日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

大波乱前夜の海図なき航海 24.12.16
 2024年も余すところあと僅かになったが、日本を取り巻く世界情勢は波乱含みである。韓国では戒厳令を出した大統領が弾劾され、その行方次第では再び日本を敵視する現野党が政権を握るかも知れないという。そうすると日本は、北朝鮮はもちろん韓国とも、そして太平洋進出を図る中国とも対峙しなければならなくなる。頼りのアメリカは来年1月に「自国ファースト」のトランプ大統領に変わり、同盟国の日本をどこまで助けてくれるか分からない。却って、日本に過大な要求を突き付けて来るかも知れない。世界各地の戦争も終わりが見えない。

 遠いヨーロッパでも政治が揺れている。かくして、2025年の年明けから日本も外から来る大波乱の波から逃れられそうにない状況にある。その日本は9月に首相の交代が起き、その後の選挙で自民党は少数与党となって手探りの政権運営が続いている。後述するが、日本は国内にも山ほどの課題を抱えていて、一つ一つ的確な手を打たないと国力も低下する一方、とても暗中模索している余裕がない状況にある。話は変わるが、こうした状況に輪をかけた難局に置かれたのが、幕末から明治にかけての日本だった。そこではどのような英断があったのか。

◆わずか10年で新国家を作った明治の創業者
 270年近く大きな戦争も経験せずに、約300の藩の半ば自治に任されていた江戸時代の日本も幕末になって、海外からの圧力が高まり国家存亡の危機に直面。そして、日本が侵略されるとか、植民地にされる、滅ぼされるという共通の危機意識が明治維新と新国家建設の原動力になった(司馬遼太郎「明治と言う国家」)。しかし、幕府を倒した薩摩、長州にも幕府に代わってどんな国に作るかと言った青写真は全くなかったと言う。その状況から明治政府は僅か10年で新国家の骨格を作って行ったわけだが、その第一は、廃藩置県と国民国家の創設だった。

 古い観念から言えば徳川を倒した薩摩藩主(島津久光)が将軍になってもいいようなものだったが、それでは新国家は生まれない。大久保利光や西郷隆盛、木戸孝允たちは全国の藩主を裏切る形で廃藩置県を断行し、新国家の元に四民平等の国民を位置づけた。かれらの英断が可能だったのは、もちろん当時の先進国から学ぶこともあったが、何より明治という国家を作った元勲たちの私心を持たない、公に奉ずる精神によるところが大きかった。大久保などは、その才気、気力、器量、そして無私と奉公の精神において群を抜く存在だったという(写真下)。

◆明治日本の骨格を作った武士道精神
 封建制度の上に立つ幕藩体制から近代国家へ。世界史にも稀な革命を成し遂げた明治創業期の政治家たちに流れていたのは、江戸時代に育まれた武士道精神だったと司馬は言う。そのサムライとは何か。「自立心である、ひとたびイエスといった以上は命がけでその言葉をまもる、自分の名誉も命をかけてまもる、敵に対する情(なさけ)。さらには私心をもたない、また私に奉ぜず、公に奉ずる、ということでありましょう」。それが明治10年までの日本を作った。それは、信仰は別として当時のプロテスタント精神に似るところがあったとも言う。

 それは自立、自助、勤勉という近代の精神である。しかし、その後の昭和に、日本はこうした精神を忘れて、身の程知らずの誇大妄想に陥って行ったと司馬は嘆くが、さて、時代は大きく変わって今である。冒頭に書いたように、今の日本も波乱の大波が外から押し寄せて来る予感の中にある。しかも、国内的には様々な政治的難問を抱えている。超高齢化による医療費や介護などの社会的負担増、少子化による若い世代の減少や人口減、食料やエネルギーの自給率の低さ、あるいは「失われた30年」に続く経済の低迷、社会インフラの老朽化、格差と貧困。

◆「コップの中の嵐」に明け暮れる政治
 こうした状況に加えて日本は1200兆円という膨大な財政赤字も抱えている。日本を取り巻く安全保障上の問題に積極的に手を打っていくにも、こうした国内の課題が手足を縛って行く難しい状況にある。この難局に政治はどのように立ち向かっていくのか。自民党が少数与党になって以後の政治を見ていると、与党も野党も「政治とカネ」、あるいは「103万円の壁」問題に終始していて、それだけで時間が経っていく感じである。それも大事かもしれないが、日本を取り巻く大波乱の前では、どうしても内向きの「コップの中の嵐」に見えてしまう。

 乱立する政党が自分たちのメンツをかけて駆け引きに明け暮れる状況は、妥協点を見出すのが難しいだけに時間がかかる。これを「熟議の政治」と言えば聞こえはいいが、その間、日本の諸課題が先送りされていく。これをどう考えればいいのか。思うに、与野党ともこの時代に何が最も重要なテーマなのか、日本はどの方向に向かうべきなのか、最優先に考えるべき「国家ビジョン」がないためではないか。今は大波乱の時代。そこに立ち向かうにも、骨太のしっかりした「国家ビジョン」を共有していなければ、日本は「海図なき航海」に陥ってしまう。

◆AIによる課題大国日本の国家ビジョン
 「政治とカネ」や「103万円の壁」が大事だとして、それは国家ビジョンの枝葉に位置づけられる項目になる。より大きな海図を描くには、どうすればいいのか。前に人口減少と言う「静かなる有事」を踏まえた国家ビジョンをAIに考えて貰ったことがあるが(4.10)、今回も日本が抱える課題、外部状況を踏まえてAIに日本が持つべき国家ビジョンを聞いてみた。指示(プロンプト)には、丁寧に上記のような課題を読み込ませる。その結果、AIは日本の未来を切り開く国家ビジョンとして8項目を挙げて来た。例によって優等生的だが、それを以下に。

 @ 超高齢化を超えて「支え合う社会」、A未来を育む「子どもと家族への投資」、自立する日本「食とエネルギーの安全保障」、C豊かさの再生「経済成長の新モデル」、D次世代インフラで「国土を未来につなぐ」、E格差を超える絆「包摂の日本」、F平和の旗手「国際社会への貢献」、G希望の未来「教育と技術の先端地」。
 AIはそれぞれに加えて、具体的な政策を何項目もあげて来たが、こうしたビジョンと具体的政策こそ、党派を超えて議論すべきテーマでもある筈だ。「熟議の政治」ならば是非、国会でこうした議論を戦わせて貰いたいところである。

◆構想力を持って断行する政治家はいるか
 AIはともかく私個人としては、国家ビジョンとして3つほどに絞ってみたい。一つは、日本を取り巻く平和の構築に努力するということ。何が何でも戦争を避けるための外交政策、国際平和にも努力していくべき。安全保障問題もここに入る。二つ目は、豊かな日本の持続可能性を可能な限り高めることである。そのためには、豊かな中間層の形成、若い世代への支援。防災、食とエネルギーの自立、インフラ問題などもここに入る。三つ目は、人類的課題への挑戦である。最大の課題は温暖化防止と核廃絶、そのための国連機能の強化にも貢献していくことである。

 さて問題は、こうした国家ビジョンを作って断行していく人材が今の日本にいるかである。明治の大久保利通や戦後の石橋湛山のような構想力のある政治家はいるか。その点で、石破首相に期待したのだが、これまでのところ言葉が軽すぎる感じがする。熟議後の解散を言っていたのに前言を翻す。政治資金についても踏み込めない。なまじ答弁が論理的だけに、身動きが出来ない状況に陥りやすいので、説明が抽象的になって逃げ場を作る。「ひとたびイエスといった以上は命がけでその言葉をまもる」というサムライ精神とは随分とかけ離れている。

 まあ、そこまでは要求しないにしても、石破の「実」は何なのか。抽象的、あるいは耳障りのいい言葉は発するが、その奥にある「実」が見えなければ、信頼感は生まれない。それがなければ、命がけで支える側近も作れない。石破の後に控える面々についても、言葉と「実」が伴い、難局に立ち向かう政治家はどれだけいるだろうか。もう一度、大久保や石橋湛山のような政治家が現れないかと思う。
ネット空間の仁義なき戦い 24.11.28

 Xを所有するイーロン・マスクが自身のSNSを利用して、あることないことを発信してトランプの大統領返り咲きを支援したように、選挙戦においてSNSは既に欠かせないツールになっている。一方、日本で選挙運動にネットの利用が解禁されてから11年になるが、日本でも選挙戦でのネット利用は最近になって驚くべき現象を引き起こしている。7月の都知事選でネット戦略を駆使した石丸が2位につけた石丸現象、11月の総選挙における玉木国民民主の躍進、そして兵庫県知事選における斎藤元彦の圧勝。いずれもネット戦を制した結果だという。

 「YouTubeがテレビを超える時」(8.11)に書いたように、近年のネット空間における情報量の巨大化は凄まじい。YouTubeだけでなく、X、インスタグラム、FB、ティックトックなど、爆発するSNSの情報空間の中でも、「選挙と政治」は国民大多数の関心事だけに、そこに参入してバズれば、発信者たちもアクセス数に応じて高収入を得る魅力もある。そうしたネット空間で、発信者たちはどのように選挙に関わったのか。そして、どのようにして「推し候補」の支持を広げたのか。規制の殆どない「ネット空間での仁義なき戦い」の実態を整理してみたい。

◆兵庫県知事選に見るSNSの展開
 今回の兵庫県知事選での仁義なき戦いを幾つかのフェーズに分けてみて行きたい。まずは、SNSの発信者たちである。斎藤元彦に近いところでは、彼の同級生たち、そして勝手連的に集まった騎兵隊と称する面々がネットで「斎藤頑張れの」の発信を行う。同時に、今回問題になっているPR会社(折田楓社長とその部下たち)が齋藤に密着し、斎藤の動画を日々発信する。その裏側がどのようなものだったか、多様な応援の手口が明らかになれば公職選挙法違反が問われる事態もあり得るという。さらに今回の特徴は、強力なインフルエンサーの参入だった。

 代表的なのがN党の立花孝志で、斎藤を応援するための立候補という奇怪な理由で斎藤応援に回った。両者は互いに見知らぬ同士だと言うから、立花はいわばこの選挙に悪乗りした便乗者で、真意はたぶん、その特異な動機で話題を作り、得意の既成勢力批判で関心を呼び、アクセス数を上げることで高収入を得ることだったのだろう。17日間の選挙期間中に100本以上の動画をアップし、再生回数は1500万回(齋藤自身の10倍)にもなった。同時に、その動画の切り抜き(ショート動画)の拡散を促して、これらも1300万回が再生された。

◆斎藤を応援するネットの仁義なき情報戦
 立花以外にも、今回の選挙では斎藤を応援する有力インフルエンサー(虎ノ門ニュース高橋洋一などのYouTubeチャンネル)が参入し、それぞれ何百万と言う再生回数を稼いでいる。この10年、候補者のライブ配信やインフルエンサーのチャンネル動画、そして切り抜きショート動画の拡散と、SNSの手法がどんどん洗練されて行く中で、選挙はSNS空間における一大コンテンツとなった訳である。では、そこで拡散された情報とはいかなるものだったのか。パワハラ問題で失職した斎藤を応援する情報は多種多様だが、整理すると以下のようになりそうだ。

 一つは、斎藤は悪くない、むしろ既成勢力から排除された被害者だとする説。県政を改革した斎藤を排除したがったのは、官僚、議会、業界でパワハラは言いがかりだと言う説である。その矛先は、パワハラ問題を審議する「百条委員会」にも向けられ、委員長を脅したり、家族を心配した県議が辞職したりする騒ぎにもなった。あるいは、まだ「百条委員会」の結論も出ていないのに、パワハラ問題はなかった、パワハラを訴えた元局長が自殺したのはプライバシーに問題(女性問題)を抱えていたなどとする、まことしやかな説もネット上に拡散された。

◆「斎藤押し活」を盛り上げたネットの威力
 ネットでの攻撃は、相手候補にも及んだ。対抗馬の稲村和美に対して「新県庁建て替えに1000億」、「外国人に参政権を認める」などといった中傷デマが流され、さらには稲村後援会のXが虚偽通報により2度にわたって長期間(10日以上)凍結される事態にもなった。ネットにはさらに、既存のマスメディアが真実を隠している、あるいは自殺した元局長には黒幕がいると言った陰謀説に近い情報も拡散された。マスメディアに対する不信については後述するとして、こうした過激な応援情報の拡散で、有権者の多くが斎藤に投票したことになる。

 選挙戦の最初は、まばらだった斎藤陣営の聴衆も最後には大群衆に膨れ上がる。「斎藤頑張れ」と叫ぶ群衆の中には、感極まる人々も。投票日の出口調査(NHK)では、新聞、テレビを参考に投票先を決めた人がそれぞれ24%なのに、SNSを参考にした人が30%。さらにSNSを見た人の70%が斎藤候補に投票した。ここにも、選挙におけるSNSの影響力が既にマスメディアを超えていることが明確に表れている。では、111万人の人々を動かしたものは何だったのか。個々人の判断を云々するつもりはさらさらないが、その底流にあるものを探ってみたい。

◆ネット空間を支配する情動の増幅装置
 そこには、マスメディアも含む既成勢力に対する不信感と憎悪。陰謀論に飛びつく快感。あるいは被害者意識からくる嫉妬や反感といった「情動」が流れているとする見方がある(歴史学者、佐藤卓巳)。今は情報社会を超えて、喜びや驚き、怒りと言った情緒的な感情で結びつく情動社会にある。これが、即時的な満足感の最大化を目的とするネット社会の特徴であり、その情動を増幅させるネット空間特有の性質が、異質な意見を排除する「フィルターバブル」現象であり、自分と同質の意見がこだまのように響き合う「エコーチェンバー」現象なのである。

 自分の好きな情報だけを取り入れて承認欲求を満たす快感、既成勢力に対する反感や憎悪を共有する快感。私たちは、無意識のうちにそうしたネット空間特有の情動社会に染まっている。そして、その裏側には、より過激な言動で関心を引こうとする「アテンションエコノミー(炎上商法)」でアクセスアップを図るインフルエンサーがおり、背後にはそれらを容認する巨大IT企業がいる。「嫉妬や憎悪は骨に一番近い」という言葉があるが、これらは体内深く食い込んでいて取り除くことが難しい。その性質を巧みに利用した「過激化装置」の中に私たちは生きている。

◆マスコミが受けた打撃の深刻さ
 最後に書いておきたいが、一連の選挙報道でマスコミが受けた打撃の深刻さである。背景には選挙報道が様々な自主規制に縛られて年々物足りなくなっているという指摘がある。それ以上に深刻なのは、最近のメディア自身がネット情報に振り回されて、それに乗る形で噂話的なニュース報道に陥っているように見えること。自分の足で事実を確認する、あるいは掘り下げる努力が見えない。定時ニュースもキャスターが無味乾燥に通り一遍の、既に知っている情報をなぞるだけに見えることも多い。

 また、デマや偽情報をチェックする以上に必要な、事実の背景を深く掘り下げたドキュメンタリーも少なくなった気がする。改善するには、「良貨が悪貨を駆逐する」ことである。ファクトチェックと同時に、ネット空間に対しても掘り下げた真実を伝えて、信頼される「真実のネット空間」の拡大を目指すべきだろう。「ネット時代のマスメディアのあり方」については、別途考えて行きたいテーマだが、今後の選挙報道、政治報道をどうすべきかは、今日からでも遅くはないので、しっかり検証して改善して行って貰いたい。

 それにしてもである。あの立花など一部のインフルエンサーたちの嘘をない交ぜた過激発言や挑発的言動については、アメリカのトランプにも似た「時代の危うさ」を感じるのは私だけだろうか。炎上商法のために敢えて嘘までも売りものにする厚顔さ。かつて司馬遼太郎が言った「(日本の)唯一の民族資産である恥の文化」も、今やどんどん薄れて消え行く感があるが、このネット空間の傾向に意識的に抗しながら、マスメディアも自らを変革つつ日本文化の美質に寄り添って行って欲しいと思う。

冷めずにいることの難しさ 24.11.12

 選挙の何か月も前から「大接戦」と伝えられてきた米大統領選挙は、あっけないほど早々とトランプの大差での当選が決まった。連日、激戦州の票読みや、両候補の動向を解説して来たメディアは、言ってみれば面目丸つぶれだった。アメリカのメディアも同様だったのだから、日本だけを責められないが、どうしてこのような読み間違いが起きたのだろうか。分析手法に何か重大な欠陥があったのか。あるいは、アメリカの民意に未知の変化があったのか。メディアは後智恵であれこれと解説しているが、今後のためにも確かな分析と反省が必要だろう。

◆トランプの大統領就任から始まる世界
 このトランプの当選で世界はどう変わるのか。トランプとプーチンの関係によるウクライナ戦争、ネタニヤフ首相との関係によるガザでの戦闘、米中の緊張や米朝関係などの今後の行方について。あるいは石破首相とトランプの関係はどうなるのか。メディアは早速、次の展開に話題を転じて解説を始めている。しかし、それがメディアとしては当然だとは言え、これだけアメリカの民意を読み間違えてて来た常連コメンテイターたちの解説には、どこか鼻白む思いだ。そんなことは大統領選挙と同じで、少し時が経てばトランプの異常性は言われなくても見えて来る。「恐怖の男・トランプの真実」19.1.8)

 それより、トランプに票を入れた米国民の側に何が起きているのかである。彼らの膨れ上がる期待にトランプは応えられるのか。そこをはっきり掴まないと、かつて安倍が極右支持層からの期待で身動きが取れなくなったように、やがて岩盤支持層からのトランプ批判だってあり得ないことではない。私個人としては、トランプが公言して来た「パリ協定離脱」によって、地球温暖化の行方がどうなるのか、あるいは核戦争の臭いがする戦争がどこで停止するのかが気になるが、そうしたことに気を揉むことからさえも、どこか冷めている自分がいる。

◆時代の大きな転換点を前にして
 冷める気持ちは国内政治についても言える。先の総選挙で少数与党になった自民党に対し、メディアは首班指名における各党の思惑とか、キャスティングボードを握ることになった国民民主党がどうとか、自民党内の石破の足元での蠢きとか、目の前の政局報道に明け暮れている。連日、同じ顔ぶれのもっともらしい解説を聞いていると、余計にどうでもいいような気がしてくる。これだって、いずれ1か月も立たぬ内に分かる話である。目先の事象を追うのはメディアの性ではあるが、こうしは皮相な情報ばかりの政治状況に、いよいよ冷めて来る。

 例えば、高市早苗が仲間20人と会食したとか、麻生が彼女に「次の用意をしとけ」と言ったとか。こうした政局報道は、出ては消えゆく噂話のレベルでどうでもいいと思ってしまう。トランプに関する情報も同様だが、もう少し深いレベルの観察はないものかと思う。誰かが言っていたように、各国で極右に支持された独裁者が出そろって来た今の世界は、第二次大戦前夜の状況と似ているとも言うが、今は本当にそうした時代への転換点なのだろうか。だとすると、その大きな転換点を前にして、日本はコップの中の争いに明け暮れていていいのか。

◆戦後の人類的価値観が風前の灯?
 独裁者による「自国ファースト」のエゴがぶつかり合う中で、風前の灯火のようになっているのが、戦後世界の価値観とも言える。第二次大戦の未曽有の悲惨の反省から世界は、国連と国際機関を作って共通の価値観を共有しながら、ともかくも戦後世界を(幾つかの戦争はあったものの)第三次大戦のような人類破滅の瀬戸際から守って来た。その共通の価値観と言うのが、例えば武力による国境変更の禁止、人道主義などの国際法、核兵器使用への国際的縛り、そして民主主義的手続きの尊重などだったと言える。それらの価値観の土台が崩れつつある。 

 グテーレス国連事務総長は、地球温暖化に対しても、ガザでの非人道的攻撃にたいしても、ロシアのウクライナ侵攻にたいしても、警告を発し続けているが、それがどれだけ独裁者たちの耳に届いているだろうか。同じく国連の中満泉事務次長(軍縮担当代表)も、様々なメディアを通じて、国連の場で粘り強く国際的な声を結集することの重要性を説くが、却って国連の機能不全の方が目立っている。彼女は同時に、個人が声を上げること、若者のリーダーシップの重要性も言うが(11/2 毎日)、世界の危機的潮流にどれだけ対抗できるだろうか。

◆「人類的価値観vs強国のエゴ」のぶつかり合い
 これからの世界は、戦後世界が共有して来た(上記のような)人類的価値観と強国のエゴがぶつかり合う時代と言える。私個人としても、世界と国連を牛耳る「自国ファースト」の独裁者たちに対抗するために、小さき国々がまとまって声を上げること、あるいは多様なNGO組織が声を上げることも大事だと思うが、それが力になる日はいつ来るのだろうか。アメリカでは、仮にトランプがパリ協定から離脱しても、州単位で独自の温暖化対策を進める動きもあるとも言うが、圧倒的に共和党に塗り替わったアメリカ各州で、そうしたことは可能だろうか。

 一方で、「自国ファースト」の独裁者たちの論理と価値観は何なのか。国民の歓心を買うための経済政策(インフレ抑制と減税)、大国願望と軍事強国。自分の権力維持のために、民主主義的手続きを形骸化する。こうした世界政治の変化の中で、日本は1955年体制の残滓を引きずりながら、惰性の政治を続けて来た。それが、一強にあぐらをかいた国会の空洞化、裏金に見る金権政治、献金企業との癒着だった。今回の過半数割れで、その膿を出し切れるか。そして、時代の転換期に相応しい政治改革を果たして、国際的リーダーシップを発揮できるか。

◆手が届かない遠い政治情報に冷める
 この大転換期に、日本は人類的価値観を尊重する小さき国々の側に立ってリーダーシップを発揮して貰いたいところだが、玉木雄一郎の不倫問題と政局が絡むような事態に、そんな願望を抱くことも阿保らしくなってくる。少数与党時代を迎えたこれからは、日本の政治が何者かに脱皮するチャンスと肯定的に見る意見(少数与党時代の新秩序 御厨貴 11/12朝日)もあるが、私としては傍観するしかない。政党が互いに自分の利益を求めて、駆け引きに明け暮れる中から何が生まれて来るのか。混迷か脱皮か。いずれ遠い世界の出来事に思える。

 御厨が言うように、政治が国民を離れて久しい。永田町を取り巻く集団が、庶民の方を見ることは少なかった。それが、投票率の低さにも表れている。政治が国民に近くなるためには、目先の数合わせや駆け引きと言った報道に終始するメディアも脱皮しなければならないだろうが、これにも私は冷めている。テレビや新聞といった大手メディアが、ますますネットメディアに近づいている昨今。マスメディアのニュースでも既にネットで知った以上のことを知ることは少ない。ネット世界に引きずられる、このマスメディアの状況にも困惑している。

◆冷めずにいることの難しさの中で
 社会全体がネット情報に影響されながら動いていく時代。今回の選挙で玉木なども、ネットを上手く利用した口らしいが、老人にとって、ネット社会の情報の海を溺れないように泳ぐのはしんどい。いずれ手が届かない遠い世界の動向なのだから、目先の情報にとらわれることなく、別な次元でものを見て行くことは出来ないだろうか。歴史的に見れば、時代が大きく動いた江戸末期でも庶民はそれなりに時代の運命と格闘しながら歩んでいた(「小さきものの近代」渡辺京二)。今も、歴史はネット情報などとは別の次元で流れているのかも知れない。

 冷めずにいることが難しい今の時代。目先の政局報道やネット社会の情報の海とは別な次元に足場を置いて、今を見つめて行く事ができるだろうか。それがどこなのか。残り少なくなった自分の時間とも相談しながら、来年5月までと決めている「メディアの風」を、あと半年どうしていくかを考える日々である。

価値観の分断に妥協は説けるか 24.10.23

 11月5日に投票が行われるアメリカ大統領選挙。結果次第ではアメリカ国内で「内戦(シビル・ウォー)」が始まる可能性がゼロではないという懸念がささやかれている。仮にトランプが負ければ、彼を狂信的に支持している極右陰謀論者たちが各地で反乱を起こすかも知れないし、一方でトランプが勝って国内に報復的人事や独裁的政策を強行して行けば、それに対する反乱も起きうる。何しろ、トランプは過去に終身大統領を狙ったり、(大統領を監視する)FBIの弱体化を目論んだり、君主制までほのめかしたりしているトンデモ候補だからだ。

◆映画「シビル・ウォー アメリカ最後の日」
 トランプは最近でも、敵対する陣営を極左集団の「内なる敵」と呼び、軍隊(州兵)を使うとまで言い始めている。それは、従来の民主主義的価値観に足場を置く、ハリスの民主党陣営にとっては許しがたい暴挙と映るだろう。トランプの岩盤支持層には、移民の流入によって生活が脅かされるという不安と同時に、価値観の多様化によって自分たちの白人至上主義的な価値観が脅かされるという恐怖もあるだろう。その不安と恐怖は、聖書によってのみ生きる白人層(福音派)にとっても同様である。それほどに今、アメリカでの「価値観の分断」は深まっている。

 そうした分断が選挙を機に「内戦」にまで発展する可能性があるという訳だが、不気味なことに、そんな可能性を先取りした近未来映画が今、全米でヒットしている。巨費を投じて作られた「シビル・ウォー アメリカ最後の日」である。終身を狙って独裁的な政策を強行する大統領に対して19の州が反乱を起こし、うち2つの州からなる「西部軍」が首都を目指す。ワシントンでの戦闘シーンの大迫力もさることながら、アメリカ各地でアメリカ人同士が殺し合う内戦状態が恐ろしい。違う価値観を持つアメリカ人を人間とみなさずに、容赦なく撃ち殺す。

◆イスラエルのガザ侵攻開始から1年
 トランプ襲撃の時にも書いたが、現在のアメリカには2300万丁のライフル銃が出回っている。ジャーナリズムといった映画の“味付け”については詳しく書けないが、それ以上に根底にあるテーマは、「価値観の分断」がもたらす深刻さだろう。今、世界各地では価値観の分断・対立から来る戦乱が進行中だが、この分断は映画のように暴力でしか埋められないのか。例えば、この10月でイスラエルとパレスチナの間で始まってから1年が経過した戦闘である。この1年、イスラエルによる過剰とも言える攻撃でガザでは既に4万人を超える死者が出た。

 1年を機に様々なメディアが特集を組んでいるが、パレスチナ人200万人が住むガザはこの一年で壊滅的に破壊され、多くの婦女子までが殺された。1948年のイスラエル建国によって故郷を奪われたパレスチナ人にとって、イスラエルは長年の宿敵だが、一方のイスラエルもパレスチナ人を2か所(ガザとヨルダン川西岸)に閉じ込めるために、圧倒的な力を使ってきた。その強引かつ非人道的な封じ込め政策が、1年前のハマスによる奇襲を生んだのだが、その後のイスラエルの攻撃はエスカレートする一方で、これが国際社会に波紋を呼んでいる。

◆世界で高まるイスラエル批判
 先日のNスぺ「“正義”はどこに ガザ攻撃1年、先鋭化するイスラエル」(10/6)では、イスラエルはガザだけでなくパレスチナ人300万人が暮らすヨルダン川西岸でも彼らの住居を暴力的に破壊し、ユダヤ人の入植を強行している。強硬派による殺害も横行している。イスラエルは、パレスチナ人をテロリストと決めつけ、彼らへの攻撃を「テロとの戦い」にすり替えて、必要な自衛権の行使だと主張するが、そのあまりに一方的な攻撃に「過剰防衛」との批判が起きている。国際社会からも、また国連においても人道主義的観点から非難が集まっている。

 アメリカ国内や世界各地で、人道主義的な観点からイスラエル批判のデモが渦巻く一方で、国際司法裁判所はイスラエルのパレスチナ占領政策は国際法違反だと勧告意見を出し(7/19)、国連総会の一般討論演説(9/24)でも中東諸国から「ガザは世界最大の女性と子供の墓地と化した」などとの批判が。しかし、イスラエルは逆にレバノンで国連の平和維持軍を攻撃したり(10/24)、イスラエル批判を強める国連事務総長を入国禁止にしたり(10/2)と、国連を始めとする国際社会の批判に対抗する姿勢を見せている。その肩を持つのがアメリカである。

◆聖書の世界に生きる人々のイスラエル擁護
 アメリカは、パレスチナの国連加盟を審議する安保理の議案に拒否権を行使(4/18)すると同時に、イスラエルに武器を与え続けている。何故アメリカはイスラエルに肩入れするのか。一つは、人口の僅か2%のユダヤ人社会が米政界やメディアに極めて強い影響力を持っていること。豊富な資金力で議員たちへのロビー活動を行い、メディアの経営層にも食い込んでいる。もう一つは、人口の1/4を占める「福音派」と呼ばれるキリスト教右派の存在である。トランプの岩盤支持層でもある彼らは、聖書を文言通りに受け止めて生活する人々である。

 彼らは、(聖書研究の大家に言わせれば、聖書の誤読であり異端なのだが)キリストが再臨する前提として、ユダヤ人国家の成立が不可欠と信じているらしい(10/5 朝日)。そのために(別にユダヤ人に同情しているわけではないのだが)政府はイスラエルを応援すべきと主張する。一方のユダヤ人強硬派は、ガザもヨルダン川西岸もすべて我々のものだと主張する。紀元前586年に都(バビロン)が滅んで以降、世界に離散したユダヤ人たちは、イスラエルの地は聖書の時代から我らのものだという思いを抱きながら、度重なる苦難と迫害に耐えて来た。

◆かみ合わない価値観に和平を説得できるか
 それが故郷への帰還運動(シオニズム)となり、ついには(米英の支援による)建国(1948年)につながるわけだが、住んでいた土地を奪われたパレスチナ人にとっては承服しがたい暴挙だった。イスラム教のパレスチナ人の民衆蜂起が続き、互いに戦ううちに双方が先鋭化、極端化し、一方では極右原理主義者、一方ではハマスのような過激派を生んでいく。今や、イスラエルの極右はハマスを人間と認めず、ハマスもイスラエルの存在を認めない。双方が相手を殲滅するまで戦いをやめないと主張するまでになっている。そこにどんな未来があるのか。

 この1年、ガザでの悲惨な映像が世界に拡散する中で、イスラエルの過剰とも言える暴力に対して世界で抗議の声が起きているわけだが、人道主義や国際法をもって抗議する国際社会の価値観は、紀元前数千年からの歴史を心の支えとするユダヤ人の価値観と、位相が全く違っていてかみ合わない。アメリカによる停戦勧告に対しても、国内極右に乗って保身を図るネタニヤフ首相は耳を貸さない。こうした価値観の深刻な分断に対して、(特集記事での)内外の識者は粘り強い対話と信頼の構築、そして和解を説くが、殆ど空しく響くばかりだ。

◆妥協と共存の新たな知恵はどこに?
 傍観者であってはいけないと説く人もいるが、どうなのだろうか。私などは、今のイスラエルがパレスチナに対してやっている理不尽な仕打ちは、何十年、何百年後には、ブーメランのようにユダヤ人自身に戻って来るということを、過去に同様の仕打ちを受けて来た彼らは、何故理解しないのだろうと不思議に思う。異民族に対する差別と支配は、人類のDNAに組み込まれていると思わざるを得ないが、一方で、無益な殺し合いを避けるためには、妥協と共存に踏み出すしかないことは歴史の教訓の筈である。その歴史の教訓を価値観の分断が阻んでいる。

 アメリカ国内でも、イスラエルとパレスチナの間でも、ロシアとウクライナの間でも、そして今や日本の中でも価値観の分断が、民主主義や平和主義、人道主義と言った戦後世界の価値観を脅かす勢いである。これにどう対処していくのか。人類の原初的なDNAを乗り超える、妥協と共存の新たな知恵を探さなければならない。

石破が高市を抑えた意味とは 24.9.30

 9月27日、自民党の総裁に石破茂が選ばれた。午後の一般党員、党友を交えた1回目投票で1位だったのは高市早苗の181票、2位の石破茂は154票だった。所詮、自分の手が出せないコップの中の政争でもあり、連日のメディアジャック的な報道や、政治評論家や政治記者の御託に嫌気がさして、結果だけを知ればいいやと思っていたが、これでいよいよ高市が首相になるのかと思いつつ、決選投票前の両者の演説を聞いたところで、ウォーキングに出かけてしまった。決選投票になったら、麻生は高市を応援すると言った情報も流れていたからである。

◆もし高市が勝っていれば
 歩きながら、もし超右派と言われる高市が首相になったら、日本はどうなるのかと考えていた。何しろ安倍を救世主のように応援していた右翼団体「日本会議」なども、大会を開いて「靖国参拝が出来る首相を誕生させよう!」などと気勢をあげ、盛大なネット戦略を展開していた。高市は再び安倍の時のように戦前回帰的な価値観をもった右翼団体に取り巻かれ、「日本を取り戻す」といった国家主義的な政治に突き進むのだろうか。高市の日頃の言動からすると、それはより急進的なものになって行くに違いない。極東にも緊張が高まって行くだろう。

 そんなことを思って、少し憂鬱になりながら自宅に戻ってみるとカミさんが「石破さんが勝ったよ」と言う。一瞬、狐につままれたような感じだったが、何が起きたのだろうか。一回目の国会議員票では72票対46票と大差を付けられていた石破だったが、決選投票の国会議員票では石破が215票、高市が194票と逆転した。総選挙が迫る中で、あの(ちょっとエキセントリックでキモイ)高市では選挙の顔としてどうかと言う(当然過ぎる)心理が各議員に働いたのか。あるいは、キングメーカーを気取る麻生、岸田、菅の暗闘が票の行方を決めたのか。

◆自民党に流れるハト派とタカ派の2つの流れ
 いずれにしても、今回の総裁選では、今の日本にとって誰がより首相に相応しいかと言った議論や選択肢は情けないほど少なかった。内輪の権力闘争に没頭した派閥の長や国会議員が人数計算や駆け引きに明け暮れたからである。メディアも同様だった。しかし、石破対高市に決着がついた結果を俯瞰してみると、今回の総裁選は一つの明確な転換だったことが見えて来るようにも思う。それは自民党に流れる大きな2つの路線の中での、一つの路線から別な路線へのシフト、つまりは自民党内の疑似政権交代として見ることが出来るかも知れない。

 以前のコラム安倍政治への新たな対抗軸」(18.10.24)に書いたように、しばらく前までの自民党には、タカ派とハト派の2つの流れがあった。タカ派とは、安倍の祖父の岸信介を源流とする「自民党本流」であり、ハト派とは、かつての石橋湛山や鳩山一郎などが率いた「保守本流」である(田中秀征「自民党本流と保守本流」)。タカ派は、岸信介の「先の戦争をやむを得なかったとする歴史認識、満州への進出を是とし、日本をアジアの盟主とする大東亜共栄圏の正当化、従って戦争を放棄する現行憲法の否定」などを受け継ぎながら安倍派につながった。

◆強硬タカ派への懸念が逆バネに
 しかし、今回の裏金問題で安倍派はかつての影響力を一気に失い、その真空状態の中で、高市が「自民党本流」の思想的継承を訴えて出馬したわけである。一方のハト派(「保守本流」)は、「先の大戦までの国策を誤りとして反省する歴史観、従って現行の非戦憲法の尊重、言論の自由に対する格別の配慮、拡大主義や大国主義をとらない考え方」(同書)などを特徴とし、解散した岸田派(かつての旧宏池会)につながる。その意味で、岸田は「保守本流」の政治を目指すかと思われたのだが、結果は真逆で、政権維持のためにタカ派の御用聞きに陥った。

 というわけで、今回の総裁選で一つはっきりしたのは、思想的にタカ派の「自民党本流」に近い高市が、その継承を掲げて立候補し、あわや首相になるかと思われた時点で辛うじて逆バネが効いたということである。それは、首相の高市が靖国神社を参拝する場合の中韓(同時に米国も)の強硬な反発への懸念、あるいは、(選挙で野党の攻めどころ満載の)裏金議員や問題議員を推薦人にしたうさん臭さなどが効いたと言われる。安倍以上に露骨でファナティックな高市のタカ派的姿勢が土壇場で嫌気され、消去法で石破を首相に押し上げたとも言える。

◆では、石破はハト派(保守本流)なのか?
 決選投票で、その消去法に参加した国会議員票は、石破で143票の上積み。一方で高市は101票だった。それが都道府県票を含めて21票の差につながった。これで強硬右派の高市が消えたとして、では、肝心の石破はいわゆるハト派(保守本流)なのか。ネットで彼の経歴を調べてみても、自民党や派閥を出たり入ったりで、経歴は複雑だ。保守本流の派閥に属していたこともあるが、安全保障政策で憲法改正やアジア版NATO(実質的な中・露・北朝鮮包囲網)、米軍との一体化などを唱えている一方で、歴史認識の面では保守本流にかなり近い。

 経済政策ではアベノミクスの清算、金融所得への課税強化(そのせいで株は下落しているが)などで、中間層への配慮が見える。選択的夫婦別姓、移民問題などに関しても柔軟で、ざっくり言えば石破は独特の安全保障政策を除けば、保守本流の流れに位置する。旧宏池会の岸田が高市ではなく石破についたのも、あながち権力闘争だけではない気がする。かねて石破は、自民党内の方ばかり向いている今の政治に苦言を呈し、「国民に寄り添う政治」を言ってきた。その意味でもこれまでの路線とは一線を画すつもりだろうが、果たしてこれを貫けるか。

◆虎視眈々と次を狙うアンチ石破派
 最近の情報では、首相になった石破は国会を早期に閉じて解散、10月27日の投開票を決めたと言う。当初は「国会で十分議論した後に信を問う」としていたのに、ぶれる姿勢に野党は早速「裏金隠し解散だ」とかみついている。中道保守を打ち出した立憲の野田代表などにとって、高市だったら、裏金議員の扱いやタカ派的姿勢を突いて闘い易かったかも知れない。しかし、違いが曖昧で攻めにくい石破になって困っていたら、その石破も岸田のように党内事情(幹事長)に気遣って姿勢がぶれ始めつつあるとしたらどうなるか。野党は勢いづいている。

 一つ違うのは、今は麻生派以外に派閥がないこと。自民党本流の安倍派は派閥としては存在しない。しかし、非主流になったアンチ石破勢力(麻生、茂木)は、党内を2分する形で残っている。彼らは石破たち主流派(菅、岸田)の失敗を虎視眈々と狙っている。石破にとっては、前門の中道保守を掲げる野田立憲、後門の党内非主流派のタカ派に挟まれて、難しい政治運営が問われていく。路線的には中道保守を核としながら、リベラル保守の声にも耳を傾ける政治形態(前掲コラム)を望む私としては、石破政治の命運に人並みに関心を持たざるを得ない。

◆石破の命脈を占う総選挙が近づく
 「自民党本流と保守本流」の田中秀征は自民党内の2つの路線は、冷戦時代の産物なのだから、本来は一緒にいなくてもいい筈だと言う。2つの路線は別れた方がいいのだが、安倍政治の8年でタカ派(自民党本流)が人数的にも膨れ上がっているのが、今の自民党である。次の選挙で(杉田水脈のような)安倍チルドレンとも言われる議員たちが、どの程度減るのか。絶対多数にあぐらをかいて、何でもありを続けて来た腐敗的な土壌が、どれだけ浄化されるのか。それが問われるという意味では、当然今の自民党は選挙の洗礼を受けなければならない。

 自民党の古い体質を変え、2つの路線の力関係を変えるには、私的には、自民内のタカ派が数を減らす。そして中道保守や弱者に寄り添う野党が増えて、与野党との間に緊張をもたらすべきと思うが、そううまく行くか。また、どこまでの自民減なら石破が持ちこたえるのか。これもまた、悩ましい政治の現実ではある。

2024年、原発を巡る風景 24.9.17

 20年目に入った「メディアの風」だが、相変わらず毎朝、新聞2紙に目を通し、気になる記事に印をつけ、前日の分を切り抜いて熟読し、溜まったところでテーマ別にファイル化する作業を続けている。新聞以外にも様々な情報源はあるけれど、何と言ってもこれがベースになる。以前は、ファイル化のテーマも多岐にわたっていたが、現在では35程度に減っている。その中でも、「原発問題」はメインの一つ。現役時代からの長いお付き合いのテーマになる。日々の情報更新が主だが、時々せき止めてみないとこの問題が置かれた状況を見失いかねない。

 そういうわけで、今年の年明けからの原発情報をせき止めてみたい。ロシアのウクライナ侵攻を口実に、岸田首相が唐突に「原発の最大限活用」を打ち出してから1年半余り。今の自民党総裁選でも、各候補はエネルギーの安全保障と絡めて主張を展開しているが、彼らは原発問題の現実を直視しているのだろうか。相変わらず出口のない原発に固執する政治家、官僚、業界。やっているふりだけで時間を空費しつつ、根本的なところに手を付けない。その結果遅れるエネルギー転換。そして国民にカネを負担させ続ける無責任の風景が浮かび上がって来る。

◆活断層大国の日本と原発は相いれるのか
 まず、1月1日の能登半島地震である。この時、震源地の南に位置する志賀原発は停止中の2号機の外部電源を受ける変圧器から2万リットルの油が漏れるなど、様々なトラブルが発生した。複雑な隆起を繰り返して来た能登半島には、数々の断層が見つかっている。志賀原発の真下にも幾つかの断層が走っていて、過去に活断層かどうかが議論になった。今回の地震で、想定外に拡大した震源域を考えた時に、その議論は正しかったのか、見直しが求められている。加えて、今回のように、道路が寸断された時に事故が起きたら、どう避難するのかである。

 避難計画は自治体の責任で、規制委員会の担当ではないというが、現在はどこも具体的な計画を持っていない。家屋が倒壊し、道路も寸断した半島で住民は逃げきれるのか。同じ断層の問題では8月、規制委員会が敦賀原発2号機(写真右)について、原子炉直下の断層が活断層であることが否定できないとして、不許可にした。科学的な反論も出来ぬまま抵抗して来た日本原電は、なおも廃炉にはしないと言い張るが、無責任極まる。廃炉にさえしなければ日本原電は存続し、電力各会社がカネを払い続ける仕組みだからで、それは結局、電気料金に上乗せされる。

◆果てしなき廃炉作業と東電
 発電の実体がない会社に基本料金として払い続ける電力大手5社も問題で、業界相互のもたれ合いが続いている。その電力会社の一つ、東京電力は、23.4兆円にも膨らんだ福島第一の事故処理費用を生み出すために、新潟県の柏崎刈羽原発を再稼働したいと言い続けて来たが、大手電力とも思えない不祥事の連続で規制委員会から厳しく経営姿勢が問われている。その東電は8月、福島の2号機から解け落ちた核燃料デブリを取り出そうと試みたが、これも初歩的なミスで中断。しかも取り出せるのは、880トンのうち僅かに3グラムに過ぎない。

 福島の廃炉作業の完了はあまりに遠く、先が見えない。このままでは100年経っても終わらないとする見方(「廃炉という幻想」)もある中で、880トンのデブリ全部を取り出せるのか。取り出したとして、どこにデブリを保管するのかも、決まっていない。また、いわゆる処理水の放出も8月24日でまる1年が経過した。中国の海産物禁輸はまだ続いているが、漁業者に対する賠償交渉は難航しているという。廃炉が完了しない限り汚染水は出続け、処理水の放出も続いていく。処理した際に出る、高濃度に汚染されたフィルター類も大量に溜まって行く。

◆「最大限活用」の無理筋と政府の悪あがき
 福島では、この状況が世代を超えて続いていくわけで、既にマンパワーから言っても福島だけで手一杯の状況である。仮にもう一つでも事故が起きたら、大小にかかわらず日本はお手上げだということを、「最大限活用」論者たちは認識しているのだろうか。こうした中、何としても原発再稼働に持って行きたい政府は、時間稼ぎの対策に乗り出している。現在、日本の原発敷地内に溜まっている使用済み核燃料は、6月現在で1万6770トン。各原発敷地内の核燃料プールに置かれているが、既に8割方が埋まっていて、再稼働すればすぐに満杯になるからだ。

 本来は、これらを六ケ所村(青森県)の再処理工場(写真)に運んでプルトニウムを取り出し、高速増殖炉「もんじゅ」で再び燃料にする計画(核燃料サイクル)だった。しかし、「もんじゅ」は廃炉に追い込まれ、再処理工場は30年経っても完成しない。そこで電力各社は、「乾式貯蔵施設」という中間貯蔵施設を原発敷地内ほかに作って時間稼ぎをしようとしている。そこで50年保管して、再処理に回す計画と言うが、核燃料サイクルはとっくに破綻している。仮に、再処理工場が完成したとしても、そこから出る高レベルの廃棄物をどこで保管するかも決まっていない。

◆トイレなきマンションの夢物語
 再処理で出る高レベル廃棄物をどうするかは、日本では「原子力発電環境整備機構」を作って処分地を選定しようとしているが、金に釣られて調査に手を挙げた自治体は2か所のみ。それも最終的に受け入れるかどうかは全くの未定。何より活断層の上にある日本で適地があるかどうかさえ分からない。世界で先行するフィンランドの最終処分場「オンカロ」(写真左)は、既に40年前から準備を重ね、住民との合意を取り付けて来た。そこで10万年保管する。これは殆ど人類がいるかどうかも分からない未来までの話で、地震国日本では殆ど夢物語である。

 日本では、「核燃料サイクル」が破綻する中で、特に青森県に新設される中間貯蔵施設が約束の50年を超えて最終処分場になるのではないかという疑心暗鬼も生まれている。こうして様々な局面でその場しのぎの時間稼ぎでお茶を濁しながら、税金や電力料金をつぎ込む原発関連事業が新規に生まれたり継続したりしていく。原発の抱える本質的な問題にふたをして、傷口に絆創膏を張り重ねるような原発政策によって、利益共有集団の「原子力ムラ」が生き延びる構図が続いていく。それが国民の余計な負担を生み、原発リスクの継続につながって行く。

◆「最大限活用」を言う人々の巨大な虚構
 福島第一原発事故の後、建設後40年を超えた原発を運転することは「極めて例外的」とされて来た。しかし、「最大限活用」を打ち出した岸田政権は、運転開始後40を超えた原発も延命させるとし、今年5月には、規制委員会もそれを認めた。その結果、福井県では40年超の5基(関電高浜)が認可され、政府のエネルギー計画に少しでも近づけるためには、老朽原発の再稼働に頼らざるを得ない実態が浮き彫りになった。さらに政府は、運転停止期間を除外する方式で60年を超えた老朽原発も稼働させることや、敷地内での建て替え(リプレース)まで目論む。

 現行の「エネルギー基本計画」(21年)の電源構成では、30年時点で原発の割合を20〜22%に据え置いたが、現実はたった5.6%(22年)。かつて54基あった原発も24基の廃炉が決まり、再稼働しているのは12基に過ぎない。電力会社は福島事故後、6兆円を超える安全対策費を投入して来たが、再稼働は一向に進んでいない。既に既存の原発を再稼働する場合でも経済性は揺らいでおり、まして新規に建て替える原発は自然エネルギーとの競争力はなくなっている。それでも、「最大限活用」を言う人々は、どのような虚構に住んでいるのだろうか。

◆岸田の「原発の最大限活用」でまた遅れる?
 原発にこだわる政治家が主に言うのは、「エネルギーの安全保障」である。それは、ウクライナ戦争による原油の高騰、あるいは大電力を食うAI(人工知能)のデータセンターの国内誘致のため、そして原発がCO2を出さないエネルギーであることなどである。特に岸田政権は去年5月に「GX脱炭素電源法」を成立させて、エネルギーの安定供給と脱炭素につながる原発の最大限活用を打ち出した。原発の運転期間のルールを新規に定めて、運転延長を可能にする法案であり、原発の新規建て替えも打ち出した。原油価格高騰を理由にした唐突な変更だった。*)GX:グリーン・トランスフォーメーション

 この法案の決定には経産省出の首相秘書官が裏で動いたというが(朝日記事9/7)、これまで「原発依存度を可能な限り低減する」として来た「エネルギー基本計画」との整合性をどうとるのか。表向きは2050年のカーボンニュートラル(脱炭素)に向けての政策というが、原発活用によって自然エネルギーの普及が遅れないかと心配されている。そうでなくても、日本は自然エネでは相当に遅れている。計画では控えめに2030年までに36〜38%を賄うとしているが、現在は22%に過ぎない。自然エネの発電量で世界を圧倒する中国、また欧米先進国に比べても影が薄い。

◆方向転換が出来ない日本のリーダー
 計算してみると世界最大の自然エネ国の中国は、自然エネだけで日本の総電力需要の14倍もの電力を自然エネで生み出している。巨大水力ダムも含むから一概に言えないが、太陽光も圧倒的だから、努力させすれば日本も自然エネで十分行ける筈だ。自然エネルギーの理論的構築をしている「自然エネルギー財団によれば、日本も2035年に80%を自然エネで十分賄え、さらに100%も夢ではないと言う。つまり、資金をそちらに向けて本腰を入れれば、再生可能エネルギーで電力は賄えるし、原発のリスクも可能な限り低減できるということである。

 今回、9人が立候補した自民党総裁選。以前は再生可能エネルギーが最優先として脱原発が持論だった河野太郎も小泉進次郎も、今回は「(原発の)リプレースも選択肢としてはあると思う」、「原子力も含めてあらゆる電源(の活用)を考えていく」と変わり、他の候補者も原発の最大限活用と同じ主張である。その中で石破茂の、3.11の福島事故の深刻さを言いながら「原発はゼロに近づけていく努力は最大限にする」という姿勢が、特に目立った感じである。一方で、同時に代表選を戦う立憲候補の4人は「原発に依存しない日本を作る」という立場だ。

 第7次の「エネルギー基本計画」(24年)は現在、年度内の見直しに向けて議論が始まっている。仮に、石破以外の首相が誕生すれば、「原発依存度を可能な限り提言する」という文言は消されていくだろう。小林鷹之などは、さっそく年内に書き換えると言っているが、日本は、3.11原発事故の反省を棚に上げて「原発の最大限活用」に確実に舵を切るのか。地震国での事故発生のリスクや行き場のない放射性廃棄物、そして廃炉の負担を未来世代にまで担わせていく原発リスク。次の「エネルギー基本計画」(24年)の文言が焦点になりそうな日本の風景である。

AIはどうみる?自民党総裁選 24.9.3

時あたかも終戦記念日の前日(8/14)に、岸田が突然に次期総裁選に出ないと言ってから半月あまり。この数日こそ、台風10号のニュースに押されはしたが、自民党もメディアも蜂の巣をつついたように、総裁選のニュースでもちきりだった。一方で新聞は、首相在任3年間の評価について様々な特集を組んだ。大まかに言えば、政権発足時に掲げた「新しい資本主義」が腰砕けになったのを始めとして、彼が首相として何がやりたかったのか最後まで見えなかった、といのが大方の評価である。一方では、首相に居座るための案件にはことのほか執着した。

 専守防衛を空洞化させる敵基地攻撃能力の保有や、防衛関連予算の倍増を盛り込んだ安保3文書の改訂、官僚の意を汲んだ原発の最大限利用などなど。「聞く力」とは裏腹に、国民的議論のないまま、国の根本にかかわる重要政策を平然と進めたのは、アメリカや党内右派、官僚の意向に応えることによって、弱小派閥の自分を守るためだった。麻生などは一時期、「安倍晋三が必死にやろうとしてできなかったことが、岸田になったら全部できている」と持ち上げたが、最後には憲法改正まで持ち出して、自分の延命に利用しようとする姑息さだった。

◆総裁戦について生成AIに質問する
 党内情勢ばかりを気にして、国民の方を向くことがなかった岸田の評価はこのくらいにして、岸田によって空費された3年間を取り戻すために、日本は次のリーダーとして誰を選ぶべきなのか。政治記者の下馬評は別として、試みに生成AI(GPT4)に日本のリーダーの必要条件を幾つかの質問にしてみた。例えば、課題大国とも言われる今の日本で、首相が掲げるべき国家ビジョンは何か。莫大な借金を減らしていくための具体的政策とは何か。一国のリーダーが備えるべき資質、条件とはどんなものか。また、どのようなブレーンを集めるべきか。

 さらに、いま候補に挙がっている一人一人の評価(強みと課題)を聞き、総合評価として誰が最もふさわしいと思うかを聞いた。最後に、一国のリーダーを選ぶに等しい総裁選の報道に於いて、メディアの役割はどうあるべきかについても聞いてみた。AIは質問(プロンプト)が大事になる。出来るだけ答えが明確になるように具体的に質問し、時には「あなたが首相だとして」というような条件を付けることも効果的。質問を書き入れるとほぼ同時にAIは答えを返して来るが、こうした質問で30頁にもなる答えが20分もかからずに出来上がった。

◆課題大国の日本が掲げるべき国家ビジョンは?
 AIの答えは、無難でまっとう過ぎるところもあるが、正論と言えば正論なのでそこを踏まえた上で書いておく。最初に、日本が少子高齢化や国の借金、経済の衰退など様々な課題を抱えた「課題大国」であることを伝えた上で、日本のリーダーとして、どのような国家ビジョンを掲げるべきかについて、AIの答えである。@「持続可能な経済成長と財政再建」日本の強みである技術革新と教育を活かし、デジタル経済、グリーンエネルギー、バイオテクノロジーなどの新たな産業分野を育成し起業を支援する。また周到な計画(*)で国家財政の健全化を図る。*)AIは財政再建の詳細なプロセスも答えて来たが長くなるので省く

 A「環境保護とエネルギー転換」脱炭素を重視し、炭素税の導入と再生可能エネルギーへの転換を推進。B「若い世代が未来に希望を持てる社会」教育の充実、キャリア支援を強化、社会全体で若者を支える仕組みを構築し、地域社会と連携して若者の居場所を作る。C「少子高齢化への対策」。D「平和外交と安全保障」平和的な外交政策によって隣国との信頼関係を深める。自国の防衛力を強化しつつ、国際協力を通じて地域の安定化を図る。E「社会的包摂と多様性の尊重」女性の社会進出を支援し、賃金格差を解消。多様な人々の社会参加を支援する。

◆首相の資質とブレーンの資質、条件
 次に聞いたのは、上記のようなビジョンを遂行していくための「国のリーダーとしての資質、条件」についてである。これは沢山挙げて来た。まずは、「明確なビジョンと戦略的思考」。未来を見通し、政策を計画的に進める意志と能力が必要になる。「リーダーシップと決断力」。「倫理観と誠実さ」。「コミュニケーション能力」。国民との対話を重視し、分かりやすく伝える説明力や対話力のことである。「共感力と包容力」国民の声に耳を傾け、異なる価値観を尊重する。もちろん、自分がこれと思う改革を困難な状況でも貫く「信念の強さ」も大事。

 この他にも、AIは「歴史感覚」、「ビジネスセンスと経済への理解」、「国際感覚と外交力」、「危機管理能力」なども挙げたが、これからみると岸田は首相として適格だったかどうか。また、岸田は案外孤立していて、周りに参謀やブレーンがいなかったとも言われるが、首相を支えるブレーンの条件についても聞いてみた。答えは「多様な専門知識を持つ集団」、「戦略的な政策立案能力」、「首相に信頼され、簡潔かつ分かりやすく伝える能力」、「政治的調整力」、「国際的視野と人脈の豊かさ」などだが、こういう人材にも恵まれなかった岸田の不幸でもある。

◆日本のリーダーに最もふさわしいのは?
 このように見て来ると、今日本には、こうした条件に適う政治家やブレーン集団は果たしているのだろうかと思わされるが、では、いま総裁選に手を上げようとしている面々をAIの基準をもとに品定めをしたらどうなるだろうか。AIに質問してみると、河野太郎、茂木敏允、小泉進次郎、上川陽子、高市早苗、石破茂、林芳正のそれぞれ強みと課題を挙げて来た。例えば、国民的には人気の高い石破茂については、安全保障の専門性や地方重視などの強みの一方で、党内の支持基盤や過去の対立などに課題があると答え、かなり学習しているのが伺える。

 小泉進次郎についても、改革志向がありカリスマ性もあるが、経験不足(特に外交、経済政策)や信念の一貫性が不十分との指摘も。その他の面々も一長一短あるので、これらをすべて総合的に評価して、現時点で誰が今の日本のリーダーに最もふさわしいかを聞いてみた。そうすると、意外なことにAIがあげて来たのは林芳正だった。「外交や国際関係に確かな実績をもち、知的なリーダーシップを発揮できる。国内での支持を強化し、内政においてもリーダーシップを発揮できるなら総合的に非常に適任」という。彼を石破や小泉が支えるかどうかだとも。

◆メディアは総裁選に機能できるか
 別段、誘導したわけでもないので、これはこれで一つの答えとしてみておきたい。しかし、この先の総裁選はドロドロした利害関係、暗闘の中で決まって行く。誰も国民の方を見ない、金まみれの古い体質のままの耐用年数が過ぎた自民党がそこにある。メディアもこれからは、この争いに巻きこまれていく。連日、ボスたちの駆け引きなど、底の浅い政局中心の解説に終始して行くだろう。この時、メディアはどんな役割を果たすべきなのか。AIにも聞いたが当たり前の答えしか出してこないので、メディア自身がテーマを用意して候補者に問うべきかを聞いた。

 AIの答えは「メディアが国家ビジョンや政策に必要なアジェンダを専門家と共に作成し、そのアジェンダに基づいて候補者に質問し、その回答を評価するという役割は、非常に重要で効果的な方法です」。大統領討論会にメディアが質問項目を用意するアメリカ(CNNやNBC)や、事前に設定したアジェンダで専門家と共に候補者の評価をするイギリス(BBC)の例などを挙げて来た。日本も、予め専門家との共同で国家ビジョンや政策に関するテーマ(アジェンダ)を設定し、独自の評価をするくらいの能動的な機能を発揮してみたらどうかと思う。

 今回の裏金問題の処理に見るように、今の永田町はその場しのぎ。党内の力学ばかりに右往左往して、誰も真剣に国民の声に耳を傾けず、誰も声を上げなかった。そんな自民党にいた人々が、ここぞとばかりに手をあげて、自分こそリーダーに相応しいと言い始めている。それに騙されて、自民党は変わった、刷新されたと国民が思うかどうか。総裁選、首相の選出、総選挙と動いていく日本である。