世界には今、不気味な暗雲が垂れ込めている。猛暑や大干ばつ、大規模な森林火災、巨大台風といった温暖化現象もさることながら、ウクライナ戦争での核使用の恐怖、エネルギー不足とインフレによる世界同時不況といった時代の転換が世界と日本を直撃しようとしている。こうした大転換には、3年近く前に中国武漢から世界に広がったコロナが直接間接に関わっていることもあるに違いない。コロナで人に会わずにいた2年間に、プーチンが歴史書を読みふけり、ロシア皇帝に我が身をなぞらえて大ロシア復活の妄想に囚われたのもその一つだろう。
バタフライエフェクトではないが、コロナがなかったらプーチンのウクライナ侵攻もなかったかも知れない。かつてペストやスペイン風邪が世界史を塗り変えたように、コロナもその仲間入りするのか。そうした歴史的転換は別としても、コロナは私たち庶民の生活にも様々な影を落としている。幾つもの不調が我々老夫婦にも起きているのも、長引くコロナ禍の影響かも知れない。1月にコロナに感染したカミさんは、それ以前からの首から肩、背中にかけての原因不明の痛みや舌の痛み(舌痛症)に加えて、日常的な頭痛にも悩まされるようになった。
◆日本の夏休みを満喫したあとのコロナ感染
週2回は整骨院で身体をほぐして貰っているが、すぐまた元に戻ってしまう。コロナの後遺症なのか、自律神経系の問題なのか分からない。そこで、もう温泉に行ってゆっくりするしかないかと思って近場の温泉探しをしたりしている。一方、7月2日にNYから一時帰国した次男一家5人は、2ヶ月間、日本の夏休みを満喫して9月1日に成田からアメリカに戻って行った。成田での見送りには我々2人と、この間、お世話になった奥さんの実家の両親が参加、一家と別れを惜しんだ。ところが、NYに着いた翌日にまず長女がコロナで発熱。
続いて奥さん、下の男児、次男と次々にコロナになった。中3の長男だけは5月に経験済みのせいか、陰性だったという。奥さんの方は結構高熱が出たらしい。問題は、どこで感染したかだが、双方の親たちも結局は何ともなく、どうやら日本にいる間ではなく、機内か空港の待合室で感染したらしい。この間、NYの医療事情が分からないこともあり、遠く離れた日本で随分と気を揉んだが、やっと全員回復し、子どもたちも学校に通い始めた。まずは一安心だが、コロナは後遺症が侮れないので、回復後も十分注意するようにと言っている。
◆コロナで放置していた奥歯の神経を
私の方はコロナもあって、もう半年以上、右下の奥歯の痛みに耐えてきた。歯科から、もう神経を抜くしかないが、そうすると2週間ほどかかるし、完全に痛みが取れるかどうか分からないと言われていたからである。しかし、左側でかむ食事の不自由さに我慢も限界になって、コロナの下火を見計らって、9月下旬に神経を抜く治療をした。しかし、これが思った以上に大変で、何回目かの治療で午前中に歯に仮の詰め物をして帰ったら、痛みがだんだんひどくなった。痛み止めを飲んでも治らない。夕方になるとあまりの痛みに頭がくらくらしてきた。
血圧を測ってみたら上が180,下が110もある。このままでは今晩持たないと思って、夕方にその歯科に駆け込んだら、歯の内部から膿と出血が。それがかぶせものを押して、その圧力で痛かったらしい。それを外し、綿を詰めてからは痛みが引き出した。やれやれ。あのまま痛み止めなどを飲んで我慢していたら大変な事になるところだった。そういうことで、近場で探した温泉行きも歯を心配しながらの旅になった。そこはカミさんが以前に泊まったことのある日光東照宮近くの温泉ホテル。迎えのバスでチェックインしてから、歩いて東照宮に出かけた。
◆体調不良のカミさんと近場の温泉へ
中にはまだ入ったことがないと言うので、鳴竜の間や様々な彫刻が施されている仏間などを拝観。コロナが下火になったからだろう、修学旅行の小学生達も沢山来ていた。ホテルは、この2年ほどで徹底してきたのか、コロナ対策がほぼ完璧に行われていた。入り口には体温測定の機器と消毒液、各階にもある。食事は、個室風に仕切られた小部屋が並んでいて、換気が定期的に行われている。温泉に入ってのんびりする。6月の温泉(石和温泉)では、客は我々1組だったが、今回は7割程度だそうだ。翌朝も2回、温泉に入ってゆったりと過ごした。
11時にチェックアウト。途中バスをおりて名産の羊羹を買い、日光駅まで歩いた。駅から半ばまでは観光客を呼び込むために、従来の歩道を倍以上に広げておしゃれにしたが、コロナの影響でそれも閑散としている。観光地こそ、コロナの影響を最も受けた所の一つで、その苦労が偲ばれる風景が広がっていた。この温泉行きの間、私たちはホテルから東照宮往復、翌日は田母沢御用邸公園、そして駅までと結構歩いた。体調が心配だったが、この間はカミさんの身体の痛みも頭痛もかなり収まっていたと言うから、やはり自律神経系なのかもしれない。
◆自分の経験が若い人たちに少しでも役立てば
そういうわけで、2ヶ月前の近況アップ後も色々あったが、これ以外のことも書いておきたい。一つは、私も会員の「科学技術ジャーナリスト会議」が主催する「塾」で講師を務めたこと。塾生は多彩な仕事を持っている若い人たちが中心で、科学を分かりやすく伝える“術”を磨こうと参加している。今回はコロナの中での2年ぶりの開催で、事前に講義の要点を25分にまとめて自分で収録し、それを塾生にネットで公開して質問を受け、リモートで本番の授業に臨む方式。コロナ禍ならではの試みだったが、何とか無事に「企画の立て方」の講義を終えることが出来た。
また9月10日には、私が理事をしている「サイエンス映像学会」の年に一度の大会が、早稲田大学からリモートで開催された。今年1月に急逝された林前会長の後の新会長(坂井滋和早大教授)が司会する大会だったが、これも内容が充実していて聞き所がたっぷりの大会だった。特に若い世代が中心になって学会の運営が進み始めたことを心強く思っている。私が参加するTV制作会社でも、若い人たちがどうしたら新しい企画を生み出せるか、体制作りを熱心に議論している。私の経験が、そうした若い世代に少しでも役立つとしたら嬉しい。
◆「メディアの風」凝縮版を出版できるか
昨年末に自費出版した「メディアの風 時代と向き合った16年(上下巻)」の後、ふとこれを若い世代向けに精選して出版したいと思いついた。この先の日本と世界を考える上で避けて通れないテーマを選び出して1冊にまとめる。そこで新たな章立をし、出版に応じてくれる所を探し始めた。様々な方が協力してくれたが、出版業界が厳しい昨今、なかなか見つからなかった。しかし、最近になってようやく出版してもいいと言ってくれる出版社が見つかった。前回の181本からさらに選び抜いて60本あまり。厚手の新書版になりそうだ。
現在の目で見て内容にも手を入れ、構成も変える。ウクライナ戦争のこともあり、第1章には、世界と日本が直面する「戦争と平和」の問題を持ってくることにした。最終的にどうなるかまだ分からないが、今はせっせとコラムの手直し作業を続けている。最新情報も注記に付加する。今、世界と日本に時代的転換を迫るような問題の数々。そういう目前に迫る事象を考える上でも、歴史的な見方が必要になって来るだろう。16年のコラムの蓄積を生かしながら私なりの捉え方でまとめ、それを次の世代が考える時のヒントの一つにして貰えればと願っている。
◆次の近場温泉行きに向けて
こうしたことを続けつつ、PCを新しく買い換え(来週)、HPも移設して貰って、ぼちぼちとコラムも発信して行く。次のカミさんとの近場の温泉行きは月末の老神温泉(群馬県)になった。カミさんの体調が少しでも戻ること、また、それまでに治療が完了して右の歯でも噛めるようにと祈るこのごろである。
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