つれづれ日記

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2005年11月30日(水)
社会の底知れぬ闇

姉歯建築士による耐震強度偽装事件の様相は奇怪さを増してきている。被害額が莫大なだけでなく、多くの人命が犠牲になりかねない事件である。
建築士がいずれは分かる犯罪になぜ手を染めたのか、検査機関、売主たちはそれを暗黙裡に容認したのか。この事件は氷山の一角なのか。

事件の本質に想像をめぐらす時、今の社会の「底知れぬ闇」を感じるのは私だけではないだろう。
何が見えるのか、近々その闇を懐中電灯で照らしてみたい。
(*)

2005年11月23日(水)
番組企画シリーズ

「メディア時評」でテレビ番組の企画について考え始めた。
@テレビの日常感覚を疑え」、「企画に意味を与える」、「ターゲットとは何だろう?」、「番組の寿命とは?」、「自分のテーマを持つ」、「企画会議の議長役」などなど。
思いつくままタイトルを書き出してみたが、まだ先は見えない。(他のテーマもやりながら)ぼちぼちと考えて行こう。

2005年11月20日(日)
写真を取り込む
NYで撮ったグランドゼロの写真をデジカメから取り込む。(10月30日の日記
 
ついでに大石芳野さんの写真集の画像(11月1日の日記)と星野道夫の本の画像も取り込んだ。この辺の著作権に気を使いつつ。このHPもちょっとづつ進化しているといいのだけど。

NYの写真(左)をもう一枚。
この写真がどこで撮られたか分かる人は結構NY通かも?
2005年11月18日(金)
老後の初心

定年を間近に控えた頃、「世阿弥」(白洲正子)を読んで、「老後の初心忘るべからず」という言葉に出会った。
老境に入っては(能においても)すべてが衰えていくという初めての経験になるからこれも「初心」と名づけるというのだ。
定年後の「未知との遭遇」という言葉はその時に浮かんだ。

「自分のやりたいことは何なのか」、「あり余る時間をどう使っていくか」、「体の衰えにどう対処するか」、「孤独とどう向き合うか」、「そして死をどう迎えるか」

これらは一つ一つ、老後に向かう中での「未知との遭遇」である。
日々新しく遭遇し、日々冒険的に対処し、日々学ぶ。そう考えればいろんな発見ができる。
この新しいテーマに初心をもって向き合い精進を重ねれば、たとえこの身は死んでも、それぞれの「完成された人生」は残っていくんだよ。六百年後のおっさんたちに、世阿弥はこのようなことを伝えている気がした。

2005年11月8日(火)
劇場型社会の観客として

憲法、増税などの政治問題から社会問題まで、一般市民は時代の動きをマスコミ報道を通じて「観劇」するだけという状況が続いている。

今騒がれている楽天対TBSの問題(今日アップ)などは別に庶民生活に関係ないとは思うけど、一市民として劇場型社会に向かって発言するには、どんな視点をもてるのか、あえてちょっかいを出してみた。

「劇場型社会から市民が参加する社会へ」というテーマは引き続き考えて行きたいテーマの一つかな。

2005年11月1日(火)
戦争の手触り 

子どもたちの眼がカメラを正面からひたと見つめている。この世の不条理のすべてを見てしまったような、悲しみを湛えた瞳。その瞳に吸い込まれそうになりながら感じるのは(想像でしか知らない)戦争の手触りだ。

フォトジャーナリスト、大石芳野さんの新しい写真集「子ども 戦世(いくさよ)のなかで」(藤原書店)。先の写真集「アフガニスタン 戦禍を生き抜く」(同)でもそうだったが、まさに犠牲者はいつも子どもたちだ
時間をかけた取材の中で、彼らの瞳が少しずつ平和の柔らかさを溶かし込んでいくのが僅かな救いではあるが、彼女は「取材を終えた夜は寝られない」と言う。子どもたちの瞳が伝えるものは(勇ましい声が大きくなる時代にあって)ずしりと重い。

2005年10月30日(日)
ニューヨークに行って来た

(ちょっとHP更新をお休みしたが)本当に久しぶりにニューヨークに行って来た。NYでテレビ関係の仕事をしている知人(日本人)に、9.11テロの現場(グランドゼロ)やその時に救護の基地になったセントポール教会などを案内してもらった。テレビでは見ていたが、歩き回って被害規模の大きさを少しは実感できたような気がする。(写真はまだ何もない被害跡地)

長くテロの現場近くに住んでいた知人は、友人や知り合いの消防士をこのテロで失った。その話が大変印象的だったので、このHP用に書いてもらうことにした。近々その「身近な9.11体験」を載せられるかもしれない。



私の方もコラムで旅行の雑感をまとめてみたい。テーマは強いて言えば、「日本はアメリカとどう付き合っていったらいいか」だろうか。

2005年10月22日(土)
Yahooに登録
ついに「メディアの風」がYahooに登録!つまり面倒なURLではなくて、検索に「メディアの風」と入れるだけで画面にいける。
メリットは良く分からないが、これまで宣伝した15人以外にもお客さんが増えるのだろうか。それと、これはねらいどおりだったが、「メディアの風」というタイトルのHPは一つしかない。

NHKの生番組「日本のこれから、知っていますか日本の若者たち」を接客労働者の娘に感想を聞きながら一緒に見た。泉谷しげるがうまい。面白いけど、この手の番組ではもっと「大胆に破綻する術」(これが結構難しい)を研究してみたら?
階層社会、格差社会の潮流については、今考え中。いずれまとめたい。
2005年10月19日(水)
考える葦

政治に関するものを続けて2つ書いた(「小泉自民党のメディア戦略」、「政治家の耐えられない軽さ」)。このあとも生活に影響を及ぼしそうな政治課題は目白押しだが、しばらく休憩。頭をクールダウンして他のテーマに移ろう。

それにしても書き出してみると考えることは随分あるなあと思う。(「人間は考える葦である」というが、こうなると、自分にとって考える=言葉にする、と言うことはどういう意味を持つのか、それが問題のような気もしてきた。まあ書きながら考えていこう。)

2005年10月15日(土)
身近な格差社会

電車の中で見たちょっと異常をきたしているOLたち、銀座の焼き鳥屋でけなげに働く女性従業員。
ちょっと感じるところがあり、(一応組織に属して働く)今の若い世代がどういう状況にあるのか、何を考えているのか、娘に取材してみた。娘は朝7時に家を出て夜中12時過ぎに帰る、前近代的某デパートの(悲惨な?)接客労働者。

横への移動(フリーター化)は自由のようだが、横の自由だけでは将来設計も出来ず、かといって縦移動(人生のキャリアアップ)は「見えない思考の壁」に阻まれている。格差社会特有の現象が進行しているのだろうか。

思索はまだ星雲状態だが、手近なところでも書く目的で取材すると結構見えてくるものがある。(一般化が課題だけど)

2005年10月14日(金)
アメリカと言う教師

アメリカの劇場型民主主義(一部の支配層と大多数の大衆観客)に警鐘を鳴らし続けている、アメリカのチョムスキー教授の「メディアコントロール」。
これを読むと、今回の選挙で小泉陣営がアメリカ型メディア戦略を相当研究していた事が見えてくる。(これは近いうちに「メディア時評」で書きたい)


教授はまた、アメリカの共和党、民主党について「財界と言う政党の2つの派閥に過ぎない」と辛らつだ。日本もこのところ財界の声が妙に大きくなっているが、日本の二大政党は前原民主党になってどうなっていくのか。(これを見極めるにはもう少し時間がかかりそう)

2005年10月10日(月)
一市民って何だろう?

去年の暮れ、「僕の叔父さん 網野善彦」と「二十世紀を見抜いた男 マックスウェーバー物語」を続けて読み、学者というものの思考力のすごさを垣間見た気がした。そして大晦日の日記にこう書いた(忘れていたが)。

「自分が薄っぺらな知識で
HPに日本文化や日本人について書いたり、世界の動きについてジャーナリスティックに問題の所在を考えようとしたりするのは恥ずかしいことだと思い直した。」

なのに今年、平凡な一市民という立場(「開局宣言」)を頼りに始めている。引きずる思いは変わらないが、まあ、力まず肩の力を抜いてゆっくりと。(まるでゴルフだなあ)

2005年10月5日(水)
読書の秋

友人(映画監督)が読み終わった本を時折宅配便で送ってくれる。神田の古書店街で見つけた本らしい。
今回は「無常」(唐木順三)、「反時代的思索者・唐木順三とその周辺」、「吉田松陰」(河上徹太郎)、「大東亜戦争の遺産」(上山春平)、「脳と仮想」。他に禅書や宋時代の漢詩集。
一通り読んだというが...あり得るんだよね、これが。

あしたは、めげずに自分なりの秋にちなんだ「楽しい読書生活」を書こう。

2005年9月29日(木)
第四の権力?

選挙報道はなぜワイドショー化したのか」をアップ。
テレビを第四の権力というのかどうか分からないが、見識を自認するニュースキャスターを敵に廻すのは政治家だって怖そうにしている。今回はちょっとそのトラの尾を踏んでみた。
本当は公の場で誰かにきちんとやってもらいたいのだが。

2005年9月24日(土)
門外漢

9月のある日、東京青山の能楽堂で地唄と舞を鑑賞。唄は西松流の西松布咏さん。彼女のつややかで深みのある声はいつ聞いても素晴らしい。
聞き始めて15年、
門外漢の私にも日本の伝統芸能の奥深さが少しは実感できるようになったか。

9.11選挙関連の3回目をアップ。一億総評論家時代と言うが、小泉劇場のお陰で
門外漢の自分が政治から離れられない。ちょっと疲れ気味。

2005年9月19日(月)
楽しい読書生活をアップ

懸案の「楽しい読書生活」をアップ。
こんなイメージなのだろうか、とまだ少し引っかかるが、これで一応当初予定の全項目にページが出揃ったことになる。内容としてのスタートラインか。
気がついたら3ヶ月が過ぎている。ゆっくり、ゆっくり。

2005年9月13日(火)
楽しい読書生活

この夏、友人が家まで運んでくれた「真田太平記」12巻(池波正太郎)。
信州上田の真田一族を描いたこの物語は、これまでに読んだ様々な戦国時代の歴史小説の思わぬ隙間を埋めてくれた。

まるでジグソーパズルの一片のように。

*「楽しい読書生活」のイメージがだんだんと固まってきた。来週には何とか。

2005年9月11日(日)
2005年の9.11

自民党圧勝の選挙報道を横目で見ながら、ようやく「視聴率ねらいA」を書き終えた。
視聴率主義がどんな弊害をもたらしているか考えようとして始めたのだが、他の方が忙しくて一ヶ月も過ぎてしまった。

それにしても、今回のマスコミの一連の選挙報道は、いずれ誰かがきちんと総括しなければならないテーマだと思う。

2005年9月10日(土)
2001年4月26日の日記

日記をめくっていたら偶然、この日付に出会った。すっかり忘れていたが、日記の最後にこう書いてある。ちょっとびっくりした。

「小泉政権の誕生。午後、長時間にわたって閣僚指名のドラマをテレビで見ていた。この政権が何をやるのか、橋本派、亀井派などと同じ党の中にいて自民党の利権的な体質を払拭できるか。日本が少し変わることが出来るのか。」
明日はあれから4年後の投票日。

2005年9月7日(水)
時の流れ

学生時代に見た映画「灰とダイヤモンド」('58)のアンジェイ・ワイダ監督(ポーランド)の最新作「仕返し」を国立フィルムセンターの試写会で見た。
監督は今年80歳、エネルギッシュな映画だった。
驚いたことにその映画には「水の中のナイフ」('62)のポランスキー監督が俳優として登場している。彼も72歳。

光陰矢のごとしというが、一生の仕事を持った人たちの間では、時は大河のごとくゆったりと流れている!

2005年9月5日(月)
選挙に間に合うか?

9.11選挙をどう考えるか」2回シリーズの1回目をようやくアップ。明日は2回目をアップする。専門外の人間が書くのもためらうテーマだが、市民の立場からと、わが身を励ましつつ。
投票日に間に合わなければ意味も無いが、間に合ったから意味があるとも言えないのが少し悲しい。まあ、自分が考えた
という証(あかし)だけでよしとするか。

2005年9月3日(土)
リンクエラーが直らない

般若心経 現代語訳」のリンクエラーが手順書どおりにやっているのにどうしても直らない。それも自分のパソコンのインターネットでは正常に働くのに他のパソコンではエラーになる。背景の模様も消えてしまう。どうしてどうして?
60の手習いには分からないことばかり。

(*10月11日 正しい頁のHTMLをコピーしたらうまく行った)

2005年8月31日(水)
同級生の死

癌で亡くなった同級生の訃報が届く。今月2人目。劇場型選挙とか言って世はゲームのように生きている人ばかりのように見えるが、どこかで命の現実と闘っている人もいる。自戒を込めて。

      諸行は無常である。不放逸にして精進せよ(釈迦)

2005年8月30日(火)
老後

古い手帳を捨てようとしてこんなざれ歌が見つかった。その時、なんだか身につまされて書き写したものらしい。思わず古人の肩をたたきたくなるような。

  ことごとくわれをとがむる家妻を終の頼りに生きていく日々

2005年8月29日(火)
基礎工事完了!
暑い夏中頑張って、ようやく「別ページのラベルにリンクを張る」方法を会得。まだまだ付け加えたい機能はあるけど、基礎工事はほぼ完了した。
これでどうやら文章の方にも手が回りそう。支援してくれたU君に感謝。いつの間にか夏も終わり..
           あかあかと日はつれなくも秋の風
(芭蕉)

ホームページ制作日誌、老後の雑感、折に触れて見つけた言葉を。

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