日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

不確実性増す時代に生きる 20.1.10

 年末から年始にかけて、いくつかの記憶に残る番組を見た。いずれも今の時代の複雑さ、不確実さ、或いは混迷に響き合う内容の番組である。例えばNHKスペシャル「10 Years After 未来への分岐点」(1月1日)では、今後10年で地球温暖化が後戻りできない段階にまで進もうとしている状況をリポート。海面上昇や巨大台風の襲来など、その近未来図は何だか30年前に私たちが放送したN特「地球汚染」とそっくりになってきたようにも見える。これもまた、私たちの眼前に迫る深刻な現実。果たして人類は、この危機を乗り越えることが出来るのか。

◆世界の不確実性を印象づけた番組
 そしてBS1スペシャル「証言ドキュメント 天安門事件30年」(12月21日)。天安門広場に集結した若者達の抗議デモが、共産党による弾圧で終わるまでの経緯と、元学生運動家や元政府要人たちの証言で構成された見応えのある内容だった。その中で、事件で失脚した趙紫陽の側近だった元政府要人が「あの事件は何だったのか」と考え続けて辿り着いた結論が特に心に響いた。「結局、今の中国では共産党だけが人間で、あとは消耗品、カスに過ぎない」ということである。習近平を頂点とする共産党一党独裁の中国はこの先ますます巨大化する。世界は、この(どこまで変貌するのか分からない)「異形の大国」と否応なく向き合わざるを得ない。

 BS1スペシャル「欲望の資本主義2020〜日本・不確実性への挑戦〜」(1月3日)。1200兆円という膨大な財政赤字を抱える日本は、この先どうなるのか。番組には、予想を超えたインフレにならない限り、財政赤字は問題ない、緊縮財政は必要ない、とする(今話題の)MMT論者も含め、様々な経済財政学者が登場する。しかし、結局の所、経済学は何も分かってはいないということである。経済学者は、気休め程度の理論で財政政策をいじってはいるが、確たる理論は存在しないということ。なのに異次元の金融緩和にひたすら突き進む日本はどうなるのか。そこにあるのは、明日何が起こるか分からない「不確実性」だという。

◆不確実性が増す極東アジアと中東
 この「不確実性」という不気味な兆候は今、世界のあちこちで頭をもたげ始めているように見える。極東アジアでは、不確実性の見本のようなトランプのアメリカと中国の覇権をかけた緊張が続き、香港や台湾、或いは生き残りをかけて核兵器に執着する独裁国家の北朝鮮を巡って様々な駆け引きを行っている。その北朝鮮に寄り添いたい韓国は、アメリカと中国を天秤にかけながら日本と対立している。米朝の出方によっては 事態が一気に流動化しかねない不確実性の中で、日本は各国の利害と思惑がからむ複雑な連立方程式を解きながら生きなければならない。

 そして、極東以上に不確実性の中にある中東である。ここには長年の宗教対立がある。ユダヤ教のイスラエルとイスラムの国々の対立、イスラムの中でのシーア派(イラン)とスンニ派(サウジ)の対立、クルドとトルコの民族対立、シリアの圧政と内乱、その間隙を縫ってうごめくスンニ派過激組織のISなど。それらを巡ってアメリカ、EU、ロシア、トルコが陰で糸を引く。その複雑な利害関係の中で、一気に緊張を高めているのがアメリカとイランの対立だ。3日のトランプによるイラン司令官爆殺とその報復は、展開次第では大戦争につながりかねない不確実さの中にある。

◆起きてみないと分からない不確実性
 こうした、明日何が起こるか分からない「不確実性」について書いているのが、(以前も取り上げた)「ブラック・スワン〜不確実性とリスクの本質〜」(ナシーム・タレブ著)である。そこには、感謝祭に食べられてしまう七面鳥の話が出て来る。その七面鳥の身になって考えてみると、生まれてからの1000日間は毎日たっぷり餌をもらって来て、この平穏な暮らしが、これから先もずっと続くと思い込んでいる。しかし、1000日と1日目。七面鳥には、それまで思ってもみなかったような厄災が降りかかる。つまり、昨日までの1000日の状態からは、明日起こる災難(黒い白鳥=ブラック・スワン)を予測することが出来ないということである。

 黒い白鳥の例は歴史上様々なところで起きている。例えば、1934年にヒトラーが国家元首になった時、ヨーロッパ、特に(ヒトラーは一過性の現象だと思っていた)フランスなどはそれが5年もしないうちに全ヨーロッパを巻き込む戦争に発展するとは思っていなかった。同時に、それ以前にドイツ社会に溶け込んで暮らしていたユダヤ人も、自分たちの身に降りかかる黒い白鳥について全く予測できなかった。想定外の衝撃は後からいろいろ意味づけは出来るが、事前にどこで何が起こるかは予測不可能なのである。

◆黒い白鳥の出現をキャッチ出来るか
 この予測できない大衝撃は、起こる前も直後も、それがどのような衝撃に発展するのか誰も予測できない、起きてから初めて分かると言うから始末が悪い。しかも、それが悪い方の黒い白鳥の場合には、とても素早くやって来るという。それでも、いち早く黒い白鳥に気づいて対応するにはどうすればいいのか。本の著者は、第二次大戦の前夜の頃を生きたジャーナリストの日記などを調べて、「誰も何も書き留めていなかった」ことに驚く。黒い白鳥が見え始めても、人々は「黒い白鳥などいないかのように行動する」、あるいは「従来の見方の中で都合よく解釈する」からだという。

 これに対して私が思うのは、第二次大戦前夜のメディア状況が今とは全く違うことである。例えば、このところの「報道1930」(BSTBS)や「BSプライムニュース」(BSフジ)は、各方面の専門家をスタジオに呼んで今世界を揺しているテーマを様々な角度から掘り下げ、かなり見応えがある。例えば、米中経済戦争、韓国の経済、朝鮮半島情勢、米朝交渉の行方、日韓問題。それにアメリカとイランの対立、その背景など。これらについて2つの番組がほぼ重なる形で伝えて来た。その両方を同時にザッピングしながら見ていると、かなりの状況が見えてくる。

◆「報道1930」と「BSプライムニュース」の有用性
 これら2番組の特質を上げれば次のようになるだろう。その問題の専門家(大学教授など)、ウォッチャー、元外交官、元軍関係者、ジャーナリスト、その分野の政治家などなど、多彩な専門家を呼んで議論を深めていること。従って、その問題の本質を多面的、多角的、複眼的に理解することが出来る。或いは、日本の取り得る政策についても幾つもの選択肢が検討できる。この先の見通しについても、様々な見方があることがわかる、などのメリットを発揮している。

 もちろん、取り上げるテーマ(特に日本的テーマ)によってはありきたりの討論番組になったり、人選に偏りが目立つ場合もあるが、生放送で毎日、長時間、世界の大きなテーマを、徹底的に議論できるメディアの存在は、「不確実な時代」だからこそ特に貴重になる。それは、いくつかの意見を紹介しながら最後に一つのメッセージにくくりがちな従来型の番組やドキュメンタリーとは別種の番組だが、これが今の時代状況にマッチした形態を備えつつあるように思う。多様な意見を仕切っていく司会者(キャスター)の力量が問われる番組でもあるが、是非、NHKでも予定調和でない、大胆な「世界情勢分析番組」を開発して貰いたいと思う。 

◆不確実な時代に政治は?
 メディアによる世界情勢の分析が的確になって、黒い白鳥(ブラックスワン)の出現に対する警戒が世界的に高まれば、政治も動かざるを得なくなる。その中で、少しでも地域の安定と平和を維持していくために、日本はどうすべきなのか。緊迫する極東でも中東でも、日本は(武力に拠らない)平和構築を旨とする様々な発信をしていかなければならない時になる。その時に大事になるのは、まずは多面的、複眼的にあらゆる角度から事態を徹底的に分析する態度である。紋切り型の単純・硬直した対応では発言力も低下し、相手にもされない。不確実な時代とは、メディアの実力と政治の気構えが問われる時代でもある。 

ネット時代のメディアと権力 19.12.25

 「桜を見る会」を巡る与野党の攻防は、年明けも続きそうだ。この問題が何故こうも長引くのか。(野党が言うように)税金を使って選挙運動まがいの大盤振る舞いをした「政治の私物化」もさることながら、国民が呆れているのは、この長期政権が根元から腐っていることだ。例えば、政権にとって不都合な資料はすぐにシュレッダーにかけて、ないと言い張る。招待者の中に、元暴力団幹部や半グレ、前科企業のトップなど「反社会勢力」がいても、「反社会勢力について、限定的かつ統一的に定義することは困難である」とわざわざ閣議決定して、追及をかわそうとする。その政権の体質が問われている。

 事実を隠す、はぐらかす、逃げまくる。民主国家にあるまじき姑息な態度だが、今の安倍政権は、何が何でも幕引きを図りたいという考えしか見えない。国民の政治不信を招きながら、それでも政権に居座れると考える彼らの計算の根底には何があるのか。選挙をやれば勝てると野党の力不足を見切っていることや、どうせ国民はすぐに忘れるという「逃げ切りの成功体験」もあるだろう。国民も舐められたものだが、しかし同時に、彼らにそう確信させるだけの手段を政権がこの7年にわたって着々と積み上げて来たことも事実。その一つが様々なメディア対策である。 

◆ネットを監視し、恫喝し、ネガキャンを展開
 自民党は内部に幾つものメディア監視機能を持っているが、ネット時代を先取りして、2013年に大手IT企業と技術提携して立ち上げたのが、T2(Truth team)と呼ばれるネット監視チームだという(週刊新潮12月13日号)。メンバーは、自民党ネットメディア局の議員、党職員、専門業者のスタッフなど。政治に関するネット上の情報を24時間監視している。国民の声を聞くためと称しているが、自民党に不利な書き込みを見つけると、直ちにプロバイダーに削除を要求するなどの活動もしている。

 さらに、これと連携しているのが、安倍に忠誠を尽くす“私兵(ボランティア組織)”としてのJ-NSC(自民党ネットサポーターズクラブ)である。ウィキペディアによると現在の会員は1万9千人。国会で安倍政権追及に立つ野党議員や安倍に批判的なテレビ番組をやり玉に挙げ、ネットで攻撃し、それを拡散させる。「テレビ局が安倍批判をすると局に抗議の電話が殺到したり、番組スポンサーにまで抗議がいったりするようになり、安倍応援団の力を見せつけた」(党本部職員)というから侮れない。中には、匿名でフェイクな情報を拡散させるメンバーもいるらしい。

 以前にも取り上げた映画「新聞記者」の中でも、学校認可問題で政権を告発した文部官僚を警察上がりの政権中枢がタメにする情報を流し、それを謎の集団がネットで拡散させる場面が出てくるが、ボランティアのJ-NSCは政権中枢とも連携して、野党や安倍批判勢力に対するネガティブキャンペーンにも一枚かんでいるに違いない。こうした右翼的なサポーターと安倍は、ファンクラブのようにがっちりつながっている。様々な形でネットを監視し、恫喝し、ネガキャンを展開する。まさに、SNS時代をにらんだメディア戦略である

◆緻密で巧妙なメディア対策
 もう一つは、広告費でもTVをしのぐ力をつけてきたネット空間の中の政権寄りのネットメディアに肩入れして、既存の批判的なマスメディアの存在感を低下させる戦略である。特にお気に入りのネットメディアへの安倍の肩入れはハンパではない。例えば、若者に人気の「ニコニコ動画」に対しては、最大級の賛辞を述べているし、安倍の応援団を自認している見城徹(幻冬舎社長)が司会するネットの「AbemaTV」もそう。見城はテレビ朝日の番組審議会委員長でもあり、安倍政権への批判的な報道に散々文句を言ってきた人物で、番組に出演した安倍をヨイショしまくっている。

 その一方で、批判的なネット情報への介入にも手を抜かない。先日話題になったのは、NHKのウェブ記事に対する官邸筋からの圧力である(12/25、リテラ)。英語の民間試験導入など、文科省の一連の不祥事を(下村前文科相の責任として)取り上げたNHK社会部が書いたウェブ記事「霞ヶ関のリアル」が、何らかの圧力でお詫びと削除に追い込まれたという報道である。これを報道したリテラを読むと、そのきっかけは「桜を見る会」が問題になっている最中(11/20)に行われた、安倍と報道各社のキャップとの会食だったという。

 そこで、首相秘書官の今井尚哉が、NHKのウェブ記事をやり玉に上げ、恫喝したのだそうだ。その圧力からか、NHKの現場は急遽、部内会議を開いて“対応”を協議したという。それにしても、不祥事の最中に、「桜を見る会」の事実関係に迫ることもなく、首相と幹部記者が会食するとは。ツイッターで東京新聞の望月衣塑子記者も怒っている。事ほどさように、安倍政権はマスメディア各社のトップや解説委員たちと頻繁に食事をしては取り込みに邁進して来たが、その間に、政権にとって目障りな番組キャスターたちがどんどん姿を消して行った。

◆ますます政権の締め付けに弱い体質に?
 そして今、メディア対策の仕上げとも言うべき動きがNHKを巡って始まっている。NHKの放送をネットで同時配信をするのと引き換えに、NHKを締め付け、力を削ごうとする動きである。これが、業務の見直し、受信料引き下げ、ガバナンス改革のいわゆる「三位一体改革」と呼ばれるものだが、9月に就任した高市早苗総務相によって、それまでに決まっていた原案がひっくり返され、NHKが激震に見舞われているという(「選択」12月号、NHK政治支配を狙う高市総務相)。

 業務の見直しやガバナンス改革は、例えばBS4波を3波に減らすことや関連会社の統合と言っても、抽象的なだけにいくらでも難癖をつけられる。そのたびに(NHKのニュース報道に不満な)安倍と高市の胸の内をNHKは忖度しなければならない状況に陥る。しかも、今回の人事でNHKの経営陣は経営委員長も会長も官邸に近い人物に変ることになった。高市はNHKの肥大化を口実に民放を味方に付けつつ、NHKを締め上げるつもりらしいが、ネットへの同時配信を契機にNHKはこれまで以上に、権力に弱い体質になってしまうのではないかと懸念される。

◆この状況を押しとどめるには
 こうした巧妙なメディア対策は、政権発足の7年前から着々と積み上げられて来たものである。そこにどんなカネが使われて来たのだろうか。考えれば怖い時代になったものだが、それが「桜を見る会」のような、政治の私物化がまかり通る状況を作ってきたとも言える。そうした政治に対して、国民の怒りに火がついても良さそうなのに、(支持率は若干低下しているが)そうはならない。安倍政権と国民の間には、すぐに火がつかない、或いは火がつきそうになってもすぐ冷えてしまう、「何か湿った無力感」が横たわっているように見える。

 ネット上にフェイクも含めて膨大な情報があふれ、真実が見えにくくなる。メディアの分断と国民の分断が進み、雑誌「選択」や一部週刊誌のように、紐付きでない、権力を切りまくるメディアが頑張る一方で、安倍を持ち上げ朝日を叩く翼賛的な雑誌も幅をきかせる。何が真実か分からない混乱したメディア状況の中で、国民の怒りもいつの間にか冷めて行く。それが、巧妙に仕組まれたメディア対策の結果だとすれば、政治と国民の劣化は進むばかりだろう。それが戦前のように日本の大きな不幸につながりはしないかと心配だ。

 この状況を押しとどめるには、やはり、ネットも含めてメディアに権力の監視役という本来の姿に戻って貰うしかない。「事実をもって語らせる」。かつて先輩達が言っていたように、調査報道で事実と真実に迫るような、本来のメディアの姿になって欲しい。そして、私たち国民の方も、そのような権力の監視役としてのメディアを応援し、支援する状況になって欲しいと思う。それが2020年への期待である。

「核の傘」の欺瞞と危険性 19.12.14

 11月23日に来日したフランシスコ教皇は、長崎・広島の被爆地を訪れ、核廃絶に向けて強いメッセージを残して行った。「戦争のために原子力(原爆)を使用することは、犯罪以外の何物でもない」。「核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるか」と、核抑止力やその延長である「核の傘」に頼る偽善について述べた。25日夕に官邸で行われた講演でも、被爆地の惨状に触れながら、「破壊が二度と繰り返されないよう、阻止するために必要なあらゆる仲介を推し進めて下さい」と日本側に呼びかけた。

◆「核の傘」から一歩も出ようとしない日本
 これに対し、首相は「日本は唯一の戦争被爆国として、核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、『核兵器のない世界』の実現に向け粘り強く尽力していく」と答えたが、アメリカの核を容認し、その「核の傘」に頼る立場から、国連で採択された核兵器禁止条約も認めない状況では、その言葉も空々しく響く。官房長官の菅も会見で「日米安保体制のもと、核抑止力を含めた米国の抑止力の維持・強化は、我が国の防衛にとって適切だ」と、従来の日本の立場から一歩も出ないことを強調した。

 最近のコラム(*1)にも書いたように、極東で中国を包囲する核ミサイル網の構築を目論むアメリカに対して、中国はロシアと連携して核軍備を強化している。そしてその中国も、またアメリカと対峙する北朝鮮も、核ミサイルを在日米軍がいる日本に向けている。このような現状を踏まえた時、アメリカの核抑止力に頼る日本の「核の傘」政策は、(一見)日本にとって有効な防衛政策のように見えるが、本当にそうだろうか。「核抑止」とそれに基づく「核の傘」の現実について書いてみたい。

◆「核の恐怖が支配する時代」の核開発競争
 その前に、世界の核の状況を簡単に抑えておきたい。ご存じのように、アメリカが投下した原爆は広島・長崎でその脅威と恐怖を世界に見せつけ、それによって戦後世界を飽くなき核兵器開発競争へと引きずり込んだ。原爆から、一個で広島型原爆の数千倍もの威力がある水爆へ。核の運搬手段も爆撃機から中距離弾道ミサイル、大陸間弾道ミサイルや潜水艦弾道ミサイル(SLBM)へ。ミサイルに積む核弾頭も一つから複数(多弾頭)へ。そして対抗手段としてのミサイル迎撃システムの開発へ。

 さらに最近のアメリカでは、広島型の数分の一という“使い勝手のいい”小型戦術核の開発まで行われている(*2)。まさに際限のない開発競争である。2019年時点で地球上に存在する各種核爆弾は、米ロ間の戦略兵器削減条約によって減って来たとは言え、なお1万4500個もある。アメリカとロシアで約1万3500個、フランス・中国・イギリス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮の6カ国で約1000個。これらは広島型原爆の100万個以上の核にも匹敵する。この「核の恐怖が支配する時代」の現実の中で、「核抑止」の考え方もまた次々と変遷を辿ってきた。

◆「核抑止」の不確実さと狂気
 一般に「核抑止」の基本的な考えとは、仮に先制攻撃をされても生き残った戦力で徹底的に相手を殲滅するという脅しで、これを互いに確認し合うことが「確証破壊」と呼ばれる「核抑止」の考えである。核の能力向上や地中、海中への分散配置によって、第一撃で敵中枢の息の根を完全に止めることはもはや不可能になった現在、「確証破壊」で共に死ぬしかない状況を作って、相手の先制攻撃を思い止まらせること。それが現在の核抑止の考え方である。しかし、これも一皮むけば、極めて曖昧で不確実な仮説の上に作られたものなのである。

 「確証破壊」には相手が同様の価値観を有している必要があって、例えばテロリストや狂気の独裁者の核にこれが通用するかどうかは疑問である。また、中間的な考えとして、戦術核のような限定的な核攻撃に対して、それに見合った限定的な核で反撃する「柔軟反応」も考えられたが、これも結局は、全面核戦争へのエスカレートが避けられないという結論になっている。現在のNATOなどは「最後の手段」として核使用を位置づけているが、「最後の手段」がどういうことか曖昧なままで、その具体的定義は誰も知らない。

 これだけ核の破壊能力が巨大化した現在、核の使用によって失うものに比べたら、それを超える防衛目的などはどこにも存在しないことは明瞭である。従って、核は既に国家間では使えない兵器になっているにもかかわらず、核大国は冷戦が終わっても大量の核を手放そうとしない。恐ろしいことに万一にも相手が核攻撃を仕掛けてくることに怯えて、ミサイル発射をキャッチしたら即何百という核を発射する「警報即発射」の体勢を互いに維持している。偶発事故や先制使用の誘惑、テロリストの手に核がわたる可能性を消せない、まさに「核の恐怖が支配する狂気の時代」が続いている。

◆「核の傘」の欺瞞と危険性
 その狂気の「抑止力」を、核を持たない同盟国にまで広げようとするのが「核の傘」(「拡大抑止」)である。これには3つの問題が指摘されている。一つは核保有を前提とする「核の傘」に入ることによって、核廃絶について発言出来なくなる、仮に発言しても信用されないこと。今の日本の状況である。もう一つは、かつてキッシンジャーが「超大国は同盟国に対する核の傘を保障するために、自殺行為をするわけがない」と言ったように、「核の傘」が幻想に過ぎないことである。

 仮に日本が核攻撃された場合に、同盟国のアメリカが全面核戦争に発展するような核報復を相手国にするかどうか極めて怪しいのであれば、「核の傘」は相手にとって抑止力にはならない。さらに3つ目は、「核の傘」が敵の核攻撃を吸いよせる「避雷針」の役割を果たしかねないという指摘である。これは、今の北朝鮮がミサイルの届かないアメリカではなく、日本に核ミサイルを向けていることでも分かる。政府の言う「核の傘」は安心どころか、却って危険な代物(破れ傘)なのである。

◆核の廃絶に向けて知ること
 では、どうすれば世界は「核抑止」や「核の傘」から脱して、核廃絶に向かうことが出来るのか。以前のコラム(*3)では、核廃絶に向けての世界の様々な動きを紹介したが、世界の核抑止論を検証した「検証・核抑止論」では、「世界の平和、安定、均衡を核抑止によって維持すると言う考えは、おそらく現存する中で最も危険な集団的過ちである(1980年国連報告)」としつつ、「国際的安全保障は相互破壊の威嚇に基づくのではなく、ともに生き残るという誓約に基づくものでなければならない」と提言する。

 世界は共に生き残る道を探って緊張緩和に向えるか。同書は、南半球の国々は既に広範な非核兵器地帯を形成しており、その範囲をさらに広げる提言をしている。もちろん、(既に十分大きくなった)通常兵器での抑止力の保持は認めつつ、これまで禁止された生物科学兵器同様に核兵器を悪として禁じるべきだとも言う。日本政府も滅亡の瀬戸際に立たされていることを知ってまともな判断に移れるか、それが問われている。
*1)「極東で拡大する核ミサイル」(19.11.5)
*2)「先制核攻撃の誘惑と“核の傘”」(16.11.17)、「核大国を蝕む野心と猜疑心」(18.2.8)
*3)「“核なき世界”を巡る攻防」(16.10.14)

国境の島で感じた日韓問題 19.12.2

 11月半ばに3泊4日で壱岐対馬、五島列島のツアーに出かけてきた。それぞれ日本海や東シナ海に浮かぶ国境沿いの島々である。例によって、お一人様OKの駆け足ツアーだったが、地元の観光バスガイドが有能な方たちで、名所案内の他に、島の歴史と現状を詳細に教えてくれた。特に対馬を案内してくれたベテランのガイドさんは、白村江の戦い(663年、日本と朝鮮の百済の連合軍が、新羅、高句麗軍に敗れた闘い)の後で対馬に関東から派遣された防人(さきもり)が作った万葉の歌に始まって、日本と朝鮮の間で翻弄されてきた対馬の独特な歴史を名調子で語ってくれた。

 それは、元寇(1274年文永の役)の時に真っ先に侵略された対馬の人々がなめた辛酸、秀吉の朝鮮出兵(1592年〜1598年、文禄・慶長の役)の時の対馬領主・宗義智が朝鮮と秀吉の間に入って苦労した話、江戸時代(家康)になってから李氏朝鮮と国交回復に当たった対馬藩の駆け引きなどなど、九州より朝鮮半島に近い位置にある対馬ならではの歴史である。帰って遅ればせながら司馬遼太郎の「街道をゆく 壱岐・対馬の道」を読んだり、ネットで調べたりしたが、この国境の島々の歴史を余りに知らないで来たことに改めて気づかされた。

 対馬は現在、他の島々同様に深刻な人口減に直面している。昭和35年に7万人近くあった人口が、今は半分以下の3万500人にまで減っている。その対馬が近年、韓国からの観光客で経済的には一息ついていたのに、最近の日韓対立で観光客が激減し、火が消えたようになっている現実も目のあたりにした。過去、日本と朝鮮の狭間で苦労してきた対馬は、今もなお日韓関係に翻弄されている。ツアーの内容は「風の日めくり」の方においおい書いていくが、今回は特に対馬で感じた日韓問題を、その後いろいろ調べた情報をまじえて書いてみたい。

◆元寇の時に真っ先に占領された対馬
 島の中心地、厳原(いずはら)から西に行った海辺近くにあるのが、小茂田浜神社である。その昔(1274年)、元軍(蒙古と高麗の連合軍)と戦って死んだ対馬の地頭、宗助国(すけくに)を祀っている。元軍のうち対馬を襲ったのは3万の軍勢と450艘の船だったが、これに助国は80人の手勢を率いて立ち向かい、全員が戦死した。助国の遺体はバラバラにされあちこちに首塚、胴塚などとして残されたが、それだけでなく、元軍は女子どもを含めて容赦なく島民を惨殺した。彼らはその残虐さで当時の世界に恐れられていたが、対馬でも女達の手に穴を開けて数珠つなぎにし、奴隷として大陸に送り込んだりした。

 その残忍さにパニックになった島民たちが船を仕立てて東海上に逃れ出て、流れ流れて青森にまで辿り着いたという話も残っている。彼らは津軽に土着し、対馬や津島という名前になった。その子孫の一人が太宰治(本名、津島修治)ということは、ガイドさんの話である。ともあれ、その時の働きもあって、宗家は対馬の代々の領主となったのだが、その後、対馬の海賊(倭寇)が朝鮮半島沿岸を荒らし回ったのに手を焼いた李氏朝鮮は、宗家に冠位を与えて幾らかの俸禄も与えることになる。対馬は、日本に属しながら朝鮮とも関係を保つという特異な存在になった。

◆秀吉の朝鮮出兵から江戸時代へ
 その宗家が再び日朝の狭間で苦労するのは、秀吉が始めた朝鮮出兵(1592年)の時。秀吉に朝鮮征伐の先鋒を言いつけられた当主の宗義智は、この戦争の無意味を秀吉に申し立てようとして、危うく切腹を命じられそうになる。仕方なく、先陣を切って朝鮮に出かけ、他の九州勢とともに散々現地を荒らしまわったが、戦いは秀吉の死によって終了する。宗義智は戦いが終わると、今度は家康によって朝鮮との国交を回復するように命じられる。部下を使者に立てるたびに恨みを抱く李朝に殺され、ついには(家康の)偽の国書を作って謝罪し、偽の罪人を生け贄として差し出して、ようやく国交が認められた。

 この偽の国書問題は次の宗義成の代になって、家老の柳川によって江戸に訴えられ、柳川一件(1635年)となる。ガイドさんが言う「第3幕」だが、ここでは割愛する。結局、江戸城大広間で行われた将軍、家光の裁定で、対馬藩はおとがめなしになり、対馬藩は明治まで続くことになる。江戸時代を通じて対馬藩は、李氏朝鮮からの一行(朝鮮通信使)をもてなす窓口になり、交易もしていたらしい。対馬は、日朝両国の間に立って双方の顔を巧みに立てながら生きてきたわけである。ガイドさんはこうした話を、宗家の広い墓所(厳原の万松院)で、講談調で話してくれた。 

◆対馬と韓国をめぐる微妙な関係が続く
 国境に位置する対馬が、昔も今も「防衛上の要衝」であることに変わりはない。厳原の北、対馬空港から少し北に行った万関橋の下には、明治期の日本海軍が掘削した運河があって島の東西を結んでいる。ここには日露戦争に備えて海軍基地が作られた。島には当時の砲台跡なども残っている。そして今も、自衛隊のレーダーが山頂にあって北朝鮮のミサイルを監視している。一方、その対馬に韓国からの観光客が急増したのはここ7年ほどのことである。7万人ほどだった観光客が40万人を超えるまでになって、様々な軋轢も報道されるようになった。

 訪れる韓国人が、マナーをわきまえずに大声で島内を闊歩する。あるいは、韓国人観光客を目当てにした韓国資本がどんどんホテルや店を出す。韓国人による土地の買い占めなども報道されるようになった。それまでは、ごくつましい漁業の島だった対馬が俄かに騒がしくなったわけである。近年の対馬は観光客が増えて良かったと手放しで喜んでいたわけでもなかったというが、日本の輸出管理強化(7月)で日韓の関係が悪化してからというものは、極端なまでに観光客も貿易も減少し、対馬はそのあおりをまともに食っている。

◆互いに堂々たる他人になれるか
 11月20日に発表された財務省の貿易統計によれば、10月の対韓輸出は前年同月比23%減、韓国からの観光客は65%減となっている。島に来る観光客の8割が韓国人の対馬では、厳原にある大型ショッピングセンターなども寂しいほどに閑散としていた。連絡船が運休になり、免税店なども閉店に追い込まれて、深刻な打撃になっている。島ではこの状況を、少し落ち着いて島の観光を考えるいい機会ととらえる人もいるが、悩みは深い。何しろ、島の人口減少は深刻で、小中学校の統廃合も進んでいる。島のガイドさんが「島に移住して下さい」と真顔で言っていたのが印象的だった。

 山がちで農業も思うようにならない対馬にとって、観光不振を招く日韓対立はとんだ災難である。国と国の対立が、観光最前線の地元に思わぬ影響を生んでいる現状については、ひと頃ならば格好のドキュメンタリーの題材になったはずだが、何故か詳しい情報は欠落している。TVも対立を煽る報道ばかりでなく、影響をもろに受ける弱い立場の身になった「熱を冷ます報道」がもっとあってもいいと思うのだが、企画が通らない背景には、これが安倍政権の面子が絡む案件であると同時に、日韓の根深い問題に触れるせいかもしれない。

 日韓関係は、互いが熱くなって応酬が続けば続くほど、こんがらかって解決が遠のく。40年も前に書かれた「街道をゆく 壱岐・対馬の道」で、司馬遼太郎は日韓関係の難しさについて次のように書いている。
 「当時もいまも日本と朝鮮の関係は複雑である。隣国との関係は互いに堂々たる他人であることが結局真の親善につながることなのだが、この原則を外すと、隣国だけにすぐ糸が鳥の巣のようにもつれてしまい、最後に感情がむき出すか、もっと悪い事態になる」。真実を突いた言葉だと思う。

極東で拡大する核ミサイル 19.11.5

 10月31日午後、北朝鮮は今年12回目になるミサイル発射実験を行った。既に20発以上のミサイルを発射したことになる。トランプ大統領は、これを自国への直接的な脅威とは見なさない態度をとり続け、日本政府も同調して「わが国領域や排他的経済水域への飛来は確認されておらず、現時点においてわが国の安全保障に直ちに影響を与える事態は確認されていない」との決まり文句を繰り返す。しかし、非核化を巡る米朝会談が中断する中で、北朝鮮は着実にミサイル技術を進化させており、核軍備国としての道を進めている。

◆核とミサイル技術を磨く北朝鮮
 北朝鮮は今や、沖縄や東京までを射程に入れるテポドン1、グアム島米軍基地まで届くムスダン、アメリカ本土(主に東海岸)に届くテポドン2、そして大陸間弾道ミサイル(ICBM火星)や、アメリカ本土近くにまで行って発射する潜水艦配備のミサイル(SLBM)など、15種類以上のミサイルを保有する。その大部分は(最大20個と見られる)保有の核弾頭を載せることが出来るわけで、多くの準中距離ミサイルは常に日本と在日米軍をにらんでいる。

 この状況に日本はアメリカの言うままに、ミサイル迎撃システム「イージスアショア」を秋田市と萩市の2カ所に置くとしているが、能力に疑問符が着く上に、かえって中国やロシアを刺激する結果となっている。中露をにらんで、アメリカがアジアに構築しようとしているミサイル防衛網に、日本が組み入れられる結果となるからである。そのくらい、今の極東アジアにおいて中露とアメリカの核ミサイルを巡るしのぎ合いが激しくなっている。その恐怖の現実を見るとともに、日本はどうすべきか、ということを素人なりに考えてみたい。

◆悪化する日韓関係・同じ非核国なのに
 その前に、まず日本と韓国の関係である。これまで日韓両国は核武装を進める北朝鮮に対して、アメリカとともに対峙する関係だった。しかし、徴用工問題を契機に昔の関係はどこへやら、互いに敵対する関係になっている。先日のBSプライムニュースでの専門家の解説によれば、韓国は日本の“空母いずも”に対抗するために、同様の軽空母建設を進めているというが、いくら竹島という領土問題があるにしても、韓国が日本を仮想敵国と見ているのに驚いた。韓国は本気で日本が攻めて来ると思っているらしい。

 つい先日まで仲間だった日韓両国は、首脳同士の意地の張り合いと硬直した応酬によって、韓国による軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄にまで進もうとしている。経済面でも、韓国からの観光客は各地で軒並み壊滅状態、輸出も滞って損失も莫大になっている。韓国側が発端とはいえ、徴用工問題はここまで両国関係を悪化させなければならない大問題だったのか。これでは、核の緊張が高まる極東アジアで、非核国同士の日韓が協力することなど夢物語になる。もっと極東アジア全体の安全を視野に入れて考えることは出来なかったのか。  

◆アメリカに対抗する中露の軍事協力
 いま極東アジアは、8月に「中距離核戦力(INF)全廃条約」を失効させたアメリカが新たに構想する「アジア・ミサイル網」によって、緊張が高まりつつある。これは、INFによって禁じられていた射程500〜5500キロメートルの地上発射弾道ミサイル・巡航ミサイルをアジアの同盟諸国(日韓豪)に配備しようという構想で、いわば、中露を取り囲んでアメリカの“核ミサイルの盾”をアジアに作るもの。自国から遠く離れたところに核の防衛線を引こうという、アメリカにとって虫のいい構想だが、これには当然、中露から激しい反発が起こっている。 

 これまでのところ中露の反発を恐れて手を上げる国は出ていないが、日本を含む極東アジアは今、「アメリカVS中露」の核軍拡競争の場になりつつある。それは、必然的に中国とロシアの蜜月をもたらす。両国はまだ同盟国ではないが、「多面的な戦略的パートナーシップが完全である点で、“同盟関係”だ」とプーチンが言うほどになっている(「選択」9月号)。安倍とプーチンの関係など足元にも及ばない状態だ。その蜜月の中で、ロシアは中国と新たな軍事協力協定を結び、ミサイル攻撃警告システムへの支援などで中国の防衛網をてこ入れしようとしている。それだけ、アメリカに対する警戒感が高まっているということである。

◆限定核戦争では圧倒的に中国有利だが
 一方の中国は、ゴビ砂漠に横須賀海軍基地、嘉手納空軍基地(沖縄)、三沢空軍基地(青森)の詳細な模型施設を作って、先制攻撃の演習を繰り返している。日本全体については、準中距離ミサイル450発が射程に入れており、グアム島米軍基地向けにも「東風26」という長距離ミサイルが配備されている。韓国に対しても同様で、アメリカの同盟国は中国の核ミサイルによって開始数時間で無力化されてしまう。地球が破滅するような全面核戦争はともかく、短時間の限定核戦争では中国が圧倒的に有利だという(米ランド研究所)。

 ここまで具体的に見てくると、北朝鮮の核ミサイルも中露の核ミサイルも、日本がイージスアショアを2基備えたくらいでは、何の気休めにもならないことが分かる。中露はもちろん、北朝鮮の核でさえ、一度に複数のミサイルを発射できるし、(核を何個も積む)多弾頭化していて、とても防ぐことは出来ない。しかも、ロシアは日本のイージスアショアの導入に対して、「もし配備されれば日本から中距離巡航ミサイル発射も可能になる。ロシアは対抗措置をとる」(露外務次官)と警告している。

◆果てしなき核軍拡競争の空虚さ
 こうして今、極東アジアで展開されている野放しのミサイル軍拡の実際については、「頭がおかしくなるほど、核戦争の脅威が現実的なものになった」(米元エネルギー長官)という声も出ているくらいだが、私たちはこれをどう受け止めるべきだろうか。簡単に言葉の上で「敵を無力化する」と言うが、広島原爆の数百倍もの威力を持つ核攻撃は仮に全面核戦争につながらないまでも、その限定戦争によって何億という人間が死ぬ悲惨なものになる。沖縄も東京もなくなり、守ろうとする国の消滅にもつながる。

 それを考えれば、現在、米中露によって展開されている核軍拡競争の空虚さと不毛が見えてくる筈だ。合理的に考えれば核は使えないし、万一使ったら「核戦争に勝者はいない」という悲劇が待っている。彼ら核大国は、互いに仮想敵国を作ってミサイル技術と防衛システムで熾烈な競争をしているが、極東の問題で、そうした大破滅に替えるべき大事なものが、果たしてあるのだろうか。核競争のゲームに邁進するアメリカの軍産政治家は、日本にもその一翼を担うよう迫っているが、核戦争の悲惨を知っている私たち日本人(特に政治家)は、そうした連中が唱える“核抑止力の幻想”()などに安易に乗せられることなく、むしろ核軍拡の空虚さと不毛をこそ世界に訴えて行くべきではないか。*いずれきちんと書きたい。 

◆生き残っていくために非戦の知恵を
 日韓に限らず、今の極東には国のメンツにも係わる様々な紛争の種は尽きない。日本も戦後74年経ってもまだ、ロシア、韓国、北朝鮮、中国と領土問題や戦後処理問題を解決できずにいる。中国の覇権主義も不安材料だ。しかし、核大国とその同盟国は、一つ一つ忍耐強い話し合いと非戦の知恵で平和的解決を見つける以外に、互いが生き残る道はないということを、何度でも肝に銘じる必要がある。
 先月のNHKラジオで元中国大使の丹羽宇一郎が、「日本は資源がない国なので、貿易で食べていくしかない。貿易立国で生きていくためには、戦争などしてはいけない。どこの国とも仲良く友好関係を築いて自由に貿易出来る関係を作って行く以外に日本が生き残る道はない」と言っていた。シンプルだが、ごくまっとうな意見だと思う。

子どもは未来への大事な宝 19.10.22

 17日に文科省が公表したデータによると、2018年度の全国の小中学校・高校のいじめの件数は、前年度比13万件増の54万件。過去最多になった。さらに、自殺した子どもは332人(小学5人、中学100人、高校227人)で、3年連続で増えている。一方で、幼児の悲惨な虐待死事件も後を絶たない。政府の緊急調査によると、学校や保育所を長期欠席している子どものうち、「虐待の恐れがある」と判断したのは2600人あまり、面会が出来なかった子どもで「虐待の可能性が否定できない」としたのは、1万人近くに上る。恐るべき数字である。

 その一つ一つの虐待の例は、耳を塞ぎたくなるような残酷さだ。4歳や5歳の可愛い盛りの無抵抗な女児が、大人の執拗な暴力や育児放棄によって殺される。もちろん、子どもを虐待する親がいること自体が悪だが、密室の中で死んでいった子どもたちは一体誰を訴えればいいのか。事件が起こるたびに、社会もメディアも児童相談所が悪い、警察が悪い、或いはその連携が出来ていない、と指摘するが、子どもを取り巻く環境が一段と緊迫度を増す中で、人手不足の児童相談所の中には、1人で100件の相談件数を抱えているところもあるという。 

 子どもは本来、国の将来を担う大事な存在であり、日本の未来を切り拓いてくれる大事な宝である筈だ。政府は、「いじめ防止対策推進法」(13年施行)や、「改正児童福祉法」(10月に成立)を作って取り組みを強化していると言うが、いじめや虐待から子どもを守るためには、小手先の対策ではなく、もっと根本的な考え方の切り替えが必要と思えてならない。死んでいった子どもたちの無念に答えるためには、私たちの社会はどう変ったらいいのか。子どもを取り巻く過酷な環境を改善し、少しでも悲劇を減らす方策はあるのだろうか。 

◆父親から暴力を受けて育ったヒトラーの場合
 それにしても、いたいけな幼児を虐待する大人が何故生まれてしまうのか。彼らの心の中には、どんな闇が広がっているのか。この点で、一つの注目すべき研究がある。それは、あのアドルフ・ヒトラーに関するスイスの心理学者たちの研究である。ヒトラーは、幼少期に父親から激しい暴力を受けながら育ったが、あるとき彼は殴られても決して声を出さないと決意する。代わりに父親の一打ごとに殴打の数を心の中で数えるようになり、傍観するしかなかった母親にそれを自慢さえしたという(「幻影からの脱出」)。

 しかし、そうまでして我慢した父親の暴力は、成人したヒトラーの心に深い傷跡を残す。総統になってからのヒトラーはよく夜中に目覚め、気が狂ったように部屋の中を歩き回った。体中に汗をかき、あえぎながら数を数えていたという。虐待を受けた子どもは、暴力をまともに受け止めるのを避けるために、自分の感情を押し殺し、自分のかなりの部分を否定して生きるようになる。そして「自分の中の他人」を生きるようになる。そうして大きくなった彼らの攻撃は2つに向かう。一つは自分自身に対して(自傷行為)、もう一つは外に向けてである。

 大人になった彼らは、誰か、あるいは何かの中に憎しみに満ちた「自分の中の他人」に似た弱い存在を見つけて、それを攻撃せざるを得なくなる。ヒトラーの場合は、その弱い存在が彼に対して手も足も出ないユダヤ人だった。虐待を受けた大人にとってこの世界は、真の自分が存在しない妄想の世界(見せかけの世界)になる。ヒトラーがあれだけ残虐なことが出来たのも、彼が妄想の世界に住んでいたからなのだろう。彼は残虐な命令を出しても決して前線には赴かず、その現実を直視しようとはしなかったという。

◆子どもは社会全体で守っていくべき宝
 虐待された経験が、わが子への虐待や無視となって現れやすいというのは、「虐待の世代間連鎖」と呼ばれる傾向の一つだが、児童虐待の背景には他にも、今の親たちが置かれている社会的孤立や、切羽詰まった貧困など様々な要因があげられている。これらの要因は既に個々の努力で解決するレベルを超えており、児童虐待やいじめを減らしていくには、社会全体でその要因の連鎖を断ち切っていかなければならない。そしてその時に必要なことは、何よりも「子どもは社会全体で守っていくべき宝」とみなす価値観の転換なのだと思う。

 もう一つ別な観点から言えば、児童虐待を生む社会の底流には、「子どもは管理されるべき存在だ」という近代以降の価値観があるように思える。かつてのドイツも似たようなところがあったのかも知れないが、管理の名のもとに行き過ぎたしつけ(虐待)が許される社会である。その価値観は、現在の教育行政の中にも驚くべき頑強さで残っている。例えば、虐待などで保護された子供たちを預かる「一時保護所」では、私語を禁止したり、ルールを破ったら壁に向かって食事をさせたりする「刑務所みたい」な懲罰が行われている(7/25朝日)。

 中学校教育の現場でも、「忘れ物をしない」、「背筋を伸ばす」、「給食時の黙食(私語禁止)」など様々な管理強化が広がっており、いじめや虐待で敏感になった生徒たちに無言の圧力を感じさせている(10/8毎日)。こうした子供たちの息を詰まらせる管理強化の考えが余裕のない親たちに反映しているとしたら、子どもにとってますます可哀そうなことになる。そんな締め付けを超えて、子どもを「社会の宝」として自由に個性を大事にしながら育てていくことが出来るか。また、そうした価値観の転換を教育機関のみならず、社会全体ができるかどうか。今の日本に問われている大きな課題だと思う。

◆2040年に活躍している姿を思い描きながら
 私事で恐縮だが、私の3人の孫たち(11歳、9歳、4歳)は今、NYで実にのびのびと学校生活を楽しんでいるように見える。バレエを学んでNYのバレエ公演に参加したり、アートスクールに通ったり、惑星や地図を描くことに熱中したりと、それぞれの年代で好きなことに打ち込んでいる。学校も校長の権限で自由にカリキュラムを組めるし、学校の外にも好きなことを学べる各種のホームスクールも用意されている。好きなことに打ち込める自由さに慣れた孫たちが、帰国後に果たして日本の学校生活に適応できるかと心配になるくらいだ。

 大前研一によれば、これからの教育に求められるのは、子ども一人一人の長所や特性を把握し、それに合わせた個別のプログラムで能力を伸ばしていくことだという。子どもたちの将来は答えがすべて違うのだから、教え方もカリキュラムも個人によってすべて違うべきだとする(これをテーラーメイドの教育という)。その子が2040年に活躍している姿を思い描きながら個々の能力を伸ばしていく。これは既にデンマークや北欧で実施されている教育だが、管理強化型の日本とは対極にある教育法である(「国家の衰退からいかに脱出するか」)。

 日本の教育が未来社会に適応していくためには、文科省の旧態依然とした管理教育を廃止し、何より教員の数を増やして少人数のきめ細かい教育が必要になってくる。しかし、神戸市の東須磨小学校での教師同士の陰湿ないじめに見るように、日本の教育現場は閉鎖的な密室空間になっている。教師達も、文科省や保護者の要求に答えるために休む暇もなく対応に追われる。教育現場が「ブラック職場」だという認識が広がり、非正規職員からも見放されて深刻ななり手不足に陥っている(10/9朝日)。長きにわたる無作為の結果である。

 これからの教育は、単に知識を詰め込むのではなく、答えがない時に答えを見つけ出す教育になっていく。教師はそのとき、「メンター(助言者)」としての役割になって行くというが、日本の教育は相変わらず、(スマホで検索すればすぐ分かるような)知識偏重の教育を続けている。これではAIには対抗できない。日本は今こそ、「子どもは国の未来を切り拓いてくれる宝」という価値観を社会全体で共有しながら、子育て環境を根底から変えていく時ではないか。

絶対利権は絶対に腐敗する 19.10.8

 英国の歴史家、ジョン・アクトンの「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」いう言葉は、これまでにも何度か引用してきたが、権力と利権が表裏一体であることを考えれば、これを「利権は腐敗する。絶対利権は絶対に腐敗する」と言い換えてもいいのではないか。しかも権力に守られた利権は、権力が長期化すればするほど腐敗の度を増して行く。今の日本では長期政権の淀みの陰で、各所で様々な利権集団が形成され、強欲な面々が砂糖に群がる蟻のように集まって私腹を肥やそうとしている。その腐敗の実態は、まさに「知らぬは国民ばかりなり」である。

◆利権が呼び込んだ共犯関係。原発マネー環流事件
 9月26日に、共同通信の特報から始まった関西電力の原発マネー環流事件は、毎年巨額のカネが動く原発事業の闇の一端が表に現れたものだ。高浜町の元助役から関電経営陣に還流した3.2億円は、原発の安全対策費だけで1兆円を超える関電の原発関連費のごく一部に過ぎない額で、彼らにとっては元助役側に実際より多少高く払っても痛くもかゆくもない額に違いない。その高く払いすぎた額から3.2億円が関電側に環流していたのにびっくりだが、(説明によれば)事業をスムーズに進めるには受け取るしかないと黙認していたのだそうだ。 

 しかし、公共事業である電気事業は、掛かっただけを電気料金(公共料金)に上乗せしていい構造になっており、国民の負担金である。そのことを考えれば、国民から集めた金を表に出せない癒着の中で無駄遣いし、しかもその環流金を自分たちの懐に入れていた事実は、法律上はともかく、経営責任はどう言い逃れしようと免れることではない。元助役は利権の甘い汁を吸い続けるために関電経営陣を共犯関係に引きずり込んだわけだが、関電側は「死人に口なし」で、このまま黙って金品を懐に入れようとしていたと疑われても仕方がない。

 元助役同様、彼らもまさに原発利権にたかる蟻状態になっていたわけで、これは原発事業がもはや透明性のある公共事業としては成り立たず、腐敗したなれ合いの関係でしか維持できない無理筋の事業であることを示している。安倍政権は、核燃料サイクルも含めて原発が無理筋なのを承知で「ベースロード」電源として位置づけ、巨額の税金を投入して推進しようとしている。しかし、無理を通そうとすれば必然的に癒着と腐敗の関係が生じざるを得ないことが明白になった。これでは、安全確保などとても無理。原発はやめるしかない。

◆政官財の欲望渦巻くカジノ誘致
 利権の甘い汁が強欲な面々を呼び込む構図は、原発に限ったことではない。例えば、3年前に自民党などによって強行採決されたカジノ法案(統合型リゾートIR)。今このIR誘致を巡って生臭い動きが始まっている。横浜では、8月に林文子市長が誘致を表明して注目を集めたが、これも裏で地元に利権を持つ菅官房長官が糸を引いている。既に横浜に進出するカジノ企業は、トランプとも縁が深い米国の「ラスベガス・サンズ」に内定しており、これにセガサミー(パチンコ機器メーカー)が共同参加を目指して激しい政界工作を続けている(「選択」10月号、横浜カジノに燃える強欲者たち)。

 セガサミー会長の次女の婿は衆院議員の鈴木隼人。2人の結婚式には安倍首相ら歴代首相と菅も駆け付けたそうだが、セガサミーの武器は政界との太いパイプだ。菅は、競争相手の千葉の森田健作に災害支援で話をつけ、東京の小池優子には二階幹事長を通じて「再選させる代わりに横浜IRを妨害しない」という交換条件を用意する。その一方で、政権の内部でも欲望が渦巻いている。内閣官房(菅の管轄組織)のIR推進本部の事務局には経産省や財務省から大量に役人が送り込まれ、せっせと世界各地のカジノ「視察」に励んでいるという。

 皆、「官僚人生の最後に一花咲かせると同時に、観光業界やカジノ業者にでも天下りたい野心家ばかり」と「選択」は書くが、こうした連中がまるで利権に群がる蟻のように、カジノ産業にたかろうとしている。不透明な利権構造の中で、適切なギャンブル依存症対策は作られるのだろうか。無駄な税金が投入されていないか。まさに「利権は腐敗する。絶対利権は絶対に腐敗する」を地で行くように、長期政権によって構築された利権構造によって、税金の甘い汁が権力の中枢に流れ込む仕組みが作られている。知らないのは国民だけである。 

◆大企業への優遇策で結びつく政財の利権構想
 もっと巨額の癒着構造もある。大企業の「優遇税制」を巡る政府自民党と大企業のもたれ合いだ(同じく「選択」)。安倍政権は発足以来、成長戦略の目玉と称して法人税の引き下げを続けて来た。その税率は政権発足当初の39.5%から23.2%まで大幅に下がっている。しかし、特に大企業は法人税の引き下げで儲けた金を内部に貯め込むばかりで設備投資にも使わず、給与にも反映させない。企業の内部留保は今や、金融・保険も加えた全産業で500兆円にも上っている。大企業は日本の法人税は高くて商売しにくいと不平たらたらだったが、法人税の引き下げが経済成長に寄与している形跡は乏しく、政権の思惑は外れている。

 しかも驚くべきことに、日本の法人税は全企業一律の筈(従って利益の大きな大企業ほど有利な税制)なのに、実際は資本金が大きくなるほどに税率が下がる異常な状態になっている。特に資本金が100億円以上(トヨタは6300億円)の大企業は法人税の実質負担率が11%台(連結法人まで入れると8%台)にまで下がっている。どういうことかというと、大企業ほど有利な優遇税制があるからだ。一つは研究開発費に対しての優遇措置で、大企業も中小企業も一律だから、多額の研究開発費を使って減税を受ける大企業の方が有利で、例えばトヨタなどは、4年間に4000億円も税金を控除されているという。

 以上は一例に過ぎないが、様々な法人税の優遇策で、日本そのものが税金逃れのタックスヘイブン(租税回避地)状態になっているという指摘さえある。それにしても、安倍政権の前には40%近くあった大企業の法人税が減りに減って実質8%台とは。巨額の社内留保を見れば、消費税の増税(年間5兆円)などしなくても法人税の見直しだけで十分だという、山本太郎の主張も肯ける気がするが、それが出来ない利権構造がある。それは政治献金。経団連を始め、日本自動車工業界、製薬産業政治連盟が自民党への最大の政治資金提供者だからである。ここにも、裏でがっちりと手を組んだ利権の構造がある。

◆利権の閉塞社会。権力のシャッフルは出来るか
 安倍政権が一強状態を作り出してから間もなく7年が経過しようとしている。この間に構築された利権の構造はますます強固になって行くに違いない。そこに腐敗が生じようが、利権のうま味を知っている与党がこれを変えようとはしないだろうし、野党の国会議員達だって何かしらの利権に縛られているかも知れない。そして国民の方も漠然とした受益の幻想を抱いて、この状況に安住している。しかし、このような利権構造はどこかで見直されないと、いつ原発事故や財政破綻、地震・災害への脆弱さとなって現れないとも限らない。

 こうした利権の癒着構造は報道されない限り、国民は知ることが出来ない。また、権力がシャッフルされない限り利権の構造が変ることはない。今回の関電のように、権力の淀みに浸かって居座りを決め込む連中に、自浄作用は期待できないからだ。分かってみると、腐敗した利権構造のある社会は閉塞的で息苦しい。せめて自民党内でもいいから、どこかで権力のシャッフルがあって欲しいと思うが、そのためにも関電事件をスクープした共同通信や、「選択」のようなメディアの監視機能は大事にしなければならないし、他のメディアにも頑張って貰いたいと思う。そして、少しは目覚めた野党にも。

疑問だらけの東電事故判決 19.9.27

 9月19日、福島原発事故に関して「業務上過失致死傷罪」で起訴された東電の旧経営陣に対する東京地裁の判決があった。東京地検が不起訴としたものを住民グループが検察審査会に申し立ててようやく起訴に持ち込んだ裁判だったが、21人の証言と4100点の証拠、2年3ヶ月に及ぶ審理の末に出された判決は全員無罪。当日のニュースや夜のNHK「クローズアップ現代」、翌日の新聞各紙の論評などを読んで抱いたのは、判決内容に対する強い違和感だった。その論理展開もさることながら、「この裁判長は原発の安全確保の重大性を分かっているのか」と疑わせる文言が判決文の各所に出てくるのに驚かされた。 

◆「原発の運転停止」と「長期評価の信頼性」を天秤にかける
 判決はまず、「本件で問題となる結果回避義務は、平成23年3月初旬までに本件発電所の運転停止措置を講じることに尽きている」と、事故を回避するには、原発の運転停止が唯一絶対の方法だったと宣言する。その上で、電力は現代社会におけるライフラインの一つであり、社会的な有用性が認められるので、「その運転停止措置を講じることになれば、地域社会にも一定の影響を与えると言うことも考慮すべきである」と原発を止めることの難しさを強調して、刑事罰のハードルを高く設定した

 さらに裁判長は、(事故前まで)東電は法令に従って運転して来たことは勿論、「安全対策の面でも必要とされる対応をしてきており、(福島原発は)地震及び津波に対する安全性を備えた施設として適法に設置、運営されてきた」と、事故後に指摘された東電の数々の「安全神話」による不作為を不問にして東電の正当性を述べ、返す刀で事故の「予見可能性」の前提になった政府の「長期評価」について、「原発の運転停止を迫るほどの」十分な信頼性があったのかと問う。無罪判決に向かって一直線の、思い込みの強い論理立てである。

 裁判では、東電の専門家グループが高さ15.7メートルの津波を予測する基になった政府の「地震の長期評価」を、「原発を止めるほどの信頼性はない」と退け、対策を先送りした旧経営陣を無罪にした。しかし、@事故を回避するためには、「原発を止めること」が唯一絶対の手段だったのか、他にも手段があったのではないか。もしそうだとすると、A万一にでも事故を起こせば国家の存亡にもつながる危険な原発を扱う責任者として、取り得る対策を先送りしたのは妥当だったか、という重大な疑問を残した判決だったと思う。

◆「長期評価」も「津波予測」も否定する
 発端は、地震防災対策特別措置法に基づいて文科省の長期評価部会が2002年に公表した、地震に関する「長期評価」だった。今後30年以内に三陸沖から房総沖の海溝よりで、マグニチュード8.2クラスの巨大地震が起こる確率を20%としたものである。これは、大学や研究所の専門家も多数参加した国の唯一と言っていいデータであり、原発の津波対策にも当然生かされるべきデータである。裁判では、2008年に子会社の「東電設計」がこの長期評価に基づいて津波予測の資料を作成し、被告たちに報告していた事実も明らかになった。 

 地震後45分で福島第一原発に高さ15.7メートルの津波が来るという詳細な試算で、配電盤や非常用ディーゼルエンジンが水につかる図も添えられていた。「津波対策は不可避」という指摘もあった。この重大な資料を本社中枢が集まる御前会議で発表した時、当時の武藤副社長は「土木学会の検討に回す」と事実上の先送りを指示した。担当者は「予想しなかった結論だったので、肩の力が抜けた」と証言したが、判決は旧経営陣の「大津波は予見できなかった」という責任逃れの主張を受け入れた。

 裁判長はその理由として、他の原発も「長期評価」を全面的に取り入れることがなく、国からも「これに基づいて運転停止すべき旨の指摘がなかった」ことを考えれば、「一連の事実経過を踏まえて考えても、被告らは(敷地の高さの)10メートルを超える津波が襲来する可能性について、信頼性、具体性のある根拠を持っているとの認識がなかったと見ざるを得ない」とした。国の唯一のデータである「長期評価」を、“運転停止を迫るほどの”信頼性、具体性があったとは認められないと退けたわけである。

◆対策を先送りした東電の犯罪性を見逃す
 しかし、東電側は敷地高を超えるような大津波が襲来すれば、福島原発が大事故につながることを事前に十分認識していた。2006年の保安院と電力会社の勉強会で、東電はそれだけの大津波が押し寄せれば炉心溶融に至る可能性があると伝えているし、既に1990年にはアメリカNRCの研究によって、福島のような沸騰水型原発では全電源喪失がリスクであること、津波によって全電源が喪失した場合に、炉心は11時間ほどで溶融に至ることも報告されていた。だからこその「津波対策は不可避」だった筈である。

 しかも、東電は対策を先送りにすると同時に、東北電力が2008年の「長期評価」を基に津波想定の見直しを進めていた時に、その報告書を書き換えるように圧力をかけていたことも裁判で判明している。まさに犯罪的な行為だが、こうした事実を知った上で裁判長は、「結果の重大性を強調するあまり、自然現象について想定し得るあらゆる可能性を考慮して必要な措置を講じることが義務づけられるとすれば、原発の設置、運転に携わるものに不可能を強いる結果となる」と、最初から「原発運転ありき」の判決だった。

◆原発停止以外にも対策はあった
 さらにこの裁判の不可解さは、事故を防ぐには「原発の(長期間の)運転停止が唯一絶対」と思い込んだ点にある。その欠陥を伝えたのが、19日の「クロ現〜東電刑事裁判、見えてきた新事実〜」だった。一つは東電の津波予測の内部資料である。それには、津波対策として「非常用海水ポンプの機能維持」や「建屋の防水性の向上」が上げられていたが、経営陣には、巨額の金が必要な堤防のかさ上げの方が先に頭に浮かんで対策そのものを躊躇したのだろう。中枢と現場の意思疎通のなさ、意思決定の曖昧さが招いた「先送り」だった。

 一方で、出来ることから津波対策を行っていた原発もあった。それが茨城県にある日本原電の東海第二原発である。対策を始めたのは東電で議論があったと同じ2008年。原電は、巨額の費用と時間がかかる堤防のかさ上げでなく、比較的短時間で安く出来る「盛り土」と「建屋の防水対策」という複合的な対策を進めたという。工事は辛うじて震災に間に合い、従来の想定を超える6.2メートルの津波が押し寄せた時に、冷却用のポンプは浸水したが、大事には至らなかった。ただし、原電は横並びを乱さないように、他社にも国にも内密で津波対策を進めたというから、原子力ムラの闇はどこまでも深い。

◆この判決を許せば、事故はまた起きる
 一旦事故が起これば、国家存亡の危機に立つのが原発事故の恐ろしさである。それは福島事故を経験して分かったことだが、少なくとも原発を維持する電力会社と責任官庁は前もって肝に銘じているべきだった。しかし、その任に当たる関係者がことごとく安全神話に安住して自らの責任に向き合わない。それが日本の実態だった。裁判はそれを仕方がないと認め、被告たちを無罪にした。しかも今回は、裁判所そのものが旧態依然の安全思想の持ち主だと言うことも露呈した。福島事故は起こるべくして起きたが、こうした判決を許している限り、事故はまた起こると思わざるを得ない。刑事裁判の壁は厚いかも知れないが、指定弁護士たちによる控訴を望みたい。(*9月30日、指定弁護士が東京高裁に控訴した)