「風」の日めくり                       日めくり一覧     
  今週の鑑賞。定年後の身辺雑記

78歳を迎えて幾つか想うこと 23.6.2

 5月23日に無事、78歳を迎えた。去年、喜寿を迎えた時は、それなりにおめでたい気がしたが、この78歳という年齢をどう捉えるべきかについては少し戸惑う。身体の方にいろいろと故障を抱えながら、80歳(傘寿)までの2年間をどう生きるかということか。この2年間を無事に乗り切れるか。あるいは、乗り切れたとして、この2年間に何をなすべきなのか。漠然としていて考えがまとまらないが、一方で、誕生日前後には、様々なことを感じさせる幾つかの出来事があった。こうした出来事を書きながら、78歳のいま想うことを書いてみたい。

◆若い世代に伝えたい重要テーマの出版
 最初に書かなければならないとすれば、本の出版(5/26)のことだろう。一昨年の暮に「メディアの風 時代に向き合った16年」(上下)を自費出版した後、ふと、さらにコラムを絞り込んで単行本にし、若い世代に思いを伝えることできないかと考えた。そこで去年からその準備に入り内容も練ってきたが、なかなか出版社が見つからない。何人かの友人が骨を折ってくれたが、今年になって一粒書房からの出版が可能になった。少部数の出版だが、お陰様で、内容的には満足のものが出来たと思っている。伝えるべきものはギリギリ入れることが出来た。

 タイトルは「いま、あなたに伝えたい。ジャーナリストからの戦争と平和、日本と世界の大問題」(265頁)。混迷の時代にあって、これからの世代がものを考えて行く時の座標軸の一つになればという思いを、そのままタイトルにした。私の番組体験も交えながら、戦争と平和の諸問題、原発問題や科学技術の衰退など日本が抱える課題の数々。或いは地球温暖化や核兵器、ゲノム編集やAIなどの人類的課題。メディアや歴史認識などのテーマを選んで4章に。いずれも、この先も避けて通れない大事なテーマだが、今の時代に即して手を入れ、新たな解説も加えた。

 著者名で検索するとAmazonでも見られるが、何故か値上がりしていたりするので、定価(税込み1650円)での購入をお勧めしている。同時に、「メディアの風」トップ頁右上に、お知らせも載せた。こちらは印税も辞退しているので、売れるかどうかは関係ないが、出来るだけ若い世代にも読んで貰うべく、昔お世話になった学生寮の図書室や、大学の図書室、或いはジャーナリストを目指す会の事務局、地元の図書館などに寄贈して、若い世代に手に取って貰えるようにと動いている。これで肩の荷が下りた。お世話になった方々には感謝しかない。

◆8年ぶりの実家訪問と「我が家の由来」
 一方、誕生日を挟んで、それぞれの身内を訪ねる小旅行があった。その一つ。母の死から数えると8年振りに、(今は弟夫婦が住む)郷里の実家を訪ねた。実家に残る古いアルバムの整理を手伝うためだが、カミさんとの小さな旅行プランを作った。初日に夫婦で水戸の墓参りをし、北茨城市の温泉に泊まる。この温泉は、海岸から車で10分ほど入った鄙びた温泉で、出来てまだ40年なので私の若い頃には知らなかったものである。冬はアンコウ鍋が旨いらしい。翌日、日立市の実家によって昼飯をごちそうになりながら、弟夫婦としばし歓談。

 8年ぶりの日立は、崖の上から眺める太平洋の風景は変わらないが、家々が建て替えられていて、海へ降りる坂道もコンクリートで整備され昔の面影はない。海岸も少し歩いたが、12年前の津波被害を受けて海岸線は堤防が連なっていた。海辺を歩きながら、幼い頃は夏休みに毎日のように“ふんどし”一つで海に遊びに行っていたことを懐かしく思い出した。日立の駅舎も有名建築家(妹島和世)の手によってしゃれたガラス張りのものに変わっている。郷里も確実に時代の波に洗われていた。
 『面影を探す故郷に風薫る』

 古いアルバムは何冊もあって、多くは戦前のモノクロ写真である。祖父母が経営していた呉服商時代のもの、父母の若い頃の写真や結婚式の写真など。子供たちに伝えるのに使えそうなものだけ、送って貰うことにした。いま、考えているのは、80歳までに「我が家の由来」をまとめることである。何も知らない子供たちに、せめて水戸の墓地に入っている(幼少で亡くなった)叔父叔母のことなど、最低限のことを伝えたいと思っている。それを出来れば小冊子にして、古い写真も取り込もうと考えて来た。78歳を期に、それに手を付けようと思っている。

◆久しぶりに福井の義母を訪ねる
 もう一つは、これも久しぶり(7年ぶり)にカミさんの郷里、福井市を訪ねたことである。義母は福井で長男夫婦と暮らしているが、今年95歳になる。半分以上は寝たきりで、長男夫婦が自宅で献身的に介護をしている。コロナで長く会えなかったが、今回は義母の顔を見るのと同時に、長男夫婦に感謝を伝えるのが目的の旅行だった。長男夫婦は、自分たちが介護の現場で手伝いをしているので、もちろんショートステイなどは利用しているが、自分たちで看られるうちは、施設でなく自宅で介護したいと頑張っている。まさに老々介護の日々である。

 今回はカミさんの弟夫婦も京都から駆け付け、皆で義母を囲んだが、ベッドに腰かけた義母は思いのほかしっかりしていて、嬉しそうだった。後で、長男の奥さんが「こんな風におしめを替えるのよ」と、紙おむつ一式を見せて貰ったが、何枚も重ねるその量に愕然とした。その上にさらにおむつを巻かないと、背中からシーツまで濡れてしまう。それが日に何回にもなる。聞いていて、思わず涙がこぼれた。その晩は、長男夫婦のために一席設けたが、奥さんも日頃の苦労が話せて良かったと言っていた。まさに、歳をとることの難しさを実感した小旅行だった。

◆80歳までの2年間にやるべきこと
 福井は、私が独身最後の4年間を過ごした町でもある。ここも当時からは想像できないような変貌ぶりで、駅前には恐竜がならび、高層ビルが次々と出現している。変わらないのは、お堀の水くらいのもので、夜な夜な飲み歩いていた飲み屋街もビル街に変貌している。相変わらず、絶不調のカミさんは義母の顔を見られた嬉しさと同時に、旅の疲れからしばらく青息吐息だった。実はこちらも同様で、出かける前には医者から嫌なことを言われて、それが気になっていた。心臓の不整脈から始まった検査だが、負荷を掛けた検査で狭心症の疑いありという。

 結果、来週には心臓のCTを撮ることに。結果次第では、心臓の血管にステントを入れる手術を受けることになるかもしれない。そんな予告を受けながらの出版や小旅行だった。まあ、結果が出るまでは何とも言えないが、時々の不整脈は気持ちのいいもではない。それを踏まえた上での78歳の感慨と言えば、やりたいことの一つに数えていた出版化も終えたので、あと2年を生き延びて、80歳までにやるべきことをやるということ。それが、「我が家の由来」と終活になる。終活もいざとなると、これも墓のことや家のことなど、やることが沢山ある。

◆「一日、一生」の思いで、死ぬまでは楽観的に
 そういうわけで、今の自分にとって80歳は結構遠く思えるが、一日一日、丁寧に生きつつ、それらに取り組んでいく。「一日、一生」という言葉があって、「一日が一生であり、明日はまた新しい人生が始まる」、「一日を一生涯だと思って丁寧に生きる」という意味だそうだが、そんな心構えだろうか。凡人の私には大分遠い心構えだが、楽しみも取り入れながら、死ぬまでは楽観的に生きて行きたい。そして、取らぬ狸の皮算用かも知れないが、うまく80歳の誕生日を迎えられたら、付録としての残りを、それこそ「ボーっと生きて行こう」と思っている。

喜寿越えで模索する新フェーズ 23.5.4

 5月下旬の誕生日で、私の喜寿(77歳)が終る。その喜寿越えの年齢になってからの日々がどんなことになるのか。この先の生活を考えると急に曖昧になって見通しが悪くなる。もうすぐ80歳に手が届く年齢ではあるが、具体的なイメージが湧かない。ただ惰性で毎日を過ごして行くしかないのか。それとも心身的に何か新しいフェーズに入って行くことはあるのだろうか。この3年、コロナ禍のせいで、旅にも出ず、人ともあまり会わずで、大事な老後の時間を空費した感があるが、それでもリモートなどで以前の関係を保ちながら何とか過ごして来た。 

 そのコロナもようやく落ち着いてきている今、出来れば、喜寿越えを契機に老後の新たなフェーズを模索したいという気持ちが密かに湧いてきているのだが、その先が見えない。先日の「徹子の部屋」では、(私と一回り違う)今年90歳の山川静夫さんが「長生きすると見えてくるものがある」と言っていたし、翌日には今年100歳のお茶の千玄室さんが、かくしゃくとして今年の抱負を語っていた。そんな姿を見ると、78歳にもなったのだからもうジタバタしなくてもいいかという気持ちの一方で、私も何かを模索せねばという気持ちにもなる。

◆単行本の出版で「コラムを書く生活」をどうするか
 新たな日々を模索するには、まる18年続いた「コラムを書く生活」をどうするかということも大きな課題になる。今月末に、書き続けたコラムのエッセンスを若い世代に伝える単行本が出版されるので、それも一つの区切りになるだろう。そこでまとめた「戦争と平和、日本と世界の大問題」から見れば、日々流れる大小のニュースも皆、その流れにくくられてしまう。コラムを始める時には、「自分の世界観を点検すること」もあったが、私の世界観の9割方はその本に込めたので、新しい視点で目の前の事象を取り上げるのが難しいこともある。

 ただし、その枠内であっても、今話題沸騰の人工知能(AI)のように、新たな潮流が始まることがある。以前にも、「人工知能の衝撃と人類の未来」(2016.3.22)を書いたが、今のAIはその後の飛躍的な動きである。私の属する学会でも、今年はAIをメインテーマに何度か勉強会を開いているが、主導するIさんを除いて、みんな(言葉は悪いが)「群盲、像をなでる」状況だ。私もchatGPTに「あなたについて教えて」という質問を繰り返して、その正体を探ろうとしているが、群盲の一人として、分かった範囲でコラムが書けないかと思ってはいる。

◆新聞を切り抜き、番組を録画し、読書をする
 そんなこんなで、新しい生活のフェーズをまだ定め切らない今は、惰性のように新聞2紙の切り抜きを続けている。カミさんに「新聞が値上がりしたのだからどっちかにしたら」と言われるが、それでも毎日赤のボールペンで切り抜くページに印をつけ、「未読」と「既読」に分け、溜まったらテーマ別にファイルに分類する作業を続けている。以前なら溜まったテーマを眺めて、「防衛政策や防衛費問題」、「野党のだらしなさ」などを書かねばと思っただろうが、これも皆が書いていることなので気が進まない。この生活にどう踏ん切りをつけるかである。

 読書をする生活への憧れについて書いたこともあるが、最近は、その読書からも遠ざかっている。考えてみれば、今度の単行本に載せたコラムは、(新聞切り抜きや番組だけでなく)かなりの部分を当時の読書によっている。その都度、本のタイトルを紹介しているが、18年の間には、それだけ沢山の本に助けられたということである。その読書も、ちょっとご無沙汰すると本が描く世界観や感覚世界になかなか入っていけない。現在は友人が読んだという直木賞の「地図と拳」(640ページ)をKindleに落として読み始めたが、長くて青息吐息である。

◆「風の日めくり」での近況報告と老境の模索
 喜寿越えの新たな模索となると、とりあえず上記のような「コラムを書く生活」をペースダウンして、(近況をメインとする)「風の日めくり」の方で考えて行く事になるだろう。そこで、試みに「風の日めくり」をトップページの右の方に持ってきた。そこをメインに老境の心境変化を探っていく。さて、その近況報告だが、4月に誕生日を迎えたカミさんは、相変わらず医者通いが続いているが、私の方も前立腺がんの摘出手術の後遺症なのか、尿漏れから来る(?)症状で泌尿器科に行ったり、一時的な不整脈の症状で24時間計をつけたりした。

 その結果はまだだが、それでも私の場合はありがたいことに、総じて健康を保っている。先日は、久しぶりに元荒川の下流方向へ足を延ばして両岸を挟んで沢山の鯉のぼりが泳いでいるのを一人眺めて来た。毎年、ここまでは足を延ばして来たが、来年はどうだろうという気持ちになる。そういえば、今年は天候不順とカミさんの絶不調で、毎年見に行った花見にも行かずじまいだった。
 「また会うや空に鯉舞う喜寿の末」
 4月に予定していた温泉行は直前の体調不良でキャンセルしたが、5月連休明けに再挑戦する。これは北茨城の温泉に泊まりながら、水戸の墓参りと(弟が引き継いだ)日立の実家を訪ねる予定で、天気は悪そうだが楽しみにしている。

◆「アフター・〇〇」の観察者(目撃者)として
 それにしても、この3年の空白の意味である。コロナが5類になったということで世の中は、一気に人の交流が増えた感じだが、その底流にあるのは「人恋しさ」だと思う。ヒトはこの何万年と仲間で飲食を重ねながら、自分を確かめ、他人に学び、生き方や生き延び方の情報を交換して来た。その密な空間を失って初めて、その貴重さが分って来た。これが「アフター・コロナ」の実相だろう。まだ安心はできないとしても、この流れは止められない。失った3年の「人恋しさ」を埋める形で社会が動いていく。その中で何が変わって行くのか。

 そういう意味では、今回出版する単行本に込めたテーマは、問題提起にはなっているが、問題の「アフター・〇〇」については、未知の分野でもある。ロシアの戦争が終わった時に、或いは米中の覇権争いが頂点に達した時に、或いは、日本が財政破綻した時に、そして地球温暖化が「もう戻れないポイント(tipping point)」を超えた時に、AIが人間を凌駕した時に、どんな世界が出現するのか。この「アフター・〇〇」については、寿命が尽きるまで見届けてもいいかも知れない。それは、問題提起というよりは観察者(目撃者)としてである。

◆「メディアの風」の2つの間を往復しながら
 その時、「日々のコラム」はどんな文体になるのだろう。問題提起ではなく、観察者としての文体や文の構成である。そこに新たな書き方があるのだろうか。それも模索したいテーマの一つではある。ただし、この歳になると、一つのテーマに集中して、あるメッセージをまとめることのしんどさは半端ではない。それに比べて「風の日めくり」の方は、脈絡のないことを書き並べるだけなので、1日もあれば終わる。もちろん、自分の心境に何らかのきっかけがないといけないが、それも書き始めれば何となく見えてくるような類のものだ。

 まあ、喜寿越えの老後の過ごし方の模索について言えば、この「メディアの風」の在り方ばかりではなく、もっと幅広い生活全般にはなるだろう。それらについても先が見えない中で、手探りして行く事になる。そうしたことを踏まえながら、今しばらくは「風の日めくり」と、模索中の「日々のコラム」との2つの間を往復しながら、ぼちぼちと発信を続けるつもり。お付き合いを頂ければと思う。

AI元年の中の老境の日々 23.4.2

 前回、近況をアップしてから2か月が過ぎた。節目を作るために、1か月に1回くらいはアップしたいのだが、何故かその気にならない。同じような日が淡々と続くせいなのか。カミさんの絶不調に付き合って病院通いをしたり、それを何とか改善しようと近場の温泉に行ったりするうちに月日が経っていく。不調のために、マイナス思考になるカミさんを何とか励ましながら出来ることはしようとしているが、なかなか思うようにならない。少し時間が出来ると自分もあちこちの小さな故障のために医者通い。WBCの決勝戦も病院の待合室で見た。

◆AI元年の中での幾つかの試み
 そんな中でも、コロナが落ち着いてきたのでTV制作会社(赤坂)の週一の企画会議にも顔を出すようになった。出かけると社長夫妻と昼食をとりながら、会社の課題や時事的なことなどを話すのが楽しみになっている。この12年、番組企画会議に参加し、工夫しながら若手ディレクターの企画力の向上を目指してきたが、それがだんだんと実を結びつつある。若い世代の発想で、企画会議のあり方も充実して来たのが嬉しい。先日は、わがサイエンス映像学会でAI(人工知能)の講義をしているIさんに、社員向けにAIの勉強会を開いて貰った。

 2023年の今年は、オープンAI社(米)がリリースした「チャットGTP」や「GTP4」が世界に衝撃を与え、“AI元年”とも言うべき年になりそうだ。そこで、サイエンス映像学会でも、今年の主テーマをAIに決めて月例研究会を開いている。先日は、そのAIを取り入れてTV制作をいかに効率化するかという勉強会だったが、一方で学会の4月の月例会は「猫でもわかるAI教室」(4/14)。「解説書を幾ら読んでも自転車には乗れない。まずは慣れること」というIさんの提案で、各自AIで画像まで作ってみる(写真の絵はIさんがAIに作らせたもの)。

◆何とか出版の見通しが出来て来た
 体験してみて、AIは何が出来て、何が苦手なのかを知る試みだが、Iさんは「使いだしたらもう元に戻れない。秘書を一人雇ったたようなもの」という。聞くと、コラムなどを書く際のデータ検索や、書いた文章の校正などもAIがやってくれると言うので、私もそれを目標に、まずはAIに慣れてみようと思っている。さて、文章の校正といえば、一昨年の暮れにコラム180本を「メディアの風 時代と向き合った16年」(上下)にまとめて自費出版した後、この中からさらに若い世代にも大事なテーマを絞り込んで、単行本に出来ないかと模索して来た。

 未来を考える時に、避けて通れない重要テーマを50本に絞って書き直し、最新のデータを注記し、各章に新たな解説もつけた。それがどうにか出版の見通しがついてきた。うまく行けば、私が78歳の誕生日を迎える5月下旬になるという。前回のコラム「絶望の時代に探す希望とは」にも書いたが、今は下手をすると世界と日本が、絶望の淵に沈みかねない「時代の大きな転換点」にある。その中で、ものの見方の指針となるような「座標軸」を探すことが出来るか。今度の出版がそれを考えるヒントの一つにでもなればという思いを込めた本である。

◆コロナ禍の家族とのつながり
 一方で、80歳を目前にして、体と頭が何とか機能するうちにやるべきことが気になっている。先日の同世代の仲間とのリモート懇談でも、このコロナで会えないうちに、あの人もこの人もという形で先輩、後輩が亡くなっているという話になった。私も、この歳でたまにゴルフなどをすると、成績が思うようにならないのはもちろんだが、終わってみるとがっくりと疲れ、確実に心身の衰えを感じるようになった。明日何があるか分からない。そこで、今のうちにやっておくべきことをいろいろと書き出したりしている。家族とのつながりもその一つ。

 Lineを利用しての我々きょうだい、さらに子供たちや孫たちとのつながりである。カミさんは7人の孫たちの誕生日ごとにお祝いを送っているが、このコロナ禍で会えないうちに、孫たちは毎年どんどんと大きくなり、4歳の年中さんから大学2年生までになった。娘一家の孫たちとは毎晩lineで話をしているが、次男一家はNYだし、長男のところも遠いので久しく会えていない。月半ばには、カミさんと水戸で墓参りをして北茨城の温泉に一泊し、その帰りに(古い写真の整理を兼ねて)弟が引き継いだ日立の実家を見て来ようと思っている。 

◆老化を防ぐための知的好奇心
 もう一つ。やるべきリストには、知的好奇心の持続と、社会とのつながりの持続が入っている。これは、老化を防ぐのに大事なことだろうと思うからだ。今年91歳の大先輩が主催する月1回の勉強会では、今年に入ってからもウクライナ戦争における武器(1月)、中国の世界戦略(2月)、日銀新総裁の出口戦略(3月)とハードなテーマが続いている。毎回、10枚以上の図表を作って講義してくれるが、その先輩が、去年末から話題のAIについて猛勉強し、4月勉強会のテーマにしたいと言う。老化とは無縁の旺盛な知的好奇心に、本当に頭が下がる。

 そういう訳で、私の方もボケ防止を兼ねて、この「メディアの風」を何とか続けたいと思っている。心配な日本の衰退、不気味に迫って来る戦争の足音、進行が止まらない地球温暖化など。この未曽有の時代の転換点にあって、私の出来ることと言えば、時代の行方をじっくり見届けることだと思っている。いわば「時代の目撃者」に徹して行く。昔ほどの更新は出来ないが、出来れば勉強したての“AI秘書”にも助けてもらいながら、努力目標としては月に2回程度は更新して行きたい。そのためには、新聞の切り抜きも暫く続けて行く事になるだろう。

◆『見納めの花降りしきる宴かな』
 先日の学会のリモート会合では、AIに俳句を詠ませようと試みたが、季語は読み込んでもうまく5,7,5にならない。追及すると「私はまだ日本の文化に詳しくはないので、すみません」のような返事を返して来た。AIが膨大な日本文化の蓄積を読み込んだとして、果たして芭蕉が詠んだような日本情緒の奥深い世界を理解できるかどうか。しばらくは、AIは何が得意で、何が苦手なのか。あるいは、この先、どのような衝撃を人類社会に及ぼすのか。人類はその衝撃を乗り越えられるのか、といったことを皆で議論していきたい。

 老境の日々にあって、私も人類とAIの問題を論じた「LIFE 3.0 人工知能時代に人間であること」(デグマークMIT教授)などを再読しながら、今年はこのAI問題に何とか追いついていきたい。それにしても、出版を予定している単行本「いま、あなたに伝えたい ジャーナリストからの戦争と平和、日本と世界の大問題」(仮)の「はじめに」にも書いたが、人類は今世紀に入って何やらとてつもない未知の時代に突入しつつある感じがする。「時代の目撃者」としては、怖いような、楽しみなような、である。『見納めの花降りしきる宴かな』 達男。