日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

民主主義が死にゆく時代に 20.9.15

 9月14日の自民党総裁選で勝利した菅は、選挙後の会見で(働く内閣を作って)改革に全力で取り組むと述べた。ただし、改革と言ってもその内容が問題で、「規制改革という名の破壊」(18.5.14)にも書いたように、何でも市場原理に任せる危険な改革もあるので油断は出来ない。かつての菅は小泉と竹中平蔵ラインで新自由主義的な改革(郵政民営化、年金の株式投資など)に豪腕を発揮したが、今回もデジタル省の新設などで省庁再編に意欲を燃やしている。改革と言えば、すべて良いように思われがちだが、菅の規制改革には特段の注意が必要だ。

 それよりむしろ、日本が抱えている重大な課題(借金大国、人口減少、地球温暖化、原発問題など)を一つ一つ解決していく「課題解決型の政府」を目指して貰いたいが、これを放置してきた安倍政治の継承を掲げる菅に期待するのは無理なのか。これらの課題をどうするのか、野党もメディアもしっかりと追及して欲しい。同時に追求して欲しいのは、官僚支配やマスコミ支配と言われる、これまでの菅の政治姿勢や政治手法についてである。日本の民主主義を危うくするような、こうした陰湿な性格もまた、次期政権の特徴になりそうだからである。

◆真綿で首を絞めるように
 評論家の佐高信と元通産官僚の古賀茂明(写真)が、次期首相の菅義偉に関してYouTubeでその陰険さについて語っている(「官僚と国家第1回、菅は真綿で首を絞める」9/4)。古賀は安倍政治の2つのレガシーとして官僚支配とマスコミ支配をあげ、実はそれを実質的に実行してきたのが菅だと言う。特に安倍政権に批判的な報道番組に対する菅のやり口は、狙いを定めると1年も前からじわじわと外堀を埋めて、気に入らないキャスターやコメンテーターを排除して行く陰険さだと言う。それは真綿で首を絞めるようだと具体的な体験で語っている。

 こうして、古賀や佐高はもちろん、「ニュース23」のキャスターだった岸井茂格(故人)も、「クローズアップ」の国谷裕子も、「報道ステーション」の古舘伊知郎も、さらにはアベノミクスを「アホノミクス」と批判した浜矩子(同志社大教授)なども、次々と番組から消えていった。それだけでなく、今やテレビの報道番組でも、ワイドショーでも、政権の代弁者と噂されるキャスター、コメンテーターが我が物顔に出演して菅を持ち上げている。いかにこの7年8ヶ月の菅によるマスコミ支配が徹底していたかを物語る風景である。

◆腐敗を抱え込んだ故の官僚支配とマスコミ支配
 古賀は、菅が(警察上がりの)官邸官僚を使って官僚の弱みを握り、時には情け容赦なく叩くという官僚支配の実態を赤裸々に話しているが、佐高は、こうした菅が権力を握ったときの怖さにも言及している。実際に真綿で首を絞められた当人たちによる話だけに、聞けば気が重くなるような内容だが、安倍政権が行ってきた負の側面は実はこれだけではない。何度も書いてきたように、思想的同調者(籠池)や親しいスポンサー(加計)に脱法的に便宜を図った不祥事の押さえ込み、公文書の書き換え、安倍昭恵は公人でないとする閣議決定などなど。

 そして、国会での証人喚問の拒否、関係した官僚の異動、さらには国会審議そのものの拒否などを、陰で采配してきたのは安倍官邸と菅である。こうした腐敗を抱え込んだからこそ、菅は官僚支配とマスコミ支配を強めざるを得なかったのだろう。こうした政治腐敗、国会の空洞化、言論の押さえ込みが起こるたびに、日本の民主主義はどうなるのかと、コラムに書いてきた。例えば、「民主主義がやせ細る時代に」(19.1.19)、国有地払い下げ事件の時の「政治腐敗と民主主義の試練」(18.3.11)、「誰が民主主義を救うのか」(18.4.10)などである。

◆危機に瀕する世界の民主主義
 民主主義については、「試される民主主義の価値観」(17.2.2)のように、危機に瀕する世界の状況についても書いてきた。その位に、今の世界は民主主義の価値観を無視する政治がはびこっており、その傾向は近年、ますます顕著になっている。例えば香港で、戦前日本の治安維持法と同じような「国家安全維持法」を制定して、言論を封殺している習近平の中国。共産党一党独裁の中国は思想教育と称してウイグル族100万人を収容所に入れている。そこに民主主義はない。プーチンのロシアもメディアを支配し、政敵を簡単に毒殺するような国だ。

 さらに、移民を排除し、国内を敵と味方に分断し、平気で嘘をつきながら、一方でメディアをフェイクと言い続けてきたトランプのアメリカである。自国(自分)ファーストの政治現象は、ブラジル、フィリピンなどでも、ミニトランプを生み出し、そのポピュリズム的な政治によって国民が分断され、不平等と格差が拡大し、差別が横行することによって、民主主義の根元が崩されて行く(「民主主義の死に方」ダニエル・ジブラット)。特に、日本を取り巻く国々(中国、ロシア、朝鮮半島、アメリカ)に比べれば、その病状の深刻さは日本がまだ可愛く見えるくらいである。

◆戦争の反省とともに歩んできた戦後民主主義
 民主主義の源流はギリシャ時代にまで遡るが、特にその価値がクローズアップされたのは、「民主主義VSファシズム(全体主義)」の形で戦われた、第二次世界大戦である。戦後は、その全体主義の中にスターリンのソビエトも加えられた。先日放送のNHK「映像の世紀プレミアム 独裁者3人の狂気」(8/15)では、ムッソリーニ、ヒトラー、スターリンの3人の独裁者たちが、大衆を煽りながら(自国民を含め)4000万人の犠牲者を出す経緯が紹介された。ユダヤ人を大量虐殺したヒトラーや、猜疑心から70万人の自国民を粛清したスターリン。

 これらの映像を見ると、「人間はどこまでも残酷にも愚かにもなれる」ということがひしひしと伝わってくる。日本も同様で、民主主義を否定して登場した軍部独裁が始めた戦争で、アジアで2000万人、日本人310万人の犠牲者を出した。そうした反省から、戦後世界は民主主義をより強めるために、国際平和、貧困対策、法治、健康、環境などのための国連機関を維持し、日本でも戦後民主主義を根付かせて来た。こうした民主主義の原点を思えば、今の世界の民主主義が死に瀕しているからと言って、日本の現状を軽く見ていいわけではない。

◆民主主義の原点を忘れずに時代にあった言葉で
 大国の酷い現状を見れば、安倍政権の政治腐敗(モリ・カケ・桜)や、菅による官僚支配やマスコミ支配などは、目くじらを立てる程ではないと言うかも知れないが、そうではない。つい75年前の世界大戦の惨状を見れば、むしろ反省を忘れつつある世界こそが問題で、その風潮に染まることの危険を私たちは自覚すべきだ。日本で言えば、75年前に膨大な若者の死と焼け野原と原爆とを生んだ戦争の反省である。大事なのは、その反省の原点に立って、そうした政治の暴走を許さないために、民主主義をどう機能させるかという問題意識である。

 そのためには、ただお経のように「民主主義、民主主義」と唱えているだけでは、無力だ。今や古証文のようになった民主主義の細かいルールを正義のお札のように掲げて批判するだけでは、人々(特に若い世代)の共感を得られない時代になっている。日本と世界の民主主義の現状を踏まえながら、しかも現状に慣れて麻痺しない。常に民主主義の原点を忘れずに、今の時代に沿った説得力を求めていくべきだろう。差別をなくし、人権を大事にし、国会を機能させ、少数意見に耳を傾け、言論の自由を保障する。それを次期政権にも求め続けて行く必要がある。

 この点で、重要なのは(あまり期待できなくなった)メディアとともに野党の存在である。新生の立憲民主党も、ともするとお経のように民主主義を唱えるが、その言葉に力はあるのか。派閥の論理と数の論理で政策を強引に進めようとするだろう菅政権が、民主主義の原則を踏みにじるとき、どのように対抗するのか。枝野代表はすぐにもブレーンを集めて日本の民主主義を守るための理論構築を始めなければならない。

菅政権でもA-A支配は続く 20.9.6

 8月28日の退陣表明で、7年8ヶ月に及んだ安倍政権が幕を閉じることになった。後継に名乗りを上げた菅は、「安倍政治を継承し、さらに前進させる」と述べ、誕生確実の菅政権においても、安倍政治が継続することになった。それがどのように続くのかは、後半で占うとして、菅が継承すると言う「安倍政治」を、この7年8ヶ月間にアップしてきたコラムをもとに振り返ってみたい。コラムの数は安倍政治そのものだけで70本。うち、アベノミクス関連が10本、安保法制や共謀罪、改憲などが10本、メディア対策についてが7本である。

◆安倍政治の正体を探った43本のコラム
 残り43本が安倍政治の性格や本質を探るものだが、これは大きく分けて2つになる。一つは、「言い換えと虚言の政治」(15.6.11)、「曖昧で不真面目な首相答弁」(15.6.23)、「権力者と応援団の危険な関係」(17.3.30)、「政治腐敗と民主主義の試練」(18.3.11)、「政治劣化の果ての総裁選」(18.8.16)、「権力の淀みに沈む長期政権」(19.2.28)など、安倍政権の国会軽視や腐敗・不祥事といった政治姿勢に関するもの。もう一つが、「反省なき国家主義を問う」(13.5.8)、「衣の下の鎧(よろい)とは」(13.5.23)に始まる安倍政治の本質を探るものである。

 これには、「安倍政治の見せかけと実体@〜B」(2014年)、「極右化する政治と日本の未来@〜A」(2015年)、「日本会議の研究を読む」(16.6.25)、「安倍政権・虚妄の極右主義」(17.6.12)、「A-A独裁とファシズムの影」(18.5.31)など、手探りしながら書いてきたものが続く。70本とはよく書いたものと思うが、これらのコラムは、まず経済政策(アベノミクス)から始まった安倍政治が、だんだんと本性を現してきた経緯に沿ったもので、当初は安倍の政治思想がこれほどまでに岩盤的な極右支持層とつながっていることを知らなかったからである。

◆自民党の2つの思想的流れと安倍政治
 というのも、それまでの自民党政治は、「自民党本流と保守本流」(田中秀征)にあるように、自民党の2つの思想的流れのうち、先の大戦までの国策を誤りとして反省する歴史観、従って現行の非戦憲法の尊重、言論の自由に対する格別の配慮、拡大主義や大国主義をとらない考え方などを特徴とする「保守本流」(ハト派)が長かったからである。これは、旧自由党に属していた石橋湛山や鳩山一郎の思想的流れを受け継ぐもので、今の岸田派につながる流れになる。他方で、安倍たちは「自民党本流」(タカ派)の方で、安倍の祖父の岸信介を源流とする。

 その特徴は、先の戦争を自存自衛のやむを得ないものとする歴史認識、満州への進出を是とし、日本をアジアの盟主とする大国主義(大東亜共栄圏の正当化)、従って戦争を放棄する現行憲法の否定などである。これは安倍の思想的母体である右派集団「日本会議」に共通する国家観である。それが、どのくらい右よりかは、「日本会議の研究を読む」に詳しく書いたところである。戦後民主主義の否定につながりかねない、こうした極右的流れはしばらく日本の政治では大手を振って歩くことはなかったが、安倍の登場で日本の政治風景は一変した。

◆A-Aラインから見た菅義偉
 その「日本会議」には、国会議員による「日本会議国会議員懇談会」があるが、安倍内閣の大部分がこのメンバーであり、盟友と称している安倍、麻生(A-Aライン)は、その特別顧問に就いている。しかも、副会長をしているのが菅と次の政権での枢要ポストが噂の下村博文(細田=安倍派)だ。菅は日本会議につながる重鎮であり、元々、下野していた安倍を再度総理にと説き伏せたのが菅であれば、その思想的土壌が日本会議に重なる右派であることは容易に想像できる。菅が会見で、「もちろん憲法改正にも取り組む」と言った背景もそこにある。

 逆に、自民党右派のA-Aラインから見れば、当初後継に考えていた岸田の国民的人気が上がらないのであれば、後継にハト派の流れに位置する岸田を選ぶよりは、(人気さえ出れば)同じ右派につながる菅の方が断然都合のいい選択になる。しかもこの8年、菅は安倍政権の危機管理役として数々の不祥事を押さえ込んできたわけで、菅は安倍と一蓮托生。モリ・カケ問題や桜を見る会問題で事件を蒸し返す恐れもない。A-A独裁ラインから見れば、思想的にも近い菅が唯一の選択肢だったわけで、日本会議などの右翼集団も歓迎しているに違いない。

◆安倍政権のあんこだった菅
 安倍派(現在の細田派)98人と麻生派55人を加えると、それだけで他の派閥(岸田派47人など)を圧倒する。こうしたA-Aラインの支持で総理になる菅は、安倍が重用した官邸官僚やA-Aラインの幹部をそのまま政権に取り込んで行く予定だという。これは、菅政権が安倍政権と殆ど変らない「居抜き政権」になることを意味するが、前回書いたように、その(腐敗的な)利権構造もそのまま継承されることになる。つまり次期政権においては、仮に菅が独自性を発揮したいと思っても、数の力でも思想的にもA-Aラインの支配が続くわけである。

 ただし、菅の方から見ると、少し風景が違っていると書くのは、毎日の伊藤智水である(9/5、時の在りか)。「もう菅政権になっている」(同、8/1)とも書いた伊藤は、安倍政権をまんじゅうにたとえ、まんじゅうの皮は官邸の官僚たちが色々考えたキャッチフレーズで飾られているが、内実のあんこを采配していたのは菅だったと言う。今回は、皮を破ってあんこが顔を見せた訳だが、この菅内閣はしぶとく生き残って行くという。大化けすれば、来年9月の総裁選での再選も可能になる。菅をピンチヒッターなどと侮ることは出来ないと言うのだ。

◆A-Aラインの意向とどう折り合って行くのか
 巷間言われているように、菅には強面(こわもて)のケンカ師とか、逆らった人間は絶対に許さない陰湿さがあると言うが、どうなのだろう。仮にA-Aラインが、数の力で上から目線で菅政権を仕切ろうとした場合、強面の菅と何らかの衝突の場面があるのだろうか。私には分からないが、菅グループ30人をもってしてもそれは如何ともしがたい。二階派(47人)と組もうとしても難しいし、流れから言っても岸田派と組むことは出来ない。やはり、派閥を持たない(雇われ首相の)菅に自由度は限られていると見ざるを得ない。

 むしろ、菅は安倍の思想的路線をさらに推し進めることで彼らの歓心を得ようとするのではないか。その他のところでは、具体的政策が見えないことが不気味と言えば不気味である。安倍政権が放置してきた、日本の様々な課題をこれ以上放置することは許されないが、日本の巨額の財政赤字をどうするのか、軽視してきた国会機能をどう高めるのか、エネルギー政策を転換できるのか、少子化と人口減少にどう対応するのか。或いは安倍長期政権で腐敗した利権構造に、どういう態度で臨むのか。A-Aライン支配の中で、菅は個性を発揮できるだろうか。

◆未知数の首相としての器
 携帯の値下げだけでなく、菅はかつてNHKの受信料を20%下げることに執念を燃やしたこともある。それは担当大臣としてのテーマかも知れないが、首相の仕事としては小さすぎる。菅は一国の首相として、日本が直面するより大きな課題において、日本の新たな国家像を分かりやすいメッセージとして届けられるのか。国民とどう向き合っていくのか、野党とどう話し合っていくのか、と言ったことが問われてくる。今のマスコミは、早くも菅の持ち上げに必死だが、首相としての器は、実務家の範疇を超えるもので、これは未知数である。 

 その思想的流れから言って、(私自身は)菅政権の行方に警戒的だが、未知な部分が多いだけに国民は興味津々と言ったところだろう。暗そうに見える菅が大化けしてA-A支配のもと、長期政権を築くのか、それとも化けの皮がはがれて短期で終わるのか。「権力のシャッフル」を望む私としては、後者を期待したいのだが。