日々のコラム <コラム一覧>

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「失われた30年」の自画像 19.5.16

 平成から令和に変わり、メディアは令和礼賛と皇室関連企画の一色だった。その一方で、祝賀ムードに便乗した(フジTVの小室圭氏に関するような)あまりに軽薄な皇室報道が続くと、いつまでも浮かれていないで、そろそろ自分たちの足元を見たらどうかと思ってしまう。忘れてならないのは、平成の天皇皇后がこれだけ国民の敬愛を得て来たのは、先の戦争に対する深い反省と憲法尊重、災害弱者に心からの同情を寄せ続けて来たからで、それはとりもなおさず、肝心の政治(特に最近の右傾化政治)がおろそかにして来たからでもある。その傾向は令和になっても変わらず、日本はむしろ先の天皇の思いとは一層違う方向に向かうだろう。

 それだけでなく、日本はこの30年の間に表面的な空元気とは裏腹に、解決すべき課題の先送りによって国力が急落し、深刻な閉塞状態が続いている。進んだのは、安保法や改憲のような(右翼が喜びそうな)実のない政治ばかり。日頃、原発問題や温暖化問題、防衛、改憲、アベノミクスなど、テーマ別に新聞を切り抜いてファイル化しているが、安倍政権での問題の構造は金太郎飴のように似ており、いつも同じような論調になりそうで、なかなか個別のテーマを取り上げる気分にならない。そこで今回はもう少し俯瞰的に平成の「失われた30年」と、その中での「日本の自画像(現実)」について書いてみたい。

◆失われた30年は、日本の一人負けの時代
 バブルが崩壊した後の「失われた30年」で、日本の国際的地位がどのくらい低下したのか。それを物語る衝撃的な数字を、最近の記事から拾ってみる。まずは経済面で。バブル崩壊直前の1988年、日本のGDPは世界第2位で、1位のアメリカを激しく追い上げていた。一人当たりのGDPでも日本はスイスに次ぐ第2位に躍進。当時の株式時価総額の世界上位10社中、7社が日本企業、そして上位50社中、32社が占めた。そして、東京取引証券所(写真)が世界最大の市場になる。これが平成の幕開け(1989年)の日本の輝ける姿だった。その頃の中国のGDPはまだ日本の10分の1に過ぎない。

 それがバブル崩壊後の無策によって一転する。この30年の間に、世界のGDPは4.5倍になり、中国は33倍、韓国8.4倍、アメリカ3.9倍、ドイツ3.2倍に伸びたのに対し、日本は1.4倍にしかならなかった。平成幕開けの20年後(2009年)に日本を追い抜いた中国は、この10年で日本の2.7倍にも急成長。世界2位だった「一人当たりのGDP」で、日本は香港やシンガポールにも抜かれ世界の26位にまで落ちた。株式時価総額でも上位50社に入るのは今やトヨタ1社(45位)のみという惨状だ。平成の「失われた30年」は日本の一人負けの時代と言っていい(5/3毎日記者の目)。

◆落ち込む科学技術力。平成は敗北の時代
 技術力の分野でも、半導体、太陽電池、光ディスクなどで高いシェアを誇った技術が、いつの間にか中国や台湾、韓国に追い越されてしまった。次世代のIT通信(5Gなど)やAI技術でも米中が遙かに先を行っている。この傾向は、科学研究の分野を見ても一目瞭然だ。「科学技術振興機構」の調査によれば、2015年から2017年の質の高い151分野の科学論文の国別シェアでは、トップがアメリカ(80分野)と中国(71分野)の2ヶ国に独占され、かつてはアメリカとトップを分け合っていた日本は、殆どが6位から15位に低迷している。

 前経済同友会代表幹事の小林喜光は、今や日本を引っ張る技術が見当たらない状況だと指摘し、「この有り様を敗北と言わずして、何を敗北と言うのでしょうか」、「このままでは、令和の時代に日本は五流国になってしまう」と憂えている(1/30朝日、5/10毎日)。多くの日本人はまだ30年前の日本の輝かしい記憶の残影を引きずっているのかも知れないが、国の基幹となる経済分野とそれを牽引する科学技術の分野ではこれが現実。掛け値のない「日本の自画像」である。平成の30年はまさに「敗北の時代」だったわけである。

◆ぬるま湯に浸っているうちに、忍び寄る社会崩壊
 それでも、日本国民の75%が今の生活に満足し、その傾向は若者ほど高くなる(2018年6月の内閣府調査)のはどういうわけか。安倍政権への支持率も高いままだが、以上のような現実を直視すれば、日本は後戻りできない衰退への道をたどっているのではないかと心配になる。しかも、こうして国民が過去の遺産と一流国幻想を引きずって“ぬるま湯”に浸かっているうちに、今の日本には既に、格差社会などという生ぬるい状態を通り越して、「放置すれば社会崩壊」という深刻な階級社会が生まれつつあると言う指摘も現れ始めた(橋本健二・早大教授4/3毎日)。

 その階級社会で最下層に属する人々(アンダークラス)は、928万人(就業者の15%)にのぼる。多くは、バブル期以後に非正規雇用が増える中で、一度も正社員になったことがない。平均個人年収186万円(月15.5万円)で暮らし、安心して家庭を持つことも出来ない。59歳以下の男性に限っても未婚率は66%に上る。労働者の使い捨て時代では、容易に貧困から抜け出せず、固定化しつつある。これは自己責任といって済む話ではなく、日本は社会崩壊を防ぐためにこの人々とどう支え合って行くのかが問われている。 

◆“ゆでガエル状態”を脱することは可能か
 こうした危機的な「自画像(現実)」を直視することなく、安倍政権は「強い日本を取り戻す、世界の真ん中で輝く」などと一流国幻想を振りまきながら、課題先送りを続けて来た。支持率を維持するために目先の景気対策に終始して、財政出動と金融緩和というカンフル剤依存症に陥っている(5/3毎日)。しかしご承知のように、この先の日本には、少子高齢化と莫大な財政赤字という恐ろしい“時限爆弾”が時を刻んでいる。小林喜光は今の日本は「危機感が欠如した“ゆでガエル状態”」にあり、いずれ煮え上がるだろうと警告する。日本は、この安逸と停滞の状況から脱出することが出来るのか。

 確かに今の日本は豊かな文化遺産と自然環境があり、戦後74年続いた平和による社会的安定と治安の良さがある。問題は何度も言うように、先人から受け継いだ豊かな「社会的共通資本」をいかに毀損せずに次世代に手渡していくのかである。皆が「何となく上手く行くのではないか」と思っている中で、そんなことは可能なのか。「失われた30年」の各種記事にはその処方箋も幾つか書かれているが、「成長の芽を探し続ける」、「日本が強みを持つ分野に重点投資する」など、曖昧だ。私なりに言えば、大事なのはまず、今の社会に蔓延している上滑りで安逸な「国のメンタリティー、時代精神」をどう変えていくかではないだろうか。

◆若者が冒険できる時代精神を
 話は変わるが、ユダヤ人は世界の人口の0.2%を占めるに過ぎないが、文化的な分野で世界的な著名人を輩出し、科学分野でもノーベル賞を受賞した人が全体の20%前後にのぼる。こうした突出した成功を理由づけるものとして、評論家の内田樹はユダヤ人の性格として、「自分が現在用いている判断の枠組みそのものを懐疑する力」と「自分を規定する自己緊縛性を不快に感じる感受性」を仮説として提示する(「私家版・ユダヤ文化論」)。つまり、現状に満足せず、常に自己を改革して行く民族的メンタリティーのことだろう。

 日本が未来を切り開くイノベーションを再び成し遂げて行くには、こうしたメンタリティーを少しでも見習って、日本の時代精神をその日暮らしの「ぬるま湯的」なものから、明治初期にもあったような進取的で前向き、活力に満ちた冒険的なものに変えて行く必要がある。その主役は若い人たちになる。迂遠なようだが、遅れている教育制度を改善し、若者に積極的に投資する社会を作る。そうすることで、「失われた30年」で色あせた「日本の自画像」を、豊かで活力のあるものに書き換えて行かなければならない。