日々のコラム <コラム一覧>

一人の市民として、時代に向き合いながらより良く生きていくために、考えるべきテーマを日々取り上げて行きます。

木は見えても森が見えない 24.1.17

 2024年は、衝撃的な年明けになった。元旦の能登半島の大地震、被災地支援に向かう海保機と日航機の衝突事故。海保機の乗員5名の事故死は気の毒としか言いようがないが、仮に日航機の方の乗客乗員379名の方にも被害が拡大していれば、今年はどういう年なのかと日本中が立ち上がれない位に打ちのめされていただろう。まさに間一髪だった。それにしても、地震そのものは地球的な時間の中で運命づけられている必然ではあるが、その被害の様相はそれぞれにその時点で、国と地域が抱える弱点を突いて深刻化するものだと思わされる。

 人口の半数以上が65歳以上と高齢化した奥能登で起きたこと。日本の古き良き風景と暮らしが残っていた奥能登だが、それだけにアクセスが困難で、インフラがいったん破壊されると交通や電力、通信、水道などのライフラインの復旧が難しいこと。東京への一極集中が進む一方で、日本には能登半島のような限界地域が見渡す限り広がっている。その象徴のような地域で災害は起きた。従って、今回の災害はそうした限界地域の弱点を直撃したと同時に、大きく見れば、そうした地方の防災に殆どなすすべがない日本国の弱点をも突いていると言える。

◆情報が小出しにされる志賀原発の故障
 一方で、今回の震源域のすぐ南に位置する志賀原発(北陸電力)である。ここでは、志賀町で震度7、原発敷地内で震度5強の地震だったと言うが、様々なトラブルが発生した。中でも外部電源を受ける変圧器が1号機、2号機ともに破損、(情報がはっきりしないので困るが)5系統のうち3系統の電力で停止中の原発を維持していると言う。壊れた変圧器から2万3400リットルもの油が漏れて一部は海へも。これら変圧器の故障を直すには半年以上かかると言う。また、4メートルの防波堤に対し、津波は3メートル。防波堤が傾いたとも言う。

 志賀原発に関する被害情報は、依然、混乱している。安全審査段階での断層域を90キロと見積もったのに対し、今回は150キロと、安全審査そのものの根底が揺らいでいる。仮に原発が稼働中で様々な故障が重なったとしたら、まさに能登半島をも超える複合災害が発生し、とても被災地救援どころではなくなる。こうした、いったんコトが起こればアクセス困難な辺地を選んで日本の原発は建てられている。若狭湾の11基の原発しかり(*)、四国の伊方原発しかり。今回の地震は活断層が2000本もある国で原発を運転する危険性を改めて警告している。*「若狭湾・原発銀座の原風景」(12.6.19)

◆根本的な対策を見つけるのが難しい時代
 志賀原発については、断片的な情報が少しずつ小出しにされているが、いずれ詳細な全容を把握しなければならない。それが地震大国での原発の危険性と岸田政権の原発回帰のまやかし(*)を問い直すきっかけになればと思う。また、地震災害についても、今は目の前の断片的な情報に振り回されているが、いずれ市町村、県、国の連携や指揮命令系統はどうあるべきなのか、誰が全体を俯瞰して的確な対応をすべきなのか。奥能登の悲惨をわがこととし、超高齢化した地域に共通する防災を考えて行くには、より根本的な対策を模索する必要があるだろう。*「岸田原発回帰のまやかし」(23.3.30)

 しかし、行き詰まる原発問題も、地震災害への対策も、あるいはいつ完成するか分からない沖縄の辺野古基地も、巨額の借金を積み上げる国の財政も、その根本的な解決策を見つけるには、目の前の断片的な事態に対する対応だけではどうにもならない難しい時代に私たちは生きていると言える。何故なら、それらは一方で、世界の勢力図がどう変化して行くのか、世界の価値観はどう変わって行くのか、その中で、日本の立ち位置はどうあるべきか、国力と平和をどう維持して行くのか、といった「世界規模の問題の枠組み」と密接に関係してくるからである。

◆木は見えても、森が見えない
 その「世界規模の問題の枠組み」が、ここへきて(心許ないほどに)見えなくなっているというのが、作家の高村薫である(1/12毎日特集ワイド)。それは日本の問題にとどまらない。膠着状態にあるウクライナ戦争においても、イスラエルの暴虐が進むガザにおいても、断片的な情報は日々膨大に流れてくるが、なぜ、こうした理不尽な戦争が止められないのか、どういう価値基準で世界は判断すべきなのか。民主主義のアメリカも二重基準で信頼を失っている中で、世界に共通する基軸が揺らぎ、殆ど消えかかっている時代に私たちは生きていると言う。

 高村は、「今は木の細部はよく見えながら、森の全体を全くつかめない時代を生きています」と言う。そしてまた、「おそらく大きなターム(期間)で、時代が変わったんですね。人類の歴史は今、これまでとは別の次元で動き出して、未知のゾーンに入っている」とも。今回の能登半島地震についても、「スマホなどからの断片的な情報があっても、政府も自治体も被害の全体像を掴めていない」と言う。今、メディアも政府も目の前の断片的な情報に振り回されているが、有効で長期的な対策のためには、森を見なければならないが、それが見えないと言う。

◆基軸が消えつつある中で、漂流する世界
 例えば、ウクライナ戦争における東部の攻防など、私たち一般人が知る必要があるのかというくらいに、微細な情報は山ほどあるが、その全体像は見えない。そういう時代に私たちは突入した、という高村の指摘は鋭い。全体像が見え、その意味が見えるためには、国家や社会に、例えば民主主義と言ったしっかりした基軸がなければならないのだが、それが今や世界中で形骸化し、存在が希薄になりつつある。その代わりに何があるかと言えば、覇権主義的な独裁や弱肉強食の世界か、形骸化した民主主義をお題目のように唱えている日本のような国になる。

 今、世界を悩ます様々な人類的課題、あるいは核戦争の恐怖などに、有効に的確に対応して行くには、世界共有の思考の基軸が必要なのだが、それが薄れて世界全体が漂流している状況と言ってもいい。「木は見えても森が見えない」のは日本も同じ。今の岸田政権には、信念とか価値観の基軸と言ったものが全く感じられない。従って、政治資金パーティーの裏金問題、少子高齢化による国力の衰退、膨らむ一方の借金といった様々な日本の課題に対して、根本的な手が打てない。問題が山積する中で続いて行くのは、政治の停滞による「その日暮らしの政治」にならざるを得ない。

◆「時代と向き合う」新しい意味
 しかし、新たな年明けなのだから、もう少し踏ん張っても見たい。確かに今は、時代の大きな転換期にあり、それも(高村が言うように)今まで経験したことのないような、未知のゾーンに入っているのかも知れない。それが何か掴めず、新たな基軸もない中で、世界が漂流を重ねる時代に入りつつあるのかも知れない。しかし一方で、80年前に世界で5千万人から8千万人という膨大な戦争犠牲者を出した反省から生まれた、民主主義や人道主義、自由と平和と言った理念に基づく国際機関は本当に意味と力を失ったのだろうか。そのことである。

 そうした戦後世界の基軸が、希薄になっていると言う見方は分かるにしても、それがどのように無力化しているのか。基軸が失われた未知のゾーンを探求することも大事だと思うが、その前に今一度、これらの世界的基軸の総決算(棚卸し)をする必要があるのではないかと思うのだ。様々な国際機関での機能不全の実態、あるいは日本における民主主義の形骸化の実態を今一度、点検・総括する必要があるのではないか。差し当たって、この日本である。今の政治は本当に民意を反映しているのか、今の制度はどこが悪いのか。政治不信を改善する余地は本当にないのか。

 絶望的にも思えるが、世界の一握りの国や機関の中には、例えば台湾のように(*)デジタル技術を政治に取り入れて、常に民主主義を刷新(バージョンアップ)しているところもある。一方で基軸が失われた「未知のゾーン」にいることを心しながら、一方でなお戦争の反省のもとに生まれた戦後世界の基軸(理念)の可能性を探る。この二つの視点を持つことが、「時代と向き合う」新しい意味なのかもしれない。*「デジタルとAIをどう使うか」(21.1.27)

どうする?日本の多死時代 23.12.21

 2022年1年間に死亡した人の数は、過去最高の156万人だった。この死者数は、40年前の2倍以上であり、2040年に167万人に達するまで今後も増え続ける。この勢いだと、今後10年間に私たち日本人は、およそ1600万人もの死者を看取ることになる。1600万人と言えば膨大な数で、人口が少ない方の県から数えれば、鳥取、島根、高知、徳島、福井、山梨、佐賀、和歌山、香川、秋田、富山、山形、宮崎、大分、石川、岩手、青森まで、17県の人口全体がそっくりあの世に行く計算になる。日本は何とも膨大な「多死時代」に突入する訳である。

 そんな中、先日、ある銀行主催の「介護・相続」に関するセミナーに参加した。いわゆる終活に関する様々な準備についてだが、要介護になった時の在宅や施設での介護費用、認知症になった時の後見人の選定、財産管理や遺言書作成、相続、そして葬儀と墓の問題など、気が遠くなるような項目が並んでいた。これを期に少しずつ勉強を始めたが、あまりの煩雑さに辟易すると同時に、日本の諸制度が、「多死時代」に合わない時代遅れのままになっているのではないかという疑念も湧いて来た。今回は、自分の終活と合わせて、そんなことを書いてみたい。

◆多死時代の様相@膨大になる医療・介護費
 「多死時代」の様相は、死者数の膨大さにとどまらず、日本社会に多岐にわたる問題を提起する。それは、個人一人一人が死ぬまでに、或いは死んだ後に遺族が遭遇する問題の総量とも言うべきもので、いま関心の高い「終活」の複雑さにも関係する。例えば、医療・介護の問題である。現在、日本人の平均寿命は男性81.4歳、女性87.4歳だが、健康で生活できる健康寿命との差で言えば男性で8.7年、女性で12年の差がある。人生の終末期になると、男女とも認知症や脳卒中、高齢による衰弱、骨折などで、10年前後の病弱期を過ごすという現実である。

 このうち認知症で言えば、75歳台では7人に1人の割合が、80歳台で5人に1人、85歳台で2.4人に1人と激増(特に女性が多い)する。全体で言えば2025年に、日本社会は700万人の認知症患者を抱えることになる。加えて老化とともに衰弱して行く高齢者を、どのように看て行くのか、どのように介護して行くかである。この先、介護を必要とする人の数(認定者数)は、75歳以上の88%、610万人に達する。そうなると、様々なレベルで受けられる介護保険による支援や医療の確保ができるかといった、制度維持の問題が目の前に迫って来る。

◆多死時代の様相A不足する施設と人手
 加えて、どこで最期を看取って行くかという施設の問題もある。今、高齢者は、生涯独身、配偶者に先立たれた人、子供に頼れないなどの理由で、最後は殆どが「おひとりさま」で死んで行かなければならない。その数は現在、742万世帯に上る(2021年、厚労省)が、これらの「おひとりさま」が、どのように最期を迎えるかで様々な選択肢が発生する。介護には、要支援(2段階)から要介護(5段階)までの身体の状態によって、月5万円から36万円までの公的支援があるが、この支援をどんな場所で、どのように受けて行くのかによって追加の費用がかかる。

 介護には、在宅で受ける様々なサービスから、公的施設(特別養護老人ホームなど)や民間施設(有料老人ホームなど)で受けるサービスまで多様な選択肢があるが、それぞれに追加の費用がかかる。例えば、訪問入浴では1回に付き1.5万円、デイサービスでは1日1万円弱など。老齢者の終の棲家としても、公的、民間含め9種類ほどもあるが、費用もピンからキリまである。この中から、自分の年金や手持ち金、身体的状況に応じて何処を選んで行くのか。或いは肝心のサービスの担い手と質が、これから先も十分確保出来るかなど、心配は尽きない。

◆多死時代の様相B財産管理や遺産相続
 一方で、死ぬまでの財産管理や遺産相続の問題もある。銀行のセミナーはこれが目当てなのだろうが、これも大方の庶民にとって気が遠くなるような複雑さだ。施設を選択するにも、死ぬまでにトータルでどの位お金がかかるのか。配偶者が死んだときに、年金がどうなるか。自宅を売って、老人ホームに入った時に税金がどうなるのか。そして、いよいよ死んだときに、仮に遺産があったとして相続はどうなるのかなど、生前にどこまで準備すればいいのかが分からない。その前に、自分が認知症になった時に備えて成年後見人を用意すべきかなどもある。

 セミナーでは、早めの備えをというが、これも例えば成年後見制度を専門家(弁護士や司法書士)に依頼すれば月々2〜5万円の費用が死ぬまでかかる。現在の預貯金を一つの銀行にまとめて、財産や遺産の管理をと言われても、どこがいいのかだって分からない。現在、どこにそんなお金があるかと思うが、日本国民の全金融資産2千兆円のうち6割を60歳以上が持ち、70歳以上でも350兆円になるそうだ。国は、その金をうまく吸い上げるために様々な制度を作っているのだろうが、税金対策にお金が掛けられる富裕層と違って、庶民は庶民で悩みが深い。

◆多死時代の様相C死んだら死んだで大変
 さらに、いよいよ死んだときの手続きの煩雑さも半端ない。ネットにある「手続き地獄、早わかりカレンダー」によると、死亡直後の死亡診断書の入手から葬儀のための火葬、埋葬の許可証取得、そして1週間以内、2週間以内にやること、10か月以内の相続手続き、或いは5年以内の年金受取まで、35もの手続きが並んでいる。それらの手続き先は市役所もあれば、家庭裁判所や税務署もあり、縦割り行政でバラバラ。朝日の編集委員(中川透)も、母親を亡くした経験から「タテ割り行政 生活者の視点で見直しを」(10/17)で、以下のように書いている。

 年金・介護保険・後期高齢者医療とそれぞれ役所の窓口が違い、似た書類を何度も書かされる。特に、相続に関わる戸籍書類集めなど、一生に数回しかない死後の手続きは、「昭和や平成にタイムスリップしたようだ。不便と不思議のお役所仕事であふれている」と言う。自治体によっては、デジタル化も踏まえて「死亡・相続ワンストップサービス」を計画しているところもあるらしいが、実現はまだ。年間150万人以上の死者が発生する日本で、看取りから送り出しまでの膨大な作業は、時代遅れの役所と残った家族の重荷になっているのが現実なのだ。

◆終活の「ワンストップサービス」
 以上のような膨大で複雑な作業を一つ一つ処理して行くのは、事務作業に不慣れな高齢者にとって殆ど不可能に近い。従って、出来るだけ早い段階から、一括して相談できる窓口を探す方が現実的かも知れない。公的には、自治体の「地域包括センター」に登録して、常時相談するのがいいかも知れないが、ここでは、介護や福祉の相談、或いはケアマネージャーなどの紹介をしてくれるが、その他の財産管理や死後の手続きなどは、管轄外だ。そこで、最近よくパンフレットが届くのが、終活全般に「ワンストップ(一括)」で当たってくれる団体である。

 これには、幾つもの団体がある。認知症から財産をまもる家族信託、見守りサービス、老人施設への入居の身元保証、入退院サポート、任意後見制度、葬儀の手続き、死後事務サポート、遺品整理、相続手続きなどなど。これらをワンストップで面倒見るサービスである。多死時代を見越して始まった新手のサービスだが、これもサービス内容によって様々なランクの費用が必要になる。まあ、割り切りだが、本当に必要な時に必要なサービスが受けられるのか、信頼性はどうなのか。ピンキリの各種老人施設と同じで、宝くじを買うようなものかも知れない。

 本当は、行政が年間150万人分の「終活」業務の総量を正確に把握し、未曽有の多死時代に備えて、行政サービスを抜本的に改革すべき時に入っている筈なのだが、政治が混乱に陥っている今、政治や行政にそのような改善が期待できるだろうか。その過渡期の中で、あと3〜5年以内に何とか目途を付けたいと思っている私だが、その前に、自分の旅立ちがやって来てしまうのを恐れている。

時代の目撃者としての余生 23.11.28

 11月、横浜のある集まりで講演した。私が18年間続けて来た「メディアの風」をもとに、「時代と向き合う私の方法」と題して40人ほどの方々に、定年後に一人のジャーナリストとして「私たちは今、どういう時代に生きているか」、「時代はどこに向かおうとしているのか」、「この時代をより良く生きるにはどうすればいいのか」という問題意識を持って、コラムを発信して来たこと。そのために、日々どんな作業と心構えで取り組んできたかを具体的に話し、その積み重ねの中で、記録として何冊かの自費出版や一般書にまとめたことなどを話した。

◆書くべきことは書いた感じがして
 特に、5月末に出版した「いま、あなたに伝えたい。ジャーナリストからの戦争と平和、日本と世界の大問題」は、記録というよりは、この先、避けて通れないテーマに絞って再構成し、次の世代への遺言のつもりでまとめたものだった。今世界を揺るがしている「戦争と平和」の問題、世界的な民主主義の後退、地球温暖化問題、AIやゲノム編集など100年に一度の大変化(メガシフト)、そして日本の科学技術の衰退、巨額の財政赤字問題、劣化する政治とメディア状況、そして行き詰まる原子力など。これまでの記録ではなく、メッセージ性で選んだ。

 これを踏まえて問題は、この先「メディアの風」をどうして行くかである。コラム発信は、生活のリズムになっているので気持的には続けたいとは思っているが、既に書くべきことは書いた感じがして何となく気力が湧かない。本で取り上げたような大テーマについては、その重要性と方向性は分かって来ても、それが改善されたり好転したりする動きは滅多に見られない。つまり「いま、どんな時代か、時代はどこに向かうか」は見えていても、「より良く生きる」ための具体的な動きが少なく、日々のニュースに真剣に向き合う気持ちも薄れがちになる。

◆愚かさと残虐さを繰り返す人間
 改善とは裏腹の動きや悲惨な情報ばかりで無力感が先に立ち、日々の出来事から目を背けたくなる。例えば、現在進行中のウクライナとロシアの戦争、イスラエルとハマスの戦いにおける「戦争と平和」の問題である。日々、茶の間に目を覆いたくなるような映像が繰り返されるが、人間はどこまでも愚かにも残虐にもなれるという、今更ながらの現実を思い知らされ、どうしたら止められるのかといったところに意識が向かない。振り返って見れば、第二次大戦では、世界で5千万人から8千万人、ソ連で2600万人、ドイツで600万人、日本で310万人の犠牲者を出した。ユダヤ人の犠牲は600万人と言われる。

 このうち2000万人は、日本が始めた戦争によるアジアでの犠牲者である。一方、ウクライナは大戦前にスターリンの飢餓政策(ホロドモール)によって330万人の死者を出している。およそ80年前の、この膨大な死者数に比べて、今回のウクライナ戦争では双方で20万人、イスラエルとハマスの戦争で1.2万人である。これを見ると、戦争はまだ終局に達していないと言うことも出来るが、そうだろうか。大戦の反省から生まれた国連が機能不全に陥る中で、昔と違うのはSNSなどの普及によって悲惨な映像が、日々世界を震撼させていることである。

◆情報の共有による気づきがどこまで世界を変えるか
 昔と格段に違う情報化は、人類に理性的な何かを呼び覚ますことが出来るかどうか。第二次大戦の時のように、情報の暗闇に置かれていれば、人類はどこまでも愚かにも残虐にもなるだろう。しかし、世界が自分たちの愚かさを目のあたりにして共通の認識を持てば、それを押しとどめようとする世界的な力が生まれるかも知れない。それは、地球温暖化問題でも同じだろうか。私たちが番組で温暖化問題を放送したのは30年以上も前になるが、それ以来、長い間、温暖化防止は、懐疑派や一時的な異常気象説を唱える人々によって停滞して来た。

 世界的な猛暑も干ばつも、巨大な山火事も、局所に起きる何十年に一度の異常気象で議論されることが続いてきたが、最近ではようやく世界の様々な異常現象が地球温暖化という一つの文脈で語られるようになった。そこで問われるのは、世界が共通して一致した認識を持てるかどうかである。国連のグテーレス事務総長の訴え、「いまは地球沸騰化時代だ」(7/31)や、最近の「脱炭素の遅れはすべてリーダーシップの失敗であり、弱者への裏切りであり、大きな機会の喪失だ」(11/20)に見られるような切迫感を世界が共有できるかどうかである。

◆行きつくところを見るしかないかという気持ち
 最近のコラムに書いたように、温暖化は既に時間との競争になっており、人類に残された時間は少ない(「急進する温暖化に科学は?」9.2)。その認識が世界中で共有されれば、脱炭素も最優先課題で動き出す筈なのだが、日本では方向性も違えば動きも鈍いのが現状(「迷走する日本の脱炭素政策」4.25)。その上、戦争によって脱炭素の動きがとん挫している現実もある(「人類の愚かさを映す温暖化」6.13)。こうした現状を見ると、世界的な脱炭素の動きを逐一追うことに疲れて、このまま行きつくところを見守るしかないかという気持ちにもなる。
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 あるいは、日本が抱える巨額の財政赤字のゆくえである。国の借金は既にGDPの2.6倍の1200兆円に上っているが、これも日本の家計貯蓄が1800兆円あるから大丈夫だ、幾ら国債を発行してもOKだ(いわゆるMMT理論)という議論があとを絶たない。一方で、ムーディーズによる日本の国債格付けが、南ヨーロッパと同じB級に転落寸前だとか、国際通貨基金(IMF)が日本の財政赤字はまだ膨らむと不安視しているという情報もある。こうした情報によって、世界の大手ヘッジファンドが日銀から預金を引き揚げれば、破綻が一気に進むかも知れない(「日本銀行 我が国に迫る危機」)。

◆「ゴミ箱の中は全部ゴミ」の劣化した時代
 こうした財政赤字に関する情報は、つい最近の先輩による勉強会で仕入れたものだが、それによれば、今や首相までがヘッジファンドに頼み込んで回っている状況らしい。こうして、これまでウォッチして来た大問題が一向にいい方に向かわずに、なだらかな坂道を転げるように進んでいるのを見ながら、どんな風にコラムを発信して行けばいいのだろうか。それが、遺言のような本を出した後の自分の問題となっている。そこで考えるのは以下のようなことである。それはつまり、本の中で取り上げた重要テーマを中心にそれをフォローすることである。

 これまでの18年間には、モリカケ問題や公文書破棄といった安倍政権の不祥事など、その時々の政治の劣化や社会事象についても勉強しながら取り上げて来た。しかし、これだけ世界的にも、日本的にも「劣化現象」が進んでくると、それを日々の新聞記事のように取り上げ批判をしているのは、空しいばかり。この点で、今ネットで「誰が首相に1番マシか? ゴミ箱の中は全部ゴミ」の投稿が話題になっているが、劣化した自民党や政治家だけでなく、劣化した世界でニュースを取り上げようとしても、ゴミしか目に入らず希望を見出しにくいのと同じだ。

◆時代の目撃者としての余生
 従って、その類の社会事象を取り上げるのは極力抑えて、本に取り上げたような重要テーマの行方をウォッチングして行くしかない。それらのテーマは、これから先も、より重要になりこそすれ、魔法のように消えてなくなることもない。それらは、行きつくところまで行かなければ、「気づき」が生まれないかも知れないが、一方で、事態が悪化すればするほど、絶望的な状況に声を上げる動きも様々に出てくるに違いない。それは、地球や世界、そして日本の「持続可能性」を求めるような動きになるに違いない。それを見つけて取り上げて行く。

 「メディアの風」は、今年19年目に入っている。何とか20年まで(あと1年半)はと思ってはいるが、上記のように少し肩の力を抜いてあまり手を広げることなく、乗りかかった船として、本に取り上げたような時代的テーマの行方を主にウォッチングして行く。それが、「時代の目撃者としての余生」を過ごすということかも知れない。

時代を切り拓いた創造者たち 23.11.4

 前回のコラム(10.19)の末尾に次のように書いた。「政治家も国民も未来世代の問題に関心を持てない傾向について、社会学者の大澤真幸が一つの興味深い見方を提示している。彼は、日本人がこれら未来の問題(温暖化や国の借金)に無関心なのは、日本人が「未来の他者」の思いに応えたいという意欲に乏しいからだとする。何故か。
 それは、司馬遼太郎生誕100年にちなんだ記事だが、私たち日本人は、司馬が描いた時代の死者たちには共感しても、(司馬が描くことがなかった)戦前のある時期から現在まで、共感する人物像(死者)を失ってきたからだとする。「死者の喪失」。それが、未来の死者への想像力を失わせ、「未来の他者」への思いの貧困につながっているという」。今回は、このテーマを深追いしてみたい。

◆日本という国の骨格を作った創造者
 司馬遼太郎が描いた時代とは織田信長や徳川家康に始まり、明治維新から明治後期(「坂の上の雲」)までの時代である。その後の日本について司馬は「どうして日本はこんな酷い国になってしまったのか」と嘆き、時代の人物像に思い入れすることはなかった。その時代を「異胎の時代」と呼び、それまでの日本の歴史には見られない突然変異的な時代と見た。それが、天皇を神として絶対視する天皇原理主義とも言うべき異常な時代コラム9.26)であり、その時代から現在に至るまで、日本人は共感を抱く人物像を失っている、という大澤真幸の指摘は結構重い。

 何故なら、それは、日本という国に対するアイデンティティーを考える上で重要な要素だからだ。司馬が取り上げた歴史上の人物は、いわば日本の時代を切り拓いた人々で、日本という国の骨格を作った創造者とも言える存在である。例えば、徳川家康が作った江戸時代。各藩の自治をそれなりに認めて国を治めた封建制度の中で、衆論を大事にし、文化の華を咲かせた家康の天才的な政治システムは、日本の骨格を作り、明治へのスムーズな展開を可能にした(尾藤正英「江戸時代とは何か」)。今も日本は「江戸の遺産で食べている」と言ってもいい位である。

◆国民的共感につながる人物を持つことの意味
 明治維新後、西欧に負けまいと国の骨格を作るために苦闘した人物たちも同様である。こうした国民的共感につながる人物を持つということは、「日本とはどういう国なのか」を考える上で、重要な要素になる。問題はその後である。無謀な戦争に突入した戦前にも、軍部独裁に反対し抵抗した人々はいたが、殆どが封殺された(「戦う石橋湛山」「井上成美」阿川弘之、「暗い時代の人々」)。一方、戦争でよく戦った軍人たちの伝記も種々あるが(「昭和史の軍人たち」「散るぞ悲しき」「樋口季一郎」など)、彼らを「時代を切り拓いた創造者」とは呼べない。

 戦前のある時期から現在まで100年近い空白。大澤真幸の言う「我々の死者」(共感を持てる人物像)を日本が持たないとすれば、私たちは現代日本へのアイデンティティーをどのように模索したらいいのだろうか。今の日本を創ってくれた国民的共感を得る人物を持たないことが、「未来の他者」(私たちの子孫)への思いの希薄さにつながるとすれば、これはかなり深刻な問題になる。しかし、無謀な戦争で民族的悲劇を招いた戦前はともかく、戦後の日本に「時代を切り拓いた創造者たち」は本当にいないのだろうか。考えたいのはそこのところである。

◆戦後日本の国つくりへの挑戦とは?
 振り返ってみれば、戦後の日本は焼け野原から再出発し、新たな憲法のもとで国造りを急ぎ、やがて世界第2位の経済大国まで駆け上がった。今の私たちが気づかないだけで、そこには経済だけでなく、日本の骨格(システム)をつくる様々な努力があったに違いない。昭和の20年代から40年代にかけて、様々な領域で時代を切り拓き、戦後日本のシステムを築く努力がなされたからこそ、今の日本が出来上がったと言える。そういう視点で、今につながる日本のシステム作りに苦闘した人々を様々な分野で探すこともまた大事な作業なのではないか。

 ところで、この場合の日本のシステムとは、どんな分野になるのだろうか。それには、経済学者の宇沢弘文が提案した「社会的共通資本」が一つのヒントになるかも知れない。宇沢は、戦後日本の財産とも言える「自然環境」(大気、水、森林、河川など)、「社会的インフラ」(道路、交通機関、上下水道)、「制度資本」(教育、医療、金融など)の分野を挙げ、それをいかに未来に残して行くかを提言したが、それらは一朝一夕に出来るものではなかった。従って、そうした分野で、「時代を切り拓いた」ユニークな人物や政策を探すことは出来ないだろうか。

◆戦後日本における「我々の死者」を見出す
 そう考えて、本棚から「日本」と名のつく本を引っ張り出したり、ネットで調べたりしてみた。制度としては、自然保護、教育、文化、医療、福祉など。社会的インフラとしては、鉄道、道路、上下水道など。さらには、農林水産業、中小企業などの産業政策や、ODAや国連などの国際貢献の政策。そうした分野で、例えば制度実現に出世を省みずに苦闘した官僚(城山三郎「官僚たちの夏」)や、世界に冠たる国民皆保険制度を目指した武見太郎(日本医師会)のような人物など、時代を切り拓いた人々がいたからこそ、今の国の姿があるとも言える。

 調べてみると、様々な分野で「○○の父」というような人物(一人でなく群像の場合も)がいることが分かる。男性だけでなく、国連の難民支援など、国際貢献分野で活躍した緒方貞子のような人もいる。そうした人々にもう少し光が当たっていれば、戦後世代も「我々の死者」を見出し、その延長で「未来の他者」への関心も持てるようになるのではないか。その意味で、戦後日本の人物像を発掘する作業に価値がありそうだと思う一方で、今の私たちは一つの難問に直面していることも知る。それは、「失われた30年」の間に、日本の背骨が溶け始めているという現実である。

◆戦後の歴史と「失われた30年」の空白をどう埋めるか
 確かに今の日本は、豊かな食文化や自然などの過去の遺産に恵まれていて、外国人観光客を惹きつけてもいる。しかし一方で、戦後から昭和40年代にかけて作られた日本システムのお陰で「世界の中で輝いていた日本」は、この「失われた30年」の間に、急速に光を失いつつある。政治の停滞の中で、「時代を切り拓く創造者」たちが続かず、日本システムが様々な点で制度疲労を来しているという問題である。この空白をどう埋めるか。そのためにもまず、もう一度、戦争の傷跡から立ち直った日本の戦後の歴史を、制度創造の面から見直す必要がある。

 振り返ってみると、戦後の高度成長期、日本はあまりにも急いで駆け続けたせいで、過去を振り返る余裕がなかった。しかし、様々な日本システムが難問に直面する今こそ、どういう先人たちの苦労によってそれが作られたかを知ることが必要になる。それは、国家の新たなアイデンティティーを探すこと、そして日本に対する親しみや誇りを再発見することにつながるなるかも知れない。いま、日本の未来に希望を持てないという若い世代が多数派と言うが、そうした作業で戦後の歴史を埋め、「未来の他者への想い」を子孫につなげられないかと思う。

◆国の誇りを手っ取り早く戦前に求める動き
 さもないと、国の誇りを手っ取り早く戦前の国粋主義に求め、天皇原理主義に戻ろうとする「先祖返り的な動き」を許すことになる。これは、一足飛びに明治憲法に戻って万世一系の天皇制を掲げて、外国への優越感を持とうとする動きだが、そこに共通するのは、安倍元首相の「戦後レジームからの脱却」に見られるように、戦後歴史の否定である。
 それが、平和憲法の否定、軍事大国への願望につながる。皇室に対する敬愛も日本のアイデンティティーの一つであることを否定はしないが、方向性を見失い借金を重ねる今の政治に未来へ責任感を持たせるためにも、その前にやるべき大事な作業があると言いたいのである。

政権維持だけの不人気内閣 23.10.19
 岸田内閣が発足してから10月で丸2年。自身の総裁選再選のために露骨に目配りしたつもりの第2次内閣改造も、実力が不安視される待機組や脛に傷持つ女性閣僚を登用したり、旧統一教会との癒着が問題視される閣僚がいたりと不評で、政権浮揚にはつながらず、ここへきて支持率も支持25%(毎日)を始め、軒並み過去最低を記録している。首相は先月、物価高や賃上げ対策、少子化対策など減税策も含めた「総合経済対策の5本の柱」を打ち出したが、期待するは21%(期待できない63%)と、国民から見放された格好である。

アイヌ民族やLGBTへの差別発言で問題になった杉田水脈を懲りずに党の環境部会長代理に据えたのも、所属の安倍派に媚びを売り、保守層を取り込む思惑などと指摘されている。今の岸田は何が何でも来年の自民党総裁選に再選されて、首相を続けたいらしいが、その視界は一向に晴れない。既に岸田は、政権維持だけが目的化した政治家で、国民のために何をやりたいのか全く見えないという評価が定まって来ており、何をやっても国民の目には支持率回復のための人気取りか、政権延命策と見透かされる状況になっている(自民幹部)。

◆中身のなさに唖然とし始めた国民
 何かといえば解散風を吹かせて、「解散を弄ぶ愉快犯」などと揶揄されている岸田だが、果たして自分が国民からどのよう見られているのか分かっているのだろうか。2年前の自民党総裁選で、手帳を掲げて「私にはやるべきことがある」と新自由主義とは一線を画した「新しい日本型の資本主義」を唱えた岸田はどこへ行ったのか。権力維持に汲々として、目の前の人気取り政策や、お得意先の御用聞きのような政治に明け暮れている政治家・岸田とは一体何者なのか。いま、国民の多くは今更ながら、その内容の異様な程の空虚さに唖然とし始めたのかも知れない。

 今、世界はウクライナに加えて、イスラエルとハマスの激しい戦闘で、悲惨な映像が容赦なく茶の間に飛び込んでくる毎日である。そんな中で、のんびり足元の政治について書くのも気が引けるが、これら戦争の不幸は、もう私たち市民がどう思おうと手が届かない状況になっている。せめて、少しは手が届きそうな日本の政治に爪を立てるくらいのことはしてみたい。そんな気になって、政権発足2年の節目に当たって、こういう不可解な首相を持った私たち国民と政治との関係について、最近のメディアで目に留まった視点・論点を整理しておきたい。

◆権力維持が最終目的の不気味な政治が続く
 まずは、岸田首相の政治姿勢である。この2年で打ち出した、原発の新増設や60年超の原発も動かす「原発回帰」、財源を説明しない(敵基地攻撃能力を含む)防衛費の倍増、そして「異次元の少子化対策」などについては、国会で(官僚が作成した)木で鼻をくくったような答弁を繰り返すだけで、「国民的な議論をないがしろにする」、「国民に向き合っていない」などと批判されている(毎日10/4)。これまでの政策を大転換するような政策について、自分の言葉で説明を尽さないままシレっと踏み込む首相の精神構造は不可解で、ある意味不気味でさえある。

 問題は岸田の経済財政政策にもある。解散風を吹かせたせいか、自民党の積極財政派や公明党の声に押されて、来年度予算は概算要求で過去最大の114兆円の大盤振る舞い。いくら税収が70兆円を超えた(昨年度)とはいえ、これでまた膨大な借金が積み上がる。おまけに金額を示さない「事項予算」も乱発されており、全体でどのくらい膨らむかも見えない状態だ。コロナでタガが外れた予算の肥大化に歯止めをかけようとする姿勢は全く見られず、1000兆円超の借金を抱える日本の財政健全化はさらに遠のいて、いよいよ赤信号が近づきつつある。

◆「アベノミクスは何を殺したか」から
 国の借金の利払いに充てる予算も金利上昇に伴い、3兆円近くも増えている。経済政策の方では、岸田は自身の「新しい資本主義」もどこかに忘れて、安倍の置き土産であるアベノミクスを否定できず、相変わらず成長を追い求める経済政策を踏襲。異次元の金融緩和と財政出動によって市中に資金を溢れさせ、企業の成長を促して税収を上げ、賃金も上げるという「好循環」説だが、これが失敗というのは、この10年ではっきりして来た。成長もせず、賃金も伸びず、円安からの物価高など、むしろこれからの日本は「アベノミクスの後遺症」に苦しむと言う。 

 新書「アベノミクスは何を殺したか」は、原真人(朝日編集委員)と13人の経済専門家との闘論と銘打った本だが、10年に及ぶ、世界でも類を見ない金融緩和策の問題点を様々な面から指摘している。これによれば問題は、異次元の金融緩和でインフレ目標2%を達成するという経済学上の誤りもさることながら、2%が達成できないことを理由に、異次元の金融緩和を長期間続けた副作用である。政府が発行する膨大な国債を(直接日銀が引き受けるのは違法なので)銀行を経由した形にして日銀にため込む手法が、際限のない財政支出を許す結果になった。

◆アベノミクスの「負の遺産」を直視しない政治に
 今、国の借金(国債)1000兆円超のうち約半分の500兆円を日銀が抱え込む状態。その一方で、国の財政は収入を度外視して膨らみ続け、借金が増えて行く。仮に何らかの理由で国債が信用を失い金利が上昇すれば、日銀は含み損から債務超過に陥り、政府も利払いが多くなって予算が組めなくなる。その理由とは、巨大地震や世界的な戦争や恐慌など色々だが、少子高齢化や経済の停滞による国力の衰退、円安によって体力が弱りつつある日本では、そうしたリスクが徐々に高まっていると言う。それでも、政治家でこの現実を直視する人は殆どいない。

 以上は、アベノミクスの「負の遺産」と言えるものである。にも拘わらず岸田は、旧来型の「総合経済対策」で経済成長と税収増、賃上げの幻想を振りまき、解散の地ならしをするつもりになっている。こうした動きに対して、物価高や実質賃金の低下に苦しむ国民は、当然のことながら期待できない(63%)と冷たいが、政治家たちの能天気なバラマキ合戦をみると、永田町の感覚と国民の漠とした不安との間に、深い溝があることを痛感する。多くの国民は、この大事なことを遠い永田町の人気取り政策と冷めて見ているが、それだけでいいのだろうか。

◆国民の間に漂う無関心の元は?
 アベノミクスはもう一つ、官僚の劣化も生んだと言う。安倍に強要される中で、うまく行かないと思いながらも、様々な禁じ手を使い続けた日銀官僚の劣化である。また、政治や官僚の劣化と同時に、それに声を上げられない国民の劣化も生んできた(同書)。編者の原真人は別なところで、若者への質問「日本の未来に希望はあるか」の答えの9割以上が「ない」だったことを書いている。日本財団の調査(2021年)でも、国の将来が「良くなる」と答えた18歳は、日本で9.6%。米国(30%)、ドイツ(21%)に比べると、事態の深刻さが見えて来る。

 国の未来を背負うべき政治家が、かくも無自覚であると同時に、(私も含めて)それに声をあげない国民の諦めや無力感、無関心。国の財政が破綻するかもしれないという問題は、地球温暖化など、未来世代を直撃する問題とも共通するが、それに関心を持てないということは日本特有の傾向なのか。政治家も国民も未来世代の問題に関心を持てない傾向について、社会学者の大澤真幸(写真)が一つの興味深い見方を提示している(8/2毎日オピニオン)。彼は、日本人がこれら未来の問題に無関心なのは、日本人が「未来の他者」の思いに応えたいという意欲に乏しいからだとする。何故か。

 それは、司馬遼太郎生誕100年にちなんだ記事だが、私たち日本人は、司馬が描いた時代の死者たちには共感しても、(司馬が描くことがなかった)戦前のある時期から現在まで、日本人は共感する人物像(死者)を失ってきたからだとする。「死者の喪失」。それが、未来の死者への想像力を失わせ、「未来の他者」への思いの貧困につながっているという。引き続き、追求したいテーマでもある。

兵士に死を強いる歪んだ論理 23.9.26

 プーチンのロシアが一方的にウクライナに侵攻してから1年8か月。彼が始めた戦争で、既にロシア軍12万人、ウクライナ軍7万人の戦死者が出ていると言う。仕掛けられた戦争から祖国を守るために死んだウクライナ軍兵士はともかく、12万人のロシア軍兵士は何のために死んでいったのだろうか。彼らは、プーチンが並べ立てた戦争の論理に対して、幾らかでも納得して死んで行ったのだろうか。あるいは逆に、そうした論理が紙くずのように命を捨てることを兵士たちに強いたのだろうか。ならば、彼が戦争を始めた論理とはいかなるものか。

◆プーチンの被害妄想あるいは誇大妄想
 プーチンは当初、ウクライナ国内の親露派がネオナチによって迫害されているとして、それを解放するために特別軍事作戦を開始した。しかし、戦争が長引くにつれ、プーチンが侵略に踏み切ったより深い2つの理由が浮上している。一つは、西欧からの軍事的、文化的な浸食に対する被害妄想である。それはNATO同盟国の拡大による軍事的圧迫への恐怖であり、また西欧流の民主主義や個人主義、自由主義の流入によって体制の足元が揺らぐ恐怖である。彼は、西欧文明を毒されたものとみなしており、それのロシアへの浸透を過度に恐れて来た。

 もう一つは、その反面として、彼が信じているのはロシアこそが正義という考えである。堕落した西欧文明に対してロシア正教と結びついた大ロシアの文明こそが正統であり、正義であると言う主張である。彼はこの戦争を2つの文明間の対立ととらえ、そのために、彼は国内に向かってこの戦争を(ヨーロッパから祖国を守る)「大祖国戦争」と呼び、かつてのロシア(ソ連)の領土を視野に入れた大ロシアの復活を夢見ているらしい。これは、彼の被害妄想と裏腹の誇大妄想だが、その民族主義的論理で必死に国内の引き締めを図っているわけである。

◆歪んだ論理のために消耗される兵士の命
 世界の大勢から見れば、彼の荒唐無稽な主張が説得力を持つとはとても思えないが、国内的には過激な強硬派を中心にかなりの岩盤支持層がいる。一方で、NATOへの警戒感や愛国心に訴える論調で国内を一色に染め、メディアやSNSへの締め付けも徹底。40万人規模とも言われる大統領直属の「国家親衛隊」も暴力装置として国内を監視している。その上で、今のロシアは国家に奉仕する論理につながる愛国教育を幼い頃から行い、こうした考えに異を唱え戦争に反対する人々への弾圧を強め、密告を奨励する動きも激しくなっている。

 こうした異常な社会の背後には、プーチンを取り巻く支配層が、この戦争に負ければ自分たちの命がないことを知っていることもある。今や敗退イコール身の破滅という現実を、プーチンも周辺も分かっている。だからこそ、こうした歪んだ論理で国内を締め付け、戦死者を愛国者と持ち上げ、国家のために命を捨てることを兵士に強要して体制を守ろうとする。この歪んだ論理のために、1年8か月で12万人の兵士の命が紙くずのように消耗されたわけだが、こうした「人命軽視の構造」は、過去に日本が行った戦争とも似たような構造と言える。

◆命を無駄遣いするような無謀な作戦
 日本の場合。太平洋戦争時の「兵士の人命軽視」は、さらに徹底したものだった。のちに首相になった東条英機が発した「戦陣訓」(「生きて虜囚の辱めを受けず」、1941年)によって、日本兵は絶望的な状況になっても投降することを許されず、自殺や玉砕を選ばざるを得なかった。兵士の命を平気で使い捨てにするような作戦(インパール作戦など*)を強行しても、責任者が罪を問われない体質も蔓延。その挙句が、生きて還ることが期待出来ない神風特攻隊や人間魚雷「回天」などの体当たり兵器の採用だった。その根底にあった論理とは何だったのか。*)「数字の背後にある死の無残」2022.8.30

 人命を無駄遣いするような作戦においても、日本兵は目立った反抗もなく死んで行った。戦史研究家の山崎正弘の「戦前回帰」によれば、兵士たちは皆、自分の死が無駄ではなく、大日本帝国に君臨する「天皇」を外敵から守るという、崇高な役割を与えられており、その中で死ぬことは「名誉なこと」と思いこまされていた。天皇を神とする「国家神道」が支配する当時の日本においては、天皇を頂点とする国家体制の維持が最優先で、国民の生活や命は著しく軽視されていた。それが、兵士たちの命を無駄遣いするような無謀な作戦を生んだわけである。

◆一気に浮上した天皇絶対主義の異常な論理
 それは本来、戦略的・実効的に戦いを遂行するはずの軍国主義の性格からも逸脱した異常なもので、当時の日本は「軍国主義」ではなく、むしろ宗教的政治思想が戦争指導部と個々の軍人の価値判断に大きく影響した時代なのだと山崎は言う。「ある絶対的な価値に基づく体制」を守るためなら、人間を戦いの道具として使い捨てにしても道義的に許されるという、人道的感覚の麻痺。それは、イスラム原理主義やプーチンが目指しているものとも共通するが、日本の場合、問題はそうした天皇絶対主義の異常な論理が戦前の一時期に一気に浮上したことである。

 詳しくは、彼の「戦前回帰」「天皇機関説事件」に譲るが、天皇絶対主義の国家神道は、1935年(開戦の6年前)の天皇機関説事件に端を発して日本を支配することになる。大日本帝国憲法、第1条の「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」の解釈を巡って、天皇は法人である国家に属し、そのトップとして憲法の定める範囲内で機能するとした美濃部達吉の「天皇機関説」に対して、超保守派の政治家、軍部、学識者が束になって美濃部(写真)を攻撃。神である天皇の統治権は何ものにも束縛されない絶対のものであるという論調を展開した事件である。

◆美濃部攻撃から「国体明徴運動」に
 美濃部攻撃はさらに進んで、「国体明徴運動」に発展する。日本の国体(国柄)をして、「わが国は、天照大神のご子孫であらせられる天皇を中心として成り立っており、われらの祖先およびわれらは、その生命と活動の源を常に天皇に仰ぎ奉るのである。(中略)忠は、天皇を中心として奉り、天皇に絶対随順する道である。我を捨て私を去り、ひたすら天皇に奉仕することである」と明らかにし、国民に奉仕を促す(文部省「国体の本義」1937年)。その国体の維持のためだと軍部が主張すれば、どんな無謀な作戦も通って兵士たちは死んで行った。

 「国体明徴運動」によって規定された日本の天皇観は、長い日本の歴史にも類を見ないもので、天皇を神扱いする状況に当の昭和天皇自身も違和感を抱いていたというが、そんな動きが急展開した背景には、当時の日本の危機感があった。1933年に、日本は満州からの撤退を決議されて国際連盟を脱退、国際的な孤立を深めていたこと。また、西欧文化の流入による個人主義や自由主義、或いは共産主義の広がりに権力側が恐怖していたことである。しかし、その結果として日本は「神の国」となり、誇大妄想的な論理によって無謀な戦争に突入した。

◆息を吹き返す「神の国」思想と戦前回帰
 戦前のある時期、日本全体を支配した「天皇原理主義」とも言える国家観とその異質な時代を、かつて司馬遼太郎は「異胎の時代」と呼んだ。それまでの日本の歴史には見られなかった突然変異的な国家体制という意味だろう。しかし、未曽有の敗戦をもたらした、「天皇崇拝」とそのもとになった「国家神道」は、敗戦の十分な反省のもとに克服されたのだろうか。いや、そうではないと言いうのが、山崎の見方である(「日本会議、戦前回帰への情念」)。敗戦で軍国主義は平和主義に是正されたが、天皇を元首とする「神の国」思想は命脈を保って来たと言う。

 それは、安倍政治の8年間により勢いを増し、自民党右派を始め、いたる所で日本を浸食し始めている。最近では、極右論者たちが防衛大学に招かれ、玉砕を美談化するような講義をしているとも内部告発された(9/14毎日)。これらを見ると、プーチンの歪んだ論理を対岸の火事と嗤(わら)っている場合ではない気になる。

急進する温暖化に科学は? 23.9.2

 猛暑が続いたこの夏、日本列島は過去最高の平均気温を記録した。先日、相変わらず絶不調のカミさんの療養を兼ねて、少しは涼しいかと期待して北茨城市の海辺の温泉旅館に出かけたが、土地の人も経験がないような暑さで殆ど出かけずに過すしかなかった。「涼しさは館内ばかり北の宿」の状態。この猛暑が地球沸騰化(国連事務総長)の幕開けだとすると、来年以降をどう過ごしたらいいのかと憂鬱になる。毎日「猛烈な暑さと熱中症に注意」のアナウンスが続き、水不足や高温で農作物が不作となり、ダムの水枯れが心配になったりする。

 日本だけではない。世界各地で40度超えが頻発し、メキシコで49度、アメリカ・デスバレーでは56度を記録した。ヨーロッパでは熱波で6万人が死亡し、ギリシャ・ロードス島やカナダでは大規模な山火事が発生している。特にカナダでは既に10万平方キロ(日本の東北6県、関東7県を合わせた面積)が焼失。その一方で解せないのは、目の前の異常気象について、太平洋高気圧の張り出しやエルニーニョのせいとか、気象学者が日々もっともらしく解説するが、それが地球温暖化とどう関連しているのかという科学的な解説が殆どないことである。

◆緩和策と適応策に対処する2つの科学
 専門家の江守正多(東大未来ビジョン研究センター)は、科学者は温暖化が進めばいつかこうなると言っていた、これは序の口に過ぎないと言う(報道1930)。とすると、(後述するような)年々異常さを増していく気候危機に私たちはどう対処して行けばいいのか。いま、世界の若者たちの間には、「もうどうしようもない」、「人類は滅亡する運命にある」といった終末論的な不安が広がっているという(9/28日経オピニオン)が、そうした絶望に落ち込むことなく、私たちがこの地球温暖化に「理性的に」かつ「合理的に」対処する余地はあるのだろうか。

 温暖化に対処するには、主として2つの科学的アプローチが同時に必要になる。一つは、原因のCO2を削減する脱炭素による「温暖化緩和策」。これには、今の脱炭素政策で間に合うのか、採用される手段の科学的検証と工程表(ロードマップ)の持続的な点検が必要になる。もう一つは、科学者の予想をも超えて進行する温暖化の影響を少しでも低減し、命を守るための「温暖化適応策」である。これには、どのようなアイデアがあるのか。これらのどちらにも、しっかりした科学的アプローチが必要になるが、今の科学はそれに答えているだろうか。

◆急進する温暖化に科学が追いつかない?
 温暖化による地球規模の変化は今、各地で後戻りできない「臨界点」(tipping point)として現れている。例えば、ロシアの3分の2を占めるシベリアの永久凍土地帯では、度重なる森林火災によって気温上昇を超えて地表が太陽熱を吸収し、地中から溶け出した水が広範囲で洪水を起こしている。また、永久凍土に閉じ込められていたメタンガスが噴出して巨大な穴を作っている。そのメタンガスの量は、現在大気中にあるCO2全体の3倍にもなり、しかもCO2の20倍の温室効果を持つ。これがもう後戻りできない状況で始まっているという。

 さらに、南極の棚氷や北極の氷河が大規模に溶け出している。これは、海面上昇を引き起こすだけではなく、地球の海流に予測困難な変化をもたらし、地球の気象を大きく変えるかもしれない。また、気温上昇はアマゾンの熱帯雨林のCO2吸収能力を落とすとも指摘されている。こうした負の連鎖が進行して行く時に、従来の脱炭素政策で間に合うのか。「この10年が正念場」(国連)とすると、脱炭素をかなり前倒しで進めなければならないのではないか。こうした疑問が起きてくるが、残念なことに政治も科学も新たな事態に追いついていない。

◆同時進行的な地球規模の観測が必要なのに
 かくも急進する温暖化に対処するには、5年から8年ごとに出されるIPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)の報告書や、年1回の国際会議COPでは、間に合わないかも知れない。この点、以前の「迷走する日本の脱炭素政策」にも書いたが、2050年のカーボンニュートラルを視野に、悠長に構えている日本政府に比べて、ドイツなどは計画を一気に前倒しした。人類の未来を取り戻すには、国、自治体、企業、市民それぞれが、主体性を持って最新情報を取り組みに反映させ、各レベルで独自の脱炭素策にトライする時なのかもしれない(写真は学校屋上の太陽光パネル)。

 そのために科学は何が出来るか。そもそも、地球のシステムは複雑で、大気と海の循環、極地の氷や森林の作用、火山活動、そして太陽活動の変化まで関係してくる。あまりに複雑なために、相変わらずCO2主犯説に対する懐疑派も後を絶たない。だからこそ、温暖化の進行を正確に把握するには、国際共同研究の同時進行的な調査・観測によって、新たな知見を共有して行くことが必須になる。しかし今、戦争によって永久凍土の国際研究が中断され、ロシア側のデータが入ってこない状態というから、プーチンというのはどこまでも罪作りな人間である。

◆「温暖化適応策」に必要な総合科学の確立を
 もう一方の「温暖化適応策」にはどんな科学が必要になって来るのだろうか。温暖化の影響をどう軽減して生き延びるかである。これには、激甚化する気象災害に対する国土強靭化(防災)から、農業や漁業の適応策、あるいは都市のヒートアイランド化への適応策から冷房をシェアする地域内の自衛策、高齢者の熱暑対策などまで、多岐にわたる。日本国内の適応策だけではない。海面上昇による海岸浸食、難民や飢餓の発生、大規模森林火災、新たな病原菌の出現などに対する防衛策もある。これにも、新しい科学的アプローチが欠かせない。

 これらの問題は、個々に対応していては間に合わないかも知れない。「温暖化適応学」といった総合的な科学の確立が必要になって来るだろう。デジタル技術やAIも駆使した各科学間の連携と総合科学で、急進する温暖化の影響を可能な限り緩和しいて行くこと。それが、生存への確率を上げる意味でも重要になって来る筈だ。しかし、これらへの取り組みは防衛費などよりも緊急の項目と言えるのに、秋が来て少し涼しくなれば、ダムの水不足のニュースのように「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で、問題意識が後退してしまう。それでいいのだろうか。

◆問題意識で世界から取り残される日本
 地球温暖化に対しては、CO2排出量で世界の3%ちょっとの日本が頑張っても無意味、40%超を占める米中が取り組まなければ意味がない、といった冷めた意見もある。一方で、もうどうしようもない、と終末論的絶望に落ち込む意見もある。現状のもどかしさを見れば、ある面、当然とは思うが、私は未来世代のためにも、もう少し日本にも頑張って貰いたいと思う。「緩和策」や「適応策」は今、人類が最も必要とする科学である。そこで日本が世界に貢献出来れば、世界での日本の発言力を少しは高めることになる。そこで頑張らなくてどうする?である。

 この分野で日本が今のように、不名誉な「化石賞」を与えられる状態に甘んじていれば、日本はますます存在感を低下させていく。温暖化対処の2つの科学での知見を積み上げ、先進的な取り組みを世界に示してこそ、日本は先進国の一員として発言出来る。そのことを明確に自覚する必要があるのではないだろうか。その意味で、世界から際立って立ち遅れている私たちの問題意識も深刻だ。紹介されたデータでは、地球温暖化について「心配」という日本人は16.4%。84%のフィリピン、58.1%のフランス、46.6%のアメリカに比べてはるかに低い。

 これには、政治の怠慢はもちろん、メディアの努力不足にも責任の一端があるだろう。急進する温暖化は、これからの人類社会に様々な難問を突き付けてくる。そこに日本はどのような貢献が出来るのか。温暖化緩和策においても、適応策においても、日本は世界をリードして行けるような先進的な取り組みが出来るか。未来世代に責任を果たすには、私たち自身も変わらないといけないと思う。

揺らぐ専守防衛と新しい戦前 23.8.15

 「歴史にif(もしも)はない」というが、戦争が始まってしまってからのifは、多くの場合戦術的なもので、仮に局所の戦いが上手くいっても、先の太平洋戦争において総合力で大差のあるアメリカに日本が勝つことはなかった。それは致命的な作戦ミスがあったミッドウエー海戦でも、レイテ沖の戦いでも同じである。しかし、同じifでも「戦争に至る場面での様々なif」は、もしこれがうまく行っていればと悔やまれる場面が多い。例えば、対米英の艦船比率を協議したワシントン軍縮会議における加藤友三郎海相である(「日本海軍の興亡」半藤一利)。

◆「新しい戦前」の中で歴史のifを見逃さない?
 加藤は、明治以来の国防論を転換し、「外交的手段により戦争を避けることが国防の本義」とし、「国防は軍人の専有物にあらず」と言って国際協調路線を採ろうとした。すなわち、軍備と外交が相まった新しい国防論で日米不戦の方針を実施しようとした。しかし、運命のいたずらか、加藤は首相になって新国防論を策定した2か月後に62歳で病没(1923年)してしまう。あるいは、日独伊三国同盟に強硬に反対し、対米戦争回避で一致していた米内光正、井上成美、山本五十六のトリオが、海軍中枢部から同時にパージされたことも痛かった(1939年)。

 無謀な戦争への突入を回避できたかも知れない様々なifは、後から振り返ってみれば、その都度的確に対応していればと悔やまれる。ただし、それは余程注意深く監視していなければ、大勢が戦争に向かう時局の中で見逃されてしまう。いま時代は、昨年にタモリが「徹子の部屋」で「来年はどんな年になりますかね」と聞かれて「新しい戦前になるんじゃないですか」と答えたことが、妙に実感を持たれる状況になっている。仮に今が「新しい戦前」とすると、私たちはそのifを見逃さないようにしなければならない筈なのだが、実際はどうだろうか。

◆憲法9条と専守防衛の関係
 「新しい戦前」を予感させる様々な兆候は、この10年で次々と現れて来た。そしてそのことは今、一つの事象に収斂(れん)しているように見える。それは、憲法9条を基にして練り上げて来た日本の防衛政策、すなわち「専守防衛」政策のなし崩し的変更である。今回は、反撃能力など岸田政権の安保政策の大転換、あるいは5月の憲法記念日に際して、様々な識者が新聞紙上で指摘して来た論旨を引用しながら、「専守防衛」変質の意味を探ってみたい。まずは、戦争放棄と戦力の不保持をうたった憲法9条と専守防衛の関係についてである。

 憲法9条では、その2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とある。この条文のもとで国を防衛するために日本は(軍隊ではない)自衛隊を持ち、「敵国の軍隊をわが方の領域外に追い払うのに必要な範囲内にとどまって、外国の領域を攻撃することはしない。だから他国に脅威を与えることもない」というのが、これまでの専守防衛の考え方だった。そのために、@海外で武力行使をしない、A敵国の領土、領海、領空を直接攻撃する武力を持たない、という2本柱を守って来たという(元内閣法制局長官、坂田雅裕)。それが揺らいでいる。

◆「専守防衛」を揺るがす集団的自衛権と敵基地攻撃能力
 その2本柱が揺らいだ大きな出来事が、安倍元首相の時の(集団的自衛権を容認した)安保法制(2015年)だった。これによって自衛隊は同盟国と戦うという名分のもとで、地理的制約なしに海外でも武力行使できることになった。加えて、反撃能力(敵基地攻撃能力)を認めた岸田の安保3文書の改定(2022年)である。これによって、自衛隊は敵国領域を直接攻撃できる能力を持たないとした「専守防衛」の第2の柱が崩れた。それでも岸田は、日本の存立危機事態の場合の反撃能力は専守防衛に含まれると言い張るが、何が存立危機事態なのかを明確に説明しない。

 岸田は「手の内は明かせない」と言って、反撃能力の内容も説明しない。1発4億円のトマホークミサイルを400発アメリカから買うといった情報があるだけで、5年間に43兆円に増やす防衛費の中身も不明のままだ。しかも、今は移動式で発射される敵ミサイルを事前に補足し攻撃するのは、アメリカの情報提供があっても困難。代わりに、軍事施設や敵中枢を攻撃すれば、全面戦争に発展しかねない。こうした具体的説明のないままに専守防衛のタガが外れ、「台湾有事は日本有事」などと前のめりになる状況こそ、「新しい戦前」の兆候ではないだろうか。

◆専守防衛が崩れる時の憲法9条の意味は?
 「専守防衛」が崩れることは、憲法9条を死に追いやることに他ならない(坂田)とする一方で、憲法9条はまだ死んではおらず、今後も大事な役割を果たしていくと言う識者(蟻川恒正、日大教授)もいる。彼は、9条は戦争によって踏みにじられる国民の自由の基盤を深いところで支えていると言う。時流が戦争へと流れていく時に、弱い人々が流れに抗して反対の声を上げる時の「心の支え」になると同時に、9条は日本の主権をアメリカから守る盾にもなっていると言う。これを手放してしまえば、日本はアメリカにむき身(裸)で相対するしかなくなるからだ。

 彼によれば、戦力不保持の9条の規範は、日本が武力行使以外の選択肢を考え抜く知性を鍛えて来た。それによって、政治や外交で局面を打開する方途を決死の覚悟で探し出す。憲法9条を死守することによって、そういう「限界知性」とも言うべきものが日本に生まれることを期待したいと言う。戦争は人の思考を粗暴化し単純化いていく。思考の経過が単純化すると、戦争への歴史のパターンが繰り返されていく(藤原辰史、京大准教授)。だからこそ、9条は「戦争だけはしてはいけない」という敗戦の重い教訓から生まれたことを忘れてはいけない。

◆軍拡と戦争につながりかねない「仮想敵国作り」
 歴史学者の加藤陽子は現在の安保3文書を考える上で、戦前の国防3文書(帝国国防方針など)との共通点を指摘する。これは日露戦争の後に作られたもので、陸・海軍の予算獲得競争を抑える狙いもあったが、結局のところ軍拡に道を開くものとなった。その原因の一つは、仮想敵国の多さだったと言う。ロシア、アメリカなどを仮想敵とし、それに負けまいと軍備を拡張する。むしろ、軍拡のために仮想敵国を増やす発想さえあったと言う。加藤は、現在の安保3文書も中国やロシアなどを仮想敵として、身の丈を超えた軍備を求めていると指摘する。

 日本が仮想敵を作って軍備を拡張すれば、仮想敵とされた相手も警戒心から軍備を拡張、際限ない競争に入る。そういう「安全保障のジレンマ」を避けるためには、自国を防御する十分な備えをしながら、同時に自分に敵意はないのだというメッセージをあらゆるチャンネルで伝えなければならない。それが9条の思想だろう。変な構想で中国を封じ込めようとしたり、価値観の違いで相手の存在を否定したりするのも、戦争につながる危険な「物語作り」と言える。そうした構想(物語)に沿って防衛を考えることは、むしろリアリズムから離れて行く。

◆「新しい戦前」の中で歴史のifを問う
 「日本海軍の興亡」の中で、著者の半藤は戦前の教訓として、第一に「国民的熱狂」を作ってはならず、「国民的熱狂」に流されてはいけない、と書く。つまり、時の勢いにかりたてられてはならないということだ。第二には、危機における日本人は抽象的な観念論を好み、具体的な方法論を検討しない、と指摘する。上手な作文で空中楼閣を描き出す。これが危険なのだと言う。「新しい戦前」の今も、構想(観念論)が先行し、隣国への警戒論に流され、身の丈を離れた、勢いだけの言論や国防論が幅を効かせていないか。その中で危険なifはチェックできているか。

 「新しい戦前」の今は、政治を監視するメディアも国民も戦争に向かうifに敏感になる必要がある。そういう意味で、従来の終戦記念日の番組は、戦争の悲惨さを描いたものが多かったが、戦前のどんなifが戦争に導いたのか、それを避けるにはどうすれば良かったのかを検証する番組がもっとあってもいい気がする。

庶民が見えるか世襲政治家 23.8.2

 岸田政権の支持率が、5月のサミットをピークに下降の一途をたどっている。7月下旬の調査では、支持率が28%(毎日)、37%(朝日)、自民党支持率も20%台に落ちてきている。首相秘書官に起用した息子の不祥事に加えて、(倍増を打ち出した防衛費や子育て支援などの)国会での説明不足、加えて拙速に進めるマイナカード問題などで、国会閉会直後にと匂わせていた解散も吹き飛び、首相は焦りだしている。もう一度、「聞く力」の原点に返ると言って、全国行脚を始めたが、「聞く力」を発揮しているとは思わないと答えた人は66%に上る。

 その全国行脚の手始めは栃木県の障害者支援施設(21日)だったが、施設長の妙に嬉しそうな様子も、岸田の滑り気味のパフォーマンスも「やらせ感」が全開で、岸田がこれによって、何をどう聞いたのか全く伝わって来ない。岸田政権が発足してから既に1年9か月。この間の広範な値上げと物価高騰、実質賃金の目減りにあえぐ庶民の声は、一向に岸田の耳には届かず、やって来た主な政治は、防衛費倍増やアベノミクスの継続、原発回帰、マイナカードなど、アメリカや党内右派、それぞれの利権団体に対する御用聞きのような政治ばかりだった。

◆民の悲鳴が聞こえない岸田首相
 今、世の中には生活苦にあえぐ人々の悲鳴が満ちている。夏休みに入って頼みの給食がなくなり痩せて行く子供たち。フードバンクで貰った480円の弁当を2回に分けて食べて1日を過ごす生活保護の老人。豪雨被害に苦しむ人々、電気代を心配して酷暑に熱中症で死亡する高齢者。こんな悲鳴が満ちているのに、今更のように「聞く力」をアピールする首相に、「首相の耳は、全国津々浦々を回らないと聞こえない、何か特殊の構造をしているのか」、「何が原点だ。何が津々浦々だ。寝言は寝て言え」と高橋純子編集委員(29日朝日)も怒っている。

 この物価高はコロナ禍よりも影響が深刻で、非正規雇用者やシングルマザー、貯えのない高齢者を直撃している。たった41円上げるだけで大騒ぎした「最低賃金1002円」も先進国には大きく水をあけられ、韓国よりも低い。分配重視を打ち出した岸田の「新しい資本主義」もいつの間にか雲散霧消し、富裕層重視の税制のままだ。これでは、支持率低下について「今の首相は浮世離れし、特権階級のようなイメージを持たれている」という安倍派からの批判も当然と言えば当然だが、考えてみれば、特権階級化しているのは政治家全体ではないか。

◆特権階級化している日本の政治家
 それを示す幾つかのデータがある。前回も紹介した大山礼子(駒沢大教授)は、日本の国会議員の給与が先進諸国に比べて高すぎる点を指摘する。今は円安になっているので差は縮まっていると思うが、2018年のデータで日本の2171万円は、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの給与に比べてダントツに高い。フランスなどは日本の半分に近い。これに加えて(日本だけではないが)国会議員は税金がかからない様々な支給が設けられている。月額100万の文書通信交通滞在費(調査研究広報滞在費に変更)や月額65万の立法事務費だ。

 これを一般人の給料に換算すると、年収5183万円に匹敵するという(東洋経済)。これだけではない。国会議員には、JR特殊乗車券・国内定期航空券の交付や、3人分の公設秘書給与や委員会で必要な旅費、経費、手当、弔慰金などが支払われる。さらに、政党交付金の一部も支給される。諸々合わせれば、年収1億円程度の超富裕層になるだろう。これを見ても、日本の国会議員が年収数百万円で暮らす一般庶民と、いかにかけ離れた存在かがわかる。収入からしても既に特権階級化している。

◆超富裕層の世襲政治家が多い現実
 こうした歳費、経費はすべて税金なのだが、そのことを日々自覚している政治家はどの位いるだろうか。まして、本人がよほど努力しない限り、特権階級化した政治家に庶民の悲鳴は届かない。さらに日本の場合、問題なのは年収5千万円超といった超富裕の政治家家業が世代を超えて継承されるケース、いわゆる世襲政治家が多いことである。特に自民党の場合、世襲議員は全体の3割に上るが、歴代首相について言えば平成の30年間の首相16人中、10人(62%)が世襲である。自民出身の首相に限れば、世襲の割合は83%に上る。岸田自身も祖父の代から衆院議院を務める絵に描いたような世襲政治家で、他の大物政治家たちと縁戚関係でもある。

 問題は、地盤、看板(知名度)、カバン(資金)に恵まれた超富裕層に属する政治家が何代にもわたって政治を牛耳るということが何を意味するかである。超富裕層に属し、日本版の「銀のスプーン」をくわえて生まれて来る彼らは、小さい頃から庶民とは無縁の環境で育つ。彼らにとって、政治は家業を受け継ぐようなものだろうが、その時、当の本人にとって政治とは何なのか。彼らは何をしようとして政治の世界に身を投じるのかである。当然のこと、彼が眺める政治とはまず、政治家一族を支えて来た身内的な集団、業界、利益関係者になるだろう。

◆日本の政治のいびつな姿。改革が出来ない首相
 そうした状況で、彼と取り巻き集団にとっての政治の第一義とは、掴んだ権力をいかに維持するかになるに違いない。その時、本来政治が奉仕すべき国民、その大部分を占める庶民の姿などは、彼の視界の遠くにかすんでいるに違いない。また、育ちから言っても、社会的弱者の苦しさなど分かるわけがない。世襲政治家が珍しい海外では、英(下院)で1割、米(上・下院)で5〜10%、ドイツや韓国は殆ど無い。それも、英米で「親の地盤をそのまま引き継いで、同じ選挙区から出るケース」は殆どないという。日本の常識は世界の非常識なのである。 

 特権階級化した一般政治家の、さらに上を行く世襲政治家が首相をつないでいく日本の政治のいびつな姿がここにある。「首相の耳は、全国津々浦々を回らないと聞こえない、何か特殊の構造をしているのか」という皮肉は、笑えない実体なのである。しかも、弱者の声が聞こえないだけでなく、世襲政治家の首相が権力を握った時、「御用聞きのような政治」を超えて、富裕層や法人への税の是正など、長年彼を支えて来た勢力の利害と対立するような改革を彼が出来るかとなると、極めて難しくなる。これが、「何がやりたいのか分からない」と言われる岸田政治の真の深刻さである。

◆制度疲労を起こしている日本政治、変えるのは誰か
 岸田は、去年以来の戦後政治の大転換について、周辺に「安倍元首相も出来なかったことをオレはやった」と吹聴しているらしいが、アメリカや党内右派のご機嫌をとるだけでいいのか。しかも、マイナカードでは国民の姿が見えない弱点を突かれている。そういうことより、今の日本は将来世代に責任を果たしていくべき大きな課題が山積している。国の借金をどうするのか、少子高齢化で激増する社会的弱者にどう寄り添うのか、地球沸騰時代にどう対処するのか。これらに対処するためには、目指す日本の国家ビジョンと、それを進める上での政治理念が明確でなければならない。

 今、岸田にはそれが見えない、という評価は定着しつつあるが、それは、上記のような日本の政治の構造的な問題から来ていると言っていい。そういう特権的で硬直化した、世襲でない若い政治家の登場も極めて限られている日本の政治を変えるにはどうしたらいいのだろうか。政治学者の大山礼子は、先の本の中で政治を変えるには若い世代に期待するしかないと、若者の政治参加を促す。その時、首相が恣意的に解散権を行使する日本は、平均1年半ごとに解散しているのも問題で、選挙が多すぎるのも投票率の低下につながるという。

 英国は5年に一度の解散で、その間に議員はじっくり勉強できるが、選挙に追われる日本では勉強もできずに、無能な政治家が増えるばかり。内向きの政治報道だけを見ていると分からないが、海外の民主国家と比較すると、日本の政治がいかに制度疲労度化し劣化しているかが、見えて来る。この重要な時にこそ、政治は国民に奉仕するためにあるという原則と、それを変えて行くのは国民だということを今一度自覚したい。

民主国家日本の異常な国会 23.7.11

 6月21日、多くの問題法案を成立させた通常国会が幕を閉じた。岸田首相がしきりに匂わせた解散風によって議員たちが浮足立ち、十分な議論がされないままに成立した法案は、政府提出の60本のうち58本(成立率96.7%)という。岸田は解散風作戦が効を奏したなどと言ったらしいが、戦後の安全保障政策の大転換である反撃能力の確保や、そのための「防衛財源確保法」、原発の60年超の運転を可能とする「GX脱炭素電源法」、或いは来年秋に健康保険証を廃止する「改正マイナンバー関連法」など、問題法案の議論は全く空疎だった。

 5年間に43兆円の財源を確保するとした防衛費も、その場しのぎの財源ばかりで中身がスカスカなどと言われている。何にいくら使うのかと言った具体的説明もないまま、規模感だけが独り歩きしている。老朽原発の使用に道を開く法案も脱炭素と抱き合わせになったために、議論が拡散してしまった。鳴り物入りで打ち出された「異次元の子育て支援」も、どこから財源を持ってくるのか、本当に少子化対策に役立つのか、実のある議論も殆どなかった。旧統一教会問題も、放送法に関する内部文書問題の解明も、月額100万円の文書通信費問題も閉会とともに忘れ去られている。

 これで、150日間の通常国会を終えて、議員たちは長い夏休みに入ったわけだが、このように今や日本の国会が空洞化しているというのは、最近の国会を横目に眺めている国民誰しもが感じるところではないだろうか。いくら野党が細分化され党利党略に走ってまとまらないと言っても、国会論議がこうも低調であっていいはずはない。「党首討論」も開かれなくなって久しいし、国会が内閣の提出する法案を右から左に通して、行政に対するチェック機能を果たせていないのは、三権分立を標榜する民主国家の国会として異常ではないだろうか?

◆時代遅れの会期制度
 日本の国会が機能不全に陥っている異常な状態を、政治制度の面から先進諸国と比較しながら論じている本がある。「政治を再建する、いくつかの方法 政治制度から考える」(大山礼子、駒沢大教授)だ。著者が指摘する一つは、日本の議員が働かない状況、つまり国会の会期が短いことである。日本の通常国会は1月から6月までの150日間(5か月)。秋に臨時国会が召集されたとしても、議員が国会で論戦を交わす期間は1年のうち、7か月から8か月に過ぎない。これに対して、主要国の議会は殆どが通年国会、ほぼ一年中開かれているという。

 これらの国の議会の会期は、審議すべき政策課題の複雑化にともなって長期化して来た。アメリカでは1月から年末の11月か12月まで、イギリスは1年を通して、フランスは夏期を除く期間、ドイツやイタリアは会期制を廃して通年としている。日本のように「古めかしい規則」に縛られて会期制をとっている国はまれだという。その規則と言うのが、会期中に成立しなかった法案は原則、廃案になるというもので、そのために与党は採決を急ぎ、野党は審議を引き延ばす。一方、通年国会の国には会期切れという問題はないので十分な審議が出来る。

◆国会審議の空洞化を招いている質疑、質問
 日本の国会が空洞化する要因は他に幾つもある。一つは法案の「事前審査」。国会審議に口出しできない内閣は法案の修正を封じるために、提出する前に「事前審査」で与党内の一致を作っておく。与党が安定多数で、ねじれ国会などの状況がない限りそれで決まり。法案が国会に提出される前に既に決着済みというケースが殆どで、国会での質疑は、与党同士は出来レースだし、野党の質疑ははぐらかせばいい。また、国会には委員会と本会議の2段階があるが、仮に委員会で与野党間の妥協が成立すれば、本会議で審議をする意味は殆どなくなる。

 その時々の議題に対する「質疑」と違って、国政全般にわたって行う「質問」もあるが、これが日本の国会では極めて難しい。質問したい議員はまず「質問主意書」を議長に提出、議長の承認を経て内閣に回され、7日以内に内閣が文書で返答するだけ。これ以外には「緊急質問」というのがあって議院の議決があれば本会議で質問できる規則もあるが、最近では過半数を占める与党が認めず、既に40年近く行われていない。以前には野党の大物議員が行う“爆弾質問”が話題を呼んだりしたが、今は殆ど絶滅状態。国会質疑は空洞化の一途をたどって来た。

◆予算委員会の変質と、絶滅危惧種の「党首討論」
 一方、委員会の中で最も幅広いテーマが議論される予算委員会にも問題がある。国の予算は国政全般に及ぶだけに、本来は本会議で議論するようなテーマや閣僚の不祥事問題まで、予算委員会に集中する。結果、予算委員会では予算に関係のない質疑に時間を取られ、本当に予算の内容が吟味されているかと言えばお寒い状態だと言う。これも、本会議が機能していないための本末転倒で、公開性の高い本会議は年間50時間ほどしか開かれず、衆参両院の立派な本会議場は宝の持ち腐れ状態になっている。また、本会議場で行われるべき「党首討論」も今や絶滅危惧種になっている。

 一問一答の一方通行の質疑と違って、本会議場で行われる「党首討論」は野党党首と首相が国の基本政策を巡って丁々発止に論じ合うものとして設けられた。以前は年に8回行われた年もあったが、一昨年6月に一度行われたのを最後に、岸田政権になってからもゼロが続く。一回45分に限られた時間を多数の野党が分け合う規則で、中には持ち時間5分と言う党もあって自然消滅状態だ。しかし、一方通行の質疑ではなく、外国では政治の“見せ場”にもなっている党首討論が開かれないのは問題で、政治をますます遠くする。短ければ時間を拡大すればいいし、野党同士が調整して復活させる必要があるのではないか。

◆国会の先の国民が見えていない政治家たち
 かつて、田中角栄は国会を一年中開く「通年国会」が持論だったといい、1972年12月に招集した国会を2度延長し、会期は280日に及んだと言う(6.23、朝日余禄)。やればできるものを、近年の自民党は国会での熟議を忌避し、自分たちで決めたものを“粛々”と通すことが恒例になりつつある。岸田もそれを踏襲して、一向に説明責任を果たそうとしない。彼らの眼中には、野党との駆け引きしかなく、国会の向こうには説明責任を果たすべき「国民」がいることが抜け落ちている。日頃から国民全体の方を向いて政治をしていないからだろう。

 会期末に岸田が吹かせた解散風も自身の再選戦略が先行し、解散の大義がどこにあるのか全く見えなかった。しかも解散権については、首相の専権事項だとして恣意的に解散することは憲法の精神にそぐわないと言う意見も多い。安倍内閣以降、日本の国会は数の力に任せて、どんどん民主国家本来の熟議の姿から離れている。国会を国民に対する丁寧な説明を行う場とみなさず、与野党ともに政治的な駆け引きに終始する。戦後政治の大転換のような政策が、殆ど具体的説明のないまま通過して行く。この異常な状況を変えることは出来ないものだろうか。

◆国会改革の自浄作用を誰に期待するか
 国会の空洞化に安住する今の政治家たちに、民主国家に相応しい国会を模索し、時代遅れの制度を変える「国会改革」は期待できるか。国会の熟議を可能にする改革のエネルギー、自浄作用は期待できるだろうか。どう考えても無理な気がするが、それが期待できないとすれば、どうすればいいのか。一つは、著者の大山(写真)のような学者、研究者がもっと声を上げることではないか。日本の国会や政治制度が先進諸国に比べて、いかに立ち遅れているか。それを指摘し、国民を教育して行く。そして、しがらみのない若い世代が、どんどん政治に参加する土壌を作って行って貰いたい。 

 その時には、メディアもしっかりと役割を果たさなければならない。状況追認型の、政局に振り回される政治報道だけではなく、民主国家として日本の政治が如何に異常かを指摘し、ありうべき姿、改革を国民、研究者とともに模索し、政治家を叱咤して現状を変えて行く。その役割を果たさなければならないと思う。