花冷えの中、毎年ここだけはと思っている桜を確かめるように見に行っただけで、桜の季節はあっという間に過ぎて4月。その4月も様々なことで心落ち着かないままに過ぎてしまった。この間のことをとりあえずまとめておきたい。
◆夫婦で生前戒名を頂く
3月の彼岸の頃、水戸のお寺に墓参りを兼ねて、カミさんと住職を訪ねた。去年以来、いろいろあってこの先、子供たちに負担を掛けまいと、出来るところから終活を始めている。2月末には寺を訪ねて、将来の墓の相談と同時に2人の生前戒名もお願いしていて、今回は、それを頂きに行ったわけである。事前にごく簡単な戒名で結構ですと念を押していたのだが、戒名は両親同様に文字数の多いものだった。やはり、そういうことかとちょっと当惑もしたが、ありがたく頂いて帰り、後日、こちらで事前に考えていたお礼の気持ちを振り込ませて頂いた。
「生前戒名を貰うと長生きしますから」と言われたが、その間、自分の死ということが身近に感じられることにもなった。というのも、3月にかけて相当に根を詰めて「絵のようなもの」に取り組んだことや、将来の墓の悩みなども重なってかなりストレスが溜まっていたせいかも知れないが、夜中に胸のあたりがキリキリと痛んだり、重苦しくなったりと原因不明の胸痛に悩まされることになった。そのうち、日中でも歩いている時などに胸の痛みを感じるようになった。この痛みはどこから来るのか。不安になると余計に痛くなるような気がする。
◆謎の胸痛から心臓の検査へ
ある夜中には、以前、お守り代わりに貰っていた「ニトロベン舌下錠」(心筋症の薬)を舐めてみたりした。しかし、特に痛みが変わることもなく、また、その痛みがどんどん大きくなると言うようなこともない。夜中に救急車は嫌だなあと思いながらも睡眠導入剤を飲んで寝てしまうと、朝には何でもなかったりする。そこで、定期的に通っている大学病院の先生に相談して、循環器内科を紹介して貰った。行く際にも胸の痛みはあったのだが、心電図とレントゲン、血液検査からは、特に心筋梗塞に移行するような兆候は見られないというので、別の検査をすることになった。
24時間のホルダー心電計を付け、次に心臓のエコー検査。結果が出るまで半月以上あったが、その間は異常もなく、そのうちにこの痛みは心臓由来のものではないような気もして来た。ただ、仮に心臓の血管が詰まりそうになっていれば、いろいろと面倒なことだとは思っていた。それ以上に、もう80歳近くなるのでいつか自分の命が何かの病気で終わるかも知れないというイメージが、ごく手近なところにあった気がする。それは、今日明日と言うことではないだろうが、誰しも避けられない現実と向き合うことから来る感覚だったかもしれない。
◆ついに行く 道とはかねて 聞きしかど
結果が出たのは半月後の4月22日。その間には心配も大分薄らいで、思い切ってゴルフもやってみたが、無事に終えて夜は友人と一杯やって帰って来た。検査の結果は、どれも特段の異常は見当たらないと言う。ほっとすると同時に、あれは何の痛みだったのかと不思議に思った。可能性の一つとして心臓の血管が痙攣する症状が考えられると言うが、今はちょっとの痛みは気にしないようにしている。歳をとると、こういう一つ一つのことが何かのサインかも知れないと思ったりして、その都度、自分の命に限りがあるという現実を感じたりする。
歌人の在原業平の辞世の歌に「ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」という歌がある。55歳で死んだ彼に比べれば、私などは随分と長生きしていると言えるが、それでもいざ命に関わる症状に出会えば、同様の感慨を持つに違いない。同時に、身近な人々、思い出す人々、ことごとに対して懐かしいような、それでいて、それらに手が届かなくなる哀しみのような感情を抱く。それが、言ってみれば一種の「もののあわれ」という感情かも知れないと思ったのは、4月にそんなことを教えてくれる本を読んだからでもある。
◆紫式部と本居宣長。日本文化の奥深さ
今年の大河ドラマ「光る君へ」は、久々に見続けるドラマになった。以前、BSの「英雄たちの選択・紫式部」で、平安朝の権力を巡る暗闘を知り、特異な時代の人間ドラマに興味を持ったためもある。その紫式部の「源氏物語」については、以前に現代語訳で読んだが、そこに通底する「もののあわれ」については漠としたイメージしか持っていなかった。そこで、書棚に長く眠っていた600頁を超える小林秀雄の「本居宣長」を読み始めた。宣長がいかにして源氏を読み解いたか。そこに彼が見出したキーワードが「もののあわれ」というものだった。
紫式部も、また、それを800年後に読み解いた宣長も、天才たちが織り成す世界は難解だが、こうしてみると日本人というものは、すごい文化力を持った民族だと改めて感心させられる。宣長はまた、8世紀初めに書かれた「古事記」についても新しい解釈を生み出したが、それを解説する小林秀雄は、当時の日本語成立の奇跡についても解説している。そういえば、字を持たなかった日本人が漢文との出会いをもとに、平仮名の発明による和文と漢文訓読体との合流(和漢混淆文)を発明したのも奇跡的だった(「日本語の奇跡」)。日本文化の奥深さである。
命の限りが迫って来たこの歳になって、新たに日本の文化の奥深さに迷い込んでどうするのかとも思うが、かと言って目の前の事象はあまりに索漠としている。政治は相変わらずだし、世界は闇だ。そんな中で「もののあわれ」は、移り行く世の無常と結びついているだけに、日本人には親しい感覚かも知れない。検査で異常なしを告げられた日、千駄木のうまいコーヒー店によって、しみじみとした時を過ごした。コロナで久しく会えなかった長男一家の大学生の孫娘たちと3月半ばに会えたこと、次男や娘のところで元気に育っている孫たちの様子などを想いながら。
◆もの想いの中で過ぎ行く日々
かれこれ1か月、原因不明の胸痛に悩まされたが、その間にも番組制作会社での新人研修、AIに関する研究会、92歳の大先輩を囲むリモートの勉強会、再開したゴルフなどが続いた。これらを楽しむ一方で、上記のような難解な読書も懲りずに続けて来たわけである。また、先日には思い切って3時間の映画「オッペンハイマー」にも挑戦、改めて人類が手にした悪夢のような原爆の恐ろしさを感じた。NHKで始まったアーカイブ番組「時をかけるテレビ」も、第一回は40年前に放送された「核戦争後の地球」。これも、テーマは核戦争の恐怖だった。
そこで大先輩が主宰する5月の勉強会では、核兵器の最新情報を取り上げることになった。限りある命を思って、そこはかとない「もののあわれ」を感じる一方で、長命で旺盛な知的好奇心を持って日々を送っている大先輩たちから刺激を受ける。こうした複雑な思いが交錯する生活をどう考えるかという問題もある。毎日、淡々と暮らして行くのがいいのか。それともまだ頑張ると思って目標を持って生きるべきか。私の場合、何とか80歳まではブログを続けるとしたが、その後の未知のフェーズがどんなものになるのか、容易に想像出来ないでいる。
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