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  今週の鑑賞。定年後の身辺雑記

先が見えない状況を生きる 20.5.20

 3月から続く「Stay Home」の日々。毎日、近所の寺に参って般若心経を唱え、晴れれば元荒川の土手をウォーキングし、帰りにセブンイレブンのコーヒーを飲む。3日に一回程度は買い物リストを持ってスーパーに買い物にも行く。コロナに感染しないように注意しながら、一日一日を淡々と積み重ねるだけと言い聞かせてはいる。しかし、間もなく75歳になる人生の終盤、これでいいのかという気持ちもどこかにある。二度と経験することのないような、先が見えない日々を、少しでも内容のあるものにしたいという欲張った気持ちである。 

◆日記と手紙の再読で過去を振り返る
 そこで始めた書棚の整理だが、ついでにある時期の日記を取り出し読み返してみた。1993年から1995年までの3冊である。27年前から25年前になるが、この時期の私はサラリーマン人生の中でも(私なりに)激動の3年間だったからだ。Nスペ「禁断の王国・ムスタン」の放送の翌年にやらせ問題が持ち上がり、当時部長だった私は管理責任を問われて部長職を解かれ、(クビの一歩手前の)停職1ヶ月の処分を受けた。謹慎の「Stay Home」が始まった訳だが、その間に多くの先輩、友人から励ましの手紙を貰った。

 その手紙類は当時の資料一式とともに今も紙袋に残してあるが、手紙の半分くらいは、既に故人となった先輩からである。読み返して、その思いのこもった言葉に再び胸が熱くなった。処分を受けた時は、ちょうど長男が大学受験の時だった。仕事を辞めざるを得ないかと思っていたときに、先輩の方々が「組織はまだ君を必要としているのだから」と言って励ましてくれたのがありがたかった。その1ヶ月が過ぎて局に戻ったときに、はぐれ狼になった私を引き取ってくれたのが、あるプロジェクトだった。

 それは、1995年の放送70周年の記念事業とNHKの改革を担うプロジェクトで、後には会長直属でCI事業も行うことになった。当時のNHKはお堅いイメージで、建前主義と事なかれ主義の官僚体質がはびこっていたので、これを変えようという意気込みだった。卵形のロゴを作ったり、次の10年を見据えたNHKのビジョン「NEXT10ビジョン」を作って全職員に配布したりした。そして、そのビジョンを基に様々な業務改革を進めて行ったのだが、これが雪道をラッセルしながら道なき道を進むような難事業だった。皆が総論賛成、各論反対。 

 この間の組織の抵抗、幹部たちの日和見や妨害、そして会長派と副会長派の権力闘争などはすさまじかったが、良かれと信じた改革を仲間と苦労しながら進めて行くしかなかった。その時々の心境は、このまま燃やしてしまうのは惜しい感じもするが、これを残しても果たして子どもたちに伝わるかどうか。長男は今、当時の私と同じような役職に就いているが、また違った難しさを味わっているに違いない。私としては、こうした時の流れを確かめながら、この3年があったから自分のサラリーマン人生も多少の彩りがあったと思うばかりである。

◆若いときに読んだ本を読み返す
 もう一つ、時の流れを実感したのは、若い頃に読んだ本の再読である。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」(野崎孝訳)は学生時代に読んでいたく共感した記憶があるが、今回読んだのはその後に購入した未読の村上春樹の訳本。読み終えて思ったのは、あの頃感じた精神の彷徨(さまよい)は、もう遠い彼方に行ってしまったこと。主人公が余りに自己破滅的で、共感することが出来なくなっていた。再び読むことはないだろうと思って、新旧2冊ともに処分することにした。そして、もう1冊はドストエフスキーの「白痴」である。 

 今SNSではやりの「7日間ブックカバーチャレンジ」の中で、次男が紹介していた1冊でもある。その紹介文を読んで早速、本棚から取り出し読んでみた。上下2段の500頁というかなり分厚い本。途中に挿入されるエピソードの数々が途方もなく饒舌で辟易するが、若いときはそれも面白くてジェットコースターのような目まぐるしい展開に魅了された。読み終えて感じたのは、久しぶりに「文学に触れた」思いである。昔はロシア文学やフランス文学をある程度系統的に読んで、その重厚さに浸ったことも思い出した。

 こうした忘れていた文学の香りを思い出したのも、「Stay Home」のお陰かも知れない。次に読みつつあるのは以前も紹介した幻の朱い実(上下)(石井桃子)。ちょうど私がNEXT10の業務改革で悪戦苦闘している時に、プロジェクトのI君に紹介されて読んだ本である。読み始めて見ると、かなりの部分が記憶から抜け落ちていて、その抜け方のひどさに唖然とする。平行して夏目漱石の「硝子戸の中」も再読しているが、死の前年に書かれたエッセイは今の方が心に響く。時の流れを感じながら、何冊かの本を同時進行で読む生活も悪くないと思う。

◆ウイルスと共生する経済進化論
 この間、各種の勉強会や会議には、XoomやSkypeなど様々なアプリを使って参加している。科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)やサイエンス映像学会(SVS)、TVの企画会議などで、テーマは殆どが新型コロナについてである。日々膨大な情報があふれる中で、皆が何とかこのコロナショックの正体を掴もうと努力しているが、私の方もその都度、自分なりに考えたコロナ像を「日々のコラム」の方にアップしている。今の最大の関心はやはり、このウイルスと共存して行く世界はどんな世界になるのか、この先に何が待っているかである。

 接触制限の影響が深刻なので、世界中が早くこの出口を出たいと足掻いているが、一方で、手を緩めると感染拡大の第2波、第3波がやってくる。従って、ワクチンや対抗薬が普及するまでの間に、社会崩壊を避けるためにはどうすればいいのか。今の関心事は主に2つのことである。一つは、私たちの経済と暮らしはこれから先、どう変るのか。今は、ウイルスとの共生という新しい環境に適応した経済の形が必死に模索されているが、それはどんな経済になるのか。そこにどんな工夫と発見があるのか。コロナ時代の経済進化論を考えてみたい。

◆生きるためにリスクを取る経済活動
 もう一つは暴論かも知れないが、社会の構成員の誰もがともにリスクを取る生き方が可能かどうかである。新たな感染者が少なくなり、クラスター追跡で感染爆発が押さえ込める状態になったときに、それぞれが自分に見合ったリスクを負いながら経済を最大限回して行く方法はないか。若い世代から壮年層までは、できる限りの予防策を採りながら、殆どフルに生産活動と消費活動を行う。一方の高齢者はできる限り外出を控えながら大いに消費活動をする。これには、症状の理解や治療の進展と同時に、検査を拡大して自分が負うリスクの程度を明確に知ることが条件になる。

 こうした、世代間で異なったリスクを負う経済活動が、全体に受け入れられるには、今のままだと経済崩壊するという危機感の共有と同時に、それぞれの経済活動を社会全体で理解し合うことが必要になる。社会の構成員すべてが、コロナと共存するリスクを共有しながら、互いの経済活動を容認する。感染拡大を防ぐために掟破りをせずに、経済を回すことに努力する。そんなことが可能かどうか、ニュースをウォッチングしながら、あらぬことを考える日々である。それだけ、今は先が見えない状況に誰もが追い込まれている時なのだろう。

◆先が見えない状況を生きる 
 今まで経験したことのないような先の見えない日々だが、一方で身の回りを整理して来し方の時間を実感しつつ、他方では目の前にあるコロナ時代の行方に、ほんの少しでも思考の爪を立てたいなどと思ったりする。間もなく満75歳の誕生日を迎えるが、余り考え過ぎて老化した頭が壊れないように、座禅も少しずつ続けている。気の置けない友人たちとのオンライン雑談会も続いている。

新型コロナに怯える日々C 20.4.22

 全国に緊急事態宣言が出されたが、私の方は既に3月初頭から(1度の都内外出を除いて)「Stay Home」を続けている。それでも少しは外の空気を吸うために、晴れれば近くの元荒川の土手をウォーキングする。いつの間にか、水のなかった遊水池には田植え用の水が張られて、水鳥たちが泳いでいる。お寺の方は歩いて数分なので毎日お参りはしているが、毎月第3日曜日の「朝のつどい」は、4月は中止になった。境内の庭では牡丹とシャクナゲが美しい花をつけている。新型コロナの影響がなければ、のどかな春なのに。

◆書棚の整理を敢行
 「Stay Home」とはいえ、週2回の出勤だったので生活に大きな変化はない。かえって日頃出来ないことを一つずつやって行こうと考えた。「絵のようなもの」の色塗りもその一つだが、先日は3日かけて書棚の整理をした。若いときに人並みに読んだ経営書(P・ドラッカーなど)や、堺屋太一、大前研一のシリーズ、安岡正篤の人間形成のシリーズ(これは30冊近くあった)などを始め、ミステリー小説類も捨てた。哀しいことに経営書などは、頁に線が引いてあっても、何も覚えていない。殆どは忘却の彼方だ。

 残したのは最近読んだ本の他には、夏目漱石、山本周五郎、藤沢周平、司馬遼太郎、塩野七生、大江健三郎、白州正子、城山三郎といった大御所の小説や、大岡昇平、阿川弘之などの小説や人物伝など。若い時に読んだマルロー、ドストエフスキー、プルースト、岡潔の本などはただ背表紙を眺めるために残す。覚えていない本のうち、今も興味のありそうなテーマについては再読候補としてピックアップした。「平家物語」はまだ読み終わっていないが、代わりに本棚に眠っていた「正法眼蔵随聞記」(水野弥穂子編)、「歎異抄」(野間宏編)は読み終えた。

◆「歎異抄」を読む
 空海の真言宗、道元の禅宗、法華経や般若心経の解説書などの仏教書は、こんなご時勢なので読み直すこともあるかと思って全部残した。仏教書のうちで、これまで浄土真宗については殆ど縁がなかったが、今回読んだ「歎異抄」は無人島に一冊だけ持って行いくなら「歎異抄」などと言われて来た本である。浄土真宗の開祖、親鸞の教えの本質を親鸞の死後30年近くたって、後継者の蓮如が親鸞から聞いた言葉として書きとめたものである。その頃になると親鸞の教えを踏み外すことが多くなり、それを嘆いて異議を正すために書かれた。

 他力本願をめざす浄土真宗は、自分の側の計らいをすべて捨て去り、仏(阿弥陀仏)の御心に任せきって、ひたすら念仏を唱えること(専修念仏)によって、悪人も善人も平等に抱き取ってくれる仏の導きで浄土に迎えられて、そこで悟りを得る。これは自分を捨てて仏の計らいに任せる只管打坐の禅宗でも、本来自分の中にある仏と広大無辺の仏(大日如来)とを一致させる真言宗でも、仏の存在そのものの姿は大きくは変らないように思う。他力か自力かの違いはあるが、仏と一体になるのに自分を捨てることは同じなのだと思う。あまり自信はないが。

◆ネットでつながる人間関係。家族たちとも
 「Stay Home」で直接人に会えない分、様々なネット技術を使うようになった。TV制作会社の企画会議や科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)の研究会などは、ネットの会議アプリZoomやSkypeで参加している。顔を見ながら議論できるので便利。あるいはスマホのLINEを使って、それぞれ3〜4人のグループを幾つか作り、それを使った「Web飲み会」なども始まった。PCやスマホで顔を見ながらのおしゃべりに慣れてくると、「Stay Home」時代には欠かせないツールになりそうだ。新型コロナによって社会が変る一つの姿かも知れない。  

 NYに住む次男一家(5人)ともLINEでやりとりしている。心配だが、何とか頑張ってくれている。バレエをやっている長男のK君は早速、例の星野源の歌に合わせて自作のダンスをネットで披露したが、さすがである。娘一家とも、毎晩LINE映像で話をするが、1歳を過ぎたKちゃんは突発性発疹も治ってすっかり元気を取り戻した。先日は、(弟はガラケーなので無理だが)私の姉2人を巻き込んで「きょうだい」というLINEグループを作った。お互いいい歳だが、久しぶりに顔を見ながら話が出来て、IT技術の恩恵を感じている。

◆後期高齢を迎えて「メディアの風」をどうするか?
 さて、このまま無事に5月を過ぎれば、私も75歳の後期高齢者になる。この「メディアの風」を始めたのが、2005年の5月だったから、満15年になるわけである。はっきり決めたわけではないが、以前から、75歳になったらひとまずコラムの方を卒業して、あとは時々「風の日めくり」に身辺雑記と老人の心境を気ままに書いていこうと考えていた。コラムを書くために新聞を切り抜き、雑誌を購読し、ネットで調べ、あるいは幾つかの勉強会にも参加しながら時代をウォッチングすることが、かなり負担になって来たためもある。

 それ以上に悩ましいのは、毎回テーマを決めて、ある程度自分が納得する内容を書けるかどうかである。当初のように、集中力が持続しないのを感じるようにもなった。思い切って卒業したらどうなるのだろうと、コラムを卒業する日を思い描いたりしていたが、そんな時に勃発したのが、今回の新型コロナである。これは戦争を知らない私としては、人生の晩年に遭遇する最大の歴史的・社会的事象になりそうで、これを横目に毎日を無為に過ごしていていいものだろうか、と自問自答してみた。

◆「時代はどこに向かおうとしているのか」
 仮にも、「私たちは今、どういう時代に生きているのか」、「時代はどこに向かおうとしているのか」、「この時代をより良く生きて行くにはどうすればいいのか」を、問題意識としてコラムを書いてきた15年である。9年前の原発事故の時には、同時進行で事態の推移を追いながら、2年間で50本以上の原発関連のコラムを書いた。新型コロナは、その原発事故を超えるような影響を人類社会にもたらす可能性がある。あの当時のようには行かないにしても、出来る範囲でコラムを書き続けるべきではないか。そう思うようになった。

 日々膨大に流れている情報をウォッチングして、最新情報を整理するなどは、もう無理だろう。むしろ、日々氾濫する情報から少し距離をとりながら、この新型コロナのパンデミックが、人間社会や人類の未来に与える影響の本質のようなものを考えて行くのはどうだろう。人類はまだ新型コロナの本質を見極めてはおらず、この特異な性質を持つウイルスが、どのような変容を世界に迫ろうとしているのかも分かっていないのだから。まあそうは言っても、あまり背伸びせず一市民の身の丈にあった視点から見ていくことにはなると思う。

◆「死」が身近になる時。自分の最終局面も見つめる
 新型コロナが21世紀の人類にとって歴史的大事件だとしても、それがこの先どのような形で収束を迎えるのか、また収束までに何年続くのかは誰も分からない。うまく収束してくれればいいが、日本でも感染爆発が止まらず医療崩壊で、イタリアやNYのように多くの棺が並ぶようになれば、それこそ「死」というものが確実に身近になってくる。経済も立ちゆかなくなり、「死」が身近になる時代には、どんなことが起きてくるのか。15年も書いてきたのだから、命があるなら当面、その行方を見つめてもいいのではないかと思う。

 同時に、見つめてみたいのは、自分の最終局面である。そのために残した仏教書もある。最近は、時間があるので日に20分程度だが、座禅を組むようになった。私のような凡人は、それで何が変るわけではないが、その先に見えるものについても少しは、考えて行きたいと思う。

新型コロナに怯える日々B 20.4.6

 去年の日本のインフルエンザ感染者は1000万人、死者は3千人超。新型コロナがこれと全く同じ感染力ではないにしても、医療崩壊を防ぐには、余程思い切った政治決断が必要になる。しかし政府が、経済的影響を心配して逡巡しているうちに、感染爆発、医療崩壊の危機が目前に迫っている。今は、経済的影響と感染爆発とを天秤にかける発想そのものが無意味で、必要なのは、(緊急事態宣言も含め)コロナの感染拡大を最大限に抑える対策をとりながら、その厳しい制限の中で、(社会崩壊を防ぐために)暮らしと経済をどう維持するかということに傾注すべきなのだ。

◆新型コロナの感染拡大が問いかけるもの
 その逡巡のあげくに打ち出したのが、1世帯にマスク2枚配布というのはお笑いだが、やはり日本は国家の危機に際して的確な決断力を発揮するリーダーがいないという不幸な宿命を背負った国なのか。的確な決断のためには、科学的な事実をもとに、あらゆる選択肢とリスクを検討することが必要なのだが、その思考方法が欠けているのか。そのことは先の大戦中でも決定的な欠陥だった。新型コロナは、グローバル化した現代の脆弱性を突いて拡大するが、同時に世界の例に見るように、その国の政治の脆弱性(お粗末さ)をも突いて拡大する。

 仮に数年後にこの世界的な厄災がある程度収束したとしても、新型コロナはその後の人類社会のあり方に大きな変化をもたらさざるを得ないだろう。日本でも仮に、緊急事態宣言が出されれば、その影響は都会の様々な階層、多様な暮し方をする人々に、それぞれ全く違った形で広がっていくに違いない。それが都会レベル、国レベルであぶり出されて行くに従って、この問題の大きさ、深刻さも実感される筈だ。それはコラムの方で子細に考えるとして、こちらでは見えないウイルスの影に怯えながらの日常を書いておきたい。

◆ウイルスの影に怯えながらの絵の色塗り
 3月19日に1度だけ都心に出かけ、会議に出席して1週間ほど経過した頃から、喉がいがらっぽく、(それほどひどくはないが)気管支がむずがゆいような感じで咳が出始めた。行き帰りの電車でも、会社でも十分に防護したはずなので、そんな筈はないと思いながらも、さすがに嫌な感じがした。次の会議を休み、イソジンでうがいをし、去年の今頃医院で貰った風邪薬の残りと市販の感冒薬を飲んだら、1週間ほどで大分治って来た。体温も毎日測ってみたが、発熱は全くなかった。単なる風邪だったのだろうが、かなり気持ち悪かった。

 そんな日常の中で続けたのが、読書と「絵のようなもの」の色塗りである。3月上旬に鉛筆の下絵を描き上げ、前回も書いたように東山魁夷の絵のような青緑のグラデーションをモチーフに塗り始めた。東山の絵は日本画なので岩絵の具を使っているのだが、わたしの方はアクリルガッシュという絵の具。塗り重ねることは出来るが、微妙には行かない。それでも、あれこれ工夫しながら色を下から上へと塗って行った。

 今回の下絵は特に何かを目指したものではない。最初に描いた円や曲線を気の向くままに画面一杯に広げて行っただけだが、形が重なるにつれ何となく今回は奥行きのある絵になるという予感はした。そこで、手前から一番奥へと色の濃淡を使い分けていく。一番明るいのは中央に流れる川のような曲線で手前は殆ど白に近い水色になった。そして一番奥と思われるところが濃紺になる。

 







さらに、いくつかの形に立体感を持たせる工夫もして、色の影もつける。このようにして細部を工夫しながら、あれこれ考えながら塗っていった。結構細かい作業なので、一番細い筆を使ってはみ出さないように塗っていく。あまり根を詰めないように、目が疲れないように。そうしておよそ20日間。最終日には気になる色ムラや色の塗り直しなどをして、一応の完成を見た。全体に淡い感じもあって、東山にあやかって無理のない色使いになったと思う。前の絵の代わりに居間に掛けて眺めていると、自画自賛というのか何だか嬉しい感じがする。









◆社会的ストレスの強い時代に向いた読書
 読書の方は相変わらずの行き当たりばったりである。和辻哲郎の「鎖国」(上下)は読み終わった。明智光秀が織田信長を滅ぼし、次いで秀吉、家康がキリスト教禁止令を出し、その後に江戸幕府は鎖国に踏み切ったわけだが、和辻は鎖国によって日本が失ったものに目を向ける。しかし、あの当時、日本が鎖国しなかったらどうなっていたかを考えると、素直に肯けないところが多い。寺社を打ち壊すキリスト教の布教が良かったか、オランダ、イギリスの進出をどの程度食い止めることが出来たかは難しいところではないか。

 「道元 正法眼蔵」を読了した後は、友人に勧められて「正法眼蔵随聞記」(岩波)を読んでいる。こういうストレスが高まる社会情勢の中でどう日々を過ごすかということである。それはぼちぼちと読んでいるが、一気に読んだ本に「日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族」がある。戦争中の中国で憲兵としてスパイ活動に従事し、終戦後も上官の命令で工作活動を続けた元日本兵、深谷義治。身分を隠して中国人と結婚して4人の子どもをもうけるが、戦後13年経ったところで、中国政府に逮捕される。ありとあらゆる拷問で自白を強要されるが、国の命令を一切白状せずに、政治犯として20年以上も過酷な刑務所暮らしを耐え抜いた。

 20年の間に衣服の支給もなく、風呂にも入れず、腐ったような僅かな食事だけで生き延びる。結核になったり、背骨が折れたり、失明したり、ボロボロになりながら強烈な意思を持って生き延びた。残された家族も乞食のような生活を強いられながら、元日本兵を支え続ける。その感動的な事実の物語にただただ圧倒された。こういう社会状況で気分が沈んでいるのとは訳が違う。こんな時は、過去の人物の生き様に感動する本なんかもいいよ、と友人が勧めてくれた「平家物語(1〜4)」も取り寄せて読み始めた。これで、少し英気を養うことにする。

◆一日一日を乗り切っていく
 日本もいよいよ、緊急事態宣言を出すことになったらしい。そうなれば、社会的困難が一層高まって、日本人同士の助け合いや励まし合いが必要になるだろう。そんな中、ここへ来て咳や発熱の症状を見せる身内もいたりして何かと心配だが、行って助けてあげる訳にもいかない。もっぱら情報の共有で励まし合ったり、ちょっとしたものを送ったりするしか出来ないが、無事に乗り切って欲しいと願っている。こちらは最大限の防護をしながら、まずは一日一日を過ごして行くしかない。身の回りの楽しみを見いだしながら。

新型肺炎に翻弄される日々A 20.3.22

 ここへ来て、新型コロナウイルスの世界的影響が急速に拡大している。一部に楽観論はあったが、最近は欧米の専門家から国民の50〜60%が感染しなければウイルスへの国民的免疫は定着しないという恐ろしい見方まで出て来ている。そうなると、日本でも千万人単位の感染者が出るわけで、今騒いでいる千人単位の感染などとは桁が違うことになりそうだ。15日の「サンデーモーニング」で岡田晴恵(元国立感染症研究所)が「人類のフィロソフィー(哲学)が試される」と言っていたが、ある種の覚悟が必要になってくるのかも知れない。 

◆コロナショックの中での日常
 この新型ウイルス問題については、いずれきちんとコラムに書きたいと思うが、日々流動的で情報以上の視点が見つけにくい。それは先の宿題として、こちらにはそんな状況の中での身辺雑記を書いておきたい。前回も書いたが、自分にできる限りの防衛策はとることにして、2月半ばからは都内に出かけることも控えて来た。しかし先日には、我が越谷市でも3世代5人が感染。いよいよ身近に迫ってきた感じがする。月に1度のお寺での「朝のつどい」もどうしようかかと正直迷ったが、参加してみるとお寺の方もさすがに工夫していた。

 本堂に入ると、いつもは向かって右側に固まって敷いてある座布団が、今朝は左右に分かれていて、それぞれが十分な間隔で座れるようにしてあった。お勤めも今回は住職に合わせた読経のみ。いつもの座禅や庫裏でのお粥もなかった。家に閉じこもってばかりいると気が塞ぐので、晴れれば出来るだけ元荒川の土手を歩くようにしている。辺りはうららかで春たけなわ。北に帰る鴨たちが群れをなして餌をついばんでいるし、柳も芽吹き始めている。桜も咲き始めた。9年前の原発事故の時と同じく、今年もコロナショックなどとは無縁の風景である。

◆芸術の春・読書
 時間だけはたっぷりあるので、例によって「芋づる式読書」を始めた。一つは前回にも触れた「クワトロ・ラガッツィ(上下)」で天正遣欧使節団(16世紀末)の過酷な運命を読み終わって、当時の日本がなぜ鎖国に転じたのか、その意味するところを知りたくなった。著者の若桑みどりが、日本は外圧(元寇やキリスト教)を感じると、万世一系の天皇を神とする国柄に固まると書いているところが面白い。秀吉や家康もスペインの外圧を感じたときに、同じ理由でキリシタン禁令を出し鎖国した。それから260年間、日本は欧米近代主義と無縁で来た。

 それが、江戸末期の黒船来航で欧米の外圧を感じたときには、どうだったのか。今、坂本龍馬を調べている友人にそんな話をしたら、和辻哲郎の「鎖国(上下)」を紹介された。和辻は近代以降の日本人が直感に頼って科学的精神を欠いている原因の一つに、長期間の鎖国で日本が欧米の科学的精神から遠ざかっていたことをあげる。今の日本では江戸時代に培われた日本文化の豊かさの方に目が行きがちだが、その一方で鎖国によっていかに多くを失ったかということを、世界史的な構図の中で取り上げる。いま、それを読んでいる。

◆芸術の春・絵のようなもの
 もう一つの「芋づる式」は、「知の旅は終わらない」(立花隆)からつながった「武満徹・音楽創造への旅」(立花隆)である。780頁の分厚さで古本でも結構な値段だが、思い切って買ってみた。現代音楽の世界は全く知らないで来たが、武満の様々な曲をYouTubeで聴きながら読んでみると、こんな風にして芸術家は全く新しい創造に挑戦するのかと興味深かった。同時に、そんな読書に刺激を受けて取りかかったのが、昨年以来投げ出していた「絵のようなもの」である。下書きから色塗りにかかっている。 

 今回も、気ままに鉛筆で線を引きながら、全体の構図を決めていった。何となく前回描いた絵の構図に似ている。3月上旬に下書きを終えて、12日から色塗りを始めたが、その色使いについては一つのアイデアがあった。前回は、パウル・クレーをヒントにしたが、今回は東山魁夷をヒントに青緑のグラデーションだけの絵にしてみたい。そこで、彼の絵をプリントして眺めながら色塗りを始めたが、これが思いの外難しい。まあ、コロナショックで時間だけは沢山あるので、ゆっくりと進めたい(途中のもの)。

◆コロナウイルスとのお付き合い
 今回のウイルス問題も世界的な大流行(パンデミック)になって、先行きが見えない。特に私のような高齢者には他人事ではない。先日も、3週間ぶりに都内に出かけたが、既に引きこもりの心理状態になっているのか、出かける前日にストレスから急に血圧が高くなったりした。事実、電車の中は結構混んでおり、中には咳をする人もいてかなり緊張を強いられた。その一方で、出かけないと得られない情報もあった。世界的なウイルス学者を取材したディレクターによると、専門家は、今度こそ本当に「狼が来た」と極めて深刻に受け止めていると言うのだ。

 日本が持ちこたえているのは奇跡的で、いつ中国やイタリアのような感染爆発が起きてもおかしくない状況だという。今の状態が崩れると医療崩壊になり、世界一高齢化が進んだ日本はお手上げになりかねない。このコロナウイルスが私たちの社会にどういう変容を迫るのか。こうした俯瞰的な見方については、いずれコラムに書きたいが、暫くは休みにして私たち高齢者に出来ることに専念したい。できる限りの防御をして、散歩に読書に絵の創作に。そしてあまりストレスを溜め込まないことである。なかなか難しいことだが。

◆道元「正法眼蔵」を読む
 今回、以前に買って読みさしにしていた「道元・正法眼蔵」を開いてみると、その最後の章にこんな味わい深いことが書かれているのを見つけた(口語訳)。

 「仏になる道は別にむずかしいことではないのである。それは、どんなことでも悪いことはなさないことであり、人生のもろもろのことに執着しないことであり、すべての生きとし生けるものを深く憐れむことであり、上のものを敬い、下のものをいつくしみ、どんなことに対しても厭う心と願う心の取捨をもたないことであり、ものごとにくよくよせず、心配しないことである。このように日常生活を送ることができれば、その人を仏というのである。そのほかに何か特別なものがあるわけではない」

 非常時になると、こうして淡々と日常生活を送ることがいかに難しいかが分かる。せめて凡人は日々ストレスを溜め込まないように工夫しながら、僅かな明るさを見いだしながら生活していくようにしよう。考えて見れば75年前、私が生まれる直前の1945年3月10日に、東京では一晩で10万人が焼死する東京大空襲があった。そんな厄災さえも人間は生き延びてきた。それに比べれば、コロナショックも乗り越えられないはずはない。来年の今頃はこれをどんな感慨で思い出すのか。まずは、生き延びることに努めたい。

新型肺炎に翻弄される日々 20.2.22

 新型コロナウィルスのニュースで持ちきりの日々。一気に感染爆発した中国と違って、日本はこれからが本番。国、自治体、医療施設がしっかり連携して感染を押さえ込めるかどうかの瀬戸際にある。5月で後期高齢者の仲間入りする自分にとって、予定していた夜の会合を次々とキャンセル・延期するなど、他人事ではない展開である。本来は、これまでの情報を整理して「コラム」の方へきちんと書くべきとは思うのだが、原発事故の時と違って判断材料が余りに少ない(それも問題)。とりあえず、こちらに近況として書くにとどめたい。

◆患者の身になった情報が少ない
 今回の新型コロナウィルスによる肺炎は、いわゆる対症療法しかないらしいが、解剖所見では肺がべっとりと痰に覆われて酸素を取り込めなくなるというから怖い。適切な薬がないので、人工呼吸器をつけて奇跡を待つしかない。ここまで行く確率は10%位だろうが、高齢者は安心できない。政府指針のように持病がなくとも4〜5日も熱が続いているのに自宅で待機することが、いいのかどうか。さらに専門医療機関(帰国者・接触者相談センター)に問い合わせてくれというが、その先の情報が全くないのも問題である。

 そこでは(例えば私の住んでいる埼玉県では)どんな病院を紹介してくれるのか、受け入れ大勢は十分なのか。車がない人は、その病院までどうやって行けばいいのか。タクシーはダメだろうから、普通の救急車なのか、それとも感染症専門の重装備の救急車が迎えに来てくれるのか。その余裕がないとすれば、他人に感染させないようにして電車で行くしかないのか、全く情報がない。また、咳や発熱の段階で、家ではどういう処置をするべきなのか。症状を肺炎の入り口で止めることが一大事なのに、こういう情報もないので不安になる。

◆出来ることと出来ないことを分けて
 政府も、それを伝えるメディア側も思考停止に陥っていて、国民に必要な具体的な情報を提供できない。9年前の原発事故でも同じだった。それを考えると、まずは感染しないように自己防衛に最大限努力するしかない事が分かる。体調管理に努め、多くの人と接触する場所をできるだけ避ける。アルコール入りのスプレータイプの消毒剤を家の玄関口に置く。持ち運び用に、小型の携帯用スプレーやアルコール入りのウェットティッシューも用意した。これらでこまめに消毒する。それと手洗い、家に帰ってのうがい、といったことである。

 ウィルスは胃の中では生きられないというので、ペットボトルを持ち歩いて適宜水分を補給する。エチケットとしてマスクもつけて歩いている。この状態を2,3週間続けて状況を見守るしかない。感染拡大による仕事への影響や社会的影響、景気の落ち込みなど心配し始めたらきりがないが、これは国、自治体、医療機関の危機管理と頑張りに期待するしかない。こちらは出来ることと出来ないことを分けて、自分と家族で出来ることに最善を尽くしていくしかない。それでも感染したら、よほど運が悪かったということだろう。

◆読書「LIFE3.0」、「風神雷神」、「クワトロ・ラガッツィ」
 そういうことなので、都内に出かけるときは、なるべく混み合った電車は避けるなど警戒を怠らないようにしている。幾つかのお付き合いもキャンセルして在宅の時間が出てきたので、近くをウォーキングしたり、例によって近所の市民会館2階の無人の喫茶室で100円コーヒーを飲んだりしながら、切り抜いた新聞と本を読んでいる。最近読んだ本では、「LIFE3.0」(マックス・テグマークMIT教授)が刺激的だった。これは人工知能(AI)の未来をどう考えるか、世界的な科学者たちが集まって議論した内容を踏まえて書かれている。 

 今世紀半ばにもAIはある特定の分野ではなく汎用の人工知能(AGI)になり、やがて人間の能力をはるかに超えていく。その先、AGIと人間はどうつきあっていくのか。人間よりはるかに賢くなったAGIは、知能が劣る人間をどう扱うだろうか。彼らを人間にとって望ましい存在に保つ方法はあるのか。AGIがこの宇宙全体のエネルギーまで利用しつつ、宇宙の果てまで拡散していく、100万年後、100億年後の先までを考える。そこでは、どのような概念が展開されているのか。天才たちの頭の中を垣間(かいま)見るような刺激がある。

 さらに、美術を題材に小説を書いている原田マハの「風神雷神」(上下)を読む。日本の戦国末期に、はるばるローマまで行った「天正遣欧少年使節」(1582〜1590年)をもとにした大胆な歴史フィクション。織田信長が時のローマ法王に献上するために狩野永徳に「洛中洛外図」を描かせ(これは事実)、少年の俵屋宗達(風神雷神図の作者)に、キリシタン少年たちに同行してローマまで持って行かせたという創作である。もう一つ、原田マハがこれを書く際に大いなるよりどころにしたという「クワトロ・ラガッツィ」(上下、若桑みどり)という本がすごい。

 クワトロ・ラガッツィとは「4人の少年」と言う意味だが、この本では当時、ヨーロッパから来た宣教師たちが見た戦国時代の日本が見えてくる。私の貧弱な歴史知識の中でも空白に近い部分である。作者の博識と広範な研究に驚きながら、ふと思うのは「歴史にifはない」ものの、今「麒麟が来た」(大河ドラマ)でやっている明智光秀が信長を討つことがなかったら日本はどうなっていただろうかということ。若桑は当時、信長一人がヨーロッパ文明に関心を持ち、世界を見据えていたと書く。信長には何が見えていたのだろう。そのifは日本にとってどうだったのか。想像が膨らむ本である。

◆1日に100円コーヒーを2杯飲む生活
 市民会館2階で自動販売機の100円コーヒー(こちらはあまり美味しくない)を飲むほかに、近所のセブンイレブンでも、時には110円のキリマンジャロを飲む。あるいは、自転車で5分のスーパーでも買い物ついでにイートインコーナーで100円コーヒーを飲む。セブンもスーパーも自動販売機だが、最近はその都度豆を摺るので香りがいい。コーヒーは尿酸値を下げるとも言うので、平均すると1日2回程度コーヒーを飲むようになった。飲む間、ほっと一息ついたり、友人と電話で話したりする。お陰で?尿酸値は基準内に戻った。

 NYに住む次男一家は年末年始、家族5人全員がB型のインフルエンザにかかって大変な思いをしたが、今は元気。長男のK君(間もなく12歳)は、年末はNYシティバレエの「くるみ割り人形」に出演したが、2月は「白鳥の湖」で踊っているらしい。頑張っている。娘の所は連休中に泊まりに来るようだが、来月1歳になるKotoちゃんは、やっとつかまり立ちが出来るようになった。長男のK君は4月から幼稚園に通うそうだ。子どもたちの時間は随分と早く流れている感じ。7人の孫たちが元気で頑張っているのが何より嬉しいことである。

◆「ブラックスワン」に対する危機管理
 さて、今年最初のコラム「不確実性増す時代に生きる」(1/10)で、明日起きるかも知れない厄災(ブラックスワン)について、「想定外の衝撃は後からいろいろ意味づけは出来るが、事前にどこで何が起こるかは予測不可能なのである」と書いたが、あの時点で新型コロナウィルスがそれに当たるかも知れないとは不覚にも全く予測できなかった。新型肺炎を「ブラックスワン」にしないように、すべての関係者に危機管理に頑張って貰いたいが、その要諦は「悲観的に準備して楽観的に対処せよ」「危機管理のノウハウ」佐々淳行)である。

 「危機管理に当たっては、常に最悪の事態を想定し、悲観的に準備をしておくこと。そして、いざその時が来たら、リーダーは自信を見せて、明るく対処していくこと。(周囲に動揺の色は見せてはいけない)」ということだが、今の安倍政権は幾つも問題を抱えていて、これが出来るかどうか。そこが心許ない。

穏やかに愉快に前向きに 20.1.26

 小林一茶の句「目出度さもちゅう位なりおらが春」の中の「ちゅう位」は、本来は信濃地方の方言で、いい加減、どっちつかずと言う意味らしいが、まあ「ほどほど」と言う意味で使えば、今年はまさに中位の目出度さの中で年が明けた。元旦には、例年のようにカミさんと近くのお寺で護摩たきに参加し、お札を頂いて帰った。西新井大師にもお参りし、それぞれの子どもたちの家庭の「家内安全」を祈願して護摩木を奉納し、カミさんは身体のあちこちの痛いところに線香の煙を浴びて来た。カミさんの不調はまだ続いている。

 長男の所は、孫娘たちが塾などで忙しく長男だけの顔出しとなったが、久しぶりに顔を見ることが出来て嬉しかった。聞くと働き盛りの彼は仕事がめちゃくちゃに忙しいらしく、「とにかく過労死だけはしないように」と言って別れた。NYの次男一家は年末から次男を除いて家族4人がインフルエンザにかかって高熱が続き大変だった。それをようやく脱して「なんとかみんな回復したよ」と言ってきてLINEで話をしたのは、6日になってからだった。医療事情が不便なNYで、皆よく頑張ったと思う。

 娘一家は、3日にやって来て娘と孫2人は2泊して行った。長男のK君は口が達者になって、こんな言い回しまでするのかと驚かされる。紅白で紹介されたAIの美空ひばりの歌をYouTubeに合わせて歌うのだが、音階がちゃんと取れている。下のKotoちゃん(女児)は9ヶ月を過ぎ、言葉は話せないが一人前にいろいろな自己主張をするようになり、ますます可愛くなった。この年頃の子どもを見ていると飽きない。そういうわけで、我々は、寄る年波で身体のあちこちに不調を抱えながら、目出度さも中位の正月を無事迎えることが出来た。

◆黙祷で始まる同窓会
 1月は新年会を兼ねて、高校と大学の同窓会がある。どちらも最近亡くなった同級生に対する黙祷から始まった。年始早々には、大学の同級生が肺がんで亡くなっている。今年、私たちは皆75歳の後期高齢者に突入する。大学の新年会での近況報告では、およそ3分の1は何かしら健康に不具合を抱えているという。前立腺や膀胱のがん、心筋梗塞の体験や心臓の不整脈、パーキンソン病、糖尿病、座骨神経痛など、みな高齢化に伴うものである。「来年また元気で会いたいね」と言って別れたが、この歳になるとそれが切実に響く。

 しばらく前までは、いつも似たり寄ったりの顔ぶれで話も相変わらず。もう同窓会も卒業にしようか、などと思ったこともあったが、こうして級友たちの変化が急になると、元気なうちに会っておかなければという気持ちになる。同時にそれは、(不謹慎かも知れないが)同じ年齢の人々にどのような変化が起きるのかという観察・学習の貴重な機会にもなる。この同窓会がいつまで続くか分からないが、元気なうちは頑張って参加しようかと思うようになった。私たちは明日何が起きてもおかしくない年齢にさしかかっているのだから。

◆「自作を語る」で過去を振り返る
 某日。サイエンス映像学会という、先輩が主宰するこじんまりした学会で「自作を語る」というお題で発表をした。東京に出てきてから、科学番組ディレクターとして30分の科学ドキュメンタリーを多数作ったこと。そのうちの一つ「暴力ザル〜攻撃本能の謎を探る」のDVDを見てもらったが、これは、怒りの中枢が脳の中にあること、それをコントロールするために、小さい頃からのスキンシップや社会生活でルールを学ぶことの大切さを伝えた番組だった。次いでNHKスペシャル番組部に異動した後に制作した番組のことなど。

 ディレクター、プロデューサーとして係わったNHKスペシャルには、地球温暖化、原発事故、高齢化時代の医療問題、防災(地震・水害)、科学技術立国など、現在につながるテーマも多い。科学ジャーナリズムの系譜を、仮に@最新の科学的知見の紹介(宇宙、地球、生命進化など)、A科学的手法で社会事象を解明する(原発や航空機事故、災害など)、B最新科学と社会との関係を探る(延命医療、ゲノム編集、AIなど)の3つに分類すると、自分が主にやって来たのはAとBになるといった話をした。

 その後も、卒業するまでの殆どを番組制作の現場に近いところで仕事を続けられたのはありがたかったと思っている。それが、定年後の科学ニュースの編集長やTV制作会社での仕事にもつながった。そして、ジャーナリストの端くれとして「時代に向き合う」ことを自分に課して、「メディアの風」のコラムを書き続けて来たのも、その延長線上にあると言っていい。本当にざっくりとだが、自分が若い頃からやって来たことを整理出来たのは、良かったと思う。

◆映画に観る「怒りのコントロール」
 某日。映画監督の友人の勧めでケン・ローチ監督(英)の「家族を想うとき」を観た。彼の映画はこれまでも観て来たが、「ルート・アイリッシュ」や「わたしは、ダニエル・ブレイク」など、いずれも現代の不条理に対して強烈な抗議のメッセージを伝えたものだった。今回もイギリス社会の底辺で必死に家族を守ろうとして足掻く男の家族を描いている。主人公は少しでもいい暮らしをと願って、借金して車を買い、大手ネット通販の配送を請け負うが、そのあまりの過酷さに家族の会話もなくなり、一家は次々と「負のスパイラル」に落ち込んでいく。 

 この映画は、今話題の「パラサイト」、「ジョーカー」にも共通する「格差社会の現実」を描いたものであるが、それはそれとして一つ感じたことがある。仕事に追い詰められた主人公が、その都度、怒りを爆発させ、それが状況を一段と悪くすることである。思わずかっとなって振るう暴言や暴力が家族関係を壊していく。或いは、仕事をまずい方に展開させる。不条理に由来する、その怒りが説得力を持つだけ余計に辛いのだが、主人公にもう少し「怒りのコントロール」能力が備わっていれば、状況がこうも悪くはならないのにと思わざるを得ない。

 かっとなる怒りは何も生み出さない。社会や人間関係の中で生かされる自分を負の連鎖に落とし込む大きな要因の一つでもある。昔、「暴力ザル」でやったように、動物も人間も、脳の中に怒りの中枢を持っている。それは、普段から飼い慣らしていないと、自分の怒りに自分が殺されてしまうことになる。その意味で、怒りをどう上手く処理できるかは、現代社会の重要なテーマにもなっており、ネットでちょっと調べても「アンガー(怒りの)マネジメント」に関する実に多様な本が出されている。いずれ詳しく調べて書いてみようと思うテーマの一つである。

◆仏教書「“悟り体験”を読む」
 自分の心をマネジメントすることは、年を重ねても、あるいは責任ある仕事のストレスから解放されても、なかなかに難しいことである。体調が不十分でも、あちこちに痛みがあっても、あるいはこの先の世界や家族について様々な心配があっても、心は常に揺れ動く。それは仕方がないとしても、出来ればその揺れ幅を少なくしながら、穏やかに愉快に前向きに過ごしたい。そうした関心から様々な仏教書を手にとって来たが、最近読んだ本には「“悟り体験”を読む〜大乗仏教で覚醒した人々〜」がある。

 中国と日本の古今の(主に禅の)仏教者が「悟り」を開いたときに、どういう心的現象に達したかを詳細にまとめたものである。仏教の先人は、血のにじむような修行の中で、ある日突然、悟りの境地に達する。それを5段階に分類して悟りの諸相を分析している。それは、人間の一つの可能性を示す驚異の世界でもあるが、もちろん凡人の私などには伺い知れぬ世界である。そこで「1日10分の座禅入門」を引っ張り出して再読し、寝る前の10分を瞑想に当てることにした。何かと不穏な年明けだが、それで穏やかな心で暮らせればいいのだが。

生活の設計図から振り返る 19.12.29

 定年後、日頃の生活をただ漫然と送らないために「生活の設計図(見取り図)」なるものを書いて時々眺めている。設計図と言ってもごく単純なもので、中心に現在の生活信条となる項目を書き出して四角で囲み、その周囲にその項目に関連する様々な要素を結びつけていくというものである。中心の柱となるものは、その時々に応じて変るが、現在は次の3項目になっている。@「(時代に向き合って)創造的に生きる」、A「健康維持」、B「(楽しみながら)この生を生ききる」、という3本の柱である。これをもとに2019年を振り返ってみたい。

◆「この生を生ききる」とは?
 ところで項目Bは、以前は単純に「人生を楽しむ」としていたのだが、10月にある本を読んで変えてみた。それは、戦争犯罪に問われて死刑判決を受けた人の手記「あるBC級戦犯の手記」と、その中に出てきた「般若心経の再発見」という本である。共に、毎日を死と直面するような過酷な獄中生活を送る2人が、心の安心を模索した結果、両者ともに「この生を生き抜く」ことを支えとして、毎日を充実して生きたと書いている。自分はそれほどの状況ではないにしても、遠からず死に直面する身として、これに倣って「生ききる」としてみたわけである。

 これは自分なりに日々充足して生きるという目標である。関連するテーマとしては、出来る限り家族のサポートを行うこと、仏教など生きる意味の知識を深めること、月に一度のお寺の集いに参加することのほかに、今は全く出来ていない「終活」なども入ってくる。さらに、「社会とのつながり」(学会・団体や様々なお付き合いなど)、楽しみとしての「旅」(一人旅、家族旅行、友人達との温泉旅など)も。このうち、今年は特に「家族のサポート」が大きかった。3月から2ヶ月間、「娘の子連れで里帰りお産」にお付き合いしたからである。

◆娘の子連れで里帰りお産と、カミさんの絶不調
 その時は娘の長男がまだ2歳半の「イヤイヤ期」の真っ最中で、母親に甘えたくて仕方がない。私も人生でもう2度とないことなので覚悟を決め、すべてを後回しにして孫の相手を務めたが、大変だったのはカミさんの方だった。娘が無事出産してからも1ヶ月検診が終わるまで、食事や洗濯、孫の相手や(部屋を娘達に明け渡して)慣れない場所での睡眠に疲れ果てていた。それがまるまる2ヶ月続き、引き続きNYの次男が単身で帰国、時々我が家に泊まって仕事をしたり、家の内外装の工事(3週間)が始まったりもした。ある意味で、我が家の非常時だった。

 それらがやっと一段落した6月半ばには、カミさんは絶不調に。ストレスから(?)原因不明の舌痛症、首から肩から背中にいたる痛みと座骨神経痛、右目の半分に霞がかかる、おまけに夏風邪で咳き込み肋骨にヒビが入ることまで起きた。歩くと息苦しいというので、夏には呼吸器系の医師のところに一緒に何度か通ったりもした。半年ほども経過したが、未だに首から肩から背中にいたる痛みは治らず、整体通いが続いている。お互い寄る年波で、支え合わないといけない状態になったが、これも「この生を生ききる」の一部だと思えばきちんと向き合うしかない。 

◆「健康維持」と「創造的な生活」
 カミさんがこういう状況になってみると、私の方は項目Aの「健康維持」が何より大事な柱になる。布団の上での毎日のストレッチ、月に1,2度のゴルフ、そして節酒、体重管理などである。前立腺がんの摘出手術後の定期的な血液検査で、いろいろ指摘される項目(尿酸値、コレステロール、中性脂肪)はあるが、それも注意信号ととらえて出来るだけ薬に頼らないようにと心がけている。年相応に何とかやれているのはありがたいと思う。さらに項目@の「(時代と向き合って)創造的に生きる」も、できるだけ大事にしたい項目ではある。

 今年のコラム発信は娘のお産で2ヶ月間、更新をお休みにしたので、23本(日めくり10本)に終わった。これまでは大体10日に一回のペースで更新してきたのだが、今年は少なかった。地球温暖化も核兵器問題も、国の膨大な借金も格差や貧困についても、書き続けているのは、孫子の代の日本や世界が心配だからである。それなのに、今の政治は保守的で一向に前に進まない。問題を先送りしながら空虚な幻想を振りまいているだけだ。それにどうモノを言えばいいのか。手を変え、品を変えて書いてはいるが、だんだんと気力が萎えてきたのだろうか。

 コラムも、気持ちに意味がストンと落ちるまでは取りかかれない。単に怠惰と言うよりは、それに取りかかるまでの時間が以前より掛かるようになった気がする。今の時局の淀みと停滞の中で、書き続けることの意味は何なのか。毎週、新聞2紙を切り抜いてマーカーで線を引きながら読んでファイル化しているが、整理がなかなか追いつかない状態でもある。時代に向き合って自分の考えを整理し発信していく作業は、項目Bにも係わる大事なテーマだと思ってはいるが、来年も続けていくなら、この辺も一度じっくり検証する必要があるだろう。 

◆自分の感覚をみずみずしく保てるか
 「創造的な生活」の「絵」の方は今年、1枚を仕上げただけだった。来年続けられるかどうかも分からない。これも足繁く美術展などにも行き、常に「絵心」を保っていないと、とても描けるものではない。自分の美的感覚を磨く努力もせずに、創造的な生活など無理なのは十分分かっているのだが、それが足りていない。映画鑑賞なども随分と少なくなった。時代に合わせて努力するか、或いは無理せずに年相応の感覚で行くのかの間で揺れている気がする。若い人たちとのお付き合いも含めて、自分の感覚をどう新鮮に保つかは来年の課題だろう。

 若い人とのお付き合いと言えば、その究極は幼い孫達とのお付き合い。私たちには0歳から16歳まで7人の孫がいるが、それそれがそれぞれに頑張っているのが何よりありがたい。比較的近くに住む娘は子連れで月に一度は泊まりに来る。9ヶ月のKotoちゃんは、すっかり女の子らしくなり、表情も豊かになって、3歳を過ぎた兄が大好き、2人で嬉しそうに遊んでいる。お座りも出来るようになった。その成長の勢いを見ていると時間が音を立てて流れているようで、同じ時間が(停滞した)この自分にも流れているとはとても思えない。

◆2020年に向けて
 時代に向き合うと言えば、TVの番組企画を考える仕事がある。もう9年近く週2回、赤坂のプロダクションに通って、若い人たちと議論しているが、今年は座長役を中堅プロデューサーに譲って随分と気楽になった。月2回の経営会議に陪席させて貰ったり、隣の喫茶店で社長とお茶を飲みながら今のテレビについて話をしたりするのが中心で、殆ど役に立っていないのだが、状況が許せば少しずつ企画の方も実現させて行きたいと思っている。現役の時と違って、責任も義務もない自由な立場だが、この歳(74歳)を考えればありがたいことである。

 「一人旅」の方は、今年は壱岐・対馬、五島列島の一回に終わった。実りの多い旅ではあったが、来年はどこへ行くか。これもゴルフと同じで、出来るのは後いくらもない。先日、定年後に6年間勤めた職場の中堅が一席を設けてくれたが、そこで最後にこんなことを言ったりした。「人生の先輩なので一言言わせて貰うと、人生はホントに一回限り。好きなことを思い切ってやった方がいいよ」。官僚機構の中で何かとやりにくいこともあるだろうが、みんな優秀な人たちなので、気遣いだけで歳を取るのはもったいない。

 というわけで、生活の「設計図」をもとに2019年を駆け足で振り返って見た。来年、大きな変化に見舞われれば、中心の3項目も変えざるを得ないが、出来れば大きな変更なしで、日々、自分なりに充足した生活が送れるように努力したい。家族、きょうだい、友人たちの支えを得ながら。皆さま、良いお年をお迎え下さい。

偶然の中を行く旅人 19.12.17

 人生の大部分は偶然に左右されているわけで、以前も書いたが、私がNHKを就職先に選んだのも、就職するかどうか迷っているときに、たまたま同じ寮で暮らす工学系の友人がマスコミを選んだのを知って、同じ工学系の自分にもその道があるかも知れないと思ったからだし、結婚だって似たような幾つかの偶然に左右されている。しかし、ここに書くのはそれほど大きなことではなく、ほんの小さな偶然についてである。先月に壱岐・対馬、五島列島のお一人様ツアーに行ったが、そのうちの2つがそのツアーに関したものだった。  

◆「隠れキリシタン」と「潜伏キリシタン」の違いは?
 ツアーの3日目、五島列島の南に位置する福江島に行った時のこと。午後ホテルに着いてから夕食までの時間に、地元のボランティアの老人に福江の城下町を案内して貰った。福江城の石垣やかなり道幅の広い武家屋敷跡などを散策しながら、島の歴史などを説明して貰った。列の後ろからついて行くと時々説明が良く聞き取れないところもあるが、そういうことは気にせずに、のんびりと夕暮れ迫る武家屋敷跡を歩き回った。その中に、ちょっと気になった内容があった。江戸時代、この地方に残っていた「隠れキリシタン」の話である。

 それは、この地方には「隠れキリシタン」とは別に、「潜伏キリシタン」と呼ばれる人々がいるという話で、その違いが少し離れて歩いていた私には、良く聞き取れなかったのである。後で同行の人に尋ねてみようと思ってそのままにしていたのだが、残念なことに夕食時にその疑問を持ちだしても誰も明確には覚えていなかった。翌日は、霊験あらたかな水が出るルルドの泉がある井持浦教会を訪ねたり、海水浴場で知られる高浜ビーチで貝殻を拾ったりのコースを巡ったが、「隠れキリシタン」の違いについてはその後も話題には出ることはなかった。

 ということで、それはかすかな疑問として頭の片隅に残っていたのだが、旅から帰って何日もたたない土曜日の朝、布団の中から手を伸ばして、ラジオのスイッチを入れたとたんに飛び上がるほどにびっくりした。番組の途中から聞いた最初の言葉が、いきなり「隠れキリシタンと潜伏キリシタンの違いは」だったからである。それは、土曜日にいつも布団の中で聞いているラジオ第2の「文化講演会」で、その日のテーマが「潜伏キリシタン関連遺産の文化的意義」というものだったのである。その説明を聞きながらやっと福江島での疑問が解けたのだが、その出来すぎた偶然に何だか狐につままれたような気分がした。

◆ひょいと見ると向こうのテーブルに
 もう一つは、ツアーの最終日。福江島で夕食後に部屋に戻り、民放の番組を見てから寝ようと思って、ふとNHKは何をやっているかとチャンネルを変えた。すると写真家のOさんの姿が突然目に飛び込んできた。長崎のローカルニュースだった。Oさんとは長年の知り合いで、4月の「日曜美術館」に出て貰った時に、彼女の長崎原爆に関する写真集を市全部の中学校に寄贈する計画については聞いていたのだが、ちょうどその日が寄贈式だったのである。「それが今日だったのか」と、ちょうどその時にチャンネルを回した偶然に少しびっくりした。

 帰りは福江港から船で長崎へ。長崎での自由時間には、初めて平和公園や原爆資料館を見学した。平和公園でボランティアの人たちが熱心に学生達に説明をしている風景や、原爆の悲惨な展示物を資料館で見て歩いた。バスで空港に着いてからも、出発までまだ1時間ほど余裕があるというので同じ一人旅の男性と空港内の小さなうどん屋で一杯やることにした。そして、2人で乾杯してひょいと顔を上げると、一つ向こうのテーブルにそのOさんがいるではないか。「ニュースで見ましたよ」と言うと、向こうも驚いていたが、こっちはもっとびっくりした。

◆15号車に乗り込んでみたら一列に!
 さらにそれから10日ほど経った時である。久しぶりにきょうだい4人が集まって水戸で墓参りと食事会をしようと申し合わせていた。姉二人は上野から同じ特急に乗るというので隣り合わせの席を確保。私たち夫婦は柏駅から乗ると言うことにして、前日にカミさんがJRで同じ特急の切符を購入し、水戸駅で落ち合おうということにした。それ以外は何の企てもなかった。それが、柏駅から私たちが「15号車の7番C、D」と確認しながら入っていくと、同じ車両に姉たち2人を見つけたのである。それも彼女たちの座席は「15号車7番A、B」。私たち4人は期せずして15号車の7番に一列に座ることになったのである。

 これには4人とも唖然とした。特急は10両編成で、すべてが指定席になっている。15号車にも半分くらいは客が座っていた。後で色々考えてみたが、それぞれ独立して切符を買った私たち2人と姉2人が10両編成の列車の中で一列に並ぶ確率は、単純計算なら数十万分の一になりそうだ。仮にチケット販売のプログラム上、水戸の改札口に近いところから売り出すということがあったにせよ、これはかなりの偶然と言っていいのではないだろうか。お陰で、互いに楽しく会話しながら水戸に着き、水戸で待っていた弟夫婦の運転で2つの菩提寺を巡って墓参りをし、昼食会もそんな話で盛り上がったことである。

◆「偶然の中を行く旅人」
 ところで、この半月の間に起こった小さな偶然について、幾つかの会食時に面白い話題として提供したのだが、聞いた人たちの反応はイマイチで、たいていは「ふーん」と言う程度。こちらが感じるほどのことはないのである。そうした時にふと、昔読んだ村上春樹の「東京奇譚集」の中の「偶然の旅人」という短編小説を思い出した。そこにはこの手の会話が「ふーん」以上に発展しないことについて、村上特有の比喩で書かれている。『まるで誤った水路に導かれた用水のように、僕の持ち出した話題は名も知れぬ砂地に吸い込まれてしまう』と。

 それでも彼は、幾つかの人生における味わいの深い偶然のエピソードを重ねていく。そして最後のところで、「実はこうした偶然の一致はひょっとしてとてもありふれた現象なんじゃないか」と登場人物に言わせている。こういうことは身の回りでしょっちゅう日常的に起きているのだけれど、その大半が私たちの目にとまることなく見過ごされているというのだ。それは『まるで真っ昼間に打ち上げられた花火のように、かすかに音はするんだけど、空を見ても何も見えない』とこれまた、うまい比喩で書いている。

 ただし、「僕らの方に強く求める気持ちがあれば、それは視界の中に一つのメッセージとして浮かぶ上がってくる」とも書いているが、小説中のかなりインパクトのある偶然と違って、今回のような「ちょっとした偶然」は、単なる偶然のいたずらに過ぎないかも知れない。しかし、こうした偶然が実は身の回りでしょっちゅう起こっていて、その大部分に私たちは気がつかないでいる、という見方そのものものは面白い。考えて見れば、私たちはたまに起こる偶然に出会ってびっくりしたりしながら、様々な偶然がクラゲのように漂う中を、それと気づかずに漫然と暮らしているのかも知れない。すると私たちは「偶然の中を行く人生の旅人」なのか。

◆偶然に支配される人生ならば
 気持ちのどこかでは、主体的に人生を選択しながら生きてきたと思っていても、振り返って見れば主体的に選択したことはごく少ない。むしろ様々な偶然のままに人生を歩んできたように思う。しかし、目に見えない偶然がしょっちゅう身の回りに起こっているのならば、その偶然の妙味を味わえるように心がけるのもいいかもしれない。それには、普段から自分なりの価値観を点検しつつ、明確な意識を持っている必要があるのだろう。そうすれば、この残り少なくなった人生でも結構ワクワクするような偶然との出会いが期待できるかも。

“指呼の間”をどう生きる? 19.10.13

 温暖化のせいか9月に入っても、10月に入っても暑い日が続いた。10月2日にやったゴルフでは、当初の予報に反して急に晴れ出し、埼玉のゴルフ場は(クラブの人の話で)外気温が34、5度にもなったらしい。特に日差しが強くなった終わりの2ホールは、頭がぼうっとしていた。それが祟ったのか、家に帰ってから体調がおかしくなった。身体全体のほてりが続いて、いくら水を飲んでも心臓の早い鼓動がおさまらない。何となく胸苦しい。夕食を食べる元気もない。

 そこで、凍った保冷剤で首筋や脇の下を冷やしているうちに、ようやく落ち着いてきた。軽い熱中症になっていたのだろう。カミさんからは痛く叱られた。以前にも梅雨明け急に暑くなった日に油断して、ゴルフから帰宅後に胸が痛くなり、夜中に救急病院に行き、後日、心臓のカテーテル検査までした。或いは、冬に一酸化炭素中毒で危うく死にかかったこともある(「死にかかった日の物語」)。そんな経験をしながら、せっかくこの歳まで辿り着いたのだから油断してはいけないと、またまた反省した。それはさておき、9月を振り返っておきたい。

◆マーラー「交響曲第5番嬰ハ短調」を聞く
 某日、NHKホールでマーラー「交響曲第5番嬰ハ短調」を鑑賞。久しぶりに感動した演奏会だったが、実はこれには前段がある。先日、都内の本屋でたまたま手にした文庫本が、村上春樹と小澤征爾との対談「小澤征爾さんと、音楽について話をする」だった。小澤が単身海外に武者修行に出かけて世界的指揮者たちに師事しながら腕を磨いていく。その時のエピソードが門外漢の私にも非常に痛快で面白い。同時に、クラシックにも驚くほど精通した村上が小澤と一緒に過去の演奏を聴きながら、緻密な音楽談義を重ねていく。

 その全6回の対談のうち、1回全部がグスタフ・マーラー(1860−1911)の音楽についてだった。クラシックの中でも特別な位置を占めるマーラーの音楽について、2人の思い入れの深い談義が続く。N響の演奏に期待が高まっていたところである。事前にその曲を通して聞き、少しは耳慣れした状態で演奏会に臨んだところ、実際の演奏は想像を超えて重厚、華麗、多彩だった。

 種類の違う管楽器が次々にメロディーを引き継ぎながら展開するところ、打楽器が全体を盛り上げるところ、小澤が言っていたように、一人一人が自分の音に専念して細部を明瞭に演奏しないと全体が形作られないと言った複雑さ。近代音楽の流れの中でも唯一無二の存在だと小澤が指摘するところなのかも知れない。観客も珍しく大盛り上がりだったが、指揮者(パーヴォ・ヤルヴィ)も楽団員たちも“やった感”にあふれていた。

◆若い人たちに自分の経験を伝える難しさ
 某日、科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)が主催する「塾」で講義。今年で3回目だが、「番組企画の作り方、取材の仕方」といったテーマで、現在もTVの制作会社で番組企画に係わっていることや、現役時代に「プロジェクトX」の企画に携わった経験などについて話をした。制作会社での企画会議の座長役も8年が過ぎた今年、中堅のプロデューサーに仕切り役を譲って少し気楽になった。時間の余裕が出来たので、若いディレクターのアイデアを企画書にしてあげたりしているが、これはこれで楽しい。

 自分の経験の中から、今の若い人たちに役に立ちそうなことをどう伝えていくかは、なかなかに難しいことである。彼らが求めていることに答えているのかどうかも分からないし、年寄りの考えを押しつけてもいけない。同様の隔靴掻痒感は定年後、大学で5年ほど「メディア論」の講座を持った時にも感じたことだった。企画の立て方などは本来、若い人たちが自分の意欲で切り拓くしかないものである。今は出来るだけ彼らの意見に耳を傾けながら、むしろ若い人の感覚や彼らとのコミュニケーションの取り方を学んでいる。 

◆カミさんの肋骨にヒビが
 某日。8月にやってきた娘の長男に夏風邪を貰ったカミさんが、その後、大きなくしゃみを10回ほど続けたら肋骨にヒビが入ってしまった。そんなときにまた、娘が2人の孫を連れて泊まりに来た。下のKotoちゃんは生後6ヶ月が過ぎてますます可愛くなった。意味のない大声を出して自己主張もする。カミさんがそういう状態だったので、私の方はできるだけ長男のK君(3歳)のお相手をした。定番コースの散歩に連れ出し、今回は風呂にも一緒に入った。語彙も豊かになって、若い人たちよりよほどコミュニケーションが取りやすいから不思議なものである。

 某日。TV制作会社の幹部を早めにリタイアし、長野市に移住した(私より一回り以上若い)友人が、がんの闘病をしているというので、かつての仕事仲間と一緒に見舞った。退院した直後だったので、長野駅近くのホテルの喫茶店で3時間あまり。放射線治療と抗がん剤の副作用で味が全く分からなくなったことなど、多岐にわたる話を聞いた。得がたい話が多かった。幸い、治療の経過は順調で想像以上に意欲的で元気だったので、2人してほっとしながら帰ってきた。一日も早い回復を祈りたい。

◆“指呼の間”をどう生きるか
 某日。北千住のいつもの居酒屋で先輩と飲む。アナウンサーだった先輩は、今年77歳。今の楽しみは、月に2度ほど相模大野まで出かけていって、自分より年上の人たちに朗読を教えることだという。主に80歳より上の上の女性陣と男性陣が少々。声に出して文章を読み、名文の輪読などにも挑戦している。年に2回は発表会もするそうだ。メンバーが熱心で駅での車の迎え、終わった後の懇親会場の設定など、全部やってくれるのだそうだ。大事にされているのだろう。「一度のぞいてみてよ」と言われている。

 3年後輩の私も、現在持っている幾つかの関わりも徐々に少なくなったときに、何を軸にして生きるかに思いが向くようになった。80半ばまで、あと10年。その間をどういう風に生きるかである。先輩も教室に来る年上の人たちを見て、学ぶところが多いと言っていた。「考えてみれば、すぐあそこに(あの世への)ドアが見えて来たよね」、「本当に“指呼の間”だね」などと言い合いながら、「こういう話は、なかなか若い人とは出来ない」と言うことになった。これまでやってきたことを一筋に絞りながら、なお充実して人々との心の交流を続けている先輩はすてきだと思う。

 私の場合は、今年16年目に入る「メディアの風」を続けながら、一方で家族サポート、番組の企画や幾つかの勉強会、下手なゴルフに一人旅(来月は壱岐・対馬、五島列島に行く予定)、そして下手な絵。そうしたことを結構忙しく続けているが、これも体力の衰えとともにぐっと絞られて来るだろう。平均寿命や健康寿命から見ると、自分の人生の幕引きももう“指呼の間”に迫ってきた。少なくとも、そのドアを開ける時までやっておくべきこと。それも含めて“指呼の間”をどんな風に生きればいいのか、少しずつ考えてみたいと思う。

◆台風19号が駆け抜けていった
 上記のようなことを書いている最中に、台風19号がやって来た。ガラス窓にテープを貼るなど事前に相当な準備をし、すぐ近くの元荒川が氾濫した場合の浸水予想図を眺めながら、自宅待機に決める。しかし、一日中テレビからの緊迫した情報を見ていると不安が頭をもたげて来る。息子や娘からもメールがしきりに入る。TVやPC、スマホでも情報収集をした。11時頃に台風の目に入ったのか一瞬の静寂があったが、お陰様で被害なく済んだ。これだけ情報社会になると、なかなか泰然自若とは行かず、気疲れからか体調が優れない。各地の被害状況を見て、温暖化の日本はこの先どうなるのかと思う。