憲法改正に執念を燃やす安倍首相が、武力攻撃や大災害時に首相が「緊急事態」を宣言すれば、法律と同じ効力を持つ政令を制定して国民の人権を一定期間制限できるとする「緊急事態条項」の追加を考えているという。国民に受け入れられやすい所から変えようと言う「お試し改憲」の一つである。これに対し、民主党の岡田代表は「恐ろしい話だ。ナチスが権力を取る過程とはそういうことだ」。「ヒトラーは議会を無視して独裁政権を作った。自民党の案はそう言うふうに思われかねない」と発言。一方の安倍は、「いささか限度を超えた批判だ。緊急事態条項は諸外国に多くの例があり、そうした批判は慎んでもらいたい」と反論している。
ヒトラーは、かつて「全権委任法」を制定して、(ワイマール憲法を変えずに)憲法を超える権力を握った。首相が国会審議を経ずにすべての法律を制定できる権限である。安倍たちの「緊急事態条項」は期間が100日を越えたら国会の承認が必要などの条件はあるが、その期間中はナチスと似たような権限を首相に与えることになる。また、諸外国に例があると言っても、例えば1968年に改定されたドイツ憲法では過去のナチスの反省を基に、自民党案より格段に厳しい縛りがかかっている。そうでなくても、安倍政権はこれまで憲法を変えずに解釈変更だけで憲法を骨抜きにするという“前科”があるわけで、こうしたことが警戒心を生んでいるのだろう。
◆人類の悪夢としてのヒトラーと「第三帝国の愛人」
自民党の「緊急事態条項」が戦前のナチスのような危険をはらんでいるかどうかは、いずれこの条項が俎上に上った時に厳密に議論されなければならないが、ことほどさようにヒトラーのナチスは人類の悪夢の代名詞のように思われている。そのヒトラーは「百年後には新たなナチズムが誕生するだろう」と言って死んだが、そういうわけかどうか、今、国の内外でヒトラー研究書ブームなのだそうだ(保坂正康「昭和史のかたち」1/9毎日)。ヒトラーが死んで70年になる今でも、私たちはその亡霊に脅かされているのかもしれない。
第一次大戦の教訓を受けて国際連盟なども出来、メディアも一定の機能をするようになった1930年代に、なぜあのような怪物が誕生してしまったのか。なぜ当時のドイツの知識人たちや国際社会はヒトラーの登場を許してしまったのか。そして、現代社会には二度とあのような怪物は出現しないと断言できるのか。昨今の日本の政治状況やアメリカ大統領候補のトランプ発言などを見るにつけ、こうした疑問にかられるのは私だけではないのだろう。
たとえ、ヒトラーがやったようなことが、そのまま現代に起きるわけではないにしても、(油断すると)人類はこのような愚かさと残虐さを繰り返す可能性があることを知っておく必要はあるだろう。そう考えて、私もヒトラーの「わが闘争(上下)」などを読んだりして来た。ここでは最近読んで面白かった「第三帝国の愛人〜ヒトラーと対峙したアメリカ大使一家〜」を紹介したい。ヒトラーが登場してその残虐な正体を現しつつあった時代のベルリン。そこに赴任したアメリカ大使一家の物語である。
シカゴ大学の歴史の教授だったウィリアム・ドッドが妻と息子、娘(マーサ)の4人でベルリンに赴任したのは1933年7月。この年の1月に既にヒトラーは (1) 国際社会との平和共存、(2) ワイマール憲法の遵守、(3) 共産党を弾圧しないといった(ウソで塗り固めた)施政方針を掲げて首相になっていた。ベルリンに入ったドッド一家は、早速、ゲッペルスやゲーリングと言ったヒトラー政権の高官や文化人とサロンで出会うようになる。特に自由奔放な娘マーサは、ゲシュタポ局長のディールスと恋仲になるなど、多くの浮名を流しながら、ヒトラー時代をスリリングに生きるようになる。
◆「ケダモノたちがいる庭で」(第三帝国の愛人)
著者のエリック・ラーソンは、膨大な資料に当たりながら物語を構成しているが、物語は主に、マーサが男性遍歴を通してナチスドイツの異常さに気がついて行く過程、ドッド大使がナチスの危険な本質に気付き始めた時の苦悩、アメリカ本国の無関心との板挟みなどを軸に展開する。ベルリンを舞台に、ヒトラー政権内の権力闘争、英仏大使館員たちとの情報交換、ソ連のスパイの暗躍、アメリカ本国および大使館内人脈の相克など、様々な政治的駆け引きが展開される。その詳細は本文に譲るが、興味深いのはヒトラーが絶対権力を握るまでのドイツ国民やユダヤ人の反応である。幾つかのポイントを上げておきたい。
@ 国民は熱狂し、危険な本質を見ようとする人間は少ない
一家がベルリンに着いたその頃、突然「ハイル・ヒトラー」というあの敬礼が始まった。ユダヤ人を敵視するドイツ国民の同一化が浸透し、突撃隊や親衛隊が行進する時は国民が熱狂的に敬礼で答えるようになった。それに従わなかった外国人旅行者への襲撃事件も頻発するようになるが、当初ナチス側は、こうした外国人襲撃に遺憾の意を表し、海外からの批判をかわそうとする。海外メディアもこの擬装に騙されてあいまいな態度を取り続ける。
一方のユダヤ人でさえも、ナチスの野蛮な攻撃的メッセージは彼らが政権を取るまでの単なるプロパガンダで、政治的に力を得たら取り下げるものと思っていたらしい。それは、最初の頃のマーサも同じ。熱狂するドイツの若者たちに魅了されて手放しの賛辞を送っている。しかし、ドイツ人(アーリア人種)を賛美してユダヤ人を排斥するナチスの本質は変わらず、ユダヤ人への野蛮な暴力は止まなかった。ドッド大使も海外メディアも、ナチスの隠された本質があまりに極端なものだったために、皆その本質を見抜けず、ナチスは一時的な政治的熱狂に過ぎないという「希望的観測」にすがっていたのである。
A 気がついた時には手遅れ、おぞましい圧政が始まっていた
不思議なことに、国中に広がる残酷な出来事に人々が奇妙に無関心で、大衆と政府の穏健な人物までもが新しい抑圧的な法令を積極的に受け入れるようになった。暴力的な出来事を抵抗なく容認するようになった。ヒトラーと党員たちが使う言葉も奇妙に逆転した意味になって行き、例えば「狂信的」という言葉は「勇気と熱心な献身がうまく混ざったもの」というように肯定的な意味に変わった。1934年6月、反逆を防ぐという名目で対抗勢力を一斉に虐殺したヒトラーは、続くヒンデンブルク大統領の死を襲って全権を掌握し、「総統」となった。
虐殺の後、ヒトラーは「あの時、私はドイツ国家の責任を負っていた。私だけがドイツ国民の最高裁判所であったのだ」と演説している。やがて、ドイツ国民は寝ている間に(ヒトラー批判のような)何かを口にすることを恐れてスキーの共同ロッジに泊まらなくなった。麻酔中に何かを口走ることを恐れて、外科手術を先延ばしにする。気が付いた時には手遅れで、「国全体に絶え間ない不安が広まり、あらゆる人間関係を歪めて壊すような麻痺状態が忍びよっている」状態になる。あらゆるところでユダヤ人の虐殺が始まっていた。
B メディアが沈黙すれば、ケダモノがはびこる
ナチス内部にもある程度の知識人や穏健派はいた。しかし、そうした人々も次々と権力闘争で粛清されて行った。ヒトラーの取り巻きたちは、国内の徹底したメディア操作はもちろん、海外メディアに対しても執拗な攻撃を行った。多くのメディアが沈黙する中で起きて行ったことは何か。その一つは、よりましな人間が消えると、より邪悪でサディスティックな人間が取って代わるという事実である。よりたちの悪い暴力的な人間が取って代わる。それがヒトラー政権の実態だった。
「第三帝国の愛人」の原題は「IN THE GARDEN OF BEAST」。「ケダモノたちがいる庭で」というのだろうか。謀略渦巻くベルリンでは、多種多様な政治的ケダモノが登場するが、それが時代と言うものなのだろう。この本は、時代の潮流が変わる時、国民的人気に支えられた政治も、どのようにも危険で愚かになり得ると言うことを教えてくれる。同時に、政権に批判的という理由でメディアを攻撃する政治が、如何に脆弱かも教えてくれる(このことは別途詳しく書きたい)。その意味で、今の日本はどうなのだろうか。
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