「風」の日めくり                            日めくり一覧     
  今週の鑑賞。定年後の身辺雑記

先の見えない時代を生きる 22.11.23

 コロナの感染拡大が第8波に入り、再び感染が身近に迫って来た。5回目のワクチン接種券も来たが、それをやるかどうかは正直迷っている。というのも、いくら変異が激しいと言っても、効力が数か月程度しか続かないワクチンを短期間にこうも頻繁に打って大丈夫なのかという素朴な疑問にとらわれているからである。このワクチンはmRNAという全く新しい理論のワクチンで、これだけ大々的に人類が経験する初めてのワクチンになる。もちろん、ワクチンを打った直後のアナフィラキシーなどの副反応は分かっているが、懸念は他にもある。

◆「全国有志医師の会」の主張
 ネットでは、ワクチンの即時中止を求める全国有志医師の会の嘆願書などを見ることができる。これを読み、彼らのYouTubeを見たりすると、いわゆる陰謀論に毒されたワクチン反対派と違って、科学的理論の装いを凝らしているので、その是非を判断できないのである。例えば、コロナウイルスのスパイク蛋白だけを体内の細胞に取り入れて増やし、それに対する抗体を作らせるのがmRNAワクチンだが、できる抗体は最初の武漢型ワクチンの記憶が支配していて(これを抗原原罪という)、オミクロン型のワクチンを入れても効果が薄くなるという説。

 あるいは、当初、mRNAワクチンは注射部位に留まる、すぐに分解される、スパイク蛋白だけが増やされる、とされてきたが、スパイク蛋白は血流に4か月も留まって全身の臓器に運ばれ、そこで臓器を痛める、血栓を作るなどの悪さをするという説(免疫学者、荒川央博士)や、ワクチンによる免疫反応が優位になると、他の癌や病原体への自己免疫機能が低下してしまう、という報告もあるそうだ。その他にも、いろいろあげられているが、厚生省のQ&Aにはこれらへの疑問への答えが不十分なのが心許ない。有志医師の会のHPでは、米国の権威(ロバート・マローン博士)も警告を発しているが、その人物も米国内では様々な毀誉褒貶があるらしい。

◆国と専門家は疑問に徹底的に答えてほしい
 彼らが主張する反ワクチンの論拠となる、抗原原罪、自己免疫系の低下、あるいは感染した時にむしろ症状が重くなる抗体依存性感染増強(ADE)、幼児への接種の危険性などへのきちんとした反論が、国やワクチン推奨派の専門家からあるべきだと思うのだが(厚労省ページはADEを否定)、これだけ反ワクチンの声が大きくなっているのに、十分な反論がないのが歯がゆい。素人のこちらは、迷うばかりだ。コロナについては世界的にも、行動制限のあり方も含めていまだに試行錯誤が続いている。その中で、日本で気になるもう一つのデータがある。

 国立感染症研究所が発表している「超過死亡」のデータは毎年、例年の死亡数予測(コロナ死を除く)をもとにした数字だが、それが予測値を大きく超えて増えているというデータである。超過死亡増の原因はいろいろだが、一つはコロナの自粛生活で医療機関への受診控えが増え、それで病状が悪化した説とか、ワクチン接種の時期と死亡増が重なっているので、ワクチンが何らかの影響を与えているのではないか、といった説もある。今年のコロナ死は既に、去年の倍になっているが、コロナ以外の死亡も明らかに増えていて、謎は深まるばかりだ。

◆先の見えない時代を生きる
 こうしてコロナ対策一つとっても、政治も国も機能不全に陥っている中で、私たちは十分な情報のないまま、手探りの生活を強いられている。最近では、この状態がどこまでも広がっているように思えて暗澹とする。年末までに方針が示されるという防衛政策もその一つだし、タガが外れた国家予算もそうである。また、次々と起こる政治の不祥事もそう。もう、国民が直接の意思表示に立ち上がらないと何も変わらない段階に入っているのだろうか。そんな状況の中で、老境の自分は、これからの限られた時間をどう過ごして行くのかをあれこれ考えている。 

 80歳の大台まであと2年半。それまでは頑張って現状を維持したい。新旧2台のPCをどうするかは悩みの種だが、ぼちぼちと「メディアの風」も発信していく。前回も書いたように「コラム」と「日めくり」を往復しながら、この「先の見えない時代」をどう考えるか、どう生きるのかを考えて行く。既に、頭の方は、思考力も集中力もかなりの衰えが進行している上に、最近は日本を取り巻く状況が少しも良くならないことに諦めが先に立ち、現状への関心が薄れるという困った心理状態にもある。これを何とか励ましつつ、目前に迫った80歳を目指す。

◆老年を生きる際の4つのテーマ
 もちろん、健康の方も何とかこの状態をキープしなければならない。そうしながら、「日めくり」の方で、老いというものを見つめていく。それは、(うまい具合に)80歳を超えた時の心の準備にもなるだろう。先日、前田速夫という人(出版社の元編集長)の「老年の読書」という本を読んだ。著者が取り上げた本は50冊あまり。いずれも「老いと死」について内外の作家、思想家が書いた本である。それを読みながら、老年にはどういうテーマを考えるべきかを、私なりに整理してみた。一つは、老いの正体、実相である。それを見つめることである。

 二つ目は、老いを上手に生きる方法である。三つ目は、死について考えること。死からの呼び声に目覚めて何を想うか。四つ目は、病との付き合い方とその先にある死についてである。その時の心のあり方について考えて行かなければならない。ここまで来ると、平均余命が延びて来ている今は、いきなり80歳前に死ぬ確率が少ないので、私も人並みにこうしたテーマを80歳台に向けて考えて行くことになるのだろう。その予行演習として、これらのテーマに向き合いながら、出来ればそれを「日めくり」の隠れたテーマにしたいと考えた訳である。

◆とりあえずあと2年半。80歳までの日常生活
 出版化の原稿も一応書き上げて出版社に送った今、幾らかの時間的余裕も出来てきたので、とりあえず日常に戻ることになった。毎朝、布団の上でストレッチを行い、昼寝をする。いつもの寺で般若心境を唱えてから、近所の市民会館で本を読み、切り抜いた新聞を読む。そのあと、5階までの階段を2往復し、夕暮れの遊歩道を歩く。時にゴルフの練習をし、友人たちとのリモート懇談を行い、企画会議や学会のリモートにも参加する。ただし、コロナ前のように自由に一人旅にも行けないし、友人たちと夜に気楽に酒を酌み交わすことも叶わない。

 どこかで、孤独な自粛生活を余儀なくされているが、最近、「老年の読書」に刺激されてもう一つの試みを始めてみようかと思っている。それは、本棚に並んでいる本を再読して大部分を捨てるという作業である。若いころに読んだきりで、ただ並んでいる本たちに別れを告げる作業と言ってもいい。もしそれで、読書メモを書ければ「楽しい読書生活」を再開してもいい。読書メモが増える代わりに本棚がガラガラになったころに、人生の幕を閉じる。まあ、こんな風に上手くいくとは思えないが、老境のテーマの一つに沿ったプランではあるだろう。

 それにしても、コロナ禍で人生の大先輩と親しく付き合うこともままならなくなった今、80歳台は全く未知の領域である。一人で模索しなければならない。先日は、久しぶりに会った後輩のM君が杖をついてやって来てちょっとショックだったが、今は何が起きるかわからない。何人かは会えないまま鬼籍に入った。こちらも何となく不整脈で、心電図をとったりているが、そういう身体の小さな異変は少しずつ起き始めている。飲む薬も徐々に増えてきた。それも老境のテーマの一つだが、まあ、とりあえず80歳までは頑張って行こうと思っている。

コラムと「日めくり」の間で 22.10.31

 世界に目を向ければ、ウクライナ戦争の悲惨な膠着状態、長引く戦争による世界的な経済不況とインフレ。さらにドルの独歩高、隣国中国の独裁体制、北朝鮮のミサイル発射などのニュースが続き、国内に目を向ければ、円安による物価高、旧統一教会問題、コロナ再拡大の兆しなど。連日、気鬱なニュースが流れる一方で、岸田政権の無策・無能ぶりもまた際立っている。内外の情勢に振り回さるばかりで、何ら抜本的な手が打てず、日本の政治はここまで劣化したのかと脱力させられる。どこかに気が晴れる、元気が出る話題はないものかと思うくらいだ。

 支持率低下に焦る岸田政権はもう目先の一時しのぎの対策しか考えられない。物価対策として財務省が積み上げた補正予算は、自民党幹部が「ふざけるな」とごり押して岸田が丸のみ、一夜で予備費を4兆円も上積みして29兆円規模に。予備費は国会決議を経る予算とは別に、緊急的に内閣の判断で支出する額とされるが、その内容にもずさんさが指摘されている。これを電気、ガス料金高騰の緩和、ガソリンへの補助金、家計支援に使うというが、円安を招いているアベノミクスの「異次元の金融緩和」という構造的な原因には誰も手を付けられない。

◆国のグランドデザインを描けないできたツケ
 日本も岸田政権も9年も続くアベノミクスの後遺症に苦しんでいる。29兆円の補正予算の大半は国債で賄うというが、国の借金は既にGDPの2倍、1200兆円にも膨らんでいる。これは、戦争末期の1944年と同率の借金だが、その時の結末は国民の財産も国の借金も紙切れ同然になるハイパーインフレと新円切り替えだった。日本はその破局へ向かってひたひたと進んでいるというのが、経済に明るい先輩(赤木昭夫さん)の意見である。それは、日本が安倍政権の始めたアベノミクスの幻影を追って、借金頼みの浮ついた政治を続けて来たツケでもある。

 さらにさかのぼれば、日本は高度経済成長でアメリカの背中をとらえた以後、どういう国家、経済を目指すのかという「物語」を見いだせないままここまで惰性でやって来たからだと先輩は言う。日本は過去の栄光にすがりながら、足元の現実を見据えた新たな時代の国家のグランドデザイン(基本設計)を描けないできた。また、そういう大局観のある政治家にも恵まれなかった。いまだにアベノミクスは失敗だったと、表立って言えない自民党や岸田政権も自縄自縛に陥っている。そうした負の遺産にこれから国民はつき合わされて行くことになる。

◆しばらくは「風の日めくり」の方で
 こうしたことは「日々のコラム」の方でしっかり書いていかなければならないテーマなのだが、幾つかの事情からそれができないでいる。一つは、新しいPCを購入したのだが、HPのソフトがうまく働かない。HPをどちらのPCでやっていくのがいいのか、手順が分からず悩んでいる。もう一つは、前回も書いたが「メディアの風」の新書版出版に向けて、コラムの手直しをしているから。全部で65本程度になるが、これからの世代の人たちにとって、避けて通れないテーマに絞り込んで、現在の視点から見直しをしている。それに時間をとられている。 

 各章の解説も含めて来月までには何とかと思うが、それまでは、「風の日めくり」の方で許して貰おうと思っている。そちらで時事的な“感想”にも触れながら、近況報告をしていきたい。それでも、気鬱なニュースがメディアを占拠する日常の中で、時代とどう向き合いながら、一方で、自分の精神の安定をどう保っていくのかという、(自分にとって)大きなテーマにはなるだろう。コラムを始めるにあたって「時代と向き合って生きる」と決めた自分にとっては、ちょっとした方向転換には違いないが、しばらくは「自分に向き合って生きる」ことになりそうだ。

◆96歳の大先輩のシンポジウムなど
 そういうことで近況報告。10月27日、神田神保町の一ツ橋ホールで、今年96歳になる大先輩の行天良雄さんが、30年以上もプロデュースして来た「国民の健康会議」のシンポジウムに参加した。今年は3年ぶりの開催で「コロナでみえた医療の課題」というタイトルだった。定期的に電話でお声は聴いている行天さんだが、久しぶりに元気な姿を拝見して嬉しかった。相変わらずの頭脳明晰、活舌もさすがである。好奇心が旺盛でいまだに各地を飛び回っている。全国各地に親しい人が何百人もいるのではと思うくらいの、お付き合いの広い人である。

 翌日は、赤坂の制作会社に出かけて企画会議に参加し、お昼にはいつものように社長夫妻と食事。その日は、久しぶりに立派なうな重をごちそうになった。そこで、日本のメディア状況や社会情勢、プロダクションから見たNHKの改革などについて意見交換するのが楽しみになっている。お昼がそうだったので、カミさんに夕飯はいらないと言ってセブンの小弁当で済ませ、夜はサイエンス映像学会のリモート会議に参加。SNSの最新動向など、勉強になることが多かった。翌日の土曜日は、上記の赤木先輩(90歳)が主催するリモートの勉強会。

◆近場の温泉巡り、10月は老神(おいがみ)温泉に
 一方、カミさんの絶不調を少しでも改善しようと始めた「近場の温泉巡り」。10月は、上毛高原駅から迎えのマイクロバスに乗って40分程も山間部に入った群馬県の老神温泉に出かけた。バスには我々1組。初めての場所なので周囲を眺めながら乗って行ったが、ひなびた所であまり人影が見えない。県道沿いにはリンゴ狩り農家や食堂が並んでいるが、本当に人は来るのだろうかと思わせる。6月に行った石和温泉では、ホテルに我々1組という状態だったが、今回は、7割程度は埋まっているという。温泉に入って部屋に戻ると夕焼けがきれいだった。

 ここも感染対策がしっかり行われていた。翌日のチェックアウトが10時というのはちょっと早い感じだが、送迎バスを逃すと足がない我々は、それで上毛高原駅に。そこから歩いて10分ほどの月夜野矢瀬遺跡(縄文遺跡)を散策。天気に恵まれて遠くの山並みも見晴らせて気持ちのいい日だった。その後、近くの道の駅で買い物をしたカミさんが財布を一時なくすドッキリもあったが、お店の人がとっておいてくれて無事に戻るというハプニングも経験した。温泉に浸かってのんびりすることで、カミさんの不調も少しは改善されただろうか。

◆「コラム」と「日めくり」の間で
 上旬には、今年33回忌になる亡き先輩の娘さんを、かつてお世話になった同僚など5人が囲んでの昼食会があった。8年前に「しみじみとした会食」を書いたように毎年少人数で集まっていたのだが、コロナで3年ぶりの会食。楽しくも懐かしい会だった。解散後、俳句をやる友人からの句に私の方は、長いお付き合いを「それぞれに時の流れや秋の宴」とメールし、先輩の遺影に百合の花を供えた娘さんからの写真には、「亡き人の笑み懐かしき百合の花」を送った。

 老人になると時間が過ぎるのが早く感じるというが、こうして日々が矢のように過ぎていく。世界と日本の状況を見れば、ウクライナ戦争を始めとして良いニュースが殆どなく、憂鬱の影が濃くなるばかりだが、かと言って自分に何かできるわけではない。ジャーナリストの端くれとして、社会の出来事に関心を持つ必要はあるかもしれないが、いちいち過敏に反応していては身が持たない。むしろ、年老いた身としては、そうした暗いニュースには適度な距離をとって、家族やきょうだい、友人などの身の回りに気持ちを向けた方が、精神衛生上も良さそうだ。 

 お陰様で、そうした身の回りの人々は今、それぞれに何とか頑張っている。本当にありがたいことである。もちろん、若い人たちには内向きではなく、積極的に外に目を向けて政治にも状況にも関わってもらいたいと思うが、このコロナ禍の不自由な時代にあっては、身の回りの領域に心を砕き、丁寧な関係を維持していくように努めることも、また大事なのかもしれない。そういうことで、しばらくは近況報告と「コラム」の間を揺れ動きながら、ゆっくりとやっていきたい。

コロナで傷んだ時代の中で 22.10.6

 世界には今、不気味な暗雲が垂れ込めている。猛暑や大干ばつ、大規模な森林火災、巨大台風といった温暖化現象もさることながら、ウクライナ戦争での核使用の恐怖、エネルギー不足とインフレによる世界同時不況といった時代の転換が世界と日本を直撃しようとしている。こうした大転換には、3年近く前に中国武漢から世界に広がったコロナが直接間接に関わっていることもあるに違いない。コロナで人に会わずにいた2年間に、プーチンが歴史書を読みふけり、ロシア皇帝に我が身をなぞらえて大ロシア復活の妄想に囚われたのもその一つだろう。

 バタフライエフェクトではないが、コロナがなかったらプーチンのウクライナ侵攻もなかったかも知れない。かつてペストやスペイン風邪が世界史を塗り変えたように、コロナもその仲間入りするのか。そうした歴史的転換は別としても、コロナは私たち庶民の生活にも様々な影を落としている。幾つもの不調が我々老夫婦にも起きているのも、長引くコロナ禍の影響かも知れない。1月にコロナに感染したカミさんは、それ以前からの首から肩、背中にかけての原因不明の痛みや舌の痛み(舌痛症)に加えて、日常的な頭痛にも悩まされるようになった。

◆日本の夏休みを満喫したあとのコロナ感染
 週2回は整骨院で身体をほぐして貰っているが、すぐまた元に戻ってしまう。コロナの後遺症なのか、自律神経系の問題なのか分からない。そこで、もう温泉に行ってゆっくりするしかないかと思って近場の温泉探しをしたりしている。一方、7月2日にNYから一時帰国した次男一家5人は、2ヶ月間、日本の夏休みを満喫して9月1日に成田からアメリカに戻って行った。成田での見送りには我々2人と、この間、お世話になった奥さんの実家の両親が参加、一家と別れを惜しんだ。ところが、NYに着いた翌日にまず長女がコロナで発熱。

 続いて奥さん、下の男児、次男と次々にコロナになった。中3の長男だけは5月に経験済みのせいか、陰性だったという。奥さんの方は結構高熱が出たらしい。問題は、どこで感染したかだが、双方の親たちも結局は何ともなく、どうやら日本にいる間ではなく、機内か空港の待合室で感染したらしい。この間、NYの医療事情が分からないこともあり、遠く離れた日本で随分と気を揉んだが、やっと全員回復し、子どもたちも学校に通い始めた。まずは一安心だが、コロナは後遺症が侮れないので、回復後も十分注意するようにと言っている。

◆コロナで放置していた奥歯の神経を
 私の方はコロナもあって、もう半年以上、右下の奥歯の痛みに耐えてきた。歯科から、もう神経を抜くしかないが、そうすると2週間ほどかかるし、完全に痛みが取れるかどうか分からないと言われていたからである。しかし、左側でかむ食事の不自由さに我慢も限界になって、コロナの下火を見計らって、9月下旬に神経を抜く治療をした。しかし、これが思った以上に大変で、何回目かの治療で午前中に歯に仮の詰め物をして帰ったら、痛みがだんだんひどくなった。痛み止めを飲んでも治らない。夕方になるとあまりの痛みに頭がくらくらしてきた。

 血圧を測ってみたら上が180,下が110もある。このままでは今晩持たないと思って、夕方にその歯科に駆け込んだら、歯の内部から膿と出血が。それがかぶせものを押して、その圧力で痛かったらしい。それを外し、綿を詰めてからは痛みが引き出した。やれやれ。あのまま痛み止めなどを飲んで我慢していたら大変な事になるところだった。そういうことで、近場で探した温泉行きも歯を心配しながらの旅になった。そこはカミさんが以前に泊まったことのある日光東照宮近くの温泉ホテル。迎えのバスでチェックインしてから、歩いて東照宮に出かけた。

◆体調不良のカミさんと近場の温泉へ
 中にはまだ入ったことがないと言うので、鳴竜の間や様々な彫刻が施されている仏間などを拝観。コロナが下火になったからだろう、修学旅行の小学生達も沢山来ていた。ホテルは、この2年ほどで徹底してきたのか、コロナ対策がほぼ完璧に行われていた。入り口には体温測定の機器と消毒液、各階にもある。食事は、個室風に仕切られた小部屋が並んでいて、換気が定期的に行われている。温泉に入ってのんびりする。6月の温泉(石和温泉)では、客は我々1組だったが、今回は7割程度だそうだ。翌朝も2回、温泉に入ってゆったりと過ごした。

 11時にチェックアウト。途中バスをおりて名産の羊羹を買い、日光駅まで歩いた。駅から半ばまでは観光客を呼び込むために、従来の歩道を倍以上に広げておしゃれにしたが、コロナの影響でそれも閑散としている。観光地こそ、コロナの影響を最も受けた所の一つで、その苦労が偲ばれる風景が広がっていた。この温泉行きの間、私たちはホテルから東照宮往復、翌日は田母沢御用邸公園、そして駅までと結構歩いた。体調が心配だったが、この間はカミさんの身体の痛みも頭痛もかなり収まっていたと言うから、やはり自律神経系なのかもしれない。

◆自分の経験が若い人たちに少しでも役立てば
 そういうわけで、2ヶ月前の近況アップ後も色々あったが、これ以外のことも書いておきたい。一つは、私も会員の「科学技術ジャーナリスト会議」が主催する「塾」で講師を務めたこと。塾生は多彩な仕事を持っている若い人たちが中心で、科学を分かりやすく伝える“術”を磨こうと参加している。今回はコロナの中での2年ぶりの開催で、事前に講義の要点を25分にまとめて自分で収録し、それを塾生にネットで公開して質問を受け、リモートで本番の授業に臨む方式。コロナ禍ならではの試みだったが、何とか無事に「企画の立て方」の講義を終えることが出来た。

 また9月10日には、私が理事をしている「サイエンス映像学会」の年に一度の大会が、早稲田大学からリモートで開催された。今年1月に急逝された林前会長の後の新会長(坂井滋和早大教授)が司会する大会だったが、これも内容が充実していて聞き所がたっぷりの大会だった。特に若い世代が中心になって学会の運営が進み始めたことを心強く思っている。私が参加するTV制作会社でも、若い人たちがどうしたら新しい企画を生み出せるか、体制作りを熱心に議論している。私の経験が、そうした若い世代に少しでも役立つとしたら嬉しい。

◆「メディアの風」凝縮版を出版できるか
 昨年末に自費出版した「メディアの風 時代と向き合った16年(上下巻)」の後、ふとこれを若い世代向けに精選して出版したいと思いついた。この先の日本と世界を考える上で避けて通れないテーマを選び出して1冊にまとめる。そこで新たな章立をし、出版に応じてくれる所を探し始めた。様々な方が協力してくれたが、出版業界が厳しい昨今、なかなか見つからなかった。しかし、最近になってようやく出版してもいいと言ってくれる出版社が見つかった。前回の181本からさらに選び抜いて60本あまり。厚手の新書版になりそうだ。

 現在の目で見て内容にも手を入れ、構成も変える。ウクライナ戦争のこともあり、第1章には、世界と日本が直面する「戦争と平和」の問題を持ってくることにした。最終的にどうなるかまだ分からないが、今はせっせとコラムの手直し作業を続けている。最新情報も注記に付加する。今、世界と日本に時代的転換を迫るような問題の数々。そういう目前に迫る事象を考える上でも、歴史的な見方が必要になって来るだろう。16年のコラムの蓄積を生かしながら私なりの捉え方でまとめ、それを次の世代が考える時のヒントの一つにして貰えればと願っている。

◆次の近場温泉行きに向けて
 こうしたことを続けつつ、PCを新しく買い換え(来週)、HPも移設して貰って、ぼちぼちとコラムも発信して行く。次のカミさんとの近場の温泉行きは月末の老神温泉(群馬県)になった。カミさんの体調が少しでも戻ること、また、それまでに治療が完了して右の歯でも噛めるようにと祈るこのごろである。

久しぶりの家族再会が実現 22.7.27

 7波目になるコロナの感染拡大が止まらない。この2年半、わずかな終息期を除いて常に緊張の解けない生活が続いている。夜の会食も数えるほど、何度かトライした昼食会もどこか落ち着かない。コロナがなければ、一杯飲みながら最近の出来事のあれこれを子細に議論することも出来るし、或いは懐かしい人たちと昔話に花を咲かせることも出来ただろう。或いは、やり残した旅にも行けたろう。この不自由を堪え忍ぶと言うことは、若い人たちにとっても耐えがたいだろうが、残り少ない老境の身にとってもまことに無念で、コロナが恨めしい。

 コロナの世界的な流行もそうだが、今は歴史の大きな転換を思わせる事象が重なって起きている。温暖化の影響と思われる熱波がヨーロッパ、アメリカを襲い、大規模な山火事が広がっている。ロシアのウクライナ侵攻に伴う世界的なインフレや食料不足が世界に経済不安、政情不安を引き起こしている。また、そうした不安を反映して、陰謀論や排外主義的な主張を唱えるカルト集団がはびこり、真実が無視され民主主義が後退している。日本では元首相の暗殺事件も起きた。こうしたことを仲間と共有しようにも、リモートでは足りないものがある。

◆コロナ禍で時間を共有する贅沢
 それは、直接顔を合わせることによる時間の共有である。そこでゆっくり時間をせき止めること。或いは過去に共有した時間を一緒に思い出すことである。コロナ前には、温泉に行ったり、一対一で酒を酌み交わしたりして、それが出来た。今は、それが贅沢だったことが分かる。今の時代は、誰しもが多かれ少なかれ、心のどこかに人恋しさのようなものを抱えているに違いない。何しろ、この歳だと閉じこもっているうちに、別れが来るなんてこともある。そんな不自由さの中で最近、幾つかの例外的時間を持つことが出来たので、書いておきたい。

 新のお盆の7月中旬、弟と水戸の菩提寺に墓参りに行った。墓前で2人して般若心経を唱えて、いつものように境内の石仏、祖母が寄贈した弘法大師の石碑などに線香を上げて回った。その後、近くのそば屋で食事。今回は蕎麦が出て来るまでに時間がかかったので、予定の電車を延ばして2時間あまり、普段は出来ない互いの家族情報、親戚の情報、お墓のこと、共通の知人の話、近所の人たちのこと、昔話など、様々なことをゆっくりと話すことが出来た。終わって駅まで送って貰ったあと、時間を共有できた感覚が満ち足りた気持ちと共に残った。

◆離れていた家族との久しぶりの再会
 もう一つは、離れていた家族との久しぶりの再会である。次男一家がNYで暮らすようになって早や5年。その一家5人が7月2日に帰国して、2ヶ月を日本で過ごすという。奥さんの実家(木更津)の別宅に住んで、子どもたちの幼なじみと交流したり、キャンプに行ったりと、久しぶりの日本を満喫している。先日、その一家と久しぶりに再会することが出来た。心配だったのは、やはりコロナの急拡大である。まだ4回目のワクチンを打ち終えていないカミさんは、1月にコロナに罹っているだけに特に不安で、どうしたものかと悩んでいた。

 来る3日前くらいからイベントは避けるように言い、当日は一人が代表で家にある抗原検査キットで確かめてから来宅することになった。およそ3年ぶりの再会だったので、Lineなどで様子は知っていても、その成長ぶりに目を見張った。上がアメリカで言う9月から中3男子、真ん中が中1の女子、下が小2の男子で、バレエで活躍している長男はもう声変わりして大人びている。昨年末から年始にかけて、NYの舞台で大観客を前に主役の一人を務めた経験がものを言っている感じ。真ん中も、アクセサリーのデザインや小説を目指しているという。

◆狭い我が家に2家族が合流して
 下の子は、日本語よりは英語中心。化石に夢中の化石博士になっている。近くのイタリアンに部屋を取り、パスタやピザを食べながら、わいわいと近況報告。デザイナーの次男は今、バスケにはまっているらしい。奥さんは金継ぎをアメリカ人に教えている。真ん中の女子が英語で書いた文を奥さんが翻訳したもので読ませて貰ったが、これが12歳とは思えない深い内容。担任の先生が泣いたという。私が5年前にNYに行った時に、40度の熱を出した下の子は、女の子のように髪を伸ばしていたが、こちらでばっさり切って寄付をしたそうだ。

 食後、いつもの寺に寄って全員で般若心経を唱えた。家で紙と描くものを用意すると、皆が思い思いに絵を描きだした。美大出の両親はお手の物。子どもたちもびっくりするような絵を描く。やがてそこに、大宮から娘一家が合流した。娘のところは上が5歳男子、下が3歳女子である。狭い部屋に11人がひしめく状態だが、子どもたちは一気にきょうだいが増えた感じで大はしゃぎ。恐竜博士の5歳児は、次男が描いた恐竜の細密画(写真下)に大感激していた。中3男子がその子を抱き上げたりと、それぞれが入り乱れて互いの存在を確かめ合っている様子を我々2人は眺めていた。

◆これでコロナに罹ってもいいかな
 夕方、両家族は大騒ぎで別れて行った。それを見送ったカミさんが「これでコロナに罹ってもいいかな」とぽつりと一言。4回目のワクチンの後にしようかなどと、随分と悩んだけれど、今日やって良かったと言う。それは半日の事ではあったけれど、孫たちの頼もしい成長と親たちの元気なことを確認できたことが何より嬉しかった。私も皆の様子に暖かいものが心にこみ上げて来た。木更津に着いた奥さんから「今日は楽しい時間をありがとうございました!子どもたちも楽しすぎて大興奮でした」というLineが沢山の写真とともに送られてきた。

 ところがその翌日。娘から連絡があり3歳の長女が発熱したという。38度5分、咳があるという。いろいろ考えてコロナではないとは思ったが、それでも不安だった。次男の方にも知らせて体調観察を頼み、娘が探した医院の検査結果を翌日まで待つことに。そして翌日の午後、「陰性でした」という報告が。ホッとした。そんなことで、2つの家族の孫たちが、着実に個性を伸ばしながら成長しているのを確認できた嬉しさが、今でも余韻として残っている。これも時間の共有の一つだろう。NY暮らしの次男一家と次に会えるのは、いつになるのだろうか。

◆二流国への道をたどりつつある日本
 さて、冒頭に書いたように、世界では今、歴史の大きな転換を思わせる不穏な事象が同時進行している。それを考えると、こうした家族のささやかな時間の共有が、いかにありがたいものか。それは、単にコロナ禍ということだけでなく、ウクライナ戦争などでの平和の脆さを見ると身にしみて分かる。一見平和に思える日本も、こうした平穏がいつまで続くか。旧統一教会の事件に見る政治の腐敗、課題先送りで内向きの権力争いに明け暮れる政治。今の日本は先進国の中でも多くの点で立ち後れている。よくよく考えると心配なことが多い。

 それを教えてくれた最近の読書がある。アベノミクスの経済政策、或いは単純な物づくりにこだわる経済の残酷なまでの勘違いを知らせてくれる「資本主義の新しい形」、日本の政治制度が諸外国に比べて全く遅れているのを教えてくれる「政治を再建する、いくつかの方法」などである。30年前には、世界に冠たる経済大国、技術大国だった日本は、過去の成功体験に縛られて新しいことに挑戦する勇気を失い、一気に世界の二流国に成り下がろうとしている。頑張っている孫たちの才能を伸ばす環境は、未来の日本に残っているだろうか。

 この事については、近々のコラムで書いてみたいが、コロナに翻弄され、内向きで政治家の質が問われる政治の現状で、誰が適確な問題意識を持っているだろうか。そう思って与党、野党の政治家の顔ぶれを考えても、誰も思い浮かばない。希望を託せるような人が見当たらない。それだけでも、日本は既に衰退の道を歩んでいるような気がする。

来し方と行く末想う喜寿の夏 22.6.10

 お陰様で5月23日に満77歳、無事に喜寿を迎えた。昨年末辺りから身体の小さな故障(座骨神経痛、股関節痛、膝痛、高血圧、ばね指など)に悩まされてきたが、日々ストレッチや適度の運動を続けているうちに、これらも何とか日常生活に支障がないくらいになった。先日の人間ドックでもいろいろ歳相応の注意信号はあったが、特段の治療は必要ないということだった。要経過観察という所だろうか。考えて見れば77年という長い年月使い続けて来た身体である。これをいたわりつつ、あと少し長持ちするようにやって行くということだろう。

 生まれてこのかた、直接戦争を体験することもなく、平和に生きて来られた。暮らしも戦後の貧しい時代を考えれば夢のように便利で豊かになった。幼い頃には想像もしなかった仕事に就き、海外などにも出かけた。ここへ来て世界と日本を見渡せば、核戦争や地球温暖化の心配、国の借金、少子高齢化、科学技術立国の後退、貧富の格差、原発問題など、解決すべき課題は山積している。この先、何ら手が打てずに行き着くところまで行ってしまうのか、仲間内でも意見が分かれるところだが、総じて幸福な時代に生きてきたことに感謝したい。

◆ごくささやかな喜寿の祝いと温泉行き
 喜寿の祝いと言っても、長寿社会の今では特段珍しくもない年齢ではあるし、コロナでもあるしで、ごくささやかなものになった。娘が孫2人を連れて花束と孫の手紙(写真上)とともに泊まりに来たのに加えて、孫娘の大学受験やコロナで2年半も会えなかった長男もお祝いを持って日帰りでやって来た。寿司をつまみながら、久しぶりに話が出来た。車メーカーに勤める彼も、もう47歳。会社の中間管理職として大変そうだ。身体に気をつけて、としか言えない。いつの間にか、子ども世代が社会の中堅どころになって、それぞれ頑張っているのだから、こちらが歳をとるのも無理はない。

 その後しばらくして、カミさんと山梨県の石和温泉に行った。何しろ彼女の体調も、頭痛、肩こり、腰痛、舌の痛みなどずっと絶不調で、温泉にでも行かないと気分転換も出来ないからだ。駅に着くと旅館の送迎バスが迎えに来てくれて、「笛吹川を見たい」というと、旅館に行く途中だからと川べりに車を止めて我々をおろし、少し下流で待っていてくれると言う。笛吹川の河川敷を川風に吹かれながら散歩し、前日テレビで見た四つ葉のクローバーがないか、探したりした。
 『笛吹に夏草そよぐ甲斐の国』

◆温泉に行ってぎっくり腰になる
 旅館に着くと、意外なことに泊まり客は我々1組だけ。何人もの従業員に出迎えられて、こちらが恐縮する始末だった。ところが、部屋に入ってゆっくりしていたら、突然、カミさんがぎっくり腰になってしまったのである。トイレに入って立ち上がろうとしたとたんらしい。痛くてそろりそろりとしか歩けない。「温泉に来てぎっくり腰になるなんて」と嘆くこと。それでも痛みを我慢しながら、大風呂での入浴や大広間での食事を、独り占め状態で過ごす。この調子だと、明日は電車の時間を変更してそのまま帰ることにするか、と時間を調べたりした。

 ところがである。翌朝になったら、カミさんのぎっくり腰が嘘のように治っていた。風呂に入って暖め、湿布を貼り、いろいろやっていたのが効いたのか。そこで旅館が調べてくれた路線バスとタクシーを使って、今年7年ぶりにご開帳の甲斐善光寺と武田信玄を祀った武田神社をお参りすることが出来た。
 『信玄の残り香涼し甲斐の寺社』
 今回の旅行では、温泉独り占め状態に加えて、ワクチン証明と埼玉県民の証明を見せると旅館代も割引になるし、4000円の買い物券までくれた。何だか悪いような気もする。帰りは甲府駅周辺も散策、なじみのなかった甲斐の国も身近に感じられた小旅行だった。

◆「来し方」の記憶の共有もままならない異常事態
 さて、喜寿になった現在をどう考えたらいいのか。これまでの77年を考えると、最近はとかく過去の記憶が、ジグソーパズルのピースがはがれ落ちるように曖昧になるのを感じるようになった。特に、コロナの2年半は記憶を共有する友人や先輩達との交流が途絶えているせいか、それが切実に感じられる。下手をすると、一杯やったり、一緒に温泉に行ったりすることもないうちに、別れが来るようなことさえ起きる。会っていれば、細部にわたってともに思い出す記憶の数々も、霧の彼方に霞んで来る。年寄りにとってもコロナ禍の2年半は切実で異常な時間だった。

 或いは、会うのを先延ばしにしているうちに、互いに進む認知の衰えで、すべてが霧の中ということもありそうだ。時々、電話をくれる頭脳明晰な96歳の大先輩は「断捨離などとんでもない」という。日々、思い出が詰まったものを眺めて、あれこれ想う時間が大事になっているのだろう。そういう私も、(今はコロナで無理だが)来し方の記憶をもう一度共有したい人々と会っておきたいと思うようになった。そこでコロナが落ち着きつつある今は、リモートでの定期的な懇談のほかに、おずおずと昼食会を企画したり、先輩(川田武氏)の個展に出かけたりし始めている。

◆コロナ後の2年半、77歳の現在を点検する
 喜寿を迎えた今、来し方、行く末の接点にある「77歳の現在」の課題と言えば次のようになる。まずは、この異常なコロナの2年半で、自分の心(頭)と身体に起きた変化をしっかりと捉えなおすこと。特に、頭に関して言えば、自分はなお、時代と向き合ってコラムを書き続ける気力があるのか、書く意味をどう捉えるのか、ということである。現在は、世界も日本も大きな転換点に差し掛かっているのは間違いないが、この変化の本質に迫るような気力は残っているだろうか。コラムを書き続けながら、そのことを点検しないと前に進めない。

 同時に自分の心が今、満ち足りているのか。周りに感謝の心を忘れてはいないか。それを実感するためには、何をすればいいのか。家族への感謝はもちろんだが、少なくなった社会とのつながりも大事にして行かなければならない。そして、心身の安定を可能な限り維持しながら、今年の課題に一つ一つ取り組んで行く。コラムの継続、出版化を元にした若い人たちとの交流、趣味の継続(ゴルフ、旅、絵)。加えて会っておきたい人との会合など。欲張る必要は全くないが、その時間の積み重ねが当面の「今年、現在」ということになるだろう。

◆とりあえずあと5年の「行く末」
 その上で、人生の終末に向かっての「行く末」を考えて行く。とりあえず、次の5年。以前にも作ったが、「生活の見取り図」のようなものにどのようなテーマ、課題を書き込むべきか。80歳前半までを考えれば、それは@「身体と心(頭)の維持管理」、A「なお、クリエイティブに生きる」(見習うべき先輩は沢山いる)、B「最終盤のお付き合いを大切に」(家族、きょうだい、友人たち)、C「社会的なつながりは続ける」、D「終活」(仏教ほか)というようなことか。こうしたことを、あと5年ほどの道筋に置きながら暮らして行ければ最高と思う。

 まあ、そうは言っても「捕らぬ狸の皮算用」で、この先は何が起きるか分からない。自分の身体にも思わぬ災難が降りかかるかも知れないし、世界と日本を巻き込むどんな厄災が降りかかるかも分からない。そういう、「未知との遭遇」も含めて、綱渡り的に生きていくのが、残された「行く末」の道のりになるのだろう。従って、常にその道の点検、そこを歩く意味を問いながらやっていく。ある日の夕方、いつものウォーキングコース(元荒川の河川敷)を歩きながら、そんなことを考えていて作った俳句を最後に。
 『来し方と行く末想う喜寿の夏』

暗鬱な世界と風薫る日本と 22.5.21

 季節は春から初夏に変り、新緑が光り輝く日本になった。いつものウォーキングコースでは、4月下旬から大型連休明けまで元荒川の両岸を挟んで数百匹の鯉のぼり(五月鯉)が川風を受けて悠々と泳いでいた。大きな鯉の方は、市内の幼稚園児の手作りで、子どもたちの可愛らしい手形や様々な願いごとが描かれている。ウクライナ戦争やコロナの感染など忘れてしまいそうな、いつまでも大切にしたい平和な日本の風景である。
『子ら託す夢の数々五月鯉』

◆怨念と因縁が絡み合うウクライナの大地
 一方のウクライナ戦争の方は、戦況の推移が日々ニュースのトップに並び、否が応でも目に飛び込んでくる。海外では、少しずつニュースの順位も下がっているというが、どうなのだろう。ロシアの苦戦や孤立、或いはプーチンの癌説など、様々な情報が交錯しているが、そうした目の前の情報から少し離れて、ウクライナとロシアの因縁の歴史をネットで読んでいると、ウクライナが過去、“蹂躙”と言うに相応しいほどの過酷な歴史を経験して来たことが分かる。周辺の民族との攻防を繰り返し、やっと独立したと思ったら、独ソ戦の狭間でまた踏みにじられた。

 ソ連時代のスターリンによる飢餓政策(ホロドモール)ではウクライナ人330万人が餓死させられ(写真:道ばたに横たわる餓死者)独立を図った第二次大戦では500万人の死者を出した。こうした侵略、内戦、国内ユダヤ人の虐殺などを繰り返して来た血塗られた歴史に比べれば、今度の犠牲者の数も色あせるほどだ。こうした歴史を知ると、ウクライナにはロシアに対する怨念や因縁が複雑に絡んでいて、この戦争はどちらかが倒れるまで容易には終わらないようにも思えて来る。それにしても、21世紀の現代にもなって、なぜ人類はこうした残虐な戦争をやめられないのだろうか。

 この戦争が私たち人類に突きつける大きなテーマは幾つもあるが、それはおいおいコラムの方で考えて行くとして、こうした残虐な戦いを繰り返してきた陸続きのヨーロッパに比べて、日本は何と幸せな位置にあるのだろうかと思う。戦前、列強と肩を並べようとして中国を侵略し、310万人の犠牲を出した歴史を除いて、江戸270年の平和の報酬を今に生かしてきた日本である。戦争と米中の覇権争いで浮き足立つ世界だが、日本は祖先から受け継いだこの豊かな文化と平和の精神を守り続けるために、今こそ真剣に努力しなければならないと思う。

◆新緑のグラデーションにうっとり
 さて、近況報告。4月下旬、思い立ってカミさんと故郷茨城県の袋田温泉に出かけた。水戸で墓参りをしてから温泉旅館へ。単線の水郡線に乗ってのんびりと周りの風景を眺めていると、産毛のような新緑の山肌が、様々な緑のグラデーションを描いて実に柔らかい。まさに日本の風景である。袋田の滝へは、トンネルの中を歩いて行く。36年前に、幼い長女の子育てに疲れたカミさんを少し解放しようと、上2人を連れて里帰りし、お袋と袋田温泉に泊まった(写真)。その時、どういうルートで滝を見たのかまったく記憶にないが、お袋がいない今は確かめるすべがない。

 トンネルを出ると、目の前に滝が迫っていた。高さ120メートル、4段になった滝は、冬の厳寒期には氷結するが、今は豊かな水量の水音を谷一杯に響かせている。帰りの袋田駅では、俳句の投稿箱があったので幾つかの俳句を投稿した。
『トンネルを出て春光の滝仰ぐ』
『新緑の峡谷に満つ滝の音』
 袋田温泉の手前の常陸大宮は、定年後、先輩としょっちゅう出かけたところである。駅から車で20分ほど行った田園地帯で「ふるさと村つくり」に精を出していた頃である。ドーム型ハウスに泊まった翌日は先輩のNさんと早朝の村内をウォーキングした。そんなことを思い出して懐かしさがこみ上げて来た。

◆ぼちぼちと会食も
 コロナによる自粛生活も、既に2年3ヶ月になる。その間に、年齢の近い親しかった後輩や先輩が亡くなるというショックな出来事もあった。お葬式にも参加出来ず、会えないままの別れだった。自粛の間、リモートでの各種懇談は定期的に続いて来たが、そうしたこともあって、だんだんと直接顔を合わせて酒を酌み交わしたい気持ちが募ってきた。そこで、まずは仲間と2泊3日の温泉(芦野温泉)ゴルフをやり、或いは昔、良く一緒に旅行に行った4人組で昼食会をしたりした。隅田川を見下ろす風通しのいいベランダでの会食である。

 先日は、2年3ヶ月ぶりに高校の同級生7人で昼食会をした。それまでは、年に何回かそば屋の2階で一杯やってきた仲間である。記者だったK君がメンバーのプレスセンターのレストランで昼食をとり、ラウンジで積もる話を。6月17日公開の映画「峠〜最後のサムライ〜」の監督、小泉堯史君も参加できて、いろいろ映画の話も出来た。周囲の評判を聞くと彼の作品の中でも屈指の出来らしい。公開が楽しみである。長く悩まされて来た座骨神経痛も、整骨院に通いながら自分なりに対処法を研究し、毎日ストレッチを続けているうちに大分収まってきた。

◆週一回の赤坂通い
 もう10年以上、週に一度、赤坂のテレビ制作会社に出かけて若いディレクター達とテレビ番組の企画を議論してきた。これもコロナ期間中はリモート参加が続いたが、出かける今は、突っ込んだ議論が出来るのが楽しい。今のテレビ界は、親会社の方は問題山積の状況だが、制作会社の方はこうしてテレビの可能性に向けて若者が熱心に議論している。それを、局の経営者の方はどれだけ理解しているだろうかと思う。最近のNHK経営者に対する現場からの批判(月刊文春)も読んだが、彼らがテレビ文化に対して全く無理解なのは、度しがたい気がする。

 企画会議が終わると、社長夫妻と昼食をとる。奥さんの方は総務担当役員だが、若いディレクターが本当に熱心に仕事をしているのにいつも感心している。コロナの大変な時期を経て、皆目の色を変えて番組作りに取り組んでいる。制作費の大幅カットや円安での海外取材の厳しさなど、制作会社を取り巻く環境は厳しさを増しているが、それでも頑張っている。そうしたテレビ界の状況や企画の可能性などを話しながら、週一回楽しい昼食を共にさせて貰っている。年齢が変らないのに、未だに現役バリバリのドキュメンタリストのYさんとのお付き合いも含め、感謝である。

◆喜寿を迎えて
 年齢が近い社長とは健康の話もする。私は、「毎朝起きたときに、身体のどこかが痛くない日はない」という状態。股関節周りがこわばり、腰も痛い。膝が痛くなるときもある。最近は手の指の関節までこわばって痛くなった(これはバネ指というものかもしれない)。間もなく喜寿(77歳)を迎えるのに相応しい身体の不調である。これを布団の上で小一時間かけてもみほぐす。こうしたストレッチを続けながら、出来るだけ歩くようにして、ラジオ体操もする。身体のメンテナンスが欠かせない年齢になって来た。先日は、1年半ぶりに人間ドックも受けた。

 その詳しい結果は来月だが、年相応に血管の動脈硬化が始まっている(頸動脈エコー検査)ほかは、特にこれといった所見はなさそうだ。その帰り、いつものように近所のお寺で般若心経を上げていたら、ふと、ちょっとした思いが頭に浮かんだ。喜寿になっても自分の年齢を必要以上に意識することなく、「とりあえず、80歳までは若いつもりで行こう」ということである。今年10月の医療シンポジウムの企画に飛び回っている96歳の大先輩には比べようもないが、萎縮することなく、気持ちの上ではまだまだ若いと思ってやるべきことをやって行こう。

 核を含む第三次大戦への可能性もぬぐいきれない暗鬱な世界を考えると、自分の小さな思いなどは吹けば飛ぶようなものだが、一方で、こういう時代に向き合いながら、この平和のありがたさを考え、噛みしめて行きたい。

孫の未来に幸あれと祈る 22.4.128

 ロシアのウクライナ侵攻は、ますます凄惨な映像が茶の間に飛び込んでくる毎日である。戦争の行方については、ワイドショーや報道番組で様々な意見が飛び交っているが、ロシアによる民間人の大量虐殺や禁じ手の化学兵器の使用などが報道されるにつけ、国際世論はもちろん、西側首脳の頭にも血が上ってきている感じがして、この先どうなるのかと心配になる。戦争拡大へのダムの水位が日々高まっているようで、いつ大規模な戦争へとダムが決壊するのか。プーチンも追い詰められて命がけの状況なので、緊張は高まるばかりだ。

 その結末はどうあれ、この戦争は今、前世紀から持ち越した大きな問題を人類に突きつけている。例えば、「核戦争に勝者はいない」と言いながら、プーチンはこれを脅しに使っているわけだが、核保有国同士が核兵器を突きつけ合う戦争をどう考えたらいいのか。さらに、民間人を標的にする戦争をどう防ぐのか。あるいは、(ヒトラーもそうだったが)プーチンのように妄想に取り憑かれた独裁者の出現をどう防ぐのか。戦争を初期段階で消火する有効な国際機関の再構築という問題もある。人類は愚かなまま滅びるのか。この戦争が提起する大問題については、次回のコラムで整理してみたい。

「はしごする友と個展を春の日に」
 さて、近況である。昨年末以来悩んでいた股関節痛と座骨神経痛は、整骨院に通い気候も暖かくなるに従って、かなり改善されてきた。股関節痛は全くなくなり、歩くのに問題はなくなった。座骨神経痛による尻の痛みは相変わらずだが、だましだましやっている。何度かゴルフも出来た。こちらは、出来るだけ歩きながらストレッチもして、長く付き合って行くことになるのだろう。そんな先週の金曜日。久しぶりに赤坂のTV制作会社に出かけて企画会議に参加し、ついで社長夫妻と昼食。1.5人前の豪勢な鰻丼をご馳走になった。

 それから、かねて案内を貰っていた先輩の個展を見るために八重洲の画廊に。そこでばったり会った友人と久しぶりにお茶し、一緒にもう一つの個展を銀座の画廊に訪ねた。先輩の奥様の絵である。先輩のお宅には40年以上前に長男を連れてお邪魔したことがあって、それを奥様が鮮明に覚えていて懐かしかった。その長男も今や47歳。EV(電気自動車)開発の責任者になっている。先日には、長女が大学1年生になった。その日の夕方は整骨院にも行き、都合9千歩ほども歩いた。一番上の孫が大学の1年生。時の流れは、様々な思い出を飲み込んで流れる大河のようでもある。

「孫眩し大学に入る前途かな」
 孫娘のAちゃん(18歳)は、大学で建築を勉強したいそうだ。入学式の写真を見ると、すっかり大人びて眩しいくらいの大学生になっている。早速お祝いのメールを送ったら、「おじいちゃんへ」で始まる以下のような返事をくれた。
 「(略)今まで勉強が狭い教室の中で完結していた様な気がしていたのが、大学生になってから急に世界が広がった様な気がしています。まだ世界中というわけではないけど廊下くらいの広さになった気がします。この廊下までの世界がどんどん広がって他の分野にまで被さっていったらその被さった分だけいい感じのものができるのかなとか思ったりします(略)」。 会っていろいろ話が出来たらと思う。

 入学と言えば、4月から娘のところの孫娘(Kちゃん3歳)が年少さんに入園した。母親から離れるのが苦手だったが、通園はうまくやれるかな。この子が大学に入るにはあと15年はかかる。俳句とともにFBに写真を載せようとしたが、大学生の方はちょっと難しいので、Kちゃんの写真を載せた。これから先の世界は、温暖化や核戦争、超巨大地震など、不穏な可能性には事欠かない。孫は7人いるが、この子達の未来に幸多かれと願うや切である。

 満開だった桜も散り、毎日お参りしている歩いて1分のお寺では、石楠花(しゃくなげ)が見事な花をつけた。もうかれこれ2年になるが、緊急事態や蔓延防止等重点措置が出ている間は、長年続いていた「朝の集い」もお休みになり、それが解除されると、本堂での読経と座禅のみの開催が続いている。いつになったら皆で庫裏に集まりお粥を頂きながら、いろいろな話が出来るのだろう。4月は久しぶりに集まりだけはありそうだ。それでも日々お参りしつつ、平和の有り難さをかみしめる昨今である。「青空に石楠花映える平和かな」

◆来月に喜寿を迎える自分だが
 来月には77歳になる。世に言う喜寿だが、コロナのご時世でもあり、次男一家はNYに住んでいることもあり、ささやかな祝いになりそうだ。それにしても77歳とは、はるばる来たものである。元気な人は元気だが、早くに亡くなる人も多い。最近は思わぬ訃報に接することも多くなった。5月に「偲ぶ会」をする先輩のHさんは、1月半ばに78歳で急逝された。直近まで元気で学会の打ち合わせなどをしていたのだが、事故で亡くなった。いのちの儚さを感じた出来事だった。かと思うと、96歳の大先輩が「元気か」と電話して来たりする。

 その先輩は、冬でも朝くらいうちからウォーキングに出かけて、歩きながら発声練習までしているそうだ。そのせいか、滑舌が素晴らしい。先輩は10月に毎年開催する健康のイベントのプロデューサーを続けているが、今年はコロナ開けを期待して今から打ち合わせに飛んで歩いている。元気な人は元気だが、同級生達も含めて、皆、年相応に老いている。私の座骨神経痛、寝るときの足と手のひらのじんじんする感じ、眠りの浅さなどは、老化のサインなのだろう。これに抗うのは大変だ。出来るのはせいぜい、運動とストレッチと体調管理である。

◆心身の安定を如何に保つか
 その上で最近は、一番大事なのは心の安定と自律神経の安定なのではないかと、思うようになった。今は、テレビをつければ戦争の悲惨な映像ばかりだし、プーチンのことを考えるだけで、眠りが浅くなる感じがする。加えて、いつ終わるかも分からないコロナである。世界全体に暗雲が垂れ込めて久しい。こうした難問山積の時代に、「時代と向き合って生きる」ことを自分に課すのは、かなりのストレスになる。手足のじんじんも、血圧の状態なども多分に自律神経の乱れから来ているのかも知れないと思ったりする。

 というわけで、現在は、そんな日々の中で如何に心身の安定を保つかが、大きな課題になりつつある。一頃は、毎日少しの時間でも座禅を組んだが、股関節痛でそれもままならなくなっていた。それが少し改善されたので、また復活しようと思っている。何しろ、77歳などという年齢の先はそれこそ「未知との遭遇」で、さっぱり予測がつかない。その点では、定期的にやっている同級生や元同僚とのリモート懇談もなかなか決め手にはなりにくい。人生の下り坂にある自分と向き合い、手探りしながら一歩一歩、ゆっくり歩いて行くしかない。

梅咲けど静心なき時代かな 22.3.8

 2月24日にウクライナにロシア軍が侵攻して以来、世界の関心は否応なく戦争の悲惨な現実に引きつけられている。圧倒的な物量のロシアに対し、ウクライナ側が懸命に抵抗しているうちに、世界の同情はウクライナに集まり、プーチンの孤立が深まっている。しかし、この戦争がこの先、どのような推移をたどるのか、私などには全く予測がつかない。「プーチンは負けた」(ユヴァル・ノア・ハラリ)とする見方がある一方で、プーチンの時代錯誤的な被害妄想を見ると、この戦争がこの先何年にもわたる悲劇を生むこともあるだろう。

◆戦争のリアリティーをどこまで実感できるか
 考えたくないが、この戦争が核兵器の応酬や原発崩壊などで、世界規模に拡大することもあり得るし、経済的な面では既に世界規模になっている。これらのリスクを身近に感じる中で、この戦争は、私たちに幾つかの重いテーマを確実に投げかけている。一つには戦争のリアリティーと言うものである。戦後長く続いた平和な時代の中で、日本人がすっかり忘れている戦争の現実。その圧倒的な現実の中で、国民が命をかけて守るものがあるとすれば、それは何なのか、ということである。ウクライナの人々の戦争はそれを改めて考えさせる。

 こうした戦争と平和に関するリアリティーについては、以前から関連のコラム、例えば「日本の何を守るのか」、「一億総玉砕と日本殲滅」などでも書いてきたが、平和惚けした日本ですぐに「核兵器シェア」などの勇ましい軍拡論を唱える政治家たち(安倍晋三)は、戦争が抱える複雑で悲惨なリアリティーをどこまで認識しているのかと疑わざるを得ない。いずれ、こうしたテーマは再びコラムの方できちんと考えて行きたいと思うが、今の世界(日本)はいつ終わるとも知れないプーチンの戦争と新型コロナに向きあって行くことになる。

『梅咲けど静心(しずごころ)なき時代かな』
 さて、近況報告。近所のお寺の境内では、満開の梅に続いて枝垂れ梅が咲き始めた。季節を告げる自然の営みを愛でたいところだが、世の中はそれどころではない。日々死者が出ているコロナの感染と悲惨な戦争のニュースとが重なって、重苦しく心落ち着かない日々が続いている。「ひさかたのひかりのどけき春の日に静心なく花の散るらむ」(紀友則)の静心とはまるで違う。間もなく桜の季節になるが、この歌を思うと、若い頃、坂の途中に一人座って桜の大木から降りしきる花びらを飽きずに見ていたことを思い出す。平和だった。

 身体の方は、昨年末から続いている座骨神経痛の治療が続いている。週2回、整骨院に行っているが、座っているとすぐに左のお尻が痛くなって長時間の作業が出来ない。読書も進まない。切り抜いた新聞記事も溜まる一方で、コラムを書くだけの気力が湧かない。気長に治すしかないが、それでも痛みを友としながら出来るだけ歩くことにしている。『老骨や痛みを友に春を行く』。近所の旧家に残る枯れ木の大木(その昔、家康が愛でたという榧(かや)の木:写真下)になぞらえて、身体のあちこちに痛みを抱える老骨(ポンコツ)状態を。。

◆「無力無名の一市民」がコラムを書き続ける意味は?
 そんなウォーキングの間に考えたことがある。この調子だと、頑張って生きても長くて10年だろう。そうすると後10年から逆算して、16年間続いた「メディアの風」を閉じないとすれば何を書いていけばいいのだろうか。もちろん、人生の店じまいのためにやるべきことは他にも沢山ある。例えば、殆ど出来ていない終活をどうするか、家族サポート、幾つかの社会的なお付き合いも出来れば続けて行きたい、個人的な楽しみも再開したいし、何より健康維持のための努力も必要だ。それらをおいてこの「メディアの風」をどうするかである。

 前回の「ウクライナ危機の中の庶民」でも書いたが、何しろ既にジャーナリストでもなくなった「無力無名の一市民」が目の前の事象について書くことの無力感は半端ない。様々な社会事象を一市民の自分に引き寄せて書くことの「距離感」の難しさというか、自分とその問題との「フィット感」がなければ、とても書くことは出来ない。16年間のまとめを終えて一区切り出来た段階から、こうした問題にぶつかっている。やめてしまうのは簡単だが、それでも、敢えて続けるとすれば何を拠り所として発信して行くのがいいのだろうか。

◆未来への個人的なメッセージとして
 これは全く個人的な問題なのだが、残り時間が限られている中で、仮に個人的な関心を持続していくテーマがあるとすれば、それは何なのだろうか。自分には、この16年間にあれこれと考えてきたテーマがある。その延長でなお個人的に追求すべきテーマはあるだろうか、ということである。それを絞り込んで、自分がこの世から消え去るまでを最長10年として、それをこの10年という時間的スパンで考えて行くことは可能か。そのようなことを思いついて、16年間のテーマの中から、これからも個人として見続けて行きたいテーマを探してみた。

 昨年末に自費出版した「メディアの風 時代と向き合った16年」(上下巻)には、全部で9章のテーマがある。そこから、選ぶとすれば次の4つになるかも知れない。一つは、「地球温暖化」の行方である。これは現在始まった脱炭素の動きを含めて子や孫たちの未来を考えることである。二つ目は日本の未来である。膨大な財政赤字、少子高齢化と人口減少の中で、日本の豊かな社会的共通資本をどう次世代に引き継いでいけるのか。或いは、そのための日本や日本人の底力の再確認である。三つ目は、目前に差し迫ってきた戦争と平和の問題である。

 そして四つ目は私の個人的な関心事である脱原発である。この30年に確率70%で迫っている巨大地震国家の日本で、危険な放射性構造物を未来に遺していいのか。今回のウクライナ戦争でも原発は破滅へのリスクであることがより明確になっている。これをどうするか。以上、4つほどのテーマをこれまでの思考の延長でさらに深化させることが出来るか。これは既に個人的なつぶやきでしかないが、それを残り時間が許す限り自分に課すということである。もちろん、その前に終わることがあっても、それはそれで納得ということである。

◆ロシアが失い、日本が残しているもの
 以上の4つのテーマを考えて行くときには、それと深く関係する日本のメディア状況、政治や民主主義の状況などは、随時関連事項として入ってくるかも知れない。いずれにしても、残り時間から逆算して後10年を視野にしたスパンで子や孫の時代へのメッセージを模索して見るというのはどうだろうか。身体のあちこちの痛みを友としながら、気力がまだ残っているうちの話ではあるが、これまでの16年間の蓄積の上に4つに絞ったテーマに個人的な関心を持ち続けてみたい。これが既にコラムを発信することが生活のリズムになってしまった自分の結論である。

 さて、そんな痛みを抱える中、思考の傾向として最近読んだ本を幾つか上げておきたい。一つはウクライナ問題でテレビにしばしば登場している中村逸カ(筑波大教授)の「ロシアを決して信じるな」。これを読むと、ロシアは絶望の国だということに愕然とする。ソ連時代から100年、ロシアが如何に国として、人として大事な「信義」というものを失っているか。プーチンを始めとして嘘をつくことが当たり前になっている。これを読んで、翻って日本はどうなのか。日本人が辛うじて今も失わずにいる「信義」の心や様々な美徳はどのように生まれてきたのか。

 そこで、ネットで「日本の良さを考える」をキーワードに選んだ本が2冊。一つは「日本人が世界に誇れる33のこと」、そして「日本人とは何か」(山本七平)だ。本命はもちろん「日本人とは何か」(800頁超)だが、これについては上にあげたテーマにも関わって来るので、いずれコラムの方で書いてみたい。世界は重苦しいが、我が身の痛みからは早く脱することに努めながら。