日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

静かなる有事の国家ビジョン 24.4.10

 自民党が裏金問題で混乱に陥っている。首相を始めとして、皆が次の選挙をにらんで、どう動けば有利なのかを計算し、見え透いたパフォーマンスにうつつをぬかしている。誰がいつ違法な不記載の裏金を始めたのか。あるいは、裏金を何に使ったのかも明らかにせず、まして、雑収入とみなして課税すべきについても皆が口を閉ざして幕引きを図ろうとしているが、国民の怒りは収まりそうもない。与党はもちろん野党も総選挙がちらついて、今回の不祥事をきっかけにして「政治とカネ」にメスを入れ、それを完全透明化する抜本的な改革をしようとしない。

◆『半昏睡状態』に陥っている日本の政治
 具体的にどうするか誰も声を上げないし、誰も動こうとしない。この状況を「与党も野党も、政界そのものが『半昏睡状態』に陥っているようです」と厳しく指摘するのは、日本政治の専門家、米コロンビア大学のジェラルド・カーティス名誉教授である(朝日インタビュー4/2)。彼は、「コロナ禍で3年間、日本を離れましたが、日本に戻ると、政治家も評論家も3年前と同じ議論をしていてがっかりしました。世界はものすごく早いスピードで変わっているし、日本も大胆に変わらなければ手遅れになってしまいます」と憂慮する。

 「日本の変化はペースが遅すぎて、世界とのギャップが広がるばかり」という教授はその原因として、小選挙区制の欠陥、信念を持った強いリーダーの不在、そして政治を変える有権者の行動などを指摘し、「裏金問題への国民の怒りが、本当に日本の政治を透明化させる力になるか。いずれ(怒りの)マグマが噴出してポピュリズムに席巻される恐れもある」とも言う。1頁にわたる記事の内容には全面的に同感だが、日本に時限爆弾的な危機が幾つも迫っている今、本当に首相も自民党の古株たちも、この政治劣化の深刻さを自覚しているのだろうか。

◆日本の足元に迫る「静かなる有事」
 時限爆弾的な危機は幾つもあるが、その一つが日本の足元に迫る「静かなる有事」とも言われる人口減少である。2023年の出生数は過去最少の75.8万人。これは、第一次ベビーブーム(1947年〜49年)の27%、第二次ベビーブーム(1971年〜74年)の38%に過ぎない。この調子で行くと、32年後には人口が1億を切り、46年後には8700万人になる。この少子化による人口減少は、日本社会の多方面に深刻な影響を及ぼす。しかも「どこかで止まる展望を持てない限り、いつまでも続く静かな危機だけに深刻である」という(政治学者、宇野重規)。

 1年間に和歌山県の人口に相当する80万人超が減って行く。既に介護現場や運送業界などでの人手不足が深刻になっているが、各地で、生徒の数が減ることによる学校の統廃合、地域コミュニティーの崩壊も進む。何より、人口減少は消費規模を縮小させ、生産力を低下させる。経済規模が縮小すれば、日本の国際的な地位も低下せざるを得ない。その一方で、高齢者の割合は増えて行くので、年金や社会保障、医療保険などの負担が増え、制度そのものが揺らぎ始める。じわじわと進行するこれらの影響全体が「静かなる有事」と言われる所以である。

◆「戦略的に縮む」社会に変革せよ
 この「静かなる有事」に、日本はどのように対処していくべきなのか。岸田政権が明確な財源の説明もないまま、子供を持つ家庭への支援を増やすとした異次元の少子化対策「こども・子育て支援金」については、的外れと言う指摘も多い。単に子育て家庭への支援だけでなく、社会全体を若い世代が将来に希望を持てる構造に作り替え、生まれて来る子供たちが安心して生活できる国造りをしていく必要があるのだが、その点に関する議論が十分されているとは思えない。切りためて来た記事のファイルの中から幾つかの意見を紹介しておきたい。

 一つは、河合雅司(人口減少総合研究所理事長)の意見である。河合は、岸田首相は「子育て支援」と「少子化対策」とを混同していると厳しく指摘する。人口減少の衝撃波をやり過ごし、「小さくても豊かな日本」に如何にソフトランディングするか。高齢者を支える若年層が疲弊する時代を目の前にして、日本を「戦略的に縮む社会に変革せよ」と主張する(23.1.13毎日)。そのためには、「捨てるものは捨て、残すものをよりよくする」。つまり、居住地を集約して医療や商店のサービスが維持できる10万人規模の拠点都市に再編成するべきと言う。

◆必要な「縮む日本の国家ビジョン」
 毎日の「オピニオン」は、将来人口8000万人を視野に「縮む先の豊かさを探る時」を書いている(木村均論説委員23.8.3)。人口減少時代に問われているのは、人口増加を前提に大量生産・大量消費のシステムを築いた戦後日本の歩みそのものである。従って記事は、GDP600兆円を目指して景気刺激の大型予算を組み、巨額の借金を積み上げたアベノミクスの反省を踏まえて、規模ではなく生活の質を高める成熟した国を目指すべきと書く。このように、人口減少時代に問われているのは、単に子育て支援だけではなく、包括的な社会変革なのである。

 若い世代が夢を持てる社会、社会全体で子育てを支援する社会。そして、小さくとも成熟した豊かさが感じられる社会。そのための社会機能のコンパクト化。そうした包括的な社会変革を促すために必要なものは何か。それが、「縮む日本の国家ビジョン」ではないか。若者の減少と人口8000万の超高齢化社会の到来に向けて、一つ一つの政策を個別に議論しているだけでは、この「静かなる有事」の衝撃波は乗り切れない。その時、日本はどんな国を目指すのか。国民の間に共通の価値観とビジョンがなければ、その衝撃波の痛みに耐えられないからだ。

◆生成AIに「新たな国家ビジョン」を聞いてみる
 ただし、個々の問題提起はあるものの、その時の国家ビジョンがどのようなものであるべきかについては、あまり提言が見当たらない。「戦略的に縮む」、「縮む先の豊さ」と言ったキーワードはあるが、共通する価値観や未来社会に向けての課題を網羅する提言がない。そこで試みに、私が時々その力量を試している人工知能、生成AIに「縮む日本の新たな国家ビジョン」について質問してみた。生成AIには、うまく質問(指示)することがカギになるが、将来8000万人になる人口減少の日本にソフトランディングして行くための国家ビジョンについてである。

 AIは、新たな国家ビジョンのタイトルを「次世代への架け橋」としたうえで、「縮小する日本に向けた持続可能で豊かな国を築くための提案」をたちどころに答えて来た。各項目に説明付きだが、@高度な福祉国家、A技術革新と環境持続可能性、B地方創生と地域活性化、C国際協力とグローバル貢献、D教育と人材育成の革新、E多様性と包括性などをあげ、「これからの日本は、変化をチャンスと捉え、新たな国家像を創り上げて行く必要があります」と、まともな答えを返して来た。さらには、その時目指すべき「豊かさの指標」などについても質問する。

◆若い人たちが声を上げる社会を
 続いて私は、「日本を老人中心から、若者へと手渡していくための政策」、「そのために政党が備えるべき性格」、「軍事大国ではない形での国際的な位置づけ」、「財政赤字をどうすべきか」などについても質問。政党が備えるべき性格については、革新性、多様性の尊重、若者の声の尊重、持続可能な発展の追求、国際協力の強化などを挙げた。もちろん、AIの優等生的な答えには物足りなさも感じるが、各項目についてさらに適切な質問を重ねて行けば、かなりの分量の「縮む日本の新たな国家ビジョン」の叩き台が出来上がるのではないかとも思う。

 AIの答えはともかくとして、静かなる有事が迫る日本では、冒頭に書いたように老人たちの支配する政治が「半昏睡状態」に陥っている状況である。今は、この状況を打破するために、若い人たちがAIでもデジタルでも何でも使いこなしながら、声を上げて行くしかない。その若い力を応援する社会でありたいと思う。

言葉のリアルが消えゆく時代 24.3.21

 第二次大戦終結から79年が経過しようとしている今年、2年前に始まったロシアによるウクライナ侵略やイスラエルとハマスの戦いなど悲惨な戦争に加えて、米中の暗闘、グローバルサウスの台頭による世界の多極化、あるいは北朝鮮や台湾、中東を巡る緊張など、世界には不穏な空気が色濃く漂っている。加えて人類の愚かな争いごとを尻目に、地球温暖化は今年も猛威を振るいそうな勢いである。そんな不穏な時代の転換点に日本はというと、去年からの「政治とカネ」の問題を巡って空疎な言葉が国会を飛び交い、課題山積の政治が機能不全に陥っている。

◆時代の転換点をリアルに見ていた2人
 時代の転換点と言えば、開国を巡って幕府の機能不全が露わになり、時代が風雲急を告げていた160年前の江戸末期も同じだった。それでも江戸は太平に酔っていた。幕末、オランダ医学の桂川家に生まれた今泉みねの思い出語り「名ごりの夢」によれば、吉田松陰が黒船に乗り込もうとする前、人々が向島で花見に浮かれているさまを見て嘆いたとある。開国だの維新だのと生半可のこと(同書)を思うより、花や船に心の苦しさをまぎらわそうという気持ちがあったのだろう。反対に、幕末の時代を動かした人物は迫りくる現実を冷徹に見抜いていた。 

 その人物とは、司馬遼太郎によればたった2人しかいなかったという(「歴史を動かす力」)。勝海舟と吉田松陰である。来るべき時代を見通し、(幕府や藩のためではなく)日本のために動いた人物である。咸臨丸でアメリカに渡航した勝海舟は、身分に囚われないアメリカの政体を鋭く観察し、これからの日本のあり方を思い定めた。それが、幕府から明治への転換につながる。一方、吉田松陰も時代の転換点にあって、世界の中の日本という国体を模索し、弟子たちを育てた。この2人に共通するのが、現実を見抜く目と、それを伝えるリアルな言葉だった。

◆リアリズム志向と対極にある今の政治家
 司馬との対談の中で、芳賀徹(歴史家)は、勝海舟がアメリカに行った時の日記について「実に見方がしっかりしている」、「個々のものにも即しているし、全体の枠組みも良くつかまえている」と言う。しかもインテリジェンスは著しく高く、鋭い。その目覚めた勝が伝達者になって坂本竜馬などを指導し、時代を回転させた。一方の吉田松陰は幕末における最大の文章家だった(橋川文三、政治学者)。地方を行脚しながら、ジャーナリストも及ばぬ目と文章で書き残した。時代を動かした2人に共通するのが、現実を直視するリアリズム志向の性格だった。

 時代の転換点に要求されるのが、現実を直視するリアリズムとそれを伝えるリアルな言葉だとすれば、現在の日本を動かす政治家たちはどうなのだろうか。一連の政治不祥事、政治とカネの問題において、「記憶にない」から始まって、「うっすらと憶えている」など。岸田首相も「総合的に判断して適切に対応する」といった官僚的な答弁の一方で、追いつめられると「火の玉になって」や「命がけで」などと大げさに言う。政治倫理審査会に出た党幹部たちも、判で押したような答えそのものが、政治不信を招いていることに気づいてもいなさそうだ。

◆リアルな言葉が消えて行く憂慮すべき事態
 事実がある筈なのに、知る筈の人間がそれを言わない。実体から外れた「空疎な言葉」を使って言い逃れしたつもりになっているが、それがごまかしであることを恥じない。今の政治家たちは本当のことを言わない。言えないのかも知れないが、空疎な言葉を使っているうちに、ついには、自分の脳さえも実体のない虚構に染まっているのではないかと、勘ぐりたくなる。政治家が現実を直視せず、虚構の世界に逃げ込んで保身に走る。選ばれた政治家が言論を闘わせるべき国会で、リアルな言葉が消えて行くこの事態をどう考えればいいのだろうか。

 もちろん、そのような政治家の虚言を許している社会にも問題はある。それは、事実や真実に基づくリアルな言葉が意味を持たない時代の空気に、私たちが覆われ始めているからでもある。それが「脱真実(post truth)」の時代潮流。先日放送されたNHKの世界のドキュメンタリー「イーロン・マスク ツイッター買収の波紋」を見たが、アメリカの公聴会、政治劇の中でも事実や真実は二の次で、互いの敵を攻撃し、陰謀論を振りかざすリアリティーなき言葉が溢れていた。今やアメリカは日本以上に、リアルな言葉が消え失せる時代を迎えている。

◆SNSが助長する「脱真実」の進行
 「脱真実(post truth)」は、アメリカ社会を蝕んでいる。トランプが攻撃する「政界を操る影の政界(ディープ・ステート)」といった陰謀論が幅を利かし、それぞれの陣営に肩入れした歪んだ言論がアメリカにはびこり、何が本当かを問う人は少数派になりつつある。このドキュメンタリーを見ていると、既に言葉が本来の意味を失い、単なる武器として飛び交う世界の到来を感じさせるが、こうした傾向を助長して来たのが、ツイッターなどのSNSだった。その結果、粘り強く言葉を駆使して妥協点を見つけると言った、言葉本来の機能も失われつつある。

 言葉が実体を失い、互いを攻撃する武器に成り下がる傾向は、日本のSNS空間でも同じ。逮捕された元国会議員のガーシー(東谷義和)などもその一例で、そうした、リアリティーのない言葉が浸透する社会の先に、政治家の空疎な言葉もあるのだろうか。誰もが、自分に都合のいい言葉を求め、そのリアルを問うことがない。現実から目を背け、耳障りのいい言葉に飛びつく。そうした傾向が政治の世界にまで、忍び寄っているのではないか。最近の政治家の空疎な言葉、空疎な思考を見させられると、この時代の行き着く先に何が待っているのかと暗然とせざるを得ない。

◆言葉のリアルを失わせるAIの登場
 言葉が膨大に氾濫するSNS時代の中で、言葉のリアルが失われる困った現象。それをさらに加速するものがある。それが人工知能(AI)の登場だという。特に生成AIは私たちの問いに、過去の膨大な言葉の空間から脈絡のある言葉をつないでもっともらしい文章を幾らでも吐き出す。厳しく問い詰めても、何の苦痛も感じずに、平然と次の文章を吐き出して来る。小説にAIを登場させた芥川賞の九段理恵は「東京都同情塔」の中で、「AIには己の弱さに向き合う強さがない。無傷で言葉を盗むことに慣れきって、その無知を疑いもせず恥じない」と書く。

 AIが吐き出す言葉は、いかにも世の中の平均的望みを集約させた、かつ批判を最小限に留める模範的回答だ(同書)。それは、どこか官僚が政治家のために用意する答弁書に似ている。しかし、平和、平等、尊厳、共感、共生など、他人の言葉を継ぎ接ぎして作る文章が何を意味し、誰に伝わっているかも知らないのでは、それは空虚な言葉に過ぎない。そこに、その言葉が持つ本当のリアルはあるのだろうか。多くの人々が答弁や挨拶、論文にAIを利用する時代。政治家の言葉がリアルを失い、空疎な言葉に染まって行くのに、どこかでつながる社会現象でもある。

◆新たな「バベルの塔」の時代に
 SNSやAIの進化によって、リアリティーのない言葉が膨大に生み出される一方で、それが人々の共通理解を妨げ、互いの会話を難しくさせる。それは、人間が傲慢にも天まで届く「バベルの塔」を築こうとして、神に言葉をバラバラにされた古代神話を思わせる。その意味で、現代は「デジタル空間にそびえる新たなバベルの塔」の時代なのかもしれない。そんな時代の転換期に、現実をリアルに直視し国の将来を設計すべき政治家が、実体のない空疎な言葉を弄び、説明したつもりになっている日本の現状である。

 その傾向は、異次元の金融緩和を継続し、膨大な借金を作った安倍政治の幻影を追い続けた自民党政治の本質でもある。SNSの進化とAIの進化の時代に、何が真実で、何が虚構なのか。世界と日本に迫る時代の転換点の中で、私たちは広く日本だけでなく世界の中で、こうした現実を直視する勝海舟や吉田松陰のような偉大な政治家や人物を何人、探し出すことが出来るだろうか。

政治を国民の手に取り戻す 24.2.6

今年は、ロシア、アメリカ、インドなど、世界50か国以上で、大統領選挙や国政選挙が予定されていて、歴史的にも前例のない規模の「選挙イヤー」になるという(2/4朝日)。その中で問われるのは、もちろん民主主義のあり方になってくる。民主主義が世界の中で劣勢に追い込まれている現状で、果たしてどれだけ国民の基本的人権や自由と平等の権利が保持されていくのか。足元の日本ではどうだろうか。現在、進行中の深刻な「政治不信」によって、政治が国民からかけ離れたものになっていないか。今、政治に問われるものを考えてみたい。

◆脱派閥は枝葉の問題。本丸は?
 自民党が、政治資金パーティー券を巡る裏金問題で揺れている。岸田が権力を手放したくないために、派閥解消の賭けに出て自民党内が一気に流動化。議員たちが次の選挙をにらんで保身のための離合集散に走り、誰が誰と組むとか、誰が新たな政策集団の主導権を握るとか、キングメーカー気取りの麻生が岸田の後釜を探しているとか、政策そっちのけの醜い権力闘争に明け暮れる日々である。メディアもそれを追うのに忙しいが、しかし、今回の問題において派閥の解消などは枝葉に過ぎない。本丸はもちろん「政治とカネ」の闇の構造にある。

 その本丸の一つが、裏金を巡る闇の構造である。裏金とは、ノルマを超えてパーティー券をさばいた議員が、超えた分を受け取るキックバックだが、報道されているところによれば、例えば安倍派だけで、この5年の総額が6.7億円に上る。それらを収支報告書に記載しないまま多くの議員が自由に使っていたことになる。この金は本当に政策活動費だったのか。それとも課税対象とすべき雑所得とみなすべきなのか。今回、慌てて収支報告書に記載したとしても、それらの収入を議員側が何に使っていたのか、内容が分からないのではそれも問えない。 

◆政策活動費というブラックボックス
 経済学者の野口悠紀夫は「パーティー券の還流分は政治資金ではなく、政治家個人の課税所得であることは明々白々」と言うが、仮に、この裏金が政策活動とみなせないことに使われていたとすると、脱税に当たる。自民党は、裏金を何に幾ら使っていたのか、党員に聞き取りをすると言っているが、具体的な使途が出て来るのかどうか。雑所得を政策活動費と言い張れば、課税されないというのは、制度を悪用した言い逃れに過ぎない。そもそも政策活動費と言えば、使途を公開もせずに、何億もの無税の金を自由に使えるという制度そのものがおかしい。

 政策活動費の名目で議員に配られる金は、裏金だけでない。政党が20万円以下は非公開の企業献金や5万円以下の個人献金で集めた政治資金から政治家個人に配る金である。こちらは1年間で14億円以上になり、茂木敏充幹事長の9.7億を始め、幹部たちに配られている。二階元幹事長などは5年間に50億円にもなる。ところが、この巨額な金には税金がかからない上に、使途が非公開となっている。「憲法で保障されている政治活動の自由」を盾にとった屁理屈だが、幹部に配られた後、税金がかからない巨額の金がブラックボックス化している。

◆政策活動費の闇にメスを入れられるか
 政党のパーティー券収入は、年間180億円にも上ると言うが、その大部分が自民党である。それを原資として政治家個人へも政策活動費として配られているわけだが、今回はこれ以外に収支報告書に記載されない裏金も発覚した。一説には、政治家や取り巻きとの高級料亭などでの飲み食いなどにも使っているというが、税金を搾り取られている市民感覚からすれば、これが非課税なのは許しがたい。非課税でしかも使途を公開しないこうした「政策活動費の闇」に、政治自身がメスを入れられるかどうか。それが、今回の「政治とカネ」問題の本丸と言える。

 御承知のように、日本では30年前の「政治とカネ」の反省から、議員数に応じて税金から配布する「政党交付金」(政党助成金)の制度ができた。毎年、総額315億円が共産党を除く9党に配布されている。それでは足りないというのか、自民党などは企業を相手にパーティー券を売りさばいて来た。その収入の一部(裏金)を不記載にしたのが今回の事件だが、刑事事件とは別に、これには主に2つの問題があると思う。一つは、そうした金集めによって、政治が金によって歪められる実態である。何かの見返りがない寄付など企業はしないからだ。

◆庶民感覚からかけ離れる金まみれ政治への不信
 2つ目のより深刻な問題は、政治家が金まみれになり、金銭感覚が麻痺することである。国会議員は既に様々な特権に恵まれ、税金のかからない巨額な所得を得ている。給与の他に無税の調査研究広報滞在費(月額100万円)、立法事務費(月額65万円)。加えて、JR特殊乗車券・国内定期航空券の交付や、3人分の公設秘書給与や委員会で必要な旅費、経費、手当、弔慰金など。さらには、政党交付金の一部も支給される。これらを合わせれば、国会議員は年収1億円の超富裕層に属し、先進国の中でも圧倒的に優遇されている存在なのである(*)。
*)「庶民が見えるか世襲政治家」(23.8.2)

 この超富裕の政治家たちがそれでも足りないと、パーティー券売りや裏金獲得に走る様をどう見ればいいのか。恐ろしいのは、金銭感覚が麻痺した政治家が、毎年100兆円を超える国家予算を右から左に決めて行くことである。その予算が血税や国の借金であることも忘れて、利権や金でつながった業界にばらまいているとすれば罪深い話である。今、岸田自民党への厳しい視線が向けられているのも、裏金問題への弱腰もさることながら、金銭感覚が麻痺した政治家たちの世界が、あまりに庶民感覚から遠くかけ離れていることへの怒りではないか。

◆民主主義の形骸化に風穴を開けられるか
 所得の半分近くを税金にとられている国民からすれば、今の自民党は、税金を納めない特権を有した、超富裕の特殊集団に見える。その彼らが、真に取り組むべき日本の課題をそっちのけにして、権力争いに明け暮れている。それに鉄槌を下そうにも、政治への回路はあまりに遠い。本当は、与野党の勢力が拮抗して政治に緊張があれば、こうした不祥事は起きなかっただろうが、安倍政治の8年で、一強多弱の政治が定着してしまった。その陰で進行したのが、民主主義の形骸化である。低い投票率に支えられて、自民党は過半数の勢力を維持して来た。

 しかし、それも有権者全体で見た絶対得票率は26%に過ぎない。こうした「政治と国民の乖離」に風穴を開けるような兆しはないのだろうか。国民と政治をつなぐ多様な回路を見つけて行かなければ、日本の民主主義はますます形骸化して行き、腐敗した政治状況の外国のように、一部の業界と癒着した超富裕の集団がいいように国の予算を決めて行く政治になりかねない。既に一部はそうなりかかっているようにも見える。この状態に、どう風穴を開けて行くかである。野党が「政権交代」を掲げて頑張るのもいいが、多弱状態の既存政党だけに任せられるか。

◆政治を国民の手に取り戻すために
 そのカギは、やはり若い世代にあるのだろう。大規模なデモに立ち上がるフランスのような国や、地域の問題に立ち上がったイギリスのように、異議申し立ての運動をしている国は沢山ある。英国在住のブレディみかこ(写真)は、日本もかつてはそうだったとし、「政治も社会も”波風”を立てよう」(2023.9.21、毎日)と言う。そして、日本でも選挙以外に政治に声を届ける運動を始めている若者もいる(1/26、石山アンジュ)。トランプのアメリカのようにポピュリズムに陥ることなく、特権階級化した政治家たちの目を覚まさせるために国民は何ができるか。若い世代の試みを応援して行くべき時なのかもしれない。

 冒頭に書いたように、今年は、世界中で民主主義が問われる年になりそうだ。そう思って、これまで「メディアの風」ではどの位民主主義について書いて来たかを調べてみた。その数、12本。改めてジャンル別にくくってみた(*)。政治の世襲化の弊害、ポピュリズムと民主主義の関係、民主主義の価値観、民主主義の死に方、政治とカネの問題などだが、そうしたコラムも踏まえながら、今年も様々な面から民主主義を問い直していきたい。
*)ジャンル別「政治と民主主義」