9月19日に安保法案が成立してから1カ月余り。安倍政権はその直後から、「もう安保法案の話題は終わった」とばかりに、来年の参院選挙に向けて「経済最優先」の政策に舵を切っている。9月24日には、新たな「新三本の矢(GDP600兆円、出生率アップ、介護離職ゼロ)」を打ち上げ、7日の内閣改造では「一億総活躍担当相」などという意味不明のポストも作った。こうしたイメージ戦略とこれから予定されている外交日程をテコに安保法強行採決の不評をかわす戦術なのだろう。
同時に、通常は開くことが慣例になっている秋の臨時国会を開かないと言いだしている。現憲法下で開かなかったのは10年前の2005年を含めて4回しかないというから、これは異常なことである。大筋合意したTPP、「新三本の矢」、「一億総活躍社会」の他に、新閣僚のカネの問題など、議論すべきテーマは山積している。安倍政権が論戦を避けようとしているのは、こればかりではない。先般の安保法案採決について重大な疑義が生じているのである。一体どういうことか。
◆検証の中で見えて来た、採決の“違法性”
10月14日の各紙に、安保法案の採決に関する小さな記事が載った。先月17日の参院特別委員会で、混乱の中で安保法案を“採決”した時の議事録を、参院事務局が1カ月近くたった(姑息にも連休の中日の)11日にHPで公表したニュースである。それ以前の議事録(未定稿)では、「発言する者多く、議場騒然。聴取不能」となっていたのを、自民党の鴻池委員長(写真)の独断で、関連法規の採決と付帯決議について「いずれも可決すべきものと決定した」、「付帯決議を行った」との文言を付けくわえたのである。
当然、野党(民主党)は「与党だけで文書を作り上げたのは前代未聞。横暴に強く抗議する」と反発。法案に反対して来た学者やシールズの学生らも、「手続きの正当性を欠き、一部は “改ざん”だ」と抗議、法的措置も検討しているという。そこで(雑誌「世界」11月号やネット情報をもとに)特別委の経緯を仔細に点検してみると、あの“強行採決”がかなり違法性の高いものであることが分かって来た。以下に、採決がなされたとする9月17日午後4時36分までの検証の中で見えて来た、“採決の無効性”についてまとめてみる。
@ 地方公聴会の報告がないままの採決
地方公聴会については、委員全員が出席しているわけではないので、参議院先例280によって「派遣委員は、その調査の結果について、口頭または文書をもって委員会に報告する」となっている。しかし、横浜で行われた地方公聴会に関して、この報告はなされなないまま採決に突入。これは公聴会制度の根本を揺るがす憲政史上例を見ない汚点であり、報告手続きを欠いた採決には重大な瑕疵(欠陥)がある。
A 委員でもない与党議員が抜き打ち的に委員長をガード
自民党は、事前に野党には鴻池委員長が席に着いたら(すぐに採決しないで)審議を始めると吹聴しておき、油断させて与党議員でとり囲んでしまうという、巧妙な作戦を立てていた。委員長が席に着いた途端に、委員会室の後方に控えていた10人程の自民党議員が殺到して委員長をとり囲んでガード、直ちに採決に入るという段取りである。議長席を取り囲むために、防衛大の棒倒しの訓練を摸したシミュレーションまで行っていたという。しかし、その中には、特別委員会の委員でもない自民党議員が加わっていたのが分かり、その時の状態そのものが違法だと指摘されている。
B 誰にも分からない採決劇の進行
気づいた野党議員も委員長席に殺到する大混乱の中、何がどう採決されたのか、誰も分からない。委員長が裁決の進行を記した紙を読み上げるが、聞こえない。しかも、この間ずっと下を向いたままで起立多数を確かめることも出来なかった。参議院規則137条1項では「議長は、表決をとろうとするときは、問題を可とする者を起立させ、その起立の多少を認定して、その可否の結果を宣告する」となっているが、何ら確認出来ていない。この状況を、速記者が「発言する者多く、議場騒然。聴取不能」と書くのは当然で、安保法案の採決は確認できず法的に無効なのである。
◆二重に汚れた安保法案。それに命をかけられるか
混乱の始まりから、委員長退席までおよそ8分間。ついでに言えば、中継をしていたNHKは最初、「野党議員が委員長席に詰め寄りました」と間違えたり、「何らかの採決が行われたものと見られます」と実況したりしていたが、状況を十分把握しないまま「強行採決」を流した。
こうして、表決が成立していないにも拘らず、鴻池委員長は一カ月近く経ってほとぼりがさめたころ、参院事務局に指示して、上記のように議事録を“改ざん”させたわけである。参院規則では、補足説明の指示は委員長権限とされているが、これだけ不確実な状況である以上、記載は与野党の委員会理事会で協議すべきだというのが野党の指摘である。
このように、来年3月には施行されるという安保法は、内容そのものが極めて違憲性が高い法案であるだけでなく、採決の手続きにおいても重大な法的欠陥(瑕疵)があることが分かって来た。安保法は、いわば「二重に汚れた法案」になったのである。戦後日本の安全保障政策に大きな転換をもたらす安保法の足元がこんなに脆弱で、果たして自衛隊や国民はそれを運用する政府に命を預けられるのだろうか。
◆法が終わるところ、暴政が始まる
問題は、安保法の成立に限らない。安倍政権の国会運営が(ノンフィクション作家の保坂正康氏が言うように)ファシズムとも言うべき極めて憂慮すべき危険水域に入っていることである。いくら野党が徹底抗戦を辞さないと言っても、多数を占める与党が自分たちの価値観に凝り固まり、法を無視して国会を機能不全に陥れていいのか。今回の仕組まれた採決劇を「周到に準備されたトリック採決」と呼ぶ山室信一(京大教授)は、こうした先例が認められれば、これからの国会審議において規則や先例が無視され、討議や表決は意味のないものになってしまう、と指摘する。
戦後民主主義の基本となる国会運営において、歴史的な汚点を残したと批判される安保法案の国会審議だが、すでに安倍政権は、こうした批判にも耳を貸さなくなっている。その背景には圧倒的な数を握った安倍自民党が(彼らが絶対視する)戦前回帰的な国家主義的価値観を政治の舞台に持ち込み、敢えて意図的に国論を二分していく手法を辞さないということがある。そして、価値観の違う相手を議論の対象から外し、価値観を共有するものだけで非妥協的に政治を進める。
そのために、彼らが目論んでいるのは国会の無力化である。策略と騙し打ちを多用し、法を軽んじ、憲政のルールを破壊して行く。立憲主義を唱えたイギリスの政治思想家ジョン・ロックは、「暴政とは、統治者が権利を超えて権力を行使することであり、法が終わるところ、暴政が始まる」(統治二論)と言っているが、この先の安倍政治で憂慮されるのは、まさに国会の無力化と並行して始まる「暴政」ではないのか。
ロックはまた、「その場合(国民には)統治者に抵抗する権利が発生する」とも言っているが、私たち国民は為政者の暴政には、しつこく異議を申し立てて行かなければならない。そのためにはまず、様々な選挙対策用の目くらまし政策に惑わされずに、暴政が始まった9.17、そして安保法が成立したとされる9.19への異議を忘れずに持続すること。同時に、憲法53条を盾にした野党一致の要求によって秋の臨時国会を開かせ、徹底した検証を迫ることである。
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