今年は、ロシア、アメリカ、インドなど、世界50か国以上で、大統領選挙や国政選挙が予定されていて、歴史的にも前例のない規模の「選挙イヤー」になるという(2/4朝日)。その中で問われるのは、もちろん民主主義のあり方になってくる。民主主義が世界の中で劣勢に追い込まれている現状で、果たしてどれだけ国民の基本的人権や自由と平等の権利が保持されていくのか。足元の日本ではどうだろうか。現在、進行中の深刻な「政治不信」によって、政治が国民からかけ離れたものになっていないか。今、政治に問われるものを考えてみたい。
◆脱派閥は枝葉の問題。本丸は?
自民党が、政治資金パーティー券を巡る裏金問題で揺れている。岸田が権力を手放したくないために、派閥解消の賭けに出て自民党内が一気に流動化。議員たちが次の選挙をにらんで保身のための離合集散に走り、誰が誰と組むとか、誰が新たな政策集団の主導権を握るとか、キングメーカー気取りの麻生が岸田の後釜を探しているとか、政策そっちのけの醜い権力闘争に明け暮れる日々である。メディアもそれを追うのに忙しいが、しかし、今回の問題において派閥の解消などは枝葉に過ぎない。本丸はもちろん「政治とカネ」の闇の構造にある。
その本丸の一つが、裏金を巡る闇の構造である。裏金とは、ノルマを超えてパーティー券をさばいた議員が、超えた分を受け取るキックバックだが、報道されているところによれば、例えば安倍派だけで、この5年の総額が6.7億円に上る。それらを収支報告書に記載しないまま多くの議員が自由に使っていたことになる。この金は本当に政策活動費だったのか。それとも課税対象とすべき雑所得とみなすべきなのか。今回、慌てて収支報告書に記載したとしても、それらの収入を議員側が何に使っていたのか、内容が分からないのではそれも問えない。
◆政策活動費というブラックボックス
経済学者の野口悠紀夫は「パーティー券の還流分は政治資金ではなく、政治家個人の課税所得であることは明々白々」と言うが、仮に、この裏金が政策活動とみなせないことに使われていたとすると、脱税に当たる。自民党は、裏金を何に幾ら使っていたのか、党員に聞き取りをすると言っているが、具体的な使途が出て来るのかどうか。雑所得を政策活動費と言い張れば、課税されないというのは、制度を悪用した言い逃れに過ぎない。そもそも政策活動費と言えば、使途を公開もせずに、何億もの無税の金を自由に使えるという制度そのものがおかしい。
政策活動費の名目で議員に配られる金は、裏金だけでない。政党が20万円以下は非公開の企業献金や5万円以下の個人献金で集めた政治資金から政治家個人に配る金である。こちらは1年間で14億円以上になり、茂木敏充幹事長の9.7億を始め、幹部たちに配られている。二階元幹事長などは5年間に50億円にもなる。ところが、この巨額な金には税金がかからない上に、使途が非公開となっている。「憲法で保障されている政治活動の自由」を盾にとった屁理屈だが、幹部に配られた後、税金がかからない巨額の金がブラックボックス化している。
◆政策活動費の闇にメスを入れられるか
政党のパーティー券収入は、年間180億円にも上ると言うが、その大部分が自民党である。それを原資として政治家個人へも政策活動費として配られているわけだが、今回はこれ以外に収支報告書に記載されない裏金も発覚した。一説には、政治家や取り巻きとの高級料亭などでの飲み食いなどにも使っているというが、税金を搾り取られている市民感覚からすれば、これが非課税なのは許しがたい。非課税でしかも使途を公開しないこうした「政策活動費の闇」に、政治自身がメスを入れられるかどうか。それが、今回の「政治とカネ」問題の本丸と言える。
御承知のように、日本では30年前の「政治とカネ」の反省から、議員数に応じて税金から配布する「政党交付金」(政党助成金)の制度ができた。毎年、総額315億円が共産党を除く9党に配布されている。それでは足りないというのか、自民党などは企業を相手にパーティー券を売りさばいて来た。その収入の一部(裏金)を不記載にしたのが今回の事件だが、刑事事件とは別に、これには主に2つの問題があると思う。一つは、そうした金集めによって、政治が金によって歪められる実態である。何かの見返りがない寄付など企業はしないからだ。
◆庶民感覚からかけ離れる金まみれ政治への不信
2つ目のより深刻な問題は、政治家が金まみれになり、金銭感覚が麻痺することである。国会議員は既に様々な特権に恵まれ、税金のかからない巨額な所得を得ている。給与の他に無税の調査研究広報滞在費(月額100万円)、立法事務費(月額65万円)。加えて、JR特殊乗車券・国内定期航空券の交付や、3人分の公設秘書給与や委員会で必要な旅費、経費、手当、弔慰金など。さらには、政党交付金の一部も支給される。これらを合わせれば、国会議員は年収1億円の超富裕層に属し、先進国の中でも圧倒的に優遇されている存在なのである(*)。
*)「庶民が見えるか世襲政治家」(23.8.2)
この超富裕の政治家たちがそれでも足りないと、パーティー券売りや裏金獲得に走る様をどう見ればいいのか。恐ろしいのは、金銭感覚が麻痺した政治家が、毎年100兆円を超える国家予算を右から左に決めて行くことである。その予算が血税や国の借金であることも忘れて、利権や金でつながった業界にばらまいているとすれば罪深い話である。今、岸田自民党への厳しい視線が向けられているのも、裏金問題への弱腰もさることながら、金銭感覚が麻痺した政治家たちの世界が、あまりに庶民感覚から遠くかけ離れていることへの怒りではないか。
◆民主主義の形骸化に風穴を開けられるか
所得の半分近くを税金にとられている国民からすれば、今の自民党は、税金を納めない特権を有した、超富裕の特殊集団に見える。その彼らが、真に取り組むべき日本の課題をそっちのけにして、権力争いに明け暮れている。それに鉄槌を下そうにも、政治への回路はあまりに遠い。本当は、与野党の勢力が拮抗して政治に緊張があれば、こうした不祥事は起きなかっただろうが、安倍政治の8年で、一強多弱の政治が定着してしまった。その陰で進行したのが、民主主義の形骸化である。低い投票率に支えられて、自民党は過半数の勢力を維持して来た。
しかし、それも有権者全体で見た絶対得票率は26%に過ぎない。こうした「政治と国民の乖離」に風穴を開けるような兆しはないのだろうか。国民と政治をつなぐ多様な回路を見つけて行かなければ、日本の民主主義はますます形骸化して行き、腐敗した政治状況の外国のように、一部の業界と癒着した超富裕の集団がいいように国の予算を決めて行く政治になりかねない。既に一部はそうなりかかっているようにも見える。この状態に、どう風穴を開けて行くかである。野党が「政権交代」を掲げて頑張るのもいいが、多弱状態の既存政党だけに任せられるか。
◆政治を国民の手に取り戻すために
そのカギは、やはり若い世代にあるのだろう。大規模なデモに立ち上がるフランスのような国や、地域の問題に立ち上がったイギリスのように、異議申し立ての運動をしている国は沢山ある。英国在住のブレディみかこ(写真)は、日本もかつてはそうだったとし、「政治も社会も”波風”を立てよう」(2023.9.21、毎日)と言う。そして、日本でも選挙以外に政治に声を届ける運動を始めている若者もいる(1/26、石山アンジュ)。トランプのアメリカのようにポピュリズムに陥ることなく、特権階級化した政治家たちの目を覚まさせるために国民は何ができるか。若い世代の試みを応援して行くべき時なのかもしれない。
冒頭に書いたように、今年は、世界中で民主主義が問われる年になりそうだ。そう思って、これまで「メディアの風」ではどの位民主主義について書いて来たかを調べてみた。その数、12本。改めてジャンル別にくくってみた(*)。政治の世襲化の弊害、ポピュリズムと民主主義の関係、民主主義の価値観、民主主義の死に方、政治とカネの問題などだが、そうしたコラムも踏まえながら、今年も様々な面から民主主義を問い直していきたい。
*)ジャンル別「政治と民主主義」
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