菅政権肝いりのデジタル庁は、今年9月の立ち上げを目指して準備が進んでいる。全体500人規模のうち、専門性の高い人材100人程度を民間から登用するというが、これで遅れている日本のデジタル化は進むのか。単に国や地方自治体の行政の効率化を目指すだけなのか。或いは、もう一つの目標である「ITの導入によって国民生活の豊かさを目指すDX(デジタルトランスフォーメイション)」がどのように進むのか。利便性の一方で国民の監視など“光と影”が交錯するデジタル化は、様々な意味でその理念や哲学が問われる事業になる。
◆マイナンバーカードでワクチン接種?
折しもその実力が試されるコロナワクチンの巨大プロジェクトが迫っている。ワクチン接種の担当大臣になった河野太郎は、ワクチン接種をマイナンバーカードにひもつけて実施すると言うが、一律10万円の特別給付金の時の大混乱を忘れたのか。国民7200万人分を接種するには、地域別、職種別、年齢別、また副反応のデータなど、接種状況を全国的に把握するためのデジタル処理が欠かせないが、まだ25%にしか普及していないマイナンバーカードで処理するのは無理というもの。再びデジタルで周回遅れの実態が露呈するだけではないか。
このマイナンバーカードについて、政府は来年度までに全体に普及させ、今年3月からの健康保険証を手始めに、口座番号とのひもつけも目指すという。しかし、こうしたデータ連動には個人情報保護の問題も絡んでいて、政府と国民の間に信頼関係がないと上手く行かない。この点では、デジタル技術を国民監視に使っている中国のような全体主義国家もあれば、国民との信頼関係をベースに開かれた「デジタル民主主義」を模索している台湾の例もある。デジタル技術をどう使っていくのか、デジタル庁の発足を前に考え方の要点を整理しておきたい。
◆対照的な中国と台湾のデジタル化
まず、中国のデジタル技術の場合。スマホの位置機能による移動の追跡と同時に、ウイグル自治区などでは社会の隅々に配置されている監視カメラとAIを結びつけて個人の認定や行動の監視も常時行われている。また、キャッシュレスカードの導入が進む中国では、個人の社会的信用の数字化(スコア化)が進み、高スコアなら医療面で優遇されたり、反対に反体制的な行動でスコアが減らされれば、キャッシュカードが使えなくなったりする。さらに、こうしたAI監視システムを親中国的な人権抑圧国家60ヶ国に輸出して関係を強化しようともしている。
こうした監視技術と大規模な都市封鎖でコロナを押さえ込んだ中国と対照的に、デジタルやAI技術をコロナ対策だけでなく、民主主義の成熟に役立てようとしているのが台湾である。台湾も、いち早くコロナ押さえ込みに成功したが、これにはスマホアプリによる感染ルートの解明や接触者への警告メールが使われた。また当初のマスク不足を解消するために、どこの店にマスクがあるかを表示したマスクマップのアプリも官民連携で開発され、人々はデジタル化した保険証カードを使って、各自決められた枚数を買うことが出来た。
こうした試みが成功したのも、台湾に健全な民主主義が根付いている証拠だとオードリー・タン(台湾のデジタル担当相、39歳)は言う。台湾では、健康保険に関する審議会の議論のプロセスがすべて一言一句まで公開されている。その透明性が政府と人々との信頼関係を作り、どうすれば「社会の繁栄」と「防疫対策」を両立させられるかを社会全体で考えてきた。その信頼感をベースに人々が感染症の何たるかを理解し、政府に自発的に協力することで、強権的なロックダウンなしでコロナの感染拡大を最小限に抑え込むことに成功した。
◆デジタルとAIを民主主義の深化に生かす
昨日の「BSプライムニュース」(1/26)を見ると、その台湾でも感染者追跡のためのスマホのGPS利用や、感染者を隔離するための厳しい罰則規定はあったようだが、総じて合理的、民主的にコロナ押さえ込みを行った。その立役者の一人がオードリー・タンである。幼少期からの天才振り、明晰な論理思考、柔軟な調整能力、民主主義への揺るぎない信念などで、今や世界の注目の的になっているが、今回は特にタンの近著「デジタルとAIの未来を語る」(Kindle版)から、タンのデジタルと民主主義の考え方について、4点ほどに絞って見てみたい。
一つは、デジタル化によって誰もが民主主義の参加者になるということである。上が決めたものを下が従うと言うことではなく、台湾では政府も住民も対等であると言うことを実践してきた。政府は、住民からの意見を吸い上げるデジタルのプラットフォームを幾つも構築している。タンが設計したプラットフォーム(意見広場)では、民間から提案された実施可能な政策に2ヶ月以内に5千人の賛同者が集まれば、政府は必ず政策に反映する、というルールがある。プラスチックのストローや発がん性のある防虫剤の禁止などもこうして実行された。
デジタルは様々な人々の意見を分け隔てなく広く集めることに優れており、政治にこの仕組みを組み込めば、間接民主主義の弱点を克服する重要なツールになる。二つ目は、デジタルを導入するときには、「誰ひとり置き去りにはしない」という決意である。台湾は一番進んだ5Gを取り入れる時も、ネット環境が良くない地方や離島からと決めている。そういう遠隔地の方が、情報が瞬時に伝わる5Gの恩恵を受けやすいからである。「インクルーシブ」で開かれた政府は、このように政府と人々との間に信頼関係があってそこ成り立つとタンは言う。
◆共通の価値を新しいイノベーションにつなげる
三つ目は、タンの政治に対する考え方である。民主主義において人々の考え方が多様で違っていることは当然だ。その違いを明確にし、論点を整理し、様々な異なる立場の人々に対して、共通の価値を見つける手伝いをするのが、タンの仕事だという。いったん共通の価値が見つかれば、異なるやり方から皆が受け入れられる新しいイノベーションが生まれる。物事に対する極めて柔軟で幅広い思考をもって優れた調整能力を発揮するのが、タンの特徴で、この調整能力こそが政治である。タイプは全く違うが、異なる意見の調整に奔走した幕末の政治家、勝海舟の政治観を思わせる。
タンは、日々の会議や人々とのやりとりをすべてネット上に公開している。この徹底した全公開システムによって、人々は議論の過程を知ることが出来、政治を身近に感じることが出来る。そして政治に参加したいと思う。そこにデジタルの様々な双方向機能が働いていることは言うまでもない。四つ目は、AI(人工知能)についてである。AIの目的はあくまで人間の補佐であり、最終的な調整は人間が行わなければならないし、責任は人間が負わなければならない。これは民主主義と同じで、誰か(総統やAI)が言ったからそれが正しいと言うことではないと言う。
◆何のためにデジタルとAIを使っていくのか
デジタルは社会の方向性を変えるものではなく、方向性はあくまで人間が決めるものだ。大事なのは、デジタルとAIをどう使っていくかであり、その理念や哲学がないと、単なる導入は混乱を引き起こすだけになる。台湾の場合は、民主主義をより深化させるために、デジタルを取り入れてきた。この点で、日本のデジタル庁構想(平井拓也担当大臣)には、どのような理念、哲学があるのだろうか。今のところ、マイナンバーカードと同じで、国民に十分説明のないまま、行政の効率化を図るという政府の都合しか伝わって来ない。その先に何を見ているのかである。
タンはまた、日本は「政治の新しい方向性を導き出すのは若者たちである、ということについて、国民的なコンセンサスが十分得られていないのでは」と言う。全くその通りで、デジタル化も古くさいイメージで動いてはいないだろうか。デジタルに限らず、日本も若い人たちが社会を牽引していくような仕組みを早く取り入れないと、ますます遅れて行くだろう。引き続きデジタル庁に注目である。
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