規制解除後の東京都の新規感染者の増加が止まらない。6月30日、都はこれまでの数値基準をやめて、医療施設、重症者の状況など7つの指標から総合的に判断するという新方針を打ち出した。何よりも経済的打撃を避けたいという意図からの方針転換であり、3密回避などの要請は続けるとしても、これまでステップを踏んできた感染予防策の数値基準は放棄する。経済重視への方針転換は政府も同じ。従来の基準からすれば東京都と他府県間の移動の自粛や夜の街での休業要請などが出てもおかしくないのに、音なしの構えである。
経済界や労働界からの悲鳴も届いているのだろうが、今の政治家の頭は、経済的影響の大きい非常事態宣言の再発令は何としても避けたい思いで一杯に見える。これは政治が主導して、一方で感染拡大を気にしながら、他方で経済に舵を切る新たな局面である。しかも、以前と変らない経済活動を期待して手綱を安易に緩めると、たちまちウイルスから手ひどい反撃を食らうことになる。ウイルスと共存する新たな局面で、どのように経済を回していくのか、政治は明確なイメージを持っているのだろうか。政治家にその覚悟があるのだろうか。
◆専門家会議の廃止が意味するもの
ウイルスと共存する新たな局面に関しては、専門家たち(政府の専門家会議のメンバーなど)から幾つもの問題提起が行われている。例えば、Nスペ「新型コロナウイルス 危機は繰り返されるのか」(6月27日)では、今の状況について専門家からは、次に迫る感染拡大に備えての人材の補充や、海外からの流入を食い止める検疫体制が極めて手薄だという指摘があった。中には今を「静かに正念場を迎えている状況」と表現する専門家もいて、これはある意味、こうした現実から目を背けて方針転換しようとする政治と対極にあるものである。
にもかかわらず、政治は専門家たちの意見を振り払うようにして、経済に舵を切ろうとしている。その象徴的出来事が、6月24日の政府専門家会議の突然の廃止だった。後に、西村経済再生担当大臣は、「廃止でなく衣替え」と弁解したが、専門委員の方も寝耳に水だった。これまで散々、専門委員会を隠れ蓑のように利用してきたのに失礼な話だが、時に独走しがちな専門委員会の存在が経済に舵を切る上で、目障りになったのが真相だろう。政府の下に経済も含めた「有識者会議」を置き、その下に感染症対策の専門家からなる「分科会」を置くという。
◆政治家の質が問われる政治主導
随分と格下げになったものだが、これはこれで「政治の責任」をより明確にする意味からすれば結構なことかもしれない。しかし、そこでは当然のこととして、「政治の質」が問われることになる。例えば、NYのクオモ知事のように、政治家が全面的に責任を負う形で対策の舵取りにあたる一方で、トランプのように、科学的知見やコロナによる弱者の犠牲を全く無視して、経済だけを叫ぶ政治家もいる。そこまで極端ではないにしても、日本の場合も、いわゆる「政治主導」には様々な懸念がある。「政治家の資質」に必ずしも信頼が置けないからだ。
かなりの確率で心配なのは、政治家が経済的打撃に怯えるあまり、不都合な現実から目をそらすことである。60人、70人と新規感染者が増えても、「検査を拡充したから」、「無症状が多く、病院機能に影響は出ていない」などと様々な理由をつけて実態を見ようとしない。小池都知事なども、選挙が近づいたとたんにあれこれ聞かれるのが嫌で表に出なくなった。西村も感染者の増加に対して「嫌な感じ」などと言うだけだ。そうした意見に、どれだけ科学的な根拠が反映されているのか、政治家が頼るという専門家の声が一向に聞こえて来ない。
◆無意識の「悪魔の誘惑」を否定する
さらに懸念されることがある。ポピュリズム的傾向に染まりやすい政治家は、声の大きい多数意見に迎合する。このままでは経済が回らなくなるという声に敏感になるのはいいが、そのために経済活動と感染拡大防止という二律背反の難しい舵取りから手を離してしまうことである。その時の言い訳として政治家の意識下に生まれるのは、「コロナの影響を受けるのは社会の20%弱のハイリスク集団であって、それ以外の大多数にとっては、インフルエンザのようなものだ」、「それを考えれば経済を回す方が大事」という、コロナを見くびった意識である。
特に政治家には、「仮に感染しても、自分は高度な医療を受けられるから大丈夫」という特有の思い上がりもあるに違いない。これは以前にも書いたが、社会的効率や経済的効率から高齢者、貧困者の犠牲を容認する、「悪魔の誘惑」の無意識版である。こうした無意識が、(トランプのように)現実直視を避けさせ、政治の無作為を生み、科学的知見を遠ざけることにつながったとしたら、問題である。そうでないことを示すために、日本の政治家は方針転換の今こそ、二律背反の難しい舵取りから逃げないという、国民の心に響くメッセージを発しなければならない。
◆先が見えない状況での難しい舵取り
今、感染の現状について専門家はこう言う。このウイルスの厄介な点は、症状のでる2日前が、一番感染力が高い。また、(夜の街などでの)無症状の若い感染者は、サイレントキャリアとして市中に感染を広げて行き、それが高齢者や持病のあるハイリスク集団の重症化として顕在化する。従って、軽症や無症状だからと言って放置すると、今は余力があるように見える医療施設もたちまち手一杯になる。経済を回すことももちろん重要だが、余裕のある今こそ、感染の第二波が予想される冬に備えて、医療の充実、人材確保を着実に行うべき時と言う。
さらに、この先の展開になると、様々に意見が分かれていて確かなことは何も分からない。第二波がインフルエンザの大流行と重なるかもしれない。ウイルスが、より感染力が強いものに変異する可能性もあるし、変異が激しければワクチン作りも難しくなる。アメリカ大陸やアフリカなどでの爆発的感染を考えると、ウイルスは引いては寄せる波のように侵入して来るだろう。従って、経済的影響は相当な長期に及ぶだろう、などなど。こうした先が見えない困難な状況を生き抜くためにも、政治は極めて難しい舵取りを迫られるという自覚が必要になる。
◆日本の政治家に政治主導の覚悟はあるか
これからのコロナ対策は、以前も書いたようにハンマーで一度叩いて下げた感染者数を、できる限り低く抑えながら、ウイルスとダンスしていくことである(ハンマー&ダンス)。その中で、経済活動も感染拡大防止も、という極めて難しい政策を実行して行く。先日のNスペでは、ドイツの例として科学者と経済学者が共同して、もっとも経済にダメージが少ない感染防止の指標を求めていたが、新型コロナ対策の新局面を迎えて、日本でも様々な分野の研究者が協力して政策を提言し、それを政治家主導で実行していく体制作りが不可欠になる。
以下、その時の政治に必要になることを、思いつくままに書き出しておきたい。まず任に当たる政治家は、経済も感染防止も、という困難な責任から逃げないという強い決意を国民に示すことである。同時に、経済的、身体的弱者を見捨てないというメッセージを発する。また、政策決定過程の根拠を国民に分りやすく伝えることも欠かせない。そのためにも有識者会議、分科会での議論をできる限り公開し、専門家の声が聞こえるようにして貰いたい。さらに国民が今、抱いている不安(検査・診断・治療に関する最新の医療を受けられるのか)に常に答えていく。
まだまだ謎に包まれた新型コロナウイルスとの共存は、手探りが続く。仮にも政治主導をいうなら、政治家が国民の心に響く自分の言葉で発信していくことである。質問にも丁寧に答える。そして、国民の暮らしや健康、経済への不安に寄り添う姿勢を見せることである。それが日本の政治家に出来るかどうか。常に責任を取らない政治劣化の現実をみると、政治主導が却って心配になる。
|