本当は「放射能・正しく恐れるために」の3回目になるのだが、タイトルを変えて、先日、ある講演会に出席した時に頭に浮かんだ問題について書いて見たい。それは、今国が考えている食品の規制値についても土壌の除染の基準についても、その根拠になっているのは発がんのリスクなのだが、それでは不十分なのではないかということ。低レベル放射線の影響は「がん」だけではなく、(科学的に未解明ながら)いろいろ現れているらしいからである。
◆食品規制値の問題。生涯100ミリシーベルトの根拠とは?
その本論に行く前にまず、前回(2)で取りあげた食品の規制値について触れておきたい。そこでは、政府が新たな食品規制値として、生涯被曝100ミリシーベルト以下というデータを出して来たことについて、その根拠がいまいち分からないと書いた。被曝量が100ミリシーベルトを超えると発がんの影響が0.5%高まるからだというのだが、それは何を根拠にしたデータなのか。
調べてみると、答申をした食品安全委員会は内外3300の文献を集めたが、食品に限った研究が乏しく、基本的には広島・長崎でのデータを採用したという。30歳で被曝した人たちを70歳まで経過観察して、がんの増加がみられたのが100ミリシーベルト以上というデータを根拠にしているらしい(毎日新聞)。
この100ミリシーベルトというのは大体においては原爆の外部被曝の影響と見るべきだろうが、原爆投下後も放射能で汚染された空気や水、食べ物を取り込んでいるので、このデータを食品による内部被曝に当てはめてもいいと考えたわけである。線量が同じなら外部被曝も内部被曝も影響は同じと言う(国際的な)考え方も根拠の一つに挙げられている。
しかしこれには、当然のことながら異論も多い。短期的な被曝の影響を長期的な内部被曝に当てはめていいのか、内部被曝と外部被曝を同じに考えていいのか、という疑問である。しかも、食品の規制については前回も書いたように、「食品安全委員会が外部被曝まで口出しするのはおかしい」という縦割り的発想から、外部被曝をゼロと仮定した食品だけの規制値になってしまったのも問題。
食品安全委員会は100ミリシーベルト以下の影響について、「安全とも危険とも言えず、健康影響について言及することは困難」としているらしいが、いずれにしても発がんリスクだけを視野に入れた規制値であることは確かなようだ。
◆チェルノブイリで何が起きているか。2人の医学者の講演会
前置きが長くなったが、放射能の影響は「がん」だけではないという本論に入りたい。11月16日、先輩が司会する「国民の健康会議 見えない敵、放射能との戦い」という講演会があった。そこで私が注目したのは主に2人の講演。
医者で1991年から長くチェルノブイリ原発事故の医療支援活動に携わってきた菅谷(すげのや)昭氏(前信州大学助教授、現長野県松本市長)と、同じく長崎大学医学部教授時代からチェルノブイリで医療協力を行って来た山下俊一氏(長崎大学を休職して現福島医科大学副学長)である。
山下氏は、福島原発事故後から福島県を訪れ、各地で「放射線も100ミリシーベルトまでなら妊婦も含めて安全」、「いたずらに怖がることはない」と言って回わったというので、「安全デマの伝道師」などとネット上で厳しく批判されている人。この日も「100ミリシーベルトというのは黄金律。これ以下なら(発がんのデーはなく)健康を心配する必要は全くない」、「チェルノブイリでも12万人を調査したが、内部被曝によるがんは見つかっていない」などと確信的に言っていた。
一方の菅谷氏は「ベラルーシでは、1uあたり5万〜20万ベクレルは軽度の汚染地域とされるが、そこでも様々な症状が出ている」という。菅谷氏が上げた症状とは、以前(1)にも書いたが、「小児における免疫機能の低下、貧血、疲れやすさ(そのために小学校の授業短縮も行われている)」、「胎児の発育不全、先天異常」など(*)。さらに、「原発から90キロ離れて住んでいて、普段から食べ物に注意している女医さんでさえ、セシウムの体内被曝が続いているので、長期の低線量被曝の影響を考えるべき」だという。*11月24日の毎日夕刊の特集記事(菅谷氏へのインタビュー)によると彼と交流のある現地の複数の医師から聞いた話、となっている
◆放射能の影響は「がん」だけではない
菅谷氏は、「ベラルーシでは、1uあたり55.5万〜140万ベクレルは避難地域、5万〜20万ベクレルは軽度の汚染地域」だが、「福島県の最も汚染がひどいところはチェルノブイリの2倍(300万ベクレル)、飯館村は60万〜100万。人が住める状況ではない」。
「福島市でも10万〜30万で、ベララーシの軽度の汚染地域と同じ。ベルラーシで起きていることを考えると、軽度の汚染地域でも注意が必要」、「除染に対しても過度の期待を持たずに、学童の集団移住なども考慮すべき」だと言う。
終盤、質問を求められたので、私は「チェルノブイリで被害が出ていない、と言う山下氏の話と、様々な症状が出ていると言う菅谷氏の話の整合性が分からない。菅谷氏は山下氏の調査をどう考えるのか」と質問した。その時は、直接答えをくれなかったのだが、会の最後に行われた発言で菅谷氏は「山下氏の調査はがんに関するもの(で私たちの調査と違う)。低線量の被曝の影響については分からないことが多いが、分からないからこそ慎重に対処すべきだと言うのが私たちの考え方だ」と言い、山下氏は「心配し過ぎないこと。外部被曝も内部被曝も同じだ」というものだった。
◆がん中心のこれまでの規制値で十分か
どちらが正しいかは別として、菅谷氏の上げた「がん未満の様々な症状」が現実に起きているのを知ると、当然のことながら、発がんのリスクだけを見て来た(100ミリシーベルトという)これまでの考え方で十分なのか、と言う疑問が起きて来る。その疑問は、同じ日の垣添忠生氏(国立がんセンター名誉総長)の発がんのメカニズムについての講演と突きあわせるとより明確になる気がする。
垣添氏は、「正常細胞が発がん物質にさらされてすぐにがん細胞になるのではなく、さらに発がん促進物質などの働きも加わって幾つもの段階(6段階以上)を経て、最後にがん細胞になる」という。こういうことからすると、(素人考えだが、外部、内部に関らず)長期にわたる低線量放射線の被曝で、がんになる前に様々な症状が出てもおかしくないと思う。つまり、放射線被曝によって細胞レベルでの様々な変化が起き、それが(癌にならないまでも)免疫力の低下などの症状を引き起こすのではないか。
最近では、低レベルの放射線でも様々な症状が起きるメカニズムについて、少しは分かって来ているというが症状と線量の関係など、科学的にはなお未解明な部分が多い。しかし、発がんのリスクだけを見て来たこれまでの考え方では不充分、ということは言えるのではないか。従って、「何が起こるか分からない以上、慎重に考え対策をとるべき」という菅谷氏の姿勢こそ科学者として当を得たものだと思う。
◆覚悟を持って国民の健康を守れ
そこで必要になるのは、まず、福島県と同じような汚染地域で何が起きているのか、ベラルーシ共和国の科学者と共同で早急に詳しい疫学的調査をすること(新聞ではベラルーシの汚染図と日本の汚染図の色分けが違って比べにくいので、これも統一して比べやすくしてもらいたい)。同時に外部被曝に関る環境中の放射能、内部被曝に関る食品の放射能を厳密に計測すること。その体制を一刻も早く整えることである。
さらに、(甲状腺だけでなく)長期にわたる多角的な健康調査を続けること。これらのデータを突きあわせて機動的に対策を取りながら、国民の健康を将来にわたって見据えていくことが重要になる。いずれにしても、人類に対する犯罪のような重大事故を起こした日本としては、情報の徹底的な公開を含めて、世界に恥じない対策を取って行く必要がある。海外も注視する中、国にその覚悟はあるだろうか。
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