自分の一方的な歴史観(大ロシア主義)のもとにウクライナ侵攻を始めたプーチンには、幾つかの誤算があったと言われる。一つにはウクライナ国民の圧倒的な反ロシア感情である。プーチンは、ロシア軍は解放軍として歓迎されると思い込んでいたらしいが、(親ロシア政権を倒したマイダン革命以後の)自由を求めるウクライナの国民感情の変化を読み違えていた。もう一つはウクライナ軍の士気の高さと武器の充実。欧米が提供した高性能の対戦車砲で、士気の低いロシア軍は叩かれた。そしてもう一つの誤算がSNSを始めとするIT情報戦である。
ウクライナの若きIT大臣のミハイル・フェドロフ(31歳)らがロシアのサイバー攻撃の上を行く情報戦と宣伝戦を展開して、一気に世界を味方につけ、ロシアの孤立化に成功した。このIT戦略の詳細はまだ不明だが、アメリカの大手IT企業を味方につけるとともに、国民からのSNS情報まで巧みに作戦や宣伝に取り込んでいる。海底ケーブルでつながるインターネットが遮断された場合に備えて、イーロン・マスク(米)がもつ2000個の衛星を使ったネットワークも提供されており、ロシアはウクライナのIT作戦にうまく対処出来ていない。
◆SNSによって伝えられる戦争のリアリティー
その結果、日々世界に拡散される戦争の情報は、同時にSNS時代に特有の新たな状況を生み出している。それはまさに殺されようとしている市民が必死にSNSで発する戦争のリアリティーが引き起こす状況でもある。病院を攻撃し、子どもたちが避難していた劇場までも攻撃するロシア軍の非人道性(*)が瞬時に世界に拡散し、ロシア批判をかきたてている。幼子が傷を負う悲惨な映像や見る影もなく廃墟となった都市の光景が、世界の人々の意識に日々膨大に積み重なって行き、プーチンが唱えるこの戦争の大義の嘘(虚構性)を露わにした。*)ロシア軍撤退後の住民大量虐殺も明らかに
ウクライナ軍の意外な善戦もさることながら、ウクライナ側から発信される膨大なSNS情報は、初期段階での世界世論における圧倒的な優位をウクライナにもたらしている。それは、G7やNATO加盟国の政治家たちの結束を固めさせただけでなく、世界世論の大部分をプーチン憎しに変えた。その心理の背景には、いわゆる「共感疲労」というものが働いているように思われる。私などでもそうだが、日々悲惨な戦争の映像を見続けると心の底に同情心がたまり続けるが、それがあふれそうになっても、そのやり場がないことに気づかされるからだ。
◆「共感疲労」から派生するプーチンへの怒り
戦争や災害の悲惨な情報に長く接し続ける時に起こる「共感疲労」とは、何も出来ない自分を責めて疲れてしまったり、後ろめたさを感じたりする心理現象だという。それを乗り越えるために支援活動や寄付に立ち上がる人々もいるが、多くの場合は、これ以上疲れないように悲惨な情報から適宜自分を遠ざけるようになる。それはそれで自衛的な対処法だが、一方で戦争の現場で日々悲惨な被害が出続けている事実が頭を離れない。今は、世界中の市民がこうした切迫した心理状態にある。そして、それはさらにもう一つ別な感情も呼び起こす。
日々やり場のない同情心をもてあます(私のような)人間が抱くのは、そうした非人道的な戦争を続ける独裁者プーチンに対する強い怒りである。現在のプーチンは「裸の王様」状態で、ウクライナで起きている戦争の実態が届いていないという見方もあるが、仮に何らかの形で今のような非人道的な実態を知ったとしても、プーチンの心は動かないのではないか。これまでも数々の残虐な戦争で勝利してきたプーチンは、ウクライナで何人死のうが勝てばいいと思っているのではないか。そうした独裁者プーチンに対する疑念と怒りである。
◆独裁者に人を殺し、殺させる権利はあるのか
こうした「共感疲労」に伴う心理状態は今、(SNS情報が遮断されているロシアや中国を除いて)世界中に蔓延していると言っていい。そして、その怒りがさらに、このような理不尽で残虐な戦争を始める彼のような独裁者の存在がなぜ許されるのか、という疑問にもつながってくる。つまり、SNSを介して戦争の不条理や非人道性がかくも露わになったことによって、世界は戦争というものの本質をより明確に理解し始めていると同時に、この時代変化を理解していないプーチンのような独裁者は排除されなければならないと思い始めている。
世界6千万人以上の戦争犠牲者を出した第二次世界大戦以降も、世界では朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争、チェチェン紛争、シリア内戦で何十万、何百万という戦争犠牲者を出す戦争を繰り返してきた。しかし、その被害の実態の報道は多くの場合限られており、意図的に隠されてもきた。民間人の虐殺やレイプがあっても、多くの場合、戦争につきものの事象として片付けられてきた。しかし今回は、SNSによってプーチンのような戦争指導者の頭の中が、未だに旧態依然の非人道的な戦争観のままだということが露見したわけである。
同時にSNSによって、「戦争を始める一握りの政治家に、罪のない大量の市民の命を奪う権利はあるのか」という強い疑問が人々の意識の中に芽生えて来ても不思議ではない。プーチンも一人の人間であると同時に、戦争で殺される人々も一人の人間である。その命に重さ軽さを言うことは出来ない。特に、殺される人間から見れば、その命はプーチンの命などには代えられない。そうした独裁者の命と自分の命を相対化して考える考え方が広がることによって、現代の戦争の持つ不条理がさらに明確に認識されつつあるのではないか。
◆世界世論の中での中露の微妙な関係
戦争は常に一部の政治家の独善的な理由から始められ、無防備の市民が大量に殺される。(他国の市民も含めて)市民の命と安全を守るために国があるとすれば、国家と国民に奉仕する政治家に「自分から先に戦争を始める権利はない」筈だ。特に、核時代の現代は世界を巻き込む大惨事を引き起こす可能性があるだけに、プーチンのような独裁者の命と死にゆく大量の命を天秤に掛けることは出来ない。SNSで日々、踏みにじられて行くウクライナの人々の命の現実を見ながら、プーチンの主張を受け入れるほど、今の世界は愚かではなくなったということである。
さて、こうした世界世論の高まりや戦争の本質に対する認識の変化の中で、ロシアが頼みとする中国も表だったロシア支持を打ち出せなくなったと言っていい。ロシアも中国も国内的にはSNSを遮断し、一方的な情報やフェイクニュースで対抗しようとしているが、国の外側ではロシアの嘘は即座にが暴かれ、ロシアの主張を信じる者は殆どいない状況である。こうした時に、プーチンが苦し紛れに生物化学兵器や戦術核を使うことが懸念されているが、もしそうなれば、NATOも武力介入せざるを得なくなって、世界は破滅の瀬戸際に立たされる。
もし、一縷の望みがあるとすれば、これまでウクライナの市民(もちろんジャーナリストの頑張りもある)の命をかけたSNSの発信によって、プーチンの戦争の大義の虚構性が暴かれ、その非人道性が世界に知れ渡ったことによる影響である。この世界世論の中で、頼りとする中国の感情をさらに逆なでする最終兵器(生物化学兵器、戦術核)の使用にプーチンが踏み切るかどうか。もし、僅かな理性がプーチンに残っていれば、それは中国のロシア見放しにつながると分かる筈だ。そこに望みを掛けているのだが、果たしてこの先はどうなるだろうか。
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