作家、水村美苗の「日本語が亡びるとき」は、近代に入ってからの国語(日本語)の 成立をひも解きながら、その書き言葉の文化的継承が危うい現状を憂えた本だが、その中に幾つもの心に響く言葉がある。例えば、政府の国民に対する義務について簡潔に書いたくだり。それは、「日本人としてもっとも考えなければならないことを、国民に代わって考えることにある」と言い、一つは、「日本の国益を考えること」。そして、国益のさらに先に、「日本という国が、人類全体のために、いかなる役割を果たすべきかを国民に代わって考えることにある」と言う。
今の世界は、ロシアによるウクライナ侵略、イスラエルのガザに対する攻撃に加え、トランプの登場が世界の分断と緊張、そして不安定化に拍車をかける状況にある。日本もアメリカの理不尽な関税戦争のターゲットにされ、軍事費のさらなる増強の圧力も受けつつある。こうした中で、日本の国益をどう考えるか。中露、北朝鮮とアメリカに挟まれながら、どう平和と安定を保つのか。どこまでもアメリカに追随して行くのか。あるいは、この不安定と緊張の世界の中で、人類全体のために、いかなる役割を果たすべきか。それこそが政治の役割になって来る。
◆日本のソフトパワーとは?
こういう難しい状況下で、日本が世界の平和と安定に少しでも役立つことがあるとすれば、それは中途半端な軍事力ではなく、日本がこれまで培ってきた「ソフトパワー」なのではないか、というのが今回のテーマである。ソフトパワーとは、軍事力に頼らずに、自国の価値観や文化で他国を魅了し、味方につける力であり、自国の魅力を通じて、他国に与えられる影響力のことを言う(ウィキペディア)。例えばフランスが言語や芸術の普及を国家戦略とし、中国が「一帯一路」を通じて価値観輸出と経済支援を融合させようとするのも、その一つである。
では、日本は、そのソフトパワーを有効に行使しているだろうか。そもそも、日本のソフトパワーとはどんなものなのか。国際的な観点から幾つかあげれば、それはまず、平和国家として生きるという国の姿だと思う。アメリカの同盟国として軍増強備を強いられる日本であり、核の傘に頼っている日本だが、憲法9条を放棄しない限り、日本は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は
武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」ことになっている。これが、分断と緊張の世界で対話を促す力になるかどうかである。
◆地球的課題への貢献と日本の文化的特性
さらには、地球的課題への貢献をベースにした発言力である。例えば、地球環境、防災、教育、貧困などの国際的課題に対して、日本が国際機関との協力を通じて長年の間に培ってきたものである。あるいは、開発協力(ODA)を通じて、途上国の自立に寄り添ってきた実績が日本への信頼につながっているということもある。こうしたソフトパワーは、どこかの大国のように、上から目線であったり、露骨に見返りを求めたり、あるいは仲間を増やす手段であったりするのではなく、普通に安心感や共感を呼び、国際的な場での日本の発言力につながり得る。
もう一つ、今の世界において力になり得る要素として、日本の文化的特性がある。それは、宗教間の対立が深刻になる国際情勢にあって、日本の寛容な宗教感覚が緩衝材として力を発揮する可能性である。ご存じの通り、日本では神道、仏教、儒教などの伝統的宗教が融和的に混在し、一つの文化を形成している。他者の宗教を否定しない寛容な立場が、紛争や国際的緊張を、緩和する力になるかも知れない。こうした文化的特性については、様々なアニメなどの発信によっても「自然への畏敬」、「自己犠牲」、「思いやり」などの価値観として国際的に理解が広がってもいる。
◆「ソフトパワー戦略」と必要な英語力
問題は、日本政府がこのソフトパワーを自覚的に行使し、 国際的に有効に活かしているかどうかである。それぞれの国際貢献を個別に展開しているだけで、そこに総合的な戦略が見えない。この点で、今の政府には「ソフトパワー戦略」といった構想がまだ不足しているのではないか。戦後長い間、日本は戦争の罪滅ぼし、あるいは平和国家として、国際平和への貢献を地道にやってきたが、世界が混迷する今の時代にあって、この戦後努力をどう生かすのか、具体的な「ソフトパワー戦略」が見えにくい。この点で、先の水村美苗のもう一つの指摘が興味深い。
それは日本の英語教育に関することである。今の日本人の英語力は私も含めて道を聞かれても困る程度だ。それを改善するために政府は、国民総バイリンガル的な英語教育を始めているが、彼女によれば、国際的に必要な英語力はそういうことではない。それは、一部でもいいから、日本人として英語で意味のある発言が出来る人材の育成である。交渉の場で堂々と意見を述べ、意地悪な質問には諧謔を交えて切り返すことも出来る。そういう英語力のある人材がいかに少ないか。ソフトパワーの発揮には、そういう総合力がものを言ってくるに違いない。
◆内側から磨いて行くソフトパワーの現状
さらに、日本のソフトパワーを考える上で大事なことがある。国際的に見て、 日本の魅力と思われるものを国の内側から磨いて行く事である。今の日本はオーバーツーリズムと言われるくらいに観光客が増えている。多くは、日本の文化的、あるいは、自然的な魅力に誘われて来るのだが、その魅力を磨く努力を日本は本気になってしているだろうか。日本のソフトパワーの源泉になっているのは、かつて世界に上位を占めた科学技術力や文化・芸術の発信である。さらには、インフラ、治安、教育、医療などの社会的共通資本と言われる分野での成熟だった。
しかし、そうしたソフトパワーの源泉が、日本の経済的衰退などによって、足元が揺らいでいる。文化行政に至っては、日本は国家予算に占める割合がフランスの8分の1、韓国の10分の1だと言う。日常の振る舞いに宿る日本の良さ、清潔さ、譲り合い、公共空間への配慮など。こうした日本のブランドも無策であれば、いつまでも保持できるものではない。国際的に、そのソフトパワーを発揮して行くためにも、日本は自国の魅力を内側から磨き、高めて行く努力が欠かせない。内側と外側の2つに視点を置いた「ソフトパワー戦略」が必要になる。
◆世界的な劣化の中で頑張れるか
日本のソフトパワーは、それを戦略的に生かして行けば、日本の国際的な発言力を高める「しなやかで強靭な力」になり得る筈だ。しかし、そこには、やはり努力がいる。今の日本は、増加する外からの観光客を迎えて、自己満足的に日本の良さを数え上げる「内向きの」思考に染まっている。またアニメやコスプレなどの表面的な発信に浮かれて、真に伝統的な文化力の理解をおざなりにして来た。日本近代文学の基礎となった、書き言葉としての日本語の理解も、今や絶望的だ(水村美苗)。ソフトパワーを生かすべき政治も劣化の一途をたどっている。
しかし、劣化は日本ばかりではない。トランプを始めとして政治の劣化は世界中で起きており、人類社会は混迷と混乱の時代に入ろうとしている。そういう時だからこそ、日本は自国が持つ「ソフトパワー」に着目して、これを有効に生かして行けるか。今は無策と無能な政治ばかりがはびこる時代だが、政府の役割が「日本という国が、人類全体のために、いかなる役割を果たすべきかを国民に代わって考えることにある」というなら、こういう視点でふんどしを締めなおすことも大事ではないかと、日々、目の前の些事に右往左往している政治家に言いたい。

最後にもう一つ。日本が軍事力に頼らない「ソフトパワー」で世界の安定に貢献できるとしたら、それはアメリカ型資本主義を唯一の世界標準としてきた世界に、もう一つの多様性を示すことにもなる。その普遍性を世界に広げることが、日本の世界史的使命かも知れないと、これは水村美苗の夫である岩井克人(経済学者)が言っている(5/22、朝日)。そんなことが今の日本に可能かどうかが問われている。
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