今年の7月は、母(享年93)の7回忌だった。折しものコロナ禍で水戸の菩提寺での法要には、長男の私と郷里に住む弟夫婦のみが参加。コロナが落ち着いたら皆で法要後の食事会をしたいねと言っていたが、それが先日、水戸で実現した。集まったのは、我々きょうだい4人と連れ合い、それに水戸市に住む93歳同士の叔父、叔母夫妻の計8人。前日まで荒れ模様の天候だったが、当日は打って変っての快晴で、「さすが母は晴れ女」と皆が口々に言っていた。お墓で一同揃ってお経をあげてから、創業150年にもなろうという料亭で昼の食事会をした。(写真は戦前のもの。右が母、赤ちゃんが姉、左が祖母)
その料亭の隣りは、その昔水戸で私の祖父母が営む呉服店があったところで、今年82歳になる長姉も79歳になる姉もそこで生まれた。亡き母の写真をテーブルに置き、皆で一杯やりながら鰻重に舌鼓を打ったが、93歳の叔父叔母も含めて皆が何とか元気なことが何よりのご馳走だった。それぞれ、残りの人生が気になる年齢である。たとえオミクロン株の侵入や第6波が起きるまでの束の間であっても、こうやって集まって顔を合わせ、四方山話が出来るようになった時間のありがたさを改めて実感した。 『小春日や亡き母の写真囲んで舌鼓』
◆上下2巻の本がついに完成
さて、今年3月に作業にかかってから8ヶ月。念願の本がついに完成した。16年間に「メディアの風」で発信してきたコラム440本(400字原稿で3500枚分)すべてに目を通し、181本を選んで、テーマ別に9つの章に分け、年代順に編集し直した上下2巻である。タイトルは「メディアの風 時代と向き合った16年」とした。各テーマは、メディア関係はもちろん、現役時代に取材した科学技術や地球温暖化、原子力といった問題から、政治や民主主義、格差と分断などの人類的課題、戦争と平和の問題、そして新型コロナまで多岐にわたっている。
自費出版の道楽のようなものであるが、上下巻とも400ページを超えるずっしりと“重い”本になった。遠慮がちに、読んでくれそうな知人、友人に送らせて貰ったが、早速に過分なお褒めを頂きそれはそれで素直に嬉しかった。デザイナーの息子による装丁も斬新でかなり好評だった。そして、前回の自費出版「メディアの風 原発事故を見つめた日々」(2013年1月)と同様に、今回も国立国会図書館と地元の越谷市立図書館に、それぞれ2部(4冊)を寄贈。これで一区切り、やっと肩の荷が下りた感じである。 『出来たての本を寄贈す秋の日に』
◆自分にとっての出版の意味を整理する
その後暫くは、寄せられたメールや手紙を読みながら、出版の余韻に浸っていたが、一方で、いつまでもこうしてはいられないという気持ちも起きてきた。そこで、内容の評価は人にお任せするとして、次のステップに踏み出すために、自分にとっての出版化の意味を少し整理してみようと思いたった。第一に感じたのは、デジタル媒体と紙媒体の本質的な違いである。全部ネットに上げた内容ではあるが、こうして本にすると印象がまるで違う。一瞬で全体量が分かるし、ページを開く、ページをめくる、その利便さと手応えが全く違う。本にして良かった。
仕上がりについては、事前に想定していたことがほぼ達成できたと思っている。その後、防災学の大先輩から「稲村の火」(上巻174ページ)ではなく「稲むらの火」だとご指摘頂いたり、背表紙にも上下の文字があればという指摘も頂いたりしたが、そうしたことを差引いても95%の満足感はある。全181本のコラムの量、また、それが伝える内容についてはどうか。量的には多過ぎるという感じがないではないが、何しろ16年間の(同時代史的な)時間経過の要素も入れたかったので、簡単に省けなかった。これはこれで仕方がないと思っている。
◆私たちは今、どういう時代に生きているか
内容については、「まえがき」でも触れたが、「私たちは今、どういう時代に生きているのか」、「時代はどこに向かおうとしているのか」、そして「この時代をより良く生きて行くにはどうすればいいか」を基本的な問題意識として書いてきた。その意味で、トータルとしては今の時代に対する、私なりの受け止め方の全体像を示したものになったと思う。その中の個々のテーマについては、単なる個人的な感覚だけでなく、歴史にも根ざしながら、出来るだけ関連の記事、書物を引用して「情報性」、「客観性」を担保するつもりで書いてきた。
出来上がった2冊は、サブタイトルにあるように、私自身は力の及ぶ限りで今の時代と向き合い、その多面的な要素を拾い上げて来たつもりである。その意味で、これからの若い世代や若いジャーナリストが、今の時代はどういう問題に直面しており、それをどう考えればいいのか、と考える際に、(決して見方を押しつけるのではなく)一つのヒントや道しるべになって欲しいと思っている。私の子どもや孫にこの本を託す所以である。ただし、3番目の「この時代をより良く生きて行くにはどうすればいいか」がどうだったかついては、内心忸怩たるものがある。
◆「時代を生きるヒント」(仮)
今の世界と日本は、地球温暖化問題にしろ、民主主義の衰退にしろ、戦争の足音にしろ、どんどん思っている方向からずれて来ていて心配でもある。自然、それらに警鐘を鳴らし、問題を指摘する思いが先になって、3番目が手薄になった感が否めない。もちろん、各コラムの最後の方では、どうすればいいのかに言及はしたものの、全体で見ればどうだったか。ジャーナリズムとしてはそれでいいようなものだが、子どもや孫の世代に残すものとして見たときに、十分だっただろうか。そう考えた時に、ふと一つのアイデアが浮かんできた。
それは、今の時代の問題を認識した上で、3番目の「この時代をより良く生きて行くにはどうすればいいか」の視点で、もう一度全体を見直してみるということである。もちろん、問題への警鐘も必要だが、3番目の視点を主テーマとすれば、それは仮に「時代を生きるヒント」のようになるだろう。181本の中に、これに相応しいコラムがどの位あるのかを再点検し、その上で1冊にまとめ直すことが出来るかどうか。この先、何本かのコラムを補充しながら、仮のタイトルにふさわしい体裁が取れるかどうか。これは新たな宿題かもしれないと思った。
◆気が向いたときだけの“風任せ”
一方で、まだ数十部の余部が手元にあるので、読んでくれそうな奇特な人がいれば、お配りしていく。また、出版本と同じ体裁のデジタルデータも手元にあるので、これを「メディアの風」のトップページにリンク付けることもしたい。その上で、そうした材料を使って、本の内容を若い世代に伝えていく作業も模索してみたい。以前講師をした大学で「世界、文明、地球温暖化」、「戦争と平和」などについて話す相談もしている。あるいは、(知り合いの地元の県議、市議にも送ったが)市民グループと「原発事故、脱原発」について議論することも。
いずれもコロナが収まってからの話になるが、無理をせずに、ぼちぼちと歩いて行くことにしよう。ということで「メディアの風」は、続けるにしても、あまり時事的なテーマを追わずに方向性を少し変えながら、ゆっくりとやることにしたい。「風の日めくり」の更新のお知らせも、気が向いたときだけの“風任せ”になりそうだ。「メディアの風」のサイトは、あと5年位、私が元気なうちは維持して行きたいと思っているので、時々、覗いて見て貰えればと思う。16年間、お付き合い頂いた方々には感謝しかない。(一区切りのご挨拶としてだが)ありがとうございました。
|