2月24日にロシアがウクライナに侵攻してから2ヶ月が経過した。この間、ウクライナ、ロシア双方に出た犠牲者は何万人になるのだろうか。 国外に脱出した避難民は500万人とも言われる。同時に、南部マリウポリに見られるような各都市の徹底的な破壊は、ゼレンスキー大統領が復興に70兆円を要すると言うほどだ。この先の戦争がどう展開するのかは分からないが、5月9日のロシアの対ドイツ戦勝記念日に一つの区切りがあるとして、さらに来年末まで続くという見方もある(英首相)。ロシア国内のプーチン支持層には、首都キーウまで制圧すべしとの声も根強いという。
このまま戦争が続くとなると、世界はさらに残酷な死と破壊を見せられることになり、ロシアへの強硬意見がヒートアップして武器支援がエスカレートし、一方で追い詰められるプーチンが(核を含む)危険な武力行使に踏み切るリスクも高まっていく。どこかでこの愚かな戦争の終結を探る動きが出て欲しいと思うのだが、バイデンのアメリカもプーチン批判を強めて戦争当事者になりつつあるし、それに追随する日本も同じだ。みんな火に薪をくべるだけで、水を掛けようとする者がいない。国連事務総長のロシア訪問もどうなるか。
◆ロシアによる様々な国際法違反と戦争犯罪
そうした戦況の推移とは別に、少し距離をおいて見ると、この戦争は戦後しばらく核戦争の残虐さと不条理を忘れていた世界に、深刻な問題を提起していることが分かる。同時に、第二次世界大戦の反省から人類が様々に取り組んできた国際的な平和維持の枠組みが如何に不備なものだったかをさらけ出す結果ともなっている。ロシアが行っている戦争の禁じ手の数々を思いつくままに整理してみると、まずは、今回のロシアによる一方的なウクライナ侵攻が明かな侵略行為(武力による国境変更)で国連憲章違反にあたることである。プーチンが言うような自衛のための戦争などとはとても言えない。
さらにはジュネーヴ条約(国際人道法)に違反する行為とされる、病院を含む民間施設への無差別攻撃と住民の虐殺や略奪がある。東南部では組織的な性的暴行や拷問も報告されている。ロシアはこれらのおぞましい犯罪を否定しているが、首都キーウ近郊のブチャで発覚した住民の虐殺については、既に国際刑事裁判所(ICC)が捜査を始めている。さらには、ジュネーヴ条約で禁止されている原発への危険な攻撃もあった。もちろん、大量の民間人を巻き込む核兵器の使用も「国際人道法違反」である。
◆国際的な規定が強制力を持てない現実
問題は、これらの国際法の不備ないしは強制力の欠如である。長(おさ)有紀枝(立教大教授、毎日4/15)によれば、国連憲章は武力行使について「禁止」ではなく、「慎まなければならない」と表現するだけ。核兵器の使用についても国際司法裁判所(JCJ)は、絶対的に違法との見解を出していない。それをいいことに、プーチンは国家の存立が危ぶまれる状況にはこれを使うと脅している。国連では常任理事国のロシアが拒否権を行使すれば、ロシア非難の議案が通らないという国連の仕組みそのものも、欠陥を露呈している。
また、戦後の世界は破滅的な核戦争のリスクを下げるために、(核不拡散などの)国際的な枠組みを作ってきたが、今回のプーチンの脅しによって、核抑止の考え方そのものが揺らいで、機能不全に陥っている問題も浮上した。一方で、私たち(特に自由主義陣営)は、グローバル化によって、人道主義、人権尊重、民主主義などの普遍的な価値観を世界が共有して来たと思い込んで来たが、それが幻想だったことも露わになった。今回の戦争は、人類の未来に不可欠なそうした価値観が、私たちの足元で空洞化している深刻さをも示している。
◆実は、価値観を共有してこなかった世界
人類共通の価値観の空洞化もさることながら、それを担保する国連を始めとする国際機関や国際条約の再構築には、どの位の時間と努力が必要になるのか。特に、今回の戦争で仮に核兵器が使われたりすれば、世界はかつてない「再生の苦しみ」を味わうことになるだろう。ロシア、中国を始めとして世界で非民主的な強権国家が増え、時計の針が逆戻りしている現在、果たして今一度、自由主義に基づく国際機関や規定が作れるかどうか。人類破滅の核戦争を抑制することが出来るか。ウクライナ戦争後の世界は、再び大きな試練に直面することになる。
それにしてもプーチンのロシアである。プーチンの時代錯誤的な大ロシア主義への野望、或いはNATOの包囲やナチズムに対する被害妄想についてはこれまでも書いてきたが、一方で、そのプーチンにいわば盲目的ついていくロシア国民の精神構造である。いくら国内のプロパガンダにさらされているとは言え、80%近くの支持率でプーチンを信じる国民感情はどこから生まれるのか。あるいは、21世紀の現在においてなお、おぞましい戦争犯罪に走る兵士達とそれを許す(黙認する)プーチンや軍中枢や意識構造は、どこに由来するのか。
◆ロシアが抱える底知れぬ闇
この2つの疑問に関して「ロシア人の精神の闇」を提起するのが、ロシア文学者の亀山郁夫である(毎日、特集4/15、4/22)。帝政ロシアの時代、大多数が農奴だったロシア人は、心に闇を抱えて生きていた。その闇は信じる神を持たない人々の闇であり、ドストエフスキーが言うように、神がいないのであれば「すべてが許される」というアナーキーな精神性につながっていく。その闇に一旦落ち込み始めたら、堕落はとどまることを知らなくなる。逆にそうした自覚があるからこそ、彼らは強い支配者を半ばマゾヒスティックに待ち望んできたという。
そうした闇を抱えた精神性は、個人の自立を著しく遅らせて来た。そのために他者に対する想像力を欠き、戦場を「すべてが許される世界」と思わせて来たのだと言う。プーチンを強い指導者として崇めてついていく。その心の闇に直面させないためにも、プーチンはロシア民族の栄光をうたい、どんな手段を使ってでも大ロシアを復活しようとする。その意味では、プーチン自身もロシア人に共通の底知れぬ闇を抱えて生きていると言っていい。考えて見れば、ロシア民族は(一部の目覚めた人々を除いて)農奴で虐げられていた時代から精神の自立の機会を奪われてきた。
◆戦後世界はロシアの人々の自立を支援できるか
一部の貴族層や地主によって搾取され、抑圧されてきた農奴や労働者を救う筈のロシア革命は、すぐにスターリンの全体主義に移行し、 ロシア人は70年間も共産主義の圧政と官僚主義に閉じ込められて来た。ソ連が崩壊した1991年、西側と同じような自由な国になるかと思ったら、たちまちプーチンの独裁が始まってしまった。東欧の旧ソ連国やウクライナが独立し、自由と民主主義の有り難さを知ったのと対照的に、ロシアは闇を抱えたままの国で来たわけである。気の毒と言えば気の毒だが、その闇を利用しているプーチンがいる限り、ロシアは絶望の国のままと言える。
その意味では、まずはプーチンに退陣して貰うことが肝心だが、仮にプーチンがいなくなっても、ロシアは巨大な闇を抱えた核大国として、戦後世界の大きな問題として残ることになる(ジャック・アタリ「ETV特集」4/2)。これと世界はどう向き合って行くのか。亀山郁夫は、ロシアが変るためには国民一人一人が如何に自立するかにかかっていると言う。今は抑え込まれているが、戦争反対に声を上げる若者やジャーナリストたちが、新しいロシアを作ってくれること。それを国際社会が支援していくことが、極めて重要になる。
考えて見れば、アジア各地で残虐な殺戮を犯していた、80年近く前の日本も同じような状況だった。その日本がアメリカ占領を機に、悪夢から覚めたように戦後民主主義を根付かせて来た。その幸福を思うと同時に、21世紀の今になっても分断された世界には自由と民主主義の共通の価値観がないこと、未体験のまま圧政にあえぐ人々が、まだまだ多くいる現実に私たちは真剣に向き合う必要がある。
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