日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

メガシフトA巨大国家中国 12.2.12

 アメリカのモノの貿易赤字は87兆円(2017年)だが、そのうちの半分41兆円が対中赤字によるものだ。トランプ大統領は、この赤字問題と中国による知的財産権の侵害を盾に中国製品に2500億ドル規模の関税を掛け、さらに増やそうとしている。後に引かない中国もアメリカからの輸入品の関税を増やす対抗措置を取り始めたが、これは単に貿易赤字だけではなく、その背景には世界の覇権を巡る米中の暗闘があると見る向きが多い。それほどまでに急激に世界の中で中国の存在が大きくなって来た結果だが、私たちにはそれが余りに急でなかなか実感できないのも事実である。

 今、習近平の中国は中華人民共和国の建国100年の2049年に向けて、「中華民族の夢」実現のために、国を挙げて邁進している。アヘン戦争があった19世紀から、各国の侵略を受けた20世紀前半にかけて、中国は次々に国を食い荒らされた。これら過去に奪われた栄華を、経済面、軍事面における飽くなき挑戦で取り戻すのが「中華民族の夢」だ。そのために国内はもちろん世界中に様々な手を打っているが、そのあまりのすさまじさに唯一の超大国アメリカが警戒心を抱いたとしても不思議ではない。この中国の100年に一度の大変化「メガシフト」が世界と日本にどのような影響をもたらすのか、最近のニュースをもとに概観してみたい。 

◆次々と生まれる世界規模のニューエコノミー
 輸出でアメリカと摩擦を起こしている中国だが、国内GDPの6割は内需で占める消費大国でもある。11月11日を独身の日に見立てた中国の通販サイト「アリババ」が、恒例の特別セール行ったところ、一日の売り上げが過去最高の3兆5千億円に達したという。この売上高は、楽天の一年間の売り上げを上回っており、さすがは13億の人口を抱える巨大国家・中国の底知れないパワーである。この売り上げの原動力には、スマホ決済(キャッシュレス化)の浸透、事前から個人の消費傾向を読み解くAI(人工知能)の導入、10億個と言われる商品の宅配サービスなどが平行して進化していることが上げられる。

 中国は、キャッシュレス化で日本などのはるか先を行く世界トップ。同じようにスマホ決済を武器にする車の相乗りサービス(ライドシェア)では、中国最大の滴滴出行(デイデイチューシン)が登録者数4億人、登録ドライバー1700万人で、アメリカのウーバーを抜いている。このほか、グーグルを追い上げる中国の検索エンジン「百度(バイドウ)」、自転車シェアサービスの「モバイク」、フェイスブックを急追する「テンセント」など、中国のいわゆる“ニューエコノミー”は、IT技術の進化と巨大市場を背景に急成長し、世界にも進出し始めている(「中国新興企業の正体」)。

◆夢に向かって驀進する中国
 一方の習近平政府は、中国国内で様々な博覧会を開いて大国としての存在感を世界にアピールしている。11月5日から上海で開かれた「国際輸入博覧会」では、習近平が「中国の輸入は今後15年で40兆ドル、4500兆円に達する」と、世界に市場開放を強くアピールした。この博覧会には日本から450社、アメリカからも大手180社が参加した。時を同じくして広東省珠海市では「中国国際航空宇宙博覧会」が始まり、中国は新型ステルス戦闘機のモデルや有人宇宙ステーションのモデルも展示。「宇宙強国」を目指す技術力を誇示した(毎日、11/7)。

 こうした動きの推進力になっているのが、習近平が掲げる「中国製造2025」計画。2025年までに中国を世界の製造強国の仲間入りをさせ、2049年にはトップ級にする。IT、ロボット(AI)、航空宇宙、交通、新素材、バイオなどあらゆる分野で、世界の最先端産業の90%を支配しようとしている(ペンス演説、後述)。自動運転車の開発においても中国は貪欲。上海北西の広大な一角に、街並みや道路、可動式の人形などを備えた人工都市を建設し、走行テストを繰り返している。さらには、その成果を山手線の内側の1.5倍の広さまで拡大し、自動運転に関する交通システム全てで世界をリードする計画だ。

◆警戒を強めるアメリカ
 科学研究費の面でも、大学運営費が毎年1%ずつ減っている日本(「科学技術立国の揺らぐ足元」)と違って、中国はこの10年で2倍以上に増えてアメリカに迫っており、その豊富な資金で世界の研究者を引きつけている。そのためか、アメリカが共同研究の相手国に選ぶ国は、殆どの分野で中国がトップにある(日本は5位から13位)。一方で、こうした中国の急伸に警戒心を強めているのが、トランプ政権である。このまま放置すれば、アメリカは最新の技術も人材も知的財産もすべて中国に奪われてしまう。その強い警戒心からの逆襲が始まっている。 

 その象徴的な演説が、10月4日にアメリカ、ハドソン研究所で行われたペンス副大統領の演説である。そこでは近年の中国の行動に対する全面的な批判が展開されていて、米中の新たな冷戦時代の幕開けかと世界に緊張が走った。上に書いたような中国の最近の躍進ぶりを「表の顔」とすれば、ペンスは(アメリカ政府から見た)「裏の顔」を列挙しながら国民に警戒を呼びかけた。以下、ネット上の全文からその要点を拾って列挙する。

自由で公正でない経済政策
 過去17年間、中国のGDPは9倍に成長し、世界で2番目になったが、その大部分はアメリカの投資による。同時にそれは中国共産党による、関税、通貨操作、強制的な技術移転、知的財産の窃盗、外国人投資家にまるでキャンデーのように手渡される補助金など、自由で公正な貿易とは相容れない政策で行われてきた。中国は盗んだこれらの民間技術を大規模に軍事技術に転用している。

監視国家・中国
 中国は他に類を見ない監視国家を築いており、時に米国の技術の助けを借りて、ますます拡大し、侵略的になっている。2020年までに、中国の支配者たちは(ビッグデータやAIの技術を使って)人間生活の事実上全ての面を支配することを前提にした、いわゆる「社会的信用スコア」を導入、国民を監視下に置こうとしている。国内のキリスト教、イスラム教、仏教の弾圧も激しくなっている。

外国を支配下に置く借金漬け外交
 中国は今、アジアからアフリカ、ヨーロッパ、さらにはラテンアメリカ政府へのインフラローンに何十億ドルもの資金を提供している。その借金のために例えばスリランカは港の権利を中国に取られ、ベネズエラは500億ドル以上の債務を抱えて苦しんでいる。

アメリカ国内への巧妙な浸透と工作
 中国がアメリカの民主主義に干渉していることは間違いない。中国共産党は、米国企業、映画会社、大学、シンクタンク、ジャーナリスト、地方、州、連邦当局者に見返りの報酬を与えたり、支配したりしている。(中間選挙に関して)米国人の対中政策認識を変えるために、秘密工作員などを動員して米国内でプロパガンダ放送を流している。米国内の中国系ラジオやテレビも同様。また、アメリカのビジネスリーダーにもトランプの政策に反対するように働きかけている。これらは、我々の諜報機関が評価した事実である。

アメリカの軍事的優位を脅かす意図
 中国は現在、アジアの他の地域を合わせた軍事費とほぼ同額の資金を投じて、アメリカの陸、海、空、宇宙における軍事的優位を脅かす能力を第一目標としている。「軍国主義化する意図はない」と言いながら、南シナ海の人工島に高度な対艦ミサイルと対空ミサイルを配備した。しかし、我々は威圧されたり、撤退したりすることはない。

◆どうなる?米中競争の新時代
 ペンス副大統領の演説は50分。中国批判を展開しながら、「中国との関係が公平、相互、そして主権の尊重が基礎となるまで、我々は態度を緩めない」と締めくくった。中国に警告を与えるこうした姿勢は、今のアメリカ国内でも共感を持たれつつあり、この先のトランプ政権の基本姿勢になっていくものと思われる。100年に一度の大変化の中にある中国とアメリカの関係は、より緊張をはらんだものになっていくわけだが、この先これがどうなるかについては、フランスの思想家ジャック・アタリが面白い見方をしている(「新世界秩序」)ので、それを次回に書きたい。

科学技術立国の揺らぐ足元 18.11.5

 10月21日、「ミスター半導体」と呼ばれた元東北大学学長の西澤潤一さんが92歳で亡くなったという報に接し、若い頃に取材で西澤さんにお世話になったことを懐かしく思い出した。西澤さんは半導体や半導体レーザー、赤や緑の発光ダイオードなど、数々の独創的発明を行って一頃はノーベル賞候補として毎年のように注目された。36年前の1982年、私たちはNHK特集「技術大国の素顔」(3回シリーズ)の制作に取り組んでいた。私の担当は3回目の「破れるか模倣技術の壁」というもの。日本は海外生まれの技術を模倣して洗練する術には優れていても、自前の独創技術は少ないと見なされていた頃の問題提起である。

 当時の西澤さんは「戦う独創技術」などという本で紹介されてはいたが、まだちょっと変わった発明者扱いで、所長を務めていた半導体研究所(仙台)の運営がなかなか軌道に乗らずに苦労されていた頃である。仙台駅に降り、打ち合わせの寿司店に伺うと、西澤さんが入り口に立って待っていたので恐縮した。寿司をつまみながら、当時西澤さんが抱えていた光ファイバーの特許を巡る裁判について伺った。彼は半導体のみならず、光通信の原理についても世界でいち早く提案していたのだが、日本はそれを評価せず、高いカネを払って米国から技術を移入していた。それに対する公憤が彼を裁判に駆り立てていたのである。

 話が半導体研究所の運営に及ぶと、西澤さんは「これまで私は、3度ばかり首をつらなくてはならないと思ったことがありますよ」と言った。賛助企業の僅かな会費で特許の優先権を押さえられていた研究所は、特許を有効活用できずに度々財政難に陥った。「日本の企業は、外国でもやっていると言えば安心するけれど、外国にもない独創技術を育てるのに極端に慎重なのです」。私たちは、西澤さんの研究所に通いながらそこに眠っている沢山の特許証を撮影し、光ファイバーの独創技術を巡る日米の攻防を描いた。番組のカメラマンが「本物の人というのはこういう人を言うのだなあ」とつぶやいたのが印象に残っている。

◆年々低下する日本の科学技術力
 後に文化勲章まで受章する西澤さんは、一貫して日本が基礎研究に力を入れ独創技術を育てることの重要性を強調した。誰もやっていない研究をするのは、足がすくむものだという。それをやる天才に加えて、それを正しく評価する優れた評価法や人間(目利き)が必要になる。ともすると陥りがちな日本的減点主義を排して独創の本質を見抜いて育てること。それを目指さない限り、成功率0.6%(アメリカの場合)の独創技術は生まれない、というのが西澤さんの意見だった。これは、最近とみに研究開発の劣化が言われる日本の現状にも通じる警鐘と言っていい。

 今年ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑(たすく)さんを始め、近年のノーベル賞受賞者たちが口を揃えて言うのは「基礎研究の大切さ」である。その背景には、日本の科学技術のレベルが主要な外国に比べて目に見えて低下している現状がある。よく引き合いに出される「ほかの研究者からの引用数が世界トップ10%に入る論文数」で、日本は10年前の4位から9位に。アメリカ、中国に遠く及ばず、英国、ドイツ、フランス、イアタリア、カナダ、豪州などより下になっている。一体、日本の研究開発の現場で何が起きているのだろうか。

◆大学運営資金の減額による疲弊化
 日本の研究開発の現場が疲弊し、国際的にも低下を続けている要因は幾つもあげられているが、一つには小泉改革のもと竹中平蔵などが進めた「大学の法人化」(2005年)が大きい。大学に経営感覚を持たせる目的で大学に競争原理を持ち込み、交付金を減らす一方で、生産性の高い研究をさせて競争的資金を充てるものである。これで大学の運営交付金は年率1%ずつ減らされ、これまでに1470億円が減額された。競争的資金(1000億)が増えたと言うが、交付先は偏っており事務的作業も膨大になって、少しずつ国立大学の体力を奪って来た。資金集めに奔走する研究者の研究時間も1300時間(2002年)から900時間(2013年)に激減しているという。

 また、競争的資金の支給期間(3年から10年)に合わせて雇用も任期付きになるため、国立大学の教員(40歳未満)の63%が非正規雇用に甘んじている。博士号を取得しても大学の正規ポストに就けない、いわゆる「ポスドク」が増え、若い研究者たちは身分が不安定で腰を据えて研究が出来ない。あるいは、すぐにでも成果の出る研究に走りがちになって、基礎研究を目指す研究者がいなくなる。また、こうした不安定な現状を見て、研究職(博士号取得)を目指す若者が減っている。人口当たりの博士の数では日米中韓仏英独の7ヶ国の中で日本だけが減少している。

 加えて、これからは人口減で大学を目指す若者(18歳)が極端に減って行く。18歳人口は1992年の205万人をピークに減少に転じ、このところ120万人で推移していたが、今年から再び急速な減少になる。20年後の2038年には91万(ピーク時の4割)に減ってしまう。研究の担い手が減るばかりでなく、大学はこれから深刻な経営難に陥り、倒産や統廃合に追い込まれ、研究どころではなくなるかも知れない。以上のような憂慮すべき状況は「負の連鎖」(朝日社説10/15)ともいうべき構造的なものであり、科学技術立国を目指す政府の方針とは裏腹に、その足元は大きく揺らいでいる。

◆官邸が采配する「選択と集中」の悪影響
 こうした現状にメスを入れることをせずに、アベノミクスを掲げる安倍政権は「成長戦略の柱に科学技術を」と言って、別のアプローチから科学技術政策に力を入れてきた。その司令塔となるのが内閣府の諮問機関である「総合科学技術・イノベーション会議」(CSTI)で、成長戦略に結びつくような科学技術を探してきた。2014年からは、このCSTIの下に(これまであった)「戦略的イノベーション創造プログラム」や「革新的研究開発推進プロジェクト」と言った会議を置いて、それ通して「芽のある研究」にカネを配る体制をとって来た。

 このように内閣府のCSTIが科学研究予算の配分権まで持つようになると、そこに官邸や産業界の意向が強く反映されるようになった。そうした研究費配分の際に、都合のいい免罪符として官僚たちに使われて来たのが、「選択と集中」という言葉である。しかし、「選択と集中」を誰がやるかと言うことになれば、真の目利きは極めて少ない。その結果、「科学技術の現場がわかる人がいなくなり、(すぐに成果が出そうな)“出口志向の研究”ばかりやるようになった。今やCSTIは政治家が科学技術を牛耳るための装置として使われている」(旧科学技術庁OB)といった厳しい指摘もある。そういう中で、例の「省エネコンピュータ詐欺事件」のような政治家がらみの不祥事なども起きて来たのだろう。

 研究費全体が増えない中で、大学の運営資金を減らす代わりに競争的資金を設けるという考え方は、過度な競争と脱落者を生むだけで、研究者をいたずらに疲弊させる(オピニオン毎日1/12)。また、そうした資金を得る術に長けている東大などに研究費が集中して、大学間格差を広げる結果にもなった。選ばれて大型資金を得た研究者は保守的になり、成功体験の延長線上で研究しがちになり、結果として「ゼロからのスタート」といった独創的な研究が育ちにくくなる。まさに、西澤さんが40年ほど前に言っていた警鐘がそのまま今の日本に蔓延しているわけである。

◆科学技術の現状から隔てられている私たち
 定年後の一時期、私は日本の科学技術に資金を投じる政府系研究開発機関で働いたことがあるが、そこでの議論が閉鎖的なことに驚いたことがある。巨大なムラ社会のようで国民が置き去りにされている。AI、ゲノム編集、ビッグデータなど、これからの科学技術は人類の未来に大きな影響を与えるものが多い。その中で科学技術をどう進めていくのか。独創技術をどう育てていくのか。科学志望の若者を増やすためにも、本当は科学者と国民がよりオープンに議論し、ともに考えて行く環境を作ることこそが必要となってくるのだが、私たち国民は科学技術の現状から余りに遠く隔てられていると言わざるを得ない。

安倍政治への新たな対抗軸 18.10.24

 10月24日から12月10日まで、48日間の秋の臨時国会が始まった。補正予算や外国人就労者の拡大(入管難民法改正案)、来年10月予定の消費税増税についての審議に加えて、改憲の動きや今次内閣改造で大臣に就任した政治家のスキャンダルなども質疑される筈だ。野党の方は16日に党首会談して、安倍政権との対決姿勢や、来年の参院選挙での協力を確認し合ったという。数にものを言わせて、不誠実な国会対応を続ける安倍政権に対して野党がまとまるのは理の当然として、消費税増税や改憲について様々な温度差がある中で、果たして野党協力は力を発揮できるだろうか。

 野党が協力し合って数を増やし、政権へのチェック機能が強化されるのは歓迎だが、3年後に安倍が退陣した後はどうなるのか。野党はしきりに政権交代を訴えるが、単なる反安倍、非自民だけで政権の受け皿としてまとまって行けるのか。それでは仮に政権を獲っても、前の民主党のように結局バラバラになって行くのではないか。野党協力ももちろん大事だが、ここは一つ、安倍退陣の3年後、あるいは政権交代を目指す5年後を視野に、強権的な安倍政治に対抗する「新たな政治理念の確立と勢力の結集」を目指す方が早道ではないだろうか。そこで今回は、そのヒントになるようなことを書いてみたい。 

◆自民党に流れる2つの政治思想@自民党本流
 9月30日にアップしたコラム「安倍話法に見る虚構と本質」では、「自民党本流と保守本流」(田中秀正)を紹介しながら、今の自民党の中にある2つの政治的流れについて書いた。それは1955年(昭和30年の55年体制)に、当時の自由党と民主党が合同して自由民主党になった時から続く2つの流れである。
 その一つが旧民主党を率いた岸信介を源流とする(田中が言うところの)「自民党本流」である。岸は旧満州の植民地化政策を推進し、戦時日本の軍需政策を担い、戦犯として巣鴨拘置所に入ったいわゆるタカ派だが、その思想は今も「自民党本流」として、孫である安倍晋三らに受け継がれているとみる。

 その特徴は、先の戦争をやむを得なかったとする歴史認識、満州への進出を是とし、日本をアジアの盟主とする大国主義(大東亜共栄圏の正当化)、従って戦争を放棄する現行憲法の否定などである。これは安倍の思想的母体である思想集団「日本会議」とも共通する国家観であり、安倍は、そうした思想信条のもとに特定秘密保護法、集団的自衛権、共謀罪、そして改憲と言った一連の取り組みを推し進めてきた。現在、この思想的流れに属する政治家は与野党ともに多く、国会議員で構成される「日本会議国会議員懇談会」には、自民党の中枢が幹部を務めている(「日本会議の研究」を読む」16.6.25)。

◆もう一つの流れA保守本流
 これに対して、自民党の中にはもう一つの流れ、いわゆる「保守本流」がある。これは、旧自由党に属していた石橋湛山や鳩山一郎の思想的流れを受け継ぐもので、先の大戦までの国策を誤りとして反省する歴史観、従って現行の非戦憲法の尊重、言論の自由に対する格別の配慮、拡大主義や大国主義をとらない考え方などを特徴とする。
 田中秀正はその源流を石橋湛山に置く。石橋は戦前からジャーナリストとして軍部の満州進出を批判して「大日本主義の幻想」、「一切を棄つる覚悟」などの論陣を張り、日本は満州その他も棄て、小国主義でも世界の範として十分生きていけると主張した(「戦う石橋湛山」半藤一利)。

 戦後は、鳩山一郎の自由党に入って蔵相などを務め、自由民主党結成直後の首相にもなった(病で退陣)。彼らの思想は田中角栄、宮沢喜一、橋本龍太郎などのいわゆる「保守本流」(宏池会)に引き継がれて、戦後政治の一時代を画した。田中角栄などは「キミね、憲法なんか100年変えなくていいんだよ」、「日本は軍事大国を目指すべきではなく憲法9条を対外政策の根幹に据えること」と言って、中国との国交正常化を果たした。その「保守本流」の流れが今、安倍らの「自民党本流」の前に、影がすっかり薄くなっているわけである。

◆「枝野幸男、魂の3時間大演説」から
 自民党と社会党の2党からなる、いわゆる日本の「55年体制」は当時の冷戦構造の産物なのだから、冷戦が終結すれば自民党の中の2つの流れが一緒にいる理由はない、自民党は2つに分かれた方がすっきりすると田中秀正は言う。そのうち「保守本流」と一緒にやれる勢力として、田中の視野には旧民進党系のリベラルな勢力も入っているらしい。それを踏まえて言うと、今の野党の中に「私こそが保守本流だ」と言っている政治家がいるのが面白い。

 先の国会が最終日を迎えていた7月20日、野党は一致して安倍に対する内閣不信任案を提出し、立憲民主党の枝野が代表してその主旨説明に立った時の演説にそれがある(「枝野幸男、魂の3時間大演説」)。この時の演説は、記録に残る1972年以降で最長の2時間40分。枝野はメモ書きだけでこれだけの演説をしたわけだが、7項目にわたって安倍に対する不信任の理由を挙げた、なかなかに内容のあるものになっている。
 その中に「保守の本質とは何か」という部分がある。保守の概念が急進過激なフランス革命の反省に起因したことをあげ、人間は不完全で過ちを犯すものだという認識を踏まえて謙虚な姿勢で政治を行うこと。自らを省みながら一歩ずつ世の中をよくしていくのが、保守の本質だと枝野は言う。 

 そして、急進的な理想に邁進するのではなく、立憲主義を踏まえながら一歩ずつ改善していくのが真の保守であり、どんな権力も憲法というルールに基づいて運用されなければならないと説く。その上で、カジノなどは日本の伝統を壊すものだと批判し、返す刀で「私こそが保守本流である」と述べている。確かに戦争を反省する歴史観、非戦憲法の遵守、大国主義の放棄など保守本流の政治姿勢は今の立憲民主党ともかぶってくる。本当に右翼的な「自民党保守」に対抗するには、こうした政治勢力が一つにまとまることが必要になる筈だ。

◆保守本流とリベラルの連携
 ただし、ここで一つ引っかかることがある。それは「リベラルとは何か」と言うことである。枝野はどこかで「私はリベラル保守」とも言っているが、それはどういうことなのだろう。リベラルとは社会的多様性に基づいた自由平等な社会を言うのだろうが、これと保守とは微妙なずれがある。私見で言えば、保守がしばしば社会を動かす層(企業や既得権益層)に重きを置くのに対して、リベラルはむしろ労働者、生活者、マイノリティー、社会的弱者に寄り添う。

 田中秀正(写真)は、リベラルは自国のナショナリズムの抑制にはいいが、他国からの攻勢に弱いと言うが、それはどうだろうか。もちろん今の国際情勢は緊張をはらんだものだが、それを睨んだ上で私は、ほんらい平和志向の保守本流が、安倍の後継者たちの国家主義的な勢力に対抗するには、リベラルをも抱え込んで行くべきだと思う。田中も本の最後では、「リベラルな主張に真剣に耳を傾ける保守の出現が切望されている」と書いているが、そこに未来の展望が見えてくるかも知れない。

 そうすると、日本の政治はざっくりと、国家主義的な超保守、平和主義の保守本流、市民や社会的弱者を代表するリベラルに分かれる。その上で、保守本流が政権を担う勢力にまとまり、社会的弱者を代表するリベラル勢力と連携しながら政治を行っていく構図が見えてくる。安倍は首相引退後も自分の後継者として国家主義的な加藤勝信や稲田朋美などを育てようと目論んでいるが、こうした自民党本流への対抗軸を作るためには、保守本流もバラバラな野党も少し長期的な視野で考えて行く必要がありそうだ。

メガシフト@車が変わる日 18.10.10

 かれこれ半世紀前になるが、未来学者のアルビン・トフラー(1928−2016)は「未来の衝撃」(1970年)という本を出版した。様々な分野での急激な変化を予測し、その大変化に私たちの社会がついていけるのか、その衝撃を乗り超えられるかという警鐘をならした。まだインターネットも現れていない時代に、高度情報網の出現やバイオテクノロジーの影響、そしてモノに関しての使い捨てやレンタル時代、携帯できる娯楽機器の出現などを予測したわけだが、当たっていることも外れたことも含めて、この半世紀、人類はかつてない変化を経験してきたことは間違いない。

 それから半世紀。私たちは再び、これまでの変化がむしろ平坦だったようにさえ感じられる「大変革の時代」を迎えようとしている。人工知能(AI)が社会の隅々に取り込まれる時代、遺伝子編集(ゲノム編集)技術が人間も含めた生命に適用される時代、モノとモノがインターンネットでつながり、その膨大な情報が様々な分野で新たな価値を生み出すビッグデータの時代。そして今年生まれた新生児の半分が100歳を迎えるような「人生100年時代」の医療の大変革。さらには、私たちの住む地球環境を取り巻く温暖化やプラスチックの問題などなど。これまで折に触れ取り上げてきたテーマでもある。

 そうした巨大な変化を仮に「メガシフト」(100年に一度の大変革)と呼ぶとすれば、自動車産業もまたその「メガシフト」の入り口にあり、生き残りをかけて、ものすごいスピードの模索が始まっている。その模索とはどういうものか。その結果、移動手段としての車はどうなっていくのか。また、そうした大変革の中で「自動車会社」は、この先どう生き延びていくのか。車については、(運転も出来ない)全くの門外漢だが、最近話題になったトヨタとソフトバンクとの提携話や、新書「自動車会社が消える日」などをもとに、「メガシフト」の一例としての「車が変わる日」を概観してみたい。

◆スマホ化とロボット化する車
 今月4日、トヨタとソフトバンクは自動運転などを活用した移動サービス分野で提携する新会社「モネ・テクノロジーズ」を共同で設立すると発表した。出資比率はソフトバンクが50.25%、トヨタが49.75%。ソフトバンクが優位だが、それだけトヨタはソフトバンクが持つ通信技術の先見性を買ったということだろう。これからの車は、車載のコンピュータがネットワークにつながり、車の操縦ソフトをスマホのように更新したり、ユーザー同士の車が渋滞情報や危険個所の情報を交換して知らせあったりするようになるという。インターネットを介してネットワーク化されるこうした車を「コネクティッドカー」と呼ぶが、ソフトバンクはそうしたネットワーク技術で先行する。

 また、来るべき自動運転技術においても、世界の自動車会社は今一気に、(人間が全く手を出さない)レベル4の自動運転の実現に向けて驀進しており、フォード(米)などは、2021年までにハンドルもアクセルもない完全自動化の車を発表するとしている。それには、車が感知する膨大なデータを瞬時に処理し、人間を介さない的確な運転を可能にする高速、大容量のインターネットの次世代移動通信技術(5G)が欠かせない。つまり、車は簡単に言えば「スマホ化(コネクティッドカー)」と「ロボット化(自動運転)」に向けてしのぎを削っているわけで、これに乗り遅れるとPCや携帯分野で日本のメーカーがガラパゴス化したような悲惨な運命が待っているという。 

◆車の未来を決定する技術とビジネス展開イメージ
 未来の車を決定づける「インターネット接続、自動運転、シェアリング(後述)、電動化」といった技術は、頭文字をとって「CASE」と呼ばれるが、そのうちの自動運転一つとっても、実に様々な先端技術が必要になって来る。例えば、車載カメラが捉えた膨大な映像情報を処理する画像処理、それらを状況に応じて判断する人工知能(AI)、情報を高速処理する半導体、そして三次元地図などの技術である。これらは今や、とても一社で開発できる技術ではなくなっており、業種を超えた連携が既に始まっている。

 同時に、こうした技術で可能になる自動運転車やコネクティッドカーをどのように未来の社会に生かして行くかという模索も始まっている。トヨタとソフトバンクの新会社が模索していることでもあるが、それが新たなモビリティー(移動)社会への提案になる。例えば、過疎地への自動販売車や医療サポート、自治体と連携した自動運転バスや配車サービス。あるいは、ライドシェアと呼ばれる乗合自動車の配車など。自動車会社は車を販売するだけでなく、移動に関わるサービス全体を扱う企業、「プラットフォーマー」を目指している。

 もちろん、インターネットの発達が(これまでになかった)新たなビジネスを生みだしたように、何千万という車が集めるビッグデータを生かす「未来のビジネス」も視野に入っているに違いない。こうして自動車会社が大変革を迫られる中では、生産体系も(コンピュータ上で設計を完結する)「バーチャルエンジニアリング」を採用するなど、大きく変わらざるを得ない。しかし、「自動車会社が消える日」の著者井上久男は、こうした大変化に対して日本のメーカーは旧来のモノつくりの発想(現地現物主義)を捨てきれず、アメリカやドイツに大きく出遅れているという。この先、自動車会社はどう生き延びていくのか。

◆国と業種を超えた合従連衡が始まっている
 今、世界の自動車会社は巨額の資金を投じて国を超えて、同じ自動車会社との提携による規模拡大、あるいは異業種の通信会社やAI関連会社などとの提携を競っている。トヨタは年明け以降、アマゾン(米)、ライドシェア会社のグラブ(東南アジア)、ウーバー(米)などと提携。一方のソフトバンクは、これらの他に滴滴出行(中国)などのライドシェア会社に1千億規模を出資。昨年には、(モノとモノをつなぐインターネット研究で最先端を行く)イギリスのARM・ホールディングスを3.3兆円で買収した。

 一方で、これまで特定の自動車会社に従属していた部品メーカーも大規模な再編に乗り出しており、最先端技術を持ったコンチネンタル(独)などは、世界で2千万台規模への部品供給会社を目指している。それだけ、巨額の投資をしないと新しい技術開発ができず、それで世界標準を手にしようとすればするほど、会社は規模拡大に走ることになる。こうした中で、自動車会社と部品メーカーとの立場も変わってきており、1千万台規模のトヨタや日産グループ、フォルクスワーゲンなども企業合併と連携でさらに台数を増やし、2千万台規模の部品メーカーとWinWinの関係を築こうとしている。

◆資本主義はどこに向かうか
 100年に一度の大変革とは言え、それに適応して行くのは大変である。一方でふと思うのは、企業が国を超えて合従連衡する、この多国籍化と大規模化の時代状況をどう理解したらいいのだろうかということである。トヨタもそうだが、ソフトバンクも国の基幹産業として国から相当な支援を受けつつビジネスを有利に展開し、その結果の巨額の利益を世界各国に投資している。(7日に放送されたNスペ「マネー・ワールド〜資本主義の未来〜」ではないが)この先、資本主義と国の関係はどこに向かうのだろうか。

 技術革新の成果が社会に役立つのであればいいようなものだが、その利益は果たして従業員に適切に還元されているのだろうか。あるいは通信費や車の価格は適正なのか。儲けすぎではないのだろうか。蚊帳の外から100年に一度の大変革を見ているしかない立場だが、消費者の一員として企業利益の行方にもそれなりの関心を持っていくべき時代なのかもしれない。

安倍話法に見る虚構と本質 18.9.30

 9月20日に開票された自民党総裁選は、安倍553票、石破254票という結果に終わった。雪崩を打って勝ち馬に乗った国会議員の一方的な比率(安倍71%)に比べて、しがらみのより少ない地方党員票が安倍224票、石破181票と分かれた理由は、安倍一強のおごりや不誠実な政治姿勢に対する批判とされる。これを「地方の反乱」(自民党幹部)と書いたメディアもあったが、こうした批判や不満、あるいは石破への期待が今後の政権運営にどう響くのか。政治の一寸先は闇だから、それを今から云々しても始まらないが、いずれにしても私たちは(何もなければ)あと3年、再び安倍と麻生のA-A独裁体制を見続けることになる。

 当選後の記者会見で安倍は、「国難とも呼ぶべき少子高齢化に立ち向かい、激動する国際情勢の荒波に立ち向かっていく。そして、70年以上一度も実現してこなかった憲法改正にいよいよ挑戦し、平成の、その先の時代に向かって、新しい国創りに挑んでまいります」と述べたが、彼の言う「新しい国」とは具体的にどんな国なのか。私たちはこれまで、「世界の真ん中で輝く」とか「美しい瑞穂の国」などという抽象的な言い方を聞かされるだけで、彼から具体的にその内容を聞いたことがない。果たして彼の頭の中には、確とした国家像があるのだろうか。

◆スピーチライターが多用する格調ある虚構
 こうした記者会見での演説にしろ、総裁選に立候補したときの演説にしろ、いずれも一種独特のトーンを持っていることに気づく。それらは、今では有名になったスピーチライターの谷口智彦(内閣官房参与)が書いたものだろうが(*)、優秀なライターだけにその都度世に蔓延する批判に対しては「謙虚に誠実に丁寧に」という言葉と若干の「反省のことば」でかわしながら、強調するのは様々な都合のいいデータをかき集めて描く安倍政権の成功物語である。それは、根拠を点検すればかなり怪しげな数字の一面的な強調、いわばある種の虚構にすぎない。*)佐伯耕三総理秘書官の時もある

 スピーチライターの谷口は、安倍の思想を十分忖度しながら書いているとはいうが、その言葉はライター独特の格好のいい「言い回し」がちりばめられていて、生身の人間ドラマが基調の政治の世界にはどこかなじまない。もちろん歴史的には、ヒトラーと対峙したチャーチルや、亡命先で故国を救うと宣言したドゴールのように、歴史を背負った「格調の高さ」が人々を鼓舞したこともあったが、安倍のスピーチライターたちが描く世界は、都合の悪いことはさっぱりと忘れた綺麗事の言葉が連なっていて、どこか空々しい。

 当然のことに安倍も演説に手を入れたり、直させたりしているのだろうが、スピーチライターが書いた綺麗事の演説を何度も繰り返しているうちに、安倍自身の思考も心理も、そうした虚構の物語に染まって来ているのではないか。草稿を読み上げる安倍の演説がどこか作り事めいているのはそういうところから来ているのだろうし、さらに言えば、安倍自身もそうした虚構に基づいて自己像を作り上げている感がある。そして、それによって生まれるのは、つねに自分を賛美する取り巻きに囲まれて、都合のいいことしか耳に入らない権力者が往々にして陥る“万能感”に違いない。 

 谷口の本(「安倍晋三の真実」)によれば、安倍は安保法制が国会を通過した夜、自宅でプッチーニの「トゥーランドット」を大音量でかけながら葉巻を燻らせたのだという。そこにあったのは、自分を歴史上の偉大な政治家(例えば祖父の岸信介)と重ね合わせる心情ではなかったか。ただし、それは虚構の物語に自分を同調させている時だけであって、いざ石破などの対抗者や野党、メディアから都合の悪い事実を指摘される時になると途端に訳の分からない、いわゆる「安倍語」を早口でまくし立てるのが、安倍の未熟な実像でもある。

◆饒舌で虚しき安倍語の背後にあるものは?
 例えばTBSニュース23でキャスター(星浩)から、加計理事長と食事やゴルフを繰り返していたことの是非を問われた安倍は、「ゴルフに偏見を持っておられると思います。今、オリンピックの種目になっていますから。ゴルフがダメで、テニスならいいのか、将棋はいいのか、ということなんだろうと思いますよ」と訳の分からない反論をまくしたてる。
 こうしたはぐらかしは、メディアによって「虚しき安倍語」(毎日6/20)とか、「信号無視話法」(朝日6/20)、「核心をはぐらかす虚構の言語」(柳田邦男、毎日5/27)などと言われる安倍話法の特徴だ。最近では「朝ご飯食べた?」と聞かれて「ご飯(白米)は食べていない。(ただし、パンは食べた)」とはぐらかす「ご飯論法」(上西充子、法政大学教授)などと揶揄されている。

 また、総裁選で報道ステーションに出演し石破と論争したときのこと。何故自衛隊を明記するためだけに憲法を改正するのか聞かれた安倍は、「うちのお父さんが勤める自衛隊は憲法違反なんだって、と子どもが聞くような状況が続いていいのか」と言って、石破から「今どき、自衛隊についてそんなことを言う人は誰もいない」と一蹴されていたが、国の最も基本になる憲法の理念についてこんな理由しか示せないところに、安倍の未熟さが現れている。そんな理由なら自衛隊についての国民アンケートをやる方が、国民投票するより余程簡単ではないか。

 これなどは、スピーチライターを離れると安倍が如何に幼稚な発信しか出来ないかの一例だが、こうした論点ずらしや饒舌な弁解を聞きながら強く感じるのは、そうした言葉の裏側で「自分はもっと他のことを考えているのだ」という感じが見え隠れしていることである。彼にとって目の前の議論などはゲームにすぎず、自分はもっと崇高な理念に生きているという密かな自負があるに違いない。それは、スピーチライターたちが折に触れ書いてきた虚構の物語とも関係しているのだが、その背後にある本質こそ、安倍たちが表だって表明しにくい「ある思想」なのである。

◆「自民党本流」。A-A独裁体制の思想的根拠
 そのことを分かりやすく解き明かした本が「自民党本流と保守本流」(田中秀正)である。この中で田中は、今の自民党を形成している2つの保守の流れを取り上げて区別している。その一つ、今の安倍一強体制を作っているのは安倍の祖父の岸信介を源流とする「自民党本流」だ。その特徴は、先の戦争をやむを得なかったとする歴史認識、日本が目指したアジアの指導者(大東亜共栄圏の思想)の正当化、従って戦争を放棄する現行憲法の否定、満州への進出を是とする大国主義などである。これは安倍の思想的母体である「日本会議」とも共通する国家観である。

 こうした自民党保守への思想的共感が、安倍の一連の国家主義的法案を推進する原動力になってきたに違いないが、安倍は手始めの改憲以外にこの思想を取り立てて表明すること避けている。それは、今の安倍一強体制を作る自民党保守の暗黙の了解事項であり、彼らが野党やメディアの批判に対して「言っても分からない奴ら」と無視する根拠ともなっている。こうした極右的思想や国家観について、(折に触れて極右が代弁するだけで)安倍たちが具体的に口にすることは殆どないのは、それが戦後の民主主義的基盤を脅かすものだからである。

 それに対し、自民党の中には(田中が尊敬する)石橋湛山や鳩山一郎、田中角栄、宮沢喜一などのいわゆる「保守本流」(宏池会)があった。彼らの特徴は、先の大戦までの国策を誤りとして反省する歴史観、現行の非戦憲法の尊重、言論の自由に対する格別の配慮、膨張拡大主義、大国主義の排除などである。田中秀正は、今は安倍たち自民党本流に圧迫されている保守本流だが、冷戦が終わった今、自民党本流と一緒にいる理由が失われたのだから時期を見て分かれるべきと説く。私もその方がA-A独裁体制の本質がより明確になっていいと思うのだが、この辺の事情については複雑、かつ長くなるので別途取り上げたい。

福島で何が起きているか 18.9.19

 福島第一原発(F1)の大事故が起きてから7年半が経過した。この間、国と東電は膨大な費用を掛けてこの大事故の後始末に取り組んできたが、その歩みは遅々としている。事故が起きた1号機から3号機については、その中がどのように破壊されているのか、どこに穴が空いているのか、高温の核燃料によって溶かされた炉内構造物と燃料との融合体(燃料デブリ)がどのようになっているのか、まだ殆ど分かっていない。もちろん、これをどう取り出すのか、取り出せるのかも不明だ。汚染物質が取り除かれない限り、また、格納容器の穴を塞がない限り、流入する地下水と注入する冷却水によって日々汚染水が増え続ける。

◆福島は核利用の恐ろしさを考えて行く原点
 現在、敷地一杯に増え続けている汚染水タンクをどうするのかも差し迫った問題だ。この汚染水をどうするのか。30年で8兆円の廃炉作業費、そして賠償なども入れると21.5兆円(年間7千億超)と見込まれている事故処理費はこれ以上増えないのか。また、避難していた住民は除染によって戻ってくるのか。生活は再建されるのか。東電幹部を相手取った裁判の行方はどうなるか。さらに言えば、この大事故がどのようにして起きたのかさえ未解明の部分が多く、これが解明されない限り原発の安全には重大な疑問符がついている。

 福島原発事故はこれから半世紀以上、廃棄物の管理に至っては未来永劫にわたって国民が抱えていく負の遺産である。広島、長崎、沖縄が戦争と平和の大切さを考えて行く時の原点であるように、福島原発事故は核物質の恐ろしさと、二度とこのような厄災を引き起こさないためにどうするかを考える“原点”になる。ただし、これはただ漠然と思っていただけでは分からない。その全体を具体的に見続けることが大事になってくる。今回はその意味での情報のせき止めだが、上記のように問題が多岐にわたっているので、できるだけ絞って書いておきたい。 

◆増え続ける汚染水をどうするのか
 前にも書いたが(「フクシマ、今そこにある危機(2)」13.8.22)、F1はかつて川が流れていた場所に建っているために、地下水が多い。事故後はその地下水が建屋内に流入し汚染物質に触れて、高濃度の汚染水となるために、流入する地下水をどう減らすか、また汚染された水をどう浄化するかが難問だった。東電側はまず、建屋の上流に掘った40本の井戸で地下水をくみ上げて海に迂回させると同時に、世界初の試みでその流入を防ごうとした。それが凍土遮水壁と呼ばれるものである。

 1568本の凍結管を地下30メートルまで打ち込み、1〜4号機の建屋を周囲1.5キロにわたってぐるりと取り囲む。そこにマイナス30度の冷却液を循環させて周囲を凍らせ、氷の壁で地下水の流入を防ぐ。これだけの規模は世界初の試みだった。延べ26万人、総工費345億円(税金)を掛けた壁は去年の11月に氷結が完成したが、その結果、(いろいろデータが錯綜していて正確なことは分からないが)凍結前には490トンだった建屋内への流入量が一時期93トンに減った(ただし、現在は1日100〜150トンの汚染水が発生しているらしい)。 

 これは、井戸の組み上げ効果と遮水壁の効果を合わせたもので、遮水壁だけの地下水削減効果は1日95トンだという。原子炉建屋には様々なパイプが外部とつながっており、遮水壁では十分塞ぐことは出来ないのだ。また、台風などの大雨の時は流入量が1日1000トンにも急増する(朝日3/2)。鳴り物入りで作られた遮水壁も思ったような効果は見えず、ないよりはあった方がましだが、これでも年間十数億円の維持費がかかる。やはり格納容器の穴を塞がない限り、漏れ出た冷却水と地下水とが混じって汚染水は何十年にわたって出続けることになる。

◆トリチウムを含んだ汚染水を放出できるか
 原子炉建屋に流入した高濃度の汚染水は放射性セシウムを除去したあと、ALPSという高性能フィルターの入った吸着装置で62種類の放射性物質(核種)を取り除いてからタンクに貯蔵される。ただし、今問題になっている放射性物質のトリチウム(三重水素)は水と殆ど同性質なので除去できない。その汚染水は現在92万トン、900基のタンクに溜まり続けている。地下水の流入が続いているので巨大なタンクも増え続け、敷地は2020年末までに満杯になってしまう計算だ。これをどうするのかが、当面最大の難問になっている

 汚染水に含まれるトリチウムは半減期12.3年。外部被曝の点では漏れるベータ線のエネルギーが低く皮膚を透過することはなく、体内に入っても水と同じように排泄されるので蓄積されない。最も影響の少ない放射性核種の一つ(ウィキペディア)と言われ私もそう思って来たが、これにも様々な異論がある。東電と国側は海洋放出を考えており、第一回の有識者会議による公聴会(8/30)を福島県で開いて住民の意見を聞いたが、風評被害の再燃を恐れて殆どが反対意見だった。さらに機序はよく分からないが、トリチウムによるDNA損傷を指摘する意見もあり、この汚染水問題も先行きは見えていない。

◆原子炉内の状況はどこまで分かったのか
 事故で損傷した1号機〜3号機についてはロボットを何度も投入、失敗と放棄を繰り返しながら内部の様子を把握しようとしてきた。そのうち、最も解明が進んでいる2号機については、今年1月に作業用配管からカメラ付きのパイプを挿入して底の核燃料デブリらしきものを撮影。それは小石状や粘土状のもので広範囲に広がっていた。国と東電はこのデブリが動かせるかどうかなど、3年後の取り出しに向けてさらに調査を進めるとしている。一方、水蒸気爆発のあった1号機は内部が確認できておらず、3号機も水中にあるデブリらしきものを確認したが、水深が6メートルもあるので実態はよく分かっていない。

 これが事故後7年半経った状況である。いずれも高温の核燃料が周囲の部材まで溶融して、塊になって圧力容器を突き破り格納容器の底に落ちた。その時に水と反応して広範囲に飛び散っているとみられるが、これが鋼鉄のような塊だと、剥がしたり切り出したりするのに多大な労力がいる。水が漏れ出している格納容器の穴も分からない。廃炉費用8兆円は、これ程ひどい損傷でなかったスリーマイル島原発の例をもとにはじき出されたものだが、時間と費用がさらに増えることが懸念されている。まもなく9月には新しい工程表が発表される予定だが、手探り状態が続いている。 

◆メディアの持続的、具体的な取り組みを期待
 問題はこの他にも沢山ある。例えば、F1では1日当たり5000人の労働者が働いているが、要員の確保は大丈夫なのか。汚染がひどいところでは小刻みの時間管理と線量管理の下で緊張した作業が続いている。中には、慣れない外国人労働者もかき集められているという(17.3.14毎日、記者の目)。この先、東電は事故の原発も含め10基の原子炉を平行して廃炉にして行くわけだが、費用はもちろん、技術開発、人材育成、人材確保など「廃炉時代の現実」に直面することになる。さらには、低レベル放射線の影響調査、住民の帰還、裁判の行方など、取り上げるべきテーマは多い。

 また、そもそも事故がどういう経過をたどって、それがデブリの発生にどう影響したのかも多くは未解明だ。NHKは事故後、Nスペ「メルトダウン」シリーズ、「廃炉への道」シリーズで、この国民的「負の遺産」の経過を持続的に追って来た。今年も3月には、Nスペ「被爆の森2018」で地道な環境影響調査を追い続け、秀作「福島タイムラプス」で、地元民の揺れる心情を丁寧に描いてきた。福島原発事故から7年半、日本が滅亡の淵を覗いた原発重大事故の経験を生かし、二度と過ちを繰り返さないためには「原点」の全体像を持続的、具体的に見ていく必要がある。メディアの踏ん張りを期待したい。

行き詰まる原子力行政と原発 18.9.9

 日本列島が台風や地震に見舞われる中、久しぶりに原発について書こうと思い最近の出来事を切り抜いた「原子力行政」、「原発再稼働」、「福島事故関連」などのファイルを精読してみた。そこでつくづく感じるのは、日本の原子力政策が世界のエネルギー状況から大きく取り残されいること。「原発はやめられない」という呪縛に囚われたまま、矛盾に満ちた政策をダラダラと続けて、そのための莫大な費用を電力料金や税金として国民から巻き上げ続けていることだ。これは、日経新聞が「思考停止が招く危機」(6/18-20)として特集するほどの異常な状況である。

 例えば、余剰のプルトニウムを持てあます「核燃料サイクル」。不可能を承知で虚構の数字を並べる「原発比率」。膨大な放射性廃棄物の捨て場がない「廃炉時代の現実」。政府、原子力規制委員会、さらに司法もが判断を放棄している「原発の安全問題」。こう並べただけで、一旦重大事故が起これば国家の存亡に関わる原発に関して、戦後70年以上経った今も(戦前と同じような)無責任の体系が続いていることに暗澹とする。福島原発事故の後始末については次回にまわすとして、今回は最近の日本の原子力行政が抱える問題をせき止めておきたい。

◆プルトニウムと核燃料サイクルの呪縛
 内閣府の原子力委員会は7月、福島事故後7年半ぶりに原子力白書(2017年度版)を閣議に提出した。この中で、「現在日本が保有する47トン(原爆6000発分)のプルトニウムを”長期的に”削減していく」と明記した。削減を迫るアメリカとの原子力協定を延長するためだ。しかし、プルトニウムを使って発電する高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉が決定した今、その削減は事実上不可能である。唯一の方法は普通の原子炉でウランと混ぜて「MOX燃料」として燃やすプルサーマル発電だが、それが出来る原発は現在4基しか稼働しておらず、年に2トン減らすのが関の山だ。

 しかも、政府が諦めない六ヶ所村の使用済み燃料の再処理工場が完成して稼働を始めれば、年に最大8トンものプルトニウムが新たに増えてしまう。これをMOX燃料で消費するには、16基から18基のプルサーマル原発の再稼働が必要なのだが、今の状況ではとても現実的とは思えない。原子力委員会は辻褄を合わせるために、再処理工場の操業を制限するとしているが、それなら何のために2兆9500億円(2017年まで)もかけて大規模な再処理工場を建設するのか。それも事故続きでいつまで経っても完成しない金食い虫の工場を。

 この再処理工場と、1兆1300億円の建設費と30年で4000億円近い廃炉費用がかかる「もんじゅ」が、日本の核燃料サイクルの要(かなめ)だったが、いずれも税金の無駄使いで終わるだろう。47トンのプルトニウムについては以前のコラム、「プルトニウムの呪縛を解け」(16.10.26)で、アメリカに引き取って貰えと書いたが、現在は英国が引き取りを提案しているという(8/1朝日)。そうすれば、プルトニウムの問題も片付く上に、金食い虫で無理筋の核燃料サイクルに固執する理由もなくなるはずだ。しかし、誰も責任を取りたくなくて決められない状況が続いているのである。

◆虚構の数字(原発比率)を並べるエネルギー基本計画
 今年の「エネルギー基本計画」を議論する有識者会議で、会長の坂根正弘(コマツ相談役で経団連副会長)は、「原子力から逃げるな!」と原発の新増設に及び腰の事務方(資源エネルギー庁)に怒ったという。しかし、5月にまとまった計画では2030年度の電力比率で、再生可能エネルギーを主要電源(22〜24%)とする一方で、原子力は重要なベースロード電源(20〜22%)とする表現を据え置いた。いくら坂根が怒っても、新増設をしないまま原発で20〜22%を確保するのは全く非現実的。計画の数字そのものが無意味なのだ。

 現在稼働中の原発は僅かに8基で発電量は2%に満たない。福島事故以後に廃炉が決まった原発も19基ある。それなのに、虚構の原発比率に固執している間に、日本は世界の脱原発、脱炭素の潮流から大きく立ち遅れている。既に太陽光発電は欧州でキロワットあたり10円と原子力より安くなり、(以前は数千億円だった)原発の建設費が今や1基1兆円に増大した現在では、原子力の経済有利性はなくなっている。いつまでも脱原発を決断出来ずに、ダラダラと無駄に莫大な資金を原子力につぎ込んでいるうちに、再生可能エネルギーの技術開発が遅れ、日本は世界から取り残されて行く。私に言わせれば「脱原発から逃げるな」である。

◆廃炉時代の現実に向き合う時に
 東電は6月、事故があった福島第一原発(全6基)に加えて第2原発の4基も廃炉にすることを決定した。これで福島の原発は全て廃炉になる。また、既に廃炉を決めた伊方原発2号機なども含めると、日本では18基の原発が廃炉となり、日本は「本格的な廃炉時代」を迎えることになる。東電などは、福島原発の事故処理を含めて10基の廃炉作業を並行して進めていくことになるが、事故を起こした1号機から3号機は別格として、1基あたり30年から40年、2800億円もかかる息の長い廃炉作業は果たして、うまく行くのだろうか。

 廃炉作業には様々な難関が待ち受けている。一つは、廃炉によって発生する膨大な量の放射性廃棄物だ。110万キロワットの原発1基を解体すると、1万トン超になる。このうち、制御棒などは地下70メートルに300年から400年保管し、その後国が10万年!管理する事になっているが、低レベルの廃棄物も含めてこれらを何処に埋めるのか、処分地が全く決まっていないのだ。資金はもちろん、廃炉に必要な技術の開発や人材の育成、労働力の確保の問題もある。本格的な廃炉時代に入るというのに、この現実に真剣に向き合わない限り、日本の原発は廃炉の段階でも行き詰まることになる。

◆再稼働の矛盾を象徴的に抱える東海第2原発
 原子力規制委員会は7月、間もなく運転開始40年を迎える東海第2原発について、新規制基準に適合すると認めた。福島で事故を起こした沸騰水型と同タイプの老朽化した原発を「40年ルール」を超えて再稼働する道が辛うじて開けたことになる。しかし、この東海第2原発は再稼働までに様々な難問を抱えている。第1に再稼働が認められた他の原発と同様、基準に適合したと言っても、それで安全が確保されたことにはならないということ。4年前のコラム「安全規制が世界一の実態」にも書いたように、新規性基準は安全を保証するものではなく、守るべき最低基準といったものだからだ。

 特に、原発の安全性を確保する「5層の防護」の考えのうち事故時の避難計画については、海外(アメリカ)では避難計画の策定、避難訓練の実施を稼働の条件としているのに対し、日本は根本的に遅れている。東海第2の場合、避難計画の対象(30キロ圏)には14市町村があり96万人が居住する。その避難計画は一向に進まず、まして訓練も行われていない。首都圏に近い老朽原発が事故を起こせば甚大なる脅威が発生することを考えれば、今回の駆け込み認定は甘すぎる。
 さらに、これから必要な安全工事費も1700億円以上かかり、この資金調達策にも(何故、国にやっと支えて貰っている東電が支援するのかといった)疑問が投げかけられている。東海第2は再稼働に当たって周辺5市との事前了解を必要とする安全協定が原電との間で結ばれているが、この「茨城方式」が守られるかどうかもはっきりしない。以上を客観的に見れば、東海第2の再稼働問題は原発問題の矛盾の象徴とも言える。

 日本の原子力行政と原発は殆ど先の見えない行き詰まり状態になっている。それにも拘わらず、大事故が起こるか、資金や技術や労働力でお手上げになるまで誰も決断しないという思考停止と無責任状態が続いているわけである。この状況を打破するために何が必要なのかを、私たちも真剣に模索して行かなければ未来は見えて来ない。(次回は「福島で何が起きているのか」)

人口減少・衝撃の未来図から 18.8.30

 昔から人口は最も予測が確実な統計と言われ、これから起きる問題(特に経済面)の大半は人口問題から引き起こされると言っていい。戦後日本のめざましい高度経済成長も裏を返せば、右肩上がりに伸びていった日本の人口増によるものだった(「デフレの正体」藻谷浩介)。そして今、迫り来る大問題が少子高齢化による人口減少である。これに対して藻谷は、「生産性さえ上げれば補えるという思い込みが対策を遅らせる」と指摘しているが、首相は「人口減でも生産性が上がれば経済成長は可能」とか、「人口動態(人口減)には全く懸念を持っていない(2016、米国講演)」などと脳天気な発言を繰り返している。

 こうした勘違いを糺す意味でも、人口減少が引き起こす未来図を描く「シミュレーション番組」を期待したいところだがどうだろう。人口動態予測をもとに、各世代の男女別動態、子ども世代や高齢者の動態、地域別人口の動態、経済成長、さらには社会保障費(医療と介護費)の予測、教育機関の需給、空き家率予測、各種インフラの更新、そして認知症患者数の予測にまで落とし込む。数字の羅列だけではなかなか実感できないので、(専門家を動員して)そうした予測が日常生活に引き起こす様々な問題を実感できるようにドラマ部分も取り入れて描く。影響が多岐にわたるので一回で片付くとは思わないが、そうした試みは可能だろうか。 

◆100年後のことではなく、子供たちが生きている間に
 人口減少の衝撃が世の中に走ったのは、4年前(2014年)の5月。「日本創世会議」(増田寛也座長)が、2040年には日本の市町村のやく半分(896)が「消滅可能性都市」になるという近未来予測を発表したのが一つのきっかけだった(*)。それ以来、安倍政権は「50年後の人口1億、希望出産率1.8」を目標に掲げ、鳴り物入りで「地方創生」を打ち上げたが、実効は殆ど上がっていない。メディア(新聞各紙)は安倍政権の危機感のなさをたびたび指摘して来たが、最近ではより具体的な研究成果を示して警鐘を鳴らしている。*(「縮む日本の現実を直視せよ」14.11.20)

 例えば人口予測である。今の人口を維持するには出生率2.08以上が必要だが、現在は1.45で、これが上向く気配がない。このまま行くと35年後の2053年には(今より2700万人も減って)1億を切り、40年後にはさらにスピードが上がって毎年100万人(和歌山県と同じ)が減って行く。50年後には8000万人台、100年後には5000万人前後にまで落ち込む。もちろん、今から50年といった近未来の間にも様々な衝撃波が押し寄せて来て、今年73歳の私もだが、まもなく2歳になる孫のK君などは、一生の問題としてこれに直面し続けなければならなくなる。決して他人事ではない。以下は少しずつ見えて来た衝撃の未来図だ。

@   2025年(今から7年後)
 団塊の世代全てが75歳以上の後期高齢者になる。これは「2025問題」と呼ばれ社会に様々な影響を投げかける。この層の医療費は現役世代の5倍。国民全体の医療費は現在の42兆円から58兆円に膨らむ。多くが赤字の大企業の健保組合も解散するようになると、世界に誇る日本の国民皆保険の土台が根底から崩れてしまう。加えて日本の財政赤字は1000兆円に達している。どうするのか。

A   2033年(今から15年後)
 日本のインフラに老朽化の問題が迫ってくる。例えば空き家率が3割を超える。既に日本の住宅は世帯数より16%多いのに、景気刺激策のためにまだ作り続けているので、この意頃になると、そのツケが一気に回ってくる。道路や上下水道、港湾などの耐用年数は50年だが、まもなくそれも超えてしまう。2044年には、インフラの修繕費は18兆円を超え、地方のインフラは老朽化したまま放置される恐れが出てくる。

B   2040年(今から22年後)
 教育機関に統廃合の波がやってくる。25年前には205万人だった18歳の人口は、半分以下の88万人にまで減る。523校から783校と増え続けてきた大学だが、この年代の急速な減少を受けて、倒産や統廃合に見舞われるだろう。その10年後には、全国の小学校も3分の1の6500に統廃合しなければならなくなり、一つの自治体が一つの小学校を持つことも難しくなる。

C   2060年(今から32年後)
 人口は毎年100万人、10年で1000万人以上のハイペースで減っていく。しかも、この時点での高齢化率(65歳以上の割合)は38%。人口構成比では後期高齢者が最も多く若年層がすくない。いわゆる「棺おけ型」で、高齢者1人を現役世代1人が支えなければならない。さらに、国民の8人に1人の1150万人が認知症になって、この介護をどうするかも日本の大問題になる。現在120兆円の社会保障費は際限なく膨張して行くだろう。

◆時間との競争で効果的な手が打てるか
 こうした未来図を見越して、今年7月には総務省の有識者研究会が政策提言をまとめた。それが「2040年研究会」の提言だが、3大リスクとして@首都圏の急速な高齢化と医療・介護の危機、A深刻な若年労働力の不足、B空き家急増に伴う都市の空洞化とインフラの老朽化、を上げている。しかし、上に上げた未来図を見ても分かるように問題はこれだけには終わらない。特に、人口減少の嵐の中で地方や都会の自治体が、学校や図書館、消防、病院などの住民サービスを維持して行けるか。歯の抜けたようになる地方でコミュニティが維持して行けるかである。

 自治体の問題ついて現時点では、住民サービスの新たな圏域の設定やコンパクトシティへの集落再編成などが模索されているが、具体化はしていない。本来は上からの政策ではなく、地方に住む人々が中心になって地域の未来像を描き、「新しいかたちの町作り」に立ち上がる以外にこの衝撃波をやり過ごす方途はないのだが、地方の高齢化は予想以上に進んでいて、計画の担い手がいなくなっている。既に地方では、4年前の「地方消滅論」が、住民に諦めをもたらしているという指摘もある(「農山村からの地方創生」)。

◆衝撃の未来図。「シミュレーション番組」は可能か
 そんな時に大事なのは、政権トップがこの問題を直視し、不退転の決意でこの嵐からの「ソフトランディング」を果たすことだが、肝心の機長がことの重大さを全く認識していないのである。「2040年研究会」の提言について、毎日は「首相の耳に届いているか」(7/14)と書いているが、経済成長にこだわる安倍は地方創生を掲げてカネをばらまき、地方を活性化するという幻想に頼っている。アベノミクスでは、長期的な人口減少と社会保障維持の解決にならないのに「成長なくして財政再建なし」を繰り返すだけだ。

 『人口減対策の立ち遅れに危機感を抱く官僚や研究者は少なくない。だが、「安倍一強」下で、路線の異なる考えを伝えにくい空気が支配している』(同7/16)。官邸に人事権を握られた官僚が口を閉ざす中で、人口減少の未来図は確実に時を刻んでいく。こうした状況を打破するためにも、冒頭に上げた「シミュレーション番組」は出来ないだろうかと思う。それも実感を持って国民に受け止めてもらうためには、一部をドラマ化して描いた方が分かりやすいかも知れない。しかし、こういう政治状況下でそうした番組は可能だろうか。

 取り上げるデータへの賛否もあるだろうし、(昔、地球温暖化のシミュレーション番組をやった時のように)「脅かし過ぎだ」といった批判も出るかも知れない。しかし、未来世代のためには、それを乗り越えて私たちの生活感覚のレベルで、人口減少の衝撃を描がかなければならない。自ずと現政権への批判にならざるを得ない番組だが、これが出来るかどうか。メディアの胆力もまた問われるわけである。 

政治劣化の果ての総裁選 18.8.16

 8月10日に石破茂が自民党総裁選に立候補を表明し、翌日それに呼応するように安倍も「6年前、総裁選に出たときの志はみじんも変わることがない」と事実上の立候補を表明。総裁選は今のところ9月7日告示、20日に投開票の予定で動いている。日本国憲法では首相の任期に制限は設けられていないので、今度の総裁選で安倍が勝てば、次の衆院の解散総選挙(3年2ヶ月後の2021年10月)が前倒しされない限り、あと3年はこのまま首相を続けることになる。その前に安倍の退陣があるとすれば、来年の参院選での大敗、健康問題や不祥事による権力放棄くらいしかない。

 従って、今回の総裁選は自民党のコップの中の争いではあるが、一方で、後3年続く首相に誰がなるかを決めるのと殆ど変わらないために、マスメディアの関心も高いのだろうが、こちらは選挙権がないので一連の動きを蚊帳の外から眺めるしかない。しかし、これまでの6年間に数々の国家主義的な政策を数に任せて押し通し、政治をほしいままにしてきた安倍政権のやり口を見てきて、これがさらに3年間も続くことに警戒心も起きてくる。ただ指をくわえて見ているのも業腹なので、今回は蚊帳の外から文句の幾つかでも書いておきたい。

◆自民党総裁選の仕組み
 その前に総裁選の仕組みである。今回は国会議員票405と同数の405を地方票に割り当てる。地方票というのは、およそ106万人の党員投票を405に案分するわけだが、以前より地方票を重視する仕組みになっている。合計810票のうち過半数を取れば決定だが、そうでなければ上位2人による決選投票になる。その時は国会議員票405に対して地方票は47しか割り当てられない。
 安倍が確保した国会議員票は、細田派(安倍派94人)、麻生派(59人)、岸田派(48人)、二階派(44人)、石原派(12人)。自主投票になった竹下派(55人)も半数以上を確保する見通しだ。

 既に国会議員の7割を固めて圧倒的に安倍が有利だが、地方票の行方は蓋を開けるまで分からない。そのために、安倍は必死で地方議員たちと懇親会を重ねて票の囲い込みを図っている。「現職の総裁でここまで熱心に選挙準備をしている人物は見たこともない」(自民長老)と皮肉られるくらい、安倍は必死になっている。地方に強い石破を警戒していることもあるが、本心は総裁選で圧勝してあと3年の権力維持を図る点にある。ただし、こうしたコップの中の総裁選で、安倍と石破の間では何が争点になるかと言えば、これが今一つはっきりしない。

◆政治不信と政治の劣化の果ての総裁選
 立候補会見で石破は、「正直、公正な政治」と「政治への信頼の回復」を訴えたが、これは安倍がもたらした政治不信への批判だという。本格的な政策論争は告示後になるのだろうが、石破が安倍の政治手法や政治姿勢を争点にするのであれば、それはそれで国民の気持ちに添うものと言える。何しろ、これまでのモリ・カケ問題における安倍政権の数で押さえ込む傲慢な対応と、不誠実きわまりない国会答弁には国民大多数が批判的だから。一連の不祥事に対する政治姿勢と、それがもたらした深刻な政治不信を石破は突けばいい。

 だらしないのは、雪崩を打つように安倍支持に走った派閥の長たちと議員たちである。自分の主義主張はどこへやら、いち早く政権にすり寄って恩を売り、少しでも甘い汁(ポストや選挙時の優遇)にありつこうとする。浅ましい根性である。議員個人についても、幾ら派閥に属しているとは言え、国民の選挙で選ばれ、税金で暮らしている立場である。その政治家がロボットのように主体性を失って権力の意向を無批判に受け入れ、国民が望んでいない政策(働き方改革、カジノ解禁法、参院6増案など)に賛成する。ここまで政治の劣化が進んだのはどうしてなのか。

 また、早々に出馬を見送った岸田文雄(政調会長)にも呆れた。岸田が出馬すれば、総裁選の論戦も少しは活性化して面白かったのに、敗れたときの報復人事を恐れたのか、恩を売って「3年後の禅定」を期待したのか。しかし、大方の政治記者たちは「闘わなかった政治家に次はない」と見通しの甘さを指摘する。かつて「男は3回勝負する」と言って3度目の挑戦で首相になった三木武夫や、挑戦し続けた小泉純一郎のような気概が岸田には全く見えない。保守本流の名門「宏池会」の流れを汲むプリンスだが、「これをやりたいために、何が何でも首相を目指す」という強固な目標も意志もないのだろう。情けない。

◆より強力になる側近政治。権力維持のための政治が続く
 政治家が、ロボットのようになって政権中枢の意のままに操られる背景には、小選挙区制度になって派閥の力が弱くなり、政党の公認が政権中枢に握られている現状がある。安倍官邸は今、石破包囲網を作ろうと必死で、石破を支持しようとした議員に対し「来年の参院選挙がどうなってもいいのか」とか、「誰それを推薦すれば傷がつきますよ」といった脅しの電話が幹部から入るという。問題は、こうした陰湿な締め付けで思惑通り“圧勝”を果たした後、新たな安倍政権が、かつてないほど強大かつ強権的になることである(「世に倦む日々」)。

 現在の安倍政権は、官邸に強力なメンバー(首相補佐官や秘書官)を集めて側近政治を行っている。これに内閣官房、内閣府、経産省の主要メンバーを加えて政権維持に必要なあらゆる政策を検討し、下の関係省庁に降ろす。国会を形骸化するこの構造は、以前の政権とは全く違うという。そして選挙で議員の生殺与奪権を握り、官僚の人事権を握った「最強の側近たち」が総裁選の選対本部に構えて、対抗する議員たちの弱みを探ってメディアに流したり、締め付けを行ったりしている。安倍に絶対忠誠を尽くすこうした側近政治が、総裁選の“圧勝”でより強力になって行くとすれば、恐ろしいことである。

◆政治の劣化が極まっていく時代
 圧勝後の3年間の権力を維持するために、安倍は自民党の誰も反対できない改憲を持ち出し、解決の見込みのない拉致問題を政権の使命として掲げ、出口のないアベノミクスを「後戻りさせない」と訴えて、国民に「常に何かやっている感」をアピールするだろう。虚構の政治の中で、安倍の意向を過度に忖度する政治家や官僚が横行し、彼へのご機嫌取り競争が激しくなって行く。民主主義の基本である国民への説明責任がないがしろにされ、奢りとゆるみからの様々な失言や失態が頻発して、政治不信が一層高まっていく。

 「(性的少数者について)子どもを作らない“生産性”のない彼らに税金を使うのはいかがなものか」と雑誌に寄稿した杉田水脈(みお。衆院の安倍チルドレン)。沖縄の米ヘリの不時着の質疑に対して「それで何人が死んだんだ」とヤジを飛ばした松本文明(衆院、細田=安倍派)。セクハラ問題に対して「セクハラという罪はない」と言った麻生太郎。国会でタバコの害について証言したガン患者に「いいかげんにしろ」とヤジった加藤ェ次(衆院、細田派)。こうした安倍の取り巻きたちは、常に権力中枢の顔色を見ながら行動している。

 こうした醜悪な政治が何故生まれたか、その理由の一つを上げるとすれば「小選挙区制」の導入になる。それまで曲がりなりにも実力にものを言わせて獲得してきた選挙の「地盤(組織)」、「看板(知名度)」、「カバン(資金)」が、政党から提供されるようになると、候補者は必然的に劣化する。政治家として鍛えられないまま国会に出てくるようになり、政策論争も減ってくる(「平成史への証言〜政治は何故劣化したか〜」田中秀征)。
 ただし、小選挙区制の弊害を指摘する声は強いが、そのうまみを享受している今の自民党がこれを改善するのは殆ど絶望的だ。ということで憂鬱だが、国民は今後も3年の長きにわたって、一層強大になった安倍政治の行方を警戒しながら見続けることになりそうだ。

温暖化をどう生き抜くか 18.8.5

 連日、「今日も猛烈な暑さが続き、熱中症に厳重な警戒が必要です」というアナウンスが繰り返されている。41.1度の記録更新や40度越えの“災害級”の猛暑が続く日本列島だが、この傾向は今年、北半球全体に及んでいる。熱波が地球を包み、隣の朝鮮半島や中国大陸でも異常な高温が続いている。北アフリカやインドでは50度を超え、フィンランドの北極圏でも気温が33.4度に達し、カナダ東部のケベック州でも熱波で数十人が死亡した。アメリカ西部やカナダでは、熱波による大規模な森林火災が発生して手がつけられない状況に陥っている。

 連日の猛暑と集中豪雨、台風の異例の進路といった、この夏の異常気象は、直接的には西から張り出した広大なチベット高気圧と太平洋高気圧が日本列島を二重に覆って、熱気が逃がさないためだが、巨視的に見ると、地球の偏西風が北側にずれて大きく蛇行しているのが原因とされる。これは地球温暖化の影響なのか。この先も毎年、こうした猛暑は繰り返されるのか。考えるだけで憂鬱になるが、温暖化が新たな段階に入って恒常的に熱波災害が起こるようになった時、私たち人類はどうこれを生き抜いていけばいいのか、そろそろ考えるべき時に来ているように思う。

◆新たな段階に入った(?)温暖化
 私たちが初めて地球温暖化問題をNHK特集「地球汚染」で取り上げたのは1989年3月(29年前)だった。その時描いた、猛暑による海水面の上昇、大干ばつ、巨大台風の発生、熱帯病原菌の北上、環境難民の発生などは、今世紀半ば以降の想定として取り上げたものだが、有効な手を打てないうちにその影響が今や、30年も前倒しで現れているように見える。この原因の一つとして、ヨハン・ロックストローム(スエーデン:環境科学者)は、地球の陸地や海洋の自然生態系が今の均衡状態を保とうとする回復力を失い、これまでのようにCO2吸収の機能を果たさなくなる可能性を上げている(インタビュー、朝日8/2)。

 人間が排出するCO2だけでなく、永久凍土からのメタンガスの放出、CO2を吸収する森林の喪失、暖かくなった海洋からのCO2放出などが想像以上に起きているのかも知れないという。地球の自然生態系の回復力が限界値を超えて失われた時に、温暖化は急速に進み、後戻りの効かない「地球気候の暴走」という段階に入ってしまう(「人類の英知が試される」16.1.12)。今年の夏のような猛暑の連続や、世界各地で起きている熱波災害を見ると、温暖化は(専門家も恐れていた)「新たな段階」の入り口に差し掛かっているように思えてならない。

 かつて番組で取り上げた時には、むしろ次世代の問題として警鐘を鳴らしたつもりだった。しかし、このように温暖化の「新たな段階」が目前に迫っているのを見ると、その急激な展開に愕然とすると同時に、人類の未来を思って気が重くなる。温暖化防止の国際的な動きは、パリ協定(2015年12月)によって方向性は決まったものの、原発や石炭火力にしがみついて脱炭素技術(再生可能エネルギー)で周回遅れになっている日本、あるいはパリ協定からの離脱を表明したトランプ(*)などを見ても、動きは鈍い。世界が「新たな段階」を未然に食い止められるかどうか心配だ(*「温暖化・トランプの愚かな選択」17.4.9)。

◆暑さに耐える、身の回りの「温暖化適応策」
 温暖化の急速な進行によって、私たちや次世代の生活はどう変化して行くのだろうか。国際的な温暖化防止策や緩和策はさておき、否応なく対策をせまられるのが、最近クローズアップされている温暖化への「適応策」である。これには、海面上昇に対応する堤防のかさ上げや海岸浸食の防止策、農業の渇水対策や集中豪雨の防災などといった国レベルの大規模なものから、猛暑に強い都市作りまで様々なレベルがある。その一つが、暑さに耐えられる都市の研究だ(雑誌「選択」8月号)。

 オランダで「涼しい都市空間」作りに携わっているファン・エッシュによれば、広大な地域を人為的に涼しくすることは出来ないが、特定の区画に、周囲より涼しい「微気象」を作ることは可能。日光、放射温度、風、湿度の4つを人工的に調整することで、暑さを軽減できる。つまり、緑を植えて日陰を増やし、地面やガラスのビルからの反射を減らし、ビルの間隔を空けて風通しを良くする。ガラスのビルは外側に幕を張って日光の反射を抑える。また、樹木を増やせばその冷却効果は打ち水よりも大きいという。アスファルトも透水性に乏しく、直射日光の熱を吸収して気温を上昇させるのでNGだ。

 従って、道路は出来るだけ透水性の高い素材(例えばレンガ)に変える。こうして水が地中に染み込めば、その水が「蒸発散」して冷却効果が生まれる。オランダなどではこうした取り組みが既に始まっているという。これは都市レベルだが、家のガラス窓にすだれやヨシズを掛けたり、マンションの屋上に緑を植えたり、夕方庭に打ち水をするのも、究極の「微気象」かもしれない。こうした微気象作りと、総合的な国土防災が「温暖化の適応策」となるが、これも温暖化を放置したツケで、多額の資金が必要になる。

◆有効な手を打たないと、人類の未来はこうなる?
 こうした微気象作りで、何とか猛暑に対応しつつも、肝心の防止策(緩和策)が進まなければ、全てが「焼け石に水」のようになって行き、人類は急激に進展する影響に晒されることになる。既に北極圏の氷はノルウェー、スエーデン、デンマークを合わせた位の面積が消失している。この影響は、さらなる海面上昇を引き起こし、それが地球規模に広がって行く(JCCA)。干上がり始めたユーフラテス川や琵琶湖5つ分の水が消えた中東の湿地帯では、ひび割れた大地が広がり、住めなくなった環境難民が最終的にはヨーロッパを目指す

 それが30年後なのか、50年後なのか分からないが、人類の生存を支える地球の能力も確実に低下していく。自然生態系が後戻りできないくらいに破壊されたら、食料生産も植物工場などへ移行せざるを得なくなる。多くの海洋生物も姿を消してしまうかも知れない。酷暑の地球で人類は、気温が50度を超える中東やインドのように、昼間は活動をやめ夕方以降に出歩くようになるだろう。昼型人類から夜型人類へだ。居住地も、海面上昇を避けて海辺から離れた所になり、一方で、有り余る太陽熱や太陽光を利用した空調システムが都市を覆うようになるかも知れない。

◆「不都合な真実」から目をそらさずに、覚悟を持って
 このような大変動を経て、人類は温暖化時代に適応する新たな文明を構築できるだろうか。ともかくも、そうして暑くなった地球に生き残れるだけの人口が模索されていくわけだが、その時、地球の人口はどの位に減っているだろう。日本は温暖化にうまく適応して生き残っているだろうか。地上の生物はどの位姿を消しているだろうか。やがて人口減少によってCO2排出量が減り、荒廃した地球のCO2吸収力と辛うじて均衡した時に、未来の人類のあり得べき姿が見えてくるだろう。もちろん、それまでに国家間の争いや核戦争が起これば荒廃はさらに加速する。

 以上は、連日の猛暑でストレス一杯の私の“妄想”だが、このように考えれば、「暑い、暑い」と嘆くばかりの私たちにも、ある程度の覚悟が出来てくるのではないかと思う。既にこの世に生を受けた子供たちの50年後、70年後の時代に「地球気候の暴走」を招かないためにも、「不都合な真実」をしっかりと見据えて可能な限りの政策を推進していく。今の政権のように自分たちの美学(改憲)にかまけて現実から目を背けるのではなく、こうした切羽詰まった段階に世界も日本も突入していることを、まずは自覚するべきだろう。その覚悟が温暖化時代を生き抜く第一歩になる筈だ。