「一つのコラムが長すぎる」と言う指摘もあって、今回はごく短く、身近な話題を書いておきたい。これから「日々のコラム」で考えて行く予定のテーマ、「誰のために会社を経営するのか」と「TPPをめぐる2つの価値観」のための予告編として。
◆シャッター通りの商店街
会社の後輩がイベントで群馬県の前橋市に行ったら、駅前が余りに閑散としていたのでびっくりしたと言っていた。県庁所在地の体(てい)をなしていないくらい、景観が寂しいらしい。私の故郷の商店街なども歯が抜けたようだが、東京からちょっと足を伸ばした千葉県の地方都市でも同様だった。
昨日の日曜日、息子が土地を買うと言うので夫婦で東京から電車で1時間半ばかりの地方都市を訪ねた。駅から歩いて6,7分の距離と言うのはまあまあだが、周囲の環境を見ようと駅近くの商店街を歩いて見ると、ここもご多聞にもれずシャッター通りが続いている。閑散とした街並みである。
駅前にセブンイレブンはあったが、生鮮食品などはどこで買うのだろう。商店街の中に一軒だけ、しゃれた喫茶店が開いていて、中に入ると何枚もの本物の絵画が掛けられていたのが救いだったけど、今、地方の商店街を維持していくにも若い人がいなくなって、コミュニティそのもが成り立たないところが多いらしい。
◆一味違う北千住
帰路、旅行会社に旅行の相談をするために足立区北千住に立ち寄った。こちらの商店街は駅から少し離れた街道筋にあるが、いまでも様々な種類の店が並んでいて人通りもにぎやか、活気に満ちている。
なぜかスーパーの大型店舗(と言ってもそれほど大きくもない)が一つしかない。それが良かったのだろう。総菜屋、和菓子屋、お茶屋、お好み焼屋、呉服店、洋品店、糸屋、床屋などなど。こうした商売によってどの位の人々が生計を立てることが出来ているかを考えると、こうした商店街が地域コミュニティにとっていかに大事か分かる。
商店街全体でどの位の売り上げになるのかは分からないが、多分都市郊外などに作られた大規模スーパー1個分にも及ばないかもしれない。しかし、ここには様々な人々が住み、様々な職種があり、地域の様々な生活がある。昔の商店街は皆こうだったのかと、いつもその多様さ、たくましさに心弾む思いがする。
この商店街は昔の宿場町で、通りを歩くと昔の様子などを描いた看板などもあって楽しい。いわゆる町おこしに力を入れて来た人々がいるらしいが、このご時世、街の活気を保って来た裏には、大変な苦労があったのではないかと思う。
◆娘の退職
その夜は北千住で久しぶりに娘と待ち合わせて、親子3人で食事。もう5年前になるが、娘のことは「若者よ団結せよ!」(日々のコラム)で書いた。今の日本で少しはブランド名の通ったアパレル産業に勤めている。この中で、私は様々なチェーン店などで働く若者たちのきびきびした働きぶりを取りあげ、「勝ち組などと言われている今の経営者は若い世代の懸命な仕事ぶりに報いているのか」、と書いた。
あれから5年、娘はデパートの中のブティックの店員から店長へ、そして新しく日本橋にオープンした店の店長を任された。店の飾りつけ(ディスプレーと言うのだそうだ)から商品の品揃えや展示など、すべて任されて売り上げも目標の5割増しを続けているという。
その彼女が入社6年にしてついに会社を辞めると言うので、それを話題にしながらの食事である。今や30歳を目の前にしてこのままの生活を続けていたら結婚もできないし、仮に結婚しても子どもも持てない、辞めて派遣の口を探すと言う。
何しろ、毎日夜中の12時半過ぎの終電で帰る日々である。店が終わってからミーティングをして、明日の品揃えを確認し、店の飾り直しをしてから帰宅する。間に合わなければ近くの駅からタクシーか、店近くの「東横イン」に泊まる。
会社からはタクシー代も宿泊代も出ない。時間外も一定時間で切られていてサービス労働が続いている。
休日も、都心で様々な店の飾りつけなどを見て歩き、店の飾り付けから商品の備えまですべて任されているのだが、これでは幾ら本社に期待されようが、先の人生の見通しが立たないということをようやく悟ったらしい。女性社員の先輩たちも一生独身で行くか、結婚しても子どもを持てない状況だそうだ。
カミさんは入社以来ずっと、「こんな生活をしていたら身体を壊してしまう」と心配していたので、彼女が辞めるのには大賛成。しかし、私の方はむしろこういう風に専門能力を高めながら努力している若い世代を使い捨てにする会社の経営者に憤っている。
社長や幹部たちは、従業員の人生と言うものをどのように考えているのだろうか。テレビでも従業員のやる気を引き出す名経営者が良く紹介されるが、その会社で懸命に働く若者たちは自分たちの人生の将来設計、人間らしい毎日の生活が出来ているのだろうか。
◆「グローバルな経済」という見えざる手
2つの身近な話題を書いたが、これはある意味で、今の日本の縮図でもある。派遣社員が全労働者の三分の一にもなる日本。あるいは、TPPを要求しながら、春闘でも、内需拡大につながる給与分配を考えず、輸出競争にばかりに目が向いている大企業経営者たち。
そして国際的な圧力の結果、10年前に廃止された大店法(大型小売店舗立地法)によって様相が一変した日本の地域商店街。私たちの身近に起きているこれらの現象の背景には何か共通の力が働いているのではないか。そこに(アメリカが自国の利益のためにおし進めて来た)グローバル化した経済システムの見えざる手を感じるのは私だけではないだろう。
そう考えると、こうした動きを後押しして来た、現代の経営者たち、政治家たちも(そしてマスコミも)、グローバルな経済システムという一つの見えざる手の中で、ただ歯車のように動かされて来ただけではなかったのか。
◆ぶつかる2つの価値観
多分、菅首相が「第3の開国」と言って政治生命をかけようとしているTPPでもこれと同じようなことが起こるのでないか。そして、グローバルな経済システムと、こうした身近に起きている現象の関連を巡って今、2つの価値観がぶつかり始めているのではないかと思う。
例えばTPPについても、マスメディアは開国するために農業を如何に納得させるか、納得させられるのか、という観点でしか論じていない感じだが、注意深く読んで行くと、識者の間では、もっと大きな「2つの価値観」を巡って激しい論戦が始まろうとしているように見える。
「このままでは日本は世界から取り残されてしまう」という意見と、「それで日本の大事なものは守れるか、私たちの生活は良くなるのか」と言う意見。それぞれの意見が誰の利益を代表しているのか、その根底にどんな価値観があるのか。それらの特質を、私はまだはっきり掴めていないのだが、これから「日々のコラム」でそのおぼろげながら見えて来たものを書いて行きたい。
さしあたって、冒頭に書いたように身近な現象を通して、「誰のために会社を経営するのか」と「TPPをめぐる2つの価値観」の二つテーマになりそうだが、どうもこの二つも互いに関連しているような気がする。
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