NYブルックリンのホテルに泊まった翌日、迎えに来た次男夫婦と一番下のSちゃん(男児)と4人で近所のイタリアンで昼食をとる。Sちゃんは2歳半。2、3日前に幼児に特有のウィルス性の風邪を引いたというが、この日は元気そうだった。日本の医療保険で見てくれるマンハッタンの医者に連れて行ったら「治るまでそのままでいい。薬もいらないでしょう」と言われたそうだ。後で保険から戻ってくるが、それだけで3万円かかったという。
昼食後、上の子2人が通っている近所の小学校に一緒に迎えに行った。次男のアパートから歩いて10分の公立小学校で、日本人は2人だけ。ほかには、アメリカ人と結婚した女性の子どもさんが一人という感じである。
◆孫たちのNY生活
アメリカの小学校の場合、行き帰りは必ず父兄同伴と決まっていて、終業時間になると、校庭に多くの親御さんが迎えに来る。見ていると実にいろいろな人種の人々がいる。時間になって校舎の扉が開くと長男のK君(9歳)と長女Kちゃん(7歳)が手を振りながら出てきた。3月末に一家で移住してから半年ぶりの対面で、互いにハグする。元気そうだ。友達たちともバイバイと挨拶をしている。K君は年齢的には4年生なのだが、英語の理解力もあって3年生から始めたという。英語も全く分からないまま放り込まれて、良くクラスに溶け込んでいると思うが、まあ何とかやっているらしい。
宿題も多いみたいで、それを毎日片付けるのが大変らしく、頑張り屋のK君が夜遅くまで泣きながら奮闘しているというので、「無理しないで少しずつ、少しずつ。Step by step」と励ました。問題を見ると、まずは英語の問題を理解するのが難しいのだから、それも仕方がない。K君のクラスの黒人の男子生徒などは、もうかなりの体格になっている。「いじめはないの?」と聞くと、母親は「いじめといった陰湿なのはないけど、乱暴者はいる」とのことで、先日もK君は(ふざけ半分に)殴られて鼻血を出し、学校の保健室から家に電話がかかってきたそうだ。そんな中でも、元気にやっているのだから、子どもの適応力はすごい。
K君は今、好きなことに熱心に取り組んでいる。その一つがジャズダンス。先生のスタジオに通って踊りを習っている。それを学校の舞台で披露して、みんなから拍手と歓声を浴びていた。もう一つはバレエ。これは、マンハッタンのリンカーン・センターの中にある「SAB(The School of American Ballet)」のオーディションを受けて合格し、タダで毎週レッスンを受けている。私の孫がバレエとはちょっと想像できない展開だが、次男も奥さんも美術大学出身でアートには理解のある方だ。親が撮った写真を見ても、開脚なども180度以上で踊るのがホントに好きらしい。
長女のKちゃんは、1年生のクラス。まあ、彼女の方は日本語もまだまだなので、分からない英語の中でも適当にやっているのだろう。いたって元気である。個性派の彼女はアートスクールに通って好きな絵を描いたり、粘土で器を作ったりして楽しんでいる。一番下のSちゃんも、楽しく遊んでくれる先生のところに通っていて、孫たち3人は三人三様のアートな生活を楽しんでいるらしい。
◆親たちの思い
親たちも、学校の送り迎え、ジャズダンスやバレエの教室への送り迎え、などなど大変だと思うが、次男に聞くと「好きなことをやらせてみたい。日本ではなかなかこうはいかないから」と言う。奥さんも同じように考えていて、大変だけど子供たちの成長を楽しんでいるようだ。次男は「日本の教育は、決まったことを教えるというふうになっているけど、考えさせたり、好きなことを伸ばしたりする教育があってもいいのでは」と言っていた。
私などは、孫たちが何年か後に日本に帰ってきた時に、日本の学校になじむかどうかが心配になるが、その一方で、こうして好きなことに打ち込んだ時間は、彼らの将来において宝のような記憶になるかも知れないとも思う。
デザイナーの次男は、日本の仕事を受けつつ、アメリカでの仕事も開拓し、一方でアートの方でも可能性を確かめるべく、あれこれ模索している。それがどういうことになるのか、親の私には皆目見当つかないが、ブルックリンのアパートで一家五人で暮らしながら皆で頑張っているのには、頭が下がる思いがする。まだ39歳と若いから頑張れるのだろう。それにしてもNYの物価は、日本に比べて50%ほど高い。ラーメンなども、千円くらいする。デザイナーという仕事がどんなものなのかも分からないが、そんな何かと不便で慣れない生活の中で、アートの方でも個展を開いたりして、夫婦で助け合いながら夢に向かって頑張っている。
◆Sちゃんの高熱にハラハラ
奥さんの手料理をみんなで食べた翌日、ホテルに迎えに来たSちゃんが何だか熱っぽい。その日は、ブルックリン橋のたもとの公園に遊びに行く予定だったが、すぐにアパートに戻った。そこで孫たちと遊んで夕食をとる頃になると、Sちゃんの熱がかなり高くなった。見た目は元気そうだが、心配だ。そして夜には熱は40度に。奥さんが、ネットで病気のことをあれこれ検索して、大人用の熱冷ましを砕いて、少量にして飲ませる。ネットでは「心配ないが、高熱で脱水症状になるのが怖い。そうなったら迷わず救急病院へ」等と書かれている。
しかし、近所に救急病院はあるけれど、どんなところなのかよく分からない。特に入院したりすると、保険が効かないのでものすごい高額な医療費を請求されるようだ。私は、それでも「必要な時には、救急車でも何でも呼んで行く方がいいよ」と言い、内心「夫婦が病院に行ったら、私がアパートに残って上の2人を面倒見ることになるだろう。そうなったら、あさっての帰国は延そう」と思っていた。しかし、熱冷ましを飲んだSちゃんは、そのまますやすやと寝始めた。私は、「いつでも駆けつけるから」と言って次男にウーバーでタクシーを呼んで貰い、ホテルに戻った。
翌朝、奥さんから「Sちゃんは、熱も少し下がって元気になりました」とメールが。すごくホッとして、その日はホテルに待機しながら本を読んだり、あれこれ考えたりして充実した時間を過ごした。午後、上の孫たち2人と次男がホテルにやって来て、そのまま3人と夕食を食べる。そして、2人とハグしながら別れのあいさつ。次男には「君たちが帰国するまで、オレも元気で頑張る」と言って握手して別れた。Sちゃんも夜にはすっかり元気になったようだ。やれやれ。次男夫婦は、これまでも子供たちが40度の熱を出したことが度々あって、慌ててはいなかったが、海外での医療事情の現実にちょっぴり触れた1日だった。
◆2週間ぶりの我が家
翌朝、天気予報ではハリケーン崩れの低気圧がNYにやって来そうなことを言っていたので、早めに空港に着こうと午前4時にホテルをチェックアウト。猛烈に飛ばすタクシーに乗って20分でJFKに着いてしまった。天気が荒れることもなく、飛行機は無事NYを出発。スルーではなかったので、トロントで荷物を積み替えて、また12時間。次の日の午後4時に成田着。LINEで無事帰国したことを次男に伝えた。
その日の夕食は、久しぶりの煮魚と刺身と味噌汁。ゆっくりと風呂に浸かりながら2週間の旅を回想しつつ、無事終えたことに感謝した。今回のカナダからNYへの北米旅行は、若い人たちに混じっての旅行やNYへの一人旅など、随分と注意しながら過ごす日々ではあったが、終わってみると、その非日常の日々を楽しんだ気がする。もう、あまりハメを外すことは出来ないが、異国で頑張っている次男一家に思いをはせつつ、自分もまだそれなりのコトには挑戦しても良さそうな気分になった2週間でもあった。(北米旅行、終わり)
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