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  今週の鑑賞。定年後の身辺雑記

生活の設計図から振り返る 19.12.29

 定年後、日頃の生活をただ漫然と送らないために「生活の設計図(見取り図)」なるものを書いて時々眺めている。設計図と言ってもごく単純なもので、中心に現在の生活信条となる項目を書き出して四角で囲み、その周囲にその項目に関連する様々な要素を結びつけていくというものである。中心の柱となるものは、その時々に応じて変るが、現在は次の3項目になっている。@「(時代に向き合って)創造的に生きる」、A「健康維持」、B「(楽しみながら)この生を生ききる」、という3本の柱である。これをもとに2019年を振り返ってみたい。

◆「この生を生ききる」とは?
 ところで項目Bは、以前は単純に「人生を楽しむ」としていたのだが、10月にある本を読んで変えてみた。それは、戦争犯罪に問われて死刑判決を受けた人の手記「あるBC級戦犯の手記」と、その中に出てきた「般若心経の再発見」という本である。共に、毎日を死と直面するような過酷な獄中生活を送る2人が、心の安心を模索した結果、両者ともに「この生を生き抜く」ことを支えとして、毎日を充実して生きたと書いている。自分はそれほどの状況ではないにしても、遠からず死に直面する身として、これに倣って「生ききる」としてみたわけである。

 これは自分なりに日々充足して生きるという目標である。関連するテーマとしては、出来る限り家族のサポートを行うこと、仏教など生きる意味の知識を深めること、月に一度のお寺の集いに参加することのほかに、今は全く出来ていない「終活」なども入ってくる。さらに、「社会とのつながり」(学会・団体や様々なお付き合いなど)、楽しみとしての「旅」(一人旅、家族旅行、友人達との温泉旅など)も。このうち、今年は特に「家族のサポート」が大きかった。3月から2ヶ月間、「娘の子連れで里帰りお産」にお付き合いしたからである。

◆娘の子連れで里帰りお産と、カミさんの絶不調
 その時は娘の長男がまだ2歳半の「イヤイヤ期」の真っ最中で、母親に甘えたくて仕方がない。私も人生でもう2度とないことなので覚悟を決め、すべてを後回しにして孫の相手を務めたが、大変だったのはカミさんの方だった。娘が無事出産してからも1ヶ月検診が終わるまで、食事や洗濯、孫の相手や(部屋を娘達に明け渡して)慣れない場所での睡眠に疲れ果てていた。それがまるまる2ヶ月続き、引き続きNYの次男が単身で帰国、時々我が家に泊まって仕事をしたり、家の内外装の工事(3週間)が始まったりもした。ある意味で、我が家の非常時だった。

 それらがやっと一段落した6月半ばには、カミさんは絶不調に。ストレスから(?)原因不明の舌痛症、首から肩から背中にいたる痛みと座骨神経痛、右目の半分に霞がかかる、おまけに夏風邪で咳き込み肋骨にヒビが入ることまで起きた。歩くと息苦しいというので、夏には呼吸器系の医師のところに一緒に何度か通ったりもした。半年ほども経過したが、未だに首から肩から背中にいたる痛みは治らず、整体通いが続いている。お互い寄る年波で、支え合わないといけない状態になったが、これも「この生を生ききる」の一部だと思えばきちんと向き合うしかない。 

◆「健康維持」と「創造的な生活」
 カミさんがこういう状況になってみると、私の方は項目Aの「健康維持」が何より大事な柱になる。布団の上での毎日のストレッチ、月に1,2度のゴルフ、そして節酒、体重管理などである。前立腺がんの摘出手術後の定期的な血液検査で、いろいろ指摘される項目(尿酸値、コレステロール、中性脂肪)はあるが、それも注意信号ととらえて出来るだけ薬に頼らないようにと心がけている。年相応に何とかやれているのはありがたいと思う。さらに項目@の「(時代と向き合って)創造的に生きる」も、できるだけ大事にしたい項目ではある。

 今年のコラム発信は娘のお産で2ヶ月間、更新をお休みにしたので、23本(日めくり10本)に終わった。これまでは大体10日に一回のペースで更新してきたのだが、今年は少なかった。地球温暖化も核兵器問題も、国の膨大な借金も格差や貧困についても、書き続けているのは、孫子の代の日本や世界が心配だからである。それなのに、今の政治は保守的で一向に前に進まない。問題を先送りしながら空虚な幻想を振りまいているだけだ。それにどうモノを言えばいいのか。手を変え、品を変えて書いてはいるが、だんだんと気力が萎えてきたのだろうか。

 コラムも、気持ちに意味がストンと落ちるまでは取りかかれない。単に怠惰と言うよりは、それに取りかかるまでの時間が以前より掛かるようになった気がする。今の時局の淀みと停滞の中で、書き続けることの意味は何なのか。毎週、新聞2紙を切り抜いてマーカーで線を引きながら読んでファイル化しているが、整理がなかなか追いつかない状態でもある。時代に向き合って自分の考えを整理し発信していく作業は、項目Bにも係わる大事なテーマだと思ってはいるが、来年も続けていくなら、この辺も一度じっくり検証する必要があるだろう。 

◆自分の感覚をみずみずしく保てるか
 「創造的な生活」の「絵」の方は今年、1枚を仕上げただけだった。来年続けられるかどうかも分からない。これも足繁く美術展などにも行き、常に「絵心」を保っていないと、とても描けるものではない。自分の美的感覚を磨く努力もせずに、創造的な生活など無理なのは十分分かっているのだが、それが足りていない。映画鑑賞なども随分と少なくなった。時代に合わせて努力するか、或いは無理せずに年相応の感覚で行くのかの間で揺れている気がする。若い人たちとのお付き合いも含めて、自分の感覚をどう新鮮に保つかは来年の課題だろう。

 若い人とのお付き合いと言えば、その究極は幼い孫達とのお付き合い。私たちには0歳から16歳まで7人の孫がいるが、それそれがそれぞれに頑張っているのが何よりありがたい。比較的近くに住む娘は子連れで月に一度は泊まりに来る。9ヶ月のKotoちゃんは、すっかり女の子らしくなり、表情も豊かになって、3歳を過ぎた兄が大好き、2人で嬉しそうに遊んでいる。お座りも出来るようになった。その成長の勢いを見ていると時間が音を立てて流れているようで、同じ時間が(停滞した)この自分にも流れているとはとても思えない。

◆2020年に向けて
 時代に向き合うと言えば、TVの番組企画を考える仕事がある。もう9年近く週2回、赤坂のプロダクションに通って、若い人たちと議論しているが、今年は座長役を中堅プロデューサーに譲って随分と気楽になった。月2回の経営会議に陪席させて貰ったり、隣の喫茶店で社長とお茶を飲みながら今のテレビについて話をしたりするのが中心で、殆ど役に立っていないのだが、状況が許せば少しずつ企画の方も実現させて行きたいと思っている。現役の時と違って、責任も義務もない自由な立場だが、この歳(74歳)を考えればありがたいことである。

 「一人旅」の方は、今年は壱岐・対馬、五島列島の一回に終わった。実りの多い旅ではあったが、来年はどこへ行くか。これもゴルフと同じで、出来るのは後いくらもない。先日、定年後に6年間勤めた職場の中堅が一席を設けてくれたが、そこで最後にこんなことを言ったりした。「人生の先輩なので一言言わせて貰うと、人生はホントに一回限り。好きなことを思い切ってやった方がいいよ」。官僚機構の中で何かとやりにくいこともあるだろうが、みんな優秀な人たちなので、気遣いだけで歳を取るのはもったいない。

 というわけで、生活の「設計図」をもとに2019年を駆け足で振り返って見た。来年、大きな変化に見舞われれば、中心の3項目も変えざるを得ないが、出来れば大きな変更なしで、日々、自分なりに充足した生活が送れるように努力したい。家族、きょうだい、友人たちの支えを得ながら。皆さま、良いお年をお迎え下さい。

偶然の中を行く旅人 19.12.17

 人生の大部分は偶然に左右されているわけで、以前も書いたが、私がNHKを就職先に選んだのも、就職するかどうか迷っているときに、たまたま同じ寮で暮らす工学系の友人がマスコミを選んだのを知って、同じ工学系の自分にもその道があるかも知れないと思ったからだし、結婚だって似たような幾つかの偶然に左右されている。しかし、ここに書くのはそれほど大きなことではなく、ほんの小さな偶然についてである。先月に壱岐・対馬、五島列島のお一人様ツアーに行ったが、そのうちの2つがそのツアーに関したものだった。  

◆「隠れキリシタン」と「潜伏キリシタン」の違いは?
 ツアーの3日目、五島列島の南に位置する福江島に行った時のこと。午後ホテルに着いてから夕食までの時間に、地元のボランティアの老人に福江の城下町を案内して貰った。福江城の石垣やかなり道幅の広い武家屋敷跡などを散策しながら、島の歴史などを説明して貰った。列の後ろからついて行くと時々説明が良く聞き取れないところもあるが、そういうことは気にせずに、のんびりと夕暮れ迫る武家屋敷跡を歩き回った。その中に、ちょっと気になった内容があった。江戸時代、この地方に残っていた「隠れキリシタン」の話である。

 それは、この地方には「隠れキリシタン」とは別に、「潜伏キリシタン」と呼ばれる人々がいるという話で、その違いが少し離れて歩いていた私には、良く聞き取れなかったのである。後で同行の人に尋ねてみようと思ってそのままにしていたのだが、残念なことに夕食時にその疑問を持ちだしても誰も明確には覚えていなかった。翌日は、霊験あらたかな水が出るルルドの泉がある井持浦教会を訪ねたり、海水浴場で知られる高浜ビーチで貝殻を拾ったりのコースを巡ったが、「隠れキリシタン」の違いについてはその後も話題には出ることはなかった。

 ということで、それはかすかな疑問として頭の片隅に残っていたのだが、旅から帰って何日もたたない土曜日の朝、布団の中から手を伸ばして、ラジオのスイッチを入れたとたんに飛び上がるほどにびっくりした。番組の途中から聞いた最初の言葉が、いきなり「隠れキリシタンと潜伏キリシタンの違いは」だったからである。それは、土曜日にいつも布団の中で聞いているラジオ第2の「文化講演会」で、その日のテーマが「潜伏キリシタン関連遺産の文化的意義」というものだったのである。その説明を聞きながらやっと福江島での疑問が解けたのだが、その出来すぎた偶然に何だか狐につままれたような気分がした。

◆ひょいと見ると向こうのテーブルに
 もう一つは、ツアーの最終日。福江島で夕食後に部屋に戻り、民放の番組を見てから寝ようと思って、ふとNHKは何をやっているかとチャンネルを変えた。すると写真家のOさんの姿が突然目に飛び込んできた。長崎のローカルニュースだった。Oさんとは長年の知り合いで、4月の「日曜美術館」に出て貰った時に、彼女の長崎原爆に関する写真集を市全部の中学校に寄贈する計画については聞いていたのだが、ちょうどその日が寄贈式だったのである。「それが今日だったのか」と、ちょうどその時にチャンネルを回した偶然に少しびっくりした。

 帰りは福江港から船で長崎へ。長崎での自由時間には、初めて平和公園や原爆資料館を見学した。平和公園でボランティアの人たちが熱心に学生達に説明をしている風景や、原爆の悲惨な展示物を資料館で見て歩いた。バスで空港に着いてからも、出発までまだ1時間ほど余裕があるというので同じ一人旅の男性と空港内の小さなうどん屋で一杯やることにした。そして、2人で乾杯してひょいと顔を上げると、一つ向こうのテーブルにそのOさんがいるではないか。「ニュースで見ましたよ」と言うと、向こうも驚いていたが、こっちはもっとびっくりした。

◆15号車に乗り込んでみたら一列に!
 さらにそれから10日ほど経った時である。久しぶりにきょうだい4人が集まって水戸で墓参りと食事会をしようと申し合わせていた。姉二人は上野から同じ特急に乗るというので隣り合わせの席を確保。私たち夫婦は柏駅から乗ると言うことにして、前日にカミさんがJRで同じ特急の切符を購入し、水戸駅で落ち合おうということにした。それ以外は何の企てもなかった。それが、柏駅から私たちが「15号車の7番C、D」と確認しながら入っていくと、同じ車両に姉たち2人を見つけたのである。それも彼女たちの座席は「15号車7番A、B」。私たち4人は期せずして15号車の7番に一列に座ることになったのである。

 これには4人とも唖然とした。特急は10両編成で、すべてが指定席になっている。15号車にも半分くらいは客が座っていた。後で色々考えてみたが、それぞれ独立して切符を買った私たち2人と姉2人が10両編成の列車の中で一列に並ぶ確率は、単純計算なら数十万分の一になりそうだ。仮にチケット販売のプログラム上、水戸の改札口に近いところから売り出すということがあったにせよ、これはかなりの偶然と言っていいのではないだろうか。お陰で、互いに楽しく会話しながら水戸に着き、水戸で待っていた弟夫婦の運転で2つの菩提寺を巡って墓参りをし、昼食会もそんな話で盛り上がったことである。

◆「偶然の中を行く旅人」
 ところで、この半月の間に起こった小さな偶然について、幾つかの会食時に面白い話題として提供したのだが、聞いた人たちの反応はイマイチで、たいていは「ふーん」と言う程度。こちらが感じるほどのことはないのである。そうした時にふと、昔読んだ村上春樹の「東京奇譚集」の中の「偶然の旅人」という短編小説を思い出した。そこにはこの手の会話が「ふーん」以上に発展しないことについて、村上特有の比喩で書かれている。『まるで誤った水路に導かれた用水のように、僕の持ち出した話題は名も知れぬ砂地に吸い込まれてしまう』と。

 それでも彼は、幾つかの人生における味わいの深い偶然のエピソードを重ねていく。そして最後のところで、「実はこうした偶然の一致はひょっとしてとてもありふれた現象なんじゃないか」と登場人物に言わせている。こういうことは身の回りでしょっちゅう日常的に起きているのだけれど、その大半が私たちの目にとまることなく見過ごされているというのだ。それは『まるで真っ昼間に打ち上げられた花火のように、かすかに音はするんだけど、空を見ても何も見えない』とこれまた、うまい比喩で書いている。

 ただし、「僕らの方に強く求める気持ちがあれば、それは視界の中に一つのメッセージとして浮かぶ上がってくる」とも書いているが、小説中のかなりインパクトのある偶然と違って、今回のような「ちょっとした偶然」は、単なる偶然のいたずらに過ぎないかも知れない。しかし、こうした偶然が実は身の回りでしょっちゅう起こっていて、その大部分に私たちは気がつかないでいる、という見方そのものものは面白い。考えて見れば、私たちはたまに起こる偶然に出会ってびっくりしたりしながら、様々な偶然がクラゲのように漂う中を、それと気づかずに漫然と暮らしているのかも知れない。すると私たちは「偶然の中を行く人生の旅人」なのか。

◆偶然に支配される人生ならば
 気持ちのどこかでは、主体的に人生を選択しながら生きてきたと思っていても、振り返って見れば主体的に選択したことはごく少ない。むしろ様々な偶然のままに人生を歩んできたように思う。しかし、目に見えない偶然がしょっちゅう身の回りに起こっているのならば、その偶然の妙味を味わえるように心がけるのもいいかもしれない。それには、普段から自分なりの価値観を点検しつつ、明確な意識を持っている必要があるのだろう。そうすれば、この残り少なくなった人生でも結構ワクワクするような偶然との出会いが期待できるかも。

“指呼の間”をどう生きる? 19.10.13

 温暖化のせいか9月に入っても、10月に入っても暑い日が続いた。10月2日にやったゴルフでは、当初の予報に反して急に晴れ出し、埼玉のゴルフ場は(クラブの人の話で)外気温が34、5度にもなったらしい。特に日差しが強くなった終わりの2ホールは、頭がぼうっとしていた。それが祟ったのか、家に帰ってから体調がおかしくなった。身体全体のほてりが続いて、いくら水を飲んでも心臓の早い鼓動がおさまらない。何となく胸苦しい。夕食を食べる元気もない。

 そこで、凍った保冷剤で首筋や脇の下を冷やしているうちに、ようやく落ち着いてきた。軽い熱中症になっていたのだろう。カミさんからは痛く叱られた。以前にも梅雨明け急に暑くなった日に油断して、ゴルフから帰宅後に胸が痛くなり、夜中に救急病院に行き、後日、心臓のカテーテル検査までした。或いは、冬に一酸化炭素中毒で危うく死にかかったこともある(「死にかかった日の物語」)。そんな経験をしながら、せっかくこの歳まで辿り着いたのだから油断してはいけないと、またまた反省した。それはさておき、9月を振り返っておきたい。

◆マーラー「交響曲第5番嬰ハ短調」を聞く
 某日、NHKホールでマーラー「交響曲第5番嬰ハ短調」を鑑賞。久しぶりに感動した演奏会だったが、実はこれには前段がある。先日、都内の本屋でたまたま手にした文庫本が、村上春樹と小澤征爾との対談「小澤征爾さんと、音楽について話をする」だった。小澤が単身海外に武者修行に出かけて世界的指揮者たちに師事しながら腕を磨いていく。その時のエピソードが門外漢の私にも非常に痛快で面白い。同時に、クラシックにも驚くほど精通した村上が小澤と一緒に過去の演奏を聴きながら、緻密な音楽談義を重ねていく。

 その全6回の対談のうち、1回全部がグスタフ・マーラー(1860−1911)の音楽についてだった。クラシックの中でも特別な位置を占めるマーラーの音楽について、2人の思い入れの深い談義が続く。N響の演奏に期待が高まっていたところである。事前にその曲を通して聞き、少しは耳慣れした状態で演奏会に臨んだところ、実際の演奏は想像を超えて重厚、華麗、多彩だった。

 種類の違う管楽器が次々にメロディーを引き継ぎながら展開するところ、打楽器が全体を盛り上げるところ、小澤が言っていたように、一人一人が自分の音に専念して細部を明瞭に演奏しないと全体が形作られないと言った複雑さ。近代音楽の流れの中でも唯一無二の存在だと小澤が指摘するところなのかも知れない。観客も珍しく大盛り上がりだったが、指揮者(パーヴォ・ヤルヴィ)も楽団員たちも“やった感”にあふれていた。

◆若い人たちに自分の経験を伝える難しさ
 某日、科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)が主催する「塾」で講義。今年で3回目だが、「番組企画の作り方、取材の仕方」といったテーマで、現在もTVの制作会社で番組企画に係わっていることや、現役時代に「プロジェクトX」の企画に携わった経験などについて話をした。制作会社での企画会議の座長役も8年が過ぎた今年、中堅のプロデューサーに仕切り役を譲って少し気楽になった。時間の余裕が出来たので、若いディレクターのアイデアを企画書にしてあげたりしているが、これはこれで楽しい。

 自分の経験の中から、今の若い人たちに役に立ちそうなことをどう伝えていくかは、なかなかに難しいことである。彼らが求めていることに答えているのかどうかも分からないし、年寄りの考えを押しつけてもいけない。同様の隔靴掻痒感は定年後、大学で5年ほど「メディア論」の講座を持った時にも感じたことだった。企画の立て方などは本来、若い人たちが自分の意欲で切り拓くしかないものである。今は出来るだけ彼らの意見に耳を傾けながら、むしろ若い人の感覚や彼らとのコミュニケーションの取り方を学んでいる。 

◆カミさんの肋骨にヒビが
 某日。8月にやってきた娘の長男に夏風邪を貰ったカミさんが、その後、大きなくしゃみを10回ほど続けたら肋骨にヒビが入ってしまった。そんなときにまた、娘が2人の孫を連れて泊まりに来た。下のKotoちゃんは生後6ヶ月が過ぎてますます可愛くなった。意味のない大声を出して自己主張もする。カミさんがそういう状態だったので、私の方はできるだけ長男のK君(3歳)のお相手をした。定番コースの散歩に連れ出し、今回は風呂にも一緒に入った。語彙も豊かになって、若い人たちよりよほどコミュニケーションが取りやすいから不思議なものである。

 某日。TV制作会社の幹部を早めにリタイアし、長野市に移住した(私より一回り以上若い)友人が、がんの闘病をしているというので、かつての仕事仲間と一緒に見舞った。退院した直後だったので、長野駅近くのホテルの喫茶店で3時間あまり。放射線治療と抗がん剤の副作用で味が全く分からなくなったことなど、多岐にわたる話を聞いた。得がたい話が多かった。幸い、治療の経過は順調で想像以上に意欲的で元気だったので、2人してほっとしながら帰ってきた。一日も早い回復を祈りたい。

◆“指呼の間”をどう生きるか
 某日。北千住のいつもの居酒屋で先輩と飲む。アナウンサーだった先輩は、今年77歳。今の楽しみは、月に2度ほど相模大野まで出かけていって、自分より年上の人たちに朗読を教えることだという。主に80歳より上の上の女性陣と男性陣が少々。声に出して文章を読み、名文の輪読などにも挑戦している。年に2回は発表会もするそうだ。メンバーが熱心で駅での車の迎え、終わった後の懇親会場の設定など、全部やってくれるのだそうだ。大事にされているのだろう。「一度のぞいてみてよ」と言われている。

 3年後輩の私も、現在持っている幾つかの関わりも徐々に少なくなったときに、何を軸にして生きるかに思いが向くようになった。80半ばまで、あと10年。その間をどういう風に生きるかである。先輩も教室に来る年上の人たちを見て、学ぶところが多いと言っていた。「考えてみれば、すぐあそこに(あの世への)ドアが見えて来たよね」、「本当に“指呼の間”だね」などと言い合いながら、「こういう話は、なかなか若い人とは出来ない」と言うことになった。これまでやってきたことを一筋に絞りながら、なお充実して人々との心の交流を続けている先輩はすてきだと思う。

 私の場合は、今年16年目に入る「メディアの風」を続けながら、一方で家族サポート、番組の企画や幾つかの勉強会、下手なゴルフに一人旅(来月は壱岐・対馬、五島列島に行く予定)、そして下手な絵。そうしたことを結構忙しく続けているが、これも体力の衰えとともにぐっと絞られて来るだろう。平均寿命や健康寿命から見ると、自分の人生の幕引きももう“指呼の間”に迫ってきた。少なくとも、そのドアを開ける時までやっておくべきこと。それも含めて“指呼の間”をどんな風に生きればいいのか、少しずつ考えてみたいと思う。

◆台風19号が駆け抜けていった
 上記のようなことを書いている最中に、台風19号がやって来た。ガラス窓にテープを貼るなど事前に相当な準備をし、すぐ近くの元荒川が氾濫した場合の浸水予想図を眺めながら、自宅待機に決める。しかし、一日中テレビからの緊迫した情報を見ていると不安が頭をもたげて来る。息子や娘からもメールがしきりに入る。TVやPC、スマホでも情報収集をした。11時頃に台風の目に入ったのか一瞬の静寂があったが、お陰様で被害なく済んだ。これだけ情報社会になると、なかなか泰然自若とは行かず、気疲れからか体調が優れない。各地の被害状況を見て、温暖化の日本はこの先どうなるのかと思う。