増え続ける防衛費について調べた懸念すべき実体について書いてみたい。

◆アメリカ兵器購入に邁進する安倍政権
 今年の防衛費の特徴は幾つかある。一つはミサイル迎撃システムのイージスアショア(2基分、1757億円)や、F35戦闘機(2019年度は6機681億)など、アメリカから巨額の兵器を購入するための予算。二つ目は、有事にF35B戦闘機を離着陸させるために、戦艦「いずも」を空母として整備するための予算。そして、安倍政権が5年振りに改定した防衛計画によって、防衛の範囲を宇宙やサイバー攻撃にまで広げる「多次元統合防衛力」構想だ。以上は、それぞれ日本の防衛力の根幹に触れる重要な問題を含んでいる。

 アメリカから購入するイージスアショアやF35戦闘機は、アメリカの言うFMS(Foreign Military Sales)という枠組みでの購入である。直訳すれば「海外兵器販売」だが、政府は例によってこれを「対外有償軍事援助」などと言い換えている。問題はその性格だ。それぞれに巨額な購入になるが、その価格はアメリカの「言い値」という条件になっている。おまけに最新技術の流出を避けるために、機密性の高い維持整備作業もアメリカ企業が行うとしており、その経費も彼らの言うままになる。例えば、イージスアショア2基の維持整備費は20年〜30年で5千億円を超える。

 また、レーダーに映りにくい(ステルス性の高い)F35戦闘機は1機140億円。将来的にはこれを増やして147機体制にするので、この購入に今後1兆2千億円かかる。アメリカから購入するこうした兵器全体の維持整備費は2兆7千億円と見込まれている。こうした巨額の費用は単年度では払いきれずに、何年かの分割払いになるが、この「兵器ローンの残高」(後年度負担)は、安倍政権の6年間で2兆1300億円も増えて、今や5兆3600億円と年間防衛費に匹敵する額にまで膨らんでいる。防衛費も同じような借金依存の体質になりつつある。

◆アメリカのご機嫌取りの軍拡が招く警戒心
 安倍政権は、トランプのご機嫌を取るためにFMSによる購入を今年度一気に7千億円(政権発足時は1400億円)にまで増やしたが、こうした官邸主導の軍備拡大が日本の防衛を歪んだものにしているという指摘もある。例えば、護衛艦「いずも」を改造して「空母化」する計画などは、購入する(短距離離陸と垂直着陸ができる)F35B戦闘機を活用するために考え出されたものであり、必要性の検証が不十分と指摘されている。しかも、海上に戦闘機基地を設ける空母化は、専守防衛を逸脱するとの批判を生んだ。

 政府は、F35Bの展開は有事に限るので空母ではないなどと言い逃れたが、「日本は自国を守るために必要なものが何かを包括的・体系的に評価しないままハードウェア(兵器)を購入している」(米国軍事専門家)との厳しい指摘もある(「戦略なき軍拡」、世界3月号)。いかにも日米の一体化に走る安倍政権が陥りそうな「歪み」である。同時に、この「いずも」空母化の背景には、憲法9条で国是としてきた「専守防衛」では国を守れない、むしろ「やられるまえにやる」という敵基地先制攻撃に傾く安倍政権の安保思想が見え隠れしている。

 安倍は、去年2月の国会答弁で専守防衛は堅持するとした上で、「(専守防衛は)防衛戦略として考えれば大変厳しい。相手の攻撃を甘受し、国土が戦場になりかねないものだ。先に攻撃した方が圧倒的に有利だ」と述べた。軍事大国を目指す中国や核保有国の北朝鮮を念頭においているのだろうが、日本の軍拡と合わせて、安倍政権によるこうしたきな臭い発言が周辺国に緊張を生んでいる。中国軍幹部も、「(日本の防衛計画は)全部、わが国に対抗するための兵器じゃないか」と言っており、互いの不信と警戒心がアジアでの軍拡競争をさらに激しくし、緊張を高めている側面は否定できない。 

◆防衛計画を国民が判断するポイントとは
 さらに、今次防衛計画(大綱)では、「多次元統合防衛力」として、宇宙領域専門部隊の創設、宇宙状況監視システムの整備、サイバー防衛隊の整備などを上げ、今後5年間の防衛費を25兆5千億円と見積もる。膨大な借金を抱える日本にそれだけの防衛力を維持する能力はあるのだろうか。戦後の日本は、戦争放棄を謳う憲法のもとで、節度ある軍備で国を守ろうとしてきたが、その日本が互いの不信感から、なし崩し的に軍拡競争の誘惑に駆られるのをどう見たらいいのか。せめて、国民が防衛力を判断する時の議論のポイントだけでも絞れないものか。 

 そのポイントを幾つか上げるならば、一つは、それが専守防衛を逸脱していないか、ということである。戦後の日本が守ってきた一線を越えようとしているのかどうか、というポイントである。二つ目は、今の日本を取り巻く安全保障環境の厳密な評価である。安倍政権は軍拡の理由として、常に中国や北朝鮮の脅威と言った安全保障環境の変化を上げるが、果たしてそれは正確なのか。軍拡の意図で誇張されていないか、ということである。三つ目は、戦争を避ける外交力をどう評価し、防衛計画にどう反映しているかである。

◆果てしない軍拡競争の誘惑に落ち込まずに
 国連の事務総長グテーレスは去年の5月に発表した軍縮アジェンダで「高まった緊張や危険は、真剣な政治的対話や交渉によってのみ解決できる。兵器の増強では決して解決できない」と述べている。当然の指摘で、核につながる戦争の悲惨さを考えれば、今どき本気で戦争の可能性を考えるのは狂気の沙汰でしかない。この点で、安倍政権は、戦後日本の国是となっている「戦争だけはしてはいけない」という固い決意を持って、緊張を緩和する外交努力に本気で取り組んでいるのか、ということである。

 今、アジアの国々は日本を含めて、相互不信から不毛な軍拡競争のスパイラルに落ち込もうとしている。戦争を避けるためには、どこかで立ち止まらなければならないわけだが、事態の急速な変化と立ち止まるタイミングは、私たち素人にはなかなか判断が出来ない。それを分かりやすく丁寧に説明し、その上で、法体系も含めて国民の理解を得ていくことが民主主義国家日本の防衛力のあり方だろう。その意味でも今の国会や政治家は責任を十分果たしていると言えるだろうか。

しつこく諦めずに脱原発を 19.5.28

 少し前のことになるが、今年1月の科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)の研究会では、脱原発について議論した。テーマは「脱原発で脱炭素できるのか」。進行する地球温暖化に対して、原発をCO2削減策(脱炭素)の一つとして位置づけるべきかどうかである。最初に、横山裕道氏(元毎日新聞論説委員)が、顕著になった地球温暖化の影響、原子力発電によるCO2削減効果、原発大国を目指す中国やインドなどの動き、原発の安全性と核のゴミについての不安、経済優位性がなくなった原発、そして世界の再生可能エネルギーの急速な進展など、最近の状況を報告した後、質疑に移った。

 確かに原子力はCO2を出さない。ただし、どの程度効果があるのかは様々なデータがあって正直よく分からない。横山氏の報告では、100万kw級原発がフル稼働した場合、1年間に日本の温室効果ガスを0.5%削減する、といった数字も紹介されたが、これをどう評価すべきなのか。一方では、福島原発事故後、原発が殆ど稼働してないのに、(太陽光発電の普及や省エネによって)日本ではCO2排出量はあまり増えていない、という指摘もある。現在日本で稼働している原発は僅か9基である。全原発のフル稼働などあり得ない中で、僅かなCO2削減効果を理由に再稼働を云々するのは、現実的と言えるだろうか。

◆自然エネルギーの普及を阻害する原発
 しかし、ジャーナリストの中にはCO2削減のためには原発再稼働もやむを得ないと言う人もいて、意外だった。その時私が言ったのは、CO2削減を理由に原発を動かして、また事故が起きたらどうするのか。福島の事故で手一杯の日本で、一つでも事故が起きれば日本は破滅する。温暖化などより直接的でもっと悲惨な結果を招くということである。さらには使用済み核燃料などの危険な厄介物を、遠い未来世代にまで残す。加えて指摘したのは、原発はCO2削減の主軸であるべき自然エネルギーの普及を阻害する、ということである。 

 それは、原発を抱える電力会社が陰に陽に、自然エネルギーを閉め出そうとしている現状を見れば分かる。例えば、九州電力は現在4基の原発(写真:川内原発)を稼働させているが、天気が良くて電力が余りそうになると、原発は発電量を調節しにくいという理由で、民間の太陽光発電の送電回路を閉じてしまう。脱炭素の主軸は再生可能エネルギーと省エネ、そして石炭からCO2のより少ない天然ガスへの切り替えに求めるべきで、研究会のテーマに即して言えば「脱原発も脱炭素も同時に」なのに、原発はその自然エネルギーの前に壁となって立ちふさがっている。

◆八方塞がりの中で目立つ原子力ムラの悪あがき
 その一方で、政府、官僚、電力業界(いわゆる原子力ムラ)は一体となって、温暖化対策のためにも原発を維持すべきだと必死に巻き返しを図っている。日本は地球温暖化対策として、「2050年までに温室効果ガスを(1990年比で)80%削減する」という目標を掲げているが、4月に入って明らかになった政府案では、前回は影が薄かった原発や石炭火力が、いつの間にか復活。これからも原発に頼っていく方針を明確にし、石炭火力も使い続けるという、産業界の意向を強く反映した内容になった。(「理解得られぬ密室調整」朝日社説、4/27)。

 経団連(中西宏明会長、日立会長)が同時期にまとめた提言でも、脱炭素を目指す上で原発を「不可欠なエネルギー源」と位置づけ、運転期間の大幅な延長の検討や新増設を進めることを政府に求めている。昨年7月の「エネルギー基本計画」でも政府は産業界の意向に押し切られる形で、原発を重要なベースロード(基幹)電源と位置づけ、2030年度の原子力の割合を20〜22%(原発30基程度の稼働)と据え置いたが、いつまで、このもたれ合いの構図を続けて行くのだろうか。日本の原発事情を俯瞰すれば、原発がいよいよ出口のない“八方塞がり状態”に陥っているのは明らかなのに。

 日立が進めていたイギリスへの原発輸出も3000億の損失を出して頓挫し、政府がアベノミクスの柱として主導して来た原発輸出は「総崩れ状態」だ(毎日特集、1/21)。3月には経産省が、原発の脱炭素効果(ゼロエミッション)を理由に原発の電力料金を支援する案が伝わって、「原発は安い筈ではなかったのか」といった批判も起きた。原発は儲からない、ビジネス的に成り立たない、という現実が露わになってきた中で、原子力ムラの悪あがきが目立っている。そして、福島事故後8年経っても原発は軌道に乗らず、莫大な維持費だけが無駄に費やされる状況が続く。 

◆原発にこだわって世界に遅れる日本
 追い打ちを掛けたのが、テロ対策の遅れである。原発のテロ対策施設の建設は、再稼働へ向けた審査終了後5年以内と決められているのに、国内原発のどこもこれに間に合わない。電力会社は甘く見ていたようだが、原子力規制委員会は期限延長を認めない方針を固めた。当然の措置である。しかしそうすると、今動いている9基の原発も2020年以降には順次停止に追い込まれて、日本は再び原発ゼロになる。こんな覚束ないエネルギーに、待ったなしの地球温暖化対策を担わせようとする国や産業界の手前勝手な理屈と無責任さには呆れる。 

 国民が原発維持の無駄金を負担しているうちに、世界では既に「様々な電源の中で最も信頼できる」と言われる風力発電の設備容量が2015年には原子力を超えた。2017年には太陽光発電も原発を超え、しかも一基1兆円と建設コストが高騰した原発と反対に、そのコストを大幅に下げつつある。経済的な有利性もなくなり、輸出も、国内での新増設も、再稼働も、そして核燃料サイクルも、高速増殖炉も、すべて八方塞がりの原発。もう脱原発しか残された道はないはずなのに、安倍政権は(多分、アメリカに釘を刺されているためだろうが)まだ諦めない。

◆原発ゼロへ必要な論点整理を
 対する国民は、しつこく諦めずに脱原発を求めていくしかないのだが、これもただ「脱原発を」と言っているだけでは進まない。冒頭に書いた討論会の後半で私は、本気で脱原発を求めるなら私たち自身で「脱原発への論点整理」をするべきだと言った。以前の「原発ゼロへのシナリオA」(12.9.8)にも書いたように、脱原発を実現するには、気が遠くなるほど多くの検討課題があるのだが、その論点と解決策が必ずしもメディアにも、国民にも共有されていないからだ。

 去年野党が提案し、衆院で継続審議になった「原発ゼロ基本法案」を見ると、脱原発を実現するには、原発に代わる電力(再生可能エネルギーなど)の確保、省エネの推進のほかに、既存の原発を廃止するための様々な施策が必要となる。例えば、原子力事業者の損失に対する補償、原子力に関わる技術の維持・向上、廃炉技術者の育成と人材の確保、原発が立地している地域の雇用の確保、使用済み燃料の中間貯蔵および最終処分の計画などである。
 もちろん、核燃料サイクル(再処理施設:写真、高速増殖炉)を廃止するための課題と解決策も必要だ。ただし、法案はこれらの課題を列挙しただけで、具体的な解決策については書いていない。法律を作って実施するとだけ記されている。

◆しつこく諦めずに脱原発の声を
 原発はいったん止めると決めたら、膨大な負の遺産に変わる。このツケを出来るだけ次世代に回さないための様々な課題がのしかかって来る。原発ゼロを実現するにはまず、これらの論点を一つ一つ洗い出して整理し、自分たちの世代で解決の道筋を見つける必要がある。今、安倍政権がやろうとしていることは、自分たちの目先の利益のために問題を先送りにし、この膨大かつ危険な負の遺産を次世代に回すことである。私たちは未来の世代のためにも、これらの論点を明確にしながら「しつこく諦めずに」脱原発の声を上げ続けなければならない。

「失われた30年」の自画像 19.5.16

 平成から令和に変わり、メディアは令和礼賛と皇室関連企画の一色だった。その一方で、祝賀ムードに便乗した(フジTVの小室圭氏に関するような)あまりに軽薄な皇室報道が続くと、いつまでも浮かれていないで、そろそろ自分たちの足元を見たらどうかと思ってしまう。忘れてならないのは、平成の天皇皇后がこれだけ国民の敬愛を得て来たのは、先の戦争に対する深い反省と憲法尊重、災害弱者に心からの同情を寄せ続けて来たからで、それはとりもなおさず、肝心の政治(特に最近の右傾化政治)がおろそかにして来たからでもある。その傾向は令和になっても変わらず、日本はむしろ先の天皇の思いとは一層違う方向に向かうだろう。

 それだけでなく、日本はこの30年の間に表面的な空元気とは裏腹に、解決すべき課題の先送りによって国力が急落し、深刻な閉塞状態が続いている。進んだのは、安保法や改憲のような(右翼が喜びそうな)実のない政治ばかり。日頃、原発問題や温暖化問題、防衛、改憲、アベノミクスなど、テーマ別に新聞を切り抜いてファイル化しているが、安倍政権での問題の構造は金太郎飴のように似ており、いつも同じような論調になりそうで、なかなか個別のテーマを取り上げる気分にならない。そこで今回はもう少し俯瞰的に平成の「失われた30年」と、その中での「日本の自画像(現実)」について書いてみたい。

◆失われた30年は、日本の一人負けの時代
 バブルが崩壊した後の「失われた30年」で、日本の国際的地位がどのくらい低下したのか。それを物語る衝撃的な数字を、最近の記事から拾ってみる。まずは経済面で。バブル崩壊直前の1988年、日本のGDPは世界第2位で、1位のアメリカを激しく追い上げていた。一人当たりのGDPでも日本はスイスに次ぐ第2位に躍進。当時の株式時価総額の世界上位10社中、7社が日本企業、そして上位50社中、32社が占めた。そして、東京取引証券所(写真)が世界最大の市場になる。これが平成の幕開け(1989年)の日本の輝ける姿だった。その頃の中国のGDPはまだ日本の10分の1に過ぎない。

 それがバブル崩壊後の無策によって一転する。この30年の間に、世界のGDPは4.5倍になり、中国は33倍、韓国8.4倍、アメリカ3.9倍、ドイツ3.2倍に伸びたのに対し、日本は1.4倍にしかならなかった。平成幕開けの20年後(2009年)に日本を追い抜いた中国は、この10年で日本の2.7倍にも急成長。世界2位だった「一人当たりのGDP」で、日本は香港やシンガポールにも抜かれ世界の26位にまで落ちた。株式時価総額でも上位50社に入るのは今やトヨタ1社(45位)のみという惨状だ。平成の「失われた30年」は日本の一人負けの時代と言っていい(5/3毎日記者の目)。

◆落ち込む科学技術力。平成は敗北の時代
 技術力の分野でも、半導体、太陽電池、光ディスクなどで高いシェアを誇った技術が、いつの間にか中国や台湾、韓国に追い越されてしまった。次世代のIT通信(5Gなど)やAI技術でも米中が遙かに先を行っている。この傾向は、科学研究の分野を見ても一目瞭然だ。「科学技術振興機構」の調査によれば、2015年から2017年の質の高い151分野の科学論文の国別シェアでは、トップがアメリカ(80分野)と中国(71分野)の2ヶ国に独占され、かつてはアメリカとトップを分け合っていた日本は、殆どが6位から15位に低迷している。

 前経済同友会代表幹事の小林喜光は、今や日本を引っ張る技術が見当たらない状況だと指摘し、「この有り様を敗北と言わずして、何を敗北と言うのでしょうか」、「このままでは、令和の時代に日本は五流国になってしまう」と憂えている(1/30朝日、5/10毎日)。多くの日本人はまだ30年前の日本の輝かしい記憶の残影を引きずっているのかも知れないが、国の基幹となる経済分野とそれを牽引する科学技術の分野ではこれが現実。掛け値のない「日本の自画像」である。平成の30年はまさに「敗北の時代」だったわけである。

◆ぬるま湯に浸っているうちに、忍び寄る社会崩壊
 それでも、日本国民の75%が今の生活に満足し、その傾向は若者ほど高くなる(2018年6月の内閣府調査)のはどういうわけか。安倍政権への支持率も高いままだが、以上のような現実を直視すれば、日本は後戻りできない衰退への道をたどっているのではないかと心配になる。しかも、こうして国民が過去の遺産と一流国幻想を引きずって“ぬるま湯”に浸かっているうちに、今の日本には既に、格差社会などという生ぬるい状態を通り越して、「放置すれば社会崩壊」という深刻な階級社会が生まれつつあると言う指摘も現れ始めた(橋本健二・早大教授4/3毎日)。

 その階級社会で最下層に属する人々(アンダークラス)は、928万人(就業者の15%)にのぼる。多くは、バブル期以後に非正規雇用が増える中で、一度も正社員になったことがない。平均個人年収186万円(月15.5万円)で暮らし、安心して家庭を持つことも出来ない。59歳以下の男性に限っても未婚率は66%に上る。労働者の使い捨て時代では、容易に貧困から抜け出せず、固定化しつつある。これは自己責任といって済む話ではなく、日本は社会崩壊を防ぐためにこの人々とどう支え合って行くのかが問われている。 

◆“ゆでガエル状態”を脱することは可能か
 こうした危機的な「自画像(現実)」を直視することなく、安倍政権は「強い日本を取り戻す、世界の真ん中で輝く」などと一流国幻想を振りまきながら、課題先送りを続けて来た。支持率を維持するために目先の景気対策に終始して、財政出動と金融緩和というカンフル剤依存症に陥っている(5/3毎日)。しかしご承知のように、この先の日本には、少子高齢化と莫大な財政赤字という恐ろしい“時限爆弾”が時を刻んでいる。小林喜光は今の日本は「危機感が欠如した“ゆでガエル状態”」にあり、いずれ煮え上がるだろうと警告する。日本は、この安逸と停滞の状況から脱出することが出来るのか。

 確かに今の日本は豊かな文化遺産と自然環境があり、戦後74年続いた平和による社会的安定と治安の良さがある。問題は何度も言うように、先人から受け継いだ豊かな「社会的共通資本」をいかに毀損せずに次世代に手渡していくのかである。皆が「何となく上手く行くのではないか」と思っている中で、そんなことは可能なのか。「失われた30年」の各種記事にはその処方箋も幾つか書かれているが、「成長の芽を探し続ける」、「日本が強みを持つ分野に重点投資する」など、曖昧だ。私なりに言えば、大事なのはまず、今の社会に蔓延している上滑りで安逸な「国のメンタリティー、時代精神」をどう変えていくかではないだろうか。

◆若者が冒険できる時代精神を
 話は変わるが、ユダヤ人は世界の人口の0.2%を占めるに過ぎないが、文化的な分野で世界的な著名人を輩出し、科学分野でもノーベル賞を受賞した人が全体の20%前後にのぼる。こうした突出した成功を理由づけるものとして、評論家の内田樹はユダヤ人の性格として、「自分が現在用いている判断の枠組みそのものを懐疑する力」と「自分を規定する自己緊縛性を不快に感じる感受性」を仮説として提示する(「私家版・ユダヤ文化論」)。つまり、現状に満足せず、常に自己を改革して行く民族的メンタリティーのことだろう。

 日本が未来を切り開くイノベーションを再び成し遂げて行くには、こうしたメンタリティーを少しでも見習って、日本の時代精神をその日暮らしの「ぬるま湯的」なものから、明治初期にもあったような進取的で前向き、活力に満ちた冒険的なものに変えて行く必要がある。その主役は若い人たちになる。迂遠なようだが、遅れている教育制度を改善し、若者に積極的に投資する社会を作る。そうすることで、「失われた30年」で色あせた「日本の自画像」を、豊かで活力のあるものに書き換えて行かなければならない。