6月4日に放送されたNHKスペシャル「原発危機 事故はなぜ深刻化したのか」は事故後数日の危機的状況と後手に回る対応を時系列的に追った番組だった。そこで浮き彫りになったのは、国も東電も普段から安全神話にあぐらをかいて、「過酷事故」時における対策を全く怠っていたことである(原発事故はなぜ「人災」なのか(2))。電源車もポンプ車もない。急きょかき集めてもケーブルが足りない、接続が合わない、などで大混乱。その間に原子炉内の冷却水がどんどん失われて行く。
◆薄氷を踏むような状況
手をこまねいているうちに事態は最悪の道筋をたどり始める。12日に1号機、14日に3号機が水素爆発。さらに14日になって2号機の弁の解放が上手くいかなくなった。2号機でも水素爆発が起こるのは時間の問題になって、現場に深刻な雰囲気が漂う。
14日夜には現場責任者の吉田所長が作業員のところにやって来て、「皆さん今までいろいろありがとう。努力したけど状況はあまり良くない。皆さんがここから出ることは止めません」と言うまで追い詰められた。まるで原発は沈みゆく巨大な船のよう。その夜社員70人を残して200人以上が現場を離れたという。
その後、2号機、4号機が水素爆発。爆発によって2号機では格納容器にまで損傷が起きた。だが、4号機では爆発で屋根が壊れたために、ポンプ車で冷却水を入れられるようになったのは大不幸中の僅かな救いだった。(これが出来ずに燃料が溶け出せば大惨事の可能性も)
しかも、最近になって、4号炉建屋内プールの燃料集合体の溶融が心配されたのに、何故かそうならなかった理由も分かって来た。たまたま隣にあった別のプールの壁が地震でずれ、大量の水が使用済み燃料プールに流れ込んだためという。まさに間一髪の偶然だった。
◆日本は破滅の一歩手前まで行っていた ドロドロになった1機100トンの核燃料が莫大な熱量で圧力容器も格納容器も溶かすメルトダウンとメルトスルー。最悪の状態に陥りながら、福島原発が何とか今の状態で持ちこたえているのは、現場の必死の努力と幾つかの偶然の結果である。だが一方で、福島の原子炉が一時期、制御不能に陥る寸前にあったことは紛れもない事実。 しかも、一つの原子炉がお手上げになれば、(人が近づけないので)他の原子炉群も最悪のケースをたどらざるを得なくなる。いま、多くの国民が放射能汚染に不安を感じているが、この事故で外部に放出された放射能の量はまだ福島原発全体の1%に過ぎない。
その何十倍もの放射能が放出されたら、首都圏も含めて東日本は壊滅、放射能による死傷者もかなりの数に上っただろう(この辺は依然として正確なことが分からないが、ネット上の浜岡原発事故のシミュレーションなども参考に)。全電源喪失から数日間、日本は地獄の淵を覗いていたのである。
しかし当時、どれだけ多くの国民が事態の深刻さを認識していただろうか。その被害がいかに甚大なものなのか、どれだけの人が皮膚感覚としてとらえることが出来ただろうか。多くの国民は、いまだにこうした真実を知らされることのないまま、政府や東電、メディアが流す「安心の空手形」に目をふさがれて来たのではないか。
◆国際会議でいい顔するために
そして、同じことがまた繰り返されようとしている。第三者による福島原発事故の検証がまだ殆ど始まってもいないのに、国は「追加の安全策が確認された」という理由で、定期検査終了後の原発の再稼働を決めた。
海江田が挙げた理由は、20日のIAEA閣僚会議出席に間に合わせるためのアリバイ作りに過ぎない。その追加安全策というのがまたお粗末。福島で見えて来た欠陥の応急対策ばかりで、新しい安全思想のかけらもない。再稼働させたい官僚の作文であることがミエミエで、こんなもので再び国民を騙せると考えているのだろうか。
新聞によれば、会議に出席する海江田が官僚に脅されて再稼働を焦ったというが、それで政治家と言えるのか。案の定、再稼働要請は多くの自治体首長から反発を食らっている。 「福島の事故の解明もできていないうちにそのようなことを言っても、論評に値しない」(新潟県知事)など、知事の間に原発依存を見直す発言が相次いでいる。当然である。それなのに最初は海江田発言に距離を置こうとした菅まで再稼働を言い始めている。よほど原子力ファミリー(政治家、官僚、産業界、メディア、学者)の包囲網は強力なのだろう。
◆原子力はなくてもOK
彼ら原子力ファミリーは政治家や一部メディアを通じて盛んに「原子力なくしてこの夏が乗り切れるのか、経済はどうなる?」と脅している。「原子力がなくなったら大変なことになる。恐ろしいことが起きる」というわけだが、それも長年の間に国民の間に刷り込まれた「思い込み」の一つに過ぎない。
日本は今すぐ原子力をやめても恐ろしいことは何も起こらない。そのことを示す有名なグラフが右(藤田祐幸 元慶応大教授作成)。
これまで電力会社が言って来た「日本の発電量の3割は原子力」というのは実はまやかしで、簡単に止めたり動かしたりできない原子力をフル稼働させるための論理。その調整に使っている火力(天然ガス)と水力は発電能力の半分も稼働させていないのだ。
反対にこれらをフル稼働させた時のグラフが右で、これを見ると日本の最大消費電力は火力と水力で十分間に合っている。しかも、日本の電力使用量は2001年をピークに増えておらず、原子力は全体からすれば余計者なのである。(それをやらない理由について、詳しくは朝日ジャーナルの廣瀬隆論文)
従って、日本全体で見れば、脱原発はすぐにも可能なのである。
◆それでも心配な人には
それでも、これは日本全体の平均の話で、日本の場合、東日本と西日本で(サイクルが違うので)電力の融通が効かないし、関西電力は原子力の割合が高い(約5割)から、電力会社単位で見ると上手くいかない。という反論もあるだろう。 これについては、例えば新しく送電会社を作って、北海道から九州まで一本の「直流送電線」を引けば簡単に解決できる(JST北澤理事長)。これで電力の融通は日本中どこでも可能、費用は250億円で済むという試算まである。
おまけに直流送電は交流送電に比べてロスが少ないメリットもあるらしい。そのためにこそ、今問題になっている「発電・送電分離」が必要ということになる。要はやれば今でも出来るということである。
一方、そうすると火力発電からでる二酸化炭素が増え、地球温暖化が進むではないか、という心配があるかもしれない。私自身は、まずは「脱原発」。地震国日本から将来にわたって放射能汚染の不安を取り除くことが最優先と考える。その上で、急ピッチで再生可能エネルギー(自然エネルギー)を取り込んでいけばいい。そして実はこれが本命となるに違いない。 実は、これこそもう動かしがたい世界の潮流になって来ている。価格も技術も革命的に進化して行く。世界が驀進し始めたと言ってもいい状態。再生可能エネルギーと脱原発のシナリオについては、次回に詳しく見て行きたいが、いずれにしても「日本の脱原発はもう始まっている」のである。
◆脱原発はもう始まっている
今日本の原子炉は54機中、稼働しているのは19機に過ぎない。残りの35機は今回の地震で止まっているか、定期検査で止まっている。その再稼働は福島がこんな状態では、地元の反対で上手くいかないだろう。
しかも、残りの19機も後1,2年ですべて定期検査に入る。再稼働がなければ日本の原子炉は後1,2年ですべて止まることになる。それでも、きめ細かい節電計画を実施して行けば何の問題もないはずだ。
さらには、日本の多くの原発はあと10年~20年で寿命を迎える。代わりに新たな原子炉を建設する可能性はゼロだろう。とすると、遠からず日本の原子力は終焉を迎える。このことを直視して、原子力に変わる安全なエネルギーをヨーロッパや中国に負けない資本投下で、日本も導入すべきなのである(いまや中国は再生可能エネルギーの世界最大の投資国)。
◆脱原発社会と低炭素社会の両立を 「自然エネルギーは微々たるもので頼りにならない。不安定すぎる」というのも作られた「思い込み」に過ぎない。すでに2009年、世界全体では再生可能エネルギーが原子力を超えており、こうした思い込みを乗り越える新しい技術システムや構想も出て来ている。 次回は、エネルギー選択の未来像と、その時国民が選択する価値観について書いて見たいが、いずれにしても脱原発しながら、しかも低炭素社会をめざすのが次の「国のかたち」。それを決めて行くのは私たち自身になるだろう。
ということで、まもなく原子力は維持するのにものすごく金のかかる「産業遺産」になって行くだろう。長期にわたる使用済み燃料の処理、保管は厄介な問題だが、原子炉が制御不能になる破滅的な危険に比べれば、まだリスクは少なくて済む。
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