日本の新型コロナの状況は依然として瀬戸際が続いている。日本はPCR検査が圧倒的に少ないので、実際の感染者数を把握出来ていないが、目に見える死者数は何とか爆発的増加を抑えられている。これは、院内感染が多発している中で、医療関係者の献身的で懸命な努力が続いているからで、頭が下がる。全国への緊急事態宣言と東京都の12日間の「Stay home週間」が、どの程度の効果を上げるかにもよるが、この先、ウイルスとの共存(緊急事態宣言の出口)を探るには、広範囲のPCR検査や、地域ごとの無作為抽出の抗体検査を行って、実際の感染状況を把握する必要がある。しかし、日本はこの点でも出遅れている。
◆時間稼ぎの利点を生かせるか。問われる学習能力
もっとも、死者数の増加を抑え、ぎりぎり医療崩壊を抑えられていれば、検査で周回遅れの日本にも有利な点はかなりある。時間を稼ぐことで、世界の感染押さえ込みのノウハウ、医学的知見を対策に生かすことが出来るからである。4月25日放送のBS1スペシャル(「ウイルスVS人類」)、Nスペ(「緊急事態宣言〜医療と経済の行方」)の両方を見たが、ウイルスの解明、ワクチン開発、対抗薬の試験に関する知見、院内感染を防ぐノウハウなどについても、少しずつ科学的知見が蓄積されているのが分かる。何とか持ちこたえていれば、戦い方を少しずつ学習できることになる。
問題は、医療分野での学習は進むにしても、それを政策で支援すべき政治と行政の遅さである。医療現場では相変わらず感染防護用品が足りないし、劣悪な条件で働いている医療スタッフへのサポートも出来ていない。PCR検査の拡充もまだるっこいままだし、抗体検査も無作為抽出でなく、赤十字社の献血者の血液で代用するなどの中途半端なものだ。政策を決定していくためには、日々刻々変っていく新型コロナの最新情報を常に把握していく必要があるが、対応の遅れを見ていると、政府も厚労省も危機意識をもって学習しているのか疑問になる。
◆危機は指導者の資質をあぶり出す
的確な政策を実行できるかどうかは、その国のリーダーの危機認識力、科学的知見の学習能力、コミュニケーション力に負うところが大きいが、今回のパンデミックでは、各国の取り組みを指揮するリーダーの資質の差が話題になっている。「一人一人が当事者です」と言い、「命を守るために断固とした対応が必要」と国民に訴えたのは(理系の)メルケル独首相である。同国のウイルス学者から、「おそらく我が国最大の強みは、合理的な意思決定を高い次元で下せる政府が、国民からの信頼をしっかりと勝ち得ていることにある」とまで評価されている。
理系かどうかは別として他にも、台湾、ニュージーランド、フィンランドのようにコロナ危機に際し、国民の心に響くメッセージを発して国民の心を掴み、成果を上げている指導者(何故か女性たち)も多い。支離滅裂な言動で顰蹙を買うトランプなどは論外だが、日本の首相もリーダーとしての資質を問われていることには変わりない。この点、総じて危機に際してはリーダーの支持率が上がるのが一般的だが、トランプも安倍も全然上がらない。危機は指導者の資質をあぶり出すというが、日本の政治・行政が力を発揮できない原因は何なのだろうか。
◆危機認識力のなさと人材不足
今回のコロナ危機に関して言えば、指導者に必要なのはまず危機認識力である。新型コロナが日本や世界にとってどの程度重大なのか、という基本的認識である。危機をいち早く捉えて対策に乗り出したドイツや台湾に比べて安倍官邸の認識は極めて甘かった。観光地への打撃や中国への配慮による入国制限の遅れ、オリンピック開催にこだわった逡巡、そして業界への配慮から都の休業要請に待ったをかけるなど。真の敵に向き合う能力と勇気が足りなかったために、気を取られることが余りに多く、早期に断固とした対策がとれなかった。
それが、怪しげな利権問題までささやかれているアベノマクスや自宅からの呑気なインスタ発信、給付案の迷走などに現れているが、これは安倍の人材登用にも問題があるのだろう。安倍はこれまで国の緊急事態には国家安全保障局(NSS)で対応するとしてきたが、経産省や警察官僚で固めてきたために、今回のコロナ危機では殆ど機能できていないという(「選択」4月号〜新感染症に無策の国家安全保障局)。思いつきを進言した官邸官僚も、不倫問題を起こした大坪寛子(厚労省官房審議官)などの官僚も足を引っ張る。非常時に優秀な人材を集められないのは、リーダーとして問題である。
◆コミュニケーション能力の不足と不誠実
安倍自身のコミュニケーション能力の問題もある。今回のコロナ危機ではクオモNY州知事のように、リーダーたちが毎日のように国民、住民に話しかけている。人々の信頼を得るには自分の言葉で、その時々に変化する情報を隠さずに発表することが欠かせない。それに比べて、安倍の記者会見は明らかに少ない。それも官僚が書いた作文をプロンプターに映し出して読んでいるだけ。いかにも優秀な官僚が書いた言葉が踊った作文で、自分の言葉ではないのでこちらの心に響かない。もともと国民に訴えかけるという気持ちが薄いのかも知れない。
しかも、その言葉は粉飾的な断言が多い。2/29にやっと開いた最初の会見では、「私の責任で」、「私がリーダーシップを取って」を連発し、「私が決断した以上、私の責任において、様々な課題に万全の対応を採る決意」と述べたが、「盤石な検査体制、医療体制を構築していく」、「医者が必要と考える場合には、すべての患者がPCR検査を受けることができる十分な検査能力を確保する。患者が大幅に増加する事態にも万全の医療提供体制を整える」などについて、安倍がリーダーシップを発揮した形跡は全く見えない。
◆危機に際して機能不全。政治劣化のツケは国民に
4/7に安倍が「世界的にも最大級の経済対策」と胸を張った108兆円についても、実体は税金から出る真水は27.5兆円で、しかもピント外れのコロナ後の経済対策(GoToキャンペーン)が感染症対策(6700億)の2.5倍もある。安倍政権の危機感の薄さと不誠実な粉飾体質が現れた内容だった。「首相の意思がないから官僚に踊らされているだけ」(平野貞夫)、「責任は認めるが、実際には責任は取らない」(与良正男)などと手厳しく指摘されているが、日本の政治はどうしてこうも劣化したのだろうか。
安倍を始め、今の政治家たちの多くは2世、3世の議員たちで、庶民感覚から遠い苦労知らず。官邸官僚たちも組織遊泳に長けたエリートたちで、視野には永田町や霞ヶ関の力学しか入らない。その彼らが、国家を動かす感覚で上から目線で危機に対処しようとすると、国民の痛みが分からず、真の危機に謙虚に向き合えずに機能不全を起こしてしまう。それが、「失われた30年」のぬるま湯の中で培養された政治の腐敗と劣化であり、それを許して来たのが、他ならぬ私たち国民である。ツケは国民に回ってくる。
◆危機に立ち向かう勇気と希望を与える政治を
日本と世界は、この未知のウイルスと共存していくことが出来るだろうか。以前のような生活を取り戻すことは出来るのか。現段階で、その疑問に答えることは難しい。日本は世界の知見を学習しながら、確実に対応策を実行し、ワクチンや有効な薬が見つかるまで、出来るだけ時間を稼いで、ウイルスとの共存を模索していく。政治も医療か経済かといった単純な見方ではなく、謙虚にウイルスの脅威に向き合う必要がある。
それが出来て初めて政治は、この難局に立ち向かう勇気と希望を与えることが出来るだろう。いま中央政治が迷走しているときに、(ばらつきはあるが)地方自治体の長たちが地域の医療や経済の現実と向き合って、独自の存在感を示し始めている。その中から、明日の政治のあり方を見いだせることを、今は期待することにしたい。
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