「風」の日めくり                     日めくり一覧         
定年後に直面する体と心の様々な変化は、初めて経験する「未知との遭遇」です。定年後の人生をどう生きればいいのか、新たな自分探しを通して、終末へのソフトランディングの知恵を探求しようと思います。

4年ぶりに色塗りの試行錯誤 24.3.13

 去年の夏に久しく描いていない「絵のようなもの」を再開したいと思って、抽象画の美術展に出かけ、「絵心を探しに夏の美術展」などと書いたあと、9月には鉛筆の下絵を完成させた。しかし、その下絵がちょっと複雑で、これにどう色付けしたものか悩んで、AIに色付けをさせてみたりして遊んでいるうちに、月日はどんどん過ぎて年明けに。今年こそはと思うが、色塗りに踏み出す心理的バリアが高くてずっと放置して来た。何しろ、もう下絵の完成から半年以上、前回の絵(NO28)から既に3年半が過ぎているので、なかなか踏み出せない。

 そこで、パソコンをどかすなどして、机の上を片付け、絵の具を揃え、筆を洗い、お手本とする絵などもプリントし、一つ一つバリアを取り除いて、2月中旬、いよいよ色付けに取り掛かった。前回は、画家の東山魁夷の青のトーンをモチーフにしたが、今回も東山の「紅葉」の色合いが頭にあった。全体を紅葉色に染めて見たかったわけである。しかし、いざ始まると難しく、使ったのは濃い紫や幾つかの橙色だけで、後は一色一色手探りで色を決めて行く作業になった。全体で200ピース位の断片で構成されているので、色決めは予想通り難航した。







◆中央部分を埋めてから周辺を攻める
 下手をすると、それぞれの色の自己主張が強くなり、取っ散らかって収拾がつかなくなる。同系色の色や補色系の色を配置しながら、全体がそれなりに落ち着くようにしなければならない。久しく「絵心」を忘れていた自分にはかなりの難問だった。基本となる色を全体のバランスを見ながら配置した後は、まず、中央部から固めて行こくことに専念する。ここが固まれば、周辺に攻めて行けるということで、中央部に明るい黄色を持ってきて、補色関係にある緑をところどころに配置して行く。こうして中央部が固まるのに1週間以上かかった。







 今回の苦労の一つは、色が多彩になり過ぎるのを抑えるために、無彩色(白黒)の部分を配置したことである。それが、中央部の縦の柱や右側の柱たちである。このアイデアは、去年の夏に見た抽象画の中の白黒の線からヒントを貰った。さて、そうして周辺部に手を伸ばして行ったわけだが、そのモノトーンを他に応用しようと、左上の歯車のようなものも濃淡のある青緑の色で描いてみたここまでのように、色違いで塗っていたら色の洪水のようになっていたかもしれない。







◆色の洪水を防ぐための試行錯誤
 終盤には、残った上辺部も思い切って灰色のグラデーションで埋めてみた。これは、本当は薄い黄緑とかにした方が絵らしいのかも知れないが、私に難し過ぎた。一時は、中央部が終ったところで周辺全体を水墨画のように白黒で取り囲んでみたらなどとも思った時もある。周辺部をモノトーンにして中央部を際立たせる作戦だが、水墨画の何たるかも知らない私には、その発想は荷が重すぎた。そんな試行錯誤を重ねながら、全体を埋めて行ったわけである。







 ほぼ95%が完成したところで、細部に手を入れ始めた。幾つかの色の塗り替え。これには、まず白で上塗りし、新しい色を塗って行く。塗り重ねが出来るのがアクリルガッシュのいいところである。一番苦労したのは、垂直の線である。下絵の時は、いい加減に書いていた線が出来上がってみると、微妙に傾いている。これを、定規を使って垂直に修正していくのが、結構面倒だった。垂直に直した後は、その周囲の色も埋めなければならない。しかし、完成した絵を見るとどうだろう。どうもまだ、傾いているように見える。これは目の錯覚かも知れない。

 こうした細かい修正にも5日はかけただろうか。このように試行錯誤しながら20日余り。久しぶりに「描く楽しさ」のような気分を味わいながら、一応の完成までこぎつけた。絵の大先輩に写真を送ったところ、貴重なアドバイスを頂いたが、この段階で取り入れるのは難しいので、ひとまずこれで完成としたい(トップ頁下に掲載)。 この絵について、「出来上がったので題をつけてね」とLineで娘の長男(7歳)に完成版を送ったら、「くさりの中の空飛ぶお城」というタイトルをつけてくれた。白黒の柱が鎖のように見えたらしい。タイトルが決まったところで、額に入れて前の絵と交換した。
                 

◆次回のコラムのテーマは?
 そういうわけで、この間、他のコラム発信もお預け状態で暮らして来た。更新もひと月以上お休みしている。ただ、絵を描きながらも本を読み、幾つかのテーマは考えて来た。その一つが、最近の政治家の言葉を含め、現代は言葉というものがどんどん上滑りして、リアリティーを失って来ているように思うことである。この間に読んだ芥川賞の「東京都同情塔」(九段理恵)もテーマは言葉のような気がする。SNSの現代は、互いの考えを言葉で共有できない混乱の時代、新たな「バベルの塔」の時代に入っているのではないかなどと感じさせられる。

 言葉のリアリティーが失われる状況は、生成AIの登場によっても、より拍車がかかりそうな勢いである。時代が変わる幕末、勝海舟も吉田松陰も実にリアルに時代を見つめ、リアリティーのある言葉でそれを伝え、新たな時代を切り拓いていった(「歴史を動かす力」司馬遼太郎)。そのようなことをつないで、今の時代の言葉の傾向を考えてみたい。「言葉のリアルが消えゆく時代」。これはこれで、自分にとっては今回の絵などよりよほど苦労しそうなテーになりそうである。