「風」の日めくり                     日めくり一覧         
定年後に直面する体と心の様々な変化は、初めて経験する「未知との遭遇」です。定年後の人生をどう生きればいいのか、新たな自分探しを通して、終末へのソフトランディングの知恵を探求しようと思います。

紅葉の「湖東三山」を巡る旅 25.12.2

 このところ、ちょっとした心配事が続いたせいか、10日ほど前から夕方になると脈の乱れが頻発するようになった。結滞という不整脈らしいが、1分間に10回ほども脈が抜ける症状である。なんか気になって心配していると、血圧も上昇し、上が170くらいにも。そこで近くのクリニックで調べてもらったら、午前中だったせいか心電図にも異常はみられず、12月に入ってから(前にもやった24時間心電計)を付けて調べることになった。だが、そうこうしているうちに5日ほどでその症状が消えて、血圧の方も(何日か降圧剤を服用して)収まって来た。

◆「湖東三山」の寺々と紅葉を巡る旅
 そこで一時はどうしようかと迷ったが、予定通り旅に出かけることにした。それは夫婦限定参加の「湖東三山」紅葉ツアーという旅で、琵琶湖東岸に点在する紅葉で名高い古い寺々を巡る2泊3日のツアーである。新幹線で米原まで行き、そこからバスに乗る。参加者(19組38人)は皆同じような年ごろだった。西明寺、金剛輪寺、百済寺の「湖東三山」は、いずれも歴史は古いが、今は最澄が開いた比叡山延暦寺につながる天台宗の寺になっている。当初予定より1週間早めたのがよかったのか、どこも目に鮮やかな深紅の紅葉が迎えてくれた。

 







 最初に訪ねた「西明寺」は、日本の国宝第一号に指定された本堂、三重塔を擁する。この二つの建物は鎌倉時代のもので釘を一本も使っていないという。山あいの寺なので、本堂にたどり着くには、不揃いの石を並べた数百段の石段を登って行かなければならない。山門を入ってから長い石段が続くが、途中に見事な日本庭園がある。ここには、約千本の紅葉があるというが、それらが真っ赤に色づいていた。次の「金剛輪寺」も石畳の長い坂を上っていく。坂の両側には千体を超える小さな地蔵が並んでいた。ここの本堂も国宝。境内に真っ赤な紅葉がある。









◆「戦乱の寺や血染めの冬紅葉」
 これを「血染めの紅葉」という。その昔、比叡山が織田信長の焼き討ちにあった時、ここも攻められそうになったが、僧侶たちが山門近くに薪を積み上げて燃やしたために、既に焼き払われたと誤解した兵が引き上げ、辛くも本堂と三重塔が残ったという。バスに戻ってLine仲間に写真を送ったら、友人が「戦乱の寺や血染めの冬紅葉」という句を送って来た。今回はLine仲間に逐次、紅葉の写真を送りながらの旅だったが、その都度やり取りが出来て楽しい旅になった。三山の最後は、「百済(ひゃくさい)寺」。近江で最古(606年建立)と言われる。








 ここも山門から本堂まで延々と石段が続いたが、カミさんと2人、途中で何度も休みながらやっと本堂にたどり着いた。色とりどりの紅葉が美しい。このツアーでは、湖東三山の他にも様々な所を訪ねた。普段は非公開の(小堀遠州が作庭したという)「教林坊」の庭園では、紅葉ライトアップを鑑賞。ツアー3日目には、比叡山の延暦寺(その日は霧に包まれていた)や、庭園の紅葉が室内の漆塗りのテーブルに美しく映り込む「旧竹林院」(延暦寺の僧侶の隠居所)。そして奇岩の上に建つ国宝の「石山寺」。ここでは紫式部が源氏物語を執筆したそうだ。









◆達成感のある紅葉の寺巡りだったかも
 これらの寺々の本尊は、延暦寺や西明寺の薬師如来をはじめ、聖観世音菩薩(金剛輪寺)、十一面観世音(百済寺)などだが、秘仏になっていて普段は見られない。多くは、扉の前の「お前立ち」という仏や脇侍という仏像に手を合わせることになる。見事な紅葉を鑑賞することと祈りが一体になった旅ではあった。私も、その都度手を合わせながら、行く前から続いていた「ちょっとした心配事」が無事に行くようにと祈って来た。さて、そうして3日間のツアーを終えて帰宅して、あれだけ駆使した足腰に影響が出ないかと心配したが当初は何もなかった。

 何しろ、3日間で2万7千歩もハードな石段を上り下りした計算である。石の形も高さも不揃いなので、上るときはまだしも、下るときが余計にきつい。そのせいか、3日後くらいから膝と足首が痛くなって来た。ツアーは同じホテルに連泊で、荷物を部屋に置いておけたのは良かったが、風呂は部屋内の小さなものしかない。これが温泉ならなどと贅沢なことを言っていたが、まあ、このひざ痛も一時的なものと思うので、今度は近場の温泉に行きたいねと話している。それでも、行く前の不整脈騒ぎを思えば、達成感のある紅葉の寺巡りだったと言える。

◆特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」
 このツアーをメインにして、今月は幾つかの出来事があった。某日。60年前の大学入学時にお世話になった茨城県人寮(水戸徳川家が創設した水戸塾)のOBと現役学生との懇親会があった。両国にある、関東大震災と東京大空襲で亡くなった人びとをお祀りした記念館を見学した後、隅田川の屋形船に乗って40人ほどで会食し旧交を温めた。同期入塾は既に半分が亡くなっているが、今回はいつもの4人が参加した。現役学生の元気な(応援団風の)自己紹介に遠い学生時代を思い出した。某日。上野で特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」を鑑賞した。

 かつてカナダでの会議で一緒だったメンバーの、年に一回の会食(GoMediaの会)で仲間の一人から頂いたチケットである。この運慶展は期間中30万人が訪れたと言うが、人数を区切りながらの鑑賞でも沢山の人が会場に詰めかけていた。国宝 弥勒如来坐像と両脇に控える国宝 無著(むじゃく) ・世親(せしん)菩薩立像の見事さである。ETV「日曜美術館」で事前に見て行ったが、芸術的な鑑賞と祈りとの両面をどう考えるのか。もう一度仏教の根本精神を確かめておかないと、それを作った仏師たちの思いに近づけないかもと、思ったことだった。

デジタル時代の現実感覚とは 25.11.16

 先日、年下の友人と会食した。その時の話を書きたい。二人は私より15歳と30歳ほどの年下である。一人が、私が生きてきた戦後80年の時代的変遷について、「この80年は、幼少期からは想像できないような変化だったのではないか」と尋ねた。実際、振り返ってみれば、それは本当に大きな変わりようだった。物がない敗戦直後の貧しい生活、自然の中で遊び惚けた小学校時代、そして、その後の右肩上がりの経済成長、サラリーマンになってからの放送技術の大きな変化(フィルムからデジタルへ)、そしてインターネット時代の到来という大変化である。

 太平洋岸の崖の上に住んでいた私は、中学生くらいまでは、自分が海外に出かけることなど考えたこともなかった。ただ、その海の向こうにアメリカがあるということを知るだけだった。それが今、世界のあらゆるところに日本人が出かけて、日々海外のニュースが飛び込んでくる。こうした幾つもの大変化の中で最も大きな時代的変化は、やはりデジタル時代の到来だろうという話になった。インターネットを介して、様々なプラットホームがその情報空間を日々巨大化させている時代であり、それ以前と比べて、情報と私たちの関係は劇的に変化した。

◆私たちの思考を絡めとる情報空間
 今や日々膨大な情報がデジタル空間にあふれ、人々は毎日何時間もそれを見る生活である。一説に、現代人が一日に受け取る情報量は平安時代の一生分であり、江戸時代の1年分だという。その膨大な情報の主役の一つがSNSの登場なのだろう。FacebookやYouTube、Xなどなど、誰もが簡単に発信できるSNSが生活に浸透してきたのは、わずか20年程のことである。それがたちまちにして、個人の情報空間を染め上げ、思考を絡めとる。最近は、そこにAIによって巧妙に加工された情報も加わって、何がフェイクで何がリアルなのかさえ判別しにくい。

 こうして日々肥大化する情報空間に個人が飲み込まれそうになっている現在、問われるのは私たちの現実感覚はこの先、どうなっていくのだろうか。あるいは、私たちが現実と思っていることは本当にリアルな現実なのだろうか。そういうかなり本質的な話題になった。情報と言えばラジオと新聞しかなかった時代を彼らより長く経験した私の方が、その落差の感覚は大きいかもしれない。今や、情報の洪水に溺れそうになってリアルな感覚を見失い、フェイクな情報に感情を揺さぶられて我を忘れて走り出す。それが社会現象化する時代である。

◆フェイク情報で「犬笛」を吹く
 例えば先般、名誉棄損で逮捕されたNHK党の立花孝志である。彼はそのフェイクな情報が多数の人々をどのように走らせるか計算していた。攻撃するターゲットを決め、それに対する悪意の陰謀論をでっちあげ、攻撃をけしかける「犬笛」を吹く。それを見た人々は何らかの正義感に駆られ、自らも情報を拡散しながら、対象者に「死ね」とか「消えろ」といった攻撃を行う。こうして立花は、相手の住所までさらし、結果、2人の自殺者まで生んでいるが、彼はネット空間の魔力を知り尽くしていたのだろう。一方で、アクセス拡大による収益まで計算していたのではないか。

 問題は、各種各様の「犬笛」に踊らされる大衆の方にもある。犬笛を聞いた人々は、自分の存在感をネット空間でより高めるために、さらに過激な言説を広げていく。その方が人々の注目を浴び、「承認欲求」が満たされるからだろう。こうして、「犬笛」の効果は相乗的に高まって行く。デジタル空間の巨大化に伴って、今やこの手の陰謀論的な言説がこだまのように反響し、大はトランプ現象(これについては次回以降に)から、小は身近な所にまで蔓延している。人々の現実感覚が薄れて何がフェイクで何がリアルか分からないまま、大衆の感情を右に左に揺さぶる時代になった。

◆「不安の壮大なストーリー」に転換されて
 先日のNHKクロ現「広がる“外国人不安”その陰で何が」(11/11)では、外国人を敵視するネット空間の高まりを扱っていた。排斥運動のデモに参加した女性は「もうなんか勝手に焦っています」と言っていたが、具体的な実態を知っているわけではなさそうだった。北海道江別市でのパキスタン人を巡る騒動も騒いでいるのは、実態を知らない人々が多い。こうした外国人に対する警戒心は、デジタル空間で増幅され「不安の壮大なストーリー」に転換されていく。それは、様々な発信が拡大解釈されファクトからフェイクに転換する過程でもある。

 いわく、「土地が乗っ取られる」、「侵略される」、「犯罪が増える」、「日本の税金が使われる」と言った言説が不安のストーリーに成長する。高市首相の「奈良では外国人が鹿を蹴飛ばしている」と言った類が、肥大化して排外主義に結びつく過程でもある。こうしたフェイク(犬笛)に感情をかき立てられて、一方向に走り出す人々は、どこかで立ち止まって「実際はどうなのか」と自身に問いかけることがあるのだろうか。(もちろん実際の犯罪者は論外だが)そうして排斥される一般の外国人の身になって考えるときに、相手がどのような感情になるのかを思いやる余裕はあるのだろうか。

◆拠り所となる「現実感覚」を手にできるか
 「相手の身になって考えられるか」。これは、私も含めて重い問いかけである。一方向に走っているようで、人々は実生活上、互いに殆ど交流がない。ネットで盛り上がっていても案外に孤独で、互いにその実体を議論する場が少ない。そのため、私たちは現実を見る勇気を持てないのかも知れない。その方が、独り流れに逆らうより安心感があるのかも知れない。仮に、そういう時にでも立ち止まって何がリアルなのかを問うとすれば、その時にこそ、私たちが拠り所とする「真っ当な現実感覚」が必要になる。それを今の私たちはどう手に入れればいいのだろうか。

 かつて、デジタル空間が今のように膨れ上がっていない頃、私たちは様々な現実に囲まれて生きていた。その時の現実感覚は、人々との触れ合いの中で、或いは自然との触れ合いの中で育まれていた。それが、長い年月の中で日本語としての様々な表現としても私たちの体内に染み込んでいた。それは芭蕉の俳句の中にみられる季節的な情感であり、「わびさび」の情緒でもある。そんな日本人の細やかな「情緒」について、数学者の岡潔は「何万年もかかって洗練されて来た」と書いている。彼は、さらに人間として備えるべき情緒についても書いている。

◆引き続き議論すべき大きなテーマ
 例えば、正義と恥の感覚、そして美しさ、はかなさ、清らかさ、つつましさ、雄雄しさ、潔(いさぎよ)さ、寂しさといった美しい日本的情緒である。このような情緒は、かつては日本人の誰もが説明抜きで分かっていた。立花の破廉恥な言動や、各自治体の首長が不祥事でも職にしがみつく時代を見るにつけ、これらは今、どこへ行ったのだろうと思う。 岡潔はこの「日本的情緒」を捨てようとしている日本社会に警鐘を鳴らし続けたわけだが、今では肥大化するフェイクな空間によって、人の生き方や自然の美しい日本的情緒が押しつぶされかかっている。

 岡はさらに、こうした美しい情緒が消えてくると子供たちの顔つきが「昆虫に似てくる」と、ギクリとするようなことも書いている。今の社会、「犬笛」によって思いつめたように相手を攻撃する人々、或いは立花本人も、そう言えばどこか昆虫に似ているかもしれない。「あの顔はさしずめ、カマキリだね」と友人の一人が納得したように言った。肥大化するデジタル空間、飛び交う陰謀論、敵意に満ちたフェイク情報。この中で私たちは、いかにして真っ当な現実感覚を維持していけるのか。大きなテーマなので引き続き議論しようということになった。