ロシアのウクライナ侵攻は、ますます凄惨な映像が茶の間に飛び込んでくる毎日である。戦争の行方については、ワイドショーや報道番組で様々な意見が飛び交っているが、ロシアによる民間人の大量虐殺や禁じ手の化学兵器の使用などが報道されるにつけ、国際世論はもちろん、西側首脳の頭にも血が上ってきている感じがして、この先どうなるのかと心配になる。戦争拡大へのダムの水位が日々高まっているようで、いつ大規模な戦争へとダムが決壊するのか。プーチンも追い詰められて命がけの状況なので、緊張は高まるばかりだ。
その結末はどうあれ、この戦争は今、前世紀から持ち越した大きな問題を人類に突きつけている。例えば、「核戦争に勝者はいない」と言いながら、プーチンはこれを脅しに使っているわけだが、核保有国同士が核兵器を突きつけ合う戦争をどう考えたらいいのか。さらに、民間人を標的にする戦争をどう防ぐのか。あるいは、(ヒトラーもそうだったが)プーチンのように妄想に取り憑かれた独裁者の出現をどう防ぐのか。戦争を初期段階で消火する有効な国際機関の再構築という問題もある。人類は愚かなまま滅びるのか。この戦争が提起する大問題については、次回のコラムで整理してみたい。
◆「はしごする友と個展を春の日に」
さて、近況である。昨年末以来悩んでいた股関節痛と座骨神経痛は、整骨院に通い気候も暖かくなるに従って、かなり改善されてきた。股関節痛は全くなくなり、歩くのに問題はなくなった。座骨神経痛による尻の痛みは相変わらずだが、だましだましやっている。何度かゴルフも出来た。こちらは、出来るだけ歩きながらストレッチもして、長く付き合って行くことになるのだろう。そんな先週の金曜日。久しぶりに赤坂のTV制作会社に出かけて企画会議に参加し、ついで社長夫妻と昼食。1.5人前の豪勢な鰻丼をご馳走になった。
それから、かねて案内を貰っていた先輩の個展を見るために八重洲の画廊に。そこでばったり会った友人と久しぶりにお茶し、一緒にもう一つの個展を銀座の画廊に訪ねた。先輩の奥様の絵である。先輩のお宅には40年以上前に長男を連れてお邪魔したことがあって、それを奥様が鮮明に覚えていて懐かしかった。その長男も今や47歳。EV(電気自動車)開発の責任者になっている。先日には、長女が大学1年生になった。その日の夕方は整骨院にも行き、都合9千歩ほども歩いた。一番上の孫が大学の1年生。時の流れは、様々な思い出を飲み込んで流れる大河のようでもある。
◆「孫眩し大学に入る前途かな」
孫娘のAちゃん(18歳)は、大学で建築を勉強したいそうだ。入学式の写真を見ると、すっかり大人びて眩しいくらいの大学生になっている。早速お祝いのメールを送ったら、「おじいちゃんへ」で始まる以下のような返事をくれた。
「(略)今まで勉強が狭い教室の中で完結していた様な気がしていたのが、大学生になってから急に世界が広がった様な気がしています。まだ世界中というわけではないけど廊下くらいの広さになった気がします。この廊下までの世界がどんどん広がって他の分野にまで被さっていったらその被さった分だけいい感じのものができるのかなとか思ったりします(略)」。 会っていろいろ話が出来たらと思う。
入学と言えば、4月から娘のところの孫娘(Kちゃん3歳)が年少さんに入園した。母親から離れるのが苦手だったが、通園はうまくやれるかな。この子が大学に入るにはあと15年はかかる。俳句とともにFBに写真を載せようとしたが、大学生の方はちょっと難しいので、Kちゃんの写真を載せた。これから先の世界は、温暖化や核戦争、超巨大地震など、不穏な可能性には事欠かない。孫は7人いるが、この子達の未来に幸多かれと願うや切である。
満開だった桜も散り、毎日お参りしている歩いて1分のお寺では、 石楠花(しゃくなげ)が見事な花をつけた。もうかれこれ2年になるが、緊急事態や蔓延防止等重点措置が出ている間は、長年続いていた「朝の集い」もお休みになり、それが解除されると、本堂での読経と座禅のみの開催が続いている。いつになったら皆で庫裏に集まりお粥を頂きながら、いろいろな話が出来るのだろう。4月は久しぶりに集まりだけはありそうだ。それでも日々お参りしつつ、平和の有り難さをかみしめる昨今である。「青空に石楠花映える平和かな」。
◆来月に喜寿を迎える自分だが
来月には77歳になる。世に言う喜寿だが、コロナのご時世でもあり、次男一家はNYに住んでいることもあり、ささやかな祝いになりそうだ。それにしても77歳とは、はるばる来たものである。元気な人は元気だが、早くに亡くなる人も多い。最近は思わぬ訃報に接することも多くなった。5月に「偲ぶ会」をする先輩のHさんは、1月半ばに78歳で急逝された。直近まで元気で学会の打ち合わせなどをしていたのだが、事故で亡くなった。いのちの儚さを感じた出来事だった。かと思うと、96歳の大先輩が「元気か」と電話して来たりする。
その先輩は、冬でも朝くらいうちからウォーキングに出かけて、歩きながら発声練習までしているそうだ。そのせいか、滑舌が素晴らしい。先輩は10月に毎年開催する健康のイベントのプロデューサーを続けているが、今年はコロナ開けを期待して今から打ち合わせに飛んで歩いている。元気な人は元気だが、同級生達も含めて、皆、年相応に老いている。私の座骨神経痛、寝るときの足と手のひらのじんじんする感じ、眠りの浅さなどは、老化のサインなのだろう。これに抗うのは大変だ。出来るのはせいぜい、運動とストレッチと体調管理である。
◆心身の安定を如何に保つか
その上で最近は、一番大事なのは心の安定と自律神経の安定なのではないかと、思うようになった。今は、テレビをつければ戦争の悲惨な映像ばかりだし、プーチンのことを考えるだけで、眠りが浅くなる感じがする。加えて、いつ終わるかも分からないコロナである。世界全体に暗雲が垂れ込めて久しい。こうした難問山積の時代に、「時代と向き合って生きる」ことを自分に課すのは、かなりのストレスになる。手足のじんじんも、血圧の状態なども多分に自律神経の乱れから来ているのかも知れないと思ったりする。
というわけで、現在は、そんな日々の中で如何に心身の安定を保つかが、大きな課題になりつつある。一頃は、毎日少しの時間でも座禅を組んだが、股関節痛でそれもままならなくなっていた。それが少し改善されたので、また復活しようと思っている。何しろ、77歳などという年齢の先はそれこそ「未知との遭遇」で、さっぱり予測がつかない。その点では、定期的にやっている同級生や元同僚とのリモート懇談もなかなか決め手にはなりにくい。人生の下り坂にある自分と向き合い、手探りしながら一歩一歩、ゆっくり歩いて行くしかない。
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