さる役所の映像・メディアの審査員をやっている関係で、今年も何度か映画の試写会に足を運んだ。さらに、話題の映画も見ておこうと最近はちょっと「映画な日々」を送っている。「レ・ミゼラブル」、カミュの遺作を映画化した「最初の人間」、宮本輝原作の「草原の椅子」、本屋大賞をとった三浦しおん原作の「舟を編む」(写真)。そして、オサマ・ビンラディン暗殺の実話を映画化した「ゼロ・ダーク・サーティ」、CG映像の進化に驚嘆する「ライフ・オブ・パイ〜トラと漂流した227日」。
この中で特に好きな映画は「最初の人間」と「舟を編む」だったが、他の映画もそれぞれに製作陣の思いがこもった力作だった。手軽にいつでもどこでもメディアに触れられるのが“売り”の今の時代に、わざわざ出かけて行って暗い映画館の中で一人スクリーンに向き合う。こうした力作に出会うと、映画という独特な「老舗メディア」も意外にしぶとく逞しいものだと感心する。
「舟を編む」の方は、これから多くの人が褒めると思うので、今回は特にアメリカの「テロとの戦い」を描いた映画「ゼロ・ダーク・サーティ」について取りあげて見たい。映画の迫力もさることながら、一方で、この映画が抱えている問題の方も結構複雑で大きいと思うので。
◆アメリカの“対テロ戦争”を描いた「ゼロ・ダーク・サーティ」
この映画は、前作「ハート・ロッカー」でアカデミー賞(作品、主演女優など5部門)を獲得した女性監督のキャスリン・ビグローが製作。今年のアカデミー賞(2月24日)候補にも複数部門でノミネートされている。
2011年5月の深夜(ゼロ・サーティ、午前零時半)に実行された、アメリカ海軍特殊部隊によるオサマ・ビンラディンの要塞のような隠れ家(パキスタン・アボッターバード)への急襲、そしてアメリカ本国で大統領たちが見守る中でのビンラディン殺害。そこに至るまでのCIAによるテロ組織との闘いの実態と、殺害成功の陰で英雄的?な役割を果たした、CIA女性分析官マヤ(ジェシカ・チャスティン)による執念の追跡劇を(事実に基づいて)描いた映画だ。
冒頭から、ヨルダンの実際の刑務所を使って撮影されたと言う、(アルカイダの)捕虜へのCIAによる拷問が執拗に繰り返される。ビンラディンの居所を吐かせるためだ。追跡班に投入されたマヤがそれに立ち会う。しかし、テロ集団が張り巡らしている極めて巧妙で周到な壁の前にCIAが手をこまねくうちに、世界各地で爆弾事件や自爆テロが続いていく。
やがて、敵の罠にはまった同僚が自爆テロで殺害されるのを見たマヤが、怜悧な刃物のような存在に変貌し、ビンラディン殺害に執念を燃やす。そして僅かな手がかりからビンラディンの隠れ家を突き止める。情報はCIAの官僚機構の壁も打ち破って、大統領に達し、ついに2011年5月2日深夜、作戦は決行される。10年の追跡劇を2時間37分の息もつかせぬ活劇に仕立て上げた。
その描き方は例によって徹底している。事実に裏打ちされ周到に練られたシナリオ、インドのロケ現場に造られたビンラディンの隠れ家とそっくりの要塞、ステルスのヘリコプターを何機も動員しての夜間の奇襲攻撃。広大な米軍基地を再現してそこに荒野のかなたから近づくジープ。それがCIAを騙して基地内部にまで侵入して巨大な自爆テロを起す。
これには、常に3、4台のカメラが同時にまわっていて、しかも同じシーンを2回撮影したというから、様々な角度からの映像が現場に立ち会っているような臨場感を生み出す。緊迫したストーリー展開、撮影のスケール、ドキュメンタリーのような現実感は、金の掛け方からしてもちょっと今の日本映画では真似ができない。
◆一口に「テロとの戦い」とは言うが
この映画は捕虜への拷問、情報を得るための買収、CIA内部の官僚主義、女性担当官への差別など、アメリカの対テロ戦争の現実は描いているものの、基本的にはマヤという強烈な個性を持ったヒロインの(アメリカ側の視点に立った)英雄物語だ。ひょっとしたらビグロー監督も主役のジェシカ・チャスティンも、これでアルカイダの標的になるのではと心配になる位に。そこに、イラク戦争に参加したイギリス傭兵の暗部をドキュメンタリータッチで描いた「ルート・アイリッシュ」(ケン・ローチ監督)のような社会派的な問題提起はない。
しかし、映画は、捕虜の虐待疑惑への抗議、機密情報問題、(映画がオバマ大統領を利するというので)大統領選前の公開に対する反対など、様々な物議をかもした。同時に、一口に「テロとの戦い」と言うけれど、私たちはそれについてどれだけ知っているのだろうか、という素朴な疑問も呼び起こす。
映画が描くように、今も米英などは様々なテロ組織と全知全能をかけた戦争を戦っている。監視衛星を使い、電話を盗聴し、膨大なメールからテロに関する言葉を抜き出す。その攻防は日夜続いていて、一瞬でも気を緩めると再び国内で惨劇が起きてしまうのだ。
この映画はイスラム原理主義関連のテロに疎い私たち日本人に、ブッシュ前大統領が言いだした「テロとの戦い」とは本当の所何なのだろうか、お前はそれについて充分知っているのか、と問いかける。同時に、(イラクやアフガニスタンの場合のように)近年の日本の歴代首脳が簡単に「アメリカのテロとの戦いに賛同し、参加する」と言えるようなものなのだろうか、とも問いかけて来る。
◆イスラム原理主義の怪物、ビンラディン
そう思って、図書館からイスラム過激派の本を借り出したり、ウィキペディアを探索したりしてみると、オサマ・ビンラディン(1957-2011)の生い立ちから死までのまでの詳しい経緯が分かる。身長194センチのビンラディンは、世が世ならまさに天才的なオルガナイザーとして歴史に残るような人物だったかもしれない。
サウジの財閥の子として生まれて、やがてイスラムの鬼っ子、奇怪なモンスターのごとくに成長し、エジプトで無差別の外国人観光客の殺害事件を指揮したり、アフガニスタンではタリバンを助けるために住民5000人を虐殺したりした。そして、2001年、アメリカで9.11同時多発テロを引き起こす。
しかし、その思想的変遷は複雑怪奇で私などにはよく理解できない。イスラム原理主義からくる異教徒への攻撃、聖戦(ジハード)に身を投じたが、アフガニスタンではアメリカと組んでソビエトと対抗した。その後、サウジへの米軍駐留を巡ってアメリカとの聖戦に。様々な派閥との離合集散あり、各国政権との協力関係ありで、その実態がつかめない。そして9.11以後10年間も、驚異的な用心深さでアメリカの執拗な追撃をかわしつつ、各地でテロ事件を引き起こして来た。
◆アメリカとの距離をどう取っていくのか
目的のためには手段を選ばない彼らに対して、イスラム原理主義者から攻撃目標とされるアメリカやイギリスが、対テロ戦争に血道を上げるのは当然だと思う。また、彼らの残虐なテロに対して、日本など国際社会が人道的見地から(米英の)「対テロ戦争」に理解を示すことも良く分かる。しかし、両者の対立の淵源が多分に西欧キリスト教とイスラム教の宗教対立にあるような「根の深い問題」だとすると、正直な話、余り巻き込まれたくないと言う感じがする。
それでなくとも、長年、中東で日本が築いてきた親日的感情もイラク戦争やイラン制裁への参加で、すでに地に落ちているというし、最近アルジェリアで起きた人質事件では、日本人はイスラムの敵として殺害された。近頃の日本は集団自衛権も含めてアメリカと一心同体になりたがっているが、米英の対テロ戦争に理解を示すのはいいとしても、一方で余りに無防備に首を突っ込んで、対テロ戦争を日本国内に引きずり込むような危険は慎重に避けて欲しいと思う。
このアメリカ映画は、「対テロ戦争の半端でない大変さ」を私たち平和ボケの日本人に教えてくれると同時に、日本はこれからアメリカとの距離をどう取っていくのかという難しい問題を投げかけているようにも思う。(これは尖閣問題を契機ににわかに切迫してきた問題でもあるが、引き続き考えて行きたい)
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