日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

「不確実な時代」に生きる 17.1.9

 トランプが第45代アメリカ大統領に就任する1月20日が近づいている。ネット情報を見ると、この就任式には100万人の参加者が予想される反面、数十万人規模の反トランプデモも動員されているという。トランプの言動に対する反発から多くの有名人タレントも参加を拒否しており、トランプ政権は発足直後から国内の深刻な分断に手を焼くことになる。それはともかく、1月20日をもってアメリカと世界は、今までは半ば悪いジョークのように見てきた異端の大統領とその(「オルタナ右翼」とも言われる極右の)閣僚たちによって遂行される「政治の現実」と付き合うことになる。それは、選挙でトランプを支持した「隠れトランプ」と言われる人々にとっても、予想外の結果をもたらすかも知れない。

◆「隠れトランプ」の心理に関する2つの見方
 トランプを熱烈に支持した層は、よく言われるように製造業の衰退や格差と貧困に苦しむ「ラストベルト(さび付いた工業地帯)」の没落白人層だが、この「異端の大統領」を生み出したのは、それだけではない。例えば、社会の閉塞感に不満を抱き、クリントンのような既成勢力(エスタブリッシュメント)に反感を持つ「隠れトランプ」も多数存在した。そして、その「隠れトランプ」には、ふたを開けてみると、案外にもインテリ学生層や一部の共和党富裕層も含まれていた事が分かった。そういう人々がこれまでの政治の常識では考えられないような過激な言動を行うトランプを選んだのは何故なのか。

 この「隠れトランプ」の心理的背景について、2つの興味深い見方がある。一つは、笑いや冗談の対象にしている「大物」をいつの間にか信じ始める、「皮肉な(アイロニカルな)没入」という不思議な社会現象だ。社会学者の大澤真幸は、これを「冗談と本気の区別があいまいなまま、どっぷりとはまっていく現象」とも言うが、オウム真理教の松本智津夫にはまったインテリたちの心理に似通ったものと指摘する。頭のどこかで否定していても、半ば冗談のように「何か普通ではないことをしてくれそう」、あるいは「彼ならば“普通に考えたら出来ないこと”を成し遂げることができる」と考えてしまう。それが世界で最も重要な国の最も重要な選挙で起きたのかもしれないという(11/17毎日、特集ワイド)。

 もう一つは、ダヴィッド・ランシマン(ケンブリッジ大政治学者)がいう「the confidence trap(自信の罠)」である。残念ながら邦訳が出ていなくて又聞きでしかないが、それによると、「誰を大統領に選んでも、まさかそんなに悪いことはしないだろう」という民主主義に対する自信過剰が、安易な選択をさせてしまうという現象である。民主主義を担保にしながら楽観主義にはまって、今の閉塞感を打ち破ってくれそうな指導者を安易に選んでしまう。それは、第1次大戦後にヒトラーを選んだドイツでも起きたことだった。切実にトランプを望んだ白人貧困層はいざ知らず、大部分の「隠れトランプ」は、案外こうしたフワフワした気持ちで(面白半分に)トランプに投票したのかも知れない。

◆トランプという現実。不確実な時代がやってくる2つの要因
 以上の2つの現象の間には、共通するところがあるようにも思えるが、しかし、そうした安易でフワフワした選択によって誕生したトランプ大統領は、一部の楽観論にもかかわらず、世界をこれまでにない「不確実な時代」に向かわせそうだ。その根拠を2つほど上げておく。一つは、彼が目指す「アメリカ第一主義」である。彼はその一方で、アメリカが世界の盟主として作り上げてきた諸々の「世界システム」を放棄する姿勢を示しているが、そこで問うべきは、世界システムを放棄して自国の利益のみを追求するアメリカ第一主義とは何か、ということである。少し考えても分かるとおり、それはアメリカがプーチンのロシアや習近平の中国と同じ国になる、ということである。

 「偉大なロシア」を掲げるプーチン、「偉大な漢民族国家の復活」を目指す習近平と同じように、トランプもまた「偉大なアメリカの復活」を掲げる。この三者が、同じ土俵で国益第一主義を目指してぶつかり合う時には、上部構造である国連をはじめとする様々な国際機関、あるいは国際的ルールの影が薄くならざるを得ない。地球温暖化防止の協定も、貿易のルールも、核軍縮や平和維持のシステムなども崩れていき、世界は曲がりなりにも国際的な協力の下で問題を解決しようと努力してきた時代の「前の状態」に戻ることになる。そこにインドやイラン、EUなども参加することになれば、世界はますます不確実な時代に入らざるを得ない。

 もう一つの要素は、大統領としてのトランプの資質である。トランプを批判している映画監督のマイケル・ムーアなどは、アメリカにはトランプ以外にもイラク戦争を始めたジョージ・ブッシュ(息子)のように、ろくでもない大統領はいたというが、その中でもトランプは破格ではないか。私見だが、少なくとも過去44代にわたるアメリカの大統領は、それなりに民主国家の理念を代表する大統領としての衣をまとおうとしていた。しかし、トランプは敢えてその衣を破り捨てようとしている。かつて、アメリカの大統領はウソをついたということだけで、議会からつるし上げを食っていた。しかし、トランプはそんなことはどこ吹く風である。

 差別を助長し、移民を排斥し、政敵やメディアをデマでおとしめる。激しやすくて自己愛が強く、批判に過剰に反応する。間もなく、アメリカと世界は、そうした彼の異常な資質と日々向き合うことになるが、その存在は、過去44代にわたる大統領の系譜から大きく外れたものになるだろう。そして、その異常な資質によってアメリカ国内と世界にもたらされる軋轢がまた、不確実性の要因となっていくだろう。この先は、ネット上に飛び交うジョークの類いになってくるが、「思ったより賢く、うまくやる」というケースから、「大混乱の中、任期途中で辞任」や「暗殺」と言った不穏な内容まで、そして「失敗を外に向けるための戦争」と言った最悪のケースまでが囁かれている。

◆トランプ大統領の誕生を「ブラック・スワン」にしないために
 こうした「不確実性とリスクの本質」について書いた本に「ブラック・スワン」(ナシーム・ニコラス・タレブ著)があり、その中に感謝祭に食べられてしまう七面鳥の話が出て来る。その七面鳥の身になって考えてみると、生まれてからの1000日間は毎日たっぷり餌をもらって来て、この平穏な暮らしがこれから先もずっと続くと思い込んでいる。しかし、1000日と1日目。七面鳥には、それまで思ってもみなかったような厄災が降りかかる。つまり、昨日までの1000日の状態からは、明日起こる災難(黒い白鳥=ブラック・スワン)を予測することが出来ないということである。*)「安倍政権の予期せぬ?リスク」(2012.12.27)

 ブラック・スワンの例は歴史上様々なところで起きている。例えば、1934年にヒトラーが国家元首になった時、ヨーロッパ、特に(ヒトラーは一過性の現象だと思っていた)フランスなどはそれが5年もしないうちに全ヨーロッパを巻き込む戦争に発展するとは思っていなかった。同時に、それ以前にドイツ社会に溶け込んで暮らしていたユダヤ人も、自分たちの身に降りかかる黒い白鳥について予測できなかった。こうした予測できない大衝撃は、それが悪い時にはとても素早くやって来るが、起こる前も直後も、それがどのような衝撃に発展するのか誰も予測できない、というのである。

 とすると、私たちが問い続けるべき問題はトランプ大統領の誕生をブラック・スワンにしないためには何が必要なのか、ということになる。アメリカにはまだ、いわゆる健全な民主主義を愛するリベラルな人々がいて、今後、彼らがどう動くのかに関心が集まっており、私としては、その反トランプの高まりに期待する気持ちもある。

 一方で心配なのは、日本がこの不確実な時代にどう向き合っていくのかである。安倍首相は、トランプとの最初の会談後に「信頼出来る指導者」だとトランプを持ち上げたが、その後も世界にはトランプにすり寄る政治家や経営者が後を絶たない。本当にそんなにたやすくトランプを信じていいのだろうか。また、日本は今までの惰性のように、いつまでもそういうアメリカに追随して行っていいのだろうか。前もって予測できないのが、ブラック・スワンたるゆえんだが、私たちは少なくとも歴史を踏まえた警戒心だけは持って行く必要があると思う。

天皇における象徴性とは何か 16.12.31

 今年8月に「象徴としてのお努めについての天皇陛下お言葉」が宮内庁から発せられた。即位以来28年、憲法第1条に書かれている「象徴」のあり方(*1)を真剣に模索して来られた天皇が、高齢によってその努めを「これまでのように全身全霊をもって果たしていくことが難しくなる」と危惧され、強く退位を望んでいる事を示したものである。以来、天皇の生前退位に対する様々な考え方がメディアで飛び交ってきた。当初、安倍政権とその周囲の右派人脈は天皇の生前退位を認めず、公務を軽減することや憲法第5条に規定された摂政を置くことで切り抜けようと盛んに論陣を張った。

 しかし、天皇が摂政を明確に否定し、さらに国民の間に生前退位を容認する声が圧倒的だったために、政府は「天皇の公務の負担軽減“等”に関する有識者会議」を発足させて“専門家”のヒアリングを行うことになった。“等”の中には軽減ばかりでなく「生前退位」も入っているというのが事務方の含みだが、始めからこれを掲げると、反対している右派から異論が出ることへの配慮だった。安倍は露骨にもヒアリング相手の“専門家”16人の中に平川祐弘(東大名誉教授)や渡部昇一(上智大名誉教授)、大原康男(国学院大名誉教授)など、右翼団体「日本会議」に属する論客を7人も押し込んで、生前退位への反対.論(後述)を展開させた。

 これは、右派に対するガス抜きという見方もある(選択1月号「天皇と安倍の確執」)が、こうした反対意見は大部分の国民の声とは真逆の異質なものだった。現在の有識者会議の結論は、国民の声に押される形で、現天皇の一代に限って退位を認める「特別立法」に落ち着き始めているという。退位の意向を受け入れながら一時的に問題を先送りする形だが、これにも異論はある。他の専門家だけでなく民進党なども、退位の要件を設けた上で恒久的な制度(皇室典範の改正)にすることを主張しているが、自民党などは有識者会議に任せるべきだとか、それでは時間がかかりすぎると反対している。こうした様々な議論をウォッチングしながら、私には2つの疑問がわいてくる。 

◆憲法の中の象徴天皇のあり方と役割
 一つは、一代限りの特別立法は天皇の問題提起に応えているのだろうか。もう一つは、右派の論客たちはなぜ素直に生前退位を認めないのか、という素朴な疑問である。その点で、12月23日に放送されたBSフジ「プライムニュース」の「日本国憲法と退位、“象徴天皇”とは何か」は、目から鱗(うろこ)の内容だった。この番組は有識者会議の座長代理である御厨貴(東大名誉教授)と憲法学者である石川健治(東大法学部教授)との対論だったが、特に第一の疑問については、石川の意見が新鮮だった。

 まず、石川は「有識者会議になぜ憲法学者が入っていないのか」と疑問を呈した上で、天皇を現人神(あらひとがみ)とした明治憲法と違って、天皇の役割を限定した現憲法では、(西欧の王室と同じように)人間としての退位の自由が含まれている筈だという。そして、天皇のお努め(公務)を2つに分類する。一つは、第3条にいう「国事行為」(総理大臣の任命、国会の召集など)。さらにもう一つは、「象徴としてのお努め」(外国訪問、被災地訪問、戦没者慰霊など)で、天皇は即位以来、これを内閣と相談しながら日々模索して来られ、その結果が国民の多くが共感を示す「象徴としての天皇像」になったと言う。

◆生前退位を認める様々な段階論
 その行為は、「生身の人間としての天皇」の行為であり、摂政で代行できるものではなく、またロボットのように決められた国事行為だけをしているのでは、象徴としては不十分。高齢によって象徴の努めが「全身全霊で」出来なくなれば退位するしかない、というのが天皇のメッセージだった。石川は従って、「生前退位の問題は、現天皇に限らず(現憲法が続く限り)次々と出てくる問題であり、特別立法でなく恒久法で対処すべき問題だ」。また、「一代限りの特別立法は、天皇のお言葉を否定することだ」と言う。ここまで問題が明確になれば、将来をにらんだ対処の仕方を考えるべきだと思うが、これに対して有識者会議座長代理の御厨はこう言う。

 「定年制を導入するのかどうかも含めて、退位の要件を決めるのが大変に難しい。むしろ、一代限りをあまり強調するのではなく、将来もこれを先例として考えればいい」。これは、いわば中間を取った言い方ではあるが、この他にも、今回は緊急避難的に特別立法で行き、引き続き恒久法を模索するといった2段階論(複数の専門家)や、民進党のように3つの要件(継承者が成人に達している、天皇に退位の意志がある、皇室会議の議決による客観性の担保)を上げて恒久法を求める意見などがある。こうした意見は、総じて天皇の象徴的行為に理解を示す意見だが、これに対して、そもそも象徴的行為そのものを認めずに退位に反対するのが、安倍をはじめとする右派である。

◆天皇の象徴的行為を否定する右派と安倍
 彼らは、現天皇が模索してきた象徴という行為を真っ向から否定する。「ご自分で拡大定義された役割を絶対条件にして、それを果たせないから退位したいというのはちょっとおかしいのではないか」(平川祐弘)、「天皇の仕事は祈ることで、国民の前に姿を見せなくても任務を怠ることにはならない。陛下が心配されることはない」(渡部昇一)などなど。いわば象徴という行為は、天皇が勝手に拡大解釈した結果で、退位希望は「わがまま」という扱いである。退位反対の安倍自身もこうした意見と同様で、同じ反対派の亀井静香と官邸で会ったときには、亀井に調子を合わせて、目の前で執務室のカーペットに片膝をつく仕草を真似て「こんな格好までしてねえ」と(天皇の象徴としての行為を)茶化したという(「選択」1月号)。

 言うまでもないが、現天皇が全身全霊で日々模索し、国民とともに築き上げてきた「象徴としてのあり方」は、憲法第1条に明記されたものである。それを安倍たち右派は否定する。その背景には、憲法を遵守することを第一命題とし、第9条(平和憲法)を守ることにも熱心な現天皇に対する反発もあるのだろうが、それ以上に、彼ら右派には天皇に対する独特のイメージがあるのだと思う。それは、一言で言えば明治憲法の天皇観と同じで、国体(国柄)の中心に元首としての天皇を据え、「神聖にして侵すべからず」として奉るのが、安倍たちの天皇なのだろう。明治憲法の復活を目指す「日本会議」(*2)にとって現憲法は否定すべきものであり、その意味から人間天皇の「象徴としてのお努め」も無視したいのだろうか。

◆右派の天皇観と、現憲法における天皇のもう一つの役割
 しかし、そこに各地の被災地を慰問して床に膝をついて慰める、人間天皇のイメージはない。彼らにとって天皇は、時に神のように、時にロボットのように権力者が都合良く扱える存在がいい。そのためには、むしろ国民から出来るだけ隠された見えない存在の方がいい。それで十分だと思っているのではないか。天皇個人の意志が入り込まない形で、天皇が何を考えようが機械的に継承して行く方が、安定的に天皇制を維持出来る、とも考えているのだろう。実に、時代錯誤的でご都合主義的な天皇観だが、前述の番組「プライムニュース」で石川教授は、次のような興味深いことも言っている。

 現憲法の中では、天皇の見えざる機能がもう一つある。それは、権力者が傲慢になり、政治が立憲主義を否定するような極端に振れるときに、天皇の存在はそれを無言の内に修正する機能として働くというのである。それは、いわば政治の平衡を取る“バランサー”としての機能だ。戦後の憲法論の中では、こうした天皇の機能について憲法学者による様々な議論があったと言う。それを考えると、安倍たち右派はそうした天皇のバランサーとしての機能を本能的に嗅ぎつけて、その力を無力化しようとしているのかも知れない。生前退位の議論もよく知ると中々に奥深いものがある。
*1)「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く
*2)コラム「日本会議の研究を読む」(6/25)

時間稼ぎのアベノミクス 16.12.21

 今の日本経済は、アメリカの利上げとトランプ次期大統領の経済政策への期待から円安、株高に振れている。これを受けて日銀も20日の会合で、日本の景気判断を前回の「輸出・生産面に鈍さがある」という文言を削除して「緩やかな回復基調を続けている」との表現のみに改善した。これは、アメリカや中国の景気の復調に引きずられたもので、日銀の金融政策のお陰ではない。それにもかかわらず、会見した日銀の黒田総裁は満面の笑みだったそうだ。よほど、このところの日銀批判が堪えていたのだろう。何しろ、2013年4月に「2年で2%」の物価上昇率を掲げて始まった異次元の金融緩和は、3年以上経っても一向に効果が現れず、何度も期限を先送り。今や「私の任期(18年4月)とは無関係」などと言い出すまでに追い詰められている。

 金融緩和政策の手詰まりを打開するために、今年1月からはこれと合わせて「マイナス金利政策」も導入。資金を日銀に預けていると目減りするので、銀行に他で運用させようとする目論見だが、景気が足踏み状態では運用先がそうあるわけではなく、かえって銀行の業績悪化を招いている。アベノミクスの本丸がうまくいっていないことに関して、旗振り役の安倍首相は「アベノミクスは道半ば」と、この先に何かいいことがあるかのように言い続けて来たが、新聞社説からは『「道半ば」は通用しない』、『誇大広告はもうやめよ』、『政府こそ失敗の検証を』などと手厳しく批判(毎日、朝日)されている。専門家からの疑問も絶えない。それでも、日銀は異次元の金融緩和とマイナス金利政策にこだわり続けている。

 日銀は、異次元の金融緩和が手詰まりになって、新たにマイナス金利政策を追加したわけだが、最近はさらにこんな話もある。金融緩和の大御所、浜田宏一(米エール大名誉教授、リフレ派)が「考えが変った」として、金融緩和の限界を認め、大胆な財政出動も必要と言い始めたのである(エコノミスト12/27号)。Aという薬が効かないから、Bと言う薬、さらにCという薬を追加するというわけで、どんどん薬の量が増えて行く。しかもこれらは、日本経済の基盤を強化する薬ではなく、いわば麻薬のようなカンフル剤である。これで日本の経済は大丈夫なのか、麻薬の中毒症状は進まないのかと素人なりに心配になる。

◆400兆円を超えた「行き場のないカネ」のリスクは?
 年に80兆円の国債を買い足すという「異次元の金融緩和」によって、日銀が銀行から買い上げた国債は始める前の3倍、415兆円にも膨らんでいる。そのぶんのカネが銀行を通して市中に回っている勘定になるが、経済が弱い現状では、銀行の運用先も限られており、カネの大部分は日銀に預金されたままだ。日銀に積み上がる国債と銀行がもつ使い道のないカネは、今の金融政策を続ける限り、今後もますます増えていく。これは、やがて国が発行する国債を国内(日銀・銀行)で引き受けられなくなるリスク(従って、国の予算編成が困難になるリスク)や、制御できないハイパーインフレの引き金になるリスクにつながると危惧されている。

 こうしたリスクは、実際に起きてみないと正確なところは分からない未経験の現象だが、起き始めた時には既に遅しで、なすすべがないことになる。それを防ぐために、アメリカなどでは、イエレンFRB議長が少しずつ金利を上げてカネを絞る、いわゆる“出口”を模索し始めているが、実体経済の弱い日本ではまだ出口も見えない。リスクが膨らんでいくのを心配しながら、うまくいかない異次元の金融政策をどこまでも続けるつもりのようだ。どうしてこういうことになっているのか。それこそがアベノミクスの最大の副作用(問題点)と言えるのではないかと思うのだが、アベノミクスが安倍の政権維持と切っても切り離せない関係になっているからではないか。それが、傷口を大きくしているように思えてならない。

◆次々と経済政策を打ち上げては政権延命を図る自縄自縛
 安倍政権は、何よりも株価の維持に熱心だ。年金資金の投入や日銀政策によって市場に大量のカネを流し、株価を上げて見かけの景気を煽ってきた。しかし、その株価もアメリカや中国の景気回復というおこぼれによって、一時的に回復したものであり、恩恵に浴するのは機関投資家を除けば、国民の1割にも満たない。その一方で、肝心の日本の経済成長力はアベノミクスのキャッチフレーズだった「2年で2%の物価上昇、2%の経済成長」が泣くような低迷を続けている。政府の言うような“好循環(トリクルダウン)”も起らず、非正規労働者の賃金は下がったまま、こどもの貧困率も過去最高。各国と同じような格差社会になりつつある。

 そんな状況が続く中、安倍政権は「新三本の矢」、「地方創生」、「女性活躍」、「一億総活躍」、「働き方改革」と、目先を変えた政策を次々と打ち上げては、「経済、経済」と言い続けて来た。これらの政策も中途半端で思った効果が出ていない。こうなると、結果的に「アベノミクスの真の狙いは政権維持にあった」と言われても仕方がない。つまり、うまくいかなくとも、どのようなリスクが迫せまろうとも、政権維持のためには、日銀の金融政策を失敗と認めるわけには行かず、何が何でも理由を付けて、その政策を継続せざるを得ない状況に追い込まれているのだろう。この“自縄自縛の状況”こそ、アベノミクス最大のリスク(副作用)と言うべきではないか。

◆上滑りする経済政策と「時間稼ぎのアベノミクス」
 アベノミクスが掲げてきた様々な成長戦略。最近では、アベノミクスの第2ステージと銘打ったGDP600兆円、50年後も人口1億人を目指すための出生率1.8、介護離職ゼロなどのための政策は本当に有効なのだろうか。私も皆が豊さを実感できる「経済力のある日本」を望んではいるが、どうも安倍政権の経済政策は上滑りしているように思えてならない。公的資金で株価を上げようとしたり、金融緩和で金余り現象を作り出そうとしたり、巨額のカネがかかるオリンピックを誘致したり、インドに原発を売ろうとしたり、大学の研究費を減らす一方で軍事研究を大学に誘いかけたり、カジノ誘致を図ろうとしたり。北方領土の代わりに経済協力を持ち出すのも、経済と言えば何でも通ると思っているのだろう。

 どうも、目先のカネにとらわれた政策ばかりを追い続けているように思えてならないが、大事なのは、現在の世界を席巻しているマネー資本主義(あるいは新自由主義経済、強欲な資本主義)の本質的な病根を直視するところから始めることではないか。というのも、今、世界で提起されている問題は現代のマネー資本主義の行き詰まり(終焉)だからである。これも何度か書いてきたが、資本主義が始まって500年、資本の飽くなき自己増殖を追求して来た資本主義は、先進国による価値観の押しつけによる全世界への市場の拡大、金融という新たな仮想世界の拡大などによって膨らみ続け、その限界にまで達しつつあるという(「史的システムとしての資本主義」I.ウォーラースティン)。

 そこでは、世界の富が一握りの富裕層に集まり、劣悪な環境と貧困にあえぐ大多数の人々との格差が無限に開いていく。それが、資本主義の機能不全を起こし終末に至るという見方である。そうした状況では、金融政策などの経済政策は、終末までの単なる「時間稼ぎ」に過ぎなくなる。アベノミクスなどもまさにその「時間稼ぎ」の典型と言えるのかも知れないが、そこで、よりマネー資本主義の拡大を求めて限界を早めるのか、あるいは、行き過ぎを是正しながら終末を先延ばしするのかが、問われてくるだろう。EUなどでは、こうした行き過ぎた資本主義の弊害を是正するための様々な試みや提言が行われている(「今とは違う経済を作るための15の政策提言」)。

 これを日本で言えば、累進課税の是正による所得再配分、非正規労働者の待遇も含めた格差の是正、国民等しく必要な子どもの教育・医療などへの一律配布、環境に優しい新エネルギーの開発、完全雇用を最優先する政策、そして経済成長に代わる新たな指標の導入等々になるだろう。ウォーラースティンの言うように、世界の経済は、資本主義の終末に向かって歩みを早めているのが実態かも知れないが、それに歩調を合わせるのではなく、こうした問題意識を持って、今の日本経済を見直し、強欲な資本主義の問題点を直視して、もっと根本的なところから少しでも良い方向に変えていくという視点が大事になって来ると思う。(資本主義のこうした問題については別途また書いてみたい) 

「脱真実」とメディアの危機 16.12.10

 トランプ次期大統領は、何かあると記者会見よりツイッターで発言したがる異例の大統領になりそうだが、選挙期間中の発言に関しては、政治家やメディアの発信内容をチェックするサイト『ポリティファクト(PolitiFact)』の評価において、「ほとんど事実と異なる」「事実と異なる」「至急訂正が必要」などが79%を占めたという。「私はイラク戦争に反対だった(賛成していた)」、「この国はゼロ成長だ。成長していない(ゼロ成長ではない)」、「シリアから数万の人々がアメリカに来ている(実際は1500人以下)」、「アメリカの実質的な失業率が42%(こんなに高くない)」、「ロシアのプーチンが自分を天才だと言っている(言っていない)」などなど。

 9月26日に行われたクリントンとの公開討論でも「女性の妊娠が会社にとって迷惑とは言っていない(言っていた)」、「“地球温暖化は中国人が作った作り話だ”などとは言っていない(言っていた)」など34の虚偽に近い発言をしていることが指摘されている。こうした放言、発信に関してメディアもクリントン陣営も、事実をチェックする「Factchecker」を設けて反論・指摘したが力及ばず、結局の所、国民はトランプを選んだ。クリントンもメール問題やウォール街から(3回で)7600万円の高額講演料を貰っていたことなどもあり、信頼度に関しては両者とも同じようなものだったのである。

 こうした数々の嘘にもかかわらず国民がトランプを大統領に選んだ現象に関して、オックスフォード辞典が今年の流行語に「Post-truth(脱真実)」という言葉を選んだのは象徴的だった。「Post-truth」とは、真実がさして重要ではないことを言うが、いまや政治の場において、「何が真実か」は大きな力を持ち得ず、有権者の心により気持ち良く響く言葉の方が力を持つ政治状況が生まれている。これを「Post-truth politics」(脱真実政治)というが、世界的に見ても大衆迎合政治(ポピュリズム)と相まって、危険な潮流の一つになりつつある。それはまた、事実報道を基本に据えるジャーナリズムにとっても深刻な危機といえる。私たちは、この「脱真実政治」の時代とどう向き合ったらいいのだろうか。

◆Factcheckの限界。SNS時代に事実は力を持つか
 今回の大統領選挙では、SNS時代を反映して膨大な情報がネット上に溢れたが、その中でも「フェイク(にせ)ニュース」という虚偽のニュースが市民の間に拡散した。「ローマ法王がトランプ氏を推薦した」、「クリントンはトランプが勝った場合、内戦を求めている」、「オバマはイスラム教徒のテロリストために資金洗浄している」といった内容で、トランプ自身も「(幾つかの州では)深刻な不正投票が行われている」、「違法投票を除けば、私は総得票数でも勝利した」といった、トンデモ情報を発信している。こうした偽情報に対してメディアが振り回され、アメリカは何が真実で何が嘘か分からない状況に陥った。こういうときには必ず、「地球温暖化は、アメリカの競争力を弱めるために中国がでっち上げたデマだ(トランプ)」といった“陰謀論”が幅をきかす

 ワシントンポストなどは、トランプの発言を検証する「Factcheck」を行ったが、国民の信頼を得ることは出来なかった。特に、トランプ支持の市民からは、クリントンに肩入れする既存メディアの批判は、トランプを落とそうとするバイアスのかかった情報としか見なされなかった。アメリカには「ポリティファクト」のように、政治家の言動やマスメディアの報道をチェックするFactcheckサイトが沢山出来ているが、そうしたサイトからも、既存のメディアは攻撃の対象にされた。新聞が一方の陣営に肩入れするのと同じように、多くのFactcheckサイト自身もどちらかの陣営の肩を持っていたからである。

 政治が二極化するなかで、Factcheckサイトもメディアも二つに分断され、お互いに揚げ足を取り合い、自分たちに都合のいい情報だけを取り上げる。その中では何が真実かと言うより、より自分たちに都合のいい情報だけが意味を持ってくる。これが「Post truth(脱真実)」時代の実態。メディアの監視機能が用をなさず、大衆はメディアを信用せず、ネット上のフェイクニュースに踊らされる。それは結局の所、トランプのようなデマゴーグ(大衆扇動家)の登場を許すことになる。まさに事実報道に重きを置いてきたメディアの存立基盤を揺るがす由々しき事態だが、振り返って見るとここに至るまでに、既存メディアの方にも様々な問題があった。

◆既存メディアが抱える問題
 最大の問題は、ネットの進展で新聞が経営的に苦しくなり、多くの記者が現場を離れざるを得なかったことである。特に、地方新聞などは記者が足りない状況が続いている。これに伴って記事が地方の実情を踏まえない、上から目線の建前的なものになり、決まり文句の自由、平等、差別反対といった抽象的、観念的、理念的なところからのトランプ批判に流れた。これでは、口ではアメリカ的建前のきれい事を言いながら、裏で強欲な資本主義と結託しているクリントンなどの既成勢力(エスタブリッシュメント)と違わない。既成メディアの報道は、現実に格差や失業に苦しむ没落白人層の心には一向に届かなかった。

 現場の現実を見ない報道。人々の“心のひだ”まで取材しない記事。それが今回の既成メディアの大きな落とし穴だった。もう一つの危機は、メディアがはっきりと保守とリベラルに二極化し、それぞれ建前的な報道を繰り返し、それが国民からはバイアスのかかった記事と見なされたことだった。イラク戦争以来、ワシントンポスト、NYタイムズなども政府の好戦的な戦争の広報の道具に成り下がり、歪曲報道が多くなったと言う指摘もあり、メディアは国民からの信頼を失っていた。既存メディアの多くは今回の選挙で初めて、こうした「進行する現実」に気づかされたのではないか。

◆事実の先にある真実を、力のある言葉で
 政治家の発言が事実かどうかが、さして重きをなさない「脱真実政治」の時代。同様のことは、ジャーナリズムが抑圧され、様々なプロパンダや陰謀論に国民が踊らされた過去のドイツや日本にもあったが、現在の状況は既存メディアの信頼低下と同時に進行するSNSの普及によって、より複雑で深刻な様相を見せている。何が事実で何が嘘か、膨大な情報が溢れる中で、私たちは混迷の中にいる。一方で、アメリカのFactcheckをまねて、日本でも朝日などが安倍首相の発言や党首討論などに対するファクトチェックを始めている。

 選挙演説で「安保法制について必ず説明した(全部ではない)」、「自民党議員には二重国籍はいないと認識している(実際にはいる)」、「結党以来、強行採決しようと考えたことはない(よく言うよ)」、「南スーダンは永田町と比べればはるかに危険(永田町と比べてどうする)」といった感じだが、こうしたファクトチェックも、メディアが安倍政権寄りと批判的なメディアとに二極化している日本で、どれくらい生きてくるか。こうしたファクトチェックは、安倍に批判的な国民には喜ばれるだろうが、そうでない人々の心を掴むことが出来るだろうか。

 むしろ、今のジャーナリズムに必要なのは、国民大多数に響く言葉をどう探すかではないか。それは事実の羅列だけでは生まれないだろう。事実の向こうにある真実を探しだし、言葉にする。その作業に脳髄を絞らなければ、政治家の甘い言葉やウソを覆すことは出来ない。これは、ジャーナリズムと同様に政治の世界でも同じ。ただ立憲主義を守れとか、平和憲法死守とか、強行採決反対とか決まり文句のように言っているだけでは、国民の心に響かない時代が既にやってきていることを肝に銘じる必要がある。

 かつてのコラム「言葉の持つ力について」(2005.6.27)で、『(ジャーナリズムが発する言葉は)政治がプロパガンダ、アジテーション、ポピュリズム、偏狭なナショナリズムの言葉を発し始めたとき、それを押しとどめる力をもたなければならない。また、その力は、時代認識、状況認識の的確さ、取るべきスタンスと目指す方向性の正しさ、そして明確な表現を源泉としなければならない』と書いたが、これは今の「脱真実」の時代にこそ大事なのではないか。ファクトチェックも大事だが、メディアには事実の先にある“真実”をつかみ取って伝えて欲しいと思う。

トランプ登場の歴史的意味 16.11.27

 11月9日にトランプがアメリカ大統領選に勝利して以来、@トランプを当選させた要因は何か、Aトランプはこれからのアメリカと世界をどう変えようとしているのか、と言った解説がメディアに溢れ、書店に行っても“にわか解説書”が山積みになっている。それだけ、トランプが変えようとしているアメリカと世界への影響について世界が固唾をのんで注目しているということだろう。ただし、全く未経験なまま政治の世界に乗り出すトランプの特徴は、その強引で激しやすい性格とセットになった「予測不可能性」(何をやるか周囲にも予測できないために恐怖を生む)にあり、これは権力をほしいままにしたヒトラーやスターリンなどの独裁者に共通する特徴でもある。

 過去、民主主義を標榜してきたアメリカの政治制度が、まさかヒトラーのような独裁者を許すとは思えないが、唯一の超大国として世界に君臨してきたアメリカだけに、その影響はヒトラーの比ではない。さらに言えば、問題はトランプだけでなく彼の周囲に集まっている人種差別主義者やイスラム排外主義者などの極右(これをオルタナ右翼というのだそうだ)の面々だろう。政治的野心をむき出しにした彼らと一体になって、トランプがアメリカと世界をどう変えようとしているのか。予測不可能とは言いながら、手元に主として海外の社会学者、経済学者、政治学者などの解説記事が溜まってきたので、それを元に少し長い目でみた変化の方向性、歴史的意味について探ってみたい。

◆トランプは「強欲な資本主義」をコントロールできるか
 トランプを大統領にまで押し上げたのは、主として、さび付いた製造業地帯(ラストベルト)の没落白人層といわれるが、彼らの製造業を衰退させ、貧困層にまで落とした主犯は、安い労賃を充てに海外に工場を移転させた資本家や、金儲けの対象を製造業から金融業にシフトしたマネー資本主義(新自由主義経済)である。トランプ支持層は、クリントンをはじめとする既成政治家が、口では人権や自由、平等といったアメリカの価値観を建前的に言いながら、裏ではこうした強欲な資本主義と深く結びついている欺瞞を感覚的に見抜いていた。それを攻撃し続けたトランプはある意味で真実を語っていた(仏歴史学者、エマニュエル・トッド)。

 しかし、本当に彼ら貧困層の不満に応えるには、ウォール街(アメリカ金融街)に巣くう、そうした強欲な資本主義にメスを入れなければならないが、トランプにそれが出来るか。この点、さし当たってトランプがやろうとしていることは、大幅減税とインフラ整備に財政発動する「対症療法」的なものだ。その一方で、オバマ時代に作られた(緩いものだが)投機的な金融に対する規制を緩和して元に戻そうとする。あるいは、海外に出て行った企業を呼び戻すために法人税を大幅に引き下げる。これでは、一握りの富裕層をさらに富ませるだけで、大多数の貧困層を生み出した病根はそのままであり、目の前の不満を和らげる対症療法的な財政出動もいつまで続けられるか分からない。

 一握りの超富裕層と大多数の貧困。格差の拡大を生む強欲な資本主義(新自由主義経済、グローバル経済)の副作用に悩んでいるのは、ヨーロッパも中国も日本も同じだが、これに本当に立ち向かうのはまさに難問中の難問と言っていい。それは現代の資本主義が構造的に内包している欠陥であり、しばしばバブルの崩壊という危機をもたらしてきた。経済破綻に苦しむ貧困層を尻目に、投資家たちはその都度、新たな金融政策に目を付けて「時間稼ぎ」を繰り返してきた。金融緩和に頼るアベノミクスなども同じ。しかし、こうした「時間稼ぎ」もいよいよ行き詰まっている(独社会学者、ヴォルフガング・シュトレーク)。グローバル経済の本家アメリカでもこの解決が難しいとなれば、1年もしないうちにトランプに対する期待は恨みに転換するだろう。 

◆「世界システム」から降りる「アメリカ第一主義」のアメリカ
 また、以前のコラム「アメリカが作った世界システム」(2014.9.11)にも書いたように、戦後のアメリカは立憲的な民主主義や法の支配、資本主義や自由貿易に関する世界に通用するルールやシステムを主導してきた。例えばNATOなど自由主義諸国の安全保障政策、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)、自由貿易を主導する世界貿易機関(WTO)、国際通貨基金(IMF)、あるいは国連の理念の運用もそう。それを主導して世界の盟主の地位にあったアメリカだが、いま進んでこれから降りようとしている。「世界システム」を守ることが、必ずしもトランプの唱える「アメリカ第一主義(利己的なアメリカ主義)」の利益と合致しないからである。

 それが、「世界の警察官にはならない」とか、「同盟国はもっと金を払え」、「TPPは即廃棄する」といった、利己的なトランプ発言につながるわけだが、アメリカが盟主の座を放棄することは、今後の世界にどのような影響をもたらすのか。これについて、「アメリカは既にかなり前から盟主ではなくなっている」とし、「今の世界は、全く新しいシステムに向かう分岐点にある」と指摘する見方もある(米社会学者、イマニュエル・ウォーラースティン)。つまり、今の世界は強欲な資本主義経済の先行き不透明に苦しみながら、次の覇権を巡る大国同士の争いとという歴史的な転換期に入っている(*)。トランプの登場によってこの動きがいっそう加速され、世界はこれからかなり長い間、不安定に漂流することになりそうだ。「時代と格闘する大型番組を」(9/4)

◆見えないトランプの軍事政策。その時世界は?
 その間、「トランプのアメリカ」と、次の覇権国候補として名前があがっている中国やロシアはどういう関係になるのか。アメリカと同盟を結んでいるNATOや日・韓との関係はどうなるのか。その中でも最重要問題は「アメリカと中国の関係」だが、これまでのオバマ政権は台頭する中国に対して、その人権問題、南シナ海などでの覇権主義的な動きを理由に、厳しい態度を取ってきた。アジア重視(リバランス政策)を打ち出し、軍事的にも中国に対峙する方針をとってきた。日本もアメリカに同調して「中国包囲外交」を展開してきた。しかし、次期トランプ政権は、中国に対して大きく姿勢を転換させそうな気配である。

 もちろん、中国との貿易に対しては関税や為替政策などの改善を要求はするだろうが、これはかつてのアメリカが日本に対して行った事と同じだ。しかし大きくは、トランプ政権はGDPが世界第2の中国を敵視せず、ビジネス重視で行くと言う見方がある(「中国の台頭容認に転向する米国」)。習近平とトランプの電話会談で、習近平が「アメリカとの関係を重視している」、「協力が唯一の正しい選択肢である」と言ったのに対し、トランプは「お互いに利益となるウィンウィンの関係に発展させていきたい」と言ったという。これはビジネス上の言葉であり、トランプは商売のためなら、オバマほど人権問題や遠い南シナ海での覇権的動きを気にしないかも知れない。

 ただし、トランプ陣営の安全保障政策については、まだ不明な点が多すぎる。例えば、アメリカを核で脅す北朝鮮に対してどう出るか。トランプ当選以降、奇妙な沈黙を続ける北朝鮮だが、オルタナ右翼のトランプ陣営がどういう方針なのかは、現時点では全く見えない。あるいは、中国の尖閣諸島への介入に対してトランプは日本を守ってくれるのか。イスラム国に対してはどうか。あるいは、経済政策の行き詰まりで支持層の不満が高まった時、狡猾なトランプが、彼らの不満を別のターゲット(イスラム、中国、北朝鮮)に振り向ける可能性はないのか。そうなれば、世界は核戦争の危機に立たされることにもなる。

 こうした疑問を解く鍵の一つは、トランプ政権とアメリカの軍産複合体との関係にある。これがどうなっていくかについては今後、アメリカ国内で指導権を巡る複雑な暗闘が繰り広げられることだろうが、現時点では、日本がこの暗闘や戦争に巻き込まれないことを祈るしかない。トランプという一人の男の登場によって、世界は東西冷戦を終結させた「ベルリンの壁の崩壊」に匹敵するような歴史的転換点を迎えようとしている(米政治学者、フランシス・フクヤマ)というが、その登場は、すでに世界を覆っている強欲な資本主義の行き詰まりによって、前もって予告されていたのかも知れない。引き続きウォッチングして行きたい。

先制核攻撃の誘惑と“核の傘” 16.11.17

 大方の予想に反して、アメリカ大統領選挙はトランプが勝利した。言われるように、アメリカ中西部から北東部に位置する(鉄鋼や自動車などの)主要産業が衰退した工業地帯(ラストベルト=さび付いた地帯)の没落白人層の支持も得たが、ふたを開けてみると、自分たちは定着していてこれ以上移民が増えて欲しくないヒスパニック(中南米からの移民)や、一部の共和党富裕層の支持も得ていた事が分かった。彼らの心を掴むためにトランプは、メキシコなどの移民排除やイスラム敵視、女性蔑視など、クリントンに代表される既成勢力の価値観を破壊する過激な発言を繰り返してきた。それを巧妙な計算という人もいれば、大統領になれば、もう少し穏健な現実的政策を打ち出すだろうという人もいる。

 しかし、これまでの生い立ちに見る異常なまでの自己顕示欲や闘争心を見る限り、彼の当選は世界に大きな混乱と厄災を引き起こすに違いない。アメリカ国内の対立と分断はアメリカ人自身の問題だが、こちらが懸念するのはその対外政策である。アメリカを取り巻く世界は今、イスラム過激派のテロ組織ISILとの切迫した戦いや、地球温暖化問題、核戦争の脅威といった問題に直面している。また、覇権を巡ってアメリカに対抗する中国やロシア、あるいは中東の覇権を狙うイラン、そしてアメリカを核で脅す北朝鮮がいる。クリントンだって決して安心は出来ないが、トランプの登場によって、世界はより不安定な時代へと突き進むのではないか。

 何しろ、政治にも防衛にも無知なトランプの周りには、アメリカの国益をごり押しする極右的な問題人物が集まりつつある。トランプ自身も地球温暖化問題を陰謀と決めつける連中に近く、パリ協定から離脱すると言い、イランとの核合意を破棄するとも言っている。特に、核兵器の使用については、「核兵器を持っているのに、なぜ使えないのか」と言ったり、イスラム過激派ISILとの戦いについては「核兵器が最後の手段だ」と言ったりしている。こういう人物が、来年1月以降の「核のスイッチ」を握ることになるわけで、特に、近年オバマ政権が進めてきた(極めて危険で実践的な)「核兵器整備計画」を知れば、彼らが核兵器の先制使用の誘惑に駆られないかと心配になる。

◆ノーベル平和賞の裏で、オバマが進めた「核兵器整備計画」
 就任直後のプラハ演説で「核なき世界」の実現に向けて動いて来たように見えるオバマ大統領だが、その実はブッシュ時代より核軍縮が進んでいない。名目的に旧式になった核兵器を少しは廃棄しつつ、裏ではそれに代わる新たな戦術核兵器を開発して、実質的な軍拡を進めているということが明らかになった。それが2014年から始まった新たな「核兵器整備計画」で、アメリカはこのために30年で1兆ドル(110兆円)をつぎ込む計画だ。そして、その目玉となるのが、超精密誘導の貫入核爆弾「B61 Model12」である。

 私たちの勉強会での情報やネット情報を見ると、この新型核爆弾は爆発の威力を調節することが出来て、広島原爆の3倍から最小2%にまで調節出来るという。写真から推定して長さ6メートルほどのミサイルだが、精密機器を積み込み、尾翼も可動式になっているため、誘導がより精密になり、超高空から投下しても攻撃目標の30メートル以内に命中する。既に2015年からはアメリカネバダ砂漠で戦闘機からの投下実験も行われている。しかも貫入型とあって、(山をくりぬいて作っている北朝鮮の核施設など)地下の核施設などへの攻撃も可能になるという。

 「新核兵器整備計画」のもう一つの柱は、核爆弾を敵地まで運ぶ運搬手段の開発だ。これには、戦略核潜水艦(新オハイオ)や大陸間弾道ミサイル(ICBM)などがあるが、最も確実なのは長距離戦略爆撃機による投下だという。その改良も莫大な金を使って行われている。それが2025年には就役が予定されている次期の長距離戦略爆撃機(B21、レイダー)である。これも写真だけだが、現在のB2爆撃機に似た、三角定規のような変った飛行物体で敵のレーダーから捕捉しにくいステルス性を備えている。これで、核爆弾「B61 Model12」を敵地まで運び、超高空から精密に投下する。

◆小型原爆の実現で核使用の誘惑が高まる?
 「核なき世界」の実現などと口では言いながら、裏では次世代の“使いやすい”核爆弾の開発を進めてきたオバマ政権だが、その「核兵器整備計画」は今後、核兵器使用を軽々しく口にするトランプ新大統領に引き継がれるわけである。彼の任期中に間に合うかどうかは分からないが、広島原爆の2%にまで威力を縮小できる「B61 Model12」の開発によって、核兵器を限定的に使用する「限定核戦争」や「先制核攻撃」の可能性が高まると指摘する専門家も多い。軍の司令官たちによるミサイル発射への敷居が低くなると言うのである。特に、相手の挑発や脅しなどによって「先制核攻撃」の誘惑が高まる時に、極右強硬派が多いトランプ次期大統領の陣営がどう考えるかは予断を許さない。

 私などは、広島原爆の2%と言われても想像できないが、これが使われれば小さな街などは吹き飛ぶだろうし、火力と放射能による人的被害の悲惨さは広島と変らないはずだ。また、核保有国への使用なら、それがきっかけでより大型の核爆弾が飛び交う危険もある。核攻撃は、こうしたエスカレーション(拡大)をコントロールすることが極めて難しく、詳細なシナリオがあるにしても(相手があることなので)そうなるとは断言できない。にもかかわらず、命中精度が高く被害が限定出来る新型核爆弾が手に入れば、それを先制攻撃として使ってみたいという誘惑に駆られやすい。すでに、ロシアや中国は「B61 Model12」について懸念の声を上げていると言うが、新大統領の登場によって世界はより強い緊張を強いられることになりそうだ。

◆日本にとって、「核の傘」は本当に有効なのか?
 核攻撃を受けない限り、核を先に使わないとする「核の先制不使用」宣言問題については、コラム(「核なき世界を巡る攻防」10/14)でも触れたが、「すべての核保有国が核の先制不使用」を宣言することが、偶発的な核戦争のリスクを減らし、国際的な核軍縮環境を整備する上で重要な一歩とされる。しかし一時、オバマ政権が「核の先制不使用宣言」を検討しているというニュースが流れた時も、日本政府は反対の立場だった。それによって、アメリカの「核の傘」の抑止力が弱まると考えたからである。
 「核の傘」とは単純に言えば、アメリカと同盟国の日本が中国や北朝鮮から攻撃されたときに、アメリカが核で報復してくれるというもので、これが怖いので彼らは攻撃をしないだろうというものだ。ただし、その「核の傘」も日本側の思い込みであって、そう単純には行かないという意見もある。

 例えば、中国が尖閣諸島を攻撃・占領して日中間に戦闘が始まり、それが双方に拡大したとしても、通常兵器による局地的な戦闘にアメリカが参加することはあっても、アメリカが核で中国を攻撃して日本を守ることはしない。そうすれば、米中の全面核戦争になるからで、核戦争になる程の犠牲をアメリカが払うはずがないとする意見だ。とすると、「核の傘」というのは日本側の幻想ということになる。まして、北朝鮮の挑発に対してアメリカが先制核攻撃に踏み切った場合は、日本はもっと危険な状況に置かれる。仮に、アメリカの先制核攻撃で北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)を倒し、一部の核施設を破壊したとしても、北朝鮮には彼に忠誠を誓う軍部があり、日本に向けられた200発のミサイルが残る。

 これが日本の米軍基地や原発に飛んできたら防ぎようがない。従って、日本はむしろ同盟国のアメリカの「先制核攻撃」の動きをこそ警戒しなければならない、と言う皮肉な状況になる。このように、先制核攻撃の時には、「核の傘」の意味合いも変ってくる。次期大統領のトランプは、同盟国の日本に対して、防衛費負担の見直しや新たな軍事的貢献などを迫ってくると言うが、日本はどうするのか。この機会に「核の傘」の幻想にとらわれない、(積極的な平和外交の努力も含めた)真に効力のある戦争回避の方策を真剣に研究すべきと思うのだが、果たして安倍首相はどの方向に進むのか。これもまた心配である。

政治が国民から遠くなる 16.11.8

 いま国会では9月26日から11月30日までの66日間の予定で、第192回臨時国会が開かれている。冒頭に首相の所信表明演説があり、各党の代表質問があり、TPPほかの重要案件の審議が始まっている。その一つTPPについては、山本有二農水相の低俗で浮かれた失言問題(後述)があって紛糾したが、結局11月4日の衆院特別委員会で強行採決となった。民進党などの野党は、議場で「強行採決反対」などのプラカードを掲げて抵抗したが、あっさりと押し切られた。
 この後、週明けから山本農水相の不信任案提出なども行われるようだが、民進党はもともとTPPについて、採決やむなしに傾いていた経緯もあり、こだわっているのは「山本の首を取る」ということと、「自民党の数の横暴を印象づける」ということにしか見えない。

 これを政治的茶番というかは別として、国民はTPPの一体何が問題なのか、何故国会で騒いでいるのか、腑に落ちているだろうか。殆どのメディアも経済成長にはTPPが必要と言って来ただけに、ぬるま湯の報道を続けてきた。そういう中で、反対のプラカードを見せつけられても、国民はしらけるばかりだ。数を頼んで好きなように政治を支配する安倍一強の自民党も問題だが、新代表を選んで新鮮な政党を売り出さなければならない民進党もなかなか腰が定まらない。

 TPPに限らず、自衛隊の駆けつけ警護や、首相の任期に関わる自民党総裁の任期延長、天皇の生前退位などの重要な政治問題が国民の手の届かない所で進んでいく中で、国民の間には、(注目を集める小池都知事の劇場型政治に隠れて)国政に対して奇妙な無関心や虚脱感が漂っているようにも見える。ますます国民の手から離れていく政治、あるいは民意が見えなくなっている「既成政党の問題」について書いてみたい。

◆国民の方を見ない永田町の政治家たち
 まずは、TPPの当事者である山本農水相の“失言”問題である。これがどういう場所で飛び出したかだが、ご存知のように一回目は、自民党の佐藤勉(衆院議院運営委員長)のパーティー(10/18)で、「(TPPを)強行採決するかどうかは佐藤さんが決める」と佐藤に媚びを売るとともに、審議が始まったばかりの段階でTPPの強行採決が織り込み済みのような発言をしたこと。これで、散々野党から批判されて陳謝したのもつかの間、今度は再び自民党議員のパーティーで「こないだ冗談を言ったらクビになりそうになった」(11/1)と軽口を叩いたのである。

 同時に彼は、パーティーに来ているJA(農協)の幹部を前に「明日にでも農水省に来てもらえば何かいいことがあるかもしれません」と利益誘導的なことまで言った。いずれも議員仲間や業界筋を前にした発言であり、こうした状況での発言は、本人の日常感覚ないしは本音であり、そこに出席していた議員全員が、笑ってこうした発言を受け入れていることからも分かるように、永田町の議員仲間に支配的な感覚といえる。そして、彼らの視界に入っているのは、議員仲間や権力のありか、あるいは自分たちにすり寄って来る業界でしかないことを図らずも示している。

 この点では、あっという間に自民党総裁の任期を3期9年まで延長した議論も同じ。心の中では異論があるにしても、皆が安倍一強の空気を読んで口をつぐむ。「健全な議論じゃない。首相への忠誠度をみんなで披露し合っている感じで気持ち悪い」(ベテラン議員、朝日)というが、右派のイエスマンばかりで脇を固める安倍政治は確かに気色悪い。
 そういう政治集団(自民党)にいる議員にとって国民とは何なのだろう。TPPの行使によって影響を受ける酪農や果実の農家が、今真剣に怯えている状況など目に入っているのだろうか。視野が常に党内での権力構造に狭まり、その中で自己保身、自己顕示に動かざるを得ない彼ら政治家にとって、国民とはせいぜい自分の力を誇示できる業界団体や支持団体だけというのが多いのではないか。

◆政治の世襲化と政治の劣化
 最近の日本の政治が、国民の声にまともに答えないような「長期低落傾向」を示している原因について、歴史学者の小熊英二は90年代以降の首相が多くは2世か3世だという事をあげる(論壇時評10/27朝日)。そして、そうした世襲化は、日本社会の変質を反映したものだという。かつての自民党の集票母体だった町内会、自治会、商店会、郵便局、農業団体などが民営化などで弱体化・高齢化。90年代に547万人いた自民党員数は、現在100万人以下にまで減っている。支持基盤が衰弱すると、議員の基盤も不安定化する。そのため、現在の自民党衆議院議員の4割以上は、当選2回以下でしかなく、基盤が弱い彼らは党中央に逆らえないという。

 その一方で、連続当選するのは地盤を受け継ぐ世襲議員だ。だから、日本の首相は世襲化し、一強などということも生じてくる。そうした世襲首相は、家業として政治を受け継ぎ、祖父や父の政治的悲願の達成に執念を燃やす。岸信介(祖父)の悲願だった憲法改正、安倍晋太郎(父、元外相)の悲願だった日ロ交渉。安倍晋三の胸中には、そうした(必ずしも国民の要望とは一致しない)政治課題が重くのしかかっている。しかも、国民の方に「政治とはそんなものだ」、「政治はそういうノウハウを持った人間に任せればいい」という受け入れや、諦めがあるとすれば困ったことである(時のありか、毎日11/5)。

◆根っこが腐っている?民進党
 一部の特権的な世襲議員と、それに頭が上がらない経験の浅い議員との二極化によって進行する政治の劣化。その一方で、野党の民進党はどうなのか。今は蓮舫新代表のもと、生まれ変わった政党としてのイメージを打ち出すべき時だが、党内のバラバラな政治信条と意見の対立、支持母体の連合(日本労働組合総連合会)の意向に左右される党内政治は、自民党より深刻かも知れない。執行部人事では、(民主党時代の戦犯とも言える)野田佳彦幹事長の起用で党内からブーイングを受け、批判派の前原グループも冷ややかなままだそうだ。これでは、小さな政党なのに挙党態勢もおぼつかない。

 野党共闘を巡っても、いろんな意見が渦巻いていて腰が定まらない。極めつきは、先般10/16の新潟県知事選での民進党の対応である。原発再稼働に慎重な米山隆一が民進党を除く野党から推薦を受けて、自民・公明の推薦を受けた森民夫を大差で破って当選した。この選挙で民進党が自主投票としたのは、原発推進を掲げる連合(特に電力総連)の意向だった。支持母体に逆らえないために、民進党は党としての推薦を見送り、蓮舫などが個別に応援に入るという曖昧な対応をとった。これでは、他の国政選挙で野党共闘を呼びかけている共産党などから批判されるのは当然で、この野党共闘を巡っても党内がごたついている。

 私は、かねて民進党は二段構えの戦略で、まず野党共闘でも何でもやって数を増やし、合わせて政権構想や政策を練り上げればいいと言って来た(「民進党へのラブレター」)が、民進党の前原や細野は(今のままで政権を取ることなどあり得ないのに)政権を取ったときに政策理念が違う党(共産党)とは組めないなどと寝ぼけたことを言っている。そういう彼らの政治信条も(聞いている限り)自分の美学のようなもので、今の国民の声に向き合った結果とは思えない。脱原発を求める民意が見えるなら連合と袂を分かつくらいの決断をしなければならない筈だ。民進党には頑張って貰いたいが、こうした情けない状況を見るに付け、ある民進党議員に近い先輩が「民進党は根っこが腐っているから」と言ったことが気になって仕方がない。

 こうして国民の手が届かない遠い場所で、国民の声を真剣に受け止めない国政政治が続いている一方で、小池都知事が呼びかけた「希望の塾」には4000人を超える希望者が集まったという。既成の政治に対するもどかしさを感じている人たちがそれだけ多いと言うことだろう。アメリカ大統領選も間もなく決着がつくが、どちらが勝つにせよ、トランプに代表される既成政治に対する欲求不満はかつてないほどに高まっている。劣化した政治に安住していると、いずれ内外から、政治を国民の手に取り戻す激動が押し寄せるだろう。

プルトニウムの呪縛を解け 16.10.26

 建設開始から30年、1.2兆円をつぎ込んで僅か3ヶ月運転しただけで、まもなく廃炉が決まろうとしている高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)だが、その反省も、責任の所在を問うこともなく、政府は研究の続行を決め、看板を「高速炉」に掛け替えて再び巨額の税金を投入しようとしている。原子炉の開発は、実験炉、原型炉、実証炉、実用炉と段階を進んで実用化されるが、原型炉の「もんじゅ」を放棄し、フランスの実証炉「ASTRID(アストリッド)」に金を出して共同研究しようというのが続行案だそうだ。しかし、この「ASTRID」にも、(後述するように)いろいろ問題がある上に、フランスは日本の足元を見て、研究費の総額5700億円の半分を日本側に持たせる意向というから、新たな看板代も莫大だ。

 日本政府(経産省)が、あくまで高速(増殖)炉にこだわるのは「核燃料サイクル」という見果てぬ夢を追っているからだ。「核燃料サイクル」とは、まずウラン燃料を普通の原発(軽水炉)で発電に使用し、その使用済み燃料を「再処理」してプルトニウムを取り出す。それを高速増殖炉で(軽水炉では燃料にならない)劣化ウランと混ぜて燃やすと、発電と同時に高速中性子によって、入れた以上のプルトニウムが生み出されるというもの。このため、高速増殖炉は使った燃料以上の燃料を生み出す「夢の原子炉」と言われてきた。また、再処理で取り出したプルトニウムは、普通の軽水炉でもウラン燃料に混ぜて、MOX燃料として使う事ができる。

◆科学技術で何でも可能とする奢りの産物
 この再処理と高速増殖炉の組み合わせが「核燃料サイクル」の2本柱なのだが、これが理論通りに進まなかった。高速中性子が飛び交う高速増殖炉では、冷却水の代わりに液体状の金属ナトリウムを使用するが、これがとんでもなく厄介な代物で、水や空気に触れると爆発的に燃焼する。「もんじゅ」では熱して液体状にした金属ナトリウムを1500トンも使っているが、これが一部漏れ出して大騒ぎになった。仮に福島のように圧力容器やパイプに穴が開く事故にでもなったら、漏れて大爆発する。水もかけられない。

 いくら「夢の原子炉」とはいえ、地震国でよくこんな技術を目指したものだと思うが、科学技術が何でもできると過信していた時代の“奢りの産物”なのだろう。米英独などの先進国が相次いで撤退する中で、「スーパーフェニックス」(写真)で実用化を目指したフランスも事故続きで18年前に断念。新たに「ASTRID」に切り替えたが、これとて、いつ実用化されるのか、また、どれだけ開発費が膨らむか分からないと言う。実用化したと言われるロシアの炉(BN-800)も、まだ全容がよく分からず、耐震性に留意していないなど、その技術を鵜呑みには出来ない。こうした状況の中で、あくまで核燃料サイクルにこだわる日本はどうかしていると思うが、日本には別の事情も絡んでいる。それが「プルトニウムの呪縛」とも言うべき「お家の事情」なのである。

◆47トンの「プルトニウムの呪縛」とは?
 日本は、既に海外に再処理を依頼して取り出したものなど、プルトニウム47トンを保有している。これは、プルトニウム型原爆6000発分の材料に当たるというので、アメリカや国際原子力機関から厳しく監視されている。日本はアメリカと原子力協定を結んでウラン燃料を輸入しているが、プルトニウムの扱い如何では、核拡散に神経をとがらすアメリカによってNOを突きつけられる恐れもある。そこで日本は、48トンのプルトニウムをMOX燃料として使うとともに、高速増殖炉でも使うと言い続けてきた。その建前が、核燃料サイクルの破綻によって崩れるのを恐れているわけである。

 MOX燃料にして減らすと言っても、適合する16〜18基の原子炉すべてで燃やしても、減るのは年に1トン程度。しかも現実に動いているのは最近再稼働した伊方原発3号機だけで、これも絵に描いた餅になっている。日本は、国際社会に対してもアメリカに対しても、将来の高速増殖炉で燃やすために保有しているのだと弁明するために、実現不可能な「核燃料サイクル」にしがみつくしかない。まさに「プルトニウムの呪縛」にかかった状況にある。

 すでに、再処理も高速増殖炉も放棄したアメリカなどは、使用済み燃料をそのまま保管する計画だ。その方がコスト的にも安いのだが、再処理を建前とする日本の場合、使用済み燃料を恒久的に保管する場所を見つけてこなかった。一時的に保管している六カ所村も各原発にあるプールも、再稼働すればすぐに満杯になってしまう。肝心の六ヶ所村の再処理工場も故障続きで、いつ稼働するか分からない。仮に再処理してプルトニウムを取り出しても使い道がない。まさに日本の「核燃料サイクル」は、八方ふさがりなのに、この看板を下ろせない。この47トンの「プルトニウムの呪縛」を解く方策はないのだろうか。その可能性はあるというのが、私の考えだ。

◆「プルトニウムの呪縛」を解けば、「核燃サイクルの呪縛」も解ける
 アメリカと国際機関(IAEA)は、日本の核武装を警戒して47トンのプルトニウムを厳しく監視している。ならば、「プルトニウムの呪縛」を解くためにも、この全部をアメリカに引き取って貰ったらどうか。そうすれば、国際社会も安心するし、既に核兵器用のプルトニウム100トン近くを保有するアメリカの厳重な管理下に任せた方がアメリカも安心だろう。もちろんタダとは言えないだろうから、百億円位の金を付けて引き渡す。これを2018年の日米原子力協定の更改時に提案してみたらどうか。それでも、金食い虫に金をつぎ込み続けるよりはるかに安い。これなら、プルトニウムの呪縛を解き、さらに高速増殖炉や再処理といった「核燃料サイクルの呪縛」も解くことができる。

 ただし、手持ちのプルトニウムを全部引き取って貰う案には、隠れた障害がある。それは、日本の政治家に抜きがたくある核武装願望だ。政治家の中には、「プルトニウムを持っているだけで潜在的抑止力になる」と言う人間もいるし、稲田防衛相のように「長期的には、日本独自の核保有を単なる議論や精神論でなく国家戦略として検討すべき」(2011年「正論」)と言う政治家もいる。一説には日本の技術力を持ってすればプルトニウムさえあれば、1ヶ月で原爆が作れるらしいから、彼らの核武装願望も侮れない。そういう馬鹿な考えも含めて、「プルトニウムの呪縛」を解いてやる必要があるわけである。

◆税金無駄使いの単位。1兆円に慣れる怖さ
 現在、もんじゅの扱いは、「高速炉開発会議」という官民会議で議論されているが、会議が非公開である上に、メンバーは関係省庁(経産、文科)の大臣、電力業界、もんじゅの運営機関(日本原子力研究機構)や建設会社(三菱重工業)という仲間内だ。これでは、1.2兆円の無駄使いの総括や責任論など期待できないし、研究続行の理由さえ不明確だ。政府は責任論をうやむやにし、看板を掛け替えてゾンビのように金食い虫の高速炉研究を延命させようとしているが、莫大な税金もかかるわけだから、これは「プルトニウムの呪縛」を解く提案も含めて、野党が国会で厳しく追及すべきテーマだと思う。

 問題の「もんじゅ」は、この先廃炉が決まっても、金属ナトリウムが固まらないように熱し続けなければならず、維持費がかかっていく。汚染されたナトリウムの抜き取り作業も技術的に極めて困難で、廃炉には30年という期間と3750億円という巨額の費用が見込まれている。虚構の「核燃料サイクル」のために、過去何千億、あるいは何兆円と言う金が無駄に使われてきたが、巨大システムに関する判断ミスは膨大な財政赤字を抱える日本の致命傷になりかねない。

 オリンピックでも、豊洲の新市場でも、核燃料サイクルでも、最近は平気で何兆円という額が飛び交っている。その一部でも新エネルギー開発や科学技術の振興に使われていれば、今のような立ち後れもなかったはずだ。(前にも書いたが)大学の研究費は毎年1%ずつ削られている。10年経てば10%で、予算不足で停止に追い込まれる研究室も多く、これでは科学技術立国が泣く。それだけでない。1兆円あれば、子どもや若い世代の貧困にだっていろいろ手当ができるだろう。1兆円という単位に慣らされている恐ろしさを、為政者も国民ももっと知るべきだと思う。

「核なき世界」を巡る攻防 16.10.14

 1945年8月6日午前8時15分、当時8歳の森重昭少年は通学途中に広島の橋の上で原爆にあった。その時の強烈な閃光と爆風は頭上から襲ってきたという。森少年は爆風によって木の葉のように吹き飛ばされ、下の水草の生い茂る川に落ちたために奇跡的に助かった。一緒にいた2人の友人は死亡した。しばらく、自分の手先も見えないほどの真っ暗なキノコ雲の中にいたが、あたりが見えるようになって橋の上に這い上がると、一人の若い女性がよろめきながら近づいてきた。全身血まみれ、胸が裂けて両手で自分の飛び出した内蔵を抱え、「病院はどこですか」と声を振り絞るように聞いてきたという。

 その森重昭さんが、5月27日の広島でのオバマ大統領の演説の後に抱擁され涙を流した人である。成長してからサラリーマン生活の合間に広島の原爆で死んだ米兵捕虜を同じ惨劇にあった人間として丹念に調べ上げ、消息不明だった12人を特定し、アメリカの遺族にも知らせて追悼した。アメリカ政府はそのことを知って森氏を式典に特別招待し、大統領に抱擁させたのである。10月5日、先輩が企画プロデュースしたシンポジウム(国民の健康会議)で、森氏と先輩の対談を聴きながらいたく感動した私は、彼の著作(「原爆で死んだ米兵秘史」)を読み、広島での大統領の17分におよぶ演説の全文を改めて読んでみた。

 確かに大統領は演説の中で森氏の名前こそ出さなかったが、「広島で殺された米国人の家族を捜し出した男性がいました。なぜなら彼が、家族の喪失感は彼自身のものと同じだと確信していたからです」と言っている。同じフレーズの中で、彼は「私たちは過去の失敗を繰り返すよう遺伝子で決められているわけではありません」と言い、世界は広島と長崎の経験を原点として、「核兵器のない世界を目指す勇気を持たなければいけません」と訴えた。「私が生きているうちに、この目標を達成できないかも知れませんが、たゆまない努力で破滅の可能性をすくなくすることはできます」。これは来年1月には退陣するアメリカ大統領として、「核廃絶」に向けての最後のメッセージになるだろう。

◆核の脅威と地球温暖化は二つの大きな地球的課題
 核廃絶の気運が盛り上がったのは2009年、チェコのプラハ演説でオバマ大統領が核軍縮、不拡散およびセキュリティーに関する一連のイニシアティブ(構想)を宣言し、ロシアのメドベージェフ大統領もこれに応じる姿勢を見せた頃だ。これによってオバマはノーベル平和賞を受賞したが、この7年、大きな進展は見ないで来た。しかし、具体的な成果は見ないまでも世界は核廃絶に向けての様々な動きを続けており、特に最近は国連を中心として核保有国と核を持たない国の攻防が激しさを増している。

 核の脅威と地球温暖化は、私たちの時代の二つの大きな地球的課題である。地球温暖化については、前回書いたように遅ればせながら世界が一歩を踏み出そうとしているが、核廃絶への道筋はそれこそ迷路のように複雑に入り組んでいる。現在、国連を中心として核拡散防止、核実験禁止、先制核不使用、核兵器禁止など様々な動きがあるが、どれ一つとっても困難な道だ。諦めが先に立って、あまり関心を持てずに来た問題だが、最近は北朝鮮やテロリスト国家ISILの動き、あるいはロシアのプーチンの発言(*)、シリアを巡る米ロの緊張によって、核の脅威は一段と高まっている。最近の核廃絶を巡る動きを項目ごとに概観・整理しておきたい。

核拡散防止条約(NPT)を巡る動き
 現在、世界にはそれぞれ7000発以上を保有するロシアとアメリカをはじめとして、フランス、中国、英国、パキスタン、インド、イスラエル、そして北朝鮮の9ヶ国で1万5千発を超える核弾頭が存在する。これは破壊力で広島型原爆の10万発分だ。そのごく一部でも飛び交えば、世界は破滅に瀕する。
 そこで、これ以上核保有国を増やさないと同時に、条約締結国に核弾頭の数を減らす核軍縮交渉を義務づけたのが1970年発効の核拡散防止条約(NTP)。核保有国を米ロ英仏中の5ヶ国から増やさないことを目指した条約だが、インド、パキスタン、イスラエルなどが新たな保有国となり、しかも未加盟。一時加盟していた北朝鮮も脱退した。肝心の米ロの核軍縮も殆ど進んでいない。日本政府は北朝鮮を念頭に、このNPT体制の強化を訴えている。

包括的核実験禁止条約(CTBT)を巡る動き
 CTBTは、宇宙空間や水中、地下を含むあらゆる空間で、すべての種類の核兵器の実験を禁止する条約。1996年に国連で採択されたが、現在までに164ヶ国が批准しているものの、発効要件国(核保有国や原子炉を持つ国)44ヶ国のうち、8ヶ国(アメリカ、中国、イスラエル、北朝鮮、インド、パキスタンなど)が批准していないために、未だに発効していない。そんな中、北朝鮮は核実験を繰り返している。採択から20年の今年9月24日には、これの早期署名・批准と核実験の自粛を求める決議案が国連で採択された。「たとえ小さくても、核兵器のない世界への着実な一歩と考えたい」と評価する意見もある(毎日社説9/25)。

「核の先制不使用」宣言を巡る動き
 川口順子元外相とエバンス元豪外相を共同議長とする「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」は、かねて「すべての核保有国が核の先制不使用を宣言すべき」と提言して来た。核を先に使わないということは、偶発的な核戦争のリスクを減らす意味でも、核軍縮の環境整備にとっても重要な一歩とされる。これに呼応して核の先制不使用宣言を検討しようとしたオバマに対して、安倍首相が「北朝鮮への抑止力が弱体化する」と反対したというニュースが流れた。安倍は否定したが、先制不使用反対は、政府の基本姿勢となっている。これについては、いわゆる「核の傘」問題も含めて双方に賛成反対の論理があり、この溝を埋めるにはもっと詰めた議論が必要だろう。しかし、(ここでは深入りしないが)双方の溝を埋める十分な論理(シナリオ)が存在すると言うのが私の感想だ。

C 持たざる国々が提案する「核兵器禁止条約」を巡る攻防
 核廃絶が思うように進まないことに世界が危機感を募らせる中、国連では核を持たざる国を中心に、核兵器を非人道的兵器と規定して禁止する「核兵器禁止条約」を一気に作ってしまおうとする動きが始まっている。これは、核の傘に入っていないアフリカ(54ヶ国)、東南アジア(10ヶ国)、中南米(33ヶ国)など100ヶ国が支持しているが、中心になっているのがメキシコ、オーストリアといった“普通の国”なのが興味深い。8月19日、核保有国が時期尚早として反対し、日本は棄権するなか、国連の作業部会は多数で2017年には国連総会で条約を協議するよう勧告する報告書を採択した。

 10月からは総会で、その前段階の議論が始まるが、核保有国やその「核の傘」に入る国々と、核を持たざる国々との攻防に世界が注目している。条約推進派はこれによって「核保有国がいなければ何もできない」という状況を変える好機と捉えているという。2017年に向けてこの攻防がどのような展開を見せるか不透明だが、条約によって国際世論が、核兵器の非人道性を改めて認識し、その禁止こそが人類生き残りの道と確認することは、核廃絶への大きな一歩になるに違いない。

◆「核なき世界」への3つのリーダーシップ。日本は?
 こうした様々な困難を乗り越え、「核なき世界」は作れるだろうか。先に挙げた「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」は、「核の脅威を絶つために」という提言(2009年)の中で、核廃絶に向けてはリーダーシップがなければ、惰性が常に支配してしまう、と書き、リーダーシップに次の3者を上げている。@(主要核兵器国、特に米ロによる)トップダウン、A(考えを共有する世界中の国々による)ピア・グループ、B(市民社会による)ボトムアップである。
 現在、核兵器禁止に向けて動いているのはAのピア(仲間)・グループだが、核大国による@が足踏みしている現在、国際世論を形成するAやBの高まりに期待したい。同時に、唯一の被爆国である日本も、北朝鮮の核を視野に入れつつ、「核の傘」の神話を乗り越える緻密な論理を構築し(それは可能と思う)、「核なき世界」に向けて、もっと積極的にリーダーシップを発揮して欲しいと思う。
*)2014年のウクライナ紛争時、プーチンは核兵器を使う用意があったと述べて世界を凍りつかせた

人類の生き残りを賭けた挑戦 16.10.4

 私事で恐縮だが、お産のために実家に帰っていた娘が9月11日に出産。4日目にはもう退院して育児に奮闘している。息子の方の孫たち5人は、それぞれの所で生まれて大きくなったので、今回は何十年振りかで毎日、生まれたばかりの乳児を眺める日々が続いている。そのあどけない顔に癒やされながら、この子が物心つくまで自分は元気でいられるか、と思ったりする。同時に、平均寿命からすれば十分22世紀をまたぐことになるこの子の生涯は、どんなものになるのだろう、その時の世界と日本、そして地球はどうなっているだろうか、などとも考える。

 22世紀までの長いスパンで考えれば、日本では巨大津波が心配される南海トラフ地震や首都直下地震は必ず起きるに違いない。うまく大災害をやり過ごすことが出来るだろうか。その時、原発は大丈夫か。またその間、世界で大きな戦争や核戦争は起きないだろうか。そして何より、これからの地球は温暖化で年々熱くなるが、そのとき、この子たち世代はどのように暮らして行くのだろうか。日本の問題は日本人の知恵で切り抜けるとして、特にこうした「人類の大問題」に、人類は英知を集めて立ち向かっていけるだろうか。 

 その解決への道筋を作るのはもちろん、現役世代の責任になるわけだが、その一つである地球温暖化防止に向かって、世界がようやくまとまって動き出した。「パリ協定」の始動である。「始動は、もう少し先になるのではないか」と日本が手をこまねいているうちに、9月3日には世界の38%を排出している米中が、30日にはEUが批准し、さらにインドとカナダが続く。この結果、条約発効のためには55ヶ国以上が締結し、全排出量の55%を超えなければならないという条件を一気にクリアしたわけである。

 パリ協定の始動は人類(孫たち世代にとっても)の朗報だが、それにしても、この一ヶ月の動きは「これだけ加盟国が多い協定では最速の発効」(国連特別顧問)と言うくらい急だった。世界がいよいよ温暖化防止に向かって動きだした感じがする。しかし、11月7日からモロッコで始まるCOP22では第一回締約国会議が始まり、実質的なルール作りが始まるが、出遅れた日本は参加できないという。どうしてこんな動きになったのだろうか。また、なぜ日本は出遅れたのか。今回は、動きの背後にある(と思われる)「世界システムを動かす高度な専門性」について探ってみたい。

◆地球温暖化防止。人類の生き残りを賭けた挑戦
 ご存じのようにパリ協定とは、去年の12月にパリで開かれたCOP21(国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議)で、世界196の国と地域が参加して決めた協定。批准国は温室効果ガスの自主的な削減目標を決めて、2020年から取り組む。それを5年ごとにより厳しく見直して、今世紀末の気温上昇を2度未満、出来れば1.5度に抑えたい。そのため今世紀後半には、世界の温室効果ガスの排出を実質ゼロにする、というものだ。
 しかし、これは以前にも書いたように、地球の気温は既に産業革命以後、1度上昇しているので、2度以下に抑えるのは極めて厳しい状況になっている(*1)。まさに待ったなしの状況で、「人類の生き残りを賭けた挑戦」が始まったわけである。

 今から27年前の1989年3月、私たちはNHK特集「地球汚染」でメディアとしては初めて本格的に地球温暖化問題を取り上げた。番組の中でスタッフが特殊撮影で描いた巨大台風の襲来、大干ばつによる環境難民、病原菌の北上、海面上昇などは、今や現実になりつつある。しかし、その時には週刊誌で「大マスコミの地球環境キャンペーンは大嘘だった!」などと叩かれたように、地球温暖化問題は常に様々な異論・反論・雑音に悩まされて来た(*2)。しかしその中で、国連は1995年に第一回の気候変動枠組み条約締約国会議(COP)を立ち上げ、温暖化防止策について粘り強く議論してきた。

 COP3(1997年)では京都議定書が出来たが、最大の排出国の米中が枠組みから撤退。COP15(2009年)では具体的な進展はなかったが、米中も入って地球温暖化が人類共通の課題だという認識が深まり(*3)、COP21(2015年)で画期的とも言える「パリ協定」が実現した。今回、各国が競うように協定を批准した背景には、人類的課題で米中2国が世界をリードする姿勢をアピールしたいと言う大国同士の思惑や、パリ協定の本家であるEUが遅れを取りたくない、といった思惑もあった筈だ。しかし実際は、温暖化の影響がもはや無視できないくらいに、世界の安定を脅かし始めているという認識が大きかったと思う。 

◆パリ協定をまとめ上げた立役者。要求される高度な専門性
 Nスペ「MEGA  CRISIS〜加速する異常気象との戦い」(9/4)で放送したように、世界では今、豪雨や竜巻、大干ばつなどの異常気象が頻発。アラスカなどの永久凍土からは、二酸化炭素の数十倍も温室効果を持つメタンガスが大気中に大量に放出され始めている。世界の気温はじりじりと上がっており、日本各都市の夏が軒並み40度から44度を超えるとの予測も出ている。私たちの放送から27年、科学者の予想も超えて急速に進行する温暖化への危機感が、各国の批准を促した大きな要因だろう。

 同時に、この間の各国の駆け引きや、交渉の舞台裏を見ていると、そればかりでもない事に気づく。去年のパリ協定の時、議長国のフランスは協定成立に向けて驚異的な粘りを見せた。連日のように新草案を提示して、それを見て怒る各国を会期を延長して徹夜で議論させ、しかもその論点に一番反対している国をまとめ役にするなどして巧みに采配。また、「高い野心同盟」といった、主張が近い国同士の仲間作りも行って高い着地点へ向けて主導するなど169ヶ国・地域の信頼を徐々に集めて偉業を達成した(小西雅子、WWFジャパン)。この高度な交渉術と問題を熟知した戦術がなければ、COP21も例年のように何も決められないまま終わっていたかも知れない。

 そのCOP21の特別代表として「パリ協定」を合意に導いたローランス・トゥビアナ氏(64歳)のインタビュー記事が毎日に載っている(8/25)。環境や開発問題が専門でパリ政治学院教授の彼女は、2014年に仏大統領の要請で仏気候変動交渉担当大使に就任した。記事の内容を読むと、彼女が温暖化防止について最高度の専門性を有していることが分かる。CO2削減の技術的動向、炭素税の導入や排出規制の制度的動き、大国を含めて世界各国の熱意や能力の差に関する知識、世界銀行など公的機関の利用法などなど。まさに、温暖化防止のエキスパートが複雑な世界システムを動かす中心にいる感じがする。 

 複雑に利害や思惑が絡まり合う世界で、経済力も技術力も違う169もの国と地域をまとめていく。各国の利害を調整し、国に応じた動機を作り、アクセルとブレーキを巧みに使い分け、人類の生き残りに賭けた挑戦を主導していく。そこには、課題に対する深い知識と国際関係を動かしていく高度な専門性が要求されるはずで、パリ協定は国の明確な意志に加えて、彼女のようなエキスパート集団がいたからこそ、かくも最速で発効にこぎ着けたのだと思う。

◆日本はどうする?日本にエキスパートがいるか
 比べて日本はどうか。何故出遅れたのか。協定は出来たが、各国の利害調整に時間がかかるので、批准は早くても2018年になるのではないか、と高をくくっていた気配もある。また、省エネなどで早くからCO2削減に取り組んできたという自負から思考停止し、産業界に気兼ねして炭素税の導入など具体的なCO2削減策について詰めた議論をしてこなかった。再生可能エネルギーの導入にも腰が据わっていない。その点では、地方自治体の方が頑張っているくらいだ。

 しかし、世界の動向を見誤った最大の原因は、日本の中枢が内向きになっていることだと思う。国際的システムを動かした経験に乏しく、人類的課題を熟知して世界をリードするような国際的専門家が少ないこともあると思う。そこが、真の問題ではないか。同じ人類的課題の一つである「核廃絶」などでは、国際システムを動かす専門性はさらに高度になって来る。人類が世界を挙げて取り組むべきこうした大問題で世界を先導し、人類の未来に貢献しようとするなら、日本も足元の具体策を急ぐと同時に「真の国際化」を目指すべきだと思う。
*1)「人類の英知が試される」(16.1.12)、*2)「地球温暖化は防げるか」(06.5.27)、*3)「COP15をのりこえる」(09.12.27)