岸田内閣が発足してから10月で丸2年。自身の総裁選再選のために露骨に目配りしたつもりの第2次内閣改造も、実力が不安視される待機組や脛に傷持つ女性閣僚を登用したり、旧統一教会との癒着が問題視される閣僚がいたりと不評で、政権浮揚にはつながらず、ここへきて支持率も支持25%(毎日)を始め、軒並み過去最低を記録している。首相は先月、物価高や賃上げ対策、少子化対策など減税策も含めた「総合経済対策の5本の柱」を打ち出したが、期待するは21%(期待できない63%)と、国民から見放された格好である。
アイヌ民族やLGBTへの差別発言で問題になった杉田水脈を懲りずに党の環境部会長代理に据えたのも、所属の安倍派に媚びを売り、保守層を取り込む思惑などと指摘されている。今の岸田は何が何でも来年の自民党総裁選に再選されて、首相を続けたいらしいが、その視界は一向に晴れない。既に岸田は、政権維持だけが目的化した政治家で、国民のために何をやりたいのか全く見えないという評価が定まって来ており、何をやっても国民の目には支持率回復のための人気取りか、政権延命策と見透かされる状況になっている(自民幹部)。
◆中身のなさに唖然とし始めた国民
何かといえば解散風を吹かせて、「解散を弄ぶ愉快犯」などと揶揄されている岸田だが、果たして自分が国民からどのよう見られているのか分かっているのだろうか。2年前の自民党総裁選で、手帳を掲げて「私にはやるべきことがある」と新自由主義とは一線を画した「新しい日本型の資本主義」を唱えた岸田はどこへ行ったのか。権力維持に汲々として、目の前の人気取り政策や、お得意先の御用聞きのような政治に明け暮れている政治家・岸田とは一体何者なのか。いま、国民の多くは今更ながら、その内容の異様な程の空虚さに唖然とし始めたのかも知れない。
今、世界はウクライナに加えて、イスラエルとハマスの激しい戦闘で、悲惨な映像が容赦なく茶の間に飛び込んでくる毎日である。そんな中で、のんびり足元の政治について書くのも気が引けるが、これら戦争の不幸は、もう私たち市民がどう思おうと手が届かない状況になっている。せめて、少しは手が届きそうな日本の政治に爪を立てるくらいのことはしてみたい。そんな気になって、政権発足2年の節目に当たって、こういう不可解な首相を持った私たち国民と政治との関係について、最近のメディアで目に留まった視点・論点を整理しておきたい。
◆権力維持が最終目的の不気味な政治が続く
まずは、岸田首相の政治姿勢である。この2年で打ち出した、原発の新増設や60年超の原発も動かす「原発回帰」、財源を説明しない(敵基地攻撃能力を含む)防衛費の倍増、そして「異次元の少子化対策」などについては、国会で(官僚が作成した)木で鼻をくくったような答弁を繰り返すだけで、「国民的な議論をないがしろにする」、「国民に向き合っていない」などと批判されている(毎日10/4)。これまでの政策を大転換するような政策について、自分の言葉で説明を尽さないままシレっと踏み込む首相の精神構造は不可解で、ある意味不気味でさえある。
問題は岸田の経済財政政策にもある。解散風を吹かせたせいか、自民党の積極財政派や公明党の声に押されて、来年度予算は概算要求で過去最大の114兆円の大盤振る舞い。いくら税収が70兆円を超えた(昨年度)とはいえ、これでまた膨大な借金が積み上がる。おまけに金額を示さない「事項予算」も乱発されており、全体でどのくらい膨らむかも見えない状態だ。コロナでタガが外れた予算の肥大化に歯止めをかけようとする姿勢は全く見られず、1000兆円超の借金を抱える日本の財政健全化はさらに遠のいて、いよいよ赤信号が近づきつつある。
◆「アベノミクスは何を殺したか」から
国の借金の利払いに充てる予算も金利上昇に伴い、3兆円近くも増えている。経済政策の方では、岸田は自身の「新しい資本主義」もどこかに忘れて、安倍の置き土産であるアベノミクスを否定できず、相変わらず成長を追い求める経済政策を踏襲。異次元の金融緩和と財政出動によって市中に資金を溢れさせ、企業の成長を促して税収を上げ、賃金も上げるという「好循環」説だが、これが失敗というのは、この10年ではっきりして来た。成長もせず、賃金も伸びず、円安からの物価高など、むしろこれからの日本は「アベノミクスの後遺症」に苦しむと言う。
新書「アベノミクスは何を殺したか」は、原真人(朝日編集委員)と13人の経済専門家との闘論と銘打った本だが、10年に及ぶ、世界でも類を見ない金融緩和策の問題点を様々な面から指摘している。これによれば問題は、異次元の金融緩和でインフレ目標2%を達成するという経済学上の誤りもさることながら、2%が達成できないことを理由に、異次元の金融緩和を長期間続けた副作用である。政府が発行する膨大な国債を(直接日銀が引き受けるのは違法なので)銀行を経由した形にして日銀にため込む手法が、際限のない財政支出を許す結果になった。
◆アベノミクスの「負の遺産」を直視しない政治に
今、国の借金(国債)1000兆円超のうち約半分の500兆円を日銀が抱え込む状態。その一方で、国の財政は収入を度外視して膨らみ続け、借金が増えて行く。仮に何らかの理由で国債が信用を失い金利が上昇すれば、日銀は含み損から債務超過に陥り、政府も利払いが多くなって予算が組めなくなる。その理由とは、巨大地震や世界的な戦争や恐慌など色々だが、少子高齢化や経済の停滞による国力の衰退、円安によって体力が弱りつつある日本では、そうしたリスクが徐々に高まっていると言う。それでも、政治家でこの現実を直視する人は殆どいない。
以上は、アベノミクスの「負の遺産」と言えるものである。にも拘わらず岸田は、旧来型の「総合経済対策」で経済成長と税収増、賃上げの幻想を振りまき、解散の地ならしをするつもりになっている。こうした動きに対して、物価高や実質賃金の低下に苦しむ国民は、当然のことながら期待できない(63%)と冷たいが、政治家たちの能天気なバラマキ合戦をみると、永田町の感覚と国民の漠とした不安との間に、深い溝があることを痛感する。多くの国民は、この大事なことを遠い永田町の人気取り政策と冷めて見ているが、それだけでいいのだろうか。
◆国民の間に漂う無関心の元は?
アベノミクスはもう一つ、官僚の劣化も生んだと言う。安倍に強要される中で、うまく行かないと思いながらも、様々な禁じ手を使い続けた日銀官僚の劣化である。また、政治や官僚の劣化と同時に、それに声を上げられない国民の劣化も生んできた(同書)。編者の原真人は別なところで、若者への質問「日本の未来に希望はあるか」の答えの9割以上が「ない」だったことを書いている。日本財団の調査(2021年)でも、国の将来が「良くなる」と答えた18歳は、日本で9.6%。米国(30%)、ドイツ(21%)に比べると、事態の深刻さが見えて来る。
国の未来を背負うべき政治家が、かくも無自覚であると同時に、(私も含めて)それに声をあげない国民の諦めや無力感、無関心。国の財政が破綻するかもしれないという問題は、地球温暖化など、未来世代を直撃する問題とも共通するが、それに関心を持てないということは日本特有の傾向なのか。政治家も国民も未来世代の問題に関心を持てない傾向について、社会学者の大澤真幸(写真)が一つの興味深い見方を提示している(8/2毎日オピニオン)。彼は、日本人がこれら未来の問題に無関心なのは、日本人が「未来の他者」の思いに応えたいという意欲に乏しいからだとする。何故か。
それは、司馬遼太郎生誕100年にちなんだ記事だが、私たち日本人は、司馬が描いた時代の死者たちには共感しても、(司馬が描くことがなかった)戦前のある時期から現在まで、日本人は共感する人物像(死者)を失ってきたからだとする。「死者の喪失」。それが、未来の死者への想像力を失わせ、「未来の他者」への思いの貧困につながっているという。引き続き、追求したいテーマでもある。
|