日々のコラム コラム一覧

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

原発事故・危機管理体制の情報を(2) 11.3.29

(29日10時追加発信)
 前回、この原発事故と闘う「危機管理体制」をもっと取材し、検証して報道して欲しい、と書いた。その一つに関連する情報が、今朝の毎日に出ている。「作業員 厳しい環境。粗食1日2回、下着替えなく」という記事である。

◆過酷な作業環境
 福島第一原発の現場には400人の作業員が「免震重要棟」という建物で寝起きしているという。しかし、その作業環境がひどい。食事は1日2回、朝にビスケット30枚程度と小さな野菜ジュース1本、夜は非常用のレトルトご飯と缶詰1つ。会議室や廊下、トイレの前などに毛布にくるまり雑魚寝している状態だと言う。風呂はおろか下着も変えられない。

 これが、ようやく最近になって新聞が取材した現場環境の現状なのである。日本の命運を握る最前線の人々がこのような過酷な状況におかれている。現場に駐在する原子力保安院の検査官は「職場環境の改善なども国が協力できる限りして行きたい」と言っているが、こういうことは東電、国の上層部は知っているのだろうか。それに対して何かしようとは考えないのだろうか。

◆全員が当事者意識を持って最大限の努力を
 震災後18日にもなってこの状態が続いているのを見ると、原発事故の処理に当たる関係機関が、自分たちが出来ることを最大限やるという気構えではなく、結局は東電任せ、よくある「相手任せ」になっていないかと心配になる。
 国会で事故の行方について「神のみぞ知る」と答えた所管の副大臣(池田)や、記者会見で高濃度汚染水への対応を聞かれて「安全委ではそれだけの知識を持ち合わせていない」と答えた原子力安全委員長(班目)が問題になっているが、当事者意識が薄いとしか思えない。

 だからこそ、メディアにはこうしたことを取材し、国・官邸、関係機関、東電中枢の当事者意識をかきたてる情報を報道してもらいたいのである。彼らの当事者意識のねじを巻いて欲しいのである。その人々が最大限の努力をしない限り、この事態は改善されないと思うからだ。

◆過酷な現場で働いている人々を応援してほしい
 日本のメディアは、東電を応援するような記事を書きたがらないが、現場で懸命に作業しているのは、今回の「人災」には責任のない、協力会社の人々も含めた人々なのである(人災については、原発事故の抑え込みが安定期に入ったらしっかりやるべきだと思うが)。
 取りあえず、メディアは(海外のメディアが既に随分とやっているように)
作業員の勇気ある作業に国民の注目が集まるようにしてほしい
 
 同時に、現場作業員の人数、協力会社などの構成、交代制度、被曝量管理などの情報もしっかり伝えてほしい。そうすれば、頑張っている作業員の作業環境を改善して長期戦に備えるような手当も進むのではないかと思う。


 ずっと書いているが、作業員のことだけでなく、すべての関係機関について「危機管理体制」が十分なのかを検証し、それぞれが当事者意識を持ち、福島の現場をあらゆる手段でバックアップする体制が進むような報道をお願いしたい。

(16時追加)
 北沢防衛相は29日午前の記者会見で、東京電力福島第1原発のタービン建屋にたまっている(極めて高い)放射線を帯びた汚染水の処理について「一義的には東電中心だが、どうしても自衛隊の力が必要だという合理的な理由があれば積極的に対応する」と述べ、自衛隊の投入も検討する考えを示したと言う。
 やはり東電任せ。要請があるまで準備しないのだろうか。そんな悠長なことを言っている場合だろうか。(国民の生命がかかっているというのに)「合理的な理由」とは何なのだろうか。この間、原発事故担当の海江田大臣はどう動いているのだろう。

原発事故・危機管理体制の情報を 11.3.27

(27日11時発信)
 誰が書いてくれているのか分からないが、「ウィキペディア」の「福島第一原子力発電所事故」にはすでにかなり詳細な事故の経過、現状が記録されている。まさに、データが逐次集積されていくネットならではの情報源になりつつある。

 現在、ここでは1号機から4号機までが「深刻であり、緊急の対応が必要」な状態とされているが、この抑え込みには少なくとも1カ月はかかるだろうと専門家はみているという(朝日25日)。

◆長期戦になる原子炉抑え込み
 この間、4つの原子炉では莫大な熱量と放射能を持つ燃料棒の崩壊を何とか抑え込むための、一進一退の懸命な作業が続くことになる。まず電源系を回復する。そしてポンプ類が動くのかどうかを点検、交換したり修復したりして圧力容器の中に水を満たし、循環させて冷やさなければならない。
 同時に、4つの原子炉内に貯蔵されている2700本(4号機が一番多くて1300本)に上る使用済み燃料棒が入った、それぞれのプールにも水を満たして冷やす。

 しかし、水素爆発で格納容器の一部が損傷(2号機)した上、水を循環させるパイプ類も損傷している可能性が高い(3号機など)ので、これをどう扱いながら水で冷やして行くのか、困難な作業手順が必要になるだろう。

 私も国内外の原発に何度か撮影のために入っているが、原子力発電所は巨大で複雑なシステムである。その複雑なシステムのうち、今はまず、何とか水の循環・冷却系のシステムだけでも回復させ、原子炉を「冷温停止」状態に抑え込んでいかなければならない。
 作業員には、それまで高レベル放射線の危険な環境で働いてもらわなければならないが、(多少の放射能漏れは覚悟するとして)これ以上の大量の放射能漏れに至ることなく、何とか「冷温停止」状態に持ち込めるように祈りたい。

 さらに福島第一原発は、「冷温停止」が出来た後も、(大前研一氏の話にあるように、損傷してぼろぼろになっている燃料棒が取り出せるようになるまで)3年から5年はこの状態を維持して行かなければならない。その間は、ある程度の放射能もれも覚悟しなければならない。http://www.youtube.com/watch?v=8GqwgVy9iN0
 放射能との長い闘いが続くが、いずれにしても今は緊急の時。何度も書いたように、東電だけでなく日本全体の総力を挙げて、この原子炉抑え込みに取り組むべき時なのである。

◆いま欲しい情報とは
 急を要する原子炉抑え込みの作業が(1カ月以上の)長期戦であり、如何に困難かを書いたのは他でもない。この事態を乗り切るためには「内外の英知を集めた高度な専門知識、果断なリーダーシップ、国を挙げての機材や作業員の動員、国民への冷静で分かりやすい説明」が絶対に必要だと言いたいためである。

 同時に、このような状況認識を踏まえた上でいうと、私は(ずっと書いて来たが)ある種の情報がマスメディアに載らないのを不思議に思って来た。それは、一言で言えば、今の日本の責任者たちは大丈夫なのか、どの程度の覚悟を持ってこれに応えようとしているのか。つまり、政府・官邸、東電の体制は原子炉との戦いに対して組織、要員、リソース含めて十分機能出来ているのか、という「危機管理体制」に関する検証情報である。具体的には例えば以下のような情報である。

@ 明確な指揮命令系統
 官邸、原子力保安院、東電本社、現地災害対策本部の指揮命令系統はどうなっているのか、連携はうまくいっているのか。それぞれ誰が責任者でどういう役割分担なのか。どこが一番の判断機能なのか。そこに周知が集まる体制になっているのか。

A 政府・官邸の機能
 菅首相を始めとして誰がどのように指揮をとっているのか。各省庁の連携、東電に対するバックアップについては、誰が責任者なのか。また、政府と外国とは誰がどのように連携しようとしているのか。

B 原子力保安院の役割
 単に東電からの報告を受けて発表したり、作業員の安全管理を指導したりしているだけのように見える(大前に言わせれば原子力の専門家でない)が、例えば、国内の専門家の意見集約や、海外からの専門家の招請などはやっているのだろうか。

C 肝心の東電
 東電の中枢機能(頭脳と判断機能)は長期戦に備えて十分確保されているのか。リーダーたち、現場責任者たちは疲れ切っていないか。今何を必要としているのか。それへの支援は十分か。
  例えば、必要な作業要員の確保、部品や特殊機材の調達、国内外からの応援などは大丈夫か、誰が指揮しているのか。

 今は、こうした「危機管理体制の観点からの検証情報」が極めて少ない上に、遅れている。その中で何故かリーダー(菅首相も東電の清水社長も、原発事故対策担当の海江田も)の覚悟が伝わらず、頼りない。国民に疑心暗鬼が広まって、週刊誌などでは彼らリーダーの資質について様々な憶測まで流れている。
 本来こういう時は非常時の果断なリーダーが必要なのだが、ダメなら駄目で、彼らを支える強力な補佐役、参謀が必要になる。その人材がいるのか。(枝野の体力を維持する上でその補佐役も必要だろう)

 いずれにしても、国民の疑心暗鬼がある程度解消上される上でも、また国民が一体感を持つためにも、上述したような危機管理体制に関する情報がもっとしっかり伝えられる必要があると思うのだ。(今朝の毎日は、遅ればせながら官邸の強化について書いているが)

◆危機管理体制を検証しつつ、叱咤激励してほしい
 24日に起きた、作業員の被ばく事故などから推測すると、東電の現場も人手が足りずに大変なのだろうと思う。それを(海江田のように)単に批判して安全管理を徹底せよと上から指示するのは簡単だが、それが出来るように国も支援策を考えなければ、肝心の原子炉抑え込みが遅れることになる。
 マスメディアもここぞとばかり東電批判をするが、(一方で政府の支援策も問わないと)私はこれによる影響(復旧の遅れ)の方を心配するのである。

 もちろん、放射線被ばく問題、野菜や飲料水の放射能汚染(*)についての情報、また今、原子炉の中で何が起きているのかといった報道は重要。だが、その一方で、私たちの日本は何としてでもこの原子炉抑え込みを成し遂げなければならない運命共同体なのだから、マスメディアも当事者の一員であるという意識を持って、過酷な現場で戦っている人々を応援してほしい。

 同時に、(長期にわたる)原子炉抑え込みの困難さを十分認識した上で、今必要なことを政府、東電、関係機関は十分やれているのか、そのためのバックアップ体制は十分なのか。このことを常に検証し、問い続けてほしい。それが、政府、官邸、東電などの関係機関を叱咤激励することになり、当事者たち一人一人の責任と自覚を促すことにもなると思うからである。

*)ICRPが作った放射線の基準値は、基本的に自然から受ける放射線に加わる人工の放射線量を出来るだけ少なくした方がいいという厳しい考え方で出来ている。原子炉から漏れ出る放射能については、もちろん専門家に任せることだが、今回の原子炉事故の潜在的危険性から考えると、(極限状態における、目の前の生活を確保するという利益と将来のがんの罹患率を比較するような)基準値に対する考え方が再検討されるべき時が来るかもしれない。そう言う時が来ないことを祈るが、これについては別途。

巨大地震・想像力のある人、欠如している人 11.3.20

(地震後9日、20日14時発信) *追加発信(21日19時)
 福島原発事故がこれからどうなるのか、最悪の場合どのような被害が想定されるのか、については誰しも関心があるところだと思う。しかし、こうした情報については、これまでマスメディアでは殆ど流されて来なかったと思う。(実験中の原子炉暴走事故で火災が続き、広島原爆の400〜500倍の放射性物質が炎とともに舞い上がってまき散らされた、チェルノブイリ原発事故のようにはならない、という指摘は早くからあったが)

◆最悪のケースでの被害想定の難しさ
 19日、日本学術会議が開いた緊急集会「今、われわれにできることは何か?の内容報告を友人が知らせてくれたが、そこでは、最悪のケースの影響評価を国民に知らせるべきではないかと言う議論があったようだ。(サイエンスポータル
 だが、この影響評価は出し方が非常に難しい。初期の大事故の可能性が濃い段階での最悪の被害想定と、状況が少しずつ落ち着いて来た段階での最悪の被害想定とでは大きく違うからであり、その都度国民は情報にほんろうされることになるからだ。

 議論に出た最悪のケースとは、「水素爆発による格納容器の大規模な破壊が起きる」、「使用済み燃料プールへの水の補給に失敗する」の2つだが、今朝のTBS「サンデーモーニング」では(この2つとも起こりにくいとしたうえで)現時点の状態を踏まえた影響評価を東工大の原子力専門家がしていた。
 多少の放射能漏れはあるかもしれないが、後1、2年冷やし続けて行けば大量の放射能漏れが起こる確率は低いということである。
 (政府もまだ予断を許さないと言っているが)これは、消防庁、防衛省などの海水投入と現場技術者たちの電源復旧などの懸命な作業によって、原子炉の安定的管理の可能性が徐々に高まりつつあるということで、彼らの努力に心から感謝したい。

◆普段からの情報提供の必要性
 ただし、これは今後の研究課題なのだが、始めから今回の原発災害がどれだけ大変なものなのか、出来れば国民と危機感を共有しながら関係機関が災害対策に当たれるというのが最善ではないか。
 そのためには、事故が起きる前から、国民が原発に不測のことが起きた時に、どのような潜在的危険があるのかを予め知らされている必要がある。
 その知識を普段から国民が共有していれば、最初から被害想定を国がきちんと管理しながら情報を提供していくことが出来る。そう言う危機意識の共有があれば、国(政府)ももっと早くに行動することが出来ただろう。

 その努力がなく「原子力は安全だ」という刷り込みだけでは、国民はパニックに陥るだけ。そういう現状を踏まえれば、今回の政府の情報の出し方は抑制的で、その都度に必要なものを正確に伝えるという点で、評価すべきだとは思う。しかし、今後は「原子力の潜在的危険の可能性」について、事前に国民への情報提供、教育をしっかりしていくべきだと思う。(もっともこれからは原発反対運動が高まると思うが)

◆平和ボケ、想像力の欠如
 それにしても、官房長官の記者会見などで見せる一部の記者の「想像力の欠如」には驚く。昨日午後5時の会見では一人の新聞記者が「菅が昨日、このまま行ったら東日本はつぶれる、と言ったそうだが、その真意を聞かせてほしい」と詰め寄った。
 枝野は「これは経済も含めて総理の危機意識の表れで、そう言うことが起こらないように全力で取り組むことだと理解している」とかわしたのだが、記者はなおも「こういう不安をかきたてることを首相が言うのはけしからん、訂正すべきではないか」、「こういうことを言うから都会での買いだめなどがおきるのだ」とまた責める。

 この問答を聞いていて、この記者は、政府に「何も心配なことは起こりませんよ」と言ってもらいたいのか(そんなことは言えるはずがない)と、奇妙な感じがした。原発事故の当初から日本が様々な危険の可能性を抱えていることは誰も分かっているのではないか。
 英国の科学者、米原子力規制委員会(NRC)など、現時点でも様々な評価があって正確なことは分からないが、そうした危機に直面している(いた)ことは感覚的に感じているのではないか。

 こうしたことも踏まえずに記者は、ただ日本が安心だと言うことを信じたがっているのだろうか。記者の職にある人々が、これから日本に何が起きようとしているのか、どういう可能性があるのか、様々なルートから情報を集めようともしないでただ政府からの情報にのみ頼ろうとする。これはまさに日本の「平和ボケ、想像力の欠如」現象の表れなのではないか。
 事故当初、政府の原子炉からの避難指示の拡大に関して、自民党幹部が「民主党はいたずらに国民の不安をあおるようなことをしている」と非難していたが、これも同類。日本に決定的に原子炉災害教育が足りないことから来る現象だろう。(与野党含めて)政治家にさえも「想像力の欠如」が見られるのが情けない。

◆想像力ある人々、ユニクロ社長に感銘
 こうした平和ボケ、想像力の欠如は今の段階でも一部に蔓延している。鉄道規制であふれ返っている駅に来て初めて「こんなにすごいとは知らなかった」と言って途方に暮れている人々。あるいは、余震や鉄道の乱れが続いているにも関らず、乳母車で小さい子供を連れた若い母親たちが都心のブティックに洋服を買いに来る(娘の話)。

 その一方で、想像力のある人々は懸命に東北を支えようとしている。感動すべき話が沢山集まりつつある。中で一つ特に書いておきたいことがある。
 ユニクロの柳井氏が個人で10億円、グループ5社で3億円、世界の従業員有志から1億円の寄付。さらに支援物資として防寒衣料ヒートテック30万点を始め、肌着、ジーンズ、タオルなど7億円相当の寄贈をすることも決めたという。

◆国民の意識格差を埋める作業を
 様々な企業が動き出しているが、いま他の企業のトップは何をしているか。それぞれの企業が社会的世責務として自社で何が出来るか考えるべきではないか。普段政府にあれこれ要求ばかりしている経団連なども、ここで積極的に自分たちが出来る復興支援策を発表すべきではないか。
 東北、関東の人々の生活、復興は日本の総力を挙げて、全国民で支えなければならない。そうしなければやがてこの影響はジワリと日本経済全体、国民生活全体の首を絞めることにつながる筈なのだ。

 こうした想像力のある人たちと、その他の想像力の欠けた平和ボケの人々、この「国民意識の格差」を埋めていくことこそ、これからのマスメディアの働きどころでもある。

(21日19時 追加発信)
大前研一氏「福島原発の今後のステップ」
 福島原発事故については、昨日は(まだ予断は許さないが)原子炉の安定的管理の可能性が徐々に高まっていると書いた。だが、これはいわば初期消火のようなもので、何とかこれ以上の延焼拡大を食い止めるという作業をいま懸命にやっていると言うところだろうと思う。

 今は、地震後の電力系の停止によって次々と起きた異常事態に応急的に対処しながら、同時並行的に炉心や使用済み燃料貯蔵プールを冷やして安定した状態にする「冷温停止」の状態に持ちこむ作業を進めている段階だと思う。
 そのためには、電力の確保、ポンプなどの循環系の補修や交換、計器系の復活を進めなければならない。

 これが首尾よく成功したとして、その後、この福島原発がどうなるのか、どうしなければならないのか。そのことについての情報を大前研一氏の話をユーチューブで見ることが出来る。
http://www.youtube.com/watch?v=8GqwgVy9iN0

 これを見ると、福島原発はこの後も気の遠くなりそうな問題を一つ一つ解決していかなければならないと言うことになる。
 およそ1時間の話だが、特に「今後のステップ」(開始45分くらいから)を見ると「まだ予断を許さない」という意味が、具体的な実感を伴って迫って来る。やはり、私たちは知らない間に、とんでもないもの(原子力発電)を抱えていたということか。
 発言内容について判断できる立場にないが、関心のある方にご参考までにお知らせしたい。

原子炉事故・国と人の試練の時 11.3.18

(地震後1週間、18日16時)
 福島原発の原子炉に対する闘いが続いている。過酷な状況で原子炉事故と闘っている方々に心からエールを送りたい。

 地震直後、東電と国はどのように事態を認識していたのか分からないが、あの巨大な津波のつめ跡を見れば、国の監督官庁がまず心配するのは東北の原発群がどうなったか、今後どうなるかだろう。

 その時の様々な判断ミス、危機感の薄さ(全部廃炉にするのをためらうような)がその後の対応に響いているのだと思うが、いずれにしてもここへ来て、5日前に書いた東電への国の関係機関のバックアップ体制が少しずつ姿を見せている。大電力の確保、自衛隊と消防庁によるポンプ車による放水が始まっている。これによる事態の改善、好転を祈りたい。

◆統合対策本部の機能強化を
 今さら言っても仕方がないが、大電力の確保にしても、電源車、ポンプ車の確保にしてももっと早くに手配していればよかったと思う。しかし、一企業の東電や監督官庁の原子力保安院(経産省)からの要請(仮に東電がそのように発想したとして)では、なかなかことが迅速に進まなかったかもしれない。東電には他機関に救いを求めることに対して遠慮もあったのかもしれない。

 だからこそ、これは早期に国が全面的に乗り出し、その指揮のもと東電をバックアップする体制が必要なのである。指揮命令系統を一元化し、そのもとで様々な機関が統合本部(国と東電)の要請にこたえる。そういう体制作りが重要なのである。
 15日に作られた統合本部が、短期決戦と長期戦の両面にわたって機能するように、組織の充実強化に努めるべきである。とにかく東電は既に当然持っているだろうが、政府、国の関係機関にもこの未体験の難局に対して最大限の危機感を持って動いてもらいたい。

◆現地と緊密に連携する判断機能の確保を
 午後から始まった海水の放水作業もこうした指揮系統が機能する中で行われているものと思うが、一方、そこにはしっかりした判断機能が付随していなければならない。例えば、大電力の確保と放水のどちらを優先させるべきか、海水の大量投入によるリスクは何か。それは回避できるのか、など。高度な専門的判断が必要になる。
 各個に様々な対策が動く中でも冷静に全体を見渡し、(東電の専門家、国内の専門家、アメリカの専門家などのよる)しっかりした専門的判断が常に伴う体制を整備しなければならない。そうした頭脳部分も含めた統合本部(本部、現地)でなくてはならない。

 いずれにしても、原子炉対策については、すでに東電一社の能力を超えているものと思われる。従って政府は、もちろん東電を中心にしながらではあるが、指揮命令系統の明確化、専門家集団の確保、現場要員の確保、広報機能などの強化をしっかりと作っていかなければならない。それを逐次充実して行ってもらいたい。

◆顔の見える非常時の指揮官を
 そして、何より大事なのは司令官の顔が見えることである。菅首相は国家の非常時であることを十二分に認識して(いると思うが)、その危機感を持って関係者をねぎらい、鼓舞し、そして不退転で取り組む政府の姿勢を国民にしっかり示すことが重要である。
 今の時点で国民は政治家の少しでもパフォーマンス的な臭いが感じられる行動、危機感のない儀式的な談話(例えば昨日の北沢防衛相のような)などに最も違和感を感じる。政治家も含めてすべての関係者が国の命運を担う気構えで迅速に取り組んでほしい

 (新聞によると)岡田幹事長は三重県かどこかの知事選の応援に出かけるそうだが、そういうことが今は徒らに与野党のきしみを生むと言うことを理解しないのだろうか。今は挙国一致の行動が必要な時である。各党の雑音を排してこの難局に当たる時なのである。

 さらに、毎日テレビで危急を訴える避難民の救援である。日本ではヘリコで救援物資を投下することは出来ないという規則があるのだそうだ。場所が分かっているのだから、燃料は難しいにしても毛布や食料、水などは投下出来るのではないか。人命は規則に優先することをなぜリーダーが責任を取って決めないのか。

◆日本人と日本が試される時
 こういう時にこそ日本と言う国が試される。またこういう修羅場にこそ人間が問われる。修羅場には強いリーダーが自ずと頭角を現すものだというが、そういうリーダーの出現を期待したい。(枝野官房長官はよく役目を果たしていると思うが)
 口先ばかりでない、その種の人材がまだ日本にしっかりいることを示してほしい。(私などはからきしダメだが)私としては日本人の底力と可能性を信じたい。
 そして、マスメディアのジャーナリスト、キャスターたちにもお願いしたいが、こうした次元からも司令塔に当たる政府(場合によっては野党)を叱咤激励してほしいと思う。

 今は日本と日本人の戦後最大の試練の時。もちろん「メディアの風」などは、ごまめの歯ぎしりに過ぎないが、この日本の未曽有の難局に対して一市民の立場からその時々に感じたこと、考えたことを書いていきたい。

原子炉災害・国を挙げて取り組め 11.3.16

(16日12時 発信)
 まず、今回の超巨大地震に対処するために、あらゆる方面で頑張っている方々に心からの敬意を表したい。

 原発については、まだ間に合うのかどうか分からないが、日本は何があってもこれからこの困難な局面に対処していかなければならない。前回「最悪の事態を想定してあらゆる対策を」(3日前に)で、国は最大限の危機感を持って放射能封じ込めに取り組むべきで、そのために国内、海外のリソースをすべて動員して東電の作業をバックアップすべきだ、と書いた。

 今朝の朝日新聞は「福島第一制御困難」という一面トップに続いて、「危機管理後手」、政権・東電互いに不信首相、欠けた危機感、と書いている。しかし、原子炉に対する危機感が欠けていたのはマスメディアも同様ではなかったか。
 もちろんこの間の東電の対応には問題が沢山ある。使用済み燃料への水の補給などは当初から考えておくべきことだった。しかし、この原子炉事故が手がつけられなくなったら、(脅かすわけではないが)日本は大変なことになる。ここは互いに非難をしあっている場合でなく(それは処理が出来た後に、それこそ徹底的にやってもらいたい)、とにかく国の総力を挙げてこの難局に立ち向かうことが大事である。

◆もっとバックアップ体制の情報を
 例えば、原子炉の安全の基本は「止める、冷やす、封じ込める」だが、福島原発では津波で電源がやられ、ポンプも故障した。十分な電力がないために安全コントロール系統の作動も思うに行かない。冷やすための水の循環が上手くいかない。

 こういう時に、前回書いたように初期から全国のリソース(電力の回復、電源車、強力なポンプ車、必要なら使用済み燃料を冷やすためのはしご車などなど)をどの程度集めたのか。
 或いはどの程度広くその支援を呼びかけたのか。また、東電のスタッフだけで足りるのか、応援の要員は全国にどのくらいいるのか。危険を顧みず作業に当たる作業員のロジスティックはどうなっているのか。

 皆、睡眠不足で極限状態で対処しているのがありありと分かる状態になっている。十分な暖房も食事もない中での過酷な作業が続いていると思われる。判断力も鈍って来ているのではないか。従って全国(海外も)から、もっともっと知恵も人も集め、短期、長期の闘いに備えなければならない。これはどうしているのか。

 マスメディアはただ東電の情報が遅いとか、隠ぺい体質だとか、批判するばかりでなく(もちろんこうした指摘も大事だが)、そうしたことを報じるべきである。必死に戦っている彼らを、どうしたら支援出来るのか、それを指摘しなければならない。
 また、全国からどのような応援体制が組まれつつあるのか(例えば、ポンプ車で言えば消防車では圧力が低くて歯が立たず、米軍の強力なポンプ車を持って行ったという民放ニュースもあったようだが)、電源の回復はどこまで進んでいるのか、水を循環させるためのポンプは他に予備はなかったのか、ないとすればどうするのか。

◆危機感を持って、全力で支援を
 これらは、目前の大規模な原子炉事故の対処に追われている東電一社では到底間に合わないはずなのだ。国と原子力保安院が全力で東電をバックアップしなければならない筈なのである。
 同時にマスメディアはこうした情報をきちんと流すべきである。徒らに不安をあおる必要はないが危機感を持って、国に東電のバックアップを促すための情報を流すべき。これは一方で国民の一体感を高めるためにも欠かせない情報になる筈だ。これが余りに少ないのが残念である。

 危機感が足りない、というのは政府も同じ。菅首相が東電に乗り込んで一体(統合本部の設置)でことに当たると言ったのは15日早朝(5時)である。しかし、2日遅いのではないか。
 しかも、東電に乗り込んで言った言葉は「やるのはあなたたちしかいない。覚悟を持ってやって頂きたい」。もう一言、「国は全力を挙げてあなたたちをバックアップする。必要なことは何でもやる」と言って欲しかった。

◆日本人の底力を信じる
 前回書いた「最悪の事態を想定してあらゆる対策を」が、もう間に合わない事態になっているのかどうかは分からない。しかし、この極限の難局を封じ込めるために日本は国を挙げて立ち向かわねばならない。
 そのためにこそ、政府は全力をあげてあらゆる面から東電の作業をバックアップして貰いたい。国民も一体感を持ってこの難局に当たらなければならない。

 日本人の底力と幸運を信じたい。

(19時追加)
 福島原発災害の影響評価については、ケイケイなことは言えないが、以下のサイトを見つけたので一つの考え方としてご参考までに。これらについては、正直良く分からない。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51688876.html

最悪に備えてあらゆる対策を 11.3.13
(地震発生2日。13日12時発信)
 福島原発は最大限に憂慮すべき経過をたどりつつある。ここには近接して6基の原子炉がある。(その他のものを入れると10基という話もあるが)
 その多く(はっきりしないが)で、炉心内を冷却するための循環用ポンプの電源が確保できずに、停止後の圧力容器内への水の補給、循環が効かなくなっている。炉内の水の温度が異常に高くなって水蒸気化し、圧力が高まり、これで外部から水を補給しようにも水が入らない。そうすると炉内の水位が低下して燃料が空焚き状態になり、炉心溶融が起きてしまう。

◆抑え込みに全力を
 1基の原子炉では、すでにその炉心溶融が起こったという。そのために圧力容器を囲んでいる格納容器に海水を満たす作業をしている。圧力容器ごと海水で冷却するという窮余の策である。
 これも圧力容器の熱を下げるためには、長期間にわたって海水を入れ続けなければならない。(もちろんその海水は循環させればいいが、そうでなければある程度放射能に汚染されている。しかしその程度の汚染は覚悟すべき)

 問題は、他の原子炉でも電力が確保できずに炉心に冷却水を循環させる機能が作動していないこと。これも炉内の水位が下がってくれば燃料の空焚き状態になる。まずは圧力容器内に水を入れるが、これも水がなくなったりすれば、同じ手順で海水を格納容器内に満たすことにするのかどうか。
 このためには、さらに大量の大型ポンプ車や電源車を全国から運び入れなければならない。それに急ぎ備えるべきである。

 こうした問題が、6基ある他の原子炉でも起きて来るとすれば、極めて綱渡り的な対応を迫られる。残りすべての炉に燃料の空焚きの危険があることを想定して、6基すべての原子炉を廃炉にする覚悟で対策を早めに考えだし、持てるリソースをすべてを動員すべきである。
 関係各方面の専門家、電源車、ポンプ車、非常用発電機、オイル、同時に発電所への電源の復旧を非常時権限で急ぐべきである。(こうしたバックアップ体制の情報がもっとあるべき)

◆最悪のケースを想定して危機感を持て
 心配なのは、仮に一基でも炉心溶融が進んでいわゆるメルトダウンが起きた時のことである。圧力容器内で燃料棒が熱によって破損し、燃料が崩れ落ちて固まれば莫大な熱量で圧力容器まで溶かして行く。あるいは蓋をしているボルトあたりを溶かす。そうするとそれが圧力容器の外側に満たされていた海水と反応して水蒸気爆発を起こす。
 (圧力容器の海水で外側から冷やせば、炉心からの熱量を冷やせるのかどうか、が分からない。それと炉心内に核分裂を抑えるホウ酸を入れたことの効果も信じたいが)
 そうなれば、大量の放射性物質が環境に放出される。これだけでも想定された最悪のケースだが、福島の場合はさらに憂慮すべき状況がある。

 一基でも水蒸気爆発して放射性物質が大量にでてきたら、誰も近づけない。他の5基の原子炉の管理作業も不可能になり、6基全体が管理不能になる。6基からの放射性物質が長期間にわたり環境を汚染する。住民避難は、20キロなどと言うことでは収まらないだろう。
その汚染規模がどの位になるかは、正確には分からないが風向きによっては首都圏までも直撃するだろう。チェルノブイリでは北欧の大地まで汚染された。

放射線被ばくした住民への医療体制の整備も一方で進めておかなければならない。何箇所か医療基地を設けて、そこに医療班と薬などの整備、備蓄を急ぐべきである。場合によってはさらに広範囲の住民を避難させなければならない。同時に、こうした作業すべてをコントロールする機能(政府)の強化を急ぐことである。あらゆることを想定して、先手先手でバックアップ体制を充実すべきである。

◆国家総動員体制で取り組め
 とにかく、まずは原子炉の放射能を抑え込むこと、しかもそれは長期にわたるコントロールになるはずなので、応急対策と同時に恒久対策を整備して炉心管理をすべての原子炉に対して行わなければならない(冷却用の水の確保と電源確保が最優先か)。マグニチュード7以上の余震がこれからも想定されると言うが、それでも管理していかなければならない。

 まさに綱渡りの状態なのだが、最悪のケースになれば、極めて広範囲で日本は国土が汚染され、居住不可能になり、大量の避難民が狭い国土をさまようことになる。食糧も日用品も足りなくなる。日本の各企業は、こうした想定をしつつそれぞれが自主的に考え、前もって東海、関西、九州などからの支援体制に踏み切るべきである。

 いずれにしても、人的被害でも、経済的にも、食糧確保問題でも、あらゆる面で、日本はいま国家存亡の瀬戸際にいる。そうならないことを心から望むが、まさに日本は未体験のゾーンに入っているのである。
 最悪のケースを想定し、まさに国家総動員体制で対処すべき問題なのである。すべての知恵を結集し、すべての国内リソース(場合によっては海外)を原子炉抑え込みと、そのバックアップ体制に振り向けるべきである。

 もちろん被災者の救援は必要だが、それは関係機関と自衛隊に任せて、国家は最優先に原子炉抑え込みと影響の封じ込めに全力を上げるべきである。そして、政府は各党にはもちろん、すべての国民、企業、科学者にどんな支援を必要としているかを正直に話して、冷静かつ効果的な国を挙げての協力をお願いすべきではないか。

 1979年のスリーマイル原発事故から3年後にマスメディアとしては初めて発電所内に入り、原子炉で何が起きたのかをつぶさに調べた体験から言うと、(あそこでも漏れた水素と酸素が反応して爆発的に燃焼する爆燃が起きた)この状況を深く憂慮せざるを得ないのである。
誰のためのTPPか 11.3.7

 菅がなぜ去年10月の「新長戦略実現会議」で突然、TPP(環太平洋パートナーシップ協定*)を言い出したのかは謎である。しかし、いずれにしても2年前の民主党のマニフェストには影も形もなかったのだから、急ごしらえの(付け焼刃の)政策には違いない。
 その証拠に(先月26日の)政府の討論会「開国フォーラム」では、会場から「中国や韓国が入らないTPPに参加して、アジアの成長を取り込めるのか」と突っ込まれて国家戦略担当の玄葉も明確に答えられない。翌朝の新聞には「情報不足、内閣不一致」、「TPPに失速感」などと書かれる始末。

◆かみ合わない意見
 TPPについては今、賛成反対、様々な学者が論じているが、意見が全く違っていてかみ合わない。賛成派は「(TPPに参加しないで)日本は中進国に落ちぶれていいのか」(戸堂康之東大教授、左)といい、反対派は「(輸出で成長などはウソ)デフレがますます進むだけだ」(中野剛志京大助教、右)という。本当のところはどうなのか。

 マスメディアの論調は「開国せよ、バスに乗り遅れるな」の賛成意見ばかりなので、私としてはTPPに関する論点の整理するくらいはしておきたい。素人の私がなぜこんなことを書くのか、幾ら暇だとは言え自分でも可笑しくなるが。
 多分、これは日本の将来に大きな禍根を残しかねない政策(TPP)が、ざっぱくな議論のまま拙速に決まってしまったら大変だという危機感かも。決まってしまってから、後で後悔しても始まらないからだ。

◆誰がTPPを望んでいるのか
 一つだけはっきりしていることがある。日本のTPP参加を望んでいるのが誰かということである。一つはアメリカ。それも(医療や通信もあるが)主に農産物を輸出したいと思っている人々である。関税を撤廃する「究極の自由貿易(TPP)」が実現すれば、輸出拡大を目指すアメリカの農産物にとって大きなメリットになるからだ。
 もう一つは日本の輸出関連企業の経営者たち。アメリカなどへの輸出拡大をねらう自動車や鉄鋼業界にとってTPPは明らかな恩恵であり、彼らが賛成論をぶつのは当然のことである。

 問題は日本全体にとってどうかということ。これまでは、日本農業に与える影響ばかりが取り沙汰されて来たが、農業以外の分野でもかなりの影響がある。農業については後で考えるとして、まずは工業の分野で点検してみたい。論点は概ね以下のようなことになる。
○TPPで国内の雇用は守れるのか、工場の海外移転は止まるのか
○輸出拡大は日本経済を潤すのか、デフレ不況を進行させるだけではないか
○そもそも日本を豊かにするのは何か。輸出振興か、内需拡大か


@ TPPで国内雇用は守れるか
 経営者(例えば三村新日鉄会長)たちは、口を開けば、関税で競争が不利になれば工場を海外に移転せざるを得ないと脅す。しかし、(中野剛志氏によれば)今でも日本の平均関税率は欧米より韓国よりも低い。日本は十分開国しているという。
 経営者側はいつもトラック(アメリカが25%の関税を設けている)を例に挙げて「下駄をはいて競走するようなものだ」とか言うが、ごく例外的なモノで言っているに過ぎない。

 新日鉄などはかつて8万人いた従業員を既に1万6千人に減らしている。自動車メーカーもどんどん海外に現地工場を作り、日本の工場を閉鎖して来た。これでは、TPPが実現すれば海外に工場移転はしないなどと言っても、あまり説得力がない。
 それに、工場の海外移転に関しては、むしろ関税より円高などの為替相場の方が影響としては大きいのではないか。円高で輸出の採算が取れなくなれば輸出先で生産した方がいいからだ。為替相場を管理できない現状では、彼らが不退転の決意で国内雇用を守るなどと言っても、信じられない。

A TPPでアメリカへの輸出は増えるか
 TPPに日本が加盟した場合、参加10カ国のGDP全体のうち日本とアメリカで9割以上を占める。これではTPPと言っても、実質的には日本とアメリカ二国間の自由貿易協定(FTA)と変わらない。
 だが、肝心のアメリカはドル安が続いて日本からの輸出は勢いがない上、既にアメリカへの工場移転が進んでいる。アメリカの方もオバマ大統領が目指すのは輸出の拡大だけ。従って、工業製品の分野でも対アメリカ貿易では日本側にあまり効果があるとは思えないということになる。

 むしろ、日本の経営者たちが期待するのは中国などのアジアの成長を取り込むことだが、肝心の中国や韓国がTPPには参加しない。中国はご存知のように自国に不利なことは一切しないし、韓国は独自にEUやアメリカとFTAの交渉を進めている。
 豊田正和氏(日本エネルギー経済研究所理事長)は、日本がTPPに参加すれば、やがて中国もこれに参加するだろうと言うが、いつのことになるやら。従って、TPPによって日本がアジアの成長を取り込むのも思うようにいかない。

B TPPは日本のデフレを進めるだけ
 もちろん、(関税が取り払われて輸出しやすくなると言う意味で)TPP参加は一部の輸出型企業にとっては確実に有利になる。しかし一方で、それは2つの点で日本経済にデフレをもたらし、日本経済にとってはむしろ弊害の方が大きいという。

 一つは、関税がゼロになれば(日本以外の9カ国から)それだけ安いモノが入って来て、国内産業が値下げ競争にさらされる。消費者は安いものが買えるのだからいいではないか、という学者もいるが、国内企業も苦しくなれば従業員の賃金も下げざるを得なくなる。
 その結果、一般消費者もより貧乏になってますます内需市場が縮む。いわゆるデフレスパイラルに入ってデフレが進行する。
 もう一つは、仮にTPPで輸出が伸びても、今以上に貿易黒字が増えるだけのことで、これがさらなる円高を引き起こす。そうすると、今度は広範囲の海外から安いモノが入って来て、これもデフレを進行させる。

C 自由貿易は日本の経済を成長させるか
 では、輸出企業が儲かれば日本全体が豊かになるのか。これまで日本の大企業は輸出でもうけたカネを内部留保金として社内に貯め込むか、株主に還元するかで、従業員を含めて利益を一般国民には還元して来なかった。一部輸出企業が好調でも国内経済は上向かず、一般国民にとっては「実感なき景気回復」でしかなかったのである。

 「TPPによって企業のグローバル化を進め、経済を成長させるべきだ」という賛成派に対して、反対派は、「(企業のグローバル化を促す)自由貿易が経済を成長させると言うのは幻想で、輸出主導で経済成長と言う道に未来はない。国民を苦しめるだけだ」という。

◆誰のためのTPPか
 こう見て来ると、TPPは確かに一部の輸出関連企業に有利には働くが、他の多くの国内産業は迷惑する、国民も迷惑する。デフレが進行して日本経済は良くならない、という構図が浮かび上がる。
 しかも、日本経済の中で輸出が占める割合は30%以下で、残りの大部分は内需なのである。30%の企業のために他の大部分が迷惑するという構図。誰のためのTPPかというゆえんである。

 もちろん、輸出関連企業は(例えば自動車のように)多くの下請けのすそ野を持ち、国内経済のけん引役を果たしている(から大事だ)と言う意見もある(勝間勝代)。しかし、本当だろうか。
 素人の私には残念ながらそれが実質どの位の割合を占めているのか分からない。一方で日本のGDPのうち輸出は30%に過ぎないという数字もあるのだから、具体的な数字で説明してほしいと思う。

◆日本は何で生きて行くのか、「国家の枠組み」を議論すべき
 ただし、私も日本企業(農業も)が今のままでいいとは必ずしも思わない。では、日本は何で生きて行くのか。そもそも日本を豊かにするのは何か。輸出振興か、内需拡大か。
 今回は、(長くなってしまって)そこまでたどり着かなかったが、次回は宇沢弘道氏や佐伯啓思氏(京大教授、右)の意見も踏まえながら、農業も含めた日本のあり方(国家の枠組み)について考えてみたい。こちらの方がもっと大事な問題になりそうだ。

*)TPP
工業品、農業品、金融サービスなどをはじめ、全品目の関税を10年以内に原則全面撤廃することにより、貿易自由化の実現を目指す

シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランド(4カ国)に加えて、新たにオーストラリア、ペルー、アメリカ、ベトナム、マレーシアの5カ国が参加を表明、計9カ国。

貿易のルールは国益の反映 11.2.27

 菅首相が去年10月、唐突に「平成の開国」と言って打ち出したTPP(環太平洋経済協定)に関して、様々な意見を読み比べているが、これが結構面白い。それぞれ立派な先生方が賛成反対、これほど言うことが違っていてかみ合わないのも珍しい。マスメディアの論調は「開国せよ、バスに乗り遅れるな」の一点張りだが、どうしてどうして。学者同士の様々な価値観や論点の違いが浮き彫りになりつつある
 私としては、それらの違いを自分なりに整理して素朴な疑問も含めて次回に書いて見たいと思っているが、今回はその準備体操。TPPにも関連するが、貿易のルールというものについて、一つの見かたを書いて見たい。(*タイトルちょっと変えました。3.5.)

◆そこにわずかな商機があれば物流(貿易)が生じる
 日本はオーストラリアからもカナダからも豚肉を輸入している。しかし先日、オーストラリアの知人から、次のような、にわかには信じられないような話を聞いた。オーストラリアは自国産の豚肉をカナダにも輸出しているが、そのカナダからカナダ産の豚肉をも輸入していると言うのである。

 輸出するくらいの量があるなら、わざわざ輸送費と輸送エネルギーを使って同じ豚肉を輸入しなくてもよさそうなのに、どうしてこういう奇妙な商売が成り立つのだろうか。
 多分、品質か何かで価格差を生じ、それが商機(ビジネスチャンス)になっているのだろう。 しかしその結果、同じ豚肉を積んだ貨物船(あるいは貨物飛行機)同士が広い太平洋ですれ違うというような不思議なことが起きる。

 豚肉に限らず世界ではこうしたケースが沢山あるらしい。例えば、コメの自由化が進めばアメリカ(あるいは中国)から安い外米が日本市場入って来る。それによって日本国内の米作農家は打撃を受けるが、一部の農家は生き残りをかけて高級米としてアメリカ(あるいは中国)にも輸出する。同じコメが2つの国を行き来することになる。
 商機さえあれば、モノは世界中を動き回る。そうした個々の貿易を担うのは各商社だが、国単位で見れば自国で作っているあるモノが海外に輸出され、なおかつ同じ類のモノが海外から輸入されるといったケースは結構あるに違いない。
 
(最近ではデジタル家電の輸出入が拮抗している。そのからくりは別途)

◆地球環境に良くない貿易
 ただし、いくら商機があるといってもこうした貿易にはかなりの問題がある。オーストラリアとカナダのように長期距離の貿易になると、輸送のために排出される二酸化炭素の量も馬鹿にならないので、それが地球温暖化の促進につながるからだ。
 地球環境から言えばいわゆる「地産地消」が一番。できるだけ近くで出来たモノを消費するのが合理的なのである。

 さらに言えば、海外産の安さに負けて自国での生産を諦めてしまうのも、地球環境には良くない。例えば、木材である。日本はかつて林業の国でもあったのだが、海外の安い木材に押されて国内林業は衰退の一途である。代わりに日本はインドネシアやフィリピンから大量の木材を輸入している

 「それが良くない」と、「銃・病原菌・鉄」や「文明崩壊」の著者で、過去の人類文明の滅亡を研究しているジャレド・ダイアモンド教授(カリフォルニア大)は言う。日本に輸入される木材のためにインドネシアやフィリピンでは年々膨大な量の森林が消えているからだ。
 江戸時代、日本は森林を守るために世界に冠たる精緻な植林技術を作り上げた。その遺産で食いつないできた国内林業を放棄し、その一方で世界の森林破壊に手を貸している。こうした貿易も良くないというのだ(24日BS放送「未来への提言」)。
 とすると、安いコメがどんどん入って来て自国の米作りを衰退させるような貿易はどうなのか。これも地球環境に悪影響を与えることになりはしないか。

◆貿易を支配するルール
 こうした貿易の問題点を考えるために、視点をずっと離して宇宙から貿易による様々な物の流れ(物流)を眺めたらどう見えるだろうか。良くテレビでやるように時間を縮めてみると、それは地球上の国と国の間を流れる無数の川のようにも見えるだろう。その川を様々なモノがひっきりなしに動いている。
 そしてご存知のように、この川の流れは幾つかの目には見えないルールによって支配されている。もちろん市場経済がそのルールのベースにはあるが、それだけではない。関税(或いは非関税障壁)もその一つである。

 関税(非関税障壁)は、それぞれの国の利害によって川の流れ(貿易)をコントロールしようとする調節弁のようなものである。調節弁を閉めたり緩めたりすれば流れは変わる。今問題になっているTPP(環太平洋経済協定)は、環太平洋の9カ国(日本が入れば10カ国)で互いに関税を撤廃しようという協定だが、この調節弁をなくしてしまえば物流はさらに大きく変わる。
 そのことによって、誰が得をして誰が損をするのか。何が栄えて何が衰退するのか。それは国民に幸せをもたらすのか。―――これらについては、上述のように人によって意見が全く正反対で議論も錯綜しているので、(私の素朴な疑問として)次回までに論点を整理してみたいと思っている。

◆貿易のルールは国の価値観の反映
 多くのメディアはいま、関税(非関税障壁)を撤廃して貿易をすべて市場経済に任せるのがあたかも善のように言っている。しかし、本当にそうだろうか。一つ言えるのは、貿易にこうあるべきだなどと言う理想形はなく、そのルールは互いに損得勘定や力関係で決まってきた妥協の産物だということである。

 それだけに、関税などの「物流を制御するルール」には、それぞれの国が国益として守ろうとした長年の利害や価値観が反映されているはずである。従って、TPPなどを議論する場合には、私たちが守ろうとして来た利害や価値観が何なのかをしっかり見極めて議論する必要がある。
 単に「バスに乗り遅れるぞ!」などと言う恫喝的、情緒的な議論ではなく、TPPによって日本が何を守り、何を捨てるのか、国の基本形をしっかり議論しなければならないと思う。

◆ルール(価値観)が変われば物流は変わる
 さらに、もう一つ大事なことがある。貿易をコントロールするルールは何も関税(非関税障壁)だけではないかもしれないと言うことである。この先、仮に「地球環境」という価値観をそこに導入したら世界の貿易はどうなるか。
 例えば、二酸化炭素の排出を抑えるために貿易にも「炭素税」のような強力で強制力のあるルールを導入する日が来るかもしれない。地球の未来を考えれば、本当はすぐにも真剣にそのことを考えなければならないのだが、そうすると、地産地消、自給自足、エネルギーコストの低い生産物の選択、などなどの価値観が貿易にも反映されて行くだろう。

 つまり、「炭素税」のような新しい価値観を導入しただけでも世界の物流は大きく変わっていく。これを考えただけでも「平成の開国」論のように、貿易を規制するルールを外して市場経済にだけ任せれば日本の未来が開ける、などという単純な議論は疑ってかからなければならないということである。

◆精密な議論で白黒をつけて欲しい
 すでにTPPの議論が深まるにつれ、農業救済にだけ議論を絞ろうとした推進派の化けの皮がはがれて来ている感じもあるが、TPPに関する議論は農業だけでなく、国民の暮らし全般に、さらにこれからの日本や地球の未来にも関る。それだけに、ここは両者とも精密な議論を戦わしてほしいと思うし、その上できちんと白黒をつけてもらいたい。

 この点で長年、地球温環境保護の理論づけを研究して来た経済学者の宇沢弘文氏(写真:東大名誉教授)が、TPP反対の立場で登場してきたことは象徴的なことだと私は思っているのだが。(詳しくは次回に)

若い世代に投資する社会を 11.2.16

 最近の私は、ひところに比べてすっかり影の薄くなった春闘の動きなどにあまり関心を持つことがなかった。しかし、(娘のこともだが)労働者が置かれている最近の状況が余りに理不尽なので、関心を持たざるを得なくなっている。

 1月下旬から始まった今年の春闘。連合は、「一般労働者の賃金は1997年のピークから5%以上減っている。この減少分を5年程度で取り戻す」として給与総額の1%増を要求。
 対する経営者側は、「賃金より雇用」、「まずは成長して、その結果として雇用を」などと、自分たちに都合のいい理屈ばかり言って内部にため込んだ金(内部留保金)を吐き出そうとしない。

◆高まらない企業の社会的責任についての議論
 しかも最近のニュースでは、この春闘も経営者側のガードが堅く、始まったばかりでもう終息の感じだという。経営者の方は、目の前の春闘を乗り切ればいい、出来るだけ賃金を低く抑え込めば勝ちだと考えているかもしれないが、そんなことでいいのか。それで経営者の責任を果たしていると言えるのだろうか

 このままでは新聞が春闘スタート時に、賃金が抑えられれば消費も拡大しないという「悪循環を断ち切ろう」(毎日)、明日の社会を担う「若い世代に報いる努力を」(朝日)などと書いた社説も空しく響く。
 せっかく企業の社会的責任といった議論が高まるかと期待したのに尻つぼみでは、何か大事な議論が素通りされているようで、残念でならない。(それでこれを書いている)

 春闘だけではない。日本の経営者には最近、自分たちだけ上手く立ちまわって利益を出せばいいという、利己的な考え方が目につく。経営環境が厳しいという言い訳ばかりで、そこで踏ん張る経営者が少ない。社会の方もずっと、そんな言い訳を容認してきた。
 しかし、日本の目の前に迫っている大きな変化を考えると、そんなことでは日本そのものが立ち行かなくなるのではないか、と心配になる。最近の私は「あなたは、何のために会社を経営しているのですか」と一人一人の経営者に聞きたいくらいになっている。

◆従業員が安心して人生を預けられない
 前回、娘がこのまま働いていても(結婚も子育てもできないと)6年勤めた会社を辞め、派遣の口を探すことにしたという話を書いた。安心して会社に人生を預けられる、いわゆる「ワーク・ライフ・バランス(WLB、仕事と生活のバランス)」などの制度がないからだが、日本の現状では、特に彼女の会社が例外ではないと思う。

 むしろそういう会社では、人件費の総額を抑え込んで行くために、従業員はある年齢になったら辞めてもらった方が助かるのだ。そうすれば人件費の安い新人に置き換えられる。従業員の方も年々仕事が忙しくなるばかりで人生設計を立てようがないから、特別肩たたきされなくても多くが30歳までには辞めて行く。
 時に、優秀な社員を幹部候補生に登用しようとしても従業員の方によほど自分の人生を犠牲にする覚悟がなければ残らない。若い世代がせっかく身につけつつある感覚を経営に生かせないのももったいない話だが、こうして派遣社員が社会に増えて行く。

◆日本の大変化を見ていない経営者
 最近数字を突きつけられてショックを受けたのだが、いま、日本の経済を支える労働人口に大きな構造変化が起きようとしているという(「デフレの正体」)。
 それによれば、これから団塊世代が大量退職するので、日本の消費を支える労働人口が劇的に減って行く。しかも少子化のために、それを補う若年労働者が足りない。
 消費を支える労働人口が激減するということは、とりもなおさず日本の内需市場の縮小を意味する。特に消費を沢山する子育て世代が増えないのが問題で、日本ではモノを作っても売れないデフレ現象が延々と続く。

 こうした厳しい現実を知ってか知らずか、日本の経営者はこれまでは逆のことをして来た。安易な工場閉鎖、リストラなどによって従業員を減らし、非正規雇用の労働者を増やした。その結果いま、特に若年層では非正規雇用者が4割を超えるという異常な状態になっている。
 雇用があるだけいいじゃないか、と言われそうだが、非正規雇用者は平均して賃金が低く、安定して仕事を続けられない。「仕事と子育ての両立」どころか、結婚さえもままならないわけで、これがまた内需の冷え込みにつながっている。

 日本の経営者は、人件費カットによって個々の短期利益を確保しても、これが全体になると日本の市場を狭めて自らの首を絞めている。結果、日本は当分デフレ不況から脱出できない。ホントに何を考えているのだろうか。

◆ジャパンブランドの担い手を育てない経営者たち
 それにしても私たちは、「未来を担うはずの若い労働者の4割以上が雇用の不安定な非正規労働者」だという日本社会の異常さをどれだけ真剣に考えて来ただろうか。テレビなどで一端は知っていても、こうした異常さがもたらす影響の全体像はまだ良く分かっていないのではないか。

 誰か専門家に分析してもらいたいくらいではあるが、ここで素人の私が危惧するのは、日本経済の将来にとっての影響である。一つには、若者にカネが回らないために、日本の消費を引っ張って来た若い世代の好みや感覚が日本の内需経済に生かされないと言うこと。
 しかし、もっと大きいのは、こうした若い世代の感覚や創意工夫が日本の生産現場に生かされないという不利益である。

 先にも書いたが、日本が活気ある経済国家として生きて行くには、日本製品の付加価値を常に高め続けなければならない。それが「ジャパンブランド」の生きる道なのだ。そして、その将来を担うのは今20代、30代の若い世代の筈なのである。
 なのに日本の企業は、彼らを安定的に雇用し、教育して専門能力を磨き、彼らの創意工夫を企業活動に取り入れるという努力をしていない。これは大いなる損失ではないか。こう考えてくると、春闘で人件費を抑え込もうなどと必死になっている経営者のピントが如何にずれているかが見えてくる筈だ。

◆若い世代に投資する企業が生き延びる
 「そんな綺麗ごとでは企業は生き延びられない」という声が聞こえてきそうだが、そんなことはない。良く見れば世間は広い。
 従業員をリストラせずに、全員正規の社員を抱えながら、世界に冠たるもの作り企業として業績を上げている会社はいくつもある。(実は最近、そういう会社の社長さんに会って色々話を聞いて確信を得た。そのことについては、改めて詳しく書きたい)

 歯を食いしばって頑張って来た、その社長さんから見れば、不況だからと言って簡単に工場を閉鎖したり、リストラしたりする経営は「楽ですよね」ということになる。
 私たちは、そんな輸出型大企業の経営者を、さも偉いように思って来たのだが、これからは見方を根本から改めなければならないと思う。この先の日本が直面する大変化を考えれば、むしろ、若い従業員を大事にし、彼らの未来に投資する経営者こそが尊敬されるべき時代なのである。

◆若い世代に投資する社会を
 「デフレの正体」ではもう一つ、人口構造の変化に対する処方箋の一つとして、女性の就労と経営参加も上げている。同感だが、そうすると、子育てしながら生産に従事できる様々な施策も必要になる。これは、企業ばかりでなく社会全体で取り組むべきテーマだろう。

 若い世代を大事にするということは、私たちの老後への健全なる投資でもある。ということで、「若い世代に投資する社会」をめざして、政治も含めて日本全体が変わるべきだというのが、今回の結論。(できれば、永田町で毎日時間を無駄にしている老人たちに見切りをつけて、若者自身が立ちあがって日本を変えるのが一番いい。老人の私も是非これを応援したい。)

身近な現象から見る大問題 11.1.31

  「一つのコラムが長すぎる」と言う指摘もあって、今回はごく短く、身近な話題を書いておきたい。これから「日々のコラム」で考えて行く予定のテーマ、「誰のために会社を経営するのか」「TPPをめぐる2つの価値観」のための予告編として。

◆シャッター通りの商店街
 会社の後輩がイベントで群馬県の前橋市に行ったら、駅前が余りに閑散としていたのでびっくりしたと言っていた。県庁所在地の体(てい)をなしていないくらい、景観が寂しいらしい。私の故郷の商店街なども歯が抜けたようだが、東京からちょっと足を伸ばした千葉県の地方都市でも同様だった。

 昨日の日曜日、息子が土地を買うと言うので夫婦で東京から電車で1時間半ばかりの地方都市を訪ねた。駅から歩いて6,7分の距離と言うのはまあまあだが、周囲の環境を見ようと駅近くの商店街を歩いて見ると、ここもご多聞にもれずシャッター通りが続いている。閑散とした街並みである。
 駅前にセブンイレブンはあったが、生鮮食品などはどこで買うのだろう。商店街の中に一軒だけ、しゃれた喫茶店が開いていて、中に入ると何枚もの本物の絵画が掛けられていたのが救いだったけど、今、地方の商店街を維持していくにも若い人がいなくなって、コミュニティそのもが成り立たないところが多いらしい。

◆一味違う北千住
 帰路、旅行会社に旅行の相談をするために足立区北千住に立ち寄った。こちらの商店街は駅から少し離れた街道筋にあるが、いまでも様々な種類の店が並んでいて人通りもにぎやか、活気に満ちている
 なぜかスーパーの大型店舗(と言ってもそれほど大きくもない)が一つしかない。それが良かったのだろう。総菜屋、和菓子屋、お茶屋、お好み焼屋、呉服店、洋品店、糸屋、床屋などなど。こうした商売によってどの位の人々が生計を立てることが出来ているかを考えると、こうした商店街が地域コミュニティにとっていかに大事か分かる。

 商店街全体でどの位の売り上げになるのかは分からないが、多分都市郊外などに作られた大規模スーパー1個分にも及ばないかもしれない。しかし、ここには様々な人々が住み、様々な職種があり、地域の様々な生活がある。昔の商店街は皆こうだったのかと、いつもその多様さ、たくましさに心弾む思いがする。
 この商店街は昔の宿場町で、通りを歩くと昔の様子などを描いた看板などもあって楽しい。いわゆる町おこしに力を入れて来た人々がいるらしいが、このご時世、街の活気を保って来た裏には、大変な苦労があったのではないかと思う。

◆娘の退職
 その夜は北千住で久しぶりに娘と待ち合わせて、親子3人で食事。もう5年前になるが、娘のことは「若者よ団結せよ!」(日々のコラム)で書いた。今の日本で少しはブランド名の通ったアパレル産業に勤めている。この中で、私は様々なチェーン店などで働く若者たちのきびきびした働きぶりを取りあげ「勝ち組などと言われている今の経営者は若い世代の懸命な仕事ぶりに報いているのか」、と書いた。

 あれから5年、娘はデパートの中のブティックの店員から店長へ、そして新しく日本橋にオープンした店の店長を任された。店の飾りつけ(ディスプレーと言うのだそうだ)から商品の品揃えや展示など、すべて任されて売り上げも目標の5割増しを続けているという。
 その彼女が入社6年にしてついに会社を辞めると言うので、それを話題にしながらの食事である。今や30歳を目の前にしてこのままの生活を続けていたら結婚もできないし、仮に結婚しても子どもも持てない、辞めて派遣の口を探すと言う。

 何しろ、毎日夜中の12時半過ぎの終電で帰る日々である。店が終わってからミーティングをして、明日の品揃えを確認し、店の飾り直しをしてから帰宅する。間に合わなければ近くの駅からタクシーか、店近くの「東横イン」に泊まる。
 会社からはタクシー代も宿泊代も出ない。時間外も一定時間で切られていてサービス労働が続いている。

 休日も、都心で様々な店の飾りつけなどを見て歩き、店の飾り付けから商品の備えまですべて任されているのだが、これでは幾ら本社に期待されようが、先の人生の見通しが立たないということをようやく悟ったらしい。女性社員の先輩たちも一生独身で行くか、結婚しても子どもを持てない状況だそうだ。

 カミさんは入社以来ずっと、「こんな生活をしていたら身体を壊してしまう」と心配していたので、彼女が辞めるのには大賛成。しかし、私の方はむしろこういう風に専門能力を高めながら努力している若い世代を使い捨てにする会社の経営者に憤っている。
 社長や幹部たちは、従業員の人生と言うものをどのように考えているのだろうか。テレビでも従業員のやる気を引き出す名経営者が良く紹介されるが、その会社で懸命に働く若者たちは自分たちの人生の将来設計、人間らしい毎日の生活が出来ているのだろうか。

◆「グローバルな経済」という見えざる手
 2つの身近な話題を書いたが、これはある意味で、今の日本の縮図でもある。派遣社員が全労働者の三分の一にもなる日本。あるいは、TPPを要求しながら、春闘でも、内需拡大につながる給与分配を考えず、輸出競争にばかりに目が向いている大企業経営者たち。

 そして国際的な圧力の結果、10年前に廃止された大店法(大型小売店舗立地法)によって様相が一変した日本の地域商店街。私たちの身近に起きているこれらの現象の背景には何か共通の力が働いているのではないか。そこに(アメリカが自国の利益のためにおし進めて来た)グローバル化した経済システムの見えざる手を感じるのは私だけではないだろう。
 そう考えると、こうした動きを後押しして来た、現代の経営者たち、政治家たちも(そしてマスコミも)、グローバルな経済システムという一つの見えざる手の中で、ただ歯車のように動かされて来ただけではなかったのか

◆ぶつかる2つの価値観
 多分、菅首相が「第3の開国」と言って政治生命をかけようとしているTPPでもこれと同じようなことが起こるのでないか。そして、グローバルな経済システムと、こうした身近に起きている現象の関連を巡って今、2つの価値観がぶつかり始めているのではないかと思う。
 例えばTPPについても、マスメディアは開国するために農業を如何に納得させるか、納得させられるのか、という観点でしか論じていない感じだが、注意深く読んで行くと、識者の間では、もっと大きな「2つの価値観」を巡って激しい論戦が始まろうとしているように見える。

 「このままでは日本は世界から取り残されてしまう」という意見と、「それで日本の大事なものは守れるか、私たちの生活は良くなるのか」と言う意見。それぞれの意見が誰の利益を代表しているのか、その根底にどんな価値観があるのか。それらの特質を、私はまだはっきり掴めていないのだが、これから「日々のコラム」でそのおぼろげながら見えて来たものを書いて行きたい。
 さしあたって、冒頭に書いたように身近な現象を通して、「誰のために会社を経営するのか」と「TPPをめぐる2つの価値観」の二つテーマになりそうだが、どうもこの二つも互いに関連しているような気がする

日本の元気B政治につける薬(2)〜政策立案能力を高める〜 11.1.26

 国民から「課題解決型の政治」を託されて政権の座についた民主党だが、掲げたマニフェストに確信を持てなくなり迷走している。菅首相はあれがだめならこれとばかりに、マニフェストにはなかった新たな政策(消費税とTPP)を重要課題として打ち出したが、マニフェストの扱いを巡って野党からも党内からも批判が起きている。
 ついでにいうと、「平成の開国」などと言って菅が持ち出したTPPも、良く調べてみるとそう単純ではない。農業以外にも根本的に議論すべき問題が山のようにある。(この問題は別途書きたい)

 所々でメッキがはがれて来たマニフェスト。先が見えない国会審議。追い詰められた菅が目先を変えるために、じっくり検討もせずに経済界やアメリカ、マスコミなど、一部に受けのいい政策に飛びついたとしたら、いかにも危険。これは「課題解決型の政治」とは似て非なるもので、そんなことを繰り返していたら政治だけでなく、日本そのものが漂流してしまう。国民が折角選んだ「課題解決型の政治」を後退させないための決意と努力が今こそ必要なのだ。

◆政策立案能力を高めるには?
 前回も書いたが、今の日本は大きな転換点に差し掛かっている@少子高齢化A膨大な財政赤字B地方の疲弊C問題山積の官僚機構など、数々の難問を抱えているうえに、これらの難問はまた世界の問題とも複雑に絡み合っている。(例えばTPP→輸出伸びる→外貨たまる→円高→デフレ→内需冷え込む→地方の疲弊、雇用増えず→就職難→若者結婚できず→少子化。などのように)
 だからこそ、日本の政治は「課題解決型の政治」に変わらざるを得ないのだが、問題はそのもとになる高度な「政策立案能力」。民主党のマニフェストのほころびを見ても分かるが、これが日本では相当に遅れている。

 そこで「政治につける薬」としては、この能力を高めるにはどうしたらいいかを考えてみたいのだが、これが結構難しい。世界のシンクタンクとか官僚システムの本なども引っ張り出してはいるが、どうなりますか。

◆審議会方式の政策立案のカラクリ
 日本の政策はこれまで、その殆どを官僚が作って来た。自民党時代は族議員と関係が深い政務調査会やその部会と上手く折り合いながら、一方で省益も守りながら。
 そして多くの場合、その政策作りには、いわゆる有識者や学識経験者を集めて意見を聞く審議会方式がとられて来た。(私も出たことがあるが)関係者、有識者を集めて何回か審議会を行う。そこで出される資料は、官僚が用意する。
 議論を進めるうちにたたき台(案)が出てくるが、これも大体は官僚が考えていた線。裏で資料作りやたたき台作りをしているのは、役所とつながりの深いコンサルタントや大手広告代理店なので、見栄えのする資料や耳触りのいいキャッチフレーズを作るのはお手のものだ。

 このようにしてできる政策は、最初から官僚が考えていた落とし所と殆ど変らない。あちらこちらの利害に配慮した無難なものに収まる。審議会での有識者は、いわばお墨付きを与えるだけの存在になりがちだ。
 もともと、学者も色分けされていて、官僚に都合のいい人だけが審議員に選ばれる。仮に過激な反対意見でも言えば、つぎからは審議会に呼ばれない。審議会が、役所が自分たちに都合にいい政策を作るためのアリバイ作りとか隠れ蓑だとか言われるゆえんである。

◆官僚による政策立案の限界
 日本経済が右肩上がりで誰もが何がしかの利益配分にあずかり、大きな不満もなく前例主義でやれていた時代なら、この方式でも良かった。しかし、これだけ日本の課題が深刻で、社会の価値観の変化が激しい時代になると、これまでのような官僚主導では機能しなくなった
 役所の枠に収まらない大胆な発想や、多様な考え方、見方が必要になって来るし、関連する省庁も幾つにもまたがるから省益にこだわる役人では対処できない。

 或いは、(例えばTPPや地球環境など)国際的なテーマになると、各国の動向や利害関係などを見極める「高度な専門知識」も必要になる。しかし、「問題山積の官僚機構」にも書いたように、日本の官僚は調整型の何でも屋のジェネラリストばかりで、外国と競争して行くために本当に必要な専門分野の超エキスパートが育っていない。シンクタンクなどで鍛えられたアメリカ政府の政策スタッフに太刀打ちできないのだ。
 というわけで、(こうしたことをどこまで意識したかは別として)民主党は、官僚主導から政治主導の政策立案へと言い始めたのである。

◆民主党は、政治主導を生かせるか?
 では民主党政権になって何か変化は起きたのか。当初、政治主導を掲げた民主党は従来の官僚主導から大きく舵を切ったかに見えた。しかし、政治主導にこだわるあまり、官僚を排除して全部自分たちで決めようとしたのは如何にも性急で、政治家に政策立案能力が育ってなければどうにもならない。
 様々な混乱が続いたあげく、菅政権は官僚の力を取り込む方に方向転換。政策協議にも官僚を参加させることになった。
 しかし、国家の基本計画が明確にあり、それに基づいて政治家がよほどしっかり監督しないと官僚は変らない。(まだ良く分からないが)このままでは民主党の政策立案システムも自民党時代と余り変わらなくなるのではないかと思う。

◆国家戦略室は何をしているか
 ただ問題は、首相直属の政策立案の機関である「国家戦略室」の動向。当初鳴り物入りで「局」を目指したが挫折した機関である。ここに官僚を中心とした50人規模の人材を集めて重要政策を立案するという。ここに日本の課題解決のための政策立案を期待したいのだが、これが何をしているのかまだよく見えない。

 新聞報道によると、経済の国際連携、成長戦略、予算の骨格作り、地球温暖化問題など個別の重要課題を取り上げているらしいが、本来はまず、日本の課題を多角的に検討して整理し、それを基に国家の基本計画(国家ビジョン)を作ると同時に、課題を解決するための政策を作って優先順位を示すべき
 それが「事業仕分け」などのかじ取りにもなるべきなのだが、未だに提言されない。ここの提言部門がいわゆるシンクタンク部門だが、大体、シンクタンクと言うほど日本に「政策のエキスパート」はいるのだろうか

◆エキスパートの政策マンに支えられるアメリカ
 ということで、いよいよ核心に入るが、シンクタンクと言えば日本よりはるかに先を行っているのがアメリカである。 「世界のシンクタンク」によれば、アメリカのシンクタンクは以下のような機能を持つ。
 「社会が現在直面する問題点を明確にし、情報を整理・分析し、その解決にあたってどのような政策があり得るのかを提示し、立法に関る議員、行政官、そして一般の人びとの判断材料や検討議論に、政策研究の成果、提言、アイデアを提供する」
 これはまさに、今日本の「課題解決型の政治」が必要としている機能である。

 アメリカには、世界に名だたるシンクタンクが山ほどあり、国際経済、国際政治、中国問題、地球環境問題、食糧など、それぞれに高度な専門分野を持った人材をプールしている。
 彼らは日ごろから様々な政策を研究するのと同時に、政権交代時には政権中枢に政策スタッフとして加わって政策を立案する。この政策スタッフの専門性と流動性が、政権交代を前提としたアメリカの政治システムを支えていると言われる。
 またこうした、あらゆる角度から政策を練り上げるシンクタンクの思考法、政策立案のシステムがアメリカの政策の分厚さ、確かさを性格付けていると言っていい。以下のような日本の実情と比べるとちょいと羨ましい。

◆例えば日米の外交政策の違い
 まことにざっぱくな個人的感想だが、日本とアメリカの政策立案の能力の差が歴然と見えてしまうのは例えば、外交政策
 尖閣諸島事件での対中国、北方四島訪問の対ロシアについても、日本政府は事前に何ら有効な政策を検討していた気配が感じられない。何か事が起きるとあわてて政治家の勘(悪く言えばその場の思いつき)に頼った判断をするのだが、それが大体は状況の変化に左右されてぶれまくる。

 これらの事件は、政権交代時の空白をどう埋めるかという問題とも関係あるが、一方で、佐藤優なども書いている(「国家の罠」)ように、外務省には(それぞれの分野で彼のような)世界に通用する高度なスペシャリストがいないと言う問題もあるだろう。そのために、状況の変化にも耐える確固とした政策が作れないのではないか。

 一方のアメリカ。いい悪いは別にして、その政策は熟慮されているように感じる。事前にあらゆる情報をかき集め、様々な選択肢を検討し、当面の方針を確定する。同時に、その政策の根拠が変われば、大胆に別な政策に転換する。
 北朝鮮の挑発に頑固なまでの方針を保つのも、中国に対して硬軟取り混ぜた政策を使い分けるのも、一つ一つに前提となる情報と論拠があり、その中で最大の国益を目指すと言う価値観がはっきりしているからだろう。
 もちろん、イラク戦争のようにバカな大統領の判断が優先されるという致命的な問題も抱えるが、一般には様々な熟慮検討から生まれた政策だということを感じるのは私だけではないだろう。

◆政策立案能力を高める可能性
 さて、問題は日本政府が高度な「政策立案能力」をどうしたら確保できるかである。もうお分かりだと思うが、その可能性は2つあると思う。

 一つは、アメリカのような高度な政策立案能力のあるシンクタンクを日本でも育てること。そこにプールされた人材をその都度政権内に取り込むことである。もちろん、日本にもシンクタンクと呼ばれるものは沢山あるが、多くは政府系だったり、役所からの委託調査で運営されている企業系だったりして、その独立性に難点があるという指摘もある。
 しかし、最近ではNPOの政策集団も盛んに政策を提言するようになってきているので、そうした提言や民間の人材をどんどん政策スタッフとして登用すべきだと思う。

 もう一つは、霞が関の改革でこれが本丸。真の意味での政策のスペシャリストが育つように、人材育成のあり方、人事の評価システムも含めて官僚制度を変えることである。
 もともとは大変優秀な人材の宝庫なのだから、これを生かさない手はない。国民のための政治と言う方向さえ明確にして、省庁を超えた課題設定を行えば能力を発揮する高機能集団になり得るはずだ。これこそ政治主導でやってもらいたいと思う。

◆自民党は「政策重視の政党」として復活するか
 さて、ここまで苦労しながら、柄にもなく小難しいことを書いて来たのは、ひとえにこれからの政治は政策中心の「課題解決型の政治」にならざるを得ないということを分かってもらいたかったからである。日本がいま直面する難問の深刻さを考えれば、この政治を後戻りさせてはいけないということである。
 ただし、「課題解決型の政治」を機能させるには政策立案能力が欠かせない。この能力を磨くことが日本の「政治につける薬」と言うことである。このことさえ国民が共有すれば、日本の政治も徐々にいい方向に進んで行くのではないかと思う。

 最後に。こうした視点から見ると今の自民党はあまりに情けない。菅政権の敵失ぶりに勢いづいて、党内改革の機運もすっかり緩んでいると言う。さらに、党の重要政策は、いま「領土問題」だという。一方で「領土問題は勇ましいが、それだけでは(選挙に)勝てない。やはり年金や雇用政策で旗を立てないと」(1月24日朝日)だと。議論のレベルの低さに唖然とする。
 これに比べれば、様々な政策論議をしながら、マニフェストの見直しを8月までにやると言っている民主党の方が、少なくとも政策の重要性を認識しているだけ立派と言える。

 従って、自民党がこうした自らのレベルの低さに気付かない限り、復活はないし、仮に復活しても日本にはさらなる不幸が待っているだけだろう。二大政党制が機能するためにも、自民党が早く政策政党に生まれ変わるのを待ちたいのだが、こうも政争ばかりが好きではねぇ。(ここまで書いても、まだ政権交代時の政策継続のあり方など、積み残したテーマがある。これはまた別の機会に)

日本の元気B政治につける薬(1)〜課題解決型の政治を〜 11.1.17

 「日本の元気」の3回目は政治を取り上げたいのだが、今のような政治の体たらくでは、どこに元気があるのかと言われそうだ。しかし、そんな政治の貧困が続く一方で、私たち国民が政治に求める姿は近年、ますます明確になって来ている。それはこれから詳しく書くが、一言で言えば課題解決型の政治である。
 問題は政治が未だに古い体質から脱皮できずに、国民の期待に応えられない状況が続いていることである。そこで今回は、(与党も野党も含め)日本の政治が課題解決型に変わるための条件とは何か、日本の政治が機能するための条件とは何かを考え、何とか明日の「日本の元気」につなげて見たいと思う。

◆自民党型、利益分配型政治の終焉
 いま国民が期待している政治とは何か。そのことをはっきりさせるためには、まず、一年半前の政権交代について、国民はなぜ自民党を見捨てて民主党を選択したのか、そこを明らかにしておく必要がある。

 自民党は戦後長い間、税金を地方の様々な職域団体(地方議員、農協、郵便局局長会など)にうまく分配しながら、それを「集票マシン」として維持して来た。しかし、平成の大合併で地方議員が激減したこと、財政難で税金を思うように配れなくなったことなどから、この「集票マシン」は崩れ始める。
 そこに「自民党をぶっ壊す」小泉改革が追い打ちをかけた。郵政改革などの規制緩和によって、既得権益を守って来た自民党の支持基盤が一気に崩壊する。
 だが、時代が変化しているのに自民党は新しい政党に変われなかった。公共事業中心の利益分配型政治から抜け出せずに、安倍、福田、麻生と続いて旧態依然のまま、差し迫る日本の課題に何ら有効な手を打てなかった。ついには国民に見放されてしまったのである。

 一方、民主党が政権を得たのは、自民党型政治の限界が誰の目にも明らかになったからである。加えて民主党は「国民の生活が第一」としたマニフェストを掲げ、政策政党の装いをこらしたのが効いた。これが「自民党がこれだけダメなのだから、一度民主党にやらせてみるか」、「民主党なら、閉塞状態の日本に何か解決を与えてくれるのではないか」という国民の選択につながったのだと思う。

◆課題解決型の政治への転換
 そしてこの政権交代を境に、国民の政治に対する期待ははっきりと転換した。今、国民が政党に望むのは、日本が抱える様々な困難を解決してくれる能力である。有効な政策を立案し、しかもそれを確実に実行する能力である。つまり、国民の期待は従来の「自分たちに都合のいい利益分配型の政治」から、政策を重視した「課題解決型の政治」に移行したのである。

 これは、今日本が抱える問題の深刻さを考えれば、一部の利益集団の要望をかなえているような余裕はないことを、国民全体が肌で感じるようになってきたからではないか。その意味で、古い体質のままの自民党が復活することはもうあり得ない。

◆民主党政権のつまずき
 だが、一方の民主党はその期待に応えられたのだろうか。確かに政権交代後の民主党は肩に力が入っていた。マニフェストを錦の御旗に政治主導を掲げて官僚を遠ざけ、ダム建設中止、高速道路無料化、子ども手当、沖縄基地の県外移設、事業仕分けなど、自民党時代の政治とは違うところを見せようとした。
 しかし、ご存知のように様々な局面でマニフェストが現実の壁にぶつかり始めた。意気込みが空回りし始め、マスメディアを中心に一気に冷めた空気が漂い出した。霞が関の官僚たちも冷ややかに民主党の足元を見始める。

 そうした中、政権を引き継いだ菅が言いだしたのは「現実路線」。事業仕分けで財源を生み出せなかったことから、新たな財源として消費税増税を持ち出し、官僚との協調路線も復活させた。さらには景気刺激策として法人税の引き下げやTPP参加も。これらはマニフェストにはなかったことである。

◆マニフェストに対する菅民主党の迷走
 今の菅は、マニフェストの旗を半分下ろしかかっている。最近では、八月までにもう一度マニフェストを作り直すと言いだした。マニフェストの欠陥が露呈し始めたのだから、それは私も賛成なのだが、ただその間の8カ月、現実の政治はどうするのか。
 自分たちのマニフェストに確信が持てなくなった菅政権は、代わりに何をしたいのかと言う明確なビジョンを伝えられないでいる。代表選では「雇用、雇用」と言っていたのに、今は消費税増税と(経営側が求める)TPPだ。

 これが菅の「現実感覚」だとしても、それは余りに一貫性がない。国難が迫っているのに、政治家の勘にたよって安直なその場しのぎを続けた自民党時代と何ら変わらない。西岡(参院議長)からは「国家観がない。すべてがスタンドプレーの思いつき」(文春2月号)と批判され、内閣改造では頼りの仙石を切らざるを得なくなった。

◆政策立案能力の欠如が根本原因
 このところの民主党には古い利益分配型の政治に先祖がえりしたのではないかと思えるような現象が目立つ。事業仕分けでは省益を代表して大臣たちが反対に回る。菅が復活させた政策調査会(政調)に加わった議員たちがたちまち族議員化する。首相の菅まで連立や地方選を意識して野党や労組側、経営側の意向を無原則に取り入れようとする。
 マニフェストと言う羅針盤が故障した結果、民主党の議員にも身近な利益集団にいい顔を見せようとする政治家特有の性癖が目立ち始めている。国民が望んだ「課題解決型の政治」の迷走。菅内閣の支持率低迷は、こうしたことに国民が失望しているからに違いない。

 マニフェストを掲げ「課題解決型の政治」を目指して登場した
民主党が迷走しているのは、なぜなのだろうか。いろいろ言われているが、私は迷走の背景には根本的な原因があると思っている。それは日本の政治に真の意味での政策立案能力が欠けていることである。

 マニフェストを作るには、まず、政治が取り組むべき日本の課題を整理する(今までは、これさえも出来ていなかった)。そして専門家たちの高度な知識を動員して様々な選択肢を検討し、政治家が政策として立案する。民主党のマニフェストも本来は、そうした手順を経て掲げられるべきだった。

 それなのに、例えば、外交ではアメリカとの同盟の内容を見直し、アジアを重視すると言っては批判を招き(小沢が中国に議員をぞろぞろ連れて行ったのがいけなかった)、子ども手当では富裕層にも一律に配ることに固執して「ばら撒き」と言われ、農家の個別保障では、意欲的な農家に預けられていた農地の引きはがしを招いて批判されている。

◆遅れている日本の政策立案システム
 考える方向は的外れではないにしても、その具体策となると緻密さを欠き、幾つもの欠陥が露呈する。これでは、マニフェスト政治と胸を張ってもたちまち底が割れてしまう。日本の現状を心配し始めた国民の期待は、とっくに「課題解決型の政治」に変わっているのに、その政策立案の能力が遅れているのだ。

 現代は一国の政治課題がグローバルに複雑に絡み合う時代である。しかも歴史的に日本は大きな転換期に差し掛かっている。この難しい時に適切な政策を選ぶためには、政治家の勘などに頼っていては無理。
 日本の政治はもっともっと政策立案能力を高める必要があるし、これが上手くいけば「政治につける薬」にもなり得る。マニフェスト政治も機能するようになるだろう。

 課題は山積しているが、ではどうすればいいのか。政策を提言するはずの民主党の国家戦略室は何をしているのか。日本の官僚機構、各種の審議会やシンクタンクなどは機能しているのか。アメリカのように政権交代が普通になった時に政策立案システムはどうあるべきか。そして自民党は復活するか。
 ということで、ようやく本題に入ったところだが、残念ながら残りは次回に回させて頂きたい。悪い癖でつい前置きが長くなってしまったが、大事なテーマだとは思うので次回までには何とか。(手に余りそうなテーマだけど)

日本の元気A成長戦略としてのジャパンブランド 11.1.11

 年明けに悲観的なことばかりを報道しているマスメディアに代わって、少しは明るい未来を探したいと始めた「日本の元気」の第2弾。今回は日本の成長戦略に関る「日本ブランドの底力」について書いて見たい。

◆日本を元気づける成長戦略はないか
 日本経済の成長戦略について、民主党政権はおととし12月に鳩山前首相が、また去年6月には菅首相が、それぞれ「人間のための経済」と「強い経済」という考え方を打ち出した。経済成長を促す施策として、環境・エネルギーや医療・介護、アジアや観光・地域活性化をあげ、それに菅首相になってから「トップセールスによるインフラ輸出」も加えられた。

 しかしこれまでのところ、具体的な経済政策としては「法人税の引き下げ」や「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)への参加表明」、或いは新幹線や原発輸出に対する政府関与の動きなどが目立つくらいで、他に何が動いているのかよく見えない。「人間のための経済」や「強い経済」も、国民にはいま一つピンと来てないのではないか。
 これは一つには時の政権が、未だに「世界経済の分野で日本はいかに勝ち抜いていくのか、閉塞状態の今の日本経済を何で活性化していくのか」という明快で説得力のある「国の経営ビジョン」を探せていないからだと思う。何かもっと分かりやすくて、国民を元気づけるような成長戦略はないものか。

 ということで今回は、分かりやすいかどうかは別として、少しは夢のある日本の成長戦略について書いて見たい。(経済については全くの素人なので)一つのヒントにでもなればと思う。

◆梅棹忠夫の「情報産業論」
 話は飛ぶが、今から半世紀近く前の1963年、世界で最も早く今日の情報化社会の到来を予見した画期的な論文が世に出た。探検家で文明学者の梅棹忠夫が書いた「情報産業論」である。
 その中で彼は、人類の産業の展開史は農業の時代、工業の時代、精神産業の時代という三段階をへて進んでいるとした。そして、それぞれを、一個の人間が成長する段階としての消化器官系(農業)、手足などの筋肉系(工業)、そして脳神経系(精神産業)の発達になぞらえ、人間の産業史は、生命体としての人間の自己実現の過程だと捉えることもできる、と書いた。

 同時に彼は、当時勃興しつつあった「情報産業」(これも彼の造語!)を三段階目の精神産業と同義に位置付け、人間が脳を使って飛躍したのと同じように情報産業がこの先、飛躍的な展開を遂げるのは必然だと予見したのである。(詳しくは1988年「情報の文明学」

◆「情報産業論」の独創
 梅棹が言う情報とは、新聞や放送の扱う情報だけでなくもっと広範な産業に及ぶものであった。情報と言うものを「人間の感覚器官がとらえたものすべて」と定義し、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触角(身体感覚)などの人間の五感に訴えるものすべてが情報であるとした。これが凄いところである。
 こう定義すると、「情報産業」は音楽関連産業から、映像、料理、繊維(デザインや肌触りが既に情報)、各種の体験型産業、温泉、観光、スポーツ、レジャー、移動を体験させる交通にまで広範囲に及ぶ。

 同時に、彼は情報産業の勃興によって農業や工業がすたれるという論を否定し、工業の発達によって農業の生産性が上がったように、情報産業の部分を取り込むことよって農業も工業もより付加価値に高いものへと進化すると言う。
 そして、農業や工業においても、情報の占める比重は次第に大きくなって情報産業は未来における最大の産業になると予見した。半世紀がたって振り返って見ると彼の予言は見事に的中したのである。

 梅棹はその後も引き続き、彼の「情報産業論」を深めて行った。それを読むと随所に彼の炯眼が光っているのにびっくりする。
 例えば、彼は「情報というのは、調味料みたいなもので、素材にパラパラとふりかけるととたんに値が上がる。これをやらなければ、低品質のものしかできないということがわかってきた。高品質なものを作ろうとするとどうしても情報化がいる」、「いま工業および農業全体に情報産業が役にたつようになってきた」と言う。

◆日本の価値を高める情報の調味料「ジャパンブランド」
 さて本論に戻るが、私は梅棹の「人間の五感に関るすべてが情報」という定義と、その情報が産業を高度化するという考えこそ、今の日本を勇気づけるものではないかと思っている。この考えをおし進めて日本の成長戦略に取り入れて行くことこそ、日本経済の未来を開くカギになるのではないかと思っている。以下、まだ生煮えかもしれないが、そのことを書いていく。

 梅棹の情報産業論の観点から言えば、日本は今や世界に冠たる情報大国になっている。様々なIT機器に乗せるゲームやアニメの情報(コンテンツ)では、日本の「ソフトパワー」は世界的だし、オタク文化やファッションなどでは「クールジャパン」が世界の若者を魅了している。
 それだけでなく、情報産業化は日本のあらゆる産業に浸透しつつある。独特の精緻さや手触り感を誇る工業製品、かゆいところに手が届くサービスのコンビニや宅配業、「おもてなし」精神に支えられた繊細な日本料理や観光産業、にまで及ぶ。産業に振りかけられた情報化の調味料が、その産業の魅力を増し、高度化、高級化、付加価値化につながっている

 ここで気がつくことは、日本の産業に振りかけられた「情報の調味料」は実は極めて日本的なものだと言うことである。言い換えれば、それは当然のことながら「日本人の五感に訴える情報」になっているということである。それこそ、日本の製品、サービスが世界で注目されるユニークさなのではないか。
 それは多分、室町に始まり、江戸で花咲き、日本人の様々な感性を磨いて来た日本の文化と深く関っている。日本の製品、サービスの付加価値を高めている情報化に共通する精神。私はそれを「ジャンパンブランド」と呼びたいのである。

◆「ジャンパンブランド」の問題点
 世界で注目されつつあり、潜在的力も秘めた「ジャンパンブランド」だが、日本の成長戦略にまで昇格させるには、残念ながら2つの問題を抱えている。

 一つは、よく言われることだが、総じて内向きの傾向が強いと言うことである。携帯も「iモード」で世界に先駆けてインターネットを取りこんだが、世界展開では苦戦している。人口1億2千万の市場を持つ日本では、国内でそこそこ商売出来てしまうのがかえって良くない。国内市場にだけ目が向き、そこで激しい競争をする。
 その結果、製品は日本独自の進化を遂げついには「ガラパゴス化」してしまう。始めから世界を視野に入れて世界を目指さない限り、ジャパンブランドはその強さを発揮することは出来ない。この内向き志向をどう変えて行くのか、これが問題なのだ。(この点で、始めから戦略的に世界市場を目指す最近の韓国企業に負けている。「おそるべし韓国企業」)

 もう一つは、ジャパンブランドを海外にトータルに売り込んでいく戦略がないことである。まず売り込んでいくためには、ジャパンブランドの本質を明らかにしなければならない。日本人の繊細な感性、それによって開発された華麗な伝統文化。その裏打ちで高度化した産業は、世界に誇るものだが、それをプロデュースする戦略がない。
 例えば、民主党が成長戦略の柱の一つにしている観光産業も、その資源である四季折々の景観、神社仏閣(パワースポット)、祭りなどのイベント、温泉、地元料理、特産品、市場などをトータルにプロデュースして、日本独特の「おもてなしの心」を世界に訴えて行かなければ、成長戦略とはなりにくい。(日本の観光戦略については、別途書いて見たい)
 日本文化の特質を世界市場の中で評価することによって、ジャパンブランドの底力を再確認し、それを日本の魅力として世界に売っていく。この「イメージアップ作戦」には、腕利きのプロデューサーが100人くらいは必要だろうと思う。

◆株式会社日本の経営ビジョン、ジャンパンブランドの底力
 日本の高度な文化力に基づく「ジャパンブランド」は、日本発の経済活動の付加価値を高める切り札である。ただし、それを有効に生かして行くには、政治の力も必要だ。
 まず、その意義と可能性を分かりやすいメッセージとして国民に伝える。成長戦略に組み入れて、あらゆる産業のより高度な情報化を促す(それには今懸案の農業も入って来る)。内向きに安住するのではなく、自信を持って始めから世界を目指せるような環境作りをして行くことである。

 通常、企業は自社の企業活動をどのように展開していくかという指針、「経営ビジョン」を持つ。大企業ともなればそれは当然、未来を見据えて時代の変化を読み、世界で勝ち残って行くためのビジョンになっていなければならない。
 その観点から言うと「ジャパンブランド」とは、「株式会社日本の経営ビジョン」のようなものだ。
 ということで、「ジャパンブランドの底力」を解明して、それを強力なエンジンにして成長戦略を立てる。日本は、歴史上数々の文化的奇跡を成し遂げて来た「ミラクルアイランド」なのだから、方向性さえはっきりすれば、このまま終わる筈がない。さて、少しは夢が膨らんだだろうか。
(次回はB政治につける薬)

日本の元気@見えて来た改革の方向性 11.1.6

◆元気が出ない?年明け
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 年明けなので、少し元気が出るコラムを書きたいと思って新聞の社説を熟読してみた。しかし、
どれもが政治の混迷を反映して社会の閉塞感や停滞を嘆くものばかり朝日は「今年こそ改革を」で「何とも気の重い年明けである」と書き始めるし、毎日も「2011 扉を開こう」と題してシリーズで社説を掲げているが、「低成長でも不幸にならない社会」というような、あまり意気が上がらない社説が並んでいる。

 ということで、私の方は別な角度からできるだけ日本の明るい面を引き出して、年明け以降の日本が取り組んで行くべき課題を整理してみたい。もちろん、今の日本の現状を踏まえると、あまりカラ元気なことも書けないが、視点を変えれば、少しは明るい未来も見えて来ると言うことである。
 取りあえず「日本の元気」と題して、@見えて来た改革の方向性、A成長戦略としての日本ブランド、B政治につける薬、の3回程度で書いて見たい。

◆日本の難題について、混迷と迷走の中から見えて来たもの
 政権交代が起きてから1年半、この間の民主党の政治については、点数の辛い評価が定まって来た感がある。マニフェストで訴えたことが中々実現できていないこと、普天間移設問題での期待外れ、対中国、ロシア外交での失点、ねじれ国会での政治の停滞、党内の権力闘争などが続いているのだから当然と言えば当然と言える。
 しかし、この1年半の混迷と迷走の経過をつぶさに、かつ大局的に眺めてみると、必ずしもすべてが停滞ばかりではなかったように思う。敢えて上げれば、それは日本の取り組むべき課題が国民、政治家にようやく共有されて来たこと、また議論の過程で幾つかの具体的な処方箋も見えて来たことである。

 振り返って見ればもう1年前になるが、この「日々のコラム」で、日本が直面している「日本の難問」の数々を取りあげた。@少子高齢化A膨大な財政赤字B地方の疲弊C問題山積の官僚機構などである。これに、教育問題、経済のグローバル化、日米関係を含めた防衛問題、地球温暖化問題を付け加えて、日本は待ったなしの瀬戸際にきていると書いた。
 そして、難問の解決のためには、「難問の本質を見誤らない理解力、解決に取り組む戦略的思考、高度な専門能力を備えた人材の確保と組織化、そして何より課題を先送りにしない決意と覚悟」が必要で、これらが一つでも欠ければ解決は難しい、と書いた。
 残念ながら、今の政治にはこれらの要点が幾つも欠けていると言わざるを得ない。しかし、政権交代以降の1年半の混迷と迷走は、全くの無意味ばかりではなかったように思う。

 政権交代以降、待ったなしの難問をどうするのか議論だけは続けられて来た。その結果、日本が直面する難問について、国民、政治家、マスメディアの間に、ほぼ共通の認識、問題意識が出来て来たように思う。
 また、議論の結果、それぞれの課題について幾つかの具体的な政策の案(メニュー)と論点も見えて来たのではないか。具体的な政策の方はまだ殆ど進んでおらず、遅すぎるきらいはあるが、それでも長年のしがらみの中で、自分たちの政策が見直せなかった自民党時代に比べて見れば、一つの前進だと思う。そのわずかな前進というものを整理してみたい。

◆幾つかの具体的な政策が見えて来た
 例えば、@少子高齢化について。民主党の「子ども手当」はバラ播きという批判を招いているが、一方で「社会全体で子供を育てる」という考え方そのものは、深化して来たと言える。
 高収入層にも子ども手当を支給すべきか。子供を預けて働こうにも、保育所が足りないなどの問題(幼稚園と保育所を一体的に運用する「子ども園構想」など)をどうするか。いずれにしても、少子化対策は、単に「子ども手当」だけでなく、若い世代が安心して子供を持てる「子育てのための総合的な政策」が必要だと言う認識は深まって来たように思う。

 各種の子育て支援策から働く若者たちが安心して結婚生活を送れるための雇用確保、労働条件改善まで、少子化対策については政治がリードすべき課題は多岐にわたる。「社会全体で子供を育てる」ことの重要性と具体的イメージが社会的に共有されて来たのは一つの前進。問題は、政治がそれを如何に
総合的な政策として組み立て、実行するかにかかっている。

 A膨大な財政赤字について。「事業仕分け」で無駄を省いて、あらたな財源を確保すると言うマニフェストは壁にぶつかっている。そこで、消費税の増税問題が浮上し、これが殆ど唯一の案になっている。
 事業仕分けの限界は、1年半の経験で見えたものだが、ここですぐに、消費税アップに舵を切るには、まだ早いと私は思っている。霞が関改革がまだ殆ど手をつけられていないからだ。地方と国の二重行政の無駄をどう省くか。赤字を減らすために、必要なものでも優先順位の低いものをどう切って行くのか。
 消費税アップを言うなら少なくとも、まず政策の優先順位を決める「国家経営のビジョン(基本計画)」を示し、予算編成と予算執行
のあり方を改革する
「霞が関改革」とセットで論議されなければならないと思う。

 
国防費も含めて大胆な予算カットに踏み出したイギリスの例などに比べても、日本の方が事態はより深刻なのに、まだまだ生ぬるい。財政破たんで緊縮財政に追い込まれるのでは遅すぎるのに。

 B地方の活性化について。地方交付税を増やして、できるだけ地方に裁量権を与える。国の出先機関を整理統合をして権限を地方に移譲する。いずれも中途半端で、改革と言うにはほど遠いが、改革の方向性の認識だけは整いつつある。
 同時に、遅々としか進まない国の動きにしびれをきらしたのか、あるいは財政赤字の深刻さをより身近に感じているのか、地方から改革の動きが出て来た。
 地方議会や官僚の人員や給料の削減、地方連合の動き、行政効率化のための大阪都や中京都構想の動きで、これが市民の政治参加も促していて、大変興味深い現象だ。
 さらに橋下知事らは首相公選制まで提案していくというが、これが地方の活性化と同時に、国の政治改革にどうつながって行くのか。様々な政策を競う地方政治の姿が少しずつ見えて来ている。

 C官僚機構改革について。これが一番遅れている。当初、民主党は政治主導と言って政治決定から官僚を排除したが、これが失敗。その後、官僚の力も生かすべく方向転換したが、その成果が見えない。官僚は両刃の刃だ。官僚から知恵を引き出すには、政治家の手腕も要求される。官僚が自分たちの首を絞めるような国と地方の役割の見直し、出先機関の見直し、省庁再編成、大胆な予算削減などに踏み切れるか。ちょっと考えただけでも、これは如何にも難しい。

 官僚機構改革のカギは国家戦略局にある。玄葉国家戦略担当大臣が霞が関をどう改革するかだが、今何が議論されているのか、その動きはここへ来て一向に見えなくなっている。官僚機構改革は、それこそ「霞が関をいったん壊して、新しい家を作るくらいの覚悟でやらなければ駄目だ」と言っている小沢のような憎まれ者や、「みんなの党」の渡辺などの乱暴者でなければ出来ない作業だ。今の体制(菅、仙石、玄葉ら)に期待する方が無理かもしれないが、日本はここから逃げてはいけないと思う。

 D日本の成長戦略。グローバル経済の中で日本の景気をどう浮揚させるかは、財政再建にも直結する重要事項である。成長戦略の一つとして、法人税の引き下げなども行われたが、具体的政策として大きなものは、にわかにクローズアップされてきたTPP(環太平洋パートナーシップ協定)だろう。
 自由貿易協定(FTA)で韓国に後れを取った焦りもあるに違いないが、その前に、この問題は
日本は成長戦略をどこに据えるかに関わって来る。日本再生の方向として、「もの作り国家」とか「通商国家」とか言われるが、日本は国際的に何で生きて行くのかということである。
 日本の生きて行く道、成長戦略については、これらの考え方とは別な観点から書きたいことがあるので、次回に。世界に日本を売り出すための「日本ブランドのイメージアップ戦略」として書いて見たい。

◆政権交代で初めて見えて来た意味
 日米関係を含めた防衛問題、地球温暖化問題などについては省くが、ここまで、政権交代後の1年半で見えて来た「日本の難問」に対する認識と政策の進化について整理してみた。まことに徐々にではあるが、政策の具体的メニューが見えつつある、と言ってもいい。
 「メニューは揃った。あとは、実行あるのみ」とある経済人が言っていたが、どうだろうか。政策としてはさらに議論を深める必要があるし、実行するには「新たなマニフェスト」として提示する位の覚悟がいる。混迷を深める今の民主党にそれが出来るか、という心配もある。
 しかし、まあいろいろ不満はあるが冷静に考えてみれば、日本の重大課題についての認識が共有され、政策の具体案が少しずつでも見えて来たのは事実で、これは何といっても政権交代で50年にも及ぶ自民党時代の政治がリセットされたことが大きい。そう考えると、この間の迷走と混迷も、少しは意味を見つけてやる必要があるかもしれない。

 (評判の悪い高速道路無料化や農家の戸別保障など)前のマニフェストをどうするのか、また改革のスピードを上げられるのか。こうしたことを含めて民主党政治の吟味については、3回目に「政治につける薬」として書いて見たい。

◆政局より政策を
 最後にメディアと政党にも注文をつけておきたい。メディアについて言えば、今こそ「政局報道より政策報道」が必要な時だということ。マスメディアも民主党内の権力闘争の報道や、近視眼的な政権批判にばかり血道を上げないで、それぞれが日本の課題についての政策提言をしながら、その座標軸に沿って政策報道を競い合うようにすればいい。
 また、自民党も他の野党も、互いに足の引っ張り合いにエネルギーを使うより、国民に政策をアピールした方がいいと思う。いずれにしても、日本の難問は誰の目にも明らかになりつつあり、しかも待ってくれない。従ってこれからは、日本の重要課題に対して、より的確で実効ある政策を掲げて、実行力をアピールできる政党だけが国民の支持を得て行く筈である

 ネットの普及によって、メディアも政治もこれまでのように高みに居座ることはできず、その内実が国民によって厳しく吟味される時代である。国民の吟味に的確に応えられる者だけが次の時代に生き残って行くだろう。(次回は「日本につける薬 A成長戦略としての日本ブランド」について)

テレビ制作者は今も「放送人」か 10.12.30

◆全国放送の重圧
 もう35年も前の話だが、私は6年の地方勤務を終えて東京勤務になり、全国放送の番組を担当することになった。30分の科学ドキュメンタリー番組である。それまでは、15分のローカル放送番組をどこか気楽に作っていたのだが、全国放送となると緊張の度合いが全く違っていた

 何カ月もかけて取材した素材を30分に編集するのだが、仕上げはしばしば徹夜になり、朝一番で現像所に届けることになる。それからコメントを書く。一つ一つ事実を確認しながら書いて行くのだが、これも往々にして徹夜明けで台本印刷に回す。
 時折、時間に追われてあいまいな記憶のままにコメントを書いてしまうと、収録してから放送までの間、それがずっと嫌な感じで心に引っ掛かった。駆け出しのディレクターとしては、番組の出来不出来よりそういう時の方が、全国放送の重圧がずっしりと響いた。また、これが嫌で、たかが30分の番組だったが、これでもかと言うくらい事実の確認に気を使うようになった。

◆放送と言う仕事は、この苦労に見合うのか?
 このようにして作った番組が初めて全国に放送された時のことである。ふとある思いが浮かんできたことを、今でも鮮明に覚えている。それは、「自分がこんなに苦労して作った番組は何かの役に立ったのだろうか」、「番組作りと言う仕事は、事前の苦労に見合うのだろうか」と言う思いである。あんなに苦労して作った番組があっと言う間に終わって、ちょっとあっけない感じがしたためかもしれない。

 苦労と言っても、それはあくまで主観的なものである。ドキュメンタリーを作ることは、当時の自分にとってはその位大変だったのだと思う。企画から提案、取材先との交渉、番組構成作り、ロケ日程の作成まで、全部一人でやらなければならない。明日からロケが始まるというのに、取材先がまだ決まらないなどと言うことが何度もあった。

 しかし、「番組作りと言う仕事は、事前の苦労に見合うのだろうか」という疑問が浮かんだのは、最初の一度だけだったように思う。へとへとで死にそうになっても、放送が終わると再び「次は何をやろうか」という思いがどこからか浮かび上がって来る。「これって、一種の麻薬のようなものじゃないか」などと思ったこともある。自分が番組を作ることに、ある種の手ごたえのようなものを感じ始めていた。

◆梅棹忠夫「情報の文明学」から
 その「手ごたえ」の内容が何だったのかは、後で書くが、こういう昔のことを書いたのには実は理由がある。今から50年も前に書かれた「情報の文明学」(元国立民族博物館館長、梅棹忠夫)の中に、全く同じことが書かれていることに、最近になって出くわしたからである。
 テレビ草創期の当時、放送業界と付き合いが深かった梅棹は、「放送人の誕生と成長」という考察の中で以下のような文章を書いている。

 「番組制作者たちの仕事ぶりをみていて、わたしは、ときどき、ふしぎな感じにおそわれることがある。それはこういうことである。かれらは、まことに創造的であり、また、まことにエネルギッシュである。しかし、かれらのつくっているものが、かれらのはげしい創造的エネルギーの消耗に、ほんとうにあたいするものなのであろうか。」
 「まったく、ラジオもテレビも放送してしまえばおしまいだ。どんなに苦心してうまくつくりあげた番組も、一回こっきり、あとになんにものこらない。そのために、何日も、何週間もまえから、ひじょうな努力をはらうのである。これはひきあうことだろうか。」

◆「放送人」の誕生
 梅棹は、彼ら(放送に携わる人間)がむだな努力をしているということではない、と断りながら、無駄と思わない彼らの論理をはっきりさせることが、放送人というものの性格を明らかにすることだと言う。
 その論理を彼は「その番組の文化的効果に対する確信みたいなものがあるからではないか」とし、「放送の効果が直接的に検証できないという性質を、否定的にではなしに、積極的に評価した時に、放送人
は誕生したのである」と書いた。

 梅棹によれば、「その効果が直接的に測れないという点で、放送人は教育者と同じであり、教育者が、その高度の文化性において聖職者とよばれるならば、放送人もまた一種の聖職者である」。ただし、「かれらのエネルギー支出を正当化する文化的価値というのは、もっとひろい意味での「情報」の提供ということであって、倫理的、道徳的な価値とはまるで尺度がちがうものである」とした。

◆社会と深くかかわる感触
 放送は、梅棹が言うように具体的な効果が測れない。にもかかわらず、制作者は一見過剰とも思えるエネルギーを番組に注ぎ込む。視聴率と言うものもあるが、仮に視聴率が高くてもドキュメンタリーなどの評価とは本質的に違うものだ。
 梅棹は、制作者のよりどころを「文化的効果に対する確信」と書いたが、私の場合は何だったのか。苦労を厭わずに番組を作り続けた理由である。

 私の場合、それは、番組が持つ社会とのかかわり、インパクトへの手ごたえではなかったかと思う。社会に対して新しいメッセージを伝えること。それによって社会の何か(それは単にものの見方であってもいいが)が変わるかもしれないという期待。そのために、社会の何をテーマとして取り上げるのか。さらに、それを、どのように効果的に伝えるのか、という工夫のし甲斐だったように思う。
 こうしたことが、梅棹の言う「文化的効果に対する確信」かどうかは分からないが、そう考えた時、社会的にある種の特権も与えられた番組制作者とは、極めて魅力的な職業でもあった。


◆テレビの現状、2つの懸念
 「放送人」というのは、梅棹が初めて使った言葉である。別なところで、彼は放送人について、「いつまでたっても偉大なるアマチュアである。絶対にスペシャリストにならない。それがかえって魅力なのだ」と言い、その理由として「まず第一は技術革新がはげしい。いつも社会の変化の最先端にいる」と言った。
 梅棹の「情報の産業論」は全体に、現在の情報産業(情報産業というのも梅棹の造語だった)の発展を見事に言い当てていて、その卓見には驚くばかりだ。しかし、放送産業については、このフロンティアとしての自由さがいつまで続くかは分からない、とも言っている。

 この論文が最初に世に現れてから、すでに半世紀が過ぎた。この論文を読んで今のテレビを見るとき、私は2つのことを懸念せざるを得ない。一つは、テレビ制作者はその草創期のように「文化的効果に対する確信」を持って番組を作っているだろうか、という懸念である。
 彼の論文の頃には、それほど重視されなかった視聴率や接触率が今や、番組効果のすべてを測る指標となった感がある。制作者たちが、自分が何を伝えたいのかと言う思いを離れてひたすら視聴率をねらう傾向はますます強くなっている。それが放送の質を落とし、テレビの社会的役割を低めることにつながっていないだろうか
 毎日、どのチャンネルをひねっても同じ顔ぶれのタレントが飽きもせずに似たようなことをやっている創造性の貧困。ワイドショーでは、歌舞伎役者の暴行事件が長時間報道され(まさに
「ジャンクフード・ニュース」の典型)、それと殆ど同じレベルで民主党の内紛が日課のようにニュースになる。テレビはかつての情熱を置き忘れて惰性に流れ、自分で自分の首を絞めているようにしか見えない時がある。

 もう一つは、常に技術的革新の中心にいたテレビが、いまやその中心から外れて来ているのではないか、と言う懸念である。梅棹が予見したごとく、情報産業はますます社会の中心に位置するようになった。しかし今や、その技術革新は主に、インターネットの世界から生まれるようになっている。
 多種多様な情報機器が出現し、それに向けて多くの人々をひきつける新しいコンテンツが生まれている。その変化の中心からテレビがはずれつつある時、テレビにはどんな運命が待っているのだろうか。
若い世代のテレビ離れが進む中で、テレビ制作者たちはさらに過酷な視聴率競争に追い立てられて行く。その時、放送人たちはいつまで創造的な情報の伝達者であり続けられるのだろうか。

◆自己崩壊を避けるために
 気付かないうちにオールドメディアになったテレビは、若い時の惰性でチープなジャンクフードを無茶食いして肥満になり、様々な成人病を抱える中高年のような存在になりつつある。だが、その現実を直視して自己を律し、果敢に可能性に挑戦して行けば、まだまだ独自の存在感を発揮できるはずだと思う。
 放送に携わる人間たちが、その存在意義の低下に妥協し、かつて冗談で卑下したように自らを
「虚業家意識」に堕してしまったら、放送人は職業人として自己崩壊してしまう。放送人のはしくれだった私は、テレビにまだ質の高い情報の伝達者として「どこかで踏みとどまってもらいたい」と、願っている者の一人ではあるが、この先、テレビはどうなるのだろうか。

小沢切りの真相と深層 10.12.12

 民主党の岡田幹事長が小沢元幹事長の国会招致の腹を固め、13日にも役員会で議決をして出席を迫ると言う。小沢派の神経を逆なでしても小沢排除に踏み切ると言うことである。そして、両陣営の憎しみをまじえた権力闘争がまた「民主党の内紛」と批判されている。

◆信義を欠く、人情音痴の菅執行部
 現在の菅政権は6月に発足して以来、一貫して小沢排除を目指し、そのことを政権浮揚の道具として使って来た。しかし、これは考えてみれば、田中秀征が「サンデーモーニング」でかつて言っていたように、政治家同士の信義を欠いた冷酷な仕打ちである。
 今の民主党政権は民主党に加わった小沢新進党の助けがなければ永久に政権につけない弱小集団であり、未熟な政党だった。それが小沢派の尽力で政権を獲った後、そんな経緯も忘れて旧民主党派はマスコミの論調に乗って小沢派を政権から排除しようとして来た。

 それが、どんなにか小沢を始めとする小沢派の怒りを買っているか、そんな浪花節のような世界とは無縁な菅、前原、仙石、岡田たち旧民主党の連中には分からないのだろう。しかし、これは「人の情」というのが分からないのと同じで、政治を単なる権力闘争としか見てこなかった旧民主党系集団のいびつな性格を浮き彫りにするものでもある。
 今の民主党内の権力闘争は、一面から見ると今の執行部の政治音痴、人情音痴の性格が引き起こしているとも言える。

◆政治的に未熟な面々
 菅を始めとする現執行部は政治と言う世界で物事を動かした経験がなく、その中で政治家同士の人情などと言う要素の働かせ方も知らない。政治を動かして行く際の、人と人とのつながり、ボタンの掛け方などの経験もなければ重要性の認識もない。岡田幹事長が「根回しのような古いやり方はしない」などと言うのも、やろうにもその力がないだけの話である。

 民主党現執行部の政治的未熟さは、かつて小沢に指摘された通りだが、彼らは、連立のような微妙な話もすべてオープンにやろうとしてすべてのカードをなくしている。菅のように何の政治信念もなく、国会答弁で公明党にすり寄れば、連立の芽が出るのではないかなどと単純に考えているのも、政治家としてみっともない限りだ。
 いずれにしても、彼らの人情音痴、政治音痴な性格は治しようがなく、これは自民党などとも全く相いれないもので、彼らが大連立を組もうとしても上手くいくはずはない。

◆小沢切りを支えているもの
 彼らが、信義をわきまえて小沢の顔を立て、小沢派と一致協力して政権運営にあたっていれば、いくら「政治とカネ」と言っても、今のような内紛は起きなかったろうと思う。かつての自民党もそういう知恵だけは持っていた。
 周囲をガードし、小沢の顔を立てながら小沢に話す機会を作ってやることもできただろうに、これだけ小沢の顔をつぶした上で自分たちの延命のためだけに、かつての盟友をお白洲に引き出そうとしている。それでは、小沢の方は意地でも動かないだろう。それにしても、現執行部は一度でも小沢の「政治とカネ」の問題を自らの責任で調べたことがあったのだろうか。

 小沢が承諾しないのを見越して、菅と岡田や仙石が議決で小沢を追い込もうとしているのは、この辺で一気に小沢と決着をつけたいからだと思う。彼らはもう小沢について行く議員はいないと踏んでいるのだ。彼らのこの冷酷非情なやり方は、何やら旧ソ連や中国などの政治を思わせるが、一時的な勝利があったとしても、その未熟な性格はまた一層の混乱を生むに違いない。

◆アメリカの思惑と一致した動き
 ただし、菅政権がここへ来て一気に小沢を切ろうとしている背景には、もう少し別な背景があるのではないかと考えている。表向きにはもちろん、「政治とカネ」について何も出来ない民主党への批判をかわすと言うのが大義名分だろうが、それとは別のことである。
 私は、それは、ここへ来て明確になって来た日米軍事同盟の強化路線と小沢の親中国とも言える路線が決定的に相いれなくなったためだと思っている。

 小沢や鳩山のアメリカとの軍事同盟の見直し路線は、あらゆる親米派から危惧を持って見られていた。振り返って見れば、それがマスコミの執拗な小沢批判の通奏低音になっていた感じがする。この辺で小沢と決着をつけようとする考えは、最近起きた尖閣諸島での衝突事件や北朝鮮の韓国への砲撃と無縁ではないはずだ。
 岡田や前原は、これらの事件で一気に高まった日米軍事同盟の強化路線に沿って動いている。そして菅自身もその路線に乗っており、彼らはこうした流れの中でにわかに小沢排除に動きだしたのだと思う。
 その動きは親米的なマスコミやアメリカからの暗黙の支援を受けていると見ていいのではないか。菅執行部が小沢に手荒い仕打ちをして、多少の混乱を引き起こしても、アメリカからも、そして当然マスコミからも支持が期待できる。その辺のところを敏感に感じ取っている小沢派議員の動揺を見越しているのだ。

◆進行する日米関係強化の動き
 ここへ来ての日米の関係強化の動きは激しい。尖閣諸島での日中の対立、北方四島を巡ってロシアとの緊張、そして朝鮮半島での砲撃事件。それらがアメリカの軍事力を呼び込む。
 アメリカからすれば、日米韓の軍事同盟が強化されて、強大な中国に対して、中国とすぐ近くの韓国と日本がアメリカの出城になればこんなに都合のいいことはない。その一方で、背後にアメリカの強大な軍事力が控えてなければ、安心して中国や北朝鮮と向き合えない、という日韓の思惑もある。

 日米軍事同盟の強化。このところの日本を取り巻く動きは、誰かが密かにシナリオを書いているかのように、これに向かって動いている。マスコミでも安保論議が増えている。例えば「BSプライムニュース」(BSフジ)では、親米保守派で外交評論家の岡崎久彦が「これからは日米強化しかない。武器三原則などと言ってないで日米で核に代わる最新兵器を開発し、日本に配備すべし。」と言いきっていた。彼の中国の脅威に対する考え方は、かつての砲艦外交の考え方と本質的には変わらない。
 彼ら親米保守派からすれば、小沢や鳩山の親中国、親アジア路線などは許されない愚論であり、排除されなければならないものである。

 背後にアメリカがついていれば、怖いものはない。今年の正月から「政治とカネ」を理由に、執拗に続いて来た小沢排除の動きは、東アジアでの緊張の高まりとともに一段と勢いをつけて来た。菅や岡田の決意の背後にアメリカの影を見るのは私だけではないだろう。

◆日本の不幸は続く
 今は「政治とカネ」に隠れて、あまり表だっては言われないけれど、これはある意味で、前々から続く民主党内での路線闘争でもある。従って、13日の役員会の決議があったとしても、民主党内の権力闘争は当面収まらないだろう。その過程で民主党が分裂したりすれば、政治が再び流動化する。待ったなしの日本の難問と政治の停滞。その先に待っている「日本の不幸」を思うと、暗然とせざるを得ない。

 日米関係の再構築による強化については、決して避けて通れない問題だと私も思う。しかし、それを菅政権はどうやろうと言うのか。今日の「サンデーモーニング」でも言っていたが、菅には権力闘争の次に何をやろうと言うもの(政治信念も信条も)が見えない。
 仮にあったとしても、それは既に自民党と同じものになっていて、菅民主党である必要はもはやなくなっているのではないか。

 日本の政治は、人気の高かった安部を首相に選んだころから変転する世論のままに漂流する愚を続けている。9月の民主党代表選に際して私は、「日本に運はまだ残っているか」と書いた。その当時は、マスコミも国民も圧倒的に菅を支持していた。あれからわずかに3カ月。マスコミ論調や世論のこの変わりようを見れば、「政治を弄ぶ者の声ばかりが大きい日本の不幸」を改めて感じざるを得ない。 

「どつぼ」にはまる日中関係 10.11.1

 尖閣諸島での衝突で中国船長を逮捕した事件の余波が収まらない。レアアースを禁輸したり、首脳会談を拒否したりする中国政府の強硬な姿勢、また中国各地での反日デモを見て、日本国内でも中国リスクを説く論調や、中国を「悪しき隣人」という政治家(枝野)が出て来るなど、中国嫌いの感情が広がりつつある
 国会では、船長釈放の判断を巡って政府の「弱腰外交」を批判する野党との駆け引きが相変わらず続いている。衝突時のビデオを公開する、しないという後ろ向きの議論が続いており、これがまた中国を刺激する。

◆基本姿勢がない中で「どつぼ」にはまる日中関係
 こうした状況はまた、様々な政治的な動きを呼び込まずにおかない。自民党の右派政治家がやかましく国家の威信を説く一方で、中国警戒論と日米同盟の強化を言う。尖閣問題はアメリカにとって日本とアジアに影響力を発揮する絶好のチャンスになった。
 「尖閣諸島は日米安保の範囲だ」とリップサービスし、日米中3国の会談を呼び掛ける。これにまた中国がカチンとくる。アメリカの後ろ盾が欲しい日本は「思いやり予算」を満額回答したが、アメリカにとってこれは漁夫の利に近い。日中関係は中国国内の事情と日本の政局、それにアメリカまで絡んで、身動きの取れない「どつぼ」にはまりつつある。

 もちろん、冷静に考えれば、日中関係の安定が両国の利益にもなり、アジアの安定にもつながることは誰にも分かる。それが「戦略的互恵関係」の基本精神で、政府もそういう方向で収拾しようとしているのだが、中国に毅然とした態度で当たれと言う野党と前原外相が相変わらず刺激的な言動をして、事態の収拾に水を差す。
 閣僚の考えがバラバラで中国に明確なシグナルを送れないでいる。こうした混乱は一重に菅政権が、アメリカとの関係も含めて日中関係をどうするのか、外交の基本姿勢をしっかり詰めてこなかったお粗末さが響いているのだと思う。

◆「日米同盟+日中協商」
 では、日本は(アメリカとの関係も含めて)日中関係をどうすべきなのか。これについては、五百旗頭(いおきべ)防衛大学校長が分かりやすく説いている(10/24毎日)。
 すなわち、この先、中国が重みを増すのは必然であり、強くなる中国が国際関係に建設的な役割を果たすか、利己的・破壊的な行動に傾くかは、21世紀の人類史の幸不幸を左右するほどの問題だと言うこと。その状況の中で、21世紀の日本が安全で実り多い航海を続けるには「日米同盟+日中協商」が不可欠だとするものである。

 対して「日米基軸+アジア軽視」、「離米・アジア共同体」、「日米中正三角形」のそれぞれの論を排する。これには私も賛成。しかし、そのためには「日米同盟」を時代に合ったものに、より進化させることが条件となる。これはこれで問題山積。
 一方の「日中協商」だが、スローガンを掲げただけで上手くいくような状況にはない。五百旗頭氏は、今の中国は力の行使に重きを置くか、あるいは国際協調で行くのか、を巡って「2つの中国」が混在、交錯していると言う。
 この2つの中国のはざまで、中国が成熟した国際国家になるように促して行くことこそが、日本の利益にもつながって来るというのだ。

◆様々な矛盾を抱えた中国と付き合うために
 前にも書いたが、中国は国内に様々な矛盾を抱えた巨大国家である。人口が日本の10倍強、国土が25倍もある。日本が10個も集まった国を日々無難に治めて行くことが如何に難しいことか。膨大で複雑な国を治めるこの感覚は、日本人にはなかなか想像しにくいところだ。

 中国では、反日デモだけでなく、暴動が毎日200件も起きている。しかも最近では格差による矛盾の拡大や、その不満を伝えるインターネットの普及によって、共産主義はタガがゆるんで抑えが効かなくなっている。
 国家をまとめて行くには、強い中国を演出して国民の優越感をくすぐるか、矛盾から国民の目をそらす外敵を作るのがてっとり早い。間違っても外国に弱腰な姿は見せられないが、外国批判を煽るといつそれが政府に跳ね返って来るかわからない。力の行使に重きを置くか、あるいは国際協調で行くのか、そのはざまで揺れる難しい国なのだ。

 しかし、仮に中国が混乱して内乱がおきたり、経済が破たんしたりすれば、今やその影響は全世界に及ぶ。日本もその影響をもろに受けざるを得ない。こうした状況を認識した上で、中国が成熟した国際国家に変わるよう促して行く
 中国にも様々な矛盾を少しずつ克服しながら、民主主義的な成熟国家に脱皮して行く以外に未来はないということを理解してもらわなければならない。これが世界の共通課題なのであり、隣国日本の目指す道でもある。
 「日中協商」、「戦略的互恵関係」とは、こうした難しい状況の中での基本方針であり、政府の明確な意志を伴わなければ上手くいかない性格のものなのである。


◆尖閣へ正しい態度
 以上のような状況認識から尖閣諸島の領有問題について考えるとどうなるか。基本的な答えはシンプルだと思う。すなわち、日本の実効支配が続いている以上、出来るだけ尖閣を日中のトゲにしないことである。そうして実効支配の状況をできるだけ長く保つことである。

 その考えから言えば、適切な対処とは、例えば、領海内に侵入した漁船は警告して領海外へ追い出す。追い詰めて衝突されるようなトラブルは避けたい。これが第一である。
 トラブルは避けたいが、仮に今回のような(衝突で傷つけられる)トラブルになれば、拘束することはやむを得ないが、出来る限り速やかに国外追放する。その上で、中国に抗議して賠償を請求する。中国はそれを拒否するが、それ以上に争いは拡大しない。
 中国漁船がうろうろしている尖閣諸島では、予めこうした対処マニュアルがあるべきだった。(実は小泉政権時の対処以降、これが日中の暗黙の了解になっていたふしもある)

◆基本的戦略がないことから来た不手際
 だが、船長逮捕の際の検証記事を読む限り、政権担当者にそうした事前の準備はなかったように見える。事件当時、ドイツへの機内にいた岡田外相(当時)は国際電話で「こうしたことは粛々とやらなければだめだ」と主張、ビデオを見た前原国土交通相(当時)も「悪質な事案」と海上保安庁に伝え、船長逮捕を主導した。
 しかし、その後「国内法に則って粛々と」などと言いつつ釈放に追い込まれた経緯を見ても、彼らの主張に先の見通しがあったとは思えない。日中双方とも失ったものは余りに大きい。彼らがなお、「筋と原則にこだわるのが外交だ」と単純に思い込んでいるとすれば、この先が思いやられる。

 今回の事件は、日中の「戦略的互恵関係」に消し難い傷を残しつつある。今度何かあったら、これだけクローズアップされ騒がれた以上、両国の選択肢は極めて限られてくる。尖閣問題は日中間の大きなトゲになってしまった。
 今回の政府の不手際によって、様々な友好団体、民間企業が何年もかかって積み上げて来た日中の信頼関係が崩れるとしたら、両国にとって大きな損失と言わざるを得ない。

◆「戦略的互恵関係」にもどるには
 こう書くと、今回衝突しなくてもいずれ中国は尖閣でことを起こそうとしていたとか、強国意識を強めている中国には弱腰ではいけない、などと言われる。しかし、毅然とするのはいいが、その先をどうするのか。
 すでに日本経済は中国経済に大きく依存している。輸出の20%近くが中国向けでトップを占め、対外投資も14%が中国。中国は日本経済の中にがっちり組み込まれている。単純な中国嫌いで済まなくなっている。

 毅然派に明確な戦略や計算があるなら聞きたいが、彼らがアメリカと一緒になって中国を封じ込めるだの、中国の崩壊や混乱を期待するだのという願望を持っているとすれば、それは大いなる幻想にすぎない。仮にそんなことが起きたとしても、それは日本にも甚大な影響をもたらす。

 上述のように、今の中国では力の行使に重きを置くか、あるいは国際協調で行くのか、の「2つの中国」がせめぎ合っている。ならば、勢いづいて熱くなりやすい「威信や毅然」の気持ちを抑えて、中国の中の国際協調派が動きやすいように気を配りながら、国際国家として成熟するように粘り強く呼び掛けて行くのが上策ではないか。
 いずれにしても日本外交は今、一つの正念場にあることは間違いない。