日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

極東で拡大する核ミサイル 19.11.5

 10月31日午後、北朝鮮は今年12回目になるミサイル発射実験を行った。既に20発以上のミサイルを発射したことになる。トランプ大統領は、これを自国への直接的な脅威とは見なさない態度をとり続け、日本政府も同調して「わが国領域や排他的経済水域への飛来は確認されておらず、現時点においてわが国の安全保障に直ちに影響を与える事態は確認されていない」との決まり文句を繰り返す。しかし、非核化を巡る米朝会談が中断する中で、北朝鮮は着実にミサイル技術を進化させており、核軍備国としての道を進めている。

◆核とミサイル技術を磨く北朝鮮
 北朝鮮は今や、沖縄や東京までを射程に入れるテポドン1、グアム島米軍基地まで届くムスダン、アメリカ本土(主に東海岸)に届くテポドン2、そして大陸間弾道ミサイル(ICBM火星)や、アメリカ本土近くにまで行って発射する潜水艦配備のミサイル(SLBM)など、15種類以上のミサイルを保有する。その大部分は(最大20個と見られる)保有の核弾頭を載せることが出来るわけで、多くの準中距離ミサイルは常に日本と在日米軍をにらんでいる。

 この状況に日本はアメリカの言うままに、ミサイル迎撃システム「イージスアショア」を秋田市と萩市の2カ所に置くとしているが、能力に疑問符が着く上に、かえって中国やロシアを刺激する結果となっている。中露をにらんで、アメリカがアジアに構築しようとしているミサイル防衛網に、日本が組み入れられる結果となるからである。そのくらい、今の極東アジアにおいて中露とアメリカの核ミサイルを巡るしのぎ合いが激しくなっている。その恐怖の現実を見るとともに、日本はどうすべきか、ということを素人なりに考えてみたい。

◆悪化する日韓関係・同じ非核国なのに
 その前に、まず日本と韓国の関係である。これまで日韓両国は核武装を進める北朝鮮に対して、アメリカとともに対峙する関係だった。しかし、徴用工問題を契機に昔の関係はどこへやら、互いに敵対する関係になっている。先日のBSプライムニュースでの専門家の解説によれば、韓国は日本の“空母いずも”に対抗するために、同様の軽空母建設を進めているというが、いくら竹島という領土問題があるにしても、韓国が日本を仮想敵国と見ているのに驚いた。韓国は本気で日本が攻めて来ると思っているらしい。

 つい先日まで仲間だった日韓両国は、首脳同士の意地の張り合いと硬直した応酬によって、韓国による軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄にまで進もうとしている。経済面でも、韓国からの観光客は各地で軒並み壊滅状態、輸出も滞って損失も莫大になっている。韓国側が発端とはいえ、徴用工問題はここまで両国関係を悪化させなければならない大問題だったのか。これでは、核の緊張が高まる極東アジアで、非核国同士の日韓が協力することなど夢物語になる。もっと極東アジア全体の安全を視野に入れて考えることは出来なかったのか。  

◆アメリカに対抗する中露の軍事協力
 いま極東アジアは、8月に「中距離核戦力(INF)全廃条約」を失効させたアメリカが新たに構想する「アジア・ミサイル網」によって、緊張が高まりつつある。これは、INFによって禁じられていた射程500〜5500キロメートルの地上発射弾道ミサイル・巡航ミサイルをアジアの同盟諸国(日韓豪)に配備しようという構想で、いわば、中露を取り囲んでアメリカの“核ミサイルの盾”をアジアに作るもの。自国から遠く離れたところに核の防衛線を引こうという、アメリカにとって虫のいい構想だが、これには当然、中露から激しい反発が起こっている。 

 これまでのところ中露の反発を恐れて手を上げる国は出ていないが、日本を含む極東アジアは今、「アメリカVS中露」の核軍拡競争の場になりつつある。それは、必然的に中国とロシアの蜜月をもたらす。両国はまだ同盟国ではないが、「多面的な戦略的パートナーシップが完全である点で、“同盟関係”だ」とプーチンが言うほどになっている(「選択」9月号)。安倍とプーチンの関係など足元にも及ばない状態だ。その蜜月の中で、ロシアは中国と新たな軍事協力協定を結び、ミサイル攻撃警告システムへの支援などで中国の防衛網をてこ入れしようとしている。それだけ、アメリカに対する警戒感が高まっているということである。

◆限定核戦争では圧倒的に中国有利だが
 一方の中国は、ゴビ砂漠に横須賀海軍基地、嘉手納空軍基地(沖縄)、三沢空軍基地(青森)の詳細な模型施設を作って、先制攻撃の演習を繰り返している。日本全体については、準中距離ミサイル450発が射程に入れており、グアム島米軍基地向けにも「東風26」という長距離ミサイルが配備されている。韓国に対しても同様で、アメリカの同盟国は中国の核ミサイルによって開始数時間で無力化されてしまう。地球が破滅するような全面核戦争はともかく、短時間の限定核戦争では中国が圧倒的に有利だという(米ランド研究所)。

 ここまで具体的に見てくると、北朝鮮の核ミサイルも中露の核ミサイルも、日本がイージスアショアを2基備えたくらいでは、何の気休めにもならないことが分かる。中露はもちろん、北朝鮮の核でさえ、一度に複数のミサイルを発射できるし、(核を何個も積む)多弾頭化していて、とても防ぐことは出来ない。しかも、ロシアは日本のイージスアショアの導入に対して、「もし配備されれば日本から中距離巡航ミサイル発射も可能になる。ロシアは対抗措置をとる」(露外務次官)と警告している。

◆果てしなき核軍拡競争の空虚さ
 こうして今、極東アジアで展開されている野放しのミサイル軍拡の実際については、「頭がおかしくなるほど、核戦争の脅威が現実的なものになった」(米元エネルギー長官)という声も出ているくらいだが、私たちはこれをどう受け止めるべきだろうか。簡単に言葉の上で「敵を無力化する」と言うが、広島原爆の数百倍もの威力を持つ核攻撃は仮に全面核戦争につながらないまでも、その限定戦争によって何億という人間が死ぬ悲惨なものになる。沖縄も東京もなくなり、守ろうとする国の消滅にもつながる。

 それを考えれば、現在、米中露によって展開されている核軍拡競争の空虚さと不毛が見えてくる筈だ。合理的に考えれば核は使えないし、万一使ったら「核戦争に勝者はいない」という悲劇が待っている。彼ら核大国は、互いに仮想敵国を作ってミサイル技術と防衛システムで熾烈な競争をしているが、極東の問題で、そうした大破滅に替えるべき大事なものが、果たしてあるのだろうか。核競争のゲームに邁進するアメリカの軍産政治家は、日本にもその一翼を担うよう迫っているが、核戦争の悲惨を知っている私たち日本人(特に政治家)は、そうした連中が唱える“核抑止力の幻想”()などに安易に乗せられることなく、むしろ核軍拡の空虚さと不毛をこそ世界に訴えて行くべきではないか。*いずれきちんと書きたい。 

◆生き残っていくために非戦の知恵を
 日韓に限らず、今の極東には国のメンツにも係わる様々な紛争の種は尽きない。日本も戦後74年経ってもまだ、ロシア、韓国、北朝鮮、中国と領土問題や戦後処理問題を解決できずにいる。中国の覇権主義も不安材料だ。しかし、核大国とその同盟国は、一つ一つ忍耐強い話し合いと非戦の知恵で平和的解決を見つける以外に、互いが生き残る道はないということを、何度でも肝に銘じる必要がある。
 先月のNHKラジオで元中国大使の丹羽宇一郎が、「日本は資源がない国なので、貿易で食べていくしかない。貿易立国で生きていくためには、戦争などしてはいけない。どこの国とも仲良く友好関係を築いて自由に貿易出来る関係を作って行く以外に日本が生き残る道はない」と言っていた。シンプルだが、ごくまっとうな意見だと思う。

子どもは未来への大事な宝 19.10.22

 17日に文科省が公表したデータによると、2018年度の全国の小中学校・高校のいじめの件数は、前年度比13万件増の54万件。過去最多になった。さらに、自殺した子どもは332人(小学5人、中学100人、高校227人)で、3年連続で増えている。一方で、幼児の悲惨な虐待死事件も後を絶たない。政府の緊急調査によると、学校や保育所を長期欠席している子どものうち、「虐待の恐れがある」と判断したのは2600人あまり、面会が出来なかった子どもで「虐待の可能性が否定できない」としたのは、1万人近くに上る。恐るべき数字である。

 その一つ一つの虐待の例は、耳を塞ぎたくなるような残酷さだ。4歳や5歳の可愛い盛りの無抵抗な女児が、大人の執拗な暴力や育児放棄によって殺される。もちろん、子どもを虐待する親がいること自体が悪だが、密室の中で死んでいった子どもたちは一体誰を訴えればいいのか。事件が起こるたびに、社会もメディアも児童相談所が悪い、警察が悪い、或いはその連携が出来ていない、と指摘するが、子どもを取り巻く環境が一段と緊迫度を増す中で、人手不足の児童相談所の中には、1人で100件の相談件数を抱えているところもあるという。 

 子どもは本来、国の将来を担う大事な存在であり、日本の未来を切り拓いてくれる大事な宝である筈だ。政府は、「いじめ防止対策推進法」(13年施行)や、「改正児童福祉法」(10月に成立)を作って取り組みを強化していると言うが、いじめや虐待から子どもを守るためには、小手先の対策ではなく、もっと根本的な考え方の切り替えが必要と思えてならない。死んでいった子どもたちの無念に答えるためには、私たちの社会はどう変ったらいいのか。子どもを取り巻く過酷な環境を改善し、少しでも悲劇を減らす方策はあるのだろうか。 

◆父親から暴力を受けて育ったヒトラーの場合
 それにしても、いたいけな幼児を虐待する大人が何故生まれてしまうのか。彼らの心の中には、どんな闇が広がっているのか。この点で、一つの注目すべき研究がある。それは、あのアドルフ・ヒトラーに関するスイスの心理学者たちの研究である。ヒトラーは、幼少期に父親から激しい暴力を受けながら育ったが、あるとき彼は殴られても決して声を出さないと決意する。代わりに父親の一打ごとに殴打の数を心の中で数えるようになり、傍観するしかなかった母親にそれを自慢さえしたという(「幻影からの脱出」)。

 しかし、そうまでして我慢した父親の暴力は、成人したヒトラーの心に深い傷跡を残す。総統になってからのヒトラーはよく夜中に目覚め、気が狂ったように部屋の中を歩き回った。体中に汗をかき、あえぎながら数を数えていたという。虐待を受けた子どもは、暴力をまともに受け止めるのを避けるために、自分の感情を押し殺し、自分のかなりの部分を否定して生きるようになる。そして「自分の中の他人」を生きるようになる。そうして大きくなった彼らの攻撃は2つに向かう。一つは自分自身に対して(自傷行為)、もう一つは外に向けてである。

 大人になった彼らは、誰か、あるいは何かの中に憎しみに満ちた「自分の中の他人」に似た弱い存在を見つけて、それを攻撃せざるを得なくなる。ヒトラーの場合は、その弱い存在が彼に対して手も足も出ないユダヤ人だった。虐待を受けた大人にとってこの世界は、真の自分が存在しない妄想の世界(見せかけの世界)になる。ヒトラーがあれだけ残虐なことが出来たのも、彼が妄想の世界に住んでいたからなのだろう。彼は残虐な命令を出しても決して前線には赴かず、その現実を直視しようとはしなかったという。

◆子どもは社会全体で守っていくべき宝
 虐待された経験が、わが子への虐待や無視となって現れやすいというのは、「虐待の世代間連鎖」と呼ばれる傾向の一つだが、児童虐待の背景には他にも、今の親たちが置かれている社会的孤立や、切羽詰まった貧困など様々な要因があげられている。これらの要因は既に個々の努力で解決するレベルを超えており、児童虐待やいじめを減らしていくには、社会全体でその要因の連鎖を断ち切っていかなければならない。そしてその時に必要なことは、何よりも「子どもは社会全体で守っていくべき宝」とみなす価値観の転換なのだと思う。

 もう一つ別な観点から言えば、児童虐待を生む社会の底流には、「子どもは管理されるべき存在だ」という近代以降の価値観があるように思える。かつてのドイツも似たようなところがあったのかも知れないが、管理の名のもとに行き過ぎたしつけ(虐待)が許される社会である。その価値観は、現在の教育行政の中にも驚くべき頑強さで残っている。例えば、虐待などで保護された子供たちを預かる「一時保護所」では、私語を禁止したり、ルールを破ったら壁に向かって食事をさせたりする「刑務所みたい」な懲罰が行われている(7/25朝日)。

 中学校教育の現場でも、「忘れ物をしない」、「背筋を伸ばす」、「給食時の黙食(私語禁止)」など様々な管理強化が広がっており、いじめや虐待で敏感になった生徒たちに無言の圧力を感じさせている(10/8毎日)。こうした子供たちの息を詰まらせる管理強化の考えが余裕のない親たちに反映しているとしたら、子どもにとってますます可哀そうなことになる。そんな締め付けを超えて、子どもを「社会の宝」として自由に個性を大事にしながら育てていくことが出来るか。また、そうした価値観の転換を教育機関のみならず、社会全体ができるかどうか。今の日本に問われている大きな課題だと思う。

◆2040年に活躍している姿を思い描きながら
 私事で恐縮だが、私の3人の孫たち(11歳、9歳、4歳)は今、NYで実にのびのびと学校生活を楽しんでいるように見える。バレエを学んでNYのバレエ公演に参加したり、アートスクールに通ったり、惑星や地図を描くことに熱中したりと、それぞれの年代で好きなことに打ち込んでいる。学校も校長の権限で自由にカリキュラムを組めるし、学校の外にも好きなことを学べる各種のホームスクールも用意されている。好きなことに打ち込める自由さに慣れた孫たちが、帰国後に果たして日本の学校生活に適応できるかと心配になるくらいだ。

 大前研一によれば、これからの教育に求められるのは、子ども一人一人の長所や特性を把握し、それに合わせた個別のプログラムで能力を伸ばしていくことだという。子どもたちの将来は答えがすべて違うのだから、教え方もカリキュラムも個人によってすべて違うべきだとする(これをテーラーメイドの教育という)。その子が2040年に活躍している姿を思い描きながら個々の能力を伸ばしていく。これは既にデンマークや北欧で実施されている教育だが、管理強化型の日本とは対極にある教育法である(「国家の衰退からいかに脱出するか」)。

 日本の教育が未来社会に適応していくためには、文科省の旧態依然とした管理教育を廃止し、何より教員の数を増やして少人数のきめ細かい教育が必要になってくる。しかし、神戸市の東須磨小学校での教師同士の陰湿ないじめに見るように、日本の教育現場は閉鎖的な密室空間になっている。教師達も、文科省や保護者の要求に答えるために休む暇もなく対応に追われる。教育現場が「ブラック職場」だという認識が広がり、非正規職員からも見放されて深刻ななり手不足に陥っている(10/9朝日)。長きにわたる無作為の結果である。

 これからの教育は、単に知識を詰め込むのではなく、答えがない時に答えを見つけ出す教育になっていく。教師はそのとき、「メンター(助言者)」としての役割になって行くというが、日本の教育は相変わらず、(スマホで検索すればすぐ分かるような)知識偏重の教育を続けている。これではAIには対抗できない。日本は今こそ、「子どもは国の未来を切り拓いてくれる宝」という価値観を社会全体で共有しながら、子育て環境を根底から変えていく時ではないか。

絶対利権は絶対に腐敗する 19.10.8

 英国の歴史家、ジョン・アクトンの「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」いう言葉は、これまでにも何度か引用してきたが、権力と利権が表裏一体であることを考えれば、これを「利権は腐敗する。絶対利権は絶対に腐敗する」と言い換えてもいいのではないか。しかも権力に守られた利権は、権力が長期化すればするほど腐敗の度を増して行く。今の日本では長期政権の淀みの陰で、各所で様々な利権集団が形成され、強欲な面々が砂糖に群がる蟻のように集まって私腹を肥やそうとしている。その腐敗の実態は、まさに「知らぬは国民ばかりなり」である。

◆利権が呼び込んだ共犯関係。原発マネー環流事件
 9月26日に、共同通信の特報から始まった関西電力の原発マネー環流事件は、毎年巨額のカネが動く原発事業の闇の一端が表に現れたものだ。高浜町の元助役から関電経営陣に還流した3.2億円は、原発の安全対策費だけで1兆円を超える関電の原発関連費のごく一部に過ぎない額で、彼らにとっては元助役側に実際より多少高く払っても痛くもかゆくもない額に違いない。その高く払いすぎた額から3.2億円が関電側に環流していたのにびっくりだが、(説明によれば)事業をスムーズに進めるには受け取るしかないと黙認していたのだそうだ。 

 しかし、公共事業である電気事業は、掛かっただけを電気料金(公共料金)に上乗せしていい構造になっており、国民の負担金である。そのことを考えれば、国民から集めた金を表に出せない癒着の中で無駄遣いし、しかもその環流金を自分たちの懐に入れていた事実は、法律上はともかく、経営責任はどう言い逃れしようと免れることではない。元助役は利権の甘い汁を吸い続けるために関電経営陣を共犯関係に引きずり込んだわけだが、関電側は「死人に口なし」で、このまま黙って金品を懐に入れようとしていたと疑われても仕方がない。

 元助役同様、彼らもまさに原発利権にたかる蟻状態になっていたわけで、これは原発事業がもはや透明性のある公共事業としては成り立たず、腐敗したなれ合いの関係でしか維持できない無理筋の事業であることを示している。安倍政権は、核燃料サイクルも含めて原発が無理筋なのを承知で「ベースロード」電源として位置づけ、巨額の税金を投入して推進しようとしている。しかし、無理を通そうとすれば必然的に癒着と腐敗の関係が生じざるを得ないことが明白になった。これでは、安全確保などとても無理。原発はやめるしかない。

◆政官財の欲望渦巻くカジノ誘致
 利権の甘い汁が強欲な面々を呼び込む構図は、原発に限ったことではない。例えば、3年前に自民党などによって強行採決されたカジノ法案(統合型リゾートIR)。今このIR誘致を巡って生臭い動きが始まっている。横浜では、8月に林文子市長が誘致を表明して注目を集めたが、これも裏で地元に利権を持つ菅官房長官が糸を引いている。既に横浜に進出するカジノ企業は、トランプとも縁が深い米国の「ラスベガス・サンズ」に内定しており、これにセガサミー(パチンコ機器メーカー)が共同参加を目指して激しい政界工作を続けている(「選択」10月号、横浜カジノに燃える強欲者たち)。

 セガサミー会長の次女の婿は衆院議員の鈴木隼人。2人の結婚式には安倍首相ら歴代首相と菅も駆け付けたそうだが、セガサミーの武器は政界との太いパイプだ。菅は、競争相手の千葉の森田健作に災害支援で話をつけ、東京の小池優子には二階幹事長を通じて「再選させる代わりに横浜IRを妨害しない」という交換条件を用意する。その一方で、政権の内部でも欲望が渦巻いている。内閣官房(菅の管轄組織)のIR推進本部の事務局には経産省や財務省から大量に役人が送り込まれ、せっせと世界各地のカジノ「視察」に励んでいるという。

 皆、「官僚人生の最後に一花咲かせると同時に、観光業界やカジノ業者にでも天下りたい野心家ばかり」と「選択」は書くが、こうした連中がまるで利権に群がる蟻のように、カジノ産業にたかろうとしている。不透明な利権構造の中で、適切なギャンブル依存症対策は作られるのだろうか。無駄な税金が投入されていないか。まさに「利権は腐敗する。絶対利権は絶対に腐敗する」を地で行くように、長期政権によって構築された利権構造によって、税金の甘い汁が権力の中枢に流れ込む仕組みが作られている。知らないのは国民だけである。 

◆大企業への優遇策で結びつく政財の利権構想
 もっと巨額の癒着構造もある。大企業の「優遇税制」を巡る政府自民党と大企業のもたれ合いだ(同じく「選択」)。安倍政権は発足以来、成長戦略の目玉と称して法人税の引き下げを続けて来た。その税率は政権発足当初の39.5%から23.2%まで大幅に下がっている。しかし、特に大企業は法人税の引き下げで儲けた金を内部に貯め込むばかりで設備投資にも使わず、給与にも反映させない。企業の内部留保は今や、金融・保険も加えた全産業で500兆円にも上っている。大企業は日本の法人税は高くて商売しにくいと不平たらたらだったが、法人税の引き下げが経済成長に寄与している形跡は乏しく、政権の思惑は外れている。

 しかも驚くべきことに、日本の法人税は全企業一律の筈(従って利益の大きな大企業ほど有利な税制)なのに、実際は資本金が大きくなるほどに税率が下がる異常な状態になっている。特に資本金が100億円以上(トヨタは6300億円)の大企業は法人税の実質負担率が11%台(連結法人まで入れると8%台)にまで下がっている。どういうことかというと、大企業ほど有利な優遇税制があるからだ。一つは研究開発費に対しての優遇措置で、大企業も中小企業も一律だから、多額の研究開発費を使って減税を受ける大企業の方が有利で、例えばトヨタなどは、4年間に4000億円も税金を控除されているという。

 以上は一例に過ぎないが、様々な法人税の優遇策で、日本そのものが税金逃れのタックスヘイブン(租税回避地)状態になっているという指摘さえある。それにしても、安倍政権の前には40%近くあった大企業の法人税が減りに減って実質8%台とは。巨額の社内留保を見れば、消費税の増税(年間5兆円)などしなくても法人税の見直しだけで十分だという、山本太郎の主張も肯ける気がするが、それが出来ない利権構造がある。それは政治献金。経団連を始め、日本自動車工業界、製薬産業政治連盟が自民党への最大の政治資金提供者だからである。ここにも、裏でがっちりと手を組んだ利権の構造がある。

◆利権の閉塞社会。権力のシャッフルは出来るか
 安倍政権が一強状態を作り出してから間もなく7年が経過しようとしている。この間に構築された利権の構造はますます強固になって行くに違いない。そこに腐敗が生じようが、利権のうま味を知っている与党がこれを変えようとはしないだろうし、野党の国会議員達だって何かしらの利権に縛られているかも知れない。そして国民の方も漠然とした受益の幻想を抱いて、この状況に安住している。しかし、このような利権構造はどこかで見直されないと、いつ原発事故や財政破綻、地震・災害への脆弱さとなって現れないとも限らない。

 こうした利権の癒着構造は報道されない限り、国民は知ることが出来ない。また、権力がシャッフルされない限り利権の構造が変ることはない。今回の関電のように、権力の淀みに浸かって居座りを決め込む連中に、自浄作用は期待できないからだ。分かってみると、腐敗した利権構造のある社会は閉塞的で息苦しい。せめて自民党内でもいいから、どこかで権力のシャッフルがあって欲しいと思うが、そのためにも関電事件をスクープした共同通信や、「選択」のようなメディアの監視機能は大事にしなければならないし、他のメディアにも頑張って貰いたいと思う。そして、少しは目覚めた野党にも。

疑問だらけの東電事故判決 19.9.27

 9月19日、福島原発事故に関して「業務上過失致死傷罪」で起訴された東電の旧経営陣に対する東京地裁の判決があった。東京地検が不起訴としたものを住民グループが検察審査会に申し立ててようやく起訴に持ち込んだ裁判だったが、21人の証言と4100点の証拠、2年3ヶ月に及ぶ審理の末に出された判決は全員無罪。当日のニュースや夜のNHK「クローズアップ現代」、翌日の新聞各紙の論評などを読んで抱いたのは、判決内容に対する強い違和感だった。その論理展開もさることながら、「この裁判長は原発の安全確保の重大性を分かっているのか」と疑わせる文言が判決文の各所に出てくるのに驚かされた。 

◆「原発の運転停止」と「長期評価の信頼性」を天秤にかける
 判決はまず、「本件で問題となる結果回避義務は、平成23年3月初旬までに本件発電所の運転停止措置を講じることに尽きている」と、事故を回避するには、原発の運転停止が唯一絶対の方法だったと宣言する。その上で、電力は現代社会におけるライフラインの一つであり、社会的な有用性が認められるので、「その運転停止措置を講じることになれば、地域社会にも一定の影響を与えると言うことも考慮すべきである」と原発を止めることの難しさを強調して、刑事罰のハードルを高く設定した

 さらに裁判長は、(事故前まで)東電は法令に従って運転して来たことは勿論、「安全対策の面でも必要とされる対応をしてきており、(福島原発は)地震及び津波に対する安全性を備えた施設として適法に設置、運営されてきた」と、事故後に指摘された東電の数々の「安全神話」による不作為を不問にして東電の正当性を述べ、返す刀で事故の「予見可能性」の前提になった政府の「長期評価」について、「原発の運転停止を迫るほどの」十分な信頼性があったのかと問う。無罪判決に向かって一直線の、思い込みの強い論理立てである。

 裁判では、東電の専門家グループが高さ15.7メートルの津波を予測する基になった政府の「地震の長期評価」を、「原発を止めるほどの信頼性はない」と退け、対策を先送りした旧経営陣を無罪にした。しかし、@事故を回避するためには、「原発を止めること」が唯一絶対の手段だったのか、他にも手段があったのではないか。もしそうだとすると、A万一にでも事故を起こせば国家の存亡にもつながる危険な原発を扱う責任者として、取り得る対策を先送りしたのは妥当だったか、という重大な疑問を残した判決だったと思う。

◆「長期評価」も「津波予測」も否定する
 発端は、地震防災対策特別措置法に基づいて文科省の長期評価部会が2002年に公表した、地震に関する「長期評価」だった。今後30年以内に三陸沖から房総沖の海溝よりで、マグニチュード8.2クラスの巨大地震が起こる確率を20%としたものである。これは、大学や研究所の専門家も多数参加した国の唯一と言っていいデータであり、原発の津波対策にも当然生かされるべきデータである。裁判では、2008年に子会社の「東電設計」がこの長期評価に基づいて津波予測の資料を作成し、被告たちに報告していた事実も明らかになった。 

 地震後45分で福島第一原発に高さ15.7メートルの津波が来るという詳細な試算で、配電盤や非常用ディーゼルエンジンが水につかる図も添えられていた。「津波対策は不可避」という指摘もあった。この重大な資料を本社中枢が集まる御前会議で発表した時、当時の武藤副社長は「土木学会の検討に回す」と事実上の先送りを指示した。担当者は「予想しなかった結論だったので、肩の力が抜けた」と証言したが、判決は旧経営陣の「大津波は予見できなかった」という責任逃れの主張を受け入れた。

 裁判長はその理由として、他の原発も「長期評価」を全面的に取り入れることがなく、国からも「これに基づいて運転停止すべき旨の指摘がなかった」ことを考えれば、「一連の事実経過を踏まえて考えても、被告らは(敷地の高さの)10メートルを超える津波が襲来する可能性について、信頼性、具体性のある根拠を持っているとの認識がなかったと見ざるを得ない」とした。国の唯一のデータである「長期評価」を、“運転停止を迫るほどの”信頼性、具体性があったとは認められないと退けたわけである。

◆対策を先送りした東電の犯罪性を見逃す
 しかし、東電側は敷地高を超えるような大津波が襲来すれば、福島原発が大事故につながることを事前に十分認識していた。2006年の保安院と電力会社の勉強会で、東電はそれだけの大津波が押し寄せれば炉心溶融に至る可能性があると伝えているし、既に1990年にはアメリカNRCの研究によって、福島のような沸騰水型原発では全電源喪失がリスクであること、津波によって全電源が喪失した場合に、炉心は11時間ほどで溶融に至ることも報告されていた。だからこその「津波対策は不可避」だった筈である。

 しかも、東電は対策を先送りにすると同時に、東北電力が2008年の「長期評価」を基に津波想定の見直しを進めていた時に、その報告書を書き換えるように圧力をかけていたことも裁判で判明している。まさに犯罪的な行為だが、こうした事実を知った上で裁判長は、「結果の重大性を強調するあまり、自然現象について想定し得るあらゆる可能性を考慮して必要な措置を講じることが義務づけられるとすれば、原発の設置、運転に携わるものに不可能を強いる結果となる」と、最初から「原発運転ありき」の判決だった。

◆原発停止以外にも対策はあった
 さらにこの裁判の不可解さは、事故を防ぐには「原発の(長期間の)運転停止が唯一絶対」と思い込んだ点にある。その欠陥を伝えたのが、19日の「クロ現〜東電刑事裁判、見えてきた新事実〜」だった。一つは東電の津波予測の内部資料である。それには、津波対策として「非常用海水ポンプの機能維持」や「建屋の防水性の向上」が上げられていたが、経営陣には、巨額の金が必要な堤防のかさ上げの方が先に頭に浮かんで対策そのものを躊躇したのだろう。中枢と現場の意思疎通のなさ、意思決定の曖昧さが招いた「先送り」だった。

 一方で、出来ることから津波対策を行っていた原発もあった。それが茨城県にある日本原電の東海第二原発である。対策を始めたのは東電で議論があったと同じ2008年。原電は、巨額の費用と時間がかかる堤防のかさ上げでなく、比較的短時間で安く出来る「盛り土」と「建屋の防水対策」という複合的な対策を進めたという。工事は辛うじて震災に間に合い、従来の想定を超える6.2メートルの津波が押し寄せた時に、冷却用のポンプは浸水したが、大事には至らなかった。ただし、原電は横並びを乱さないように、他社にも国にも内密で津波対策を進めたというから、原子力ムラの闇はどこまでも深い。

◆この判決を許せば、事故はまた起きる
 一旦事故が起これば、国家存亡の危機に立つのが原発事故の恐ろしさである。それは福島事故を経験して分かったことだが、少なくとも原発を維持する電力会社と責任官庁は前もって肝に銘じているべきだった。しかし、その任に当たる関係者がことごとく安全神話に安住して自らの責任に向き合わない。それが日本の実態だった。裁判はそれを仕方がないと認め、被告たちを無罪にした。しかも今回は、裁判所そのものが旧態依然の安全思想の持ち主だと言うことも露呈した。福島事故は起こるべくして起きたが、こうした判決を許している限り、事故はまた起こると思わざるを得ない。刑事裁判の壁は厚いかも知れないが、指定弁護士たちによる控訴を望みたい。(*9月30日、指定弁護士が東京高裁に控訴した)