日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

何が民主主義を殺すのか? 20.11.25

 バイデンの勝利宣言後も、トランプは執拗に選挙の無効を申し立てて負けを認めようとしない。その背景をメディアは様々に解説している。例えば、絶対に負けを認めないトランプの異常な性格(「恐怖の男・トランプの真実」19.1.8)、退陣したとたんに彼に降りかかる脱税などの訴追や借金の取り立て(彼はドイツ銀行に多額の負債を抱えているという)、そしてそれらに対する条件闘争(自分に恩赦を与えてから退陣するなど)、或いは2024年の再立候補のために自分が負けたのではないと人々に信じさせるために、などである。いずれも常識では考えられない異常な心理状態である。

 実は、彼の異常さは4年前にも発揮されていた。ヒラリー・クリントンとの選挙ではトランプが選挙人獲得では勝利したが、投票総数ではヒラリーの方が290万票上回っていた。トランプは総数でも勝ったと主張し、選挙で大規模な不正があったと言い続けた。選挙期間中も不正の可能性を言いたて、ヒラリーを犯罪者扱いして刑務所に入れろなどと煽動した。また、当選後も慣例を破ってヒラリーやオバマを執拗に攻撃するなど、次期大統領としての最低限の礼儀も無視。問題の一つは何故、このような独裁者的で異質な大統領が誕生したのかである。

◆独裁への警告書「民主主義の死に方」
 トランプがこの4年間に行った、膨大な嘘の発信、メディアへの攻撃と脅し、選挙の正当性への異議、政権に身内を登用する公私混同、司法への攻撃や裁判員登用への介入、政治的ライバルへの犯罪者呼ばわり、支持者の暴力の黙認ないし賞賛など。民主主義を根底から揺るがすこうした言動が、なぜ容認されてきたのか。また、なぜアメリカ国民はそうしたトランプに、バイデン(7800万票)と拮抗する票(7270万票)を与えたのか。その背景を明快に解説してくれる本がある。2人の米ハーバード大学教授(*)による好著「民主主義の死に方」である。*)スティーブン・レビッキー、ダニエル・ジブラット

 著者らは、その国の憲法がいかに民主主義的であっても万能ではない、と言う。実際、当時最も民主主義的と言われたワイマール憲法がヒトラーの出現を許しただけでなく、民主的なアメリカ憲法を手本とした近年の南米の国々で次々と独裁者が登場した。ベネズエラのチャベス、ペルーのフジモリ、ボリビアのモラレス、エクアドルのコレアなどは、選挙で選ばれた独裁者だった。そして、独裁者を生んだ政治を調査し、これらの独裁者に共通する傾向として以下の4点を挙げ、その傾向がなぜトランプにも見られるのか、許されてきたのかを考察する。

◆民主主義を守る「柔らかなガードレール」
 その4点とは、選挙の正当性を弱めるなど民主主義のルールの拒否や軽視。政治的な対立相手を根拠なく、スパイや犯罪者呼ばわりして正当性を否定する。支持者の暴力をはっきりと非難せず容認・促進する。メディアを含む対立相手の自由を奪おうとする、といった傾向である。これらのいずれに対しても、(上記のように)トランプは陽性反応を示しているが、対して20世紀中のアメリカが総じて民主主義的政治を維持してきたのは、憲法で明文化された内容に加えて、民主主義を守る「柔らかなガードレール」があったからだと言う。

 どれほど上手く設計された憲法でも、そこには数え切れない穴と曖昧さがあり、常に“解釈”という問題がつきまとう。従って、憲法だけを頼りに将来の独裁者から民主主義を守り抜くことは出来ない。日本国憲法もそうだが、合衆国憲法も短い。それを補って民主的な政治を支えてきたのは、憲法や法に書かれていない「広く認知・尊重されてきた非公式のルール」が大きな役割を果たしてきたからだという。それが「相互的寛容と組織的自制心」で、幾度かの試練(1950年代のマッカーシズムなど)も乗りこえて、アメリカの民主主義を守ってきた。

◆「柔らかなガードレール」の破壊
 かつては、この「柔らかなガードレール」が機能して、2大政党のもとで三権分立のバランスを保っていたが、それは黒人の政治参加を認めないという共通の利害の上に成り立っていたからでもある。しかし1960年代の公民権運動で黒人の政治参加が認められたのを期に、民主党と共和党の色分けが違ってくる。白人や福音派キリスト教徒を中心とする南部の共和党と、公民権運動や移民の受け皿となった北東部リベラル派の民主党である。2000年代に入ると、両党は人種と宗教によって互いに相容れない政党になり、政治から「相互的寛容と組織的自制心」が消えていった。

 こうなると両者は、憲法違反のぎりぎりのところまで互いに敵意をむき出しにした政治を推し進めるようになる。その頃に、共和党政治家(ギングリッチ)が対立する民主党候補に投げかけた言葉は、「哀れ、気持ち悪い、裏切り者、非国民、反家族的、反逆者」と言った過激さで、それがアメリカ政治の劇的転換の始まりとなった。今やアメリカの政治は互いに相手と戦うために、議事妨害、選挙区区割りの変更、弾劾発議、大統領令の乱発、フェイクニュース、犯罪者呼ばわりなどなど、「憲法違反ぎりぎりの強硬手段」も辞さなくなった。

◆トランプ的政治を容認する分断の深刻さ
 つまり、互いに支持基盤が違う政治の2極化によって、両者相容れない状況の中で「相互的寛容と組織的自制心」が姿を消し、民主主義が死につつあるというのが著者たちの見方である。そして、その混乱した政治状況の中からトランプは登場した。「ドナルド・トランプ、世界支配への道」(ヒストリーチャンネル)を見ると、ビジネスの裏社会を歩いてきたトランプが上り詰める様子が分かる。脱税や訴訟、ロシアのマフィアたちとの怪しげな交流など、見ていて胸が悪くなるほどだ。立候補を視野に入れ始めたトランプは、まずオバマを敵に見立てた。

 出生地がアメリカではないとか、イスラム教徒だとか嘘の情報で何年も執拗に攻撃を続け、共和党支持者の人気を集めた。トランプは、自分の言動が過激であればあるほど、民主党に敵意を抱く彼らに受け入れられることを、本能的に知っていた。アメリカ政治の極端なまでに2極化した「異常が正常になった政治」の土壌が、トランプを生んだのである。そして、この人種と宗教を異にする国民(政治)の分断の溝は、次期大統領のバイデンが和解を呼びかけても容易に埋まるものではなく、アメリカ政治の混乱はこの先も続くというのが大方の見方である。

◆再生の処方箋。日本も他人事ではない
 政治と国民の分断が、民主主義を死に追いやる。著者らは、巻末で民主主義の価値を再認識しつつ、それをどう再構築していくべきかの処方箋についても触れている。それは分断の根元にある経済的不平等を少なくすること、党内から過激主義の要素を取り除くこと、政治レベルの協力と妥協を試みること、異なる意見を持つグループの集まりを育てること、などである。同時に、平等主義、礼節、自由の感覚、共通の目的と言った民主主義への理解をもう一度行き渡らせるべきだとする。民主主義への思いが伝わってくる本である。

 今は、世界の国々で相次いで民主主義が後退し、ポピュリストや独裁者が登場する時代である。私たちは、著者たちの警告を他人事のように見ていていい筈はない。とりわけ、近年の安倍一強政治においては、アメリカの極右団体(ティーパーティー)と同様の支持団体(日本会議など)が政治中枢と一緒になって国民を分断し、野党の存在を攻撃して来た。野党政治家や政権に批判的なメディアを反日とか、売国奴とか呼び、一切の政治的妥協を排し、憲法の“解釈”を変えて憲法に疑義のある法案を強硬採決してきた。

 さらには憲法に規定がないことを理由に、憲法の精神を軽視することも度々で、臨時国会の召集(憲法53条)に期間の規定がないことを理由に国会の召集を拒否したり、「国難」などを理由に恣意的に何度も解散したりした。この状況を変えるために、憲法に具体的な規定を書き加えるべきだとする意見もあるが(「立憲的改憲」山尾志桜里)、他方で政治の場でも国民の間でも、かつての「相互的寛容と組織的自制心」が再び作れるかどうかもまた問われていると言える。 

世界の大転換と日本の政治 20.11.10

 日本時間の8日午前、バイデンが勝利宣言を行い、アメリカ大統領選挙の帰趨がはっきりして来た。トランプは徹底抗戦の構えだが、劣勢は覆いがたい。トランプ応援団の木村太郎がトランプの経済政策を持ち上げ、これだけ経済を上手くやった大統領が再選されないはずはないと、当選を予告していたが、アメリカ国民はぎりぎりのところで、経済よりも大事なことがあることを示した。4年間のトランプの、地球環境よりも石炭・石油業界を重視する政治、コロナ対策より経済優先の政治、そして対立と分断を煽る政治にNOを突きつけた訳である。

 一方でトランプがこの4年間、結果として戦争を回避したことや、(貿易摩擦、先端技術、台湾、南シナ海問題を巡って)中国の覇権主義と対峙してきたこと、北朝鮮に核実験をさせなかったことなどは、バイデンなりの方法で引き継いで行くテーマになるだろう。2020年もあと1と月半で終わる。年初からのコロナショックは、アメリカや日本でのリーダーの交代、そして世界の不確実性の一層の高まりをもたらし、今の世界(と日本)が直面する大きな課題と同時に、それが人類に迫る大転換をも示し始めている。それが何なのか、これまでのコラムも引用しながら探ってみたい。

◆大転換を迫られている世界の大問題@
 まずは、世界と日本が直面する地球的、人類的課題である。これについてはこれまでも折に触れ書いてきたが、一つは地球温暖化問題である。「人類の生き残りを賭けた挑戦」(16.10.4)や、「温暖化・トランプの愚かな選択」(17.4.9)などで、パリ協定の意義とそこから離脱したトランプの愚かさについて書いたが、ここ数年でも温暖化は異常な気候変動として、人類社会に大きな負荷をかけ始めている。カリフォルニア州での大規模森林火災、北極の氷の大規模溶融、温暖化によるワインやコーヒー産地の危機など目に見える形で進行している。

 さらに困難なのは、地球温暖化に拍車を掛けているのが、利潤追求を何よりも優先する強欲な資本主義であり、この資本主義のあり方を根底から見直さない限り温暖化は止められないとする問題提起である(「人新世の資本論」)。トランプのような温暖化懐疑論は論外だが、このラディカルな意見は、人類社会が一致して温暖化を止めようとする「パリ協定」や「SDGs」などの国連の目標、エコ的な経済を志向するグリーン・ニュー・ディール(GND)さえも疑問視する。それだけ、温暖化の進行が急速かつ深刻であることを物語っているのだが、この大転換をどう考えるかである。

◆大転換を迫られている世界の大問題A
 二つ目は、人類の破滅につながる核兵器の問題である。この問題についても「“核なき世界”を巡る攻防」(16.10.14)で核廃絶の動きを書く一方で、「先制核攻撃の誘惑と“核の傘”」(16.11.17)、「核大国を蝕む野心と猜疑心」(18.2.8)と、核軍拡競争の深刻さを書いて来た。これついては今年10月、画期的な進展があった。3年前に国連で採択された「核兵器禁止条約」が規定の批准数を達成し、来年1月22日に発効することが決まったことである。相変わらずアメリカの(幻想に過ぎない)核の傘を頼りにする日本が問われている「“核の傘”の欺瞞と危険性」(19.12.14)。

 三つ目は、世界の民主主義のレベルが圧倒的に衰退していることである。先日の「ザ・サンデーモーニング」(11/8)でも扱っていたが、世界の国々の中で民主主義を維持しているのは半数にも満たない。次々と強権的、独裁的な指導者が登場して、ポピュリズム的な政治を行う一方で、反対する人々を弾圧している。この情報化時代に何故と思うが、むしろ世界に浸透するSNSが非民主主義的な傾向に拍車を掛けている。個人のデータが一握りの巨大IT企業や独裁国家に握られ、個人が丸裸にされる時代なのである(「GAFAが世界を制覇する日」20.2.3)。

 AIと組み合わせた膨大な個人データの独占は、監視国家の進化においても、ビジネスの展開においても、「ニューモノポリー」と呼ばれる“新たな独占”を生み出しており、民主社会がこれをどう管理していけるかが問われている(「データの世紀」)。同時に、前々回(「政治のフェイクが跋扈する」)も書いたが、今や巨大IT企業のプラットフォームを通して膨大なフェイクニュースがあふれ出し、民主主義が危機にさらされている。地球温暖化、核、民主主義という人類の未来を左右するテーマにおいて、世界は大きな転換を迫られている。

◆大転換を迫られている日本の問題@
 もちろん日本も、こうした世界的な大転換に傍観者ではいられない筈だが、その対応はいかにも鈍い。対する政治、人材が圧倒的に遅れている。その原因を作ったのは主に7年8ヶ月に及ぶ安倍政治の無策であり、例えば地球温暖化では、政権は火力発電に頼るという古い考えから一歩も出られず、小泉環境相が去年のCOP25(パリ)で不名誉な「化石賞」を贈られたりした。その温暖化問題に対して菅が先月、「2050年に温室効果ガス実質ゼロ」を表明したわけである。

 政府は、具体的な道筋を年内にまとめるとしたが、梶山経産相は会見で再生エネに加えて「原子力など使えるものを最大限活用する」と述べ、原発再稼働を進めたい政権の思惑がにじみ出た形だ。これには「原子力ムラ」も陰でほくそ笑んでいるに違いないが、その原子力に未来はあるのか。既に「行き詰まる原子力行政と原発」(18.9.9)で書いたように、(特に地震国日本の)原発は様々な問題を抱えて行き詰まっており、これにしがみつくのは巨額な税金の無駄遣い。温暖化にかこつけて原発を延命させようとすれば、将来に大きな禍根を残すことになる。

◆大転換を迫られている日本の問題A
 では、新たな省エネ技術、再生可能エネルギーで日本は世界をリードできるかと言えば、これはこれで先進国の周回遅れになっている。「科学技術立国の揺らぐ足元」(18.11.5)に書いたように、日本は大学の法人化で競争原理を導入し、科学研究費を年々削ってきた。時間と金を掛けて人材を育成する方針を捨てたために、足元はスカスカだ。自民党は日本学術会議を批判して、中国に科学者が出稼ぎに行っているなどと批判するが、この実情は自分たちが作ったのである。つまり、国の方に学問をリスペクトして育てる「金も人材も」ないのが現状だ。

 さらには、日本独自の問題が大転換の足を引っ張る。その一つが、アベノミクスで積み上がった財政と金融の危機的なゆがみである。異次元の金融緩和を続けて来た日銀は、2%の物価上昇は未達成のまま、政権の意向を踏まえて株価維持に31兆円の資金(上場投資信託)をつぎ込み、国債の4割(500兆円)も引き受けている。国、日銀、株式市場は既に独立性を失い、運命共同体になっている。それが巨額の国の財政赤字を生む要因にもなっていて、現在の国と地方の借金残高を1100兆円超まで増やしてきた。これは放置すればいずれ厄災となる(「アベノミクスの時限爆弾」18.2.18)。 

◆若い世代の発想と知恵を生かす政治を
 以上見てきたような「世界と日本に大転換を迫る諸問題」に対して、安倍の「負の遺産」を引き継いだ菅は適正な手を打てるだろうか。しかし、残念なことに今の政治を見ると老人ばかりで、目の前の政局と権力争いにのみ目が行っていて、とても世界の未来を見据えて大胆な手を打つ知恵も余裕もないようにみえる。菅は官僚に恐れられていて、若手官僚が自由に知恵を出すような雰囲気とは程遠いと言うし、ブレーンも竹中平蔵のような古い強欲な資本主義の信奉者ばかりなので、相当に追い詰められても、大転換が出来るかどうか。どうすればいいのか。

 日本には、少子高齢化がもたらす人口減少で、次世代を担う若者が減っていくという、もう一つの難問も待ち受けている。それでも日本が世界の転換をリードするには、30代、40代の若い知恵を大胆に取り入れなければならないだろう。これまで書いてきたコラムのもとになっている本の著者たちにもこうした若い世代が多く、優秀な若者はいる筈だ。政治家には少しは反省して地球と日本の未来に思いを致し、若者たちの活力を最大限引き出す体制を作り、学問や科学を大事にする政治を目指して貰うしかない。それが出来るかどうかである。

拡大する政治的ニヒリズム 20.10.27

 11月3日の投票日に向けて、アメリカ大統領選挙の報道が日本でも過熱しているが、連日それを見せられて、うんざりしているのは私だけだろうか。いくら投票結果が世界に大きな影響を与えると言っても、私たちに投票権があるわけでなし、日本のメディアが連日微に入り細にわたって両候補の動向を解説するのはどうなのか。NHKニュースも含めて、これが一ヶ月以上も続いている。その中で、性格破綻のようなトランプの暴言と攻撃的な言動に鈍感になる世界が怖い。民主主義の理念や政治の良識はどこへ消えたのかと暗然とさせられる。

 この騒ぎは、投票日以降も決着つくまで続くのだろうが、他方で、足元の日本の政治報道はどうなっているのか。菅内閣が発足して1ヶ月、その異様な体質が少しずつ見えて来ているのに、「Go to○○」のキャンペーンに便乗する報道や、首相の外交デビューと言ったご祝儀的な報道が目立つばかりで、菅政治の本質を掘り下げる報道が少ない。日本学術会議の任命拒否に見る問答無用の体質はもちろん、官邸や内閣府の顔ぶれ、或いはスガノミクスを担う「成長戦略会議」のメンバーから見えるものをもっと掘り下げて欲しいが、その報道が案外に少ない。

◆時代の大きな転換期に政治は?
 菅政権は現在、経済ブレーンの竹中平蔵の進言「アーリースモールサクセス(早い段階で小さな成功を見せる)」に従って、「携帯電話料金の値下げ」、「デジタル庁の設立」などを打ち上げ、かなりのスピードと破壊力で国民をどこかへ連れて行こうとしている。菅がその新自由主義的な規制改革で何を狙っているのか。始まった国会の論戦を注視したいが、それはともかくとして、今の世界(と日本)は、民主主義の衰退、地球温暖化と現代資本主義の相克、AIとビッグデータの支配による個人監視などなど、時代の大きな転換点を迎えている。

 この「時代の大転換」において、政治はどうあるべきなのか。今の政治は一方は極右的な保守層に媚びを売り、他方は個別細分化されたリベラル集団を上顧客にして、互いに非難の応酬をするばかり。その中間にいる40%の国民は取り残されて無党派層になっている。政治が国民から遠くなり、政治的無関心や政治的ニヒリズムを生み出している実態こそが、民主主義が病んでいる証しとする指摘もある。こうした状況で、国民と政治をつなぐ民主主義のパイプを太くし、政治を国民の手に取り戻すことが出来るのか。それが今、問われている。

◆リベラル政党(野党)は何故支持を広げられないのか
 野党に目を向けると、この9月に立憲民主党は国民民主党の一部と合流して、衆参合せて150人規模になった。先月は、新たに参加した中村喜四郎(衆院)が「報道1930」に単独出演して、与野党伯仲を作り出す目標を明快に語っていたし、小沢一郎も共産党の志井委員長と理念を掲げた野党共闘について語っていた。しかし、これで無党派層の心をどれだけ掴めるか。党の基本政策(HP)を見ても項目が多岐にわたっている上に、枝野代表の発信力が(言語不明瞭で)弱いために、この党が誰に寄り添おうとしているのかが今ひとつ明確に伝わらない。

 最新の世論調査(NHK)での支持率は、自民党37%に対して政党第2位の立憲民主党は僅か5.8%にすぎない。実際の議員数はこれほど開いてはいないが、少なくとも支持率がこれほどの大差では保革伯仲など夢のまた夢である。近年になって立憲民主党などのリベラル政党が何故支持を広げられないのか。その原因の一つとして「リベラルの敵はリベラルにあり」の著者、倉持麟太郎があげているのが、世界で進行する「アイデンティティの政治」という現象である。日本の立憲民主党などにも当てはまると思われる、その内容を概観しておきたい。

◆「アイデンティティの政治」が出現した背景
 私たち現代人は、かつてあった多様で重層的な共同体が崩壊していく中で、自分が何に属する存在なのか、自分のアイデンティティを求めて彷徨(さまよ)っている。そういう時に、心にぽっかりと穴があいた人々が、依存対象を探して極めて狭い範囲で集団化する。そこに目をつけたのが「政治的なるもの」だと倉持は言う。細分化された集団に対して個別の承認を与えることで「票」を獲得し、政治的な権力を得る。しかし、それによって個人の承認欲求は簡便に充たされるが、社会は細分化された集団の殺伐とした集合体と化していく。

 これが「アイデンティティの政治」であり、そこでは個人のアイデンティティ(承認欲求)が充たされることが重要で、民主主義などの普遍的な価値や真実などは二の次になる。そして、これは承認を求める個人の志向に応じて、4つの政治的タイプになるという。ナショナリズム、ポピュリズム、ニヒリズム(無関心層)、そしてアイデンティティ・リベラリズムである。前の3者はよく言われることだが、問題は最後のタイプで、著書が「リベラルの敵はリベラルにあり」を書く所以になっている。今のリベラル政党がはまっている袋小路とは何なのか。

◆個別細分化されたアイデンティティの受け皿としての政治
 近代リベラリズムは、何者にも支配されない自由な個人を理念に発展してきたが、その中で幾つかの問題も生み出してきた。一つは自由に「自分らしく生きる」ことを追求する一方で、誰かから承認されたいという欲求にかられることである。そこで、自分の多様なアイデンティティの中から政治的に有効なテーマを切り出して自分の尊厳にタイトルをつけ、SNSなどによって政治につながろうとする。即ち、「労働者である私」、「子育て世代の私」、「LGBTな私」、「障がいを持つ私」、「外国人である私」などが、承認を求めて政治運動に吸収されて行く。

 一方の政治の方は大歓迎で、「細分化された少数者たちを承認する勢力」を演じるだけで、それらの票が手に入る。しかし、これには深刻な問題もある。個別細分化された集団は互いの会話が成り立たず、それらの利害を調整して決着点を見つけるという政治本来の作業が難しくることである。妥協点を見つけようとすれば、「裏切り者」と非難される。その結果、これらを政治的力に結集しようとしても、大きな集合体にまとめる合意形成が不可能になり、リベラル政党は一部の強い先鋭的な特定集団のものとなって、多くの人々を積み残すことになる。

◆政治は、幅広いアイデンティティを設定できるか
 この傾向は世界のリベラル勢力に共通のもので、今の立憲民主党などを見ても、党を支えている人々は自尊心が強く、それぞれのアイデンティティに沿って上から目線で政治を進めているように見える。しかし、その結果、多くの(政治的ニヒリズムの)無関心層にアプローチ出来ずに、支持層がやせ細っていると言えないだろうか。倉持(写真)は、政治に必要なのはもっと幅広い国民的アイデンティティ(例えば包摂的ナショナリズム)を用意することで、40%の無関心層を呼び込む必要性を訴える。支持率5.8%からどう広げて行くかである。

 2017年の衆院選挙を見ても、自民党は全有権者の20%ほどの得票で、国会議員の75%を獲得しているが、それは年々投票率が下がってきているためでもある。半世紀前には70%を超えていた国政選挙の投票率は、今や50%台。政治的ニヒリズム、無関心層は増え続けている。要因の一つは、政治が一部の個別先鋭的な承認欲求にこたえることに安住して、国民大多数に寄り添うアイデンティティを模索してこなかった結果でもある。これは自民党も同じ。超保守的な人々の方だけ向いて政治を行い、低投票率と政治の空洞化を招いてきた。

 後半で倉持は、国民の方から政治への回路を作って行く様々な試みについて書いている。それは、法律論から法治国家の姿を模索する、かなり高級な試みでもある。その可能性は別として、今の政治が国民から遠くなり、一部の自己愛的な承認欲求に答えるものに安住しているという問題指摘は納得がいく。願わくば、野党もこうした問題に早く気がついて、自らを変えて行って欲しいと思う

政治のフェイクが跋扈する 20.10.14

 菅首相が日本学術会議の推薦(105人)から6人を拒否した“事件”は、極めて怪しい展開をたどり始めている。当初、菅は日本学術会議のメンバーについて安倍前政権からの引き継ぎではなく、自分が(学術会議の趣旨である)「総合的、俯瞰的活動を確保する観点から」判断したと言っていたが、最近になって自分が見たのは既に6人が除外された後の名簿だったことを明かした。そうなると、菅は公文書である推薦名簿を見ていなかったことになる。それで、認定と言えるのか。あるいは、その6人を誰がどういう理由で除外したのか。 

◆嘘とこじつけの深みにはまる菅首相
 学術会議の大西隆元会長(東大名誉教授)らは、これは公文書改ざん及び(首相が会議の推薦に基づいて任命すると定めた)学術会議法違反になると、指摘する。そうこうするうちに、今度は加藤官房長官が、事前に6人を削ったのは杉田和博(官房副長官)で、「元の名簿は添付してあったが、首相は詳しく見ていなかったかも知れない」と明かした。杉田が6人を削除したこと含めて、この事件は公的な学術職や研究機関の自立に対する政治の介入という点で、学問の自由を定めた憲法23条に違反する疑いが濃厚だという(憲法学者、木村草太)。

 しかも、推薦を拒むだけの審査能力が首相(杉田は論外)にない以上、任命は形式的なもので、正当な理由なく推薦を拒否した場合は日本学術会議法にも違反するという。しかし、菅の説明は6人拒否の説明になっておらず、このまま押し切ろうとすれば、説明拒否によっても違憲・違法に当たる。この事件の本質は安倍政権の政策に異論を述べた研究者を意図的に排除したことにあり、これを糊塗しようとすればするほど、深みにはまって行く。木村教授によれば、このまま行けば、(学術会議による)訴訟さえも考えられる案件だという。 

◆政治の劣化とフェイクが跋扈(ばっこ)する時代
 質問をはぐらかし、絶対に事実を認めない。この政治体質は安倍時代から続いていて、「ご飯論法」などと揶揄されたが、菅政権でも、のらりくらりの加藤が「チャーハン論法」などと言われている。これを政治劣化の一言で片付けるのは簡単だが、これが当たり前になれば国会も空洞化するし、記者会見も機能しなくなる。人間同士の理性的な対話が成立しなければ、何のための国会か質疑か分からない。こうした政治劣化が進んだのも前政権からの負の遺産だが、さらに深刻なのが、政治の偽情報(フェイク)が跋扈する状況である。

 菅政権は今、日本学術会議の推薦方法、活動実績や会議のあり方に問題があるかのような情報を流して、問題のすり替えに必死だが、これが偽情報であることは、学術会議側からも次々と指摘されている。にもかかわらず、今も菅応援団による、学術会議をおとしめようとする情報操作は活発になる一方だ。フェイクニュースについては、4年前にも「脱真実とメディアの危機」(16.12.10)に書いたが、今や日本でも深刻になる一方だ。今回は、なぜこうした政治のフェイクを人々は好むのか。なぜこれが跋扈するのかを考えてみたい。

◆事実無根の難癖をつける人々
 事件の本質からの目をそらせる、学術会議に関するフェイク(目くらまし)は、大別すると4つほどになる。1つは、学術会議会員の選定方法に関するもので、例えば中谷元(衆院自民党)なども「報道1930」(BSTBS)で盛んに問題だと言っていた。しかし、推薦方法については、これまで3度にわたる改善を行って政府の了承も得ている。中谷が指摘したのは改善前の話で、同席の大西元学術会議会長(写真)から論破されていた。2つめは活動内容に関して、下村博文政調会長が「(答申がなく)会議としての活動が見えない」と難癖をつけたもの。

 しかし、これも政府が諮問しないからで、「どうぞ諮問して下さい」、「答申以外の提言は様々に行っています」などと会議側から反論されている。また、中国との関係で防衛技術が流れるという言いがかりも、学術会議とは関係ない話だ。3つめは、学術会議会員の能力にケチをつけるフェイク。否認された6人を学術評価ツールで調べたら全員低評価で、「国際的にはとても学者とは言えない」という匿名(理系大学教授)のツイッターだったが、人文科学系研究をこのツールで評価することは不適当と後でチェックが入った(毎日、10/11)。

◆フェイクニュース、ポスト真実の時代
 4つめは、フジTVの平井文夫解説委員が流した会員の待遇に関する偽情報である。平井は番組で、「会員OBは日本学士院会員になり、死ぬまで250万の年金をもらえる」と発言したが、これはフェイクだった。一方、菅は会議には年間10億円の税金が投入されていると、あたかも会員の既得権益のように言って来たが、運営費が殆どで会員への報酬はその都度支払われる1万円ほどだけだ。手弁当で動いている会員も多いという。問題なのは、こうした悪質なフェイクに政治家や政権応援団が飛びついて、ネット上に一気に拡散させることである。

 匿名のフェイクはリツイートが6千件、さらには経済評論家(上念司)が同趣旨の投稿を行い、60万回以上再生されている。与党政治家たちもこれに便乗してツイートし、後で謝罪する始末。これらを見ると、いかに多くの人々が政府に楯突く日本学術会議を否定したがっているか分かる。こうしたフェイクは、ポスト真実(Post-truth)などとも言われ、アメリカのトランプによって日常化した。政治の場において、「何が真実か」は大きな力を持ち得ず、有権者の心により気持ち良く響く言葉の方が力を持つ政治状況が生まれている訳である。

◆「相対主義」がフェイクニュースの温床に
 現在は、「学問の自由」一つとっても様々な概念が混在して、それぞれを信じる人たちが、それぞれの思い込みで「事実」に固執する時代だ。しかし、その概念の多くは誤りであり、人々は日々生産されるおびただしい数の「事実」を自分の都合のいいように信じ込む(マルクス・ガブリエル×斎藤幸平「未来への大分岐」)。本当は、正しい概念は一つ、客観的事実は一つなのに、多くの概念、異なった事実の存在をそれぞれの立場に合せて許してしまう。正義、平等、自由といった世界のどこにも通じる普遍的な概念の存在を疑い、各自の思い込みを信じようとする。 

 これを「相対主義」と言うが、これが立場の数ほどの“真実”を作り、「ポスト真実」(フェイク)が跋扈する原因となる。さらに、この相対主義の「ポスト真実」を加速させているのが、SNS時代だという。今では、SNS空間に互いにバラバラな価値観を持つ島宇宙が散らばっており、その島宇宙からフェイクニュースがあふれ出す。そして、客観的事実にこだわらない考え方は、経済格差や気候変動、難民問題などに対する対話や共通の土台を崩して行く。マルクス・ガブリエルは、これこそ民主主義にとって非常に危険な兆候だという。

◆客観的事実にこだわり、理性的な対話を続ける
 かつて人々を緩やかに繋いでいた共同体が崩壊し、バラバラになった現代人は、自分のアイデンティティを求めて彷徨(さまよ)っているが、ネット上に出現した島宇宙はそうした個人の承認欲求を満たす拠り所になる。そして、その島宇宙の価値観に合せて(フェイクであろうがなかろうが)都合のいい事実を探して増幅させる。政治家たちも、それを煽りながら細分化された島宇宙を応援団として絡め取ろうとする。こうなると島宇宙相互間の理性的対話はますます困難になって、民主主義の力が弱まっていく。この状況をどうするか。

 マルクス・ガブリエルは、大事なのは「相対主義」を脱して、民主主義の普遍的概念を再確認して客観的事実にこだわり、理性的な対話を続けることだと言う。新聞などは今、政治家や評論家のフェイクを一つ一つ「ファクトチェック」しているが、これで果たしてこの時代的流れに対抗できるだろうか。引き続き考えて行きたい。

コロナの大波に溺れる世界 20.10.5

 先日、訳あって久しぶりにカミさんと都内に出かけた。銀座や北千住の街中には結構な人出があってかなり活気を取り戻している感じがだが、99%以上の人がマスクをつけて歩いているのにある種の感慨を抱いた。多くの子どもたちまでマスクをつけている。日本人の律儀さを改めて認識したのだが、その一方で、ある病院のかなり密な狭い待合室で、高校生くらいの男子をつれた夫婦がずっと3人で談笑していたのには多少腹が立った。マスクをつけ、感染対策をしていると思っていても人それぞれで、その警戒感にはバラツキと緩さが目立つ。

 マスクはつけていても、多くの人が病院内のドアの取っ手やエレベーターのボタン、電車のつり革、エスカレーターの手すりなどを素手で平気で触っている。テレビでやかましく言っているのに比べると、ウイルスが忍び込む余地はゼロではないように思える。まして、アメリカのトランプのようにマスクなしで3密状態にいれば、ウイルスにとっては絶好のチャンスだ。ウイルスは意思を持っているわけではないが、人間側の油断を見逃さない。たちまち忍び入ってトランプの場合のように、人類社会に計り知れない衝撃と影響を与える。

◆コロナショックの2つの側面
 今のコロナショックには少なくとも2つの面がある。一つは、有り体に言えば、今の人類社会はその犠牲の大きさに耐えられないということである。犠牲と言っても、それは主に体力的に弱い高齢者や持病のある人々、そして十分な医療が受けられない貧困層、途上国の人々である。そうした人々の犠牲は社会のある層から見れば、却って社会の活性化につながる好都合という冷酷な見方(「悪魔のプラン」)も出来るし、或いはアフリカや南米の原住民の犠牲のように、遠い世界の悲劇として意識の外に追いやることも出来る。しかし、情報化時代の今はそれが難しい。

 今は、世界各国の感染状況が、映像入りで毎日報道される時代である。それが感染爆発の恐怖として人類共有の感覚としてすり込まれる。まさに情報のグローバル化がもたらす「不安と恐怖のパンデミック時代」であり、その恐怖が世界の経済を麻痺させる。もう一つは、このコロナショックが私たちの政治、経済、生活の様々な局面に、大きな変化をもたらしていることである。それは、巨大な波となって人類社会に押し寄せつつあるのだが、私たちはまだその波頭に目が行くばかりで、背後にある大波の本質が何なのかが見えていない。

 現在の世界にはコロナの影響による激しい変化が次々と起きている。私たちは、その意味が十分掴めないまま、その波に溺れそうになっているが、世界の識者(例えばエマニュエル・トッド)の中には、コロナショックが生み出すこうした変化を、「既にあった問題を表に出し、加速させる」と捉える人もいる。もちろん、その意味は後で振り返った時に初めて分かるようなことだと思うが、とりあえず今回は、最近の幾つかの事象をコロナとの関係で取り上げながら、「既にあった問題を表に表し、加速させる」とはどういうことか、私なりに探ってみたい。 

◆国家の分断と科学的知見の無視のツケ
 まずは今、世界が固唾を飲んで見ているトランプのコロナ感染である。仮にこれが元でトランプが退場でもすれば、コロナはまさに歴史を変えたウイルスとして名を残すだろう。そのくらいトランプの感染は衝撃的で、それがダメ押しになってバイデンが勝利すれば、進行中の米中の覇権争いにも大きな影響を及ぼすに違いない。もともと、このウイルスは中国に端を発したわけだが、対処の仕方において米中間で決定的な差を作り出した。強権的な統制で感染を押さえ込んだ中国に対して、世界最大の被害を出し続けているのがアメリカである。  

 アメリカが、世界最大20万を超える死者を出している理由については、幾つかあげられる。一つは、この4年間にトランプが国民の間に築いた分断の壁と、科学的知見の愚かな無視のツケである。コロナ対策を巡って、トランプの岩盤支持層と民主党の支持層の間の対立を煽り、一方はマスクを拒否し、集会も密になって続けて来た。トランプは黒人の貧困層などコロナの犠牲になる人々にも冷淡で、地球温暖化と同様に、科学的知見より自分ファーストの政治を優先させて来た。コロナはその愚かさのツケをトランプに払わせようとしている。

◆コロナがあぶり出した安倍政治の負の遺産
 一方の中国はさておき、コロナが露わにした政治の問題は、日本でも大きい。第一に、安倍の退陣と菅政権の誕生である。安倍の退陣については今や、体調不良は口実で、コロナによって低迷する政権の体のいい投げ出しというのがもっぱらだ。コロナ対策の支持率低下を挽回しようにも、コロナで得意の外交でのアピールも出来ず、アベノミクスも絶不調。ここまで来ると、後は傷つかずにどのタイミングで政権を投げ出して菅に引き継ぎ、影響力を残すかを、安倍は事前に計算していた。さしもの長期政権も、コロナによってあっけなく倒れたことになる。

 その一方で、コロナは安倍政権の負の遺産もあぶり出しつつある。先日、「女性はいくらでも嘘がつける」と言って問題を起こした、杉田水脈(自民党衆議院議員)。彼女を中国ブロックの比例議員に押し上げたのは、他ならぬ安倍であり、安倍にそれを強く押したのが右派の櫻井よしこだった。杉田は安倍のお気に入りの議員であり、その杉田が頻繁に問題発言をするということは、これら安倍グループの頭の中が、同じような構造であることを物語る。コロナで退陣した安倍らの極右体質が、問題発言によって図らずも露わになったケースである。

◆政治・経済の欠陥がコロナで加速する
 さらに、その安倍政治を継承すると言った菅がまた、とんでもなく強権的な正体を表し始めている。日本学術会議のメンバー6人の推薦を菅が拒否した“事件”である。ご存じのように、その6人とは、安保法制、共謀罪、特定秘密保護法に関して学問の立場から反対した学者たちだが、それを菅が拒否した。学術会議は、その理由開示を求めて行くとしているが、この件に関して菅に理はない。学者集団を相手にした闘いの結末がどうなるか。あくまで強行突破しようとするなら、安倍政権の体質を受け継いだ菅の強権的、パワハラ性格が一気に露わになる。

 果たしてそれで政権がもつかどうか。嫉妬が渦巻く今の自民党の中で、派閥を持たない菅の足元は言われるほど盤石ではない。少しでも揺らぐと、その足を引っ張る輩ばかりなので、この事件の展開次第では政局化もあり得る。これもコロナが加速させる日本の政治の欠陥体質だが、同時に問題なのは、菅政権がアクセルを踏もうとしている新自由主義的な規制改革の行方である。効率化によってあくなき経済成長を図る「貪欲な資本主義」についてはこれまでも書いてきた。それがひいては地球環境の収奪、地球温暖化を加速させるという指摘がある。  

◆若い世代に託す未来
 斎藤幸平(大阪私立大准教授)は、その著「人新生の資本論」で、地球環境を危うくする「資本主義の欠陥」を、コロナは露わにしたと言う。今年、米国の超富裕層は(「惨事便乗型資本主義」という)コロナ禍に便乗する形で60兆円もの巨額な金を手にしたというが、コロナは、現代の経済成長至上主義の資本主義が内包する欠陥を露わにし加速させつつある。斎藤は、資本主義が地球環境とは相容れない宿痾を持っていることを、分かりやすく説いている。その処方箋である「脱成長コミュニズム」については、俄に納得できないところもあるが、問題の指摘には同感だ。

 それにしても、斎藤公平は今年33歳。最近、落合陽一(メディアアーティスト、33歳)が台湾政府のIT担当閣僚の天才オードリー・タン(39歳)とコロナ時代について対談するEテレの番組があったが、2人とも若い。特にデジタルを駆使したコロナ対策、民主的投票方法など興味深かったが、コロナの大波を乗り切るには、こうした若い世代の活躍に期待するしかないのかも知れない。

新型コロナとは何者なのか 20.9.25

  9月21日のサイエンス映像学会の研究会で、免疫学者の宮坂昌之さん(阪大名誉教授)のリモート講演を聴いた。日本人の感染者と死者が少ない理由を探る「ファクターX」、新型コロナの特徴、感染の進行を防ぐ免疫システム、ワクチンや治療薬などの話だった。話の中では、以前のコラム(*)でも取り上げた、高橋泰(国際医療福祉大学教授)の胡散臭い説「すでに国民の3割が感染し、うち98%が自然免疫で治癒している」について、幾つもの矛盾点をあげて否定していた。*)「コロナ対策が政治化するとき」(20.7.29)

◆世界のコロナ時代は、あと数年は続く
 その講演の質疑で、私は「新型コロナはSARSやMERSのように自然終息する可能性はないのか」と尋ねたが、答えは「このウイルスは実に巧妙な性質を持っているので感染の押さえ込みが難しく、あと数年はこのウイルスと付き合って行かざるを得ないでしょう」だった。このウイルスの巧妙さは後で書くとして、そうすると、私たち人類は(よほど効果的なワクチンや治療薬が見つかり、世界に行き渡るまで)日々の感染状況に一喜一憂しながら、社会的距離を保って生活する不自由な状態を、この先何年も続けなければならないことになる。

 政府は今、感染状況を睨みながら「感染防止と経済」を目指して、幾つかの政策を急ぎつつある。感染症法上の縛りを緩めて、無症状の感染者には入院を義務づけないことや、「GoToキャンペーン」などの経済刺激策を次々に始めようとしている。これが、吉と出るか凶と出るかは、あと1ヶ月ほどしないと分からないが、同じような緩和策を行った欧州では凶と出た。イギリス、スペイン、フランスなどでは、緩和後、再び感染爆発が起こり、1日あたり6千人から数万人の新規感染と数百人の死者が出て、各地でロックダウンや行動制限に戻りつつある。

 NYなど一部を除いて、始めから厳しい対策を採らなかったアメリカでは、死者が20万人を超えた。一方、厳しい対策で国内の感染を押さえ込んだ中国も、世界で感染爆発が続く状況では、国を閉じるしかなく、以前のようなグローバル経済の再生はとても望めない。私たち人類はまだこの「コロナ時代」の全貌はおろか、このウイルスとどのように付き合って行けばいいのかも十分掴んではいない。考えてみれば、何という時代に突入したのだろうと思うが、「コロナ時代」の何がどのように難しいのか、この辺で最近の情報を整理しておきたい。

◆ウイルスの巧妙な生存戦略と対策の難しさ
 新型コロナの押さえ込みが難しいことの一つが、このウイルスの巧妙さである。最近では、感染者の半数が無症状で過ぎてしまうことが分かってきた。しかも、無症状でも感染力はあるので、本人も気がつかずに他人に感染させてしまう。また、症状が出る場合でも、症状が出る2日前くらいが最も感染力が強いとされ、分かったときには他人に感染させた後になる。ウイルスの方から見れば、気がつかれないうちに感染を広げて、人間を宿主にしかねない程の巧妙な戦略なのだが、封じ込める方から言えば、これが最大の難問になる。しかも、行動範囲の広い若者層が無症状の場合が多い。

 新型コロナは世代によって怖さが違う。最近の日本では全体の致死率は1.9%程度まで下がっている(8/19現在)が、年代別致死率を見ると、40代で0.2%、50代で0.6%、60代で2.7%だが、70代で8.5%、80代になると18.1%になる。死亡者の中では、圧倒的に高齢者が多く、つい7月15日段階では、70代以上で25%にもなっていた。要するに致死率だけから言えば日本の場合、自然免疫力の高い40歳以下の若い世代にとって、コロナはただの風邪に近いとも言える。若い世代の危機意識が低くて当然と思うが、それがコロナ対策を難しくしている一因にもなる。

◆リスクの違う世代間の分断を乗りこえられるか
 若い層は行動範囲が広いので、強力な感染者(スーパースプレッダー)になり得る。また家族との同居、高齢者施設での労働、公共機関などを通じて、若い層とハイリスク集団(高齢者、持病のある人)との接触も避けられない。現代社会では、2つの年齢層を分離することは不可能であり、若い層でコロナが蔓延すれば、当然その感染はハイリスク層にも広がり、それが医療崩壊の引き金になる。経済を回すために、致死率が低い若い層に自由に行動して貰おうと思っても、それで感染が拡大すれば小金持ちの高齢者はますます家に閉じこもることになる。

 しかも、最近の傾向としては、むしろ若い層に様々な後遺症が出るらしい。従って、諸々のことを考えれば、コロナに対する危機意識は、全世代に共通して持って貰いたい所だが、世代間の致死率の違いがこれを阻んでいるのが現状だ。先日の会見で安倍前首相が「40代以下の致死率は0.1%なので、感染症法上の分類を見直す」と言ったが、これも下手をすると、無意識に世代間の危機意識を分断し、高齢層を危険にさらすことにつながりかねない。その分断を避け、社会全体でいかに危機意識を共有していくか、これが経済を回すための一つのカギになる筈だ。 

◆個人の感染確率をどう捉えるか
 ただし、個人のレベルで言えば、「GoToキャンペーン」はともかく、経済を回すためにもストレス回避にも、コロナに怯えて「Stay home」していればいいというわけにもいかない。この時に留意するのは2つほどあると思う。一つは、当然やるべき感染予防をやったつもりでも、個人が感染してしまう確率はどの位あるかということである。直近1週間の10万人当たりの感染者数は東京都が群を抜いていて7.29人、埼玉県で1.76人などである。私の住む人口30万の越谷市では、10万人あたり4人強の感染者が出ている。これをどう見ればいいのだろうか。

 統計から見ると、これは埼玉県の交通事故(人身事故)の発生確率の約半分である。まあ、自分が直近で交通事故に会う確率より低いとすれば、現状なら感染が多い場所を避け、消毒も行うなどの対策を適切にとれば、普通に出歩いてもOKのレベルではないか。もちろん私などのハイリスク層はより注意する必要があるが、これからは感染状況を見ながら、各自で「新しい生活様式」を見つけて行く必要がある。ただし、こうした社会的確率が個人の選択に当てはまるのかどうかは異論もあるので、適切な考え方があったら教えて貰いたいところだ。

◆万一感染した場合の恐怖。お前は何者なのか
 いくら確率的に低いと言っても、万一感染した場合は、治癒後の後遺症や高齢者の高い致死率を考えると、やはりコロナは怖い病気である。ただし、一頃に比べて致死率がやや低くなっているのは、一つには検査が曲がりなりに増えて無症状や軽症の段階で感染が見つかるケースが増えているから。もう一つは、ある程度治療方針が固まってきたからとも言える。最近認可申請された(軽症の時に使う)アビガンも含めて、対症療法的な薬も整備されてきた。未知の後遺症の恐怖は残るが、感染しても生還する確率は少しずつ高まって来たと言える。 

 ワクチンは実用化するまで紆余曲折がありそうだが、宮坂さんによると有望な治療薬として、「人工抗体」という薬の開発があるらしい。その仕組みは難しくてとても説明できないが、治癒した患者の抗体の遺伝子を複製して大量生産できるようにすると言う。まだ、どこも道半ばだが、これにも期待したい。以上、私なりに新型コロナの最近の情報を整理してみたが、このウイルスの特異性を考えると、感染封じ込めと経済を両立させるには、若い世代に正確な危機意識を持って貰うこと、検査を拡充して若い世代の感染を抑えることが肝心ということである。

 一方で、このウイルスが今の人類社会に与えている影響の大きさを考えると、私としては、何故このような巧妙な生存戦略を持つウイルスが登場したかという謎にもこだわりたくなる。たまたま出現したウイルスなのか。それとも類似のウイルスは、これからも頻繁に出現するのか。中国での出現の謎も含めて、「新型コロナとは何者なのか」どこまでも問い続けて欲しいと思う。

民主主義が死にゆく時代に 20.9.15

 9月14日の自民党総裁選で勝利した菅は、選挙後の会見で(働く内閣を作って)改革に全力で取り組むと述べた。ただし、改革と言ってもその内容が問題で、「規制改革という名の破壊」(18.5.14)にも書いたように、何でも市場原理に任せる危険な改革もあるので油断は出来ない。かつての菅は小泉と竹中平蔵ラインで新自由主義的な改革(郵政民営化、年金の株式投資など)に豪腕を発揮したが、今回もデジタル省の新設などで省庁再編に意欲を燃やしている。改革と言えば、すべて良いように思われがちだが、菅の規制改革には特段の注意が必要だ。

 それよりむしろ、日本が抱えている重大な課題(借金大国、人口減少、地球温暖化、原発問題など)を一つ一つ解決していく「課題解決型の政府」を目指して貰いたいが、これを放置してきた安倍政治の継承を掲げる菅に期待するのは無理なのか。これらの課題をどうするのか、野党もメディアもしっかりと追及して欲しい。同時に追求して欲しいのは、官僚支配やマスコミ支配と言われる、これまでの菅の政治姿勢や政治手法についてである。日本の民主主義を危うくするような、こうした陰湿な性格もまた、次期政権の特徴になりそうだからである。

◆真綿で首を絞めるように
 評論家の佐高信と元通産官僚の古賀茂明(写真)が、次期首相の菅義偉に関してYouTubeでその陰険さについて語っている(「官僚と国家第1回、菅は真綿で首を絞める」9/4)。古賀は安倍政治の2つのレガシーとして官僚支配とマスコミ支配をあげ、実はそれを実質的に実行してきたのが菅だと言う。特に安倍政権に批判的な報道番組に対する菅のやり口は、狙いを定めると1年も前からじわじわと外堀を埋めて、気に入らないキャスターやコメンテーターを排除して行く陰険さだと言う。それは真綿で首を絞めるようだと具体的な体験で語っている。

 こうして、古賀や佐高はもちろん、「ニュース23」のキャスターだった岸井茂格(故人)も、「クローズアップ」の国谷裕子も、「報道ステーション」の古舘伊知郎も、さらにはアベノミクスを「アホノミクス」と批判した浜矩子(同志社大教授)なども、次々と番組から消えていった。それだけでなく、今やテレビの報道番組でも、ワイドショーでも、政権の代弁者と噂されるキャスター、コメンテーターが我が物顔に出演して菅を持ち上げている。いかにこの7年8ヶ月の菅によるマスコミ支配が徹底していたかを物語る風景である。

◆腐敗を抱え込んだ故の官僚支配とマスコミ支配
 古賀は、菅が(警察上がりの)官邸官僚を使って官僚の弱みを握り、時には情け容赦なく叩くという官僚支配の実態を赤裸々に話しているが、佐高は、こうした菅が権力を握ったときの怖さにも言及している。実際に真綿で首を絞められた当人たちによる話だけに、聞けば気が重くなるような内容だが、安倍政権が行ってきた負の側面は実はこれだけではない。何度も書いてきたように、思想的同調者(籠池)や親しいスポンサー(加計)に脱法的に便宜を図った不祥事の押さえ込み、公文書の書き換え、安倍昭恵は公人でないとする閣議決定などなど。

 そして、国会での証人喚問の拒否、関係した官僚の異動、さらには国会審議そのものの拒否などを、陰で采配してきたのは安倍官邸と菅である。こうした腐敗を抱え込んだからこそ、菅は官僚支配とマスコミ支配を強めざるを得なかったのだろう。こうした政治腐敗、国会の空洞化、言論の押さえ込みが起こるたびに、日本の民主主義はどうなるのかと、コラムに書いてきた。例えば、「民主主義がやせ細る時代に」(19.1.19)、国有地払い下げ事件の時の「政治腐敗と民主主義の試練」(18.3.11)、「誰が民主主義を救うのか」(18.4.10)などである。

◆危機に瀕する世界の民主主義
 民主主義については、「試される民主主義の価値観」(17.2.2)のように、危機に瀕する世界の状況についても書いてきた。その位に、今の世界は民主主義の価値観を無視する政治がはびこっており、その傾向は近年、ますます顕著になっている。例えば香港で、戦前日本の治安維持法と同じような「国家安全維持法」を制定して、言論を封殺している習近平の中国。共産党一党独裁の中国は思想教育と称してウイグル族100万人を収容所に入れている。そこに民主主義はない。プーチンのロシアもメディアを支配し、政敵を簡単に毒殺するような国だ。

 さらに、移民を排除し、国内を敵と味方に分断し、平気で嘘をつきながら、一方でメディアをフェイクと言い続けてきたトランプのアメリカである。自国(自分)ファーストの政治現象は、ブラジル、フィリピンなどでも、ミニトランプを生み出し、そのポピュリズム的な政治によって国民が分断され、不平等と格差が拡大し、差別が横行することによって、民主主義の根元が崩されて行く(「民主主義の死に方」ダニエル・ジブラット)。特に、日本を取り巻く国々(中国、ロシア、朝鮮半島、アメリカ)に比べれば、その病状の深刻さは日本がまだ可愛く見えるくらいである。

◆戦争の反省とともに歩んできた戦後民主主義
 民主主義の源流はギリシャ時代にまで遡るが、特にその価値がクローズアップされたのは、「民主主義VSファシズム(全体主義)」の形で戦われた、第二次世界大戦である。戦後は、その全体主義の中にスターリンのソビエトも加えられた。先日放送のNHK「映像の世紀プレミアム 独裁者3人の狂気」(8/15)では、ムッソリーニ、ヒトラー、スターリンの3人の独裁者たちが、大衆を煽りながら(自国民を含め)4000万人の犠牲者を出す経緯が紹介された。ユダヤ人を大量虐殺したヒトラーや、猜疑心から70万人の自国民を粛清したスターリン。

 これらの映像を見ると、「人間はどこまでも残酷にも愚かにもなれる」ということがひしひしと伝わってくる。日本も同様で、民主主義を否定して登場した軍部独裁が始めた戦争で、アジアで2000万人、日本人310万人の犠牲者を出した。そうした反省から、戦後世界は民主主義をより強めるために、国際平和、貧困対策、法治、健康、環境などのための国連機関を維持し、日本でも戦後民主主義を根付かせて来た。こうした民主主義の原点を思えば、今の世界の民主主義が死に瀕しているからと言って、日本の現状を軽く見ていいわけではない。

◆民主主義の原点を忘れずに時代にあった言葉で
 大国の酷い現状を見れば、安倍政権の政治腐敗(モリ・カケ・桜)や、菅による官僚支配やマスコミ支配などは、目くじらを立てる程ではないと言うかも知れないが、そうではない。つい75年前の世界大戦の惨状を見れば、むしろ反省を忘れつつある世界こそが問題で、その風潮に染まることの危険を私たちは自覚すべきだ。日本で言えば、75年前に膨大な若者の死と焼け野原と原爆とを生んだ戦争の反省である。大事なのは、その反省の原点に立って、そうした政治の暴走を許さないために、民主主義をどう機能させるかという問題意識である。

 そのためには、ただお経のように「民主主義、民主主義」と唱えているだけでは、無力だ。今や古証文のようになった民主主義の細かいルールを正義のお札のように掲げて批判するだけでは、人々(特に若い世代)の共感を得られない時代になっている。日本と世界の民主主義の現状を踏まえながら、しかも現状に慣れて麻痺しない。常に民主主義の原点を忘れずに、今の時代に沿った説得力を求めていくべきだろう。差別をなくし、人権を大事にし、国会を機能させ、少数意見に耳を傾け、言論の自由を保障する。それを次期政権にも求め続けて行く必要がある。

 この点で、重要なのは(あまり期待できなくなった)メディアとともに野党の存在である。新生の立憲民主党も、ともするとお経のように民主主義を唱えるが、その言葉に力はあるのか。派閥の論理と数の論理で政策を強引に進めようとするだろう菅政権が、民主主義の原則を踏みにじるとき、どのように対抗するのか。枝野代表はすぐにもブレーンを集めて日本の民主主義を守るための理論構築を始めなければならない。

菅政権でもA-A支配は続く 20.9.6

 8月28日の退陣表明で、7年8ヶ月に及んだ安倍政権が幕を閉じることになった。後継に名乗りを上げた菅は、「安倍政治を継承し、さらに前進させる」と述べ、誕生確実の菅政権においても、安倍政治が継続することになった。それがどのように続くのかは、後半で占うとして、菅が継承すると言う「安倍政治」を、この7年8ヶ月間にアップしてきたコラムをもとに振り返ってみたい。コラムの数は安倍政治そのものだけで70本。うち、アベノミクス関連が10本、安保法制や共謀罪、改憲などが10本、メディア対策についてが7本である。

◆安倍政治の正体を探った43本のコラム
 残り43本が安倍政治の性格や本質を探るものだが、これは大きく分けて2つになる。一つは、「言い換えと虚言の政治」(15.6.11)、「曖昧で不真面目な首相答弁」(15.6.23)、「権力者と応援団の危険な関係」(17.3.30)、「政治腐敗と民主主義の試練」(18.3.11)、「政治劣化の果ての総裁選」(18.8.16)、「権力の淀みに沈む長期政権」(19.2.28)など、安倍政権の国会軽視や腐敗・不祥事といった政治姿勢に関するもの。もう一つが、「反省なき国家主義を問う」(13.5.8)、「衣の下の鎧(よろい)とは」(13.5.23)に始まる安倍政治の本質を探るものである。

 これには、「安倍政治の見せかけと実体@〜B」(2014年)、「極右化する政治と日本の未来@〜A」(2015年)、「日本会議の研究を読む」(16.6.25)、「安倍政権・虚妄の極右主義」(17.6.12)、「A-A独裁とファシズムの影」(18.5.31)など、手探りしながら書いてきたものが続く。70本とはよく書いたものと思うが、これらのコラムは、まず経済政策(アベノミクス)から始まった安倍政治が、だんだんと本性を現してきた経緯に沿ったもので、当初は安倍の政治思想がこれほどまでに岩盤的な極右支持層とつながっていることを知らなかったからである。

◆自民党の2つの思想的流れと安倍政治
 というのも、それまでの自民党政治は、「自民党本流と保守本流」(田中秀征)にあるように、自民党の2つの思想的流れのうち、先の大戦までの国策を誤りとして反省する歴史観、従って現行の非戦憲法の尊重、言論の自由に対する格別の配慮、拡大主義や大国主義をとらない考え方などを特徴とする「保守本流」(ハト派)が長かったからである。これは、旧自由党に属していた石橋湛山や鳩山一郎の思想的流れを受け継ぐもので、今の岸田派につながる流れになる。他方で、安倍たちは「自民党本流」(タカ派)の方で、安倍の祖父の岸信介を源流とする。

 その特徴は、先の戦争を自存自衛のやむを得ないものとする歴史認識、満州への進出を是とし、日本をアジアの盟主とする大国主義(大東亜共栄圏の正当化)、従って戦争を放棄する現行憲法の否定などである。これは安倍の思想的母体である右派集団「日本会議」に共通する国家観である。それが、どのくらい右よりかは、「日本会議の研究を読む」に詳しく書いたところである。戦後民主主義の否定につながりかねない、こうした極右的流れはしばらく日本の政治では大手を振って歩くことはなかったが、安倍の登場で日本の政治風景は一変した。

◆A-Aラインから見た菅義偉
 その「日本会議」には、国会議員による「日本会議国会議員懇談会」があるが、安倍内閣の大部分がこのメンバーであり、盟友と称している安倍、麻生(A-Aライン)は、その特別顧問に就いている。しかも、副会長をしているのが菅と次の政権での枢要ポストが噂の下村博文(細田=安倍派)だ。菅は日本会議につながる重鎮であり、元々、下野していた安倍を再度総理にと説き伏せたのが菅であれば、その思想的土壌が日本会議に重なる右派であることは容易に想像できる。菅が会見で、「もちろん憲法改正にも取り組む」と言った背景もそこにある。

 逆に、自民党右派のA-Aラインから見れば、当初後継に考えていた岸田の国民的人気が上がらないのであれば、後継にハト派の流れに位置する岸田を選ぶよりは、(人気さえ出れば)同じ右派につながる菅の方が断然都合のいい選択になる。しかもこの8年、菅は安倍政権の危機管理役として数々の不祥事を押さえ込んできたわけで、菅は安倍と一蓮托生。モリ・カケ問題や桜を見る会問題で事件を蒸し返す恐れもない。A-A独裁ラインから見れば、思想的にも近い菅が唯一の選択肢だったわけで、日本会議などの右翼集団も歓迎しているに違いない。

◆安倍政権のあんこだった菅
 安倍派(現在の細田派)98人と麻生派55人を加えると、それだけで他の派閥(岸田派47人など)を圧倒する。こうしたA-Aラインの支持で総理になる菅は、安倍が重用した官邸官僚やA-Aラインの幹部をそのまま政権に取り込んで行く予定だという。これは、菅政権が安倍政権と殆ど変らない「居抜き政権」になることを意味するが、前回書いたように、その(腐敗的な)利権構造もそのまま継承されることになる。つまり次期政権においては、仮に菅が独自性を発揮したいと思っても、数の力でも思想的にもA-Aラインの支配が続くわけである。

 ただし、菅の方から見ると、少し風景が違っていると書くのは、毎日の伊藤智水である(9/5、時の在りか)。「もう菅政権になっている」(同、8/1)とも書いた伊藤は、安倍政権をまんじゅうにたとえ、まんじゅうの皮は官邸の官僚たちが色々考えたキャッチフレーズで飾られているが、内実のあんこを采配していたのは菅だったと言う。今回は、皮を破ってあんこが顔を見せた訳だが、この菅内閣はしぶとく生き残って行くという。大化けすれば、来年9月の総裁選での再選も可能になる。菅をピンチヒッターなどと侮ることは出来ないと言うのだ。

◆A-Aラインの意向とどう折り合って行くのか
 巷間言われているように、菅には強面(こわもて)のケンカ師とか、逆らった人間は絶対に許さない陰湿さがあると言うが、どうなのだろう。仮にA-Aラインが、数の力で上から目線で菅政権を仕切ろうとした場合、強面の菅と何らかの衝突の場面があるのだろうか。私には分からないが、菅グループ30人をもってしてもそれは如何ともしがたい。二階派(47人)と組もうとしても難しいし、流れから言っても岸田派と組むことは出来ない。やはり、派閥を持たない(雇われ首相の)菅に自由度は限られていると見ざるを得ない。

 むしろ、菅は安倍の思想的路線をさらに推し進めることで彼らの歓心を得ようとするのではないか。その他のところでは、具体的政策が見えないことが不気味と言えば不気味である。安倍政権が放置してきた、日本の様々な課題をこれ以上放置することは許されないが、日本の巨額の財政赤字をどうするのか、軽視してきた国会機能をどう高めるのか、エネルギー政策を転換できるのか、少子化と人口減少にどう対応するのか。或いは安倍長期政権で腐敗した利権構造に、どういう態度で臨むのか。A-Aライン支配の中で、菅は個性を発揮できるだろうか。

◆未知数の首相としての器
 携帯の値下げだけでなく、菅はかつてNHKの受信料を20%下げることに執念を燃やしたこともある。それは担当大臣としてのテーマかも知れないが、首相の仕事としては小さすぎる。菅は一国の首相として、日本が直面するより大きな課題において、日本の新たな国家像を分かりやすいメッセージとして届けられるのか。国民とどう向き合っていくのか、野党とどう話し合っていくのか、と言ったことが問われてくる。今のマスコミは、早くも菅の持ち上げに必死だが、首相としての器は、実務家の範疇を超えるもので、これは未知数である。 

 その思想的流れから言って、(私自身は)菅政権の行方に警戒的だが、未知な部分が多いだけに国民は興味津々と言ったところだろう。暗そうに見える菅が大化けしてA-A支配のもと、長期政権を築くのか、それとも化けの皮がはがれて短期で終わるのか。「権力のシャッフル」を望む私としては、後者を期待したいのだが。