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  今週の鑑賞。定年後の身辺雑記

徐々に動き出した出版計画 21.4.20
 東日本大震災と原発事故から10年というタイミングもいつの間にか過ぎて、再びコロナに翻弄される日々に戻っている。「日々のコラム」については、既にコロナに関しても原発事故に関しても、およそ書くべきことは書いた気がして、政府のコロナに対する無策についても、脱原発の停滞についても、もはや付け加えるべき内容がなかなか見つからない。この無力感を乗りこえて書き続けなければとは思う一方で、なるようにしかならないという諦めも先に立つ。そうした中で、生活の方は飽きずに自衛的な「Stay home」を続けている。

 体調管理のために出来るだけ近所の元荒川の堤防を歩く。毎日のお寺参りも欠かさず、かれこれ1年になった。その間に季節の変化に気づけば写真に撮って拙いながら俳句をつけ、FBにアップする。かつての同僚や高校の同級生たちとのリモート飲み会、都内のTV制作会社とのリモート企画会議、学会やジャーナリスト会議でのリモート講演会や研究会。それに大先輩が主催する勉強会などは、定期的に続いている。娘の所の2人の孫とLine映像を使った毎晩の会話やきょうだい同士のやりとりなどで日々が過ぎ、都内に出ることも滅多にない。

◆春の写真俳句から
 そうした中、去年の緊急事態宣言からちょうど1年というタイミングで、桜の開花に出会って、しみじみとこの1年の長さを思ったりした。人間社会のコロナ騒ぎをよそに、自然の営みは確実に巡っている。そうした最近の写真俳句から幾つか。

『花に会う この一年を 生き延びて』 
 毎年訪れている川沿いの桜ですが、今日はもう殆ど満開。それでも、しっとりと咲いていました。コロナ禍の異常な1年を経ての再会でしたが、果たして来年はどうなりますやら。何とか今年1年も無事に乗り切れることを祈っています。

『花満ちて 命のままの 立ち姿』 
 昨晩の雨が心配で、例の桜を見に行きました。それは、ほぼ満開で花の命を謳歌するように見事に枝を広げていました。花は何も考えていないでしょうが、大自然の力というか、自然のままのその立ち姿に見ほれました。

『一枚の絵になる岸辺の柳かな』 
 芽吹き始めた柳が、外国の風景画(例えばコローの)の中に溶け込んだように、水辺に影を落としています。このアングルはそんなことを感じさせる、好きなアングルです。近所の元荒川に沿った小さな沼地に過ぎませんが、ここには、釣り人も、カワセミを狙うカメラマンたちもやって来て、そんな皆が風景の中に溶け込んでいます。

『百均の 恐竜の群れと 孫の春』 
 孫2人が、百均で買った沢山の恐竜をもって、お泊まりに来ました。百均ショップでこんなに多くの種類の恐竜が売られているとはびっくりですが、恐竜博士の孫(4歳)が、その全部の名前と体長まで言えるのにびっくりです。お寺をお参りして、近所の公園を散歩して、あっという間に帰って行きました。また、会いたいね。

『若人の 集う河原に 鯉が舞う』 
 晴れ渡った空の下、河原に沿ってウォーキング。すると、川の両岸をつないで鯉のぼりの大群が春風に舞っていました。その河原では、対岸にある高校の生徒たちでしょうか。新入生の記念撮影が行われていました。コロナの制限の中で一瞬だけマスクを外しての記念撮影。彼らの前途に幸あれと祈りたい気分です。(写真右上)

◆徐々に始まった出版計画
 一方で、懸案のコラムの出版計画も徐々に進み出している。友人が紹介してくれた出版のプロに見積もりをお願いすると、単行本スタイルでハードカバー2冊も可能かも知れない。2冊になると、残される方も邪魔になって大変かも知れないが、437本のコラムを選別する方は少し気が楽になる。とりあえず、ジャンル別に分類したコラムを最初から読み始めて、残すべきものを選ぼうと考えた。しかし、これがなかなか大変。読み出すと、書いた当時の社会情勢も蘇って来るし、その時々の自分の捉え方も分かって捨てがたいものが多い。

 敢えて、(私でなくとも誰かが)10年後に読むとして、その10年という時間に耐えるものを選ぶ積もりで選別を始めている。1日10本くらい読むとして、この作業に40日ほどもかかるだろう。その上で、さらにジャンル別の分量を眺めながら、上下2冊の構成を考えてみる。その先には字句の訂正やジャンルごとの解説なども必要になってくる。ちょっと気の遠くなる作業だが、何しろ16年間のあと片付けなので仕方がない。それで何とか自己満足を果たす。ただし問題は、その間に、目の前の「日々のコラム」をどうするかである。

◆閉塞状況の打破を若い世代に期待して
 これについては目の前の事象を追いかけるのは止めて、これまで継続的に追求してきたテーマを中心に書いていこうと思う。それも月2回程度に我慢して。そのテーマとは例えば、「地球温暖化」、「脱原発」、「戦争と平和」、「民主主義」、「メディア」といったところだろうか。目の前の政治や貧困・格差、あるいは国際関係といったテーマはしばらくお預けになる。こうしたテーマは、これから時代を切り拓いていく若い世代に任せるしかない。政治も格差も貧困も彼ら自身の未来に関わって来るわけで、彼らの自覚と奮起に期待するしかない。

 今の日本は、様々な人類的、民族的課題が重くのしかかってくる時代状況にある。それなのに日本では、権力にしがみつく年寄りが政治を牛耳っていて、若い世代の頭を押さえつけている。ことの軽重はともあれ、それは幕藩体制の弊害が積み重なった江戸末期の閉塞状況にも似ている。あの時は、年寄りではどうにも対応できず、代わって若い世代が立ち上がって時代を切り拓いていった。それは今も同じ。化石のような老人が若者を抑え込んでいる状況を変えなければ、明日の日本も、ましてや人類に貢献する日本もない。

◆日本は時代を切り開けるか
 先日、ドイツが2022年までに脱原発を決めた時の「ドイツ脱原発倫理委員会報告」(2011年5月)を読んで見た。福島原発事故を受けて原発の非倫理性を徹底して議論し、それまでの原発容認派と脱原発派が一致してドイツの脱原発に踏み出した記念碑的論文である。それをみると日本の「議論の土壌」が、いかに未成熟かが絶望的に見えてくる。これは次回のテーマにしたいが、同時に今のコロナの状況も心配。社会のたがが外れた状態は既にある種、社会心理学のテーマになりつつある。そこで58年ぶりにカミュの「ペスト」を読み始めたが、これについてもいずれ書いて見たい。