その時になって何か感慨が湧いてきたら別途書くつもりだが、5月末に73歳になる。超高齢化時代で、元気な先輩たちに比べればまだ若造の部類かも知れないが、それでも、この年齢になると時の流れは速く、(もちろん病気しなければだが)あっという間に80の声を聞くことになりそうだ。何しろ普段は、10日に一回のコラム書き、月に2回程度のゴルフがあるので、その準備や練習で結構忙しい。
加えてTV番組の企画会議のために週2回の制作会社通い、先輩が主催する月1回の勉強会、2つの団体の月例研究会への参加。夜の集まりや「しみじみとしたお付き合い」も細々ながら続いている。そんな定年後のありふれた日常だが、放っておくと記憶がたちまちどこかに消えてしまう。気になっていた庭木の剪定、元同僚とのゴルフなどもあったが、記憶をつなぎ止めるために連休前後の主な出来事をまとめておきたい。
◆久しぶりのふるさと村
4月末。およそ半年ぶりに先輩と一緒に「ふるさと村」を訪ねた。茨城県と栃木県の県境にある農村で、受け入れのHさんは、広大な田畑と山林を有する自然農法家だ。地元のF社長が、車で常陸大宮駅に迎えに来てくれて、そのままHさん宅に連れて行ってくれる。納屋を改造した大広間で簡単な昼食を取った後、Fさんの車で県境の山にある「鷲子山上(とりのこさんじょう)神社」に出かけた。ここは、鳥を祀った神社で、境内や遊歩道沿いに沢山のふくろうの彫り物が置いてある。フクロウ(不苦労)の語呂合わせで、幸せを呼ぶパワースポットで人気らしい。古い神社なので、杉の大木が周囲を圧倒していた。
近くの日帰り温泉(笹の湯)でゆっくりした後、Hさん宅の大広間で囲炉裏を囲みながら、自然食料理を肴に一杯やる。酒は茂木市の銘酒「総誉(そうほまれ)」。すっきりして飲みやすい。いつものように、Hさんから田舎の四方山話を聞いていると、農作業を終えたHさんのご主人から「満月だよ」という声がかかり、私と先輩は外に出た。明かりのない村道の上空に満月が煌々と輝いており、真っ暗な田んぼ一帯に蛙の大合唱が響いていた。しばらくそこで耳を澄ます。ここへ来ると、いつも何だか次元が違う時空間に来たように感じる。
ドームハウスに泊まった翌朝、いつものように朝食前のウォーキングに出かけた。この日は、朝霧が一帯を包んでいて幻想的な雰囲気である。見渡す限り、田んぼも畑も山も古木も、深い霧に包まれている。朝日がその霧の中を立ち上ってくる。霧の朝を歩きながら、2人は期せずして上田敏訳の詩「春の朝(あした)」(ロバート・ブラウニング)を思いだし、口ずさむ。
「時は春 日は朝(あした) 朝(あした)は七時 片岡に露みちて 揚雲雀(あげひばり)なのりいで 蝸牛(かたつむり)枝に這ひ 神、そらに知ろしめす すべて世は事も無し」。私は朗読の名手である先輩に頼んで、その詩を朗読して貰う。絶品だ。次第に霧が薄くなり、朝日が差し来る中でそれを聞く。素晴らしい朝の散歩だった。
◆2人の孫娘の成長に驚く
某日。長男の所の2人の孫娘は、この春に中3と中1になった。それぞれ塾とかクラブ活動で忙しく、こっちにやって来る時間がないというので、連休中の一日、私たち夫婦と長男一家が新宿で会食した。身長が162センチと既に母親を追い抜いている長女に続いて、次女の方もすらりと背が伸びてきた。学校のことや趣味のこと、クラスのこと、進路などを聞いたりしながら、2人の孫娘がのんびり(よく言えばおっとり)育っていることに安心した。
いつまでも子どもと思っていた長男もいつの間にか43歳。会社では責任あるポジションに就いて、私が管理職になって四苦八苦した頃と同じような年齢になった。日本とフランス両国にまたがる技術開発プロジェクトのリーダーというので日仏を行ったり来たりと、私などの時より余程しんどいかもしれない。2時間あまり、そういう会話をしながら、時間というのはこうして流れていくものかと思った。完全に世代交代した感じがする。一家と別れたあと、私たちは「おばあちゃんの原宿」と言われる巣鴨商店街を散策したりした。
◆連休明けの弘前、津軽旅行
某日。本当は、桜の時期に行きたかったのだが、人混みだろうというので、連休明けに弘前、青森、津軽地方を旅行した。桜の名所の弘前城公園では、せめて「花筏(いかだ)」でもと思ったが、今年は桜が早く、茶色の残骸が見えるだけ。僅かに、八重桜としだれ桜が見られるのみだった。満開の桜の写真を眺めながら、「見たつもり」になるしかない。それでも、修理中の天守閣に登り、弘前市内の歴史的建造物や「ねぷた村」の見学などもして、その晩は大鰐温泉に宿泊した。高級な旅館ではないが、いま流行の星野リゾートの系列で、夜には津軽三味線の生演奏などの出し物もあり、そのサービス精神も売り物の一つかも知れない。
食事中、「お誕生日が近いと言うことで、サービスさせて頂きました」と係員が言って、花で飾った桶に地酒とカミさん用のリンゴジュースを乗せて来た。何も言っていないのにと思ったが、チェックイン時に生年月日を書いたのを思い出した。旅館のカメラで乾杯の様子を撮る。デザートには「Happy
birthday」のチョコレートもついて来た。食事が終わって部屋に戻ろうとすると、小さなパネルに貼られた先ほどの写真を手渡される。評判の理由が分かった気がした。
◆青森から奧津軽へ。竜飛岬で感じた旅情
実は、青森はこれまで殆どなじみのない県だった。次の日は、青森市に降りて青函トンネルの開通(昭和63年)に伴って廃止された連絡船の八甲田丸の船内を見学したり、ねぶた館(ミュージアム)を見たりした。目的地の竜飛岬には、新幹線の奧津軽いまべつ駅からホテルの送迎車で30分。道中、小さな港が続く海岸沿いの漁村には殆ど人影がなく、廃屋も目立つ。冬は厳しい風が吹き付けるのか、玄関は二重になっている。そうした寂しい漁村を幾つも通り抜けて、岬の突端に近づくと急勾配の坂道をバスが息を切らせて上って行く。その崖の上にホテル竜飛はあった。部屋から津軽海峡と眼下の漁村が一望できる。
さっそく、冷たい風の吹き付ける中を岬の突端まで歩いてみる。途中の海が見える場所には、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌碑があり、ボタンを押すと彼女の歌があたり一杯に響いた。急勾配の階段を300段ほど上って灯台のある突端に出る。その日は、快晴で対岸の下北半島、そして北海道もよく見えた。深夜、ホテルの窓から冷たい風を受けながら首を出すと、崖下の港には街灯が寂しく灯ってただ波が打ち寄せている。水平線上に北海道の明かりが点々と瞬いている。時折、一本の光の筋が夜空を横切って巡って来る。回転する灯台の明かりである。久しく忘れていた旅情を感じたひととき。。
◆旅の終わりに悠久の時を感じる
旅の終わり、時間を見繕って青森市の三内丸山遺跡を見学した。今から5千500年〜4千年前、1500年間続いた縄文遺跡である。1時間コースのボランティアの解説員の話を聞きながら、広大な遺跡の中の住居跡、再現された高床式の家、ゴミ捨て場に残る土器の地層、大人や子どもの墓、そして圧巻の6本柱の見張り台(?)などを見て回った。
付属のミュージアムには土器や石器の矢尻、板状の土偶、ヒスイなどが並べられている。世界でもまれな縄文文化を築いた先祖が、ここには常時400人ほどの単位で暮らしていたらしい。そのDNAの幾らかでも自分にはつながっているのだろうか。そんなことを思ったものだった。
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