猛暑が続く日本列島。その中でも、わが越谷市はいつの間にか猛暑の代名詞的な町になってしまった。連日37、8度。焼けるような日差しが続き、夜も一晩中エアコンをつけないと寝られない。しかも、この猛暑がこれからの地球沸騰化の幕開けだと思うと、ストレスもいっそう強くなる。そんな猛暑に苦しみながらも、この夏は一つの記憶に残る作業に取り組んだ。長らく懸案だった「我が家のファミリーヒストリー」をまとめることである。仕上げてみると、それはお盆の夏に相応しく、ご先祖から未来へ続く「命のつながり」を強く感じる作業でもあった。
◆猛暑の中で「我が家のファミリーヒストリー」を
もう何年も前から終活の一つとして、「我が家の由来」をまとめたいと思って来た。これまで子供たちに何も伝えて来なかったからである。それが、心臓の検査でひとまずOKが出たので、今度こそはと思って取り掛かったのは6月半ば。手元にある家系図や資料、ネット情報などもかき集め、「由来」の概略を書いた7月のお盆(茨城県は新暦のお盆)に、実家に住む弟夫婦と水戸の菩提寺をお参りした。お墓でお経をあげた後、半ば完成した「由来」を弟に見せ、実家に残ったアルバムから、そこに挿入すべき古い写真を選んで送って貰うことにした。
まもなく弟が接写した写真が、メールで何枚も届いた。それは、戦前の祖父母の写真、父の幼少期の写真、祖父母とともに若い頃の父が営んだ呉服店の様子、叔父叔母が並んだ家族写真など。そして、戦後の貧しい暮らしが伝わる家族写真、私たちきょうだいの幼い頃の写真などである。加えて私の方も、先祖と思われる同姓一族の鎌倉から江戸に至る由来を記した碑文の写し、さらに、江戸時代初期に始まった水戸金工(刀の鍔などの工芸)の元祖で、直接の先祖である「軍司功阿弥」の名が記された水戸偕楽園の石碑の写真(先日撮って来た)などを揃えた。
◆命のつながりのありがたさを実感
こうして集めた材料を基に、「鎌倉、室町から江戸につながる、一族の系譜」、「呉服商を始めた先祖と祖父母について(写真)」、「祖母と母の出の福島県須賀川市の〇〇家について」、「大学卒業後、家業に入った父」、「いとこ同士で結婚した父と母」、「太平洋戦争で須賀川市に疎開した一家」、「私の誕生と戦後の貧乏生活」、「父と母の思い出」、「きょうだいと私の経歴」、「私の結婚と妻の家族について」、「幼児期の子供たちの病気の思い出」、「その他、伝えておきたいこと」などの各章を書き上げた。そして本文とは別に、碑文や家系図などを入れた資料編も作った。
いくら系図がさかのぼると言っても、近世以降は庶民的なもので、むしろ子供たちに伝えたかったのは、祖先が一族力を合わせて苦難を乗り越え、或いはつつましい暮らしの中でも子供たちに教育を施し、頑張って命を今につないでくれたありがたさである。特に戦前には、多くの子どもが生まれてすぐに亡くなったり、せっかく大学まで行ったのに、死病と言われた結核で若死にしたりしている。そうした中でつながって来た、命の貴重さである。また、その死別の悲しみを経て、曾祖母も祖母も熱心な仏教徒になり、それは家族の文化として今に続いている。
昔の写真を眺めながら、私が聞いていた戦争中の疎開の苦労、呉服店の空襲被災、私の幼少期の記憶などをたどって由来を書いているうちに、会うこともなかった先祖が味わった悲しみや苦労を思うと同時に、先祖への親しみや感謝の気持ちが湧いて来た。「由来」の最後に、3人の子供たちも記憶にない幼少期の病気について書いたのも、こうしたことが代々繰り返されて来たからこそ、今の自分たちがいるということを知ってもらうためだった。命が時を超えてつながって行くことは、考えてみれば奇跡的なことで、そんなことを強く感じた夏だった。
◆ファイル化して3人分を作成
完成した「我が家のファミリーストーリー」は、子供たちに最低限のことを伝えるために作ったので、本文20ページ(400字原稿用紙で150枚ほど)、資料編15ページのコンパクトなものである。それをプリントしてファイルに入れ、子供たち用に3冊作る。それを直接手渡したいというのが、私の思いである。そして、それが完成して間もなくの7月末、娘と孫2人が4年ぶりに開催される越谷市の花火大会を見に泊まりに来た。厳しい猛暑なので外で遊ぶわけにもいかず、午前中は近所の市民会館に涼みに行く。私が毎日お参りしているお寺にお参りし、木陰を拾いながら行く。
4歳(女児)と7歳(男児)の孫は、たまたま仏教系の幼稚園だったので、お経の「舎利礼文」を唱えることが出来る。本堂の前で、一緒に元気な声で唱えるのが何となく嬉しい。越谷市の花火大会は、我が家の目の前で上がる。5千発の花火に孫たちも大喜びで、後日、絵日記を送って来た。そして帰る日、パパが迎えに来たので、「ファミリーヒストリー」を手渡した。彼は感激して、これに自分ちの由来を付け加えれば子供たちの宝になると言ってくれた。大きくなった時、孫たちは私が作ったファイルをどんな気持ちで読んでくれるだろうか。
◆映画「君たちはどう生きるか」を観た
某日。話題の映画「君たちはどう生きるか」を観た。いろいろ評価が分かれているようだが、私は圧倒されて観た。時代は戦前。空襲で母を失った主人公の少年が、私たちと同じように田舎に疎開し、死んだ母親、行方不明になった身ごもった母の妹を探すために「異界」に入って行く。道ずれの奇想天外なサギ男と、目くるめくファンタジー的冒険を重ねて行く。この世ではない異界は、宮崎監督のファンタジー力を見せつける圧倒的多彩さと絵画的魅力に満ちている。その映画を見ながら私は、どこかで「命のつながり」という隠れたテーマを感じていた。
戦時中という時代背景がそう感じさせたのかもしれない。運命にひるまず、見失った命を救い出す冒険を重ねるうちに、主人公は勇気を持った少年へと変貌していく。この映画には、監督が同名の原作から触発された、勇気をもって生きること、大切な命をつないでいくこと、そして、現在の世界に対する警鐘が隠されているように思った。異界で人口が増えすぎた独裁国家、それによって不安定化する世界。そして、安定が崩れた時の凄まじい世界崩壊。主人公たちは、辛うじてその異界から脱出するが、現在の私たちもまた、その不安定さの只中にいる。
◆まだまだやるべきことが沢山の終活
某日。終活の一つと思った「我が家のファミリーヒストリー」だったが、まだまだ、やるべきことは沢山あるということを思い知らされた。銀行主催の「介護と相続」のセミナーが市民会館であった。要介護の段階の認定、介護施設の種類と費用、後見人の選定など。さらに相続の問題など、気が遠くなる位やるべきことがあって、今の時代は、死んでいくのも大変なことだと痛感した。私も終活へ向けてやるべきことをリストアップはしているが、そんなことでは追いつかない。もう少し涼しくなったら、本や資料の整理だけでも始めなければと思っている。
それまで、この猛暑の日々をいかに乗り越えるかである。出かける予定がない日は、午後の昼寝の後に自転車で5分の市民会館に行き、2時間ほど過す。2階の殆ど誰もいない喫茶コーナーで自販機のコーヒーを飲みながら、切り抜いた新聞や本を読み、飽きると5階までの階段を2往復する。各階の長い廊下は往復すると200歩ほどになるので、それを繰り返しながら降りて来る。少しでも運動になればという涙ぐましい努力だけれど、冷房が効いた会館はもっと利用されてもいいのにと思う。会館のスタッフも会えば「こんにちは」と挨拶してくれる。
それにしてもこの猛暑。人間が招いた自業自得ではあるけれど、この暑さを一時的な気象の異常のせいにする解説が多すぎる。もっと、温暖化防止のための緊急行動を訴えるような論調があってもいいのにと歯がゆく思うと同時に、個人としてはいかにエネルギーと資源を無駄にしないか、あるいはどう酷暑に適応するかの知恵を磨かなければならないと思っている。この時を生き抜くために。
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