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  今週の鑑賞。定年後の身辺雑記

“指呼の間”をどう生きる? 19.10.13

 温暖化のせいか9月に入っても、10月に入っても暑い日が続いた。10月2日にやったゴルフでは、当初の予報に反して急に晴れ出し、埼玉のゴルフ場は(クラブの人の話で)外気温が34、5度にもなったらしい。特に日差しが強くなった終わりの2ホールは、頭がぼうっとしていた。それが祟ったのか、家に帰ってから体調がおかしくなった。身体全体のほてりが続いて、いくら水を飲んでも心臓の早い鼓動がおさまらない。何となく胸苦しい。夕食を食べる元気もない。

 そこで、凍った保冷剤で首筋や脇の下を冷やしているうちに、ようやく落ち着いてきた。軽い熱中症になっていたのだろう。カミさんからは痛く叱られた。以前にも梅雨明け急に暑くなった日に油断して、ゴルフから帰宅後に胸が痛くなり、夜中に救急病院に行き、後日、心臓のカテーテル検査までした。或いは、冬に一酸化炭素中毒で危うく死にかかったこともある(「死にかかった日の物語」)。そんな経験をしながら、せっかくこの歳まで辿り着いたのだから油断してはいけないと、またまた反省した。それはさておき、9月を振り返っておきたい。

◆マーラー「交響曲第5番嬰ハ短調」を聞く
 某日、NHKホールでマーラー「交響曲第5番嬰ハ短調」を鑑賞。久しぶりに感動した演奏会だったが、実はこれには前段がある。先日、都内の本屋でたまたま手にした文庫本が、村上春樹と小澤征爾との対談「小澤征爾さんと、音楽について話をする」だった。小澤が単身海外に武者修行に出かけて世界的指揮者たちに師事しながら腕を磨いていく。その時のエピソードが門外漢の私にも非常に痛快で面白い。同時に、クラシックにも驚くほど精通した村上が小澤と一緒に過去の演奏を聴きながら、緻密な音楽談義を重ねていく。

 その全6回の対談のうち、1回全部がグスタフ・マーラー(1860−1911)の音楽についてだった。クラシックの中でも特別な位置を占めるマーラーの音楽について、2人の思い入れの深い談義が続く。N響の演奏に期待が高まっていたところである。事前にその曲を通して聞き、少しは耳慣れした状態で演奏会に臨んだところ、実際の演奏は想像を超えて重厚、華麗、多彩だった。

 種類の違う管楽器が次々にメロディーを引き継ぎながら展開するところ、打楽器が全体を盛り上げるところ、小澤が言っていたように、一人一人が自分の音に専念して細部を明瞭に演奏しないと全体が形作られないと言った複雑さ。近代音楽の流れの中でも唯一無二の存在だと小澤が指摘するところなのかも知れない。観客も珍しく大盛り上がりだったが、指揮者(パーヴォ・ヤルヴィ)も楽団員たちも“やった感”にあふれていた。

◆若い人たちに自分の経験を伝える難しさ
 某日、科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)が主催する「塾」で講義。今年で3回目だが、「番組企画の作り方、取材の仕方」といったテーマで、現在もTVの制作会社で番組企画に係わっていることや、現役時代に「プロジェクトX」の企画に携わった経験などについて話をした。制作会社での企画会議の座長役も8年が過ぎた今年、中堅のプロデューサーに仕切り役を譲って少し気楽になった。時間の余裕が出来たので、若いディレクターのアイデアを企画書にしてあげたりしているが、これはこれで楽しい。

 自分の経験の中から、今の若い人たちに役に立ちそうなことをどう伝えていくかは、なかなかに難しいことである。彼らが求めていることに答えているのかどうかも分からないし、年寄りの考えを押しつけてもいけない。同様の隔靴掻痒感は定年後、大学で5年ほど「メディア論」の講座を持った時にも感じたことだった。企画の立て方などは本来、若い人たちが自分の意欲で切り拓くしかないものである。今は出来るだけ彼らの意見に耳を傾けながら、むしろ若い人の感覚や彼らとのコミュニケーションの取り方を学んでいる。 

◆カミさんの肋骨にヒビが
 某日。8月にやってきた娘の長男に夏風邪を貰ったカミさんが、その後、大きなくしゃみを10回ほど続けたら肋骨にヒビが入ってしまった。そんなときにまた、娘が2人の孫を連れて泊まりに来た。下のKotoちゃんは生後6ヶ月が過ぎてますます可愛くなった。意味のない大声を出して自己主張もする。カミさんがそういう状態だったので、私の方はできるだけ長男のK君(3歳)のお相手をした。定番コースの散歩に連れ出し、今回は風呂にも一緒に入った。語彙も豊かになって、若い人たちよりよほどコミュニケーションが取りやすいから不思議なものである。

 某日。TV制作会社の幹部を早めにリタイアし、長野市に移住した(私より一回り以上若い)友人が、がんの闘病をしているというので、かつての仕事仲間と一緒に見舞った。退院した直後だったので、長野駅近くのホテルの喫茶店で3時間あまり。放射線治療と抗がん剤の副作用で味が全く分からなくなったことなど、多岐にわたる話を聞いた。得がたい話が多かった。幸い、治療の経過は順調で想像以上に意欲的で元気だったので、2人してほっとしながら帰ってきた。一日も早い回復を祈りたい。

◆“指呼の間”をどう生きるか
 某日。北千住のいつもの居酒屋で先輩と飲む。アナウンサーだった先輩は、今年77歳。今の楽しみは、月に2度ほど相模大野まで出かけていって、自分より年上の人たちに朗読を教えることだという。主に80歳より上の上の女性陣と男性陣が少々。声に出して文章を読み、名文の輪読などにも挑戦している。年に2回は発表会もするそうだ。メンバーが熱心で駅での車の迎え、終わった後の懇親会場の設定など、全部やってくれるのだそうだ。大事にされているのだろう。「一度のぞいてみてよ」と言われている。

 3年後輩の私も、現在持っている幾つかの関わりも徐々に少なくなったときに、何を軸にして生きるかに思いが向くようになった。80半ばまで、あと10年。その間をどういう風に生きるかである。先輩も教室に来る年上の人たちを見て、学ぶところが多いと言っていた。「考えてみれば、すぐあそこに(あの世への)ドアが見えて来たよね」、「本当に“指呼の間”だね」などと言い合いながら、「こういう話は、なかなか若い人とは出来ない」と言うことになった。これまでやってきたことを一筋に絞りながら、なお充実して人々との心の交流を続けている先輩はすてきだと思う。

 私の場合は、今年16年目に入る「メディアの風」を続けながら、一方で家族サポート、番組の企画や幾つかの勉強会、下手なゴルフに一人旅(来月は壱岐・対馬、五島列島に行く予定)、そして下手な絵。そうしたことを結構忙しく続けているが、これも体力の衰えとともにぐっと絞られて来るだろう。平均寿命や健康寿命から見ると、自分の人生の幕引きももう“指呼の間”に迫ってきた。少なくとも、そのドアを開ける時までやっておくべきこと。それも含めて“指呼の間”をどんな風に生きればいいのか、少しずつ考えてみたいと思う。

◆台風19号が駆け抜けていった
 上記のようなことを書いている最中に、台風19号がやって来た。ガラス窓にテープを貼るなど事前に相当な準備をし、すぐ近くの元荒川が氾濫した場合の浸水予想図を眺めながら、自宅待機に決める。しかし、一日中テレビからの緊迫した情報を見ていると不安が頭をもたげて来る。息子や娘からもメールがしきりに入る。TVやPC、スマホでも情報収集をした。11時頃に台風の目に入ったのか一瞬の静寂があったが、お陰様で被害なく済んだ。これだけ情報社会になると、なかなか泰然自若とは行かず、気疲れからか体調が優れない。各地の被害状況を見て、温暖化の日本はこの先どうなるのかと思う。