「風」の日めくり                     日めくり一覧         
定年後に直面する体と心の様々な変化は、初めて経験する「未知との遭遇」です。定年後の人生をどう生きればいいのか、新たな自分探しを通して、終末へのソフトランディングの知恵を探求しようと思います。

自分にとっての「命」とは? 25.8.14

 最近の41度超えの猛暑について、日本上空1500メートルの平均気温を測定した東大、京大の研究者たち(WAC)によれば、今年の高温は、温暖化している現状でも31年に一度の出来事だと言う。一方で、温暖化していないと仮定すると、この異常な高温は1万1400年に一度の計算になると言う(8/9朝日)。そんな異常が頻発しつつあるのか。そうかと思えば、線状降水帯による豪雨で、これもインド洋から東に延びる巨大な水蒸気のかたまりが原因だという。私たちは、経験したこともない気候変動の時代に一歩また一歩と、足を踏み入れている。

 そうした切迫した状況下でも、トランプのアメリカはどこ吹く風でCO2削減などとは真逆の動きだし、日本も目の前の政局に終始している。先日のNスぺ「イーロン・マスク “アメリカ改革”の深層」などを見ても、世界は民主主義を否定する一握りの超富裕層が支配する狂気の時代に入りつつあるようにも見える。そして、そこへAIの大津波がやって来る。コラムを書いていた頃は「時代と向き合う」を目標にしていたが、今やとてもそんな気になれない。それは、成り行きに任せて、自分は何をテーマにこの「風の日めくり」を書いて行くかである。

◆もう一つの軸となるテーマとは?
 メインはこれまでも書いて来たように、矢のように過ぎて行く老境の時間を、時々せき止めるための近況報告だが、もう一つくらい、軸となるテーマを探したい。そう思って、現在の関心事をあれこれリストアップしてみた。この夏、もう一度涼しい高原で1泊ゴルフをすること。ゴルフについては、下手なりに健康維持のバロメーターとしてやれるまでやってみたい。また、夏の間に一枚の絵を描き上げること。様々な関心の脈を辿っての細々とした読書も続けたい。さらには、番組企画のお手伝い。行きそびれている場所への小旅行などである。

 そんな中で、一つ頭に浮かんだテーマがある。それは、最近持続的に関心を持って見たり、読んだりして来たこととも関連する。例えば、Nスぺ「人体3」の「生命とは何か」シリーズである。人間の身体は、およそ40兆個の細胞で出来ているが、細胞膜の中には十万種以上という高分子の部品(キャラクター)があって、それぞれが細胞の生命活動を維持するために働いている。生命の最小単位である細胞は、まるで超精密な時計仕掛けの小宇宙だ。そして、地球上すべての生命は40億年前の、ある一つの細胞(LUCA)から進化して来たというから驚く。

◆LUCAから私へ。進化を促した力とは?
 つまり、いまここにある自分という存在は、何万年、何億年と遡って行くと、40億年前に出現した一個の細胞にたどり着く。私だけでなく、地球上すべての生命がそのLUCAから進化したのだという。そんなことを知るとまた、疑問が次々と湧いてくる。その一個の細胞が私のような複雑な生命体になるには、どのような進化の力が働いたのだろうか?細胞分裂の発明、単細胞から多細胞へ、卵子と精子の分化、あるいは植物から動物へ、そして魚類から哺乳類へ。それは昔習ったような自然淘汰や適者生存と言った単純なものではないような気がする。

 AIに聞くと、138億年前の宇宙誕生から、この宇宙には物事が意味を持つ情報へと形成されていく、ある力が働いていたと答えたりする(情報生成原理仮説)。AIはこの仮説を、最新の諸説を統合する独自の仮説として提示するが、本当だろうか?いずれにせよ、地球上の生命は、その都度、それまでの生命システムから一段飛躍した別のシステムを発明することによって進化して来た。それを「超越」と呼んだのが、免疫学者の多田富雄だ。一つのスーパーシステムから、より高度なスーパーシステムへ。こうした「超越」がどのようにして生まれるのか。

◆他者ともつながって滔々と流れる命
 例えば、いわゆる獲得免疫のシステムを持つようになったのは脊椎動物からで、そこには変化する環境に対応して絶えず変化しながら「自己」をまもろうとするスーパーシステムへの発明(「超越」)があった。それは偶然の選択だと多田は言うが、その時、重要なのは「自己」と超越との関係だ。超越によって新たなスーパーシステムを獲得する場合も、自己は自己組織化によって新たな自己として続いていく。つまり、私たちは単細胞の大昔からずっと超越的発明を重ねながら自己というものを、世代を超えて守り続けて来たからこそ今があると言う訳だ。

 そう考えると、「命」と何なのだろう。「人体3」でも、山中氏がゲストに「あなたにとって命とは?」と質問をしていたが、答えは各人各様だった。では、自分にとってはどうだろう?それは、思考や生体活動、生きている実感などを支えている基盤のようなものである。しかも、それは大河の流れのように他者ともつながって滔々と流れている。私の命は、80年前に受精卵としてこの世に現れ、間もなく単体の命としては消えて行く。そんなことを考えた時に、ふとこの「いのち」というものをここでのテーマの一つにしたらどうだろうと考えた訳である。

◆齢80にして考える「命(いのち)」とは?
 齢(よわい)80にして考える「命(いのち)」とはどういうことだろうか。それは、80年という長い時間を生きて来て、間もなく終わりを迎えるものである。それを考える事は、次の3つくらいのフェーズに分かれるのではないか。

@   この世に生を受けて80年。自分は、どのように自分の「いのち」を生きて来たのか?あるいは、自分という存在だけでなく、自分を取り巻く家族や人々の中で、自分の「いのち」がどのように生かされて来たのか。どのような「見えない力」によって生かされて来たのか。それを再認識することである。
A   あるいは、この先、自分の「いのち」をどのように紡いで行くのか、ということである。身体や脳の働きにおいて、年々老いて行く自分の「いのち」の実相を見つめながら、その「いのち」とどう向き合い、どのように維持し、最後にどう始末をつけて行くのか、という課題である。
B   同時に、幸いに家族という意味で、あるいは子孫という意味で、この世に残して行く「いのち」たちとどういう関係を結んでいくのか。出来れば、心豊かな関係を結んで終わりを迎えたいが、そういう努力を自分なりに心がけながら、子や孫たちへ「いのち」のバトンタッチをしたいと思う。

◆「いのち」との対話をテーマの一つに
 これらを「いのち」との対話と呼ぶならば、これはこれでこの先、5年位の大事なテーマになるのではないか。それをとりたてて表に出すことはしないけれど、こういうテーマを意識しながら、その思いの過程を、折に触れ「風の日めくり」の方に綴って行く。そういう考えに行きあたったということである。それは、もう一つのテーマでもある「仏教的生活」と、どこかでつながっているかもしれない。いつまで続くかも分からないし、途中で忘れてしまうかもしれない。それでも、ただボーっと日々を過ごすことよりはいいのではないかと考えた。

 某日。NYから一時帰国中の次男一家が、日本での拠点とする千葉県佐倉市の自宅を見に行った。人に貸していたのが空いて、次男夫婦は、これからは時々こちらで仕事もするという。3人の孫たちも久しぶりの我が家にはしゃいでいた。少し傾斜になった広い庭には、枝垂れ桜、梅、クヌギなどの木々が茂っていた。NYの3人を含めて7人の孫たちは、それぞれ建築、バレエ、アート、サッカーなどなど、のびのびと自由に好きなことに挑戦しているのが、何より嬉しい。次男一家の出国前には、わが越谷市で娘の孫たちと合同の会食も予定している。

  冒頭に書いたように、これからの世界は波乱含みだ。しかし、あと暫くは自分の「いのち」と向き合うと同時に、同じLUCAを先祖に持つ家族や友人、そして子や孫たちと「いのち」と「いのち」の対話を心がけながら、元気をもらって生きて行こうと思っている。

忘れた頃のTVインタビュー 25.7.29

 温暖化の猛暑が続いている。その暑さをただ嘆くばかりでなく、少しは意味のある時間を過ごそうと、昼間は近所の市民会館2階の、殆ど誰もいない喫茶コーナーに出かける。冷え過ぎる冷房に備えて長ズボンをはき、上っ張りを持って。そこでの読書については最後に触れるとして、今回はつい最近、テレビのインタビューに出たことについて書いておきたい。放送は、この暑さを避けるために友人と1泊で草津の高原ゴルフを敢行した翌日(7/26)のことである。その日は、わが越谷市の花火大会でもあった。それを目当てに娘一家が泊りにやって来た。

◆孫たちと花火を見た後でETV特集を見る
 花火は目の前の遊水地公園から上がるので、殆ど真上に上がる花火の迫力を2人の孫たち(8歳、6歳)と楽しんだ。今年は、例年より盛大な感じがしたが広報によると、およそ90分の間に5千発も上がったそうだ。それが終って家族みんなが寝室に引き上げた夜11時から、その番組が始まった。ETV特集「忘れられた被ばく者〜トロトラスト 命の記録〜」という1時間の番組である。戦前に開発され、主に陸軍の傷痍軍人を対象に使われた「トロトラスト」という血管造影剤があった。それが体内(主に肝臓)にとどまり、放射線を出し続ける。

 その主成分のトリウムは半減期が141億年。造影剤を使われた軍人や民間人など、多くの人々が、体内に留まったトリウムが発するアルファ線によって肝臓がんを引き起こした。それは、使用から何十年も経ってからというので、その多くが原因も知らされず、補償もされずに亡くなっている。番組は、国の調査と補償が何故放置されたのか、国や医療機関の問題に迫って行く。かつての患者の会や新たな資料も発掘しながらの力作だったと思う。実は、私は若い頃にこの問題を科学ドキュメンタリー番組で取り上げたことがある。48年前のことである。

◆48年前の科学ドキュメンタリーの制作者として
 あすへの記録「30年後のカルテ 体内被ばく者追跡」という番(30分)で、当時はあまり知られていなかった「体内被ばく」という問題に焦点を当てる番組だった。長年、この問題の追跡に取り組んでいた森武三郎さんとともに、カルテの追跡や実際の患者のインタビュー、トリウムがどのように体内に取り込まれるかの実験などで構成したものである。この番組の制作者として、ETV特集のIディレクターから当時の様子について聞かせて欲しいと言われたのは5月だった。それから1か月経った6月に、自宅近くの貸しスタジオでインタビューが行われた。

 2時間近くもインタビューされたが、ディレクターのIさんの関心は、国や医療機関がこの問題を何故今まで放置したのかということと同時に、当初盛んに取り上げたメディアはその後長い間、何故沈黙したのかということに向かっていた。なかなか答えにくいテーマではあるが、当事者の一人としてインタビューに応じることにした。Iさんには最後に「なぜ応じることに決めたのですか」と聞かれたが、私自身は、長年この世界でやって来たのだから、メディアの責任というか、或いは奉仕の精神?で、番組制作には協力しなければという思いだった。

◆メディアの持続力についての私の答え
 番組は、かつての私の番組も引用しながら進んで行った。以下は、その番組の中ほどでメディアの性格的な限界について、私なりに答えた内容である(『』の部分)。「しかし、一時盛んに伝えていたメディアの報道も下火になって行きました」というコメントに続いて。
 『広く言えばメディアの役割はもっと果たすべきだったかもしれないですね。もっと持続的にやるべきだったというようなことにはならなかったんですよね。次から次へと問題が起きて来てそれをやると。もっと大きな地球温暖化の問題とか、原子力の問題というのをやって来たので。そういう意味では、どこかで置き忘れて来た(のかもしれない)』。

 「一時期報道されたにもかかわらず、長年埋もれてしまったという意味では、すごくそのメディアのもろさを感じるんですけど」とIさん。
 『まあ、メディアというのはそういうものなんだと思いますね。リフレイン(繰り返し)みたいなことをずっと言っていても関心を持ってくれない。私の後輩も福島第一原発事故のあと、「メルトダウン」シリーズをずーっと続けているけど、何が新しいんだとか、どういう新しい取り組みがあるんだとか、切り口があるんだとか、それが明確でないと、一つのテーマをずっと持続的に取り上げて行くのはなかなか難しい。そこは悲しいかな、そういうことだと思う。そういう風にして、「忘れられて来た問題」というのは、いっぱいあるんじゃないかな』。

◆様々な問題でとわれる追求の持続力
 その後、水爆実験による被ばくの問題や、トリウム以外の内部被ばくなどについて、海外の事例の紹介などもあった番組の終わりの方で、Iさんから「トロトラストの問題が埋もれてしまったことを考えた時に、これだけ繰り返し被ばくしながら、忘れてしまうのは何故なのか」と質問された。
 『人間は忘れっぽいんです。だって戦後80年でしょう。広島、長崎で焼け野原になるとかね、そういうものすごいことが日本で起きていた、そういうことを皆、ころっと忘れているじゃないですか。どんどん忘れている。そこがやっぱり、人間の悲しいところですね。(Iさんも)問われているんですよ。「このあと、どうするんだ」と』。

 取材を持ち掛けられたとき、自分がどういうきっかけで番組を作ろうとしたのかをすっかり忘れていた。また、その後、他のメディアが盛に取り上げたことや被害者が推定3万人にのぼることも今回初めて知った。私としては、「体内被ばく」というものの恐ろしさを伝えることで、科学番組としての目的は果たしたと思っていたのかも知れない。今回、取材を受けるに際し、放送台本も探してみたが見当たらない。そこで、かつての番組を送って貰ってようやく記憶がよみがえった。自分でいうのもなんだが、かなりしっかりと作られていたので安心した。

◆誰にも伝えなかった放送
 ただ、放送後20年ほどして、あの森武三郎さんからもう一度番組をやれないかと言われたことは鮮明に覚えている。その時は、既に番組の現場を離れていたので難しいと答えた記憶がある。やむを得ないことではあったが、患者の立場に立てば、こういう問題ついては誰かがどこかで声を上げ続けることも、また大事なことだと思う。基本的には当事者たち、被害に責任を持つ国や医療者などの問題ではあるが、それにメディアがどのように関わって行くのか。追求すべきテーマではあると思うが、これを問うことは即、自身に跳ね返ってくる問題にもなる。

 ということで、この件については、胸を張れるようなことでもないので、カミさん以外には誰にも伝えないできた。しかし、放送後何人かの知人から「出ていたのでびっくりしました」という連絡があった。翌日、孫たちが帰るというので、インタビューのパートだけを録画で見せてやった。「じいちゃんの顔、シミだらけだね。ドーランでも塗って貰えば良かったのに」というのが娘の感想だった。まあ、80歳にもなれば何も飾ることはない。いいことも、悪いことも受け止めて淡々と生きて行くしかない。

◆最後に蛇足ながらの近況報告
 読書については、映画監督の友人が「これどうだろう」と言う大部の時代小説を読破した。さらに、同じく脳梗塞で倒れた免疫学者の多田富雄と社会学者の鶴見和子の往復書簡「邂逅」。いのちの奥深さと、(AIより余程刺激的な)生命の進化についての深い考察があった。懸案だった絵の修正もやった(トップ頁下の左側)。ただし、そのビフォア、アフターは「間違い探しより難しい」などと言われている。

老境の「知的生活」あれこれ 25.7.14

 80歳を機にコラム配信を卒業してから、新聞の切り抜きをするにしても、トランプの横暴極まりない関税政策や、参院選挙の各党の主張、教員を始めとした様々な不祥事などについても、一頃のような関心が湧かない。それでは何をしているかと言えば、案外ボーっと暮らしている。しかし、そうこうするうちに、頭の働きまでボーっとしてきて、考えることが取り留めなくなって来た。これではいけないと、出来るだけ知的好奇心を掻き立て、老人は老人なりの「知的生活」を持続しようと努力しているが、以下は、そうした最近の模索の日々である。

◆日本文化を考えさせた本たち
 まずは読書生活。前回触れたように、水村美苗の「日本語が亡びるとき」を読んだ後、彼女の新作「大使とその妻(上下)」(2024年)を読んだ。作家の林真理子が「読み始めたらやめられない」とYouTubeで褒めていたので図書館から借りだした。水村が小説に取り上げたテーマは、ある種、今は忘れかけている日本文化についてで、物語の設定が面白かった。次に、友人が興味を示したアンドレ・マルローの本である。彼の書籍は本棚に沢山ある(西洋の誘惑、征服者、王道、人間の条件、希望など)が、若かりし頃は随分と夢中になったものである。

 さらに、彼の芸術論、反回想録、様々なマルロー伝記、また、戦前戦後にかけてマルローの殆どの著作を日本語に翻訳し、マルローが生涯の友とした小松清の伝記まで。それらが今も本棚に残っている。その中で今回、改めて手にしたのは「アンドレ・マルローの日本」の2冊である。一冊(林俊著)は、1930年代にパリで出会ったマルローと小松清の交流を軸としながら、緊迫する時代の中で、行動的に時代と関わったマルローの著作の翻訳過程、さらには、戦前の日本を訪問したマルローが、日本文化に強く惹かれて行った様子を描いている。

◆マルロー(1901-1976)が愛した日本文化
 もう1冊は、フランス人のジャーナリスト、ミシェル・テマンの著作で、こちらは戦前戦後を通じて、マルローと日本文化の関わりについて書いている。戦前は新進の作家として、戦後はフランスの文化相としてもマルローは、日本文化に深い関心と造詣を示し、様々な日仏文化交流に力を入れた。彼が日本文化に惹かれたのは、その独特な死生観であり、芸術と自然の静謐さ、(那智の滝に観るような)神秘的な垂直性などである。その明晰な審美眼で龍安寺の石庭の象徴性を解読し、さらには、神護寺に残る平重盛像(藤原隆信筆、国宝)の天才を見出した。

 伊勢神宮の遷宮や那智の滝に秘められた精神性と、それに触発された日本人の感性。奈良時代の仏像(百済観音など)に観る静謐さ。何度もの訪日で、「永遠の日本が好きだ」とまで言ったマルローはしかし、敗戦後に急速にアメリカ化していく日本に寂しさも感じていた。経済と物量のアメリカ型資本主義に覆われる日本、あるいは世界全体が、その精神性を失って行く事にマルローは深い失望を感じていた。マルローが死んではや半世紀。物質文明と知性の劣化が世界にはびこる時代になった。彼が愛した日本文化は、この先どうなって行くのだろうか。

◆話題の映画「国宝」とギリシャ悲劇
 こうした問いに答える訳ではないが、ここで最近観た2つの作品を取り上げたい。一つは、今話題の映画「国宝」(李相日監督)で、興行収入が50億円を超えそうな勢いである。思わぬ経緯から歌舞伎の世界に飛び込んだヤクザの子供(吉沢亮)と家元の御曹司(横浜流星)の愛憎がぶつかり合う人間ドラマと、歌舞伎の女役としての演技の見事さが話題になっている。歌舞伎の世界の厳しい鍛錬や美しい舞台には目を見張るものがあるが、これを観た友人(監督)は、全く評価していなかった。設定の不自然さとあざとさがダメだったのかも知れない。

 確かにこの映画は、日本映画の自然な感情の流れや余韻、しみじみとした情感とは程遠いものである。むしろ、運命がもたらす愛憎、羨望、嫉妬、誇り、屈辱といった非日常の感情がぶつかり合う構図は、ギリシャ悲劇に近い構造を持っている。そうした様式美とドラマ仕立てが歌舞伎の世界の様式美と相まって観客を魅了したのだろう。その意味では、あざとさも計算のうちかも知れない。しかし、確かに主役2人の華麗な女形の演技には目を見張るが、果たして記憶に残る余韻が何だったのかとなると、それでどうなの?と思うのは酷だろうか。

◆アブダビで壮大なアート空間に挑戦
 もう一つはテレビ番組である。NHKBS「未来と今をつなぐ美術館 アブダビ国家プロジェクトに挑む チームラボ」(7/5)。その壮大な挑戦に感心した。中東UAEのアブダビ・サディヤット島では観光と文化政策の目玉として、博物館、美術館(初のルーブル美術館別館など)、宗教施設の建設といった一大プロジェクトが進行中。中でも中心を占めるのが、日本のアート集団「チームラボ」(代表、猪子寿之)が取り組む「チームラボ・フェノミナ」(写真)だ。巨大な内部空間にデジタル制御のプロジェクションやユニークな浮遊物で驚異の空間を作って行く。

 それは、人間の感覚世界を根底から揺るがす実験でもある。代表の猪子は「人間にとってこの世界は何なのか」、「自分自身がこの世界と一体化していると感じるのはどういう時か」と問いながら、究極の表現に取り組んでいく。スポンサーのアブダビ環境局長は「UAEでは200以上の国籍の人々が暮らしているが、すべての文化や歴史を受け入れる。だからこそ、アブダビでは、文化こそが未来の社会の基盤であると信じている」と言う。まさに、ソフトパワーで世界に存在を示す意気込みである。それに応えようとしている若き日本人アート集団が頼もしい。

◆AIに生命進化の新たな考え方を質問
 マルローが心酔した奈良時代から現代に至る日本文化の精髄は、アメリカ型消費文化の氾濫の中で消えかけている。しかし、日本文化は前回にアップしたようにソフトパワーの大事な一翼を担って行く筈だ。その精髄の持続と新たな可能性の追求が、国家としての存在感を高めて行くことを意識して、日本も文化政策に本腰を入れて欲しい。一連の読書と鑑賞で改めてそう思った。さて、これも老境の「知的生活」に当たるかどうか。最後にAIとの対話で進めているテーマについて書いておきたい。それは、生命進化の新たな考え方についてである。

 Nスぺ「人体V」での生命の最小単位である初めての細胞(LUCA)の出現、その中の精妙で複雑な小宇宙を見たり、あるいは、科学技術ジャーナリスト会議での講演(「iPS 細胞から“卵子や精子をつくる”」(6/20斎藤通紀、京都大)を聞いたりして感じた疑問がある。その疑問をAIにぶつけてみた。それは「そのような超精密な生命体を作り出す時に働く力は、従来の進化論のように「適者生存」や「環境適応」などの単純な論理では説明しきれないように思われます。現時点で、生命を生み出し、さらに高度な生命体に導く時の最新の考え方を教えて」に始まる質問である。
 
◆AIをプレゼンターにする番組企画?
 さらには、「無性生殖から有性生殖への飛躍(これには4つの段階があると言うことが分かって来たらしい)の際に働いた駆動物質」などは、なぜ出現したのか。それを促した進化の力についても質問しみた。その答えは、驚くべきもので、AIは進化論に関するすべての説を網羅した上で、さらにそれを統合するAI独自の仮説「情報生成原理仮説」なるものを提示して来た。その仮説をもとに、AIをプレゼンターにする「生命はなぜ生まれたのか? 進化の意味を問う90億年の旅」なる番組企画も作らせて見た。実現は難しいだろうが、何か興味深い。

 「この宇宙には、もともと無秩序なものが意味ある形に変化しやすい力が僅かに備わっていたのではないか」。「宇宙誕生そのものが秩序と意味を持ちたがる出来事だった」。これはある意味、神の領域にも関わる提示である。詳細は次回以降にするが、老境の「知的生活」も、こうなるとなかなかに刺激的ではある。

ソフトパワーは生かせるか 25.6.30

 作家、水村美苗の「日本語が亡びるとき」は、近代に入ってからの国語(日本語)の成立をひも解きながら、その書き言葉の文化的継承が危うい現状を憂えた本だが、その中に幾つもの心に響く言葉がある。例えば、政府の国民に対する義務について簡潔に書いたくだり。それは、「日本人としてもっとも考えなければならないことを、国民に代わって考えることにある」と言い、一つは、「日本の国益を考えること」。そして、国益のさらに先に、「日本という国が、人類全体のために、いかなる役割を果たすべきかを国民に代わって考えることにある」と言う。

 今の世界は、ロシアによるウクライナ侵略、イスラエルのガザに対する攻撃に加え、トランプの登場が世界の分断と緊張、そして不安定化に拍車をかける状況にある。日本もアメリカの理不尽な関税戦争のターゲットにされ、軍事費のさらなる増強の圧力も受けつつある。こうした中で、日本の国益をどう考えるか。中露、北朝鮮とアメリカに挟まれながら、どう平和と安定を保つのか。どこまでもアメリカに追随して行くのか。あるいは、この不安定と緊張の世界の中で、人類全体のために、いかなる役割を果たすべきか。それこそが政治の役割になって来る。

◆日本のソフトパワーとは?
 こういう難しい状況下で、日本が世界の平和と安定に少しでも役立つことがあるとすれば、それは中途半端な軍事力ではなく、日本がこれまで培ってきた「ソフトパワー」なのではないか、というのが今回のテーマである。ソフトパワーとは、軍事力に頼らずに、自国の価値観や文化で他国を魅了し、味方につける力であり、自国の魅力を通じて、他国に与えられる影響力のことを言う(ウィキペディア)。例えばフランスが言語や芸術の普及を国家戦略とし、中国が「一帯一路」を通じて価値観輸出と経済支援を融合させようとするのも、その一つである。

 では、日本は、そのソフトパワーを有効に行使しているだろうか。そもそも、日本のソフトパワーとはどんなものなのか。国際的な観点から幾つかあげれば、それはまず、平和国家として生きるという国の姿だと思う。アメリカの同盟国として軍増強備を強いられる日本であり、核の傘に頼っている日本だが、憲法9条を放棄しない限り、日本は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は 武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」ことになっている。これが、分断と緊張の世界で対話を促す力になるかどうかである。

◆地球的課題への貢献と日本の文化的特性
 さらには、地球的課題への貢献をベースにした発言力である。例えば、地球環境、防災、教育、貧困などの国際的課題に対して、日本が国際機関との協力を通じて長年の間に培ってきたものである。あるいは、開発協力(ODA)を通じて、途上国の自立に寄り添ってきた実績が日本への信頼につながっているということもある。こうしたソフトパワーは、どこかの大国のように、上から目線であったり、露骨に見返りを求めたり、あるいは仲間を増やす手段であったりするのではなく、普通に安心感や共感を呼び、国際的な場での日本の発言力につながり得る。

 もう一つ、今の世界において力になり得る要素として、日本の文化的特性がある。それは、宗教間の対立が深刻になる国際情勢にあって、日本の寛容な宗教感覚が緩衝材として力を発揮する可能性である。ご存じの通り、日本では神道、仏教、儒教などの伝統的宗教が融和的に混在し、一つの文化を形成している。他者の宗教を否定しない寛容な立場が、紛争や国際的緊張を、緩和する力になるかも知れない。こうした文化的特性については、様々なアニメなどの発信によっても「自然への畏敬」、「自己犠牲」、「思いやり」などの価値観として国際的に理解が広がってもいる。

◆「ソフトパワー戦略」と必要な英語力
 問題は、日本政府がこのソフトパワーを自覚的に行使し、国際的に有効に活かしているかどうかである。それぞれの国際貢献を個別に展開しているだけで、そこに総合的な戦略が見えない。この点で、今の政府には「ソフトパワー戦略」といった構想がまだ不足しているのではないか。戦後長い間、日本は戦争の罪滅ぼし、あるいは平和国家として、国際平和への貢献を地道にやってきたが、世界が混迷する今の時代にあって、この戦後努力をどう生かすのか、具体的な「ソフトパワー戦略」が見えにくい。この点で、先の水村美苗のもう一つの指摘が興味深い。

 それは日本の英語教育に関することである。今の日本人の英語力は私も含めて道を聞かれても困る程度だ。それを改善するために政府は、国民総バイリンガル的な英語教育を始めているが、彼女によれば、国際的に必要な英語力はそういうことではない。それは、一部でもいいから、日本人として英語で意味のある発言が出来る人材の育成である。交渉の場で堂々と意見を述べ、意地悪な質問には諧謔を交えて切り返すことも出来る。そういう英語力のある人材がいかに少ないか。ソフトパワーの発揮には、そういう総合力がものを言ってくるに違いない。

◆内側から磨いて行くソフトパワーの現状
 さらに、日本のソフトパワーを考える上で大事なことがある。国際的に見て、日本の魅力と思われるものを国の内側から磨いて行く事である。今の日本はオーバーツーリズムと言われるくらいに観光客が増えている。多くは、日本の文化的、あるいは、自然的な魅力に誘われて来るのだが、その魅力を磨く努力を日本は本気になってしているだろうか。日本のソフトパワーの源泉になっているのは、かつて世界に上位を占めた科学技術力や文化・芸術の発信である。さらには、インフラ、治安、教育、医療などの社会的共通資本と言われる分野での成熟だった。

 しかし、そうしたソフトパワーの源泉が、日本の経済的衰退などによって、足元が揺らいでいる。文化行政に至っては、日本は国家予算に占める割合がフランスの8分の1、韓国の10分の1だと言う。日常の振る舞いに宿る日本の良さ、清潔さ、譲り合い、公共空間への配慮など。こうした日本のブランドも無策であれば、いつまでも保持できるものではない。国際的に、そのソフトパワーを発揮して行くためにも、日本は自国の魅力を内側から磨き、高めて行く努力が欠かせない。内側と外側の2つに視点を置いた「ソフトパワー戦略」が必要になる。

◆世界的な劣化の中で頑張れるか
 日本のソフトパワーは、それを戦略的に生かして行けば、日本の国際的な発言力を高める「しなやかで強靭な力」になり得る筈だ。しかし、そこには、やはり努力がいる。今の日本は、増加する外からの観光客を迎えて、自己満足的に日本の良さを数え上げる「内向きの」思考に染まっている。またアニメやコスプレなどの表面的な発信に浮かれて、真に伝統的な文化力の理解をおざなりにして来た。日本近代文学の基礎となった、書き言葉としての日本語の理解も、今や絶望的だ(水村美苗)。ソフトパワーを生かすべき政治も劣化の一途をたどっている。

 しかし、劣化は日本ばかりではない。トランプを始めとして政治の劣化は世界中で起きており、人類社会は混迷と混乱の時代に入ろうとしている。そういう時だからこそ、日本は自国が持つ「ソフトパワー」に着目して、これを有効に生かして行けるか。今は無策と無能な政治ばかりがはびこる時代だが、政府の役割が「日本という国が、人類全体のために、いかなる役割を果たすべきかを国民に代わって考えることにある」というなら、こういう視点でふんどしを締めなおすことも大事ではないかと、日々、目の前の些事に右往左往している政治家に言いたい。

 最後にもう一つ。日本が軍事力に頼らない「ソフトパワー」で世界の安定に貢献できるとしたら、それはアメリカ型資本主義を唯一の世界標準としてきた世界に、もう一つの多様性を示すことにもなる。その普遍性を世界に広げることが、日本の世界史的使命かも知れないと、これは水村美苗の夫である岩井克人(経済学者)が言っている(5/22、朝日)。そんなことが今の日本に可能かどうかが問われている。

80歳の大台に乗って思うこと 25.6.19

 5月末に無事、満80歳の誕生日を迎えることが出来た。私の人生は日本の戦後史と重なる。敗戦2か月半前に福島県の疎開地で生まれ、戦後の貧しい時代を茨城県日立市で育ち、高校、大学くらいから日本の高度経済成長を目の当たりにして育った。小学校時代は自然に恵まれた環境の中で、様々なものの採集に励み、工作少年として時間を過ごした(「人生の趣味の季節」2006.1.5)。今振り返ると、それぞれの節目で、極めて濃密な時間を過ごして来た思いがする。その節目節目の積み重ねで80年。そこそこ健康で今を迎えられたことには感謝しかない。

 遠方の子供からはメールとLineのメッセージがあり、月末には、娘一家が(私の提案だったけれど)「傘寿の祝い」を開いてくれた。孫たちからおめでとうのお手紙と花束を貰って80歳になったことを一つ実感した。この「メディアの風」のコラム執筆を卒業したのを機に、しばらくのんびりと庭木の剪定や読書、ゴルフなどを楽しむことにして、先日にはカミさんとともに、福井市での義母の49日の法要と納骨式に立ち会ってきた。前後して金沢市に立ち寄り、かねて訪ねてみたかった「金沢21世紀美術館」を見学し、帰りには山代温泉に一泊した。

◆十年一日の如く流れる時間を実感する
 97歳で逝った義母の49日には近親者の6家族13人が参加。義母の3人姉妹の娘たち(カミさんの従姉妹たち)も参加して、昔話に花を咲かせていた。義母の末妹は94歳で元気だそうだ。それぞれの家族が、スマホで家族の写真を見せ合いながら、子供の成長を語り、孫の成長に喜びを感じ、各人各様の人生の時を過ごしているのを確認し合う。亡くなった誰それの思い出も含めて、そこに家族の歴史の時間が流れていたとことに、ある種の感慨を持った。集まった人々は皆、名もなき庶民に過ぎないが、そのようにして誰の身にも時は平等に流れて行く。

 様々な節目はあるにしても、そこに流れている時間は、離れて見れば「十年一日の如し」だ。特に、80歳の大台に乗った後の時間などは、人生の“おまけ”などとのんびり構えていると、あっと言う間に過ぎて行くだろう。それが別にまずい訳ではないが、出来ればあと5年くらい続けられる、一つの軸になるような、何か楽しみを探せたらと思っていた。しかし、それがなかなか見つからない。そこで考えたのは「この1年をその模索の一年としよう」ということだった。絵の再開、ゴルフ、旅、読書などなどを楽しみながら、とりあえずはのんびりと。

◆そうして「ボーっと」暮らしていると
 さて、そうして「ボーっと」暮らしていると、いつの間にか「十年一日」のような、その日暮らしに近づいていく。それも悪くはないのだが、不思議なことにたちまち現実世界への関心が薄れる事に気が付いた。今、世界はイスラエルとイランの戦争、悲惨なガザ攻撃、ウクライナ戦争、そして「自国第一」による大国のエゴが幅を利かす混迷の時代に入りつつあるが、そんな悲惨なニュースも見たくなくなる。番組企画の仕事についても、油断すると距離を感じることに気が付いた。これでは、いくら「ボーっと」暮らすと言ってもまずいのではないか。

 「この1年は模索の年」と位置付けて、80歳ならではの楽しみを試してみるというアイデアは、ぱっと見、素晴らしいと思えたが、そんなに悠長に構えていていいのだろうか。それとも生来の貧乏性なのだろうか。先日の「21世紀美術館」では、駆け足の見学だったが、現代美術の情念の強さを感じた。その情念が各自、生の形で声を発している。そのような作品の力強さに比べるべくもないが、私の方も何とか絵心の刺激を受けて、絵の再開に漕ぎつけたい。エアコンの効く部屋の環境を整えて、とりあえず、前回に完成した絵の修正から始めることにした。

◆ふと「ソフトパワー」という言葉が頭に
 読書の方は、市立図書館に行って読みたい本を探しているが、これも「ボーっと」生きているせいか、関心の的が定まらない。先日は、友人お勧めのハードボイルド、チャンドラーの「長い別れ」と「プレイバック」を読んだ。皮肉屋で自分に厳しい私立探偵、フィリップ・マーロウの「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」の有名なセリフが出て来るのは後者である。福井往復の新幹線では、原田マハの「たゆたえども沈まず」を読んだ。こちらは、ゴッホ兄弟の苦悩と愛情をパリの日本人と絡めたフィクションである。

 このように「模索の1年」と考えて、ボーっと暮らし始めると、世界や時代の動きへの関心が薄れて来る。この20年、コラムを書くために、時代と向き合って来たのとはエライ違いである。それでも惰性で、新聞2紙を読み、心に留まった記事を切り抜く作業は続けている。目の前の事象を追うというのではなく、数は少ないが、歴史や文化的、文明的な題材が中心になる。そんなテーマは、番外編として、時々「風の日めくり」で書いて行ってもいいのではないか。そう思いながら、最近ふと頭に浮かんだ言葉がある。「ソフトパワー」という言葉である。

◆世界平和に貢献できるソフトパワーはあるか
 それは、これだけ世界が大国によってかき乱され、混迷を深めていく時に、日本はどうすればいいのかと言うことである。大した軍事力も持たない日本は、どこまでも「下駄の雪」のようにアメリカに追随して行くのがいいのか。それとも、独自の軍事力増強に走るのか。むしろ大事なのは、軍事力に頼らない日本独自の「ソフトパワー」を発揮して、世界の安定に寄与することではないか。そのために日本は、自分の何を磨くのか。世界の混迷に対処、貢献するための日本の「ソフトパワー」についてAIと会話を重ねてみた。まずは、その質問である。

<AIへの質問>
 『トランプ大統領の「自国第一主義」といった政策で、多極化する世界。それぞれの大国が自国の利益を最優先する時代に入って、大国同士の主張が激しくぶつかり合い、世界がますます不安定化して行く可能性があります。そうした中で、日本が世界に協調と融和を呼びかけながら世界の安定に寄与して行くのに有効なのは、軍事面でのハードパワーなどより、日本が持っている「ソフトパワー」ではないでしょうか。
 この点から考えた時に、日本のソフトパワーとは何か、日本が自覚的に行使して行く際の定義や、具体的な力を明確にする必要があると思います。日本が世界に貢献できるようなソフトパワーを具体的に挙げてみて下さい。』

◆「日本のソフトパワー」のコラムを書かせる
 AIは、ほぼ瞬間的に日本のソフトパワーの具体例を吐き出して来る。それを見て私は、そのソフトパワーをA、Bの2つのタイプに分け、日本が存在感を高め、世界の安定に貢献して行く際に備えるべき「ソフトパワー立国としての国家ビジョン」を、コラムとしてAIに書いて貰うことにした。その質問は。

 『大国のエゴが幅を利かし、ぶつかり合う中で、戦後の自由や民主主義といった国際的価値観が薄れ、深刻な対立、分断、衝突の危機が高まっている時に、日本独特のソフトパワーは貢献できるか。そういう問題意識を提起するために、国際的混乱、緊張、混迷の中で生かすソフトパワー(Aタイプ)と、日本自身が生き残りのために内なる魅力を高めるべきソフトパワー(Bタイプ)に分けて、その両面の重要性を訴える内容にしてください。同時に、日本のソフトパワー的国家像は、日本だけの戦略ではなく、これからの世界が模索すべき普遍的な価値観になり得るということも強調したいですね。』

 コラムについてのAIの自己評価は、時代認識の深さなど高評価だが、その内容は、近々、私なりに手を入れて「風の日めくり」の番外編にまとめてみたい。何しろこの1年を模索の年と言って、日々「ボーっと」暮らしていると、頭が劣化する一方の感じもするので、少しは頭の体操もしなければと思う日々である。

O君の死と命を巡るあれこれ 25.5.23

 高校の同級生のO君から癌の知らせがあったのは、去年の2月だった。肺に何か所か癌がみつかって、手術は無理と言われたこと。ステージ4と言うことだった。抗がん剤治療を始めるにあたって、効果がありそうな薬を見つけるのに、その癌がどこから来たものか、いろいろ調べているうちに肺がんのもとになった胃がんが見つかった。こちらは手術可能ということで、胃の切除手術を受けたが、胃がんから転移した肺がんの治療薬はなかなか難しいと言うことだった。その間、医療に詳しい大先輩に何度か相談に乗って貰い、電話で励ましていた。

 抗がん剤による治療の副作用にも耐えながら、強い意志で癌と闘っていた。途中、セカンドオピニオンを求めるために、がん研究有明病院を訪ねたりしたが、現在の治療方針が適当との答えだった。定期的に私や映画監督のK君などが彼に電話を入れながら、治療の進展を尋ねて同級生仲間と情報を共有していたが、主治医も驚くほど癌マーカーの値が下がった時もあって、O君は果敢に病と闘っていた。O君と私たち6人の同級生は、もう15年位前から時々お茶の水の蕎麦屋の2階をなじみにして、定年後の様々な話題を肴に、集まっては酒を酌み交わして来た(写真は2013年、右端がO君)

◆終戦の年に生まれて80年の幸せ
 コロナで集まれなくなってからは、リモートでやっていたが、彼ががんになってからも、抗がん剤治療の合間を縫って続けた。最初のリモートでは、癌の発見からこれまでの経過を詳細なパワーポイントにまとめて、メンバーに報告。彼らしい律儀さだった。また、去年の11月には思うところがあったのか、(彼が関係していた勉強会などに寄稿した)これまでの人生を振り返ったような手記をメールで送って来た。組合で会社のトップに逆らって恨みを買い、札幌に飛ばされて7年間も塩漬けにされたこと、しかし、最後は監査役で充実した人生だったこと。

 その彼が言っていたことは、終戦時に生まれた我々は実に恵まれた人生だったということである。生きている間、戦争がなかったことが何よりの幸せ。そして経済が右肩上がりで暮らしがどんどん良くなっていったことである。それは、私も全く同感である。そうこうするうちに4月半ば、緊急に入院したと言う。心配して奥さんに電話したら、かなり重篤らしかった。奥さんも心労で35キロにまで体重が減ってしまったという。K君と2人でどうしたものかと話しているうちにまた連絡が来た。二人には、病院で会ってやって欲しいということだった。

◆O君の最終局面を病院に見舞う
 会っても、分かるかどうか分からないと言うが、K君と相談して先月28日に病院を訪ねた。会って何を言ったらいいのかと随分と悩んで、経験豊富な医療の大先輩(98歳)に聞いてみた。すると「聴覚は最後まで残っているので、大きな声でなくても、耳元で静かに話せばいい」と言ってくれた。面会時間に合わせて2人で訪ねると、目は開いているが視線を動かすことも出来ない。耳元で「やっと会えたね」と手を握り「分かる?」と聞くと、答えようとして喉仏が動くような気がする。「もう一本、君にも観て貰いたかったけどなあ」とK君も言う。

 「いい時代を生きて来たと君も言っていたが、本当だよね」と私は言った。そうして短時間だったが、面会時間が終り、私たちは談話室に移って奥さんと話をした。奥さんは痩せていたが、「私が倒れるわけには行かないので」と気丈だった。私たちは「今日は、奥さんを励ますために来たのだから」と、身体をいたわるように伝えて病院を後にした。帰りに、K君とお茶を飲んだ。子供がいない彼は徹底していて、「オレは癌になったら、治療は一切しない」、「死んでも誰にも知らせない」、何年か後に「彼はもういないんだ」と気づかれる風にしたいと言う。

◆自分の命は、何によって生かされているのか
 某日。私が80歳になるというので、もう一人の先輩が「平均余命」のデータを送ってくれた。80歳の男性の平均余命はおよそ9年。80歳現在で不健康な人も、健康な人も含めた平均なので、「あなたは、90歳は超えるよ」と言って。まあ、健康寿命はもっと短いので健康かどうかが問題なのだろう。しかし、この歳になると、自分の命が何によって生かされているのか、とんと分からなくなる。自分の命を何がどのように維持しているのか。Nスペの「シリーズ人体3、命とは何かを見ていると、命は自分であって自分ではないようなものに思える。

 人間の身体は40兆個の細胞で出来ているが、その一個一個の細胞の中は、まるで宇宙のような膨大かつ複雑な構造を持っていて、その中で様々なキャラクターが生命を維持するために、常に動き回っている。その一個一個の細胞の集合体が、ある場合は臓器になり、ある場合は脳を形成する。自分を自分と認識している脳細胞にしても、その中には膨大な宇宙的構造があり、それぞれのキャラクターたちが、何かの法則によって動いている。そのようなミクロの構造とキャラクターたちの働きによって、80年も生きて来た自分というのは一体何なのだろう。

◆見舞った一週間後に旅立ったO君
 そういうことを考えると、これが自分だと思っている自分は、常にかりそめのものかも知れない。さらに、生きていることと、死ぬことの境は何なのか。命を支える微細で膨大な構造物たちが、次々と活動を停止し、それによって支えられてきた細胞群が物質に変わって行く。細胞の中の微細な働きと構造が分かって来た時、人間の生命のどこまでが分かったと言えるのだろうか。その後、奥さんから、O君は私たちが見舞った一週間後に旅立ったという連絡を受けた。お葬式は家族でやり、49日には知人にも声をかけて納骨式をやるということだった。

 「いつも頼りにしていたお二人に会えて、主人も喜んでいたと思います」と言ってくれた。先月は、義母の最終局面を見舞い、次いでO君の最終局面を見舞った。特にO君の場合は、会って何を言うか悩みもしたが、それぞれ最期の別れが出来たことは、ある種の満ち足りた気持ちを私に残した。あまり突き詰めて考えていないが、それは多分、人と人との関わりだろうと思う。現代はそれがだんだんと希薄になって、人の死は一つの情報でしかなくなっていることが多い中で、その体験は何か手触りのようなぬくもりを感じさせたのかも知れない。

◆気が付けばいつも身近にあるテーマ
 心配してくれていた大先輩と仲間たちには、O君逝去の報告と奥さんからの感謝を伝えた。こちらは49日が過ぎた所で、いつもの蕎麦屋の2階で偲ぶ会をしようかと思っている。長く続いて来た仲間の会だが、この間に2人の仲間がそれぞれ子供を失うという言いようのない悲劇にも会った。少し落ち着いたところで、哀しみを分かち合う集まりを持ったが、「死とは、命とは」は、気が付けばいつも身近に存在する大テーマである。
 偲ぶ会は年齢を考えて昼食会にする手もあるが、やはり夜の方がいいかも知れない。あまり飲み過ぎないように気を付けながら。

花の季節に想う命のゆくえ 25.4.27

 花の季節が巡って来て、今年も元荒川の堤防のそばに立つ満開の桜に会いに行った。数年前に「花満ちて命のままの立ち姿」と詠んだ桜である。まもなく80歳になる私だが、どこかに、この桜にもいつまで元気で会いに来れるかという気持ちがある。花は毎年同じように咲くが、それを見る人間の側には、それぞれに歳月が刻む変化があって、同じと言うわけには行かない。満開から花吹雪まで、散り際の潔さ、儚さで日本人のこころを捉えて来た桜だが、それを見続けて来た人間の側からすれば、この季節はとりわけ、「いのち」のあり様を感じさせる。

◆アートに触れる春と孫娘の小学入学
 そうした季節感をベースに、この一か月をせき止めておきたい。某日。今はNYに住んでいる次男の奥さんの実家(木更津)を夫婦で訪ねた。先方のご主人が長く収集して来た美術品のうち、千葉県ゆかりの画家たち40人の絵の展覧会を私設の美術館(わたくし美術館)で行うと言うので見に行ったのである。有名どころで言えば、青木繁、浅井忠、田中一村、菱川師宣などの他に、葛飾北斎の肉筆画まであって、ご主人の解説を聞きながら楽しく絵を鑑賞した。3月末には、NYで金継師をしている次男の奥さんがNスぺで紹介されると言うおまけもあった。

 「新・ジャポニズム」という番組で、美大出の彼女がNYに行ってから本格的に修行した金継で、外人さんたちを教えている様子である。いま、そうした日本文化が人気なのだそうだ。ビジュアルアーティストの次男も、奥さんも、孫たち(バレエとアート)も、それぞれに好きなことに打ち込んでいるのが、素晴らしいと思う。某日。一番下の孫娘が小学校に入学。3月生まれなので、皆より一回り小さく、ランドセルに隠れるくらいだが、入学式の朝の動画で娘から「どういう気持ちですか?」と聞かれて「ワクワク」と答えていた孫娘も、元気に通っている。

◆母親を見舞いに、福井市を訪ねる
 某日。お世話になっている番組制作会社での新人研修。今年は2人と少なかったが、番組企画の考え方などを講義した。既に番組制作の現役時代から50年も過ぎているのだが、「常に新しい表現に挑戦する」という“テレビの心”は変わらないと思い、引き受けている。最近はAIの取り込み方とか、ネットを含めた発信の多様性とか、視野に入れるべき要素は広がる一方だが、それでも、愚直に伝えるべきものを、見る側の心に届くように伝えるという精神は変わらないと思う。この混迷の時代に若い世代が模索して行くテレビの可能性に期待したい。

 某日。カミさんの母親を見舞いに、福井市を訪ねた。母親は97歳。長らく弟夫婦が献身的に看てくれていたが、今年に入って体調を崩し入院しているので、弟夫婦に感謝方々、最後のチャンスと思って会いに行った。きれいな明るい老人病院で、母親も綺麗な顔をしてベッドに寝ていた。最初の日は、呼び掛けても目をあかず、いよいよかと思ったが、次の日は目をぱっちりあけて、じっとカミさんの呼びかける顔を見ていた。ただし、もう会話は出来ない。私が呼びかけるとしっかり視線を向けて来る。3日目も視線だけの会話を交わし、病院を後にした。

◆97歳。義母の大往生
 3日間の福井訪問だったが、その間、弟夫婦と墓参りがてらに桜のトンネルを見たり、2人で市内の桜通りを歩いたりした。50年前に勤めていたNHK福井放送局も訪ねてみた。建物は全く当時のままで、(私たちが30年前に開発した)卵のロゴマークが、まだ壁面に残っていた。玄関を入って若い受付嬢に「50年前にここで働いていたんですよ。古いままですね」と話しかけると「ホントに」と答える。駅前は恐竜の像が出来たり、高層ビルが建ったりしているが、古いところは古いままである。夜には、弟のなじみの鮨屋で念願のカニを食べながら夫婦をねぎらった。

 その97歳の母親は、福井から帰って半月後の4月27日に亡くなった。最後まで苦しむことなく、眠るように安らかに逝ったそうで、大往生と言えるだろう。子供たちにもカミさんからメールで知らせると、それぞれから丁寧な挨拶が返って来た。私の方は、仏壇に向かって、さらにはいつもの寺にお参りして般若心経を唱えながら冥福を祈った。母親の場合は大往生だが、最近は同年配や後輩の訃報が届くようになった。それだけ、こちらも何があってもおかしくない年齢に差し掛かって来たのだろう。周囲に、病と闘っている友人たちも増えて来た。

◆いのちのゆくえが気になる春
 重い肺がんと闘っている同級生。喉頭がん治療中の友人。あるいは前立腺がんの治療に入ろうかという友人。認知症の先輩などなど。大先輩を中心に集まっていた勉強会も一人欠け、二人欠けして、存続が難しくなった。皆、無事に乗り越えて欲しいと願いつつ、そういう友人先輩とのつながりの中で、改めて自分が置かれている年齢の重みを感じざるを得ない。私の方は、あと1カ月弱で80歳。先日来、睡眠中にきつい頭痛で目が覚めることが多くなった。ネットで調べると「睡眠時頭痛」という症状があって、脳神経外科でMRIを撮ったりした。

 そのMRIには、異常が見つからなかったので、今度は睡眠時無呼吸の検査もした。その結果は、近々聞いてくるが、睡眠に関する症状も老化に伴う悩みの一つと言っていい。そうした故障を幾つか抱えて、薬で微調整しながら、日々を何とかやり過ごしている。それは若い頃のように決して軽やかと言うわけには行かない。深い雪道を、雪をかき分け、一歩一歩踏みしめながら歩いているような日々である。ただし、これらの日々もいつか終る時が来ると思うと、ただ漫然と過ごすのはもったいない気がする。こうした日々をどう過ごして行くか。

◆人生の終盤に向かって続く手探り
 昔、「閑に耐え、煩に耐え、もって大事をなすべし」という箴言を読んだ記憶があるが、今は「閑に耐える」ことが大事。退屈に耐えながら、ゆっくりと、しかし一歩一歩を噛みしめるように日々を送ることかも知れない。最近読んだ本に、坂本龍一の最後の日々を綴った「ぼくはあと何回、満月をみるだろう」がある。癌を発症してからも、治療を続けながら精力的にアーティストとしての活動を続けて行く。2年前に71歳で亡くなった坂本は、それこそ何千人分の一生を送った人だが、平和や脱原発、地球温暖化への警告、被災地支援などの軸も貫いた人だった。

 いのちのゆくえが気になる春。その花の季節もあっという間に過ぎて、初夏の陽気になった。そんな季節の巡りの中で、私の方は、若い世代から元気を貰いながら、気負うこともなく淡々と、一日一日を噛みしめながら、人生の最期に向かって手探りして行く。同時に、80歳を機に「メディアの風」をどうするか。「日めくり」はともかく、コラムの方をどのように店じまいするのかについては、まだ答えが見つかっていない。前回のコラムのようにAIを上手く使うと、もう少し続けられるような気もするが、これも手探りしながら、あれこれ模索してみたい。