日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

日本は「脱原発」の実験中 11.12.31

 今年最後の「日々のコラム」になるが、やはり原発の問題で締めくくりたい。今月に放送された原発事故の検証番組や事故調査委員会の中間報告。3月25日に内閣府原子力委員長が作っていたという「最悪のシナリオ」。それに90%の原発がすでに停止している現状。これらから見えて来ることを書いておきたい。

◆日本は脱原発の大実験中。原発がなくても大丈夫
 地震で多くの原発が止まった今年の夏前、新聞の経済記者は電力不足で日本の産業界や暮らしが大変なことになると書きたてた。しかし結果的には、産業界や家庭で省エネ技術や節電機器の普及、節電意識が一気に進み、夏を難なく乗り越えることが出来た。セブンイレブンなどは全国1万3600千店舗でスマートセンサーなどの省エネ機器の導入を計画、28%もの節電を達成している(コンビニ業界全体では20%以上)。
 むしろ行き過ぎの節電を見直して、駅のエスカレーターや暗い夜道の照明なども復活。途中で関電に電気を融通した東電などは、経営上は、もう少し電気を使ってもらいたかったのではないか。

 それなのにメディアは厳密な検証もせずに、夏が終わると今度は、冬はもっと厳しくなると脅した。では、この冬はどうなのか。もう十分寒いのに、電力が切迫しているという声は聞かない。原発の運転効率を無理やり高めて原発依存率を50%以上にして来た関電(これはむしろ大問題)や、水害で水力発電が復活しない東北電力などが冬の自主的節電を求めているが、これも大きな支障は出ないはず。

 そういう中、いま日本で稼働している原発は僅かに6基(日本の電力のわずか3%)に過ぎない。54基ある原発のうち48基が停止中であり、再稼働がなければ、残りも5月頃までに順次停止して日本の原発はゼロになる。今の日本は国を挙げて(世界でも類を見ない)脱原発の大実験をしているようなもの。それでも全国的に見れば何の問題もない。すぐにも脱原発できるし、すべきなのである。(「日本の脱原発はもう始まっている」)

◆原発の闇。巨大利権と核の誘惑
 それなのに、なぜ原子力ファミリー(*)は原発推進にこだわるのか。そこに理屈で動かない日本の原子力の闇がある。一つはこれらのグループを固く結びつけて来た巨大な利権構造。電力会社と国は原発建設費や電気料金、税金からの年間何兆円ものカネで長年の間に強固な「原発推進のための人脈と社会構造」を築いてきた。
 これの解体につながる「日本のエネルギー政策の方向転換」を民主党政権が出来るかどうか。電力会社などは今回の事故で大分気力が弱って来てはいるが、ほかの原子力ファミリーたちは死に物狂いで抵抗するだろう。*電力会社、経団連、国と官僚、自治体、政治家、学者、一部メディア

 もう一つは、一部保守層に根強い「核技術を確保しておくことは日本の安全保障上必要」という考え。原発を持っていればいつでも核兵器の保有国になれる。あるいは原子力技術を持つことが、他の核保有国に対して発言力の確保になるという考え方である。これも原子力の闇の一つ。しかし、これほど現実から何も学ばない、時代錯誤の考え方はないと思う。何故なら今回の事故で身にしみて分かったのは、原発を持つことは、むしろ国の安全保障上極めて危険だということだからである。

◆一発のミサイルで「最悪のシナリオ」が
 12月24日の毎日の記事によると、原発事故後2週間の3月25日に、内閣府の原子力委員長が菅首相に「事故の最悪のシナリオ」を提出していたという。福島第一原発の1号機から3号機で再び水素爆発が起きて原発サイトの放射線量が高くなり、作業が困難になって4号機プールの使用済み燃料がすべて溶けだす、という最悪のケースである。
 それによれば、原発から半径250キロの範囲、東京都のほぼ全域と横浜市までが避難しなければならなくなるという。避難者は3000万人に上る。「冷温停止状態」の今でも、この最悪のシナリオの可能性はゼロにはなっていないが、私も心配したようにあの頃日本は間違いなく国家存亡の瀬戸際にあったのである。(3月13日「最悪に備えてあらゆる対策を」)

 たった一回の事故でも最悪の場合は国が破滅する。これが意味するものは何か。先のキム・ジョンイル(金正日)の死去の時、日本の評論家は「問題は北朝鮮の核とミサイル」と言っていたが、核兵器でなくても、日本の原発にミサイルを撃ち込めば、あっという間に最悪のシナリオになってしまう。原爆の数千倍の放射能によって日本は確実に消滅してしまう。このことが今回の事故ではっきりした。
 そういう意味では、日本の原発は敵にボタンを握られた裸の核のようなものである。特に原発が集中している日本海側などの現状を見れば、「原子力技術を持つことが安全保障になる」などとは、とても言えないのである。(裸の核=原発を世界に拡散する原発輸出の問題については回を改めて書きたい)

◆救い難い日本の原発となれ合い体質の欠陥
 今月26日発表の政府の事故調査の中間報告は、これまで東電と国が、津波や過酷事故に対して何も備えて来なかった怠慢を指摘。先の東電社内の事故調査(2日発表)のような自己弁護と責任逃れの体質を厳しく批判した。
 また、Nスペで指摘された水位計の欠陥(「検証番組から見えて来たこと」)に続いて、28日のテレ朝「報道ステーションスペシャル」でも、ベントのダクトが独立しておらず、建屋内に水素が漏れ出してしまう構造だったことなど、日本の原発に共通する重大な欠陥が明るみになった。

 始まったばかり事故調査、検証だが、それでも日本の原発が安全の面でも、それを支える人的組織的な面でも救いがたいほど劣化した状況下で運転されていることが明白になりつつある。
 3000人の職員を持つアメリカの原子力規制委員会に対して、日本の原子力安全委員会は僅か100人以下。政府の原子力安全・保安院も電力会社の言いなりで、独自のデータも作れないで来た。このどうしようもない「なれ合い体質」を見ると、これは日本社会の本質に絡む欠陥だと思いたくなる。
 日本という国は一歩間違えば国を滅ぼすような危険な巨大システムを運営する「自律的な構造」になっていないと、考えざるを得ない。事故調査委員会も番組も、これからこうしたことも含めて検証して行って貰いたいと思う。

◆事故調査は原子力の闇に切り込めるか
 安全神話も経済性神話も根底から崩れた原発は、もう日本にとって維持すべきものではなくなっている。これは多くの国民の間で共通の認識になりつつある。そういう時、「事故を教訓に新たな安全規制体制作りに役立てること」という事故調査委員会の設置目的については若干の違和感がある。
 検証すればするほど、「日本で原子力の安全確保はどうやっても不可能」と言う結論に近づくはずだし、そうなってほしいとも思う。しかし、調査結果が出来もしない改善策を列挙して、原発の延命に手を貸すようなことになってはならない。

 事故の検証によって、少なくとも原発再稼働へのハードルは限りなく高くなるはず。問題は、事故調査委員会が日本の原発に引導を渡す覚悟で徹底的にやれるかどうかである。これだけ深刻な事故を経験してもなお、危険な原発にずるずると付き合わされる「原子力の闇」。そこに切り込む覚悟があるかどうかである。
 (今年のコラムはこれで終わります。来年が皆さまにとって良い年でありますように)

検証番組から見えて来たこと 11.12.24

 12月18日放送のNHKスペシャル「メルトダウン〜福島第一原発 あのとき何が〜」は、国と東電が発表したデータと100人を超える関係者へのインタビューをもとにNHKが独自にシミュレーションを行って、1号機の原子炉内部でメルトダウンがどのように起きたのかを検証した。良くできた番組だった。
 前回、「事故調査に何を期待するか」を書いたが、国会の事故調査委員会は始まったばかり。政府の畑村委員会は12月26日に中間報告を出すというが、原子炉内でなぜ、どのようにメルトダウンが起きたのか、彼らはどこまで真相に迫っているのだろうか。番組を見ると、どうもNHK取材班の方が政府の事故調査より一歩も二歩も先行しているように思われる。

◆秒刻みで進行する異常事態に対応できない
 今回検証したのは1号機だけだが、それでも驚くべき事実が幾つも見えて来た。一つは、全電源喪失→冷却水停止→冷却水の蒸発→燃料の空焚き→燃料のメルトダウン、そしてメルトスルーまで専門家も驚く速さで進行したこと。
 専門家を動員して行ったシミュレーションでは、全電源喪失から冷却水が燃料の上部まで減るのに1時間15分。冷却水がなくなって空焚き状態になるのに4時間39分、さらに3時間後にはメルトダウンが始まっている。そして、溶けた2800度の燃料が圧力容器を溶かして格納容器の底に落下する(メルトスルー)までは、メルトダウンが起きてからわずか1時間余り(3月12日未明)だった。

 もう一つは秒刻みで進行する異常事態の中で、運転員が致命的なミスを犯していたことである。1号機には電源喪失で冷却水の循環が出来なくなった時のために、「非常用復水器」が備わっていた。電源がなくても機械的に冷却水を冷やす装置だが、運転員たちは最初、弁が閉じているのに開いていると錯覚し、またその後気付いて弁を開けて復水器を機能させたのに、圧力が高まって壊れると誤解して止めてしまった。空焚きを防ぐせっかくのチャンスを失ってしまったのである。信じられないことだが、「非常用復水器」については事前の訓練をしたこともなく、どう操作するかも良く分からなかったという。

◆原子炉は複雑で巨大なシステム
 また、炉内の水位を測る水位計が構造的に言って欠陥品だったことも致命的だった。炉内の水が空っぽなのに燃料棒の上まで水があると誤表示。大混乱の中、央制御室ではその間、誰も原子炉内でメルトダウンが起きているなどとは思っていなかったのである。まさに、スリーマイル島原発事故(1979年)と同じ。アメリカでもコントロールルームの模型を再現して運転員たちの動きを時系列で調べた調査があり、私も取材したことがあるが、計器の表示が実際と違う、運転員たちが表示を誤読する、と言った同じミスが起きている。

 当時の原発取材でも感じたのだが、1500万とも言われる部品、長大な配管類、多数の操作弁などで成り立つ原子炉は、複雑で巨大なシステムである。事故時、制御室では100を超えるアラームが鳴り響き、事態は秒単位で進行して行く。原子炉の状況を読みとる多数の計器類が集まる制御室では異常時になると、的確な対応をすることが一気に困難になる
 まして、福島原発の場合は全電源喪失で制御室は真っ暗。手探りの状態の中で「現場は何も有効な手を打てなかった(ユニット所長談)」。だが、それは仕方がないでは済まされない問題。ここにこそ原発の本質的な危険性(システムの欠陥)が潜んでいると私は思う。

◆原発は危険な欠陥システム
 1号機事故の検証から言えるのは2つ。一つは日本の当事者が全電源喪失などが引き起こす原子炉の重大事故「過酷事故(シビアアクシデント)」に対して、何も準備していなかったことである。万一に備えて「非常用復水器」があることは分かっていたが、どう扱えばいいのか誰も知らなかったというお粗末さ。
 さらには、炉内の水位を測る水位計。炉内が空焚き状態になっているのに、過酷事故の時には水位が燃料棒の上部より高いと誤表示してしまう。この水位計はスリーマイル事故で欠陥が指摘されたにもかかわらず、改良されずに現在も多くの日本の原発で使われているという。肝心の時に致命的誤解を招いた欠陥品で、これは日本の原子炉の構造的欠陥とも言うべきものである。

 これらは、原発が構造的にも、またそのシステムを支える人間の部分でも欠陥を抱えたものであることを示している。日本の原発関係者は、万一の時には「多重防護なしで、膨大な熱を出し続ける原爆千個分(もっとか?)もの放射能を持つ一基当たりおよそ100トンの危険物(核燃料)を人間は扱えるのか」という大問題を抱えているのに、日頃から安全神話に頼って何も考えずに来た。
 事故直後は大混乱だったので仕方がないなどと言うが、これだけの重大事故を起こした以上、そんな言い訳は通用しない。安全より経済を優先させてきた東電上層部、原子力関係者、国の当事者については、国会の事故調査委員会は是非その責任の所在を明確にして貰いたいと思う。 

◆ストレステストは何だったのか
 それにしても、1号機の検証でこれだけ新たな欠陥が見えて来ると、7月に決まった政府の「ストレステスト」とは何だったのだろうかと思う。事故の反省から「地震と津波、その重複」「全電源喪失」「海水に炉心の熱を放出する機能の停止」などについて安全を評価させるというものだが、これを原発の再稼働につなげる条件としたものである。
 原子力安全・保安院が作った安全評価項目について、原子力安全委員会も「妥当」と判断し了承したというが、福島の検証も出来ていない段階で何が「妥当」なのか。そもそもこんな「ストレステスト」で何とか再稼働にこぎつけたいと考えていた政府や経産省の姿勢こそ問われるべきである。

 政府や経済界は今なお、「日本の原発は世界最高水準の安全を目指す」となどと中身のないことを言っているが、福島原発事故の検証が終わらないうちに何を言っても(国民から)信用されないのが分からないのだろうか。Nスペでは、番組の最後に取材デスクが「今後原発をどうしていくのか、事故の徹底した検証なしにその議論は出来ないと考えます」と言っていたが、その通りだと思う。

◆分かったのはまだ一部、何度でも検証を
 私個人としてはこれまで何度も書いて来たように、すでに「地震の大乱期に入っている日本のことを考えると、原子力は構造的にも、またそれを支える人間の問題としても、どんなに頑張っても一旦事故が起きた時の重大なリスクに見合うだけの高度な安全を確保できない」と考えている。これは単に原子炉だけでなく、使用済み燃料をどうするかという「核燃料サイクルも含めた原子力システム全体」におよぶ。

 原発の存在そのものを危惧している私と、公共放送NHKとは立場が違うだろうが、こうした検証番組によって、原発の欠陥がより説得力をもって見えて来ることは、日本に将来にとって極めて重要だと思っている。明らかになった事実が少しずつ社会を動かして行くに違いないからだ。
 今回の検証は1号機だけだが、福島原発事故には未解明の部分がまだ膨大に残っている。中でも最も大量の放射性物質を放出した2号機で何が起きたのかはまだ全く分かっていない。メディア(特にNHK)には総力を挙げて福島原発事故について、あらゆる角度から検証を続けてもらいたいと思う。

原発事故調査に何を期待するか 11.12.3

 福島原発事故から間もなく9カ月。国は1号機から3号機までの冷温停止を16日にも発表するとしているが、ここへ来て研究機関から事故の深刻さをうかがわせる研究結果が幾つも報告されている。それらは、福島の現状がまさに「薄氷の小康状態」であることを示しているように私には見えるのだが、進行中の政府の原発事故調査は、どこまでこうした状況を織り込んでいるのだろうか。また、国会の事故調査は肝心の責任の所在を明確にするのだろうか。事故の現状と原発事故調査に対する注文を書いておきたい。

◆スリーマイル島原発事故の調査報告
 今から31年前になるが、私たちは事故から2年経過したアメリカ・スリーマイル島原発のコントロールルームや原子炉建屋を取材、事故の詳細な経過を番組にした。その時参考にしたのが、事故後2年の間に報告された膨大な事故報告書である。事故直後から実に様々な委員会、機関が事故の原因と経緯を徹底的に調査した。
 それらの報告書はすべて公開されていて、私たちは入手した主なもの(12の委員会や機関の報告書*)をスタジオに縦に並べたのだが、(VTRで確認したら)長さ3メートルにもなった
 *ケメニー委員会、ロゴビン委員会、エセックス研究所、原子力規制委員会、連邦緊急対策局、アメリカ電力研究所、原子力安全分析センター、下院事故調査委員会、上院事故調査委員会、エネルギー省、連邦食品・衣料品局、原子力安全諮問委員会

 事故の経過や原因の詳細な分析、事故当日の電話のやり取り、議会の公聴会での運転員たちの証言、あるいはコントロールルームの実物大の模型を作っての運転員たちの行動、事故を生んだ背景など。当時のアメリカは徹底した調査を行い、それをすべて世界に公開した。安全神話の盲点や巨大システムの盲点を指摘したケメニー報告書、どこまで安全を確保すれば安全と言えるのかを社会に示すべきだとしたロゴビン報告書など、今にも通用する様々な提言がなされた。

◆日本の事故調査はどうなっているか
 スリーマイル島原発事故は、当時、商業炉の事故としては史上最悪と言われたが、その後のチェルノブイリ原発事故(1986年)、福島原発事故に比べれば雲泥の差。運転ミスによって2時間8分の燃料の空焚きが起きて、圧力容器の中の燃料棒の殆どが溶け落ちたが、再開された注水によって溶けた燃料が圧力容器を損傷することはなかった。漏れ出した放射能もわずか。
 これに比べると、福島は原子炉3基全部で燃料の空焚きが長時間にわたって続き、溶け落ちた燃料が圧力容器を突きぬけ格納容器の底にまで崩れ落ちて落ちている。スリーマイルとは比較にならない、人類史上最悪の深刻で重大な事故である。

 日本の福島原発事故については、現在3つの事故調査委員会が動いている。一つは政府の事故調査・検証委員会(委員長は失敗学で著名な畑村洋太郎東大名誉教授 写真左)、最近国会に設けられた事故調査委員会(委員長は黒川清、元学術会議会長 写真右)、それと2日に中間報告を発表した東電の社内調査委員会
 現在も収拾作業が進行中と言うこともあるのだろうが、アメリカの事故調査に比べて取り組みも遅いし、委員会の多様性も少ない。これらの委員会が、一度起きたら取り返しのつかないという原発事故の特殊性を受け止めて、原子力放棄の提言まで踏み込めるのか、疑問も残る。
 東電の調査委員会に至っては、先日の中間報告でも
責任回避や自己弁護のための報告書かと批判される始末。いくら企業の利益を守るためとはいえ、反省のかけらもないのは、日本人として恥ずかしくないのだろうか。*本文を入手したら「始めに」に2行だけお詫びの言葉があったが、随所に「国に報告し、国の妥当との確認を得ながら一体となって整備を進めて来た」(アクシデントマネジメント)など、国に責任を転嫁したがる文言が見える。

◆破局と隣り合わせの小康状態
 一方、こうした調査や関係機関の研究から原子炉の憂慮すべき実態も少しずつ明らかになって来ている。まず、先月30日に発表のあった、エネルギー総合工学研究所が行った解析結果から。
 それによると、福島の1号機から3号機まで、2800度の核燃料が溶け落ちて厚さ16センチの圧力容器の鋼鉄(1550度で溶けてしまう)を溶かし、外側の格納容器へ落下していること。1号機では核燃料の85%以上が、2号機、3号機でも約6割の核燃料が格納容器中に落下したと計算されている。特に1号機では、高熱の核燃料が格納容器の底にあるコンクリート層を65センチも侵食、あと37センチで格納容器(厚さ3センチの鋼鉄)の底に達するところまで来ていると言う。

 現在、格納容器の底にある燃料は注入した水によって、その上40センチ位まで覆われて冷やされていると言うが、コンクリートにめり込んだ下部まで充分冷やせているのかどうか疑問、という人もいる。
 それにしても、格納容器の底になぜコンクリートの層があったか(今までどこの図面にも書いてなかった)、素人の私には分からないが、これがなかったら大変なことになっていた。格納容器の底は厚さ3センチの鋼鉄。高熱の核燃料は簡単にこれを突きぬけてコンクリートの床に出てしまう。こうなると水で冷やすこともできず、膨大な放射能を閉じ込めることは不可能になる。まさにチャイナシンドロームの一歩手前、間一髪で止まった状態である。

 もう一つの気がかりは、東電の中間報告で明らかになった2号機損傷のなぞ。事故の間、最大量の放射能を放出した2号機は3月15日に爆発して損傷したと思われていたが、東電が行った振動解析などから爆発は起きていなかったことが判明したのだ。なぜ急に格納容器の圧力が下がったのか(この時、大量の放射能が漏れ出した?*)、原因は分かっていないという。
 原因によっては、(以前に「77万テラベクレルの放射能」でも書いたが)放射能の総量推計に用いた、格納容器などの穴の大きさという前提も変わって来る。場合によっては77万と言う数字も、広島原爆の168個分のセシウム137という数字も計算し直さなければならないだろう。*事故報告書を読むと計器故障の可能性が大きい、としているが

◆多岐にわたる事故調査項目
 以上は最近分かって来た情報の一部を書いたにすぎないが、要するに今回の事故の全容はまだ殆ど明らかになっていないと言っていい。その中で、事故調査委員会は、以下のような多岐にわたる項目を調査しなければならない。
 すなわち、事故直後からの経過、事故対応とその妥当性、現場と中枢とのやりとり、指揮命令系統の妥当性。原子炉の破損や燃料棒の状態、現状の深刻さの評価。さらには、原発から漏れ出した放射能の量、陸と海の汚染の分布、影響評価。そして肝心の事故の原因、人災と言われる事故の背景について、など。

 最も先行している政府の畑村委員会は、12月26日にも中間報告を出す予定と言うが、どれだけ詳細な調査を行っているのだろうか。畑村委員長は記者会見で世界に恥じないものをと言っていたが、多岐にわたるテーマのうち、どこまでを触るつもりでいるのだろうか。こうしたことが全く見えて来ない。
 福島原発事故については、多分、これからも長期間に及ぶ事故調査が必要になるだろうが、そのためには、アメリカのように徹底的かつ多面的な調査を行う覚悟が必要になる。それをやるつもりが国にはあるだろうか。原子力協定を結んで原子力を輸出すると言うので、国は「世界最高水準の安全技術で貢献する」などと言っているが、肝心の足元が空虚では説得力がない。世界にも信用されないだろう。

◆重大事故を引き起こした責任はどうなるのか
 最後に肝心なことを一つ。こうした委員会が事故の責任を問えるものになるのかどうかである。畑村委員会は最初から責任は問わないと明言しているので期待できないとして、それは誰がやるのか。
 日本の美しい自然を広範囲に放射能で汚染し、食糧を汚染して子供を持つ母親たちを不安に陥れている福島原発事故。皆が人災というこの重大事故の責任はたしてどう問われるのか。東電(会長)も原子力安全委員会も原子力安全・保安院もトップが誰一人責任を取らずに、今なお居座っている異常さはいつ決着つくのか。最近の私は、
この無責任をはびこらせていると、この先日本はまた、とんでもないツケを払うことになるのではないかと思うようになっているが、これについては、また回を改めて書きたい。

低線量被曝・影響は「がん」だけか 11.11.23

 本当は「放射能・正しく恐れるために」の3回目になるのだが、タイトルを変えて、先日、ある講演会に出席した時に頭に浮かんだ問題について書いて見たい。それは、今国が考えている食品の規制値についても土壌の除染の基準についても、その根拠になっているのは発がんのリスクなのだが、それでは不十分なのではないかということ。低レベル放射線の影響は「がん」だけではなく、(科学的に未解明ながら)いろいろ現れているらしいからである。

◆食品規制値の問題。生涯100ミリシーベルトの根拠とは?
 その本論に行く前にまず、前回(2)で取りあげた食品の規制値について触れておきたい。そこでは、政府が新たな食品規制値として、生涯被曝100ミリシーベルト以下というデータを出して来たことについて、その根拠がいまいち分からないと書いた。被曝量が100ミリシーベルトを超えると発がんの影響が0.5%高まるからだというのだが、それは何を根拠にしたデータなのか。

 調べてみると、答申をした食品安全委員会は内外3300の文献を集めたが、食品に限った研究が乏しく、基本的には広島・長崎でのデータを採用したという。30歳で被曝した人たちを70歳まで経過観察して、がんの増加がみられたのが100ミリシーベルト以上というデータを根拠にしているらしい(毎日新聞)。
 この100ミリシーベルトというのは大体においては原爆の外部被曝の影響と見るべきだろうが、原爆投下後も放射能で汚染された空気や水、食べ物を取り込んでいるので、このデータを食品による内部被曝に当てはめてもいいと考えたわけである。線量が同じなら外部被曝も内部被曝も影響は同じと言う(国際的な)考え方も根拠の一つに挙げられている。

 しかしこれには、当然のことながら異論も多い。短期的な被曝の影響を長期的な内部被曝に当てはめていいのか、内部被曝と外部被曝を同じに考えていいのか、という疑問である。しかも、食品の規制については前回も書いたように、「食品安全委員会が外部被曝まで口出しするのはおかしい」という縦割り的発想から、外部被曝をゼロと仮定した食品だけの規制値になってしまったのも問題。
 食品安全委員会は100ミリシーベルト以下の影響について、「安全とも危険とも言えず、健康影響について言及することは困難」としているらしいが、いずれにしても発がんリスクだけを視野に入れた規制値であることは確かなようだ。

◆チェルノブイリで何が起きているか。2人の医学者の講演会
 前置きが長くなったが、放射能の影響は「がん」だけではないという本論に入りたい。11月16日、先輩が司会する「国民の健康会議 見えない敵、放射能との戦い」という講演会があった。そこで私が注目したのは主に2人の講演。
 医者で1991年から長くチェルノブイリ原発事故の医療支援活動に携わってきた菅谷(すげのや)昭氏(前信州大学助教授、現長野県松本市長)と、同じく長崎大学医学部教授時代からチェルノブイリで医療協力を行って来た山下俊一氏(長崎大学を休職して現福島医科大学副学長)である。

 山下氏は、福島原発事故後から福島県を訪れ、各地で「放射線も100ミリシーベルトまでなら妊婦も含めて安全」、「いたずらに怖がることはない」と言って回わったというので、「安全デマの伝道師」などとネット上で厳しく批判されている人。この日も「100ミリシーベルトというのは黄金律。これ以下なら(発がんのデーはなく)健康を心配する必要は全くない、「チェルノブイリでも12万人を調査したが、内部被曝によるがんは見つかっていない」などと確信的に言っていた。

 一方の菅谷氏は「ベラルーシでは、1uあたり5万〜20万ベクレルは軽度の汚染地域とされるが、そこでも様々な症状が出ている」という。菅谷氏が上げた症状とは、以前(1)にも書いたが、「小児における免疫機能の低下、貧血、疲れやすさ(そのために小学校の授業短縮も行われている)」、「胎児の発育不全、先天異常」など(*)。さらに、「原発から90キロ離れて住んでいて、普段から食べ物に注意している女医さんでさえ、セシウムの体内被曝が続いているので、長期の低線量被曝の影響を考えるべき」だという。*11月24日の毎日夕刊の特集記事(菅谷氏へのインタビュー)によると彼と交流のある現地の複数の医師から聞いた話、となっている

◆放射能の影響は「がん」だけではない
 菅谷氏は、「ベラルーシでは、1uあたり55.5万〜140万ベクレルは避難地域、5万〜20万ベクレルは軽度の汚染地域」だが、「福島県の最も汚染がひどいところはチェルノブイリの2倍(300万ベクレル)、飯館村は60万〜100万。人が住める状況ではない」。
 福島市でも10万〜30万で、ベララーシの軽度の汚染地域と同じ。ベルラーシで起きていることを考えると、軽度の汚染地域でも注意が必要」、「除染に対しても過度の期待を持たずに、学童の集団移住なども考慮すべき」だと言う。

 終盤、質問を求められたので、私は「チェルノブイリで被害が出ていない、と言う山下氏の話と、様々な症状が出ていると言う菅谷氏の話の整合性が分からない。菅谷氏は山下氏の調査をどう考えるのか」と質問した。その時は、直接答えをくれなかったのだが、会の最後に行われた発言で菅谷氏は「山下氏の調査はがんに関するもの(で私たちの調査と違う)。低線量の被曝の影響については分からないことが多いが、分からないからこそ慎重に対処すべきだと言うのが私たちの考え方だ」と言い、山下氏は「心配し過ぎないこと。外部被曝も内部被曝も同じだ」というものだった。

◆がん中心のこれまでの規制値で十分か
 どちらが正しいかは別として、菅谷氏の上げた「がん未満の様々な症状」が現実に起きているのを知ると、当然のことながら、発がんのリスクだけを見て来た(100ミリシーベルトという)これまでの考え方で十分なのか、と言う疑問が起きて来る。その疑問は、同じ日の垣添忠生氏(国立がんセンター名誉総長)の発がんのメカニズムについての講演と突きあわせるとより明確になる気がする。

 垣添氏は、「正常細胞が発がん物質にさらされてすぐにがん細胞になるのではなく、さらに発がん促進物質などの働きも加わって幾つもの段階(6段階以上)を経て、最後にがん細胞になる」という。こういうことからすると、(素人考えだが、外部、内部に関らず)長期にわたる低線量放射線の被曝で、がんになる前に様々な症状が出てもおかしくないと思う。つまり、放射線被曝によって細胞レベルでの様々な変化が起き、それが(癌にならないまでも)免疫力の低下などの症状を引き起こすのではないか。

 最近では、低レベルの放射線でも様々な症状が起きるメカニズムについて、少しは分かって来ているというが症状と線量の関係など、科学的にはなお未解明な部分が多い。しかし、発がんのリスクだけを見て来たこれまでの考え方では不充分、ということは言えるのではないか。従って、「何が起こるか分からない以上、慎重に考え対策をとるべき」という菅谷氏の姿勢こそ科学者として当を得たものだと思う。

◆覚悟を持って国民の健康を守れ
 そこで必要になるのは、まず、福島県と同じような汚染地域で何が起きているのか、ベラルーシ共和国の科学者と共同で早急に詳しい疫学的調査をすること(新聞ではベラルーシの汚染図と日本の汚染図の色分けが違って比べにくいので、これも統一して比べやすくしてもらいたい)。同時に外部被曝に関る環境中の放射能、内部被曝に関る食品の放射能を厳密に計測すること。その体制を一刻も早く整えることである。
 さらに、(甲状腺だけでなく)長期にわたる多角的な健康調査を続けること。これらのデータを突きあわせて機動的に対策を取りながら、国民の健康を将来にわたって見据えていくことが重要になる。いずれにしても、人類に対する犯罪のような重大事故を起こした日本としては、情報の徹底的な公開を含めて、世界に恥じない対策を取って行く必要がある。海外も注視する中、国にその覚悟はあるだろうか。 

TPPは日本の何を壊すのか 11.11.11

 11月11日、賛否渦巻く中で野田首相がTPP(環太平洋パートナーシップ協定)への参加に向けて、関係国と協議をすることを表明した。国際的な力学で言えば、TPPは、(アメリカが入らない)東南アジア諸国連合(ASEAN)+日中韓の経済連携が進んで中国の存在感が大きくなるのを警戒したアメリカがそれにくさびを打ち込もうとする動き。すでに韓国とはFTA(自由貿易協定)を結んだアメリカが、TPPで日本を抱き込み、中国にプレッシャーをかけようという目論みが背景にあるという。
 日本は中国の影が強いアジア中心の経済連合で行くのか、アメリカ主導のアジア、太平洋の経済連合で行くのか。踏み絵を迫られているわけだから、アメリカとの関係をこじらせたくない野田にTPP参加を拒否する選択肢はなかった。

 しかし、これで国内の議論は収まるのか。議論沸騰の中で、この先の来年度予算や消費税増税論議を野田は乗り切れるのか。韓国のFTAに焦って自分から手を上げた結果ではあるが、まさに野田は進むも地獄、退くも地獄の中で選択をしたわけである。

◆深まらないTPPの本質についての議論 
 そうした事情はさておき、問題はそれが日本にとって正しい選択なのかどうかということ。TPPに参加したい経団連、政府執行部、経産省、外務省などは「貿易の自由化こそが国の経済を強くする」とか「平成の開国」などと言うが、(私も含めて)多くの国民はなぜ今TPPが日本にとって必要なのか殆ど腑に落ちていないのではないか。
 「交渉に参加すべきだ」とする朝日の社説(11月8日)を読んでも、そのメリットについては、(国内市場が停滞しているので)「貿易や投資の自由化を加速させ、国内の雇用につなげていくことが、ますます重要になっている」としか書かれていない。この説だって3月の大震災の前に書いた「誰のためのTPPか」でも書いたように、輸出産業が伸びても国内のデフレを招くだけで、雇用にはつながらないという反論もある。
 首相の説明不足を批判するマスメディアも、「韓国に遅れるな、今こそ決断を」と言うばかりで、今回は震災前に登場していたようなしっかりした論者を立てて議論を深めようとしない。どうしたことだろうか。

 物事には光と影がある。「輸出産業がうるおう」(朝日)のがTPPの最大のメリットだとしても、それは懸念されるデメリットを補って余りあるものなのか。素人の私にもよく分からないのだが、いろいろ調べてみると、「輸出産業がうるおう」のは数字で測れる世界なのに対し、心配されるデメリットの方は、日本にとって金では測れないような、より本質的な影響のような気がする。
 本質的な影響とは端的に言えば、TPPに参加するということは、単に関税を撤廃することだけではなく「経済活動の分野で日本がアメリカと同じやり方を受け入れること」、さらに言えば「国のあり方において、日本がアメリカと同じになること」からくる問題に帰結するように思う。2つに絞ってその本質的問題について書いて見たい。

◆TPP的な自由貿易は民主主義を滅ぼす
 以下は極論のように思われるかもしれないが、何も私の独断や偏見ではない。斎藤環氏(精神科医)が書いた「時代の風」(朝日)によれば(彼もまたフランスの歴史人類学者からの引用だが)、TPP的な自由貿易は民主主義を滅ぼすというのだ。
 TPPで国外市場へ向けた生産が増えれば、企業のコスト意識が高まり、国内の労賃が安い外国並みに引き下げられる(これを「底辺への競争」という)。資本家は貿易で儲けるが、貧困層が増えて社会の不平等と格差は拡大する。政治はその富裕層にだけ徹底した保護(「金持ちのための社会主義」)を与えようとして、金持ちをもっと金持ちにする。その結果、優遇された富裕層が社会を支配することになり、人々の平等な権利を目指す民主主義は、自由貿易によって滅びていく。

 この説は、まさに1%の金持ちは様々な優遇策によって天文学的な富を得るのと反対に、99%の国民は貧しくなるという、今のアメリカの姿と重なる。日本がTPPに参加するということは、アメリカの金融や投資の制度まで受け入れるということで、それは「強欲な資本主義」とも言われるアメリカのやり方そのものを受け入れることにつながる。輸出で儲けたい一心の経団連所属の一部大企業のために、アメリカのような「強欲な資本主義」を受け入れて日本は幸福になるのか。

 輸入の面では別の懸念もある。TPPで関税がゼロになればそれだけ安いモノが入って来て、国内産業が値下げ競争にさらされる。朝日は「消費者の利益が原点」などと言うが、安いからいいと言っているうちに、国内企業は苦しくなり従業員の賃金も下げざるを得なくなる。その結果、一般消費者もより貧乏になって、ますます内需市場が縮む。いわゆるデフレスパイラルに入ってデフレが進行する(中野剛志京大助教「TPP亡国論」)。
 こういう見方からすれば、「輸出産業が潤うから日本の社会も潤う」、「貿易や投資の自由化を加速させ、国内の雇用につなげていく」、などというのは幻想に過ぎないのである。

◆TPPは日本の社会的な財産を破壊する
 その国には、長い歴史を積み重ねて築いてきた自然環境があり、道路や鉄道、水道や電力などの社会的インフラがある。また、教育、医療、金融、司法、ジャーナリズムといった制度資本がある。これらはそれぞれ専門的知識を有する職業人によって維持されており、これを「社会的共通資本」という(経済学者の宇沢弘文氏)。宇沢氏は、TPPが日本の財産とも言うべき「社会的共通資本」を破壊してしまうという(「TPP反対の大義」)。

 TPPによってアメリカが進出を狙っている、金融、医療、地方の公共施設の建設なども「社会的共通資本」の一つだが、最も影響を受けるのがもちろん農業である。政府は、日本農業をアメリカやオーストラリアに負けないように拡大活性化すると言っているが、経営規模を20〜30ヘクタールに拡大(政府の基本計画)したとしても、アメリカの100ヘクタール、オーストラリアの1000ヘクタールには到底太刀打ちできない。
 しかも、問題なのは農産物の自由貿易で競争にさらされるのは、農産物だけでなく農業のやり方そのものだということ。その点で、宇沢弘文氏はアメリカの農業のやり方を一言で言えば「環境収奪型」だと厳しく指摘している。
 広大な土地で氷河時代から蓄積された地下水を極限まで使って行われているアメリカ農業。それは、日本の農業の概念とは似て非なる産業ではないのか。そんなものと豊かな自然環境と共生してきた日本の農業が競争できるわけがないし、競争しようと思っても大事な自然を壊してしまうのが関の山である。

 TPPによって日本の農業が滅びることが何を意味するか。それは単に農業だけでなく、農業によって維持されて来た農村というコミュニティ、民俗や文化、そして水田や田畑、森や川、大気といった自然環境までも含めた「日本の原風景とも言うべき総体」が滅びることである。
 政府は高齢者ばかりに支えられている日本農業は放っておいても滅びると言うかもしれないが、これらは、政治の無策が招いたもので(TPP問題がなくても)何とか改革しながら発展させて行かなければならない「日本の重要な社会的共通資本」。それをTPPによって一気に失うことの恐ろしさを経済界の重鎮たちはどう理解しているのだろうか。

◆徹底した議論と日本独自の価値観の構築を
 以上、TPPの影の部分を大急ぎで書いて来た。光を見ない一方的な議論と言われるかもしれない。また、それではお前は、日本が今のまま低迷していていいと思っているのか、と言われるかもしれない。私も、(農業も含めて)今のままでいいとは思わないが、その答えが何が何でも経済成長しなければならないという「経済成長至上主義」なのかどうかについては、違うような気がしている。
 これからの少子高齢化時代の日本は何で国民の幸福な生活を維持して行くのか、どう国を立てなおすのか、それこそ、知恵を出し合って考えて行かなければならないと思う。野田がTPPに踏み出した以上、国民的議論がこれから10か月も続くだろう。いい機会だから、TPPの光と影の部分を徹底的に議論すると同時に、これからの日本の生きるべき道についても革新的な議論をして行くべきだと思う。(TPPについては、まだまだ隠れていることが多い。脱原発の方が優先事項だが、これも引き続き書いて行きたい)

放射能・正しく恐れるために(2) 11.11.3

 前回のコラムをアップした直後、国の放射能汚染対策に関して2つの動きがあった。放射能の除染計画と食品の新たな規制値について政府の考えが示されたことである。今回はこの2つの動きを中心に「放射能・正しく恐れるために」私なりに情報を整理し問題点を洗って見たい。

◆10年から20年かかる除染作業
 まず、細野原発事故担当大臣が先月末に福島県に示した除染に関する基本的考えと工程表についてである。除染で生まれる放射性廃棄物を仮置き場に3年、中間貯蔵施設に30年間貯蔵し、それから最終処分場に回すという案だ。これが計画通りに行くのかどうか。各メディアが現時点で下した評価は「見切り発車」とか「先行き不透明」というもの。
 福島県にまとめて一か所だけ置くという中間貯蔵施設についてもポンチ絵はあるが、その広大なイメージがさっぱり伝わらない。場所の選定も全く白紙状態で、3年後の完成、受け入れが間に合うかどうか、環境庁の担当者さえ疑問視しているという。

 何しろ、最終的な放射性廃棄物は焼却などによって減量しても福島県だけでも2800万立方メートル (東京ドーム23杯分)。この膨大な量を貯蔵するのに必要な敷地は最大5平方キロ。これも様々な管理施設や緩衝地帯を入れれば、最低その倍(10平方キロ)はいるのではないだろうか。だとすると、3キロ四方もの敷地が必要となり、一か所とは言え、こんな広大な敷地を見つけるのは至難の業だろう。この中間貯蔵施設の建設だけで数兆円かかるという。
 さらに問題なのは、その前の仮置き場。福島県内59市町村の大半では、この仮置き場がまだ見つかっていない。そうした状況で除染作業が始まり、業者による不法投棄も心配されている。仮置き場の数は市町村の面積にもよるが、かなりの規模なものを作らない限り、結果的には県内100か所近くになるのではないか。除染するならまず、しっかり管理できる仮置き場を整備した上でやらないと却って放射能を拡散する危険さえある。

 住民の健康を考えると、できるだけ早く環境中の放射能を減らす必要があるのだが、順調に進んだとしても、除染作業はこれから10年から20年続くことになるという。従って、長期にわたる「放射能との同居」という現実は避けられない状況にある。福島県だけでなく、これからの国民の健康管理はこうした状況をしっかり把握しながら進めて行かなければならないわけである。

◆食品の新たな規制値作りの動き
 同じく先月末に示されたものが、食品の新たな規制値の考え方。食品安全委員会が、これまでの暫定基準に代わるものとして厚労省に答申したものだが、考え方の基本は「健康影響が見出されるのは、生涯の累積でおよそ100ミリシーベルト以上」というものだ。
 生涯の累積で100ミリシーベルトとは、それを超えると発がんの影響が0.5%高まるという数字だそうだが、この数字を(人の寿命を100歳と長く見積もって)100で割ると、年間の許容量1ミリシーベルト以下という考え方になる。年間1ミリシーベルトは、これまでの暫定基準値の1/5になるが、これをもとに様々な食品の規制値を作り、来年春から施行する。新聞社説を読むと「安全側に立った数字」(朝日)と評価する向きもあるが、幾つか問題も指摘されている

@ 食品の規制値は外部被曝を考慮しない数字
 一つは、年間1ミリシーベルトというのは、当初は外部被曝も含めた数字だとしていたのに、今回の答申では外部被曝を含めず(つまり外部被曝がゼロという前提で)、食品からの体内被曝だけを考えた数字としたこと。
 環境中の放射能による外部被曝や、呼吸など他のルートからの内部被曝の影響は、別の所で考えてくれということである。実際のところ、これから長期にわたって「放射能との同居」が続くとすれば、外部と内部の被曝による影響をトータルで考えて行くのが筋なのだが、こんな縦割りの発想では国民の方は困ってしまう。やはりどこかが全体を見て行くことにしないと。

A 規制値につきまとうあいまいさと盲点
 2つ目は、生涯累積100ミリシーベルト以下という数字の根拠がいまいちはっきりしないこと。おそらくICPP(国際放射線防護委員会)のこれまでの研究成果をもとにした数字だと思うが、IPCCは内部被曝についてどれだけ研究を積み上げて来ているのだろうか。
 というのも、前回書いたように内部被曝は「体内の局所的な被曝による影響」である。児玉瀧彦教授は「暖炉の炭に手をかざして暖かいと見るか(外部被曝)、口にちょっと入れてやけどするか(内部被曝)の違い」(文春10月号)と書いているが、小さい線量でも同じ部位に長期間とどまって、周囲の細胞に放射線を当て続けるというのが内部被曝の怖さ。この内部被曝を外部被曝のように基準値を設けて、安全と危険に仕分けることが果たして可能なのかという疑問である。

 一般に規制値や基準値は、国が責任を持って管理して行く上で欠かせないものではある。しかし、それは原発の安全神話と同じで、いったん基準値が出来てしまうと、人々はその範囲内なら安全だと思いこんでしまう。国も国民も思考停止してしまう点が問題。これを基準値至上主義と言う人もいる。
 新たな食品規制値については、小宮山厚労相は乳幼児に合わせて大人の規制値も厳しく考えて行くと言っている。私たちも必要以上に不安がることはないとは思うが、安心のためには、国は内部被曝についての研究成果を国民にきちんと説明し、新たな知見が生じれば柔軟に見直して行くことが欠かせない。

B 放射能の検査・測定体制が不十分
 そのためにも内部被曝の研究を積み重ねて行く必要があるのだが、これについても問題がある。先に書いたように、食品の新たな規制値は外部被曝をゼロと仮定して作られるので、それがゼロでない場合は理論上、食品から取り込む放射能を規制値以下に抑える必要が出て来る。(その意味でも、環境中の放射能を下げる除染作業と食品の規制値作りの2つは関連している)
 しかし、ここで問題になるのは、折角規制値を設けても放射能を正確に測定し管理できるかということ。検査体制が不十分では、幾ら厳しい規制値を作っても「仏作って魂入れず」になる。現状では環境中の放射能量の測定もまだ不十分だし、それ以上に食品の検査、測定が遅れている。僅かなサンプルしか検査できていない。これでは幾ら規制値を作っても国民の不安はなくならないだろう。

◆正確なデータを知った上でリスク管理する
 国や自治体では測定器の不足や人手不足で食品検査が間に合わないと言っているが、内部被曝の影響を知るためには、外部からと内部からの正確な放射線量の測定が欠かせない。これらのデータと、例えば前回書いたようなチェルノブイリでの症状や疫学的調査を突きあわせて始めて、科学的に十分解明されていない内部被曝のリスクの程度が見えて来る。
 聞くところによると、ベルトコンベア式に簡単に食物検査が出来る装置も開発されているという。また、ベルラーシ共和国では、市民が食物を持って行けば簡単に放射能量を測定できるような体制が出来ているらしい。こうなった以上は、国際的にも恥ずかしくない検査、研究体制を整えること。それが日本に課せられた責務ではないか。

 今私たちに必要なことは、まず、放射線量について正確なデータを知ることである。情報公開も当然必要になる。その上で、国も行政も市民も常に最新の研究成果を取り入れながらリスク管理をしてかなければならない。これが、「放射能を正しく恐れる」ための基本だと思う。
 現在、行政に頼らずに市民が自衛的に環境中の放射能や食品の放射能を測定する動きも出ているが、こうした動きを加速して行くと同時に、私たちは声を上げて政府や行政にせまり、その尻を叩いて行かなければならないと思う。

放射能・正しく恐れるために(1) 11.10.29

 文科省が公表した最新の放射能汚染図によれば、福島原発から放出された放射能は東北・関東の極めて広範囲に及んでいる。そうした地域に住む身内(母親、兄弟、子ども、幼い孫たち)を抱える私としては、この事態をどう考えるべきか悩みつつ、様々な情報に当たって来た。
 今はネットを見ると、マスメディアからは知ることのできない実に多様な情報が流れている(その一部を最後に上げる)。敢えてそれに付け加えることもないとは思うが、情報があまりに錯綜しているので、「この放射能汚染をどう考えるべきか、放射能を正しく恐れるにはどう考えればいいのか」について、これから2回にわたって自分なりの考えを整理しておきたい。

◆本当に除染できるのか
 広大な汚染範囲のうち、政府が土壌の除染対象区域とした被曝線量が年間で1ミリシーベルト以上の区域は1万3千平方キロにのぼる(朝日新聞集計)。これを都道府県の面積と比べてみると、新潟、長野、福島県などとほぼ同じ。また、汚染が一番広がっている福島県では除染対象面積が8千平方キロ、県の面積の58%にもなる
 1万3千平方キロにおよぶ広大な面積の放射能を除染するというようなことは、世界にも例のないことで、野田首相がいくら「経済性を度外視してもやる」と言っても、こんなことが果たして可能なのか。

 除染に当たっている専門家(木村真三独協医大準教授)によれば、「局部的に線量の高いホットエリアでは、一つの家を除染するのに半径100メートルを除染しなければ安心できる数字に下がらない、現実には不可能に近いのではないか」という(毎日「風知草」)。
 作業の困難さだけではない。除染には解決しなければならない問題が山積している。第一に除染で生まれる膨大な放射性廃棄物をどうするか。仮置き場の確保、さらには中間貯蔵施設の設置が地元の反対で全く見えていない。中間貯蔵や最終処分では、広大な施設を何百か所も作って何十年、何百年と管理して行く必要がある。これも、地下水に漏れ出ないような安全な施設を作るには、一か所何十億円とかかるのではないか。
 また、厄介なことに、山間部などでは折角除染しても雨が降れば、山から新たな放射性物質が流れて来る。除染はこの先半世紀ほどの長期にわたって何度も続けなければならない。

◆早急に現実的な計画を
 いずれにしても、住民の健康を最優先に考えなければならない。そのためには、優先順位を決めて現に人が住んでいる居住区や学校、公共施設などから出来るだけ早く除染して行く必要がある。一方で、国も自治体も、その作業量や費用がどの位になるのか、精神論だけでなく現実問題として計算すべき時ではないか。
 汚染区域すべてを除染しようとするとその費用は天文学的なもの(何百兆という説も)になり、除染は国の過重な重荷になっていく。しかも、(IAEAの勧告のように)かえって処理の複雑な廃棄物を大量に生み出すことにもなる。

 そうした現実から目をそむけている限り、国は何度も壁にぶつかって方針を見直すことになる。国民の方も、結局はそうした現実を直視しなければ、自分たちの未来を描けないことを知るべきだと思う。認識を共有する中で、(酷な現実だが)除染を諦めて他に移住するなどの選択をする方が、金の使い道としては有効な場合も出て来るだろう。
 もはや国も自治体も(財政事情から言っても)精神論を振りかざして試行錯誤している暇はない。すべての情報を公表し、責任を背負いながら、最良の選択肢を早く示して行くべきだと思う。

◆放射能と同居するということとは
 こうした対応が的確に行われたとしても、実際問題として除染がそう簡単に進むとは思えない。従って、国がどう言おうと、私たちは否応なくこれから長期にわたって「放射能との同居」を強いられることになる。それもこれから書く食品からの内部被曝の問題も考えれば、首都圏を含めた東北・関東全体(その人口はおよそ5千万人)の問題として。「放射能との同居」とは具体的にはどういうことになのか。私たちはどういう現実に直面させられるのか。

 文科省が公表した最新の汚染地図から見えて来たことは、場所によって汚染がチェルノブイリ並みに深刻だということである。これは、「事故の全体像から目をそらすな」にも書いたが、福島原発から放出された77万テラベクレル(これだって想定に過ぎないが)という膨大な放射能が狭い国土に落下した結果である。チェルノブイリで「汚染地域」に区分される1uあたり3万7千ベクレル以上の汚染範囲は(ざっと見た感じで)福島県の半分ほどと、首都圏のホットスポットにまで及んでいる。人口にして300万人にもなるだろうか。 

 ということで私たちが直面する現実の一つは、チェルノブイリ原発事故の影響を最も過酷に受けているベルラーシ共和国で起きていることは、(適切な対策を取らない限り)やがて日本にも起こり得るということである。いま、憂慮する科学者たちがチェルノブイリの経験に学べと言ったり、ベルラーシの科学者が自分たちの経験を参考にして欲しい、と言ったりしているのはそういうことである。

◆チェルノブイリで起きていること
 では、25年前(1986年)に起きたチェルノブイリ原発事故の後、現在に至るまでベルラーシの「汚染地域」では、どのようなことが起きているのか。何度も現地に入って医療支援をして来た菅谷昭氏(長野県松本市長、写真)や、先に国会で怒りの証人に立った児玉龍彦東大教授によれば、そういういわゆる軽度の「汚染地域」でも長期間の放射線被曝によって深刻な影響が出ているという。

 例えば、甲状腺のガンを始めとする各種のガン(膀胱がん、或いはその前駆状態の増殖性膀胱炎など)。ガン以外にも、(チェルノブイリ・エイズと呼ばれる)免疫低下によって引き起こされる呼吸器系などの病気、貧血や疲れやすさ(現地の学校では児童が疲れやすいために授業の短縮さえ行われているという)。それに最も放射線の影響を受けやすい胎児の発育不全。それによる早産や未熟児、先天異常(奇形児)が増えている。(チェルノブイリで生まれた奇形児については、ネット上にアップされている写真などを見ると本当にぎょっとする)

 菅谷氏によれば、体内に取り込まれても比較的短期間で排出されるとされる放射性セシウムも、実際にはまた新たなセシウムが入って来るので、住民の体内の蓄積量は減っていないという。事故後25年もたってもまだ、こうした健康被害が起きていて、ベルラーシの医療機関が対応に追われ、また海外からの医療支援も続いている。それが汚染地域の現実なのである。

◆「体外被曝」と「内部被曝」
 ただし、ガン以外のこれらの症状が何故起きるかについては、科学的にまだ十分解明されていない。特に、どの位の被曝でどのような影響が出るのかが分かっていない。これが議論の混乱を生む厄介なところになっている。
 環境中の高い放射性物質から直接(透過力の大きい)ガンマ線などを受ける「体外被曝」については、広島など様々な研究から線量と健康被害の関係がおおよそは分かっている。外部からの被曝も可能な限り低くすべきだという意見(いわゆる「しきい値」はないとする論)など、いろいろ議論もあるが、一応の目安(基準値)も出来ている。

 それに対して、最近クローズアップされているのは人体内に取り込んだ放射性物質による「体内被曝」の影響である。放射性物質が長期間にわたって体内に留まり、放射線を出し続けながら様々な障害を引き起こす。この「内部被曝」の影響については、そのメカニズムは徐々に分かって来ているが、障害と量的なものとの関係がまだ良く分かっていない。むしろ低線量で長期間放射能にさらされる方が、高線量を短期間に浴びるより影響が大きいという研究もある(ちくま新書「内部被曝の脅威」)。

◆内部被曝とは何か
 もう34年も前になるが、私は「内部被曝」に関する科学ドキュメンタリー番組を制作したことがある。旧陸軍が戦前、造影剤として使用した「トロトラスト」。これが放射性物質(トリウム)で、体外に排出されずに肝臓などに蓄積、20年、30年経ってから肝臓がんを引き起こす。放射線医学研究所や九州大学の先生方の協力を得ながら、当時のカルテの存在や、がんに苦しむ元兵士を追った番組(「30年後のカルテ〜体内被曝追跡」)だった。(このトロトラストについては、先に国会でも児玉龍彦東大教授が内部被曝の例として取り上げた)
 またその後、アメリカのユタ州立大学で行われていた、ビーグル犬にプルトニウムを注射して発がんの影響を調べる実験を撮影したりもした。

 トロトラスト(トリウム)もプルトニウムも体内に蓄積してα線を出す。プルトニウムなどは半減期が2万年にもなるので、体内の一か所にとどまり生涯にわたって放射能を出し続ける。体内では僅かに1ミリの1/25しか届かないが、α線はエネルギーが大きいだけに、周囲の細胞を簡単に傷つけ遺伝子修復の過程でガンなどの様々な異常を引き起こす。
 プルトニウム粒子が体内組織の中でα線を出す様子を顕微鏡下で写した写真は、まるで線香花火のように見える。怖いプルトニウムだけではなく、β線などを出すヨウ素、セシウム、ストロンチウムなどの放射性物質が体内に入る「内部被曝」の問題こそ、(児玉教授の言うように)これから5年、10年、30年と、日本が背負い続ける大きな課題になっていくと思われる。

◆どう考えて行ったらいいか
 放射能を体内に取り込んでしまうケースには3通りある。放射性物質のホコリなどを呼吸器から取り込むケース、傷のある手足で放射性物質を触って血液中に取り込むケース、食物からとりこむケース、の3通り。これを最大限防ぐために国や行政はどういう対策をとるべきか、あるいは国民はどう考えて行ったらいいのか。これについても、科学者の間で議論が分かれており、情報も錯綜しているので、これらの整理については次回に。
 いずれにしても、今の日本は世界で唯一の被爆国であると同時に、チェルノブイリと並んで世界で最悪の原発事故を引き起こした「特別な国」なのだという自覚から出発することがまず必要なのである。(原発容認などはその自覚がないのでは?)
*参考サイト
 「子どもを守ろう SAVE CHILD」、「菅谷氏の講演」、「フクシマからの警告」、「YouTubeの児玉教授

東北の元気を日本の元気に 11.10.16

◆幻の「私の東北再生計画」企画
 震災から3カ月ほど経って、東北の復興がメディアでも取り上げられ始めたころ、私は各メディアが独自に東北の復興・再生計画のビジョンを募集する企画を立てればいいのにと思ったことがある。それは例えば、芸術家、思想家、経営者、学者(或いは一般人も)などから「私の東北再生計画」というテーマで様々な意見やアイデアを募集する。そして、それらのイメージを具体的なアイデアとして取りまとめ、復興のビジョンとして国民全体で共有して行こう、という企画である。私が親しくしているTVの制作プロダクションにもそうした企画を提案したことがある。

 しかし、結局のところ、どのメディアも「東北再生の夢」を白紙のキャンバスに描くような、このアイデアを実行に移してはくれなかった。原発事故や放射能汚染問題、仮設住宅の確保、がれきの撤去問題、農業や水産業の再出発などなど、それと何より民主党政治のゴタゴタ。目の前の報道に追われる中で、メディアもそこまで手が回らなかったのかもしれない。
 その後、国(五百旗頭議長)や福島県、宮城県が独自の復興計画を立てるには立てたが、それも今ではどうなったか分からない。国の対策の遅れや混乱(復興大臣の不祥事など)ばかりが目立って、地方の復興ビジョンが今度の補正予算に反映したということも聞こえてこない。

◆ビジョンなき復興予算
 いま、野田政権は12.1兆円におよぶ第3次補正予算を立てて、早く東北の復興に着手したいとしている(遅いけど!)。しかし、その主な柱は、被災地のインフラ整備とか企業立地支援、被災企業の支援、円高対策、それに放射能汚染土壌の除染など。ようするに、この状況を見ながら関係各省庁、政府関係機関がこの際とばかりに予算を取りに行った結果であって、そこに明確なビジョンは見えて来ない

 その財源を巡って、野党とどう調整するかと言う政治駆け引き的な報道ばかりで、肝心の11.2兆円の中身についての検証がない。野党も金額と財源さえ見えれば、今度はカネをどこに落とすかと言った利権の調整が主な関心事なのだろう。いつまでもこのような予算の決まり方でいいのか、と思う。官僚主導の予算獲得競争、配分の調整だけで、日本の未来が開けるとはとても思えない。

 国家予算を組むにはまず、この国をどうするのか、国家の基本計画(ビジョン)が必要と言うことは過去何度も書いて来た。それなしに僅かな無駄を削る「事業仕分け」などをやっても、それは「海図なき航海」と同じだとも。
 特に、今回の東日本大震災では、「東北をいかに再生させるか、東北の未来をどう作って行くのか」というビジョンが必要になるはずだ。それなくして幾ら予算を積み上げても、膨大なお金が官僚たちの運営する(非能率な)関係機関に流れたり、無駄にばら撒かれたりするだけ。本当に有効なところにはなかなか回らない。

◆東北再生のビジョンとは
 こうした現状を打破するためにも、特に東北の復興計画には、国民に分かりやすい説得力あるビジョンを作り、それを国民全体で共有していくことが必要なのではないか。冒頭にあげた番組企画は、それを考えるきっかけを提供するものとして有効だと考えたものなのだが...
 では、その時考えようとしていた「東北再生のビジョン」とは、どういうものになるのだろうか。今は砂漠に水が消えるように忘れ去られているけれど、少なくとも震災後3カ月位経過した頃には、かなりはっきりと見えていたようにも思う。思い出しながら、ビジョンの柱になりそうなものを列挙して見たい。

@ 災害に強い街を作る
 これは当然だろう。恒久的で有効な津波対策の内容はだんだん見えて来ている。高台への住宅建設、避難所になる建物の整備といったハードと、情報の伝達手段や、記録の保存、教育と言ったソフトの組み合わせである。加えて、地震、洪水、放射能などの災害にも強い東北を目指すことである。

A コミュニティー(地域)を再生する
 3.11の災害の時、世界を感動させた東北の人々の優しさ、我慢強さ、助け合いの精神。それを育んで来たのは東北の人々の絆を強めて来たコミュニティーである。このコミュニティー(地域)の復活なくして東北の再生はあり得ない。生活支援機関や祭りや神社仏閣の文化施設も。これらを復活させるための具体策が必要となる。

B 元気な地場産業を育てる
 人口流出を食い止め、東北に生活基盤を再生させるのは、農業、漁業、そして世界につながる地場産業の復活。それが東北再生の必須条件である。しかも、今回の災害で東北がいかに日本の主要産業を底辺で支えているかも明瞭になった。その可能性を閉ざさないことである。もちろん観光も。

C 若い世代も惹きつける暮らしやすい街を作る
 これからの東北は、若い世代にも魅力ある場所にならなければならい。若い人たちが働く場所があり、自然があり、文化がある。介護施設と同時に、コミュニティーに根差した子育て支援策も必要だろう。若い世代も引き付ける東北の魅力をどう作って行くかが、東北の未来を切り開く鍵になる。

D 脱原発で日本の自然エネルギーの基地になる
 東北各県、自治体は今回の原発事故で世界に向かって、いち早く脱原発を宣言し、掲げるべきである。そして、風力、太陽光、地熱、それをコントロールするスマートグリッドなど、あらゆる再生可能エネルギーの実験都市を目指す。
 同時にもう一つ。福島原発事故を逆手にとって東北は、脱原発のための技術(使用済み燃料の処理技術、廃炉技術、放射能汚染除去技術など)を開発する世界的研究機関を誘致すべき。

E 地域と地域、地域と世界がつながる
 地域の自立を目指すには、地域の殻に閉じこもっていてはいけない。東北は自然・歴史・文化の豊かな地。観光、農業、漁業、地場産業、人材交流、国際会議の誘致などなど、あらゆる可能性を捉えて世界につながることを模索すべきである。ローカルとグローバルの交流(グローカル)、ローカルとローカルの交流(インターローカル)。東北は世界に開かれた窓にならなければならない。

◆日本の課題としての「東北の元気を日本の元気に」
 以上、思いつくまま書いたが、これ以外にも様々な項目があるだろう。しかし、このような方向性を本気で追求して行くならば、東北は日本の中で最も元気で魅力的な地方になるだろう。同時に、こうも思う。ここにあげた項目の多くは、日本の再生にも必要なのではないか。
 その意味で、東北の再生は日本の再生と相似形であり、東北再生の姿を模索することは「3.11以後の日本の姿」を模索することにつながる。その姿を一言で言うキーワードを探しているのだが、まだ見つからない(多分それは「新しい地域主権国家」とでも言うのだろうが)。いずれにしても東北の復活は日本復活のお手本になるのではないかと思う。

 ただし、この復興ビジョンが力を持ってくるには2つ条件がある。それは放射能汚染がこれ以上深刻化しないこと、地域再生に大きな影響をもたらすTPPに慎重であること(「誰のためのTPPか」)である。 放射能汚染の深刻さと政治的ゴタゴタの中で、今では、何となく忘れ去られ、誰も言わなくなってしまった「東北再生の夢」
 あの番組企画はもう遅きに失した感があるが、メディアは今こそ、様々なアイデアで東北の人々の思いに寄り添いながら、「夢のある東北の再生(そして日本の再生)」を本気で考えるべき時だと思う。私自身も少しずつ考えて行きたい。

「事故の全体像」から目をそらすな 11.10.10

 福島原発事故から7カ月が経過した。いま、原発事故を取り巻く日本の状況はどのようなものなのだろうか。最近の新聞の切り抜きをもとに「一部で進行する危険な兆候」について考えてみたい。

◆原発事故7か月の汚染状況と放射能対策
 原発の状況としては、政府は原発の状況が徐々に落ち着いているという認識であり、野田首相はここへ来て政府は年内の「冷温停止」を目指すことに言及(9月23日国連演説)。9月30日には半径20キロ圏外の「緊急時避難準備区域」を解除した。

 放射能汚染の除去については、環境省が年間被ばく線量5ミリシーベルト(生活圏のホットスポットは1ミリシーベルト)以上の汚染区域を国の責任で除染する方針を発表(*)。除染のために回収する土壌や落ち葉の量は東京ドーム33杯分になるという。こうした除染作業に助言するためにIAEA(国際原子力機関)の専門家たちも来日、現地を調査している。(*自治体の反発を受けて、10日にすべて除染対象地域を年間1ミリシーベルト以上に引き下げ)
 また農水省も同県の森林の除染に向けて全域調査を行う。これ以外にも、東北関東に広がる各都県で放射性物質を含む膨大な量の下水汚泥、焼却灰の処分が問題になっている。環境省はその8都県に中間貯蔵施設を作りたいとしているが、具体的な解決の糸口は見えていない。

 一方、食料品の検査では新米の放射能検査が続けられており、福島県二本松からの新米から暫定基準値(500ベクレル)と同じ量の放射性セシウムが検出され出荷停止となった。その他、グリーンピース(環境保護団体)の検査では、福島県沖の海産物からもかなり高い放射性セシウムが検出されている。
 こうした中、福島県では県内の18歳以下の全児童36万人を対象に甲状腺検査も始まった。 検査は20歳までは2年に1回、その後は5年に1回のペースで生涯にわたって実施する。チェルノブイリでは甲状腺の異常が発現したのは被曝4年後からだったという。

◆日常化の中で見えにくくなる事故の全体像、漂う楽観ムード
 こうした状況を一言で言えば、国と放射能汚染を抱える各都県が目の前の現実に一つ一つ対処療法的に対応しようとしていること。言わば「放射能汚染との共存」を目指して様々な分野がそれぞれに手を打っている状況である。
 しかし、こうして放射能汚染対策が一つ一つの課題として細分化され、担当部局の日常作業になる中で、却って国民には事故の全体像が見えなくなっているのではないだろうか。何となく、事故は沈静化して(大変だけど)これらの課題を一つ一つこなして行けば将来が見えてくると思っているのではないだろうか。しかし、本当のところはどうなのだろう。

 結論から言えば、この原発事故の全体像(全容)はまだまだ見えていないということ。それなのに、政府も、政府の情報を受け取る国民も、事故の先行きを楽観的に思い込もうとしている。別に過度に心配することはないが、楽観するためには事故の全容、全体像がはっきりしていることが前提になるはずだ。しかし今、それが見えているか。
 むしろ危険なのは、事故の全体像も見えないうちから楽観的に思いこもうとして、政府や当事者が事故の本当の姿、全体像の把握を怠ろうとする傾向である。あるいは真実を見ようとしない傾向である。これこそ「危険な兆候」だと思う。
 事故後7ヶ月経って政府の間では、当然のことのように原発の再稼働を目指す動きや、エネルギー基本計画の見直しの動きが出ているが、(原子炉の状態と放射能汚染の実態という)事故の全容解明はどこまで進んでいるのか。

◆「77万テラベクレルの放射能」はどこに落ちたか
 文科省は先月29日、航空機を使った放射性セシウムの蓄積量(汚染地図)を公表した。それによると1uあたり3万ベクレル以上の汚染地帯は原発から250キロも離れた埼玉県秩父地方や長野県、それに千葉県松戸市、我孫子市、柏市(3万から6万)など広範囲に及んでいる。
 チェルノブイリ事故で「汚染地域」とされた3万7千ベクレル以上の範囲は(ざっと見た感じだが)福島県の半分ほどと、首都圏のホットスポットにまで及んでいる。また、原発付近(30キロから50キロ圏)では、原発事故由来のストロンチウムとプルトニウムまで検出されている。(プルトニウムの内部被ばく問題についてはいずれ書きたい)

 一方、海洋への放射能汚染については、日本原子力機構がその総量を東電発表の3倍の「1.5京ベクレル(1.5万テラベクレル)」と計算した。海に流れ出した汚染水の動向についても、電力中央研究所がシミュレーションしているが、それを見ると5月1日には福島県沿岸を南下して茨城県や千葉県銚子沖に達した後、外洋に拡散して行っている。
 ただし、この海への汚染量は果たして妥当なのか、どうか。というのは6月16日に「77万テラベクレルの放射能」を書いたが、今回の原発事故で原子炉から大気中に放出された放射能は77万テラベクレルだからだ。風向きにもよるだろうが、汚染水で流出した分を除いて、大気中から海に落ちた放射能が全体の数%以下と言うのは解せない数字である。それに、その後の豪雨で地上の放射能は海に流れ込んでいる。私は海の汚染はもっと深刻なのではないかと思う。

◆チェルノブイリとの比較
 土壌汚染にせよ、海洋汚染にせよ最近になって見えて来たのは、予想外に深刻なものである。先にも書いたが、福島から放出された放射能はチェルノブイリの7分の1だが、面積にすると(半径300キロとして)25分の1の狭い範囲に降り注いでいる。当然、チェルノブイリより深刻な汚染地帯があって然るべきなのだが、そういう現実が徐々に見え始めたのだと思う。(個人的見解)
 ただし、その全容は未だ把握されたわけではない。汚染のデータが揃って行くうちに見えて来たものである。これをさらに緻密にしていき、逐次、正確なデータ公表すべきだと思う。

 実態の判明によっては、政府が掲げている「除染し帰宅する」、「土壌も山林の放射能もできるだけ除去する」という構想そのものが虚構になる恐れもある。除染で生まれる放射性廃棄物が膨大になり、費用が天文学的になるからだ。対策を行うと同時進行でもいいが、地上と海の汚染の全容を掴むことに全力を挙げるべきである。

◆残りの99%の放射能を抑え込めるか
 これだけ深刻な汚染を引き起こしている放射能だが、福島原発から放出された放射能は原発内にあった全放射能の僅か1%に過ぎない。残りの99%を封じ込めていけるかどうか、それが事故後の現実になる。野田首相は先の国連演説で年内の「冷温停止」を目指すとしたが、どうもそれが難題らしい。

 事故後半年の9月9日、毎日新聞は見開き2ページを使って原発事故の半年を総括している。これによれば「収束いまだ見えず」である。特に問題なのは、燃料棒が溶けて圧力容器の底に崩れ落ちるメルトダウンから、高熱の燃料のかたまりが圧力容器や格納容器まで溶かして地下に達するルトスルーまで起きていると言われる1号機。そうなると、圧力容器の底で測った温度だけでどうして冷温(100度以下)等と言えるのか、という科学者も多い。

 原子炉地下を溶かしながら沈下する重さ100トンの莫大な熱量を持つ放射性物質が今後どうなるか、誰にも分からないのではないか。この他にも、配管に溜まっている水素の除去、汚染水の浄化によって溜まる一方の高濃度汚染物質の処分問題、それにいつ燃料取り出しにかかれるのかなど、この先遭遇する難問は山積している。
 首相は「冷温停止」というが、事故でこれだけ破損した原子炉で「冷温停止」とは一体何を意味するのか、何をどう計測するのか、これから考え方を整理しようという段階。とても楽観論が出る幕ではない。

◆政府は(そしてメディアも)事故の全体像から目をそらすな
 一方で、政府や国会の事故調査も始まったばかり。事故の全容解明などというにはほど遠い段階である。一体、福島原発事故はなぜ起きたのか、どのように経過したのか、その時の対処は適切だったのか、肝心の原子炉の中はどうなっているのか、そして残り99%の放射能は果たして封じ込められるのか。この先、どのような健康被害が出るのか。
 楽観論に寄りかかる前にまずは、事故の全容解明に全力を挙げるべきなのである。(スリーマイル島原発事故の場合、炉内の全容が分かったのは事故後10年経ってからだった)

 あるいは政府や推進派自身も目をそむけようとしているのかも知れないが、汚染対策や健康調査、食糧検査といった作業が日常化する中では、メディアの報道も事故の全体像に注意が向かなくなるのは自然の成り行きと言っていい。
 しかし、それは彼らの思うつぼでもある。それに惑わされずに、事故の全容解明を促しながら、見えて来る事故の全体像から常に目をそらさないことは、私たちが今後の原子力を考える上で最も大事な原点になるはずである。

原発を看取るということ 11.9.10

  9月2日に野田新政権が発足。この政権が原発問題をどう考えているか、注視してきたが、今のところ菅が打ち出した「脱原発依存」政策は継続するようだ。野田首相も (建設中のも含めて)新規の原発建設は認めないと明言しているので、日本の原発は寿命が来た順から廃炉になって行き、やがてゼロになる。当然とはいえ、日本の脱原発への流れは変わらない

◆いつゼロになるのか
  問題は、日本の原発をどのように減らして行くのか、いつゼロにするのかだが、肝心なところはまだ見えない。鉢呂経産相(*)によると、それらの工程表については経産省の総合資源エネルギー調査会で議論し、年明けまでに最終判断するという。調査会のメンバーには原子力に批判的な人も入れ、議論も公開する。
 以前に比べれば様変わりだが、仮に、そこで「原子力は間もなく廃止になる過渡的エネルギー」と明記されれば、原子力のうまみはなくなり推進派もおとなしくなるだろう。この議論をきっかけに、メディアには脱原発へ向けての国民的議論を巻き起こして貰いたいと思う。  *10日夜辞任したが、それにしてもこんなことで一々辞任してどうなるのだろう。何か陰謀臭くないだろうか。

 心配なのは、野田政権が「脱原発依存」と言いながら、一方で、現在停止中の原発の再稼働を急ぎたいとしていること。(再稼働問題については後述するが)再稼働によって原発がこれから何十年もズルズルと続いて行くことは、事故のリスクを高めるだけでなく、別の深刻な問題も増大して行く。
 運転を続ければ続けるほど、深刻さが増して来る問題とは何か。それを知るために今回は、今まであまり取りあげられてこなかった、「原発を廃止した後に直面する問題」について考えてみたい。

◆原発という巨大なモンスターを看取るということ
 日本の原子力は54基の原発、各原発のプールに仮貯蔵されている1万4千トンもの使用済み燃料(これは年々千トンずつ増え続ける)、未完成の再処理工場(写真)、再処理で取り出されたプルトニウムで発電する高速増殖炉(建設中)、まだどこにも決まっていない高レベル廃棄物の最終処分場、などで構成される。

 また、ウラン燃料の加工工場、原発の建設・保守点検の原発関連会社、再処理工場、高速増殖炉の建設会社、それに原子力の指導監督、調査のための様々な原子力機関。当然のことながら電力会社、そこから協力金をもらっている地元自治体、PR会社などなども関係している。原子力は毎年何兆円という金が動く、巨大で複雑に絡み合ったシステムによって動いている

 ここにいう「原発を廃止した後に直面する問題」とは、こうした巨大で複雑なシステム全体を方向転換させ、すべての原発をいかに安全に停止し、解体し、処分して行くかということ。原子力という巨大なモンスターを何十年(あるいは何千年)もかけて看取って行く問題にほかならない。
 それは、気が遠くなるほど困難な作業の連続であり、問題も多岐にわたる。何しろ今まで誰も真剣に脱原発の工程などを考えて来なかったので、考えも技術も確立していない。しかし、脱原発を実現するには避けて通れない問題なので、頑張って概観だけでもしておこうと思う。

@ 増え続ける使用済み燃料
 一つは、使用済み燃料の問題である。現在は再処理工場が未完成のため、各原発内のプールに仮置きされている使用済み燃料だが、いったん脱原発が決まればそれこそ行き場を失う。再処理工場建設は、プルトニウムを使う高速増殖炉やプルサーマルを前提としている。これらが廃止になれば、再利用のために多額の金をかけて再処理する意味がなくなるからだ。仮に再処理したとしても、その10倍もの余計な放射性廃棄物を生んでしまう。

 いずれ原発を廃止するというのに、ずるずると運転して行けば、処理方法も決まらない、危険な使用済み燃料を増やすだけ。何千年も放射能が消えないウランやプルトニウムを大量に含む「無用の危険物」が日本各地に残っていく。未来の子孫に禍根を残さないために、この難題を真剣に考えなければならない時が迫っている。

A 54基の原子炉を順次解体する
 一方、停止した後の原子炉も放置しておくことは出来ない。運転中に浴びる放射線によって、原子炉の鋼鉄そのものが高レベルの放射性物質に変わって行くからである。中の燃料棒を取り出した後、数十年かけて危険な原子炉や建屋を解体・処分し、原発を更地に戻す。これが「原子炉解体」である。
 しかし、これも難題。安全に解体して行く技術は未完成だし、解体によって(積み上げるとエジプトの中型ピラミッドくらいになる位の)膨大な放射性廃棄物が生まれてしまう。この膨大で、様々なレベルの放射性廃棄物をどうするかも、まだ決まっていない。
 解体の費用も莫大(1基あたり3〜4千億円?)。これを54基分やっていくのだから、まさに気の遠くなるような作業になる。この原子炉解体の問題でも、運転を続ければ続けるほど原子炉の放射能が高くなるので早めの停止が必要になる。

B どのような組織・体制で原発を看取っていくか
 脱原発とは、運転を停止した原子力を「誰がどのように」看取っていくのか、という問題でもある。少なくとも50年くらいかけて、すべての原発関連施設を解体。残された使用済み燃料、膨大な放射性廃棄物をその後長期(場合によって何万年も)にわたって管理して行く。そのためには、新しい技術を研究・開発する必要もある。

 これを行うには、上述したすべての原子力関連機関にいったん引導を渡し、脱原発に向けて再編、方向転換させなければならない。これも難題だろう。何しろ、脱原発が決まった原子炉は利潤を生まないので、電力会社にとってはお荷物でしかない。電力会社に任せただけでやりきれるか。

 こうした困難を考えると、私は
すべての原発を国有化して、国が国家事業として原子力を看取って行く、というのもありかと思う。ただし、その時の多額の資金をどうするのか。国策として始めてしまった以上、国も電力会社も(そして結局国民も)負担して行くしかない。そのスキーム作りを急ぐべきである。

◆どうせ脱原発するなら出来るだけ早く!
 以上みて来たように、一口に脱原発と言ってもそこには解決すべき様々な難問が立ちはだかっている。しかし、問題を先延ばしすることは出来ない。原発を続ければ続けるほど問題の解決は困難になり、私たちの子孫にのしかかるリスクと負担は増大して行くからだ。そのことを考えれば、脱原発は早ければ早いほどいい。まずは原発をとめた上で一つ一つの難問を着実に解決して行くことである。

 いま日本では、定期検査で止まっている
原発の再稼働問題が迫っている。福島原発事故の後、政府は再稼働の条件として、地震と津波の安全評価(ストレステスト)、それに対する原子力安全・保安院と原子力安全委員会の評価、加えて首相など関係閣僚の最終判断という手順を加えた。また最近ではストレステストの結果をIAEA(国際原子力機関)に評価してもらう案も出ている。
 その上で、丁寧に地元の理解を得ていくとしているが、私に言わせれば、(これまでも書いて来たように)ストレステストなどは、単なる応急措置に過ぎない。いよいよ深刻な福島の現実の中で、再稼働などうまくいくのかどうか。再稼働のハードルが高くて原発が止まったままなら、現在稼働中の12基も来年には順次定期検査に入り、日本の原発54基すべてが止まることになる。

 大事なのは、「どうせ脱原発するなら出来るだけ早く!」である。国民、住民の声を動員してできるだけ再稼働を遅らせ、稼働中の原発の数を最大限減らしていくこと。当面、これが一つの勝負どころになるだろう。

◆脱原発の技術で世界をリードする(おまけ)
 脱原発によって原発が止まっても、これまで培ってきた原子力技術がいらなくなるわけではない。原子力関連企業にとっても、技術者にとっても脱原発は(困難だが)チャンスでもある。(事故を起こした福島原発の処理も含めて)原発停止後の技術的難問には、これから世界も直面するからだ。
 これに真剣に取り組めば、日本はその方面の技術力で世界のトップになれる。しかも、その仕事はこれから長期にわたって続く。脱原発という未開拓の技術市場をにらみながら、まさに官民を挙げて前向きに挑戦すべき課題だと思う。

「脱原発隠し」と政治の不毛 11.8.24

 民主党の代表選は8月27日に立候補受付、29日に投開票という論戦わずかか2日ほどの短期決戦になるようだ。候補者の様々な動きや駆け引きが報道されているが、出馬を表明している顔ぶれからは、何故か脱原発の声は聞こえて来ない
 月刊文春9月号への寄稿などを読むと、「世界最高の安全を確立する」(馬淵澄夫)、「短絡的な脱原発というイメージの独り歩きは危険」(海江田万里)、「原子力技術を蓄積することが現実的」(野田佳彦)。一方、最後に立候補を決めた前原誠司も「脱原発はポピュリズム。電気代が上がり、景気が悪くなって働く場所もなくなる」(6月)と菅の脱原発を批判して来た。

◆「脱原発隠し」と政治の不毛
 国民の85%が脱原発に向いている(すぐに廃止11%、時間をかけて廃止74%)のに、政治家たちの鈍感さと視野狭窄には毎度あきれるが、これも、政治解説風に見ると、「ポスト菅の面々も脱原発を否定しているわけではない。脱原発とも原発推進ともつかぬ玉虫色へ逃げ込むことが選挙対策になっている」(毎日22日の解説、山田孝夫)のだそうだ。
 つまり、ここで原発問題に明確な姿勢を示すと様々な陣営の議論を呼んで票がばらけるので、あいまい戦術(脱原発隠し)に出ているということらしい。

 まあ、(「個人的な意見として」脱原発を言って孤立した菅はともかく)八方美人で権力を握りたい今の低レベル政治家に、原発問題のリーダーシップを期待する方が無理なのかもしれないが、それにしても、今回は大震災と原発事故という未曽有の国難の真っただ中での(実質的な)首相選びである。一国の首相が、短いスケジュールの中で本格的な政策論争もなく、ただの数合わせで決まっていいのか。
 震災に関するこれまでの民主党政治の総括もされず、復興計画や原発対策で何を選択するのかも争点にもなっていない。争点になりそうなのが、大連立や財政再建、増税問題。そして、ここへ来てまたぞろ「小沢との距離」である。そんなことしか伝えないメディアに、国民もあきれ果てているのではないか。

◆政策論争を仕掛けよ
 私はかねがね、政治が不毛な時にこそメディアの方から実のある政策論争を仕掛けてもらいたい、と言って来た。国民が関心を寄せる重要なテーマについて、メディアが責任を持ってテーマを選び、論点を整理して候補者を問い詰め、答えを引きだす。
 特に、3.11の原発事故を彼らがどう受け止めているのか。これだけ広範囲に日本の国土を放射能で汚染し、国民の健康を危険にさらす原発という存在をどう考えるのか。彼らを追い込んで判断材料を国民に提供してほしいと思う。

 危機を目の前にしながら政治がリーダーシップを失い、様々な利権に手足を縛られて身動きが取れない。首相候補者たちが肝心の原発問題について口を濁す状況は、政治の劣化以外の何物でもない。
 しかも、それは原発推進への再始動を虎視眈々と狙っている官僚と産業界の思うつぼでもある。こうした政治家のあいまいな(「脱原発隠し」の)姿勢について、毎日の山田編集委員は同じ記事の中で、「そんなことで原発推進の官産複合体と相撲が取れるか」と書いている。当然だと思う。

◆産業界の主張は、いつも同じ
 産業界は、口を開けば「電力不足では経済成長が出来ない」、「自然エネルギーで電気代が上がったら競争力を失い、海外に工場を移すしかない」、「原発輸出をやろうというのに、国内で原発をやめたら技術が停滞する」などと言う。
 彼ら輸出関連企業の経営者は、常に目先の商売、会社の利益しか見ようとしない。その主張は、為替相場や法人税や人件費など、経営環境がちょっと苦しくなるたびに、簡単にリストラを行い、海外に工場を移転してきたこれまでと何ら変わらない。TPPを求めた時の主張と全く同じである。(「誰のためのTPPか」)

 「いやそうではない。我々は日本経済全体のことを考えているのだ。日本の国益を考えているのだ」と彼らはいうかもしれない。しかし、真の国益とは何よりもそこに住む国民の命に責任を持つことではないか。そして、(処理方法も分からずに、子孫を危険にさらす)大量の放射性物質を作り続けないこと。この美しい国土を放射能で汚さないこと、ではないのか。
 日本の地下で新たな巨大地震がうごめいている時、原発事故が引き起こす破滅的な危機に目を閉ざし、まるで原発事故が起きなかったかのように「原発は必要」といっているだけでは、「彼らが見ているのは国益などではなく、自分たちの利害でしかない」と言われても仕方がないのではないか。

◆脱原発でも原子力技術の継承はできる
 また、官僚が(それに同調する海江田も)が盛んに言う、「原子力の平和利用という技術を今やめていいのか。技術の継承は必要」と言う意見も実は根拠がない主張である。次回に詳しく書きたいが(「原発を看取るということ」)、原発をやめても、日本は原子力技術を放棄することなど出来ないのだ。
 まず、福島。これを安全に廃炉にして行くには、それこそ半世紀以上にわたる気の遠くなるような放射能との闘いが続く。その間、膨大な費用と様々な新規技術の開発が必要になる。さらに、54基の原子炉全部を数十年かけて解体し、国内に残された何万トンに及ぶ高レベルの放射性廃棄物を安全に処理するという難題も残っている。

 その技術は殆どが未開拓の分野で、今後も膨大な費用と多くの技術者、科学者の力が必要なのである。そこで蓄積された技術こそ、世界に貢献できる先端技術になるだろう。従って、「原発辞めたら技術が死ぬ」などというのは、原発を続けたい官僚たちが作った嘘なのであって、こんな、如何にも耳触りのいい言葉に騙されてはいけない。

◆いま考えるべきは「どうしたら脱原発はできるか」
 (ヒロシマにも匹敵する)フクシマという現実を経験した日本は、それが意味するモノを問い続けて行かなければならない。その教訓を生かしながら、新しい時代を切り拓いていかなければならないと思う。
 その教訓の一つが戦後の経済成長至上主義とセットになった物質文明の問い直し。さらには脱原発。その脱原発は、前にも書いたように効率的な天然ガス発電をベースに、スマートな節電社会、電力機器全体における省エネ技術の開発、そして新エネルギーへの転換といった合わせ技で、意志さえあれば間違いなく達成できる

 3.11の現実を(未来世代に責任を持つ人間として)素直に見れば、今考えるべきは「どうしたら脱原発はできるか」だろう。そこに日本人の知恵と人材と金を結集することこそが求められている。
 しかも、新エネルギーへの転換はそれによって新たな雇用も生まれる、輸入エネルギーに支払っていた多額の資金が他に利用できる、新たな技術開発で世界をリードできる、などの経済的メリットもある。すでにこうしたビジネスチャンスを先取りしようと世界は動いている(多少の違和感はあったが、先日のNスペのように)。
 脱原発を後ろ向きにとらえるのではなく、こうした可能性に向き合うことこそ、今の日本に必要なことではないか。

◆日本版「緑の党」の結成を
 最後に政治の話に戻る。政策として財政再建も大事だが、3.11以後、「脱原発」は国家の基本に関るもっとも大事なテーマとなったはず。それなのに、現実から目をそむけ、問題を矮小化して「事なかれ主義、問題先送り主義」に逃げ込むのは政治家として許されない。
 国民の命に責任を持つべき政治家たちは、この問題を国民の安全、安心に関る大問題、ビッグイシューとして掲げてほしい。それを政界再編を促す起爆剤にして、新党(日本版「緑の党」?)を結成する位の気概を持ってほしいと思う。河野太郎のようなシャープな政治家は、与野党含めて他にも沢山いるはずだから。
 

Nスペ「原爆投下 活かされなかった極秘情報」 11.8.9

 今回も一部フェースブック(FB)との連動で書いて見たい。テーマは、8月6日(土)に放送されたNHKスペシャル「原爆投下 活かされなかった極秘情報 」について。FBを交えながら、この素晴らしい力作について書いておきたい。

◆戦後66年、今明かされる驚愕の事実
 ご存知のようにNHK広島放送局は毎年8月6日に、原爆に関する特集を組んでいる。30年近くにわたって、原爆という人類が経験した最も悲惨な出来事を継続的に記録し、様々な角度から取り上げ、数々の名作を生んで来た。今回放送されたNスペは、それらの名作の中でも屈指の番組に入るのではないだろうか。

(8月6日のFBから)
 『今夜の広島局制作のNスペ「原爆投下 活かされなかった極秘情報 」。広島、長崎への原爆を搭載した爆撃機の情報を日本軍が事前に つかみながら何らの手も打たなかったという驚くべき内容でした。 軍の上層部が面子と思い込みから無視した貴重な情報。戦後66年 の今、消えゆく事実をあぶりだした歴史的な力作だと思います。
 いわば見殺しにされた広島、長崎の人々。このことを初めて知った 関係者の一人が「これが日本の姿なのか。これを許していた ら、こんなことがまた起きるんじゃないですか」といいます。今の時代に重く響きます 。すごい番組!』


 広島、長崎あわせて20万人の犠牲者を出した原爆投下。これまで不意打ちを食らったとばかり思われて来たB29(原爆搭載機)の接近情報が、日本軍によって事前に察知されていたという衝撃的内容である。しかも、この折角の事前情報が軍上層部の無作為によって活かされなかったという驚愕の事実を掘り起こしている。

◆思い込みと無作為から黙殺された極秘情報
 原爆投下の2か月前の昭和20年6月。サイパン、グアム、テニアンの各島でのB29の動静を電波傍受で探っていた陸軍の特殊情報部が新たなコールサインで呼び合うB29の部隊を識別した。10機から12機の異例の小部隊。情報部はこれが何らかの特殊任務にあたるものとして重大な関心をも持つにいたった。
 8月6日、午前3時、特殊情報部に緊張が走る。このコールサインを発するB29が日本に向かっている。「これはただごとじゃない。特殊任務が近づいて来たのか」。情報は直ちに軍上層部(参謀本部)に届けられた。しかし、この折角の情報は現実に生かされることはなかった。電波で追跡していたB29が日本に近づき、原爆投下の1時間前には、広島に入ったことが探知されていたのに、軍上層部はその情報を広島に伝えなかったのである。

 当時の広島。前日の夜間から、西宮、今治、宇部などが空襲を受け、広島にも空襲警報が出されていたという。広島の軍司令部は徹夜で警戒に当たっていたが、翌日6日の朝にはこの警報が解除になる。そして8時15分。人々が防空壕から外へ出て一息をついている時に原爆投下。人々は全く無防備な状態で、原爆の熱線にさらされたのである。

◆思い込みと軽視
 B29(原爆を投下した「エノラゲイ」)の接近情報が何故広島の司令部に伝えられなかったのか、詳しいことは不明だという。原爆については、当時の日本軍は財政的な困難から続けて来た開発を断念。「日本がこれだけやっても出来ないのだから、アメリカもなし得ないはずだ」という根拠のない理由で、アメリカの原爆開発を否定していた。広島原爆の後でも軍部はアメリカが言っている原爆を認めようとせず、「非常に力の強い普通の爆弾」などと強弁していたという。

 テニアン島のB29の特殊任務について、傍受に当たっていた特殊情報部もこれが原爆投下とは知り得なかったが、何らかの重大な任務だと考えて上層部に伝えて来た。傍受に当たって来た少尉は「判断がにぶい」と悔しがったが、(思い込みから事態を希望的に軽視するという)同じことが今度は長崎でも繰り返される。軍上層部は「仮に広島が原爆だとしても、果たしてアメリカがこれをどんどん用いるかどうか」と事態を軽視したのである。

◆長崎でも同じ過ち
 8月9日未明、同じテニアン島からB29(「ボックスカー」)が発進する。それを掴んだ現場は「普通ではないと非常な不安を感じた。数時間後に(広島と)同じことが日本のどこかに訪れる危険が大きい」と思って軍中枢に情報を上げる。長崎投下の5時間前には、B29が日本(九州)に向かっていることが軍の上層部に伝わっていた。

 この時、長崎近くの大村の飛行場では、日本では唯一高度1万メートルまで上がれる戦闘機の「紫電改」がB29迎撃のために待機していた。しかし、驚くべきことに、この情報も長崎に伝えられることはなかった。大村飛行場で「いざとなったら体当たりしてでもB29を落とす」と待ち構えていたパイロットは「今なお悔しい。何で出撃命令を出さなかったのか。情報はなかったのか」と言う。

◆重層的取材で厚みを増す番組
 終戦直後から1週間にわたって特殊情報部は資料を燃やし続け、証拠隠滅を図った。部の存在そのものを歴史から抹殺しようとした。しかし、番組は、そのかすかな痕跡から丹念に事実をあぶり出し、その存在、歴史的事実を明るみに出した。

 かすかに残る記録と同時に、特殊情報部に勤務していた軍関係者たち、死亡した元少佐(陸軍上層部)が残したテープ、原爆開発に携わった人、原爆投下に当たった元アメリカ軍兵士などの証言を丹念に集めている。その一方で、広島の司令部で手伝いをしていた当時14歳の女生徒、大村飛行場でB29を待ち構えていたパイロットなどを探しだしてきて、ドラマチックで貴重な証言を得ている。それが番組に厚みをつけている。

 奇跡的に司令部の防空壕で助かった当時14歳の少女は、表に出て同級生たちの焼けただれた姿を目にする。その看とりと介護を続けた日々。同じく、出撃命令が出なかったパイロットは、長崎の被爆地に入り死傷者の対応に追われる。涙がとめどなく流れる日々。
 番組の中で、日本軍が事前に長崎へのB29の情報を掴んでいたことを知らされた元パイロットは、しばらく絶句した後で(冒頭に書いたように)「これが日本の姿なのか。これを許していた ら、こんなことがまた起きるんじゃないですか」と言う。

◆番組が問いかけているもの
 番組は最後に「広島と長崎で多くの尊い命と営みが一瞬にして奪われた。2度の悲劇は国を導く者の責任の重さを今の時代に問いかけている」と結ぶ。
 指導者の根拠のない思い込み、事態を希望的に見ようとする無責任、その結果すべきことを回避してしまう無作為。番組は、明らかに千年に一度の巨大地震と原発事故という「戦後最大の難局」に直面している日本の現状を意識している。それは、国民の命が危険にさらされているとき、国の指導者、組織の指導者は果たして最善を尽くしているのだろうか、と言う問いでもある。

(FBから)
 『戦前から日本人の組織に抜きがたくしみついている(丸山真男のいう) 「無責任の体質」は、多くの間違いを繰り返し、罪のない人々を不 幸に陥れてきました。この流れを変えるには何度も何度も繰り返し 検証して日本人自身が思い知るしかないのだと思います。』
(FBから)
 『昨夜のNスペが何 故すごいか考えてみました。それは単純なことですが、番組が暴い た(国の指導部が国民の命を見捨てた)「事実」そのものがすごい から。その「事実」とがっぷり組んで、負けることなく格闘したか ら。これを「原発事故」に置き換えてみれば、今ジャーナリズムが やるべきことも見えてくると思います。』

 国が未曽有の難局にある今、日本の指導者も目の前に立ちはだかる「原発事故」という現実を直視して、歴史に恥ない選択をして貰いたいと思う。同時に、メディアも。

脱原発・山が動くために 11.8.4

 フェースブック(FB)をやり始めて、そちらに短文を書くようになると、どうしても「日々のコラム」にまとまった内容を書く時間が少なくなる。何しろ、FBには「近況」という欄があって、常に「今なにしてる?」と聞いて来る。
 そのコメント欄に短文を書くと何かしら反応があるのでついそちらが気になる。知人、友人たちの発信に目を通したり、それに書きこみをしたり。これに結構時間を費やすようになると、軽〜いFB中毒状態。その点FBは実によくできているなあと思う。

 ただし、そうやって、友人たちと会話を交わしている分には楽しいのだけれど、肝心のコラムの方は一向に進まない。そこで、今回はちょっぴり自戒をこめて、その時々の(原発関連の)断片的なFBから、次回以降の「日々のコラム」につながる(かもしれない)ものを抜き出してみた。

◆原子力テーマの山脈、およその論点は出揃って来た?
(FBから)
 『昨晩はシンポジウム「原発とメディア」(四谷区民ホール)に参加 。会場はほぼ満員(女性も沢山)。それにしても今回の原発事故が 、実に多様な問題を提起していることに改めて気付かされました。 原発報道のメディアリテラシー問題、ネットVSマスメディア、放射能の不安が引き起こす多様な精神症状、右翼の人たちが始めた反原発運動、原発が内包している不条理の数々。考えるべきテーマが 山脈のように連なっているのが分かります。まるで「原子力山脈」 ですね。』(7月20日23時)

 福島原発事故から5カ月近く。このところの原子力に関する議論は事態の進行とともに実に多岐にわたって来たことがわかる。安全(事故終息の工程表、放射能汚染対策)、原発の再稼働問題、国のチェック体制、発送電システム、再生可能エネルギー政策、脱原発に立ちはだかる(官僚、政治、自治体、企業、財界、労働界、メディアなどの)社会の広範囲な利権、廃炉工程、核燃料サイクルの見直しなどなど。
 考えるべきテーマが山のように連なっている。それだけ半世紀に及ぶ原子力が、社会のシステムとして
「巨大な山脈」を形成しているからだろう。

 ただし、(朝日、東京、毎日の)有力紙が鮮明に脱原発の社論を打ち出し、その根拠を報道するに及んで、原子力に関連するおよその論点は出揃って来たようにも見える。これらの一つ一つに決着をつけて行かないと、原子力という巨大な山は動かない。油断すると、必ず時計を逆回しにして議論をいつもの「思い込みに」に引き戻す人間が現れる。
(FBから)
 『今夜のテレ朝の「そうだったのか!学べるニュース」で法制大学教授の萩谷順が「脱原発は可能か、次世代エネルギー」を解説。これ が脱原発で減った30%の電力を再生可能エネで賄えるかという単純な議論立て。意図的なのか、無知なのか(最近の議論を無視した )とんでもなく保守的な解説で、脱原発は簡単じゃない、というも の。
 2005年まで朝日の記者だったキャスターあがりが、古巣の社説を全く無視していました。これでは、脱原発に賛成している8 割近い国民の知識にも遅れているのでは?そういえば7月17日の朝日に続いて 、毎日も昨日の大特集で、完全に脱原発の旗幟を鮮明にしましたね。』(8月3日22時)


◆国を挙げて世界に恥じない放射能対策を
 原発事故の影響は福島に限定されずに、日本列島の広範囲に及び始めている。土壌汚染ばかりでなく、牛肉や腐葉土を通じて全国規模になりつつある。流通という仕組みを通じて放射能汚染がここまで拡大するのは、日本特有のことかもしれない。この中でクローズアップされて来たのは、外部被ばくと言うよりは内部被ばくの不安。これがまた、一般には分かりにくい。
(FBから)
 『(大手メディアが無視したという)児玉龍彦、東大教授の国会演説をネッ トで見ていたら、その中に「トロトラスト」(旧日本軍が使った血 管造影剤のなかに放射性物質のトロトラストが入っていた件)が出 てきて懐かしくなりました。トロトラストの問題については、若いころ「30年後のカルテ〜体内被曝者追跡〜」というドキュメンタリーを制作したことがあります。
 体内に入った放射性物質が排出されずにα線を出し続 ける。これが内部被ばくです。1粒のプルトニウムも半永久的にα 線を出し続けます。組織切片を顕微鏡で見ると、まるで線香花火のよう。これが遺伝子を切断し、がんの引き金になるのです。(8月2日23時)』


 『ご参考までに、児玉龍彦教授の国会での証言、やり取り 。内部被ばくについても、様々な問題が山積していて一つ一つ整理すべきと思いますが、いず れにしても、日本政府はそれこそ早急に、国 を挙げて「総合的な放射能対策」に取り組むべき時なのです。その ときに大事なのはレベル的にも「世界の批判に耐え得る取り組み」 だと思います。それが事故を起こした日本の責任でもあるし、その中でこそ、国民も救われていくのだと思います。(8月3日11時)』

◆ハードの安全だけでは全く不十分
 九電の「やらせメール」をきっかけに明るみになった電力会社と国、地方自治体との癒着関係。原子力を規制する側の国の原子力・保安院までが「やらせ公聴会」を要請する。佐賀県の古川康知事が九電幹部をこそこそと公舎に呼んで、やらせを促す。
 古川知事をみていると「いけしゃあしゃあ」というのがぴったり。誰かが「口からぴょろぴょろと舌をだす爬虫類のような顔」と言っていたが、こんなことは氷山の一角に過ぎないだろう。かれらは巨大な利権の共有者なのである。
 一方、2つの原子炉でストレステストのデータの入力ミス が発覚した玄海原発。「私が安全を確認しましたので再稼働を認め ます」などと言っていた玄海町長も同じ穴のムジナ。それに比べて一貫して新潟県知事は立派

(FBから)
 『泉田新潟県知事が、定期検査後の原発の再稼働について、「政府の ストレステストはこれまでの知識の範囲内で考えているものにすぎ ず、やらないよりはやった方がいいという程度の気休めでしかなiい。福島原発 の事故調査が終わらない限り再稼働を認めることはあり得ない」と 述べた(夜11時のNHKニュース)。前にも書いたように、これ が現時点では満点の答え。これが今後の各県の模範解答になると思 います。(*新潟県知事「ストレステストは気休めでしかない」)』

 『続いて。普段は洒脱なブログを書いている茨城の知人が本気で「一 市民の結論、東海第2原発を廃炉に!」を書いています。茨城県東 海村の原発は今回の震災でタッチの差で事故を免れたに過ぎない。 これが福島に続いたら、今頃日本は...... (7月21日10時)』


 茨城県東海村にある日本原電の東海第二原発は、3.11の地震で一基の電源が津波にやられ、安定冷却に入るのに3日も要した。しかも、堤防のかさ上げによる津波対策が完成したのは今年の2月。まさに危機一髪だった。このブログの中で、彼は以下のように書いている。
 「原発運転には100%完璧な対策に出来るだけ近付けるために、敬虔な考え方で最大の努力を傾けてもらいたいものだが、電気卸業者と言われ、東電と関電の関連子会社の日本原子力発電株式会社に期待出来るか。その名前のとおり、原子力発電だけを生業としている。会社の存立がかかるため、なんとしても再稼動しようと努力するだろうから、言ってみれば、非常に危険な性質の会社ではないか。」

◆残されたテーマについて
 というわけで、これからは原子力産業のソフトランディングも課題となる。脱原発後の原子力技術をどう維持していくか、原子力技術者たちの将来をどう保障して行くのか、も考えて行く必要がある。
(FBから)
 『昨晩は科学系のジャーナリスト と暑気払い。脱原発後の原子力技術をどう維持していくのかを議論 。技術者に新たな使命と夢を持ってもらうにはどうすればいいのか 、など。「原発を看取る」には、単に新しいエネルギーにシフトすれば済むのでなく、これから50年〜100年に及ぶ「膨大な負の産業遺産」を維持する仕事が残ります。単に反原発を叫ぶだけでな く、そろそろこういう青写真も用意する必要があるようです。(7月21日)』

 こうした断片的なFBの意見を踏まえて、次回以降は、放射能の内部被ばくの問題、原発容認の人々の論理の解明、この先の原子力技術をどうするか、などについて考えて行きたい。(FBとのお付き合いはまだ摸索中だけど)

放射能汚染問題を直視せよ 11.7.28

◆薄氷のステップ1
 7月19日、政府と東電は福島原発事故の終息に向けた工程表について、「(原子炉を安定的に冷やすという)目標の第1ステップはほぼ達成した。第2ステップで冷温停止状態を目指す」と発表した。

 しかし、ステップ1については「薄氷の達成」と見る見方が多い。汚染水の浄化装置(写真)の不具合、漏れ続ける放射能など積み残しの課題も多い。特に問題なのは、(多分底に大きな穴があいている)3号機。注入した水がそっくり外部に高濃度汚染水となって漏れ出る状態で、まさに内部の放射能を少しずつ外に洗い流しているのと同じ。
 浄化装置で濾し取った高レベル放射能をどうするのか。この先、何十年続くか分からない放射能封じ込めと廃炉に向けての作業はまだほんの入り口に過ぎない。

◆77万テラベクレルの放射能
 気がかりなのは、今日本の広範囲を汚染している放射能問題である。6月16日のコラム「77万テラベクレルの放射能」で、静岡までの距離(300キロ)に限って言えば、日本の放射能汚染はある場所ではチェルノブイリに匹敵する(場所によってはそれを超える?)恐れがあると書いた。
 何故なら、福島原発から放出された放射能の総計77万テラベクレル(政府発表)は、量的にはチェルノブイリの7分の1だが、(拡散が同心円でないので大雑把な推測だが)面積で言えばおよそ25分の1の狭い範囲に降り注いだとも考えられるからである。

 案の定、その後に分かって来た放射能の汚染問題は深刻なものである。福島県ばかりでなく栃木県那須地方など遠隔地のホットスポット、下水汚泥の汚染、宮城県産稲わらの汚染、栃木県での腐葉土の汚染、と留まるところを知らない。
 食糧についても、牛乳、葉物野菜、コウナゴ、お茶、牛肉と続く。半径300キロもの広範囲で国土が汚染され、海にも汚染が広がっている以上、この先、また何が問題になるか分からない状況である。
 人々の生活も不便を強いられている。福島では体外被曝を避けるために暑さの中で窓を閉め切ったり、外で遊ばないようにしたり。しかも、最近では「体内被曝」の心配が盛んに言われ始めたために、口にするもの一つ一つが不安になる。

◆原発事故後の精神病理
 こういう状況の中で、いま原発事故を契機に精神科を訪れる人たちが増えているそうだ。7月19日、都内で開かれたシンポジウム「原発とメディア」に出席した精神科医の香山リカ氏によれば、原発事故が原因で精神的悩みを訴える人々の症状には大きく分けて2つあるという。

 一つは、事故を敢えて忘れようとしている人々に現れる症状。事故などなかったかのようにふるまう人、考える人のことだが、それが心のどこかに無理を来たす。そのツケが「イライラする」、「眠れない」などの神経症状となって現れる。
 もう一つは、放射能をひどく恐れて引きこもったり、ものが食べられなくなったりする症状。精神病の一つに毒を盛られているのではないかと疑ってものが食べられなくなる「被毒妄想」があるが、放射能汚染についてもそのような傾向が見られるという。葉野菜がダメ、ペットボトルの水しか口にできないなど。

 何しろ、放射能汚染は「見えない、におわない、住む場所のデータがない、データが出てもそれが正しいデータかどうか分からない、それで安全かどうかも分からない、さらには政府が嘘をついているかもしれない」と言った何重ものストレスが人々にかかっている。
 そのため家族や職場の中でも人によって受け止め方が違って来る。感受性が違うので人間関係がぎくしゃくして来る。夫婦の間でも「私がこんなに心配しているのに、大したことないなどと言われると心が傷つく」となって、「原発離婚」まで出ているそうだ。

◆放射能汚染問題を直視せよ
 こうした精神病理の背景には、原発の事故発生以来ずっと、政府の情報提供が隠されたり遅れたりしたこと、放射能観測や食品汚染の測定体制が不備なこと、科学者たちの意見がバラバラなことなどがある。しかし、これだけ深刻な放射能汚染の実態が見えて来た以上、政府も国民も「チェルノブイリほど深刻ではない。今の汚染は直ちに健康に害が出るレベルではない。」といった「いわれなき安心」を脱却すべき時に来ているのではないか。

 政府はいまだに、(放射能汚染対策を指揮する)一元的な体制を作れていないが、国民を放射能被害から救うために、いまこそ縦割りを排した統合本部を作り、そこに専門家を集めるべき。
 その新組織をあげて、出来るだけ広範囲の精密な汚染地図を作る、全食品の検査を徹底するなど、状況の把握に全力を挙げるべきである。その上で、全住民の健康調査、食品管理、環境からの放射能除去、同時に科学者の間でも意見が違う放射線被曝による影響の研究など、徹底した「放射能汚染対策」に取り組むべきである。

 「原発事故対策本部」、「放射能汚染対策本部」、「復興対策本部」の3つの本部を指揮していくことこそ、今国に求められる事業ではないか。

◆なかったことのようにふるまう経済人、政治家
 心配なことに、福島からは現時点でも毎時10億ベクレル(1日では240億ベクレル)の放射能が漏れ続けている。これは敷地境界で年間の被曝量が1.7ミリシーベルトになる値で、爆発当初に漏れ出た放射能量(総計77万テラベクレル=77万兆ベクレル)に比べれば、微々たる量だという。
 しかし、それでも「原発からは間違っても放射能が漏れ出ることはない」として来た従来の原発政策からは考えられない異常事態。これが仮に運転中の他の原発から毎日漏れ出ているとしたら、連日の大騒ぎになるところである。しかも、これはステップ2になっても続く。

 フクシマからは、後何年にもわたって常に放射能が漏れ続ける。このことは大変なことで、それだけ、福島の事故は世界の原発災害史に残るような大事故だということを忘れてはならないと思う。
 フクシマが海外に与えている衝撃の大きさほどには、肝心の日本人がそのことに思い至らないのは、島国特有の感じ方かもしれない。問題なのは、国際的にも敏感であるべき政治家や経済人がフクシマの現実を見ようとしないことである。
 あの事故は特別で日本の他の原発は大丈夫だ、日本は依然として世界最高の科学技術国だなどと思いこもうとしている。そうして国民をミスリードした上に、その誤解を旨く利用して、「日本には原発が必要だ」などと言っている。このことの方が余程怖いことである。

 彼らは、「原発事故はなかった。事故は大したことはなかった」と思いこもうとしているのだろう。しかし、現実を直視せず、なかったかのように考えて原発推進を決めたりすれば、やがて日本全体が(精神科を訪れる患者のような)病理に落ち込むだろう。

 (長くなったので次回はこのコラム内容と関連するが、3.11後における、原発容認と脱原発の価値観の違いについて考えてみたい。単に安全問題、エネルギー問題を超えた価値観の相違が両者には存在するように思う。それを明確な対立点として照明を当てることこそ、いま求められているのではないだろうか)