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  今週の鑑賞。定年後の身辺雑記

北米旅行@行く前の緊張 17.10.17

 2週間の海外旅行から先日帰国した。半ば取材旅行で、半ばプライベートな旅である。行先は、前半がカナダ東海岸のあちこち。後半4泊が息子一家5人の住むNYブルックリン。特に前半には、各国のジャーナリストに交じって日本人は私一人の、結構ハードな東海岸の国立公園や観光名所を取材して歩くツアーが組まれている。事前に送られてきたスケジュールを見ると、奇岩の並ぶ海岸の散策から鯨ウォッチング、あるいは、川を遡上する鮭と一緒に泳ぐ、などというのもある。メンバーと一緒の食事も含めて、朝から夜までかなりのイベントが組み込まれている。

 もちろん、私のような老齢は一人だけ、あとは息子や娘のような若者に違いない。4年前に同じカナダ観光局のご招待で、日本人の私一人が若い女性ジャーナリスト4人と旅をしながら、「プリンス・エドワード島を食べ歩くツアー」をしたことが脳裏によみがえって来た。果たして、体力は持つのだろうか、私の胃はカナダの量の多い食事に耐えられるだろうか。これまで何回も参加しているイベントなので、何とかなると思う一方で、やはり出かける前はかなり緊張した。特に、出かける2週間ほど前に、何度か胸の痛みを覚えて心臓の検査をしたりしたので。。

◆行く前のどっきり。心臓検査
 その時は、かかりつけのクリニックに行き心電図をとってもらった。すると先生が「ちょっと気になる」と言う。そこで2日後に、より精密な「心臓エコー検査」を予約した。出かける直前になって困ったことになったと思ったが、心配を抱えて出かけるわけにはいかないので、観光局に迷惑をかけるが、結果次第では旅行を取りやめることにした。事前にその旨を知らせておいたほうがいいと思って、日本の担当者にメールしたら、「お体が第一ですのでご心配なく。診断の結果がいいことを祈ってます」と心優しい返事をもらった。 

 2日後に詳しく検査した結果は、「何も問題はありません」だった。ちょっと腑に落ちない気もしたが、そういうことなら取りやめる理由はない。再び参加する旨をメールした。そんなこともあって、出かける前は、いかに無事にこの旅を切り抜けるか、健康に注意しつつ、緊張感をもって臨むかを考えた。72歳のちょっとした冒険にはなったが、行く前に、この2週間の旅を自分に納得させるために、また、旅を無事に終えるために、考えや心構えを整理したりもした。1回目はそれを書くのだが、その前に今回の旅について簡単に触れておきたい。

◆7度目のGoMedia会議。出発前の準備
 旅のメインは、カナダ観光局主催のGoMedia会議というもので、世界各国からジャーナリスト120人ほどが招待され、3日間にわたってカナダ各地の観光担当者との間でミーティングし、メディアにとって興味深い情報を得ることにある。また、この会議に付属しているのが、少人数に分かれての国内ツアーだ。今回、私は会議の前に5日間、東海岸ニューブランズウィッグ州のファンディ湾沿い国立公園などを旅した。ツアーのタイトルは「ファンディ湾沿いのオーシャン・アドベンチャー」という。このアドベンチャー(冒険)というのも、出かける前の緊張の一つだった。

 そこで例によって、スーツケースに詰め込むもののリストを作り、一つ一つ揃えていった。現地の気温は現在、日中は10度前後だが、朝晩は零度近くにもなるというので、ユニクロで買ったダウンやセーター、厚手の綿パンなどを。日本の担当者の指示で、カナダに入るのに必要な(ビザ代わりの)「eTA」という手続きもネットを通じて行った。さらに、直前になってふと、今のiPhoneは海外でも使えるのだろうか、という考えが頭に浮かんだ。電話会社に確かめてみると、「使えないタイプの契約になっております」とのこと。

 現地では、Lineで頻繁にNYの次男と連絡する必要があるので、焦ってネットをあれこれ検索して「イモトのWiFi」という機器を借りていくことにした。これがあると、現地で簡単にインターネットに接続可能で、Lineなどのタダの電話が、日本やNYと行える。これもネットで予約し、成田で受け取って使い方を説明して貰って持って行くことにした。2週間、カナダとアメリカ用で約2万5千円である。ホテルや空港などのWiFiを利用する最終手段もあったが、結果から言えば、これがかなり役に立った。

◆出かける前の心構え
 また、前述のような事情もあったので、出発前の成田では目一杯、医療保険は無制限の旅行保険(AIU)にも入った。ただし、去年4月に前立腺ガンの手術をしたことを申告すると、その病気に関する医療については300万円が限度です、と言われて苦笑い。もう後遺症もないに等しいが、なるほどテキはしっかりしている。とまあ、そんな風に事前の準備をしながら、出かける前、旅の間の“心の揺れ”を抑えるために、心構えのポイントをノートに書き付けた。それは以下のような簡単なものである。

・旅とは非日常。様々な予期せぬ出来事も含めて、その非日常を楽しむ。
・あまり些細なことは心配しない。起きても何とかなる。
・慌てずに、一つ一つ対応していく。
・一人で移動するときは、心配なことは前もって出来るだけ確認しておく。
・アルコール類、食事の量、体力などは後に持ち越さないように80%を目指す。
・年齢を考えて休息は十分にとる。場合によってはイベントをパスする。
・今回の旅の成果を、発信やテレビの企画、一つの体験として今後に生かす。

 9月27日、いよいよカナダ航空で出発した。成田からトロントへ11時間、さらにトロントで5時間待って乗り換え、2時間後にモンクトンという湾沿いの小都市へ。着くのは現地時間の深夜零時過ぎ。朝6時半に起床してから、ホテル着までの29時間半の長旅に、まずは一人で耐えなければならない。  (つづく)

第2の書斎を見つけて 17.8.18

 6月下旬に近所のサイゼリヤが閉店になった話は、前回書いた。ここ10年近く、店がすいている時間に行って読書をするのに利用していた店である。店員さんたちも感じが良く、何より冷暖房完備がありがたかった。閉店後、そこにどんな店が入るのか注視していたが、一向にその気配はない。解体するわけでもでなく、放置している感じである。そうこうするうちに、たちまち猛暑がやって来て、どこかにサイゼリヤに代わるような場所がないかとあれこれ探索していたら、足元に大変便利な所を発見した。

 そこは、歩いて5分もかからない市民会館で、我が市には過ぎたる立派な建物の2階にある。数年前まで市民が利用するためのカフェだったが、今は閉店して休憩所になっている。飲み物の自販機があり、テーブルと椅子が幾つも並んでいて、時間さえ選べばごく静かな場所である。高校生などが、勉強などで長時間場所を占拠することは禁じられているらしいが(張り紙がある)、私などがいくらいても誰も文句は言わない。時々、習い事を終えたおばさんたちがやって来ておしゃべりする以外は、静かだ。そこを利用することにした。

◆読書「石牟礼道子」
 朝10時過ぎに行って、自販機から紙コップの100円のブルーマウンテンを買い、テーブルに座って読書をしたり、切り抜いた新聞を読んだり、ボーッとしたり。サイゼリヤでやっていたのと同じ時間を過ごすことになった。その時間は、殆ど誰も居ない。そこで何冊かの本を読んだ。印象に残ったのは、作家、石牟礼道子の世界を解説した「もう一つのこの世」(渡辺京二)である。「苦界浄土 わが水俣病」を書いた石牟礼道子については、その昔読んだことがあったし、水俣にも行った。彼女が書いた能「不知火」を東京で観たこともある。

 それは、水俣をベースに膨大な著作をものしている石牟礼道子のユニークな世界を分かりやすく解き明かした本である。石牟礼は、不知火海をベースに文明化する前の、人間と自然が混沌として一体になっていた頃の世界を描いている。渡辺は彼女を世界的に見ても巨大で特異な作家だと力説する。次に、その彼女を思想家として捉えた「魂の道行き」(岩岡中正)も読んだ。彼女が水俣病の患者とともに思索を深めていった世界は、もし適切に英訳されれば(チェルノブイリを描いた作家、スベトラーナ・アレクシェービックのように)ノーベル文学賞に最も近い作家になったかも知れない。

 それにしても、彼女の描く世界がこれほど深いものだとは、これらの本を読むまで知らなかった。彼女には代表作「苦界浄土」(3部作)の他にも膨大な作品群があり、市立図書館にそれらがあるのを確かめては来た。しかし、読んで見たい気もするが、一度その世界に入り込んだら、再びこの文明世界に戻ってこられないのではないかと、ちょっと怖い感じもする。そんなことを思いながら、新たに見つけた第2の書斎で時を過ごしている。

◆孫たち@
 娘のところの男児(K君)は、11ヶ月になった。近いので月に1度は里帰りする。まだ正式のハイハイが出来ないが、ほふく前進スタイルですごいスピードで移動するので目が離せない。つかまり立ちも出来るようになった。最近は彼にも小さな自我が生まれて来たようで、こちらと様々な感情のやりとりが出来るようになった。朝起きて顔を合わせるとにっこりと笑みを返す。まるで、外人同志で親しみを表すように。握手もするし、イヤイヤもするし、イナイイナイバアもする。

 もっと欲しいとかだっことか眠いとかの様々なサインを示す表情も豊かになって、母親がそれを解説してくれる。見ていて飽きない。まだ生まれて11ヶ月だが、彼の脳は毎日膨大な情報をインプットしているのだろう。それにしても、離乳食への切り替えなど娘の至れり尽くせりの子育てを見ていると、今更ながらのように子育ては大変な作業だと思う。昔はもっといい加減にやっていたような気がするが、それを言ったら3人を育てた我が家では大変なことになる。

◆孫たちA
 某日。娘が里帰りしている間に、長男一家が2人の孫娘を連れてやって来た。こちらは、中2と小6の娘孫である。始めは緊張していたK君だが、長男がせっせと気を引いているうちに、ようやく慣れて笑い声を出すようになった。彼の仕草一つ一つに皆が笑ったり拍手したりで、何でもない時間が過ぎていく。一家で、私がいつも行っている寺にお参りしたあと、2人の孫娘と私は、例の第2の書斎でお茶を飲むことにした。そこで、話したことは多岐にわたる。

 クラスのこと、2人の性格のこと、クラブ活動のこと、将来やりたいこと、これから大事な身体作りのこと、そして自分にとって大事な芯を作ることなどである。特に興味深かったのは、クラスのことだった。姉の方は、中高一貫校に入っているので「変人ばっかりだけど、その分、いじめは全くない」という。むしろ楽しい学級らしく、クラス全員で先生に背を向けて授業を聞いて、先生をからかったり。先生もそれをユーモアで受け止めていたらしい。

 一方の小6の方は、ちょっと違った。5年の時だったが、クラス担任の女性教師がある一人の女の子をえこひいきするのが、目立ったらしい。それも、その女児は、いじめっ子でクラスのボス的存在。一人のいじめられっ子を皆でいじめていた。それを先生は見て見ぬふり、言いつけるとその子に仕返しするような先生だった。学年主任だった彼女は、そのボス的存在の女の子をひいきにすることで、クラスをまとめていたのだろう。しかし、いじめられっ子に同情した孫娘の仲間が母親たちに訴え、問題提起。「(いじめられていた子は)少し変わったところはあったのだけど、かわいそうだったから」と。
 
 結果的には、その先生は担任を外され、6年になった時には、いじめっ子といじめられっ子は別のクラスに分かれたそうだ。そういう時に、見て見ぬふりをするのを「平和村の住人」になるというのだそうだが、孫娘の仲間数人はそれを拒否して親たちを動かしたという。「今はいじめは全くない」という彼女だが、話を聞いていて、随分と大人びたものだと感心した。この世に生まれてまだ12年しかたっていないが、人間というのは成長するものである。まあ、そんな話をしながら、第2の書斎の静かな場所で、私は孫娘と随分と話し込み、心が通い合ったような気になった。「至福の時」だった。

◆英会話
 某日。9月末から2年振りにカナダに出かけることになったので、すっかり錆び付いた英語能力を、少しは磨いておこうと以前にも通っていたマンツーマンの英会話教室に通い始めた。教科書なしの雑談である。教師はオーストラリア出身の元技術者で世界の情報に詳しいインテリ。易しい言い回しで言ってくれるので、トランプ大統領の資質や弾劾の可能性、北朝鮮問題、オーストラリアの環境政策、移民問題など、様々な話をした。その幾つかは、コラムに書けそうであったり、もっと取材をすればドキュメンタリー番組の企画になりそうな話だったりした。

 久しぶりの海外で、また私は日本人が一人だけのツアーにも参加しなければならないので、今からドキドキだが、その帰りには4日ほどNYによって、次男一家に会う予定をしている。3月末に一家で移住したのだが、どんな風になっているのだろうか。孫の長男はNYのバレエ学校のオーディションに受かって、9月から通うことになっているそうだし、長女はアート教室で好きなことに打ち込んでいるらしい。何だか、日本では考えられないような生活になっている。時々、LINEでは話をしているが、会ってその成長を見るのを楽しみにしている。

猛暑にサイゼリヤが閉店 17.7.20

 前回の更新以降にも幾つかのイベントがあり、そうこうするうちに、雨らしい雨が降らないまま梅雨が明け、猛暑の夏に突入した。今でも十分暑いのに、本格的な夏になったらどうなるのだろうと、カミさんは心配している。アメリカなどでは、色んな学説で温暖化を否定する人々がいるが、この暑さは昔にはなかったものだ。そんな暑さの中で、気力を奮い立たせてやっとコラムを書いたが、「風の日めくり」の方でも、最近の出来事をまとめておきたい。

◆老人同士のおしゃべり
 某日。6月上旬の山梨県への温泉行きのあと、下旬に今度は高校の同級生と先輩の4人組で箱根の温泉に出かけた。こちらの4人組もけっこう長く続いている気の合った仲間だ。ホテルに到着して温泉に入った後は、食事中も食事の後もずっとおしゃべりだった。よくカミさんたちが食事会などで集まっては何時間もおしゃべりして帰ってくるので、「よくそんなに話すことがあるなあ」などと言っているが、こちらの老年組も考えて見れば、良く話している。午後5時頃から夕食をはさんで11時まで、翌日は強羅公園であじさいを購入した後、昼食後の喫茶店で。そしてロマンスカーに乗ってからもさらに話していた。

 最近のニュースや政治の話、読んで面白かった本、評判の映画、あるいは、新聞記者や作家など、それぞれの情報源から仕入れた中々興味深い話、そして健康の話題。特に熱を入れたのは、映画監督の友人が温めている次回作の案についてだった。彼の次回作は幾つか候補はあるのだが、今の映画界の状況と中々マッチせずに難航しているので、他の候補も含めてあれこれとアイデアを出し合う。まあ、そんなこんなで温泉も2回入っただけで、延々と話をした。良くそんなに話があるねと、カミさんに逆襲されそうだが、まあ大仰に言えば、老人4人それぞれが、話をすることによって自分の「世界観」を確認している、と言えるかもしれない。

 定年になって、(かつてのように)日々追われる仕事がなくなり、普段会話する相手も少なくなると、何となく自分が曖昧に感じてくる。そんな思いは日頃は意識下に置いているが、時折どこかで自分という存在を無性に確認したい気持ちになる。この欲求は、時々の2時間程度の飲み会だけでは満たされないような、もっと大きいものに思う。こうして老人4人が集まって、飽きもせず話をするのは、その欲求を半ば満たすためではないかと思ったりする。料理も酒も入浴も二の次で、おしゃべりが第一。そんな温泉行きだった。

◆猛暑の夏に
 某日。歩いて3分ほどにあるサイゼリヤが突然閉店になった。顔なじみの店員さんがやってきて「閉店することになったんですよ」と済まなそうに言う。ここは、もうかれこれ10年近く私の第2の書斎だった。夏は冷房が、冬は暖房が効いていて、午後2時頃に行くと客も少なく、コーンポタージュとコーヒーなどが飲み放題で400円弱。切り抜いた新聞を読み、読書をし、コラムの構想を練り、時にはイヤホンで音楽を聴きながら昼寝をする。これが家では中々出来ない。幾ら居ても店員のおばさんは愛想が良かった。そのサイゼリヤが6月24日で閉店してしまった。これから猛暑の夏に入るというのに、途方に暮れるとはこのことでである。

 某日。健康のために月に2回はやると決めたゴルフである。6月には、何故か急に開眼して、一気にスコアが10以上良くなった。気をよくして7月も2回セッティングしたのだが、これが大変だった。何しろ埼玉県地方は日中35度以上の猛暑で、暑さにめっきり弱い私は、やる前から熱中症になりやしないかと、緊張のしっぱなしだった。ネットで、首の周りをアイスノンで冷やすグッズや、濡らして振ると冷えるタオルやら、友人からの情報でアンダーアーマ−というアメリカ生まれの揮発性の高いシャツ、携帯用の氷のうまで用意して行った。しかし、暑さの中で集中力も途切れがちで、結果は無事に終わったのが収穫という有様だった。

 もちろん、スポーツドリンクも魔法瓶に入れたのや、凍らせたものなど1.5リットル分、その他に食事中の水も入れると2リットルは飲んだだろう。しかし殆どが汗で出たらしく、トイレも一回行っただけだった。しかも、問題は終わってから。幾らでも体が水を欲しがる。帰りの電車の中から就寝まで結局また2リットルくらい飲んだ。それでもあまり尿意を催さないので、腎臓がどうにかなったかと不安だったが、早くに寝て翌日にはやっと普通に戻った感じがする。この暑さの中でのゴルフは健康のためと言うより、身体へのダメージの方が大きいと痛感した。7月はこれで打ち止め。8月は涼しい高原で1回だけやることにした。

◆元気老人の話を聞く
 某日。今年91歳の大先輩と3人でホテルのレストランで食事をした。中華料理を食べながらまるまる3時間、話をするのは殆ど大先輩で、こちらは聞き惚れていた。そのくらい、大先輩は今も元気いっぱいで最近もアメリカや香港、そして全国各地を飛び回っている。好奇心旺盛で、アメリカの帰りにはわざわざハワイに一泊して「パールハーバー」を視察してきたそうだ。「あれを見れば、真珠湾がルーズベルトに仕掛けられた攻撃だというのが良く分かる」というのが感想で、当時、真珠湾にはアメリカの有力艦艇は一つもなかったそうだ。これに止まらず、話は彼の90年の人生エピソードの壮大な絵巻物になっていく。3時間などではとても終わらず、口述筆記ものにでもすれば、と言うくらいに面白い。

 長い人生の中で、彼は何度も命拾いをしている。陸士学校に入って訓練中に、たまたま書類が必要になって横浜の実家に日帰りで取りに行き、戻ってくると朝霞の駐屯地が爆撃されていて、同室の仲間たち全員が死んでいたこと。死者163人を出した鶴見列車脱線衝突事故(昭和38年)では、同じ列車に乗り合わせたが、(乗った車両が偶然のことに普段とは違う後部車両に乗って)助かったこと。取材で乗ったヘリコプターが着陸に失敗して墜落したこと。このときは開いていた窓から外に投げ出されて助かったそうだ。
 日航機が墜落した日には、同じ飛行機で福岡から東京まで帰ったこと(同機はその直後、東京から大阪に行く際に墜落)。彼は最近105歳で亡くなった日野原医師とも親しかったが、この強運に支えられれば100歳までは生きますよ、などと話したものだった。

 某日。一昨年93歳で死んだ母の3回忌を水戸の菩提寺で行った。墓所で、集まった全員で般若心経を唱えた後、うなぎ屋で食事会。母の2人の妹(私の叔母)も参加した。一人は施設に入って元気を取り戻したので須賀川市から従兄弟の車で参加した85歳。もう一人はその姉で水戸に住む88歳。こちら夫婦はともに88歳で元気いっぱいだ。毎晩2人で晩酌を欠かさないという。80歳を超える義兄も「昼間も時々やるから、1年370回以上は飲んでいる」というお酒好き。日野原医師が唱えた「生活習慣病」というのは何だろうと思うほど、皆、好きなことを楽しんでいる。まあ、それぞれに楽しみを持ちながら健康であることが何より。そして時々集まって話ができることである。

◆無理をせず、ボチボチと
 娘の所の孫は10ヶ月になった。近くなので、ひと月に一回は里帰りするが、ようやくつかまり立ちが出来るようになって、何だか智恵もついてきたように見える。次男の所の3人の孫たちは早くも英語に慣れ、それぞれバレエの他に音楽やアートの夏学級に入って、NY生活を満喫しているようだ。長男の所の2人の孫娘には、夏休みに入ったら会いに行くつもり。猛暑の夏、ボランティア的な仕事から勉強会や趣味のことまで、あれこれやることはあるが、まずは健康第一。無理をせずボチボチとやっていこうと思っている。

72歳。まだ時代と格闘する? 17.6.14

 5月の末に72歳になった。まあまあ元気でこの歳を迎えられたことを、素直に感謝したい。3月一杯で、週2回、6年間通った仕事を卒業して、予定が書き込まれていない白い手帳を楽しもうと思ったのも束の間、あれこれと行事が入ってきて、あっという間に時間が過ぎていく。この間、いつもの4人組で温泉に行って渓谷をハイキングもした。水戸であった小学校の同窓会にも(墓参りを兼ねて)参加した。健康維持のためにゴルフにも熱を入れだした。その他、役に立てるかどうか分からないが、テレビ制作会社にも週2回出ることになったので、以前と殆ど変わらない生活に戻った感じがする。

 老後お世話になる地元をもう少し知っておきたいと始めた、市会議員と市民の集まりでも、何かと役割が回って来るようになった。6月のマニフェスト実証報告会では、シンポジウムの司会(コーディネーター)を仰せつかっている。学会など、あれこれのボランティア的お付き合いも続く。週2回の仕事を卒業する時は、身体が動く健康寿命の76歳(あるいは77歳の喜寿)まで、もう少し自由に(一人旅をしたり、絵を描いたり)好きなことをやって過ごすことを考えたが、中々思うように行かない。そんな中、定年後の生活の基軸としてきた「コラムを書く生活」をどうするかが、再び気になり出した。

◆戦争を研究してきた人たちからの警告
 70歳になった時には、身体と頭が続くうちはあと5年、何とか続けてみようと考えた。しかし、それもちょっと気が緩むとたちまち遅れ出す。もちろん上に書いたような事情で、集中して時間がとれないことが最大の要因なのだが、一方で、書くのが安倍政権のことだったり、トランプのことだったり、北朝鮮のことだったりと、憂鬱で困難なテーマが多いせいもある。書くことで世の中を変えようなどとは思わず、ただ時代がどこに向かっているかを知ろうとするだけなのに、これだけ時代が暗い方向へ進んでいると余計に気力が湧かず、一頃のような集中力が保てない。

 そういうときに、歴史家の半藤一利や保坂正康のコメント、あるいは治安維持法が猛威を振るっていた戦前に、時代に抗って懸命に生きた人々を書いた「暗い時代の人々」(森まゆみ)などを読むと、少しは勇気づけられる気がする。私たちの世代は、直接は戦争を知らないが、いろいろと戦争の悲惨さや戦争に至る道筋について学んできた。疎開生活で苦労した母から聞いたことや、社会に出てから必要にかられて、その時代を描いた書物を読んだり、映像を見たりして来たことが大きいと思う。本当の悲惨さや恐ろしさは体験していないにしても、様々な伝達手段を通して戦争というものを学んできた。

 先の戦争ではアジアで2000万人、日本で310万人の命が失われた。原爆による無惨な死、空襲での大量焼死。あるいは外地での日本軍の残虐行為、絶望的な戦闘や餓死。満蒙開拓団の悲劇、シベリア抑留での悲惨、日米の圧倒的な差の中での沖縄戦。そして日本を戦争に導いた軍部や政治家の無責任体制。そうした戦争の細部を、様々な著作や映像で頭に焼き付けてきた。それが、私たち敗戦間際に生まれた者たちの感覚である。
 そして、そういう下地があるからこそ、戦争の実体を調べて来た半藤一利(「昭和史、上下」)や保坂正康(「本土決戦幻想上下」)といった人たちが、今の安倍政権に警告を発し続けていることに、尋常ではない重さを感じる。あの人たちが言うのだから、本当だろうと思う。 

◆戦争を知らない大人たち
 しかし一方で、私たちよりもっと若い世代は、こうした先輩の警告にどの程度、耳を傾けているのだろうかと思う。今の30歳代、40歳代、そして50歳代といった戦争を知らない社会の中堅層は、戦争の理不尽さをどの程度の実感を持って受け止めているのだろうか。幼稚園児に軍歌を歌わせ、教育勅語を暗唱させる森友学園の教育方針を賛美する安倍昭恵や、口を開けば威勢のいいことをいう(今の安倍政権を取り巻く)右派の若い政治家たち。彼らは、半藤や保坂の警告など、ハナから馬鹿にしているのではないかと思う。

 時代環境が一変する中で世代間の断絶が積み重なって行き、私たちの親たちが経験した戦争の現実が次の世代に伝わらない。しかも、伝えるべき歴史の教訓は、熱い戦争だけでない。悲惨な戦争を防ぐためには、それに至る様々な要因、すなわち軍部や右翼の台頭を許す様々な制度改変、憎悪と暴力を生みだす格差や分断、差別と貧困などなどに対する警戒も必要になってくる。その教訓は歴史の中に詰まっているのだが、今やそういう研究をしてきた半藤や保坂の発言まで、ネットで叩く風潮が蔓延している。

◆戦争と原発事故と地球温暖化。わが3大テーマ
 まあ、こう言う時代状況だからこそ、何とか自分なりに感じたことを発信して行きたいと思ってきた。それが、敗戦間際に生まれ、戦後教育を受け、そして様々に学ばせて貰った私たち世代の恩返しなのではないか、などと殊勝に思ったりする。さらにその意味で言えば、地球温暖化問題と原発問題がある。これらについては、私の現役時代に特集番組で本格的に扱った経緯があるので、余計に気になるわけである。関心事と言うより、そのテーマを人より詳しく学ばせて貰った者の責務とでもいうのだろうか。

 現在の心境で言えば、(未来の世代のためには)最低限、戦争と原発事故と地球温暖化の3つさえ何とか回避できればこんな嬉しいことはない。これに比べれば、そのほかの人口減少、地震災害、財政破綻などと言った日本が抱える課題は、二次的な問題とさえ思っている。しかし今の政府や官僚・財界は、もうすっかり原発事故のことなど忘れているかのようだし、地球温暖化については、トランプのように愚かなリーダーが出てくる。「暗い時代の人々」にもあるように、状況はいつの時代でも似たようなものかもしれいが、その解決への道はあまりに遠く、かすんでいる。

◆「コラムを書く生活」に代わる生活の軸を探せるか
 さて冒頭に戻るが、こうした状況を踏まえた上で、いつまで書き続けるのか、ということである。前にも書いたが、「コラムを書く生活」はもう10年以上続いていて、一つの生活リズムになっている。毎週末2つの新聞を切り抜き、テーマごとに振り分け、マーカーで線を引きながら熟読する。さらに書くべきテーマを決めてノートに荒筋を書く。一方で、関連の情報をネットで検索したり、雑誌を読んだりする。幾つかの勉強会にも参加する。だが、この生活をいつまで続けるべきなのか。

 当面は続けるにしても、年齢から言っても、テーマにしても、もうどん詰まりに差し掛かっているのではないだろうか。そう思って時々、「コラムを書く生活」からすっぱりと足を洗った後の生活を夢想する。まあ、全く個人的な問題で、誰に気兼ねをするようなことでもないのだけれど、その選択の間で、心が揺れるわけである。これからのことはどうなろうと自分に出来ることは少ないし、後は若い世代に任せる。そうして様々なことをすっぱりと捨て去って、人生最晩年の楽しみに舵を切るのはどうだろうか。

 しかし、そうは言っても、なかなかその感触がつかめない。徐々に転換すればいいじゃないかとも思うが、自分なりに決めた縛りがなくなったら、あっという間に自堕落な生活になるのではないかという怖れもある。そう思うと、今の自分にとって重要なのは、「コラムを書く生活」に代わる(匹敵する)、新たな生活の軸を見つけることだと気づく。それが見つかれば、2つの軸の間をしばらくは行き来しながら、徐々にもう一つの軸に足を移せる。ゴルフなのか、絵なのか、一人旅なのか。果たしてそれは何なのだろう? 

4月はゆっくり、5月から 17.5.15

 週2回通っていた、科学ニュースの編集長の仕事を3月末で卒業したので4月は比較的ゆっくり過ごすことが出来た。花見をしたり、映画を見たり、美術展に行ったり、ゴルフをしたり、静かなサイゼリヤで読書をしたり、ちょくちょく帰ってくる娘の子(8ヶ月)と遊んだり。これで温泉などの旅が出来れば言うことはないが、そこまで忙しく楽しみを入れ込むことはないかと、先に延ばして比較的のんびりと過ごした。ということで、今回は4月に鑑賞した印象的な作品について書いておきたい。

◆「草間彌生展」を観る
 某日。国立新美術館で話題の「草間彌生展」を観た。草間彌生(88歳)。彼女の旺盛な制作風景や個性的な言動は日曜美術館などの番組で何度か見てきたが、その作品をこれだけまとまって見るのは初めての体験だった。一部は撮影禁止だが、大きな正方形の画布に縦横無尽に描いた膨大な数の作品群(シリーズ「わが永遠の魂」)は、撮影自由。それらについて彼女は「幾らでもイメージがわいてくる」と下絵も描かずに筆を走らせたものである。その模様は、千差万別。めくるめく程に鮮やかな色彩の作品から、モノトーンのものまで。それぞれが線は圧倒的に大胆でありながら、細部はどこまでも微細にびっしりと描き込まれている。











 若い頃に美術学校で学んだこともあって、その基礎技術は確かなものなのだが、その後の展開はむしろ自らその基礎技術を捨てて、(伝統的な絵画の勉強をしなかった人々や知的障害者が描く)アールブリュットとか、アウトサイダー・アートとか呼ばれるジャンルに入りそうな絵でもある。少女時代から統合失調症の幻覚に悩まされてきたそうだが、絵を描くことによってその苦しみを克服してきたという。
 それ故に、絵を描くことはまさに彼女が生きていることと同義であり、作画に投入した時間と精神の膨大さを想像させる美術展だった。それにしても、世界がピカソと並び称するほどの、その独創性は疑うまでもないけれど、強烈過ぎて見続けていると頭がクラクラするほどだった。

◆「野見山暁治展」を観る
 某日。次男の義父が木更津市に開いている「わたくし美術館」に行って、野見山暁治展を観た。野見山暁治は96歳。彼については、もう10年以上も前になるがメディア時評「こころの時代(野見山暁治)」で書いたが、長野県上田市にある「無言館」(戦没学生の絵画館)を作るのに尽力した画家でもある。その陰影のある抽象画に惹かれて何度か画廊などで観てきた。次男の義父もその絵に惚れ込んで交流を深め、今回は2度目の展覧会だという。個人が開いた小さな美術館(「木更津わたくし美術館」)だが、大作も含め28点を展示し、開催中に野見山が木更津まで足を運んで講演してくれたそうだ。











 その大きな抽象絵画「伝説のおしまい」(2013年)を観る。大地と覚しき下半分の土色には黒色の帯、赤い帯の大きな亀裂のようなものがくねくねと走っている。左側の崖のようなところは幾層にも重なっている。その地層の下の方は山のような丘陵が続いている。上部の青い部分は空なのだろうか。平面的な空ではなく、全体にもくもくとした青みがかった灰色の雲が覆っている。中空に不思議ならせん状の筋が浮かんでいる。それは飛行機雲のようにも見える。一回転して空の彼方に消えている。

 その全体像を観て、全体の印象を感じ取るのもいいが、驚くのはその一部を切り取って見た時に伝わってくる絵の存在感である。絵の具のしずくの線がまるで、一本一本の木々のように見えて、奥行きのある山々が浮かんでくる。或いは、空に浮かぶ怪しげならせんは、光を受けて複雑に輝いている。まるで空に浮かぶ巨大な生き物のようでもある。

 もう一つの絵「予想もしない」(2013年)。下半分が灰色で、上半分が様々な色調の朱色で埋まった絵もすごい。波打つように広がる灰色の大地(?)の右半分には、そこに大津波が流れ込んでいるような激しい線のぶつかり合いで描かれている。これも朱色に塗られた画面の一部をカメラで切り取ってみると、意外にも赤い塊の中に描き残された白色部分が遠い奥行きのある彼方のように見えてくる。様々な赤も幾層にもダイナミックに重なっている。

 一つとして同じ調子ではない線と色彩が互いにぶつかり合いながら、ものすごく多様な世界を表しているようにみえる。その朱色のある部分は地獄に逆巻く業火のようにも見え、この複雑さが、野見山の抽象画の世界なのだろう。カメラで一部を切り取りながら見たときに初めて気がついた、野見山抽象画の特徴である。微細なところにも手を抜かずに、全体の大胆な構図までを作り上げる。ちょっと目に真似が出来そうで、絶対に真似の出来ない複雑さなのである。

◆映画「わたしはダニエル・ブレイク」を観る
 某日。イギリスの社会派の映画監督、ケン・ローチ(80歳)の最新作わたしはダニエル・ブレイク」を観た。映画サイトの“ストーリー”には、「イギリス北東部ニューカッスルで大工として働く59歳のダニエル・ブレイクは、心臓の病を患い医者から仕事を止められる。国の援助を受けようとするが、複雑な制度が立ちふさがり必要な援助を受けることが出来ない。悪戦苦闘するダニエルだったが、シングルマザーのケイティと二人の子供の家族を助けたことから、交流が生まれる。貧しいなかでも、寄り添い合い絆を深めていくダニエルとケイティたち。しかし、厳しい現実が彼らを次第に追いつめていく」と書いてある。

 これは、イギリスの格差社会の中で押しつぶされようとする庶民の姿を、極めてリアルに描いた作品だった。失業したダニエルが社会補償を受けようとしても、PCを使いこなせない彼に、(まるで日本の生活保護を扱う役人と同じように、弱者に少しでも余計なカネを使いたくない)イギリスの官僚制度は極めて冷淡で途方に暮れるしかない。その彼が2人の子ども抱えて街に流れてきたシングルマザー(ケイティ)と知り合う。彼女は父親の違う2人の子ども抱えて、この街で働こうとするが、中々仕事を見つけられない。
 飢えた子供たちを抱えながら、それでも自分の食事を抜いてまで子どもを育てようと悪戦苦闘するケイティと彼女を支えるダニエル。慈善団体のフードバンクをやっと見つけて、缶詰などの食品を貰ううちに、自分の飢えに耐えきれなくなって、柱の陰で缶詰をあけて手づかみで口に入れるケイティ。その切ない姿に涙が出た。今や世界中を覆っている格差社会の現実に、やりきれない思いが募ってくる。

 映画のシナリオは、ずっとケン・ローチ監督とともに映画製作に携わってきた脚本家ポール・ラヴァティによる。イギリスの貧困と官僚社会の冷たさの実態を念入りに調べ上げた。こうした状況はイギリスを始めとするヨーロッパの社会政治の状況を報告した本「ヨーロッパ・コーリング」(ブレイディ・みかこ著)にも詳しいが、映画は、去年から今年にかけてイギリスやフランス、そしてヨーロッパの選挙の主要な争点になっている移民問題や格差問題の根深さを知らせてくれる。この深刻な病巣は一朝一夕には克服できないだろうし、これから先も世界の政治を揺さぶっていくだろう。

◆連休が明けて
 さて、あっという間に4月が終わり、5月の連休も明けた。連休明けから週二回、テレビ制作会社に出かけることになった。どうなるか先は見えないが、企画担当プロデューサーという肩書きを貰って、若い人たちと一緒にもう少しテレビの可能性を追求してみたいと思っている。幾つかのボランティア的関わりも続いていて、しばらくはまた、もとの生活ペースが続くことになる。美術展で刺激された“絵心”を実際の生活に取り込むにはまだ時間がかかりそうだ。