日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

絶望の時代に探す希望とは 23.3.6

 ロシアがウクライナに侵攻してから1年が過ぎた。1年を機に様々な番組が放送されたが、中でもNHK、BSP「ロシア・衝突の源流〜プーチンと皇帝の野心〜」(2/25)、Nスペ「ウクライナ大統領府 軍事侵攻・緊迫の72時間」(2/26)が見ごたえがあった。歴代のロシア皇帝たちは、周辺諸国から攻め込まれる「恐怖」や帝国の「威信」を示すため、或いは富を手に入れる「欲望」に駆られて何度も戦争を繰り返して来た。ソ連崩壊で失われた威信回復を夢見るプーチンもまた、歴代皇帝と同じ罠に陥って、かつての領土だったウクライナに侵攻する。

 当初、ロシア軍は72時間で首都キーウが陥落するとみて、戦勝パレードの用意までしていたと言うが、大統領府と国民の強固な抵抗にあって苦戦を強いられることになる。独立以来、自由の味を知ったウクライナと、独裁者プーチンに服従するロシアの価値観は遠く隔たったままかみ合わず、この1年、多くの血が流れて来た。ウクライナに武器を提供するNATOやロシアへの経済制裁に加わる西側諸国に対して、制裁に反対の中国やインドなど大国の思惑がぶつかり合い、時間だけが空しく経過。この状況を打開できない絶望感もまた深刻なものがある。

◆絶望感と無力感が漂う世界と日本
 絶望感はこれだけではない。Nスぺ「混迷の世紀 灼熱地球の恐怖〜ウクライナ侵攻もう一つの危機〜」(2/5)では、戦争による弾薬や火災などで1億トンのCO2(オランダ1年分)が排出されたとする。また、エネルギー不足によって化石燃料(石炭)の需要が高まって脱炭素どころではなくなっており、地球の温暖化は、「後戻りできないポイント(tipping point)」に近づいているという(国連事務総長)。ドイツ制作の「温暖化の脅威〜5600万年前からのメッセージ〜」(2/18)でも、地球の海や熱帯雨林に出始めた不気味な兆候を伝えている。

 温暖化が進んでいた5600万年前の地球で起きていた動物の小型化が密かに進みつつあるのに加え、これまでCO2を吸収すると思われていた海洋や熱帯雨林では、その吸収力に限界が見え始めているという。戦争と大国のエゴによって、脱炭素の道筋が見えなくなった。日本も例外ではない。エネルギー危機を理由に岸田政権は唐突に原発回帰を打ち出したが、迷走する政策で日本の脱炭素は間に合うのか。一方、反撃能力を持つとして防衛政策を大転換し、巨額の防衛費増を打ち出したが、首相はそれを何にどう使うのか説明しようとしない(*1)。

◆絶望の時代に希望があるとすれば?
 世界と日本を覆うこうした絶望的状況から目を逸らして、手が届く範囲の幸福を求めて暮らすことも或いは可能だろう。そう考えれば、日本の文化的、制度的豊かさ、(大分悪くはなったが)治安の良さ、人々の優しさの中で暮らす幸せは身に沁みる。そうしたささやかな幸福のために努力することも、それはそれで貴重で尊いことだと思う。しかし一方で、この絶望的な状況を打開するような、希望を感じさせる試みがどこかにないものかとも考える。単なる空想や夢物語ではない、仮に具体的な事例があるとすれば、それはどういう種類の希望になるのだろうか。   

 ここで、そうした希望の枠組みを大雑把に定義すれば、それは(地球の持続可能性を追求する国連の「SDGs」と同じように)人類が直面する地球温暖化や戦争、貧困や格差といった人類的課題を少しでも改善し、解決に導くような試み、と言えるかもしれない。こうした枠組みに入る事例を探すのは、既に現場を離れている私にとって難しい宿題だが、とりあえず思考実験の一つとして、極めて概略的に思いつくジャンルを幾つかあげてみたい。第一は、地球温暖化対策にとって切り札的な技術の一つになるかも知れない、「夢の技術」への挑戦である。

◆@「超技術」開発に必要な「共進化」の枠組み
 例えば、地上に太陽と同じ原理の熱源を実現する「核融合」発電である。危険な「核分裂」と違って安全なエネルギーで、原料も無限の未来技術だが、ようやく少し道筋が見えて来た(Eテレ「人類の未来を救え!ここまで来た核融合発電」3/5)。或いは、植物が太陽光とCO2をもとに有機化合物を生産する「光合成」を人工的に作り出す「人工光合成。これも原理は分かって来たので、安く大量にできるようになれば、地球上に植林するのと同じ効果が期待でき、温暖化対策や工業原料の確保にも使える。これをどう実用にまで持っていくかである。

 さらには現在、集積度が高まるにつれて消費電力が激増する現行の半導体の代わりに、消費電力が圧倒的に少なくて済む「光半導体」光コンピューティング)の開発である。実は、こうした“超”のつく「夢の技術」の開発には、従来の開発体制とは異なる枠組みが必要になってくる。それは、従来の開発体制とは桁違いの資金とスピードが必要なので、国を超えた研究機関や企業同士の連携という「新たな枠組み」が求められることである。それが、ともに連携して知恵を集積し、ともに進化する「共進化」だ。それが出来るかどうかが鍵になる。

◆A「平和の構築」を下から再構築する試み
 一方、先の世界大戦の反省から生まれた国連は、ここへきてロシアの暴挙や米中の対立によって機能不全に陥っているが、それでもなお世界193か国が加盟し、猛獣(ロシアや北朝鮮など)を国連の枠内に閉じ込めておく「サーカスのテント」の役割を果たしていると言われる。同時に、その国連に付随する様々な機関(平和維持活動、難民支援、食料や人道支援、核兵器管理など)が戦後世界の平和と安定を曲がりなりにも支えてきたのも事実である。絶望の中の希望とは、こうした国際機関を粘り強い意志で実効的なものに再構築して行けるかどうかである。

 また、国連とは別に世界の平和構築に貢献するNGO(非政府組織)も沢山ある。それを取りまとめたサイト(JAPAN PLATFORM)などを見ると実に様々な団体が国際的な課題に取り組んでいることが分かる。老人の自分には寄付位しか出来ないが、活動を支援していくことでその意義を知ることが出来る。問題は、とかく内向きの日本人にどう関心を持って貰うかだが、難民支援に活躍した緒方貞子のように国際機関や草の根で働く多彩な日本人をメディアも積極的に取り上げ、彼らへの共感をバネに絶望的な状況に風穴を開けて行くことが出来ればと思う。

◆B若い力で世界を変える「ビジョンハッカー」たち
 硬直化し、機能不全に陥った今の国会を見ると、政治を牛耳っている60、70の老人たちを早く退場させて、もっと若い世代が政治参加できるように応援することも大事だと思う。しかし、彼らが政治の世界に入って時代を変えて行くには、今の政治システムはあまりに時代に遅れになっているように思う。それを変えようと頑張っているうちに歳をとってしまう。むしろ、今の政治システムとは別なところで時代を変えようとする若者にも注目したい。その一つが、世界の貧困や格差の問題に関心を持ち、取り組んでいる若者たち「ビジョンハッカー」だ。

 Nスペ「ビジョンハッカー〜世界をアップデートする若者たち〜」(2021.5.16)によれば、彼ら若い世代は独創的な方法で、世界の紛争の原因となっている格差や貧困といった矛盾に立ち向かっている。その活動を横につないで連携し、より大きな力を持つようになれば、今の絶望的な状況に希望をもたらすことが出来るかも知れない。私が地元で応援している市議や県議も私より一世代若いが、古い政治システムを超えた幅広いネットワークで、女性の社会進出や子育て支援、弱者への寄り添いなどで活躍している。若い力で古い政治システムを変えて貰いたい。

 以上、絶望の時代に希望を探すとすれば、というテーマで書いてきた。プーチンによる戦争や核の恐怖、そして日本の衰退に立ち向かうには、さらに多くの挑戦が必要だとは思う。しかし、この絶望の時代にあっても、そうした挑戦に向かって努力をする人々が確実にいることも希望の一つに違いない。そして同時に、彼ら若い世代を応援していくことが、私など年老いた世代の役目だとも思う。
*1)1発5億円のトマホーク400発など、アメリカから大量の武器を購入しようとしているが、先日の勉強会では、反撃能力といっても情報収集力のない日本がミサイルを単独で発射することは出来ず、結局「アメリカのための備蓄」を日本に置くというのが実体だろうとなった

台湾問題を複眼的に見るA 23.2.17

 1月の訪米で、岸田首相はバイデン米大統領から異例の厚遇を受けた。それもそのはずで、防衛費を5年で43兆円に増額し、敵基地攻撃能力(反撃能力)を持つとした「安保関連3法案」を国会に説明する前に手土産にして訪米したからである。アメリカ製の武器とミサイルを大量購入すると同時に、米国と一体になって中国に対抗する姿勢を明確にしたのだから、バイデンが上機嫌にならない訳がない。日々緊張の高まる米中関係の中で同盟国日本への期待と要求は高まる一方だが、日本はどこまでアメリカと一体になるのか。まさに「どうする?日本」である。

 半導体関連技術の対中輸出規制や偵察気球の問題など、軍事的、経済的に緊張が高まる米中関係の中でも、最重要問題の一つが台湾問題である。前回は、その台湾問題を中国と台湾の立場から“複眼的”に見たが、今回はアメリカと日本の立場から考えてみたい。ただし、その前に踏まえておきたいのは、激しくなる米中対立の根底には、世界の覇権を巡る両者の戦いがあるということである。これは、別にアメリカがいいとか、中国が悪いとかいうのではなく、大国同士は必ず衝突するという歴史の方程式、或いは大国家同士の厄介な関係があるからである。

◆米中対立の根本原因は覇権を巡る争い
 「大国政治の悲劇」(ミヤシャイマー、シカゴ大教授)によれば、中国のように経済的にも軍事的にも大国となった国家は、どういう政治形態を持つ国家であれ、必ず世界的な覇権を求めることになる。なぜなら、世界の安全を守る中心的な権威がない(多極的な)状況で、自国の生き残りを図るためには、相手より強くなることが最も合理的な方法だからだ。そのためには同じような力を持つ相手を軍事的にも地政学的にも、経済的にも超える必要がある。これは「中国が悪い国だから」、「文化的に問題があるから」ではなく、大国とは常にこう振る舞うものだという。

 その時、中国が目指すのは第一に、アメリカの力をアジアから排除したい。第二に、アジアの覇権を握りたい。すなわち日本やロシア、インドといった周辺国より強くなって軍事的な挑戦を受けたくない。第三に、現在の領土体制(尖閣、台湾、南シナ海)を変えたい、ことだと言う。これは、現在のアメリカも日本も受け入れることが出来ない(中国による)挑戦だが、「トゥキディデスの罠(*)」の如くに、米中は必ず衝突すると言う。これが著者の言う「攻撃的リアリズム」(「米中対決の中の日本」15.8.6)だが、核時代にあって米中の戦争は本当に避けられないのか。*)「新興の大国は必ず既存の大国へ挑戦し、既存の大国がそれに応じた結果、戦争がしばしば起こってしまう」現象

◆アメリカが覇権を維持するための同盟強化
 ソ連崩壊後のアメリカは、文字通り唯一の超大国として世界に君臨した。自由と民主主義を守る世界の警察官として、世界各地の紛争に介入し、幾つもの戦争を戦ってきた。しかし、そのアメリカも湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタンやシリア内戦など幾つもの戦争に疲れ、オバマの時には世界の警察官の役割から降りると宣言。さらに、トランプの内向きの「アメリカ・ファースト」があり、その反省として、今のバイデン政権の同盟関係の強化路線がある。覇権国家を維持するアメリカの戦略も時代とともに変わって来ている訳である。

 バイデンの同盟強化(統合抑止)政策は、主にウクライナ侵攻を始めたロシアや力をつける中国に対抗するためのものだが、中でも台湾問題は、同盟強化の実証的意味合いを持つ。仮に台湾が(習近平が渇望するように)中国の支配下に置かれ、中国軍の基地や軍港が台湾に置かれれば、中国の影響力は第一列島線の東方へと広がる。そうなるとアメリカの影響力は西太平洋地域から排除されるかもしれず、これは、覇権国家・アメリカにとって決して許すことの出来ない状況だ。その中国に対抗する戦略が、同盟国を巻き込む「統合抑止」政策なのである。

◆日本にとっての台湾有事は?
 もはや唯一の超大国と言えなくなったアメリカが、引き続き覇権を保持するために、日本や韓国、オーストラリアの同盟国と力を合わせて中国に台湾侵攻をあきらめさせ、太平洋から締め出そうとする。それは、教授に言わせれば、うまく同盟国を利用してアメリカの力を温存する戦略でもあるのだが、その時、当の日本はどうするのがいいのか。それが日本にとっての台湾問題である。確かに、李喜明(台湾元参謀総長:前回)が言うように、台湾が中国のものになって、アメリカの影響力が西太平洋から排除されれば、日本は孤立無援で中国と向き合わなければならなくなる。
 
 しかも、中国が西太平洋に影響力を持つようになった時、仮に中国との関係が険悪になれば、海(シーレーン)や空の交通輸送ラインにも危険が及ぶ。従って、日本にとっても台湾が中国の支配下に入ることは、(たとえそれが武力行使なしでも)見たくない現実ではある。しかし、それより見たくない現実は、中国が武力によって台湾へ侵攻した場合にアメリカが介入し、米中が戦う局面である。その時、安倍元首相が言ったように、「台湾有事は日本の有事」と言って、日本も自動的にアメリカと中国の戦争に参戦することになるのかどうか。

◆台湾有事で、前衛を強いられる日本
 台湾を巡る核大国同士の戦争は、本格戦争に発展すれば、核ミサイルの応酬で米中ともに破滅するので、両国は戦いを台湾海域に限定しようとするだろう。その時に、同盟国の日本は台湾や中国に近いだけに、より際どい立場に立たされる。1月9日発表されて話題になった、台湾を巡る戦争のシミュレーション(米戦略国際問題研究所:CSIS)によれば、仮に日本が参戦すれば、台湾防衛に成功するにしても、中国、台湾はもとより、日米にも多大な人的、軍事的犠牲引生じることになる。場合によっては、米軍基地がある日本本土が戦場になることさえあるだろう。 

 日本の防衛力増強が、その時、どのような有効性を発揮するかは、次の勉強会のテーマでもあるが、いずれにしても米中の覇権を巡る戦争の中で、日本は(実態上、米国の前衛基地として使われるような)割の合わない選択を迫られる訳である。さらに戦争になる前であっても、より避けたい現実は、経済にある。仮に、戦争の瀬戸際にまで行けば、中国はもとより、中国との貿易に依存している日米と世界の経済も、どん底まで冷え込む。台湾にある世界最大の半導体工場(TSMC)も使えなくなれば、世界の先端技術はストップせざるを得なくなる。これも破滅的な現実である。

◆破滅的な戦争を避けるために何ができるか
 従って、そこへ行くまでに、台湾有事を避けるために「日本がとり得る行動」を様々にシミュレーションすることが何より重要になる。その時、アメリカと一体になって中国と戦う犠牲と損失を、日本はどこまで冷徹に計算できるか。或いは、アメリカとの同盟を重視しながらも、破滅的な戦争を避けるために、日本は米中に対して、どこまで主体的に戦争回避の方策を主張できるかである。その点で、日本でも問題の中国の偵察気球の議論を見ると、今の岸田政権もたちまち熱くなってアメリカに同調して強硬になり、対立を回避する冷静な議論がしにくくなるのが心配になる。

 冷静な議論のためには、前回書いたように中国の足元を注視することも大事だが、一方で、アメリカの国内事情を注視することも重要になるだろう。今のアメリカは国内に深刻な分断を抱えている。その分断を取り繕うために、都合のいい外敵を設定するのは、アメリカの常套手段とも言えるが、今の対中強硬論はそうした状況に利用されていないだろうか。2024年の大統領選挙で共和党の候補に名乗りを上げたニッキー・ヘイリー(元国連大使)は、「中国共産党を灰に」などと言うが、アメリカには中国を敵視する好戦的な極右政治家がうようよしている。

 こうした好戦的メンタリティーは、憲法9条の下で平和国家を目指してきた日本とは、随分とかけ離れている。バイデンは、「民主主義対専制主義」を掲げて中国に対峙するが、日本はそうした単純な決めつけに惑わされることなく、問題を”複眼的”に分析しながら、冷静に「破滅的な戦争を避けるために何ができるか」を、問い続けなければならない。覇権を巡る米中の対立に、残された時間は次第に少なくなっているのだから余計に。

台湾問題を複眼的に見る@ 23.2.4

 岸田政権は昨年末、日本の防衛戦略を構成する安保関連3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)を作成。軍事力を強める中国、核ミサイルを増やす北朝鮮、そして理不尽な戦争を始めたロシアを念頭に、敵基地攻撃能力の保持、防衛費の増額(GDPの2%を目指す5年間に43兆円)など、日本の防衛政策の歴史的転換を打ち出した。ただし、その内容について岸田は国会でも「手の内は明かせない」などと言うだけで答えない。アメリカに迎合してミサイルを大量購入する思惑や、内容を伴わない2%の「数ありき」の看板という指摘もある。

 この防衛力の強化(防衛費の増額)についての国民の反応は賛成が55%、反対が29%(NHK調査)。こうした反応には、ロシアのウクライナ侵攻によって戦争のきな臭さが漂っていることも影響していると思うが、一方で、台湾を巡る日米中の緊張の高まりも影響しているに違いない。特に、安倍元首相が「台湾有事は日本の有事」と唱えた頃(2021年11月)から、台湾問題は日本の防衛を考える上での大きな要因となった感がある。いったい台湾問題とは何なのか。この先、台湾を巡って米中の衝突はあるのか。出来るだけ“複眼的”に考えてみたい。

◆台湾統一を夢見る中国の強い願望
 まず、中国にとっての台湾問題である。中国を封じ込めるアメリカに対抗して、「海洋強国」を目指す習近平体制は、「第一列島線」(日本列島から沖縄、台湾へとつなぐ防衛ライン)や、「第二列島線」(グアムやサイパンまで拡大)を想定して太平洋進出に着実に手を打っている(「膨張する中国との神経戦」16.8.23)。その中国の外洋進出構想をいわゆる「逆さ地図」(拡大)で見ると、広い太平洋への出口にふたをするように並ぶ沖縄南西諸島、尖閣諸島、台湾は目障りな存在である。中でも台湾の帰属は、中国にとって決して譲れない核心的利益となる。

 仮に、台湾が中国の主張するように中国の主権下に帰属し、台湾の東側に軍港や基地を作れれば、中国は太平洋進出に関して莫大な便益を得る。かつて(2007年)中国海軍高官は太平洋を中国とアメリカで二分しようと持ち掛けてアメリカ側を仰天させたが、台湾は中国の太平洋進出の要であり、それに比べれば尖閣諸島などは芥子(けし)粒のようなものだ。反対に、台湾が独立して中国の手の届かない国になってアメリカと同盟でも結べば、ふたはより強固となり、こんな悪夢はない。それを防ぐためには武力も辞さないと、習近平は警告し続けている。

◆すれ違う中国の願望と台湾人の思い
 中国は、台湾の主権は中国にあると考えており、台湾人の主権を認めない。台湾人が独立を目指したり、外国勢力と手を握って中国に対抗しようとしたりすることを極度に警戒する。去年8月にアメリカのペロシ下院議長が台湾を訪問した際には、この時とばかりに中国軍が台湾を包囲するように展開し、戦力を誇示した。アメリカ側は、中国が2027年までに台湾を侵攻するなどと盛んに言い立てるが、武力による台湾統一は本当に迫っているのか。中国との統一を望まない場合、台湾はどのように自らを守って行くのか。以下は、台湾の考え方である。 

 戦後、中国で共産党に敗れた蒋介石の国民党は台湾に逃れ、大陸反攻を夢見ながら台湾を支配した。その台湾は現在、建前的に中国との統一を目指す国民党と独立を願う民進党に分かれている。しかし、その政治志向も、一国二制度を掲げた香港の民主主義が中国政府によって踏みにじられたのを見て変化。台湾人の意識調査では現在、自分を台湾人と考える人が63%で、中国人と考える人は3%に過ぎない(両方とみる人が30%)。また、独立志向は35%に対し統一志向は6%、現状維持が52%で最も多い。台湾人と中国政府との思いはすれ違っている。

◆ウクライナ戦争で注目される「非対称戦」の考え方
 台湾の独自性を保ちながら、現状維持を図りたい民意を、蔡英文・民進党政権も国民党も無視するわけには行かない。来年1月に予定されている総統選挙では中国との融和を唱える国民党が優勢との見方もあるが、いずれにしても、軍事大国の中国と武力衝突を避けながら、軍事的に劣勢の台湾をどう守っていくのかである。この点で今、台湾元参謀総長(李喜明)が唱える「非対称戦」という戦略が注目されているという(毎日1/13)。それは、ロシアの侵攻に直面したウクライナにも当てはまる、軍事小国が軍事大国に対抗する際の考え方である。

 「非対称戦」とは「弱者が非常に限られた資源の中で、従来と異なる作戦の方式で効果的に自己を守る方式」のこと。まず考えるべきは、「台湾にとって最大の勝利は戦争の回避」であり、相手を打ち負かすことではないと考えることである。そのために、相手に攻撃を断念させるだけの、効果的に練られた抑止力を持つ必要がある。台湾の20倍もの軍事費を有する中国を考えれば、「拒否的抑止」が唯一の選択肢であり、高価な戦闘機や戦車ではなく、対艦ミサイルやドローン、機雷など、コストが安く大量に入手できる武器を分散配置することだと彼は言う。

◆「最大の勝利は戦争の回避」と思い定める
 その上で、最も重要なのは「中国の国民全体を敵に回してはならない」ことだと言う。自衛能力を高めながら、中台の住民同士が友好的に共存できる関係を作らなければならない。多くの中国人が武力行使を支持しなければ、それだけ戦争のリスクは低下する。その点で、敵基地(中枢)を攻撃する能力は必要ない。攻撃の成果を上げるには極めて高い精度での攻撃が求められるし、仮に大陸を直接攻撃すれば一般市民の怒りに火をつけかねない。中国社会が団結して台湾への攻撃を支持するような事態は避けなければならない、と言う。

 このインタビューで彼は、台湾人が一致して防衛する意思を示してこそ、中国に「うかつに手を出せない」と思わせることが出来ると言う。同時に、自由で民主的な陣営に立つ台湾の存在は日本にとっても重要なはずだとも言っているが、日本が台湾問題をどう考えるかについては次回に譲るとして、こうしてハリネズミのように自衛を固めながら、「最大の勝利は戦争の回避」と思い定めてじっくり時を稼ぐことが、「非対称戦」の肝心なところだろう。それは、今にも戦争が起きそうだと騒ぎ立てるのとは、対極にある考え方でもある。

◆世界は、戦争のない10年を稼ぐことが出来るか
 このように、戦争を回避することを最大の勝利と思い定めながら、戦争のない時間を少しで長くすることがなぜ大事なのか。それは、仮に戦争のない10年を稼いだとすれば、現在70歳のプーチンも習近平も既に権力の座にはいないからだ。その時、世界がどうなっているかは分からないが、焦って(予防的に)戦争を始めることはない。何より非戦の状態こそが尊いからである。同時に、これから10年、15年を考えるときに、中国がどのように世界的な覇権を求めて行くのか、どう変わって行くのかは、慎重に注視していかなければならない。

 日本と同じように、超高齢化と人口減少に移行していく中国は、これまでのように高い経済成長で、国民を満足させて行けるか。経済停滞や不動産バブルの崩壊、高齢者に対する社会福祉の遅れなどで大衆の不満が高まり、共産党政権の足元が揺ぎ始めた時、中国はどうするのか。台湾問題は二の次になるのか、或いは逆に、大衆の敵意を外に向けるために、台湾攻略に踏み切るのか。その時の経済的打撃に中国は耐えられるか。いずれにしても、世界と緊密につながりながら経済成長して来た中国にとって、台湾進攻は甚大な犠牲を覚悟の選択になるはずだ。

◆敵基地攻撃に前のめりの岸田政権は大丈夫か
 こうしたことを見極めるためにも、出来るだけ非戦の時間を稼ぐ必要があるのだが、もう一方の当事者とも言うべき日本やアメリカはどうするのか。この点で、アメリカや日本の岸田政権の前のめりの態度は、いかにも危うく思えるが、「台湾問題を複眼的に見る」2回目は、日米から見た台湾問題を整理してみたい。

独裁国家ロシアという絶望 23.1.15

 ロシアがウクライナに侵攻してから来月で1年になる。ウクライナ東部での一進一退の戦況、或いはロシア予備役軍の劣悪な装備、そしてプーチンの動静や深刻な病気説など、戦争を巡る様々な情報が流されてはいるが、一方でロシア国民がこの間、何を考えて来たのか、考えはどう変わったのかといったロシア国内の情報は、圧倒的に少ない。時折、(政府から監視されている)独立系の調査会社が実施するプーチンの支持率が出てくるが、去年9月に厭戦気分を反映して80%を切りはしたものの、国民の肉声を直接的に伝えるものからはほど遠い。

◆私たちはロシアの人々をどれだけ知っているだろうか
 同じようにメディアが抑圧されている習近平の中国からは、より多くの情報が流れてくる。先日の「ゼロコロナ」政策に対する人々の反対の声や、その後の感染急拡大で混乱する医療機関や葬儀場の様子などは連日伝えられている。しかし今、ロシアの国内情報は殆ど途絶えていると言っていい。そんな中、驚きだったのは元旦に放送されたNHKスペシャル「混迷の世紀2023巻頭言」の中で紹介された、ロシアの人たちが子供に軍服を着せ、戦車を模した乳母車で街を歩いている映像だった。今のロシアは、そこまで戦時色に染まっているのか。

 そうしたロシアの現状について、番組に出たアレクシェービッチ(ノーベル賞作家、ベラルーシ)は、「ロシア人は今、完全に(政府系の流す)テレビを信じている」と言い、自分の息子が戦争で死んでも金をもらいたいというロシア人に対し「精神の腐敗がそこまで進んでいるのか」と嘆いた。これが1年近く経過した人々の変化なのだろうか。今の私たちはどれだけロシアの人々の考えについて知っているか。戦況の情報や外側からの情報ばかりでなく、そうした庶民レベルの情報がもっと欲しいところだが、それが案外に少ないことに気づかされる。

◆独裁者プーチンに抵抗するジャーナリストたち
 そう思って、去年手にしたロシア国民に関する読み物や番組を再度振り返ってみた「ロシアを決して信じるな」(中村逸郎:筑波大教授)、「ロシア点描」(小泉悠)などの本、或いは「プーチン政権と戦う女性たち」(NHKイギリス制作)、「ロシア ジャーナリストの闘い」(NHKBS1)といった番組である。これらの数少ない情報によっても、ロシアという国が様々な矛盾と混乱、そして政治的絶望を抱えた国ということを痛感するが、中でも、民主化を求めて戦う女性ジャーナリストに密着した「ロシア ジャーナリストの闘い」が印象深かった。

 番組は、ロシアの侵攻直後から女性ジャーナリスト(タチアナ・フェルゲンガウアー:写真)に密着する。独立系ラジオで活動していた彼女は、3月に制定された「フェイクニュース法」によって徐々に追い詰められていく。戦争という言葉や、軍に関するニュースを伝えると、それだけで最高15年の禁固刑が科せられる。その決定は軍が行うというとんでもない法律だが、それによって国内のジャーナリストたちは、次々と拘束されたり、国外に逃れたりせざるを得なくなる。タチアナはラジオ局が閉鎖された後もYouTubeで伝え続けるが、それも成り立たなくなる。

◆プーチンが手足のように使う暴力装置
 以前には100万のリスナーがいたというが、プーチンに抵抗するのは命がけだ。勤める放送局で暴漢に襲われ首を切られたこともある。そんな彼女を政府系メディアは名指しで批判する。YouTubeに広告もつかなくなり、5月下旬には彼女も隣国リトアニアに出国する。牢獄にいては、プーチンの末路を見られないという思いだった。プーチン独裁のもとで、何人ものジャーナリストが暗殺されているロシア。この国はもはや文明国ではなく、ナチスと同じ道をたどっていると彼女は言う。去年7月時点で軍事侵攻に抗議して拘束された人は、1万6300人に上る。

 以前のコラム「独裁を描いた映画」(2009.3.1)に独裁者の特徴を5つほど上げたが、独裁者は手足のように使える暴力装置を持っている。或いは、外敵の恐怖を煽り、市民間の監視、密告を奨励する、といった特徴を持つが、独裁者プーチンもまた大統領に直属する「国家親衛隊」(40万人弱)を持ち、これを軍の上位に置いている。これはヒトラーの親衛隊と同様、最終的にプーチンを守るものだという。こうして今やロシア国民は密告を恐れ、圧政のもとで息をひそめて、戦争がないかのような欺瞞的なメディアのもとで暮らしている。

◆暗闇のキノコのような状態に置かれる国民
 今のロシアは戦前のヒトラー政権や日本の軍部独裁のような国家になっているのか。もちろん、80年前とはSNSも含めてメディア状況も違ってはいるが、ジャーナリストが追放されるか逮捕されるかして、国民は何もさせない、気づかせない状態に置かれている(タチアナ)。これも以前のコラム「分断する政治とメディア」(2016.8.7)に書いたように、メディアが機能しなくなれば、「情報を持たない市民は滅びる。政治家はキノコ農家がキノコを育てるように民衆を見る。暗闇に置き、肥料で覆う」(チャールズ・ルイス)状態になってしまう。 

 テレビ報道記者の金平茂紀は、年末年始にかけて1週間モスクワに滞在した貴重な報告を載せている(毎日1/14)。モスクワのテレビはまるで戦争が別世界であるかのように、歌番組、バラエティー中心。戦争という言葉はただの一度も使われていなかったと言う。愛国心を鼓舞するような歌を披露する歌手たちが次々と登場し、あたかもウクライナとは別世界のパラレルワールドが展開される不気味さである。それは、ウクライナ侵攻を始めたプーチンに対して「戦争反対」の声をあげて逮捕された人々から見れば、絶望的な風景に違いない。

◆国民全体を敵にすることを避ける
 問題は、国民がこういう絶望的な状態にある独裁国家と、曲がりなりにも民主主義を国是としている我々自由主義陣営はどう立ち向かえばいいかである。ヒトラーのナチスも、軍部独裁の日本も、結局は壊滅的な犠牲の末に降伏した。抵抗を続ける日本に対し、アメリカは徹底的な殲滅作戦を用意(「一億総玉砕と日本殲滅作戦」2014.12.17)、関東一帯を焼野原にし、原爆をあと9発落とす計画さえあった。「菊と刀」(ルース・ベネディクト)などで多少は日本人を理解しようとしたアメリカだが、それでも日米間には相互に巨大な無理解の溝があった。

 アメリカは、国民を抑え込んだ日本軍部が国民を盾に最後まで抵抗すると考えていた。しかし、天皇が降伏を決意して日本は辛うじて生き延びる。一方、今のロシアはどうだろうか。タチアナに100万のリスナーがいたように、今のロシア国民の底流には、強硬派ばかりでなく戦争を早く終わらせたいと思っている人々も多いはずだ。あくまでプーチンと運命を共にすると考えているとは思えない。従って、大事なのは西側の指導者たちが、プーチンと国民を一体視して国民全体を敵として追いやることは、避けなければならないということである。

◆絶望の状態に置かれた人々の声に耳を傾ける
 プーチンの戦争があまりにも国際的、人道的ルールを無視した暴挙だけに、西側がプーチン体制を敵視するのは当然とは思う。しかしそれでも、ロシア国民全体を敵に回すのは得策ではないということ。確かに西側を、ロシアを亡ぼしにかかる悪の帝国とみて、子供に軍服を着せてプーチンを支持する岩盤層もいるだろう。しかし、それはどの程度強固なものなのか。これを知ることは、絶望の状態に置かれた人々の心に耳を傾ける難しい作業になるが、これからの戦争の成り行きや和平の可能性を模索するためにも、必要な作業となってくるだろう。

 おそらく、西側の研究機関は既にこうした状況分析をしているのではないかと思う。翻って日本はどうか。岸田政権は西側の声に沿って単純にロシア制裁を唱えているだけのようにも見えるが、そこで思考停止せず、独自の和平策を模索するためにも、ロシア国民の考えの変化かをしっかりと探って欲しい。もちろん、メディアもである。

ビジョンも哲学もない政治 22.12.7

 次々と辞任した岸田政権の閣僚たちを見ていると、これが今のエリート政治家の実態なのかと、怒りよりむしろ驚きと虚しさが先に立つ。山際大志朗(東大大学院)、葉梨康弘(東大)、寺田稔(東大・ハーバード大学院)がそれぞれの学歴らしいが、常人では理解できない嘘とごまかし、記憶違い、人を小馬鹿にした開き直りで自ら墓穴を掘って退陣に追い込まれている。警察官僚あがりの葉梨(茨城3区:写真)などは、茨城の県警本部長を訪ねたときも、応接テーブルに足を乗せてふんぞり返っていたというから、よほど思いあがっていたのだろう。

 彼らの答弁や釈明を聞いていると、自分が話していることが屁理屈で、聞く人間にどのように響いているのかなど、全く理解できていないことがよくわかる。人間としては、むしろ(悩んでいる人には悪いが)発達障害に近いのではないかとさえ思える。これでよく庶民・大衆の代弁者として政治家をやってこられたと思うが、彼らにとって庶民・大衆は票を入れてくれればいいだけの存在で、眼中には権力者や政財官の利害関係者しか入っていないのだろう。庶民感覚を理解する「下情に通じる」は政治家の大事な資質なのだが、もう死語になってしまったのか。

◆党内の御用聞きのような政治
 岸田が後任に任命した閣僚たちも後藤茂之経済再生担当相(東大・米ブラウン大大学院)、齋藤健法相(東大・ハーバード大大学院)、松本剛明総務相(東大)という面々で、こんなエリート好みに岸田の性格が出ているのかどうか。こうしたエリートコースを歩んできた、苦労知らずの人間はよほど謙虚に自分を律しないと、ただただ権力志向だけが強い、嫌味な「下情に暗い」政治家に成り下がる。一方、二世議員で岸田派を受け継ぎ、安倍内閣で外相や政調会長などの要職を経て、2度目の挑戦で首相になった岸田はどうなのか。今の首相に庶民は見えているのだろうか

 岸田は何をやりたくて首相になったのか。どういう政治哲学を持った政治家なのか。それが一向見えないうちに、安倍国葬から始まって、旧統一教会問題、内閣改造と不祥事閣僚の任免など、打つ手がことごとく裏目に出て内閣支持率は下がる一方。最近の岸田は、そうした状況に焦って党の要人と会食を繰り返し、御用聞きのような政治に陥っている。その主なものを上げると、財政規律など忘れたかのような補正予算の大盤振る舞い、「原発の最大限活用」という突然の政策転換、どこにそんな金があるのかと言う防衛予算の大幅増である。

 これらは、いずれも国の根幹に関わる重要テーマで、これまでも様々な議論を呼んで来た問題だ。にもかかわらず、一部の利害関係者の要望や型どおりの審議会の答申を受け入れる形であっさりと方針を転換した。大幅な補正予算は、来年の地方選挙を心配する自民党幹部の声に押されたものだし、原発は党内推進派と原子力ムラの声に応えるもの、防衛費増は米国と国防族議員の声を受けたものである。幾ら党内基盤が弱いとは言え、これまでの議論の経緯を踏まえて自ら熟慮・検討した形跡が見えない。「聞く力」などと言って、何の抵抗もなく有力議員の声を受け入れる、岸田の拘りのなさに危うさを感じざるを得ない。

◆脱炭素へのロードマップのない中での原発回帰
 廃炉が決まった原発の建て替えや運転期間の延長などの政策転換は、三菱重工などが目指す「革新軽水炉」を切り札にしているが、幾ら福島以後の安全対策を組み込むと言っても、従来の大型炉の復活路線であり、一基の建設費が5千億から1兆円もかかるシロモノだ。今やコスト面でも再生可能エネルギーに負けている原発に、なぜ巨額の開発費、税金を投入するのか。地震国日本で、使用済み燃料の行き場もなく、再処理も難しい八方塞りのお荷物(原発)に岸田がすり寄るのは、政財界(原子力ムラ)の支持をつなぎ留めたいからだろう。

 岸田は、脱炭素やエネルギー危機を原発推進の口実にするが、原発特有の硬直化した送配電システムにおいても、巨額投資においても、原発が自然エネルギー普及の壁になっていることは、もはや常識である。火力発電に拘る日本は、地球温暖化防止のCOP27(エジプト)で、3年連続で不名誉な「化石賞」をもらうなど、殆ど存在感を示せなかった。2050年までに脱炭素を実現する道筋(ロードマップ)も曖昧で、自然エネルギーへの本気度が見えない日本である。その状況でなぜ原発回帰なのか、本心はどこにあるのか、国民にきちんと説明すべきではないか。

◆岸田が主導する防衛計画の大転換
 さらには、ここへ来て5年間に43兆円と、過去5年間の1.57倍に増額を決めた防衛費である。岸田はこれを今後5年でさらに年間11兆円へと増やし、NATO並みにGDPの2%を目指せと指示している。ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル、中国の覇権主義を踏まえた増額だが、この40年以上GDPの1%程度に抑えてきた日本の防衛費の量的・質的な大転換である。きっかけは、5月にバイデン大統領が来日した時に、岸田の方から「日本の防衛力を抜本的に強化し、その裏付けとなる防衛費の相当な増額を確保する」と表明したことにある。

 それ以来、自民党の国防族議員や防衛省の声が大きくなり、岸田がこれに応えた形である(財務省案は30兆円)。これは最初から「規模ありき」だったとの批判もあるが、岸田が主導する防衛政策の転換は主に2つの問題がある。一つは、年内にも策定する安保関連3文書に含まれる「反撃能力(敵基地攻撃能力)」とも関連して、射程1600キロのトマホークミサイルを500発買う計画とか、搭載するイージス艦(2隻で5千億円)を持つなどが取りざたされているが、反撃能力は日本の国是である専守防衛を逸脱しないのか。さらには43兆円の財源をどうするのかの問題だが、岸田はこれらの具体的内容を全く説明しないで額だけ決めた。

◆御用聞きのような借金の大盤振る舞い
 「反撃能力(敵基地攻撃能力)」と専守防衛の関係については、別途回を改めて書かなければならないが、平和憲法を軸とする日本の防衛のあり方を岸田はどう考えているのか。彼は日本が戦場になる”戦争のリアリティー”をどう考えているのか。前のめりになって、アメリカや国防族議員の声を聞く姿だけが見えて、本来はハト派である宏池会出身の岸田の本心が見えないのが不可解である。もう一つは43兆円の財源の問題。増税(所得税、法人税、富裕層への課税強化など)や軍事国債などが云々されているが、自民党からは早速増税反対の声が上がっている。 

 これは、国債派の萩生田政調会長(安倍派)らが言っていることで、増税したら来年4月の統一地方選が戦えないなどという安倍派らしい声である(*)。もともと国債をどんどん発行してアベノミクスを進めてきた彼らは、国の借金が増えることを何とも思っていない。財政規律などは、財務省のたわ言と思っている。それが如実に表れたのが、先日の29兆円の補正予算でもある。これも荻生田らが一晩で4兆円も積み増した結果だが、8割は国債(借金)である。*)結局政府は、選挙後の増税で行くことを決めた。

 そもそも補正予算は予算編成後に発生した緊急事態に対処するものだが、これが疑問符だらけ。官庁のオフィス改造とか、ジビエの飲食店を増やすとか、この際に便乗するものが目立つという。さらには、50もの基金を作って予算を配るなどの大盤振る舞いである。それにゴーサインを出した岸田は、政権維持のためには何でも聞く御用聞きのような政治家になってしまったのか。

◆ビジョンも政治哲学も見えない
 国の借金はこのまま行くと、2040年には、今の2倍以上の2700兆円にも膨らんでしまうという予測(大和総研)もあるが、こうした未来世代にツケを回す財政を、岸田はどうするつもりなのか。「聞く力」だけで、そこに日本をどうするというビジョンも政治哲学も見えないのが何とも心許ない。エリート政治家の道を歩んできた岸田も、権力者の意向を読み、流れに逆らわずにやって来たのかもしれないが、それが習性になってしまっては首相は務まらない。構造的な変革が避けられない今は、流れに逆らってでも突破するビジョンと哲学が必要になるはずだ。岸田にそれがないとすれば、早くに退陣してもらうしかない(後に誰がいるかも心配だが)。

国家ビジョンと民主主義 22.11.18

 イギリスの元首相ウィンストン・チャーチル(1874〜1965)はかつて、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外のすべての政治体制を除けばだが」と言ったが、これは逆説的に「民主主義はこれまで試みられてきた民主主義以外の政治に比べれば最良の政治形態だ」と民主主義を肯定する一方で、政治家にとって民主主義は、時間と忍耐を要する面倒な政治形態だと嘆いた言葉でもあるだろう。確かに面倒でも、民主主義がなければイエスマンで固めた独裁者の暴走や権力の腐敗を監視、是正する機能は期待できない。

 しかし、その民主主義が政治の場で何より大事な政治的価値として扱われているかと言えば、この現代に至ってもその地位は大きく揺らいでいる。2021年のデータ(*)では、世界199の国と地域のうち、意味のある選挙を実施している民主主義国家は90か国だが、選挙があっても独裁的国家、あるいは選挙もしない独裁国家は109か国。この非民主主義的国家には中国もロシアも入っているが、今や世界人口の71%が非民主主義国に住んでいる状況であり、この傾向はむしろ進んでいる。今、世界の中で民主主義の位置づけはどうなっているのだろうか。*英オックスフォード大統計

◆民主主義VS「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」
 8日に行われたアメリカ中間選挙では、バイデン大統領とトランプ元大統領の戦いの様相を呈したが、バイデンはトランプを意識して「これは民主主義を守る戦いだ」と言って上院では僅かに共和党を制した。それだけトランプはアメリカの民主主義を根底から揺るがしてきたと言える。大統領時代に行った、膨大な嘘の発信、メディアへの攻撃と脅し、選挙の正当性への異議、政権に身内を登用する公私混同、司法への攻撃や裁判官(判事)登用への介入、政敵への犯罪者呼ばわり、支持者の暴力の黙認ないし賞賛などである(「何が民主主義を殺すのか」)。

 民主党の勝利は民主主義への危機感と同時に、共和党の人工中絶禁止への若者層の反発が大きかった結果とも言うが、一方で、15日に「再度、大統領選挙に出る」と宣言したトランプには、今も熱狂的な岩盤支持層がいる。その支持者を惹きつけているのは、トランプが掲げる「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」(MAGA)である。この日の立候補宣言でも、トランプは「アメリカを再び偉大で輝かしい国にする」と演説した。これは彼の「アメリカファースト」にもつながるスローガンだが、バイデン側からは聞こえて来ない「国家の夢、国家ビジョン」でもある。

◆バイデン政権の「民主主義VS専制主義」
 方や「民主主義を守れ」と訴える民主党。方や「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」と訴える共和党。アメリカ国内はこの二つの主張の間で真っ二つに分断されている。もちろん、世界の多くの国々で民主主義の価値観が揺らいでいる時に、バイデン大統領が民主主義の価値観を守れと訴えるのは、ある意味当然とは思うが、この「民主主義の価値観」の訴えと、「国家の夢、国家ビジョン」の訴えは、どこかですれ違っているようにも思える。何がどうすれ違っているのか。それを考えるために、覇権をめぐって争っているアメリカと中国の場合を見てみる。

 これまでバイデン政権は、中国やロシアを念頭に「民主主義対専制主義」という価値観の違いを掲げ、NATOや東アジアの民主主義国家(日本、オーストラリア、インド)を束ねてロシアに対抗し、中国を封じ込めようとして来た。しかし、今回のG20の期間中、14日にインドネシアのバリ島で行われた米中首脳会談で中国の習近平はこれに反発。「米国には米国式の民主主義があり、中国には中国式の民主主義がある。自国を民主主義国家、他国を権威主義国家と定義すること自体が非民主主義的だ」と反論したという。相当、カチンと来ているらしい。

◆中国の「国家の夢、国家ビジョン」
 香港の民主派や新彊ウイグル族への弾圧などを見れば、中国が民主主義国家とはとても思えないが、「中国には中国式の民主主義がある」とは、どういうことか。思うに、中国は党員9千万人の中国共産党の一党独裁国家で、これを維持することが至上命題であり、全人代や共産党大会など、その枠内での様々な政治的仕組みが「中国式の民主主義」と言いたいのだろう。しかし、これは限られた仕組みで14億国民全体のものでなく、西欧式の民主主義とも違う。国民全体を考えた場合、彼らが重視するのは、そうした民主主義的価値観よりも「国家の夢」の方になる。

 習近平の中国はかねてから、2049年の建国百年に向けて「中華民族の偉大な復興」を国民の夢として掲げてきた。清朝末期のアヘン戦争などで欧米の列強や日本に浸食された国富を回復し、大国を復活する夢である。そのために、格差を是正して国民の富を底上げする「共同富裕」や世界の製造強国を目指す「中国式現代化」を目標にしてきた。これは、明治初期の日本の「富国強兵」や「文明開化」などと同じ類の「国家の夢、国家ビジョン」だが、今の中国はそうした「国家の夢、国家ビジョン」を民主主義の価値観より上位に置いていると言える。

◆民主主義は必要条件だが、十分条件ではない
 こうして見ると、トランプの「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」も、中国と同じ類の「国家の夢」には違いなく、選挙結果は、その夢のためには民主主義的価値観に縛られないと考えるトランプ支持層が多いということを示している。逆に民主主義的価値観を訴えるバイデンには「国家の夢」が欠けていて、国民を政治に惹きつける何かが足りない。つまり、政治を健全に機能させるための民主主義は必要条件ではあるが、十分条件ではないということ。国民を政治に惹きつけ、有効に機能させるためには魅力的な「国家の夢、国家ビジョン」も欲しいことになる。

 そこで「国家の夢、国家ビジョン」が大事になるのだが、この点、プーチンの「大ロシアの復活」や習近平の「中華民族の偉大な復興」に匹敵するものが、民主的国家には少ないのは何故なのだろうか。彼ら権力の集中を目指す強権的国家は、国民を束ねるために「国家の夢」(スローガン)を掲げるが、それは愛国心を掻き立て、民族の誇りをくすぐるもので、往々にして排他的になったり、攻撃対象を仕立てたりする。かつてのヒトラーや軍国日本、現代のプーチンや習近平、トランプの場合も根幹には(全部ではないが)似たような要素が含まれている。

◆民主主義を土台にした魅力的な国家ビジョンを
 それに対して、民主主義的価値観を大事にする民主国家が「国家の夢、国家ビジョン」を作るとすれば、どういうものになるのだろうか。高度成長期の日本では「所得倍増計画」(池田勇人)、「日本列島改造」(田中角栄)、「田園都市構想」(大平正芳)などの国家ビジョンが提示されたが、国の勢いがなくなった近年は、夢のある「国家ビジョン」が一向に見られない。安倍の「戦後レジームからの脱却」、岸田の「デジタル田園都市構想」なども曖昧で、国民を政治に近づけたとは言えない。民主主義を土台にしながら、魅力的な国家ビジョンは出来ないものか。

 具体的な文言は別途模索したいが、ここではそれが備えるべき条件の幾つかを上げることにしたい。一つは、この国の持続可能性である。祖先から受け継いだ豊かな社会的共通資本をより豊かにして次世代に引き継ぐこと。「失われた30年」の日本の現実を直視し、日本が抱える膨大な財政赤字を立て直し、少子化、超高齢化をソフトランディングさせていく。そのための教育国家、文化国家の再構築である。もう一つは、世界の中の日本の視点である。それは、日本を自然エネルギー大国にする夢であり、脱炭素技術で世界に貢献していく。さらには、世界平和構築への貢献である。

 イアン・ブレマーの「危機の地政学」によれば、これからの世界は大国同士の価値観の衝突、地球温暖化、パンデミック、破壊的な技術という破滅的な危機に直面する。その危機をバネに、国際協調の道を探ろうというのが本書の趣旨だが、平和の構築のためには、価値観の違いを乗り越えて、日本がそこでしっかりと役目を果たしていくということも、国家ビジョンに書き込まれなければならない。