「風」の日めくり                                 日めくり一覧     
  今週の鑑賞。定年後の身辺雑記

暗鬱な世界と風薫る日本と 22.5.21

 季節は春から初夏に変り、新緑が光り輝く日本になった。いつものウォーキングコースでは、4月下旬から大型連休明けまで元荒川の両岸を挟んで数百匹の鯉のぼり(五月鯉)が川風を受けて悠々と泳いでいた。大きな鯉の方は、市内の幼稚園児の手作りで、子どもたちの可愛らしい手形や様々な願いごとが描かれている。ウクライナ戦争やコロナの感染など忘れてしまいそうな、いつまでも大切にしたい平和な日本の風景である。
『子ら託す夢の数々五月鯉』

◆怨念と因縁が絡み合うウクライナの大地
 一方のウクライナ戦争の方は、戦況の推移が日々ニュースのトップに並び、否が応でも目に飛び込んでくる。海外では、少しずつユースの順位も下がっているというが、どうなのだろう。ロシアの苦戦や孤立、或いはプーチンの癌説など、様々な情報が交錯しているが、そうした目の前の情報から少し離れて、ウクライナとロシアの因縁の歴史をネットで読んでいると、ウクライナが過去、“蹂躙”と言うに相応しいほどの過酷な歴史を経験して来たことが分かる。周辺の民族との攻防を繰り返し、やっと独立したと思ったら、独ソ戦の狭間でまた踏みにじられた。

 ソ連時代のスターリンによる飢餓政策(ホモドール)ではウクライナ人330万人が餓死させられ(写真:道ばたに横たわる餓死者)独立を図った第二次大戦では500万人の死者を出した。こうした侵略、内戦、国内ユダヤ人の虐殺などを繰り返して来た血塗られた歴史に比べれば、今度の犠牲者の数も色あせるほどだ。こうした歴史を知ると、ウクライナにはロシアに対する怨念や因縁が複雑に絡んでいて、この戦争はどちらかが倒れるまで容易には終わらないようにも思えて来る。それにしても、21世紀の現代にもなって、なぜ人類はこうした残虐な戦争をやめられないのだろうか。

 この戦争が私たち人類に突きつける大きなテーマは幾つもあるが、それはおいおいコラムの方で考えて行くとして、こうした残虐な戦いを繰り返してきた陸続きのヨーロッパに比べて、日本は何と幸せな位置にあるのだろうかと思う。戦前、列強と肩を並べようとして中国を侵略し、310万人の犠牲を出した歴史を除いて、江戸270年の平和の報酬を今に生かしてきた日本である。戦争と米中の覇権争いで浮き足立つ世界だが、日本は祖先から受け継いだこの豊かな文化と平和の精神を守り続けるために、今こそ真剣に努力しなければならないと思う。

◆新緑のグラデーションにうっとり
 さて、近況報告。4月下旬、思い立ってカミさんと故郷茨城県の袋田温泉に出かけた。水戸で墓参りをしてから温泉旅館へ。単線の水郡線に乗ってのんびりと周りの風景を眺めていると、産毛のような新緑の山肌が、様々な緑のグラデーションを描いて実に柔らかい。まさに日本の風景である。袋田の滝へは、トンネルの中を歩いて行く。36年前に、幼い長女の子育てに疲れたカミさんを少し解放しようと、上2人を連れて里帰りし、お袋と袋田温泉に泊まった(写真)。その時、どういうルートで滝を見たのかまったく記憶にないが、お袋がいない今は確かめるすべがない。

 トンネルを出ると、目の前に滝が迫っていた。高さ120メートル、4段になった滝は、冬の厳寒期には氷結するが、今は豊かな水量の水音を谷一杯に響かせている。帰りの袋田駅では、俳句の投稿箱があったので幾つかの俳句を投稿した。
『トンネルを出て春光の滝仰ぐ』
『新緑の峡谷に満つ滝の音』
 袋田温泉の手前の常陸大宮は、定年後、先輩としょっちゅう出かけたところである。駅から車で20分ほど行った田園地帯で「ふるさと村つくり」に精を出していた頃である。ドーム型ハウスに泊まった翌日は先輩のNさんと早朝の村内をウォーキングした。そんなことを思い出して懐かしさがこみ上げて来た。

◆ぼちぼちと会食も
 コロナによる自粛生活も、既に2年3ヶ月になる。その間に、年齢の近い親しかった後輩や先輩が亡くなるというショックな出来事もあった。お葬式にも参加出来ず、会えないままの別れだった。自粛の間、リモートでの各種懇談は定期的に続いて来たが、そうしたこともあって、だんだんと直接顔を合わせて酒を酌み交わしたい気持ちが募ってきた。そこで、まずは仲間と2泊3日の温泉(芦野温泉)ゴルフをやり、或いは昔、良く一緒に旅行に行った4人組で昼食会をしたりした。隅田川を見下ろす風通しのいいベランダでの会食である。

 先日は、2年3ヶ月ぶりに高校の同級生7人で昼食会をした。それまでは、年に何回かそば屋の2階で一杯やってきた仲間である。記者だったK君がメンバーのプレスセンターのレストランで昼食をとり、ラウンジで積もる話を。6月17日公開の映画「峠〜最後のサムライ〜」の監督、小泉堯史君も参加できて、いろいろ映画の話も出来た。周囲の評判を聞くと彼の作品の中でも屈指の出来らしい。公開が楽しみである。長く悩まされて来た座骨神経痛も、整骨院に通いながら自分なりに対処法を研究し、毎日ストレッチを続けているうちに大分収まってきた。

◆週一回の赤坂通い
 もう10年以上、週に一度、赤坂のテレビ制作会社に出かけて若いディレクター達とテレビ番組の企画を議論してきた。これもコロナ期間中はリモート参加が続いたが、出かける今は、突っ込んだ議論が出来るのが楽しい。今のテレビ界は、親会社の方は問題山積の状況だが、制作会社の方はこうしてテレビの可能性に向けて若者が熱心に議論している。それを、局の経営者の方はどれだけ理解しているだろうかと思う。最近のNHK経営者に対する現場からの批判(月刊文春)も読んだが、彼らがテレビ文化に対して全く無理解なのは、度しがたい気がする。

 企画会議が終わると、社長夫妻と昼食をとる。奥さんの方は総務担当役員だが、若いディレクターが本当に熱心に仕事をしているのにいつも感心している。コロナの大変な時期を経て、皆目の色を変えて番組作りに取り組んでいる。制作費の大幅カットや円安での海外取材の厳しさなど、制作会社を取り巻く環境は厳しさを増しているが、それでも頑張っている。そうしたテレビ界の状況や企画の可能性などを話しながら、週一回楽しい昼食を共にさせて貰っている。年齢が変らないのに、未だに現役バリバリのドキュメンタリストのYさんとのお付き合いも含め、感謝である。

◆喜寿を迎えて
 年齢が近い社長とは健康の話もする。私は、「毎朝起きたときに、身体のどこかが痛くない日はない」という状態。股関節周りがこわばり、腰も痛い。膝が痛くなるときもある。最近は手の指の関節までこわばって痛くなった(これはバネ指というものかもしれない)。間もなく喜寿(77歳)を迎えるのに相応しい身体の不調である。これを布団の上で小一時間かけてもみほぐす。こうしたストレッチを続けながら、出来るだけ歩くようにして、ラジオ体操もする。身体のメンテナンスが欠かせない年齢になって来た。先日は、1年半ぶりに人間ドックも受けた。

 その詳しい結果は来月だが、年相応に血管の動脈硬化が始まっている(頸動脈エコー検査)ほかは、特にこれといった所見はなさそうだ。その帰り、いつものように近所のお寺で般若心経を上げていたら、ふと、ちょっとした思いが頭に浮かんだ。喜寿になっても自分の年齢を必要以上に意識することなく、「とりあえず、80歳までは若いつもりで行こう」ということである。今年10月の医療シンポジウムの企画に飛び回っている96歳の大先輩には比べようもないが、萎縮することなく、気持ちの上ではまだまだ若いと思ってやるべきことをやって行こう。

 核を含む第三次大戦への可能性もぬぐいきれない暗鬱な世界を考えると、自分の小さな思いなどは吹けば飛ぶようなものだが、一方で、こういう時代に向き合いながら、この平和のありがたさを考え、噛みしめて行きたい。

孫の未来に幸あれと祈る 22.4.128

 ロシアのウクライナ侵攻は、ますます凄惨な映像が茶の間に飛び込んでくる毎日である。戦争の行方については、ワイドショーや報道番組で様々な意見が飛び交っているが、ロシアによる民間人の大量虐殺や禁じ手の化学兵器の使用などが報道されるにつけ、国際世論はもちろん、西側首脳の頭にも血が上ってきている感じがして、この先どうなるのかと心配になる。戦争拡大へのダムの水位が日々高まっているようで、いつ大規模な戦争へとダムが決壊するのか。プーチンも追い詰められて命がけの状況なので、緊張は高まるばかりだ。

 その結末はどうあれ、この戦争は今、前世紀から持ち越した大きな問題を人類に突きつけている。例えば、「核戦争に勝者はいない」と言いながら、プーチンはこれを脅しに使っているわけだが、核保有国同士が核兵器を突きつけ合う戦争をどう考えたらいいのか。さらに、民間人を標的にする戦争をどう防ぐのか。あるいは、(ヒトラーもそうだったが)プーチンのように妄想に取り憑かれた独裁者の出現をどう防ぐのか。戦争を初期段階で消火する有効な国際機関の再構築という問題もある。人類は愚かなまま滅びるのか。この戦争が提起する大問題については、次回のコラムで整理してみたい。

「はしごする友と個展を春の日に」
 さて、近況である。昨年末以来悩んでいた股関節痛と座骨神経痛は、整骨院に通い気候も暖かくなるに従って、かなり改善されてきた。股関節痛は全くなくなり、歩くのに問題はなくなった。座骨神経痛による尻の痛みは相変わらずだが、だましだましやっている。何度かゴルフも出来た。こちらは、出来るだけ歩きながらストレッチもして、長く付き合って行くことになるのだろう。そんな先週の金曜日。久しぶりに赤坂のTV制作会社に出かけて企画会議に参加し、ついで社長夫妻と昼食。1.5人前の豪勢な鰻丼をご馳走になった。

 それから、かねて案内を貰っていた先輩の個展を見るために八重洲の画廊に。そこでばったり会った友人と久しぶりにお茶し、一緒にもう一つの個展を銀座の画廊に訪ねた。先輩の奥様の絵である。先輩のお宅には40年以上前に長男を連れてお邪魔したことがあって、それを奥様が鮮明に覚えていて懐かしかった。その長男も今や47歳。EV(電気自動車)開発の責任者になっている。先日には、長女が大学1年生になった。その日の夕方は整骨院にも行き、都合9千歩ほども歩いた。一番上の孫が大学の1年生。時の流れは、様々な思い出を飲み込んで流れる大河のようでもある。

「孫眩し大学に入る前途かな」
 孫娘のAちゃん(18歳)は、大学で建築を勉強したいそうだ。入学式の写真を見ると、すっかり大人びて眩しいくらいの大学生になっている。早速お祝いのメールを送ったら、「おじいちゃんへ」で始まる以下のような返事をくれた。
 「(略)今まで勉強が狭い教室の中で完結していた様な気がしていたのが、大学生になってから急に世界が広がった様な気がしています。まだ世界中というわけではないけど廊下くらいの広さになった気がします。この廊下までの世界がどんどん広がって他の分野にまで被さっていったらその被さった分だけいい感じのものができるのかなとか思ったりします(略)」。 会っていろいろ話が出来たらと思う。

 入学と言えば、4月から娘のところの孫娘(Kちゃん3歳)が年少さんに入園した。母親から離れるのが苦手だったが、通園はうまくやれるかな。この子が大学に入るにはあと15年はかかる。俳句とともにFBに写真を載せようとしたが、大学生の方はちょっと難しいので、Kちゃんの写真を載せた。これから先の世界は、温暖化や核戦争、超巨大地震など、不穏な可能性には事欠かない。孫は7人いるが、この子達の未来に幸多かれと願うや切である。

 満開だった桜も散り、毎日お参りしている歩いて1分のお寺では、石楠花(しゃくなげ)が見事な花をつけた。もうかれこれ2年になるが、緊急事態や蔓延防止等重点措置が出ている間は、長年続いていた「朝の集い」もお休みになり、それが解除されると、本堂での読経と座禅のみの開催が続いている。いつになったら皆で庫裏に集まりお粥を頂きながら、いろいろな話が出来るのだろう。4月は久しぶりに集まりだけはありそうだ。それでも日々お参りしつつ、平和の有り難さをかみしめる昨今である。「青空に石楠花映える平和かな」

◆来月に喜寿を迎える自分だが
 来月には77歳になる。世に言う喜寿だが、コロナのご時世でもあり、次男一家はNYに住んでいることもあり、ささやかな祝いになりそうだ。それにしても77歳とは、はるばる来たものである。元気な人は元気だが、早くに亡くなる人も多い。最近は思わぬ訃報に接することも多くなった。5月に「偲ぶ会」をする先輩のHさんは、1月半ばに78歳で急逝された。直近まで元気で学会の打ち合わせなどをしていたのだが、事故で亡くなった。いのちの儚さを感じた出来事だった。かと思うと、96歳の大先輩が「元気か」と電話して来たりする。

 その先輩は、冬でも朝くらいうちからウォーキングに出かけて、歩きながら発声練習までしているそうだ。そのせいか、滑舌が素晴らしい。先輩は10月に毎年開催する健康のイベントのプロデューサーを続けているが、今年はコロナ開けを期待して今から打ち合わせに飛んで歩いている。元気な人は元気だが、同級生達も含めて、皆、年相応に老いている。私の座骨神経痛、寝るときの足と手のひらのじんじんする感じ、眠りの浅さなどは、老化のサインなのだろう。これに抗うのは大変だ。出来るのはせいぜい、運動とストレッチと体調管理である。

◆心身の安定を如何に保つか
 その上で最近は、一番大事なのは心の安定と自律神経の安定なのではないかと、思うようになった。今は、テレビをつければ戦争の悲惨な映像ばかりだし、プーチンのことを考えるだけで、眠りが浅くなる感じがする。加えて、いつ終わるかも分からないコロナである。世界全体に暗雲が垂れ込めて久しい。こうした難問山積の時代に、「時代と向き合って生きる」ことを自分に課すのは、かなりのストレスになる。手足のじんじんも、血圧の状態なども多分に自律神経の乱れから来ているのかも知れないと思ったりする。

 というわけで、現在は、そんな日々の中で如何に心身の安定を保つかが、大きな課題になりつつある。一頃は、毎日少しの時間でも座禅を組んだが、股関節痛でそれもままならなくなっていた。それが少し改善されたので、また復活しようと思っている。何しろ、77歳などという年齢の先はそれこそ「未知との遭遇」で、さっぱり予測がつかない。その点では、定期的にやっている同級生や元同僚とのリモート懇談もなかなか決め手にはなりにくい。人生の下り坂にある自分と向き合い、手探りしながら一歩一歩、ゆっくり歩いて行くしかない。

梅咲けど静心なき時代かな 22.3.8

 2月24日にウクライナにロシア軍が侵攻して以来、世界の関心は否応なく戦争の悲惨な現実に引きつけられている。圧倒的な物量のロシアに対し、ウクライナ側が懸命に抵抗しているうちに、世界の同情はウクライナに集まり、プーチンの孤立が深まっている。しかし、この戦争がこの先、どのような推移をたどるのか、私などには全く予測がつかない。「プーチンは負けた」(ユヴァル・ノア・ハラリ)とする見方がある一方で、プーチンの時代錯誤的な被害妄想を見ると、この戦争がこの先何年にもわたる悲劇を生むこともあるだろう。

◆戦争のリアリティーをどこまで実感できるか
 考えたくないが、この戦争が核兵器の応酬や原発崩壊などで、世界規模に拡大することもあり得るし、経済的な面では既に世界規模になっている。これらのリスクを身近に感じる中で、この戦争は、私たちに幾つかの重いテーマを確実に投げかけている。一つには戦争のリアリティーと言うものである。戦後長く続いた平和な時代の中で、日本人がすっかり忘れている戦争の現実。その圧倒的な現実の中で、国民が命をかけて守るものがあるとすれば、それは何なのか、ということである。ウクライナの人々の戦争はそれを改めて考えさせる。

 こうした戦争と平和に関するリアリティーについては、以前から関連のコラム、例えば「日本の何を守るのか」、「一億総玉砕と日本殲滅」などでも書いてきたが、平和惚けした日本ですぐに「核兵器シェア」などの勇ましい軍拡論を唱える政治家たち(安倍晋三)は、戦争が抱える複雑で悲惨なリアリティーをどこまで認識しているのかと疑わざるを得ない。いずれ、こうしたテーマは再びコラムの方できちんと考えて行きたいと思うが、今の世界(日本)はいつ終わるとも知れないプーチンの戦争と新型コロナに向きあって行くことになる。

『梅咲けど静心(しずごころ)なき時代かな』
 さて、近況報告。近所のお寺の境内では、満開の梅に続いて枝垂れ梅が咲き始めた。季節を告げる自然の営みを愛でたいところだが、世の中はそれどころではない。日々死者が出ているコロナの感染と悲惨な戦争のニュースとが重なって、重苦しく心落ち着かない日々が続いている。「ひさかたのひかりのどけき春の日に静心なく花の散るらむ」(紀友則)の静心とはまるで違う。間もなく桜の季節になるが、この歌を思うと、若い頃、坂の途中に一人座って桜の大木から降りしきる花びらを飽きずに見ていたことを思い出す。平和だった。

 身体の方は、昨年末から続いている座骨神経痛の治療が続いている。週2回、整骨院に行っているが、座っているとすぐに左のお尻が痛くなって長時間の作業が出来ない。読書も進まない。切り抜いた新聞記事も溜まる一方で、コラムを書くだけの気力が湧かない。気長に治すしかないが、それでも痛みを友としながら出来るだけ歩くことにしている。『老骨や痛みを友に春を行く』。近所の旧家に残る枯れ木の大木(その昔、家康が愛でたという榧(かや)の木:写真下)になぞらえて、身体のあちこちに痛みを抱える老骨(ポンコツ)状態を。。

◆「無力無名の一市民」がコラムを書き続ける意味は?
 そんなウォーキングの間に考えたことがある。この調子だと、頑張って生きても長くて10年だろう。そうすると後10年から逆算して、16年間続いた「メディアの風」を閉じないとすれば何を書いていけばいいのだろうか。もちろん、人生の店じまいのためにやるべきことは他にも沢山ある。例えば、殆ど出来ていない終活をどうするか、家族サポート、幾つかの社会的なお付き合いも出来れば続けて行きたい、個人的な楽しみも再開したいし、何より健康維持のための努力も必要だ。それらをおいてこの「メディアの風」をどうするかである。

 前回の「ウクライナ危機の中の庶民」でも書いたが、何しろ既にジャーナリストでもなくなった「無力無名の一市民」が目の前の事象について書くことの無力感は半端ない。様々な社会事象を一市民の自分に引き寄せて書くことの「距離感」の難しさというか、自分とその問題との「フィット感」がなければ、とても書くことは出来ない。16年間のまとめを終えて一区切り出来た段階から、こうした問題にぶつかっている。やめてしまうのは簡単だが、それでも、敢えて続けるとすれば何を拠り所として発信して行くのがいいのだろうか。

◆未来への個人的なメッセージとして
 これは全く個人的な問題なのだが、残り時間が限られている中で、仮に個人的な関心を持続していくテーマがあるとすれば、それは何なのだろうか。自分には、この16年間にあれこれと考えてきたテーマがある。その延長でなお個人的に追求すべきテーマはあるだろうか、ということである。それを絞り込んで、自分がこの世から消え去るまでを最長10年として、それをこの10年という時間的スパンで考えて行くことは可能か。そのようなことを思いついて、16年間のテーマの中から、これからも個人として見続けて行きたいテーマを探してみた。

 昨年末に自費出版した「メディアの風 時代と向き合った16年」(上下巻)には、全部で9章のテーマがある。そこから、選ぶとすれば次の4つになるかも知れない。一つは、「地球温暖化」の行方である。これは現在始まった脱炭素の動きを含めて子や孫たちの未来を考えることである。二つ目は日本の未来である。膨大な財政赤字、少子高齢化と人口減少の中で、日本の豊かな社会的共通資本をどう次世代に引き継いでいけるのか。或いは、そのための日本や日本人の底力の再確認である。三つ目は、目前に差し迫ってきた戦争と平和の問題である。

 そして四つ目は私の個人的な関心事である脱原発である。この30年に確率70%で迫っている巨大地震国家の日本で、危険な放射性構造物を未来に遺していいのか。今回のウクライナ戦争でも原発は破滅へのリスクであることがより明確になっている。これをどうするか。以上、4つほどのテーマをこれまでの思考の延長でさらに深化させることが出来るか。これは既に個人的なつぶやきでしかないが、それを残り時間が許す限り自分に課すということである。もちろん、その前に終わることがあっても、それはそれで納得ということである。

◆ロシアが失い、日本が残しているもの
 以上の4つのテーマを考えて行くときには、それと深く関係する日本のメディア状況、政治や民主主義の状況などは、随時関連事項として入ってくるかも知れない。いずれにしても、残り時間から逆算して後10年を視野にしたスパンで子や孫の時代へのメッセージを模索して見るというのはどうだろうか。身体のあちこちの痛みを友としながら、気力がまだ残っているうちの話ではあるが、これまでの16年間の蓄積の上に4つに絞ったテーマに個人的な関心を持ち続けてみたい。これが既にコラムを発信することが生活のリズムになってしまった自分の結論である。

 さて、そんな痛みを抱える中、思考の傾向として最近読んだ本を幾つか上げておきたい。一つはウクライナ問題でテレビにしばしば登場している中村逸カ(筑波大教授)の「ロシアを決して信じるな」。これを読むと、ロシアは絶望の国だということに愕然とする。ソ連時代から100年、ロシアが如何に国として、人として大事な「信義」というものを失っているか。プーチンを始めとして嘘をつくことが当たり前になっている。これを読んで、翻って日本はどうなのか。日本人が辛うじて今も失わずにいる「信義」の心や様々な美徳はどのように生まれてきたのか。

 そこで、ネットで「日本の良さを考える」をキーワードに選んだ本が2冊。一つは「日本人が世界に誇れる33のこと」、そして「日本人とは何か」(山本七平)だ。本命はもちろん「日本人とは何か」(800頁超)だが、これについては上にあげたテーマにも関わって来るので、いずれコラムの方で書いてみたい。世界は重苦しいが、我が身の痛みからは早く脱することに努めながら。