「風」の日めくり

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2006年4月2日(日)
政治家以前の問題

民主党の前原党首については、メール問題の直後から彼では持たないと書いてきたが、一ヶ月以上もすったもんだのあげくようやく辞任。
それにしても、一連の彼の言動を見ていると
実に不思議な人格が政治家になったものだという感が強い。
政治家としての自己を律している価値観、美学と言うのが全く見えない。辞めることが決まった段階でも、まだマイクの前で次の党首選びについてあれこれ注文をつけている。責任と恥を知らない政治家である。

いつごろから政界にはこういう訳の分からない新人類が跋扈(ばっこ)し始めたのだろうか?
黙って責任を取った岡田前党首の方がよほど偉く見えてくる。

2006年3月25日(土)
新ロゴ登場!

デザイナーの息子が「メディアの風」の新しいロゴを、以下の「コンセプト」なるものと一緒にメールで送ってくれた。トップ頁に取り込んで眺めていたら、また新たなスタート台に立ったような。。。

       

・・・・日頃良く耳にする「メディア」とは、いったいどのようなものか?それは、常に変化し、姿が一定でないいわば雲のような存在なのでは?
そしてA(私のこと)は、どのような風でその「メディア」の形を変えていこうとしているのかを考えてみた。それは、決して大海をうねらすような台風ではなく、春のベランダに吹くようなちょっとした気分の良いそよ風だろう。
そしてそのそよ風こそが今、人を少し立ち止まらせることのできる毎日の風の便りなのでは?
そんなイメージをロゴに集約させてみました。いかがでしょうか?・・・・

2006年3月18日(土)
読者の感想

最近更新した「こころの時代」を娘に読ませたら、「無言館のことを書きたいのか、画家の事を書きたいのか、番組批評をしたいのか、ばらばらじゃん。」と手厳しい。言われてみればその通りかも。
で、改良になったかどうか、少し手直しした(この題材ではこの辺が限界かな)。ともあれ「言葉探し」に悩む文章修行の身には、娘と言えども読者の感想はありがたい

そこで考えるのは、感想を寄せてもらう「作者へのメイル」機能。(当初計画には入れていたが)あったほうがいいのかどうか。
先般、お役人がブログにメイル機能を取り入れたら、めちゃくちゃになって閉鎖に追い込まれたと言う話もあるし、デジタル音痴には何となくネット社会の恐ろしさの方が先に立つ。(しばらく悩んでみよう)

ところで先日、遅ればせながら話題の映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を見た。あの頃中学生だった私としては、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が3種の神器の時代からインターネットの時代まで、何と遠くに来たものよ、と思う。

2006年3月12日(日)
政治家の資質(民主党関連第3弾)

民主党のメール問題は、日本の政治のありかたについて様々なことを考えさせる。(「政治の危機管理」、「政党の役割」については既に書いた)
先日、民主党のHPを開いて、前原党首の記者会見(ビデオメッセージ)の全部をじっくり聞いていたら、もう一つ書いておきたいテーマが現れた。

それは「政治家の資質」ということである。
明治維新で江戸城明け渡しを行った勝海舟の「氷川清話」、ドゴール仏大統領の「ドゴール大戦回顧録」、ニクソンの「指導者とは」、李登輝(元台湾総統)の「台湾の主張」、中曽根首相の「自省録」など、当人の声から私たちがイメージする政治家像は、今の若い政治家たちと何がどう違うのか。

別に、民主党をやり込めたいわけではなく、この問題をきっかけにして、「政治に期待するもの」を一市民の立場から考えてみたいだけ。民主党関連の第3弾として書いてみたいと思っている。

2006年3月4日(土)
政党って何なんだ?

 民主党の偽メール問題は、政治家の責任の取り方という意味で、国民の間に深刻な政治不信を招いていると思う。野党第一党の党首が議場で相手総理にペコペコ頭を下げている図は目を疑わせるような光景である。これでまともな政党運営を続けられると考えているのだろうか。

 週刊誌を読んで永田議員が札付きの元記者にだまされた経緯はおよそ分かった。しかし、前原党首がなぜ党首討論の前日まで「明日は楽しみにしていてください」などと墓穴を掘るような強気を見せたのか。
 彼がこの間の説明もなしに党首を続けられると思っているとしたら、とんでもないことだ。(怒!)

 これは彼の資質に対する不信以上に、「政治とはしょせんそんな無責任なものか」という救いがたい不信を国民に植え付けることになるだろう。

 民主党内がこんなにバラバラで、自民党に憐れみをかけられ、馴れ合いに陥っていく状況を見て、納税者の一人である私には「いま国民にとって政党の役割とは何なのか」という素朴な疑問がふつふつとわいてきた。(考えてみよう!*

2006年2月21日(火)
退院しました

人間は直立歩行したから人間になったのだが、これはいいことばかりではないらしい。腰痛なんかもそうだが、意外な影響もある。
成長するにつれ、鼻の真ん中を仕切っている鼻中隔という、本来垂直であるべき壁が左右どちらかに曲がりやくなるのもその一つ。直立歩行によって1.4キロの脳の重量(の一部)が直接そこにかかってくるからという説だ。
今8割くらいの人は多少なりともこの傾向があるというが、これがひどくなると鼻中隔湾曲症といって鼻づまりの原因になる。

別に私の脳が重いとは思わないが(むしろ軽くて困る)、私も湾曲がひどく最近どうにもならなくなって思い切って手術することにした。
9日間入院したが、お蔭様で順調に経過し今日退院。場所が場所だけに、しばらくは出血を避ける注意が必要だが、詳しい状況はいずれ結果が見えたところで書きたい。(人類の宿命のような鼻づまりは今、花粉症などのアレルギー症状と複合して増えているらしいので。)

それはそれとして、入院中のぼーっとした頭に書きたいテーマが5つも浮かんできた。形になるかどうかは保証の限りでないが、ぼちぼちと。

2006年2月10日(金)
「言葉探し」の難しさと楽しさ

このHPにものを書き出して9ヶ月が過ぎた。こんなHPでも書き始めてみると、「言葉を探す」という作業はどれだけ奥深いものかと思う。とても慣れるようなものではない。
あるテーマをアップ(公開)してからもあっちこっち文章をいじって、落ち着くまで一週間位かかる時がある。言いたいことの骨格は変わらないが、言い回しがどうもしっくりこない。冗長なところも削りたくなる。
そんなのアップする前にやれよな、と言われそうだが、アップして他人の目になって見るとまた足りないところが見えてくる。(番組作りと同じだがHPは気楽に直せるところがいい)

いろいろやって分かって来たこともある。書きたいと思った時にふっと頭に浮かんだ、その「着想」が命だということ。それを最後まで見失わず、自分の気持ちを覗き込むようにして、より正確な言葉を探していくこと。これが大事な気がする。

気持ちにぴったりこない言葉は、アップ後もずっと見知らぬ他人のように気になっているが、ある時(別なことをしているようなときに)突然うまい言葉が閃(ひらめ)いたりする。考えていればこんな頭でも閃くことがあるんだなあと、不思議な気持ちになる。
この文章だって「自分の(頭に浮かんだ)想念と選んだ言葉とのずれ」についてまだまだ確かなことが言えてない。いずれきちんと書いてみようと思う。

まあ、こんな楽屋事情なので、このHPはアップ後一週間位がせめてもの読み頃かも。。。

2006年1月29日(日)
お勧めの映画

友人の映画監督が作った映画を観てきた。去年7月の試写会以来2度目だが、また新しい発見と新しい感動があった。なかなかないことだが、この映画にはまだ深い意味が隠れているような気がする。

派手で即物的な映画が多い中で、この映画は静かに美しい映像を積み重ねながら「画面には見えないもの」まで描いている。これが芸術というのだろう。

それが何なのか、私には見えたような気がするが、見る人によって違う気もする。皆さんの見つける「画面には見えないもの」は何だろうか。
「博士の愛した数式」。是非ごらん下さい。                               (C)「博士の愛した数式」製作委員会

2006年1月28日(土)
お勧めの本

64年前、何故日本は破滅的な戦争への道を突き進んだのか。いま不戦の誓いとは?」にも書いたが、戦争への道をたどる歴史研究は今随分と進んでいる。各種資料が公開されてきたこと、それに戦後しばらく続いた硬直した戦争史観から自由になったことが大きいと思う。

その成果を極めて平易に教えてくれる本がある。
半藤一利氏の「昭和史」(平凡社)。彼が一年かけて若い世代にも分かるように噛み砕いて講釈した内容を一冊にまとめたものだ。(音声CDも出ている)
興味深いエピソードを交えながら、あの悲惨な戦争への過程を様々な角度から公平に教えてくれる。

これを読むと現在でも類似したことが起きていることが分かり、今の日本社会を読み解く鍵も与えてくれる。
教訓満載。戦後世代必読の本だと思う。

2006年1月11日(水)
若い世代へ

この前は、仕事で一杯一杯の不機嫌なOLについて書いたが、一方で都会の飲食店で若い世代が感心するぐらい感じよく客に応対している姿を見て、私に頭の中には大きな「?マーク」が飛び交っている。
多分時給800円くらいのフリーターの人たちだろうと思うが、彼らのあのとびきりの笑顔には何が隠されているのだろう?

「マニュアルだよ」と言ってすます大人もいるが、今の勝ち組などと言っている大人たちの足元もこうした若い世代の存在で成り立っている。
最近このHPを見てくれている若い世代も結構いるらしいので、私は若い世代に何とかエールを送りたいと思っている。(「若者よ団結せよ!」))
同時に(格差社会の中で)
若い世代に未来を託す大人の側の責任とは何なのかもテーマの一つとして考えて行きたい。

2006年1月1日(日)
迎春

2006年元旦。HP「メディアの風」を立ち上げて半年が過ぎた。60の手習いだったが、今のところ当初の構想に忠実にHPとしての体裁を整えてきた。しかし、内容の方はまだまだよちよち歩きと言ったところだろうか。

去年は政治、社会の動きが大きく「コラム」の分量が多くなったが、今年は他のテーマも書いて行きたい。ゆっくりペースでひとまず6月の一周年を目指したい。皆様のご多幸をお祈りします。
           「戸を開くわずかに花のありかまで (中谷治宇二郎)

2005年12月25日(日)
いい年の瀬だなあ

日本列島に寒波がやってきた直後だったが、信州上田は晴れ上がり雪がまぶしかった。「真田太平記」の真田昌幸が築いた上田城を見たあと、単線の上田交通別所線でのんびりと別所温泉へ。

翌日(今日)も快晴。上田盆地を囲む山並みを遠くに眺めながら、周辺の古い寺々(安楽寺、北向観音、中禅寺、前山寺、大法寺)を参拝。
三重塔
(国宝や重文)が雪景色の中で息を呑むほどに美しい。  

その後、戦没画学生慰霊美術館「無言館」へ。

いつもの男ばかり5人の温泉旅行だが、今年大変な苦労をした仲間もいて、旅の間中しみじみと、そして何度も。 「いい年の瀬だなあ」

                     前山寺三重塔

2005年12月19日(月)
azusaのニューヨーク便り

10月30日の「つれづれ日記」で紹介したニューヨーク在住の知人から、「911リポート」が届いたので「azusaのN.Y.便り」として、トップ頁にリンクを張った。

彼女は私の帰国後、ニューヨークでタクシーに乗った時に運転手が強盗に早変わりして、何とか無事だったものの、頭にこぶを作るなど大変な目にあったそうだ。
そのショックも癒えて、911の様子を書いてくれる。次回も楽しみにしたい。

2005年12月17日(土)
頑張りどころ

最近、市民生活に影響を及ぼすような重大なことがらが、国民の知らないところで次々と進行している。この「風の日めくり」で、こうした索漠としたテーマが多くなってしまうのも、しばらくは仕方がないか。

姉歯建築士の耐震強度偽造事件には、建築士個人の犯罪とは別に大きな構造的背景が隠されているらしい。
話題の書「拒否できない日本」(文春新書)を読むと、日本の建築基準法は1998年、アメリカの強力な働きかけによって半世紀ぶりの大改定(それは構造設計の考え方を大きく変えるものだったらしい)を余儀なくされたという。

なぜ総研などというコンサルタント会社が出現してきたのか。なぜ地震国日本で「耐震性をぎりぎりまで削ってコストダウンを図る」というようなとんでもないノウハウを売り物にするビジネスが幅を利かすようになったのか。安全率の思想はなぜ消えたのか。
検査機関の民営化も法改定の結果だが、民営化が何をもたらし、どんな利権を生んでいるのか。追求していくと制度の構造的欠陥が見えてくるような気がする。

実態を隠そうとする人々もいるだろうが、マスコミも民主党も、ここは一つ、頑張りどころだろう。

ホームページ制作日誌、発想の種まき、老後の雑感、折に触れて見つけた言葉を。

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(05年〜06年)