温暖化の猛暑が続いている。その暑さをただ嘆くばかりでなく、少しは意味のある時間を過ごそうと、昼間は近所の市民会館2階の、殆ど誰もいない喫茶コーナーに出かける。冷え過ぎる冷房に備えて長ズボンをはき、上っ張りを持って。そこでの読書については最後に触れるとして、今回はつい最近、テレビのインタビューに出たことについて書いておきたい。放送は、この暑さを避けるために友人と1泊で草津の高原ゴルフを敢行した翌日(7/26)のことである。その日は、わが越谷市の花火大会でもあった。それを目当てに娘一家が泊りにやって来た。
◆孫たちと花火を見た後でETV特集を見る
花火は目の前の遊水地公園から上がるので、殆ど真上に上がる花火の迫力を2人の孫たち(8歳、6歳)と楽しんだ。今年は、例年より盛大な感じがしたが広報によると、およそ90分の間に5千発も上がったそうだ。それが終って家族みんなが寝室に引き上げた夜11時から、その番組が始まった。 ETV特集「忘れられた被ばく者〜トロトラスト 命の記録〜」という1時間の番組である。戦前に開発され、主に陸軍の傷痍軍人を対象に使われた「トロトラスト」という血管造影剤があった。それが体内(主に肝臓)にとどまり、放射線を出し続ける。
その主成分のトリウムは半減期が141億年。造影剤を使われた軍人や民間人など、多くの人々が、体内に留まったトリウムが発するアルファ線によって肝臓がんを引き起こした。それは、使用から何十年も経ってからというので、その多くが原因も知らされず、補償もされずに亡くなっている。番組は、国の調査と補償が何故放置されたのか、国や医療機関の問題に迫って行く。かつての患者の会や新たな資料も発掘しながらの力作だったと思う。実は、私は若い頃にこの問題を科学ドキュメンタリー番組で取り上げたことがある。48年前のことである。
◆48年前の科学ドキュメンタリーの制作者として
あすへの記録「30年後のカルテ 体内被ばく者追跡」という番組(30分)で、当時はあまり知られていなかった「体内被ばく」という問題に焦点を当てる番組だった。長年、この問題の追跡に取り組んでいた森武三郎さんとともに、カルテの追跡や実際の患者のインタビュー、トリウムがどのように体内に取り込まれるかの実験などで構成したものである。この番組の制作者として、ETV特集のIディレクターから当時の様子について聞かせて欲しいと言われたのは5月だった。それから1か月経った6月に、自宅近くの貸しスタジオでインタビューが行われた。
2時間近くもインタビューされたが、ディレクターのIさんの関心は、国や医療機関がこの問題を何故今まで放置したのかということと同時に、当初盛んに取り上げたメディアはその後長い間、何故沈黙したのかということに向かっていた。なかなか答えにくいテーマではあるが、当事者の一人としてインタビューに応じることにした。Iさんには最後に「なぜ応じることに決めたのですか」と聞かれたが、私自身は、長年この世界でやって来たのだから、メディアの責任というか、或いは奉仕の精神?で、番組制作には協力しなければという思いだった。
◆メディアの持続力についての私の答え
番組は、かつての私の番組も引用しながら進んで行った。以下は、その番組の中ほどでメディアの性格的な限界について、私なりに答えた内容である(『』の部分)。「しかし、一時盛んに伝えていたメディアの報道も下火になって行きました」というコメントに続いて。
『広く言えばメディアの役割はもっと果たすべきだったかもしれないですね。もっと持続的にやるべきだったというようなことにはならなかったんですよね。次から次へと問題が起きて来てそれをやると。もっと大きな地球温暖化の問題とか、原子力の問題というのをやって来たので。そういう意味では、どこかで置き忘れて来た(のかもしれない)』。
「一時期報道されたにもかかわらず、長年埋もれてしまったという意味では、すごくそのメディアのもろさを感じるんですけど」とIさん。
『まあ、メディアというのはそういうものなんだと思いますね。リフレイン(繰り返し)みたいなことをずっと言っていても関心を持ってくれない。私の後輩も福島第一原発事故のあと、「メルトダウン」シリーズをずーっと続けているけど、何が新しいんだとか、どういう新しい取り組みがあるんだとか、切り口があるんだとか、それが明確でないと、一つのテーマをずっと持続的に取り上げて行くのはなかなか難しい。そこは悲しいかな、そういうことだと思う。そういう風にして、「忘れられて来た問題」というのは、いっぱいあるんじゃないかな』。
◆様々な問題でとわれる追求の持続力
その後、水爆実験による被ばくの問題や、トリウム以外の内部被ばくなどについて、海外の事例の紹介などもあった番組の終わりの方で、Iさんから「トロトラストの問題が埋もれてしまったことを考えた時に、これだけ繰り返し被ばくしながら、忘れてしまうのは何故なのか」と質問された。
『人間は忘れっぽいんです。だって戦後80年でしょう。広島、長崎で焼け野原になるとかね、そういうものすごいことが日本で起きていた、そういうことを皆、ころっと忘れているじゃないですか。どんどん忘れている。そこがやっぱり、人間の悲しいところですね。(Iさんも)問われているんですよ。「このあと、どうするんだ」と』。
取材を持ち掛けられたとき、自分がどういうきっかけで番組を作ろうとしたのかをすっかり忘れていた。また、その後、他のメディアが盛に取り上げたことや被害者が推定3万人にのぼることも今回初めて知った。私としては、「体内被ばく」というものの恐ろしさを伝えることで、科学番組としての目的は果たしたと思っていたのかも知れない。今回、取材を受けるに際し、放送台本も探してみたが見当たらない。そこで、かつての番組を送って貰ってようやく記憶がよみがえった。自分でいうのもなんだが、かなりしっかりと作られていたので安心した。
◆誰にも伝えなかった放送
ただ、放送後20年ほどして、あの森武三郎さんからもう一度番組をやれないかと言われたことは鮮明に覚えている。その時は、既に番組の現場を離れていたので難しいと答えた記憶がある。やむを得ないことではあったが、患者の立場に立てば、こういう問題ついては誰かがどこかで声を上げ続けることも、また大事なことだと思う。基本的には当事者たち、被害に責任を持つ国や医療者などの問題ではあるが、それにメディアがどのように関わって行くのか。追求すべきテーマではあると思うが、これを問うことは即、自身に跳ね返ってくる問題にもなる。
ということで、この件については、胸を張れるようなことでもないので、カミさん以外には誰にも伝えないできた。しかし、放送後何人かの知人から「出ていたのでびっくりしました」という連絡があった。翌日、孫たちが帰るというので、インタビューのパートだけを録画で見せてやった。「じいちゃんの顔、シミだらけだね。ドーランでも塗って貰えば良かったのに」というのが娘の感想だった。まあ、80歳にもなれば何も飾ることはない。いいことも、悪いことも受け止めて淡々と生きて行くしかない。

◆最後に蛇足ながらの近況報告
読書については、映画監督の友人が「これどうだろう」と言う大部の時代小説を読破した。さらに、同じく脳梗塞で倒れた免疫学者の多田富雄と社会学者の鶴見和子の往復書簡「邂逅」。いのちの奥深さと、(AIより余程刺激的な)生命の進化についての深い考察があった。懸案だった絵の修正もやった(トップ頁下の左側)。ただし、そのビフォア、アフターは「間違い探しより難しい」などと言われている。
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