定年後の体と心                                         

定年後に直面する体と心の様々な変化は、初めて経験する「未知との遭遇」です。定年後の人生をどう生きればいいのか、新たな自分探しを通して、終末へのソフトランディングの知恵を探求しようと思います。
(2007年〜)

         老年の脱・反抗期(2007.9.7)  人生の趣味の季節(2006.1.5)  定年後の「未知との遭遇」とは?(2005.6.27)

■老年の脱・反抗期 07.9.7
 2歳から4歳くらいの幼児が相手の言うことに対して何でも「いや」と言って否定したり、拒否したりすることを第一次反抗期というのだそうだが、私もある局面でずっとこの第一次反抗期と同じような精神構造にあったことに最近になって気がついた。

 読んでみれば、ふん、お前はそんなことも分かってなかったのかと言う人もいるかもしれない。しかし、ある日、自分でハタと気がついて妙に納得したのだからちょっとした発見には違いない、と思っている。
 ごくごくたわいのない話ではあるのだが、まあ「定年後の体と心」というコーナーを設けているくらいだから、物は試しに書いてみようと思ったわけである。

◆日々の小さな衝突
 定年後、カミさんと一緒にいる時間が長くなると何かと衝突することが多くなって困っていた。別に深刻な問題ではなく、ごく日常的な些細なことで衝突するのである。
ずっと前のブログに、「老後」と言うタイトルでこんな昔のざれ歌を書いた。
   「ことごとくわれをとがむる家妻を終(つい)の頼りに生きていく日々」
 思わず、「よ、ご同輩!」と声をかけたくなるような歌ではあるが、私の場合は、まだ少し血の気が残っているのだろう、カミさんの小言に半分は耐えるが、半分は言い返す。そこでだんだん空気が険悪になってくる。

 しかし、小言なら、まあ、相手が「何回言っても全然聞いてないんだから」などと怒り出さない程度に聞き流せばいい。
 問題は、むしろカミさんが「あなたから娘に言ってやってよ」とか、「あそこの温泉がいいらしいよ」とか「どこそこに食事に行こう」などと「意見」や「提案」を言い出す時に起こる。意見が食い違って平行線になり、結局「あなたと私はもともと合わないのよ」というような、ぎょっとするような深刻な話になったりするのだ。

◆言葉の魔法
 そこでよくよく考えて、カミさんが何か言ったらひとまず「うん、そうだね」とか「なるほどいいね」とか言ってみることにした。思えば結婚以来あんまり口にしたことのないセリフである。
 しかし、そうすると思いのほか会話が柔らかくなる。相手の対応も魔法にかかったように穏やかになる。
 それだけではない。言った瞬間、私は自分の気持ちに不思議な変化が起こるのを発見したのである。

 それは表面上は和んだ柔らかな心である。もっと言えばそれは一種の開放感である。今までの自分を捨てて別な自分になったような気持ちである。
 それでいてその自分に不満なわけではなく、むしろ相手の気持ちに余裕を持って寄り添うことができる、そんな自分をどこかで褒めているような気持ちでもある。
 まだまだ不慣れで毎回うまく行くとは限らないのだが、一体、この気持ちはどこからくるのだろう。

◆反抗期と同じ
 結婚以来うん十年になるが、考えてみると日頃、カミさんの意見や提案には、深い考えもなく「いや」とか「そうかなあ」といった否定や疑問の言葉を出してしまうことが多かった。
 「男と女では思考回路が違っている」という説があるが、私の場合もその意見や提案がどこから出てきたのかとっさには理解できなくて、ひとまず否定するのが癖になっていたのかもしれない。

 そしてある日。「いや」、「そうかなあ」の代わりに、「うん、そうだね」とか「なるほどいいね」と言うようになって、ハタと気がついた。これまでカミさんの意見に条件反射的に反対していたのは、幼児の反抗期と同じではないだろうか。

◆小さな自我を捨てさせる
 そう考えると、あの開放感の意味もおぼろげながら分かってくる。それは、しがみついていた自分の思考回路や考えをひとまず脇において見たときの広々とした感じだ。
 考えてみればこっちはこっちで、まるで幼児期のように自分の考え方が唯一絶対だと思って、その狭い思考回路に身動きが取れなくなっていたのだろう。

 その自由な空間から見ると、こだわっていた自我が小さく見える。自由だが、自分を偽っている感じでもない。
 そういう意味で、「うん、そうだね」や「なるほどいいね」は単に、相手に肯定的な気持ちを起こさせる魔法の言葉ではなく、言った本人が、つまらない自我から自由になる魔法の言葉でもあるような気がしてくる。

◆老後の脱・反抗期
 夫婦仲を円満に保つ3つの言葉があるとよく言われる。「はい」(謙虚さ)、「ありがとう」(感謝)、「ごめんなさい」(反省)だ。しかし、こちらはどうも他人行儀だし、儒教的で人間が出来てない私などには遠い道のりだ。

 そういうわけで皆さんには何を今更と言われるかもしれないが、老後はできるだけ「うん、そうだね」(同意)と「なるほどいいね」(肯定)を連発して、第一次反抗期を脱することにしようと思っている。その先に何が待っているかは保証の限りではないけれど。
■ 人生の趣味の季節 06.1.5
  定年になり還暦を迎えて一つの難問に直面した。この先、体が何とか動く75歳まで生きたとして後15年をどう過ごすか、という問題である。
 読書に鑑賞、テレビ視聴、スポーツクラブ、ゴルフ(これもいつまで続くかだが)、年何回かの気の合った友人たちとの温泉旅行、などなど。ごくありきたりな今の生活を続けて、年齢とともに徐々にペースダウンしたとしても、そこそこ退屈しないで生きていけるだろうという気はする。
 
 しかし、後15年と限ってそれで人生にさよならすることを考えた時、それでいいのか、毎日を何となく退屈しないで過ごすだけでいいのかとささやく声がする。
 「15年と言えば結構あるぞ。何かを求めようとすれば恐らくラストチャンスだぞ。」

◆60歳からからの15年
 人生晩年の過ごし方について、私がうらやむ理想の人生は、一つの天職に一生を捧げる(定年のない)人生である。
  例えば芸事。世阿弥の花伝書のことは既に「つれづれ日記」に書いたが、「老木に花の咲かんがごとし」と言う世界。日本の伝統芸能や芸術、職人の世界では、80歳や90歳になってなお新しく見えてくるものがあると言う。同じ人生でも60歳からの差が如実に現れる、限りなく奥の深い世界なのだろう。

 しかし、残念ながら私のような平凡なサラリーマンはそうはいかない。仮に仕事を続けろと言われても75歳までは頑張りにくい。「では充分生きたでしょうから明日死んでください」と言われたら素直に「はい」とは言えない気がする。
  そこで考え始めたのは(遅い!と言われそうだが)、できることなら後15年、時間がたつのも忘れて夢中になり、「そろそろもう時間だぞ」と言われたら「ああそうか」と言って死ねるような「楽しみ」を探したいということだ。

  それが何なのか具体的には分からないのだが、その濃密な時間の質というのにもう一度触れたいと思う。と言うのも、私は無趣味な人間を通して来たが、過去一度だけ濃密な趣味の生活を送った時期があるからだ。 それは小学生から中学にかけての「人生の趣味の季節」とも言うべき時期である。

◆人生の趣味の季節
 始めは小学4年生から始めた「花壇作り」だった。庭の一画に自分専用の花壇を作って様々な花を育てた。春になると桜草を根分けし、ダリアの球根をばらして植える。グラジオラス、チューリップ、パンジー、アネモネ、デイジーなどなど。夏の日差しの中、一人で黙々と土を掘り返していたりした。
 2年も続いたろうか、不思議な時間だった。その頃読んだバーネットの「秘密の花園」の内容が実に鮮やかに想像できた。

 様々なもの集めにも熱中した。岩石、植物(これは穂もの科といってイネ科の植物ばかりを集めた)、切手、蝶。小学生でいっぱしのコレクターの気分を味わった。
  特に蝶は周辺の森や畑での採集地図が頭に入っていた。古い蚊帳を縫って作った捕虫網、蝶の羽を広げる手製の展翅板、死後硬くなった蝶を柔らかくする注射液などを揃えて標本作りに没頭した。小学校に標本を提出した時には周辺で取れるような蝶は小型のものから大型のものまですべて揃えていた。

 小学校高学年になると工作熱が起きてきた。模型の潜水艦、ゴム飛行機、さらには電気製品のトランス(変圧器)、モーター、ラジオ。やった人は分かると思うが、トランスはラジオを分解して手に入れた鉄心に髪の毛ぐらいの細いエナメル線をセロファン紙を間に挟みながらきれいに揃えて千回以上巻く。その上に少し太いエナメルをまた巻いて行く。それで100ボルトの電圧を下げて様々なものを動かした。
 「子供の科学」(誠文堂新光社)というのが愛読書だった。

 中学校に入ってからも工作熱は続いて、ある夜5球スーパーラジオを組み立てていた時に感電し(240ボルトか)、飛び上がったこともある。短波ラジオを作って屋根にアンテナを張り、深夜海の向こうから聞こえてくるモスクワ放送のコールサインに一人胸を躍らせたりもした。
 こうした趣味は、仲間もいたが多くは一人で見つけて一人で没頭した。この他にも実に様々な遊びに時間を費やしたが、その頃は何をやっていても、自分には無限の時間があるような気がした。

◆趣味の季節の終り
 その「趣味の季節」が中学2年のある日、突然終りを告げる。毎夜遅くまでラジオ工作に夢中になっていた頃、教室で数学の先生が言っている内容が全く理解できないことに気づいて愕然とした。大げさに言えば、まるで別世界の言葉を聞いているような気がした。
  「そろそろ終りかな」。このまま行くと確実に落ちこぼれになるという、ちょっと怖いような感じがして、私は趣味の季節に幕を下ろすことにした。

◆誰も教えてくれない
  あれから45年。サラリーマン人生を終えて、あの時のような濃密な時間を再び持ってみたいと思ったとき、初めて気がついたことがある。白紙から老後の趣味を考えることがいかに難しいか、である。
 周りを見回してみると、世間にはちゃんと考えてサラリーマン時代から、これはという趣味の世界を持っている人も結構いるのに、私はそれを怠ってきた。仕事を言い訳にしてきたせいもあるが、心のどこかで「趣味の世界は子ども時代に卒業した」などと勝手に思い込んでいたのかもしれない。

  人間は「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」とか「遊びをせんとや生まれけん」(梁塵秘抄)というが、どういう趣味を持てばどんな風に人生を楽しく過せるか、そういう大事なことを学校は教えてくれない。小学生の時のように、それはこれから自分で見つけるしかないのだと思う。
  75歳まで後15年。かつてのように無限ではないが、「あと15年しかない」と思わずに「まだ15年もある」と考えて、しばらくの間「人生の趣味の季節」の第2幕を模索することとしたい。
■ 定年後の「未知との遭遇」とは? 05.6.27
 これから、定年後の「未知との遭遇」を、体と心の両面から順次書いていく予定だが、その前に 少しだけ、心と体の両方にまたがる領域について俯瞰的に書いておきたい。
 というのも、このコーナーではできるだけ微細に自分の心と体の変化について観察し、記録 しようと思っているので、時には老後と言う大きな森の中で道に迷うようなこともあるだろうと 思う。従って、時々森の上空にまで飛翔して自分がどの辺をさまよっているのか俯瞰する作業も 必要になると思うからだ。

◆体における「未知との遭遇」
 定年後2年たったが、私の場合、その前後から実に様々な異変が自分の体におき始めた。 それは、おそらく女性の更年期障害にあたるようなものかもしれない。しかし、女性の場合は ホルモンの関係だから一定の期間が過ぎれば安定するのかもしれないが、男性の場合はどうなの だろう。老化による非可逆的な現象なのか、あるいはこの先改善が期待できるのか、それも良く 分からない。

 ささいな例を一つ。ある夜中目が覚めたら、水道管の中を水が流れるような、シーンという 金属的な高い音が聞こえていた。 音は耳をふさいでもなくならない。気にし始めると余計気になる。
 耳の中からか、あるいは脳の 中から聞こえてくるようだ。何か異様なことが自分に起きているのではないかとうろたえて、 一人布団の周りをうろうろする。

 以来、ずっとこのシーンという金属音は続いている。 老化現象の一つである「耳鳴り」が始まったときのショックについては、かの石原慎太郎氏も 書いている(「老いてこそ人生」)。
 やがて、耳鳴り患者は全国に六百万人もいて、耳鳴り患者専用のホームページまであることが、 分かってきた。 耳鳴りは、高血圧が原因の場合、くも膜下出血のサインであったり、気になり始めると初老性 うつ病の引き金になったりするという。それが原因で自殺する人までいるらしい。 「耳の中にセミを 1匹飼っていると思えばいい」、なんて慰めにもならない意見もある。

 その後の経過については、いずれ詳しく書いていきたいが、このように「ある日突然やって きて、その先が読めない」というのが老化現象の特徴である。これは「未知との遭遇」に違いない。 何しろ当初は、この症状がこの先どう変化していくのか、全く分からず、それがまた種々の妄想と 不安をかきたてる。

◆心における「未知との遭遇」
 さて、老化にともなう身体の異変は、初めて体験する「未知との遭遇」に違いないが、そのとき 「心」の方はどうなっていくのか。
 養老孟司氏の言うところによれば、人間は文明の進展とともに、自分の脳のように環境を作り 変えてきた。これを脳化といい、脳化の最たるものが都市である。人間は都市という人工空間を 自分の脳に合わせて拡大する一方、邪魔になる自然を消そうとしてきた。このとき自然の一部で ある身体(からだ)についても、社会の見えないところに追いやった。 江戸時代以来進行している脳化の大きな代償が身体の消失だという(「日本人の身体観」)。

  というわけで、日本人は普段、死体、病人、高齢者、あるいは交通事故、暴力行為などの 生の身体を見ないで生きている。それを隠す社会になっているからだ。 (このことが、脳死問題をはじめとする様々な社会問題を混乱させる原因にもなっていると彼は 言うが、それはここでは別問題。)

 さて、社会における以上のような身体の消失は、個人の身体観にも影を落としていないだろうか。 もちろん各人それぞれの自然体験、身体体験の差でその感覚も違ってくるだろう。 私の場合はこれまで大きな病気も手術もせずに来た。たまの病気もすぐに回復する類のもの だった。これは世の多くの人々も同様ではないだろうか。
 
 社会全体が生身の身体を隠す脳化社会の中で、そういう個人が身体に関心を持つことはまれで ある。私も自分の身体(からだ)のことなどあまり意識せずに生きて来た。 その私が、これから回復のあまり望めない様々な老化現象に死ぬまで付き合うことになる。
 個人の レベルでいえば、それはある意味、これまで自分の脳化傾向の中で無視してきた身体の側からの 反乱である。やがて自分の死という具体的な身体変化も否応なく視野に入ってくるだろう。

◆心のソフトランディングをどう果たす?
 そのとき、こころは自分の身体とどのように折り合っていけばいいのだろうか。毎年多数の人が 死んでいるのだから、これはまさに普遍的な問題に違いないが、いかんせんこうした生身の身体的 テーマは今の社会で隠されている。具体的な病気を抱えた個々人の孤独な思索になるのだろうし、その思索は症状によって様相も違って来るだろう。
  しかし、以上見てきたところから、あえて一般論で言えば、これはこれまで無視してきた自分の 身体の反乱という「未知との遭遇」の中で、身体と心の折り合いをどうつけていくのか、心の ソフトランディングをどう果たすのか、というテーマなのかもしれない。 また別な言い方で言えば、心が身体的な老いや死をどう受け入れていくのか、というテーマなのかも しれない。
 
 インターネットで発信していく以上、この「定年後の体と心」は、単に年寄りの病気自慢と繰言に ならないように、時には老後という森の迷路から上空に飛翔して、それが普遍的なテーマなのか どうか、検証しながら進んでいくようにしたい。