日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

絶対利権は絶対に腐敗する 19.10.8

 英国の歴史家、ジョン・アクトンの「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」いう言葉は、これまでにも何度か引用してきたが、権力と利権が表裏一体であることを考えれば、これを「利権は腐敗する。絶対利権は絶対に腐敗する」と言い換えてもいいのではないか。しかも権力に守られた利権は、権力が長期化すればするほど腐敗の度を増して行く。今の日本では長期政権の淀みの陰で、各所で様々な利権集団が形成され、強欲な面々が砂糖に群がる蟻のように集まって私腹を肥やそうとしている。その腐敗の実態は、まさに「知らぬは国民ばかりなり」である。

◆利権が呼び込んだ共犯関係。原発マネー環流事件
 9月26日に、共同通信の特報から始まった関西電力の原発マネー環流事件は、毎年巨額のカネが動く原発事業の闇の一端が表に現れたものだ。高浜町の元助役から関電経営陣に還流した3.2億円は、原発の安全対策費だけで1兆円を超える関電の原発関連費のごく一部に過ぎない額で、彼らにとっては元助役側に実際より多少高く払っても痛くもかゆくもない額に違いない。その高く払いすぎた額から3.2億円が関電側に環流していたのにびっくりだが、(説明によれば)事業をスムーズに進めるには受け取るしかないと黙認していたのだそうだ。 

 しかし、公共事業である電気事業は、掛かっただけを電気料金(公共料金)に上乗せしていい構造になっており、国民の負担金である。そのことを考えれば、国民から集めた金を表に出せない癒着の中で無駄遣いし、しかもその環流金を自分たちの懐に入れていた事実は、法律上はともかく、経営責任はどう言い逃れしようと免れることではない。元助役は利権の甘い汁を吸い続けるために関電経営陣を共犯関係に引きずり込んだわけだが、関電側は「死人に口なし」で、このまま黙って金品を懐に入れようとしていたと疑われても仕方がない。

 元助役同様、彼らもまさに原発利権にたかる蟻状態になっていたわけで、これは原発事業がもはや透明性のある公共事業としては成り立たず、腐敗したなれ合いの関係でしか維持できない無理筋の事業であることを示している。安倍政権は、核燃料サイクルも含めて原発が無理筋なのを承知で「ベースロード」電源として位置づけ、巨額の税金を投入して推進しようとしている。しかし、無理を通そうとすれば必然的に癒着と腐敗の関係が生じざるを得ないことが明白になった。これでは、安全確保などとても無理。原発はやめるしかない。

◆政官財の欲望渦巻くカジノ誘致
 利権の甘い汁が強欲な面々を呼び込む構図は、原発に限ったことではない。例えば、3年前に自民党などによって強行採決されたカジノ法案(統合型リゾートIR)。今このIR誘致を巡って生臭い動きが始まっている。横浜では、8月に林文子市長が誘致を表明して注目を集めたが、これも裏で地元に利権を持つ菅官房長官が糸を引いている。既に横浜に進出するカジノ企業は、トランプとも縁が深い米国の「ラスベガス・サンズ」に内定しており、これにセガサミー(パチンコ機器メーカー)が共同参加を目指して激しい政界工作を続けている(「選択」10月号、横浜カジノに燃える強欲者たち)。

 セガサミー会長の次女の婿は衆院議員の鈴木隼人。2人の結婚式には安倍首相ら歴代首相と菅も駆け付けたそうだが、セガサミーの武器は政界との太いパイプだ。菅は、競争相手の千葉の森田健作に災害支援で話をつけ、東京の小池優子には二階幹事長を通じて「再選させる代わりに横浜IRを妨害しない」という交換条件を用意する。その一方で、政権の内部でも欲望が渦巻いている。内閣官房(菅の管轄組織)のIR推進本部の事務局には経産省や財務省から大量に役人が送り込まれ、せっせと世界各地のカジノ「視察」に励んでいるという。

 皆、「官僚人生の最後に一花咲かせると同時に、観光業界やカジノ業者にでも天下りたい野心家ばかり」と「選択」は書くが、こうした連中がまるで利権に群がる蟻のように、カジノ産業にたかろうとしている。不透明な利権構造の中で、適切なギャンブル依存症対策は作られるのだろうか。無駄な税金が投入されていないか。まさに「利権は腐敗する。絶対利権は絶対に腐敗する」を地で行くように、長期政権によって構築された利権構造によって、税金の甘い汁が権力の中枢に流れ込む仕組みが作られている。知らないのは国民だけである。 

◆大企業への優遇策で結びつく政財の利権構想
 もっと巨額の癒着構造もある。大企業の「優遇税制」を巡る政府自民党と大企業のもたれ合いだ(同じく「選択」)。安倍政権は発足以来、成長戦略の目玉と称して法人税の引き下げを続けて来た。その税率は政権発足当初の39.5%から23.2%まで大幅に下がっている。しかし、特に大企業は法人税の引き下げで儲けた金を内部に貯め込むばかりで設備投資にも使わず、給与にも反映させない。企業の内部留保は今や、金融・保険も加えた全産業で500兆円にも上っている。大企業は日本の法人税は高くて商売しにくいと不平たらたらだったが、法人税の引き下げが経済成長に寄与している形跡は乏しく、政権の思惑は外れている。

 しかも驚くべきことに、日本の法人税は全企業一律の筈(従って利益の大きな大企業ほど有利な税制)なのに、実際は資本金が大きくなるほどに税率が下がる異常な状態になっている。特に資本金が100億円以上(トヨタは6300億円)の大企業は法人税の実質負担率が11%台(連結法人まで入れると8%台)にまで下がっている。どういうことかというと、大企業ほど有利な優遇税制があるからだ。一つは研究開発費に対しての優遇措置で、大企業も中小企業も一律だから、多額の研究開発費を使って減税を受ける大企業の方が有利で、例えばトヨタなどは、4年間に4000億円も税金を控除されているという。

 以上は一例に過ぎないが、様々な法人税の優遇策で、日本そのものが税金逃れのタックスヘイブン(租税回避地)状態になっているという指摘さえある。それにしても、安倍政権の前には40%近くあった大企業の法人税が減りに減って実質8%台とは。巨額の社内留保を見れば、消費税の増税(年間5兆円)などしなくても法人税の見直しだけで十分だという、山本太郎の主張も肯ける気がするが、それが出来ない利権構造がある。それは政治献金。経団連を始め、日本自動車工業界、製薬産業政治連盟が自民党への最大の政治資金提供者だからである。ここにも、裏でがっちりと手を組んだ利権の構造がある。

◆利権の閉塞社会。権力のシャッフルは出来るか
 安倍政権が一強状態を作り出してから間もなく7年が経過しようとしている。この間に構築された利権の構造はますます強固になって行くに違いない。そこに腐敗が生じようが、利権のうま味を知っている与党がこれを変えようとはしないだろうし、野党の国会議員達だって何かしらの利権に縛られているかも知れない。そして国民の方も漠然とした受益の幻想を抱いて、この状況に安住している。しかし、このような利権構造はどこかで見直されないと、いつ原発事故や財政破綻、地震・災害への脆弱さとなって現れないとも限らない。

 こうした利権の癒着構造は報道されない限り、国民は知ることが出来ない。また、権力がシャッフルされない限り利権の構造が変ることはない。今回の関電のように、権力の淀みに浸かって居座りを決め込む連中に、自浄作用は期待できないからだ。分かってみると、腐敗した利権構造のある社会は閉塞的で息苦しい。せめて自民党内でもいいから、どこかで権力のシャッフルがあって欲しいと思うが、そのためにも関電事件をスクープした共同通信や、「選択」のようなメディアの監視機能は大事にしなければならないし、他のメディアにも頑張って貰いたいと思う。そして、少しは目覚めた野党にも。

疑問だらけの東電事故判決 19.9.27

 9月19日、福島原発事故に関して「業務上過失致死傷罪」で起訴された東電の旧経営陣に対する東京地裁の判決があった。東京地検が不起訴としたものを住民グループが検察審査会に申し立ててようやく起訴に持ち込んだ裁判だったが、21人の証言と4100点の証拠、2年3ヶ月に及ぶ審理の末に出された判決は全員無罪。当日のニュースや夜のNHK「クローズアップ現代」、翌日の新聞各紙の論評などを読んで抱いたのは、判決内容に対する強い違和感だった。その論理展開もさることながら、「この裁判長は原発の安全確保の重大性を分かっているのか」と疑わせる文言が判決文の各所に出てくるのに驚かされた。 

◆「原発の運転停止」と「長期評価の信頼性」を天秤にかける
 判決はまず、「本件で問題となる結果回避義務は、平成23年3月初旬までに本件発電所の運転停止措置を講じることに尽きている」と、事故を回避するには、原発の運転停止が唯一絶対の方法だったと宣言する。その上で、電力は現代社会におけるライフラインの一つであり、社会的な有用性が認められるので、「その運転停止措置を講じることになれば、地域社会にも一定の影響を与えると言うことも考慮すべきである」と原発を止めることの難しさを強調して、刑事罰のハードルを高く設定した

 さらに裁判長は、(事故前まで)東電は法令に従って運転して来たことは勿論、「安全対策の面でも必要とされる対応をしてきており、(福島原発は)地震及び津波に対する安全性を備えた施設として適法に設置、運営されてきた」と、事故後に指摘された東電の数々の「安全神話」による不作為を不問にして東電の正当性を述べ、返す刀で事故の「予見可能性」の前提になった政府の「長期評価」について、「原発の運転停止を迫るほどの」十分な信頼性があったのかと問う。無罪判決に向かって一直線の、思い込みの強い論理立てである。

 裁判では、東電の専門家グループが高さ15.7メートルの津波を予測する基になった政府の「地震の長期評価」を、「原発を止めるほどの信頼性はない」と退け、対策を先送りした旧経営陣を無罪にした。しかし、@事故を回避するためには、「原発を止めること」が唯一絶対の手段だったのか、他にも手段があったのではないか。もしそうだとすると、A万一にでも事故を起こせば国家の存亡にもつながる危険な原発を扱う責任者として、取り得る対策を先送りしたのは妥当だったか、という重大な疑問を残した判決だったと思う。

◆「長期評価」も「津波予測」も否定する
 発端は、地震防災対策特別措置法に基づいて文科省の長期評価部会が2002年に公表した、地震に関する「長期評価」だった。今後30年以内に三陸沖から房総沖の海溝よりで、マグニチュード8.2クラスの巨大地震が起こる確率を20%としたものである。これは、大学や研究所の専門家も多数参加した国の唯一と言っていいデータであり、原発の津波対策にも当然生かされるべきデータである。裁判では、2008年に子会社の「東電設計」がこの長期評価に基づいて津波予測の資料を作成し、被告たちに報告していた事実も明らかになった。 

 地震後45分で福島第一原発に高さ15.7メートルの津波が来るという詳細な試算で、配電盤や非常用ディーゼルエンジンが水につかる図も添えられていた。「津波対策は不可避」という指摘もあった。この重大な資料を本社中枢が集まる御前会議で発表した時、当時の武藤副社長は「土木学会の検討に回す」と事実上の先送りを指示した。担当者は「予想しなかった結論だったので、肩の力が抜けた」と証言したが、判決は旧経営陣の「大津波は予見できなかった」という責任逃れの主張を受け入れた。

 裁判長はその理由として、他の原発も「長期評価」を全面的に取り入れることがなく、国からも「これに基づいて運転停止すべき旨の指摘がなかった」ことを考えれば、「一連の事実経過を踏まえて考えても、被告らは(敷地の高さの)10メートルを超える津波が襲来する可能性について、信頼性、具体性のある根拠を持っているとの認識がなかったと見ざるを得ない」とした。国の唯一のデータである「長期評価」を、“運転停止を迫るほどの”信頼性、具体性があったとは認められないと退けたわけである。

◆対策を先送りした東電の犯罪性を見逃す
 しかし、東電側は敷地高を超えるような大津波が襲来すれば、福島原発が大事故につながることを事前に十分認識していた。2006年の保安院と電力会社の勉強会で、東電はそれだけの大津波が押し寄せれば炉心溶融に至る可能性があると伝えているし、既に1990年にはアメリカNRCの研究によって、福島のような沸騰水型原発では全電源喪失がリスクであること、津波によって全電源が喪失した場合に、炉心は11時間ほどで溶融に至ることも報告されていた。だからこその「津波対策は不可避」だった筈である。

 しかも、東電は対策を先送りにすると同時に、東北電力が2008年の「長期評価」を基に津波想定の見直しを進めていた時に、その報告書を書き換えるように圧力をかけていたことも裁判で判明している。まさに犯罪的な行為だが、こうした事実を知った上で裁判長は、「結果の重大性を強調するあまり、自然現象について想定し得るあらゆる可能性を考慮して必要な措置を講じることが義務づけられるとすれば、原発の設置、運転に携わるものに不可能を強いる結果となる」と、最初から「原発運転ありき」の判決だった。

◆原発停止以外にも対策はあった
 さらにこの裁判の不可解さは、事故を防ぐには「原発の(長期間の)運転停止が唯一絶対」と思い込んだ点にある。その欠陥を伝えたのが、19日の「クロ現〜東電刑事裁判、見えてきた新事実〜」だった。一つは東電の津波予測の内部資料である。それには、津波対策として「非常用海水ポンプの機能維持」や「建屋の防水性の向上」が上げられていたが、経営陣には、巨額の金が必要な堤防のかさ上げの方が先に頭に浮かんで対策そのものを躊躇したのだろう。中枢と現場の意思疎通のなさ、意思決定の曖昧さが招いた「先送り」だった。

 一方で、出来ることから津波対策を行っていた原発もあった。それが茨城県にある日本原電の東海第二原発である。対策を始めたのは東電で議論があったと同じ2008年。原電は、巨額の費用と時間がかかる堤防のかさ上げでなく、比較的短時間で安く出来る「盛り土」と「建屋の防水対策」という複合的な対策を進めたという。工事は辛うじて震災に間に合い、従来の想定を超える6.2メートルの津波が押し寄せた時に、冷却用のポンプは浸水したが、大事には至らなかった。ただし、原電は横並びを乱さないように、他社にも国にも内密で津波対策を進めたというから、原子力ムラの闇はどこまでも深い。

◆この判決を許せば、事故はまた起きる
 一旦事故が起これば、国家存亡の危機に立つのが原発事故の恐ろしさである。それは福島事故を経験して分かったことだが、少なくとも原発を維持する電力会社と責任官庁は前もって肝に銘じているべきだった。しかし、その任に当たる関係者がことごとく安全神話に安住して自らの責任に向き合わない。それが日本の実態だった。裁判はそれを仕方がないと認め、被告たちを無罪にした。しかも今回は、裁判所そのものが旧態依然の安全思想の持ち主だと言うことも露呈した。福島事故は起こるべくして起きたが、こうした判決を許している限り、事故はまた起こると思わざるを得ない。刑事裁判の壁は厚いかも知れないが、指定弁護士たちによる控訴を望みたい。(*9月30日、指定弁護士が東京高裁に控訴した)