「風」の日めくり                     日めくり一覧         
定年後に直面する体と心の様々な変化は、初めて経験する「未知との遭遇」です。定年後の人生をどう生きればいいのか、新たな自分探しを通して、終末へのソフトランディングの知恵を探求しようと思います。

花の季節に想う命のゆくえ 25.4.27

 花の季節が巡って来て、今年も元荒川の堤防のそばに立つ満開の桜に会いに行った。数年前に「花満ちて命のままの立ち姿」と詠んだ桜である。まもなく80歳になる私だが、どこかに、この桜にもいつまで元気で会いに来れるかという気持ちがある。花は毎年同じように咲くが、それを見る人間の側には、それぞれに歳月が刻む変化があって、同じと言うわけには行かない。満開から花吹雪まで、散り際の潔さ、儚さで日本人のこころを捉えて来た桜だが、それを見続けて来た人間の側からすれば、この季節はとりわけ、「いのち」のあり様を感じさせる。

◆アートに触れる春と孫娘の小学入学
 そうした季節感をベースに、この一か月をせき止めておきたい。某日。今はNYに住んでいる次男の奥さんの実家(木更津)を夫婦で訪ねた。先方のご主人が長く収集して来た美術品のうち、千葉県ゆかりの画家たち40人の絵の展覧会を私設の美術館(わたくし美術館)で行うと言うので見に行ったのである。有名どころで言えば、青木繁、浅井忠、田中一村、菱川師宣などの他に、葛飾北斎の肉筆画まであって、ご主人の解説を聞きながら楽しく絵を鑑賞した。3月末には、NYで金継師をしている次男の奥さんがNスぺで紹介されると言うおまけもあった。

 「新・ジャポニズム」という番組で、美大出の彼女がNYに行ってから本格的に修行した金継で、外人さんたちを教えている様子である。いま、そうした日本文化が人気なのだそうだ。ビジュアルアーティストの次男も、奥さんも、孫たち(バレエとアート)も、それぞれに好きなことに打ち込んでいるのが、素晴らしいと思う。某日。一番下の孫娘が小学校に入学。3月生まれなので、皆より一回り小さく、ランドセルに隠れるくらいだが、入学式の朝の動画で娘から「どういう気持ちですか?」と聞かれて「ワクワク」と答えていた孫娘も、元気に通っている。

◆母親を見舞いに、福井市を訪ねる
 某日。お世話になっている番組制作会社での新人研修。今年は2人と少なかったが、番組企画の考え方などを講義した。既に番組制作の現役時代から50年も過ぎているのだが、「常に新しい表現に挑戦する」という“テレビの心”は変わらないと思い、引き受けている。最近はAIの取り込み方とか、ネットを含めた発信の多様性とか、視野に入れるべき要素は広がる一方だが、それでも、愚直に伝えるべきものを、見る側の心に届くように伝えるという精神は変わらないと思う。この混迷の時代に若い世代が模索して行くテレビの可能性に期待したい。

 某日。カミさんの母親を見舞いに、福井市を訪ねた。母親は97歳。長らく弟夫婦が献身的に看てくれていたが、今年に入って体調を崩し入院しているので、弟夫婦に感謝方々、最後のチャンスと思って会いに行った。きれいな明るい老人病院で、母親も綺麗な顔をしてベッドに寝ていた。最初の日は、呼び掛けても目をあかず、いよいよかと思ったが、次の日は目をぱっちりあけて、じっとカミさんの呼びかける顔を見ていた。ただし、もう会話は出来ない。私が呼びかけるとしっかり視線を向けて来る。3日目も視線だけの会話を交わし、病院を後にした。

◆97歳。義母の大往生
 3日間の福井訪問だったが、その間、弟夫婦と墓参りがてらに桜のトンネルを見たり、2人で市内の桜通りを歩いたりした。50年前に勤めていたNHK福井放送局も訪ねてみた。建物は全く当時のままで、(私たちが30年前に開発した)卵のロゴマークが、まだ壁面に残っていた。玄関を入って若い受付嬢に「50年前にここで働いていたんですよ。古いままですね」と話しかけると「ホントに」と答える。駅前は恐竜の像が出来たり、高層ビルが建ったりしているが、古いところは古いままである。夜には、弟のなじみの鮨屋で念願のカニを食べながら夫婦をねぎらった。

 その97歳の母親は、福井から帰って半月後の4月27日に亡くなった。最後まで苦しむことなく、眠るように安らかに逝ったそうで、大往生と言えるだろう。子供たちにもカミさんからメールで知らせると、それぞれから丁寧な挨拶が帰って来た。私の方は、仏壇に向かって、さらにはいつもの寺にお参りして般若心経を唱えながら冥福を祈った。母親の場合は大往生だが、最近は同年配や後輩の訃報が届くようになった。それだけ、こちらも何があってもおかしくない年齢に差し掛かって来たのだろう。周囲に、病と闘っている友人たちも増えて来た。

◆いのちのゆくえが気になる春
 重い肺がんと闘っている同級生。喉頭がん治療中の友人。あるいは前立腺がんの治療に入ろうかという友人。認知症の先輩などなど。大先輩を中心に集まっていた勉強会も一人欠け、二人欠けして、存続が難しくなった。皆、無事に乗り越えて欲しいと願いつつ、そういう友人先輩とのつながりの中で、改めて自分が置かれている年齢の重みを感じざるを得ない。私の方は、あと1カ月弱で80歳。先日来、睡眠中にきつい頭痛で目が覚めることが多くなった。ネットで調べると「睡眠時頭痛」という症状があって、脳神経外科でMRIを撮ったりした。

 そのMRIには、異常が見つからなかったので、今度は睡眠時無呼吸の検査もした。その結果は、近々聞いてくるが、睡眠に関する症状も老化に伴う悩みの一つと言っていい。そうした故障を幾つか抱えて、薬で微調整しながら、日々を何とかやり過ごしている。それは若い頃のように決して軽やかと言うわけには行かない。深い雪道を、雪をかき分け、一歩一歩踏みしめながら歩いているような日々である。ただし、これらの日々もいつか終る時が来ると思うと、ただ漫然と過ごすのはもったいない気がする。こうした日々をどう過ごして行くか。

◆人生の終盤に向かって続く手探り
 昔、「閑に耐え、煩に耐え、もって大事をなすべし」という箴言を読んだ記憶があるが、今は「閑に耐える」ことが大事。退屈に耐えながら、ゆっくりと、しかし一歩一歩を噛みしめるように日々を送ることかも知れない。最近読んだ本に、坂本龍一の最後の日々を綴った「ぼくはあと何回、満月をみるだろう」がある。癌を発症してからも、治療を続けながら精力的にアーティストとしての活動を続けて行く。2年前に71歳で亡くなった坂本は、それこそ何千人分の一生を送った人だが、平和や脱原発、地球温暖化への警告、被災地支援などの軸も貫いた人だった。

 いのちのゆくえが気になる春。その花の季節もあっという間に過ぎて、初夏の陽気になった。そんな季節の巡りの中で、私の方は、若い世代から元気を貰いながら、気負うこともなく淡々と、一日一日を噛みしめながら、人生の最期に向かって手探りして行く。同時に、80歳を機に「メディアの風」をどうするか。「日めくり」はともかく、コラムの方をどのように店じまいするのかについては、まだ答えが見つかっていない。前回のコラムのようにAIを上手く使うと、もう少し続けられるような気もするが、これも手探りしながら、あれこれ模索してみたい。