「戦争が廊下の奥に立っていた」(渡辺白泉)――いわゆる戦争俳句の一つ。間もなく太平洋戦争が始まる1939年(昭和14年)の作だが、気がつかない間に、家の廊下の奥に不気味でリアルな戦争が入りこんでいた、という意味らしい。軍部や国家主義者たちが「国の生命線を守れ」とか、「国家の威信をかけて」などと勇ましいことを言っているうちに、あれよあれよと言う間に国民全体が戦争に巻き込まれて行く。
当時の庶民は、戦争への流れが日々勢いを増して行くのをどのような思いで見ていたのだろうか。渡辺白泉も新興俳句弾圧事件(1940年)に連座して執筆禁止命令を受けているが、国家批判が許されない中で、人々は息をひそめるようにしてその先の不安と闘っていたのだろうか。それとも戦争を煽る新聞につられて勝利の報酬を夢見ていたのだろうか。尖閣を巡る最近の世情を見るにつけ、そうしたことがしきりに気になる。
◆戦争は誰かがやってくれるものなのか
昨今の週刊誌や雑誌には、「中国をやっつけろ」(週刊文春)とか、「尖閣防衛・血を流す覚悟を」(月刊WILL、石原慎太郎)といった勇ましい見出しが躍っている。試みに「日中戦争の可能性」とか「日中もし闘わば」をキーワードにネット検索をして見ると、それぞれに700万件、20万件がヒットする。
ネット上には、既に膨大な数の日中戦争に関する情報が溢れており、中には「日本が勝つ」としたアメリカの海軍大学校準教授の論文(「フォーリン・ポリシー」誌)を紹介した記事もある。元自衛隊の幹部たちのネット放送「日中もし闘わば」も(YouTube)。恐らく中国でも同じような状況なのだろう。
あほらしくて一々内容を詳しく読んではいないが、今、勇ましく戦争を語る人たちは、どうも戦争になったら自分以外の誰かがやってくれると思っているように見える。戦争になったら、係(自衛隊やアメリカ軍)にやらせればいい、というようなレベルで軽々に戦争を煽るのは如何なものか。
中国に対して挑発的な言動を続ける石原慎太郎のような人たちは、自分たちだけが危機意識を持っているつもりかもしれないが、真っ先に自分や自分の息子たちを前線に送り出す覚悟でものを言っているのか。しかも、始めた戦争が一般市民を巻き込まないという自信でもあるのか。危機を煽ることによって「状況」を作りだそうとする彼らの思惑(いつかちゃんと分析しようと思うが)は、市民の立場から見ると実に危険で迷惑なものである。
◆日中の武力衝突にアメリカは参戦するか
また今、週刊誌や雑誌、ネットで「日米共同なら中国に勝てる」などと安易に戦争を煽る人たちは、いざという時、アメリカは日米安保で日本を守ってくれると本気で思っているのだろうか。幾ら尖閣は日米安保の適用範囲と言っても、適用範囲と参戦することはまた別問題で、イコールではない。尖閣防衛は日本にとっては重要な国益かもしれないが、アメリカにとっても重要だと言えるか、ということである。しかも、アメリカは尖閣の帰属問題では中立の立場を表明している。
素人考えかもしれないが、(アメリカの立場からは日中どちらのものとも言えない)遠隔地のちっぽけな島を巡って、あのアメリカが自分たちの血を流すかどうか、また重要性を増している米中関係を壊してまで参戦するかどうかは極めて疑わしいと思う。仮に米政府が日米同盟は大事だから参戦すると言っても、議会(ここが決定する)や世論が簡単に賛成するとは思えない。(まあ、アメリカの一部にも中国を叩きたくて仕方がないネオコンのような連中はいるだろうけれど)
最近のアメリカのメディアも、尖閣の小さな島を表紙に掲げ、日本はこのために戦争するのか?と問いかけ、「哀しいことだが、やるかもしれない」と突き放した見方をしているという(サンデー・モーニング)。こう考えると、今のアメリカには、自分たちが戦争に巻き込まれないためにも、(日米訓練で日中双方に存在感を示しながらも)尖閣で武力衝突が発生した場合には、拡大しないように後方から双方を説得することぐらいしか出来ないのではないか。
◆紛争解決の出口とは
戦争は一旦始まればその展開は測りがたく、どこまで拡大するか分からない。また、収束するには始める時の何百倍もの努力と犠牲がいる。これは歴史の教訓である。幸いにして、今のところ日中両国とも尖閣問題は平和的に解決したいと表明している。他方で、中国は一歩も引かないと言っているので、様々な応酬が飛び交う中で、両国がナショナリズムに駆られて熱くならずに、冷静に解決策を見つけることが出来るかどうか、が問われる。
その解決への出口は今の時点でかなり限られているというのが大方の見方だが、逆に言えば、難しさは別として幾つかに絞られて来ているのかもしれない。以下、その選択肢をまとめておきたい。
例えば、一度宣言した国有化を取り消すことは出来ないので、国有化は続けながら、「尖閣に領土問題は存在せず」という政府見解の方を(あいまいな形で)引っ込めることである。それには、2つの方法がある。一つは、日中国交正常化(1972年)の時に両国で暗黙の了解にした「棚上げ論」に戻すこと。中国はそれを強く望んでいるという観測もある。
事実、当時から日本側にも「尖閣問題は棚上げにする」という理解はあったらしい。しかし、2010年の漁船衝突事件をきっかけに民主党政権は、何故か、その暗黙の了解を棄てて「国内法で処理する」という態度に出た。中国はそれに怒っているらしい。何故そうしたのか、メディアにも解明して欲しいところだが、一方、この解決策には高度な外交交渉が要求される。「暗黙の了解」だからはっきり言うわけにはいかないわけで、それをどうあいまいな表現で収めるか、知恵を絞らなければならない。
もう一つは、中国に国際司法裁判所への提訴を勧めることである。同様に韓国と領有権を争っている竹島問題では、日本が提訴しているのだから、整合性をつける意味でも、そうすべきだという意見がある。政府は、それを認めると「尖閣に領土問題がある」と認めることになると反対しているらしいが、これはむしろ「暗黙の了解」につながる方法かもしれない。中国が提訴に応じるかどうかは不明だが、こちらの方がハードルは低そうだ。
ただし、2つともその前にやることがある。尖閣国有化の経緯を十分説明して中国側の不信感を払しょくすることである。どうも中国側は、今回の国有化は首相の野田と右翼政治家の石原が結託してやったことだと誤解しているらしい(毎日)ので、野田政権は石原などとは違うのだ、ということをきちんと説明しなければならない。そして日本と中国とでは国有化の意味が違うこと、安定的に管理していくためにやむを得ず取った措置だということを繰り返し説明して理解を求めて行く。
◆「チャイナリスク」を見極める
問題は、最近まで強硬な姿勢を見せていた野田にこうした芸当が出来るかどうか、である。それが嫌なら三つ目は、「冷戦状態」を持続すること。国有化を続ける、領土問題の存在も完全否定する。同時に、話し合いの姿勢を見せつつ武力衝突が回避できるなら、それで時間を稼ぐのも一つの道かもしれない。何故なら、そのことによっていわゆる「チャイナリスク」がはっきり見えて来るからである。
データによれば、ここ数年で日中の経済依存度は完全に逆転した(日本の輸出総額に占める中国は01年の7.7%から11年には19.7%に増えた。一方で、中国の輸出総額に占める日本の割合は01年に19.9%から11年に7.8%に減少)。それでも日本資本の中国への投資や雇用の問題などもあるだろうから、この際、経済面での「チャイナリスク」が双方にとってどの程度のものなのか見極める。経済界はとんでもないと怒るかもしれないが、今の冷戦状態は互いのリスクがはっきりするまで動かないかもしれないからだ。
と言っても、いわゆる「チャイナリスク」は経済的なリスクだけではない。国家体制の不安定、デモの暴発、権力闘争、軍部の突出、膨らむ大国意識などの中国側の要因によって、また政治の右傾化、タカ派の安倍政権の誕生などの日本側の要因によって、予測不可能な事態に進む危険もある。その可能性については、また回を改めて書きたいが、このリスクに火がつかないようにするには、やはり現政権で思いきった解決策を急ぐ必要があると思うが、どうだろうか。
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