「風」の日めくり

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2007年12月31日(月)
日本は変われるか

今年のキーワード
 今年も残り僅かとなった。年末らしく今年の「時代の風」を振り返ってみたい。
 今年の世相を漢字一字で表現する
「今年の漢字」は、食品表示や賞味期限などの偽装事件を反映して、「偽(にせ)」と言う文字になったが、一字に限らずに今年、世を賑わした様々な言葉を上げてみるとどうなるだろうか。

 国際的には「地球温暖化」、「原油高」、「バイオエネルギー」、「サブプライムローン」。国内的には「(地方と都市の、あるいは勝ち組と負け組の)格差」、「テロ特措法」、「ワーキングプア」、「生活保護費」、「財政再建」、「特殊法人見直し」、「年金」、「薬害訴訟」、「防衛省汚職」、「偽装表示問題」などなど。
 さて今回は、これらの言葉の背景にある文脈を探りつつ、来年のゆくえを占ってみたい。

「テロとの戦い」から「エネルギー覇権」へ
 まず、国際的な動き。今年の特徴の一つは「地球規模で進行する市場原理主義(グローバリズム)」のお陰で巨大化した国際資本が猛威を振るい始める一方で、それが地球温暖化問題と絡んで奇妙な動きを見せ始めてきたことにある。
 結論を言えば、「テロとの戦い」という命題だけで国際社会を見ている時代は過ぎて、その陰に隠れていた「エネルギーを舞台にした国際資本」の動向が世界を解く鍵になりつつある、ということかもしれない。

巨大化する世界資本
 現在、国際資本(いわゆるヘッジファンドというものか)は飽くなき利益を求めて毎日莫大なお金を動かしている。国境を越えて動いているその資金量は、最近の原油高を背景に一説に500兆円にまで膨らんでいるという。ちょっとピンと来ないが日本の国の予算が80兆円だから、およそ6倍もの資金が少しでも有利な投資先を求めて世界市場を流動している。
 今年は、そのお金がアメリカのサブプライムローン問題の影響で値下がり傾向の株式市場から、値上がりの期待できるエネルギー市場に流れ込んでいるらしい。

 一つは原油の先物買い。もう一つは、地球温暖化時代の新しいエネルギー源として注目されているバイオマス(とうもろこし)の先物買いだ。そのために、世界的な原油高に加えて、異常な小麦高やとうもろこし不足を引きこしている
 小麦やとうもろこしの畑がバイオエネルギーのためのバイオマス畑に転換されて、人間や家畜の食料に回らなくなったためだ。

 困ったことに、アブダビやロシアといった産油国にはじゃぶじゃぶとお金が流れ込んでいて、その余った資金がまた原油やバイオマスのエネルギー市場につぎ込まれ、値上がりに拍車をかけている。
 私ら庶民にはちょっと想像がつかない世界だが、巨大になり、影響も大きい国際資本の動きを、皆が困るからと言ってコントロールしようとする者はいない。コントロールしようにもできないのが現実らしい。

内向きの日本
 こうした動きが長い目で見て私たちに何をもたらすのかはまだ良く分からない。原油高にうるおうロシアや南米の国々が国際的発言力を強める中、世界はどう変わるのか、またエネルギーの高騰が地球温暖化問題にどう影響するのか、長期的なことは分からない。

 しかし、心配なのは日本がこうした動きから全く取り残されているということ。むしろ、今の日本はこうした世界的な潮流に目を向けることなく、アメリカにすべての判断を任せて、内向きな問題に精一杯な状況に見える。
 今の日本は、(今ではそれ程重要な意味を持たなくなった)「テロ特措法」を巡って政治がにっちもさっちも動かない状況で、国際的な主導権を取ることも出来ず、その影響をただただじっと耐えるしかない様に見える。

グローバリズムと日本の改革
 ところで、日本にとってグローバリズムとは何だろうか。経済のグローバリズムに適応しようとした小泉改革の結果、日本には3つのレベルが生じていると思う。
 一つは、企業。小泉改革によって多くの倒産も出したが、不良債権の処理を含めて企業の国際競争力を持たせると言う改革は一応成功したように見える。(ただ、大企業と日本の大多数を占める中小企業とでは少し状況が違っているとは思うけれど。)

 二つ目は、少子高齢化という二重苦の中でグローバリズムに適応しようとして適応不全を起こしている分野。効率性を追求し、予算を削った結果、社会の発展から取り残された地方、弱者が悲惨なことになっている。
 これがキーワードであげた「格差」、「ワーキングプア」、「生活保護費問題」などなど、改革の影の部分である。
 これを是正して日本社会を安定させるには、できるだけ光の恩恵に浴する企業や層から影の部分に廻さなければならないが、この対策はまだ絶対的に遅れている。

 さらに問題なのは三つ目の部分である。それは、改革に抵抗して脱皮しないまま相変わらずぬくぬくと生きている日本の行政機構、官僚機構である。
 それは利権、無責任、非効率の温床で、先にあげた「特殊法人見直し」、「年金問題」、「薬害肝炎訴訟」、「防衛省汚職」などの問題となって噴出している。
 行財政改革と一口に言うが、経済のグローバリズムは日本を直撃しているのでこの行政機構、官僚機構を解決しないで日本が世界に伍していけるはずがない。明治以来の政府・官僚機構を真に国民のニーズに対応した組織・機能に生まれ変わらせることが出来るかどうか。

 今は誰も出来そうにないように見えるが、国民の不満は高まっている。国民はこれを日本の制度疲労が極限にきた状況と見ている。従って、誰がこれをやるかが、次の政権選択の重要な指標となってきているのではないか。

日本は変われるか
 さて、日本が内向きな問題に時間を浪費しているのとは無関係に国際的な変化の波は否応なく日本を直撃する。さし当たって年明けには、原油高の影響で食品、加工品など様々なものが軒並み値上がりしそうだ。
 明治以来の官僚制度や政治風土の金属疲労のために、身動きが取れない日本。世界の動き、日本の諸問題に機敏に対応するために日本は変われるか。

 今年初めに「今年は地球温暖化問題の岐路年になる」と書いたが、来年は「日本の制度疲労に変化が起こる年」と思う。答えが出るのは間近なような気もするが、それがいい変化であるよう祈りたい。

2007年12月15日(土)
絵心って何だろう?

 画風と言うようなものではないが、これまでの絵?の雰囲気を色々変えてみたくて、とりあえずサインペンや筆ペンでノートに落書きをしている。厳密に言えば画風を模索するなどと言うのは結果論で、単なる暇つぶしなのだが。

形が出来てくる過程
 そんな遊び心でノートに一本の線を引き始める。そうすると、まずいつものような方向にいつものような曲線を引きたくなる。しかしその心を抑えて、逆の方向に何も考えずにいつもとは違った線を引いてみる。このようにして暫くいつもと逆の方に逆の方にとどんどん線を引いていく。

 すると当然、何も発しないめちゃくちゃな形がノートに現れてくる。それは収拾のつかない、気持ち悪い形である。これを少しは気持ちに訴えるようなものに変えて行くことはできるだろうか。
 というので次は、これらのでたらめな線をなぞりながら自分の心の命じるままに少しずつ線をまとめたり太くしたり、影をつけたりしていく。

形と心の動き
 ここで自分の手に命じている「心」というのは何なのだろう。少し吟味してみると、それは自分なりの平衡感覚(釣り合い感覚)だったり、重力感覚だったり、或いはそれを破綻させる微妙な揺らぎだったり、画面の幾つかの方向に向かう動きの感覚だったり、ようするに形の持つ様々な力、メッセージと自分の心の交流だと言う気がする。
 色のついた絵の場合は、これに色彩の持つ様々な力と自分の感覚との交流が加わる。(今回はあえて色はつけない)















 それで思うのだが、こうして惰性を排して、あえて無意識に(今までと全く違った形に)でたらめに線を引きながらもそれが一つの形に集合していくのは、何故なのだろう。
 バラバラで無意味な形が、やがて(他人から見れば稚拙で無意味な形かもしれないが)何か自分のこころに響く形になってくる。

芸術のシャワー
 幾つも落書きをしているうちに、私は、こうした個々の形、一つ一つの線が発するメッセージを以前より強く感受するようになっているのではないだろうか、と思うようになった。
 そして、これは何より書き続けるということが前提になるが、一方で、いい絵を見たり、いい音楽を聴いたり、いい映画を観たりすることも意外に効いているのではないかと感じるようになった。そういえばこのところ意識して、いいものを見るよう努めてきたところもある。

 そこで、結論。いい芸術のシャワーは浴びているだけで、自分でも知らないうちにこちらの創造における感受性も豊かにしてくれる。それは無意識の相乗効果といってもいい。
 そういえば、良く画家たちもジャズなんぞを聞きながら絵を描いている。こういう芸術の創造性の秘密(あや)が少しでも見えてくると楽しみ方の境地も深まってくるのではないか。単なる落書きを題材にしたにしては、少し大げさに過ぎた理屈を書いてみた。

2007年12月6日(木)
時代の閉塞感

 最近の読書。「ローマ人の物語」(塩野七生)は文庫本で読み始めてようやく30巻まで来た。並行して話題の本「会社は頭から腐る」(冨山和彦)、「反転」(田中森一)、「官邸崩壊」(杉山隆)、「国家の罠」「国家の呪縛」(佐藤優)なども読んで問題山積の今の社会にため息をついたり、二千年前のローマ帝国の皇帝たちの方が、今より余程真面目にしかも賢く「国家と国民のための政治」を行っていたと思ったりする。
 一方で、最近は下手な絵?を描いたり、フォト五七五を試したり、ようするに今の私の頭の中はこうした散漫な頭の遊びに使われていて、本当に考えるべきものから目を逸らしているように思う。

日本人を幸せにする5項目
 というのも以前書いた「日本人を幸せにする5項目」が、政治の分野で明確な争点になりつつあるのだが、一向に進まないし出口も見えないまま時間ばかりが経過しているのに嫌気が差しているからだ。
@「日本の平和を守るための外交、防衛政策」をどうするのか
A「地球温暖化を防ぐための環境政策」
B「疲弊した地方再生のための政策」
C「財政再建のための経済、財政政策」
D「年金など最低限の暮らしを守るための安全ネットを構築する政策」

 これらの5つのテーマは今、新テロ特措法と給油問題、京都議定書と二酸化炭素削減問題、地方と都市の格差と税金の再配分問題、消費税アップ問題、生活保護費の切り下げと年金問題、などなど、国民の誰もが一刻も早く具体的な対策を取るべきテーマだと認識するようになって来ている。
 それぞれ明確な方針に沿って大胆な選択していかなければならない時に来ているのも理解されつつある。

「ゆで蛙」状態
 にもかかわらず、政治は課題を前にして政争をしているばかり。症状が進み、「会社は頭から腐る」ではないが、日本は日に日に地盤沈下をしていく。
 国民も政治家も問題の所在を皆が分かっているのに、有効な手を打つことが出来ないでわんわん議論しているだけ。

 これは、国際的に地球温暖化問題を議論している人類も同じ。時間を浪費しているうちに日本は地球の多くの国々とともに沈んでしまう瀬戸際に来ている。
 よく言われるように、だんだん熱くなる水の中から飛び出す勇気がない「ゆで蛙」状態だ。

時代の閉塞感
 5つのテーマに有効な手を打てないで時間ばかりが経過していく中で、その影響は、地球温暖化による様々な影響、防衛省の汚職事件、自殺者の異常な多さ(東京では毎日のように「人身事故」が発生している)、疲弊した地方での親族殺人の続発、働いても暮らせないというワーキングプア問題、などなどに現れて来ている。







 私は、これが地球レベルから国家レベル、地域レベルまでを覆う時代の閉塞感だと思っている。同時にこの閉塞感は、ある意味、全体主義国家を生み出した昭和初期の閉塞感に通じるのではないかと心配もしている。杞憂だろうか。

 最近は、こうしたことがあまりにもどかしく腹立たしくて、真正面から突き詰めて考え、処方箋を提案するということを避けているのかもしれない。しっかりしろと誰かの声がする。

2007年11月23日(金)
秋の日の雑感A

 秋の日の雑感@」に載せた写真はすべて携帯で撮ったもの。携帯カメラは画素数が少ないが、それでもこの程度の画質ならまあ何とか使える。
 ところで、今回の旅ではデジカメを持って行かなかったので、メモ代わりに携帯のカメラでいろいろな風景を撮ってみた。そうすると携帯のくせに、思いのほか写真らしい写真が写っていることもある。
 それでちょっと感じるところがあって、今回は新しい遊びにトライしてみた。まだほんの入り口に過ぎないけれど、ふるさとの漁港で撮った携帯写真による「フォト五七五」である。

ふるさとの海の半世紀
 (もう半世紀も前になるが)私が子どもだった頃、故郷の漁村は堤防も埠頭も何もなかった。海岸の崖際まで波が打ち寄せていて僅かな砂浜に漁船が引き上げられているだけだった。
 子ども2人で手ぬぐいの両端を持って波打ち際の海水をすくってみると何匹も小魚が取れたし、ちょっと沖の岩礁に泳いでいくとそこにはウミウシやらイソギンチャクやらの磯の生物たちが豊かに息づいていた。

 毎朝、沖の定置網に漁船が出て行って戻ってくる。時にはとれたサンマや小アジをバケツ一杯貰ってきて、サンマはぬか漬けにして冬の間の保存食にし、小アジはそのまま寿司ネタにした。
 春には岩についているマツモやワカメを取る。それを熱い味噌汁に入れると一瞬に緑に変わって磯の香りが匂いたった。

 その海は、私の中学生の頃から入江を囲むようにして堤防が延び、海岸は埋め立てられて埠頭になった。波が打ち寄せていた崖際には道路が作られ、埋め立て地には運動場やテニスコート、駐車場や宿泊施設までできた。
 磯の生物のいた岩礁はコンクリートで固められ、海底はいつの頃からかぬるぬるして漁港内で泳ぐ人はいなくなった。今は波打ち際の小魚たちも見えない。

写真に俳句をつける
 悲しい事だがこうした変化はこの半世紀、経済的豊かさと引き換えに日本のいたるところが経験した変化だろうと思う。しかし、ここまではまあ前置き。こうした歴史を持つふるさとの海岸で撮った携帯写真に俳句をつけるというのが今日の本題である。
 一つは、かつては海だった埋立地に廃船が打ち捨てられている写真。私らが子どもの頃、へさきから飛び込んだりして遊んだ木造船ではなく、昭和40年代以降に造られたグラスファイバーの漁船である。

 「廃船に 日はあかあかと 冬日暮る」
 しかし、これでは写真の説明にしかなっていないので、落第。
 ものの本には「写真と俳句のコラボレーション」とあるから、写真と俳句の微妙な距離感がポイントらしい。連句で言う「響き」や「匂いつけ」といった結構高級な技が必要なのだろう。
 そこで、あれこれ考えた句をつけてみる。

 「潮の香を 忘れて久し 冬に入る」



 ついでに、崖の途中で見つけた廃屋の写真にも句をつけてみた。今は草に覆われて見る影もないこの廃屋には、かつて一人暮らしの老人が住んでいた。



 「物は皆 時が食うかや 冬ざるる」


俳句歳時記によれば「冬ざるる」とは、見渡す限り冬の景で、荒れさびた感じを言うそうだ。これも落第かなあ。
2007年11月18日(日)
秋の日の雑感@

 秋の某日、京都を訪ねた。京都の人が口をそろえて言うには温暖化で紅葉が遅れていると言うこと。それでも宝ヶ池周辺や名刹の庭々を訪ねると、まだ3分か4分の色づき具合だが、緑の中に赤や黄色が混じってそれはそれで秋の情緒をかもし出している。

 折りしも京都では、「京都・非公開文化財特別公開」というのをやっていた。普段は見られない文化財を17の寺が参加して期間限定で公開すると言う催しだが、その中から仁和寺(写真)、東福寺、東寺の3箇所を選んで訪ねてみた。
 それぞれの寺で公開されていた文化財については近々書くとして、今回は旅の間に感じた(取り留めのない)雑感を書いてみたい。

京都・宝ヶ池
 京都市の北、山懐に抱えられた宝ヶ池の周囲は公園になっていた。散歩がてらに訪ねたのは土曜日の午前。すでに様々な人々が思い思いに秋の休日を楽しんでいる。私も池を囲む遊歩道を歩きながら、自然にその人々を観察する形になった。

 犬を連れて散歩をする人。幼子を連れた家族。落ち葉を拾う恋人たち。一輪車に乗った小学生の子どもの手を引きながら歩く若い父親。熟年夫婦も何やら話しながらのんびりと散歩している。
 仲間と連れ立って池に遊ぶ野鳥を本格的な写真機材でねらっている人もいれば望遠鏡でバードウォッチングをしている人もいる。
 ストップウォッチを持った先生に掛け声をかけられながら小学生のグループがランニングをしている。そうかと思うとスケッチブックを広げて写生に精を出す一団がいる。

平和の縮図
 それぞれの人々が静かな森と湖の周囲に点在しているようで都会の公園のようなうるささがない。
 そして、幼子からお年寄りまでが思い思いに楽しんでいる様子を眺めていると、人間の一生の様々な一こまをまとめて見ているような気になる。この年になると自分の人生に重なることが多いせいかもしれない。若い時には感じなかったことだ。

 もう一つ、これは誰しも思うことだろうが「平和」ということである。私は戦争を知らない世代だが、戦時中の様々な資料を見るにつけ、市民がこうした(何気ない)豊かな時間を過ごせるありがたさを思う。これが「平和」の風景かと思う。

老人とオカリナ
 さらに某日。故郷の漁村を訪ねた。秋の夕日を一杯に受けた人影のない埠頭を一人散歩していると、どこからともなく聞きなれたメロディーが聞こえてきた。
 見回してみると、漁港の埠頭に小型車(写真)が止まっていて、その中で一人の老人がオカリナを吹いている。それはたどたどしい演奏だったが、楽譜を見ながら一つの曲を繰り返し練習していた。










 田舎の漁港と老人の奏でるオカリナ。これも人間の一生の一こまであり、平和の一風景ではないだろうか。曲は(何だか出来すぎているようだが)「おじいさんの古時計」だった。
(「秋の日の雑感」続く)

2007年10月27日(土)
絵?NO.14の改修

 1013日に絵?のNO.14をアップしてから10日ほど、暇を見つけてはアクリルガッシュの絵の具を少しずつ塗り重ねてきた。この絵の具は、いわゆる水彩の絵の具と違って何度でも塗り重ねることができるのがいい
 何か考えがあってやっているわけではないのだが、強いて言えば今回は形と言うより色の塗り重ねに面白さを見つけたいと言う遊び心。

 やっているうちに、縦のものを横にしてみようと思ったり、そうするともう少し形を足してみようと思ったり、それなりに楽しめた。何故横にしようと思ったのか。
 本当はもともと横で構図を作っていたので、13日段階(左)をもう一回、逆回転しただけのこと。多分、色を塗っているうちに上から光が当たっているような濃淡より、横から光が当たっているような濃淡の縞のほうがちょっと新鮮に思えたせいかもしれない。(この辺は本人もどっちがいいか分からない。)


















 この間、日本橋三越で行われていた「東京芸大創立120周年記念・日本の美術今展」を見たりした。この展覧会は今の芸大の教授、講師の99人が作品を出している。中に抽象画もあったが、テクニックが高等すぎてなかなか真似のできるようなものがない。
 そのうちがらりと画風(なんかがあるわけないが)を変えて、野見山暁治のようなとんでもない色と形を描いてみたいと思うが、それはもっとずっと先になるだろう。

 それこそ色をいくらでも混ぜたり塗り重ねたりできる油絵でないと無理なのだろうが、油絵はまだ先。それまで、ぼちぼちとアクリルガッシュの塗り重ねを楽しむ。
 考えてみれば、初めて絵の具と絵筆を買ってきてからまだおよそ1年しか経過していないのだから、これから先ものんびりと。

2007年10月14日(日)
秋祭り

 10月に入った秋晴れの土日。旧街道の商店街で秋祭りがあった。仕舞い込んでいた山車(だし)を3年ぶりに引き出した今年の祭りは、日ごろ火の消えたような商店街にしては結構賑やかだった。
 この日、かつての宿場町には交通規制が行われ、どこにこんなに子どもたちがいたのだろうかと思うほどの子どもや大人に引かれて山車が練り歩いた。
 その数5つほど。秋晴れの空に笛や太古の音が響いていた。

地方の商店街の様子
 祭りの音に誘われて普段はあまり歩かない商店街をカミさんとぶらぶらと歩いて見た。そして様々な商店が細々と続いている様子に複雑な思いを抱いた。
 金物・荒物屋、五月人形屋、寝具店、時計店、呉服店、電気店、せんべいや、魚屋、八百屋、ケーキ屋、旅館、化粧品屋などなど。どの店もここにこんな店があったのかと初めて気がつくようなもので、これで商売がやっていけるのかと思うくらいに古い作りのまま、辛うじて続いていると言う感じなのである。

 五月人形屋などは、ガラスケースに入った人形が10個ほど申し訳程度に緋毛氈の棚に並んでいるばかり。魚屋も今では殆ど生ものを仕入れていないようで、その日のお惣菜が並んでいる。
 ケーキ屋もショーケースに入ったケーキが二列ほど並んでいるが一日に売れる数はどの位なのだろう。以前行ったことのある床屋も、何年か前に布団の打ち直しをしてもらった店も廃業してしまった。

 この旧街道から離れたバイパス沿いには幾つもの大型量販店が進出している。またそこまで行かなくても、この商店街で売られているすべての品物は、近くの「イトーヨーカ堂」や「イオン」、それに家庭用品の「ビッグサム」ですんでしまう。私もこの地に10年以上住んでいるが、この商店街で買い物をしたことは殆どない。

的屋の人々
 さらにもう一つ、複雑な思いになったのは、祭りの沿道に出店を出している人々のこと。祭りのある街を見つけてはそこに店を出す露天商、いわゆる的屋の人々だ。
 こんな小さな商店街の秋祭りにも実に様々な店が出ているのにびっくりした。昔懐かしい、ぐるぐる回流する水に浮かぶゴム手まりを掬うもの、鉄砲で景品を落す射的、お面売り、金魚すくいのほか、キャラクターの玩具、ぬいぐるみなどもある。

 食べ物の店も意外に種類が多い。焼きソバ、広島お好み焼き、綿あめ、バナナにチョコレートをコーティングしたもの、串にステーキ?を通したもの(シシカバブ)、チキンの肉を焼いたもの、りんごに水あめを掛けたもの(リンゴ飴)、肉片を筒状に積み上げて焼いているもの(削って食べる、これもトルコ風か)、などなど。

 これらの店はすべて単品で商売している。結構人気の店もあるが、どう考えても売れそうもない品を扱った店もある。しかし、的屋の人々は皆少しも慌てない。食べ物であれば、売れなくて余ったら困るだろうに、そんな心配は超越したような感じである。
 若い人(結構多い)も年取った人も、家族もいる。大声で客を呼び込むでもなく、まだ強い秋の日差しの中で淡々と時間を過ごしているように見える。
 あるいはじたばたしても仕方がないと諦めているのだろうか。今の時代、彼らの日常には私などの想像できない時間が流れているのではないかと思ったりする。

地方コミュニティーの崩壊
 祭りを担う人々も、それを商売にする的屋のような人々も地域に活気がなければ成り立たない。大型量販店に押されて地域の商店が廃業するのは自然の成り行きなのだが、一方でそれは地域コミュニティーの崩壊を意味する。
 人々は大きな声を上げることなく、或いは廃業し、或いは転業してどこかに流れて行き、シャッターが下りたままの商店街が今、日本の地方都市に蔓延している。

 地方の商店街だけではない。現在、過疎や高齢化で社会的共同生活の維持が困難になっている「限界集落」というのが全国津々浦々に広がっている。後10年もすれば、日本には「消滅集落」ばかりとなって、そこにあった祭りなどの民俗文化も大方は消えているだろう。
 「地域の再生」は「政策の対立軸」にもあげたが、時間との競争の中で、政治がそれに有効な待ったを掛けることが出来るかどうか。もう一度商店街に活気が戻ることはあるのだろうか。
 秋祭りの笛と太鼓の音も、こうして見るとどこかもの哀しく響いてくる。

2007年10月13日(土)
絵?のNO.14

 久しぶりに絵?を描いてみた。何とか少しは今までのものと違ったようにならないかと色んな色を使って(自分の感覚に逆らうように)手当たり次第、滅茶苦茶に描き始めたのだが、やはりどうしても収まりがつかない感じになる。気分が落ち着かない。

 そこで黒い線で色の領域を形にまとめていくと、またいつものような形になっていく。せめて色については今までと塗り方を変えようといろいろやってみた。「絵?のNO.14」(トップページ下)である。
 カミさんに見せたら、「何だかみんな同じ絵のように見えるねぇ」という一言で片付けられてしまった。「変える」ということはなかなかに難しい。

 こんな些細な経験から一般論をいうのもおこがましいが、画家が画風を変えるというのは案外大変なことなのかもしれない。
 そのように思って画集を見ると、有名な画家たちも何年もかかって画風を変えている。そこにはどんな必然やきっかけがあったのだろうか。
 私のように単に飽きたからとうことではない、何か奥深い考えがあるのだろう。知りたくなってきた。

2007年10月8日(月)
Azusaからの便り

 ちょっと順序が逆になるが、前回のブログにAzusaのメールを載せるためにやり取りしたときの彼女のメールが興味深いので紹介しておきたい。
 私がブッシュによって壊されたアメリカの底力(良心)の再生について書いたことに対する、彼女からの返事の部分だ。彼女によると、アメリカのメディア状況も最近は結構悲惨な状況になっているようだ。他人事とは思えないので転載する。

Azusaからの返事(一部)
 ブッシュが壊したものの修復は、多方面に渡るので大変だと思います。
 私達に一番身近なメディアの修復は、どのように行われるのでしょうか。ニュースはとめどなく安易な感情をニュースとして垂れ流していますし、センサーシップに縛られた年月からどのように立ち直るのか、心配です。

 この頃では、テッド・コッペルのいなくなったABCの「ナイトライン」も情緒的ニュースだし、頼みの綱はPBS(アメリカの公共放送サービス)のニュース、トークショー、それからBBC(イギリス公共放送)のニュースです。
 時期的に早すぎると言う事もあるかもしれませんが、PBSでオンエアーされた黒人大学で行われた大統領候補のディベートは他局では放送されていませんでした。
 メディアの与える影響はとても大きいので、そこで働く人の番組内容に対する道徳感、使命感などがブッシュ時代に規制を受け、消えていってしまったように思えてなりません。アメリカのメディアは再生が必要です。

文化に市場原理主義を持ち込むと
 私の考えでは、これはブッシュの戦争による影響というよりは、その前から始まっていた、アメリカのメディアを巻き込んだ市場原理主義の影響だと思う。
 メディアを市場原理だけで統廃合し、ひたすら経営効率化を目指した結果、いざ戦争というような肝心の時にメディアは機能しなかった。
 今になってアメリカのメディアもイラク戦争について疑問を呈しているが、開戦当時は殆どのメディアがイラクを叩けと大合唱したのである。

 ついでに言えば、こうした状況を竹中平蔵前総務大臣は、「アメリカではタイム・ワーナー(総合メディア企業)だけでも5兆円の売り上げがあるのに、日本のメディア市場は閉鎖的だ。規制を緩和して市場拡大すべきだ。」といって放送の規制緩和を図ろうとした。
 それを引きずっての(NHK縮小のための)「改革」論議が、いまも続けられている。

 金だけでは割り切れないものがあるということを理解しない市場原理主義者たちが残した負の遺産(地方の切捨て、大学制度など)は、影響が誰の目にも見えるようになったときにはすでに手遅れになっていることが多い。仮にそうでなくとも、一度壊れたものの回復には何倍もの時間がかかる。それが怖い。

2007年10月6日(土)
アメリカの底力

 映画「ミリキタニの猫」について書いた後、久しぶりにNYに住むAzusaにメールした。映画の中で、製作を担当したのがマサ・ヨシカワという日本人というので、或いは彼女の知人ではないかと思ったからだ。以下はその返事の一部。

Azusaからのメール
 映画(ミリキタニの猫)ご覧になったんですね。マサ君(ヨシカワ氏)は10年来の友人なので、最初のトライベッカ映画祭の時この映画を見ました。
 そしてミリキタニ氏がいた八百屋さんの店先は以前の家の側でした。だから私も何度か彼と話した事もありました。またミリキタニ氏のお誕生日には、アパートにお邪魔してお祝いもしました。

 A(私)さんのメールを見てあらためて思い出しましたが、9.11は、ニューヨークの街が「何か手助けをしたい、何かをしなければ」という気持ちでいっぱいになった時です。そして助け合いの精神が大いに発揮されました。
 この気持ちが続けば、ニューヨークは世界を変える都市になりうる、と感じた事を思い出します。

 色々な面で型破りなこの映画ですが、ミリキタニ氏の心の動きを追う事で表された強制収容所の存在、そして今でも残るその傷、痛みなど、特に心に残りました。笑いながらも気付かされ、考えさせられ、深い思いへと導かれる、秀作だと思いました。

 監督のリンダさんは、編集をずーっとやってきた人です。マサとはエレベーターの中で出会い、「君、日本人?日本語分かる?」という会話から始まったそう です。マサはもともと映画の方の仕事がしたかったって言ってた様な気がします。

近況報告
 メールは、以下近況報告になるが、やはり2001年の9.11はアメリカの人たちにとって魂の奥底から揺さぶられるような体験だった。そして「ミリキタニの猫」もそうした背景の中から生まれたことが分かる。
9.11当時の様子を知るためにもう一度AzusaのNY報告」をアップしておきます)

 そのAzusaは現在、NY市が中心となって行っている、恵まれない地域の子供を対象としたアフタースクール(放課後も引き続き3 から6時まで生徒を預かって、食事、宿題、課外授業を行うもの)でクリエイティブドラマというのを教えているそうだ。
 これは演劇的なゲームやトレーニングを通して、感情の知覚、理解、表現を学び、豊かな情操を育てるもの。二つの学校に行っているが、その一つではミュージカル"The Wiz"に挑戦することになったそうだ。

 彼女はまた、恵まれない地域の子供に向けてボランティアでのメンタープログラムを立ち上げられないかと考え、チェース銀行が出してくれた奨学金で勉強中だという。頑張っているなあ。

アメリカの底力
 恵まれない人々へ手を差し伸べる精神。企業の様々な社会貢献制度。その根底にあるのは、アメリカ社会に残っている底抜けにオープンで健全なヒューマニズム、人道主義の伝統だろう。
 一方それは、9.11をきっかけにアフガンやイラクへの報復戦争に同調した多くのアメリカ人の対極にあって、戦争は解決にならないと主張した良質なアメリカ人の存在にもつながっていると思う。(残念ながら、その声はあまり大きな力にならなかったけれど)

 これらの精神は映画「ミリキタニの猫」にも脈脈と生きている。
 監督のリンダは、9.11の後、街に立ち込めるガスとホコリの中、避難するころもなく路上で咳き込んでいた垢だらけのミリキタニ氏を自宅に引き取った。そして生活保護が得られるように行政と掛け合う。
 また戦争を声高に叫ぶブッシュ大統領の映像にはミリキタニ氏の戦争批判、アメリカ政府批判がかぶさってくる。そこには、アメリカ市民のヒューマニズムが生きている。アメリカの底力を感じる部分だ。

 さてこの、良質なアメリカの底力がこれからの政治の世界で生かされるのかどうか。どうも民主党のクリントン陣営にも共和党と同じネオコンが食い込んでいると言う情報もあるようだが、来年の大統領選挙へ向けてこれがどう働くのか。
 これについてはまた改めて見ていこうと思う。

2007年10月3日(水)
ミリキタニの猫

 駆け出しのディレクターの頃、私はドキュメンタリー番組のテーマになりそうなものを思いつくたびに手帳に書き留めていた。多くはアイデア倒れで終わったのだが、そんなアイデアの一つを今でも覚えている。

人に歴史あり
 想定の舞台は老人ホームか老人病院。そこで家族にも見放されて孤独に生きている老人がいる。その過去を聞き取り、人生をさかのぼって見てみようというアイデアである。
 今は老人ホームの片隅に生きる無名の庶民にも、きらきらと輝いていた時代があったに違いない。或いは戦争体験といった時代を映す過酷な出来事が降りかかっていたかもしれない。
 タイトルは「人に歴史あり」。劇的になるかどうかは分からないが、それを追いかけていく番組だ。しかし、このアイデアは当たりはずれが多そうで実現には至らなかった。

ホームレス画家
 ところがである。先日、渋谷の小さな映画館「ユーロスペース」で、このアイデアが最高度に成功した、衝撃的なドキュメンタリー映画を見たのである。
 主人公はNYソーホーの路上に住むホームレスの老画家。垢に汚れた指、伸び放題の髪とひげ、雨の日も雪の日も彼は路上の一角で段ボールを組み立てて寝起きしている。
 いつも首をいつもすくめたような猫背で絵を描いている。色鉛筆で描く彼の絵は多くは猫の絵だ。

 老人の名は「MIRIKITANI」、「三力谷」という変わった姓を持つ80歳の日系人である。2001年の6月、たまたま彼の絵を買ったのがドキュメンタリー映画の女性監督リンダ・ハッテンドーフだった。
 やがて彼女は手持ちのビデオカメラでホームレスだが誇り高い老画家との会話を撮り始める。それからが、このドキュメンタリーは驚きの連続になる

老人の過去
 9.11同時多発テロ事件の映像が出てくる。その直後、彼女はガスとホコリが立ち込める街で避難もせず咳き込みながら絵を描いている老人を見つけ、アパートの一室に引き取る。
 若い女性監督と老人の奇妙な同居生活が始まった。しかし、老画家はアメリカの行政的支援に頼ることをかたくなに拒み、「アメリカはクズだ」とはき捨てる。誰にも頼らず孤高に生きようとする。

 やがて老人の過去が徐々に明らかになってくる。アメリカで生まれ広島に育ったこと、戦前に再びアメリカに移住し画家を目指したこと。しかし、戦時中にはアメリカの日系人強制収容所に収容され、アメリカ市民権も含め何もかも失ったこと。

 彼は9.11以後、アフガン戦争に乗り出すTVの中のブッシュに向かって何度も「戦争はダメだ」とつぶやく。広島では原爆で日本の家族を失い、収容所では姉と別れたまま消息も分からない。心に深い傷を持ち、アメリカと言う国、そして戦争と言うものに深い憎しみを抱いて生きているのだ。
 これまで彼が描いた数多くの収容所の風景、原爆で焼かれる人々の絵が映し出される。NYに出てきた頃の若い画家の写真と絵をみると大変な日本画家だったことも分かってくる。

「ミリキタニの猫」
 この映画、「ミリキタニの猫」では、その後、リンダの働きで半世紀も前に別れた姉の消息が分かり、住むアパートが見つかり、老人ホームの絵画教室で絵を教え始めるという劇的展開を見せる。
 さらに、かつて収容されていた砂漠の中の収容所跡地を訪れ、そこで死んだ幼い知人に祈りをささげる。その年月の中で老人の憎しみが次第に溶けていく。まさに「人に歴史あり」だなあ。

 この映画は世界の各種コンクールで賞を総なめにした。現在の彼は87歳、毅然とした生き方は見ていて気持ちいいし、若い女性監督の老人に敬意を払った優しさがいい。
 そして、何より感動するのは、これを作品として仕上げた監督の「芸術への意志」である。音楽がまた素晴らしい。こういう映画を見ると、政治や経済と言った俗事を越えて、マルローが「永遠につながる」と言った「芸術の力」をしみじみと感じるのである。

2007年9月30日(日)
政策の対立軸とは?

 安倍辞任後、自民党は総裁に福田を選び一時(いっとき)の落ち着きを得ようとしている。しかし、安倍から福田になって自民党はどう変わろうとしているのだろうか。
 現時点での単なる印象に過ぎないけれど、個々の議員の思惑は別として総体として自民党総裁の選択に働いた力学はおおよそ次のようなものだろう。

自民党の選択
 一つには若い安倍首相と彼の同世代の執行部(お友達内閣などと言われた)が危機管理で不手際を連発し危なっかしいという印象があったのを、各派閥の領袖を取り込んだ派閥横断的な政権に変えることによって安定感を求めたこと。

 二つ目は、生みの親の小泉に遠慮して小泉改革の行き過ぎに的確な対応の出来なかった安倍に対して、福田を選ぶことによって改革も進める一方で格差是正や地方再生にも取り組むという若干の路線修正を図ろうとしたこと(この点では麻生も同じだったが、麻生の場合は小泉、安倍との連続性が裏目に出た)。

 三つ目は、憲法改正、教育基本法の改正、公務員制度改正といった性急なタカ派的改革を進める安倍に対して、タカ派色を薄めると同時に官僚との協調路線に戻る選択をしたこと。

政局と政策立案能力
 以上の選択は、これまでも自民党の中で繰り返されてきた振り子作用(あるいは復元作用)の一つに過ぎない。しかし、こうした首の挿げ替えだけで自民党が直面している難問を乗り越えられるかどうかは極めて不透明だ。
 自民党は古い体質から脱却し生まれ変われるか、そして小泉によって壊された自民党の支持基盤を再構築できるか。自己改革をしない限り、福田政権の前途は多難だろう。

 他方、衆参のねじれ現象という状況がある。政局はいよいよ総選挙をにらみながら、与野党の「政策を巡るつばぜり合い」に入る。活発な議論が展開されるなら、それはそれで国民にとっては結構なことだと思う。
 そして、そんな中でますます大事になってきたのが、政党の政策立案能力ではないだろうか。つまり、21世紀の日本をどういう方向にもって行くのか、「日本国のグランドデザイン」を国民に分かりやすく提示する能力が問われていると言うことだ。

政策の5つの対立軸
 と言うわけで、「政党の役割」で私が勝手にあげた三つの役割(*)のうち、「国の基本的政策について国民に分かりやすい選択肢を提供してくれること」はとても今日的なテーマだと言える。
 国の基本政策で政党間の違い(「政策の対立軸」)が明確になれば、来るべき総選挙において国民の政権選択に重要な判断材料となるはずだから。

 取り上げるべき国の基本的政策については、別に5つに絞るのが専売特許ではないが、今回も覚えやすいように5つに絞ってみた。(他にも大事なテーマがあるかもしれないけど)
 21世紀にも元気で平和な日本を作るために何をするかが、ポイントだ。

@ 「日本を再び戦争に向かわせない、平和を守るための外交、防衛政策」
A 「生活に密着した問題(年金、格差、食糧、防災、教育など)で安心・安全のネットを構築
  する政策」

B 「地球温暖化を防ぎ、美しい国土と自然を残すための環境・エネルギー政策」
C 「中央集権の官僚国家から脱皮して地域の活性化をめざす地方分権政策」
D 「次世代にツケを残さないために財政再建をめざす経済、財政政策」

何を優先するか
 これらの五つのテーマは、もちろんそれぞれに独立しているわけではない。例えば温暖化防止も地方分権も財政再建も経済政策に関係してくる。
 だが今の時代、政策とは何を優先するかと言う問題でもある。総花的というのは経済が右肩上がりだった昔の話。そこを間違うと(もう国民はだまされないと思うが)借金の山を築いた昔の「ばら撒き行政」に戻ってしまう。
 限れられた資源で最大効果を発揮するには、国のあり方にも改革のメスを入れなければならないだろう。そこを避けずにやり切れるかどうかだ。

 さて、上に上げた
5つの基本政策では、政党によってどういう方法論の違いがあるのか。政策の対立軸(例えば@では、国連中心主義とアメリカとの軍事同盟主義との違いなど)については若干の説明が要るだろうが、長くなったので次回以降に廻したい。

2007年9月24日(月)
映画監督という仕事

夢の中で
 ある日、私は夢の中で映画監督になっていた。夢の中で映画のワンシーンを撮っている。「カット!」と助監督が大声で言ってカメラが止まった。
 そのとたん、撮影現場にいる100人ほどの俳優や撮影スタッフが一斉に私を見る。良かったのか悪かったのか監督の判断を仰ぐためだ。

 しかし、夢の中で私は「OK」とも「もう一回」とも言えないで迷っている。そのシーンが全体の中でどういう位置づけになるのか、撮影がうまく行ったのか、それこそ夢みたいにつかみ所がなく、はっきりしないのだ。
 安易に「OK」を出して後悔しないか、あるいは粘って「取り直し」と言うべきなのか。100人の人々が声一つ立てないで私を見つめている。
 焦っているうちに、何故か取り直しによる予算オーバーの心配まで頭に浮かんで来た。 なんだか妙にリアリティーのある夢だった。

撮影現場の見学
 実はこの夢を見た半月ほど前のこと。私は、世田谷砧の「東宝撮影所」で映画の撮影を見学している。友人の映画監督が招いてくれたのである。
 撮影は順調に進んでいるようだったが、その時、印象に残ったことが二つある。一つは「カメラスタート」と言う前の緊張感。100人もの現場が一瞬のうちに静まり返る。もう一つは「カット!」と言ってカメラが止まった後、監督の「OK」が響くまでの張り詰めた空気だった。
 もちろん、夢の中の私と違って、友人はシーンの撮影が終わるたびに瞬時に大声で良否の判断を下していたのだが。

 その時は「あんな緊張の中で演じる俳優も大変だなあ」と思っただけだったが、あの雰囲気が記憶のどこかに残っていたのだろう。何と自分が夢の中で映画監督になって冷や汗をかく羽目になった。
 ただ、夢から覚めたとき私は、「映画監督というのも難しい仕事なんだなあ」と初めて実感したように思った。

 映画制作において、監督は絶対の権力者。それだけにすべての責任を一人で負わなければならない。孤独な仕事だ。
 多くの人が関わっているし、製作費もちょっと想像できないような額になる。よほど自分に確信がないと、このプレッシャーには耐えられない。

部内試写会
 そして、あの夢を見てから3ヶ月。先日、私は監督から映画の完成試写会に招かれた。映画製作に関係した人たち200人近くの部内試写会である。私もシナリオの初期段階からあれこれ感想を言って来たので呼んでくれたのだろう。
 試写の前に、資金集めに奔走したプロデューサーが「皆さんの感想がどう出るか、どきどきする」と挨拶。私はみんなの期待を背負う監督の気持ちを思って一人緊張した。

 映画はしかし、私の心配など吹き飛ばすような堂々たるものだった。終わると会場から期せずして拍手が沸き起こり、長く続いた。私も感動していた。
 映画の後半からは「友人も確実に巨匠になったなあ」という想いがこみ上げてきた。そしてこの想いの意味するところが何なのか考えていた。

存在の飛躍
 これまでの彼の映画は「彼らしい」いい映画だと思っていた。もちろん秀作には違いないが、友人の人となりから想像できる範囲のレベルといったらいいのかもしれない。しかし、今回の映画は明らかに何かが違っている。
 沢山の映画の向こうには、過去の名だたる巨匠たちが築いてきた世界がある。そこには数々の名作が山のようにそびえている。今度の映画の凄いのは、そうした世界に何かでつながっている気がするところだ。
 従って、監督も孤独に耐えて芸術を追求する巨匠のレベルに手をかけたことになる。芸術家はその作品によってある日突然何者かになるが、彼の場合も芸術家に往々にして見られる存在の飛躍を経験しているのではないか。

 映画監督の名は小泉尭史、映画のタイトルは「明日への遺言」。来年3月公開予定のこの映画は話題を呼ぶに違いないし、確実に何らかの賞を手にするだろう。

2007年9月16日(日)
安倍辞任の本質

 政党の役割について続きを書こうと思っていたら、12日に突然安倍首相が辞任、政局は新たな展開を見せている。これによって書こうとしていた内容が変わるわけではないが、ちょっと寄り道したくなった。
 安倍の政権投げ出しついては様々な原因が取り沙汰されているが、その根底には、次回に取り上げようとした「政策の選定と実行力」というテーマにも関わる、「もっと本質的な原因」があったように思うのだ。

理念先行の政治家
 ご存知の「美しい国」とか「戦後レジームからの脱却」は、いうまでもなく単なる政治スローガン。それだけで独立して存在するものではない。
 スローガンとは、まず具体的な政治課題があって、それを一つ一つ成し遂げていく先に見えるイメージをキャッチコピー風に表現したものだ。
 普通、為政者は持ち前の時代感覚で取り上げるべき政治課題を選ぶ。それらを包括するスローガンには当然、彼の歴史観や価値観が反映されていいわけだが、安倍の場合はこうした順序がこれまでの政治家と逆だったのではないか。

 安倍の場合はまず、「戦後レジームからの脱却」という政治信条(価値観、美学と言ってもいい)が先行したように思う。
 発想の背景には教育現場の荒廃、伝統的価値観の崩壊、自立していない国防といった戦後日本の現状に対する憂慮があったのだろう。しかし、「戦後レジームからの脱却」という言葉は文脈から、その本質は彼の祖父(岸信介)らが持っていた価値観、すなわち「戦前の保守主義的価値観」への回帰のように見えてしまう。(今回、彼の「美しい国へ」をぱらぱら読み直してみたが彼は「開かれた保守主義」といっているけど)

 本当のところ「戦後レジームからの脱却」が何なのか、明確な説明がないので良く分からないが、彼はそうした保守主義の理念の実現に使命感を抱いたのだろう。結果、取り上げた政治課題は「憲法改正」、「教育基本法の改正」などなどの、大テーマのオンパレードになってしまった。
 別に大テーマを取り上げるのが悪いわけではないが、理念先行の政治課題が国民の関心事と必ずしも一致するとは限らない。まして、世情に疎いのでは(使命感だけが空回りして)、「年金」、「格差」など生活に直結する国民の関心事からずれていくのは当然の帰結だった。

政治手順が分からない
 安倍の理念先行の政治にはもう一つ、政治手法(民主政治の手順)を軽視するという欠陥があった。それは「教育基本法の改正」、憲法改正の布石となる「国民投票法案」などの強行採決の連発にも現れている。
 本人は使命感に燃えてやっているのだろうが、教育も憲法ももう何十年も前から言われてきた国論を二分するような大テーマである。実現するには、それなりの緻密な手順と言うものが必要なはずだ。
 充分時間をかけて議論して出来るだけ多くの人が賛成するような法案に持っていくのが本筋である。

 台湾の元総統、李登輝氏は台湾の民主化を成し遂げた老練な政治家だが、その著「台湾の主張」の中で「政治の資源は時間である。『時を待つ』ことが大切なのだ。」と言っている。大事をなすには、時間がかかっても細かい手順をおろそかにしてはいけない、ということだろう。
 しかし、安倍の場合は政治的に未熟で、こうした具体的な手順が見えなかったのではないか。政治家としての資質に欠けていたと言わざるを得ない。

せめてもの救い
 同時に、大きな政治課題ばかりにとらわれて、目の前に迫っている危機(格差や年金問題)が見えなかったのが致命傷になった。政治家は遠くの理想を追いつつも目の前の政治課題が現実的に見えてなければ国民の支持を得られず、苦境を乗り切って行くことは出来ない。

 729日の参院選挙で大敗したのに続投を決めたのは、使命感にとらわれて目の前の現実が素直に見られなかったため。
 そして今回、彼が目の前の苦境を前にして意外にもろかったのは、あるのは使命感だけで、苦境を乗り越えるための具体策が何一つ見えなかったためではないか。
 政治的資質を欠いた指導者は国に大きな損害を与える可能性があるが、まあこうしてみると在任期間が短かったことがせめてもの救いだったかもしれない。

スローガン政治の危険性
 今の政治は、具体的な政策を示さないままに耳障りのいいスローガンを前面に打ち出す。国民もそれに引きずられて人気だけで動かされてしまう。(「小さな政府の落とし穴」)今回の辞任劇は、それを許した自民党、マスコミ、国民の責任でもある。

 ということで、前から言っているように政治は「政策とその実行力」である。今回は思わぬことがおきたのでちょっと寄り道してみたが、次回は「政党の役割(政策の対立軸)」を書きたい。

2007年9月9日(日)
政党の自己改革

 前原民主党が偽メール事件に巻き込まれてガタガタになっていたのは、去年の3月。一方の自民党も敵失にあぐらをかいて緊張感のない国会運営を続けていた。(その時は納税者の立場から、うんと怒りを込めて「政党・国民にとっての役割とは?」を書いたが)
 あれからわずか一年半。その間、郵政民営化の衆院選挙で小泉自民党が大勝、今度はその後を受けた安倍政権がガタガタになり、小沢民主党が参院選挙で大躍進。民主党の悲願だった政権交代が俄かに現実味を帯びてきた。

国民が政党に求めるもの
  しかし、時代は動こうとしているのに、肝心の政治はというと旧態依然の体質からなかなか脱皮できないでいる。私に言わせれば、この1、2年の流れを見ていると民意が政治に突きつけているメッセージが明瞭に浮かび上がってくるように思えるのだが。
 どの政党が民意を受け止めて自己改革を成し遂げられるか、その敏感さとスピードが政党の命運を決める時代に入ったと言えるのではないか。

 政党の自己改革を占う視点として、以前にも書いたが、国民が求める「政党の役割」を重要な次の3点に絞って考えたい。
第一に
「国の基本的政策について国民に分かりやすい選択肢を提供してくれること」
第二に
権力は必ず腐敗するから、自浄能力、とりわけ政治と金についての透明性を
     確保すること」

第三に
「人材確保と政策の実行力」
 第一と第三については次回に廻して、今回は今問題の「政治と金」について少し書いておきたい。この点だけを見ても、今の政治が如何に民意に対して鈍感かが分かるからだ。

政治と金
 今は日本の国家財政が借金まみれであることを誰でも知っている。財政再建が叫ばれているときに、またそのための増税が見え隠れしている時に、政官財の癒着による税金の無駄使い、或いは政治家のごまかしによる税金の無駄使いを一円たりとも国民は許さなくなっている。

 今、「政治資金規正法」の一部改正でも「一円単位で報告する」と言う規定を盛り込むかどうかでもめているが、こんなことに異議を唱える方がおかしい。
 「一円や百円の領収書がもらえるか」というが、そんな低額なものは領収書が何百枚あっても1万円にもならないのだから仮に領収書がもらえないのであれば、政治家が自己負担すればいい。

 政治家が政治資金の透明化に反対する裏には、貰った政治資金は自分の金として、できるだけ自由に他人に知られないように使いたいという遅れた感覚があるのではないか。
 しかし、政治資金規正法は政治活動の公明と公正を確保するために作られた法律である。また一方で政治家は税金から多額の政党助成金を得ている。
 従って、その活動資金については、例えそれが国民からの浄財(政治資金)であっても税金であっても、使途報告は一円単位まで行うのは今や世間の常識であって、それが義務なのである。

政治家の時代遅れの特権意識
 政治家は莫大な国税の使途を決める力を持つ。税金を廻して貰いたい連中から「先生」などと呼ばれているうちに、よほど目をぱっちり覚ませていないと国民が頼んだ覚えもない変な権力意識、特権意識を持ってしまう。
 しかし、政治家は国民がのぞむ政策を実行してもらうために機能として選んだ人々である。そこのところを履き違えて、付託以上の特権が許されると思い込んでいる政治家は、主権者意識が強くなっている国民から見ると、それだけでもう民意から離れているのだ。

 そういう政治家は(役人もだが)、必ず問題を起こす。他人の恨みをかうことが多いために、内部告発などがきっかけでその所業が天下にさらされる。そうすると、(なんとか還元水もそうだったが)言い訳を聞いているだけで笑ってしまうような遅れた意識の持ち主であることがはっきり見えてしまう。
 政党自体もそうである。そういう遅れた体質を抱えていると見られただけで、生き残りが図れない時代になっている。

 安倍首相は日本経済のグローバル化についてしきりに改革の続行と言っているが、一連の「政治と金」問題は、それ以上に必要な改革が政治家たちの足元に迫っていることを示しているのではないか。
 「政治と金」の問題は21世紀へ向けて先進的な民主政治を確立する試金石。国民は今、どの政党が抜本的な改革に目覚めるのか、総選挙の予感の中で「
てぐすねひいて」見ているのだと思う。(この項、終り)

次回予告(政策の対立軸)
 さて次回は、政党の役割の第一「国の基本的政策について国民に分かりやすい選択肢を提供してくれること」について考えてみたい。

 国の基本的政策を明確にすることは、2つに意味で重要である。一つは、日本の将来についての政策に国民の関心を引き付け、政治を国民に近づける大事な要素になるから。
 もう一つは、政党間で考え方の違いが明確になれば、それが「政策の対立軸」となって、私たち国民が政権選択をする際の重要な判断材料となるからである。

2007年9月6日(木)
取扱い説明書?

学生の頃、私は数学ではいわゆる応用問題というのが大の苦手だった。解ける解けないの前に、その問題が何を求めているのかが分からない。問題そのものが理解できないのである。
「○○とすれば、その値はいくらになるか?」と言うような場合でも、まずその前提になる条件が頭の中でクリアにならない。

読解力不足の情けなさ
大体、数学の問題なんて現実離れした無理な条件設定が多い。問題を出す方は答えに直結する一本道の条件を設定している積もりでも、白紙の状態で読むと余計な回り道まであれこれと気になってしまうのだ。
問題の理解があいまいなまま、頭に霞がかかったような状態であらぬ方向に進んで苦労した挙句に、「解答なし」にたどり着いたりする。

特に受験勉強ではわが身の頭の悪さ、文章読解力のなさを実感させられた。こう書いていても、その時の情けない思いが浮かんで来るくらいだ。
自分の頭だから不満の持って行きようもないが、結局この悩みは問題の数をこなすことでしか解消しなかった。数をこなすうちに問題の類型が分類できるようになり、そう突拍子もない寄り道をしないで済むようになる。
しかし、数をこなすことでしか解消されないというのもつまらないものだと思ったものである。

取扱い説明書が分からない
さて、その後はそんな悩みもすっかり忘れて平和に暮らしていたのだが、最近になってまた、あの情けない思いを味わうことが多くなった。その元凶は、デジタル機器、パソコン、あるいは種々のパソコンソフトの「取扱い説明書(取説)」。日本語には違いないのだが、素直に頭に入ってこない。

「あれ」だの「それ」だの書いてあるが、何をどう操作するのか。パソコンソフトのインストールなどでも、手順書のちょっとしたところでつまずいて先へ進めない。
先日買ったHDDDVDレコーダーもDVDプレイヤーとしては使っているが、取説を読み出すと頭が痛くなって、いまだに収録には使えてない。
カミさんは馬鹿にするが大概途中で挫折する。歳を取って気が短くなっているせいか、何故か腹が立つ。

取説はなぜ悪文か
一般に「取説」は、悪文の見本のように言われている。これもあの応用問題と同じで、答えまでの一本道しか見えない人が書くからだろう。
分かっている人から見れば当たり前のことでも、素人は意外なつまずきを起こす。予備知識のない人がどんな間違いをするのか、そこが見えていれば、あんな分かりにくい不親切な文章にはならないだろうに。

腹立ちついでに言えば、ゴルフの解説書にもそんなのが多い。一向に上達しない私がようやくたどり着いた結論は「ゴルフの解説書はそのレベルまで達して始めて理解できるように書いてある。」ということだ。到達したレベルを確認するのには役立つが、上達には役に立たない。
「言葉で理解させる」、あるいは「言葉で理解する」と言うことがいかに難しいか、ということである。

カミさんの取扱い説明書
取説と言えば、最近こんなことがあった。(この話は本当は前回の続きなのです)
前回の「風の日めくり」に「老年の脱・反抗期」を書いた後、久しぶりで息子が帰宅したときの会話である。
「最近、(HPを)読んでる?」
「あ〜、母ちゃんの取扱い説明書ね。」
ブログを読まないカミさんは「え〜、何のこと?」と身を乗り出してきたが、私はあわてて息子に目配せした。

「母ちゃんの取扱い説明書」。このジョークにはちょっと虚を突かれた。カミさんが昔から息子について「あの子は怒っていてもどうも柳に風なのよね」と言っていたのを思い出したからだ。マニュアル世代の息子も案外、彼なりの母親の扱い方をあれこれ考えているのかも。

こっちはそんな不謹慎なことを書いたつもりはないが、読みようによってはどうだろうか。
「当たらずとも遠からず」なのか「遠からずとも当たらず」なのか。ことほどさように文章と言うのは難しい。(次回は、真面目に日本の政治について考えます)

2007年9月2日(日)
老年の脱・反抗期

2歳から4歳くらいの幼児が相手の言うことに対して何でも「いや」と言って否定したり、拒否したりすることを第一次反抗期というのだそうだが、私もある局面でずっとこの第一次反抗期と同じような精神構造にあったことに最近になって気がついた。

読んでみれば、ふん、お前はそんなことも分かってなかったのかと言う人もいるかもしれない。しかし、ある日、自分でハタと気がついて妙に納得したのだからちょっとした発見には違いない、と思っている。
ごくごくたわいのない話ではあるのだが、まあ「定年後の体と心」というコーナーを設けているくらいだから、物は試しに書いてみようと思ったわけである。

日々の小さな衝突
定年後、カミさんと一緒にいる時間が長くなると何かと衝突することが多くなって困っていた。別に深刻な問題ではなく、ごく日常的な些細なことで衝突するのである。
ずっと前のブログに、「老後」と言うタイトルでこんな昔のざれ歌を書いた。
   「ことごとくわれをとがむる家妻を終(つい)の頼りに生きていく日々」
思わず、「よ、ご同輩!」と声をかけたくなるような歌ではあるが、私の場合は、まだ少し血の気が残っているのだろう、カミさんの小言に半分は耐えるが、半分は言い返す。そこでだんだん空気が険悪になってくる。

しかし、小言なら、まあ、相手が「何回言っても全然聞いてないんだから」などと怒り出さない程度に聞き流せばいい。
問題は、むしろカミさんが「息子に言ってやんなくちゃ」とか、「あそこの温泉がいいらしいよ」とか「どこそこに食事に行こう」などと「意見」や「提案」を言い出す時に起こる。意見が食い違って平行線になり、結局「あなたと私はもともと合わないのよ」というような、ぎょっとするような深刻な話になったりするのだ。

言葉の魔法
そこでよくよく考えて、カミさんが何か言ったらひとまず「うん、そうだね」とか「なるほどいいね」とか言ってみることにした。思えば結婚以来あんまり口にしたことのないセリフである。
しかし、そうすると思いのほか会話が柔らかくなる。相手の対応も魔法にかかったように穏やかになる。
それだけではない。言った瞬間、私は自分の気持ちに不思議な変化が起こるのを発見したのである。

それは表面上は和んだ柔らかな心である。もっと言えばそれは一種の開放感である。今までの自分を捨てて別な自分になったような気持ちである。
それでいてその自分に不満なわけではなく、むしろ相手の気持ちに余裕を持って寄り添うことができる、そんな自分をどこかで褒めているような気持ちでもある。
まだまだ不慣れで毎回うまく行くとは限らないのだが、一体、この気持ちはどこからくるのだろう。

反抗期と同じ
結婚以来うん十年になるが、考えてみると日頃、カミさんの意見や提案には、深い考えもなく「いや」とか「そうかなあ」といった否定や疑問の言葉を出てしまうことが多かった。
「男と女では思考回路が違っている」という説があるが、私の場合もその意見や提案がどこから出てきたのか理解できなくて、ひとまず否定するのが癖になっていたのかもしれない。

そしてある日。「いや」、「そうかなあ」の代わりに、「うん、そうだね」とか「なるほどいいね」と言うようになって、ハタと気がついた。これまでカミさんの意見に条件反射的に反対していたのは、幼児の反抗期と同じではないだろうか。

小さな自我を捨てさせる
そう考えると、あの開放感の意味もおぼろげながら分かってくる。それは、しがみついていた自分の思考回路や考えをひとまず脇において見たときの広々とした感じだ。
考えてみればこっちはこっちで、まるで幼児期のように自分の考え方が唯一絶対だと思って、その狭い思考回路に身動きが取れなくなっていたのだろう。

その自由な空間から見ると、こだわっていた自我が小さく見える。自由だが、自分を偽っている感じでもない。
そういう意味で、「うん、そうだね」や「なるほどいいね」は単に、相手に肯定的な気持ちを起こさせる魔法の言葉ではなく、言った本人が、つまらない自我から自由になる魔法の言葉でもあるような気がしてくる。

老後の脱・反抗期
夫婦仲を円満に保つ3つの言葉があるとよく言われる。「はい」(謙虚さ)、「ありがとう」(感謝)、「ごめんなさい」(反省)だ。
 しかし、こちらはどうも儒教的で人間が出来てない私などには遠い道のりだ。

そういうわけで皆さんには何を今更と言われるかもしれないが、老後はできるだけ「うん、そうだね」(同意)と「なるほどいいね」(肯定)を連発して、第一次反抗期を脱することにしようと思っている。その先に何が待っているかは保証の限りではないけれど。(この項、「定年後の体と心」に転載します)

2007年8月31日(金)
アメリカの終り

 「市民の立場で 時代の風を読み 生き方を考える」と掲げる以上、本当はこの時期、考えるべきテーマが山積しているはずなのだが、ずるずると先延ばしにしてきた。
 ノートに書くべきテーマのメモがたまって、ヒントになる本なども手元に揃っているのに、情けない。それぞれが結構重いテーマのせいもあるが、何よりこの夏の暑さに参ってしまったせいもある。

 中でも終戦の8月15日に向けては、「戦争もの」を一つ書きたいと思い続けていた。そのテーマに昨日今日の涼しさに少し元気を回復してやっと取り組んだ。「老骨に鞭打つ」というより「老頭に鞭打つ」と言う感じだが、そうして書いた「戦争を始める論理」を「日々のコラム」の方にアップした。

 それにしても、フランシス・フクヤマの著書「アメリカの終り」は、思想や言葉が現実世界に対して力を持つまれな例ではないかと思う。現実から離れることなく直視し、歴史と世界の現状についての幅広い視点から問題点をぎりぎりと追い詰めていく。抽象に飛躍せずに現実の政治課題に迫っていく。

 そうして書かれた言葉が現実に対してどのような力を持っているか、アメリカの政治家たちにどういう影響を与えているのか、それは私には分からない。しかし、ベストセラーになったこの本はボディーブローのように今後のアメリカの政策に効いてくるのではないだろうか。

 仮に、そうだとすれば、それは学者としての著者が脳髄を絞りながら政治家たちをターゲットにして、学者としての責任を忠実に果たそうとしているからだろう。
 ところで、以前に書いた「日本を幸せにする5つの条件」の中の「戦争を避ける広範なシステム」については、これからも少しずつ考えていきたいと思っている。こちらは自分を含めた市民に向けてだが、フランシス・フクヤマの爪の垢でも煎じて飲みながら、老頭に鞭打ちながら。

2007年8月9日(木)
富士山を間近に見る

 恥ずかしながらカミさんも私もまだ富士山を間近に見たことがない。富士山の周りにある富士五湖の一つも見たことがない。と言うのでインターネットを参考にささやかな一泊二日の旅程を組んで河口湖の温泉に出かけた。

富士山の成り立ち
 旅館の部屋から河口湖を挟んで目の前に富士山が迫って見える。さすがに巨大な山容である。山頂から重力の法則に合わせたような美しい曲線を描いて山麓が末広がりに広がっている。
 カミさんによれば、旅館の露天風呂に入っていた幼児が富士山を見て「あのお山はずーっとあそこにいるの?花火より高いの?飛行機より高いの?」と可愛らしい質問を母親に連発していたらしいが、これだけの山容になるには、その昔どれだけの噴火を繰り返したのだろうか。

 富士山はヒマラヤのように大陸と大陸がぶつかり合ってせり上がった山ではない。噴火のたびに溶岩で山頂をかさ上げし、川をせき止めて湖を作り、遠く関東平野にまで火山灰を降り積もらせた。
 記録によれば、噴火が始まったのは約一千万年前、特に溶岩の噴出が激しかったのは、約1万1千年前-約8000年前の3000年間と、約4500年前-約3200年前の1300年間と考えられている。いずれにしても我々人間の想像をはるかに越えた規模である。

五合目で
 バスで富士山の五合目まで上ってみた。下界は30度を越える猛暑だが、ここはガスがかかって肌寒い。多くの登山者がいた。登山口に向かってしばらく歩いていくと、へとへとでやっと下りてくる人もいれば、元気に足取り軽く下りて来る人もいる。
 ガスの切れ間に富士山の赤黒い山体が姿を現した。山頂までは6時間から8時間の行程だと言うが、良くあんな見上げるような山頂に登るものだ。

 「ねえ、いい時来たと思わない?」カミさんが言うのは年齢のことらしい。もちろん登山者の中には我々より年上に見える元気な老人も幾らかはいたが、我々はもう不可能だ。富士山を間近に見られただけでも良しとしなければ。

富士山の絵
 旅の間に周辺の美術館を幾つか訪ねた。その中に、富士山を描いた数々の絵と写真を展示した「河口湖美術館」がある。富士山がかくも多くの画家の創作意欲をかき立てて来たという証しでもあるが、富士山を間近に見た後では、意外なことにこれはと思う絵が少ない。
 横山大観の「霊峰不二」や林武の「赤富士」は別格として、私にはむしろ富士山は絵の題材としてはかなり難しい部類に入るのではないかと思われた。

2007年7月19日(木)
絵?のNO.13

 例のモチーフをもっと大きく描いてみようとあれこれやっているうちに絵?のNO.13が出来た。(トップページ)
 今回は色もさることながら少し具象的に描いて見ようと思って影やら表面の感じやらをつけようとしたが、その技法の引き出しがあまりに貧弱なことに気づかされた。
 やはり具象絵画の基礎がないことにはこれから先には進めない。といって絵画教室に通って静物の絵などを勉強するのもなあ。

 息子からは「おー。サイエンスだね。ニュートン(科学雑誌)の挿絵のようだ。」なんてあまり褒められた感じのしないメールが来たが、それにしても、このモチーフは何者だろう?
 やっているうちにだんだん大きく近づいてきて、地球と太陽の間に立ちはだかる謎の物体になってしまった。
 とりあえず、このモチーフとのお付き合いはこのくらいにして卒業かな。

 でも、初めて宇宙から見た地球を描いて見て、なるほど地球は極めて薄い大気の皮膜に守られているに過ぎないのだという、よく言われる現実を実感した。
 地球周りの青色の層は、仮想の防護膜のようにも見えるが、これは配色の関係上つけたもので、実際の地球大気の層はこのくらいの大きさに描くとわずか1ミリにも満たない薄い層になるらしい。

 台風に地震(原発被害にはひやりとした)に選挙にと、日本列島も何かと鳴動鳴り止まない感じだが、そんな騒ぎを一瞬忘れて、宇宙から見ると地球がかけがえのない「生命のオアシス」であることが良く分かる。

2007年7月14日(土)
大型台風接近!

 「日本列島に沿って」非常に強い台風が進んでいる。カミさんが、「なんで台風はよりにもよって、日本列島と同じカーブを描いて進むのだろう」と文句を言っているが、進路予想図を見ているとそんな気にもなる。

 もちろん2つのカーブにはそれぞれ別な理由がある。台風はその緯度の偏西風の流れに乗って動くし、日本列島のカーブは大昔に日本列島を運んで来た太平洋プレートと大陸とがぶつかって作った弓なりのカーブだ。
 2つのカーブとも地球規模の物理現象が作ったカーブと言えば言えるが、日本ではそれが時々申し合わせたように重なる。今回の大型台風、何だか日本列島を目一杯荒しながら進みそうに見える。大きな被害にならなければいいが。

 昔は、台風が来ると父がおんぼろ雨戸に釘を打ち付けて、来襲に備えたものだ。夜中にラジオに耳をすませているうちに、良く停電になった。ろうそくに灯をつけて家を揺らす風の音を聞いているうちに、やがて少しずつ風が弱くなってくるのが分かる。
 翌朝の台風一過は、夏はすごく暑いし、秋はどこまでも青い空だ。ちぎれた木々の枝や吹き倒された作物があたり一面に散らばっている。川を見に行くと濁流が溢れそうに流れていて見飽きない。
 まあ、こんな風に自然とともに生きていた。

2007年7月12日(木)
未来を変える80人

「大地に足をつけて」
 「大地に足をつけて生きよ」という言葉の今日的意味について、2回にわたって私なりに感じることを書いてきた。
 一つは、人間は、この地球という大自然の枠組みの中で生きる存在であることを忘れるなということ。人間を生かしている大自然や地球に常に目を向けつつ、
「地球感覚」を持ちながら生きよということである。

 もう一つは、心の中に「人間にとって大地のごとく大事なもの*」を持ち、それとつながり、日々会話し、そして自らを律して生きることである。(*例えば、他人の痛みを分かろうとする気持ち、弱いものを助けようとする気持ち。また、それらをベースにした、人道主義の「自由、平等、博愛の精神」などなど)

 そして、この2つの意味において、現代人がいかに大地から足を離して、危うい状況で生きているか、を書いた。

「未来を変える80人」
 しかし、もちろん現代においても探せば、大地にしっかりと足をつけて生きている人たちはいる。それがどんな人々なのか、「未来を変える80人」(2006年)は具体的に教えてくれる。
 フランスの2人の若者が1年3ヶ月にわたって38カ国を旅し、世界各地で地球環境を守るために、貧しい人々を救うために、独創的な事業を起こした80人を訪ねた取材記である。

○ 発展途上国のバナナやコーヒーなどの小規模、貧困な生産農家の自立を図るために、住居の確保はもちろん、教育や医療までもきちんと受けられるような正当な価格で取引する。この「フェアトレード」商品を次々と先進国に広め、消費者の意識も変えつつある事業家(フランス)

○ 貧困から治療が受けられずに、多くの人が白内障で失明しているインドで、先進国の170分の1の治療費で治療するシステムを開発、1600万人の患者を診察し180万人の患者を手術で救った医者(インド)

○ 貧困層の女性たちに無担保の資金を貸しだす庶民銀行を設立、世界57カ国で55百万世帯の貧困からの脱出、生活の自立を助けて、ノーベル賞を受賞した銀行創業者(バングラデシュ)

○ 街にあふれて景観を損ね、衛生状態も悪化させていたダッカの都市ごみを分別収集する会社を興して、生ごみを肥料にして農家に安く配るシステムを開発。環境にやさしいモデルを世界に広めている事業家(バングラデシュ)

○ 貧しい漁民の乱獲にあって絶滅寸前だった「海がめ」の保護のために、ブラジル海岸1000キロを保護観察区域にして、自然保護と漁民のための観光ビジネスの両立を成功させたエコツーリズムの創始者(ブラジル)

○ ストリートチルドレンを救う活動など、開発途上国の市民が「環境破壊、差別、病気の蔓延、事件侵害などを正すための社会起業」を目指すときに資金援助をする財団を立ち上げ、世界53カ国、1500人の支援人材を抱えるまでに成長させた財団創設者(アメリカ)

共通する人間性
 以上はほんの一部だが、全部で80人。事業の独創性もさることながら、感心するのはこうした事業に人生を賭けた人たちの魅力的な個性とその動機である。
 彼らはある日突然、それまでのキャリアを投げ打ち、貧しい人々を救うために、また危機に瀕している地球環境を救うために、敢然と未知の事業に乗り出す。そして、驚くほどのエネルギーと粘り強さと創意工夫で、誰もやったことのない事業を成功に導いていく。

 若者たちの取材記を通して見える事業家たちは何故か、共通する人間性を持っているように感じる。オープンで人をひきつけ、しかも謙虚で揺らぎのない信念を持っている。彼らこそまさに現代の「大地に足をつけて生きる」人々だと思う。
 「未来を変える80人」は、特に前途に時間がたっぷりある若い人々に、挑戦する元気と勇気を与えてくれるに違いない。

2007年7月8日(日)
大地に足をつけて(2)

(つづき)
人間にとって何か大事なもの
 「大地に足をつけて生きよ」というマルローの祖父の言葉には、もう一つ別な今日的意味があるのではないか、というのは私の単なる思い込みに過ぎないかもしれない。しかし、「大地に足をつけて生きる」という言葉に思いをはせていると、ある人間の姿が浮かんでくるような気がするのだ。
 それは、心の中に人間にとって何か大事なものを持ち、それとつながり、日々会話し、そして自らを律して生きる人間本来の姿である。

 その「心の中の、人間にとって何か大事なもの」とは、昔なら「神」だったかもしれない。
しかし、近代以降、宗教のくびきから自らを解放しようとして神を殺し、自分を神に、世界の中心にしようとした現代人にとって、「神の教えに従って生きよということはすでに一般的意味を持たなくなっている。(「集中講義!日本の現代思想」

心の規範を失う現代人
 とすると、現代人の心の中に「人間にとって何か大事なもの」は、まだ残っているのだろうか?あるとすれば、どういうものなのだろう?
 これは結構難問である。しかし、より実感的に考えるためには、まず現代の私たちがいかに「人間にとって何か大事なもの=心の規範」を失いつつあるのかを見たほうが早いかもしれない。

 深夜の弁当工場で働く主婦が友人の夫の死体をバラバラにする。名門女子高を卒業したエリートOLが売春のため街角に立つ。幸せな専業主婦が夫の死後に思いもかけない愛人の存在を突きつけられる。
 現代人の心の闇を小説に書いて来た作家、
桐野夏生のインタビュー記事6月28日、日経)が手元にある。(今の世の中、彼女の小説などよりはるかに異常な事件が毎日のように起きているのだが)その彼女がこう言っている。

 「現代人はかつての人が持っていた規範意識を捨て、一線を越えてしまったのではないかと思うんですよ。規範意識が破れきっている。一線を越えても恥ずかしく感じない人間を書かなきゃ、と自らを駆り立てて人の心を深く深く掘っているつもりなんですが、現実のほうがどんどん進んで今の人の姿にいきつかない」

歯止めなき欲望の世界
 さらに、「一線を超える原動力になっているのは欲望で、その背景には欲望を刺激してやまない情報社会がある」と言う。

 近代以降、社会的規範のタガが次々と壊され、タブーが消えうせ、何でもありの時代になったときに未曾有の情報社会が登場した。
 セックス、暴力、殺人、戦争など一切のタブーを否定した様々な仮想現実の中で育つ若者たち、歯止めなき欲望を膨らませる消費文明と情報社会。刺激の強い映像や情報がテレビ、映画、ゲーム、インターネットの中で反復、増幅して、人間の脳に拭いがたい影響を残していく。

 社会的規範が失われると言うことは、人々の価値観、意識がバラバラになっていくと言うことでもある。その中で、より強い刺激を求めて孤独な心が振幅の大きな仮想世界をジェットコースターのようにさまようことになる。現実と仮想の境界があいまいになって、異常な事件が頻発する。
 「欲望を止めるすべを社会全体が失ってしまった。特に日本は欲望を映し出す幻の国。一線も二線も越えたこの国の行く末を世界の人が見ている。」(桐野)
 日本人だけではない。現代人の心はかつての「心の規範=大地」から、糸の切れた凧のようにどこまでも離れていく...

大地に足をつけて生きよ
 とまあ、こういう時代だからこそあえて、「大地に足をつけて生きよ」は大事な意味を持ってくるのだと私は言いたい。それは、人間本来の「心の規範=大地」を持ち、それに心を向けて生きるということである。
 社会的規範が次々と壊れる中で、「人々の心の大地」は既に荒れ果てているかも知れない。しかし、模索し、求める気持ちはまだ人々の中に残っているのではないか。

 他人の痛みを分かろうとする気持ち、弱いものを助けようとする気持ち。それらをベースにした、人道主義の「自由、平等、博愛の精神」などなど。欲望のままに人類の大事な宝を捨て去るのではなく、それに心を向け続けること。
 それが、私たち現代人にとってのもう一つの「大地に足をつけて生きる」ことではないだろうか。

2007年7月5日(木)
苦闘の絵?NO.12

 この前のいたずら書きのモチーフを題材に絵?のNO.12を描いてみた。しかし、形と配色だけにこだわった今回の絵は殆ど失敗作だろう。途中で諦めようとも思ったが、失敗の跡を残しておくのも悪くはないと思って何とか形にした。

 何しろ色が難しい。どんな色がいいかはイメージがなかなか浮かんでこない。それに、水彩の絵の具だと色の選択肢もそう多くないのだ。色相と言うのか、それがそんなに多くないのである。何度も試行錯誤を繰り返した。
 それと、(尾形光琳の「紅梅白梅図」的)背景の形に落ち着くまでにも、何度か描き直した。

 失敗した色を塗りなおすのはこれまでは、まず白で塗りつぶし、乾いた上を別な色に塗り替えるという方法だったが、これだけ単色的図案では色が濁ってうまく行かない。
 仕方がないので新しい画用紙を形に合わせて切り抜いて、色を塗り替えその上に張りなおすというような作業を何度かした。

 考えてみれば、これは絵画と言うよりは工作に近い。それもものすごくアナログの手法である。こんな作業ならば、本当はパソコンでのお絵かき手法が一番適しているのではないかとも思ったが、それを新しく勉強している時間がない。

 そんなこんなで、小学時代のような超アナログな作業を続けて何とか区切りにした。小学時代、工作に夢中になっていたときのような根気を何となく思い出した。
 で、成果の方は「骨折り損のくたびれもうけ?」。形と色だけの切り絵のような絵?はこれでこりごり。トップページの絵?NO.12はその苦闘の跡である。

2007年6月28日(木)
大地に足をつけて

 20世紀フランスの文豪、アンドレ・マルロ(1901-1976)の祖父は一説に自殺したとも言われるが、マルローは小説の中で祖父の死についてこう書いている。(「王道」
 「ある日のこと、若い労働者がのらくらしているのをみてたまりかね、俺が若かった頃はこうして舳(へさき)の木を割っていたものだ、と斧を振りかざしたその瞬間、ふいにめまいがしてもろ刃の斧で脳天を打ち割って倒れた」

マルローの祖父の言葉
 マルローは強烈な個性で過酷な運命に耐えて生きた祖父に共感を示しつつ、祖父が口癖のように言っていた言葉を書き残している。「大事なのは、大地に足をつけて生きることだ」
 (今回、いろいろ探して見たが、その箇所が見つからないので完全に正確かどうか心もとないのだが)それがどんな意味なのか、マルローも考えながら生きたに違いない。

 若い時のインドシナ半島での冒険(「王道」)、中国革命への共感(「征服者」、「人間の条件」)、スペイン内戦での反フランコの戦い(「希望」)、そして第二次大戦ではナチの手からフランスを回復するレジスタンスに参加(「侮蔑の時代」、「反回想録」)などなど。
 マルローは「行動する作家」として常に時代と向き合いながら生きた。その意味では、実存主義者として名をはせたカミュサルトルの兄貴分的存在だったとも言われる。

言葉の謎解き
 それにしても「大地に足をつけて生きよ」とはどんな意味なのだろう?40年も前に読んだこの言葉が、なぜか最近、記憶の底から突然浮上し、その謎を問いかけているような気がする。
 昔の人が直感的に理解したのと、100年後の今では意味も少し違っているかもしれない。そこで、この謎めいた言葉の現代的意味を私なりに考えてみた。

 一つにはまず文字通りに解釈して、人間は、この地球という大自然の枠組みの中で生きる存在であることを忘れるなということだろう。
 人間は地球上に生きる多様な生命体の一つであり、地球という自然環境に依存して生きている。これはいかに文明が進んでも、厳然たる事実である。
 従って人間は大地の息吹、自然の過酷さ、厳しさ、あるいは自然の営みの豊かさ、精妙さに常に目を向けつつ、その自然感覚(今風に言えば地球感覚だろうか)を体内に持続すべきなのである。
 大地に触れて自然感覚(地球感覚)を研ぎ澄ませていれば、人間は太古以来
持ち続けてきた自然への畏敬、あるいはその自然に立ち向かう勇気、といった人間として、生物としての「まっとうな精神」を失わずにすむ。それを言っているのではないか。

大地から遠ざかる人間
 ところが、今はどうだろうか。海を埋め立て広大な人口島を作って一大レジャーランドを建設する。街には未来都市のような超高層の摩天楼が立ち並び、外は50度の熱気なのにビルの中は快適な冷房が効いている。
 これは、原油高で得た巨万の富を注ぎ込んで砂漠の中に忽然と出現した、中東の人工都市ドバイの様子だが、東京だって衛星写真で空から見れば似たようなものだ。緑がほとんどないコンクリートジャングル。超高層の群れががん細胞のように無秩序に増殖を続けている。

 人工環境の中で快適で便利な生活を享受している一方で、人間は母なる地球に耐えがたい負荷を与え、自然からの収奪を続けている。食卓に並べられる食物がどのような自然のもとで作られているかについてもあまり関心がない。
 人類の多くは、すでに自然感覚を失い、大地から危険なほど足を離して生活しているのではないか。
 「大地に足をつけて生きよ」はこうしてみると、地球によって生かされていると言う謙虚な意識を忘れつつある人間に警告を発する言葉のように思えてくる。

 さらに「大地に足をつけて生きよ」には、もう一つ大事な現代的意味が含まれているように思う。それについては、少し長くなりそうなので、次回に。

2007年6月3日(日)
久しぶりの絵?NO.11

 暫く時間が無くて絵?から遠ざかっていた。サインペンとマーカーでいたずら書きのようなものを描き、気を紛らせていたのだが、そのサインペン&マーカーで書いた図案(以下)をモチーフに描いてみようと思いついた。
 トップページ下段のNO.11がその絵?。こういう成り立ちもまた一つの方法かも。土日の2日間で描いたのだが、忘れていた楽しさを思い出した。
 やはり絵を描くというのは色々頭を使う。配色のこと、図柄に込めたイメージのこと、以前(絵?の7作目)にも書いたが実際に筆を下ろすまでに頭の中で様々なシミュレーションを行う。
 あれやこれや考えると、「脳ドリル」などよりは余程頭の体操になっているかもしれない、などと仕上げてちょっと自己満足。

(NO.9.10 サインペン&マーカー)










2007年5月27日(日)
サプリメントの時代

 先日、ある理由があって、脳のMRI(核磁気共鳴画像)を撮ることになった。
大型装置の穴に頭を突っ込み、20分ほどガンガンという騒音を我慢して撮った画像データを専門家に解説してもらった。
 果たせるかな、脳の断面図の何箇所かに白い斑点がある。毛細血管が詰って小さな脳梗塞が起きる、いわゆる「隠れ脳梗塞」(微小脳梗塞)と言うやつである。

 「やっぱり加齢現象ですかね」と聞くと「そうです」という。「でもあなたのは年齢に比較して少ない方ですよ」とフォローしてくれた。
 心配していた脳血管の方も動脈瘤や詰りそうなところもなく、「今のところ心配ありません」という。
 うむ、くも膜下出血や脳梗塞といった致命的な心配はないようだが、画像上でも脳の衰えは明らか。画像を突きつけられて、日頃の物忘れ、物覚えの悪さも妙に納得した。

脳の老化を防ぐ研究
 大人の脳細胞は驚くことに毎日何十万個も死んでいるという。不摂生な生活から脳細胞の壊死が増え、脳が萎縮するほどになるとアルツハイマーや認知症を引き起こすが、こうした微小脳梗塞もその促進材料の一つには違いない。
 しかし、こうして脳の衰えが分かっても特に打つ手はないのでは、今はやりの「脳ドック」も考えものだと思っていたら、最近はそうでもないらしい。脳の老化を防ぐための様々な研究が進み、関心を集めている。

 大脳生理学者・川島隆太の「脳ドリル」などもバカ売れだし、「記憶力を強くする」(池谷裕二)、「老いて賢くなる脳」(ゴールドバーグ)、「元気な脳をとりもどす」(ダニエル・エイメン)など、脳に関する本を何冊か読んでみると、脳の老化を防ぐ様々な方法が紹介されている。

抗老化サプリメント
 特に最近の傾向は、脳の老化を防ぐ抗老化サプリメント。「元気な脳をとりもどす」には、アセチルLカルニチン、αリボ酸、コエンザイムQ10、オメガ3脂肪酸、イチョウエキス、ホスファジルセリンなどなど、とても覚えきれない脳の抗老化サプリメントが20種近く上げてある。
 著者はこうしたサプリメントを何種類も摂取しているが、アメリカ人はこうしたサプリメントにもあまり抵抗感がないようだ。

 サプリメントと言えば、以前書いた「ポスト・ヒューマン誕生」の著者レイ・カーツワイルもそうだった。彼は、自分が父親から受け継いだ糖尿病や心臓疾患の遺伝的傾向が従来の治療では悪化するばかりだったので、医者と共に開発した「長寿プログラム」を実践することにした。
 効果が実証されたサプリメントを毎日250粒も呑み、週6回は栄養剤の静脈内投与をした結果、コレステロール値、HDLなどなどの値が劇的に改善され、現在65歳にもかかわらず、彼の生物学的年齢は40歳という結果になっているという。

健康志向とサプリメント
 というわけで、健康長寿を追い求める人間の夢はサプリメント研究の進展によって果てしがなくなっている。
 私などは、健康長寿を目指すと言えば、腹八分目とか、自然食や粗食といった日本古来の養生訓的知恵が頭に浮かぶ方だったが、実は、かく言う私もある事情から現在10種類もの栄養剤を毎日呑んでいる。

 その理由(MRIを撮った理由でもあるが)はちょっとこみ入っていて、別なテーマになりそうなので、機が熟したら書いてみたい。
 しかし、最近日本でもアンチ・エイジング(抗老化)やサプリメントがもてはやされているのを見ると、日本人の健康に関する価値観も案外急速に変わっていくのかもしれないと思ったりする。またそれは多分、日本人特有の無常感や死生観にもいくばくかの影響を与えるのではないだろうか。

2007年5月19日(土)
出世の本懐

 お釈迦様が亡くなってから400年程ほど経過した紀元1世紀頃、出家した一部の僧侶だけでなく一般大衆(衆生)すべてを救うことを宣言した新たな宗教運動がインド各地で始まった。それがその後、中国や日本に伝わった大乗仏教である。

 その大乗仏教の中心的経典である法華経では、仏は私たち衆生に仏の知恵に目を開かせ、示し、悟らせ、そして仏の道に入らせる(開・示・悟・入)という「たった一つの目的」のためにこの世に現れたのだと説く。
 これは仏がこの世に現れた理由を明らかにした、「出世の本懐」とか「一大事因縁」とか言われる有名なくだり(方便品)だが、すべての人々を救うという大乗仏教の考え方はさらに発展して次のようになる。

 すなわち、「すべての人々が病み悩むからこそ、私も病み悩むのです。もし、すべての人々の病と苦悩がなくなれば、私の病と苦悩もなくなるのです。」(維摩詰経)
 「あらゆる人々を救わない限り、自分(法蔵菩薩)は仏にはならない。」(無量寿経・阿弥陀仏の本願)

 大乗仏教では、自分ひとりが悟りの道に入っていくだけではなく、すべての人々の苦しみを救うことが大事だと説いていく。人々の苦悩は自分の苦悩であり、他人を救うことによって自分自分も救われていく、というのだ。(上に菩提を求め、下に衆生を化す

 しかしだからこそ、「私たち衆生は誰もが仏になるはずだが、ことごとく仏となるときは来ない。人間の迷妄は無限、地獄は永遠である。しかしもその故にこそ誓願は絶えず(続き)、菩薩の夢は永遠なのではないか。」(亀井勝一郎)ということになる。
 この世に地獄がなくならない以上、仏の人類救済の努力(夢)は永遠に続いていく。

 高校生が母親を「ただ人殺しをしてみたかった」と言う理由で殺し、殺した母親の体を切断する。10ヶ月の幼な子を残して若い機動隊員が暴力団員の銃弾に倒れる。近所の道路を毎朝掃除していた94歳の老人が何ものかによってバールで殴り殺される。
 またかと思うが、人間社会は相変わらず無明(無知蒙昧)の世界にあって、不条理の悲しみが続いていく。

 最近、久しぶりに仏教解説書(「菩薩の願い」)を読んで、その昔、経典を求めて中国から遠くインドまで命がけで砂漠を越えて行った僧たちの、あの壮絶な熱情はどこから来たのだろうかと、改めて考えさせられた。
 しかし、こうしてみると人々に宗教を求めさせる苦しみの闇は今も続いているし、永遠に続くようにも思われる。
 だからこそ、その闇の中にあって自分をも人々をも救いたいという無数の菩薩たちの光が輝くことになるのだが...

2007年5月5日(土)
美しい国よりも

 連休中に墓参を兼ねて郷里近くの温泉に行った。山肌の新緑が色調も濃淡も実に豊かなグラデーションを見せて、五月の陽光に輝いている。日本の山が杉の植林で覆われる前は、山里の春はすべてこのような繊細で柔らかい新緑から始まったのだろう。空気が香っている。
 旅の間に幾つかの寺を訪ねたが、寺々は新緑の山里に溶け込んでいて田舎にはまだまだ美しい日本の原風景が残っているのを実感した。

親子3代で墓参り
 次の日は、85歳の老母とともに実家から電車で6駅ほど離れた寺にお墓参り。首都圏に住む私の娘や息子夫婦も合流した。
 昼食のあい間に、老母が戦争中、疎開先で乳飲み子の私を背負いながら食料を求めて農家の家々を回った話を孫たちにしている。始めは持って行った着物と物々交換だったが、やがて農家の立場が強くなり着物は話を聞いてもらうための、単なる挨拶代わりにしかならなかったそうだ。
 18で嫁に来た彼女はその時24歳、すでに3人の子持ちだった。私の娘は同じ24歳でまだ独身だが、目を丸くして祖母の話を聞いている。

子どもたちの人生の師
 老母はお陰さまで体もまあまあ元気、頭もしっかりしていて記憶力などは私などより確かなくらいだ。

 「おばあちゃん、お腹の内臓に脂肪が溜まるのは何?」と試しに聞くと即座に「メタボリック症候群」なんて答える。

 彼女は月に3回は句会があって街にでる。この一年間に孫たち4人が次々と結婚式を挙げたのだが、その全部に出席した。4月に結婚式を挙げた孫夫婦には
   
「人生の一歩寿(ことほ)ぐ桜かな」
という句を贈呈した。

 数年前に私がパソコンに入力しながら句集を出したが、中に世相を詠った
   
「少女らの男言葉やソーダ水」
があり、これは見事、市民俳句大会で一等賞を貰った。


 彼女は最後を迎える時の備えとして、「さよならのデザインノート」と言うのを買ってきてもらって書いている。延命治療について、葬式についてなどなどだが、中に生前の人柄紹介のためだろうか、「好きな言葉は?」と言う項目がある。そこにこう書いてあった。
 好きな言葉は
「日々是好日」「毎日を前向きな気持ちで楽しいことを考える様にしている」
と旧仮名で書いている。老境の入り口にいる我々子どもたちにとって、彼女はいまや人生の大先輩、人生の師になりつつある。

「美しい国」より「住みよい国」
 さて、墓参りの後、私たち夫婦は老母とともに電車で田舎の実家に戻った。郷里の駅はホームも階段も私の子どもの頃と全く変わらない。屋根はスレート葺きのままだし、もちろん階段にエスカレーターなどはない。
 「ここにもエスカレーターが出来ればいいのにね」少々心臓に不安を抱える彼女は手すりにつかまりながら上って行く。
 街までのバスの便がどんどん減っていることや、彼女の友人たちが昨年の医療制度改革でリハビリテーションが受けられなくなった話をしながら、彼女が言う。

 「安倍さんは「美しい国を作る」なんていうけど、日本はもともと美しいんだから、美しい国より、「住みよい国」にしてもらいたいわね」うーん、重いなあ。

2007年4月30日(月)
敗北を抱きしめて(2)

 前回取り上げた「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー著)では、下巻430ページのうち、86ページを新しい憲法制定の経緯に割いている。
 194753日に施行された日本国憲法は従来、「GHQ(連合国軍総司令部)によるお仕着せ憲法」とか、「たった一週間で作られた」とか言われて、憲法見直し派の口実となってきた。 しかし、その経緯を読んで見るとそうした表面的な言いがかりが当を得ているとは思えない実態があったことが分かる。

制定経緯のポイント
 つい最近(429日)のNHKスペシャル「日本国憲法誕生」でもその制定の経緯が放送されたが、ワシントンの「極東委員会」での議論が詳しくなっているだけで、基本的には「敗北を抱きしめて」と同じ内容である。大体これが現時点での定説なのだろう。
 憲法制定の経緯についてのポイントは幾つかあると思うが、その主な点は次のようなものだと思う。

GHQのお仕着せ?
 一つは「主権在民」、「象徴天皇制」、「戦争放棄」、「基本的人権」などの新憲法の基本理念が「GHQによるお仕着せだった」という点。これはある意味当たっているが、一方でそうならざるを得ない理由もあった。
 GHQは終戦から2ヶ月も経っていない段階で、日本の軍国主義、封建主義を根底から解体して日本に民主主義を根付かせるためには、大日本帝国憲法(明治憲法)を廃止して新憲法を制定すべきだと判断、日本側にもその検討を促していた。
 これに対して日本政府は憲法問題調査会(松本委員会)を設けて検討を始めたのだが、その内容がいかにも時代遅れだったのである。

 憲法改正の動きが伝えられると、日本では12もの団体やグループが次々と独自の憲法草案を発表した。中には今の憲法に近い「象徴的天皇制」、「言論の自由」、「男女平等」といった新しい理念の提案も含まれていて、GHQも注意深く見守っていたという。
 しかし肝心の調査会はそうした動きに全く無関心で、天皇が絶対君主として政治・軍事のすべてを統括するという「明治憲法の基本的精神」を何とか維持しようと独りよがりな努力を続けていた。
 すなわち、天皇条項を「神聖」から「至尊」に変えるなどの、10程度の修正で切り抜けようとしてGHQに見放され、GHQが独自に憲法草案を作るという動きにつながったのである。

 「GHQのお仕着せ」とはいうが、こうした経緯をみると、政府の委員たちの方こそ世界情勢や国民の意向からかけ離れており、古い考えに囚われた政府委員会には新しい日本を作るという発想も能力もなかったことが分かる。

議論の時間は足りなかった?
 二つ目は、憲法が「たった一週間で作られた」という点。確かにGHQによる草案作成作業は194624日に始まり、6日後の210日にマッカーサーに手渡され、213日に日本側に伝えられた。

 GHQがこれだけ草案作成を急いだのは、ソビエトや中国を含む11カ国が参加した「極東委員会」の動きを警戒したからである。「極東委員会」を構成する国の間では、天皇の戦争責任を追求すべきだと言う不穏な空気が漂い始めていた。
 これに対し、マッカーサーは2月下旬に予定される「極東委員会」の発足前に何としても民主的な憲法を制定して、天皇の責任追及の矛先を和らげようとしたのだという。GHQの占領政策をスムーズに行うためには天皇制の維持が欠かせないというのがマッカーサーの政治的判断だったからである。

 しかし、誕生は一週間だったが議論の時間はたっぷりあったように思う。3月6日に国民に公表されてから、6月20日には国会が召集されて議論が始まり、「義務教育の延長」や「国民の生存権」、「戦争放棄条項の修正」など、様々な修正や追加が行われた。
 これらはもちろんGHQの承認が必要だったが、公表から8ヵ月後の113日に新憲法は大々的に公布され、半年後の194753日に施行された。

憲法は国の骨格
 それから今年で60年。日本国憲法はその理念に沿って新しい日本の骨格を作ってきた。当然のことのようだが、私はこのことに改めて感心する。
 主権を国民に置き(主権在民)、天皇を象徴として政治から切り離したこと、中学までの義務教育の延長、男女同権などは、国民にとってもう後戻りの出来ない常識になっている。
 修正の過程で、自衛力の保持は許されるのか、自衛のための戦争は許されるのかといった、あいまいさを残した第9条「戦争の放棄」も、何とか踏ん張って戦争の抑止力の働きを果たしてきたと言える。

憲法改正に際して
 今、安倍政権は憲法改正を政治課題に掲げて国民投票法などの準備を着々としているが、実際のところ、憲法改正についての国民の関心はどこまで高まっているのだろうか。

 しかし、憲法こそ国の骨格を作り、国の未来を決め、国民生活の基底をなすものだということは何度強調してもしすぎることはない。
 もし憲法を変えるのだとすれば、どこをどう変えるのか、それはどんな理念によるものなのか、それによって国民生活はどう変わるのか、時間をかけて納得行くまで議論する必要がある。
 そして今度こそ、あいまいさを残さない明快な表現で書き記すことである。

 「敗北を抱きしめて」(上下)は、戦争直後の日本の原点に立ち返って今の日本を考えると言う意味で、やはり名著の一つと言うべきか。

2007年4月24日(火)
敗北を抱きしめて

 先月の月刊文春の記事「小倉侍従日記」で戦争中の昭和天皇の肉声が伝えられた。これについて今月号では、半藤一利と阿川弘之が対談している。見出しに「やはり天皇はだまされていた。驚きの新事実の数々」とある。
 昭和天皇と大東亜戦争の関わりについては、戦後62年経つ現在もまだ事実の解明が続いており、その歴史的評価も充分には定まっていないのが実態らしい。

 ちょっと前、話題が天皇の戦争責任の問題になったとき、ある先輩が「君はジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」を読んだ?僕はあれが一番良く書いていると思うけどなあ」と言う。
 私は「昭和史」(半藤一利)を読んで、あれだけ戦争をしたくなかった天皇を軍部や政治家がよってたかってだまして戦争を始めさせた経緯を見ると、その責任を問うのは人情として忍びないと思っていたのだが、歴史に詳しい先輩が言うことなので反論せず、まずは読んでみる事にした。

今に引きずる政治的テーマ
 「敗北を抱きしめて(上下)」は、アメリカの歴史家で日本の戦後史研究家でもあるジョン・ダワー(MIT教授)が2001年に出版。ピュリッツァー賞など数々の賞を受賞した。
 冒頭の「謝辞」を見ると、著作に協力した人々の名が多数並べられており、この本が殆どプロジェクトのような状況で成立したことが分かる。
 膨大な資料をもとに事実を積み重ねて書いた、上下800頁あまりのこの本を読むと、学者と言うのは大したものだと改めて思う。

 さて内容だが、この本は「今の日本がいまだに問題を引きずっている大きな政治的テーマ」について、占領下の日本で何があったのかを詳細に書いている。
 その一つは、A級戦犯を裁いた「東京裁判と天皇の戦争責任」問題、もう一つは安倍首相がその改正にこだわっている「新憲法制定」である。
 これらは、当時のGHQが「日本の古い国家体制を破壊して、2度と戦争の出来ない新たな民主政体を作る」という政治的意図のもとに、半ば強制的に決着を図っただけに、以後も何かと議論がくすぶり続けているテーマである。

東京裁判とA級戦犯
 「東京裁判」では、一番被害を受けた中国や韓国が裁判に加わっていない公平性の問題や、戦後に登場した「平和に対する罪」といった法律で裁くという法的根拠の問題が指摘されている。
 しかし、さらに問題なのは、当時のGHQ(マッカーサー司令部)が、天皇の戦争責任を不問にするという政治的判断を下して裁判に様々な圧力をかけた結果、A級戦犯の性格がきわめてあいまいになってしまったことだろう。

 彼らは、無謀で愚かな戦争を指導して自国民とアジア諸国民に莫大な損害を与えた文字通りの犯罪者なのか、それとも戦争の勝者が敗者に対して行った国際的政治ショーのいけにえなのか、あるいは天皇に戦争責任が及ぶことを防ぐために盾となって死んだ殉教者なのか。

考える機会を失ったつけ
 A級戦犯については、彼らを合祀した靖国神社への首相参拝を巡って今も国論が分かれ、海外からの非難にも対応が揺れている。その原因の一つは、当時のGHQが天皇の戦争責任問題に波及することを恐れて、あの戦争についての議論や事実を戦後7年間も封じ込めたことにあるのではないか。
 日本国民は戦争の悲惨さや残酷さについて、まだ生々しい記憶が残っている戦後のホットな時期に、戦争の本質について充分議論し解明する機会を、永久に失ってしまったのである。

 同時に占領が続いた7年間、日本の旧勢力もGHQのそうした方針に便乗した。今の日本で戦争と平和の問題を考える時、この覆すことの出来ない歴史的現実をどう生かしていくのか。
 さらには「新憲法制定」についての問題。ちょっと長くなりそうなので続きは次回に。

2007年4月14日(土)
爆発する技術進化

 「トマス・エジソンの正当な相続人」と言われるアメリカの大発明家であり、思想家、未来学者でもあるレイ・カーツワイル(1947年生まれ)。彼が書いた「ポストヒューマン誕生」は600頁の分厚い本だが、その内容は人類の未来に起こる(と彼が確信している)驚くべき変化を描いたものである。

進化のプロセス
 彼は宇宙誕生以来の生物の進化と人類が開発した技術の「進化のプロセス」を分析して、これらの進化はある段階を過ぎると急激な立ち上がりを見せることに気がついた。
 長い生命進化の過程で人類が登場したのは一日の時計で考えれば夜の1157分ごろとはよく言われることだが、生物の知能はグラフに描けばその段階からほぼ垂直に高度化している。

 同じように人類が発明した様々な技術も、ある段階(彼はそれを「特異点」と名づけた)を過ぎるとほぼ垂直に高度化する。
 そうした段階に来ると、技術進化の効率、加工技術、測定技術、コスト、開発知能などの「進化を加速させる様々な要素」が一斉に急速進化するために、その成果(収穫物)の相互作用で技術は倍々ゲームのように(指数関数的に)進化していくと言う。(これを
「収穫加速の法則」という)

技術の爆発的進化
 彼は、現在の遺伝子工学、ナノテクノロジー、ロボット工学の技術進化のプロセスを詳細に分析しつつ、これらの技術も「収穫加速の法則」に基づいて、近未来の「特異点」に向って驀進しつつあるという。
 「特異点」を越えると技術は爆発的に進化するが、その「特異点」の到来は想像するよりはるかに近い。同時に、その技術進化がもたらす人類の未来は驚くべきものになる。

 まずコンピュータなどの情報技術は、各種の性能(集積度、演算速度、コストパフォーマンスなど)が一年に2倍ずつ進化しているので、このトレンドを伸ばしていけば、2020年にはパソコン並みの値段と大きさのコンピュータが人間の知能と同程度に達する。
 コンピュータの素子は分子レベルから原子レベル、量子レベルと限りなく小さくなり、演算速度は途方もなく速くなる。
 そして、情報技術は
今世紀半ばに「特異点」に達し、さらに急激な進化を見せるようになる。2050年には、12万円(千ドル)のラップトップコンピュータの処理能力は地球上すべての人間の脳を合わせたよりも大きくなり、2080年には人類文明の50億×1兆個倍の能力を持つようになる。こうしたコンピュータは過去1万年間の人類のすべての思考と同等の働きを1万分の1ナノ秒でやってのける。

人間を越える人間の誕生
 一方で、人間の脳に関する様々な研究、測定の技術も格段に進化しつつあり、記憶やパターン認識、連想といった人間の脳の機能解析(リバース・エンジニアリング)が急速に進みつつある。脳についての知識は指数関数的に増えており、大量のデータベースによって整然と目録化されつつある。

 さらに脳の分析に力を発揮するのが、現在も研究が進んでいる分子レベルのロボット(ナノボット)である。ナノボット時代は2020年代に到来する。その時になると人間は脳の毛細血管に何十億個もの微小なナノボットを送り込み、脳の内側から詳細な観察が出来るようになる。
 そうすると、脳全体をモデル化しシミュレートするのに必要なデータが集まり、その成果を先のコンピュータ進化と結びつければ、コンピュータはたちまち人間の知能を超えることが出来るようになる。

 さらに、脳内に送り込んだ微小なコンピュータ素子を、ナノボットを使って人間の神経細胞とつないでやることも可能になる。そうすると光の速さで思考する人間が誕生する
 人間の脳を人工的なコンピュータ素子で補助するこうした動きは、2020年代に始まり、2030年代には人間の脳の中に占める非生物的な部分が優勢になる。
 さらに2040年代になると人間の脳は非生物的な部分の性能のほうが何十億倍も高くなり、人間は過去の人類の知識や経験すべてを脳内のコンピュータに瞬時にアップロードできるようになる。

遺伝子工学、ナノテクノロジー、ロボット工学
 彼は遺伝子工学の分野の進展にも注目している。人間の体内に何兆と送られた微小なナノボットが、遺伝子工学の成果を生かして細胞の修復に当たることも可能になる。
 人間はついに癌も老化も克服して不老不死になるが、さらには人体をもっと都合の良い人工物質で構成するようにもなるだろう。

 非生物的要素が多くなった人間の子孫は、高度な知性でさらに自己改良、進化を進めながらやがて、その知性を宇宙にまで及ぼし始める。遺伝子工学、ナノテクノロジー、ロボット工学の3分野の爆発的進化は、こうして人類の知性を宇宙の果てに広げるまで止まることを知らないというのが、カーツワイルの確信である。

様々な議論
 人類の知性が宇宙の果てまで広がるという展開は、私の理解力も想像力も超えてしまうのだが、本当はこれから先の方が面白いに違いない。
 彼は最近の宇宙論の成果を駆使して、人類は非生物の知性に姿を変え、宇宙の星やブラックホールまでをもコンピュータとして利用しながら光の速度を越えて広がっていくという。そしてこの宇宙に存在する知性は人間以外にないのではないか、ともいう。
 何よりびっくりするのは、そうして進化した人類の子孫とも言うべき非生物の知性はやはり、人間的なものだと言うことだ。

 こうした可能性について世界の科学者の間では、現在様々な論議が交わされていると言う。哲学的な意味では、人間の脳に非生物的な素子が移植されたとき、それは以前の個人と同じなのか。またどの段階で個人は個人でなくなるのか。
 また、別な観点からこうした技術進歩にストップをかけるべきだと言う声もあるらしい。細菌より小さいナノボットは果たして安全なのか。自己改造して強力な敵となり、未知のウィルスのように人類に反乱を起こさないだろうか。

 ともかく、この勢いで技術が進化すれば、あと数十年で人類はかつて経験したことがない衝撃に見舞われるかも知れない。そのキーポイントは「特異点」と「収穫加速の法則」。あなたはどう思われますか。

2007年3月28日(水)
花の季節到来

 突然、インターネットがつながらなくなって2週間ほどブログの更新も出来なかった。あれこれ考えてみたが分からず、今日専門家に見てもらってやっと原因が分かった。
 どうもパソコンのウィルス対策に入れたソフトのチェックが厳重すぎて、インターネットへの接続をはねつけてしまったらしい。インターネットから進入するウィルスを防ぐ「ファイアウォール」のチェックを外したら復活した。
 こうなるとウィルス対策も本末転倒だが、何がどうなってこうなるのか、素人の私などの理解を超える。

 さてそんなことより、桜が一気に咲き始めた。いつもお参りしている寺の境内のしだれ桜が半月の夜にほのかに満開の花を光らせている。去年は4月中ごろに中部日本の桜めぐりをしたが(「桜幻想紀行」)、今年はどうするか。

 花が咲き始めると、何らかの形で花見をしないと落ち着かない。日本人を自覚するひと時だが、それもこの歳になると何だかしみじみとした花見がしたくなる。
 ひっそりと咲いている一本の大木の下で気のあった友人たち数人で酒を酌み交わすなどというのもいい。おととしは、山中の温泉に行く途中、そんな風に山里に人知れず咲いている桜を見つけてはその下に座って酒をいっぱいと言うような花めぐりの旅をした。それも何か遠い昔のことのような気がするが。

 年年歳歳花あい似たり 歳歳年年人同じからず。老境に入った花見の心境について、誰か何か書いていただろうか。
 まあ今年は、秋に紅葉を見に行った
本土寺(千葉県松戸市)は桜も見事だというので、そこにでも行こうか。人が多いだろうなあ。

 この歳の花見の心境については、またじっくりと心を覗き込んでみるとして、本当は書くべきテーマが山積みのままになっているのが気になっている。それに、最近読み終えた「ポストヒューマン誕生」という分厚い本についても書いておきたい。これは、桜をしみじみと味わいたいなどという老人の感傷を吹き飛ばすような衝撃的な内容の本である。古ぼけた頭の中をかき混ぜられるような刺激を受けた。

 人間が分子レベルのロボット(ナノロボット)を膨大な数、体内に取り込んで自らを改造して行き、やがて不老不死の非生物に至る。そして、やがて人類の子孫ともいうべきその知性は限りなく進化しつつ、宇宙全体にまで広がっていく。
 SFではなく、遺伝子工学、ナノテクノロジー、ロボット工学の指数関数的な進化を伸ばしていくと、そうなると言うのだ。そんな人類の未来についての大胆きわまる予見が今、アメリカの学者の間で様々な論争を巻き起こしつつあるらしい。(次回)

2007年3月12日(月)
中国・巨大ブラックホール説

 貧弱な頭を使って地球温暖化問題をあれこれ考えたお陰で少々疲れ気味なので、今回は閑話休題、気楽に直感的に書いて見たい。つまり、あまり証拠立てた話ではないのだが、お隣の中国が巨大なブラックホールになりかけていると言う話である。
 ブラックホールはご存知、巨大な引力で周りの物質を何から何まで吸い込んでしまう宇宙の現象だが、その宇宙のブラックホールのように今の中国がなりつつあるのではないか。
 近くの日本は果たして、その強力な引力に抗しきれるか。


紙も鉄も中国へ
 先日、ある企業のトップに聞いた話だが、今その会社で作っているトイレットペーパーの原料が手に入りにくくなっていると言う。原因は中国だそうだ。
 中国でトイレットパーパーの需要が急速に高まっており、そのために日本の古紙が値段の高い中国に輸出され、国内で品薄になっているらしい。
 中国は来年の北京オリンピック、2010年の上海万博に備えて急ピッチでインフラ整備に取り組んでいる。それでホテルやレストラン用のトイレットペーパーの需要が急増しているのだろう。

 鉄もそうらしい。国内のスクラップ業者は今、建設ラッシュで需要が急増している中国に向けて、鉄をかき集めているという。これと呼応して鉄泥棒も暗躍している。
 中国での需要急増のあおりで鉄やステンレスが世界的に値上がりしているのが原因。盗まれているのは、半鐘、マンホールや側溝のふた、お墓の花筒、廃線のレール、鉄の門扉など様々だ。
 鉄ばかりでなく、ステンレスや、はたまた鉄塔から電線まで盗むものまで現れて、日本は時ならぬ金属泥棒ブームである。

中国は資源の巨大なブラックホール
 
何しろ中国は人口13億人。経済成長が著しい沿岸部だけでも日本と同規模の省が6個も並ぶような大国だ(「チャイナインパクト」)。この巨大な国が年率10%の成長率で経済大国へ駆け上ろうとしている。ものの需要も桁外れになるはずだ。
 経済発展のための資源をどう確保するか。ご承知の通り、中国の首脳たちはアフリカや南米まで出かけて活発な資源外交を繰り広げつつある。石油、レアメタル、天然ガスといった重要資源をなりふりかまわずに確保しようとしている。

 やがて20年もすれば(あるいは10年かもしれない)、中国は世界中の資源を飲み込む世界有数の資源消費大国になっているに違いない。アフリカから、南米から、そしてアジア近隣から、壮大な資源の川が中国に注ぎ込む。これを感覚的に世界中から資源を吸い込む「巨大ブラックホール」と呼んでみる。
 そしてこの「中国・巨大ブラックホール説」の先に来る状況は何か。実は、この事にこそ中国は早くから目をつけて、先手を打って来たのかもしれないとも思う。

武器なき世界制覇
 すなわち、いち早く世界中の資源を抑えることで、武力を使わずに世界に覇権を打ち立てるということ。これは世界がグローバル経済で一つながりになった現代でこそ可能な、世界制覇の早道なのである。
 今の中国は、一見将来の経済発展のためにせっせと資源外交を行っているように見えるが、別な見方をすれば、密かにグローバル経済時代の覇権をねらっているのかもしれない。むしろこっちの方に中国の深謀遠慮があるのではないか。

そのとき日本は?
 そして、その時日本はどうなるのか。世界の資源が値上がりする中、国内で使える資源が足りなくなっていく。それでも、今の古紙や鉄と同じように日本国内から値の高い中国市場へ、資源の流れが止められない。様々な資源泥棒も横行するだろう。
 これがグローバル経済の怖さ。むしろ近いだけ余計に中国経済の巨大な引力に抗しきれずに、国内の資源が吸い取られていく。日本は中国という巨大なブラックホールの近くで丸裸になっていくかもしれない。

 とまあ、感覚的な中国脅威論を書いてみたが、そういう点から言えば、どこかの政治家が
「今に日本は中国の何番目かの省になってしまう」と言ったのも別な意味で正しい懸念かもしれない。(中国はすぐに否定したが)
  私は別に国粋主義者でも中国排斥主義者でもない。しかし、この巨大国家・中国とどう付き合っていくかは、これからの日本にとって大きな課題には違いない。
  この先は感覚や感情に任せずに、互いにコミュニケーションを密にしながら、
心して共存の道を探って行く必要があるだろう。

2007年3月10日(土)
緑の消費者

 前回、人類社会が(それもまず日本社会が)「環境機軸社会への転換」というパラダイムシフトを果たさないと地球温暖化を食い止めることは出来ないだろうと書いた。
 「環境機軸社会」とは、私の造語だが、「環境問題への取り組みを社会的価値観の中心(機軸)にすえる社会」という意味である。

 その「環境機軸社会」では、私たち市民の暮らしはどう変わるべきなのだろうか。とりわけ、消費行動とライフスタイルはどう変わるべきなのか、というのが今回考えたいテーマである。

便利、快適を追求する消費者天国
 今の日本は史上最も物の豊かな時代だと思うが、これも「環境機軸社会」という点から見るとどうなのか。試みにコンビニやスーパーを覗いてみると、その道のりの遠さに暗然とする。
 トレイやラップに丁寧に包まれた大量の野菜、肉、魚。そして様々な容器におかずを盛ったレンジで温めるだけの弁当などなど。人々が買ったものをレジ袋に詰め込んでいる様子を見ると、必要なもの以外に実に様々な石油化学製品(ゴミ)が付随して来るのが分かる。
 私も時々弁当を利用するが、一回の食事で出るゴミの量にびっくりする。

 デパートでもそうだ。中の商品を良く見せるために、過剰なまでの贅沢な箱や包装が使われている。しかし、こうした石油製品のゴミも結局は燃やされて二酸化炭素になる
 日本は基本的に消費者天国の競争社会。買う方もそれがサービスであり、売る方もそれが付加価値だと考えてきた。メーカーが商品の便利さ、快適さ、見かけの贅沢さでしのぎを削っている中、まず消費者が変わらなければこの状況は変わらないと思う。

緑の消費者(グリーンコンシューマー)
 ドイツなどでは既に様々な製品について、生産から廃棄までのエネルギー消費量やゴミとなる量を評価し、ランク分けして表示しているという。
 そうした表示を参考に、環境に優しい商品を優先して選んでいる消費者を「グリーン・コンシューマー(緑の消費者)」と呼ぶ。
 詳しくはネット検索すると出てくるので見てもらいたいが、多少面倒で不便でもゴミの少ないもの、リサイクルのできるものを買う。必要なものだけを買う。生産、流通、使用、廃棄の各段階を通して、環境にかける負荷の少ない製品を選ぶ(「グリーン・コンシューマー10か条」)。
 こうしたことを心がける「緑の消費者」がドイツでは半数以上いるのに対して、日本はまだ1%だという。

 便利さにどっぷり浸かった私たち日本人の消費行動。これをどうしたら環境機軸(中心)に変えて行けるのか。一人一人の行動を変えることはもちろん、メーカー、行政への働きかけから家族の環境教育まで、私たち市民がすぐにも手をつけるべき宿題が山ほどある。

環境に優しいライフスタイルの模索
 同時に、そうした消費行動を包含する「環境に優しい生活」というものもあるに違いない。環境機軸社会では市民のライフスタイルどう変わってくるのだろうか。

 今、いわゆる「田舎暮らし」や「スローライフ」が人々の共感を呼んでいるが、これも、物の豊かさ、便利さ、快適さよりは、ゆったりした時間の流れ、自然との共感、人付き合いといった「心の豊かさ」を求めているのではないか。
 「物の豊かさ(ハード)」から「心の豊かさ(ソフト)」がポイントの一つかもしれないが、それはとりもなおさず、環境に優しいライフスタイルの一つでもある。

 しかし、そうはいっても皆が皆田舎暮らしをすることはできないし、私たちの生活を単純に230年前に戻せばいいということではないだろう。
 ライフスタイルは人々の美的感覚にフィットし、心も満たさなければ長続きしないと思うし、人類が今の情報化時代の便利さを手放すことは不可能に近いと思うからだ。
 省エネ、省資源だが、どこかで情報化時代の快適さや便利さといった成果(ソフト)も享受できる生活。環境機軸社会でのライフスタイルの条件とは何か?私にはこれがまだなかなかイメージできない。

 「環境機軸社会」での新しいライフスタイルは、もちろん人によって多様であるべきだと思うし、この模索はこれからの市民社会の大きなテーマの一つだと思う。
 スローライフに限らず、すでに「目覚めた人々」の様々なライフスタイルが人々の関心を呼ぶ時代に入っていると思うので、これはこれで今後注目して行きたい。

経済発展との両立は?
 最後に。環境機軸社会は経済発展が可能か?というテーマは実はつい最近、二酸化炭素20%削減と言う厳しい政策をまとめたEUでも切実な課題である。できれば環境機軸社会であってもゆるやかな経済発展が望ましい。
 大きなテーマだが、環境と経済の両立が可能になる様々な兆候は主に技術的な発展の方から現れているように思う。また、環境機軸社会への転換の中で新たな産業、経済発展の可能性が生まれつつあるとも言う。(これも今後、考えて行きたい)

 但し、日本はまず、遅れている「環境機軸社会への転換」にすぐにも手をつけるべきだと思う。経済の心配はそれからでも遅くない。

 (この項はこれでいったん終りにして、次は「日本を幸せにする5項目、A精神のグローバル化」に進みます。)

2007年3月2日(金)
日本を幸せにする5項目

 景気回復に取り残されて荒廃する田舎や地方、忍び寄る地球温暖化の影、格差やワーキングプアの実態、毎日のように新聞をにぎわす異常な事件や事故
 そんな閉塞感ただよう日本社会の中で、私たち日本人が未来に希望を持って生きるためには、この日本をどこから変えていけばいいのだろうか。ある日、不意にこんな疑問が頭に浮かんだ。
 もちろん、財政再建や教育の再生といった政治上の大きな課題もあるだろうが政治だけに任さずに私たち市民も取り組めるようなテーマはないのだろうか。あれこれ考えていたら以下の5つのテーマにたどり着いた。

日本を幸せにする5項目
@ 地球温暖化の進行を少しでも遅らせるための「環境機軸社会への転換」
A 日本を真に世界に開かれた社会にするための「精神のグローバル化」
B 日本の環境的、精神的拠りどころとなる「荒廃した田舎・地域の再生」
C 日本文化の世界発信を支えるための「日本の財産・江戸文化の再認識」
D 日本を再び戦争に向かわせない「戦争回避の広範なシステム」

 仮にこれがうまく行けば、日本の未来が少しは明るくなりそうな「日本を幸せにする条件」とでも言おうか。それぞれ大きなテーマばかりだが、どこかで私たち市民が参加する余地もありそうに思える。
 いずれも日頃から問題意識をもって少しずつ勉強して行こうと思っていたテーマでもあるので、手始めに、(まだその段階なので)企画提案風にその「こころ」をテーマごとに書いて行きたい。

@「環境機軸社会への転換」
 地球温暖化が人類の未来の立ちはだかる最大の難問であることは、「温暖化対策の岐路年」でも書いた。もちろん日本もその影響から逃げられない。
 耐え難い暑さの夏が長く(真夏日が3ヶ月以上!)続いて、冬が無くなる。四季折々の美しい自然がなくなるということは、日本が日本でなくなってしまうことである。
 同時に、竜巻や瞬間的豪雨、巨大台風、旱魃や食料不足、沿岸漁業の激変、熱帯性病原菌の進入、大規模な海岸侵食など、深刻な危機も襲ってくる。

温暖化を食い止めるために日本が出来る3つのこと
 この破滅的な地球温暖化の被害を少しでも食い止めるために、日本がやれることがあるとすれば、私は次の3点だろうと思う。
 一つは、温暖化の原因物質である二酸化炭素の排出を抑える「国際的枠組み」(温暖化防止の国際条約、京都議定書)を率先して実行していくことである。
 自国の達成だけでは駄目だ。ヨーロッパ先進国と共同で、参加を拒否しているアメリカ、中国、インド、ブラジルを説得する。同時に、様々な技術的、経済的支援も行いながら、温暖化対策で世界をリードしなければならない。

 二つ目は石油の代わりになる新エネルギーの開発である。太陽光、風力、バイオマス、燃料電池などの新エネルギー技術で世界をリードし、できるだけ石油を燃やさない社会を作っていく。ドイツのように技術が進化・普及しやすい制度を設けて、その成果を内外に広げていく。
 同時に、光合成を人工的に再現して二酸化炭素を減らす研究や、二酸化炭素を海中の岩石に吸着固化させる夢の技術などについても、ぜひ国際的な共同開発の可能性を探ってもらいたいと思う。

環境機軸社会とは?
 そして三つ目のアプローチが、今回のテーマである「環境機軸社会への転換」。

 どんなに新エネルギーが開発されても、エネルギー使い放題で、飽くなき物質的豊かさ、便利さを追求すれば、人類はそう長くは続かない。
 地球環境と人類が共存して行くには、私たちの社会をいわゆる「環境に優しい社会」に作り変えていく必要がある。省エネ、省資源を徹底して、地球環境の許す範囲内で暮らす社会である。

 こうした環境に優しい社会は従来、「持続可能な社会」とか、「循環型社会」とか呼ばれて来た。しかし、「持続可能な社会」はちょっと抽象的だし、「循環型社会」は普通、単に様々な製品のリサイクルを行ってゴミを少なくする社会的取り組みと捉えられている。

 そこで私は新たに、「環境機軸社会」と言う言葉を考えてみた。造語だが、「環境問題への取り組みを社会的価値観の中心(機軸)にすえる社会」という意味である。
 地球温暖化という人類最大の難問を食い止めるには、前の2点も重要だが、とりわけこの「環境機軸社会への転換」というパラダイムシフト(規範の転換)がなければ不可能だと思うのだ。

取り組みの難しさ
 しかし、一口に「環境機軸社会への転換」と言っても、実はこれが大変なことなのである。便利さ、快適さ、物の豊かさに慣れてしまった私たちは、自分たちの暮らしのどこをどう変えれば、環境に優しい社会を作れるのか、想像できないからだ。
 問題は私たちの消費行動とライフスタイルをどう変えるかだと思うのだが、実は私もまだ明確なイメージがつかめない。

 「環境機軸社会」では、私たちの消費行動とライフスタイルはどうあるべきなのか?ちょっと長くなりそうなので、この続きは次回に。(この「日本を幸せにする5項目」は順次「日々のコラム」にまとめて行きます。)

2007年2月12日(月)
老人ブログの時代

 年のせいか、このところ夜中の3時ごろに必ず目が覚める。トイレに行ったりもするが、その後すぐに寝る気が起こらずに、そのまま布団の上でしばらく起きている。
 夜中に豆電球がついた部屋でそうしているのが最近、何だかすごく気持ちよく感じられるようになった。取りとめも無いことを考えているうちに深々とした気持ちになる。
 来し方行く末のあれこれを漠然と考えているうちに、生きてきた時間の長さをしみじみ味わっているような気持ちになる。寝不足にさえならなければ、これはこれでなかなか贅沢な時間なのである。

作家・阿川弘之のエッセイ
 このことについてはいずれ詳しく書くこともあると思うのだが、今日は別なテーマを書くことにする。
 昨夜は目が覚めた後、手元にあった月刊
「文芸春秋3月号」を読み始めたからだ。芥川賞を取った「ひとり日和」(青山七恵)を読むために買ったものだが、このとき読んだのは阿川弘之の巻頭エッセイなど数編である。
 阿川のエッセイは昔アメリカに留学した際に世話になった日系の老教授の死を悼んだもので、97歳で亡くなった教授の思い出を淡々と書いている。

 阿川弘之は今年86歳。その彼が少しの頭脳の衰えも見せずに50年以上も前の教授とのやり取りを一言一句まで書いている。この一文を感心して読んでいるうちに、夜中のぼんやりした自分の頭にふっと浮かんだ考えがある。
 それは「文章を書き続ける意味」についてである。下手でも何でも文章を書くということは、老後、自分の頭を可能な限りある一定のレベルに保つ上での要件になるのではないか、ということである。

文章を書き続ける意味
 一口に文章を書くと言うが、この作業はご存知のように実に様々な頭の働きを要求する
 まず「文章を整える」という作業がある。阿川の文章を例に取れば、論理展開が分かりやすい、簡潔、簡明な表現である、同時に、洋語、和語、漢語などを自在に駆使することによって、読んでいる人の心にきちんと届く表現を選んでいることが分かる。
 論理ばかりでなく、ある種の文章の香りのようなものまで匂い立ってくる。

 さらに、内容の正確を期すためには、ある程度の「事実確認作業」が必要になるだろう。今はネット検索で殆どの事がわかるから便利だが、調べると、それ以外の様々な関連事項を知ることができる。
 それを必要なことに絞って文章にするのだから、老化した頭でも暫くは記憶にとどめることが出来る。逆にこういう作業を続けなければ、悲しいことに老後の知識はなかなか蓄積してくれない。

 またよく言われることだが、文章を書くという作業は自分の頭の中でぐるぐると巡っている想念を「言葉に固定して客観視」するという作業でもある。
 特に老境に差し掛かった人間が抱える問題、老いの行く末の悩み、体や心境の変化に対処するには、それを客観的に、正確な文章で取り出す作業が必要になる。
 というようなわけで、文章を書き続けると言うことが老人の頭の働きを維持する上でかなりの要件になるかも知れないということに、深夜改めて気がついたのである。

老人ブログの時代
 さてそこで考えるのはブログのこと。最近は若い人ばかりでなく、(私のように)年老いた人たちも盛んにネットでブログを書くようになっている。それも意識下には、ともかくも文章を書き続けることによって、自分の頭のレベルを確認しておきたいという切実な思いが隠されているようにも思える。
 たとえアクセス数がわずかでも、公開する以上、できるだけ他人にも分かってもらえるように文章を練ったり、正確を期すために調べ物をしたり、客観性にこだわったり。

 老境に入った人たちが綴る多種多様なブログもこうしてみると、老人ブログ特有のある種の一途さが見えてきて、老人ブログは後の時代につながる新しい「土佐日記*」になるかもしれないと思ったりするのである。

 *土佐日記は紀貫之が平安時代に女性を装って書いた。これが後の日記文学ブームの始まりとなったという。

2007年2月3日(土)
温暖化対策の岐路年

 快晴の冬空のもと、ウォーキングした。遊水地公園からさらに川の下流の方に歩いていくと、周囲にはまだ畑や雑木林が残っていて、空がいよいよ広くなる。
 それにしても冬とは思えない暖かさだ。冬だというのに汗をかきながらのウォーキングである。この夏がどうなるのかと心配しているのは私だけではないだろう。


加速する温暖化
 このところ再び地球温暖化問題がクローズアップされてきた。スーパーコンピューターを使った最新の地球シミュレーションによれば2040年には北極の氷が全部溶けてしまうという。
 それまでに白熊も絶滅する。すでにその兆候も現れている。先日のNHKスペシャル「プラネットアース」では、腹を空かせた白熊が薄い氷の上で立ち往生している切ない様子が放映された。氷が無いために沖にいるアザラシ近づけないのだ。
 NYは記録的な暖冬だし、夏のオーストラリアでは千年に一度の大干ばつが起きている。いよいよ地球温暖化は皮膚感覚として実感されるようになってきた

 コラム「地球温暖化は防げるか」で書いたように、私は長年、地球温暖化こそ人類最大の危機だと思ってきたのだが、最近の傾向を見ると温暖化は私たちの想像を超えた急展開で進むもかもしれないと心配になる。
 これまで一部の科学者は「地球の水や大気の循環システムは複雑すぎて、まだ十分解明されていない」として、人為的温暖化説に疑問を呈してきた。しかし、この複雑さの影響が逆目に出ればもっと大変なことも起こり得るのではないか、とは素人でも考えることである。
 特に、最近の急激な温暖化の兆候はそれを感じさせて不気味なのだ。

温暖化対策の岐路の年
 2月2日、こうした危惧を裏付ける報告書が国連から出た。「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)はこれまで一部にあった「人間活動による地球温暖化」に対する懐疑論を明確に否定すると同時に、温暖化は加速度的に進むと警告している。
 環境保護団体グリーンピースは「前回の報告書(2001年)が警告だとすれば、今回は最後の叫びだ」と言う。
 アル・ゴア元副大統領が出演した映画「不都合な真実」が世界で公開されたり、ブッシュがさすがに温暖化対策を打ち出したりと、今年は(中東で大戦争が始まらない限り)地球温暖化に関する節目の年になりそうな予感がする。
 というより、「今年、何らかの国際的動きがないならもう温暖化は食い止められないかも」と言うくらい、残された時間は少なくなってきている。

新エネルギーの開発
 そんな中、最近、日本の新エネルギー政策を推進している役所の人に話を聞く機会があった。
 風力発電、太陽光発電、燃料電池(天然ガスや農産物利用の水素から)などの最新情報だったが、その中でドイツの風力発電量がすでに原子力発電所10基分(1600万キロワット・時)にも達しているというので驚いた。
 私が「やはりドイツは石油の後のエネルギー戦略で世界をリードしようとしているのではないですか?」と尋ねると、その人も「私もそうだと思います。今、世界は新エネルギーの技術開発を巡って熾烈な競争をしているところなんですよ。」と言う。

 ドイツの環境政策を推し進めてきた原動力は、「緑の党」など、環境保護政党の圧力だった。最近、ロシアが天然ガスや石油といった自国のエネルギーを外交圧力のために使う動きがあって、ドイツでもエネルギーの安全保障上、これまでの脱原発政策を見直す動きもないではないが、すでにドイツは新エネルギー大国になりつつある。
 新エネルギーの動きついてはまた書く機会があると思うが、どの国でもやろうと思えば出来るのである。必要なのは、それを促す政治の明確な意志である。

中選挙区制のススメ
 ここで余談だが、そのためにはむしろ単一主張の政党が出来る方が有効かもしれないと思ったりする。
 与党も野党も政争ばかりで民意を受け止められない今の日本の閉塞状況を打破するには、二大政党制を待つより、むしろ環境党、年金党、若者党(その理由はここ)、平和党など様々な単一主張の政党の出現を模索した方がいいのかもしれないと思う。
 現在の政党とそうした新政党との連立の方が様々な民意を吸い上げることが出来るのではないか。まあ、そのためにはもう一度、中選挙区制に戻さないといけないが。 (ゆっくり考えてみよう)

 いずれにしても、今年は地球温暖化問題について人類が後に「あの数年が岐路だった」と思い起こすような、重要な年の始まりになるに違いない。

2007年1月31日(水)
賞味期限

野口英世記念館を見る
 土日と会津地方の温泉に行ってきた。何十年振りかの暖冬で雪が少なく、例年なら地吹雪から道路を守る鉄板の壁が暖かい日差しに虚しく乾いている。それでもさすがに、磐梯山を間近に眺める猪苗代湖あたりにでると一面の雪の原でまぶしくて目が痛いほどだ。
 もう40年以上も前に登った磐梯山がこんなにも高い山だったかと眺めながら昼食をとり、ついで近くの「野口英世記念館」を見学した。野口英世の生家を見ると、彼が生まれ育った明治時代に、このあたりがどんなにか田舎で貧しかったかが分かる。

 彼が育った家は冬には雪が舞い込むような粗末な掘っ立て小屋である。その貧しい暮らしから借金してアメリカに留学し、国際的な科学者として注目を集めノーベル賞の候補にまでになった。
 故郷に残した母からたどたどしい文字で「一日も早く帰ってきてほしい」という手紙を受け取った彼は、文明社会と貧しい故郷の落差に心が引き裂かれる思いがしたことだろう。

賞味期限切れのニュース
 さて、そんな旅の途中に温泉旅館のテレビでこんなニュースを見た。福島県地方のローカルニュースである。
 JR○○駅の食堂では、冷凍保存していた賞味期限切れの鳴門(なると)をラーメン用に使っていたことが分かった。賞味期限切れの鳴門を食べたのはのべ69人になるが、今のところ健康を害した人はいない。店では今後こうしたことが起こらないようにしたいと謝罪した。」
 
 不二家の騒動(不二家の場合は「賞味期限切れ」と「消費期限切れ」の2つのケースがあった)以来、JR系列ホテルやディズニーランドなどでの「賞味期限切れ」のニュースが相次いでいる背景には、この際だから悪い情報を出してしまおうと言う便乗組や、そういえばうちにもあったというタレこみがあるのだろう。
 しかしラーメン屋までとなると、物事の本質を見ないで「一つの現象に雪崩を打つ」日本社会の上滑りな現状に首を傾げたくなる。

 そもそも「賞味期限」とは何なのだろう。
 ウィキペディアを見ると
「賞味期限とは、加工食品を包装状態のまま所定の環境に置いた状態で、製造者が安全性や味・風味などの品質が維持されると保障する期限を示す日時」とある。
 「賞味期限」はこのように製造者の責任範囲を決めたもので、本来は使う側の裁量や自己責任にかかわる要素もあるだろう。まあ正面きって問われれば、食堂が賞味期限を越えた食材を使うことは良心的でないに決まっている。
 しかし、冷凍してあれば味・風味はともかく、(程度問題だが)よほどのことがない限り安全性は問題ないはずだ。それをマスコミが何でもかでも(ラーメンに入れる鳴門まで)大問題のように取り上げるのは、何か大事なことが抜けているような気がしてならない。

地球全体で見ると
 北朝鮮もそうだが、いま世界には食糧が不足している貧しい国々が山ほどある。その一方で、日本では「まだ十分食べられる」膨大な食料が賞味期限切れで捨てられている。また、「賞味期限切れ」とは別に「消費期限切れ」で捨てられるコンビニの弁当なども年間何億食分にも上ると言う。
 「賞味期限切れ」などは、それはそれで文明社会の大事な決め事ではあるが、その決め事が通用するのは世界の一部に過ぎない。それを唯一絶対の基準と考えていると、私たちは自分たちの先祖の苦労や世界の飢えた人々の感覚を忘れることになる。

 野口英世の生家を見るまでもなく、私たちの先祖は食うや食わずの貧しさから苦労して這い上がって来た。また戦争で多くの餓死者を出していたのは、つい昨日のことだ。
 かくいう私もいざ金を払って賞味期限切れの食品を食べさせられるとなると腹が立つし、気分的にはすでに十分、この非寛容で潔癖症的な文明社会の一員になってしまっている気がする。

 しかし社会論調としては、(不二家は駄目だがケースによっては)こうした文明社会の大衆感覚に迎合せずに、「もったいない」と言う気持ちと、「賞味期限の本質」とを秤にかけるような、バランスのある寛容さがあってもいいのではないかと思う。
 それでなくとも、今の日本は会津の田舎のようなどこかのんびりした穏やかさを忘れて、相手の少しのミスも許さない、窮屈な住みにくい社会に向かっているようで心配になる。

2007年1月8日(月)
絵?のNO.8

NO.7の絵にちょっと飽きてきたけれど、時間をかけて次の絵に取り組む余裕も無い中、とりあえずの絵?をNO.8としてアップした。これは今までとは少し出来方が違っている。

正月帰省した息子と退屈しのぎに一枚の小さな紙にサインペンで交代で線画を描いてみた。アップした絵を良く見ると、(息子と合作した)元の紙の大きさが何となく分かると思うが、その小さな紙をスケッチブックに糊で張りつけて、周囲に線を広げてスケッチブック大の絵にしてみた。

書きあがったものに薄く彩色してみたが、まあイラストと言うか何と言うか。気分的にどちらかと言えば、(楽しい)「落書き」に近いかもしれない。

「これは絵とはいえないかな?」と息子にメールしたら、「いや、何でも絵だよ。こういうことをしだすと、(絵の)世界が広がるよ。」と言う返事。
次の絵が出来るまで、暫くこれで我慢していただきます。

ホームページ制作日誌、発想の種まき、老後の雑感、折に触れて見つけた言葉を。

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