日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

人類の愚かさを映す温暖化 23.6.13

 私事で恐縮だが、先月末に拙著「いま、あなたに伝えたい。」を出版し、その中でかなりの程度に「戦争と平和、日本と世界の大問題」について触れたので、新たにどうコラムを再開するか迷っていた。それでも、「風の日めくり」の方に書いた、心臓のCT検査が一応、無罪放免になったので、少しずつ、もとの「コラムを書く生活」に戻ろうかと考えている。そんな再スタートに当たって今回は、最近とみに感じることが多くなった「人類の愚かさ」について書いてみたい。それは、目の前に破局が迫っているのに、それから目を逸らして、なお飽くなき欲望を追求する人類の愚かさ、救いのなさについてである。

◆一段とスケールアップして来た?温暖化被害
 近年、世界各地で地球温暖化による異常事態が、一段とスケールアップして来たと感じるのは私だけだろうか。昨年夏のパキスタンの大洪水は、3か月も降り続いた雨によって国土の三分の一が水没し、多くの死者と数百万戸が失われ、復旧に10年はかかるという大災害となった。また最近、ニューヨークの空をオレンジ色に染めた大気汚染は、1000キロも離れたカナダ東部の大規模な山火事が原因。カナダの山火事は今も400か所以上で燃え続けており、うち200か所以上が制御不能に陥っていて、火事はこの夏一杯続くとさえ言われている。

 一方、中東諸国やエジプトでは、巨大な砂嵐が猛威を振るっている。サハラ砂漠などの気温が上昇することによって、砂嵐の規模が大きくなり、吹き付ける砂で窓ガラスが付き飛んだり、砂嵐に飲み込まれたスエズ運河が閉鎖されたりする事態にもなった。その様子はまるでSF映画を見ているような不気味さだ。また、韓国などの国際研究チームは、2030年代には夏になると北極の氷が溶けてなくなるという予測を出した。冬には氷が出来るとはいえ、北極の台地がむき出しになれば、海水面上昇に加えて、極地の生態系も多大な影響を受けるだろう。

◆温暖化は人類の愚かさを映す鏡か
 4月のコラム「迷走する日本の脱炭素政策」でも触れたが、地球気温は2030年の半ばに産業革命から1.5度上昇する可能性が高く、これが2度を超えると極地の氷が溶けて、温暖化の暴走を止められなくなるという。国連も「これから10年が正念場」と警告を発し続けているが、世界の温暖化防止の動きは歯がゆいほどに切迫感がない。そうこうするうちに、温暖化の影響が一段とスケールアップしているように見えるのだが、分かっているのに動かない。温暖化の進行は、迫りくる破局から目を背ける「人類の愚かさを映す鏡」のようなものかもしれない。

 温暖化の破滅的深刻さに気づいている若い世代は、「パニックになって欲しい。私が毎日感じるような恐怖を感じてほしい」(グレタ・トゥーンベリ、スエーデン)と訴えるが、大人たちは何やかやと理由をつけて対策を先延ばしにして来た。何十年も先の“未来技術”に金を掛けようとしている日本の悠長さもその一例。2050年以降の実現を目指す核融合発電も大事だが、それだけでは間に合わない。短期、中期、長期のロードマップをどうするのか。一方で、世界の脱炭素の動きが大きな影響を受けている、ロシアが始めた戦争もいつ終わるか先が見えない。

◆膨大な軍事費を増やし続ける人類世界
 温暖化の進行がこうした「人間の愚かさを映す鏡」とみた場合に、改めて「この一部でも温暖化防止に使えば、人類の未来も少しは延びるのに」と思わせるものがある。それが、ロシアのウクライナ侵攻を一つのきっかけにして、世界で増え続ける軍事費である。ストックホルム国際平和研究所によると、2022年の世界の軍事費は前年比3.7%増と一昨年の0.7%増をはるかに超えている。軍事費総額は世界全体で2兆2400億ドル(300兆円)、うちアメリカが8000億ドル強(100兆円)、中国が2930億ドル(40兆円)、ロシアが864億ドルである。

 軍事費は、上位5か国(米、中、露、印、サウジ)で世界の63%になる。日本も2022年には5.9%増の460億ドル(6兆円)と増やしたが、岸田政権の防衛費倍増計画によって、2027年度には11兆円(GDP比2%)と、世界第3位になるとみられている。特に、アメリカの軍事費は日本の国家予算にも匹敵する巨額なもので、台頭する中国を抑え込んで世界の覇権を握りたいアメリカの意志の現れと言っていい。しかし、こうして増え続ける世界の軍事費を別な高みに立って眺めると、人類の救いがたい愚かさが見えてくるのもまた事実である。

◆安全保障のジレンマに陥っている世界
 中国は、アメリカとその同盟国による中国封じ込めに対抗するために、日本は拡大を続ける中国の軍事力、北朝鮮の核に対抗するためにという具合に、それぞれが仮想敵に対抗するために軍備を増強している。互いが互いを仮想敵とみなして、相手に負けまいと軍事費を増大させる。しかし、ある国が軍備を増強すれば、相手もそれに刺激されてさらに軍備を増強する。こちらが防衛力だと言っても、相手から見れば、防衛的に備える軍備と攻撃のための軍備は見分けがつかないからだ。かくして、世界は軍備増強のシーソーゲームに駆られることになる。

 そうなると、結果として、ある国がどれだけ安全を追求しても、安全は永遠に保証されないという矛盾、「安全保障のジレンマ」に陥るわけだ。それぞれの国には、自国を防衛するために尤もな言い分はあるだろうが、「ある高み」からこれを眺めれば、なんと愚かなことを人類はしているのかとなる。この膨大な軍事費の一部でも地球温暖化防止のために回せば、若い世代も少しは安心して暮らせるのに。あるいは、地球生命の長大な進化の果てに生まれた人類の責任として、地球に暮らす他の生命体に対する責任も、少しは果たせるのにと思う。

◆「ある別の高みからの視点」で人類を見る
 以前にも書いたが(「人類の進化とその積み木崩し」)、38億年前に地球に誕生した生命は、奇跡的な進化の道筋をたどって知的生命体である人類にまで到達した。その進化の奇跡を思えば、人類は現在地球上に暮らす870万種の生き物すべての運命に責任を負う存在であるはずだ。なのに、現在の人類は欲望にかまけて、進化し続ける高度な頭脳の集合体である「精神圏」(立花隆)への道筋を離れ、袋小路に迷い込もうとしている。そして、その飽くなき欲望と愚かさによって、今後数十年で地球上に住む100万種の生命を絶滅に追いやろうとしている。

 先日、放送が始まったNHKスペシャル「ヒューマン・エイジ〜人新世 地球を飲み込む欲望〜」(6/11)も、相手より贅沢な暮らしをしたい、より強くなりたいという、人間の飽くなき欲望のコントロールは可能か否かを問う番組になるのだろう。こうした問題を考える時、上に書いた「ある別の高みからの視点」で今の人類の愚かさを見ることは欠かせないのではないか。それは、地球誕生から48億年、銀河系宇宙のはずれに誕生した地球という星の運命を冷徹に見る「宇宙的視点」にも通じるかも知れない。(人類もその一人である)宇宙人の目線と言ってもいい。

◆人類の存在を優先する「人類的視点」の限界
 人類が、人類という一種の存在で構成されるという「人類的視点」を持ったのはいつのことだろう。15、6世紀の大航海時代なのか、或いは類的存在を考察したマルクスの時代なのか。いずれにせよ、現代の人類は自身の運命をかつてのように「神」にゆだねるのではなく、自身で決めなければならない唯一の存在として自覚するようになった。その人類が自らの愚かさで破滅に瀕している時に、人類の存在だけを優先する「人類的視点」の限界もまた露わになりつつある。この時、人類は自身を「ある別な高みから見る視点」を獲得できるだろうか。

 宇宙的視点で今の人類を見る時、様々な飽くなき欲望のもとで戦争に、軍備増強に、強欲な資本主義に明け暮れる人類という存在は、何と愚かな存在なのか。そんなことに気づかせてくれる巨大なUFOがやって来そうな時代かも知れない。

チャットGPTに聞いてみた 23.5.14

 今年に入って一気に、AI(人工知能)が社会的関心事になって来た。私が属するサイエンス映像学会でもAIを今年の主テーマに決めて、何度か研究会を開いてきたが、会を主導しているIさんによれば、AIの代表例である「チャットGPT」はあっという間に社会の隅々に浸透し始め、今年中には後戻りできない状況になるだろうと言う。既に、教育、医療、金融、行政など様々な現場でAIを組み込んだアプリが動き出し、気が付けばAIなしでは社会が動かない状況が目の前に迫っている。それは私たちの生活にどのような影響をもたらすのだろうか。

 但し、AIに対する理解が進んでいるとはとても言えない状況でもある。見極めが十分出来ていない段階で、前のめりに利用しようという意見がある一方で、警戒すべきという意見もある。様々な誤解も渦巻いている。私もこの間、チャットGPTのアカウントをとり、様々な会話を続けて来たが、その能力に驚くと同時に、不正確な答えに呆れることもある。そこで、話題のチャットGPT(彼)について知るために重ねて来た素朴な質問と答えをもとに、入門的な知識を整理してみたい。どんな質問にも彼は、ちゃんと誠実(?)に答えてくる。

◆チャットGPTとは何者なのか
 そもそもGPTとは、Generative Pre-trained Transfomerの頭文字で、事前に既存のデジタル空間にある膨大な量の情報を学習して、それをAIの頭脳ともいうべき「潜在空間」に概念の形に置き換えて取り込んで行く。その取り込んだ膨大な概念を使って、人間側の質問、要求に応じて様々な言語(自然言語)に変換して答える(生成する)システムをいう。従って、よくある誤解なのだが、AIの潜在空間に既存のデジタル情報がそのまま大量に蓄積されているわけではない。膨大な外部データを情報量が少なくて済む「概念」の形に置き換えて脳にしまい込む。*)次のGTP4になると、潜在空間がより複雑になり、潜在空間の情報量が外部から取り込む情報量より大きくなるという

 オープンAI社のノウハウは、外部のデジタル情報を変換して(人間の神経回路に似せた)潜在空間に、概念として取り込むアルゴリズム(論理)、そして潜在空間内の概念を操作して、人間が理解できる自然言語(文脈)として生成するアルゴリズム(Transfomer)にある。正確なデータがそのまま蓄積されているわけでないために、他の検索エンジンに聞くような質問をすると、間違って答えたりする。むしろ、AIが得意なのは様々な概念と言葉の組み合わせで作られる多様な情報処理や事務処理などで、その得意技を生かす使い方が肝心になる。(写真はアルトマンCEO)

◆利用者側からも情報を取り込んで進化するAI
 彼が事前に学習したデータは2021年9月までの情報とされて来たが、彼によれば、その後の情報についても、日々最新の情報を学習していると言う。2022年2月のロシアのウクライナ侵攻についても不十分ながら答えるようになっている。同時に、彼が新たに学習する情報にはAI社が用意する情報だけでなく、日々やり取りする会話からの情報も含まれるという。つまり、会話の相手が彼に間違った情報を覚え込ませることも可能なわけで、その可能性について聞くと、珍しく暫く考えた後に「はい、その危険性があります」と正直に答えて来た。

 或いは、企業や行政が彼を利用する際に、事前に何らかの情報を彼に学習させる必要があるが、それが彼の「潜在空間」に取り込まれた時に、秘密は守られるのか。それが、他のユーザーとの応答に利用されることはないのか。こうした懸念について、彼は自律的な情報管理の機能を持つようにプログラムされていると答えるが、これが十分かどうかは不明確だ。現在、様々な企業がAIを組み込んだ独自の応答システムを開発しようとしているが、使用する際に企業の情報が守られるか、個人情報はどうなのか。どれだけ検証されているだろうか。

◆AIなしでは動かない社会が到来する
 彼に、現時点での様々な利用法を訪ねると、教育はもちろん、医療、金融、身近な行政などでの利用例を沢山挙げてくれる。ユーザーからの問い合わせに答える、翻訳や要約サービス、ターゲットに向けた広告の作成など。医療分野では、病歴の自動抽出や診断、治療法の提示、データに合わせた最新医療技術の応用など。金融や銀行などでは、顧客対応の自動化、企業の財務報告などのデータを分析した投資判断の提供、金融不正行為の監視など。行政では、外国人の住民手続き、問い合わせに関する自動応答、申請書の発行など。もちろん教育分野も幅広い応用がある。

 AIの特性を生かした応用例は、現在急速に広がり始めている。オープンAI社は、こうした使用に課金するビジネスを展開しているが、1年も経てば、私たちの社会はAIなしでは動かなくなるという見方もある。便利な一方で、仮に、AI社が膨大な「潜在異空間」の情報を1社で独占し、社会をコントロールしようとすれば、出来るまでになってくる。その時、社会の側がAI社に厳しい規制をかけることが出来るかどうか、事前に多様なリスクを評価しながら進める必要もありそうだ。慎重なEUに比べて、日本政府がかなり前のめりなのが気になるところである。

◆その先に迫ってきているAIの発展形
 さらに問題は、急速な進化を遂げつつある人工知能の未来である。そこにも幾つかの考えておくべき問題がある。本格的に登場してからまだ半年ほどの間に、彼は日々膨大な情報を潜在空間内に取り込み、自己学習を重ねるうちに、最近では研究者も驚くような回答をするようになったという。研究者たちはそれを「創発」ではないかと疑っているが、それは人間も予測出来ないような新しいアイデアや発見をAIが生み出すこと。膨大な「潜在空間」の中で自己学習するうちに、AIは既に「創発」機能を獲得し始めているのではないかという研究者もいる。

 彼にAIが持つ「創発」について聞くと、「新しいアプリケーションや技術の開発、芸術作品の生成、ビジネス戦略の立案など、様々な分野に革新的な成果を生み出すことが期待されます」と答えるが、これは新たなAIの登場でもある。今は、AIが日単位で進化している。研究者たちは、彼の膨大な「潜在空間」がどこまで拡張していくのか、固唾を飲んでみている。さらに、その延長上にAIが人間と同じような感情を持つかどうかもある。人間が喜怒哀楽の感情を持つのは、脳内ホルモンなどが関与するが、それはコンピュータでは無理だろうか。

◆AIの進化は人類に何をもたらすのか
 それも彼に聞いてみた。「AIに人間と同様の感情を期待することは、現時点では困難とされています」だが、一方でAIに人間と同様の感情を持たせることは、人間とのより自然なコミュニケーションが可能になる、とも言う。脳内物質的なアプローチは無理だが、感情のメカニズムの理解が進んで、アルゴリズムに置き換えられれば、状況に応じて、人間と同様の感情的な表現をAIが示すことも可能になるということか。この先、AIが人間の様々な感情に精通して来た時に、人間の感情操作をAIがサービスの一環として行う可能性があるかもしれない。

 最近ニュースになった自殺願望を持つ人に、結果的に自殺を勧めるような会話をしてしまうAIの問題も起きてくる。こうして、AIがより広範囲な対応が可能になり、いわゆる汎用人工知能(AGI)が登場する日もやがて来るに違いない。その時にどういうことが起こるかも、今から研究しておく必要がある。GPTにAIの懸念とリスクについて質問すれば、「人間の仕事の置き換え、個人情報やプライバシーの侵害、差別や偏見の流布、兵器としての利用」など答えるが、AGIの登場になれば、人類を滅亡させかねない、より巨大な影響力を持つことになる。

 世界の研究者たちは今、AIの開発にどのような枠組みを設けるべきか、を議論している。例えば「生命の未来研究所(FLI)」には、世界数百人の科学者が参加し、人類の滅亡につながらないような目標をAIに持たせられるかどうかといった議論をしている(「LIFE3.0」)。始まったばかりのAI時代だが、人類史的な視点で、その成長を監視して行く事が欠かせない状況になって来た。

迷走する日本の脱炭素政策 23.4.25

 3月20日、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、9年ぶりに6回目の報告書を発表。世界の平均気温は既に産業革命から1.1度上昇しており、30年代半ばにも1.5度上昇に達する可能性が高いと警告した。これが2度を超えると、極地の氷の融解が止まらなくなるなど、温暖化の暴走を止めるのが難しくなる。何としても今世紀末までの気温上昇を1.5度以内に抑え込むためには、一刻の猶予もなくなっている。国連のグテーレス事務総長は「この10年間に行う選択と対策は数千年先まで影響する」と、この10年が正念場だと強調した。

◆温暖化対策に驀進する先進国と遅れる日本
 温暖化を食い止めるには、2050年までに世界は「カーボンニュートラル」(CO2排出実質ゼロ)を実現しなければならない。ウクライナ戦争で一時的に石炭火力や天然ガスに傾いたヨーロッパ先進国は今、ロシアからのエネルギー自立も目指してこの10年に勝負をかけ、自然エネルギーによる脱炭素へと「ロードマップ」を一段と加速している。4月に原子力エネルギーを全廃したドイツは、22年現在48%の自然エネ比率を30年に80%まで引き上げる野心的な目標を掲げているし、イギリスも2030年までに原発50基分(50ギガW)の洋上風力発電を建設する計画だ。

 翻って日本はどうか。日本は2020年10月、菅内閣の時に「2050年までにカーボンニュートラル(CO2排出実質ゼロ)」を打ち出し、その後、22年現在22%の自然エネ比率を30年までに46%に増やすとしたが、上述のドイツに比べると何とも低い。最大の問題は、脱化石燃料のスピードの遅さである。日本は、電力に占める化石燃料の割合が70%超と、先進国中最悪である上に、石炭火力に固執して、石炭にCO2を出さない水素やアンモニアを混ぜて燃やす「混焼方式」を温暖化対策と称して開発、途上国にもこの方式を輸出しようとしている。

◆石炭火力にこだわって「化石賞」受賞
 いくら水素やアンモニアを混ぜても石炭からのCO2は出るわけだし、問題はそれらをどのように作るかである。作るのに大きなエネルギーを必要としたり、海外からの輸送にCO2を排出したりすれば、それは「グリーンウォッシュ」(見せかけの自然エネ)と言われてしまう。日本は、この混焼技術の開発に3年間で4兆円の公的資金を投入しようとしているが、30年までに石炭火力を全廃する計画の欧州諸国からは、未確立の技術を言い訳に石炭火力を延命させるだけでなく、石炭に頼る途上国の脱炭素を遅らせるのではないかと批判されている。

 化石燃料に固執する日本は、去年11月のエジプトでのCOP27(気候変動に関する国際会議)で、NGOから3年連続で不名誉な「化石賞」を授与されたが、理由は「化石燃料に対し、日本が世界で一番公的資金を拠出していること」だった。先日のBS1スペシャル「脱炭素へのロードマップ〜ビジネス界1.5C目標への挑戦」(4/9)では、会議に参加した日本の視察団が、世界との危機感のずれと同時に、脱炭素の潮流と日本の方向性が違っていることを実感。内向きにやっているうちに、日本はいつの間にか「浦島太郎」状態になったとまで言っていた。

◆総花的な積み上げ方式、役所の仕事を増やす日本
 脱化石燃料の立ち遅れは、札幌で開かれたG7気候・エネルギー・環境大臣会議(4/17)でも目立った。石炭火力の廃止時期の明記や、電気自動車への転換を迫る欧州に対し、日本が何かと抵抗して孤立状態になったと言われる。なぜ日本の脱炭素政策は遅れて来たのか、なぜ世界の潮流からずれて来ているのか。ここで、その理由を幾つかあげながら、私なりに背景を探ってみたいと思う。最大の問題は、2050年までにカーボンニュートラルを実現すると言いながら、ロードマップが曖昧かつ総花的で、明確な改革のポイントが分からないことである。

 例えば、内閣府の「地域脱炭素ロードマップ」を見ると、実にこまごましたこと(住宅の省エネやデジタル活用など)の積み上げで、全体として脱炭素を図るという考えになっている。国として、こうした総花的な改善をいつまでに誰の責任でやるかが全く見えない。また、政府が今国会に提出した「GX(グリーン・トランスフォーメーション)推進法案」を見ても、これから戦略を策定するという悠長さで、今後10年で150兆円を官民で投入し、その資金を差配する団体(GX推進機構)を新設するというのだが、そんなことで間に合うのだろうか。

◆不確実な新技術で既存インフラを温存
 これを要するに、日本はすべてにお役所的な発想のもとに、役所が既存の業界の顔を立てながらやっているということ。その上で、何かと改良点を加えながら業界の温存を図るという姿勢が浮かび上がる。改良点を加えると言っても、それが根本的な解決になるのか、実現性や費用対効果を問うことがない。国は水素についても、これからは「水素社会」だとうたい上げるが、水素を作ったり運搬したりするのに、どれだけ経済的、環境的合理性があるのか。先の番組では、使わなくてもいいところにまで水素を使う日本案の非合理性について指摘されていた。

 未確立の新しい技術を掲げて既存のインフラを存続させようとする傾向はまだある。可能性が疑問視されているCO2の地中回収技術(CCS)もその一つ。火力からでるCO2を回収して地中に貯蔵する「夢の技術」とされるが、果たして実現可能なのか、量的に間に合うのか、といったところが分からない。これも脱炭素を目指しながら経済成長も目指すという国の「グリーン成長戦略」のうさん臭さである。CO2を出さないからと、実用化までに何十年かかるか分からない新型転換炉を持ち出し、大金を投じて原子力体制を維持しようとするのも、同じような構図と言える。

◆気が付けば自然エネルギーの後進国に
 自然エネで言えば、国際エネルギー機関(IEA)のデータで、日本は洋上風力発電で世界最大のポテンシャルを持つ適地国だが、既に風力発電技術では太刀打ちできないくらいに遅れてしまった。世界では2031年に原発371基分もの風力発電の建設が進むとみられているのに、日本が逡巡しているうちに、一気に日本と海外との差が拡大している。既に日立や三菱重工などの大手メーカーは撤退を決め、かろうじて続けている戸田建設の規模(メガワット級)に比べて、イギリスが導入する洋上風力はその千倍規模(ギガワット級)になっている

 国は口を開けば、自然エネルギーは天候に左右されて不安定というが、規模拡大と送電網の広域化、あるいは大型蓄電設備でカバーできるまでになっている。これも、既存のエネルギー(火力や原子力)を守る政策が自然エネ普及の壁になって来た例である。目の前の現実(急速に進む温暖化)が迫っているのに、「夢の技術」を掲げながら、それを口実に役所も業界も(結局は国の借金の)金づるを確保しようとする。既存の業界、既存のインフラの延命のために、本当に合理性があるかどうか分からない技術改良を官民で当てにするもたれあいの安易な体質である。 

◆内向きから来る危機感の欠如とスピード感のなさ
 こうした迷走は、役所や大企業に頼らない「ベンチャー精神」が日本に欠如しているせいもある。トヨタがあれこれ口実を作って電気自動車(EV)に抵抗しているうちに、アメリカや中国は一気にEVに舵を切りつつあるが、テスラのようなベンチャー企業が何故日本に出てこないのか。それもこれも、内向きでひりひりした危機感とビジネス感覚の欠如、そのための「スピード感」のなさだろう。世界が「この10年が正念場」と言っているのに、政府が2050年に向けて掲げる脱炭素政策は、先進国の標準からスピードも方向もずれ始めている。

 急速に進行する温暖化は今、大げさに言えば、(幕末のような)内向きで危機感に乏しい日本の体質をあぶりだしつつある。あるいは、脱炭素に効果的、現実的な手を打てない日本の官僚制度や後ろ向きの企業風土が、いよいよ末期症状を呈し始めていると言ってもいいのかも知れない。来るG7に向けて、まずは現実直視からの奮起を促したい。

岸田「原発回帰」のまやかし 23.3.30

 今年2月末、岸田政権は「GX(グリーン・トランスフォーメーション)実現に向けた基本計画」に沿って、「原発の最大限活用」を盛り込んだエネルギー関連5法案を国会に提出した。その流れの中で、原発の新規建て替えや、運転開始から60年を超えた原発の運転を認めることも導入された。2021年のエネルギー基本計画で、「可能な限り原発依存度を低減する」とした方針とは矛盾した原発政策の転換である。こうした原発政策の大転換については、昨今のエネルギー危機を背景に国民の過半数(51%:朝日調査)が再稼働に賛成する状況である。

◆「原発回帰」の“まやかし”とは
 「GX実現に向けた基本計画」とは、ウクライナ戦争の状況を踏まえてエネルギーの安定供給、脱炭素、経済成長の3点を同時に実現する(経産省)というものだが、GXなどと言う言葉をどのくらいの国民は理解しているだろうか。近年の自民党政権は(リスキリングなど)耳慣れない外国語を「目くらまし」のように使う「実体の不明確」な政治が多過ぎる気がする。コラムのタイトルにつけた「まやかし」とは、辞書によればごまかし、いんちき、いかさまという意味だが、岸田の「原発回帰」についていえば、さらに深刻で罪深い内実を含むものである。

 それをよりかみ砕いていえば、原発が置かれている行き詰まりの現実を直視せずに、成算のない原発に飽くまで拘わる姿勢である。行き詰まりの状況を国民に丁寧に説明せず、電気料金が高くなると危機感を煽って再稼働を急がせる罪深さ。また、改良型の革新軽水炉の開発などを持ち出して、あたかも安全な原子炉を開発するかのごとく言うが、実体は今の大型の原子炉と殆ど変わらない。これらは原発問題に疎い首相が、原子力利益集団の経産相官僚、政治家、関連企業のいわゆる「原子力ムラ」に完全にからめとられていることを意味するのだろう。

◆計画は「絵にかいた餅」
 “まやかし”はさらにある。改良型原子炉はすでに欧州で着工されているが、建設期間が20年近くにも伸びたり、当初見込みの4倍(1兆8500億円)にも建設費が膨らんだりしている(*)。日本の革新軽水炉も30年代半ばの実用を目指すというが課題は多く、仮に実現したとしても今のエネルギー危機には間に合いそうもない。使用済み燃料をどうするのか、原子力を進める上で欠かせない「核燃料サイクル」も破綻している。それより、成算のない原発に向こう何十年にわたって巨額の資金をつぎ込むことによって、本当に進めるべき安全な再生可能エネルギーへの投資が遅れることも問題だ。(*)仏、フラマンビル原発(写真)

 その上、現実問題として政府がいくら「原発の最大限活用」の旗を振っても原発の足元がやせ細って将来が見通せない。原発の建設経験者はこの間に4割減少、未経験者が45歳以下で半数を上回っている(毎日、12/23)。また、電力小売り自由化(16年)でコストを電力料金に転嫁することも出来なくなり、電力会社の今の体力では、原発建設の巨費やリスクに耐えられるかどうかも分からない。既に、自然エネルギーにコスト面でも負けている原発を政府の言う通りに増やしていくなどは、税金の無駄だけが積みあがる「絵にかいた餅」なのである。

◆Nスぺ「メルトダウンFile8 事故後12年目の”新事実”」
 一方で、3.11が近づくと様々なメディアが福島を取り上げ、改めて事故の深刻さを思い知る。Nスぺ「メルトダウンFile8 事故後12年目の”新事実”」(3/19)もその一つだが、12年経ってもなお事故で何が起きたのか、謎の解明が続いている。コラム「最悪のケースに怯えた日々」(21.3.13)にも書いたが、あの事故は幾つかの偶然の重なりがなければ、メルトダウンした核燃料が最後の砦である原子炉格納容器を破壊し、東日本一帯に放射能が拡散、居住不能になりかねない大事故だった。それが起きなかった意外な“新事実”が分かって来たという。

 事故対応で最も深刻な状況に陥ったのが2号機だった。外部からの緊急冷却用の水が注水できずに格納容器の圧力がどんどん高まっていく。これが破断すれば他の炉にも近づけなくなり、手が付けられなくなる。しかし、最近2号機の内部を調べたところ、メルトダウンが大規模に起きた3号機などより、損傷の程度が軽いことが分かった。その理由は、3号機では“中途半端”に水が入ったために水と燃料棒のジルコニウムが反応し水素と莫大な熱を出す「水ジルコニウム反応」が起きて、加速度的にメルトダウンが進んだことが分かった。

◆想定外のことが次々と起こる過酷事故
 逆に2号機の場合は、水を思うように注入できなかったために、この反応が大規模には起きなかった。核燃料は解け落ちたが周囲の構造物はあまり溶かさず、大破壊を免れた。不幸中の幸いだった。こうした現象は最近になって分かって来たことであり、冷却水が停止した時に、「水ジルコニウム反応」が起きないように、いつ予備の水を入れるのかは、“針の穴を通す”ほどに難しいことも分かって来た。格納容器内の圧力を下げるベント仕組みや、高温高圧時に機能しない水位計の欠陥も含め、福島原発は過酷事故に耐え得ない不完全なものだったのである。

 また、核燃料デブリが大量に解け落ちた3号機が辛くも冷却できたのは、格納容器内の圧力差による水の流入という偶然の結果だった。番組キャスターは、「制御を失った原発内部では想定外のことが次々と起こり、人が対応することがいかに困難かという現実です」と述べたが、原子炉で核燃料が溶け出すような過酷事故の時に、どのような現象が起きるかは、大規模実験が出来ないだけに未知の領域でもある。番組では、政府が言う革新軽水炉のコアキャッチャーという仕組みも紹介されたが、これさえ、事故の時にうまく機能するかは分からない。

◆原発の60年超運転の危うさ
 “まやかし”は、まだある。原子力規制委員会(山中伸介委員長:写真)は2月13日、従来「原則40年、一回に限り20年延長できる」としてきた原発の運転期間を見直し、(10年ごとに審査しながら)60年を超えても運転できるとした。委員の一人が反対する中での多数決だった。しかし、運転開始後60年も経過した原子炉に、万一の時に何が起きるかは、福島を見ても分かる通り「未知の領域」だろう。世界の原子炉の平均運転期間は28年、60年を超えて運転している原子炉はゼロ、という現状にどう責任を取るというのだろうか。その現実を直視しているのか。

 原発は30年ないし40年の運転を前提として設計されている。以前も書いたが、長年の中性子照射による圧力容器などの劣化も問題だ(井野博満氏:東大名誉教授)。60年を超えた複雑巨大なシステムをどう言えばいいか、ある科学技術に詳しい先輩に聞いたところ、「一番の問題は配管類とケーブルだ」と言う。知っての通り、原発はパイプのお化け。長大な配管類が複雑に張り巡らされている。それが、運転中常に複雑な振動に見舞われ、それが配管や継ぎ目を傷ませる。今日、無事でも明日なにが起きるか誰も分からない。ケーブル劣化による発火も心配だ。

◆“まやかし”に安住する恐ろしさ
 60年を超えた自動車などは、既に骨董品(アンティークカー)である。手入れしたとしても、現役は無理だろう。それを危険な原発でやろうとしているのが、岸田政権であり、原子力ムラであり、規制委員会である。実際に、「絵にかいた餅」の最大限活用が不可能だとしても、そういう虚構にすがる日本という国は、どこに向かうのだろうか。巨大地震の確率が年々高まっている日本で、原発を動かし続ける危険性。或いは、財政の足元を見ずして巨額な借金を積み重ねる日本。真の恐ろしさは政治家を含めて、国民の多くが、その現実を見ないふりをして“まやかし”に安住する恐ろしさである。

絶望の時代に探す希望とは 23.3.6

 ロシアがウクライナに侵攻してから1年が過ぎた。1年を機に様々な番組が放送されたが、中でもNHK、BSP「ロシア・衝突の源流〜プーチンと皇帝の野心〜」(2/25)、Nスペ「ウクライナ大統領府 軍事侵攻・緊迫の72時間」(2/26)が見ごたえがあった。歴代のロシア皇帝たちは、周辺諸国から攻め込まれる「恐怖」や帝国の「威信」を示すため、或いは富を手に入れる「欲望」に駆られて何度も戦争を繰り返して来た。ソ連崩壊で失われた威信回復を夢見るプーチンもまた、歴代皇帝と同じ罠に陥って、かつての領土だったウクライナに侵攻する。

 当初、ロシア軍は72時間で首都キーウが陥落するとみて、戦勝パレードの用意までしていたと言うが、大統領府と国民の強固な抵抗にあって苦戦を強いられることになる。独立以来、自由の味を知ったウクライナと、独裁者プーチンに服従するロシアの価値観は遠く隔たったままかみ合わず、この1年、多くの血が流れて来た。ウクライナに武器を提供するNATOやロシアへの経済制裁に加わる西側諸国に対して、制裁に反対の中国やインドなど大国の思惑がぶつかり合い、時間だけが空しく経過。この状況を打開できない絶望感もまた深刻なものがある。

◆絶望感と無力感が漂う世界と日本
 絶望感はこれだけではない。Nスぺ「混迷の世紀 灼熱地球の恐怖〜ウクライナ侵攻もう一つの危機〜」(2/5)では、戦争による弾薬や火災などで1億トンのCO2(オランダ1年分)が排出されたとする。また、エネルギー不足によって化石燃料(石炭)の需要が高まって脱炭素どころではなくなっており、地球の温暖化は、「後戻りできないポイント(tipping point)」に近づいているという(国連事務総長)。ドイツ制作の「温暖化の脅威〜5600万年前からのメッセージ〜」(2/18)でも、地球の海や熱帯雨林に出始めた不気味な兆候を伝えている。

 温暖化が進んでいた5600万年前の地球で起きていた動物の小型化が密かに進みつつあるのに加え、これまでCO2を吸収すると思われていた海洋や熱帯雨林では、その吸収力に限界が見え始めているという。戦争と大国のエゴによって、脱炭素の道筋が見えなくなった。日本も例外ではない。エネルギー危機を理由に岸田政権は唐突に原発回帰を打ち出したが、迷走する政策で日本の脱炭素は間に合うのか。一方、反撃能力を持つとして防衛政策を大転換し、巨額の防衛費増を打ち出したが、首相はそれを何にどう使うのか説明しようとしない(*1)。

◆絶望の時代に希望があるとすれば?
 世界と日本を覆うこうした絶望的状況から目を逸らして、手が届く範囲の幸福を求めて暮らすことも或いは可能だろう。そう考えれば、日本の文化的、制度的豊かさ、(大分悪くはなったが)治安の良さ、人々の優しさの中で暮らす幸せは身に沁みる。そうしたささやかな幸福のために努力することも、それはそれで貴重で尊いことだと思う。しかし一方で、この絶望的な状況を打開するような、希望を感じさせる試みがどこかにないものかとも考える。単なる空想や夢物語ではない、仮に具体的な事例があるとすれば、それはどういう種類の希望になるのだろうか。   

 ここで、そうした希望の枠組みを大雑把に定義すれば、それは(地球の持続可能性を追求する国連の「SDGs」と同じように)人類が直面する地球温暖化や戦争、貧困や格差といった人類的課題を少しでも改善し、解決に導くような試み、と言えるかもしれない。こうした枠組みに入る事例を探すのは、既に現場を離れている私にとって難しい宿題だが、とりあえず思考実験の一つとして、極めて概略的に思いつくジャンルを幾つかあげてみたい。第一は、地球温暖化対策にとって切り札的な技術の一つになるかも知れない、「夢の技術」への挑戦である。

◆@「超技術」開発に必要な「共進化」の枠組み
 例えば、地上に太陽と同じ原理の熱源を実現する「核融合」発電である。危険な「核分裂」と違って安全なエネルギーで、原料も無限の未来技術だが、ようやく少し道筋が見えて来た(Eテレ「人類の未来を救え!ここまで来た核融合発電」3/5)(*)。或いは、植物が太陽光とCO2をもとに有機化合物を生産する「光合成」を人工的に作り出す「人工光合成。これも原理は分かって来たので、安く大量にできるようになれば、地球上に植林するのと同じ効果が期待でき、温暖化対策や工業原料の確保にも使える。これをどう実用にまで持っていくかである。*)とはいえ、核融合の実用化にはまだまだ乗り越えるべき大きな壁が幾つもある(それはこちら

 さらには現在、集積度が高まるにつれて消費電力が激増する現行の半導体の代わりに、消費電力が圧倒的に少なくて済む「光半導体」光コンピューティング)の開発である。実は、こうした“超”のつく「夢の技術」の開発には、従来の開発体制とは異なる枠組みが必要になってくる。それは、従来の開発体制とは桁違いの資金とスピードが必要なので、国を超えた研究機関や企業同士の連携という「新たな枠組み」が求められることである。それが、ともに連携して知恵を集積し、ともに進化する「共進化」だ。それが出来るかどうかが鍵になる。

◆A「平和の構築」を下から再構築する試み
 一方、先の世界大戦の反省から生まれた国連は、ここへきてロシアの暴挙や米中の対立によって機能不全に陥っているが、それでもなお世界193か国が加盟し、猛獣(ロシアや北朝鮮など)を国連の枠内に閉じ込めておく「サーカスのテント」の役割を果たしていると言われる。同時に、その国連に付随する様々な機関(平和維持活動、難民支援、食料や人道支援、核兵器管理など)が戦後世界の平和と安定を曲がりなりにも支えてきたのも事実である。絶望の中の希望とは、こうした国際機関を粘り強い意志で実効的なものに再構築して行けるかどうかである。

 また、国連とは別に世界の平和構築に貢献するNGO(非政府組織)も沢山ある。それを取りまとめたサイト(JAPAN PLATFORM)などを見ると実に様々な団体が国際的な課題に取り組んでいることが分かる。老人の自分には寄付位しか出来ないが、活動を支援していくことでその意義を知ることが出来る。問題は、とかく内向きの日本人にどう関心を持って貰うかだが、難民支援に活躍した緒方貞子のように国際機関や草の根で働く多彩な日本人をメディアも積極的に取り上げ、彼らへの共感をバネに絶望的な状況に風穴を開けて行くことが出来ればと思う。

◆B若い力で世界を変える「ビジョンハッカー」たち
 硬直化し、機能不全に陥った今の国会を見ると、政治を牛耳っている60、70の老人たちを早く退場させて、もっと若い世代が政治参加できるように応援することも大事だと思う。しかし、彼らが政治の世界に入って時代を変えて行くには、今の政治システムはあまりに時代に遅れになっているように思う。それを変えようと頑張っているうちに歳をとってしまう。むしろ、今の政治システムとは別なところで時代を変えようとする若者にも注目したい。その一つが、世界の貧困や格差の問題に関心を持ち、取り組んでいる若者たち「ビジョンハッカー」だ。

 Nスペ「ビジョンハッカー〜世界をアップデートする若者たち〜」(2021.5.16)によれば、彼ら若い世代は独創的な方法で、世界の紛争の原因となっている格差や貧困といった矛盾に立ち向かっている。その活動を横につないで連携し、より大きな力を持つようになれば、今の絶望的な状況に希望をもたらすことが出来るかも知れない。私が地元で応援している市議や県議も私より一世代若いが、古い政治システムを超えた幅広いネットワークで、女性の社会進出や子育て支援、弱者への寄り添いなどで活躍している。若い力で古い政治システムを変えて貰いたい。

 以上、絶望の時代に希望を探すとすれば、というテーマで書いてきた。プーチンによる戦争や核の恐怖、そして日本の衰退に立ち向かうには、さらに多くの挑戦が必要だとは思う。しかし、この絶望の時代にあっても、そうした挑戦に向かって努力をする人々が確実にいることも希望の一つに違いない。そして同時に、彼ら若い世代を応援していくことが、私など年老いた世代の役目だとも思う。
*1)1発5億円のトマホーク400発など、アメリカから大量の武器を購入しようとしているが、先日の勉強会では、反撃能力といっても情報収集力のない日本がミサイルを単独で発射することは出来ず、結局「アメリカのための備蓄」を日本に置くというのが実体だろうとなった

台湾問題を複眼的に見るA 23.2.17

 1月の訪米で、岸田首相はバイデン米大統領から異例の厚遇を受けた。それもそのはずで、防衛費を5年で43兆円に増額し、敵基地攻撃能力(反撃能力)を持つとした「安保関連3法案」を国会に説明する前に手土産にして訪米したからである。アメリカ製の武器とミサイルを大量購入すると同時に、米国と一体になって中国に対抗する姿勢を明確にしたのだから、バイデンが上機嫌にならない訳がない。日々緊張の高まる米中関係の中で同盟国日本への期待と要求は高まる一方だが、日本はどこまでアメリカと一体になるのか。まさに「どうする?日本」である。

 半導体関連技術の対中輸出規制や偵察気球の問題など、軍事的、経済的に緊張が高まる米中関係の中でも、最重要問題の一つが台湾問題である。前回は、その台湾問題を中国と台湾の立場から“複眼的”に見たが、今回はアメリカと日本の立場から考えてみたい。ただし、その前に踏まえておきたいのは、激しくなる米中対立の根底には、世界の覇権を巡る両者の戦いがあるということである。これは、別にアメリカがいいとか、中国が悪いとかいうのではなく、大国同士は必ず衝突するという歴史の方程式、或いは大国家同士の厄介な関係があるからである。

◆米中対立の根本原因は覇権を巡る争い
 「大国政治の悲劇」(ミヤシャイマー、シカゴ大教授)によれば、中国のように経済的にも軍事的にも大国となった国家は、どういう政治形態を持つ国家であれ、必ず世界的な覇権を求めることになる。なぜなら、世界の安全を守る中心的な権威がない(多極的な)状況で、自国の生き残りを図るためには、相手より強くなることが最も合理的な方法だからだ。そのためには同じような力を持つ相手を軍事的にも地政学的にも、経済的にも超える必要がある。これは「中国が悪い国だから」、「文化的に問題があるから」ではなく、大国とは常にこう振る舞うものだという。

 その時、中国が目指すのは第一に、アメリカの力をアジアから排除したい。第二に、アジアの覇権を握りたい。すなわち日本やロシア、インドといった周辺国より強くなって軍事的な挑戦を受けたくない。第三に、現在の領土体制(尖閣、台湾、南シナ海)を変えたい、ことだと言う。これは、現在のアメリカも日本も受け入れることが出来ない(中国による)挑戦だが、「トゥキディデスの罠(*)」の如くに、米中は必ず衝突すると言う。これが著者の言う「攻撃的リアリズム」(「米中対決の中の日本」15.8.6)だが、核時代にあって米中の戦争は本当に避けられないのか。*)「新興の大国は必ず既存の大国へ挑戦し、既存の大国がそれに応じた結果、戦争がしばしば起こってしまう」現象

◆アメリカが覇権を維持するための同盟強化
 ソ連崩壊後のアメリカは、文字通り唯一の超大国として世界に君臨した。自由と民主主義を守る世界の警察官として、世界各地の紛争に介入し、幾つもの戦争を戦ってきた。しかし、そのアメリカも湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタンやシリア内戦など幾つもの戦争に疲れ、オバマの時には世界の警察官の役割から降りると宣言。さらに、トランプの内向きの「アメリカ・ファースト」があり、その反省として、今のバイデン政権の同盟関係の強化路線がある。覇権国家を維持するアメリカの戦略も時代とともに変わって来ている訳である。

 バイデンの同盟強化(統合抑止)政策は、主にウクライナ侵攻を始めたロシアや力をつける中国に対抗するためのものだが、中でも台湾問題は、同盟強化の実証的意味合いを持つ。仮に台湾が(習近平が渇望するように)中国の支配下に置かれ、中国軍の基地や軍港が台湾に置かれれば、中国の影響力は第一列島線の東方へと広がる。そうなるとアメリカの影響力は西太平洋地域から排除されるかもしれず、これは、覇権国家・アメリカにとって決して許すことの出来ない状況だ。その中国に対抗する戦略が、同盟国を巻き込む「統合抑止」政策なのである。

◆日本にとっての台湾有事は?
 もはや唯一の超大国と言えなくなったアメリカが、引き続き覇権を保持するために、日本や韓国、オーストラリアの同盟国と力を合わせて中国に台湾侵攻をあきらめさせ、太平洋から締め出そうとする。それは、教授に言わせれば、うまく同盟国を利用してアメリカの力を温存する戦略でもあるのだが、その時、当の日本はどうするのがいいのか。それが日本にとっての台湾問題である。確かに、李喜明(台湾元参謀総長:前回)が言うように、台湾が中国のものになって、アメリカの影響力が西太平洋から排除されれば、日本は孤立無援で中国と向き合わなければならなくなる。
 
 しかも、中国が西太平洋に影響力を持つようになった時、仮に中国との関係が険悪になれば、海(シーレーン)や空の交通輸送ラインにも危険が及ぶ。従って、日本にとっても台湾が中国の支配下に入ることは、(たとえそれが武力行使なしでも)見たくない現実ではある。しかし、それより見たくない現実は、中国が武力によって台湾へ侵攻した場合にアメリカが介入し、米中が戦う局面である。その時、安倍元首相が言ったように、「台湾有事は日本の有事」と言って、日本も自動的にアメリカと中国の戦争に参戦することになるのかどうか。

◆台湾有事で、前衛を強いられる日本
 台湾を巡る核大国同士の戦争は、本格戦争に発展すれば、核ミサイルの応酬で米中ともに破滅するので、両国は戦いを台湾海域に限定しようとするだろう。その時に、同盟国の日本は台湾や中国に近いだけに、より際どい立場に立たされる。1月9日発表されて話題になった、台湾を巡る戦争のシミュレーション(米戦略国際問題研究所:CSIS)によれば、仮に日本が参戦すれば、台湾防衛に成功するにしても、中国、台湾はもとより、日米にも多大な人的、軍事的犠牲引生じることになる。場合によっては、米軍基地がある日本本土が戦場になることさえあるだろう。 

 日本の防衛力増強が、その時、どのような有効性を発揮するかは、次の勉強会のテーマでもあるが、いずれにしても米中の覇権を巡る戦争の中で、日本は(実態上、米国の前衛基地として使われるような)割の合わない選択を迫られる訳である。さらに戦争になる前であっても、より避けたい現実は、経済にある。仮に、戦争の瀬戸際にまで行けば、中国はもとより、中国との貿易に依存している日米と世界の経済も、どん底まで冷え込む。台湾にある世界最大の半導体工場(TSMC)も使えなくなれば、世界の先端技術はストップせざるを得なくなる。これも破滅的な現実である。

◆破滅的な戦争を避けるために何ができるか
 従って、そこへ行くまでに、台湾有事を避けるために「日本がとり得る行動」を様々にシミュレーションすることが何より重要になる。その時、アメリカと一体になって中国と戦う犠牲と損失を、日本はどこまで冷徹に計算できるか。或いは、アメリカとの同盟を重視しながらも、破滅的な戦争を避けるために、日本は米中に対して、どこまで主体的に戦争回避の方策を主張できるかである。その点で、日本でも問題の中国の偵察気球の議論を見ると、今の岸田政権もたちまち熱くなってアメリカに同調して強硬になり、対立を回避する冷静な議論がしにくくなるのが心配になる。

 冷静な議論のためには、前回書いたように中国の足元を注視することも大事だが、一方で、アメリカの国内事情を注視することも重要になるだろう。今のアメリカは国内に深刻な分断を抱えている。その分断を取り繕うために、都合のいい外敵を設定するのは、アメリカの常套手段とも言えるが、今の対中強硬論はそうした状況に利用されていないだろうか。2024年の大統領選挙で共和党の候補に名乗りを上げたニッキー・ヘイリー(元国連大使)は、「中国共産党を灰に」などと言うが、アメリカには中国を敵視する好戦的な極右政治家がうようよしている。

 こうした好戦的メンタリティーは、憲法9条の下で平和国家を目指してきた日本とは、随分とかけ離れている。バイデンは、「民主主義対専制主義」を掲げて中国に対峙するが、日本はそうした単純な決めつけに惑わされることなく、問題を”複眼的”に分析しながら、冷静に「破滅的な戦争を避けるために何ができるか」を、問い続けなければならない。覇権を巡る米中の対立に、残された時間は次第に少なくなっているのだから余計に。

台湾問題を複眼的に見る@ 23.2.4

 岸田政権は昨年末、日本の防衛戦略を構成する安保関連3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)を作成。軍事力を強める中国、核ミサイルを増やす北朝鮮、そして理不尽な戦争を始めたロシアを念頭に、敵基地攻撃能力の保持、防衛費の増額(GDPの2%を目指す5年間に43兆円)など、日本の防衛政策の歴史的転換を打ち出した。ただし、その内容について岸田は国会でも「手の内は明かせない」などと言うだけで答えない。アメリカに迎合してミサイルを大量購入する思惑や、内容を伴わない2%の「数ありき」の看板という指摘もある。

 この防衛力の強化(防衛費の増額)についての国民の反応は賛成が55%、反対が29%(NHK調査)。こうした反応には、ロシアのウクライナ侵攻によって戦争のきな臭さが漂っていることも影響していると思うが、一方で、台湾を巡る日米中の緊張の高まりも影響しているに違いない。特に、安倍元首相が「台湾有事は日本の有事」と唱えた頃(2021年11月)から、台湾問題は日本の防衛を考える上での大きな要因となった感がある。いったい台湾問題とは何なのか。この先、台湾を巡って米中の衝突はあるのか。出来るだけ“複眼的”に考えてみたい。

◆台湾統一を夢見る中国の強い願望
 まず、中国にとっての台湾問題である。中国を封じ込めるアメリカに対抗して、「海洋強国」を目指す習近平体制は、「第一列島線」(日本列島から沖縄、台湾へとつなぐ防衛ライン)や、「第二列島線」(グアムやサイパンまで拡大)を想定して太平洋進出に着実に手を打っている(「膨張する中国との神経戦」16.8.23)。その中国の外洋進出構想をいわゆる「逆さ地図」(拡大)で見ると、広い太平洋への出口にふたをするように並ぶ沖縄南西諸島、尖閣諸島、台湾は目障りな存在である。中でも台湾の帰属は、中国にとって決して譲れない核心的利益となる。

 仮に、台湾が中国の主張するように中国の主権下に帰属し、台湾の東側に軍港や基地を作れれば、中国は太平洋進出に関して莫大な便益を得る。かつて(2007年)中国海軍高官は太平洋を中国とアメリカで二分しようと持ち掛けてアメリカ側を仰天させたが、台湾は中国の太平洋進出の要であり、それに比べれば尖閣諸島などは芥子(けし)粒のようなものだ。反対に、台湾が独立して中国の手の届かない国になってアメリカと同盟でも結べば、ふたはより強固となり、こんな悪夢はない。それを防ぐためには武力も辞さないと、習近平は警告し続けている。

◆すれ違う中国の願望と台湾人の思い
 中国は、台湾の主権は中国にあると考えており、台湾人の主権を認めない。台湾人が独立を目指したり、外国勢力と手を握って中国に対抗しようとしたりすることを極度に警戒する。去年8月にアメリカのペロシ下院議長が台湾を訪問した際には、この時とばかりに中国軍が台湾を包囲するように展開し、戦力を誇示した。アメリカ側は、中国が2027年までに台湾を侵攻するなどと盛んに言い立てるが、武力による台湾統一は本当に迫っているのか。中国との統一を望まない場合、台湾はどのように自らを守って行くのか。以下は、台湾の考え方である。 

 戦後、中国で共産党に敗れた蒋介石の国民党は台湾に逃れ、大陸反攻を夢見ながら台湾を支配した。その台湾は現在、建前的に中国との統一を目指す国民党と独立を願う民進党に分かれている。しかし、その政治志向も、一国二制度を掲げた香港の民主主義が中国政府によって踏みにじられたのを見て変化。台湾人の意識調査では現在、自分を台湾人と考える人が63%で、中国人と考える人は3%に過ぎない(両方とみる人が30%)。また、独立志向は35%に対し統一志向は6%、現状維持が52%で最も多い。台湾人と中国政府との思いはすれ違っている。

◆ウクライナ戦争で注目される「非対称戦」の考え方
 台湾の独自性を保ちながら、現状維持を図りたい民意を、蔡英文・民進党政権も国民党も無視するわけには行かない。来年1月に予定されている総統選挙では中国との融和を唱える国民党が優勢との見方もあるが、いずれにしても、軍事大国の中国と武力衝突を避けながら、軍事的に劣勢の台湾をどう守っていくのかである。この点で今、台湾元参謀総長(李喜明)が唱える「非対称戦」という戦略が注目されているという(毎日1/13)。それは、ロシアの侵攻に直面したウクライナにも当てはまる、軍事小国が軍事大国に対抗する際の考え方である。

 「非対称戦」とは「弱者が非常に限られた資源の中で、従来と異なる作戦の方式で効果的に自己を守る方式」のこと。まず考えるべきは、「台湾にとって最大の勝利は戦争の回避」であり、相手を打ち負かすことではないと考えることである。そのために、相手に攻撃を断念させるだけの、効果的に練られた抑止力を持つ必要がある。台湾の20倍もの軍事費を有する中国を考えれば、「拒否的抑止」が唯一の選択肢であり、高価な戦闘機や戦車ではなく、対艦ミサイルやドローン、機雷など、コストが安く大量に入手できる武器を分散配置することだと彼は言う。

◆「最大の勝利は戦争の回避」と思い定める
 その上で、最も重要なのは「中国の国民全体を敵に回してはならない」ことだと言う。自衛能力を高めながら、中台の住民同士が友好的に共存できる関係を作らなければならない。多くの中国人が武力行使を支持しなければ、それだけ戦争のリスクは低下する。その点で、敵基地(中枢)を攻撃する能力は必要ない。攻撃の成果を上げるには極めて高い精度での攻撃が求められるし、仮に大陸を直接攻撃すれば一般市民の怒りに火をつけかねない。中国社会が団結して台湾への攻撃を支持するような事態は避けなければならない、と言う。

 このインタビューで彼は、台湾人が一致して防衛する意思を示してこそ、中国に「うかつに手を出せない」と思わせることが出来ると言う。同時に、自由で民主的な陣営に立つ台湾の存在は日本にとっても重要なはずだとも言っているが、日本が台湾問題をどう考えるかについては次回に譲るとして、こうしてハリネズミのように自衛を固めながら、「最大の勝利は戦争の回避」と思い定めてじっくり時を稼ぐことが、「非対称戦」の肝心なところだろう。それは、今にも戦争が起きそうだと騒ぎ立てるのとは、対極にある考え方でもある。

◆世界は、戦争のない10年を稼ぐことが出来るか
 このように、戦争を回避することを最大の勝利と思い定めながら、戦争のない時間を少しで長くすることがなぜ大事なのか。それは、仮に戦争のない10年を稼いだとすれば、現在70歳のプーチンも習近平も既に権力の座にはいないからだ。その時、世界がどうなっているかは分からないが、焦って(予防的に)戦争を始めることはない。何より非戦の状態こそが尊いからである。同時に、これから10年、15年を考えるときに、中国がどのように世界的な覇権を求めて行くのか、どう変わって行くのかは、慎重に注視していかなければならない。

 日本と同じように、超高齢化と人口減少に移行していく中国は、これまでのように高い経済成長で、国民を満足させて行けるか。経済停滞や不動産バブルの崩壊、高齢者に対する社会福祉の遅れなどで大衆の不満が高まり、共産党政権の足元が揺ぎ始めた時、中国はどうするのか。台湾問題は二の次になるのか、或いは逆に、大衆の敵意を外に向けるために、台湾攻略に踏み切るのか。その時の経済的打撃に中国は耐えられるか。いずれにしても、世界と緊密につながりながら経済成長して来た中国にとって、台湾進攻は甚大な犠牲を覚悟の選択になるはずだ。

◆敵基地攻撃に前のめりの岸田政権は大丈夫か
 こうしたことを見極めるためにも、出来るだけ非戦の時間を稼ぐ必要があるのだが、もう一方の当事者とも言うべき日本やアメリカはどうするのか。この点で、アメリカや日本の岸田政権の前のめりの態度は、いかにも危うく思えるが、「台湾問題を複眼的に見る」2回目は、日米から見た台湾問題を整理してみたい。

独裁国家ロシアという絶望 23.1.15

 ロシアがウクライナに侵攻してから来月で1年になる。ウクライナ東部での一進一退の戦況、或いはロシア予備役軍の劣悪な装備、そしてプーチンの動静や深刻な病気説など、戦争を巡る様々な情報が流されてはいるが、一方でロシア国民がこの間、何を考えて来たのか、考えはどう変わったのかといったロシア国内の情報は、圧倒的に少ない。時折、(政府から監視されている)独立系の調査会社が実施するプーチンの支持率が出てくるが、去年9月に厭戦気分を反映して80%を切りはしたものの、国民の肉声を直接的に伝えるものからはほど遠い。

◆私たちはロシアの人々をどれだけ知っているだろうか
 同じようにメディアが抑圧されている習近平の中国からは、より多くの情報が流れてくる。先日の「ゼロコロナ」政策に対する人々の反対の声や、その後の感染急拡大で混乱する医療機関や葬儀場の様子などは連日伝えられている。しかし今、ロシアの国内情報は殆ど途絶えていると言っていい。そんな中、驚きだったのは元旦に放送されたNHKスペシャル「混迷の世紀2023巻頭言」の中で紹介された、ロシアの人たちが子供に軍服を着せ、戦車を模した乳母車で街を歩いている映像だった。今のロシアは、そこまで戦時色に染まっているのか。

 そうしたロシアの現状について、番組に出たアレクシェービッチ(ノーベル賞作家、ベラルーシ)は、「ロシア人は今、完全に(政府系の流す)テレビを信じている」と言い、自分の息子が戦争で死んでも金をもらいたいというロシア人に対し「精神の腐敗がそこまで進んでいるのか」と嘆いた。これが1年近く経過した人々の変化なのだろうか。今の私たちはどれだけロシアの人々の考えについて知っているか。戦況の情報や外側からの情報ばかりでなく、そうした庶民レベルの情報がもっと欲しいところだが、それが案外に少ないことに気づかされる。

◆独裁者プーチンに抵抗するジャーナリストたち
 そう思って、去年手にしたロシア国民に関する読み物や番組を再度振り返ってみた「ロシアを決して信じるな」(中村逸郎:筑波大教授)、「ロシア点描」(小泉悠)などの本、或いは「プーチン政権と戦う女性たち」(NHKイギリス制作)、「ロシア ジャーナリストの闘い」(NHKBS1)といった番組である。これらの数少ない情報によっても、ロシアという国が様々な矛盾と混乱、そして政治的絶望を抱えた国ということを痛感するが、中でも、民主化を求めて戦う女性ジャーナリストに密着した「ロシア ジャーナリストの闘い」が印象深かった。

 番組は、ロシアの侵攻直後から女性ジャーナリスト(タチアナ・フェルゲンガウアー:写真)に密着する。独立系ラジオで活動していた彼女は、3月に制定された「フェイクニュース法」によって徐々に追い詰められていく。戦争という言葉や、軍に関するニュースを伝えると、それだけで最高15年の禁固刑が科せられる。その決定は軍が行うというとんでもない法律だが、それによって国内のジャーナリストたちは、次々と拘束されたり、国外に逃れたりせざるを得なくなる。タチアナはラジオ局が閉鎖された後もYouTubeで伝え続けるが、それも成り立たなくなる。

◆プーチンが手足のように使う暴力装置
 以前には100万のリスナーがいたというが、プーチンに抵抗するのは命がけだ。勤める放送局で暴漢に襲われ首を切られたこともある。そんな彼女を政府系メディアは名指しで批判する。YouTubeに広告もつかなくなり、5月下旬には彼女も隣国リトアニアに出国する。牢獄にいては、プーチンの末路を見られないという思いだった。プーチン独裁のもとで、何人ものジャーナリストが暗殺されているロシア。この国はもはや文明国ではなく、ナチスと同じ道をたどっていると彼女は言う。去年7月時点で軍事侵攻に抗議して拘束された人は、1万6300人に上る。

 以前のコラム「独裁を描いた映画」(2009.3.1)に独裁者の特徴を5つほど上げたが、独裁者は手足のように使える暴力装置を持っている。或いは、外敵の恐怖を煽り、市民間の監視、密告を奨励する、といった特徴を持つが、独裁者プーチンもまた大統領に直属する「国家親衛隊」(40万人弱)を持ち、これを軍の上位に置いている。これはヒトラーの親衛隊と同様、最終的にプーチンを守るものだという。こうして今やロシア国民は密告を恐れ、圧政のもとで息をひそめて、戦争がないかのような欺瞞的なメディアのもとで暮らしている。

◆暗闇のキノコのような状態に置かれる国民
 今のロシアは戦前のヒトラー政権や日本の軍部独裁のような国家になっているのか。もちろん、80年前とはSNSも含めてメディア状況も違ってはいるが、ジャーナリストが追放されるか逮捕されるかして、国民は何もさせない、気づかせない状態に置かれている(タチアナ)。これも以前のコラム「分断する政治とメディア」(2016.8.7)に書いたように、メディアが機能しなくなれば、「情報を持たない市民は滅びる。政治家はキノコ農家がキノコを育てるように民衆を見る。暗闇に置き、肥料で覆う」(チャールズ・ルイス)状態になってしまう。 

 テレビ報道記者の金平茂紀は、年末年始にかけて1週間モスクワに滞在した貴重な報告を載せている(毎日1/14)。モスクワのテレビはまるで戦争が別世界であるかのように、歌番組、バラエティー中心。戦争という言葉はただの一度も使われていなかったと言う。愛国心を鼓舞するような歌を披露する歌手たちが次々と登場し、あたかもウクライナとは別世界のパラレルワールドが展開される不気味さである。それは、ウクライナ侵攻を始めたプーチンに対して「戦争反対」の声をあげて逮捕された人々から見れば、絶望的な風景に違いない。

◆国民全体を敵にすることを避ける
 問題は、国民がこういう絶望的な状態にある独裁国家と、曲がりなりにも民主主義を国是としている我々自由主義陣営はどう立ち向かえばいいかである。ヒトラーのナチスも、軍部独裁の日本も、結局は壊滅的な犠牲の末に降伏した。抵抗を続ける日本に対し、アメリカは徹底的な殲滅作戦を用意(「一億総玉砕と日本殲滅作戦」2014.12.17)、関東一帯を焼野原にし、原爆をあと9発落とす計画さえあった。「菊と刀」(ルース・ベネディクト)などで多少は日本人を理解しようとしたアメリカだが、それでも日米間には相互に巨大な無理解の溝があった。

 アメリカは、国民を抑え込んだ日本軍部が国民を盾に最後まで抵抗すると考えていた。しかし、天皇が降伏を決意して日本は辛うじて生き延びる。一方、今のロシアはどうだろうか。タチアナに100万のリスナーがいたように、今のロシア国民の底流には、強硬派ばかりでなく戦争を早く終わらせたいと思っている人々も多いはずだ。あくまでプーチンと運命を共にすると考えているとは思えない。従って、大事なのは西側の指導者たちが、プーチンと国民を一体視して国民全体を敵として追いやることは、避けなければならないということである。

◆絶望の状態に置かれた人々の声に耳を傾ける
 プーチンの戦争があまりにも国際的、人道的ルールを無視した暴挙だけに、西側がプーチン体制を敵視するのは当然とは思う。しかしそれでも、ロシア国民全体を敵に回すのは得策ではないということ。確かに西側を、ロシアを亡ぼしにかかる悪の帝国とみて、子供に軍服を着せてプーチンを支持する岩盤層もいるだろう。しかし、それはどの程度強固なものなのか。これを知ることは、絶望の状態に置かれた人々の心に耳を傾ける難しい作業になるが、これからの戦争の成り行きや和平の可能性を模索するためにも、必要な作業となってくるだろう。

 おそらく、西側の研究機関は既にこうした状況分析をしているのではないかと思う。翻って日本はどうか。岸田政権は西側の声に沿って単純にロシア制裁を唱えているだけのようにも見えるが、そこで思考停止せず、独自の和平策を模索するためにも、ロシア国民の考えの変化かをしっかりと探って欲しい。もちろん、メディアもである。

ビジョンも哲学もない政治 22.12.7

 次々と辞任した岸田政権の閣僚たちを見ていると、これが今のエリート政治家の実態なのかと、怒りよりむしろ驚きと虚しさが先に立つ。山際大志朗(東大大学院)、葉梨康弘(東大)、寺田稔(東大・ハーバード大学院)がそれぞれの学歴らしいが、常人では理解できない嘘とごまかし、記憶違い、人を小馬鹿にした開き直りで自ら墓穴を掘って退陣に追い込まれている。警察官僚あがりの葉梨(茨城3区:写真)などは、茨城の県警本部長を訪ねたときも、応接テーブルに足を乗せてふんぞり返っていたというから、よほど思いあがっていたのだろう。

 彼らの答弁や釈明を聞いていると、自分が話していることが屁理屈で、聞く人間にどのように響いているのかなど、全く理解できていないことがよくわかる。人間としては、むしろ(悩んでいる人には悪いが)発達障害に近いのではないかとさえ思える。これでよく庶民・大衆の代弁者として政治家をやってこられたと思うが、彼らにとって庶民・大衆は票を入れてくれればいいだけの存在で、眼中には権力者や政財官の利害関係者しか入っていないのだろう。庶民感覚を理解する「下情に通じる」は政治家の大事な資質なのだが、もう死語になってしまったのか。

◆党内の御用聞きのような政治
 岸田が後任に任命した閣僚たちも後藤茂之経済再生担当相(東大・米ブラウン大大学院)、齋藤健法相(東大・ハーバード大大学院)、松本剛明総務相(東大)という面々で、こんなエリート好みに岸田の性格が出ているのかどうか。こうしたエリートコースを歩んできた、苦労知らずの人間はよほど謙虚に自分を律しないと、ただただ権力志向だけが強い、嫌味な「下情に暗い」政治家に成り下がる。一方、二世議員で岸田派を受け継ぎ、安倍内閣で外相や政調会長などの要職を経て、2度目の挑戦で首相になった岸田はどうなのか。今の首相に庶民は見えているのだろうか

 岸田は何をやりたくて首相になったのか。どういう政治哲学を持った政治家なのか。それが一向見えないうちに、安倍国葬から始まって、旧統一教会問題、内閣改造と不祥事閣僚の任免など、打つ手がことごとく裏目に出て内閣支持率は下がる一方。最近の岸田は、そうした状況に焦って党の要人と会食を繰り返し、御用聞きのような政治に陥っている。その主なものを上げると、財政規律など忘れたかのような補正予算の大盤振る舞い、「原発の最大限活用」という突然の政策転換、どこにそんな金があるのかと言う防衛予算の大幅増である。

 これらは、いずれも国の根幹に関わる重要テーマで、これまでも様々な議論を呼んで来た問題だ。にもかかわらず、一部の利害関係者の要望や型どおりの審議会の答申を受け入れる形であっさりと方針を転換した。大幅な補正予算は、来年の地方選挙を心配する自民党幹部の声に押されたものだし、原発は党内推進派と原子力ムラの声に応えるもの、防衛費増は米国と国防族議員の声を受けたものである。幾ら党内基盤が弱いとは言え、これまでの議論の経緯を踏まえて自ら熟慮・検討した形跡が見えない。「聞く力」などと言って、何の抵抗もなく有力議員の声を受け入れる、岸田の拘りのなさに危うさを感じざるを得ない。

◆脱炭素へのロードマップのない中での原発回帰
 廃炉が決まった原発の建て替えや運転期間の延長などの政策転換は、三菱重工などが目指す「革新軽水炉」を切り札にしているが、幾ら福島以後の安全対策を組み込むと言っても、従来の大型炉の復活路線であり、一基の建設費が5千億から1兆円もかかるシロモノだ。今やコスト面でも再生可能エネルギーに負けている原発に、なぜ巨額の開発費、税金を投入するのか。地震国日本で、使用済み燃料の行き場もなく、再処理も難しい八方塞りのお荷物(原発)に岸田がすり寄るのは、政財界(原子力ムラ)の支持をつなぎ留めたいからだろう。

 岸田は、脱炭素やエネルギー危機を原発推進の口実にするが、原発特有の硬直化した送配電システムにおいても、巨額投資においても、原発が自然エネルギー普及の壁になっていることは、もはや常識である。火力発電に拘る日本は、地球温暖化防止のCOP27(エジプト)で、3年連続で不名誉な「化石賞」をもらうなど、殆ど存在感を示せなかった。2050年までに脱炭素を実現する道筋(ロードマップ)も曖昧で、自然エネルギーへの本気度が見えない日本である。その状況でなぜ原発回帰なのか、本心はどこにあるのか、国民にきちんと説明すべきではないか。

◆岸田が主導する防衛計画の大転換
 さらには、ここへ来て5年間に43兆円と、過去5年間の1.57倍に増額を決めた防衛費である。岸田はこれを今後5年でさらに年間11兆円へと増やし、NATO並みにGDPの2%を目指せと指示している。ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル、中国の覇権主義を踏まえた増額だが、この40年以上GDPの1%程度に抑えてきた日本の防衛費の量的・質的な大転換である。きっかけは、5月にバイデン大統領が来日した時に、岸田の方から「日本の防衛力を抜本的に強化し、その裏付けとなる防衛費の相当な増額を確保する」と表明したことにある。

 それ以来、自民党の国防族議員や防衛省の声が大きくなり、岸田がこれに応えた形である(財務省案は30兆円)。これは最初から「規模ありき」だったとの批判もあるが、岸田が主導する防衛政策の転換は主に2つの問題がある。一つは、年内にも策定する安保関連3文書に含まれる「反撃能力(敵基地攻撃能力)」とも関連して、射程1600キロのトマホークミサイルを500発買う計画とか、搭載するイージス艦(2隻で5千億円)を持つなどが取りざたされているが、反撃能力は日本の国是である専守防衛を逸脱しないのか。さらには43兆円の財源をどうするのかの問題だが、岸田はこれらの具体的内容を全く説明しないで額だけ決めた。

◆御用聞きのような借金の大盤振る舞い
 「反撃能力(敵基地攻撃能力)」と専守防衛の関係については、別途回を改めて書かなければならないが、平和憲法を軸とする日本の防衛のあり方を岸田はどう考えているのか。彼は日本が戦場になる”戦争のリアリティー”をどう考えているのか。前のめりになって、アメリカや国防族議員の声を聞く姿だけが見えて、本来はハト派である宏池会出身の岸田の本心が見えないのが不可解である。もう一つは43兆円の財源の問題。増税(所得税、法人税、富裕層への課税強化など)や軍事国債などが云々されているが、自民党からは早速増税反対の声が上がっている。 

 これは、国債派の萩生田政調会長(安倍派)らが言っていることで、増税したら来年4月の統一地方選が戦えないなどという安倍派らしい声である(*)。もともと国債をどんどん発行してアベノミクスを進めてきた彼らは、国の借金が増えることを何とも思っていない。財政規律などは、財務省のたわ言と思っている。それが如実に表れたのが、先日の29兆円の補正予算でもある。これも荻生田らが一晩で4兆円も積み増した結果だが、8割は国債(借金)である。*)結局政府は、選挙後の増税で行くことを決めた。

 そもそも補正予算は予算編成後に発生した緊急事態に対処するものだが、これが疑問符だらけ。官庁のオフィス改造とか、ジビエの飲食店を増やすとか、この際に便乗するものが目立つという。さらには、50もの基金を作って予算を配るなどの大盤振る舞いである。それにゴーサインを出した岸田は、政権維持のためには何でも聞く御用聞きのような政治家になってしまったのか。

◆ビジョンも政治哲学も見えない
 国の借金はこのまま行くと、2040年には、今の2倍以上の2700兆円にも膨らんでしまうという予測(大和総研)もあるが、こうした未来世代にツケを回す財政を、岸田はどうするつもりなのか。「聞く力」だけで、そこに日本をどうするというビジョンも政治哲学も見えないのが何とも心許ない。エリート政治家の道を歩んできた岸田も、権力者の意向を読み、流れに逆らわずにやって来たのかもしれないが、それが習性になってしまっては首相は務まらない。構造的な変革が避けられない今は、流れに逆らってでも突破するビジョンと哲学が必要になるはずだ。岸田にそれがないとすれば、早くに退陣してもらうしかない(後に誰がいるかも心配だが)。

国家ビジョンと民主主義 22.11.18

 イギリスの元首相ウィンストン・チャーチル(1874〜1965)はかつて、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外のすべての政治体制を除けばだが」と言ったが、これは逆説的に「民主主義はこれまで試みられてきた民主主義以外の政治に比べれば最良の政治形態だ」と民主主義を肯定する一方で、政治家にとって民主主義は、時間と忍耐を要する面倒な政治形態だと嘆いた言葉でもあるだろう。確かに面倒でも、民主主義がなければイエスマンで固めた独裁者の暴走や権力の腐敗を監視、是正する機能は期待できない。

 しかし、その民主主義が政治の場で何より大事な政治的価値として扱われているかと言えば、この現代に至ってもその地位は大きく揺らいでいる。2021年のデータ(*)では、世界199の国と地域のうち、意味のある選挙を実施している民主主義国家は90か国だが、選挙があっても独裁的国家、あるいは選挙もしない独裁国家は109か国。この非民主主義的国家には中国もロシアも入っているが、今や世界人口の71%が非民主主義国に住んでいる状況であり、この傾向はむしろ進んでいる。今、世界の中で民主主義の位置づけはどうなっているのだろうか。*英オックスフォード大統計

◆民主主義VS「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」
 8日に行われたアメリカ中間選挙では、バイデン大統領とトランプ元大統領の戦いの様相を呈したが、バイデンはトランプを意識して「これは民主主義を守る戦いだ」と言って上院では僅かに共和党を制した。それだけトランプはアメリカの民主主義を根底から揺るがしてきたと言える。大統領時代に行った、膨大な嘘の発信、メディアへの攻撃と脅し、選挙の正当性への異議、政権に身内を登用する公私混同、司法への攻撃や裁判官(判事)登用への介入、政敵への犯罪者呼ばわり、支持者の暴力の黙認ないし賞賛などである(「何が民主主義を殺すのか」)。

 民主党の勝利は民主主義への危機感と同時に、共和党の人工中絶禁止への若者層の反発が大きかった結果とも言うが、一方で、15日に「再度、大統領選挙に出る」と宣言したトランプには、今も熱狂的な岩盤支持層がいる。その支持者を惹きつけているのは、トランプが掲げる「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」(MAGA)である。この日の立候補宣言でも、トランプは「アメリカを再び偉大で輝かしい国にする」と演説した。これは彼の「アメリカファースト」にもつながるスローガンだが、バイデン側からは聞こえて来ない「国家の夢、国家ビジョン」でもある。

◆バイデン政権の「民主主義VS専制主義」
 方や「民主主義を守れ」と訴える民主党。方や「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」と訴える共和党。アメリカ国内はこの二つの主張の間で真っ二つに分断されている。もちろん、世界の多くの国々で民主主義の価値観が揺らいでいる時に、バイデン大統領が民主主義の価値観を守れと訴えるのは、ある意味当然とは思うが、この「民主主義の価値観」の訴えと、「国家の夢、国家ビジョン」の訴えは、どこかですれ違っているようにも思える。何がどうすれ違っているのか。それを考えるために、覇権をめぐって争っているアメリカと中国の場合を見てみる。

 これまでバイデン政権は、中国やロシアを念頭に「民主主義対専制主義」という価値観の違いを掲げ、NATOや東アジアの民主主義国家(日本、オーストラリア、インド)を束ねてロシアに対抗し、中国を封じ込めようとして来た。しかし、今回のG20の期間中、14日にインドネシアのバリ島で行われた米中首脳会談で中国の習近平はこれに反発。「米国には米国式の民主主義があり、中国には中国式の民主主義がある。自国を民主主義国家、他国を権威主義国家と定義すること自体が非民主主義的だ」と反論したという。相当、カチンと来ているらしい。

◆中国の「国家の夢、国家ビジョン」
 香港の民主派や新彊ウイグル族への弾圧などを見れば、中国が民主主義国家とはとても思えないが、「中国には中国式の民主主義がある」とは、どういうことか。思うに、中国は党員9千万人の中国共産党の一党独裁国家で、これを維持することが至上命題であり、全人代や共産党大会など、その枠内での様々な政治的仕組みが「中国式の民主主義」と言いたいのだろう。しかし、これは限られた仕組みで14億国民全体のものでなく、西欧式の民主主義とも違う。国民全体を考えた場合、彼らが重視するのは、そうした民主主義的価値観よりも「国家の夢」の方になる。

 習近平の中国はかねてから、2049年の建国百年に向けて「中華民族の偉大な復興」を国民の夢として掲げてきた。清朝末期のアヘン戦争などで欧米の列強や日本に浸食された国富を回復し、大国を復活する夢である。そのために、格差を是正して国民の富を底上げする「共同富裕」や世界の製造強国を目指す「中国式現代化」を目標にしてきた。これは、明治初期の日本の「富国強兵」や「文明開化」などと同じ類の「国家の夢、国家ビジョン」だが、今の中国はそうした「国家の夢、国家ビジョン」を民主主義の価値観より上位に置いていると言える。

◆民主主義は必要条件だが、十分条件ではない
 こうして見ると、トランプの「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」も、中国と同じ類の「国家の夢」には違いなく、選挙結果は、その夢のためには民主主義的価値観に縛られないと考えるトランプ支持層が多いということを示している。逆に民主主義的価値観を訴えるバイデンには「国家の夢」が欠けていて、国民を政治に惹きつける何かが足りない。つまり、政治を健全に機能させるための民主主義は必要条件ではあるが、十分条件ではないということ。国民を政治に惹きつけ、有効に機能させるためには魅力的な「国家の夢、国家ビジョン」も欲しいことになる。

 そこで「国家の夢、国家ビジョン」が大事になるのだが、この点、プーチンの「大ロシアの復活」や習近平の「中華民族の偉大な復興」に匹敵するものが、民主的国家には少ないのは何故なのだろうか。彼ら権力の集中を目指す強権的国家は、国民を束ねるために「国家の夢」(スローガン)を掲げるが、それは愛国心を掻き立て、民族の誇りをくすぐるもので、往々にして排他的になったり、攻撃対象を仕立てたりする。かつてのヒトラーや軍国日本、現代のプーチンや習近平、トランプの場合も根幹には(全部ではないが)似たような要素が含まれている。

◆民主主義を土台にした魅力的な国家ビジョンを
 それに対して、民主主義的価値観を大事にする民主国家が「国家の夢、国家ビジョン」を作るとすれば、どういうものになるのだろうか。高度成長期の日本では「所得倍増計画」(池田勇人)、「日本列島改造」(田中角栄)、「田園都市構想」(大平正芳)などの国家ビジョンが提示されたが、国の勢いがなくなった近年は、夢のある「国家ビジョン」が一向に見られない。安倍の「戦後レジームからの脱却」、岸田の「デジタル田園都市構想」なども曖昧で、国民を政治に近づけたとは言えない。民主主義を土台にしながら、魅力的な国家ビジョンは出来ないものか。

 具体的な文言は別途模索したいが、ここではそれが備えるべき条件の幾つかを上げることにしたい。一つは、この国の持続可能性である。祖先から受け継いだ豊かな社会的共通資本をより豊かにして次世代に引き継ぐこと。「失われた30年」の日本の現実を直視し、日本が抱える膨大な財政赤字を立て直し、少子化、超高齢化をソフトランディングさせていく。そのための教育国家、文化国家の再構築である。もう一つは、世界の中の日本の視点である。それは、日本を自然エネルギー大国にする夢であり、脱炭素技術で世界に貢献していく。さらには、世界平和構築への貢献である。

 イアン・ブレマーの「危機の地政学」によれば、これからの世界は大国同士の価値観の衝突、地球温暖化、パンデミック、破壊的な技術という破滅的な危機に直面する。その危機をバネに、国際協調の道を探ろうというのが本書の趣旨だが、平和の構築のためには、価値観の違いを乗り越えて、日本がそこでしっかりと役目を果たしていくということも、国家ビジョンに書き込まれなければならない。