岸田政権発足から間もなく1年が経とうとしているが、ここへ来て内閣支持率の低下が止まらない。想像しうる要因は以下のような点だろう。一つは、元首相が倒れた直後に、殆ど議論らしい議論もなく閣議決定だけで国葬を決めたこと。しかも、その死をきっかけに自民党といわく付きの旧統一教会の腐れ切った関係が明るみに出始め、その中心に安倍がいたことも見えて来た。そうした人物を何故国葬にするのかと言う反発。さらには、アベノミクスのマイナス金利で身動きがとれずに、円安によるインフレが庶民の暮らしを直撃していることである。
◆白昼夢のような岸田ビジョン
そして、それ以上に国民が感じているのは、岸田の政治家としての資質に対する期待外れではないか。まず、大きな問題が起きているのに、自分の言葉で国民を説得できない。役人が書いたような文章を読み上げるだけで心が伝わらない。菅前首相の説明能力も貧弱だったが、政治家としての練度が感じられない。さらに問題なのは、岸田に中身はあるのかという疑念である。政治信条や政治理念といった政治家に欠かせない大事なものが岸田に見えないのである。ここへ来て、そうした岸田に感じる空虚さ、中身のなさが一気に露見したのが大きいのではないか。
一体、岸田は何がやりたくて政治家になったのか。岸田が総裁選に当って出版した「岸田ビジョン」なるものを読んでみたが、そこではタイトルに「分断から協調へ」を掲げ、アベノミクスの反省や新自由主義経済からの転換、中間層を底上げするための施策、高額な金融所得への税率の見直しなどの「新しい資本主義」を謳っている。しかし、いざ首相になったとたんに、金融所得への課税はどこかに消え、新しい資本主義も一向に姿を現さない。むしろ見えて来たのは、安倍時代のような保守層向けの「分断政治」である。まるで白昼夢のようなビジョンである。
◆政権延命のための分断政治
焦って国葬を決めたのも、保守層右派の(理屈はいいから、早く決めろという)声に押されたからだというし、脱炭素を議論する8月24日の会議(グリーントランスフォーメーション実行会議)で、突然従来の政府方針を転換して、原発の再稼働はもちろん、原発の新増設にも踏み込んだのも、保守層や経済界の要求に応えるためだ。防衛政策でも、敵基地攻撃も含めてあらゆる方策について議論すると言っている。毎日の与良正男の記事(9/14)に拠れば、岸田は右翼月刊誌「Hanada」での対談にも応じ「憲法改正宣言」をしている(12月号)。よほど保守層右派が気になるらしい。
岸田がやろうとしていることと言えば、最大派閥の旧安倍派の意向を忖度する人事や国葬、経済界や保守層に配慮した原発新増設や敵基地攻撃の検討など、国民の間に新たな分断を呼び起こすテーマばかり。そこに彼が掲げた「分断から協調へ」の精神は見当たらない。これまでの安倍自民党がやって来たのは、国家主義的な政策で岩盤支持層(保守層右派)を固め、経済政策で票を上乗せして過半数を抑える戦術だった。政権維持のために、国民の間に敢えて分断を作ることも厭わない。岸田もそんな分断政治を踏襲して行くつもりなのだろうか。
◆歴史を踏まえない突然の方向転換
原発について岸田は、「岸田ビジョン」で「将来的には、洋上風力、地熱、太陽光など再生可能エネルギーを主力電源化し、原発の依存度は下げていくべきというのが私の考えです」と書いている。それは自民党の表向きの意見でもあったが、陰では党内の原発推進派や経産省がしきりに再稼働、新増設を訴えていた。岸田はその声に押されるように、参院選が終わったとたんに、ウクライナ戦争によるエネルギー事情と脱炭素を口実に原発政策の転換を図ろうとしている。原発の再稼働を加速させ、原発の新増設にも踏み出そうとしている。
勢いづいた原子力ムラは、運転期間(原則40年、限度60年)の見直し、新型炉の開発も議論に乗せ、福島原発事故以来の停滞を打破しようとしている。しかし、こうした議論は、どれだけ事故の教訓を踏まえているのか。どれだけ核燃料サイクルの行き詰まりを踏まえているのか。地震大国で原発を維持する危険性、向こう100年経っても終わりそうもない廃炉と膨大な費用(「廃炉という幻想」)、建設開始後30年近く、3.1兆円をつぎ込んでもまだ完成しない再処理工場、高レベル廃棄物の処理地も見つからない現状。こうした歴史と現状を岸田はどの程度踏まえているのか。
◆岸田に政治信条、理念はあるのか
以前のコラムで原発は無防備な「裸の核」だと書いたが、まさにウクライナ戦争では、原発が敵の標的になる現実が浮上した。その「裸の核」が北朝鮮の目と鼻の先に並ぶ日本である。テロ攻撃対策を取り入れるとしている日本の原発も、最新のサイバーテロには耐えられるのか。ウクライナ戦争の影響で夏場と冬に日本が抱える電力危機は、この10年、原子力にこだわる日本が再生可能エネルギーの普及に無策だったツケでもある。目前の危機を回避するために歴史的経緯を忘れ、原発問題の本質に目を向けないとすれば、政治家としてどうなのか。
もちろん、目の前の事象に機敏に手を打つのも政治家として大事なことだが、その事象がどういう歴史的経緯で起きているのかの本質を踏まえなければ、それはその場しのぎの対応と変らない。ガソリン代の手当とか、低所得層に5万円を配るとか、小麦の輸入価格を据え置くとか、岸田がやっていることは、総じてこの類いに見える。それよりも、国民が知りたいのは、岸田がどういう政治信条、政治理念を持って日本に貢献しようとしているのかである。岸田にはそれがあるのか、ないのか。自民党が国会を軽視して来たために、国民はこうした大事な議論からも遠ざけられている。
◆空疎な政治家と日本の空洞化
安倍元首相の政治理念は、一口に言えば日本を強い国(戦争に負けない国)にすることだったかも知れない。それはどこまでもアメリカと一体になって、仮想敵(例えば中国)と対峙することだった。そのために、共謀罪、集団的自衛権などを閣議決定し強行採決して、アメリカに追随してきた。しかし、これは一部の保守層右派(例えば反米保守)が目指すものだったのかどうか。むしろ、その実体を隠すために、自主憲法という右派が求める旗を掲げ続けて来たのだろうが、その実体はみせかけで、本来の保守から見れば空疎なものだったかも知れない。
その安倍がいなくなった今、岸田の中身のなさはもちろん、自民党の空疎ささえも隠しようがなくなったというのが、作家の赤坂真理である(9/20朝日国葬考)。今、岸田の代わりに自民党のどんな政治家が思い浮かぶだろうか。誰も思い浮かばない。加えて、自民党に代わる勢力も見あたらない。その中で、これからの日本は、地球温暖化、米中の覇権争い、ロシアの戦争、コロナの後遺症といった人類的課題、そして安倍の負の遺産(アベノミクスの後遺症、膨大な借金、国民の分断)にも立ち向かわなければならない。この時代の大転換期に日本の政治的空洞化は、まさに国家の危機と言える。
◆国を覆う空洞化の先に何が?
安倍の負の遺産はもう一つある。それは一強状態をいいことに、国会審議を徹底的に封じ込めたことである。憲法に決められている野党の国会開催の要求も無視する。閣議決定を多発して、後は機を見て審議打ち切りと強行採決に持ち込む。一連の不祥事にも関係者を出さない。何かと言えば「国難突破」と称して解散するので、落ち着いた議論も出来ない。先進国で国会の会期が今のように短いのは日本くらいで、ドイツやイアタリアは通年会期だという(「政治を再建する、いくつかの方法」)。そういう意味で、日本は国会も空洞化している。
安倍という仮想の重しがなくなって、政治の空洞化が日本を覆ったとき、そこにどのような事象が出現するのか。何かとんでもないことが起きないように、すっかり影の薄くなった国会やメディアが政治を監視する機能を発揮出来るかどうか。そういう難しい時代に入ったことだけは、認識しておく必要があるように思う。
|