テレビ関係者にとって避けて通れないのが視聴率の問題である。長年テレビ制作の現場にいた身で視聴率を気にするななどと偉そうなことは言えないが、行き過ぎた視聴率競争がテレビにどんな弊害をもたらしているのか、2回にわたって書いてみたい。
◆視聴率競争の現場
テレビのプロデューサーが一喜一憂するのが、放送翌日に配られる視聴率データである。1%の違いが定時番組では番組の改廃に影響し、特番ではディレクターや番組プロダクションの評価に直接影響する。
数字が低ければ、鳴り物入りで始まった久米宏の番組(日テレ「A」)も僅か3ヶ月で打ち切りになる。 俗に「視聴率は七難隠す」というが、視聴率さえ良ければ番組は成功で、内容については表立って誰も問題にしない。逆に、視聴率が悪いと企画の中身や番組の出来不出来についてあれこれと取りざたされる。負け戦のようなものだ。
視聴率はスポンサーからのCM費(この一部が番組費にもなる)の算出根拠にもなるから、民放経営者が放送現場に視聴率ねらいのプレッシャーをかけるのは当然の成り行きである。
NHKも同じように視聴率にこだわる。見ないのに受信料を払ってくれる人がだんだん少なくなっている中、教育テレビで視聴率を狙うのは無理だとしても、ゴールデンアワーなどでの視聴率をできるだけ上げてNHKの存在感を高めなければならない。
番組の時間帯には相場の視聴率があり、その相場より0.1%でも視聴率を上げるためにディレクターは悪戦苦闘することになる。この構図は当面変わらないと思うので、地上波のテレビ制作者はこの先も好むと好まざるとにかかわらず、視聴率競争に駆り立てられていくだろう。
◆視聴率をねらった企画の落とし穴
視聴率をねらう場合、制作者から言うと大まかに2つの方向があるかと思う。一つは始めから視聴率をねらって企画を考えるケース。もう一つはある企画があって、視聴率を上げるための様々な手練手管を使うケースだ。より大きな問題は始めのケースにあると私は思う。
始めから視聴率をねらって番組を作るとどうなるか。まず視聴率を引き上げそうな視聴者層(ターゲット)を想定する。そのターゲットが何を見たいか、どんなタレントが好きか、どんな話題を望んでいるか、ちょっと先を行く専門誌や雑誌などから情報を拾って企画に生かす。しかし、これはいわゆるターゲット論を履き違えたもので、こうして出来た企画にはろくなものが無い。
セレブのお嬢様を紹介したり、お宅を拝見したり、IT成金の持ち物の値段をきそったり、タレントのよく行く高級グルメ店を紹介したり、売れっ子ホストを覗いたり、勝ち組女優の私生活を追いかけたり。一頃は渋谷あたりにたむろするガングロ娘の生態を毎日のようにテレビ局が追いかけていた。これらは単にその時々の流行をいいわけ程度の理屈をつけて番組にしたに過ぎず、「企画の貧困」以外の何ものでもない。
視聴率の歩留まりだけを考えた企画も多い。タレントを連れて東南アジアを食い歩く。わざと馬鹿な若者をスタジオに連れてきてクイズを出したり、男女で喧嘩をさせたりして視聴者を呆れさせる(制作者サイドでは視聴者の優越感をくすぐるという)番組。時間帯にもよるが8%や9%はとりますということだけで成立する番組だ。
こうなるとテレビの世界は「柳の下にどじょうがうじゃうじゃ」の世界で、どのテレビ局も毎日同じような番組を垂れ流すことになる。何か一発当たった番組があると恥も外聞も無く後を追う番組が作られる。どのチャンネルを廻しても同じタレント、同じ出演者、同じ話題。制作者もこの惨たんたる有様に慣れてくると、気がついた時にはもう斬新な企画など出てこない頭になっている。
◆結論
視聴率をねらうことは、多くの人に見られる番組をめざすということだから、一概に罪悪視することではない。問題は視聴率ねらいをどう捉えて番組作りをするかという制作者(編成プロデューサー、制作プロダクション、ディレクター)自身の心構えの問題だと思う。
安易な数字ねらいだけで番組企画を考えることがいかに制作者自身の創造性を失わせているか、また、テレビとはこの程度のものだという視聴者の見切りをいかに誘っているかを、をまず知って欲しいと思う。これが今回の結論。
テレビ局の看板に育つような、本当に爆発力を秘めた斬新な番組は、それこそ24時間頭を絞っていないと生まれてこない。また、どんな番組を作ってもどこかで新しい試みを取り入れるくらいの気持ちで仕事をしていないと生まれないはずだ。
番組企画のヒントについてはいずれ項を改めて考えてみたいが、視聴率ねらいの第二のケース、まず企画があって、それを視聴率が取れるようにもっていくというケースについても幾つか問題点はある。次回はそれについて書きたい。
|