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  今週の鑑賞。定年後の身辺雑記

春を待つ心急かれる年明け 22.1.31

2022年の年が明けてから早くも一ヶ月が経とうとしている。この年がどのような年になるのか、少しは考えようとするのだが、様々なことが急展開してとてもせき止めきれない。加えて昨年末に、16年にわたって書き連ねてきたコラムを上下2冊にまとめて自費出版し、各方面への配布作業を終えたばかりなので、次へのステップがなかなか踏み出せないでいる。しかし、そんな間にも世界も日本も、そして自分自身にも様々な課題や出来事が迫ってきている。そこで、本格的にコラムを再開するのは2月にまわして、とりあえず2022年の世界と日本の課題、そして我が身に起きた出来事をざっくりと整理して置きたい。

◆2022年の様々な重要課題
 コラムではかねて、「私たちは今、どういう時代に生きているのか」、「時代はどこに向かおうとしているのか」を基本の問題意識として書いてきた。しかし今は、長期、短期の多くの事象がない交ぜになって同時進行しており、時代の行方は、ますます混沌としてきているように見える。まず、長期の問題としては進行する地球温暖化をどう抑制するかということ。そのために脱炭素をどう進めるのか。遅れている日本も既存の化石エネルギーを再生可能エネルギーに置き換えていく作業工程が迫られているが、今年、それが確実に進むのか。

 同時に、資源を浪費する物質文明をどう地球に優しい文明に転換させていくのか、「経済成長至上主義からの転換(脱成長)」も必要になる。さらには脱原発である。脱原発をめぐって意見が割れるEUはさておき、マグニチュード8〜9クラスの南海トラフ巨大地震が30年の間に起こる確率が70〜80%となっている日本では、一刻も早く脱原発に決着をつけなければならない。つまり大きくは、脱炭素、脱成長、脱原発で、祖先から受け継いだ地球環境と豊かな社会的共通資本(宇沢弘文)を次世代に引き継いでいくという重要な課題が目前に迫りつつある。

 こうした課題に加えて、日本には「安倍政治の失われた8年」の間に放置されてきた日本特有の課題がある。即ち、1千兆円を超える国の借金をどうするか。2025年には団塊の世代すべてが後期高齢者になるが、超高齢化と少子化、人口減の中で、若い世代が未来に希望を持てる国造りが出来るのか。さらには温暖化によって激甚化する自然災害や巨大地震、噴火に備えることも先送り出来ない。こうした様々な危機に対応力のある「柔構造の日本」を作って行くための「脱(転換)」には、東京一極集中ではなく「脱集中」(地方分散)も入ってくるだろう。

◆日本の経済・財政学は果たして有効なのか
 今の日本は、こうした重要課題が山積する“課題大国”だが、2022年はこれにどう対処していくのか。岸田首相が唱える「新しい資本主義」を月刊誌(「文藝春秋」2月号)で読んでみたが、内容はアベノミクスを微修正し、人への投資、官民連携などによってイノベーションを起こして「成長と分配の好循環」を目指すと言うだけで、とても「脱(転換)」までは視野に入っていない感じ。今、日本の政治に求められるのは、どっちつかずの曖昧な成長戦略などではなく、重要課題を先送りせずに、一つ一つそれに取り組む「課題解決型の政治」だろうと思う。 

 その時に現在の経済財政学は果たして役に立つのか。レーガンやサッチャーから始まった新自由主義的な経済も一握りの超富裕層を生むだけで格差と貧困を生んできたが、それに習って来た日本もアベノミクスにしろ、黒田日銀の異次元の金融緩和にしろ、何一つ実績を上げていない。中間層がやせ細って格差と貧困が深刻だ。最近読んだ大著「資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界」(630頁)によれば、米英に始まる経済学の系譜も未完の欠陥ばかりが目につく。しかも、その最先端の経済学について日本で理解する人間は殆どいないというから心許ない。

◆暗雲垂れ込める2022年の年明け
 重要課題に加えて、年明けの世界に重苦しい影を落としているのが、ロシアとウクライナの戦争のリスク、北朝鮮の核の挑発、覇権をめぐる米中の暗闘と台湾問題の緊張などであり、さらに不穏な情勢なのが、オミクロン株による感染急拡大である。2022年の日本は、中長期的な重要課題に加えて、こうした目前の問題にも対処しなければならない。過度に怯えるのもどうかと思う一方で現実は現実と認識しながら、何とか明るい兆しがないかと願う昨今である。そんな暗雲垂れ込める年明けの中で、我が家も2022年を迎えることになった。

 昨年末に、念願だった「メディアの風 時代と向き合った16年」(上下2巻)の自費出版を終えて一息ついている頃、どういうわけか左下半身の股関節と膝とお尻のあたりが痛み出した。座骨神経痛なのか、あるいは股関節痛なのか。年開けに整形外科に行ってレントゲンを撮ってみたが、どうやら骨の変形はなさそうだった。すると孫たちが帰った6日頃から今度はカミさんが腰痛になった。暮れからの疲労が影響したのか。そこで2人一緒に評判の整骨院に通うことなった。何とか良くなりたいと思って2度ほど一緒に通った直後に、今度は思わぬ出来事に見舞われた。

◆カミさん新型コロナに感染する
 1月18日頃から、カミさんが熱はないものの喉の痛みと咳が出始めた。「風邪だろう」と思って、念のためにかかりつけの医者に電話したら「PCR検査をしてきて下さい」とのこと。それからネットでPCR検査が出来るところを探しまくったが、越谷市のドライブスルーはタクシーがNG、我々には利用出来ない。公共交通機関を利用せず自転車で行けるような所がなかなか見つからない。やっと近くの耳鼻科に電話すると「今日はもう一杯なので、明日電話してみて下さい」とのこと。土曜日1番に電話してやっと検査が出来た。それが22日だった。

 その結果が出たのは24日、月曜日。電話を待っていると医院から「陽性でした。ご主人もPCR検査を受けてください」とのこと。私の結果は翌25日。「陰性でした」という。PCR検査をするまで同じ屋根の下で寝食を共にしていたのに意外だったが、それからが大変だった。家の中でもマスクをつけ、居場所を出来るだけ分け、食事も離れてとる。タオルなども別々にして風呂も私が先に入る。熱を日に3回は測り、記録をつける。幸いに2人とも全く平熱だった。カミさんの喉の痛みと咳、頭痛は市販の風邪薬、鎮痛剤を飲んでしのいだ。

◆ストレスに耐えた10日間
 保健所と医院からは毎日経過観察の電話が入った。不安はこの先、重症化するかも知れないということと、私の感染である。それに、カミさんの腰痛や身体の痛みがストレスからより激しくなったことである。お互いが入院するというようなことに備えて持ち物を作ったりもした。困ったのは食事である。買い置いたレトルト食品などで過ごしていたが、やがて保健所から段ボール一杯の缶詰、レトルト食品、ジュースなどが届いた。幸いに、カミさんの症状は4日ほどで収まったし、熱も出なかった。私もどうやら感染を免れたらしい。

 その後、Amazonで購入した「抗原検査キット」で唾液検査をしたが、2人とも陰性だった。もっとも、この検査は不確実とは言うが。土曜日には、保健所から電話でカミさんは無事卒業。私は濃厚接触者として、もう少し自粛らしいが、その日は久しぶりに出前で「鍋焼きうどん」をとり、ワインを一杯飲んだ。この間、10日ほど。感染しないように注意しながらの生活は極度にストレスの溜まるものだった。いま、毎日何万人と出ている新規感染者の多くもこのようなストレスにさらされているのだろう。お陰で私の体重は2キロほども減った。

 入院もせず、この程度で済んだのは不幸中の幸いで感謝したい。家族、友人からの励ましもありがたかった。それにしてもカミさんがどこで感染したのかはさっぱり分からない。コロナがすぐ身近に来ていることを実感した出来事だった。身体の痛みに耐え続けたカミさんは早速、整骨院に電話して診てもらうことになった。そんなこんなで早く穏やかな春が来て欲しいと思うや切である。
「春を待つ心急かれるこの身かな」

出版終えて肩の荷を下ろす 21.12.14

 今年の7月は、母(享年93)の7回忌だった。折しものコロナ禍で水戸の菩提寺での法要には、長男の私と郷里に住む弟夫婦のみが参加。コロナが落ち着いたら皆で法要後の食事会をしたいねと言っていたが、それが先日、水戸で実現した。集まったのは、我々きょうだい4人と連れ合い、それに水戸市に住む93歳同士の叔父、叔母夫妻の計8人。前日まで荒れ模様の天候だったが、当日は打って変っての快晴で、「さすが母は晴れ女」と皆が口々に言っていた。お墓で一同揃ってお経をあげてから、創業150年にもなろうという料亭で昼の食事会をした。(写真は戦前のもの。右が母、赤ちゃんが姉、左が祖母)

 その料亭の隣りは、その昔水戸で私の祖父母が営む呉服店があったところで、今年82歳になる長姉も79歳になる姉もそこで生まれた。亡き母の写真をテーブルに置き、皆で一杯やりながら鰻重に舌鼓を打ったが、93歳の叔父叔母も含めて皆が何とか元気なことが何よりのご馳走だった。それぞれ、残りの人生が気になる年齢である。たとえオミクロン株の侵入や第6波が起きるまでの束の間であっても、こうやって集まって顔を合わせ、四方山話が出来るようになった時間のありがたさを改めて実感した。 『小春日や亡き母の写真囲んで舌鼓』

◆上下2巻の本がついに完成
 さて、今年3月に作業にかかってから8ヶ月。念願の本がついに完成した。16年間に「メディアの風」で発信してきたコラム440本(400字原稿で3500枚分)すべてに目を通し、181本を選んで、テーマ別に9つの章に分け、年代順に編集し直した上下2巻である。タイトルは「メディアの風 時代と向き合った16年」とした。各テーマは、メディア関係はもちろん、現役時代に取材した科学技術や地球温暖化、原子力といった問題から、政治や民主主義、格差と分断などの人類的課題、戦争と平和の問題、そして新型コロナまで多岐にわたっている。

 自費出版の道楽のようなものであるが、上下巻とも400ページを超えるずっしりと“重い”本になった。遠慮がちに、読んでくれそうな知人、友人に送らせて貰ったが、早速に過分なお褒めを頂きそれはそれで素直に嬉しかった。デザイナーの息子による装丁も斬新でかなり好評だった。そして、前回の自費出版「メディアの風 原発事故を見つめた日々」(2013年1月)と同様に、今回も国立国会図書館と地元の越谷市立図書館に、それぞれ2部(4冊)を寄贈。これで一区切り、やっと肩の荷が下りた感じである。 『出来たての本を寄贈す秋の日に』

◆自分にとっての出版の意味を整理する
 その後暫くは、寄せられたメールや手紙を読みながら、出版の余韻に浸っていたが、一方で、いつまでもこうしてはいられないという気持ちも起きてきた。そこで、内容の評価は人にお任せするとして、次のステップに踏み出すために、自分にとっての出版化の意味を少し整理してみようと思いたった。第一に感じたのは、デジタル媒体と紙媒体の本質的な違いである。全部ネットに上げた内容ではあるが、こうして本にすると印象がまるで違う。一瞬で全体量が分かるし、ページを開く、ページをめくる、その利便さと手応えが全く違う。本にして良かった。

 仕上がりについては、事前に想定していたことがほぼ達成できたと思っている。その後、防災学の大先輩から「稲村の火」(上巻174ページ)ではなく「稲むらの火」だとご指摘頂いたり、背表紙にも上下の文字があればという指摘も頂いたりしたが、そうしたことを差引いても95%の満足感はある。全181本のコラムの量、また、それが伝える内容についてはどうか。量的には多過ぎるという感じがないではないが、何しろ16年間の(同時代史的な)時間経過の要素も入れたかったので、簡単に省けなかった。これはこれで仕方がないと思っている。

◆私たちは今、どういう時代に生きているか
 内容については、「まえがき」でも触れたが、「私たちは今、どういう時代に生きているのか」、「時代はどこに向かおうとしているのか」、そして「この時代をより良く生きて行くにはどうすればいいか」を基本的な問題意識として書いてきた。その意味で、トータルとしては今の時代に対する、私なりの受け止め方の全体像を示したものになったと思う。その中の個々のテーマについては、単なる個人的な感覚だけでなく、歴史にも根ざしながら、出来るだけ関連の記事、書物を引用して「情報性」、「客観性」を担保するつもりで書いてきた。

 出来上がった2冊は、サブタイトルにあるように、私自身は力の及ぶ限りで今の時代と向き合い、その多面的な要素を拾い上げて来たつもりである。その意味で、これからの若い世代や若いジャーナリストが、今の時代はどういう問題に直面しており、それをどう考えればいいのか、と考える際に、(決して見方を押しつけるのではなく)一つのヒントや道しるべになって欲しいと思っている。私の子どもや孫にこの本を託す所以である。ただし、3番目の「この時代をより良く生きて行くにはどうすればいいか」がどうだったかついては、内心忸怩たるものがある。

◆「時代を生きるヒント」(仮)
 今の世界と日本は、地球温暖化問題にしろ、民主主義の衰退にしろ、戦争の足音にしろ、どんどん思っている方向からずれて来ていて心配でもある。自然、それらに警鐘を鳴らし、問題を指摘する思いが先になって、3番目が手薄になった感が否めない。もちろん、各コラムの最後の方では、どうすればいいのかに言及はしたものの、全体で見ればどうだったか。ジャーナリズムとしてはそれでいいようなものだが、子どもや孫の世代に残すものとして見たときに、十分だっただろうか。そう考えた時に、ふと一つのアイデアが浮かんできた。

 それは、今の時代の問題を認識した上で、3番目の「この時代をより良く生きて行くにはどうすればいいか」の視点で、もう一度全体を見直してみるということである。もちろん、問題への警鐘も必要だが、3番目の視点を主テーマとすれば、それは仮に「時代を生きるヒント」のようになるだろう。181本の中に、これに相応しいコラムがどの位あるのかを再点検し、その上で1冊にまとめ直すことが出来るかどうか。この先、何本かのコラムを補充しながら、仮のタイトルにふさわしい体裁が取れるかどうか。これは新たな宿題かもしれないと思った。 

◆気が向いたときだけの“風任せ”
 一方で、まだ数十部の余部が手元にあるので、読んでくれそうな奇特な人がいれば、お配りしていく。また、出版本と同じ体裁のデジタルデータも手元にあるので、これを「メディアの風」のトップページにリンク付けることもしたい。その上で、そうした材料を使って、本の内容を若い世代に伝えていく作業も模索してみたい。以前講師をした大学で「世界、文明、地球温暖化」、「戦争と平和」などについて話す相談もしている。あるいは、(知り合いの地元の県議、市議にも送ったが)市民グループと「原発事故、脱原発」について議論することも。

 いずれもコロナが収まってからの話になるが、無理をせずに、ぼちぼちと歩いて行くことにしよう。ということで「メディアの風」は、続けるにしても、あまり時事的なテーマを追わずに方向性を少し変えながら、ゆっくりとやることにしたい。「風の日めくり」の更新のお知らせも、気が向いたときだけの“風任せ”になりそうだ。「メディアの風」のサイトは、あと5年位、私が元気なうちは維持して行きたいと思っているので、時々、覗いて見て貰えればと思う。16年間、お付き合い頂いた方々には感謝しかない。(一区切りのご挨拶としてだが)ありがとうございました。

カナダで起きた驚きの物語 21.11.18

 11月上旬、私のところに一冊の本が送られてきた。「観光の力」と題されたその本は、20年以上もカナダ観光の仕事をしてきた著者がカナダ各地で取り組まれているユニークな観光の姿を描いて、日本にとっても大変示唆に富む内容になっている。特に、コロナ禍に見舞われて多くの観光地が自分たちの観光の魅力や将来を見直さざるを得ない時に、あるいは温暖化の影響から自分たちの観光の魅力をどう守っていくか悩んでいる時に、この本で描かれているカナダ各地の多様な取り組みは、一つ一つ特徴があってそれぞれに興味深い。

 著者の半藤將代さん(*)は、そうしたカナダの観光のあり方を、量から質への転換を図った「レスポンシブル・ツーリズム」(責任ある観光)と呼ぶ。観光客と地域住民がお互いに敬意を払いながら訪れ、迎え入れることによって、ともにより良い観光地を作って行くという考え方だ。しかし、それは一朝一夕に出来たものではなく、カナダの人々が長年の試行錯誤から積み上げてきたものである。そうした試行錯誤の歴史を著者は「カナダで起きた驚きの物語」と書き、その成果を、地域の人々と観光客双方に幸せをもたらす「観光の力」として伝えている。*)カナダ観光局日本地区代表

◆10年に及ぶカナダとのお付き合い
 この本は7つの地域を取り上げ、それぞれに特徴的な取り組みを綿密な取材による事実と巧みな構成で伝えているが、カナダはここまで徹底して考え、ここまで徹底して実行しているのかと驚かされる。そのうちの4カ所は私も以前に訪れたところなので、その舞台裏が分かって興味深かったのと同時に、それらが今の時代に向けて発するメッセージ性にも共感した。それを具体的に紹介する前に、簡単に私とカナダのお付き合いを書いておきたい。それは、仕事をリタイアした後の10年に及ぶ、人生のご褒美とも言うべきものだった。

 最初は、名作「赤毛のアン」が世に出てから100年の2008年に、作家モンゴメリの故郷、プリンス・エドワード島(PEI)での記念植樹に招かれたこと。4泊5日の小旅行だったが、そのPEIがあまりに素晴らしかったのでカナダ観光局のHPに島の魅力について紀行文を書いた。それがきっかけとなって、翌年はバンクーバーからトロントまで4500キロの大陸横断鉄道の同乗記、ケベックの歴史紀行などを「ナショナルジオグラフィック」のカナダ特集号に。そしてその後、毎年のようにカナダでの「GoMedia」という催しに出かけるようになった。

 「GoMedia」とは、カナダ観光局が主催する会議で、世界のメディア関係者を招いて、カナダ各地の観光担当者と面談させる催しで、毎年、場所を変えて行われる。私も日本からのグループの一員として、カナダ各地の面白そうな題材を取材するようになった。この催しのいいところは、その前後にテーマ別のツアーが組まれることである。ホッキョクグマの生息地として名高い北のチャーチル、世界一潮の干満差が大きなファンディ湾、かつてはゴールドラッシュに湧いたホワイトホースなど。そうした参加が2017年まで続いた。

◆得がたい体験を連載する
 その中には、私独自の提案で取材した企画もあった。一つは「カナダ国立博物館巡り」(2015年)である。移民の国カナダは、過去の人種問題や先住民問題、開発問題などを乗り越えるために、多文化主義や地球環境保護など、世界的にも先進的な価値観を作り上げた国である。そして、その価値観を色濃く表したのが国立博物館になる。先住民の歴史に敬意を示す「歴史博物館」、あるいはカナダの自然の豊かさを表現する「自然博物館」。平和の大切さを訴える「戦争博物館」、そして世界にも類を見ないユニークな「人権博物館」(写真)などである。

 それらの国立博物館を訪ねながら、カナダという国が築き上げた新しい価値観を探って、観光局のHPに連載した(「カナダ、国立博物館めぐり」15.10.12にも)。もう一つは、1920年代から30年代にかけてカナダの大自然を描いて新風を巻き起こした画家集団「グループ・オブ・セブン」と、カナダ西海岸で孤独に森の神秘を描いた女性画家「エミリー・カー」を取材したものである。これらは観光局のHPに連載すると同時に、この「メディアの風」にも載せた(「グループ・オブ・セブンの画家たち」、「森の魂を描いた女性画家エミリー・カー」)。

 足かけ10年に及ぶこうしたお付き合いの中には、再びPEIに出かけて外国人女性ジャーナリストたち7人に、ろくに英語が話せない男性の私1人が混じって、島の美味しいものを4日間にわたって食べ歩くというツアーに参加したこともあった(「島を食べ歩いた日々」13.9.29)。得がたい体験だった。お陰で「GoMedia」で一緒になった日本の旅番組の担当者たちとも親しくなって、お付き合いが今も続いている。また、お世話になったカナダ観光局の半藤さんからも、観光の魅力を伝える本の執筆についての熱い思いを聞いていて、完成を楽しみにしていた。

◆「世界一グリーンな都市」を目指すバンクーバー 
 ところが、このコロナ禍である。観光の仕事も難しくなって、どんな思いでいるのだろうと案じていた。しかし、出来上がった「観光の力」を読むと、著者はこの期間を観光への思索をさらに深める機会にしていたことが良く分かる。コロナ禍で観光のあり方が見直される時であり、さらには地球温暖化を防ぐためのSDGsが関心を呼ぶ時に、時代の要請にこたえるメッセージ力のある内容になっている。その幾つかを紹介しておきたい。例えば、カナダ屈指の人気観光地である西海岸のバンクーバー。日本人にとってもなじみの深い都市である。

 ここでは、もう何年も前から、ただ観光客を増やすオーバーツーリズムを廃し、地元民も観光によって幸せになる形を模索してきた。そこで掲げられたのが2009年の冬季オリンピック(私もその前年に当地を取材した)をきっかけに、地球に優しい「世界一グリーンな都市」を目指すことだった。その後もバンクーバーは一貫して地域住民も観光客も共に幸せになる「持続可能な観光」に取り組んできた。市内のレストランでは、一本釣りなど、海の生態を壊さない方法で収穫された魚介類(オーシャンワイズ)や、オーガニックな農産物が供される。

◆持続可能な観光とは何か
 あるいは、かつては害獣として駆除していたホッキョクグマとの共存を図って、世界で唯一無二の観光地となった北のチャーチル。そこは今、ホッキョクグマの絶滅と地球温暖化の危機を世界に発信する基地にもなっている。北米貿易協定でワイン生産の危機に瀕したオカナガンでは、すべての在来種を捨てて、最良の品種に植え替え、世界最高のワイナリーとして再生した。そして、ワインツーリズムとアグリ(農業)ツーリズムのパイオニアとなった驚きの物語である。また、建物と人口を厳しく抑制して持続可能な観光を目指してきたバンフ国立公園。

 さらには、「赤毛のアン」の作者モンゴメリが「世界で一番美しい島」と言った、あのPEIである。PEIの人々は自分たちの島の魅力について、むしろ日本人の訪問者たちから気づかされたという。みな、「赤毛のアン」に魅了された日本人たちだった。島に流れているゆったりした時間、宝石のように美しい風景、素晴らしい食材、そしてカナダ流のおもてなしを提供する人々の優しさなど、ここには本物の魅力がある。そうした価値に気づかされた島民が観光客と共に、本物の価値を守っている。こうした7つの物語が、「観光の力」に綴られている。

 そこには、いたずらに集客や安さを競う観光ではなく、地域も観光客も末永く幸せになる観光を目指す、様々な試行錯誤と努力があった。それが、今の地球環境の危機の時代に、地域が主体となって徹底して持続可能性を追求するユニークな観光を生み出している。これは、海外からのインバウンドの減少と、コロナ禍にあえぐ日本の観光の再生にとっても、大事なメッセージではないかと思う。

老人がストレスに出会う時 21.11.7

 先月末の衆院選挙では、午前中から投票所に長い列が出来ていて、投票率が上がるのではないか、ひょっとしたら野党共闘が功を奏して幾らかでも与野党伯仲の状況が生まれるのではないか、などと期待したが、結果は立憲の惨敗となった。選挙結果をいろいろ読み解く番組も見たが、私としては自民党の内実はともかく、立憲民主党の今後の方が思いやられる。前々から枝野代表の言っていることが一向に心に響かないこともあり、この看板が変らない限り無理だろうとは思っていた。そこに代表自身が気づかないのが最大のもどかしさだった。

 それにしても、政権交代などと本気で言っていることが、既に現実離れを起こしていて、彼らの現実感覚が問われる事態なのである。せめて、安倍・菅政権時代のような政治腐敗や国会軽視を許さない緊張感のある政治を取り戻すために与野党の伯仲状態を作りたい、と言って欲しかった。そうすれば、「投票で現状を変えたいなら」20.7.11)に書いたような「戦略的投票行動」を促せたのに。枝野は退陣することになったが、この後の代表選挙が寄せ集めの立憲民主党にとってプラスに働くか、或いは遠心力に働くかは微妙なところだろう。

◆出版化の思い入れに心が揺れて
 いずれにしても今、リベラル政党が抱えている問題は根が深い(「拡大する政治的ニヒリズム」20.10.27)。本当に与野党伯仲状態を作り出すためには、立憲民主党は、よほど腰を据えて政策の原点から問い直さなければならないだろう。本来ならば、こうした内容は「日々のコラム」の方にもっとしっかり書くべきテーマなのだが、最近は以下のような事情でコラムを更新する状況にない。それは、このところの心身の不調のせいである。原因は分かっているのだが、そのストレスがもたらす不調については、この歳になって初めて経験することも多かった。

 もとはといえば、「メディアの風 時代に向き合った16年」の出版化作業にある。10月になると、それは最終段階になって作業がだんだんと細かくなってきた。内容の最終チェックはもちろん、ページの割り振りや目次とページの照合、色の決定、印刷する冊数の決定など。そして一番疲れたのが、謹呈本の送付先の住所リスト作りだった。住所を確認するメールを送り、慣れないエクセルの細かい欄にそれに記入していく。同時に、何度も読み返した原稿も、さらに本になった気持ちで読んでみると、その出来具合に心が揺れる。ストレスが高まっていた。

◆「老人性うつ」の入り口に立っていた?
 そんな細かい作業を続けたある日。ついに、夕方から頭がぼーっとして回らなくなり、心臓の鼓動も速くなった。そこで血圧を測ってみると上が180近く、下が125にもなっている驚いて、精神安定剤代わりに睡眠導入剤を飲んで横になると言うような生活が何日か続いた。横になっていても、頭のどこかが興奮状態で眠気が起こらない。不安になると余計に血圧が上がるような気がして、不安が不安を呼ぶ負のスパイラルに入った感じになる。そんな時は、この本が出来る前に倒れたらなどということが、頭の中でぐるぐる回っていた。

 かなり、思い詰めていたわけだが、それだけ本のことが重くのしかかっていた。何しろ内容の出来不出来はともかく、自分が16年間をかけて時代や世界と向き合って来た証(あかし)でもある。それが形になる前にダウンするわけには行かない。そこで近くの医院に行って降圧剤を処方して貰った。そうして血圧が正常に戻ってみると、不思議に冷静さも戻って来た。同時に、自分は自分なりに時代と世界に向き合って、僅かでも爪痕を文字にしたのだから、その上さらに目の前の政治状況などを心配する必要はないのでは、という思いも起きてきた。

 その心配とは、日本の政治、地球温暖化、経済政策などなどについてである。そうした現状への歯がゆさが、これまでコラムで書いてきた内容と呼応して、自分の精神状態を暗く鬱屈させていた。高血圧や頭痛に加えて、そうした精神状態が何日間か続いた。これは世に言う老後のストレスから来る「老人性うつ」の入り口だったかも知れない。その後、クスリのお陰で極端な高血圧になることもなくなると、次第に霧が晴れてきた。本の送付先リストを先方に渡し、もう出来上がるのを待つだけ、となったことも大きい。まあ、あとは野となれ山となれである。

◆終末に近づく「未知との遭遇」
 そのような状況で、しばらくはコラムの更新も出来る状態ではなかった。加えて、既に書くべきことは書き終わったという思いもどこかにある。これまで書き連ねてきた内容を踏まえれば、もう余程のことがない限り、自分が付け加えるべきことはないようにも感じる。あるとすれば、出来上がった本を見て、何が足りないかを考えるべきかも知れない。それより、今自分が書くとすれば、むしろこうした老境の心身の変化を見つめることなのではないか。ふと、そんなことを思って、トップページの左右の欄を入れ替えてみたわけである。

 今年5月、76歳になった時には「まだ56歳」くらいに思っていたが、老いは確実に心身に忍び寄っていて、もうあの時のような健康体の幻想を取り戻すことはないだろう。何しろ身体のあちこちに不安が出始めると、若い頃はやり過ごせたストレス(*)の何分の一でも影響が大きくなる。76歳の先に何が待っているか。それこそ「未知との遭遇」で、分からないと言うのが実感だ。同じく体調不良をかこっているカミさんと老いをいたわりつつ歩いて行くしかないが、そうした日常を続けながら、未知のものを一つ一つ確かめながら書いてみたいと思う。 *)「ストレスをやり過ごした日々」(15.1.15)

◆孫たちの成長に癒やされる
 今まで経験したことのない精神状態の一方で、嬉しく癒やされる出来事もあった。孫たちの成長である。NYの次男のところでは、長男のK君(13歳)がバレエのレッスンに励んでいるが、コロナで2年ぶりに催される名門ニューヨーク・シティ・バレエの出し物「くるみ割り人形」で、(おそらく日本人初の)王子役に抜擢されたという。11月下旬から1月2日まで、1日2公演を含む延べ15日の長丁場の出演である。

 親からのメッセージには「5年前ニューヨークに移住してきた時は、英語も全く喋れず、右も左も分からなかった子が、人種や言語の壁を乗り越えて名誉ある大役に選ばれたのは、彼の努力と彼をあたたかく迎えいれてくれたニューヨークの人々、日本から応援してくれた皆さんのおかげです」とあり、胸が熱くなった。長丁場なので、体調に気をつけて頑張って欲しいと思う。
『遠きより嬉しき知らせ天高し』

 11月初旬には、娘が孫2人を連れて里帰り。下の女児(2歳)も長男(5歳)も、それぞれ言葉が達者になって会話そのものが楽しい。滞在の3日間は何もかも忘れて、お付き合いした。いつものお寺では、仏教系の幼稚園に通う長男も覚えている、お経の「舎利礼文」を一緒に唱え、色づき始めた銀杏並木の遊歩道から、近くの遊水池公園へ。既に立ち直りかけていた精神状態も、彼らとのつきあいで癒やされストレスも消えた。戻っていった娘にスマホで撮りためた彼らの写真とともに、Lineで「楽しかった。癒やされたよ」と送った。
『孫たちの秋穏やかに散歩かな』

秋声の読書は孤独を深くする 21.10.3

 10月に入ってコロナの緊急事態宣言が解除にはなったが、特段生活が変ったということはない。これを機会に1年以上顔を見ていない友人たちから一杯やろうという声もかかったが、二の足を踏んでいる。ゴルフは別として、暫くはこれまでのStay home状態が続きそうだ。天気が良ければ、近くの遊水池公園や元荒川の土手を歩いて俳句にあいそうな写真を撮り、市民会館2階の誰もいない喫茶室で自動販売機のコーヒーを飲みながら読書をする。リモートでは幾つかの勉強会、友人たちとの雑談会、そしてほぼ毎日の孫との会話になる。

◆最近の写真俳句から
『学ぶこと多き1年孫の秋』
 9月に5歳になった孫のK君は、一時は恐竜にハマって沢山の種類の名前、体長、体重まで言えるようになって、「恐竜博士」などとおだてていたが、最近は昆虫飼育や宇宙にもハマっている。「今日は何博士だったの?」と聞くのが日課になった。この頃の子どもは驚くほど吸収が早い。「え!そんなことも知っているの?」と聞くと、「当たり前だよ、もう5歳なんだから」と返されるほどだ。

『絵のごとき景色一段と秋進む』
 いつものウォーキングコースにある、西洋の絵画を思わせる岸辺の風景。このところの秋晴れの中で、一段と趣きを深めている。この風景が色付くのもまもなくだろうか。暑かった夏も過ぎて、季節は確実に進んでいる。

『近づけば香りの海の金木犀』 
 毎日お参りしているお寺の境内に見上げるほど大きな金木犀がある。その見事に刈り込まれた樹木の色が全体に緑から黄色に変っているのを見て、近づいていくと、もう辺り一面が金木犀の香りの「海」に。香りの海に溺れそうになる。

『寂しさの天より下る秋の暮れ』 
 あっという間に日が短くなって、一人ウォーキングに出た時には夕闇が迫っていた。テレビを占拠している総裁選の騒がしいニュースの世界と、自分がいかに無関係なところにいるかをひしひしと感じながら。そんな漠としたつかみ所のない寂しさが空から降りてきて、それを呼吸しながら歩く秋の暮れである。

『世の中の喧噪逃れ萩の花』
 自民党の総裁選とか、コロナの非常事態宣言解除のニュースの洪水に疲れて、少しはホッとしたいと散歩に出かける。お寺の境内では、古い石仏に覆い被さるようにして紅白の萩の花が咲き乱れていた。お堂の前で般若心経を唱え、ついでコンビニコーヒーをお寺わきのベンチで。こういうひとときがないとね。

◆出版化の作業が続く
 「メディアの風」上下2巻の出版化への作業。この10日間ほどは、集中して上下800ページの校正作業をした。過去何度も読んでいるつもりでも、やはり細かい間違いはあるもので、それを直したり若干の加筆訂正を行ったり。今回は、自費出版なので多少の気楽さはあるが、売り物となると神経の使い方も大変なのだろうと思う。それでも、全部やるところが自費出版たる所以のところで、もう何ヶ月になるか。440本のコラムから184本を選び出し、テーマごとに分け、古い順に並べる。各章立てのミニ解説、まえがき、あとがきなども書いた。

字の大きさ、全体のページ数(各400ページ)など、本の体裁が見えたところで、カバーのデザインをどうするか考えていたら、デザイナーの息子がやってくれるという。渡りに船で、中に幾つか入れるカットの用意も頼んだ。先日は、こんなイメージと言って写真を送ってくれた。かなり斬新なものだが、気に入っている。それにしても、各章立てのメディア、原発(脱原発)、人類の課題、文明、日本の政治と課題、戦争と平和、憲法、安倍・菅政権などの、16年に及ぶコラムを読んでいると、この間の日本の衰退、政治の劣化に暗然とする。

 そうした中で、何とか打開の手かがりも探ってきたつもりだが、今の政治状況を見ると、相も変わらぬ内向きの政治が続いている。国会の空洞化、説明責任の放棄など。これでは、政権が変っても日本は惰性的眠りから目覚めることはないかと、暗い気持ちになる。日本や世界の現実を直視してそれが提起する課題に果敢に取り組むような若い世代が現れるかどうか。そういう意味で、拙い本ではあるが、若い人にも手にして貰いたいと願っているがどうなるか。そして、12月には配布作業を終え、新たな気持ちで新年を迎えたいと思っている。

◆岸田政権に引き継がれる政治劣化
 内向きの政治と言えば、今回の岸田政権は、これまでの古い自民党的体質と価値観を打破しようとした河野太郎に対して、右派の安倍たちがこぞって拒否感を示した結果だという。それを引き受けた高市早苗は、安倍譲りの国粋主義的な国家観をひっさげ、敵基地攻撃、靖国神社参拝、アベノミクスの継承(これをサナエノミクスだと)、男系天皇、夫婦別姓反対などで、自民党を取り巻く右派勢力をなびかせた。詳しく見る気もないが、ネット空間では右翼が高市を救世主のように持ち上げ、河野を中国利権があるかのように叩いていたらしい。

 こうした風潮は、2012年12月の第二次安倍政権から際だってきた政治状況であり、それはコラムの一連を読んでいくと、どういう積み重ねてこうなってきたかが見えてくる。その国家主義的な利益誘導政治は、1年前の安倍の政権放り出し、次いで菅の無能さの露呈の結果で破綻したと思ったのに、少し毛色の違う岸田を陰から操ることで、見事に復活している。岸田は、アベノミクスでゆがんだ資本主義を、中間層に優しいマイルドなものにしたいと言っていたが、「令和の所得倍増」などと古くさい意味不明なキャッチになるところが胡散臭い。

◆秋声の読書は孤独を深くする
 ところで、今回の総裁選の4人の候補者とも、いずれも見果てぬ経済成長の信奉家たちで、地球温暖化に配慮した経済のあり方を問う政治家は皆無だった。前回のコラム「脱成長という新たな時代」に書いたように、差し迫った温暖化を食い止めるには「脱成長」しかないと言った考えとは、ほど遠いところにいる。そんなことを考えながら、市民会館の喫茶室でその類いの読書をしていると、そこに書かれた内容が、今の人類社会にとって重要なものとはいえ、現実のコップの中の争いからいかに離れているかを感じて、そぞろ孤独を深くする思いがする。

 この孤独の思いにはもちろん、今の政治もさることながら、それに何の批判的精神も見せずに追随するメディアに対する怒りもこもっている。今月の「世界」が脱成長を特集したことを見ても、地球環境問題が連邦議会選挙の争点の一つになったドイツを見ても、あるいは先日の若いグレタ・トゥーンベリ(スエーデン)の辛辣なスピーチを聞いても、脱成長は、世界の重要な関心事の筈なのだが、日本の政治はそれと遥かに遠い所にいる。そういうわけで、誰もいない喫茶室で一人こうした本を読んでいると、こうした俳句の一つも作りたくなる。

『秋声の読書は孤独を深くする』
 秋声とは、秋になると雨風の声などがしみじみと感じられるという季語。こんなこともあり、先輩が主催する月一の勉強会で提案し、「なぜ、脱成長なのか」(NHK出版)をもとに、脱成長について議論して貰うことになった。これで、孤独感からの脱出を図りたい。まあ、そんなこんなで「日々のコラム」の方はだんだんと終息に向かっている。ただし、これをどうするかはもう少し時間を掛けて考えたい。

猛暑とコロナと政治の無能 21.8.23

 この夏は、いくつもの要因が重なってストレスが一杯の夏となった。その要因を上げると、まずはこの夏の異常気象である。線状降水帯が西日本を離れず、土石流や洪水の災害が続いた。その一方で、私の住む東日本では猛暑である。熱中症の厳重警戒が続いて、昼も夜もエアコンをつけたり消したりの暮らしになった。この歳になると、これがかなり堪える。しかも、夫婦で寒暖の感覚が違うのもストレスの原因になる。地球温暖化の影響で、この先もこうした異常気象が恒常化していくのだろう。そうした憂鬱な予感がまたストレスのもとになる。

◆コロナのかつてない感染爆発
 もう一つは、このコロナ禍である。感染力の強いデルタ株に完全に置き換わって、いまやどこまで増えるか分からない感染爆発状態。(検査が少ないので実際はこの3倍くらいいるという)新規感染者数も、重症者数も連日過去最多を記録している。入院できない患者が10万人もいて、日々悲劇的な死が伝えられる異常事態だ。デルタ株は、ワクチンを2回接種しても(重症化は防せぐが)、感染リスクは50%近いと言うから油断できない。相変わらず、人に会うのもままならない自粛生活が続いている。この終わりの見えない緊張がストレスである。 

 さらなるストレスは、政治の無策に対する怒りから来る。政府は緊急事態宣言を乱発するが、彼らの危機感は一向に人々の心に届かない。それも当然で、一方でオリンピックのお祭り気分を盛り上げながら、一方で危機感を抱けと言っても無理。これはメディアも同罪である。人々の気分がそうなら、政治はより具体的な対策でコロナを封じ込めなければならないのに、自粛要請を曖昧に繰り返すだけである。頼りのワクチンも滞っているし、患者を集中的に診るような臨時病棟の建設もない。口では災害レベルなどと言いながら、その無策に腹が立つ。

◆政治の無能に対するストレス
 感染初期に投与すれば効果的と言われる「イベルメクチン」(読売オンライン)についても確保に及び腰で、政治は責任を負おうとしない。価格が非公開でかなりの高額な人工抗体だけがクローズアップされているが足りてない。イベルメクチンは極めて安価で、初期に一回、3錠、4錠飲めばいい。副作用のないことも証明済みなのだから、やるだけやってみればいいのに、腰が重い。長尾和弘(兵庫県医師)などは、これを全世帯に配ったらどうかとまで言っているが、まさに燃えさかる火事を前にして、消化剤の効能を巡って議論しているようなものだ。

 その背景には、金儲け主義の製薬メーカーの思惑があるに違いないが、何より政治が無能で、これを打破できない。安倍から菅へ。一強状態に胡座をかいて国会も開かず、真に国民に向き合わない無責任な政治がずるずると続いている。願わくは、この秋の総選挙でそうした堕落した政治に覚醒の一撃が下ってほしいが、どうなるか(*)。今は燃え盛る火事を前にして、なすすべもなく政治の無能に耐えなければならないのがストレスである。このストレスをやり過ごす生活の工夫をしようとはするが、この猛暑でその気力が沸かないのもストレスである。 *)22日の横浜市長選の結果は、その手始めの一撃でしょうか?

◆コロナ禍における孫たちとの交流
 そうは言え、この夏は幾つかの楽しみもあった。その一つは、コロナ禍における孫たちとの交流だった。お盆前には、娘が4歳(男児)と2歳(女児)の2人を連れて1週間泊まりに来た。同じ県内なので、旦那さんは車から3人を降ろすと、とんぼ返りであっという間に帰って行った。毎晩Lineでは会話をしているが、久しぶりの再会である。その1週間は、すべてを忘れて孫たちの相手をすると覚悟を決めて、小さなプールでの水遊びや、遊水池散歩、お寺参り、お絵かき、部屋でのロール遊び、YouTubeでの恐竜鑑賞などに付き合った。

 驚くことに、下の子はみるみる言葉も達者になって自己主張をしっかりするようになった。いうことをなかなか聞かないので、「鬼さんがくるよ」と言って脅かそうとすると、兄が「おじいちゃん!」と言って間に入って妹を守ろうとするから面白い。ご近所にも「賑やかでいいですね」なんて言われたが、それもあっという間にまた旦那さんの迎えの車で帰っていった。クタクタだったカミさんと私は、ほっと一息である。帰ってから、カミさんは「子育ては、あんなに大変だったかなあ」などと言うが、私はどう答えるのが正解か分からず黙っている。

 NYの3人の孫とは、その間にLineで話をした。まだマスクはしているが、こっちほどピリピリしてはいないようだ。下の子(5歳男児)は先日、ヤンキースタジアムに大谷翔平を見に行ったみたい。長男の所の2人の孫娘のうち、上の子は大学受験に取りかかる年頃。先日は、メールで私が大学の専門課程(都市工学)で習った教授たちの名前を聞いてきた。丹下健三、黒川紀章、大谷幸夫といった大御所を上げたら、建築に興味を持つ彼女はびっくりしていた。もっとも、こちらは全く才能がなかったのだが、そんなやりとりも嬉しいことである。

◆「メディアの風」の出版化の先に
 「メディアの風」の出版化は、少しずつだが着実に進んでいる。上下2冊で各巻400ページほどになるらしい。本の装丁はデザイナーの次男がやってくれることになったが、ついでに彼の作品もカットとして文章の合間に入れることにした。「メディア」、「原発事故」、「戦争と平和」、「文明、世界」、「政党政治」など、全部で9つのジャンル(章)に分類して時系列的に並べたが、本の形がもう少し見えてくると、手応えやら感想も出てくるだろう。それぞれの章を通して見たときに、何か訴えるものが見えてくるかどうか。それが密かな楽しみでもある。 

 一足先に先日、そのヒントのようなものを感じる機会があった。同期のK君から、そうしたコラムをもとにオンライン勉強会の話題提供に、原発問題を仲間に話して欲しいという依頼である。そこで、10年前の原発事故からシコシコと書いてきたコラムの論点を整理して、6人の報道ディレクターの懐かしい顔ぶれに1時間半ほど話をした。最近ふと、この本が出来たらそれをもとに、若い人たちに何か話してみたいとも思ったことがあったが、期せずしてその予行演習をした感があった。まだ先のことになるが、お陰で楽しみが一つ出来たかも。

◆本が完成するまでは
 先日、88歳の大先輩が出版した「2050年、未来秩序の選択」を頂いた。そこにも書かれているが、今を概観すれば、時代の大きな転換点にあるような気がする。人類の歴史を逆回転させるような野蛮な体制が頭をもたげてもいる一方で、人類共通の課題として、地球温暖化が促す、新たな経済システム、社会的価値観、文明のあり方の模索が始まっている。私の本のタイトルは「メディアの風〜時代と向き合った16年〜」とすることにしたが、これも振り返って見れば、拙いながら、その入り口まで歩いてきた感じがしている。 

 そんなことで、今はとにかくコロナにも健康にも気をつけようと思うようになった。暑い日にゴルフをやって熱中症になりそうになったり、先日のように、出窓の台からおりようとしてすべって後ろ向きに倒れ、背中を嫌と言うほどサイドボードの硝子に打ち付けたりしないように。お陰で、サイドボードの硝子は粉々になり、シャツは破けてかなりの擦り傷が出来た。地震対策に、硝子に飛散防止のフィルムを張っていたのが不幸中の幸いだった。この歳になると何が起こるか分からない。本が完成するまでは慎重に行こうと痛感したことである。 

五輪祭典を横目で見ながら 21.725
 コロナの感染が急拡大する中でオリンピックが始まった。前回の1964年の東京オリンピックの時は大学1年生で、東北地方を旅していた。もともと近年のオリンピックのあり方や、少しでも視聴率を稼ごうと狂奔するメディアの姿勢に違和感を持っていたので、2013年に招致が決まった時も半分白けていた。簡素で安上がりのオリンピックと言いながら当初予算7340億円の2.2倍の1兆6千億も掛けて来たこと、そして「呪われたオリンピック」と言われるくらいのゴタゴタ続き。それに追い打ちを掛けるコロナの急拡大である。

◆オリンピックと日本の政治
 ことここに至っては、開催する方が止めるより傷が少ないのかも知れないが、こうなってみると2013年の招致の時にトルコのイスタンブールに譲っていた方が余程日本にとって良かったと思う。そうなっていれば、今頃は借金を積み上げることもなく、心穏やかに海外での日本人の活躍を見ながら、国内のコロナ対策に専念できただろうに。今は目立たぬように開会式を欠席した安倍も、日本の夏の気候は穏やかだとか、福島はアンダーコントロールだとか言って招致したことを少しは反省して貰わなければならない。繰り言を並べても仕方がないが。

 ただし一方で、「やめることは一番簡単なこと、楽なことだ。挑戦するのが政府の役割だ」(米紙へのインタビュー7/21)と意味不明な理由で開催を強行した菅首相の、この先の責任については、十分に見ていかなければならない。この菅の決断については、「第二次世界大戦の時と一緒。日本国民の命を質に博打をうっている」と、国民の命を危険にさらしながら、ひたすら無謀な開催強行へ突き進む姿を大戦時と重ねる声も出ている(スポーツ紙)。冷静に情報を分析・吟味せずに、思い込みや精神論で事を進める菅に、この先の運はあるのかないのか。

 菅首相は、どこか戦前の東條英機と似ていると言った友人がいるが、東條も科学的な分析をせず、視野狭窄的な精神論に凝り固まって悲劇を拡大した。何しろ、東條は真珠湾の勝利祝賀会で「これでルーズベルトも失脚だな。アメリカ国民の士気も落ちてしまうだろう」と“根拠なき楽観論”の典型のような感想を述べたくらいだから、危険この上ない。今の政権はオリンピックで金メダルが量産されれば国民も盛り上がり、秋にワクチンが間に合えば選挙に勝てると考えているという。この博打のような政治の危険性を忘れてはいけない。

◆出版化、新規コラムをどうする?
 本来は、こうしたことを「日々のコラム」の方にきちんと書くべきだとは思うのだが、連日の猛暑に思考停止状態に陥っている。加えて、「メディアの風」の16年分を出版する作業が続いている。先日は、製本屋と打ち合わせをして大体のイメージが掴めてきた。絞り込んだコラムも180本となると、上下2冊、それも450ページくらいになるという。まあ、それでも2冊に収まりそうだというので、少し安心した。今月末までに「まえがき」などとともに原稿を手渡すと、お盆明けに900ページ分のゲラが手元に来るという。少しずつ少しずつである。

 問題は、こうした作業を続けながら一方で「日々のコラム」の更新をどうするかである。これが気分的には結構な難問で、大方のテーマは既に書き尽くした感じがしているのと、新しく書いたのをいつまで本の方に収めるかという悩みが、コラムの更新から自分の気持ちを遠ざけている。そうした気分になって改めて思うのは、これまで良くも書き続けて来たものだということ。まあ、いろんな方に励まされてきたこともあるが、自分の気持ちをかき立てかき立てしてやって来たのも事実である。これは、こういう状況になって特に感じることである。

 その気持ちとは別に、頭の方では出版化作業と並行してこれまで持続的に追求してきたテーマについては、書くべき新たなことが見えたら書こうとは思っている。そうした中で、先日は科学技術ジャーナリスト会議が主催したリモート講演(7/20)で、自然エネルギーの最新情報が面白かった。一気に価格を下げている太陽光発電(写真は日本最大のメガソーラー)などとの競争で原子力の命運も尽きかけていることである。「カーボン・ニュートラルは原発の退場を促す」である。ただし問題は、日本にその政策転換が果たせるかだ。これが本に収める最終コラムになるだろう。

◆母の7回忌で
 7月14日には、カミさんの2回目のワクチン接種も終わった。月末には免疫が出来るので、オリンピックを横目に久しぶりに温泉にでも出かけようと思う。ただし、十分注意しながらのささやかな旅になりそうだ。何しろ、デルタ変異株には注意しなければならないし、この免疫がいつまで持続するかもまだ良く分からない。先日のサイエンス映像学会(7/18)では、ロンドン大学の小野昌弘氏がこれから先も恒常的に感染防御策を続ける、新たなワクチンを開発し続ける、重症化を防ぐ治療法の開発、病院機能の充実などが必要になると言っていた。

 さて、11日には6年前に93歳で逝った母親の7回忌を水戸の寺で行った。出席したのは、実家に住む弟夫婦と長男の私だけ。水戸市に住む90歳の叔母や東京の姉たちも大事をとって欠席した。コロナがなければ、皆で集まって鰻屋で楽しく食事会が出来たのに、叔母は「それまで元気でいられるかな」と心細そうだった。いつ終わるとも知れないコロナは、我々老人に残り時間を否応なく考えさせる。実家に住む弟の奥さんは今、残された品々を片付けるのに忙しい。特に戦前の写真などはどうしていいか分からないから、私の所に送ると言う。

◆古写真選ぶや昭和の蜃気楼
 先日、その写真の一部が箱に入って送られてきた。殆どが戦前の白黒写真である。幼くして亡くなった(話で聞いているだけの)叔母の写真、叔父の出征写真、結婚前の父と母の写真、姉が生まれたときの祖母と母と叔母の和やかな写真、などなど。私たちきょうだい4人の戦後の写真もあった。そうした中から残す写真を選んでいると、遠くになった昭和の香りがしてくる。そこで、一句。

『古写真選ぶや昭和の蜃気楼』
 左は祖母。姉を抱いている中央が叔母、右が母。 こちらは、戦後の我々きょうだいの写真(左の赤ちゃんが一番上の姉)。










◆暑くなる地球での老後
  最近は上に書いたような猛暑の思考停止と出版化の作業で、写真俳句は殆ど出来なかった。僅かにこれともう一つ。
『夕暮れてなおも暑さの余韻かな』
 連日の猛暑で家の中でぐったりしているばかりを少し反省して、夕方お使いがてらに川べりを歩いてみました。さすがにここは川風が通っていて暑さも和らいでいますが、西の空をみると、まだ昼間の暑さの余韻が漂っているような、明日もまた暑いんだろうなと思わせる光景です。でも、30分ほども川べりをあるいて、少しリフレッシュしました。

 オリンピックにコロナに台風に。加えて連日の猛暑である。思考が回らない中で、この猛暑の夏をどう過ごしていくのか。お盆休みには、娘が2人の孫を連れて1週間ほど泊まりに来るというので、今から体力確保に留意して行かなければならない。何かと不調を抱えるカミさんも、今から身構えているが、この年齢になると猛暑の夏がひときわ堪える感じがする。何とか無事に乗り切りたいものである。
ワクチンを終えてしみじみ 21.6.24

 6月16日に2回目のワクチンを受けた。副反応は、2回目の方がかなりキツくて、熱は出なかったものの身体の節々の痛み、頭痛、だるさがほぼ1日続いた。買い置きしていた解熱鎮痛剤(タイレノール)を都合3回ほど飲んで過ごし、3日目には回復。これで月末には晴れてコロナの免疫保持者になる。先日は久しぶりに会議に参加するために赤坂まで出かけて、TV制作会社の社長夫妻と昼飯を共にしてきた。最近見た番組やディレクターたちの活躍、メディア界の話題など、対面であれこれ話が出来るところが、リモート会議にはない良さである。

 副反応の出た日には、免疫が出来たらやりたいことを考えながら過ごした。今の状況は、社会全体の気の緩みから再び感染が拡大する兆しだし、感染拡大に拍車を掛けるオリンピックも始まるし、あるいは感染力が強いインド株も心配で、ワクチンを終えた老人がはしゃぐ状況ではないけれど、とりあえずそうした密な都会を避けながら、少しずつ行動範囲を広げて見たい。来月末にはカミさんも免疫が出来るので、オリンピックを尻目に温泉にでも出かけることにしよう。友人たちとの涼しい高原ゴルフも楽しみ。この1年4ヶ月を考えると、そんなささやかなことで十分である。

◆「メディアの風」16年の出版化の作業
 一方、「メディアの風」16年分の出版計画も、「Stay home」の中で出来ることは終えた。440本から180本に絞り込んだコラムを縦書きに直しながら、字句の修正もする。この作業はある意味機械的な作業でもあるので、自粛生活の暇つぶしにぴったりだった。一つ一つのコラムを再々読して感じるのは、一口に16年と言っても当時の状況を改めて思い起こすことが多かったことである。現状に慣れさせられているけれど、様々な事象の発端を巡ってこんな議論があったのかと、僅か16年の間にも時代変化の節目が幾つもあったこと知る。

 近々、製本のプロに会ってどのような体裁にするか、上下2巻のページ数、ハードカバーかソフトカバーか、何より、ページの読みやすいレイアウトと、文字の分量との妥協点をどう見つけるかが問題だ。その上で出版のデジタル仕様(パワーポイント?)を貰って、そこに縦書きにした文章を順序立てで落とし込んでいく。素人なりに、そのような手順になるのだろうと考えている。いつ完成するのか、しばらく楽しみながら進めて行く。以下は、来月で1年になる「写真俳句」の今月分から。時々の身の回りの写真に俳句らしきものをつける試みは、まだ何とか続いている。

◆最近の写真俳句から
『ワクチンを終えてしみじみ花菖蒲』
 副反応から回復した日、近所の遊水池公園をプチ・ウォーキングした時に、満開の花菖蒲に見とれながら。。

『梅雨荒れやなすべきことの手につかず』 
 今日は一日雨風の強い、荒れた梅雨になりそう。先日来、ただ漫然とコロナのどうしようもないニュースなどに付き合って、やるべきコトになかなか手がつけられない状況にあるのを少し反省。その昔、試験勉強をしなければならないのに、小説を読み出したり、鉛筆を削っていたりしたのと同じ感じ。1年以上続く自粛生活の影響でしょうか。

『天上にどんなドラマか梅雨の日矢』 
 黒い雲が迫っていたので、雨を警戒しながらのウォーキング。河川敷を歩いていてふと空を見上げると、そこから日の矢が地上に向かっていました。その雲の切れ目の先に、今の陰鬱な地上と違って、どんな楽しい物語(ドラマ)があるのだろう?と思いたくなるような。。日矢(ひや)は俳句特有の言葉だそうです。

『今日もまたコンビニコーヒー梅雨に入る』 
 自粛生活が始まってから既に1年3ヶ月。毎日、近所のお寺をお参りして般若心経を唱え、それからコンビニでコーヒーを買い、お寺わきのベンチで飲むのが習慣になっています。レジのおばさんは私の顔を見ると何も言わずに紙コップを出してくれます。こうしてベンチでボーッとしながら飲むひとときを1年以上。そこで銀杏並木の紅葉から落葉、芽吹きまで眺めながら過ごしてきました。

『思い出を見に行くそこに立葵』 
 宿根草が毎年同じ所で花を咲かせるのは、この歳になると何だか貴重なことのように思えます。8年前にFBにアップした写真で思い出して、遊水池の片隅にタチアオイを探しに行ったら、8年前と同じように夕暮れの中で咲いていました。そこには、夕方の涼しい風が吹き渡っていました。

『遊ぶ子の頭上迫るや梅雨の闇』 
 午後は暑いような日差しがありましたが、夕刻になると急にざっと来そうな黒い雲が、遊水池を覆い始めました。公園の芝生では、日曜のせいか家族連れの子どもたちがまだ楽しい余韻の中で駆け回っています。彼らは頭上に迫るこの黒雲(梅雨の闇)に気づいているのでしょうか?結局、雨は降らずに済みましたが、そんな、梅雨時の一瞬をパチリ。

◆父の日と読書
 今月は父の日。それに合せて孫たちの近況も送られてきた。長男の所の2人の孫娘は高1と高3。母親が送ってくれた中学校の卒業式でのピアノ演奏や高校のイベントでの集団ダンスなどのDVDを見ると、2人ともすっかり大人びてそれぞれ高校生活を楽しんでいる。読書の方はあまり進んでいない。野党がどんな政策で選挙に臨むのか、立憲の枝野代表が書いた「枝野ビジョン」、徳川家康に世界情勢を説いた「ウイリアム・アダムス」、以前も触れた「日本会議の研究」(菅野完)と別な角度から書かれている「日本会議の正体」(青木理)など。

 これからのデジタル社会の可能性を論じた「データ立国論」(宮田裕章:慶応大教授)、原発建設やダム建設で政界を操った政商、水谷功を描いたノンフィクション「泥のカネ」(森功)など。政治の表の顔は、一頃よりはきれい事を装っているようで、裏では相変わらずの「政治とカネ」の風景が広がっている。それは、胡散臭い国土強靱化計画や、新型コロナ対策、オリンピック、デジタル化、カジノ誘致などでも同じ「政治とカネ」の構造が続いているのだろう。そんなことを思いながら、コラムの次のテーマも考えなければなどと思っている。

無意識に56歳と書く朝曇り 21.5.28

 先日、満76歳の誕生日を迎えた。数えで言えば喜寿なのだが、その当日にちょっと意外なことがあった。NYに住む次男から誕生日祝いに「身体にいい野菜ジュースを日本から送ったよ」というLineである。それに対して、「ありがとう!無事に元気に56歳になりました。皆のお陰です」と返事を送って、後でふと間違いに気づいた。訂正メールを送ろうとしたら、すぐさま息子から「若いねw。おめでとう!!」と返事が来てしまった。それで、「20歳もサバ読んで。気分は」と送ったら、「あと50年頑張ってください」と返ってきた。

◆56歳の頃の感覚を引きずって生きて来た?
 これには、我ながらちょっとびっくりした。56歳というのは、無意識のミスだが、その時は何も感じなかった。むしろ76歳と訂正しようとしたときの方が、しっくりこなかった。もちろん冷静に考えれば、76歳は動かしようがない現実なのだが、気持ちの中ではまだ落ち着かない。76という数字が、どこか自分のことのように思えないのである。そう考えると、その直前の75歳だって怪しいものである。何か深層心理的に、今の年齢を拒否したい気持ちでもあるのだろうか。それとも、単に惚けの始まりなのだろうか。

 考えてみれば、これまでは56歳の頃の感覚のまま歳を重ねてきた感じがする。定年はあったが、それほど重大な心身の転機がなかったので、その頃の自分を引きずって惰性で生きて来たとも言える。それであまり違和感もなかったのだが、これから先はそんなことが許されるだろうか。この先も年齢を忘れて今までのように生きて行きたい気がするが、身体的にもそうは行かないだろう。自分の歳を考えたくない潜在意識も分かるが、これから先はせめて75歳を起点として、その惰性でやって行くしかないのかも知れない。あまりイメージが湧かないが。

『無意識に56歳と書く朝曇り』
 「朝曇り」とは、夏の日の朝、一時的にどんよりと曇ることがあるが、それは昼から暑くなる兆し。

◆ワクチン1回目を接種
 25日には、75歳以上を対象としたワクチン接種を受けた。当市は予約も簡単で、翌日には3週間後の2回目の予約も取れた。これで6月末には免疫が出来る筈である。しかし、ワクチンを打つ前にはあれこれ気にかかることがあった。何しろ、これまで日本ではワクチンの接種後、それが直接の原因かどうかは分からないが、55人が死亡している(厚労省)。うち、一人は40代女性でくも膜下出血のために4日後に死亡している。確率は極めて低いがこれらも気になった。しかし、交通事故(或いは航空機事故の確率?)が怖いからと言って車(飛行機)に乗らない訳にはいかないのと同じでもある。

 幸いに、現時点での影響は接種部位の軽い痛み(2日間)、軽い頭痛といった程度で済んでいる。2回目も副反応はあるにしても、重篤なものにはならないだろうと思う。日本全体の接種率は予想通り呆れるほどの遅さだが、この接種によって、自分の生活や精神がどう変化するのか。あまり浮かれることなく、次の興味の対象として見ていこうと思う。さて、「メディアの風」の出版のための作業は後段に書くとして、そんな日常の中でサボりがちだった写真俳句も幾つか載せておく。季節の移り変わりの他に、家族の思い出などの句である。

◆5月の写真俳句から
『孫たちのコーデや春のニューヨーク』 
 NY在住の次男一家も両親がワクチンを打ち終えて、ひとまずホッとしました。この1年以上、非常時のような中で良く頑張りました。そんな中、ママが子どもたち(10歳と6歳)の写真をインスタにアップ。さすがアート一家のコーディネートは素敵です。長男(13歳)のバレエの稽古も再会したようです。こうした個性的な体験を通して、何かを得てくれることを祈ってます。春めいたNYからの写真(右上も)。

『膝かばいつつも前向く梅雨の入り』 
 関東地方も、もう殆ど梅雨入りのような日々ですが、家に閉じこもっていると身体にカビが生えそう。小雨くらいなら、かえって風情もあるかと、ウォーキングに出かけますが、梅雨の湿気のせいでしょうか、結構膝が痛くなります。それでも、だましだまし前を向いて歩いて行かないと。

『吾子(あこ)たちの写真整理す母の日に』
 何を思ったか、カミさんが子どもたちの幼いときの写真のアルバムを取り出して、大量の写真から選んで1冊にする作業を始めました。ずっと心に引っかかっていた作業なのでしょう。これを一人1冊にまもめて手渡すのだそうです。こうしてみると、もう40年も前になる子どもたちの幼いときの写真に、記憶の底にあったものが呼び覚まされるような懐かしさを覚えます。おりしも母の日。子どもたちからは花が届いていました。(それにしても、写真の子が今や2児の母なのに感慨無量です)

『春風が水面(みずも)奏でるジャズ風に』 
 田植えの季節を迎えて、遊水池にはたっぷりの水が入って、水面を春風が吹き渡っていました。その春風が水面に描く模様がまるで音楽を奏でているような。それも、気まぐれなジャズ風になんて。

『春花壇 花の進化の小宇宙』 
 遊歩道に沿って、近所のボランティアのお年寄りたちが作っている花壇があります。植えられている花をまじまじ覗いてみました。その中心部のめしべのところを見ると、まるで精密な構造物のようでした。花たちにとっては、春爛漫といったところでしょうか。

◆出版化のための楽しい作業
 「日々のコラム」の方に書いたように、16年間に書いた440本のコラムを読み直し、ぎりぎり2冊に入る183本にまで絞り込んだ。それをテーマごとに並べて見たが、現在はそれを再読しながら縦書きに直している。どういう手順で原稿を製本業者に渡せばいいのか、さっぱり分からないのだが、字句の修正も必要だし、前後の関係とかリンクなども修正しておく必要がある。写真や図表なども削除する。それでも、この作業そのものは大変楽しい。過去のコラムを読んでいると、書いた当時の集中力とエネルギーが蘇って来るからだ。

 一方で、こうして選別した本の内容については、サイトの方にも特設ページを作ろうと思っている。こちらには、写真や図表なども残す。これは、出来れば私が80歳になるくらいまではインターネット空間に残るようにしよう。問題は、この作業の間、新規のコラム執筆をどうするかである。続けろという声も受けているが、この楽しいコラム修正作業に集中している間、新規のコラムを書くことができるかどうか。ただし、これも一旦途切れたら、なかなか再開出来ない気もする。書きたいテーマもあるので、ぼちぼちとでも並行してやるしかないだろう。 

徐々に動き出した出版計画 21.4.20
 東日本大震災と原発事故から10年というタイミングもいつの間にか過ぎて、再びコロナに翻弄される日々に戻っている。「日々のコラム」については、既にコロナに関しても原発事故に関しても、およそ書くべきことは書いた気がして、政府のコロナに対する無策についても、脱原発の停滞についても、もはや付け加えるべき内容がなかなか見つからない。この無力感を乗りこえて書き続けなければとは思う一方で、なるようにしかならないという諦めも先に立つ。そうした中で、生活の方は飽きずに自衛的な「Stay home」を続けている。

 体調管理のために出来るだけ近所の元荒川の堤防を歩く。毎日のお寺参りも欠かさず、かれこれ1年になった。その間に季節の変化に気づけば写真に撮って拙いながら俳句をつけ、FBにアップする。かつての同僚や高校の同級生たちとのリモート飲み会、都内のTV制作会社とのリモート企画会議、学会やジャーナリスト会議でのリモート講演会や研究会。それに大先輩が主催する勉強会などは、定期的に続いている。娘の所の2人の孫とLine映像を使った毎晩の会話やきょうだい同士のやりとりなどで日々が過ぎ、都内に出ることも滅多にない。

◆春の写真俳句から
 そうした中、去年の緊急事態宣言からちょうど1年というタイミングで、桜の開花に出会って、しみじみとこの1年の長さを思ったりした。人間社会のコロナ騒ぎをよそに、自然の営みは確実に巡っている。そうした最近の写真俳句から幾つか。

『花に会う この一年を 生き延びて』 
 毎年訪れている川沿いの桜ですが、今日はもう殆ど満開。それでも、しっとりと咲いていました。コロナ禍の異常な1年を経ての再会でしたが、果たして来年はどうなりますやら。何とか今年1年も無事に乗り切れることを祈っています。

『花満ちて 命のままの 立ち姿』 
 昨晩の雨が心配で、例の桜を見に行きました。それは、ほぼ満開で花の命を謳歌するように見事に枝を広げていました。花は何も考えていないでしょうが、大自然の力というか、自然のままのその立ち姿に見ほれました。

『一枚の絵になる岸辺の柳かな』 
 芽吹き始めた柳が、外国の風景画(例えばコローの)の中に溶け込んだように、水辺に影を落としています。このアングルはそんなことを感じさせる、好きなアングルです。近所の元荒川に沿った小さな沼地に過ぎませんが、ここには、釣り人も、カワセミを狙うカメラマンたちもやって来て、そんな皆が風景の中に溶け込んでいます。

『百均の 恐竜の群れや 孫の春』 
 孫2人が、百均で買った沢山の恐竜をもって、お泊まりに来ました。百均ショップでこんなに多くの種類の恐竜が売られているとはびっくりですが、恐竜博士の孫(4歳)が、その全部の名前と体長まで言えるのにびっくりです。お寺をお参りして、近所の公園を散歩して、あっという間に帰って行きました。また、会いたいね。

『若人の 集う河原に 鯉が舞う』 
 晴れ渡った空の下、河原に沿ってウォーキング。すると、川の両岸をつないで鯉のぼりの大群が春風に舞っていました。その河原では、対岸にある高校の生徒たちでしょうか。新入生の記念撮影が行われていました。コロナの制限の中で一瞬だけマスクを外しての記念撮影。彼らの前途に幸あれと祈りたい気分です。(写真右上)

◆徐々に始まった出版計画
 一方で、懸案のコラムの出版計画も徐々に進み出している。友人が紹介してくれた出版のプロに見積もりをお願いすると、単行本スタイルでハードカバー2冊も可能かも知れない。2冊になると、残される方も邪魔になって大変かも知れないが、437本のコラムを選別する方は少し気が楽になる。とりあえず、ジャンル別に分類したコラムを最初から読み始めて、残すべきものを選ぼうと考えた。しかし、これがなかなか大変。読み出すと、書いた当時の社会情勢も蘇って来るし、その時々の自分の捉え方も分かって捨てがたいものが多い。

 敢えて、(私でなくとも誰かが)10年後に読むとして、その10年という時間に耐えるものを選ぶ積もりで選別を始めている。1日10本くらい読むとして、この作業に40日ほどもかかるだろう。その上で、さらにジャンル別の分量を眺めながら、上下2冊の構成を考えてみる。その先には字句の訂正やジャンルごとの解説なども必要になってくる。ちょっと気の遠くなる作業だが、何しろ16年間のあと片付けなので仕方がない。それで何とか自己満足を果たす。ただし問題は、その間に、目の前の「日々のコラム」をどうするかである。

◆閉塞状況の打破を若い世代に期待して
 これについては目の前の事象を追いかけるのは止めて、これまで継続的に追求してきたテーマを中心に書いていこうと思う。それも月2回程度に我慢して。そのテーマとは例えば、「地球温暖化」、「脱原発」、「戦争と平和」、「民主主義」、「メディア」といったところだろうか。目の前の政治や貧困・格差、あるいは国際関係といったテーマはしばらくお預けになる。こうしたテーマは、これから時代を切り拓いていく若い世代に任せるしかない。政治も格差も貧困も彼ら自身の未来に関わって来るわけで、彼らの自覚と奮起に期待するしかない。

 今の日本は、様々な人類的、民族的課題が重くのしかかってくる時代状況にある。それなのに日本では、権力にしがみつく年寄りが政治を牛耳っていて、若い世代の頭を押さえつけている。ことの軽重はともあれ、それは幕藩体制の弊害が積み重なった江戸末期の閉塞状況にも似ている。あの時は、年寄りではどうにも対応できず、代わって若い世代が立ち上がって時代を切り拓いていった。それは今も同じ。化石のような老人が若者を抑え込んでいる状況を変えなければ、明日の日本も、ましてや人類に貢献する日本もない。

◆日本は時代を切り開けるか
 先日、ドイツが2022年までに脱原発を決めた時の「ドイツ脱原発倫理委員会報告」(2011年5月)を読んで見た。福島原発事故を受けて原発の非倫理性を徹底して議論し、それまでの原発容認派と脱原発派が一致してドイツの脱原発に踏み出した記念碑的論文である。それをみると日本の「議論の土壌」が、いかに未成熟かが絶望的に見えてくる。これは次回のテーマにしたいが、同時に今のコロナの状況も心配。社会のたがが外れた状態は既にある種、社会心理学のテーマになりつつある。そこで58年ぶりにカミュの「ペスト」を読み始めたが、これについてもいずれ書いて見たい。