日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

現実感なき情報消費社会 17.4.27

 定年後の仕事も一段落して日中も家にいる時間が長くなると、どうしてもテレビをつける機会が多くなる。すると午前も午後も、いわゆるワイドショーのオンパレード。どの局も同じような話題を一日中やっていることに、今更ながら唖然とする。例えば、今村復興相が「東北で良かった」と失言して翌日に大臣を辞任したこの日は、朝8時から夜の6時台まで「復興大臣に怒髪天」、「あり得ない暴言」、「総理が謝罪」などと言う見出しで、膨大な時間がこの問題に割かれている。もちろん、今のワイドショーはそれだけでなく、北朝鮮問題も定番ネタだが、そうした情報番組が朝から夕刻まで続く。

◆膨大な情報量を生産し消費するワイドショー
 例えば、4チャンネルは朝から「スッキリ!!」、「ミヤネ屋」、「News every」と続き、5チャンネルは「羽鳥モーニングショー」、「ワイドスクランブル」、「Jチャンネル」。6チャンネルは「ビビッド」、「ひるおび!」、「ゴゴスマ」、「Nスタ」。8チャンネルは「とくダネ!」、「FNNスピーク」、「直撃ライブグッディ」、「みんなのニュース」と並ぶ。合計すると全部で28時間あまり。良くこれだけの時間を埋めるだけの情報があるものだと思うが、基本的には朝から夕方まで繰り返しが多い。横並びで見ても、みんな判で押したように今話題の問題を似たような切り口で伝えている。

 加えてこの日は、復興相の失言問題の他にも、久々に豊洲市場を巡る小池知事の判断、最近明るみになった籠池理事長と財務局との録音テープの話題などもあった。考えてみれば少し前までは連日のワイドショーを盛り上げた、小池劇場とも言われたオリンピック会場や経費問題、豊洲市場移転問題、そして安倍政権を揺るがした森友学園への国有地払い下げ事件があったが、引き続き、ベトナムの小学生殺害事件、甘い声でカネを集めた女の事件、そして最近では重婚とストーカーの中川俊直の不祥事なども。加えて、このところ緊迫の度合いを強める北朝鮮問題がある。
 
 北の制裁に関するアメリカと中国の思惑はどうなのか。北はどう反応するのか。北朝鮮のミサイルは日本にも飛んでくるのか。飛んできた場合はどう対応するのか。このところのテレビ局は、海上ではイージス艦に搭載したSM3で打ち落とすが、陸上まで届いたミサイルはPAC3で迎撃する、などという情報を図解とともに詳しく伝えて来た。このように、日本は政治家のスキャンダルから揺れ動く国際情勢まで、情報の大量生産国であり、消費国でもある。しかし、こうしたワイドショー的な形を取りながら、毎日膨大な情報が消費されていく中で、何か大事なものがこぼれ落ちているように思うのは私だけだろうか。 

◆ワイドショーの定番メニューで情報通にはなるが
 テレビ局は、視聴者の知りたい情報を伝えていると思っているのだろうが、その情報も視聴率が稼げる間だけである。一頃あんなに騒いだオリンピックの経費節減と負担問題も、どこにどのように落ち着いたのか、殆ど記憶に残らないまま莫大な支出がそのまま通りそうだ。経費節減がオリンピック開催の条件とまで言っていたオリンピック委員会は、今頃どう考えているのだろうか。
 また世間を騒がせた森友学園への国有地払い下げ事件も、今や視聴者の関心も薄く、現場のディレクターが粘り強く追及しようとしても、局の上層部が露骨に嫌がるといった風潮だそうだ。次々と起こる事件や話題でワイドショーは忙しく、安倍昭恵の関わりや財務省の記録復元への追及がうやむやになろうとする中で、政権は森友学園問題の嵐が過ぎ去るのをひたすら待つ作戦だそうだ。こんなに早く関心のサイクルが回っているのは、一つの問題に関して連日あの手この手で情報を伝えた結果、もうゲップが出る程になってしまったからだろうか。 

 もっとも、膨大な時間量を毎日毎日、視聴者を飽きさせないように埋める制作陣も大変は大変だ。昼間のワイドショーには夜のニュース番組のように、多くの取材陣を投入することは出来ないから、しばしば本筋と関係のない些末な情報さえも興味本位で取り上げざるを得ない。お手軽な紙芝居方式(フリップ)で貼った紙をめくりながら、あちこちの情報を寄せ集めてお茶を濁す事も多くなる。キャスターとフリップ、タレントや評論家・専門家のコメント。これがワイドショーの定番メニューである。

 しかし、そこに批判精神が貫かれていることはまれであり、ワイドショーは基本的にぬるま湯の中にある。政治的な話題になれば、安倍の代弁者などと陰口をたたかれている時事通信の田崎史郎などが出て来て、今村復興相をしかりながら、安倍も即決断した風な話に落とし込んでいく。こうして、毎日テレビの前にいる人々は、(私のような高齢者も含めて)いっぱしの情報通になった気持ちになるが、よほど気をつけていないと何が問題で、何が現実なのか、本当のところを見失ってしまう。

◆北朝鮮問題の核心。体制保証と核の凍結(放棄)か、北の暴発か
 例えば風雲急を告げる北朝鮮問題。当初、トランプ政権は「すべての選択肢はテーブルの上にある」と言って、シリアでの巡航ミサイル攻撃の実績をちらつかせながら、今にも北朝鮮を先制攻撃するかのようだった。しかし、冷静に考えてみれば北朝鮮への先制攻撃が多大な人的・物的被害を韓国(今は日本にも)にもたらすことは1994年のクリントン大統領時代にシミュレーション済みの話である。
 北朝鮮軍「三つの切り札」の明快な記事(4/26朝日)にもあるように、現在の北朝鮮は常時1000門の長距離砲をソウルや韓国の米軍基地に向けている。これが一斉に火を噴けば、1時間で6千から7千発の砲弾が飛んで行き、ソウルは北朝鮮が言うように火の海になる。また、弾道ミサイル200発は日本と在日米軍へ、40発のムスダンはグアム基地へ飛んでいく。

 核兵器は既に50発を保有し、20万人の特殊作戦部隊が敵国を急襲して、弱いところ(無防備の都市や原発などのソフトターゲット)を攻撃する。「すべての選択肢はテーブルの上にある」というアメリカも、これらをすべて計算済みで(韓国と日本の被害を無視しない限り)軍事的先制攻撃など出来はしない。従って、先制攻撃を匂わしつつ中国に圧力をかけて北朝鮮の命綱である石油を止めさせる以外に選択肢はないことになる。ただし、それは行き過ぎると金正恩体制の崩壊を意味し、彼らの自爆的な暴発を招きかねない。中国はそこを警戒している。
 
 そこで、体制を保証しながら、ミサイルと核を“凍結(実質的に放棄)”する妥協戦に持ち込む。これが米中の思惑なのだが、一方で先制攻撃はしないものの、空母も動員して圧力をさらにぎりぎりまで強め、敢えて「北の暴発」を誘うという危険な手段もアメリカは考えているかも知れない。彼らが動けば韓国や日本、中国の意向にかまわずに一気に敵を叩く。いわゆる「後の先」である。その限界に向けて、米、中と北朝鮮はぎりぎりの駆け引きと神経戦を戦っているのである。「体制の保証とセットにした核とミサイルの凍結(放棄)」か、「北の自爆的な暴発」か。果たして日本政府は(あるいはメディアも)、その核心をしっかり見据えているだろうか。

◆リアリティーなき情報社会
 森友学園問題も、緊迫する北朝鮮問題も、それを連日、手を変え品を変えて長時間報道するうちに、往々にして問題の核心からずれていく。大量生産された情報が収斂せずに、空中に拡散してやがて泡のように消えていく。情報を食い尽くし、しゃぶりつくしているうちに飽きてしまい、大事なものを忘れてしまう。原発再稼働も共謀罪もそうだが、大事な問題が進行中なのに現実を直視せず、ぬるま湯の中に居続ける。まさに「リアリティーなき情報社会」。これが情報消費社会の落とし穴であり、今の日本の政治の閉塞感にもつながっているに違いない。

 都内に勤めていた頃、夜帰って来てニュース番組を見ようとすると、良く妻が、「どこも同じようなことやっているし、もう見飽きたから」と言って見せてくれないことが多かった。家にいるとその気持ちがよく分かる。しかし、本格的なニュース番組やドキュメンタリー番組までが飽きられ、見られなくなったら日本も危うい。国民にひりひりしたまっとうな現実感を持たせてくれるような骨太の報道番組には、まだまだ頑張って貰いたいと思う。

テロ対策から逸脱する共謀罪 17.4.19

 いよいよ問題のテロ等準備罪(共謀罪)が今日(4月19日)、衆院法務委員会で実質審議に入った。政府が会期の6月18日までに成立を期している、この共謀罪の正式な罪名は「テロリズム集団その他の組織犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画」という長い名前だが、法案そのものは、その罪を問うことを可能にする「組織犯罪処罰法改正案」である。テロ対策を前面に出してはいるが、「等」や「その他」をつけることで、テロ組織だけでなく(警察が認定する)幅広い「組織的犯罪集団」を取り締まることができるようになっている。

 この法案の「2人以上で具体的現実的な犯罪計画を作り、計画に基づいた準備行為があった時点で犯罪に問う」と言う考え方が、以前から議論を呼んでいる(計画段階で罪に問う)共謀罪と同じではないかと、指摘されている。政府は、今回は準備行為まで含めるのだから従来の共謀罪とは違うと主張するが、準備行為の定義が曖昧なため、この法律の問題性は変わらないように見える。

 ただし、この法律改正は国連の「国際組織犯罪防止条約(パレルモ条約)」を日本が批准するためと言うだけに、考え方が難しい。日本の法体系になじまない部分も多く、しかも問題が多岐にわたっているので、素人が理解するのには骨が折れる。政府の方は、これはテロ対策が主眼だとし、「(この法律を成立させて)条約を締結できなければ、東京オリンピックを開けないと言っても過言ではない」(首相)などと大げさに言う。一方の野党は「計画しただけで罪に問うというのは、戦前の悪名高き治安維持法に通じる」、「共謀罪は監視国家につながる」と声高に批判する。

 このように、法案を巡る議論は政府・野党ともに「イメージ戦争(印象操作)」が先行して、何が問題の本質なのかよく分からない。最近の世論調査(朝日4/16)でも、賛成(35%)と反対(33%)が拮抗しているが、法案のどこがどのように問題なのか、国民は十分わかっているのだろうか。この法案の多岐にわたる問題点を一回のコラムで整理するのは難しく、悩むところだが、取りあえずいろいろ調べて理解した範囲でこの法案の問題点を整理し、自分なりの結論を探してみたい。

◆共謀罪の多岐にわたる問題点
 「国際組織犯罪防止条約」は、元々、マフィアなどの犯罪集団の取り締まりに関する国際的な協力を目的として国連で採択された条約だ。これに加盟すると、国際組織犯罪の犯人引き渡しや捜査情報の共有などが可能になる。これには国際的なテロ集団も含まれるとし、早く条約批准に必要な国内法の整備を行いたいというのが、政府の主張である。そこで問題になるのは、条約が求めている条件と政府が作った法案の内容である。その問題点を幾つかに整理する。

①  共謀罪は日本の法体系になじまない。整合性は説明できるか
 これまで、日本の刑法で罪に問われるのは、犯罪を実行し結果が生じた「既遂」が原則。付随して結果には至らなかった「未遂」もあるが、基本的には「社会に有害な結果を生じる行為がなければ処罰されない」というのが、近代刑法(日本の刑法も)の原則である。ただし、日本には例外的に特定の重罪には準備をした段階で罪に問う「予備罪」(例えば殺人予備罪)、通貨偽造の準備をする「準備罪」、内乱罪など国の存立に関わる重罪については「陰謀罪」といった罪もある。

 従って、今回のように計画した(考えた)だけで罪に問う共謀罪は、近代刑法の基本原則になじまないわけだが、これを従来の例外的な予備罪、準備罪、陰謀罪の対象をはるかに超えて、幅広い分野に適用することの問題(②)も大きい。その整合性をどう説明するかも問題で、とてもあんな法相(金田)では手に負えないだろう。またこうした共謀罪は、思想および良心の自由(内心の自由)を保障した憲法19条などに抵触するという指摘もある。

②  適用範囲が広すぎて意味不明
 条約を締結するためには、幾つかの国内法の整備が求められている。その中では「重大な犯罪」(懲役、禁固4年以上の罪)にたいして、犯罪の合意や合意内容を推進する行為を伴うことを罪に問う「共謀罪的な措置」をとることが求められている。これが今回の法案の出発点なのだが、懲役、禁固4年以上の罪を機械的に国内法に当てはめると、676件にも上る。この全部に共謀罪の網をかぶせるのは問題だというので過去には廃案になったのだが、今回はこれを277件にまで絞って提出した。

 しかし、この277件の中には、モーターボート競走法とか森林法(保安林内での森林窃盗など)、無資格スポーツ振興投票などといった、説明がつかないものが多く含まれている。政府が言うようにこの法案が真にテロ対策というなら、どう関係するのか。条約批准を理由に、何でもかんでも共謀罪的な監視の目を行き渡らせたいというのが真の狙いでは、と疑われても仕方がない

③  曖昧な定義は権力の道具となって、際限のない監視社会を作りだす
 政府は、今回の法案は計画だけではなく、その準備行為も要件なのだから、共謀罪には当たらない、と主張する。しかし、その準備行為というのが曖昧だ。「銀行でカネを下ろす、レンタカーを借りること」などを上げるが、こんなことは日常生活に良くある行為で、これが犯罪と関わると認定されれば逮捕される。つまり、捜査当局が「計画したな」と考えれば、どんな日常的行為も準備行為と見なされる危険がある。

 また、こうした法律が日常的な監視活動に名分を与えるという指摘も多い。計画や合意は別に書類にするわけでもなく、2人以上が集まって何かの話し合いをすれば、合意があったと認定されかねない。しかも、それは、通信や電話の傍受、盗聴にもつながって行く。これを、277件の広い分野で行えば、日本は立派な大量監視国家になってしまう。権力が監視の道具(法律)を手にしたとたん、その乱用は際限なく広がっていくというのが、アメリカのスノーデン事件に見るまでもなく、現代社会でも警戒すべき点なのである。

◆スノーデン事件に見る監視国家の実態。厳密な法案に絞るべき
 2016年(日本公開は2017年)にオリバー・ストーン監督によって映画化もされたスノーデン事件は、以前のコラム「暴露・監視国家の奢りと腐敗」(2014.6.22)でも取り上げた。アメリカの国家安全保障局(NSA)が世界中に監視網を構築して、市民同士の私的なやりとりも含めて、ありとあらゆる情報を集めている事実である。
 その根拠となる法律は「米国愛国者法」などだが、それを拡大解釈してNSAは「祖国の安全保障」、「テロとの戦い」の名目で、法律の範囲をはるかに逸脱した大量監視を行っている。それを知った技術者、エドワード・スノーデンによる抗議の“暴露”だった。

 この事件は、権力が国民監視の名分(法律)を握ると、それは捜査当局によって常に拡大解釈され、監視は際限なく広がっていくという見本のようなものだった。その結果は、コラムにも書いたように「国家の構造を①個人に関する膨大な情報を握っている国家権力、②監視されて萎縮する被支配者(国民)の二極構造に変える」ことになる。今議論になっている共謀罪もそうした道具になって行かないと誰が言えるだろうか。テロとの戦いを掲げながら、それとあまり関係のない277件の分野を認めれば、当局による監視活動も際限なく広がっていきかねない。

 従って、もし本当に「テロとの戦い」が主眼と言うなら、277件などを網羅するのではなく、厳密に対象をテロ集団に絞るべきだろう。まして、条約は「各国の国内法の原則に従って法整備すること」を認めているので、これほどの大がかりな立法措置を求めていない筈だ。また、アメリカなどのように、条約の要求すべてに答えるのではなく、留保条件を付けて批准した実績もあるという。
 この法案は、安倍政権の懸案だった共謀罪を通したいために、もともとマフィア対策だったものを、無理にテロ対策に衣替えした結果、かえって性格の分からない矛盾だらけの法案になっている。オリンピックを控えた今、本当に国際的なテロ活動を防ごうとするなら、テロの定義を明確にすると同時に、罪名から「等」や「その他」を削除し、厳密に対象をテロに絞って出直した方がいいと思う。

温暖化・トランプの愚かな選択 17.4.9

 1月20日にトランプがアメリカ大統領に就任してから3ヶ月近く、さすが唯一の超大国アメリカの大統領とあって、日々ニュースにならない日はない毎日が続いている。通常、大統領就任100日までは「ハネムーン期間」とも言われ、野党もメディアも性急な批判を避ける慣習があるが、そんな伝統も吹き飛ぶ勢いでトランプとメディアの戦争は続いているし、批判も多い。支持率も下がる一方で今や35%程度まで落ち込んでいる。
 国内政策として打ち出した移民の入国制限やオバマケアの見直しなどが壁にぶつかっている一方で、貧困層受けを狙った経済政策も陣営は金持ちばかりで、有効な方針を打ち出せていない。その焦りもあるのか、最近のトランプは対外政策で危険な強硬策に走ろうとしている。

◆単独攻撃に見る危うさ
 その一つが、シリアのアサド政権の空軍基地への単独攻撃だ。これはご存じのように、その前に政府軍が反体制派に行った化学兵器使用への制裁という理由だが、国連での議論を踏まない性急な単独行動だった。同じ時期にアメリカを訪問中の習近平に対する警告の意味合いもあるようで、トランプは「中国が北朝鮮に適切な対応を取らなければ、(シリアと同じように)アメリカ単独でも対抗手段をとる」と言っている。
 今回の単独攻撃に対する評価は様々で、事態も流動的だが、一般的に言ってこうした力による解決法は、その帰結が極めて読みにくい。イラク戦争と同じで、その先に何が待っているのか、複雑すぎて誰も予測出来ないからだ。

 同時に、今回のような単独の武力行使が危険なのは、これまで曲がりなりにも和平を構築しようと努力してきた国際的な枠組み(停戦合意など)をすべて破壊してしまうことにある。武力行使は次の武力行使を呼び起こし、世界を報復の連鎖に引き戻してしまう。もちろん、世界にはとても話し合いに適さない、ならず者国家や武装集団が存在することは確かだが、彼らを黙らし無力化する国際的枠組みは安易に捨て去るべきではない。武力行使は、(真珠湾攻撃と同じで)始めの一撃こそ一種のカタルシスを国民の間に生むが、往々にして様々な国を巻き込む長期にわたる衝突につながりやすく、大量破壊兵器を用いた多大な犠牲と経済的損失を生むからだ。

 シリアの背後にはロシアがいるし、北朝鮮の背後には中国がいる。北朝鮮の場合は本当に悩ましく、一度整理して考えなければならないが、安易にアメリカの先制攻撃論に乗っていると、ミサイル攻撃に直接さらされる日本は大変なことになる。そこに幻想を持つべきではないだろう(「先制核攻撃の誘惑と“核の傘”」)。

◆トランプの特異な心理的傾向
 加えて、(これが今回のテーマになるが)トランプは手を組むのに本当に信頼すべき指導者なのか、という問題も実は大きい。彼が、シリアを叩こうとするのも、北朝鮮への単独攻撃を匂わせるのも、対抗心を持つオバマを弱腰と批判して来た観念に捕らわれているためではないか、という疑念がぬぐえないからだ。トランプの幾つかの政策がどれだけ合理的で緻密な計算のもとに作られたものなのか、単にオバマに対する敵対心でやっているのか。歴史上まれに見る特異性格のトランプに対しては、その心理的傾向に対する警戒の声が後を絶たない。

 2月13日、アメリカ精神医学会(APA)に所属する医師など専門家35人は、連名で「トランプ大統領の言動が示す重大な精神的不安定さから、われわれは彼が大統領職を安全に務めることは不可能だと信じる」という意見広告をニューヨーク・タイムズ紙に掲載した。
 「トランプ氏の一連の発言や行動は、異なる意見を受容する能力に欠けることを示している。彼は異なる意見に怒りの行動をとる。彼の言動は他者への共感能力に著しく欠けることを示している。こうした人物は自分の精神状況に合わせて現実を歪め、事実や事実を伝えようとする人物(ジャーナリストや科学者)を攻撃する」という内容だ。

 他にも、「自分が攻撃されたと認識すると反撃せずにはいられない、極めて衝動的な人物。自己制御力が乏しい」と指摘する心理学者(アメリカ、マクアダムス教授)もいれば、「トランプはサイコパスである」という脳科学者(中野信子、文春3月号)もいる。サイコパスとは、冷酷な合理性を最大の特徴とするが、じっくりと考えるのではなく、リスクを恐れず瞬時に行動に移す傾向や、自分に利をもたらさない対象はモノとしか捉えない傾向があるという。そして、こうした傾向は特にオバマが成立させた地球温暖化防止策を敵視するという態度に、典型的に表れていると思われる。

◆トランプの温暖化対策放棄の愚かさ
 それは、地球温暖化を心配する科学者の声や温暖化の事実をあくまで無視する態度であり、トランプ政権は、地球温暖化の議論を押さえ込むために、地球温暖化対策に取り組む米環境保護局(EPA)の外部への情報提供を一時停止させる命令まで出している。科学者たちは、「私たちの自由は奪えない。事実と科学の検閲を阻止する」などと、ツイッターで抗議していたが、3月28日、トランプはそのEPAに炭鉱労働者を集めて温暖化対策見直しの大統領令に署名した。

 
「米国のエネルギーの足かせを外す。政府の介入をやめ、雇用をダメにする規制は撤廃する」と、オバマが成立させた「クリーンパワー・プラン(2030年までにCO2を05年比で32%減らす)」の撤廃や、国有地での石炭採掘禁止の撤廃など、様々な温暖化対策の緩和を命じたのである。

 しかし、これは少し冷静に考えれば分かるとおり、アメリカにとっても極めて愚かな選択と言える。例えば、米国内の石炭産業の雇用は7万人以下なのに、再生エネルギー分野の雇用は既に65万人を超えている(AP)。経済的に言っても、温暖化対策で新しい産業を育てた方がよほど効果的なのだ。しかも、地球温暖化対策はアメリカが離脱して得をしようとしても、その悪影響は同じ地球上にあるアメリカを見逃してくれない。その経済的損失は、むしろ経済大国のアメリカの方がより深刻に現れる。こうした明白な事実を無視して温暖化対策を否定し、近視眼的に炭鉱労働者の雇用を図ろうとするトランプとはどういう男なのだろうか。

 これも、精神科医たちが言うような、異なる意見を受容する能力に欠け、異なる意見の持ち主に怒りの行動をとるという心理的傾向の現れなのだろうか。あるいは、単純にオバマに対する敵対心の結果なのか。CO2排出量で言えば、アメリカは世界第2位の15.7%を占め、一人あたりの排出量ではダントツで、アフリカ諸国の16倍にもなる。従って、アメリカの地球温暖化対策からの脱落は、人類の未来に大きな悲劇をもたらす(「人類の生き残りをかけた挑戦」)。それを、オバマに対する対抗心などで選択するとすれば、それこそ「大統領職として不適格」という意見の通りになる。

◆近視眼的な先制攻撃論の危険性
 さらに危険なのは、トランプが新たな軍事行動を関係国との十分な相談も、緻密な計算もなく単独で始めることである。仮に今回の対シリア軍事行動が、国内的、国際的共感を呼び、低迷していた支持率を回復させることにでもなったら危険だ。
 常に賞賛を浴びていなければ済まない性格や、自己愛が強い性格、さらには衝動的な行動を取りやすい性格などが入り交じって、新たな修復不可能な決断を下すことも憂慮される。特に現在、トランプ政権は空母「カール・ビンソン」を西太平洋に展開させるなど、次のターゲットを北朝鮮に定める姿勢を鮮明にして来ているので心配だ。

 意固地になって核開発に邁進し、アメリカを挑発し続ける北朝鮮も北朝鮮だが、今の時点でアメリカが軍事行動を起こすことは、真に不確実で取り返しのつかない状況を東アジアに作り出すことになる。中国やロシアがどう出るか、200発のミサイルが日本のどこにとんでくるのか。国内で行き詰まった政治家は、しばしば国外で事を起こそうとするが、それは危険すぎる冒険である。日本は先制攻撃の誘惑に駆られることなく、どうしたら事態を改善できるのか。(安倍首相のように)安易にトランプ支持に走るのではなく、トランプの性格を慎重に見極めながら、あらゆる選択肢を真剣に模索し提案していかなければならないだろう。

権力者と応援団の危険な関係 17.3.30

 森友学園問題は、次々と怪しげな話が出てきて、今や(たまたま小学校開設だけは未遂に終わった)「国有地違法払い下げ事件」とでも呼ぶべき底なしの様相を呈している。払い下げの対象になった土地に以前住んでいた住民の証言によれば、もともとあの土地は豊中市が「災害時の避難所を兼ねた公園にしたい」というので、立ち退きに応じた土地で、ゴミなどはなかった所だという。
 それがいつの間にか公園予定地が半分になり、ゴミ撤去費用として8億円も値引きされて政権応援団の一法人に払い下げられることになった。そうすると、公園予定地を半分にして学園に売却し、しかも(少しはあったかも知れないが、怪しげな数字をいじって)ゴミの撤去費を8億円と見積もった根拠は何だったのか。

 その一つの見方として、値引きされた8億円というのは、学園側が立て替えたゴミの撤去費(1億3200万と主張)を早く国に払って欲しいという「昭恵夫人付きの谷査恵子を通した要望」に対して、それを予算化して支払う代わりに結果としては国の払い下げ価格が僅かでもプラスになる1億3400万と見積もるための、つじつま合わせだった疑いまで指摘されている。そうなると、ゴミ撤去費用を計算して土地の売却価格を見積もった大阪航空局の査定にも重大な疑義が生じてくる。また、こうした一連の学園側の要望を財務省に取り次いだ昭恵夫人側にも、事件に関与した疑義が生じてくる。

 安倍政権側は現在、(100万円の郵便振り込み者が証言と違うなど)些末な事象を取り上げて籠池を「偽証罪」で訴えると会見したり、昭恵付きの谷査恵子のファクスは彼女の個人的行動だと言い張ったりして、安倍夫妻を守るのに必死だが、何度も書くようにこの事件の本質は、籠池が「神風が吹いたと思った」というような、異常な格安で、国有財産を払い下げようとした違法行為の疑いである。

 問題はそれがどのような経緯で行われたのか、誰が神風を吹かせたかである。国会ではこうした闇を、僅かな手がかりも動員して解明して欲しいが、安倍昭恵の証人喚問を拒否する安倍政権と、協議記録の存在を頑なに否定する財務官僚の壁は厚い。理不尽な対応だが、その解明は国会とメディアにしばらく任せるとして、今回は一連の経過を見ていて私が感じる、今の日本の危うさを象徴する2つの事象について書いておきたい。

◆官僚の無節操と罪深さ。その背後にある闇とは?
 小学校用地の売却価格と売却方法を決めたのは、近畿財務局、それを指導した財務省、その計算根拠を作った大阪航空局のルートである。しかし、それらの記録も、そして籠池側との協議記録も破棄されたと財務省側は言い続けている。国会答弁に立つ佐川宣寿(のぶひさ)理財局長は、何とかの一つ覚えのように「値引きは正当なものだった」と主張するだけで、その根拠となる記録の存在を否定する。
 当時の担当者に聞けばいいではないかと迫られても「個々のケースについて調べるのは控えさせて頂きたい」と訳の分からないことを繰り返す。これだけ恥も外聞もなく、高級官僚としての誇りをも捨て去った愚かさを貫く背景には、よほど不都合なことがあるのだろう。そう思われても仕方がない。

 想像するに、その不都合というのは一つには、この案件が首相(夫人)案件である上に、当事者が首相応援団の日本会議に連なる人物だということを過剰に忖度して、官僚としてやってはならない不当な行為をしてしまったからだろう。もちろん、そこには様々な政治家の働きかけもあっただろう。もう一つは、それらの記録を明らかにすれば、これが「首相夫人案件」だったことが明確になり、安倍政権が吹き飛ぶからだろう。政権側から強力な口止め圧力がかかっているだろうし、拒否答弁を貫けばご褒美も待っているという計算もあるのだろう。保身から来る組織防衛と政権防衛の2つが絡まって、佐川は口がきけなくなっているに違いない。

 こうした官僚の罪深さを少し冷静に考えてみれば分かるとおり、これは日本の官僚の底なしの劣化である。戦後の一時期、日本の官僚は優秀で国家を背負っているという誇りをもって生きていた。そのために、政治家にも直言を恐れなかった。それに比べて今の官僚は、自己保身のために怪しげな価値観にとらわれた権力者に忠誠を尽くし、本当に忠誠を誓うべき国民と法を無視する。こうした無節操な高級官僚を作って来たのは、今の菅官房長官などの締め付けもあるが、無節操な官僚が体制内に巣くうようになれば理性の歯止めもきかず、すぐに戦前のような危うい時代がやってくるだろう。

 しかし一方で、弁護士の三宅弘(政府の公文書管理委員会の委員長代理)によれば、国有地を8億円も値引きして売却したとなると、会計検査院の監査対象になるのは当然で、最低5年間は文書を保管しなくてはならず、もし交渉記録を故意に廃棄していたなら、刑法の公用文書等毀棄罪に該当し、故意でないとしても公文書管理法違反になる。公務員の過失として重大問題であり、佐川宣寿(のぶひさ)理財局長の首が飛ぶような案件だという(TBS報道特集3/25)。これを突破口にして、野党とメディアには「官僚の罪」をしっかりと追求していってもらいたい。

◆応援団に足を取られる権力者。権力者と応援団の距離の取り方
 もう一つの事象とは、権力者とその応援団との関係である。もともと、この事件の構図は国家主義的な教育方針を掲げる森友学園と、それに賛同する安倍昭恵や日本の右派集団「日本会議」の政治家たちが、無節操な官僚たちを動かして国有財産を不当に安く売却させようとしたものである。事件の主役は首相を応援してきた極右勢力であり、安倍翼賛体制に迎合しようとした官僚たちである。
 何もなければ、今の翼賛体制の中で暗黙のうちにことは済んでいたのが、事件が明るみに出たせいで、共犯者同士に様々な不協和音が起こって、文書の漏洩や罪のなすり合いも始まっている。トカゲの尻尾にされた籠池などは裏切られた恨みを、安倍昭恵(ファクス)や安倍首相(100万円寄付)にまでぶつけている。

 ここまで騒ぎが大きくなると、安倍は幾ら心情的に右派集団に近いと言っても、自分たち夫婦と応援団との軽率な関係(脇の甘さ)を後悔しているのではないかと思う。しかし、安倍のような国家主義者とその応援団との距離の取り方は、政治の分野では案外に根深く、扱いが難しいテーマになる。国家をとりまとめるために国家主義的な応援団ともたれ合っているうちに、その応援団の意向を無視できなくなり、下手をすると危険な足かせになってしまう。それは、「偉大なアメリカの再生」を掲げて当選したトランプ大統領と、バノン(大統領上級顧問兼首席戦略官)などの極右的な取り巻きたちとの関係にも通じるテーマである。

 権力者が日々直面するのは、ある意味現実的な政治である。しかし、彼を応援している応援団が信奉するのは、現実離れした国家主義的政治信条であり、すぐに森友学園のような排他的、狭量的な教条主義に陥りやすい。彼らとの距離の近さは、国内の多様な勢力や考えの違う外国とも上手くやっていかなければいけない現実政治家にとって、時に危険な足かせになる。
 例えば、2013年12月に、安倍が極右勢力の意向を無視できなくなって「靖国参拝」を強行し、周辺国から反発を招いたのもその一つだし、今回の森友学園事件も、権力者の安倍や稲田(防衛相)が、その応援団と安易に密着して来たから起きたと言える(「靖国参拝によって失われたもの」13.12.29)。

 この点、ロシアのプーチン大統領も「偉大なロシアの復活」を掲げて、あるときは大ロシア主義の狂信的な愛国主義者たちと手を握り、あるときはロシア正教の指導者を利用した。しかし、大著「プーチンの世界~“皇帝”になった工作員」を読むと、歴史家のプーチンはその功罪を明確に意識し、多民族国家からなるロシアをまとめるために、そうした応援団の手綱をしっかりと握ってきた。

 必要な時には絶妙なタイミングで彼らの声のボリュームを上げ、目的が終了したときには再びボリュームを下げられるようにコントロールしているという。この本はそうした戦略家のプーチン像を多面的に描いているが、その巧みさに比べれば安倍もトランプもとてもかなわない。森友学園の問題はそういう意味で、単なる国有地払い下げ事件ではなく、権力者とその応援団の(日本にとっても)未熟で危険な関係を示す事件でもある。

福島6年・未来からの想像力 17.3.18

 福島原発事故から6年が経過した。3号炉から黒煙が立ち上るのを見て、子供たちを遠くへ避難させた時の緊迫した状況は、いまだに脳裏を離れない。事故の推移を見続けてコラムに書き、2013年1月には「メディアの風~原発事故を見つめた日々」として自費出版した。その時の最後のコラムは、第二次安倍政権の誕生を受けた「安倍政権と脱原発の行方」(13.1.13)だった。早いもので、それからまた4年が経過。国民の多数が脱原発を望んでいるのに、何かと理由を付けては危険な再稼働を進める安倍政権の欺瞞性を苦々しく思って来た。数えてみると、原発関連のコラムはこの4年で25本になる。

 主なものを上げてみると、「原発再稼働で経済成長の欺瞞」(13.6.9)、「安全規制が世界一の実態」(14.1.31)、「原発・司法が責任を果たすとき」(14.6.7)、「不確実で空虚な原発比率」(15.3.1)、「原発と日本の無責任の体系」(16.9.25)、「プルトニウムの呪縛を解け」(16.10.26)などなど。いずれも、今に続く本質的な問題である。そして事故から6年が経過した今、福島原発事故は、周辺の除染作業が進んだとして、3月一杯で飯舘村の避難指示が解除されたり、2号炉の内部調査で解けた燃料の一部が映像に捉えられたりしている。しかし、それでも事故処理は夢のまた夢。工程表のほんの入り口に過ぎず、かえってこの先の困難さが浮き彫りになりつつある。その困難を踏まえて、今何が問われているのかを考えてみたい。

◆本当に核燃料デブリの取り出しと廃炉はできるのか
 福島原発2号炉では、昨年12月から延べ800人を投入して内部調査がようやく始まったが、前途は暗い。投入されるロボットは、高線量の放射線に阻まれて画像が喪失したり、動かなくなったりしている。以前にも書いたが、原子炉の中は次々と投入される恐ろしく高額なロボットの墓場になっていくだろう。しかも、少し見えてきた炉内の状況がまた想像を超えている。溶け落ちた核燃料が鋼鉄の部材を溶かして落下、底に溜まった水と反応して飛び散り、膨大な量の核燃料デブリが格納容器の周辺にこびりついているらしいとも言う。その状況が何とか把握できたとしても、それらを少しずつ切り出す作業は困難過ぎる。

 安全にデブリを切り出すためには、大きく穴の空いた格納容器を修理し、冷却水を満たしての水中作業になるだろう。しかし、格納容器がどのように破損しているのか、またどのように穴を塞ぐのか、これも全く分からない。塞がるまではデブリの取り出しも出来ず、注入する冷却水が高濃度の汚染水となって漏れ続ける。しかも、福島第一原発には2号炉よりさらに損傷が激しい1号炉や3号炉が控えている。それらは、核燃料が圧力容器をメルトスルーして格納容器の底のコンクリートを2.6メートルまで侵食しているというが、詳しいことは掴めていない。工程表では、2020年からデブリ取り出しにかかると言っているが、とてもとても。今の状態だといつになるか分からない。

 もう一つの問題は増え続ける汚染水である。福島原発は以前に川が流れていた所の上に立っており、地下水が多い。東電は345億円かけて原子炉の山側に杭を打ち込み、周りを凍らせる「凍土壁」を作って地下水を止めようとしたが、うまくいっていない。今も一日400トンの地下水が原子炉建屋に流れ込み、格納容器から漏れ出した高濃度汚染水と混じって膨大な汚染水を生み出している。それを処理して溜めるタンクは、6年で既に900基を超えて敷地を埋め尽くそうとしている。
 こうした中、東電が作った「工程表」では廃炉に最長40年とか、除染も含めた全体見積もりが21.5兆円(最近になって従来の2倍になった)といった数字が使われてはいるが、この先どこまで膨らんでいくのか、誰も分からない。

◆「未来からの想像力」①石棺方式を含めたあらゆる選択肢を
 この現状を踏まえて、あと50年先、100年先の原発を想像すると、どういうことになるか。借金大国の日本で、この先も廃炉作業だけに年間数千億円のカネを投入し続ける事が出来るのか。できたとして、本当に廃炉(最終的に更地にする)は可能なのか。40年経っても廃炉が不可能な状況を想像すると、やはり福島県側の希望はあるにしても、原発全体を現場で封印するチェルノブイリ型「石棺方式」のアプローチも考えなければならない時が来るかも知れない。去年7月に小出裕章氏(元京都大学助教)が発表した「福島原発は石棺で封じ込めるしかない」という説である。
 
 それは、大量の汚染水を生み出している現在の水冷­方式を諦め、金属冷却か空冷を採用し、上からカバーをすることで放射能の飛散を防ぐというものだ。チェルノブイリは石棺の覆いを新しくすることで、あと100年管理する。そして、放射能が下がった時点で対策を考えるという。そうした石棺方式が福島に適しているかどうか、私には分からない。しかし、事故後6年を経て見えてきた極めて厳しい現実を直視すれば、地元福島は反対するだろうが、検討する余地はあるだろう。それは、50年、100年の「未来からの想像力」を駆使しながら、あらゆる選択肢を排除しないで、今の工程表を常時検証し、(方法も含めて)見直していくということである。

◆「未来からの想像力」②日本には原発再稼働の余裕はない
 福島第一原発の事故処理には、常時7000人近い作業員が働いている。廃炉を40年と仮定しても、その労働力は、あのスカイツリーを75本も立てるくらいの膨大な人手に匹敵するという。しかも、作業環境が過酷である上に、常に被爆の危険にさらされており、既に被爆による犠牲者も出ている。そのために人手の確保に悩まされている。さらには、日本の主な原子炉メーカーの技術者が、廃炉技術の開発や実際の廃炉作業に目一杯に参加している。こうした状況を踏まえれば、これから福島の廃炉作業が続く限り、日本では長期にわたって新たな原発事故には対応ができないということが分かる。新たな事故が起きれば、もうお手上げ。「未来からの想像力」を働かせればそういうことになる。

 その意味で言えば、日本では原発を再稼働する余裕などない筈だ。原発を再稼働する条件として、避難計画を作ることなどが上げられているが、本当のところを言えば、避難が必要なほどの過酷事故が起きたらどうしようもない。たとえ、小さな事故でも作業員や技術者の動員が必要な事故なら、対応できない。この状況は、福島の事故処理が続く限り続く。しかも、これからの日本は少子高齢化で人口も経済規模も縮んでいく。相対的に福島の重荷は膨らんでいく。従って、人手や資金などの様々なリソース面から言っても、日本に原発を再稼働する余裕などない。脱原発しか(正しい)選択肢はないというのが現実なのである。

◆「未来からの想像力」③誰もが「小さき人々」になること
 2月19日に放送されたBS1スペシャル「ノーベル文学賞作家 アレクシェービッチの旅路」は、印象深い番組だった。ベラルーシの作家、アレクシェービッチについては、コラム「チェルノブイリの祈りと福島」(15.11.21)でも取り上げたが、その彼女が再びチェルノブイリを訪ね(前編)、さらに福島を訪ねる(後編)。そして、原発事故にあった「小さき人々」(ごく普通の民衆)が、原発事故に対してどのような思いを持っているかに耳を傾けていく。チェルノブイリと同じように、汚染のある故郷を捨てられない人々、牛を手放したり、自殺したりした酪農家の話、故郷に戻って魚屋を始める主人など、「小さき人々」の話を拾い集める。

 彼女は小説と同じように番組の中でもこう言う。「私は福島とチェルノブイリで同じ感覚を抱き続けました。私は過去を見ているのではなく、未来を見ているのだと」。福島原発事故はチェルノブイリから15年後だったが、彼女は同じような「小さき人々」の悲劇が未来にも起こり得ることを強く感じている。そうした「未来からの想像力」を働かせれば、私たちは誰でも原発事故によって「小さき人々」になり得ることが分かる。身分も貧富の差もない。そうしたことを原発再稼働を主張する「偉い人々」は自覚しているのだろうか。「それでも日本は原発を持ち続けるのですか。科学技術はそれほど万能なのですか」と、私たち「小さき人々」は、これからも問い続けて行かなければならない。

幼児に右翼教育する異常性 17.3.7

 前回、首相夫人が関係する学校法人の「国有地格安払い下げ事件」について書いたが、この10日ほどの間にも事態はめまぐるしく動いている。土地価格算定の曖昧さはもちろん、大物や小物の政治家たちによる口利きを認める記者会見、埋設ゴミ撤去に関する工事業者の証言、学校認可に関する大阪府側の不可解なごり押し、あるいは教材販売会社に安倍昭恵がかかわっていた事実、普通では会えない財務省幹部と籠池校長との面談など。様々な事実が浮かび上がり、事件の不可解さはかえって深まっている。メディアも次々と出てくる情報に振り回されているが、ここまで来ると(本質から目をそらせる)「目くらまし」や「偽情報」、「問題のすり替え」などの情報操作もあるから要注意だ。

 例えば、出遅れていたNHKが「政治家への働きかけなどは一切なかった」という籠池理事長の単独インタビューを放送して恥をかいたのもその一つ。直後に鴻池参院議員が籠池夫妻から陳情を受け、現金を渡されそうになったと公表。NHKは都合のいいメディアとして利用されたことが分かった。政権は問題が安倍自身に及ばないようにと、昭恵夫人は利用されただけで悪いのは「森友学園」だという、いわゆる「トカゲの尻尾切り」作戦で必死に逃げ切りを図っている。取り巻きの政治家たちも、口を開けばこの論理で昭恵夫人を被害者扱いにするが、(後述するように)そんなことはあり得ない。

 一方で、これだけ問題が広がると、論点が多岐にわたって本質が見えにくくなるのも事実。政権側はそうした「混迷と情報疲れ」も狙っているだろう。こうした情報の迷路に入り込むのを避けるためには、問題の本質を見失わないようにしないといけない。その意味で今回は、これまでの情報を整理しつつ、問題の本質を確認しておきたいと思う。

◆「安倍首相夫人案件」、あるいは「日本会議案件」としての圧力
 その前にまず、多岐にわたる問題点をざっと整理しておく。とにかく、国有財産を評価額から8億円も安く払い下げた経緯には、通常では考えられないような「異例ずくめの配慮」が働いていた。そうした特別扱いの背景には、何か大きな圧力が働いたとみるのが常識という。
 少なくとも、この問題の背景には森友学園の籠池理事長が、今の政権中枢を取り巻く右派集団「日本会議」(安倍は日本会議・国会議員懇談会の副会長)とつながっていること、さらには首相夫人が学園の名誉校長になっているという「特殊事情」がある。この案件が「首相夫人案件」や「日本会議案件」であることは、当然、関係者の間で暗黙の了解事項になっていたはずで、結果、一連の設立の経緯にルール無視による不正や背任はなかったのかということになる。

①  土地の払い下げに関して不正(背任)はなかったか
 学園側の要望に応えるために、近畿財務局が作り上げた「値下げの根拠」(ゴミ撤去費用の計算など)は、果たして妥当なものだったか。土地評価の算定経験のない大阪航空局に任せたのは妥当か。通常すべての交渉記録を残しておくはずの役所が、籠池理事長との交渉記録だけは破棄したと言っていることも怪しいが、交渉の場で学園側は、首相夫人が名誉校長となっている「安倍首相夫人案件」として圧力をかけたかどうか。(防衛省の案件ように)破棄したと言いながら後で記録を出してくるケースもあるので、風向きが変わればこれも出てくる可能性がゼロではないだろう。現在、会計検査院が経緯を調べているが、もし不当な値引きの実態が出てくれば背任になる。

②  近畿財務局との値下げ交渉に誰かが影響力を行使したのか
 もう一つは森友学園側と近畿財務局、あるいは小学校の許認可を行う大阪府との間で誰か口利きをした人間はいるのか。そこにカネは動かなかったのか、という問題である。これまで籠池理事長が、様々な「日本会議」系の政治家(鴻池参院議員もその一人)のルートを頼って、執拗に値下げ交渉をしていたことは明確になっている。そこで口利き料としてカネが動けば、贈収賄の問題にもなる。さし当たっては、カネを突っ返したという鴻池側と、学園側が「(鴻池の方が)執拗にカネを要求した」と言い分が食い違っているのが、一つの手がかりとなる筈だ。(自民党は拒否しているが)両者の参考人招致を実現して議論すべき問題だろう。

③  小学校認可に当たって大阪府の特別扱いはなかったか
 「森友学園」が小学校の認可を申請する相手は、大阪府教育庁で、その審議に当たるのは大阪府の私立学校審議会。この審議経過で委員から児童の確保や収支予想など、様々な疑問が出されたが、役所側はかなり強引に条件付きの認可に持ち込んだ経緯がある。松井一郎府知事(大阪維新の会)も同じ日本会議のメンバーであり、大阪維新の会の府議も動いている。そこに仲間内の馴れ合いや優遇はなかったかどうか。

◆安倍昭恵が名誉校長を務めて応援して来た教育の実体
 これまでも書いてきたように、理事長の籠池泰典は「日本会議」の中でも中核的な「生長の家原理主義」に連なる人物で、教祖の谷口雅春の教えを忠実に守り、明治憲法の復活を目指して、国家主義的な運動を展開してきたグループに連なる。そのために、幼稚園での教育方針も右翼思想をなぞる、かなりエキセントリックなものだったようだ。
 例えば、運動会などで「大人の人たちは日本が他の国々に負けぬよう、尖閣列島、竹島、北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国・韓国が心改め、歴史教科書で嘘を教えないようお願いいたします。安倍首相がんばれ!安倍首相がんばれ!安保法制国会通過よかったです」などと子どもに宣誓させる。

 教育勅語を暗唱させ、軍歌を歌わせる。海軍がお茶を飲まなかったというので、お茶を禁じる。トイレに行かせない。お漏らしすると汚れたパンツを鞄に入れて持ち帰らせる。園長室に閉じ込めて体罰を与えるなど、愛国精神のはき違えのようなスパルタ教育をやっていたらしい。また、教育に不満を持つ保護者に対しては「反日保護者」とか「よこしまな考え方を持った在日韓国人や支那人」といった差別的、排他的内容の毛筆の文書を送りつける。そこから見て取れるのは、幼い子どもたちに対して短絡的で教条主義的な右翼教育(政治教育)を強いる異常性である。これを洗脳と表した野党議員もいる。

◆幼児に右翼教育を強いる異常性。それを応援する異常性
 学校教育には、様々な名目の公費が投じられ、政治的中立を求める教育基本法もある。その中で、どうしてこういう時代錯誤の幼稚園教育がまかり通り、なおかつ小学校にまで進出するのか。安倍昭恵は、この幼稚園を4回も訪れて「教育方針に感心した。首相にも伝える」と絶賛し、「ここでつくられた芯が小学校に行って揺らがないように」などと講演し、名誉校長を“快諾”した。これは、“利用された”などというレベルではなく確信的であって、この点では、首相と夫人は一心同体と見るべきだろう。
 しかも、彼女には税金で働いている国家公務員が5人も秘書としてついており、学園での講演時にも同行している。私人か、公人かで議論もあるようだが、名誉校長を引き受けた経緯や籠池理事長との関係などについては当然、公的に説明する責任がある筈だ。

 3月5日に行われた森友学園の入学説明会で配られたパンフが、ネットで紹介されている。名誉校長の写真は消されたが、応援団としての安倍昭恵や櫻井よしこなど有名人の写真がずらっと並んでいる。そこに、今の右傾的な政治状況が見て取れるのだが、愛国主義から排他主義、民族蔑視、しつけに名を借りた体罰まで。幾ら高邁な理想を掲げても、見てきたような浅薄で硬直した教育にならざるを得ないのが今の右翼思想の限界なのかも知れない。

 こうした、時代錯誤的な右翼教育を判断力のない子供たちに強いる異常性。またその教育方針を有力者たちが応援する社会の異常性。これこそが本質であり、見失ってはいけないものだろう。安倍政権も大阪府も、4月開校を認めないことで「トカゲの尻尾切り」をし、事件の幕引きを図りたいのだろうが、私たち国民は払い下げのカラクリもさることながら、体制の周辺でうごめく、この危険な異常性をこそ直視していく必要がある。

腐敗する体制とその監視役 17.2.23

 「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」とは英国の歴史家(ジョン・アクトン)の言葉だが、現代でも権力基盤が強くなればなるほど、どこからか腐敗のにおいが現れてくる。それは時に権力中枢というよりは、権力に群がる周辺から始まる。何故なら、権力中枢は表向きでは権力の維持に緊張感を持って対処せざるを得ないが、腐敗はその裏側で、あるいは周辺(権力を取り巻く体制)で進行するからだ。その意味では、「権力は腐敗する」というより、より広く「体制は腐敗する」と言った方が適切かも知れない。大阪豊中市の小学校「瑞穂の國小学院」(学校法人・森友学園)の建設地を巡る奇っ怪な国有地払い下げ問題は、まさに安倍一強政権の周辺で起こった「体制の腐敗」を物語るスキャンダルに発展しつつある。

 同時にこの小学校は、首相夫人の安倍昭恵が名誉校長を務めており、学校長が安倍政権を取り巻く右翼集団「日本会議」の中でも曰く付きの人物で、安倍自身もその思想信条に共感を示しているだけに、メディアが取り上げる事件としては結構センシティブな案件になっているに違いない。独自に取材した情報を伝える積極的なメディアもあれば、無視するメディアもあり、あるいはNHKのように扱わないことをネットで批判されてから、広報された事実だけを及び腰に伝えるというように、メディアも奇妙な状況が続いている。しかし、ことは国有財産の不可解な払い下げ問題である。本来の役割である「腐敗する体制の監視役」として機能するかどうかもまた、問われる問題になっている。

◆幼稚園から小学校経営にまで拡大する森友学園
 学校法人「森友学園」が経営する塚本幼稚園(大阪市)や4月に開校を目指している「瑞穂の國小学院」(豊中市)の代表(園長、総裁・校長)は籠池泰典(写真)という。「日本会議の研究」(菅野完著)によれば安倍の思想的仲間になっている稲田朋美や衛藤晟一(衆院議員)、そして首相ブレーンの伊藤哲夫などと同じ、宗教法人「生長の家」の始祖、谷口雅春の教えを守る「生長の家原理主義」に連なる人物だ。コラム「“日本会議の研究”を読む」(16.6/24)にも書いたように、それは先の敗戦を否定し「神州日本国は敗れていない」と主張し、天皇を中心とした明治憲法復元を唱える。籠池もその一人で、「日本会議」大阪支部の幹部だ。

 その塚本幼稚園では、園児に教育勅語を暗記させ、軍服まがいの制服を着せて靖国神社で「同期の桜」などの軍歌を歌わせたりする。最近では、元保護者たちを中傷して「よこしまな考え方を持った在日韓国人・支那人」、「巧妙に潜り込んだK国・C国などの元不良保護者」などと民族差別的な文書を父兄に配って問題になった。
 その学園が神道による教育を目指す「瑞穂の國小学院」の名誉校長が安倍昭恵で、ごあいさつのトップに内閣総理大臣夫人として顔写真入りで出ている(注:23日時点で顔写真を削除)。今回の不可解な国有地払い下げ問題は、そんな背景を持つ学校法人が主役で、土地取引には近畿財務局、学校認可には大阪府が関わっている。

◆国側からすれば、タダ同然での売却。奇妙な撤去費用計算
 問題の土地は、大阪府豊中市の国有地(8770平方メートル)で、不動産鑑定士の鑑定額9億5600万の14%という格安の価格1億3400万で売却されたという。その差額は約8億円。なぜこんなに安く売ったのか。当初、国側は売却価格を何故か非公表にしていたが、ここへ来てようやく表に出し、安くした理由を用地に見つかったゴミの撤去費とした。しかし、この8億円の算定基準が極めてあいまいで、4月には開校を予定している学校法人側もゴミの撤去に幾らかかったのか、また、実際に国側が算定したのと同様の範囲で撤去工事をしたのかも明らかになっていない。どうも、国が独自に算定して積み上げた8億円とは、ほど遠い撤去工事しか行われておらず、学校側がぼろ儲けをした形になっている。

 しかも、その土地は、既に国側が(学園が行ったと言う)土壌汚染物質の除去費用として1億3176万円を負担していたということも分かって来た。その後、学校側はさらに地中にゴミがあると申し立て、8億円を国に減額させたと言うが、この辺の経緯が実に怪しげだ。国の収入で言えば、鑑定額9億5600万の土地を売却しながら、差し引き200万の収入しか得ていないことになる。これでは、国民の財産をタダ同然で一法人に売り渡したことになり、(説明如何によっては)近畿財務局の責任は免れない。また、売却額の1億3400万についても、10年の分割払いになっており、不動産屋から「こんなことは聞いたことがない」とまで言われている(WBS、2/21)。

◆払い下げに何らかの力(配慮)が働いたのか。安倍の全否定
 売却に何らかの配慮が働いた事をうかがわせる情報は、これだけではない。最初、この土地の購入に動いた別の学校法人は、埋設されたゴミのことを知り撤去費用を勘案して5億8千万に下げて応募したが、財務局から「低すぎる」と言われて断念したという。それなのに、なぜ森友学園は1億3400万なのか。この払い下げ問題を追及している野党(民進党など)は、そこに名誉校長を務めている安倍昭恵を始めとする日本会議仲間の何らかの口利きがあったのではないかと言うが、安倍は国会で関与を否定し、「私や妻が(認可や国有地払い下げに)関係していたということになれば、これはもう、まさに、私は総理大臣首相も国会議員も辞めるということははっきりと申し上げておきたい」と述べている。

 しかし、仮に首相側が具体的な口利きをすることはなかったにしても、森友学園はこれまで学校名に「安倍晋三記念小学校」と付けると公言し、寄付金集めにもこれを使って来た。安倍は断ったと言うが、こうした安倍と学校側との深い「関係性」も、学校側の主張や財務局側の配慮に暗黙の効果を発揮したのではないか。そうだとすれば、名誉校長を勤める安倍昭恵も含めて、その「関係性」の道義的責任は問われるべきだろう。
 これまでも、この幼稚園には安倍昭恵ばかりでなく、稲田朋美や西村眞悟(衆議院議員)、評論家の櫻井よしこなど、安倍政権の中枢を取り巻く日本会議メンバーが訪れている。稲田防衛大臣などは昨年10月に幼稚園に防衛省の感謝状まで贈っている(最近では取り消しも検討していると言うが)。

◆あえて空気を読まず。体制の腐敗の監視役としての野党、メディア
 権力を取り巻く、こうした濃密な「関係性」こそが「体制」というものであり、この体制が醸し出す価値観や損得計算が、強固に日本の政治家や官僚の行動や思考を支配していく。往々にして、それは濃厚な「空気」を作り出し、その空気を読まない人々を排除していく。その結果、ルールなき取引やなれ合いがまかり通って行くのが、「体制の腐敗」と言うものだろう。そうしたものが、見えないところで暗黙の力を示し始めると、今回のような奇っ怪な問題につながって行く。そのような状況で、「体制の腐敗」に異議を申し立て、疑問や批判の声を上げるのは中々に勇気がいる。「空気を読めない人々やメディア」はレッテルを貼られ、排除されていくからだ。

 しかし、絶対権力が長引く中では、権力者が意図するとしないとにかかわらず、体制は必ず腐敗していく。その監視役は、野党でありマスメディアの筈だ。今回の事件を最初に取り上げたのは朝日だったらしいが、その後はむしろネットで情報が拡散されて来た。それでも読売は一切触れず、NHKもなぜ取り上げないと批判されて来た。奇妙なメディア状況が続いている。今回の出来事は、国の財産にかかわる不可解な出来事である以上、(政権中枢に近いとか、遠いとかではなく)野党やメディアはまず事実の究明に力を入れるべきだろう。その上で、もしそこに説明のつかない不当性があれば、何故そうしたことが起こったのか、「権力のチェック機関」としてその背景にまで解明を進めて欲しい。

 それにしても、教育勅語を暗記させ、軍歌を歌わせる森友学園の教育方針は、戦後民主主義に明らかに逆行している。学校経営者にも思想信条の自由はあるだろうが、それを幼児教育に取り入れるのをどう考えるのか。小学校になった時に、その教育方針はどうなっていくのか。それは文科省の指導要領と相容れるのか。

 次の関心事は、大阪府が果たして認可するのかだが、そこにも「空気を読む」力学が働くのかどうか。認可を審議する昨日(22日)の府の私立学校審議会では議論が噴出し、認可決定が3月まで持ち越されたらしい。払い下げ問題の解明と認可結果が注目されるが、展開はどうあれ、安倍政権と密着した「日本会議」の存在は、今後ますますその影響力を大きくしそうである。

驀進する科学技術と人類 17.2.13

 もう10年前になるが、コラム「爆発する技術進化」(2007.4.14)でレイ・カーツワールの「ポストヒューマン誕生」という本を紹介しながら、人類が突き進んでいる科学技術の急速な進化について書いた。ある時点に達すると様々な研究成果が一斉に作用し合って急激にほぼ垂直に科学技術が進化するという話で、それを「特異点(シンギュラリティー)」と呼ぶ。その特異点は今世紀半ばにも予想されていて、そこへ到達すると、例えば12万円(千ドル)のラップトップコンピュータの処理能力は地球上すべての人間の脳を合わせたよりも大きくなり、さらに脳内に送り込んだ微小なロボットを使って極小のコンピュータ素子を人間の神経細胞とつないでやることも可能になる。そうすると光の速さで思考する人間が誕生するなどである。

 その後、日本でもこの「特異点」は科学技術を語る上で常套句となった観があり、著者のカーツワイルはたびたびメディアにも登場している。彼が予測した驚くべき事象の数々がそのまま現実になるかどうかは別として、今の科学技術の進化はまさにその特異点に向かって驀進しているように見える。人工知能(AI)、モノとモノをつなぐインターネット(IOT)、ビッグデータなどを連係させる第4次産業革命(あるいはソサエティ5.0)。また、従来の遺伝子組み換えよりはるかに正確で簡単なゲノム編集技術による生命操作。こうした技術進化の先に何が待っているのか。科学技術を真に人類の幸福のために進めて行く事は出来るのか。そのためには、科学技術の研究をどのような形で進めればいいのか。

 現代の科学技術を推進するエンジンには、様々なものがある。純粋に未知の真理を突き止めたいという科学者の欲求もあるだろうが、研究にカネを出す方に、そうした純粋な気持ちがあるとは限らない。より便利でより長生きしたいといった人間の願望を経済発展に結びつけたい、それによって世界経済をリードしたいという思惑や、軍事技術を進化させたいという思惑もある。現代の科学技術研究には、こうした様々な思惑が取り付いている。個々の技術の課題は別途詳しく見るとして、今回は(最近の読書も踏まえて)驀進する科学技術とその進め方を巡る最近の議論を概観してみたい。

◆驀進する科学技術はどこへ向かうか
 人工知能(AI)については、去年「人工知能の衝撃と人類の未来」(2016.3.22)にも書いたが、最近ではその適応範囲をどんどん広げている。囲碁のAIは名人を破ったその時点で10万の棋譜を記憶し、3千万回も対局を重ねたというが、人間ではとうてい及ばない膨大なデータから自分で学習するのが強みだ。疲れを知らないAIが膨大な症例を記憶すれば、極めて珍しいがんの診断も出来るし(人工知能「ワトソン」)、膨大な材料の組み合わせから、用途に適した画期的な新素材を探し出したりも出来る(「第4の科学で材料開発を革新する」)。

 また、これからはモノとモノを結ぶインターネット(IOT)によって、私たちの個人情報が天文学的な量となってネット上のクラウドに蓄積されていく。これから5年で430億のモノがクラウドに接続されて行き、例えば車の運転データ、相乗りタクシー、航空機や鉄道、ドローンによる監視、郵便物、水道光熱、電子買い物、携帯電話の位置と通話記録、ウェブでの活動、検索サービス、図書館での読書、フィットネス情報など様々な個人情報が日々クラウドに蓄積されて行く。全世界に構築されるヒトとモノの情報ネットワークは、まるで一個の巨大な脳のようになっていき、そのビッグデータを人工知能に追跡させれば、様々な有用情報が引き出せる(ケヴィン・ケリー「インターネットの次に来るもの」)。

 あるいは、生物の遺伝子を自由自在に切ったり、つないだり出来るゲノム編集技術である。酵素試薬を使って狙った遺伝子に正確に取り付き、遺伝子を破壊して働かなくしたり、別な遺伝子を組み入れたり出来る。従来の遺伝子組み換えのように外来の遺伝子を道具として使わないので、結果は自然界に起こる突然変異と区別がつかない。つい最近の大発明だが、これを用いると生育の早い家畜や害虫に強い野菜などが簡単にでき、生物に応用して免疫機能を持たないサルとか、卵アレルギーを作らないニワトリなどがすでに作られている。

 仮に全遺伝子の読み取りが済んでいる人間にこのゲノム編集技術を応用すれば、病気遺伝子の発現を抑えたりできる一方で、運動機能アップなど超人誕生にも道を開く、という恐ろしさも秘めている(2015年、中国が人間の受精胚にこの操作を加える実験をして世界を震撼させた)

◆科学技術イノベーションを取り巻く思惑。大学の軍事技術研究
 このゲノム編集の実際については、最近の「サイエンスニュース・ゲノム編集」で詳しく知って衝撃を受けたが、こうした科学技術の急速な進化は、微少なロボットを体内で動かす研究、量子コンピュータ、核融合など様々な分野で進んでいる。軍事技術で言えば、カナブンに似た超小型カメラ付きドローンを開発してテロリストを監視したり、テロリストの顔をAIで同定してロケット砲を打ち込んだりする技術などが開発されている(映画「アイ・イン・ザ・スカイ」)。こうしてみると、未知の領域を切り開くとか、人間の願望に応えると言った科学者の純粋な動機は別として、この驀進する科学技術を推し進めているエンジンは何なのかに関心が向く。

 その一つは言うまでもなく経済だ。例えば「科学技術創造立国」を掲げる日本は、安倍政権になって「総合科学・イノベーション会議(議長・安倍首相)」を立ち上げて科学技術を推進して来たが、iPS細胞に代表されるライフサイエンスや人工知能ロボット開発などが目玉になっている。そこには、イノベーションによって国際競争力を高め、成果を経済成長に結びつけようする意図がある。科学技術の強力なエンジンの一つは資本主義なのである(「史的システムとしての資本主義」)。そしてもう一つは軍事。最近は、この「総合科学・イノベーション会議」が軍事にも民生にも使える軍民両用技術の研究推進に向けて舵を切ろうとしているという。

 大学や研究機関を軍事技術研究に取り込む動きは急である。防衛省は2015年度から大学などの研究者に研究費を助成する制度(安全保障技術研究推進制度)を始めた。16年度は予算6億円だったのが、17度は一気に110億円に増える。さらに最近では、毎日新聞が2010年から15年度にかけて日本の大学研究者の延べ128人が、アメリカ空軍から研究費8億円を貰っていたとスクープ、衝撃が走った。この状況に学者の集まりである日本学術会議も、公開討論会を開いて防衛関連予算を受けるかどうかの議論を開始した。日本学術会議は、先の戦争に科学者が動員された反省から、戦後2度までも戦争・軍事目的の研究をしないとの声明を出しているが、ここへ来て研究の現場にも動揺が広がっている。

◆科学技術が果たした歴史的役割。科学技術が持つ危うさと業
 驀進する科学技術のあり方を巡っては現在、様々な議論が行われているが、実は科学技術の進化を促してきた要因は、歴史的に見るとそう単純なものではない。今話題の「サピエンス全史(上下、ユヴァル・ノア・ハラリ)」は、人類の誕生から現在に至る歴史を俯瞰した本だが、下巻では18世紀後半以降の西欧が、何故世界に帝国の版図を広げたかに大きな部分を割いている。それは、その頃になって初めてヨーロッパ人が地球には未知の領域(空白の地図)が広がっており、自分たちは無知なのだと言うことに気づいたからだという。そこで彼らは探検に科学者たちを同行させて様々な調査を行った。それが、ダーウィンの進化論につながり、帝国拡大のための軍事技術や地球科学の進化につながった。

 帝国主義と、発達しつつあった資本主義が科学技術進化の大きな原動力になったわけだが、それが果たして人類に本当の幸福をもたらしたのだろうか、と著者は問いかける。驀進する科学技術によって、人間が「超ホモ・サピエンスの時代(著者)」へと進みつつある今、私はこれからの科学技術は地球と人類の様々な課題(例えば国連が提起した持続可能な17の目標:SDGs)を解決する使命を持つことや、開かれた議論の場で国民と情報を共有しながら進めることが必須だと思っている。一方で、科学技術の議論にはその歴史を踏まえた「危うさや業のようなもの」も知っておく必要があると思う。さらに考えていきたい。

試される民主主義の価値観 17.2.2
 1月27日にアメリカのトランプ大統領が、中東・アフリカのイスラム圏からの入国を一時的に禁止する大統領令に署名した。それに対する反対運動がアメリカ国内だけではなく世界各地で起きているが、その中で各国首脳が発した反対の意思表明がある。ドイツ・メルケル首相「テロとの戦いであっても、特定の出身や信仰を理由に容疑者扱いすることが正当化されることはない」、フランス・オランド大統領「難民保護の原則を守らなければ、民主主義を守ることは出来ない」、カナダ・トルドー首相「信仰に関係なく、迫害やテロ、戦争から逃れた人をカナダは歓迎する。多様性はわが国の強みだ」。オバマ前大統領も「信仰や宗教を理由に個人を差別する考えには、根本的に同意しない」というメッセージを発している。

 これらのメッセージには共通して、信仰と宗教の自由、宗教による差別への拒否が語られており、またテロや戦争の犠牲者(難民)に救いの手をさしのべることを是とする思想が語られている。これは戦後世界が作り上げてきた民主主義の理念の一部であるという共通認識があるのだろう。しかし、アメリカ国内ではトランプの大統領令に反対する人々がいる一方で、世論調査(ロイター)では49%の人たちが、イスラム教徒の入国禁止措置に賛成しており、反対の41%を上回っている。特に共和党支持者の中では賛成は82%に上っているという。トランプが進めているポピュリズム(大衆迎合主義)政治によって、これまで自明とされてきた民主主義の理念が足元から揺さぶられている。

◆ポピュリズムがファシズム、全体主義に移行するとき
 ポピュリズムとは、単に大衆迎合という性格だけでなく、最近では排他主義そのものを指すというが、ご存じのように難民・移民を排斥する風潮はヨーロッパ中にも蔓延しつつある。移民によって仕事を奪われる、自分たちと違った宗教に違和感を持つ、積み重ねてきた独自の文化が侵される、といった反発から排他的な感情が生まれ、差別が移民、難民に向けられる。多くの人々の心の中にあるこうした排他的な心情に火を付け、差別を煽って大衆の支持を得ると同時に、既存の体制に安住してきた政治家や知識層、メディアに批判の矛先を向けるのがポピュリズムの手法だ。

 さらに、その指導者(独裁者)の心理的根底に人種的・民族的優越の思想がある場合、ポピュリズムは全体主義にまで行き着く危険がある。ヒトラーに率いられたかつてのナチス・ドイツなどもそうだった。始めは大衆の人気を取りながら民主的に政権を取り、やがて全権を握ってアーリア人(ドイツ民族)の優越性を至上命題として、社会に溶け込んでいたユダヤ人や他民族を排除・殺害した。そうした運動の過程で、国民の全人格を絡め取って(世界征服まで夢見て)突き進むのが全体主義である。全体主義には右も左もあり、かつてのスターリン(ソビエト)の独裁体制などもそうだった。

 その点で、アメリカのトランプ政権に懸念材料があるとすれば、それは彼らの極端な白人至上主義ではないかと思う。特にトランプ政権の黒幕とも言えるスティーブン・バノン(大統領上級顧問兼首席戦略官)が問題で、彼の政治信条は、ネットで見る限り、基本的に極右(オルタナ右翼)であり、白人至上主義とか(女性蔑視も含めた)差別主義、排外主義の持ち主と言われている。
 彼は最近トランプによって、安全保障の最高意思決定機関である国家安全保障会議(NSC)で閣僚級委員会の常任メンバーにも任命されたが、何故こうした人物が、核大国アメリカの防衛・安全保障政策を担うことになるのか。そこにトランプ政権の警戒すべき胡散臭さが表れている。

 アメリカでは既にトランプ政権の誕生を機に、KKK運動などの極端な白人至上主義や差別主義者がうごめき動き出しているが、バノンのような極右が国内外に故意に緊張を作るこうした動きを見ると、アメリカもポピュリズムからファシズムや全体主義に移行する危険がある。もちろんアメリカ社会には、様々な民主主義的理念が定着しており、それを担保する法的な構造もあって簡単に独裁者や全体主義を生むことはないと言う人もいる。しかし、今の彼らの強引なやり口を見ていると、その目標には、そうした民主主義的構造そのものを破壊することも入っているのではないかと思わせる。それだけに、アメリカの民主主義が底力を発揮して、トランプの暴走を食い止めることを期待するわけだが、果たしてうまくいくか。

◆大戦後70年を経過して、試される民主主義の理念
 そもそも近代の民主主義とは何かと言えば、これが結構あいまいだ。最大公約数的に言えば、国民主権、基本的人権、法の支配、そして三権分立といったところだろうが、その言葉だけでは今の欧米、あるいは日本のような民主主義を建前とした国々で「それは民主的ではない」と批判しても、多分に感覚的なもので、それが何を根拠にしているのかを明確に言うことは出来ないように思う。
 そこで日本国憲法を見ると、人種、信条、性別、社会的身分などで差別されない(14条)、とか、思想および良心の自由は侵してはならない(19条)、信教の自由も保障する(20条)、といった条項になる。拷問なども禁じられている(36条)。先の敗戦を反省した結果の戦争放棄の条項(9条)もある。

 こうした民主的価値観を反映した憲法のもとで、日本社会は現実的な政策を積み上げてきた。それが人権尊重、平和希求、国威より民生重視、格差の少ない横並び発展、治安の安定と長寿化、国際的ブランドの向上などにつながってきたと言える(1/22毎日、藻谷浩介:日本総合研究所)。それは多かれ少なかれ欧米も同じだったと思うが、戦後70年以上が経過するうちに戦争の記憶も薄れ、テロとの戦いや移民や難民の流入といった深刻かつ新たな要因が生まれる中で、こうした民主主義的な価値観が空洞化している。アメリカではトランプの掲げる「安全なアメリカを」という名分によって、宗教の自由の保証や差別の禁止、拷問の禁止などが侵されつつあり、それが国の内外の良識派から「民主主義的ではない」という批判を生んでいる訳である。

 状況は日本も同じ。近年の東アジアでの緊張や世界的なテロと紛争、アメリカとの軍事同盟の強化といった外的要因に備えるという名目で、知る権利(特定秘密保護法)、戦争の放棄(安保法制)、信条の自由(共謀罪)、軍学共同研究などの新たな動きが始まり、憲法に保証された民主主義の土台が少しずつ切り崩されている。加えて、安倍政権を取り巻く極右勢力「日本会議」に代表される戦前回帰的な国家主義の動きもある。まさに、戦後70年経って戦争の記憶が曖昧になり、再びポピュリズムや全体主義が芽を出しつつある中で、世界も日本も民主主義の価値観が試される状況に入っているように思う。

◆建前的に唱えるだけでなく、民主主義的な価値観を問い続ける
 こうした状況にあって、権力のチェック機関として頼みの綱のメディアはどうかというと、これが危機的。ネットに押されて人手不足になり、安直な建前主義でやってきたメディアの方にも問題があったわけだが、アメリカの世論調査(ギャラップ)によると、メディアの信用度は1976年の72%から2016年には32%に落ちており、共和党支持層では僅かに14%しかない。対してトランプのツイッターのフォロワーは2000万人もいるという(1/28朝日)。民主主義の価値観がどのような犠牲と反省の上に獲得されてきたのか、それを忘れて建前的に幾ら批判を繰り返しても、トランプのポピュリズムには打ち勝てない。(「脱真実とメディアの危機」)

 同じような危機は日本のメディアや既成の左派政党にも迫っている。NHKも含めて多くのメディアが安倍に牙を抜かれる一方で、既成政党の形式的な安倍批判も説得力を持たない状況が生まれている。この状況を認識し、今一度、戦争と平和の原点に帰って大衆の心に届く「説得力のある民主主義の価値観」を発見できるか。戦後民主主義の価値観が空洞化しつつある現在、私たち国民にとっても大事なことは、国際的な視野を持って「どうしたら戦争を避けられるか」、「いま人間が人間としてあるために大事なこととは何か」を日々問い続け、世界に通用する新たな(民主主義の)価値観を見いだして行くことではないかと思う。
2017年・日本の重要課題 17.1.22

 1月20日、ついにトランプが第45代アメリカ大統領に就任した。一人の男の登場がこれほどまでに議論を呼ぶことは、アメリカの歴史の中でも滅多にないことだろうが、世界の運命を左右する超大国にあって、最強の権力を握るポストに予測不能の人間がついた訳だから、それも仕方がない。これから少なくとも4年、世界はトランプという男に振り回されることになる。しかし、そのトランプも権力を剥いでみれば一個の人間として平等であり、幾ら大統領と言っても、他人が平和に生きる権利を奪うことは許されないはずだ。就任演説でも明言したように、これからは国民が支配者なのだから、アメリカ国民(メディアも)が十分な監視と意思表示をしながら、大統領が世界に厄災をもたらさないように、彼を適切に管理してくれることを期待したい。

◆2017年の日本の重要政治課題
 さて、そのトランプについては前回ある程度書いたので今後の推移を見るとして、今回は2017年の日本の政治課題について概観しておきたい。例によって、今年も複数の新聞を切り抜いて読む生活が続きそうだが、年明けの社説や特集記事を重ね合わせると、私たちの日本も様々な課題を抱えていることが見えてくる。さし当たって防衛政策や貿易などでは、トランプのアメリカから厳しい要求を突きつけられるリスクもあるし、既になじみの深い日本独自の問題もある。いずれも私たちが今の豊かさと平和を持続していく上で、待ったなしの状況にある重要課題であり、舵取りを間違えば国民生活にも大きな影響を及ぼす。

 それだけに日本の英知を集めて最善解を求めていかなければならないが、責任を負っている安倍政権はうまく対処出来るのか。あるいは、対案を期待される野党は機能できるか。20日には通常国会が召集され、首相の施政方針演説も行われたが、様々な取り組みが総花的に取り上げられている一方で、意図的に抜け落ちているものもある。そこで、これから国会で真剣な議論が行われるのを期待する意味でも、年明けの新聞社説や特集記事とも付き合わせながら、2017年の重要課題を私なりに整理してみたい。

①   東アジアの安定のために、問われる平和への決意
 まず、日本にとって死活的に重要なのは、東アジアの安定である。ここで緊張が高まり、万一紛争や戦争が勃発すれば、日本の穏やかな国民生活は吹き飛んでしまう。しかし今年は特に、東アジアで緊張が高まる波乱要因が目白押しだ。南シナ海の埋め立てや領海問題、東シナ海(尖閣諸島)の領有権問題に加えて、最近では中国から距離を置こうとする台湾の問題がある。これらはすべて、中国からすると政権の命運に関わる「核心的利益」であり、絶対に譲れないところ。その状況の中で、最大の波乱要因は中国とアメリカの力の対決になりそうだ。

 まず、アメリカ第一を掲げるトランプと習近平の貿易を巡る暗闘が始まる。それはもう“貿易戦争”とも言うべきレベルになりそうで、交渉を有利に進めるためにトランプが、「一つの中国」として国際的にも決着していた台湾問題を持ち出すとなると、話し合いレベルでは済まなくなる。さらに東アジアには、生き残りを賭けて核開発を続ける北朝鮮、政治的混乱が続く韓国があり、中国と日米とを天秤にかけるフィリピンがあり、大国ロシアも米中日をにらんでうごめく。こうした緊張をはらんだ東アジアで、日本は地域の平和と安定をどう維持しようとするのか。

 首相は、年明けからフィリピン、オーストラリア、インドネシナ、ベトナムを回って大金を投じて中国包囲網を作り、トランプ会談への手土産にしようとしているが、こうした日本からの一方的な日米同盟強化策は果たしてうまくいくのか。あるいは、一方の中国の神経を逆なでしないのか。今や海外からは「世界で最も危険な2国間関係」(毎日社説)と言われる日中関係だが、こうした「中国牽制策」ばかりでは極めてマイナスと言う指摘もある(田中均・元外務審議官)。不安定な東アジアを安定させるためには、備えは備えとして対立の芽を大きくしない地道な努力と、何としても融和を図っていく強い決意が日中双方に求められるのだが、今年はどういう展開になるのか。日本の東アジア外交、日米軍事同盟政策が問われる年になりそうだ。

②   アベノミクスの見直しと財政再建
 安倍は演説の中で、名目GDPの増加、ベースアップ、有効求人倍数、子どもの貧困率低下(本当か?)、観光客の増加、若い世代の新規就農者の増加などのデータを総動員して、アベノミクスの成果を訴えた。しかし、こうした経済的成果はむしろ国民の地道な経済活動の結果であって、4年前に鳴り物入りで始まった「異次元の金融緩和」とは直結しない。安倍は口をつぐむが、アベノミクスが目指した2年で2%の物価上昇、名目3%の経済成長は実現されず、日銀口座や市場に行き場のない莫大なカネが溢れる副作用の方が心配されている

 今のうちに、こうした副作用をどう乗り切るか、金融政策の出口をどうするのかを、しっかり議論しなければならないのに、不都合な現実を隠そうとするのは危険。欧米ポピュリズムの轍を踏まないためにも、智恵を出し合って、マネー資本主義の弊害である格差や貧困問題を克服する「新たな経済政策」を打ち立てるべき時ではないか(「時間稼ぎのアベノミクス」)。

 もう一つの問題は、アベノミクスと表裏にある日本の財政再建問題である。安倍は、来年度予算編成で新規公債の発行額を10兆円減らしたと胸を張ったが、それは「捕らぬ狸の皮算用」の税収を前年度より15兆円も多く見込んだ結果だ。税収がそんなに伸びる保証はどこにもなく、「見せかけの財政再建」、「税収見通し“作為的”」などと批判されている(毎日12/23)。給付型奨学金など様々に取り込んだ政策も、財源のきちんとした裏付けが出来ていないという指摘もある。膨大な財政赤字は国家破綻をもたらす、いやそんなに心配しなくていいと、様々な意見がある中で財政再建問題を徹底的に議論していく必要がある。

③   縮む日本。人口減少問題にどう取り組むか
 日本の人口はこのまま行くと、2050年に1億を切り今世紀末には4千万人にまで激減すると言われる。その“現実”は今や(次の日本を作る若い世代のやせ細り、地方消滅の危機などの)様々な社会現象として既に現れている。これに対処するには、発想を変えた総合的かつ抜本的な対策が必要なのだが、今の取り組みで大丈夫なのか(「“縮む日本”の現実を直視せよ」)。

④   未来を切り開くイノベーション研究に遅れないために
 アメリカ、ドイツ、中国などの科学先進国は今、次の社会を作る技術のイノベーション研究で日本を超える勢いで取り組んでいる。オバマ時代の人工知能政策、ドイツの「第4次産業革命」、そして日本での「ソサエティー5.0(超スマート社会)」と言った、技術進化を取り込んだ社会革命だ。そのキーテクノロジーは人工知能(AI)、IOT(モノとモノを結ぶインターネット)、ビッグデータだが、問題はこうした研究成果をどういう形で社会に実装していくかである。下手をすると、過去の技術と同様に人々を単純作業に追い込み、経済格差を作ることに利用されるだけになる。エネルギー政策と合わせて、国を挙げた議論が必要なテーマである。

⑤   右傾化する政治を国民の手に取り戻すために
 安倍は演説の最後に「ただ批判に明け暮れたり、言論の府である国会の中でプラカードを掲げても、何も生まれません」と野党を挑発しつつ、「憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか」と憲法改定を進める呼びかけを行ったが、この他に今国会での「共謀罪」の成立も目論んでいる。こうした“強権国家”への回帰が、今後世界で予想される極右的、ポピュリズム的政治動向とどう関連してくるのか。

 通常国会は6月18日までの長丁場になる。その間にトランプ大統領誕生をきっかけに、世界は激動期を迎える事になりそうだし、年内の衆院選挙も予想されている。こういう時にこそ、政治の重要課題を一部の政治家の手にゆだねず、国民の多くを巻き込んだ議論に広げていく努力が求められる。(一つ一つについては、折を見て取り上げていきたい)