「風」の日めくり

     <<前のページ | 次のページ>>
2011年8月14日(日)
棚田の里・原発事故の夏

◆ふるさと村へ
 バスツアーで岐阜県の郡上八幡、飛騨高山、白川村を訪れた翌日。今度は茨城県と栃木県の県境にある「ふるさと村」(伊勢畑)へ。いつものように元気一杯の(世界に誇る中小企業の)F社長、それにN先輩と私の3人です。
 今回の楽しみはある会社の「画期的な開発製品」(これまでの空気力学とは全く違う発想から生まれた高効率の風車、翼のない飛行体。これらについては、次回に)を見せてもらうこと。栃木県の産業振興の理事長から「ある構想」を聞くこと。それと、棚田に設置した小水力発電を見ること。

 でも、何と言っても棚田の里でのんびりと地元料理を味わいながら酒を酌み交わすというのが、究極の楽しみでしょうか。

◆ふるさと村での歓談
 夕方、栃木県のK理事長を伴ってふるさと村へ。農家の庭先にテーブルを広げ、いつものように屋根を上手く利用して10畳用の蚊帳をつり、その中で農家の主婦であり自然食の研究家でもあるHさん手作りの地元料理をごちそうになります。

 那珂川で取れたアユ、トウモロコシやトマトなどの新鮮な野菜。梅、いちじく、しょうが、リンゴなどをつけこんだ焼酎などなど。すぐそばを流れる
那珂川から涼しげな風が流れてきます
 時にはHさんも入って歓談したり、議論したり。これが夜遅くまで延々6時間も続きました。

 暮れなずむ田園風景を楽しみながら、懐かしい田舎の雰囲気に浸りながらの酒盛りですが、その一方で、ここでも心配は原発事故による放射能のこと。棚田の稲も来月末には稲刈りですが、放射能検査がどう出るか。農家の人たちもいい知れぬ不安を抱いています。

◆農家の胸の底にある怒り
 広い畑と田んぼ、見渡す限りの山林も有するHさんは、これまで農薬も使わず、添加物も使わない自然食を研究して来ました。しかし、放射能だけはどうにも出来ない。ここは、汚染地域ではないにしても、隣県の那須や那須塩原の汚染情報に心を痛めています。

 Hさんが、安全な自然食にかけて来たこれまでの努力を思う時、いま東北から関東にかけての農家の人々の悔しさや怒りがどのようなものか、少しは分かるような気がします。

 出荷停止の不安を抱えながら農作業を続ける空しさ。しかも、国も県も徹底的な汚染調査をしようとしない。自分の田畑や山林がどの程度汚染されているのか、知りたくてもその手段がない。
彼らの胸の奥に溜まっている怒りは相当なものではないでしょうか。

◆現実を受け止め、徹底した総合的調査と対策を
 Hさんの不安を物語るように、いま少しずつ分かって来た汚染の状況は、殆ど本州の半分に及ぶ広い範囲に拡大しています。

 下水処理の過程で出て来る高濃度に汚染された汚泥は、青森県から静岡県までの全県、驚いたことに日本海側の新潟県にも及んでいます。行き場を失い野積み状態になった汚泥の量は12万トンに上ります。
 一方、福島県の子どもたちの半数で甲状腺に(レベルは低いと言っていますが)放射性ヨウ素が検出される。

 いま私たちは、福島原発の最高幹部が最近になって語ったという「爆発が相次ぐ中、当時は私自身、半径30キロどころか、青森から関東まで住めなくなるのではないかと思ったほどです」(週刊朝日)という感覚を謙虚に受け止める必要がありそうです。

◆棚田の小水力発電
 翌日は、F社長とN先輩が都会の子供たちと一緒になって設置した水力発電を見ました。棚田に流れる小川を利用した小水力発電機ですが、水車が勢いよく回転、LED電球を光らせていました。同じ電力なのに、こちらの何と優しくみえることか。

2011年8月4日(木)
7月の美術展「絵を描く楽しさ」

 7月は何かと落ち着かない日々が続きました。そんなせわしない中、久しぶりに美術館に足を運びました。心が潤いを欲しがっていたのかもしれません。

◆ワシントン ナショナル・ギャラリー展
 まず、国立新美術館「ワシントン ナショナル・ギャラリー」(6月8日〜9月5日)。「これを見ずに、印象派は語れない」というキャッチフレーズにあるように、ピサロ、ドガ、モネ、ルノワールなどの印象派からセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなどのポスト印象派まで、83点が一堂に会する展覧会。

 特に、クロード・モネの「日傘の女性、モネ夫人と息子」の柔らかい筆使いの絵がよかったです。下から見上げる日傘の向こうの空に陽光が輝き、草の土手にさわやかな風が吹きわたっている。日傘の裏地の緑が草むらの緑と共鳴しています。一つ一つの色がリズムをとって歌っているような。

 セザンヌも好きな画家のひとりです。「赤いチョッキの少年」。セザンヌ独特の色の切片が混在しながら形を造って行きます。その色たちの微妙な組み合わせが何とも言えないセザンヌらしさを見せています。

 もう一つ、ゴッホの自画像。自死にも近い最晩年の自画像で、痛々しいほどの切迫感が漂っています。人生のすべてに失敗して絵を描くしかなかった、と司馬遼太郎がゴッホの不器用な人生について書いていますが、最晩年、精神の破たんに怯えながらも絵を書き続けた、その絵です。

◆パウル・クレー展
 次は、東京国立近代美術館の「パウル・クレー展」(5月31日〜7月31日)。人気があるせいか、会場は沢山の人でした。画家の工夫の進化をたどって見られるような展示になっていて、見て行くとクレーが実に多彩な絵画技法の実験をやっていることが分かります。

 何より、パウル・クレーの絵の色調は何とも言えず品がいい。私も以前に「パウル・クレー賛歌」と称して、その色調をまねたモノ(パウル・クレー賛歌)を描いたことがありますが、見ていてもっと真似出来たらと思う位でした。

◆絵を描く楽しさ
 画家は、一枚の画布に絵を描くことに一生を使い果たす。その根底にあるのは何なのだろうと時々思います。でも、時を超え、これだけの人がその絵を見に来る。その魔力に画家も精神を捧げて来たのだろうと思います。同時に、その作業をとても愛している、楽しんでいると言ってもいいと思います。

 そうした画家の心の動きをしみじみ感じるのも展覧会の魅力の一つかも知れません。もう少し時間が出来たら、私もちょっとは絵を描く楽しさを味わってみたい、と思いながら久しぶりの美術展を楽しみました。

2011年7月13日(水)
フクシマの衝撃波が広がる

 「脱原発」に向けての動きが急展開。この先、どういう展開になるか分かりませんが、時代の変わり目に立ち会っている感じです。それだけフクシマの衝撃波が社会に深刻な影響を与えているのだと思います。
 ゆっくりフォローしている時間がないので、試みに私が昨日から今日にかけて「フェースブック」に断片的に書いたことを時系列に並べてみたいと思います。(ひょっとすると、こういう発信もありかなと)

1322時)
 今日の「報道ステーション」では、東電は電力が余っているし、私企業の埋蔵 電力(自家発電)を十分利用しようともしていないことが暴露され ている。「夏の電力危機」、「原子力停止による電力危機」という (電力会社、国、経産省による)壮大な虚構が少しずつ崩れ始めて いるようです。

1318時過ぎ)
 色々言われながらも、首相である菅が「脱原発依存」、「脱原発」を 明確にしたことは大きい。「朝日」も今日の特別社説で「原発ゼロ 社会」に舵を切りました。フクシマの衝撃波は(形は様々ながら) 確実に広がっています。

1221時)
 テレビ東京「ガイアの夜明け」で、セブンイレブンの節電への挑戦 が紹介されています。東電管内6000店舗で25%もの節電計画 が進行中。きめ細かい、洗練された節電技術とノウハウがこうして 進化していく。
 原発が止まってまだ数カ月なのに、
こういう点では 日本はすごい国ですねこの状態が続けば(そして利権屋たちが静 かになれば)、あっという間に原発のない未来が見えてきます

1215時)
 ある人がメールで「脱原発」の次にある「脱原子力技術」のことを 書いてこられたが、これはかなり文明論的な問題。人類が一度手に した技術を放棄した例は過去あるのだろうか。でも、その前にやは り「脱原発」ですね。ストレステストの内容が見えた時に、次の戦 いの火ぶたが切られるでしょう。

 いずれにしても、私たちは既に「脱原発」の時代に足を踏み入れているということ。その根底にあるのは、「日々のコラム」に書いて来たように、「原発には事故のリスクに見合うだけの高度な安全を期待できない」ということ、「原発がなくても、節電技術や節電ノウハウの進化だけで余力を持ってしのげる」、「それに再生可能エネルギーを加えれば地球温暖化対策もOK」と言うことに尽きます。

2011年7月3日(日)
非日常が日常化する怖さ

 映画「ターミネーター2」の1シーン。アメリカの公園で子ども連れの家族が楽しそうに遊んでいます。日常的で平和な情景です。そこに突然、核爆弾が炸裂し、空一面の巨大な炎が襲ってきます。一瞬で人々は焼き尽くされ、骸骨になってしまいます。

 これは、
未来の核戦争で人類の殆どが滅びてしまうのを知っている主人公(ジョン)とその母親(サラ)が、公園で楽しそうに遊んでいる家族を見て、やがて彼らを襲う悲劇を想像してしまうシーン。2人には自分たちだけが人類の未来を知っているという孤独感が漂っていました。

◆事故直後に抱いた深刻な危機感
 地震直後の数日間、私も似たような思いにとらわれたことがありました。原発事故の(来るべき)深刻さに心を痛めながら、近所の公園に出かけて幼い子供を連れた家族を目にすると、奇妙な思いが浮かんでしまうのです。

 「この人たちは、これから日本に起きることを知っているだろうか」、「この平和な情景がいつまでも続けばいいが」
 こと原発事故に関しては、私はしばらく目の前の平和な光景から、少し遊離した感覚を持ち続けざるをえませんでした。


 今振り返れば少し考えすぎだったかもしれません。でも、その時の危機感を思い起こしながら、先月末までに
19回の原発事故関連の「日々のコラム」を書いてきました。

 その後、事故は当初の予想通り最悪の経過をたどって深刻な様相を呈しています。
原子炉はメルトダウンし、放射性物質の閉じ込めは不可能に。広範囲に放射能汚染が広がっています。このあたりの人々も幼い子供たちが口に入れるものに不安を感じ、神経質になっています。

◆非日常が日常に変わる中での「時限爆弾」
 3.11の大震災は、一瞬にして日常を非日常に変えてしまいました。しかし、時がたつにつれ、その非日常的光景さえもいつの間にか日常化してしまいます
 がれきの山やいつまでたっても続く避難所生活、原発の放射能漏れ。その中で政治の機能不全が続いている。この異常状態にさえ、人々は慣れてしまう。毎日、緊張しながら異常を直視してばかりはしていられない人間の性とも言えます。

 しかし一方で、「フクシマは依然として動いている時限爆弾だ」Fukusima  'still a ticking time bomb CNN 6/23)という見方もでています。アメリカの原子力科学者(KAKU氏、この名前は懐かしい)。その中で彼は「日本は嘘をついている」、「終息までには50年から100年かかるだろう」、「その間に放射能は漏れ続ける」とも言っています。

 誰かが止めてくれるまで、この時限爆弾は生き続ける。誰が、いつ、この時限爆弾を止めてくれるのか。そういう意味では、私たちはまだまだ(国の原子力政策の)異常な無責任に慣れることは出来ません。

3.11の問いを深化させる
 原子力政策だけではありません。いま、かなりの人々の中に「こんな経験をしても日本は変われないかも知れない」という思いが生まれているのではないでしょうか。
 その「諦め」と「慣れ」を食い止めるためにも、私たちはもっと
3.11以後の日本はどう変わるべきなのか、私たちもどう変わるべきなのか、を問い続けて行く必要があると思います。

 脱原発もさることながら、少しずつ、被災地の人たちの鎮魂の気持ちに寄り添いつつ、その問いを深める努力を始めてみたいと思っています。

2011年6月28日(火)
木更津わたくし美術館

 千葉県木更津に住む親族の中村さんが長く美術品のコレクションをしていて、リタイア後に念願の美術館を開きました。その美術館の名前が「木更津わたくし美術館」

 
「わたくし美術館」という聞きなれない美術館が日本にあることを最近まで知りませんでしたが、聞くと、日本には個人のコレクターをメンバーとするNPO法人「あーと わの会」というのがあって、この会に属するわたくし美術館は現在11を数えるそうです。

 「わたくし美術館」はうるさい規則もなく、気軽に美術を楽しんでもらおうというのが趣旨の私設の美術館。「あーと わの会」のHPを見ると、そのメリット、効果として次のようなことが挙げられていて微笑ましい。
 1)自己満足、自己実現が出来る。
 2)コレクション行為そのものに関係する者(コレクター、作家、流通業者、評論家)をハピーにする。
 3)コレクションを一般公開して一般市民に喜んでもらえる。
 4)公開して誉められ自慢もできる。(反対の場合もある)
 5)美術館長としてのステータスの高さを享受
 6)美術普及活動に貢献する。
 7)来館者との楽しい語らいが出来る。
 
 「木更津わたくし美術館」も中村館長が30年にわたってコツコツと集めた美術品を様々な形で展示しています。同時に貸画廊として地元の画家の作品を展示したりもしています。美術館のHPには所蔵作品リストなどの他に館長の挨拶(その文章がとてもいいです)が載っていますが、中に開館の理由として次の3つがあげられています。

 1)作品と鑑賞する人との出会いをセットすること
 2)青銅器や古玉など2000年から6000年前の古代人の心を、時を超えて現代の人や未来の人に繋いでいくこと
 3)画廊として、一人でも、多くの作家に当館を利用していただき、あらゆるアートの場として、作品と多くの方々との出会いの場を提供させて頂くこと

 そして、最後に
「このように本当に地方の小さな美術館兼画廊ではありますが、皆様のお力で大きく大きく育てていただければこんな嬉しいことはありません。日常の生活から離れ、心のやすらぎときめきの場として多くの方のご来館を心よりお待ちしております。」と結ばれています。

 開館が
312日。あの大震災の翌日でしたのでその時は行けずに、大分遅くなりましたが、先日、カミさんと行ってきました。会社の事務所だったところを大改造して、しゃれた美術館にしたてました。
 今回は、3度目の企画で「中国古代から清朝までの陶器展」。入館料が大人300円で時にコーヒーのサービス付き。近くのお年寄りもやって来て美術品を巡って中村館長との話が弾みます。準備が大変だったと思いますが、リタイア後の楽しみを実現した充足感が漂っていました。

2011年6月23日(木)
人生の第三ステージ

 長いサラリーマン生活を終えて、年初から始まった年金生活。同時に、ひょんなご縁から幾つかのボランティア的な業務が始まりました。交通費程度の収入があるものから無収入のものまで、数えると6つほど。これがなかなかに楽しい。
 何せボランティア。楽しみに毛が生えたような業務でもあります。まず、責任がないのがいい。辞めてくださいと言われれば、心置きなくいつでもやめられるのがいい。少しは残念な気がするかもしれないが、サラリーマン時代と違ってお先真っ暗ということはありません。

 それに、「自分の経験を若い人たちに伝える」(大学やディレクター育成)とか「間接的にでもメディアに関れる」(ネット放送の編集長)とか「エコ的なスローライフを味わう」(伊勢畑、カナダ)とか「表現に関わるボランティア」(学会、映画)など、自分の中では皆どこかでつながっている感じがするのがありがたい。そこで様々な人々に会えるのも楽しみの一つです。

 定年後の生活を「人生の第三ステージ」と考えたりしたこともありましたが、こうして日々過ぎて行く時間は、これまでのサラリーマン生活とは似て非なるものであることは確か。一つの仕事に勝負をかけるということがない。それだけに悩みも少ない。
 何か業績を上げなければとか、評価を気にするとかが一切ない。何より妙に力が入らず、軽く考えられる感じがいい。しがらみがない分、発想が自由になる気さえします。サラリーマン時代にそんな余裕がなかったのが残念だけど、それは仕方がないとして、最近では、ふっと「これって何か新しい生活だよなあ」と不思議に感じ入ることがあります。

 あまり忙しくなって、「メディアの風」を書いたり、本を読んだりする時間がなくなるのは困るけれど、考えてみればそれもまたいっときのこと。この中の幾つかは来年には終わります。取りあえず、心の中で「楽しいことしかしない」と言えるのが、人生の第三ステージの密かな贅沢なのでしょうか。
 こんな楽しみが出来るのも定年後のほんの23年かもしれません。この時の流れはあっという間。それを味わい楽しむためにも、あまり飲み過ぎないで、健康に気をつけなければと思うこの頃です。

2011年5月30日(月)
「日本人」に泣ける

 「釣瓶の家族に乾杯」は好きな番組です。
 先週と今週の「釣瓶の家族に乾杯」は、釣瓶とさだまさしが被災地の宮城県石巻市を訪ねます。釣瓶は去年訪ねた地の再訪問。去年の放送を基に「再会編」を決断したスタッフに称賛を送りたいと思います。

 去年出会った石巻市の人々に会いに行くのはどうだろうか。中には亡くなっている方もいるだろう。番組のために今頃来てなどと言われるかも知れない。いろいろ悩み、準備にも時間がかかったかもしれませんが、実現して良かった。

 皆、言うに言われぬ思いをため込んでいます。耐えていたものが溢れそうになっています。釣瓶の姿を見つけたとたんにその思いが涙とともにあふれ出します。地震と津波が根こそぎ奪ってしまったもの。釣瓶と出会って、わずか1年前の平和で穏やかな生活が一瞬にしてよみがえるのでしょう。

 釣瓶がそれを全身で受け止めます。互いにただ抱き合って涙を流す。そこには、深い哀しみと同時に、日本人の我慢強さや優しさや思いやりが無垢の宝石のように輝いています。そこに住む人々全部の気持ちが同じように輝きを放っています。釣瓶もさだまさしも「自分たちが元気をもらった!」と何度も言うほど。
 「やはり日本人はすごいよなあ」。それはこういう時でも人々が人間として極めて上質な感情を保っているという感動でもあります。番組を見て2回とも泣きました。

 今回の震災で見えて来たこと。それは現場にいる人々の強さ。災害に会った人々の人間としての強さ、だといわれます。世界中が感動した日本人の姿です。
 一方、それに比べて言われているのは、
「ガバナンスの弱さ、リーダーシップのなさ」。政府も官僚も政治家もいつの間に、こんなにダメになったのか。今週が「政争」の一つの山場だそうですが、政治家たちは東北の人々の溢れそうなこの思いを、全身で受け止めていると言えるのでしょうか。

2011年5月25日(水)
観光資源大国・イタリア


 定年の卒業旅行でイタリアに行ってきました。始めスペインに行こうとしたのですが、一昨年秋のインフルエンザ騒ぎ、そして去年4月のアイスランドの火山噴火で直前に断念。
 スペインからイタリアに方向転換した今年も予約後、震災や原発事故が起きてダメかと思いましたが、
3度目の正直でようやく実現しました。これで、カミさんには少し顔向けできます。

◆北イタリアからローマへ
 今回のツアーは有名なので行かれた方も多いと思いますが、北イタリアからローマにかけて。ミラノのドゥオモ(中世のゴチック様式のカトリック教会)では、一人の神父が私たち一行に近付いてきて「私たちはこの場所で日本の復興のために祈りました」と言われて感激しました。
 その後、ベローナ(ロミオとジュリエットの家など)、ベネツィア(サンマルコ広場、ドゥカーレ宮)、フィレンツェ(ウフィッツィ美術館、ドゥオモ)、ピサの斜塔、ローマ(バチカン市国、ローマ市内)を現地ガイドの手際のいい案内で駆け足で回りました。


 圧巻はやはりバチカン市国のバチカン美術館、システィーナ礼拝堂、サンピエトロ寺院でした。日本テレビがお金を出して汚れを落としたと言うミケランジェロの「天地創造」や例の「最後の審判」の絵を首が痛くなるほど見上げて眺めて来ました。
 ローマ市内のローマ時代の遺跡のコロセオやフォロロマーノ。おなじみのトレビの泉やスペイン広場も何十年振りかで見て来ました。

◆世界の人々惹きつける力の源泉
 どこも観光客で一杯。世界中から人々が見に来ています。そして、感じたのはこれだけ人々を惹きつける観光資源の力の源です。
 一つは、もちろん宗教の力。国宝というよりは世界宝とも言うべき美術品を集めたバチカンやミラノのドゥオモの壮麗さは気が遠くなるほどの力です。
 二つは、ルネサンスをもたらしたベネツィアのメジチ家などの財力。貿易で集めた財力ですが芸術に理解があってこその力です。

 三つめは、これが肝心なのですが、こうした歴史遺産(イタリアは世界最多の459の世界遺産の持ち主)、観光資源を維持して来たイタリア人の努力です。ベネツィアやローマ市内などを見ても、建物や記念碑、彫刻の数々が古い景観に溶け込んでそのまま残っています。

◆残そうとする国民の強い意志
 それはある意味、生活するには大変不便かもしれません。ベネツィアなどでは、市内に住むのが不便だからと街を出て、近くのメストレから通う人が多くなっているようです。しかし、そうして残った観光資源を目当てに
年間4360万人もの観光客がやって来ると言います。2000万人を目標にしながら700万人程度(震災前)に低迷している日本とはおお違いです。

 イタリアの観光産業については、「遺産にあくらをかいた殿様商売」などと悪口を言う向きもあるようです。(日本では考えられませんが)地震が少なくて、古いビルの街並みや遺跡がそのまま残せると言う利点もあるのでしょう。
 しかし、歴史的建造物を将来にわたって残して行くという(国の政策だけでなく)市民、国民の強い意志も強く感じました。

2011年5月7日(土)
風薫る五月の伊勢畑

 連休中の4日と5日。先輩の仲間と那珂川の上流、茨城県と栃木県の県境にある伊勢畑地区を再び訪れました。棚田を中心とした「ふるさと創り」の拠点。今回は夏に考えている「川舟での那珂川下り」の下見がメインですが、周辺の遺跡やお寺も見て回りました。

◆新緑の山里
 4月の時は桜が満開の春爛漫。わずか半月後の今回は、野山がすっかり新緑に覆われ陽光に輝いています。周辺の村々は田植えの真最中。こいのぼりが五月の空を泳ぎ、水を張った広々とした田んぼでは、一斉に鳴き出したカエルの声が静かな山里に響きわたっています。













 初日は、那珂川上流の那須温泉に一泊。翌日は、那珂川に沿って車を走らせながら、周辺のお寺や遺跡を見学しました。運転はいつものように栃木県市貝町に工場をもつ社長さん。
 出流山(いずるさん)満願寺、美しい雲厳寺(大田原市)。5世紀に造られた前方後方墳の下侍塚遺跡などを見ながら、舟下りの出発地点を探して歩きました。こうして見ると、一帯には様々な文化遺産があるのに気付きます。














◆伊勢畑ふるさと村宣言
 今回のもう一つの目的は、伊勢畑を拠点にした「ふるさと創り」憲章の検討。ここを拠点に様々な活動をして行くための憲法のようなものです。温泉でひと風呂浴びた後、酒を酌み交わしながら草案を検討。
 以下は(*)その草案の前文ですが、これをさらに5カ条の憲章にまとめて、いずれ正式にオープンするHP「伊勢畑ふるさと通信」のトップ頁に載せることになりそうです。

 5日、市貝町の芝桜公園なども見ながら、那珂川の流れをたどり、夕方ようやく伊勢畑に到着。田植えが終わった棚田のわきに幾らでも芽を出しているわらびを摘み、土地でとれたおつまみを肴に一杯やって帰路に就きました。

(*)<伊勢畑ふるさと村宣言>前文草案

『伊勢畑には、豊かで多様な自然環境が残っています。森があり、里山があり、棚田があり、那珂川の清流があります。そこから豊かな自然の恵みを得ることが出来ます。

自然環境ばかりではありません。伊勢畑には日本の伝統的な民俗文化があり、歴史があり、豊かな農産物を生かした郷土料理があります。自然と調和した人々の暮らしが息づいています。

今や日本の各地から消えようとしている「ふるさと」。それが生き生きと息づいている伊勢畑は、ここに住む人々にとってだけでなく、周辺の人々、都会に住む人々にとっても貴重な財産です。

私たちは、この伊勢畑から元気をもらい、この伊勢畑を楽しみ、この伊勢畑から学び、そしてこの伊勢畑をさらに豊かにして次の世代に伝えていくために、ここに集まります。
年寄りも子どもも、男性も女性も、伊勢畑に住む人も住まない人も、誰もが自由意思で参加しながら、魅力的で活気に満ちた「ふるさと創り」にいい汗をかいて見たい。
名付けて「伊勢畑ふるさと村宣言」。楽しみながらともに歩いて行きたいと思います。』


 先輩たちは、これまでも都会の子どもたちとの交流、手作りのイベント、自然食の物産展など様々な活動に取り組んで来ました。遅れて参加した私ですが、日本の農村の原風景のような伊勢畑を拠点にどんな活動が育って行くのか、楽しみになって来ました。
 (5つの条項にまとめられた憲章は、HPの正式オープン時にご紹介します)

2011年5月1日(日)
政治家という人種と日本の不幸

 「風の日めくり」にはちょっとそぐわないことを書きます。
 いま、自民党はもちろん、民主党の中にも菅首相を引きずり降ろそうと躍起になっている政治家が沢山います。民主党の中では小沢グループと鳩山前首相のグループが手を組んで菅降ろしの戦術を練っていると言いますが、幾らなんでも今は国家危急の時
 そんな余裕はないのではないかと、批判されて思うように動けないと苛立っているようです。


◆誰も手を上げないままの、国民不在の権力闘争
 自民党も同じで、何とかして不信任案にこぎつけて、民主党の反菅グループと一緒になって内閣総辞職に追い込みたいと思っているらしい。あるいは、少なくとも菅首相に期限付きの退任を迫る算段らしい。

 しかし、こうした議論を聞くにつけ、政治家も堕ちたものだと思います。彼らの頭の中は、こんな非常時になっても旧態依然の権力闘争しかないのでしょうか。権力闘争なら権力闘争で、「菅のここが間違っている。自分ならこうする。だから自分にやらせてくれ」と正々堂々と手を上げるべきではないでしょうか。

 そんな政治家は誰もいない。次は自分にやらせてくれ、と名乗りもせずに、陰で辞めさせる算段ばかりしている。うまく辞めさせることできれば、後は成り行きで「棚ぼた」式に自分にお鉢が回って来るのを待つ。
 平時ならいざ知らず、今は非常時。そんな余裕はない。こういうのを常套句で
「国民不在の権力闘争」というのでしょう。

 そして、もっと悲劇的なのは、それをたしなめるべき現場の政治記者も旧態依然の解説しかできないことです。その解説を聞いていると何の批判もなく、事実の追認ばかり。彼らも同じ頭の持ち主で、狭い世界の権力闘争にしか目がいかないのでしょう。


◆権力闘争の根っこにある嫉妬や怒り
 私も、今のような国家の非常時に菅首相はリーダーとして物足りないとは思います。親しい人間にしか頼らない狭い了見も困ったものです。誰かもっと非常時のリーダーにふさわしい人がいればすぐにも代わって力を発揮してもらいたいくらいです。しかし、今そんな政治家が見当たらない。

 こういう時に、菅降ろしに走っている政治家の根底にあるのは、菅を首相にしておく危機感でしょうか。それなら「この国難を俺に任せろ」と言うべきです。(統一地方選挙で民主党が負けたなどというのはどうでもいいことです)
 そうではなくて、おそらく、彼らを動かしているのは別なことではないでしょうか。菅が余りに自分たちを排除していると言う怒りや、菅のような無能な首相をのさばらせていくのは腹が立つと言う嫉妬。そんなことではないでしょうか。

◆政治家という人種は淘汰の産物
 この国家の非常時にさえ、こうした愚劣な闘争に明け暮れる政治家という人種。私は、彼らを特別変わった人々の集団と思った方がいいのではないかと思っています。

 というのも、政治家というのは、ある面での淘汰の産物だからです。それは「権力欲、自己顕示欲、自己中心性、万能感、その半面での猜疑心や嫉妬心」。こうした性格を備えていなければ今の政治家にはなれないのです。
 従って、その集団のリーダーともなれば、それは
異常とも言える強さでそういう傾向を有している人種なのです。

 かつては、そういう性格の政治家でも、国家命題がはっきりしている時には「国家のために命を捨てる」という気概がありました。また、政策の確かさで人々をまとめることもありました。その強烈な個性を元に力を発揮する政治家もいました。しかし、そんな政治家は今どこに行ってしまったのでしょうか。

 国民はもうはっきり目覚めているのに、政治家と政治記者だけが目覚めない。そんな状況の中で、大震災が起き、原発が危機的状況を迎えている。しかもその危機的状況を横目に、それぞれがコップの中で足の引っ張り合いをしている。これが今の日本の最大の不幸と言ってもいいのではないでしょうか。

2011年4月21日(木)
絵?NO.24の紆余曲折

 ほぼ1年ぶりに仕上げた絵?NO.24は、完成はしたものの、途中で投げ出したくなるような「しっくりこない感じ」が続きました。今でも何を描きたかったのか、あまりはっきりしませんが、この間の紆余曲折をたどってみます

 去年の10月に色をつけ始めた時は、縦サイズ。下半分は大地の感じ。上部の水色はそらのイメージ。うーん、これは大地の上の大空に色んな形が群れをなして浮かぶ絵なのかな
あと思ったりしました。

 そして、実はこの空の色は、大胆にもミケランジェロの「最後の審判」からとりだした空の色だったのです。2つの絵を比べてみても、似ても似つかない絵なのですが、想念としては、どうも「最後の審判」の構図に抽象的な形をばら撒いたらどうなるか。そういうことだったかもしれません。
 ただし、この空に浮かぶ形をどんな色にするかが難しく、長い間放っておきました。

                  


                

 その後、結局は、横サイズにして当初の構想は破綻したのですが、今度は、「最後の審判」に絡んで「いやーな感じ」をひきずることになりました。と言っても明確なものではなく、潜在下の意識のようなものですが。

 それは、星印のような4つの形。原発事故の後の気分転換にと思って描き始めたのに、どうもこれが放射能漏れを起こしている原発のように見えて来てしまうのです。これって不吉な絵なのではないか。始めに「最後の審判」と思って描いたところもあるしなあ。

           

 まあ、それは考え過ぎ。ということで、苦肉の策として、星印の中にこれから輝こうとしている球体を描き入れ、その不気味なイメージを払しょくしました。まあ、言ってみればこの絵は地球を含む宇宙の中で起きている物語。混沌の中から星々が誕生して行く感じなのだろうか。

 こういうふうに、一枚の絵にイメージを乗せて描くのは全く美術とは無関係のようでもあるけれど、実際そんな「紆余曲折」を経てこの絵は一応の完成をみたわけ。
 それにしても、こんな経過を考えると、震災後40日になるが、私の頭の中も、今度の震災から自分では意識できない相当なダメージを受けているのではないかと思ってしまいます。

2011年4月17日(日)
一年ぶりの絵NO.24

 東日本大震災があったあと、震災の行方、原発事故の心配と何かと気がもめる毎日です。そこで、少しは気分転換になればと思って、一年近く放っておいた絵?に絵の具を塗りだしました。まだ、気分的には完成ではないのですが、何より最初の頃は縦にするか横にするかで随分と迷ったりしました。

            


 結局、今は横サイズ。相変わらずの形や色使いと言われそうだけど、これが私が描き始めて24作目になります。アクリル絵の具を買いに都内に出たら、携帯の「緊急地震速報」がなって、ひやりとしたり。なかなか思い出深い絵にはなりそう。もう少し手を入れて、トップ頁と「MYギャラリー」に「展示」したいと思います。

 ところで、15、16日の両日、かねて「地域おこし」のお手伝いに誘われていた関東のある山里に出かけました。のどかな田園風景の中に桜を始め色とりどりの花が咲き乱れ春爛漫といったところ。自然食のおいしい郷土料理をごちそうになりながら、日本の自然の豊かさを実感してきました。5月の連休には棚田の田植えに誘われています。


 ここを拠点に様々な文化活動が企画されていて、私もその末席を汚せればとおもっているのですが。誘ってくれた先輩と「ふるさと村」憲章を練っているところです。
 (素晴らしい人々、素晴らしい自然との出会いについては、また別途書きたいと思います)








 ただ、こういう農村、山里にも震災の影響は及んでいて、ところどころの家の屋根瓦が崩れたり、石塀が倒れたり。
 また、若い世代(市役所を脱サラした青年と、モンゴルで彼が見つけて来た可愛らしい奥さんと)が農業に挑戦しているハウスを訪ねたら、ほうれんそうが放射能で出荷制限になって廃棄せざるを得なかった話を聞きました。

 人々が安心して暮らせる日が早く来るように、祈らずにはおられません。

2011年4月10日(日)
日本人に見る「思いやりと覚悟と」

 昨日、都内赤坂の小さな座敷を借りきって日本の伝統芸能の発表会がありました。私は客として、地唄のお師匠さん(西松布咏さん)のお弟子さんたち40人ほどが披露する江戸情緒たっぷりの小唄、端唄、新内小唄を鑑賞。

 唄のタイトルからして、「桜見よとて」、「春霞」、「隅田の月」、「おぼろ夜」などといった季節をめでる人情ものから「やらずの雨」、「身はひとつ」、「待ちわびて」などの男女の思いを唄ったものまで、伝統芸能に込められている日本人の懐かしい情緒を味わいました。

 例年だと、花見の季節に見合った華やかな発表会だそうですが、今年は大震災後の何となく落ち着かない不安な気持ちの中の発表会。唄の最中に一瞬でしたがグラッと来たりして。
 それでも、お師匠さんによれば誰ひとり、こういう時期だから会をやめようと言う声は出なかったそうです。


◆懇親会でのいい話
 さて、会が終わっての懇親会。参加した人々がそれぞれに立って今日の思いを話す機会がありました。それを聞きつつ、「ああ、いい話を聞かせて貰っているなあ」と思いました。

 殆どの人が、自分の芸のことばかりでなく、今回の地震で被災した人々への思いを話していました。こういう時に自分が日本の伝統芸能やる意味を皆さん考えておられます。3.11を経て自分は、亡くなった人々への思いを込めたいと言う人から、もっと生活の足元を見つめて、その上に大事な文化というものを考えたいと言う人。

 「私などはもういつ死んでもいいと思っているけど、毎日自分がやるべきことをしっかり見つめて行きたい」というひと。
 そして、
最高齢で舞を舞った花柳千寿文さんが、「私はいまも初心ということを考えながらやっています」、「いつも初心で考えればこれからだと言う気になります」というのも、私には復興を目指す被災地へのエールのように聞こえました。

3.11以後の日本人のこころ
 一見、伝統芸能と大震災とは無縁の世界のよう思われるかもしれませんが、こういう話を聞きながら、私は今日本人の多くに2つの思いが芽生えているということを感じました。
 一つは、被災地の人々への思いです。多くの人々が被災地の人々との思いを共有しながら、被災地の人々の気持ちに寄り添うように日々を生きているということです。

 そしてもう一つは原発事故に対する不安と、ある種の覚悟です。原発事故の行方は心配ですが、一方で芸事への精進に見られるように、むしろこれまで以上に日々の生活をしっかり送っていく。そういう覚悟のようなものも感じます。

 3.11以後、私たち日本人の心の中には、「被災地への人々へのおもいやりとある種の覚悟」とが芽生えつつあるのではないか。そんな感想を抱きながら帰途につきました。

2011年4月5日(火)
瀬戸内寂聴さんのメッセージ

 いつも通っている近所のお寺の境内で、今年も枝垂れ桜が咲き始めました。「年年歳歳花あい似たり 歳歳年年人同じからず」というけれど、多くの犠牲者を出した大震災後の今年は、特に感慨深いものがあります。
 メールで「今年の桜をどのように愛でたらよいのでしょうか・・・」と書いてこられた方もおられます。


 東日本大震災の被害に会われて途方に暮れている人々。これから先をどう暮らして行くのか。あるいは原発の放射能汚染がこの先どうなっていくのか。果たして再び故郷に戻れるのか。

 身内や友人を失い、氷点下の寒さと不十分な衣料と食糧の過酷な避難所生活。テレビなどで見るにつけ心が痛みます。不安にさいなまれながらの生活だろうと思います。

◆瀬戸内寂聴さんから
 先日、こうした不安、絶望を抱いている被災者の方々に向けて、瀬戸内寂聴さんが仏教の立場から次のように言っていました。
 
「仏教では無常ということを言います。目の前にあるものは(固定したものではなく)やがて変わっていくものです。必ずいいように変わると思って希望を持って下さい」

 私も、以前、自分なりの仏教探求「教えの本質」で、目の前に立ちはだかる困難、苦悩をどう見るべきかを書いたことがあります。仏教本から抜き出したようなことを書いているなあ、と思いますが、現実となるとなかなか教え通りにはいきません。しかし、これは一つの知恵だと思います。

◆仏教の教え
 今ある不安、悩みも寂聴さんがいうように、いつまでも固定的にあるものではなく(無常)、やがて消え去るものである。自分が失いたくないとこだわっているもの(我欲)から少しでも自由になって、5年、10年、あるいはもっと長い目で見れば、日本はまた新たな国になっているだろうと思います。

 ただし、それが少しでもいい方向に向かうように、私たちは自分にできる、目の前のことをしっかりやっていくべき。寂聴さん、ひいては仏教の教えはそういうことを今の私たちに伝えているのかも知れません。

◆時間軸と世界的広がりの中で見ると
 同様に、先日紹介した大石芳野さんの写真展「それでも笑みを」
4月1日終了)を新宿で見た時のこと。戦争や原爆、民族紛争、原発事故、飢えや貧困。そんな過酷な現実を生きて来た世界中の人々が、なお笑みを浮かべている。
 人間の運命をこの70年余りの時間軸、そして地球全体と言う広がりの中で見る時、それでも人間は生き続けているという力強いメッセージを感じました。
 日本はもっと力がある、頑張れると思います。

2011年3月30日(水)
テレビを見ていて感心したこと

 昨日と今日、テレビを見ていて感心したことを二つほど書いておきたいと思います。

◆池上彰「学べるニュース〜緊急放送 東日本大震災」
 一つは、池上彰の「学べるニュース」(30日、テレビ朝日)。震災後の彼の活躍はもうご存知の通りですが、これは3時間特番で殆ど福島原発事故関連にしぼって放送しました。

 今の原発の現状、プルトニウムを燃やしている3号機(プルサーマル)、核燃料サイクルの話。チェルノブイリの放射能の影響、今回の放射能汚染問題、農作物や水道水の問題。2人の専門家を交えながら、視聴者の知りたいテーマを懇切丁寧に説明して行きます。

 特に、原発から出る可能性のある放射性ヨウ素、セシウム137、プルトニウムといった放射性物質の影響についてきちんと分かりやすく説明していたのに感心しました。
 現状での農作物や水道水の汚染については(私も神経質過ぎると思いますので)彼の説明を聞いて安心した人も多いのではないかと思います。

 池上氏は3月一杯でテレビを卒業すると言っていたように思いますが、震災後の各民放チャンネルを通じての活躍は、(原発事故がこのまま何とか収まってくれれば、視聴者に安心感を与えたという点で)テレビ番組史にも残る驚くべきものだと思います。
 テレビを見ていたカミさんが
「この人に日本のノーベル賞でもあげたらいいのに」と言ってましたが、それだけ現在進行中の原発問題は(情報が混乱して)難しいのだと思います。

 それにしても。日本では使用済み燃料の再処理工場がまだ出来ていないとか、最終処理施設が決まっていないとか、またトラブル続きの高速増殖炉の問題といった、彼の説明を聞くにつけ(彼はそれを明確には指摘はしませんでしたが)、日本の原子力産業は、何となし崩し的に危うい道を進んで来たのかと思いますね。(このことについては、いずれしっかり問うべきだと思います)

日産のカルロスゴーン社長
 もう一つは、昨日いわき市の自動車工場を視察して操業再開に向けて強い決意を表明した日産のカルロス.ゴーン社長です。
 「日産はいわき工場を見捨てることなど考えていない。私たち日産のいわき工場といわき市の皆さんは同じ船に乗っている。従業員の皆さんも安心して頑張ってほしい。」

 現場に乗り込んで、復旧に向けて努力している従業員に操業再開の明確なメッセージを伝え、従業員を鼓舞して歩く姿に、企業トップのあり方を見たように思いました。地元も安心したのではないかと思います。

 さらに、ゴーン社長はその夜の「ワールド・ビジネス・サテライト」(テレビ東京)に生出演して、より詳しく彼の今の考え方を話しました。日産いわき工場は4月半ばに操業を再開し、2カ月でフル操業に持っていくこと。
 2週間前より今日の方が状況が良くなっているし、2週間後にはさらに良くなっているだろう。日本の工業の立ち直りを確信しているし、世界が応援している。部品工場を海外に移したり海外に工場を移転したりすることはない。計画停電など困難はあるだろうが、必ず解決策は見いだせる。

 小谷キャスターが、いろいろ悲観的でアホ(ホント)な質問を投げかけるが、ゴーン社長は判断材料を一つ一つ示しながら、日本のモノ作りにおける震災の被害を限定的に見て、極めてポジティブに、前向きに考えていることを強調していました。

◆今は国家の一大事
 一企業のトップと国の運命を担う首相とを比べるのは酷でしょうが、菅首相にもせめてこのくらいの覇気と元気で国民を鼓舞してくれたらと思うのは私だけではないのでは。ニュースだけを見た友人もそう感じたと言っていました。

 一方の国会(参院予算審議)。菅の現地視察が対応の遅れを招いたなどと、(新聞でさんざん話題になった)実にくだらない後ろ向きの質問を得意になってしている自民党議員がいるのにあきれます。国家の一大事にそんなつまらぬ揚げ足取りをしている場合か。

 また、そんな国会審議を何の批判もせず「釈明に追われる菅首相」などと伝える政治記者にも困ったものです。まだまだ、これまでの惰性でしか考えられない(平和ボケの)人が多すぎるように思います。

2011年3月22日(火)
非常時の中の日常生活

 震災後、幾つかあった予定もキャンセル。自宅に閉じこもって、原発事故の状況や、放射能汚染の広がり、避難所での過酷な生活のニュースを見ながら、気をもむ毎日でした。
 自分のことと言うより、日本のこれからに対する様々な想念が頭の中を占領しようとします。でもあまり気をもんでいるのも体に悪い。こんな時に自分はどう時間を過ごせばいいのか。考えさせられます。

 暫くして、天気が良ければラジオを持って、近所の遊水地公園の周りを歩くようになりました。雨の時は室内の階段を何度も上り下り。スーパーへの買い物も気晴らしにはなります。とにかく体を動かす。
 計画停電が昼間の時は本を読む。あるいは「メディアの風」を読んでくれた人たちからのメールに返事を書く(そう言えば、これを書くのもその一つ)。
 あれこれ考えずに、できるだけ具体的なことをするのがいいとは思うけど、なかなかそれが出来ない。人間が出来ていないと言うか。

◆心がほぐれる
 私が震災の行方を想って心を痛めていることを知った友人が毎日電話をくれるようになりました。彼が言うには「(原発の)現場も頑張っているのだから、我々は自分ができることをしっかりやっていればいいのではないか」。

 彼は書店で読みたかった海外の作家の小説を手に入れて、片端から読んでいるみたいです。電話での冗談や気楽な会話でこちらの気持ちも随分とほぐれるのが分かります。ありがたい。
 こちらは、今回の地震で何の被害もなかったところ。それでも、震度5強の揺れの体験、その後の度重なる余震、被災地の悲惨なニュースなどで心のどこかが堅くなっているのでしょう。避難所の人たちの心のケアがいかに大事か、考えさせられます。

◆あるメール
 先日、日本の伝統芸能に打ち込んで来られたある人からメールが届きました。

お蔭様で私の周辺は無事で不安におびえながらも家で生活できる幸せをかみ締めております
こういう非常事態のなかで交通手段も失われ稽古もままなりませんが昨日は久しぶりに無事を喜びながらお弟子さんと稽古をしました
でも・・・私が苦労して得たことが何の役に立つのだろうか・・・と考えざるをえません

書いてくださった原発事故のコラムまさにご指摘の通りで日本人体質の甘さゆえか・・・何とか身内で処理しよう・・・がここまで来てしまったのか・・と思わざるをえません
ここまできてしまったら各々が出来得る限りの英知で切り抜けてゆく覚悟と良い面の日本人魂を発揮するしかありませんね

(中略)

新聞では六角堂(*)が消えてしまった・・・・と報じていました
数年前に(私も知っている)Aさん、Bさんとあの座敷で穏やかな海を見ながら俳句を吟じあったことを思い出します
時の流れの無常を思わずにはいられませんが生きている限り、己が何を出来るか問い続けてまいります


◆今自分は何が出来るか
 それにしても想うのは、昔の人は戦争中、空襲警報の鳴る中でどんな気持ちで毎日を過ごしていたのだろうかということ。友人に話したら「内田百閧ニか荷風とか、あるいは方丈記なんかもそうだろうね」。(戦争とか戦乱という)非常時の中の日常生活を見据えて生きていた人々のことです。

 震災直後の今も、ある種の非常時。みんなが
「今自分は何が出来るか」考えながら、目の前の日々をきちんと過ごして行くときなのかもしれません。むずかしいことですけどね。

1905年に岡倉天心が北茨城市の風光明媚な五浦海岸に建てた。横山大観などもここで一緒に日本画を学んだ由緒ある建物。今回の大津波で跡形もなく流されてしまった。

2011年3月20日(日)
回向・東日本大震災横死者各霊
回向・東日本大震災横死者各霊
 日曜日の今日は、毎月、第3日曜日の朝6時から近くのお寺に開かれている朝の集いに出かけました。今朝は25人ほどの人が集まりましたが、いつもより少し少ないかもしれません。

 きょうは、最初に住職から「今回の大震災で亡くなった方々の回向をしたい」とい話がありました。本堂の正面に大きく「回向・東日本大震災横死者各霊」と書いた位牌(の上に紙をはり)が作ってあり、それに向かって住職とともにお経を唱えます。
 位牌の前で焼香して、8千2百人にもなろうかという犠牲者のご冥福、そして1万2700人もの行方不明者の1日も早い発見を祈りました。

 私の住む埼玉にも東北からの避難民が集まりつつあります。市の体育館や老人施設も受け入れを始めています。「困った時はお互いさまだからね」。お寺に集まった人たちの会話です。
  坐禅をする広い本堂の白壁にもひびが入ったり少し落ちたりしていました。そのお寺でも現地へ送る募金活動が始まっています。そこに今回何回目かの募金をして帰りました。

 地震後まだ9日目ですが、ここにこうして今日を迎えることが出来てまずは感謝したいと思います。しかし、現地では相変わらず極めて過酷な状況が続いているのを忘れるわけにはいきません。
 被災地の人々が何とか暮らせるようになってほしい、原発が早く安心できるようになってほしい、日本全体がこの災害を乗り越えてほしい、そう願うのが今の心境です。

◆消防庁と防衛省
(以下は、今日一人の先輩から届いたメールです。私としては特に防衛省のつまらぬメンツとか功名心が活動の阻害要因にならないかと案じています。)

 『今回の自衛隊と消防庁の対応を見ていると自衛隊のお粗末さばかりが目立ちます。
 地震発生の翌日、12日、消防庁は原発での出動を予想し多摩川でシュミレーションをやり訓練をしたとのことでした。各種の消防車を用意し、周到な作戦のもと決死の覚悟で消火活動にあたりました。

 一方の自衛隊。なにがなんでも原子炉やプールを冷やすんだという強い意志の作戦計画がないようです。ヘリコからの放水は放射線の安全基準を一般市民の基準とし高度からの放水。効果がないの素人目でも明らか。アルジャジーラはこの放水作業をとてもシニカルに放送していました。

 陸上でも消防車は消防庁と比べると貧弱。とても軍隊の持ち物とは思えません。優れた消火機材があるはずです。2号炉からも遠い地点からの短時間放水。消防庁は2メートルまで接近しました。

 自衛隊は、最前線で食い止め国民の安全を守らなければならないという意識が希薄。消防庁と比べると歴然としています。

 今回分かったことは、いざという時、自衛隊は国民の生命、財産を守れなく物資の輸送、捜索を主とする後方支援しかできないということではないでしょうか。国民を守るために創設された自衛隊、これからどうでるのか注目です。』
2011年3月18日(金)
災害で強くなる人のきずな

 今回の巨大地震の災害で報道されている、日本人の心情、優しさには感動します。被災地で苦労している人々を思いやる気持ち、また避難所にいる人々の我慢強さ、過酷な状況の中でも互いにいたわり合う心、わが身を顧みずに責任を果たそうとしている現地の関係者たち。
 
日本人の美しい心情がまだこうしたところに脈々と流れているのを見て心を揺すぶられます。

 また、今回は家族のきずなというものも感じました。私の実家は茨城県の日立市。そこに90歳になる老母が住んでいます。隣に弟夫婦が住んでいてくれているのがなによりありがたのですが、地震直後は全く連絡がつきません。
 電話が通じない中で弟からの「家の中はしっちゃかめっちゃかだけど、みんな無事」と言う携帯メールが私の長男経由で入ったのが夕方でした。

 それまでに、あちこちにいる家族の無事を確認。私の姉たちの無事も確認できました。ひとまずほっとしました。日立はその後電気はついたけれど、水道、ガスが止まったまま。
 それから、
老母を東京の家族の方に避難させるかどうか、弟の家族、私の姉たち、私をつないだ一斉メールを使った長いやりとりが続きました。

 取りあえずの結論は、弟のブログ「日立大好き」(私は日立で頑張る)にあるように、彼ら夫婦が日立市に留まると言うので、高齢で高血圧を抱える老母を彼らに託すことにしました。
 さいわい原発の心配は別として(それが一番の心配だが)、今は余震の中でもまあまあ落ち着いた生活が出来ているようです。ホントにありがたい。


 弟の子どもたちが両親を心配して避難を勧めるメール。それに私の息子からもそうしたメールが。おそらくいま全国でこうしたやり取りが続いているに違いありません。

 やはり、こういう時に感じるのはそうした「きずな」です。まだまだ先が見えずに心配なのですが、過酷極まりない災害の中で、こうした
家族のきずな、日本人のきずな、それに日本人の美しい心情を再確認しているところです。頑張れ!日本人。

2011年3月9日(水)
写真集「それでも笑みを」

 写真家の大石芳野さんから新しい写真集「それでも笑みを」(清流出版、写真)を送って頂きました。
 「これらはわたしの写真家人生のなかでは1971年のパプア・ニューギニアから2010年の庄内までの旅のなかで出会った人びとのさまざまな表情の一部である」
大石さんはあとがきで書いています。

 輝いてはじけるような笑顔がある一方で、たっぷりの悲しみをたたえた瞳も(表紙は、セルビア武装勢力に父親を銃殺された少年。瞳から涙が)。ここには、沢山の表情が詰まっています。

 それにしても何と多くの国々に彼女は足を運んだのだろう。
 チャドやガーナのアフリカから、ミャンマー、ラオス、スリランカ、インド、マレーシアなどのアジアの国々で大地に足をつけてたくましく生きている人々。

 そしてポーランド、ヒロシマ、長崎、沖縄など、第2次世界大戦の悲惨な記憶を色濃く残しているところの人々。

 さらにベトナムやカンボジア、アルメニア、コソボ、アフガニスタン、チェルノブイリなど、その後の戦争や原発事故などで過酷な運命を経験した人々など。
 
30カ国以上の人々の瞳がカメラを見つめています

 人々の表情に歴史的背景も重ね合わせて見れば、写真集のタイトル「それでも笑みを」の意味が伝わってくるようです。
 過酷で哀しい体験を経て来たからこそ、心の底から平和のありがたみが分かる。そういうところでの人々の笑顔はそれだけ輝いて見えます。また、決して経済的には豊かでないバングラデシュの子どもたちの内面からあふれ出すような笑顔も印象的です。

 喜びであれ哀しみであれ、原色のように際立った情感をたたえている人々の表情。つくづく人間の表情の幅の広さ、多様さを感じます。それが鮮やかな民族衣装と相まって彩りを感じさせるのでしょう。「ここに人間がいる!」という感じですね。

 同時に、この写真集の中の表情は、最近日本の都会で出会う人々の表情とはずいぶん違って見えます。閉塞感の漂う今の大都会では、人々はモノトーンで無表情にならざるを得ないのでしょうか。

近々の大石芳野作品展、写真展
 「隠岐の国」(3月う29日〜4月24日、JCII PHOTO SALON 半蔵門)
  http://www.jcii-cameramuseum.jp/photosalon/index.html

 「それでも笑みを」
323日〜41日、コニカミノルタプラザ ギャラリーC 新宿)
  http://www.konicaminolta.jp/plaza/

2011年3月1日(火)
アカデミー賞受賞映画「英国王のスピーチ」

 昨日、都心に出かけたついでに思い立って映画「英国王のスピーチ」を観ました。その日アメリカでアカデミー賞の作品賞など4冠を獲得した映画です。
 午後340分の上映だったのにほぼ満席、前から2番目の席で見るハメに。やはり前評判がすごいですね。そして映画が終わった時、客席全体が静かな感動に包まれていました。

◆吃音症に悩んだジョージ6世
 映画の時代は第2次世界大戦の足音が近づく1930年代。イギリス王室のジョージ5世(在位19101936)の2人の息子のうち、吃音(どもり)症に悩んだ弟のジョージ6世の物語。

 (離婚歴のある)シンプソン夫人と結婚するために即位後、一年足らずで王位を捨てた兄のエドワード8世に代わって、心ならずも王位についた弟。しかし、吃音で上手く話せない。国民に向かって話しかけなければならないのに言葉が出ない。その重圧と苦悩。観ている方がハラハラします。

 そのジョージ6世の苦悩を吃音矯正の専門家であるライオネル(ジェフリー・ラッシュ)が数々の困難を乗り越えながら矯正していきます。王と一庶民(ライオネル)の奇跡的な出会い、友情、その破綻、絆の復活。陰で妻のエリザベス(現エリザベス女王の母)が献身的に2人の努力を支えます。

◆圧巻の舞台装置
 映画は、王の心の葛藤、2人の緊張をはらんだやりとりが軸になっていますが、それ以上に2人を取り巻く「時代と言う舞台装置」が圧巻なわけです。

 「王冠を賭けた恋」と言われた兄の恋愛。ヒトラーが迫りくる暗雲。そのヒトラーに融和的だったチェンバレン首相の誤算。チャーチルの登場。そういう中で、吃音症と闘いながら国の運命を背負うことになった王の重圧。

 そうこうするうちにドイツとの開戦を国民に告げる演説の時間が迫って来る。王を演じたコリン・ファースの表情のアップから、その重圧と緊張が苦しいほどに伝わってきます。果たして一世一代の演説は成功するのか...

 これだけ舞台装置が揃えば、あとは可能な限り緻密に
ディテールにこだわりまくって作ればいい。(チャーチルの描き方が余りに戯画的なのを除いて)俳優たちの名演技に時代背景の一つ一つが重なり、観ている者の想像を刺激して、感動巨編になっていきます。
 その計算がまた心憎い。


 映画が終わって、延々と字幕が流れているのに誰も席を立とうとしませんでした。

2011年2月27日(日)
地産地消とTPP問題

 退職して家にいるようになってから、カミさんがメモした買い物リストを持って近所のスーパーに行くようになった。最近は店内の売り場構成もほぼ分かって来たので、買い物の順序を考えたり、品物の値段を見比べたり結構楽しんでいる。

◆地元野菜の直販コーナー
 特に世話になるのが店に入ってすぐの地元野菜の直販コーナー。ブロッコリーやホウレンソウ、白菜、トマト、ネギ、生シイタケ、小松菜、サラダにするミズナ、ルッコラなど。
 農家の名前と顔写真がついていて、地元の5軒ほどの農家が毎日旬の野菜を運んで来るという。


 店内にはもちろんもっと大きな野菜売り場があるのだが、カミさんに言わせると普通の野菜売り場のものに比べて地元産は新鮮さが断然違う。日持ちがよく安心できる。特に生シイタケなどは違いが良く分かる。
 うちは家族が少ないから少々高くてもつい地元産の野菜に手が出てしまうという。


100マイルダイエット
 生産者が分かる地元野菜は、新鮮で安心というだけではない。地元産の食糧を消費する、いわゆる「地産地消」は、輸送のためのエネルギーが少なく地球環境に優しい食糧なのである。

 海外でも、例えばカナダでは、この「地産地消」が100マイルダイエット(100マイル以内で生産された食料を食べる運動)として定着して来ている。

 私の行った
バンクーバー市内のマーケットでは、大きな地元産の農産物コーナーがあるし、海産物も水産試験場お勧めの近海ものを表示している。(バンクーバー市の環境政策について詳しくはこちら

 100マイルダイエットは、自分たちが食べる食料品がどこで生産されたものか、どこからどのように運ばれて来たものなのかを、よりよく知るために始まった試みだが、今では地球環境を守るための「食のモラル」になりつつある。

◆暮らしの中のTPP問題
 身近なところから地球環境を守る「市民の意識改革」、最近では、海外から輸入された食料品などを買った(地産地消の出来ない)場合には、輸送で排出された二酸化炭素を相殺(offset)するための募金制度まで登場している。(climate careなど)

 そのお金で二酸化炭素を吸収するための植林や、自然エネルギーへの投資をするわけだが、これなども地球環境に良いことをしたいと言う市民意識の表れだろうと思う。


 こうした市民レベルの価値観の変化は、やがて「日々のコラム」(貿易のルールは国益の反映)に書いたTPP問題にもつながってくるに違いない。

2011年2月18日(金)
芥川賞「きことわ」を読んで

 サイゼリアで270円のコーヒーを飲みながら、芥川賞を受賞した「きことわ」(朝吹真理子)を読んだ。かつて葉山の別荘で幼いころを一緒に過ごした2人、永遠子(とわこ)と貴子(きこ)が、放置され半分朽ち果てた別荘で25年ぶりに出会う。
 年上の永遠子は別荘の管理人の娘、持ち主の娘の貴子は7歳年下。2人は貴子が生まれた直後から8年間、そこで絡まるようにして時を過ごした。

 その彼女たちが25年ぶりに会って、別荘とその周辺の風景、品々に触発されながら、過去と現在、夢と現実の間を往還して2人の絡まり合う時間や意識を確かめて行く。
 この小説では、人間は意識と時間からなる存在であるということ。その意識と時間は幾重にも重なりながら今につながっていること。それを精妙な言葉でジグソーパズルを埋めて行くように描いて行く。言葉のあやつりが素晴らしい。

◆プルーストとの連関性
 選者の幾人かが、プルーストとの連関性を指摘していたが、この小説が様々な味覚や嗅覚から触発される記憶を編み直す試みをしているからだろう。もう一つは、この小説に流れる「人間は時間と意識変化の合成物である」というテーマがプルーストに似ているからではないか。
 プルーストもその長編「失われた時を求めて」の中で、時間というものがそれぞれの登場人物に及ぼす圧倒的な力を描いている。

◆時代が反映している
 だが、選者の中で村上龍が、一言で言えば、「この小説は時代の雰囲気を反映していない」的なことを言っていたのが面白い。人間の時間と意識の精妙な構造を書いてはいるが、それはあくまで人間の一側面に過ぎない。
 その点、プルーストの小説には、第一次世界大戦の戦前から戦後にかけての時代の雰囲気が人々の変貌に影を落としている。

 その意味で、プルーストは人間を単に意識と時間の合成物とだけはとらえずに、時代との合成物としても捉えていた点で、そのスケール感は(当たり前だが)大きく違っている。そういう意味で、彼が見つけた『――何というその茫々たる「時」』の時間は圧倒的な力を持っている。
 人間の意識の中に分け入ってそれを精緻に表現するのも小説だが、茫漠とした個人の意識を時間の経過と、時代との関連の中で突き詰めて行くのもまた小説。2つは、似ているようで違っている点も沢山ある。

◆時代や世界の鍵穴を見つける
 だが、もうすでに老境に入っている私の個人的好みから言えば、もう人間の意識世界の中に余り深入りする類の小説は苦手になって来た。自分の意識世界だけでも手に余るし、これも下手に付き合うと深い井戸から抜け出せなくなる。

 むしろ、小説家でもない私の今の関心は時代や世界の背後に隠れている謎のようなモノの方に向いている。この世界や時代の背後に潜んでいるに違いない謎。それを解く鍵を見つける。
 そしてそのカギ穴からのぞいた世界について、一つ一つコラムに書いていく。それが集合した時に現れる多面体がこの世界と時代のイメージになるだろう。そしてその多面体のイメージが、実は私の世界観ということになるのではないか。

 それを(「メディアの風」に書くことによって)共有し、私たちがより良く生きることにつながればと願う。それが、「開局宣言」に書こうと思っている、「なぜ書くか、何を書くか」ということの骨子かな。

2011年2月16日(水)
山里訪問と息子からのメール

◆那珂川上流の山里を訪ねる
 先週末、先輩に誘われて栃木県芳賀郡市貝町、茨城県常陸大宮市を訪ねた。2日間にわたって、市貝町で新幹線や地下鉄など鉄道用モーターのコイルを作っている社長さんの御案内で周辺を見て回った。

 工場の中で見た(ノウハウがぎっしり詰まっていそうな)コイル製造技術の凄さ、或いは開発中の平面スピーカーの性能に驚嘆しながら、社長さんの経営哲学を聞いた。
 夜はいろりを囲みながら、棚田の整備、地域と葛飾区の人々との交流、地元で取れる自然食品の話など、様々なアイデアで地元の人々と地域おこしに取り組んでいる熱い思いも聞いた。


 翌日は雪に映える優美な薬師堂も御参りし、脱サラして「栃おとめ」のイチゴ生産を始めた若い農家も訪ねた。目の前に那珂川が流れ、梅の花が咲く山里を見て歩きながら、夢に向かって努力している人々の情熱を感じることができた。

 この話については、またゆっくり触れる機会もあるだろう。自ら運転して地元を案内していただいた社長さんと、誘ってくれた先輩に感謝したい。

◆息子からのメール
 さて、帰ってから「日々のコラム」に「若い世代に投資する社会を」を書いていたら、息子から次のような携帯メールが来た。勧めた
「デフレの正体」の感想だが、「日々のコラム」の内容とも関連するので、了解を得て以下に転載する。(ちなみに息子は32歳)

 『デフレの正体を読了したよ。経済と言うのは景気動向でうごくのではなく、人口の波、つまり生産年齢人口である現役世代の増減で動く。という観点を誰でもアクセスできる国勢調査を基に分かりやすく解説する良著でした。

 今後、少子化、高齢者人口の急増により内需がどんどん縮小していくなか、緩和政策として、団塊世代の退職者賃金を若者に回し、消費を促すという手段や女性が子どもを産みつつ、社会的に重要位置に勤務し続けると言うアイデアは、共感できました。ただ、緩和であってこの人口縮小の波には抗えないという事実は、重いです。

 また、外国人受け入れや金融緩和では全くこの波に対抗できないことも浮き彫りにされ、目から鱗。

 日本の凋落の正体や、今後何をすべきかのヒントがたくさんありました。いちデザイナーとしては、書いてある通り、より、デザインが社会の中で占める責任の向上を認識していきたいと感じました。

 多様な個性のコンパクトシティと美しい田園が織りなす日本。うーん、目頭熱くなりますね。
  (注。「デフレの正体」は、人口減少に合わせて旧来の市街地や農山村集落の再生を予見している)

 リタイア組は、頑張ってお金使って。』

2011年2月6日(日)
久和ひとみの輝きを受け継いで

◆ジャーナリスト願望
 ジャーナリストの筑紫哲也は「ニュースキャスター」(集英社新書)の中で、色々魂胆と理由があって全く肩書のない名刺しか持っていない、と書いている。事情は違うが私の場合も同じ。表に名前だけのシンプルな名刺である。こちらは昨年暮れに完全リタイアしたので、筑紫氏と違って肩書を入れようがないのだが、作ってみると案外にすっきりしていて気持ちがいい。

 ただし問題は名刺の裏の方、住所と連絡先を入れたのだが、これがちょっと物足りない。筑紫氏のように有名ならそれでもいいが、こちらは殆ど何の情報もない名刺になってしまう。
 考えた末に、ボランティアでやっていること、「メディアの風」とそのURL、さらにちょっと迷ったのだが「ジャーナリスト」と入れてみた。

 昔の仕事ならともかく、今の自分をジャーナリストと言うのは、客観的にも相当無理があるように思う。しかし、考えてみると自分は今も気持ちのどこかに「ジャーナリストでありたい」という密かな願望を引きずっているらしい。それがどんなものかは後で触れるが、最近そんな私の密かな願望が何かと刺激される機会があった。

◆久和ひとみの輝きを受け継いで
 今月2日、テレビ朝日の中で行われた「日本女性放送者懇談会の2月例会」。会をアレンジした司会のYさんからお誘いを受けたものだが、講演した3人の女性ジャーナリストの話がとても興味深かった。
 それぞれ日本のメディアで記者として働くうちに一念発起、「久和ひとみ・筑紫哲也スカラシップ」から奨学金を受けてアメリカに留学、ジャーナリズムを学んだ人たちである。

 詳しくはHP久和ひとみ・筑紫哲也スカラシップを見てもらいたいが、この奨学金はメディア界で一定の社会経験を持ち、再び学ぼうとする女性を対象としたもの。2人の遺族から資金提供を受けて作られた。

 今回のタイトルは「久和ひとみの輝きを受け継いで〜キャリア中断の留学で見つけた!新しい私」。彼女たち3人も入社してある程度仕事を習得した後、ジャーナリズムの本場で学びたいと思い切りよく会社を辞め、日本を飛び出した。その決断力と現地で学んでいく時のガッツが半端ではない。
 中の一人も言っているが、「私はジャーナリストだ」と言えるものを身につけたいと言う熱い思いが、彼女たちを突き動かしていたに違いない。

◆メディアを取り巻く厳しい現実
 その彼女たちは、今、一人はアメリカの新聞メディアで記者を、一人はロイター通信の東京支社で金融関連の記者をしている(お一人は子育て中だが、次の自立へ向けて就活中)。留学から78年たった現在もジャーナリズムに対する熱い思いは変わらない。ただし、その一方で彼女たちは今の厳しい現実についても率直に語ってくれた。

 メディアを取り巻く環境が厳しくなる一方のアメリカでは、記者たちが次々とリストラされている。回りで働いていた記者がある日突然首になり、「2時間以内に机を開けて出て行くように」と言われる。
 そうした過酷な状況の中で、できるだけ時間を作り、電話だけでなく直接相手に会って生の情報をとるように努めている。

 経済記者の彼女は、英語と日本語を同時通訳的に訳しながら記事を書いていく自分が、果たしてジャーナリストなのだろうかと自問する時があると言う。単に右から左に情報を流しているだけではないか。そう思って、できるだけ合間を縫って企画記事を書くよう努力している。

◆私はジャーナリストか?
 ジャーナリストと言えば、社会に対して問題意識を持ち、隠された事実を丹念な取材で掘り起こし、事実の裏をとり、メディアで情報を伝えることによって、権力や社会の不正義をチェックする、というのが一般的な理想像としてある。
 しかし、単にメディアに情報を提供するという点から言っても今、ジャーナリストのイメージはインターネットの登場によって揺らいでいる。時にウィキリークス、ツィッター、フェースブック、ブログなどで、メディアを超えた影響力のある情報が社会に発信される。こういう時代にジャーナリストとネットのライターの違いはどこにあるのか。

 彼女たちも、日々目の前の業務に追われながら、そういう問題意識を抱えているという。単に情報を受け渡すだけではジャーナリストとは言えないのではないか。では、どうしたらいいのだろうか。
 そういう悩みや問題意識を持ちながら、自分にとっての「ジャーナリスト像」を模索している。そんな思いを痛いほど感じながら話を聞いていた。

◆社会は健全なるジャーナリズムを必要としている
 翻って、私の場合。ジャーナリスト本来のイメージからすれば、今の私はとてもそんなものではない。名刺に勝手にジャーナリストと書いたけれど、無冠のジャーナリストとはちょっと面映ゆい気もする。だが一方で、晴れて自由の身になったのだし、別に資格試験があるわけでもないのだから、いいじゃないかと開き直ってもいる。

 メディア環境がこれだけ激しく変化しているのだから、ジャーナリストにもいろいろあっていいのではないか。私は私の気楽な立場から自分なりのイメージに沿ってやって行けばいいのだと思っている。彼女たちと違って生活がかかっていないだけに、相当気楽だが。

 ただし一点だけ、次の問題意識だけは出来るだけ多くの人と共有していきたい。今は社会が転換期に差し掛かって激しく変化しているのに、肝心のメディアも変化の波に洗われて足元が極めて脆弱になっている。膨大な情報が溢れてはいるけれど、何が事実で、何が真に大事な情報なのかなかなか見分けがつかない。
 こういう時代だからこそますます、私たちの社会は健全でまっとうなジャーナリズムを必要としているということである。

 私は、それをまともに担うわけにはいかないが、彼女たちにエールを送りつつ、いまのメディア状況を側面から応援するくらいの志は持っていきたい。そういうことだろうか。
 (なお、私がジャーナリズムに期待することについては、「言葉の持つ力について」を)

2011年2月3日(木)
「サイゼリヤ」の片隅から

◆午後のちょっと充実したひととき
 午後、店がすいた頃に歩いて数分の「サイゼリヤ」(レストラン)にコーヒーを飲みに行くようになった。これがとても便利で気に入っている。ドリンクバというのがあってコーヒーなどが飲み放題で270円。ちょっとした食べ物と一緒にすると180円。この安さで(いようと思えば)何時間でもいられる。

 昼時はすっかり近所のおばさんたちの社交場と化してにぎやかだが、午後のひと時は割合静かでゆったりできる。暖房も程よく、寒い家にいるより余程いい。ここで、切り抜いた新聞の熟読、読書、英単語の復習(やらないとすぐ忘れてしまうので)などをする。
 本の方は、今は梅棹忠夫と司馬遼太郎の対談「日本の未来へ」に刺激されて、司馬の
「韃靼疾風録」、須賀敦子の「ヴェネツィアの宿」、それと「デフレの正体」など。

 カミさんはカミさんで、別な店で友達たちとやっている。昨日は4時間も居座って話に花を咲かせたそうだ。その中で「何で民主党は小沢さんのことばかりなのよ。もっと実のある仕事をして貰いたいわねぇ。小沢さんだって、どこかに逃げて行くわけではないんだから、ほっとけばいいのよ。裁判やるんだから。」などと言って盛り上がっていたと言う。

◆民意が皮膚感覚として届いているのか
 この「メディアの風」もメーリングリストを使って、更新情報のお知らせをするようになってから、いろんな方から感想やご意見、励ましを頂戴した。今の政治に危機感を持っている人が多い。うんざりして「最近国会討論をしておりますが、ひどくて見る気にもなりません。」と言う人もいる。

 最近アメリカから帰国したAさんは、(大衆参加が政治を動かして来たアメリカに比べて)「私も日本の政治を憂慮しています。そして何故私達の憂慮が実際の政治をしている人に届かないのかと思います。民主党は民意に耳を傾けて政治を行うと言ってますが、何故とどかないのでしょうか。」云々と書いて来た。

 毎日、永田町の中で角突き合いをしている政治家たちの視野が、どんどん狭くなって、憂慮している側の民意が届かなくなっている。また、それをたしなめるべきマスメディアもしょっちゅう世論調査をしている割には、今人々がどのような思いで政治を見ているのか、皮膚感覚で分かっているのだろうか。

◆小沢問題を巡る不毛
 マスメディアの政治報道はもう2年間も、「小沢、小沢」とやって、国民のフラストレーションを高めて来た。宿敵小沢を目の敵にした検察があれだけ総動員で捜査し、挙句に不起訴にした後もずっと引きずって来た。
 当初さんざん報道した「1億円の裏金、ヤミ献金」の疑惑が雲散霧消し、秘書の起訴内容が単なる政治資金の記載の期ずれ(虚偽記載=それも否定しているというが)となった後も、(もうこれしかなくなった)「小沢の説明が二転三転した」ということを錦の御旗に引きずっている。

 結果、「小沢問題が片付かなければ、政治が動かない」という構図を作り上げたのは、ある意味でマスメディアだと言ってもいい。
 民主党執行部も、もちろん野党もそう決め込んで状況を打開できない。にっちもさっちも行かない。国民もそれに付き合わされて、うんざりし始めている。不毛なことである。

◆徹底的に政策の議論をしてほしい
 そんなことより、ずっと言って来たが、政治が対処すべき日本の難問の方が余程せっぱつまっている。与党も野党も党利党略で動くのではなく、今こそ国会で真剣に予算を議論してほしい。(その意味では、国民新党の言うような、小沢問題でケンカしてもいいが4月以降に先延ばししたらどうか、と言う意見に賛成)
 国民の方は、菅民主党のダメさ加減もちゃんと見ているのだから、自民党が国民を思ってしっかり行動すれば、今がチャンスだと言うことが分かりそうなものだが、その期待を裏切ってばかりいる。

 それに。先ほどの「デフレの正体」(藻谷浩介)を読むと、今議論に上がっている様々な課題の取り組み方は本当にこれでいいのかと、ショックを受ける。これからの日本を考えて行く上で直視しなければならない衝撃のデータだ。(詳しくは「日々のコラム」で)
 一人、「サイゼリア」の片隅で心配していてもしょうがない話だけど、とにかく政治家には(それとメスメディアにも)、もっともっと市民の生の声に耳を傾けて貰いたいと思う。

2011年1月29日(土)
「一市民立場から考える」ということ

◆不寛容な時代に入った日本の政治
 (二大政党が対立ばかりしているアメリカなどもその一例だが)敵を追い詰めることだけを考えて妥協を知らない「不寛容な政治」は先進民主主義国共通の病だとも言われる。日本の政治も二大政党時代に入ってまだ日が浅いが、気づかぬうちにその仲間入りしているのではないか
 日本と言う船が破滅の大渦に向かって刻々と近づいているのに、政治は船のかじ取りも忘れて、解散だ、対決だと足の引っ張り合いと内輪げんかばかりしている。

 同時に、相手の欠点、弱点を見つけて攻撃することばかり考えていると、政治家の方もだんだん小粒になってくるように思う。
 いかに相手の欠点を上手く言い表すか、に執念を燃やしているような、自民党の石原幹事長やみんなの党の渡辺代表などを見ていると、この人たちは、本人も知らない間にどんどん小粒化しているのではないかと思ってしまう。

 残念なことだが、今の政治状況では、昔のような包容力のある大物政治家は生まれそうにない。

◆政治とメディアの機能不全
 一方のマスメディア。そうした民主主義の不毛の中で本来の機能を果たしているだろうか。政治状況が決定的に変わっているのに、相変わらず泥を被らない高みに座って、状況を解説したり、揶揄したり、けしかけたり。
 レベルの低い政治にお付き合いするばかりで、ではどうすべきかという提言が少ない。これではオピニオンリーダーとしての機能を果たしていないのではないか。

 そんな中、国債の格付けを引き下げるニュースが伝えられて「いよいよか?」とドキッとする。日本を取り巻く事態は日々動いている。実態はそれほどでないにしても、こういうのは風評が大事。
 菅の「疎い」発言を巡って揚げ足取りに騒いでいる時間があったら、すぐさま、国の内外に向けてしっかりしたメッセージを伝えて行かなければならないのに、肝心の政治とメディアが機能不全に陥っている。

 国民の憂国の思いを受け止められず、政治もそれを伝えるマスメディアも、どんどん民意から離れている感じがする。(このあたりの状況については整理して、次回の「日々のコラム」に)

◆更新情報のお知らせ
 ところで、この「メディアの風」は、自分がどんな時代に生きているのか、時代の意味を探ってみたい、と思って書いて来た。自分の確認のために書いて来たので、書いていることについては、ごく身近な人々にしか知らせてこなかった。限られた友人とか、特に若い世代(息子や娘、その仲間たち)に読んでもらえたら、それで満足だった。

 しかし、日本を取り巻く事態がこうも切迫してくると、時代の意味を探ると言っても、そんな悠長なことでいいのか、ただ自己確認のために書いているだけでいいのかとも思うようになった。
 時代の意味が分かった思った時には、もう手遅れかもしれないし。そうなったら空しいことになるので、同時並行的に、自分の思いをより多くの人と共有したほうがいいのではないか、と思うようにもなった。

 そこで、お付き合いのあった人々のメールリストを作って、「メディアの風」のお知らせと更新情報をお伝えすることにし、同時に少し更新頻度も高めることにした。初めての試みだが、何人の方からは感想やご意見も頂いた。

◆一市民の立場とは何か?
 またそうしたら不思議なことに、この「メディアの風」ももう少しちゃんとしなければ、などと思うようにもなる。自分がなぜ書くのか、何を書くのか、もう少し自分の立脚点を明確にしておく必要があるかなあと思うようにもなった。

 特に、「一市民の立場から考える」ということの意味を整理しておきたい。浅学非才の身を忘れて自分が「日々のコラム」を書く意味でもある。
 そういうわけで、5年前に書いたままになっている「開局宣言」を近々改良したいと思っている。と言っても、そう大きく変わるわけではなさそうだが。

2011年1月21日(金)
ハラハラドキドキの「映画な」日

 水曜日、都内で友人と夕食をとることになって、それまでの時間を有効に使おうと今話題の映画を観ることにした。映画は「アンストッパブル」。実際にあった話を基にしたと言うが、アメリカのある貨物駅の操車場から、長さ800メートルの、毒物や可燃物を満載した貨物列車が無人のまま暴走し始める。機関手が誤って全速力にレバーを入れたまま、貨車を離れてしまったのである。

◆手に汗を握る大迫力
 「ハラハラドキドキして映画を観る」ということを
「I was on the edge of my seat, watching that movie.」(椅子のヘリに座って観た)というのを、最近英会話の先生から習った。身を乗り出して「手に汗を握りながら観る」感じを言うのだろうが、まさにその通りの映画である。

 驀進する列車が、線路上にかぶさった乗用車や意図的に脱線させようとした鉄板などを苦も無く跳ね飛ばし、叩き割る。巨大なエネルギーの鉄の塊となった暴走列車はもう誰にも止められない。unstoppable状態だ。
 行く手には人口の密集した都市。市街地の直前には大きくカーブした橋梁があり、このままのスピードで突っ込めば間違いなく脱線する。可燃物の毒ガスが爆発して市街地に降り注ぎ、かつてない大惨事を引き起こす。

 ヘリコのライブ中継が暴走列車の姿を追う。運命の時が刻々と迫る中、市民総動員の避難誘導が開始される。脱線は防げるか、この暴走列車を止められるか。大惨事を回避する方法を巡って関係者の間で激論が飛び交い、様々な人間模様が交錯する。

◆「心臓に悪い」映画
 この映画は『クリムゾン・タイド』や『サブウェイ123 激突』など、これまで何度もコンビを組んできたトニー・スコット監督とデンゼル・ワシントンが再びタッグを組んで製作した映画だが、今流行りのCGを使わずに、殆どが実写だという。
 車などを跳ね飛ばすシーンや脱線しかかった列車のシーなどはどうやって撮影したのだろうか。にわかに信じがたい。

 映像の迫力に加えて音がもの凄い。ドルビーの大音響が客席全体を包む。驀進する列車、火花を散らすブレーキの音。あまりの迫力に終盤になって息苦しくなり、トイレに立った。そうしたら、驚いたことに、心臓が早鐘のように鳴っていてなかなか治まらない
 多分、映画が始まってからずっと手に汗を握って、息をするのも忘れて映画に巻き込まれていたのだろう。これまで、ホラー映画などは最初から避けてきたのだが、「心臓に悪い映画というのが本当にあるのだなあ」と心底実感したのは、この映画が初めてではないか。

 ドキドキと言う心臓の鼓動は、映画を観終わった後も暫く治まらなかった。自律神経が少々狂ってしまったのだろう。それとも、こちらの心臓がそれだけ老朽化して来たと言うことだろうか。びっくりした。

◆人間を描く映画が好き
 さて、「アンストッパブル」でぐったり疲れた後、友人との食事会に。映画監督とその仲間である。次回作の進捗状況からその先の予定まで、話を聞きながら私はそれをもとに製作候補のリストを作る。仲間たちと彼の映画製作が次々と展開するように陰ながら応援をするつもり。

 最近の日本映画は興行成績を気にして、安直なアニメ頼りや、血が飛び散るサスペンスばかり。荒唐無稽で現実感のないつまらない映画を量産している。その数、年間400本ともいうが、多くは前宣伝の割につまらないというネットでの書き込みや口コミに、あっという間に消えて行く

 一方、彼の方は、師と仰ぐ黒澤明監督の教えを守って映画作りの王道を行きながら、それぞれに、暖かく、しっとりと、しみじみと、あるいは優しく「人間を描いている」のが好きだ。
 最近、BSで再びフェデリコ・フェリーニ監督の「道」を見たが、やはり永遠の傑作だった。ジェリエッタ・マシーナとアンソニー・クインの2人が演じる「人間のもつ哀感」が胸を打つ。映画の本質はやはり、「人間を描くこと」だと改めて感じさせられた。

 邦画の不毛が続いている中で、友人の映画は高い評価を得て来て根強いファンも多いのだが、資金面などからすぐには次回作が決まらないのがこちらの不満。本人は悠々たるものだが、応援の我々はやきもきしている。
 何とか仲間の力を合わせて、わが友の映画作りが順調に展開していくように、少しでも役に立ちたいと思っているところ。早く企画案のリストを完成させて、いろいろと作戦を練らなければね。

2011年1月13日(木)
昨晩の「ためしてガッテン」に拍手

 昨晩の「ためしてガッテン」。ご存知のNHKのファミリー・サイエンスの看板番組だが、カミさんと何気なく見ていて、その鮮やかな手並みに舌を巻いた。同時に、私も昔番組作りに参加したことのある、この手の番組作りの大変な進化(情報の新鮮さも、それを巧みに展開する技法も)に思わず感動。(健康が気になる皆さんへの情報提供を兼ねて)この場で拍手しておきたくなった。

◆日本一低い掛川市のがん死亡率のなぞ
 昨晩の「ためしてガッテン」のテーマは、「がん予防に効果あり」とするお茶について。どこか聞いたことがあると言われそうだが、その内容は画期的なものだ。最新の情報を興味深い謎ときスタイルで展開しながら、展開の一つ一つに説得力と意外性がある。
 
静岡県掛川市が日本一がん死亡率が低いということを入り口にして、見ているものを謎解きへと誘い、興味をかきたてながら、最後に実に有用な情報にまで一気にたどり着く。時間があっという間に過ぎた感じ。今回のテーマを番組のHPから転載すると、以下のようになる。

 人口10万人以上の市区町村の中で、
 がんによる死亡率が日本一低く
 高齢者の医療費も全国平均と比べて
 20パーセント以上も低い、驚きの町があります。
 それが静岡県掛川市
 なぜ、年をとっても元気でいられるのでしょうか?
 その秘密の鍵を握っていたのが掛川市の
 特産品、
「緑茶」
 このほど、地元病院や大学、国の研究機関などが行う調査で、
 これまでの常識を超える緑茶の超健康パワーが次々と判明!
 しかも、そのパワーを最大限に生かすヒントは、
 掛川でのお茶の飲み方にあったのです。
 長寿の里に学ぶ、お茶の健康パワー徹底活用術!をお届けします。

◆なぞ解きと意外な事実で引っ張る
 番組では、静岡県掛川市で、如何にがん死亡率が日本一低いか?、そうだとすると掛川市の何が効いているのか?、掛川市の特産品か?、どうもお茶らしいけれど他のお茶の産地と何が違うのか?、地元の人々のお茶の飲み方に特徴はないか?、そのお茶の意外な効果とはなにか?、実は掛川のお茶は
「深蒸し」という製法で作られていた、「深蒸し」にはどのような効用があるのか?、「深蒸し茶」の意外な成分とは何か?、と引っ張って行く。

 ここまで来ると、ちょっとこの番組は掛川市の特産の「深蒸し茶」の宣伝ではないか、と心配になるが、それもしっかり解決する。その心配をスタジオでユーモアたっぷりに受けて、最終的には普通のお茶でも「深蒸し茶」と同じ効用をもたらす飲み方があると伝授してくれる。ちゃんとNHKらしい結論にもっていく。

 しかもその作り方が新機軸ながら簡単。普通の
煎茶の飲み方に革命をもたらしそうな方法なのである。考えようによっては、いろんなところからクレームが来そうな(?)内容だが、最新の研究成果を紹介しつつ、しっかり、つぼを押さえている。

◆「深煎り茶」、「すり鉢茶」の驚くべき効用
 それにしても。がんを予防し、血中のコレステロールを薬並みに下げ、便通が良くなり、ダイエットにも効くという、お茶の飲み方を教えてくれるところが偉い。それも最新の研究と科学的に知見をベースにしているので説得力がある。
みんなが、この方法でお茶を飲んで行けば、ひょっとすると日本全体で年間3兆円もの医療費が節約できるかもしれないという。

 「ためしてガッテン」のHPでは、この「ガッテン流!すり鉢茶」の作り方も書いてある。

 ガッテン流!『すり鉢茶』の作り方
 では、深蒸し茶を取り寄せなければいけないのか??
 そんなことはありません。
 ガッテンは、家にある普通のお茶でも
 掛川茶と同じような健康効果を得られる方法
 を開発しました。
 その名も“すり鉢茶”です。
 作り方は簡単!

 まず、すり鉢お茶の葉を2グラム弱入れ、
 熱湯を小さじ1杯ほど足し、
 すりこ木で1分ほどすります。
 ペースト状になったお茶の葉に、
 熱湯を200ミリリットルほど加えて1分ほど置き、
 茶こしでこすだけで完成です。

 調べてもらったところ、
 深蒸しでない普通のお茶を使用しても、
 深蒸し茶と同等以上の健康成分
 含まれていることがわかりました。
 急須で入れるよりも、少ない茶葉の量で
 濃厚なお茶を楽しむことができます。
 ※ガッテンのお勧めは大き目のコップで
 1日3杯(600ml)ほどです!

◆我が家でもためしてみました
 さて、昨晩は我が家でも早速試してみた。夕食後に飲んで見たが、今朝の便通は快調そのもの。掛川市の人々のように一日10杯も飲めないから、この「すり鉢茶」を一日2杯は飲もうと言うことになった。皆さんも試してみませんか?
 こうした、情報の嬉しさはともかく、番組作りの進化にはエールを送りたい。パターンを使っての謎ときと論理展開、図表の説得性、ゲストと立川志の輔の軽妙なやり取り。もう何十年と積み上げて来たファミリー・サイエンス番組の蓄積が生きているのだろう。

2010年12月31日(金)
2010年の年の瀬に




 年末のある日、いつもの5人組で湯河原温泉に行った。集合場所は浅草。少し早く着いたので「あずま橋」から
成長途中のスカイツリーを眺める。
 多くの人がカメラを構えていた。

 


 8人乗りのレンタカーに乗り込むと早速、車の中で酒盛りが始まる。運転手を務めるSさんが夜なべして作ってくれた「男の手料理」を肴に、持ち込んだ上等な酒を飲み始める。運転中の彼には悪いけど、バカな冗談を連発しながら飲み続けて、もう旅館に着くころにはかなり出来あがっている。

 宿でも夕食をしっかり飲み食いし、温泉に入った後、これまた部屋で様々な話題を肴に酒を飲む。68歳のNさんは、かれこれ一升も飲んだだろうか。特に仲間の一人が最近、中古のクルーザーを購入したと言うので、これからは船に乗って温泉地に行き、港に停泊して飲もうじゃないか、と言う話で盛り上がった。

 もう皆、昔で言えば老人だけど、気持ちはなぜか若いころとさして変わっていない。中国問題やロシア問題、民主党政治の話題から最近のテレビ番組についてまで、結構熱くなって議論している。11時を過ぎたところでお開き。
 始めは3人で始まった温泉組も、もう10年以上続いている。それぞれリタイアしたり、まだ現役で頑張ったりと様々だが、酒飲みだけは変わらない。それでも、全員まだ何とか健康でいられるのはありがたいことだ。

 翌日、仕事を抱えている2人が一足先に東京へ。残った3人で伊豆山神社、五百羅漢で有名な玉宝寺、そして箱根の彫刻の森美術館にも行った。伊豆神社は源頼朝が挙兵の時に祈願した、霊験あらたかな神社だという。その裏山は巨大なクスノキの森。見上げると首が痛くなるような大木が枝を伸ばしている。

 玉宝寺では、五百羅漢が並ぶ本堂に上がってNさんと般若心経と観音経をあげさせてもらった。5年前の年の瀬、5人組で別所温泉を訪ねた時にも、同じように禅寺で般若心経を上げたのを思い出した。こうして無事年を重ねることが出来たことにまずは感謝しなければ。

 今年の年末、私はわずかに引きずって来た仕事からも完全リタイアした。これで全くの年金生活に入る。今の気持ちを正直に書けば、「すべてはこれから」。人生の仕上げに向けてささやかな内省の時も持ちたい。
 そして前回書いたように、家事も含めて
等価値の諸々を引きうけながら「メディアの風」にも、もう少し本腰を入れたいと念じている。
 来年が皆さまにとって良い年でありますように。

日めくり一覧

(05年〜11年)