日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。
脱原発を巡る最近の動きから 11.7.18

 今回は、このところかなり急速な動きを見せている「脱原発」を巡る最近の状況について私見(いつものことだが)を書いておきたい。
 菅首相が13日に突然行った「脱原発」会見については、脱原発へ舵を切っている朝日、毎日、東京の各新聞も辛口批評。目指す方向はいいけれど、党内で十分に議論もせずに唐突に持ち出した手法を批判し、「脱原発」が可能と言うならその道筋と根拠も一緒に示すべきだという。
 辞めるはずの首相が何を言っても無意味、と言うスタンスかもしれないが、議論に一石を投じた意味はある。どのような展開になるにせよ、こうして脱原発に関する議論が高まること自体はいいことだと思う。

◆脱原発を政治問題化したい菅と変われない自民党
 (後述するように)原発問題を政治問題化したい「菅の脱原発」には、民主党内の政治家たちも拒否反応が強い。菅の脱原発は延命策ではないか、という疑心暗鬼もあるだろう。しかし、菅の後継者と目されるような民主党の政治家には、(この先の国会運営を考慮して)自民党が嫌がる脱原発を打ち出せないのだという見方もある(朝日)。情けないことである。

 一方の自民党も情けない。これだけのことが起きているのに、(一人気を吐いている河野太郎を除いて)原発に対して未だに何のメッセージも発信できないでいる。谷垣が「縮原発」を言ったとたんに電力族議員や産業界からの反発を受けて腰砕けになったまま。
 一方的に菅に脱原発や再生可能エネルギーの主導権を取られ、ただ「やり方が問題。混乱を招く」などと批判するだけでは、政策政党としてまったく体をなしていない

 原発の今後についても、放射能対策についても、再生可能エネルギー政策についても、電力の発送電分離についても、何も新しい提言が作れない。自民党が幅広い国民の声を代表する国民政党であろうとするなら、国民の不安と関心が高まっている今こそが復活のチャンスであり、菅の野望をくじく道なのに。よほど、電力業界のカネ縛りにあって来たのだろう。
 自民党は最近になって、自分たちの支持率が上がらないのはマスコミのせいだ、とメディア監視を強めるのだそうだ。やはり自民党は何も変わっていない

◆本気で解散を考えている菅との熾烈な綱引き
 一方の菅である。すでに党内には菅について行く有力者が殆どいない状況らしいが、政治的手続きをハナから無視して事を急ぐ菅の頭には、ひょっとして別な考えが点滅しているのではないか。(自身も周囲も否定はしているが)このまま突っ走って「脱原発」解散に踏み切るという考えである。
 うがった見方かもしれない。また現実的には民主党内の意見集約も出来ない解散などは不可能だと思う。しかし、それでもなお今の菅には、これから8月末までやるだけのことはやり、言うだけのことは言って、その後に解散という思いが去来しているのではないかと思う。

 もちろん、メディアも政治家もそんな暇はあるかと反対するだろう。しかし、(放射能汚染問題が深刻になればなるほど)「脱原発」は政治家と国民に踏み絵を迫る格好のテーマとして浮上して来る。既に、市民活動家に先祖がえりをしている菅には、この際は(原発事故を契機に思い出した)昔の思いに殉じるという意識が強いのではないか。
 解散は首相の専権事項。脱原発をできるだけ大きな政治的イシューにして投票にかけるという願望はあるだろう。解散となれば脱原発の是非について、政治家も国民も何らかの態度決定を迫られる。国民投票にかけるのと同じ効果がある。私も生煮えの国民投票は問題だと思うが、菅(と同士の妻)の頭の中では、これが大義名分となりつつあるのではないか。

 何しろ、これは小泉が周囲の反対を押し切って(若いころからの思いである)「郵政改革選挙」に打って出た状況とかなり似ている。思いこんだら命がけ。小泉と菅とでは器が違うと思うが、本人には見えなくなっているのだろう。
 周囲の政治家たちもその危惧があるからこそ、菅の手足を縛ろうと躍起になっているのに違いない。そのためには菅に準備期間を与えずに、可能な限り早く辞めさせることである。
(姑息な仙石が「脱原発はみんなそう思っているのだから争点にならない」などと言っているのも、争点になるのを恐れているからに他ならない)
 ということで、今は菅と周りの政治家たちは、一分一秒を争う熾烈な戦いを繰り広げている。(最後にどちらが勝つかは分からないが)これが私の見たての一つである。

◆混迷する原発論議
 こういう複雑な政治的思惑の中で、原発をめぐる政策が揺れている。まず原発の再稼働問題は、新たに登場した(妥協の産物で分かりにくい)安全基準「ストレステスト」によって先が見えない。加えて、九電のやらせメール問題や、絶妙の?タイミングで発生した大飯原発(福井県)での不具合がある。(私としては当然だと思うが)この冬の再稼働さえ無理な状況になって来た。

 これに対し、経産省や電力会社は「このまま再稼働できなければ、この冬も電力危機だ」と先走る。産業界からも「このまま電力不足が続けば、経済が失速する」、「これ以上節電を強いられれば、海外に工場を移転せざるを得ない」などという決まり文句の脅しが盛んに流される。
 国と産業界が原発の再稼働を焦る一方で、食料の放射能汚染問題はいよいよ深刻なことになって来た。福島原発の放射能に汚染された牛肉が全国に出回ることになって、「牛肉がダメで、牛乳はいいのか。乳牛は稲わらを食べないのか?」、「ほかの食糧は検査しなくて大丈夫なのか」などと国民の不安は募るばかりである。

 揺れる政局同様に、原発を巡る議論も錯綜している。原発の再稼働に欠かせない安全問題、当面の電力確保と節電による経済への影響、脱原発への道筋となる再生可能エネルギー法案、その先の発送電分離問題
 これらは、一つ一つ整理して、しかも十分なデータをもとに議論されなければならないのだが、何しろ(政治家も含めて)多くの人々は予備知識もない。断片的なデータが都合よくつかわれている状況で、言葉は悪いが(専門家からすれば)「群盲象をなでる」ような議論になっているのではないか。

◆民主国家としての議論が問われている
 原発問題など、フクシマが起きるまで国民の目から隠されて来たのだから、議論が混迷するのはある意味、仕方がない。これから何回でも粘り強く議論していけばいいと思う。ただ、一つ言えることは、原発問題は国民すべての命に関る問題だということ。従って、その議論はオープンに、可能な限り正確で最新のデータをもとに、多様な立場の人々が参加して行われるべきだと思う。
 国が、あくまで安全を確保しながら原発を維持したいというのなら、今までのようなやらせ的な説明会ではなく、国の保安院、安全委員会と反原発の技術者との公開討論も含めて徹底的な議論を国の責任で主催すべきである。それが民主主義国家の要件だろう。

 私としては、すでに、なぜ脱原発なのか「脱原発」の論理については、前回書いた(*)。また、脱原発への道筋についても(デッサンに過ぎないが)簡単には書いた(*)。これについては次回以降、機会を見て書いて行きたいが、最後に一つだけ触れておきたいことがある。

◆今が辛抱の時。この苦境が未来を開く
 脱原発は、自然エネルギーだけではなく、電気機器類の省エネ革命、洗練された節電社会、発送電分離による電力革命などの組み合わせで出来る、と書いた。それがいま、多くの原発が止まってまだ4カ月なのに、ものすごい勢いで動き始めている。セブンイレブンは東電管内6000店舗で25%もの節電計画に挑戦している。自然エネルギーへの動き、技術開発も進んでいる。
 こうと決まれば日本はすごい。何より頼もしいのは、こうした動きに関するメディアの情報量が一気に増えていることである。それが強力に電力革命を加速していくに違いない。「このまま節電を強いられるなら海外に行くぞ」と脅している企業は、こうした動きやビジネスチャンスが目に入らないのだろう(海外に行ったって、どこに電力がたっぷりある国があるのか)。

 いずれにしても、この苦境は必ず次の未来を開く。ドイツが何十年かかってやったことを、この苦境を耐えることで日本は数年で切り拓くだろう。大事なのは、その生みの苦しみを、国民全体で支えて行くことではないだろうか。

「再稼働延期」と「脱原発」、何が違うか 11.7.8

  玄海原発の再稼働問題は、九州電力のやらせメール事件、菅首相が突然言い出した「ストレステスト」によって振り出しに戻った感じ。海江田経産相は「菅にはしごを外された」と言って怒っているらしいが、国民の不安を受け止めずに経産省官僚や産業界の論理に乗って、勝手に(危ない)はしごを昇ったのは海江田の方。経済より(国民の命という)重いものがあることに想いが至らないようでは、政治家としての資質に欠ける。
 
(一方、菅の独断先行の「脱原発志向」もどうだろうか。しっかりした議論も経ずにやって混乱のまま退陣したら、すべてが元の黙阿弥になる可能性がある)

◆再稼働延期は脱原発か

 ところで。原発により高い安全性を求める「ストレステスト」を導入することによって、玄海原発の年内再稼働が無理になったということは、(「日本の脱原発はもう始まっている」に書いたように)実質的には日本が脱原発に向けての歩みを進めているということである。それはそれで歓迎すべきなのだが、一方で原子力を取り巻く議論が混迷する危険も作りだしている。
 つまり、どうしたら再稼働できるかという「再稼働の条件」を詰める話は、どうしたら脱原発が出来るかという「脱原発の論理」とは本質的に別な話。これを混同すると、より高度な安全が確保できれば、日本は原発を維持するべきだという結論になって「脱原発」はどこかへ消えてしまう。私は、そのことを危惧している。

 最近のメディアの論調は、「政府は安全を確認できたと言っていたではないか。急にストレステストを追加して来たのは混乱のもと」から「欧州も実施しているストレステストをやるのは当然で、日本はより厳しい安全を追求すべきだ」にまで分かれている。
 しかし、どのメディアも今、目の前のドタバタ劇を追うだけで、「原発をどうするのか」についての明確な考えを示していない。例えば、保安院が作成する「ストレステスト」に玄海原発が合格すれば、晴れて再稼働を認めるのか。再稼働がいつ出来るのかという報道ばかりではミスリード。大事な議論が抜け落ちていて国民が巨大な迷路に迷い込まないかと心配になる。

「脱原発」の論理とは何か
 もちろん、安全のハードルを上げることによって再稼働を延期させ、実質的な「脱原発」を実現する可能性はある。しかし、それは本来の「脱原発」から出た果実ではないので、(今回のストレステストのように)何かの目くらまし的な安全対策が出てくれば、簡単に騙されて「いつか来た道(原発推進)」に戻ってしまう
 では「再稼働延期」と「脱原発」とはどこが違うのか。追求すべき「脱原発」の論理とは何か。私の考えでは、それは(現時点では)以下のような複合的な論理になると思う。

@原子力には事故のリスクに見合う高度な安全を期待できない
 一つは、幾ら「ストレステスト」に合格して、より安全な原発に一歩近づいたとしても、「原発はいつか必ず事故を起こす」ということである。地震、津波対策は、単に福島を教訓とするだけでは完全でない。特に、世界有数の巨大地震地帯に原発が集中する日本では、同じ天災といえども、その被害は(起きて見なければ)誰も予測出来ないからだ。
 また最近では、(これの方が重大事故につながると心配だが)設計寿命を超えて運転している原子炉の問題もある。これをどう考えるのか。加えて、電力会社と国の癒着、企業の隠ぺい体質や経済性追求、技術者の劣化、故意や慣れによる過失、テロやミサイル攻撃などなど。確率は少ないにしても巨大で複雑な技術の原子力には(単なるストレステストなどでは防ぎきれない)事故の危険が常に付きまとっている。

 しかも、今議論されている原子力の安全問題は原子炉のことだけ。何度も書いて来たように使用済み燃料をどうするかについては、何も解決していない。これも常に事故の危険と隣り合わせにある。つまり原子力はどんなに頑張っても、「事故のリスクに見合うような高度な安全は期待できない」ということである。

A事故のリスクは取り返しがつかない位大きい
 二つ目の理由が最も肝心なところ。それは、「原子力に完全な安全がない」以上、いつか事故は起らざるを得ないが、問題は一旦事故が起きたら取り返しがつかないということである。これは現に福島の原発事故が示している。それも6/23の回に書いたように、(事故の全容はまだ見えていないが)この程度で抑え込まれているのは、幾つかの幸運(奇跡と言ってもいいかもしれない)の結果とも言える。まかり間違えば、日本は確実に破滅の道を歩んでいた。

 この先、福島の事故処理作業が破綻したり、次の巨大地震で浜岡原発に大事故が起きたりすれば、国土の大半が長期にわたって汚染され、日本は半永久的に復活できない。日本ばかりでなく世界中に汚染を播き散らし、致命的な犯罪を犯すことになる。現在のところ、原発の過酷事故に匹敵するような潜在的リスクは核戦争以外にはないのではないか。

 また、原発事故では(仮に最終的に今の福島程度に収まったとしても)その経済的リスクは甚大になる。この先、福島の事故処理のために何十年にもわたって東電(それは結局、国民)が負担する金額は、賠償金も含めて国家予算規模になるかもしれない(チェルノブイリのベルラーシでは、未だに毎年、国家予算の20%を事故対策に使っている)。
 その損失は、到底一企業の手に負えるようなものではなく、支援銀行の手にさえ余ることになるだろう。それは支援銀行団もやがて痛いほど思い知らされるはず。このことを謙虚に受け止めれば、東電のような一企業と大株主が株主総会で「脱原発」を否定出来る筋合いのものではなく、本来は(城南信用金庫などのように)経済界あげて「脱原発」に舵をきることこそが合理的選択なのである。

B原子力がなくても電力はまかなえる
 三つ目は単純。これだけリスクの大きい原発を維持する理由がなくなって来たからである。すでに書いて来たように、効率的な天然ガス発電や水力発電、それに無理のない節電さえすれば、原子力はなくて済む。しかも、これから技術的にも発電コスト的にも革命的に進化する自然エネルギーが目前に迫っている。
 一方、原子力の発電コストは厳しくなる一方の安全対策、使用済み燃料対策、寿命の見直し、稼働率の低下などなどで、年々上昇せざるを得ない。これから進化する安全な自然エネルギーと、莫大なリスクを抱える核エネルギー。この2つを比べれば、選択の余地はないはずだ。


 「脱原発」の論理としては、以上の3点で十分だと思うが、議論のためにはもちろん、(発電可能量、コストや安定性など)実現性に関する最新の動向や正確なデータも必要になって来るだろう。(*)
 しかし、問題は再稼働問題、ストレステストなど、目の前の動きに追われて脱原発の可能性を追求しなくなること。その結果、「科学的に最高水準を追求すれば、原子力の安全は確保できる」という「思い込みの呪縛」から、いつまでたっても抜け出ることが出来ないことである。

◆実のある討論番組のススメ
 この「思い込みの呪縛」を解き放つにはどうしたらいいか。私は、ヨーロッパが何年もかけてやって来たように、あらゆる角度から「脱原発」の可能性を地道に議論して行くしかないと思っている。そして、そのためにこそメディアには、時間をかけて何度でも議論の場を作ってほしいと思う。
 さらに、それが少しでも成果を上げるためには、討論番組にも新たな工夫が必要になって来るだろう。例えば、メディアの責任で幾つかの論点を整理し、それに関する最新のデータ、実例を提供して議論の土俵を明確にする。その論点の一つ一つで白黒をつけるような工夫を取り入れるなど、議論の堂々巡りを許さない仕掛けを考え出してもらいたい。

 メディアは、両陣営からの批判を受けて立つ覚悟で、こうした工夫を開発してほしいと思う。そうでないと、よくある討論番組のように、単なる「言いっぱなし」や、双方の陣営のガス抜きのような番組になってしまう。これでは、何度やっても同じ。(言うは易く、ではあるが)少しでも議論が進む討論番組を考え出してもらいたい。

*それでも、原子力ファミリーが脱原発に反対するのは、前回書いたように一つは利権とカネ。発電できなくなった廃炉を維持して行く経費の問題。さらには、将来、原子力と言う技術をどうして行くのかと言った問題もある。これらの論点もきちんと整理して議論する必要がある。

脱原発に向けて徹底した議論を 11.6.30

 朝日新聞が「電力の選択」という特集記事を始めた(6月27日から)。これを読むと、原発推進か、脱原発(自然エネルギーへのシフト)かを巡って、いま政界、官界、産業界を巻き込んだし烈な戦いが進行中だという。菅の脱原発志向を警戒した電力業界、経産省が自民党や民主党の政治家を動員して、必死で菅降ろしに走っているという(まあ、それだけでもないだろうが)。

◆電力会社のカネ縛りにあう日本社会
 電力業界と経産省が警戒するのは、自然エネルギーの育成に欠かせない「電力の固定価格買い取り制度」と、そうした自然エネルギーや自家発電を有効に機能させるための(電力会社を発電会社と送電会社に分離する)「発送電分離」。これをやられたら、産業界に君臨する電力業界の座が危うくなるし、経産省の役人たちも莫大な利権を差配する権力を失う。

 電力業界と経産省(通産省)は戦後直後から長期にわたって産業界の中心に君臨して来た。その力の源泉は何と言っても巨額のカネ。電力業界の巨額な設備投資(93年には年間5兆円、現在でも2兆円)が産業界を潤し、政治献金が自民党他の政治家たちを潤して来た。
 加えて、原子力に関しては「電源三法」によって、年間800億円もの税金が原発を抱える地元自治体に落ちている。もとはと言えば、国民や法人が負担する電気料金を社会の隅々に配りながら、余計な議論が噴き出ないように抑え込んで来たのである。

 メディアも例外ではない。原発事故前には盛んにCMを流していたように、東電だけでも年間240億円の広告費がメディア側に渡って来た。それ以外にも電気事業連合会(電事連)のPR事業などを通じて、メディア関連企業の隅々に電力会社の金が配られている。殆ど独占の形で世界一高い電力料金を維持する中で、多額のカネが、国のエネルギー政策を自分たちに有利にするために使われて来たのである。

◆脱原発の流れを定着させないために
 その原子力ファミリー(共同体)は、「脱原発」の流れが社会に定着しないように、なり振り構わぬ画策を行っている。菅が「白紙から見直す」としたエネルギー政策を骨抜きにするために、議論の場である「国家戦略室」に経産省出身の官僚を送りこむ。原子力関連のカネがなければ動かなくなっている玄海町や佐賀県に海江田を派遣し、点検作業後の原発の再稼働を説得する。

 また、メディアを使った世論工作も激しさを増している。今日あたりの週刊誌(新潮、文春)では、大見出しで脱原発、自然エネルギー開発を掲げた孫正義を全く同じ口調で攻撃している。息のかかった記者が暗躍しているのだろう。
 ネットを見ると「電力の選択」で脱原発を掲げた朝日攻撃も激しくなっている。CMもなくなり、「金の切れ目が縁の切れ目」とばかりに東電批判をし始めたメディアに対して、陰に陽に締め付けを再開しているに違いない。

◆正確な情報で議論できない不幸な現状
 こうした状況下では、メディアの経済部が報道する「この夏の電力危機」も正確なのかどうか分からない。彼らが電力会社と経産省に取材したデータによると、通常、電力の安定供給には、ピーク時の電力需要を8%〜10%上回る余力が必要とされているが、それに対して東京、東北、関西の電力三社がそれぞれ10.3%、7.4%、3.3%下回っているらしい(6月9日朝日)。
 これも去年の記録的猛暑による過去最高の需要量をベースにしたものであり、思惑を排した、本当に掛け値なしのデータなのか疑わしいが、いずれにしても、計算上は火力をフル稼働させて、水力を一定程度稼働させ、さらに去年に比べて10%程度の節電をすれば余裕を持って乗り切れるはずなのだ。

◆フクシマ後の日本が選択すべき道
 脱原発のかなめになる「自然エネルギーと発送電分離」についても、「脱原発」反対派から、タメにするデータや情報が飛び交っている。そうした議論を力づくで抑え込もうとしている。
 国の骨格にも関るエネルギー政策の議論が、日本特有のこうした状況に置かれているのは大変不幸なことだが、前回も書いたように今の現実(原発事故の深刻さ、原発の寿命など)を直視する限り、脱原発の流れは変わらない

 原子力推進派は「安全対策を強化すれば原子力をコントローして行ける」、「ここまで原子力技術にカネをつぎ込んだのだから、止めるのはもったいない」、「安い電力を確保するには原子力しかない」、「原子力をやめたら世界でのビジネスチャンスを失う」などと言うだろう。
 また「原子力の代わりに火力を使えば、地球温暖化が進む」、「自然エネルギーはまだ頼りにならない」、「自然エネルギーは高い。国民の負担が増え経済を減速させる」などとも言う。

 しかし私は、ヒロシマを経験した日本が核廃絶を国是としたように、フクシマ以後の日本は本気で脱原発の命題に向き合うべきだと思っている。しかも、自然エネルギーの選択は既に「日本には解決するだけの技術はある。あとは意志だけだ」(荻本東大特任教授)というまでなっている。

脱原発の方法論
 私の考えでは、「脱原発」は単純に原子力を太陽、風力、地熱などの自然エネルギーに置き換えるということではない。以下にあげるような「幾つかの方法の効果的な組み合わせ」によってより簡単に実現できる。日本はこれで脱原発はもちろん、火力発電を減らして国際社会に約束したCO225%削減の「低炭素社会」の実現にも貢献するはずだ。
 その幾つかの組み合わせとは。
@ 自然エネルギーの大規模導入とスマートグリッドの併用
A 電力を利用する全機器での省エネ化
B 節電対策のきめ細かい見直しと継続


 まず、AとBをしっかりやって行けば、それだけで全体で20%程度の省電力は可能。オイルショックの時に日本は飛躍的な技術革新を成し遂げて世界最高率の省エネを実現した。節電を背景にこのところの家電の省エネ化は一気に進んだ。
 LED電球は飛ぶように売れているし、最大の消費源エアコンも20%程度の省エネ化を達成している。パソコンも待機電力ゼロの半導体が開発されて来た。全電力使用量の半分を占める家庭で20%の省電力ができればこれだけで日本の消費量は10%減る。さらに、企業で使う各種工業機器でも省電力が進んでいくだろう。

 加えて、節電の意識も一気に進んで来た。エアコンから省エネ扇風機に切り替わっている。一方、社会の中での節電についても、今の実験を吟味しながら、よりきめの細かい節電計画を再構築して行けばいい。駅のエスカレーターの見直しなど弱者に優しい節電や、時間によって実施内容を変えると言ったきめ細かい節電社会が生まれて来るだろう。
 これがむしろ正常な社会なのであって、過剰なエネルギー消費社会を是正することこそ、洗練された文明社会への進化。このAとBによって、あっという間に電力消費の20%位は減り、十分脱原発が可能になる。

◆自然エネルギーの可能性
 さらに@の自然エネルギーを加えれば火力発電を減らせる。もちろんこれが次のエネルギーの本命なのだが、少なく見積もっても(AとB出減らした後の)全消費量の20%を超える位までには行くのではないか。そうすれば、火力発電は30%程度減り、国際社会に日本が約束したCO2の25%削減にも貢献することが出来る。
 自然エネルギーは、環境庁の試算でも風力が主流になる。有効な政策を導入すれば、これだけで全電力をまかなえる位の潜在力はある(サイエンスニュース)。

 世界全体ではこの風力が全原子力発電量に近づいて来た。英国は洋上発電に13兆円を投入する計画で、全電力の3割を風力でまかなう計画が進んでいる。中国を始めとしてEUなど世界各国が、自然エネルギーに驀進しているのに比べて、日本の自然エネルギーは惨憺たる位置にある(水力を除いて僅か1%!)。原子力ファミリーが巧妙に妨害して来たからである。
 風力、太陽光とともに、発電コストは技術の進化とともに急速に低下して行くが、どの位の負担増になるかは「日本学術会議のエネルギー選択部会」がまもなく結果を出す。

 また、よく言われる自然エネルギーの不安定さを克服する方法もヨーロッパでは解決済み。不安定な部分を蓄電池や火力で補えば問題ない。しかも、最近では地域全体の電力消費をコンピュータで制御し、きめ細かく送配電して行く「スマートグリッド」の導入が研究されている。これが軌道に乗れば、分散型電力が可能になり、電力革命が起きる

◆エネルギー選択に関する徹底した議論を
 こうした新エネルギーの推進に欠かせないのが「電力の固定価格買い取り制度」と「発送電分離」なのである。これが電力利権の虎の尾を踏む改革として、日本の政界、官界、財界を巻き込む利権むき出しの闘いになっている(制度改革については、別途機会があったら書きたい)。
 しかし。こうした自然エネルギーの最新情報について、今、どれだけの国民が情報を知らされているだろうか。日本は極端な情報過疎に置かれているのではないか。多分、進展があまりに急速なのと、情報そのものが様々な思惑に縛られているからだろう。

 脱原発、反「脱原発」を巡っては、上述したように、これから何年にもわたって激しい議論が展開されるに違いない(私はそれを期待する)。これは過去、ヨーロッパ先進国でも経験してきたことだが、日本の場合は戦後体制の最後の砦(電力利権)を巡る攻防でもあり、闘いはより激しくなる。
 しかし、これから国の重要政策について議論しようとする時に、まともな情報も提供されず、冷静な議論が出来ないようでは民主主義の根幹にもかかわる

 それこそメディアの役割。NHK(BS1「プロジェクトWISDOM どこに向かう世界のエネルギー政策」)、テレビ東京(昨夜のワールド・ビジネス・サテライト)、朝日新聞など、メディアは徐々にこの問題をリポートし始めたが、是非徹底した議論を巻き起こしてもらいたい。
(議論の場を設ける方法の工夫については次回に書きたい)

日本の脱原発はもう始まっている 11.6.23

 6月4日に放送されたNHKスペシャル「原発危機 事故はなぜ深刻化したのか」は事故後数日の危機的状況と後手に回る対応を時系列的に追った番組だった。そこで浮き彫りになったのは、国も東電も普段から安全神話にあぐらをかいて、「過酷事故」時における対策を全く怠っていたことである(原発事故はなぜ「人災」なのか(2))。電源車もポンプ車もない。急きょかき集めてもケーブルが足りない、接続が合わない、などで大混乱。その間に原子炉内の冷却水がどんどん失われて行く。

◆薄氷を踏むような状況
 手をこまねいているうちに事態は最悪の道筋をたどり始める。12日に1号機、14日に3号機が水素爆発。さらに14日になって2号機の弁の解放が上手くいかなくなった。2号機でも水素爆発が起こるのは時間の問題になって、現場に深刻な雰囲気が漂う
 14日夜には現場責任者の吉田所長が作業員のところにやって来て、「皆さん今までいろいろありがとう。努力したけど状況はあまり良くない。皆さんがここから出ることは止めません」と言うまで追い詰められた。まるで原発は沈みゆく巨大な船のよう。その夜社員70人を残して200人以上が現場を離れたという。

 その後、2号機、4号機が水素爆発。爆発によって2号機では格納容器にまで損傷が起きた。だが、4号機では爆発で屋根が壊れたために、ポンプ車で冷却水を入れられるようになったのは大不幸中の僅かな救いだった。(これが出来ずに燃料が溶け出せば大惨事の可能性も)
 しかも、最近になって、4号炉建屋内プールの燃料集合体の溶融が心配されたのに、何故かそうならなかった理由も分かって来た。たまたま隣にあった別のプールの壁が地震でずれ、大量の水が使用済み燃料プールに流れ込んだためという。まさに間一髪の偶然だった。

◆日本は破滅の一歩手前まで行っていた
 ドロドロになった1機100トンの核燃料が莫大な熱量で圧力容器も格納容器も溶かすメルトダウンとメルトスルー。最悪の状態に陥りながら、福島原発が何とか今の状態で持ちこたえているのは、現場の必死の努力と幾つかの偶然の結果である。だが一方で、福島の原子炉が一時期、制御不能に陥る寸前にあったことは紛れもない事実。
 しかも、一つの原子炉がお手上げになれば、(人が近づけないので)他の原子炉群も最悪のケースをたどらざるを得なくなる。いま、多くの国民が放射能汚染に不安を感じているが、この事故で外部に放出された放射能の量はまだ福島原発全体の1%に過ぎない。
 その何十倍もの放射能が放出されたら、首都圏も含めて東日本は壊滅、放射能による死傷者もかなりの数に上っただろう(この辺は依然として正確なことが分からないが、ネット上の浜岡原発事故のシミュレーションなども参考に)。
全電源喪失から数日間、日本は地獄の淵を覗いていたのである。

 しかし当時、どれだけ多くの国民が事態の深刻さを認識していただろうか。その被害がいかに甚大なものなのか、どれだけの人が皮膚感覚としてとらえることが出来ただろうか。多くの国民は、いまだにこうした真実を知らされることのないまま、政府や東電、メディアが流す「安心の空手形」に目をふさがれて来たのではないか。

◆国際会議でいい顔するために
 そして、同じことがまた繰り返されようとしている。第三者による福島原発事故の検証がまだ殆ど始まってもいないのに、国は「追加の安全策が確認された」という理由で、定期検査終了後の原発の再稼働を決めた。
 海江田が挙げた理由は、20日のIAEA閣僚会議出席に間に合わせるためのアリバイ作りに過ぎない。その追加安全策というのがまたお粗末。福島で見えて来た欠陥の応急対策ばかりで、新しい安全思想のかけらもない。再稼働させたい官僚の作文であることがミエミエで、こんなもので再び国民を騙せると考えているのだろうか。

 新聞によれば、会議に出席する海江田が官僚に脅されて再稼働を焦ったというが、それで政治家と言えるのか。案の定、再稼働要請は多くの自治体首長から反発を食らっている。
 「福島の事故の解明もできていないうちにそのようなことを言っても、論評に値しない」(新潟県知事)など、知事の間に原発依存を見直す発言が相次いでいる。当然である。それなのに最初は海江田発言に距離を置こうとした菅まで再稼働を言い始めている。よほど原子力ファミリー(政治家、官僚、産業界、メディア、学者)の包囲網は強力なのだろう。

原子力はなくてもOK
 彼ら原子力ファミリーは政治家や一部メディアを通じて盛んに「原子力なくしてこの夏が乗り切れるのか、経済はどうなる?」と脅している。「原子力がなくなったら大変なことになる。恐ろしいことが起きる」というわけだが、それも長年の間に国民の間に刷り込まれた「思い込み」の一つに過ぎない。
 日本は今すぐ原子力をやめても恐ろしいことは何も起こらない。そのことを示す有名なグラフが右(藤田祐幸 元慶応大教授作成)。

 これまで電力会社が言って来た「日本の発電量の3割は原子力」というのは実はまやかしで、簡単に止めたり動かしたりできない原子力をフル稼働させるための論理。その調整に使っている火力(天然ガス)と水力は発電能力の半分も稼働させていないのだ。
 反対にこれらをフル稼働させた時のグラフが右で、これを見ると日本の最大消費電力は火力と水力で十分間に合っている。しかも、日本の電力使用量は2001年をピークに増えておらず、原子力は全体からすれば余計者なのである。(それをやらない理由について、詳しくは朝日ジャーナルの廣瀬隆論文)
 従って、日本全体で見れば、脱原発はすぐにも可能なのである。

◆それでも心配な人には
 それでも、これは日本全体の平均の話で、日本の場合、東日本と西日本で(サイクルが違うので)電力の融通が効かないし、関西電力は原子力の割合が高い(約5割)から、電力会社単位で見ると上手くいかない。という反論もあるだろう。
 これについては、例えば新しく送電会社を作って、北海道から九州まで一本の「直流送電線」を引けば簡単に解決できる(JST北澤理事長)。これで電力の融通は日本中どこでも可能、費用は250億円で済むという試算まである。
 おまけに直流送電は交流送電に比べてロスが少ないメリットもあるらしい。そのためにこそ、今問題になっている「発電・送電分離」が必要ということになる。要はやれば今でも出来るということである。

 一方、そうすると火力発電からでる二酸化炭素が増え、地球温暖化が進むではないか、という心配があるかもしれない。私自身は、まずは「脱原発」。地震国日本から将来にわたって放射能汚染の不安を取り除くことが最優先と考える。その上で、急ピッチで再生可能エネルギー(自然エネルギー)を取り込んでいけばいい。そして実はこれが本命となるに違いない。
 実は、これこそもう動かしがたい世界の潮流になって来ている。価格も技術も革命的に進化して行く。世界が驀進し始めたと言ってもいい状態。再生可能エネルギーと脱原発のシナリオについては、次回に詳しく見て行きたいが、いずれにしても「日本の脱原発はもう始まっている」のである。

◆脱原発はもう始まっている
 今日本の原子炉は54機中、稼働しているのは19機に過ぎない。残りの35機は今回の地震で止まっているか、定期検査で止まっている。その再稼働は福島がこんな状態では、地元の反対で上手くいかないだろう。
 しかも、残りの19機も後1,2年ですべて定期検査に入る。再稼働がなければ日本の原子炉は後1,2年ですべて止まることになる。それでも、きめ細かい節電計画を実施して行けば何の問題もないはずだ。

 さらには、日本の多くの原発はあと10年〜20年で寿命を迎える。代わりに新たな原子炉を建設する可能性はゼロだろう。とすると、遠からず日本の原子力は終焉を迎える。このことを直視して、原子力に変わる安全なエネルギーをヨーロッパや中国に負けない資本投下で、日本も導入すべきなのである(いまや中国は再生可能エネルギーの世界最大の投資国)。

◆脱原発社会と低炭素社会の両立を
 「自然エネルギーは微々たるもので頼りにならない。不安定すぎる」というのも作られた「思い込み」に過ぎない。すでに2009年、世界全体では再生可能エネルギーが原子力を超えており、こうした思い込みを乗り越える新しい技術システムや構想も出て来ている。
 次回は、エネルギー選択の未来像と、その時国民が選択する価値観について書いて見たいが、いずれにしても脱原発しながら、しかも低炭素社会をめざすのが次の「国のかたち」。それを決めて行くのは私たち自身になるだろう。

 ということで、まもなく原子力は維持するのにものすごく金のかかる「産業遺産」になって行くだろう。長期にわたる使用済み燃料の処理、保管は厄介な問題だが、原子炉が制御不能になる破滅的な危険に比べれば、まだリスクは少なくて済む。

77万テラベクレルの放射能 11.6.16

(16日発信)
 6月6日発表の政府の最新情報では、事故後の数日間に福島第一原発から大気中に放出された放射能は77万テラベクレルという。それ以前の推算(保安院37万、原子力安全委63万)に比べてより厳しい数字になっている。
 ただし、これも例えば2号機の格納容器の温度解析から格納容器や圧力抑制室に出来た穴や隙間の大きさを推計、その大きさ(それぞれ50平方センチ、300平方センチ)から放出量を計算したもので、誰もそれが正確かどうかは分からないのではないか。実際の穴や隙間の大きさがまだ分かっていない上に、そこから放射能がどんな勢いで漏れ出したかも推測にすぎないからだ。

 むしろ、放出された放射能量は現在各地で計測されつつあるデータから推計した方が正確なのではないか。そして、その測定の積み重ねから徐々に見えて来たのは意外に深刻な汚染状況である。原発から300キロも遠く離れた静岡でのお茶の汚染、柏市などでの高い汚染、首都圏での基準値を超える汚泥汚染、福島市内の高い汚染など。意外なところにホットスポットという放射能の高い地域が点在している。このことをどう考えたらいいのか

◆福島の放射能をチェルノブイリに比べる
 世界最悪のチェルノブイリ原発事故の場合、放出した放射能は520万テラベクレルと言われる。強い汚染は遠く1500キロも離れたスカンジナビア半島中央部にまでおよび、1000キロ離れたポーランドでは、子どもたちの被曝を防ぐためのヨウ素剤を求めてパニックが起きた。その汚染範囲は日本列島全体をすっぽり包んで、さらに遥かに広がる広大なものである。(福島から北海道と九州の先端まではおよそ1000キロ)

 福島の77万テラベクレルという数字は、このチェルノブイリ原発事故に比べれば7分の1ではある。しかし、だから安心というわけではないことが最近気になっている
 チェルノブイリが汚染した範囲(仮に半径1500キロとすると)と福島が汚染した範囲(静岡までの300キロ)を比べると、(距離が5倍なので)面積は25倍。福島の77万テラの放射能はチェルノブイリの7分の1の量だが、面積では25分の1の狭い範囲に降り注いだとも言える。とすると、(放射能は同心円状に拡散するわけではないにしても)、日本の汚染範囲内の汚染量は決してチェルノブイリより低いなどとは言えないのではないか。

 チェルノブイリの汚染がなぜ1500キロ先まで運ばれたかというと、原子炉の爆発炎上で放射能物質が3000メートル上空にまで噴き上げられたから。チェルノブイリの放射能は上空に達することによって広く拡散されたとも言える。
 福島の場合はそうではない。水素爆発で飛び散ったと言ってもせいぜい数百メートルの高さで、後は気流によって運ばれたのだろう。こう考えると、足元の福島県から首都圏まで、濃淡はあるにしても、77万テラの放射能は(あるところでは)チェルノブイリにも匹敵する濃度で分布しているのではないか。

 私のこうした疑問は、最近緻密になって来た各地での汚染状況、ホットスポットの情報などから、「想像」したに過ぎない。しかし、これは的外れな妄想なのだろうか。
 いずれにしても、予想外に高い汚染分布が見えて来た現在、国民の不安は高まって来ている。専門家も「安心の安売り」をせずに、首都圏までをも含む汚染状況をもっと精密に測り、放出の全体量を正確に把握する必要があると思う。その上で、正確な情報を共有しながら、国民の健康を守るための適切な対策を取ってほしいと思う。

◆汚染水の浄化という難問
 一方、原子炉の方はご存知の通り、先の見通しが立たない状況である。汚染水の浄化作戦が始まった。浄化装置がうまく稼働するかどうかが終息に向けての一つのカギ。日々増えていく高濃度汚染水を浄化し、低濃度にして原子炉冷却に再利用して行く。これが出来れば汚染水を増やさないで済むのだが、大きな装置なので難航も予想される。
 ただし、仮にこれがうまくいったとしても新たな難問が生じる。処理過程で発生する高濃度の放射性廃棄物(個体)が年内にも2000立方メートル(プール4、5杯分)にもなるという。この問題をどうするのか。

 考えてみれば、原子炉の底でぐずぐずに溶けている燃料に水を入れ、漏れ出た水の中の放射能を濾し取ることは、炉内の放射能を少しずつ取り出し、別な形にして外にため込むようなものである。これが、仮に10年続くとすれば、どうなるか。膨大な高濃度廃棄物がピラミッドのように溜まって行く。
 取りあえず、地下や海に流れ出す危険のある汚染水の放射能を個体に吸着させる作業は不可欠ではある。しかし、それによって生まれる高濃度廃棄物の処理もまた未経験の難題なのである。

◆危機をよそに政争に明け暮れる政治家たち
 ここまで、書いて来たことはいわば現状。しかし、福島原発には(もちろん、ないことを願うが)この先も様々な予期せぬ事態があるかもしれない。例えば大きな余震で4号機建屋内の燃料プールが損傷する(これが一番怖い)、水素爆発が再び起こる、台風や集中豪雨で汚染水があふれ出す、などなど。
 現在の深刻な放射能汚染は、事故直後の水素爆発による放射能漏れが殆どで、その時もれた放射能量は福島原発全体のごく一部に過ぎない。不測の事態によっては、さらに大量の放射能が漏れだす可能性だってゼロではない。

 こんなことを書くのは、何も脅かすためではなく、ここへ来てもやはり「国の総力を挙げてあらゆる対策」をとる必要があることを言いたいためである。東電による事故処理が胸突八丁にさしかかっている現在、国を挙げての支援体制が十分に出来ているのか。これが未だに見えない。
 腹が立つのは、震災も原発事故もそっちのけで、政争に明け暮れる政治家たちである。深刻さを増しつつある放射能汚染を直視もせず、国民の憂慮から遠く離れたところで、貴重な時間を無駄にしている政治家たち。呆れて見たくもなくなっているが、考えてみれば彼らを養っているのが私たち国民の税金だということが、また許しがたいのである。

 こういうもどかしい状況に対して国民の方から徐々に厳しい抗議の声が上がるようになったのが僅かな光のように思えるのだが、政治家たちの呆れるほどの鈍感さを見るにつけ、地震後2日に書いた私の危機感(「最悪に備えてあらゆる対策を」)は、依然として消えることがない。
 (脱原発について書こうと思ったのに、ついまた長くなってしまった。次回日本の脱原発はすでに始まっているに)

(18日18時 追加発信)
 放射能汚染分布に関しては、各地の測定値などから群馬大学の早川由紀夫教授(火山学者)が4月下旬に作成した「放射能地図」がある。汚染が高いホットスポットが100キロ圏、300キロ圏の地図上にも表わされているので分かりやすい。いずれにしても、緻密な測定を続けて現時点での汚染状況を把握し、正確なデータに基づいた適切な対策が必要な時だと思う。

原発・「思い込み」の呪縛は解けるか 11.6.5

 永田町の権力亡者たちの争いをよそに、原発事故は依然出口の見えない状況が続いている。永田町の政治がメルトダウン状態だとすると、原発の方はメルトダウンに加えてより深刻な「メルトスルー」の状況にあるという。
 今回(と次回)は、原発事故の現状と、この現実を直視せずに原発の復権を目論む原子力ファミリー(政府、官僚、議員、産業界などによる推進派)が国民の間に形成して来た、原子力に対する「思い込み」とその「呪縛」について書いて見たい。

◆原子炉の状況と放射能汚染の実態
 まず、福島原発事故の現状。1号機から3号機まで、高熱の核燃料が溶けて圧力容器の底に崩れ落ちる「メルトダウン」が起きたが、最近の情報ではその溶けた核燃料の一部が圧力容器の損傷部分から外側の格納容器にも溶けだす「メルトスルー」も起きている。
 しかも、その格納容器には直径7センチから10センチ相当の穴が複数開いており、その穴から高濃度放射能が蒸気となって建屋内に漏れ出ている(2号機)。また、建屋内外に漏れ出た高濃度汚染水も今や溢れそうになって来ている。東電は工程表を見直さないと言っているが、事故終息へ向けての作業は何とか破局を防ぐのに精一杯で、はっきり言って殆ど進展していない。(今月中旬に作動し始めるアルバ社の汚染水浄化装置に期待したい)

 一方、環境中に放出される放射能については、事故当初の水素爆発による一時的な影響だと思って来たが、その後も少しずつ放出が続く放射能がかなりの広範囲に蓄積していくのではないか心配している。放射能汚染の全体状況は測定が緻密になって行けば、徐々に明らかになるだろうが、それについても国や自治体が逐次公表すべきだろう。
 また、(工程の進行とともに)これから環境中に放出される放射能についても、予測しながら対策を前もって考えて行くべき。何しろ日々あちこちの汚染データと、様々な食品の汚染が報じられている。漠とした不安が消えない一方で、汚染の数値に対する感覚がだんだん麻痺しても来る。しかし、国も私たちもこれは日本が初めて経験する異常事態だということを肝に銘じておく必要がある。

◆原子力推進を堅持する「国家戦略室」
 こうした状況の中で、政府の国家戦略室が今後のエネルギー戦略の素案をまとめた(5日朝日)。それをみると、菅が「白紙から見直す」としていたエネルギー政策の中で、肝心の原子力に関しては、相変わらず重要戦略として「推進路線を堅持」するという。これには経産省の官僚たちの思惑も働いているというが、現実から何も学ぼうとしない、懲りない面々である。
 その文言の中には、相変わらず「世界最高水準の原子力安全の実現」という空疎で無意味な言葉が使われている。先月、菅がG8で言ったのと同じ文言だが、これは単なるおまじない(呪文)に過ぎない。原子力の復権を目論む人々がまだ、そんな「空疎で無意味な言葉」で国民を騙せると思い込んでいるとすれば、それこそ国民を馬鹿にした話である。

 日本の原発は世界一過酷な地震地帯に集中している。そこにある原発が「世界最高水準の安全」であるべきなのは、今さら掲げるのもおこがましいような当然のことである。
 これまでとは違うというなら、新しく掲げる「世界最高水準の原子力安全」とは何なのか。何がこれまでと違っているのか。政府はそれを具体的に示せるのか
 それを示さないまま、ただ目標として掲げていれば安全が確保できるというのは、単に原子力を推進したいと言っているだけ。そんな無責任なことが通用するわけがない。(メディアも決定情報を垂れ流すだけでなく、そこを問い詰めるべきではないか)

◆「世界最高水準の原子力安全の実現」とは何か
 事故は起こらないと言って来た「安全神話」がもろくも崩れた今、「世界最高水準の安全」などと言ってもいつかは事故が起きることは皆が知っている。「あれは想定外だった」などという言い訳は二度と効かないし、事故というのは常に想定外の盲点を突いて起こる。地震や津波だけでなく、テロ攻撃もあれば、ミサイル攻撃だってあり得る。
 しかも、設計思想を超えて事故が起きてしまった時に、放射能の制御が如何に厄介で困難なものか、国民は日々痛感させられている。

 とすると今、原子力に求められる安全とは何か。それは、「絶対に事故は起こさない」と言うだけでは不十分で、それに加えて「万一事故が起きても制御できる」という「フェールセーフ」が実現されなければならないのである(*)。
 「フェールセーフ」とは例えば、地下に巨大な密閉空間を作ってそこに原子炉を置く。仮に事故が起きたら地下空間に水を満たして原子炉全体を水に浸して地下に密閉してしまう。地上の覆いも自然に落下する屋根が蓋をしてしまう。
 こうしたフェールセーフの原子力も構想されているというが、問題は多大な金と時間がかかること。今の電力会社にそんなことが出来るとは思えないが、今やこうした考えを導入しなければ「世界最高水準の安全」などとは言えない時代なのだ。

 しかも原子力の厄介なのは、仮に原子炉のフェールセーフが実現したとしても、毎年(1000トンも)膨大に出て来る使用済み燃料を処理できないことである。既に国内の原発は行き場のない(1万1千トンを超える)膨大な使用済み燃料をため込んでいる。それが事故のリスクを高めているのに、最終処理施設の候補地さえもまだ見つけられない(写真は4号機の使用済み燃料プール)。
 この使用済み燃料の処理(再処理施設)にも様々な危険性が指摘されており、日本が最終目標としている(高速増殖炉のもんじゅも含めた)「核燃料サイクル」全体にフェールセーフ的な安全思想を取り入れるとすれば膨大な費用がかかる。
 こういうことが果たして経済原理で動く電力産業にとって現実的なのか。
3.11以後の日本の原子力は、技術的にも経済的にも誰が考えても無理筋を追い求めているとしか思えない状況にある。

◆原子力に関する2つの呪縛
 見て来たように、日本の科学技術の粋を集めれば、「世界最高水準の安全の実現」が可能だというのは、「思い込み」に過ぎない。その現実を、責任者である経産省の役人も菅も直視していない。むしろ、その「思い込み」を「世界最高水準の安全」などと言い換えることによって国民の思考を縛り、問題を先送りにしているのである。

 私が思うに、日本の原子力政策は大きく言って2つの思い込みに縛られている「思い込みによる呪縛」と言ってもいい。一つは言うまでもなく、「日本の科学技術の粋を集めれば、原子力の安全を確保できる」という思い込み。もう一つが「自然エネルギーは頼りにならず、原子力に代わるエネルギーはない。原子力がなくなったら大変なことになる。」という思い込みである。

 もちろん原子力には、この2つの思い込みを幹として枝葉のように様々な「思い込み」がはびこっているが、今この思い込みが次々と覆されようとしている。特に、二つ目の思い込みについては、今すぐにでも原子力なしでやって行けるというデータに加えて、新エネルギーの可能性も急速に高まっている。世界各国が新エネルギーに向かって動き始めた今、政府や国民が時代の変化を読み取り「思い込みの呪縛」を解くことが出来るかどうか。

 2つの呪縛を解くことは、日本が脱原発へ向えるかどうかのカギであり、日本の運命を左右する要件でもある。しかし、残念ながら今の日本は相変わらず2つの「思い込み」を引きずり歩みが遅い。ということで次回はいよいよ2つ目の呪縛に関連する「脱原発」をテーマにしたい。

*日本学術会議の研究
先月20日、日本記者クラブでたいへん刺激的な会見が行われた。日本学術会議の北澤宏一氏(科学技術振興機構理事長)が行った会見である。それによると日本学術会議は現在、6月半ばを目途に「エネルギー政策の選択肢」分科会を作って以下の4つのケースについて、世界の最新データを集めて日本の影響を研究している。
@ 全原発を直ちに止める場合
A 5年で原発を廃止する場合
B 20年で廃止する場合
C 安全を確保した上で原発を継続する場合
これを聞くと、「原子力をやめたら恐ろしいことが起きる」という「思い込み」が次々と覆されて行く。(会見の様子はネットで見ることが出来る。右側のアーカイブスから5/20の会見を)

内閣不信任案・三者三様の権力闘争に 11.6.2

(6月2日12時発信)
 自民党と小沢が震災の対応を口実に菅に揺さぶりをかけようとして、政局が揺れている。不信任案は今日の午後採決と言うが、何の展望もない、混乱を招くだけの政争に国民は憤っている。
 不信任案が成立して菅政権の総辞職になるにしても、総選挙になるにしても、後は誰がやるのか。菅以外なら誰もいい、というような展望なき政争が始まっている。

 この政争には、自民党の谷垣、民主党の小沢(鳩山)、そして首相の菅と三者それぞれの思惑が激突している。以下、それぞれの思惑を想像してみるけれど、いずれにしても国家最大の非常時にこうした狭い永田町の中の権力闘争に付き合わされるのは、何度も書くように「日本の不幸」としか言いようがない。

◆自民党の谷垣の無責任
 自民党の谷垣が菅に対する不信任案を提出した背景がよく分からない。敵の混乱に乗じて博打を打ったというわけだろうが、これは自民党にとって吉と出るか凶と出るか知らないが、国民にとっては迷惑このうえない話である。敵の混乱を誘うということは、すなわち政治の混乱であり、自民党はここまで無責任な政党になってしまったのか。

 自民党の谷垣は仮にこの結果の政治の野合で自分に政権が回ってきたとして、何をやりたいのか。敵失をあれこれあげつらうばかりで、自分が何をするかというものを言ったためしがない。権力闘争に身を投じてみたのはいいが、彼がこうした国家の非常時や権力闘争の中で主導権を握れるほどの玉ではないのは目に見えている。

 政治の主導権を巡って闘うなら、前にも書いたように「自分に任せたらこうする」という政策の旗印を明確に掲げないと。それがなく、ただ敵をいじめて混乱させれば政局が流動化し、自分に(あるいは彼の場合は単に自民党に、かもしれないが)チャンスの芽が出て来るというような考えでは、この非常時にあっては政治を弄ぶゲームに過ぎない。天に唾するような行為だろう。

◆小沢の危機感は本当なのか
 一方の小沢。彼がこの時期に思いつめたように動き出したのは何故なのか。ネット放送に出た彼の主張を見ると、原発事故について相当思いつめているようだ。(ウォールストリート・ジャーナル紙とのインタビュー
 東電任せにせずに国が責任を持って主体性を持って放射能を閉じ込めるというのは私も賛成。しかし、彼の危機感はどれだけ科学的な情報の裏付けがあってのことだろうか。例えば、以下のような言葉である。

 「あれは黙っていたら、どんどん広がる。東京もアウトになる。ウラン燃料が膨大な量あるのだ。チェルノブイリどころではない。あれの何百倍ものウランがあるのだ。みんなノホホンとしているが、大変な事態なのだ。それは、政府が本当のことを言わないから、皆大丈夫だと思っているのだ。私はそう思っている。」 


 「復旧に必要なことは、お金がどれくらいかかったって、やらなくてはならない。あのままでは住めなくなる。再臨界に達するかもしれない。あそこが爆発したら大変だ。爆発させないために放射能を出しっぱなしにしている。爆発するよりたちが悪い、本当のことを言うとだ。ずっと長年にわたって放射能が出るから。」

 彼は、誰か科学者から情報を得てはいるのだろうが、しっかりした情報源なのだろうか。福島原発はそれこそ周知を集めて取り組むべき状況になっているが、思い込みだけでは危険。(それにしても彼の危機感は民主党内でも共有されているのだろうか。彼はその努力をしているのだろうか)
 ただ危機感をあおるだけでは、仮に彼がリーダーシップを発揮して原発問題に関るとして、かなりエキセントリックなものになりかねないだろう。

 私はかつて、彼のような革命家(壊し屋)は、政治が停滞している時には使ってみたい劇薬かもしれない、と思っていた。しかし、国家非常時の今は、(大戦時のチャーチルやドゴールのような)緻密な計算と時代認識に基づいた果断な行動力、そして国民を率いて行く説得力、メッセージを明確に伝える力こそ必要な時期である。彼はそのタイプではないと思う。

 確かに原発問題は小沢を行動に駆り立てる材料にはなっているのだろうが、それだけではないに違いない。菅にないがしろにされて来た怨念と、このままではじり貧になる自分を復権させたいという思いではないか。多くのメディアがそう書いているのだから、彼には普段からそのような権力維持への強い志向が働いているのだろう。

 菅が小沢、鳩山をここまで排除して来たのだから、もう一緒にいる理由はない。原発の対応を機にたもとを分かって勝負をかけたい、という、その怨念の強さは分かるが、しかし、それはこの非常時には私心と言われても仕方がないのではないか。国民のために私を捨てて身を捧げるというところからは程遠いのではないか。

◆菅という人間は何者なのか
 同じ民主党の仲間からこれだけ嫌われる菅という人間もまた理解不能な存在である。彼は自分の能力のなさを知っているのだろうか。知っているのに何故政権にしがみついているのか。

 想像するに彼には政権にしがみつく2つの理由があるのではないか。一つは、首相でいることが既に彼のアイデンティティになってしまっていること。どのような理由を言われようと、首相の座から引きずり降ろされることに抵抗する。そのことが、自分であることの確認、彼の存在理由になっているのではないか。自分が見えなくなった権力者が陥りやすい陥穽である。

 もう一つは、彼は彼で自分の役割を歴史的に意味づけたいと思っていることだろう。その歴史的意味とは、もちろん未曽有の大災害の時に首相として役目を果たしたいという思いだろう。
 さらには、これは好意的に見てやってもいいかと思うが、自分はここで一定の役割を果たした後、政治家の世代交代を図りたいという思いではないか。次の若い世代に日本の政治をバトンタッチしたいという思いである。そのためには、小沢や自民党の古手に権力を渡してなるものか、という思いかもしれない。

 それにしても、そうした思いだけで政治は出来ない。菅の救い難い欠点として、責任感がない、言い逃れする、こらえ性がない、異質な人間を使えない、などは本当なのだろう。政敵が皆、菅以外なら誰でもいい、と思いつめているのも面妖な話である。
 いずれにしても、彼は首相であることのアイデンティティなどに惑わされずに、この難局に全力をあげ、一息ついたところで次世代の若手に権力を移譲することが肝要なのではないか。

◆日本はどうなるか
 今や日本の将来は、実業家で言えばソフトバンクの孫、楽天の三木谷などの世代に託さなければならない時代だと思う。政治家も同じ。自民党中で今回の不信任案に異議を唱えている世代も含めて、もう4、50代に任せるしかない
 今日の午後、不信任案の採決があるというので、急きょ書いて見たが、こうした権力闘争の挙句に日本が破滅に向かって漂流しないように、国民一人一人が声を上げるしかない時代かもしれない。

原発情報・疑心暗鬼を解くために 11.5.24

 福島第一原発の事故は冷徹な物理現象である。当事者、政府、政治家、メディア、国民がどういうふうに思いこみたいと思っても事故は物理法則に従って進行して行く。その現実から敢えて目をそらそうとしたり、現実を遊離した過度の悲観論、楽観論も意味がない。その現実の全体を直視し、正確に分析・評価する中で考えられる限りのあらゆる対策をとっていくしか途はない。今の日本はそのことができるだろうか。
 23日の国際原子力機関(IAEA)の調査団来日を機に、留守の間に深刻さを増して来た原発事故に関する最近の情報と提案を書いておきたい。前回の予告(自分の原発報道の総括)からは、また横道にそれることになるが。

◆震災関連情報と深刻化する現状
 ずっと延び延びになっていた定年の卒業旅行から帰国。最近ようやく「日々のコラム」にとりかからねばという気になったのだが、一向にエンジンがかからない。そこで、まず(準備体操のようなものだが)留守中から積んであった新聞の切り抜き作業を始めた。しかし、もう以前のようにいろいろなテーマを切り抜く気にはならない。どうしても関心は震災関連、特に原発事故関連が中心になる。
 切り抜いた情報(これが2紙だけでも結構な量になる)を時系列的に眺めていると、自ずとその中から(例えば以下のような)幾つかのテーマが浮かび上がって来る。現時点の情報をせき止めれば、それぞれが大きな特集番組になるような重要テーマである。

○難航する原発事故終息に向けての作業
○周辺地域の放射能汚染に関する情報
○地震直後から原子炉内で起きた事象についての検証
○原発事故の背景にあるもの(当事者たちの体質など)に関する情報
○脱原発に向けての動き(新エネルギーに関する情報や、「脱原発」に反対する動きも含めて)
○震災地の復興計画に関する情報
○日本経済への影響についての情報

 この他にも、原発事故の補償問題、東電の経営問題(銀行融資とか料金値上げ問題など)、あるいは復興計画の利害に絡む政争(菅降ろしの動き)などもあるが、とてもそこまで手が回らない。
 ところで、旅行に出かける前の「コラム」では、「留守の間に、原発事故終息に向けての工程が一歩でも二歩でも進むことを祈りたい」と書いたが、帰国してこの間の動きを見ると、原子炉内部の様子が探査できるようになって、却って事故の深刻さが次々と見えて来た感じがする。

◆分かって来た現実、意外な放射能汚染の実態
 最近では、1号機に続いて2号機、3号機までが、原子炉事故では最も深刻な「メルトダウン」状態になっていることが判明。高温の燃料が完全に崩れて落ちて原子炉底部に溜まった状態だという。燃料が発する熱で原子炉(底部?)が損傷して水漏れを起こしており、冷却水が十分溜まっていない。従って当初考えていた格納容器を水で満たして外側から圧力容器を冷やす方法(水棺)ができず、漏れ出た水を原子炉内に戻すと言う再循環方式しか選択肢がなくなった。

 原子炉から日々漏れ出る水は、言わば原子炉内の高濃度の放射性物質を少しずつ洗い出しているようなもの。(毎日500トンの水を入れているので、それとほぼ同じ量で)日々たまる一方のこの高濃度汚染水をどうするのか
 この問題は、もう2カ月近くも前から分かっていながら、依然として大問題。すでに10万トンになって建屋から溢れそうになって来ているが、今となってはひとえにこの循環方式が上手くいくかどうかにかかって来た。東電は、この方式で「工程表」のスケジュールは見直さないと言っているが、水に頼らない別方式も研究し始めるべきだという人たちも出始めているという。

 一方、3月12日の弁の解放や水素爆発(1号機)と14日(3号機)の爆発によって大気中に漏れ出た放射性物質の意外な汚染状況も徐々に明らかになりつつある。留守中に放送され、反響を呼んだETV特集「ネットワークで創る放射能汚染地図 福島原発事故から2か月」(5月15日放送、5月28日午後3時再放送)を見ると、当時の風向き、地形、雨や雪などの気象条件によって避難区域以外の高濃度汚染(ホットスポット)の存在も明らかになっている。(メディアが科学者たちと組んで自律的に動いた好例)
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0515.html
 これまで「ただちに健康に影響が出る数値ではない」という政府や東電の説明では多くの国民が納得しないようになっている。

◆信頼を失う政府、東電、学者、マスメディア
 問題は、メルトダウンにしろ、放射能の「まだらな汚染状況」にしろ、こうした情報が当初から指摘されていたにもかかわらず、政府や東電からは次々と遅れて出て来ることである。
 その一方で、週刊誌は書き放題。詳しくは読んでいないが、「隠された放射能汚染を暴く」、「推定1000万キューリー、天文学的放射能量」、「放射能で汚れた土がこれからしでかすこと」、「母乳からも放射能」などといった見出しが躍っている。

 これでは、国民の方はたまらない。何をどう信じていいのか、疑心暗鬼が高まる一方だし、様々な風評被害も深刻な状況になっている。すでに海外からは、当初事故レベルを4にして笑われた後、いきなり7に引き上げた政府(原子力安全委員会、原子力・保安院)や、メルトダウンをなかなか認めなかった東電、あるいは「水素爆発が起きても建屋が壊れるだけ」などと言っていた原子力工学者(同時にこうした学者のいうことや記者発表を垂れ流して来た日本のマスメディアも)信頼を失っている。

 情報の混乱と不信がここまで来たのをみると、やはり信頼できる高度な専門知識を持つ「良心的な科学者グループ」が声を上げるしかないのではないか、という気がしてきた。
 そう思って「コラム」に書こうとしたら、そのことを黒川清氏政策研究大学院大学教授、前日本学術会議会長)が20日に日本記者クラブの会見で提案していたと、友人が教えてくれた。同時に彼はこの会見で日本の(政府、役所、東電、マスメディア、学者)原発情報が如何にいいかげんで信頼されていないかを痛烈に批判している。黒川氏会見動画、右側のアーカイブスから)

◆信頼できる科学者グループによる調査、「国際委員会」の立ち上げ
 黒川氏のいうのは、原発危機対策と放射能の環境影響を評価分析する国際委員会の設立日本人だけの調査委員会では信頼されないので、メンバーについては日本側の委員は少数派とし、日米で運営機関を作るというものである。
 しかし、これは急がなければならない。誰がどうメンバーを選定するのか、まだアイデア段階なので分からないが、これが出来るかどうか。いずれにしても、潜在的危機が一向に減少しない今、一方で信頼されない御用学者(これまで原子力推進に関って来た科学者)と、他方で彼らと因縁の闘いをして来た反原発の科学者とが入り乱れて個々に情報を流している現状は、国民にとって不幸極まりない。

 私は、取りあえず日本の良心的な科学者グループが手を取り合ってこの状況に立ち上がって欲しいと思っている。そのグループは一つでなくてもいいが、彼らに期待するのは、まず@顔が見えるグループとして記者会見しグループとして声明を出す、A政府や東電に正確な情報の提供を要求すること、B調査機関を動員して独自の調査をすること、Cその情報を基に正確な評価を行い逐次国民に知らせること、である。(日本学術会議がやればいいのだが、現在やろうとしているのは、復興計画と脱原発への選択肢作り。)

◆国民が知るべき情報、知らされるべき情報
 もうこの段階になったら、国民がパニックになるからデータを隠そうだとか、もう少し時期を見て発表しようだとかいう「小細工」は効かないと思った方がいい。今や政府も東電も、国の内外に正確な情報を迅速に公開すること以外にとるべき道はないはずだ。
 その上で、良心的な学者グループに期待する情報は以下のようなものになる。
<原子炉事故の評価、影響評価>
・事故を起こした各原子炉の現状をどのように評価するのか
・これから事故の終息に向けて何が重要な課題になるのか
・工程表が破綻する場合として、(複合的な状況も含めて)どのような事態が想定されるのか
・その時の対策はあるのか、最悪の場合はどのようなことが起こり得るのか

<放射能汚染の影響評価>
・現状の汚染状態の評価とこのままの状態が続いた時の影響をどう見るか
・終息計画が破たんした時には、そのような影響が考えられるのか
・最悪の場合にはどうなるのか、備えるべき対策はあるのか

 以前は、国民の間に原発事故のリスクに対する予備知識(リスクコミュニケーション)がない段階で「最悪のケース」を知らせるのは難しい、と書いた(「巨大地震 想像力のある人、欠如している人」3月20日)が、週刊誌でそういう情報がどんどん流されている現状では、現実を直視した正確な分析に基づくものなら、最悪のケースも含めた影響評価を知らされるべきだと思うようになった。(かえって不安になるのか、安心するのか分からないが)

◆IAEA調査団、日本はどうなる
 さて、そうこうするうちに23日、IAEA(国際原子力機関)の調査団が日本入りした。先に到着した専門家も含めて10カ国18人の調査団がどのような結論を出すのか、事故の評価はもちろんだが、情報開示についてすでにかなりのダメージを受けている日本がどう評価されるのか、世界が注目していると言っていい。

 いずれにしても、日本の原発事故は海外から厳しい目と多大な不安を持って見られている。それなのに、国内では肝心の政治家たちが復興計画の利害を巡って政争を繰り返している。
 財政破たんなどで政治に反対する民衆デモが渦巻く外国の姿を見るにつけ、日本でも、被災地の人々、憂慮する科学者たち、国民が、声を上げ社会を動かして行くべき時なのだと思うのだが、こればかりは自分の無力を感じざるを得ない。

2週間ほど更新お休みします 11.5.7

 これから2週間ほど留守にするので残念ながら「メディアの風」の更新が出来ない。しかし、戻って来てから書くべきテーマもやはり原発問題になるのではないかと思う。福島第一原発の事故がこれからどういう経過をたどっていくのか、この推移を見続けること。同時に、原発問題に関する様々な動きをフォローしながら「脱原発」への道筋を探ること。この2点である。

◆浜岡原発運転中止要請
 原発問題に関する動きについては、これから激しい議論が展開されそうな気配になってきた。昨日の記者会見で、菅首相が「浜岡原発をすべていったん止める」ことを中部電力に要請した。これまでの(反対派という言い方はもう完全に古くなったと思うのだが)反対派の意見を知っている人と知らない人との受け止め方はニュアンスの置き方は違っている。しかし、大方の人々の不安にこたえるものであったことは間違いない。
 ただし、この「要請の判断」を当然と思う私も、この手の重要事項の決定プロセスが果たして当を得たものだったのかどうかについては疑問。首相はもっと丁寧に閣内でも議論し、国民にその要請決定のプロセスを説明すべきだったと思う。その方が、多様な意見を乗り越えて論理が強靭になり、浜岡原発の問題の所在が明確になる筈だ。味方も増える。

 私自身は、原発が建つ活断層の地質(硬い岩盤ではなく軟岩)などを見る限り、対策が終わる2年後でも浜岡原発の再稼働は難しいと思いたいが、マスメディアにはこの問題に出来る限り幅広い観点(世界の動き、反対派による危険性の指摘、エネルギー問題の将来像など)を踏まえて取り組んでもらいたいと思う。

◆自分の反省も込めての点検作業
 こうした動きも含めて、(過去、原発報道に関った)一市民の立場から「メディアの風」に書いていくべきことは沢山あるように思う。一つには、自分の過去の原発報道の経験、反省も踏まえて、放送ジャーナリズムが日本の原発問題をどう扱って来たのか。あるいは、(単発の特集を除いて)なぜこの15年以上正面切って原発問題を取りあげてこなかったのか。(平時に原発問題を正面から取り上げることは、結構ジャーナリズムの本質が問われる作業でもある)
 その空白の15年ほどの間、主たる関心が地球温暖化問題に移っていた自分の意識(といっても原発への不安が消えることはなかったのだが)を振り返りながら、原発問題に関する自分のスタンスをもう一度整理してみたいと思う。その上で「脱原発」の論拠を確認しておきたい。

◆徹底した検証番組を
 同時にその一方で、マスメディア(NHKほか)にはこの際ぜひ、今回の原発事故の「徹底検証番組」をお願いしたいと思う。それには、今回の事故の人災的要素の多角的な検証の他に、マスメディアが原発問題を正面切って扱わなくなったこの「空白の15年ほど」の間に何が進行していたのか、も徹底して調べてほしい。
 特に、原子力を規制する側と推進する側が一体化した日本の原子力行政の特異性についてメスを入れてほしい。すなわち、いわゆる「原子力ファミリー」(国、行政、電力会社、産業界、族議員、学者からなる原子力推進派)がこの間に何をしていたのか。彼らと反対派の間で、何があったのか、をしっかり検証してもらいたい。

 この先、日本の原子力行政が方向転換を果たすためには、その闇に光を当てる、徹底した検証が欠かせないと思う。そのためには、何回シリーズになっても構わない。それだけ大問題なのだから。
これらの内容について、詳しくは次回以降に。しばらく留守にするが、その間に、原発事故の終息に向けて工程が一歩でも二歩でも進むことを祈りたい。

日常を一瞬で非日常に変えた力 11.5.1

 毎回、原発事故のことを理屈っぽく書いて来たので、今回は少し雑感めいたことを書きたい。
 先日、郷里(茨城県日立市)の老母の震災見舞いと、被災した墓所(水戸市)の修復の打ち合わせを兼ねて郷里に出かけた。柏駅から常磐線の特急に乗り外を眺めていると、土浦を過ぎたあたりから屋根にブルーシートを乗せた家が目につくようになった
 3.11の地震で瓦屋根が壊れたもので、北上するに連れてそれが多くなる。一時にこんなに大量のブルーシートが良くあったものだと思うくらい、それが続く。やはり、古い作りの家の瓦屋根は軒並みやられている。


◆墓の墓場と化した墓地
 水戸駅でいったん下車。ここも駅舎の天井が崩れるなど大分被害が出たそうだが、駅の南口側にでると千波湖に近いせいか地盤が軟弱で、ところどころ道路が沈下したり波打ったりしている。寺の墓所に行ってみると、広い墓所の墓が大変なことになっていた
 見渡す限りの墓が倒れ、石垣が崩れ、灯篭などは落ちて3つくらいに割れている。その墓の壊れ方も崩れ落ちると言うよりは吹っ飛んだと言う位に離れたところに落ちているものもある。石材店の主人が「ここは墓の墓場になっている」という位すさまじい壊れ方で、「全部修復するには2、3年かかるのはないですか」という。

 幸い、わが家の墓は石垣が少し崩れたのと、2つの小さな墓石が倒れた程度で、メインの墓は上部の墓石がずれて今にも落ちそうだったけれど、辛うじて中間の土台の縁に留まっていた。応急的にそれを中心に戻す。
 広い墓地の五百を超えそうな墓石が倒れている光景から想像すると、ここは地震の時、地鳴りに加えて、墓石が倒れてぶつかる音、石垣が崩れる土煙で、さぞかしすさまじかっただろうと思う。寺の方も、30年ほど前に改修したコンクリート製の巨大な本堂の屋根瓦はすべてはがれ落ちている。多分、屋根が急こう配だったことが影響したのだろう。

◆被災地に近づいて行く感覚
 水戸から日立にかけての沿線もブルーシートの家が並んでいる。実家に向かう道は海岸の崖上にあるが、その道はひびが入っていてがけ崩れが心配な状況。崖下の港は津波で大謀網が流され、家が津波で壊されるという被害が出た。

 ところで、このように移動しながら徐々に被災地に近づいて行くうちに、ある感覚がよみがえってきた。(余り多くはないけれど)災害地取材の時の感覚である。1993年の阪神淡路大震災、1983年の三宅島噴火などの被災地の取材。
 三宅島の時は噴火の翌朝島に入って、町の半分を飲みつくした溶岩流を見に行った。高さ3メートルを超える溶岩流が真っ赤に焼けたコークスのような壁となって徐々に町の道路を流れ下って来る。粘性が高いのでボロボロと崩れながらゆっくりと移動しているが、ゴーゴーと炎を吹き出しながら町に降りて来る

 また、阪神淡路の時は時間が少したった時に入った。壊れた家々の間に何の被害もない家が建っていて奇妙な感じがしたが、全体的には巨大な一撃が街を襲ったという衝撃を受けた。
 そこにあるのは、それまでの日常生活が一瞬にして非日常になってしまった光景だった。避難所生活も取材したが、2日もすると、日本人だってたちまち難民のようになってしまうと言う現実も目の当たりにした。

◆現場でしか分からない「日常を一瞬で非日常に変える力」
 私の見たものは、ほんの僅かなものでしかない。しかし、今回もそのまま東北の被災地に入ってみれば、そこで目にするのは、圧倒的な非日常の現実だろう。進むにつれて家が壊れ、道路が陥没し、橋が壊れて被害の規模が大きくなる。
 そして、あるところを超えると、そこに津波にやられた一面がれきの光景が広がっている。巨大な船がビルの屋上にのしかかっている。海岸は家々の跡形もない。それを「もたらしたもの」が如何に巨大なエネルギーを持っていたかを実感する瞬間である。
 被災地に近づいて行く時の感覚とは、このようにこれまで平穏だった日常を一瞬のうちに破壊と喪失の非日常に変えてしまう「ある力」を実感することである。

 数少ない被災地取材の時の記憶を思い出しながら、同時にこういうことも感じる。それは、この感覚はその場に行かないと分からないと言うこと。いま書店に行くと「東日本大震災写真集」が幾つも出ている。そのページを繰りながら感じることは、災害にあった人々の悲劇である。それを感じることは出来る。しかし、その悲劇をもたらした地球の巨大なエネルギーについては、現場に行かないと感じることは難しいのではないか。

 これはテレビの映像でも同じ。何度も見た津波のすさまじさ、破壊のすさまじさの映像も、何度も見ているうちにどこか非現実的なものに見えて来てしまう。やはり現場の臭いや風や空気や広がりの中で実感するモノにはかなわない。写真や映像を見て、分かったつもりになってはいけないのではないだろうか。

◆原発関係者は現場に出向くべき
 また、こういうことも考える。これまで原発を推進して来た人々は是非現場に行くべきだと言うこと。この際是非、日本の原発が如何に巨大なエネルギーをため込んだ大地の上に立っているかを実感して欲しいと思う。出来るだけ多くの人々がその力を畏怖するところから、原発の議論が始まってほしいと思う。

 かねて、地震国日本に原発が集中することに警告を発して来た、石橋克彦氏(神戸大名誉教授)によれば、これまで「静穏期」だった日本の国土は阪神淡路大地震をきっかけに「大乱期」に入っているという。
 日本は、その間「新幹線、湾岸コンビナート、超高層ビル」といった巨大技術をおし進め、さらに「原発」を作り続けて来た。私もほぼ一年前に、次に予想されていた「東海、東南海、南海」連動型地震について書いたが、巨大地震が発生した時、こうした巨大技術が持つ「ある種のもろさ(例えば長周期地震動などに対するもろさ)」については、最近分かって来たことも多い。

 石橋氏は、巨大地震に対してもっとも警戒すべきものとして「原発」を上げて警鐘を鳴らして来た。世界の原子炉430基のうち、日本は第3位の54基の原子炉をもち、しかも地震と津波の危険がある地域の原発のうち90%以上の原子炉が日本にある、という現実。巨大地震で予想される断層の上には「浜岡原発」もある。
 こうしたことが、どのようなリスクを持っているのか、肌身で感じるために、電力会社の幹部も原子力専門家も政治家も、すべて一度は東北の惨状を目の当たりにすべきだと思う。そして、そうした巨大なエネルギーをため込んだ大地の上に私たちが暮らしていることを是非実感してもらいたいと思う。

◆自然の力に対する畏怖の感覚
 もちろん、脱原発の議論は地震や津波への危険性だけからではない。核燃料サイクルの問題、代替エネルギーの問題、産業構造、ライフスタイルの変革など、多角的な議論が必要になる。それは次回以降、自分なりの観点を組み立ててみたいが、少なくとも、自然が持つ巨大なエネルギーへの畏怖の感覚、想像力は共通のベースになるべきではないかと思う。

原発事故はなぜ「人災」なのか(3) 11.4.25
(震災後45日 4月25日10時発信)
 4月17日、東電は福島原発1号機から4号機までの4つの原子炉事故を終息させるための工程表を発表した。まず、格納容器に水を満たし、圧力容器も含めてともかく原子炉内の燃料棒を冷やす。これが安定的にできるまでに3カ月(ステップ1)
 さらに冷却水を循環させるシステムを復旧して原子炉を「冷温停止」に持っていく。同時に使用済み燃料が入った燃料プールを補強し、水を安定的に供給して冷却する。また建屋全体をカバーで覆うなどして、現在も放出がつづく原発からの放射能を遮断する。これに、さらに3〜6カ月かかる(ステップ2)

◆東電の工程表に立ちはだかる難問
 ようするに原子炉を安定して冷やす、放射能を封じ込める、ということに半年から9カ月かかるというものだが、これが出来るまでにはご存知の通り、様々な難問と不測の要因が控えている。
 日々大量に漏出する高濃度汚染水をどうするのか。高い放射線環境で作業が予定通りできるのか。必要な作業員を十分確保できるのか。原子炉建屋が壊れている1,3号機では、夏の台風や集中豪雨にどう対応するのか。

 また不測の事態も心配。強い余震の影響で、既にあちこち傷んでいる原子炉やパイプ類が壊れないか、水を満たした格納容器が破断しないか。現在、1号機の格納容器に(水素爆発を防ぐために)注入している窒素ガスは漏れ続けているというが、果たして上手くいくのか。新たな水素爆発が起こることはないか。2号機や3号機は間に合うか、などなど。
 東電の工程表に対するマスメディアや専門家の評価は、こうした様々な難問を指摘しつつ厳しいものが多い。工程表は努力目標であって、この通りには進まないという見方である。(昨日の「サンデーモーニング」も厳しかったが、それが実態なのだろうと思う)

◆責任感と当事者意識が薄い政府
 しかし、仮にスケジュール通りには進まなくても、東電が初めて工程表を公表したことは評価できるのではないかと思う。事故処理の責任について、一つの判断基準を明確にしたわけで、今後、東電はこの工程表に照らして厳しく進捗状態をチェックされることになるからだ。

 問題は政府である。「政府はこの工程表が実現するように支援していく」と言っているが、何をどう支援するのか。私は、政府も同時に(冷温停止を実現させて、国民も世界も安心させるという)「原発事故終息に向けての国の支援策」を明示すべきだと思うのだが、これが今一つはっきりしない。及び腰にしか見えないのだ。明確にすることで、その後の責任追及を恐れているのか、そもそも当事者意識が足りないのか。
 しかし、そんな当事者意識の薄い、及び腰が世界に通じるはずはない。最近の日本政府は(汚染の拡散、事故処理のモタツキ、情報の不透明によって)世界中から白い目で見られ、叱咤されている。

 それも当然で、(様々な安全基準を設けた)日本の原子力政策は国が作ってきた以上、責任は国にもある。国際会議などで釈明に追われる中で、政府もようやく(これは大変だと)危機感を強めて来たのではないか。東電に事故処理を押し付け、自分たちはサイドから支援するなど悠長に構えているだけでは通用しない、と観念したのではないか。
 本来、原発事故の当事者である国は、もっと前面に出て全力で事故対応に当たるべきなのだが、(外圧によって、今頃それに気がついたとしても)私に言わせれば40日遅い!(*1)。

日本の原子力は「トイレなきマンション」
 福島原発事故については、これまで2回にわたって、原発の「安全神話」に胡坐(あぐら)をかいて来た日本の原子力政策が「人災」の影を落としていると書いて来た。事故以来引きずって来た政府の対応の鈍さもその一例である。
 さらにもう一つ。今回の事故に重大な影を落としている(人災的)要因がある。それは、日本の原子力が「使用済み燃料を最終的にどう処分するか」という見通しがないまま、安易に拡大を重ねて来たツケとも言えるものである。

 原発から出る使用済み燃料について日本では、どこかにそれを貯蔵する「中間貯蔵施設」を作って一定期間冷却する計画になっている。しかし、これがまだ出来ていない(青森県むつ市に建設中)ために、大量の使用済み燃料が各地の原発内にたまる一方なのである。

 さらには冷却した使用済み燃料を、処理して高レベル廃棄物とプルトニウム燃料に分ける「再処理工場」(青森県六ヶ所村に建設中)も度重なるトラブルで、すでに18回も完成が延期されている。

 また、その「再処理工場」からは(放射能の半減期が数万年にもなる)高レベル廃棄物が出てくるが、それをガラスで固めて地下300メートルの施設で何千年も管理する
「最終処分施設」に至っては、まだ場所も決まっていない。
 まさに、日本の原子力はよく言われるように、原子炉からの排せつ物(使用済み燃料)の処理施設を持たない「トイレなきマンション」状態。半世紀も問題を先送りしながら、原発を増や続けて、敷地内に厄介きわまる使用済み燃料の山を築いて来たのである。(*2) 

◆「その場しのぎと問題先送り」
 福島第一原発の4つの原子炉建屋内には現在、合計2700本もの使用済み燃料集合体(燃料棒を束ねたもの)が貯蔵されている。これは中間貯蔵施設が出来るまでの応急処置なのだが、このプールの冷却水が減り、燃料棒が熱で溶けだすと大量の放射能を放出する恐れがある。
 今回の原発事故では、一部のプールで冷却水が減って大慌てで水を注ぎこんだり、水素爆発で落下した部材がプールを損傷したりと、深刻な影響が出ている。工程表でも、プールを補強し、水の循環システムを復旧してプール内の使用済み燃料棒を安定的に冷却することが重要な課題の一つとなっている。

 行き場のない大量の使用済み燃料を原子炉と同じ場所に、しかも構造上も不安定なプールにため込むことは、それだけ重大なリスクを抱えることである。これは、「問題を先送りにしながら、その場しのぎの解決策に逃げ込む」という日本の原子力行政のツケが回ってきたわけで、これも明らかに人災である。
 同じく「原発の集中立地」。他の場所では反対があるからといって、安易に同じ敷地内に原子炉を集中させて来た(福島第一原発には6基もある)。1基の原子炉が深刻な事故でお手上げになったら、他の原子炉にも近づけなくなるわけで、これもリスク分散を図ってこなかった人災的要素である。

 以上駆け足で見て来たように、今回の福島原発事故は「科学技術への過信、盲信」、「経済性優先主義」、「問題先送りとその場しのぎ」といった日本の原子力政策の欠陥がもたらしたもの。その欠陥を歴史的な大津波に突かれた「人災」なのである。

◆脱原発に向けて
 最後に3回にわたる「人災」編の結論を書いておきたい。事故処理は今も過酷な状況の中で続けられており、その成功を心から応援したいが、一方で、日本はこの事故を猛省して「脱原発」に向かうべき。「脱原発」の新しい国作りを世界に宣言することこそ唯一の選択肢だと私は考えている。
 何より、原子力は一旦深刻な事故が起きると取り返しがつかない。また事故が起きなくとも、その廃棄物は「未来永劫の重荷」を我々の子孫とこの地球に背負わせ続ける。解決の見通しのない高レベル放射能の廃棄物を地球上に増やしながら、現世代だけが物質文明の豊かさを享受するのは、我々の子孫に対して余りに不遜ではないかと思う。

 ただし、「脱原発」は簡単ではない。それに向けては考えるべきことが沢山ある。代替エネルギーをどうするか、私たちのライフスタイルを変えられるか、といった問題はもちろんだが、さらに困難な問題が立ちはだかる。それは、これまで採算を度外視した膨大なカネをつぎ込んで原子力を推進して来た強固な複合体(国、電力会社、産業界、さらには海外の推進国)の圧力を跳ね返せるかということである。

*1)
そんな中で、現地で働く作業員の劣悪な環境が未だに続いている。防護服を着たまま寝袋に入って寝る。食事もレトルト食品のみ。問診に当たった医師によればうつ的状況に陥っている作業員も見受けられると言う。事故後45日も経過して何も改善されていない。高濃度汚染水を入れるタンクを新しく製造する作業も遅れている。
私が地震後2日に書いた「非常時権限を持ってしても、国内外のすべてのリソースをつぎ込め」ということが、いまだに達成されていないのは、歯がゆいばかり。
*2)
日本の原子力には、原子炉の安全問題に加えて、使用済み燃料をどう処分するかという大問題(核燃料サイクル問題)が未解決で残されている。六ヶ所村の再処理工場などは、当初予算の2.8倍、2兆2千億円という莫大な費用をかけてまだ完成しない。
また、これまで1兆8千億円をつぎ込んできた、核燃料サイクル問題の切り札とされる「高速増殖炉」も未完成。開発段階に位置づけられる「もんじゅ」も、建設開始からすでに30年近くたっているのに、トラブル続きでまだ運転ができない。これも水と反応すると爆発する金属ナトリウムを循環系に使うために、危険性が指摘されている。
原発事故はなぜ「人災」なのか(2) 11.4.15

(4月15日11時発信)
 福島第一原発の事故は依然、目が離せない状況が続いている。原子炉を冷却するために応急的に外部から注入している水が、圧力容器や格納容器、パイプ類の損傷部分から漏れ出している。その高濃度汚染水は原子炉建屋や外部トレンチに溜まり、6万トン(プール250杯分)にもなる。日々増えて行く膨大な汚染水をどこにどう排水するのか

◆危機的な状況が続く原発事故
 排水先が決まったらまず、タービン建屋内の排水を急ぐ。そこにある電源盤などの機器類を復旧し、ポンプやパイプ類の損傷を点検。仮にポンプやパイプ類が損傷していれば、別途新しい循環系機器を作る必要も出て来るだろうし、何より、漏れ出て来る汚染水を再循環させるような工夫もいる。その上で、冷却水の安定的な循環を目指す。
 それぞれが難題な上に排水先の確保が難航して、本来の冷却系の復旧作業は殆ど進んでない。

 一方、燃料棒が水で十分冷やせていない1号機から3号機の原子炉の状態も心配。本震、初期段階での燃料棒の空焚き、水素爆発などで原子炉やパイプ類がかなり損傷を受けており、それに大きな余震が追い打ちをかけている。
 一番水位が低い1号機(これが一番深刻)では70%ほどの燃料棒が溶解しており、高温の被覆材と水が反応して出来た水素ガスが格納容器に漏れ出している可能性が高い。それが酸素と反応して水素爆発が起こるのを防ぐために、格納容器に窒素ガスを注入する作業が続いている。これを2号機(30%溶解)、3号機(25%溶解)でも行うという。

 事故後一カ月たったが、福島原発は依然として危機的な状況が続いており、まだ安定的な「冷温停止」が見通せる状況になってない。こうした事故後の困難な作業は、一旦原発の「安全神話」が崩れた時に、膨大な熱量を持つ大量の放射性物質を抑え込むことが如何に大変なのかを示している。(*)

◆「安全神話」は何故崩壊したのか
 今回の事故では、全電源喪失→冷却水喪失→燃料棒の空焚き→水素爆発→格納容器や圧力容器の損傷→放射能漏れと、ほぼ一本道で最悪の事態をたどった。今は辛うじて圧力容器や格納容器が原型を保っているために、(チェルノブイリのような)大量の放射能が飛び出す事態にはなっていないが、最悪の事態(レベル7)に引き上げられてしまった。

 何重もの防護壁と様々なバックアップシステムがあるので事故は起こり得ないと言って来た、原子力の「安全神話」。その「安全神話」はなぜかくも完全に崩壊してしまったのか。「人災」の(2)では、今回の事故に影を落としている日本の原子力行政の「構造的問題」を考えてみたい。

◆アクシデント・マネジメント(過酷事故対策)がない
 「構造的問題」の第一に、私は「科学技術に対する過信、盲信」を上げたい。日本の原子力は、設計上でも、運転管理上でも、絶対事故を起こさないという「安全神話」に支えられてきたというのはこれまでも書いて来た。
 しかし、その「安全神話」があまりに強かったために、かえって安全対策が疎かになっていたのではないかというのが、ここで言いたいことである。これには2つの側面があると思う。

 その一つが、本来は「安全神話」を超えるような想定外の事故に対して備えておくべき「アクシデント・マネジメント=過酷事故対策」が不十分だったこと。そういう想定外の事故は緊急事態にならざるを得ないが、それに対する設備も、対応策もおろそかだった。
 例えば東電では、予備の電源やポンプなどの冷却系、遠隔操作の機器類、防護服や線量計の備えといった「設備計画(ハード)」、あるいは緊急事態に誰がリーダーになるのか、司令塔はどこに置くのか、何を優先するのかといった「対応計画(ソフト)」(あったのかどうかも分からない)が機能しなかった。
 このことが、初期段階での海水注入の遅れ(これが遅れたために水素爆発も起きた)や、混乱につながったと指摘されている。


 同じことは政府・官邸においても言える。「安全神話」が災いして、放射能漏れなどの想定を超える過酷な事故に対する制度設計も準備・訓練も行われていなかった。事故後の司令部立ち上げの遅れ、東電との意志疎通、専門家召集の遅れ、避難計画の混乱といった問題につながっている。
 原発事故は起こらないとする「安全神話」が強すぎて、あるべき「アクシデント・マネジメント」が、日本では十分検討されて来なかった。その影響は、今も政府・東電の事故対応の遅れ、もたつきとなって深刻な影を落としている。まさに「人災」の一つである。

◆「安全神話」がもたらす思考停止、想像力の欠如
 もう一つは、「安全神話」が原発の日々の改善策を阻んで来たと言うこと。
 日本の原発関係者は今回の事故を見て「ここまで悪化するとは思っていなかった。不明を恥じる」(原子力安全委員長)、「原発は何重もの壁があり、絶対大丈夫だと思って来たが、こういう事態になった。すべてのことを見直す必要がある」(原子力保安院、審議官)などと話している。彼らは本当に、今回のような重大事故を想像したこともなかったのだろうか。


 福島第一原発は、40年も前にアメリカGEから導入された古い設計思想のものである。その後、津波などの耐震上の問題が指摘された時に「あとから(壁を高くするなどの)改善をすれば、当初の津波対策が甘かったという指摘を受ける。それを避けたかった」というような東電幹部の驚くべき理屈で、その指摘は生かされなかったという(朝日)。

 「安全神話」にあぐらをかいたまま、日本の原子力技術は日々の改善への努力を怠って来た。潜在的危険のサインから目をそらし、原子炉は安全だと思いこむ。「安全神話」が生み出す思考停止状態に陥っていたのではないか。そして、いつの間にか「安全神話」が崩壊した時に起こる、今回のような過酷で重大な事故に対する想像力の欠如まで生んで来たのではないか。
 まさに日本の原子力行政全体が、「原子力技術に対する過信」から「盲信」に変わっていた。私はこれも重大な「人災」の一つだと思っている。

◆まやかしの原発の経済性
 原発の安全対策を阻んでいるものは、この他に「経済性優先」といったこともある。念には念を入れる対応策が必要なのに、津波対策のようにカネがかかるものは、敢えて基準に採用されない。そんなケースが随分とあったに違いない。
 何かと評判の悪い班目(まだらめ)原子力安全委員長は、かつて「(トラブルの可能性を)全部組み合わせて行けば、モノ(原発など)なんか絶対に作れない。だからどっかで割り切るんです」と言ったらしい。
 如何にも経済性を考えるのがリーダーの責務だというような能天気なことばだが、今回のような事故がひとたび起きたらどれだけの損失(あるいは悲劇)を生むか、考えて言っていたのか。

 実は、原子力発電の関係者がよく言う「経済性」や「効率性」は、「まやかしの幻想の上に立つ経済性」でしかない。原発で生み出される放射性廃棄物を最終的にどうするかも決まらないまま、問題を先送りにし、今現在だけで採算を取ろうとしているに過ぎない。
 発電コストに、そういう未来の最終処分や税金の投入や、夜間に電力をためるための水力発電の建設費などを入れれば、原子力発電はコスト的に割高になる。それを敢えて隠しながら、なぜ核燃料サイクル(高速増殖炉「もんじゅ」も含め)といった「科学技術の盲信」の権化のような技術システムに日本は突き進んでいるのか。

◆いまこそ脱原発を掲げよ
 むしろ、原発の構造的問題は、核燃料サイクルや使用済み燃料の最終処理に対する「問題の先送りとその場しのぎ」に致命的な問題が隠されている。ただし、このことに触れるには、またまた長くなり過ぎ。人災の(3)に回したい。(どうも長くなっていけない)
 いずれにしても、(間に合うことを願うが)日本はいまや「脱原発」を掲げてその道筋を真剣に考えざるを得ない状況にあると思う。そのことを次回に書いて、長くなった「人災」編を終わりにしたい。

(*)
こうなると、放射能抑え込み作業の一つ一つが初めて経験するようなものばかり。その都度解決方法を模索し、新たな技術を用意しながら、時間との勝負で決めて行くしかない。仮に冷却水の循環が上手くいって「冷温停止」状態に持ち込んだとして(半年くらいかかる)、これを3年から5年続ける。
さらに10年後にぐずぐずに壊れた使用済み燃料棒を取り出し処理する。さらに10年から20年かけて使い物にならない原子炉を廃炉にする。周辺一帯は立ち入り禁止区域となるだろう。この間、東電と国は膨大な費用と気の遠くなるような作業工数と、様々な放射線被ばくのリスクを抱え込むことになる。

原発事故はなぜ「人災」なのか(番外編) 11.4.9

(9日12時発信)
 昨晩(8日)の「報道ステーション」。キャスターが「今、原発事故は復旧作業の最中だが、一方で事故がなぜ起きたのか、事故直後に何があったのか、そろそろ検証を始めて行く時ではないか」と言い、事故直後からの官邸、東電の対応の経緯をリポートするVTRを流した。

◆風潮としての東電バッシングでなく
 首相補佐官、北沢防衛相、アメリカサイドのインタビューなどを中心に、基本的には政府は頑張ったが東電は中々それに応えない、アメリカも東電に不信感を持っている、といった「東電批判」の内容だったが、スタジオに戻った時、感想を聞かれた朝日の女性編集委員から「これは政治家サイドから見た一面的なリポートで、問題だと思う」と一刀両断にされていた。番組が用意したリポートを身内が否定する珍しい場面。
 それも当然のかなり意図的な内容だったのだが、VTRを受けて東電批判を展開したかったらしい古館は、「そうですか」と振り上げたこぶしの持っていきどころがなく鼻白んでいた。

 ことほど左様に、今原発事故関連の情報は難しい。情報が混乱し、(不安をかきたてるものから安心させるものまで)錯綜し、マスメディアに対する不信感も募っている。そんな中で、最近は怒りの矛先を東電に持って行きがちだが、その流れに乗って安易に情報をまとめるのも気をつけなければならない。東電さえ悪者にしておけば批判が自分たちに向かうのを避けられるという、かなりバイアスのかかった意図的な情報もあり得るからだ。

 何しろ今、東電は原子炉抑え込みの困難な作業に追われているわけで、批判に耐える情報を提供する余裕などない。検証作業はそういう状況を踏まえてじっくりやればいいと思うが、いずれにしても、この段階での原発関連の情報は複雑に錯綜して伝え方がものすごく難しくなっているのは確か。心したいと思う。


◆原発事故における「クライシス・コミュニケーション」(情報の出し方)
 一般に企業などでは、思わぬ危機が発生した時にマスコミや一般人に正確かつ安心のための情報を伝えて影響を最小限に限定すると言う命題が生まれる。この対応を「クライシス・コミュニケーション」というが、これは、今回のような原発事故でも同じ。
 これを適切にやらないと、国民の間に(国、東電、マスコミに対する)疑心暗鬼や不信感が生じて社会不安が広がってしまう。それも、今回のような場合は情報を出す側も受け取る側も、すべて初めてのことで予備知識がない。それだけに極めて難しい対応が要求される。

 例えば現在、原発事故に関連する情報は実に多岐にわたっている。いずれも国民生活に直結する重大なものばかりなので、一つ一つ出来り限り(途中段階も含めて)実際を明らかにし、その都度過不足速なく、誤解がないように何度も丁寧に伝えなければならない。少し整理してみると。


(原子炉の事故処理関連)
・原子炉事故を抑え込んでいくための作業全体がどのように進んでいるのか。安定的になるまでにはどの位かかるのか。
・その中で現在、最も課題になっている事象(例えば高濃度汚染水の処理)は何か、それにはどう対応しようとしているのか
・内外の支援体制、作業員の確保などの危機対処の体制は十分なのか
・仮に安定的に抑え込んだとして、その後の原子炉にはどのような作業が必要なのか
(もう一つ。この先原子炉にどんな不測の事態が想定されるのか、その時の影響はどの程度なのか。ということも知りたい情報の一つだが、これこそ伝えるのが最も難しいテーマだろう)

(外部への放射能もれの影響)
・外部環境に漏れ出た放射能汚染(空気、海水)はどの程度健康に害があるのか
・それによって汚染された農産物、水道水、海産物の扱いをどうするか
・海水、土壌、収穫物の放射能測定、モニタリングをどのように充実させるか
・避難指示や避難区域の設定は適切か。今後避難民はどうなるのか、いつ帰れるのか
・避難民、農家、漁業者などへの生活保障をどうするのか。東電は財政的に耐えられるのか
・海外への説明責任をどう果たすのか

(計画停電、産業界の節電計画)
・夏に向けての電力需要見通しはどうなるのか
・産業界、家庭での節電の方法はあるのか、計画停電に踏み切るのか

 以上のいずれもが、国と東電でその都度適切な対応を考え出し、しっかり情報提供することが要求される。漏れ聞くところによると、今政府、中央官庁、自治体、関連企業、放射線の専門家などが続々と狩り出されて、原発関連の課題に取り組んでいるらしいが、すべて初めて経験することばかりなのでそれぞれに大変な作業が伴う。
 (こういう情報は、身近な人々から漏れ聞くしかなく報道が極めて少ない。例えば、報道ステーションのリポート中で、現在進行中の窒素ガス注入は現場に入っているアメリカ研究機関からの提案だと言う情報があった。こういう情報は、本当はきちんとニュースで伝えるべき)

◆感情的な東電批判ではなく
 もちろん、3.11後の日本が抱える課題は原子炉だけではなく、被災地の復旧が最大のテーマだが、日本の重要課題の中で、原子炉事故は日本ののど元に突き刺さったトゲになりつつある。東電への「人災」批判は、こうした状況の中である意味不満のぶつけどころとして浮上した面もあるだろう。

 しかし、東電も国も、原発関連だけで上記のような多岐にわたる課題を抱えており、かつ、それぞれ極めて困難な対応を迫られる課題だということは理解してあげる必要があると思う。何よりも非難されながら先の見えない過酷な闘いを続けるのは精神的にも厳しすぎる。
 私としては、特に、過酷な環境で日夜頑張っている東電社員、協力会社、現場の作業員の方々には心からのエールを送りたいと思うし、東電が現在進めている作業について、国を挙げての最大限の支援、応援をすべきだと言い続けて来た。そのことに変わりはない。
 (写真は福島第一原発の災害対策本部、放射線を防ぐ鉛板で囲まれた「重要免震棟」での会議)


◆なぜ「原子力の構造的問題」なのか
 ではこの時期、なぜ「この事故が人災なのか」を書くのか。それは、今の東電を感情的にやり玉に挙げるためではもちろんない。これまでの東電幹部による危機意識のなさ、怠慢に関する問題、国と東電の癒着など(責任問題)はあると思うが、それは事故処理がある程度見通しがついてから徹底してやればいい。
 私が、書きたいのは(前回も書いたように)むしろ今後の日本の原子力行政への問題提起である。これまでの東電幹部による危機意識のなさ、怠慢などの背後にあった「構造的問題」とは何かを明らかにすることである。(といってもそう大それたものではなく、前回書いたように@「科学技術への過信、盲信」、A「経済性優先主義」、B「問題先送りのその場しのぎ」といったことだが)

 もう少し言えば、なぜ東電も国も想定外の事象で事故が進行した時の「アクシデント・マネジメント(過酷事故対策)」を真剣に考えて来なかったのか。なぜ、東電の原子炉の中にはこういう事故時に管理が厄介になる使用済み燃料棒が2700本もプールされているのか。

 なぜ、最終処理が見えない中で日本の原子力は進んでいるのか。なぜ、核燃料サイクルを仕上げようとして、水に触れたら大爆発を起こすナトリウムを循環に使うような「高速増殖炉」にまで進もうとしているのか。
 こういう問題の背後にある原子力の「構造的問題」を整理してみたいと思うのだ。

 私は、日本の原子力行政の「構造的問題」は(上に書いたような)福島原発事故が直面する課題の一つ一つにも影を落としていると思っている。またそういう視点で見ると、現在起きている課題(これから起きるだろう課題)の意味づけ、位置づけも明確になるのではないかと思っている。
 日本のエネルギー政策は、この原発事故をきっかけにして徹底的に問い直されるべきだと思っているが、そのためには、今の時点からその問い直し作業を始めて行く必要があると思っているわけである。

 そういうことで、「何故人災なのか(2)」は、東電への感情的な批判ではなく、今後に生かす形で冷静に整理して行くべきだと思っているが、またまた、前置きが長くなったので、今回は番外編。「人災」の2回目は次回に書きたいと思います。

原発事故はなぜ「人災」なのか(1) 11.4.4

(4月4日20時発信)
 東日本大震災から24日が経過。福島原発事故は、未だ終息の見通しが立たない。政府は安定的に冷却が出来る状態になるまで、なお数カ月かかる(それはどういう根拠から出て来たのだろう)という見解だが、終息に持っていくには多くの乗り越えるべき困難が控えている。
 その間は、あちこち傷んでいる原子炉に不測のことが起きて、新たに大量の放射能漏れ(*)が起きないように応急的な冷却を慎重に続けることになる。 *それがどの程度の事態になるのか、誰も正確なことは教えてくれないが

◆モグラたたきと、見えない全体像
 現在は、本丸(4機の原子炉)を攻める前に、周辺に様々な事態が発生してモグラたたきのようにそれに対応している状況。例えばコンクリートのひび割れから海中に流れ込んでいる高濃度汚染水を止める。
 並行して、そのもとになっている(トレンチや建屋内に溜まった)数万トンの汚染水をどこかに排水する。これが排水できないと循環ポンプなどが動かせない。

 それぞれが緊急を要する上に対策が結構難しい。日替わり的にニュースになるので、全体がどう進んでいるのかも分かりにくい。(ニュースも発表ばかりに頼っているので、進展のないニュースを事細かにやるしか手がなく、全体像を示せていないのが問題。毎時同じニュース、同じ解説を聞かされる方も疲れてくるし麻痺もして来る)

 あわせて東電には、土壌や海水の調査、作業員の安全管理など、政府(原子力保安院)から次々と指示が来る。東電の能力を超えて戦線が拡大しているのではないかと心配になるが、東電の危機管理体制、政府の支援体制についての情報は相変わらず極めて少ない。

◆状況を見極めて、被害限定策の構築を
 ご存知のように、現在の福島原発は、原子炉の「安全神話」が完全に崩れた状態。トラブルがあっても2重3重の防護壁で放射能を閉じ込め、決して外に出さない筈だったが、圧力容器内の燃料棒(第1防護壁)が溶け、加えて圧力容器(第2の防護壁)に穴があいて、そのどこかから放射能が漏れだしている。
 また圧力容器を囲む格納容器(第3の防護壁)も損傷、あるいはパイプ類の損傷などによって、原子炉建屋ばかりでなく周辺環境中にも放射能に汚染された水が漏れ出ている。

 「安全神話」の破綻という全く未体験の中で、日本は何とか終息方法を探っている状態だが、とにかく現在は幾つもの難題を同時並行的に解決しながら、少しずつ本丸に迫るしかない。それを粘り強くやっていくことである。
 ただし一方で、こういう状況になると、誰かがしっかりと全体を眺めながらどこで被害を限定するのか、状況に応じた食い止め策を冷静に判断していなければならない。それは、どこで誰がしているのだろうか。(司令塔や中枢の動きに関する情報も足りない)

◆事故を引き起こした人災
 それにしても長年、原子力関係者が言って来た「安全神話」は何故こうも完全に崩壊したのか。東電は「高さ14メートルもの津波は想定外だった」というばかりだが、ここへ来て様々な情報が、東電の認識の甘さと怠慢を指摘し始めた。今回の事故は明らかな「人災」だという指摘である。

 それは、具体的にはどういう人災なのか。いろいろ考えるうちに、私は、福島原発事故の背景には、日本の原子力行政が抱えて来た「構造的な問題」が影を落としているのではないかと思うようになった。それは、今指摘されている「過去の大津波情報の無視」、「全電源喪失への警告無視」などの人災説にもつながって来る問題である。

 事故の終息の見通しがまだ立たない状況で、こうした内容に踏み込むのはどうかとも思ったが、そうでもなさそう。というのも、事故後の東電の混乱や状況認識の甘さ、政府のモタつきなどを見ていると、この際、日本の原子力行政が抱える構造的欠陥を明確にしておいた方が、今後の事故処理にも重要だと考えるようになったからである。

◆様々な指摘
 その前に。すでにメディアで報道されているのでご存知と思うが、幾つかの「人災」説を簡単におさらいしておきたい。
@ 過去の大津波情報の無視
 2年前の6月、経産省の原発の耐震性を審議する委員会で、過去東北地方で今回のような大津波が起きていることが提起された。約1100年前の「貞観地震」である。その後の研究でもこうした大津波は450年〜800年の間隔で起きているという。
 しかし、この指摘を東電も国も認めず、福島第一は想定5メートルのまま対策をとらなかった。海水をくみ上げる冷却用のポンプが地上にむき出し状態だったり、命綱である非常用ディーゼルが建屋地下にあったり。そこへ高さ14メートルの大津波が襲ったのである。

A 全電源喪失への警告無視
 今回の原子炉事故では、地震で外部電力が断になり、直後の津波で非常用ディーゼル発電機も止まり、また予備の直流バッテリーの電源もやがて切れた。いわゆる全電源喪失状態が続いた。
 これまで国は、この状態を想定しなくていいとしていたが、アメリカでは同様の事態をシミュレーションして深刻な事態(圧力容器、格納容器の損傷など)になることを確認し安全規制に取り入れていたという(朝日)。同様な研究は、その後日本の原子力安全基盤機構でも昨年の10月に報告している。しかし、東電はこれを知りながら対策を検討しなかった(読売)。
 日本の「電源が止まっても早期に回復するという暗黙の了解」(元原子力安全委員会委員長)が事態の悪化を招いたのである。(一方で、仮にアメリカのシミュレーションが正しいとすると福島の原子炉はかなり深刻な状態にあるという見方もできるという)

◆人災を防げなかった構造的欠陥
 こうした警告に適切な手が打たれていれば、今回のような大津波でも原発はここまで深刻なことにならなかったかもしれない。そういう意味で、この事故を「人災」というのは当然だと思う。
 しかし、ここで問題なのは「指摘されていたのになぜ、手が打てなかったのか」ということである。私はそこにこそ、日本の原子力行政が抱えた構造的問題があるように思う。

 それは一口で言えば、戦後の日本人の思考を規定して来たとも言うべき「科学技術への過信、盲信」、「経済性優先主義」、「問題先送りのその場しのぎ」の原子力版。かなり根源的な問題でもある。それが原子力では具体的にどういうことなのか、長くなりそうなので次回に書きたい。
 原子炉事故を見守りつつ(同時にそれが何とか無事に終息するよう祈りつつ)、遅かれ早かれ私たち日本人は、今回の事故の原因を徹底的に洗い出し、問われていることを明らかにしなければならない。そういうわけで、この辺で一度自分の考えを整理しておきたいと思う。

国家の危機は政治家を映す鏡 11.4.2

(4月2日11時発信)
◆難航する作業手順
 福島原発は、炉内の温度を100度未満にする「冷温停止」に向けて一進一退の作業が続いている。電源を復旧し、炉心冷却用の循環系(ポンプなど)を修理交換して炉心を安定的に冷やして行く。その手順の方向性は見えているのだが、その前に次々と難問が立ちはだかる。

 圧力容器や格納容器に何らかの損傷があり、そこから大量の高濃度放射能に汚染された水が建屋の地下や溝に流れ出している。これを処理して排水しなければ、本来の作業手順に移れない。また建屋内の放射線量が高く作業がはかどらない。
 作業が遅れると不安定のまま応急的に続けている炉心の状態にも影響してくる。まさに難しい局面だが、何とか時間を稼ぎながら汚染水を排水する方法を考えているのだろう。ただし、時間の経過とともに放射能が漏れ出て周辺の環境を汚染するので、余り時間の余裕はない筈だ。

◆トップが明快にメッセージを発する
 日本のこうしたモタついた状態を、米仏など、世界の原子力先進国は危惧している。これ以上世界に原子力の危険性を見せられてはたまらないということだろうが、ここへ来て米仏が原子力の専門家を派遣するようになった。ようやく本格的な支援体制が見えて来たと言う意味で、心強いと言えば心強い。

 31日には政界最大のフランス原子力企業「アルバ」のCEO(ローベルジョン女史)が来日して海江田経産相と会談。「アルバ」はスリーマイル島やチェルノブイリでの事故処理にも経験のある会社だが、海江田が例によってモゴモゴしゃべっているのに対し、CEOの言うことが明快だった。
 「私たちは(福島原発事故を)自分たちの問題ととらえている」「(全面的に協力するので)我々の社員を大臣の従業員と思って使ってほしい」。こういう非常時だからこそ、(日産のゴーン社長と同様に明確な姿勢を示す企業トップの発信力が心強く響く。

 比べて日本のトップ、リーダーたちは、この重大な危機にメッセージ力が極めて弱い。政治家で言えば菅首相、原発担当の海江田経産相、北沢防衛相。司令塔の影が薄く、メッセージが国民の心に響いてこない。
 企業で言えば東電の清水社長や事故担当の副社長。別に大声で話せとは言わないが、ぼそぼそと話して元気はないし、何を言っているかも良く分からない。
 唯一、枝野官房長官が機能している(彼がいなかったらと思うとぞっとする)が、彼は残念ながらスポークスマンであって、トップではない。

◆非常時のリーダー論
 こうした不満がたまっているせいか、今、巷では「非常時の宰相論」がかまびすしい(毎日「記者の目」、朝日「政治考」)。何故今のような国家の一大事に、日本には力を発揮するリーダーがいないのか。「命がけで頑張る」と言っている菅で大丈夫なのか。誰だったら任せられるのか、などなど。
 以下はそうした風潮に乗って昨日、友人と交わした話。もちろん「自分を棚に上げての話であることをお断りして」書いておきたい。

 例えば明治維新の時。国家存亡の瀬戸際のような時に、命がけで困難に立ち向かう人々が百出したが、大功を立てた人たちは皆それまでに数々の逆境を乗り越えて来た人々だった。江戸城の無血開城に関った西郷隆盛、勝海舟、山岡鉄舟なども、それまで何度も島流し、謹慎蟄居などの挫折(加えて剣と禅の修行)を繰り返している。
 あるいは、終戦の聖断に関った鈴木貫太郎。2.26事件で瀕死の重傷を負って奇跡的に息を吹き返した。そういう経験の中から自分の命など度外視して国家に尽くす人物が育っていったのだろう。

 また、戦国大名は闘いに敗れたりつまずいたりして苦労した浪人や曲者(角のある人物)を再び家来に取り立てることが多かった。一度も敗北や挫折を経験していなければ用いるに心もとないと見ていたという(「葉隠れ」)。
 それに比べて、平和な日本ではそういう挫折を繰り返す異端児を次々と排除して来た。だから企業のトップも政治家も挫折知らずのエリートばかり。線の細い人物ばかりになってしまったのではないか、と言うのが友人の説である。
 大前研一氏の話などでも、東電では原発に危機感を持った異端児が次々と排除されイエスマンばかりが出世して来たらしい。

◆国家の危機は人物を映す鏡
 生命の危機や挫折の経験が非常時のリーダーを作る。これが正しいかどうかは分からないが、一つだけ正しいことがあるような気がする。それは、こうした国家の危機にこそ、その人物(政治家)の人物や能力がはっきりと見えてくるということである。

 このことは例えば、今の状況に自民党の個々の政治家(谷垣、石破、石原など)を置いて想像して見れば分かる。あるいは民主党の政治家(小沢、前原、岡田など)を置いて見ればはっきりする。みんな「非常時の宰相」ではないことが明瞭に見えて来はしないか。ビジョンを明確に伝えられないか、しゃべれても言葉が軽過ぎるか、だ。
 これはつまり、国家の危機は「政治家の人物、能力を映しだす鏡」だと言うことである。この鏡に照らしても頼もしいリーダーであり、この危機に対して勇躍、立ちむかってくれる人物はどこにいるのだろうか。

◆3.11以後、日本の難局は続く
 幸いに福島原発事故が安定的に抑え込めたとしても(これがすべての前提)、これからの日本は実に様々な難局と闘い続けることになる。近々その課題の数々をまとめたいと思っているが、その膨大さを想うと、この先、日本のリーダーは今のままでいいのか、政治が今のままで果たしてこの難局に立ち向かえるのかと考え込んでしまう。

 しかし、3.11以後の状況は、必ずや日本の政治や国民の生き方、考え方を変えるだろうし、状況が人を作ると言うこともある。いまの国のリーダーたちには、国家の浮沈を担う気構えと不屈の精神を期待したいし、政治家たちには(これまで惰性の政治から)目覚めてくれることにも期待したい。(自分を棚に上げて言う立場としては)それをただ祈りたい気持ち。